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2010年11月29日 (月)

「龍馬伝」 第48回(最終回) 相克劇の終焉

 さまざまな物議を醸し出した感のある 「龍馬伝」 も、最終回。
 どんな描かれ方で龍馬ファン、幕末ファンの顰蹙を買われようが、最後にはやはり、この 「偉大なる人たらし」 が遠く彼方へ旅立ってしまうことに大きな喪失感がやってくるだろう、と思っていました。
 まあ、揚げ足とりみたいな揶揄半分の批判をされていた方はいざ知らず(失礼)、私の場合は予想通り(?)の寂しさに見舞われております。

 それは、岩崎弥太郎(香川照之サン)が感じていたように、「いればいたで鬱陶しい男だが、いなくなると妙に寂しい」 という認識を、私もこのドラマの中の龍馬に感じていたからかもしれません。
 実際のところ、弥太郎は暗殺者(市川亀治郎サンら)に対して、「あんな男、殺されてしまえばいい」 などと吐き捨てたりするのですが、いざ龍馬が殺されてしまったと分かった時、大雨の中で泥に這いつくばいのたうちまわりながら、慟哭するのです。

 「あああ…!
 …ああああああ…!

 …返してくれ…
 …返してくれ…!

 …わしの龍馬を返してくれ…!

 龍馬を返してくれ!

 大事な人や、大事な人なんじゃぁぁーーっ!

 大事や人や、返して……あああーーっ!」

 …いきなりクライマックスの部分から書いてしまって恐縮ですが(笑)ここ、自分も泣きまくりでした。
 字幕では、香川サンは 「わしの龍馬」 とは言っていません。
 つまり 「わしの」 は、私の聞き違いかもしれないし香川サンのアドリブかもしれない。

 この場面、弥太郎は 「日本にとって大事な人だ」 という認識で叫んでいるわけではない、と思うのです。

 つまり、この瞬間に、弥太郎の中の一部分が死んだ、と同義であることのほうを、私は強く感じるのです。

 最近になってこのドラマは映画 「アマデウス」 を念頭に置いて最初の発想がなされたことを読みました。 なんとなくそんなふうに感じていた自分も納得の話だったのですが。

 映画 「アマデウス」 では、サリエリはモーツァルトを死に追い込みながら、最後は老いさらばえて入った精神病院の中で自分の罪を 「モーツァルトを自分だけのものにした」 というニセの充足感にすり替え、神父に懺悔ではなく自慢をしている。
 そしてラストシーンは、檻の中の精神病患者たちに 「お前の罪を赦そう」 という 「神気取りの逃避」 を自分の本心であるとすっかり信じ込んでしまっている。

 それに対して弥太郎は、あくまで自分の龍馬への罪悪感を、強がりによって死ぬまで払拭し続けるのです。
 「龍馬さんの思い描いていた国にきっとなると思います」 とカンドーしまくる新聞記者に対して、弥太郎はこう絞り出します。

 「そんな甘いことではないがぜよ…!

 龍馬…。

 龍馬、龍馬、龍馬…!

 龍馬はのぅ!

 能天気で…!

 自分勝手で…!

 人たらしで…!

 おなごに好かれて…!

 あれっばあ腹の立つ男はおらんかったがじゃき!

 わしはこの世で、
 あいつがいちばん嫌いやった!

 あんな男…!

 あんな…

 あんな龍(りゅう)は、

 どこにもおらんがぜよ…!」

 言われてみれば全く弥太郎の言う通りで(笑)、能天気で自分勝手で人たらしでモテモテで、しかも、夢みたいなことばっかり言っていた気がするんですよ、このドラマの龍馬は。

 そんな男がどうして薩長同盟の立役者となり、暗殺されるほどの恨みを買ってしまったのか。

 それはやはり、龍馬が常人では計り知れないスケールを秘めた男に、当時も大勢の人たちから感じられていたからなんだろうと思うんですよ。

 それはいかにドラマでも、非常に表現しづらいことのように思えます。

 ひとつ間違えば、龍馬のやっていることはとても上っ面で(ちょっとこの言葉を引きずってスミマセン…笑)、うるさがたを納得させる説得力に欠けるかもしれない。
 けれども実際龍馬が遺していったものを見ても、私はやっぱり同じことを感じるのです。
 龍馬は、 「偉大なる夢想者であった」、と。

 司馬遼太郎サンの 「竜馬がゆく」 は、そんな龍馬の行動規範に一定のインテリ的解釈を加えることによって、かなりの知識層をも感動させる揺るぎのない説得力ある男として龍馬を構築した。
 それに比べれば 「龍馬伝」 の龍馬は、いかにも浅い理屈(たとえば、「憎しみからは何も生まれない」 とか 「日本をみんなが笑って暮らせる国にしたい」 とか)によって行動し続ける男、という印象があったかもしれない。
 それでも、龍馬がなにものかを感じ、その信念に向かって突き進んでいく男である、ということは、確実に見ている側には伝わったであろう、と考えるのです。 少なくとも私には伝わりました。
 そして福山龍馬が見せた、その人なつっこさ。
 ドラマを最後まで見終わって私が感じる喪失感の裏には、そんな彼の演技が今まで醸成してきた 「ある種の友達感、親近感」 というものが潜んでいるのです。

 それにしても、岩崎弥太郎の回想で締めくくられるエンディングタイトルバックの直前、お龍(真木よう子サン)が土佐の海でふと目にした龍馬の幻想。

 「お龍…!

 気持ちがえいのう!

 この海の向こうに、広い広い世界があるがじゃぞ!

 えいかお龍。

 『海』 じゃぞ。 『う』『み』!」

 参りました。

 ここで 「うーみ!」 がくるとは。

 これぞドラマの醍醐味であります。

 無粋ながら解説いたしますが(笑)、初めて会った当時、あまりにも不愛想なお龍に龍馬が教えた笑顔を作る方法が、この「うーみ!」 であったのです。
 このシーン、杉本哲太サンと寺島しのぶサンがその場に現れるまで、龍馬が暗殺されたことをお龍が知っているのかどうか、見る側は分かりません。
 けれどもこの 「うーみ!」 のセリフによって、「お龍、笑って暮らせ」 という龍馬の思いがお龍に届いた瞬間であることが見ている側に伝わり、なんとも涙を誘うシーンに昇華するのです。 参ったなあ、コレ。 泣きました~。 こーゆー泣かせ方をさせてくれるんですか。
 そうそう、この最終回冒頭で、龍馬の夢の中のシーンでしたけど、武市(大森南朋サン)や以蔵(佐藤健クン)、長次郎(大泉洋サン)、亀弥太らが再登場し、龍馬が大政奉還に一役買ったことを祝福するシーンが出てきたんですが、冒頭でいきなりウルウルしてしまいました(笑)。 「いきなりかよ!」 みたいな(笑)。

 この最終回、さまざまな批判をシャット・アウトするくらいの気迫がこもっていて、まさに傑作でした。 まあ、文化庁芸術祭参加作品だけあって、気合が入りまくっていた、とも言えるのですが(笑)。

 エンディングはぶざまに床に倒れこむ弥太郎の最期と、船の舳先にたたずむ龍馬の後ろ姿。 このドラマのもっとも表現したかった側面を、強く印象づけて終わったといえるのではないでしょうか。

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テレビ」カテゴリの記事

コメント

終わってしまいましたね。

中村達也の顔がアップになったとき
「おお〜!キターー!」と感動。髷もなかなかシブイ。
そのうしろにシオン、亀さんが続いて歩いてきました。
歌舞伎の人とロックの人。オイシイ!
(シオン以外はナマで何回も観てますw)

殺害のシーンは、「何がおこってるの!?」と目にもとまらぬ速さで
オロオロしてる間に終わってしまいました。
(新しいテレビ、早く届かないかな)
斬られてからのアングルがすごかったですね。
カメラによりかかるような姿勢だから、龍馬の腕で画面がまっくろに隠れちゃう。


>大事な人なんじゃぁぁーーっ!

本音ですね。
夢みたいなことを言い、だんだん現実にしていった存在。
悔しくもあり、まぶしくもある。

弥太郎の最期の激しい死に姿は、「おいしすぎる」と大評判です(2ちゃんねるでw)。
50才だったんですね。
岩崎邸を見学に行ったことありますが、当時はああいう人が建てた御殿だとは知りませんでした。
(ホンモノはもっと品が良いでしょうが)

>「うーみ!」
切なかった。おりょうさんのこれからが気になって。
あれは土佐の海だったのですよね?
ねーやんたちと反対方向へスタスタ歩いて行ったので、強く歩んでいくのでしょう。

投稿: マイティ | 2010年11月29日 (月) 23時24分

マイティ様
コメント、ありがとうございます。 お加減はいかがでしょうか。

この記事をアップして読み返して重大なことに気付きました、「肝心の、龍馬が暗殺された場面を、書いてないっ!」…(爆)。

でもまあいーかなー。 見たままでしたから。 直前まで中岡と将来の夢を語り合い、あまりにもあっけなく斬られてしまったあとも、何事もなかったかのように、夢を語り合う。 非常な緊迫感、龍馬の思い、そして亀治郎サンたち暗殺者の心情まで描き出して、文句のつけようがない暗殺、でした。 完璧ゆえに、今更取り立てて書くこともなかろう、という感じですか。 他の人にその場面のレビューは任せます。

あっ、新しいテレビ、買ったんですね! エコポイントつきですか?(笑)
確かマイティサン、アナログテレビでしたよね? 地デジはいいですよ~(笑)。 データなんて使うのは最初のうちのもの珍しい時だけでしたが、画面がきれいでゴーストがないってすごいことだなーと、素直に思いますです。 キメも細かいし。 ま、番組は変わり映えしないのがいちばんガックリするのですが(爆)。

岩崎邸にもいらっしゃったんですか、はぁ~いろんなところに旅されているんですねー。 私も金とヒマさえあれば、いろんな場所を見てみたいものです。

「坂本家には半年いた後そこを出て、横須賀で再婚した」、でしたよね、お龍。 あのシーンでお龍のその後を象徴的に表現しているのも、しびれました~。

投稿: リウ | 2010年11月30日 (火) 06時04分

体調はここ二日くらいマトモなんですけど、
今年の風邪は1〜2日くらい「調子いい」と思っていると
次の症状がおそってきて奈落の底へ突き落とされるそうなんで、油断はできません。
薬屋に何千円も払いましたし、ホントにもったいないので健康一番です。
予防してくださいね。

テレビは風邪でダル〜い中、カオス状態の電気屋さんで、お兄さんに話を聞いてもらうまで整理券もらって1時間待ち、結局欲しいテレビは在庫無し。
すぐに帰って他店のネット販売で予約しました。
それも翌日には売り切れましたのでギリギリです。
アマゾンでは現在でも同じものが三万円高く売っておりますので、在庫があるところにはあるんですな…複雑な気持ちです。
欲しかったのは、龍馬…いえ、福山さんがCMしてるメーカーの春夏モデル。
価格コムでも評判の機種です。

ドラマに関係ないこと、失礼しました。
仕事の原稿を待ちわびて、ヒマなんです…angry

投稿: マイティ | 2010年11月30日 (火) 11時19分

マイティ様
再コメント、ありがとうございます。

薬屋さんに払った、ということは、病院にはいらっしゃっていないんですか? あまりひどい時には、やはりお行きになったほうがよろしいかと思います。 くれぐれもご自愛ください。 やはりうがいと手洗い30秒以上は必須、ですかねconfident

エコポイントもエコカー減税も、ちょっと刺激してあげれば購買欲がとても上がる、ということなのに、政府はどうしてやめてしまうんでしょうかね。 前自民政権の遺物だからぶっ潰したいのかな。 無用な混乱とあとに残る消費冷え込みを招いている気がします。 仕分けだって、自分たちの批評になったら大失速だし。 あれは続けたほうがいいですよね、レンホーさん!

あ~レ○ザですか(笑)。 私もあの 「考えるテレビ」 は欲しいなーと思います。 ちゃんとしたものを作ればみんな欲しがる、という典型ですよね。 プリウスしかり。

私はこれから、「流れ星」 のレビューを書こうと思います。 アクセスやたら多いので、気合が入りまくってます(笑)。

投稿: リウ | 2010年11月30日 (火) 12時00分

最終回、泣かされましたー。

「憎しみからは~」「みんなが笑って暮らせる国~」・・・浅い理屈かもしれません。
でも、だからこそその純粋さが際立っていたように思うのです。

私は「龍馬伝」の龍馬が大好きです。
(“心酔”などというご大層なものではなく、ハマっているという方がミーハーファンには相応しく思います。笑)
なぜこんなにも惹かれるのか、その理由は色々あると思うのですが、その一つが“純粋さ”の様な気がします。
それからやはり人懐っこい笑顔ですね。
思い起こせば11ヶ月前、あの誰もが惹き込まれそうな笑顔に魅せられて「龍馬伝」の世界にハマっていった様な気がします。

暗殺シーンの最後の会話で龍馬が「わしの船は絶対に沈まん!」と言いましたが、この「船」は単純に船をそのものを言っているのではなく、別の意味が込められているようにも思えました。
例えば「命」、「日本」、「志」、「希」・・・。
あの台詞を言う福山さんの口調が意外なくらい力強かったので、何となくそんな風に思ったのです。まあ考えすぎかもしれませんけれど。

最後の「うーみ」は本当に良かったです。
冒頭のシーン、ほんとにいきなり涙腺刺激してきましたね~。
あの世の武市さん達と杯をかわすシーンも泣けました。
「アイ ラブ ユウ」の手紙も好きです。
「わしは おまんが 好きじゃ」
土佐弁で訳すところがまたいいんです。

龍馬を愛する人々の悲しみのシーンをいちいち入れなかったのも良かったと思います。
弥太郎が代表して全て引き受けてくれました。

投稿: のっぽの通行人 | 2010年11月30日 (火) 18時48分

橋本さん、初めまして。
アキラです。

このブログは女性の方が多いのかな。ちょっと場違いな投稿かもしれないです。
自分はドラマってまったく観なくて・・・。
でも、何故か「新撰組」と「龍馬伝」は完走しました!
橋本さんの龍馬伝の感想、ずっと読んでましたよ!

橋本さん言うように、最終回、切なかったです。
お龍も切なかったけど。
龍馬がね。。
龍馬の一生って幸せだったのかなって思うと堪らなかったですね。
何かに(たぶん自分自身の夢や理想に)追い立てられて、いつも、先へ先へって走っているような。
志を成し遂げた、その瞬間から周囲の人達は離れていって、孤独じゃなかったのかなあ。

最後駆けつけてくれたのは、弥太郎だけですもんね。
ちょっと前までは西郷さんも木戸さんも「死なせちゃならん!」なんて言っていたけれど。

龍馬は幸せだったのかなあ。
すごく心が痛みました。

ドラマは見ないんですけど、またお邪魔します。
橋本さんの物の見方は優しくて暖かいですね。

さっき「みんなの感想」って初めて見てみたら「福山の笑い顔は老婆みたい」「間抜け面を見なくて済むから清々した」「目をひんむくだけの演技」とか、ヒデー!何者だよこいつら!!って思いましたよ。

橋本さんの感想は、好きですよ!
がんばってくださいね。

投稿: アキラ | 2010年11月30日 (火) 23時03分

リウさま。

ついに終わっちゃいましたね。クライマックスでのテロップで苦情の嵐だったようですが。これでリウさまの負担も若干軽くなるのでは?

私は福山さんは大大好きですが、正直、「坂本龍馬」の役に決まった時は??でした。

確かに役者としての演技力は、共演者に比べると劣っているかもしれません・・・。
ただ終わってみて思うのは、龍馬は決して優等生とか賢い人ではなく、人たらしでおおらかな、夢を持って生きた人だったということ。こういう点で、福山さんがキャスティングされたのかなあと漠然と考えました。役者としての評価より、人間として、より龍馬像に近いと考えられたのではないでしょうか?

お龍さんが「う〜みぃ」と言った後で乙女姉やんも「う〜み」と言ってみているという演出?の細かさにも感動。

龍馬がお龍さんに「う〜みぃ」を教えた時には、なんで「海」?と思いましたが、最後のこのシーンにつなげるためだったのかと合点がいきました。

テロップの入らない再放送をもう一度見ようと思ってま〜す。


投稿: rabi | 2010年12月 1日 (水) 10時07分

のっぽの通行人様
コメント、ありがとうございます。

「龍馬伝」 に関しては、のっぽの通行人様からお叱りの(?違うかな?)コメントをいただくこともしばしばでしたがcoldsweats01、とても実のあるやり取りだったと感じています(私だけの感覚かもしれないですが)。

「龍馬伝」 での福山龍馬の最大の魅力は、「気さくでこちらが望めば誰とでも大親友になってくれそうな」 そんな部分だったのではないでしょうか。 福山サンが演じた龍馬には、そんな心の広さと、どんな人でもシェイクハンドしたがる人懐こさがある。 たとえてみれば、それは 「海」(うーみ!…笑)であります。 気難しい顔をしないで、笑おう、笑いあおう、そうすれば敵も味方もなくなる…そんなことを体いっぱいに表現していたように思えてならないのです。

そしてもうひとつ感じる 「海」、それは当時の日本人には理解不能のスケールの大きさです。

幕府だ藩だとチマチマやっているようにしか見えてこないんですよ、龍馬の 「みんなあが笑って暮らせる国」 という観点から幕末の世の中を見ますと。

そして大政奉還が成し遂げられたあとの龍馬の視点は、もはや日本という一国の範疇を超えています。 龍馬には、「海」 の向こうの世界しか見えていなかった。 そして世界を見て回ったあと、蝦夷(北海道)という未開の土地をその理想郷にすべく考えが及んでいた。

常に一歩先のスケールで物事を考えていたゆえに、夢想者ととらえられやすく、上っ面で底が浅いように思われがちだった。 それは今の世の中から見ても、同じことなのではないか、と思うのです。 「龍馬伝」 批判の構造の本質は、そこにあると私は思います。

分かりにくい話でたびたび恐縮ですがcoldsweats01、「上っ面」「底が浅い」 の真意がそこにあることをご理解いただけたらなー、と感じますです。

最終回、まったく文句のつけどころのない出来でした! また気軽にお立ち寄りいただけたら、うれしいです!

投稿: リウ | 2010年12月 1日 (水) 11時27分

アキラ様
こちらこそはじめまして! コメント、ありがとうございます。

ややっ、言われてみれば確かに、コメントを下さるかたは女性のかたが多いですねflair
場違いとはおっしゃらず、気軽にコメントいただけたら嬉しいです。

私の場合、ゴールデンタイムのバラエティ以外はほぼ守備範囲ですcoldsweats01。 このところドラマのことしか書いておりませんが、書きたいときは 「タモリ倶楽部」「恋のから騒ぎ」「チューボーですよ!」 などを中心に書いておるのです。 まあ見たい番組は固定されてしまっていますから、ダラダラ見が基本的にないのですが。

アキラ様のおっしゃるように、龍馬は常に一歩先を見ていたからこそ、まわりから疎んじられていった気がします。 先のコメントでそのスケール感を 「海」 と表現したのですが、「開拓者」、とも言えるかもしれません。 何事にも、言い出しっぺには逆風が吹きまくるものです、世の中は。 それでもそんな人たちが、現代の常識を作り上げている。 当時の非常識が現代の常識って、すごくあるように感じませんか? 士農工商なんてその最たるもので、だからこそ 「みんなが平等」 なんて龍馬の言いぶんには、我慢ならない人が多かった気がするのです。 そのスケールは、西郷も木戸も、理解不能。 危険人物に映ったに違いありません。

でも龍馬には、海援隊という仲間がおりましたよね。 彼らは結果的に龍馬の思想に賛同し、龍馬の行動を陰で支え続けた。 龍馬はひとりではなかった、そう思えるのです。

そして龍馬には、死後も万人の支持者が後を絶たない。 すごいなあ、と思います。

私のモノの見方が優しい、とおっしゃっていただきましたが、基本的に辛辣な男なんですよ、実はcoldsweats01

だから言葉の端々に、トゲが出てしまったりします。 でも批判をするくらいならいいところをほめたい、という気持ちが強いので、結果的に優しい文章になっているのかもしれないです。

「みんなの感想」 はですねーcoldsweats01

私はいちばんレスポンス力があって質の高いテレビ感想欄だと思うのですが、いかんせん批判のための批判をする人の多さには辟易しております。 質は高いですが、くだらないのも多い。 しかも自分のくだらない感想に自分で1票を入れる人がおるらしくて。 思いが強いからこその批判になってしまうケースもあるのですが、批判をし出すと箸の転がるのまで気に入らなくなってしまう、という人間の情の因果にまで考えが及んでしまうこともしばしば。

私の感想が好きだとおっしゃってくださり、恐縮しまくりです。 今回、なんか長いコメント返信になってしまいましたが、いつもコメントをいただく長さと同程度を心がけておりますので、お気軽にコメントをお寄せいただいたら幸いです。

投稿: リウ | 2010年12月 1日 (水) 11時57分

rabi様
コメント、ありがとうございます。

なんか地上波では沖縄県知事選の結果が、ちょうど龍馬の暗殺シーンにテロップで流されたとか。 私の場合BSハイビジョンの一足先のものをいつも予約録画しているので、そうしたこともなく、没入しまくりました。

この速報テロップ、ちょっと語り出すと長くなってしまうのですが(笑)、天地がひっくりかえるようなことでもない限り私は不要だと考えております。 特に選挙速報など、要らん!(笑) 震度3以下の地震でも不要だと思います(「ただ今の地震、津波の心配はなし」 くらいは許されるかなあ)。 まあ、ここらへんでやめときます…。

確かに福山サンは、「気さく」 という点で龍馬に人物像が近いような気がいたしますね。 私は福山サンの演技をまともに見たことがなかったので、どんな感じなのだろうと思って見出したクチですが、気になるような演技の下手さは全く感じませんでした。 却ってその体当たりでぶつかっていく演技に好感が持てましたよ! ただ福山サンを食ってやろう、という周りの役者さんたちの演技がすごすぎた、と申しますか…(笑)。 こうやって切磋琢磨していく役者同士のぶつかり合い、というのも私は大好きですが、たまには主役を盛り立てていくような部分も必要ではないかな、なんて、ちょっと考えたりもします。

ホント、「うーみ!」 にはドラマの良さを再認識させていただきました。 ここに感動されたかたも、多くていらっしゃるようですネ!

ではまたゆっくりと、再放送をご覧くださいませ。 なにもテロップが入らないことを、お祈り申し上げます…。

投稿: リウ | 2010年12月 1日 (水) 12時16分

リウ様


弥太郎の視線から描かれた『龍馬伝』。。。終わってしまいましたね~。。。ついに (涙)


龍馬と、そして、もう一人の主人公である弥太郎の物語として。。。描かれたから、こその最終回でしたね!

龍の魂。。。『世の中の人は我を何とも云わばいへ我が為すことは 我のみぞ知る』 

それは、龍馬を訪ねて思いの丈をぶつけた弥太郎に送った龍馬のはなむけの言葉。。。
「わしのことは相手にせんでええ。。。 おまんは日本一の会社を作って、日本人皆を幸せにせんといかんのじゃき。。それはの、それはわしには到底できん、この世で岩崎弥太郎という男だけができる大仕事ぜよ。わしにやるべきことがあったようにおまんにも必ずやるべきことがあるがじゃ、達者でのう、弥太郎。」(龍馬には弥太郎の「ああ、大っキライじゃ。この世の誰よりものぅ」の裏返しの気持ちが届いていたのかもしれません。。)

龍馬の魂の大きさを知り、さまよい歩く弥太郎。。あ~龍馬の思いが弥太郎の心に響いたと。。思うのです。

だから、見廻組を追いかけて「あいつは日本の為を考えてるだけじゃきに、出過ぎたことをしたかも知れけんど、龍馬にはのう、なんちゃー悪気は無いがぜよ。龍馬を殺してはいかんぜよ」と必死に訴えたのでしょう。

素晴らしい最終回でした^^

リウ様のおっしゃる通り、エンディングは 正に!!!

>このドラマのもっとも表現したかった側面を、強く印象づけて終わったといえる

のでしょう!

男くさい埃まみれのシーンやブルーに陰るシーンとバックミュージックの美しさに酔いしれ、
役者の方々の気迫あふれる演技、役者魂にどれほど惹きつけられたことでしょう。

リウ様の書評と共に楽しめた作品でした。^^
感謝です。m(_ _)m

投稿: ペコ | 2010年12月 1日 (水) 19時42分

橋本さん、ありがとうございます。
僕みたいな一見さんに、丁寧な言葉をかけてくださって。

僕もバラエティは全然見ません。民放はほとんど見ないんですけど、これからはNHK関連のドラマは見てみようと思います。
橋本さんのブログの影響なんですけどね。(「チェイス」とか面白かったみたいですね)

橋本さんに、龍馬は孤独じゃなかった、支えてくれていた仲間がいたって言われて、すごい救われました。
僕は、好きな映画とかドラマって激しく感情移入しちゃうのか、長く引きずってしまうんですよ。

福山さんって龍馬伝みるまで知識なかったんですけど、すごく透明感のある演技しますね。
笑い顔も、悩む顔も、どんな表情も透明感があり過ぎて、いろんな感情が(特に孤独感かな)透けて見える気がしました。
僕には、孤高というか、なんか寂しさに貫かれた一年間だったように感じたんです。

真剣に聞いてくださって、橋本さん、ありがとうございました!

感謝です!

投稿: アキラ | 2010年12月 1日 (水) 20時57分

ペコ様
コメント、ありがとうございます。

龍馬と弥太郎との相克劇、という観点から考察した私の記事の真意を深く読み取っていただき、さらに深い考察を加えていただき、感謝に堪えません。

以前も記事の中で書いたのですが、暗殺される者には常識では計り知れないほど桁違いの、思想のスケール感が備わっています。 ガンジーやマーティン・ルーサー・キング、ジョン・レノンに共通している。

特に私がこのドラマを見ていて共通項を見出していたのはジョン・レノンです。彼のやっていた平和運動も当時は夫人のオノ・ヨーコともども冷笑され、バカにされ、有名人の道楽と大きな批判にさらされ、FBIからは危険人物として常に監視されていました。 レノンの場合は暗殺者の動機は違うと考えられるのですが、レノンの持つスケール感は当時から言えばまったく周囲とは違って突出していたように感じます。 いまでは結構、彼の賛同者は増え続けている気がする。

「龍馬伝」 における龍馬もその例に洩れず、常に心は当時の人々のスケールの何歩も先を行っていました。 弥太郎と最後に対峙した場面でも、龍馬はその何歩も先の視点から、弥太郎を見つめている。 勝麟太郎と最後に交わした会話でも、 「オメエサンこれから、なにするね?」 と尋ねられても、黙ったまま彼の眼は、遠い彼方を見据えたまま。

死ぬ直前でも、彼は新政府の組閣を考えたりしていましたが、そのなかに彼の名前は一切ない。 彼の影響力はもはや最大限まで膨れ上がっていたのにもかかわらず。 それなのに周囲のだれもが、○○○はだれだとか、ほとんどワイドショー的な視点の低さ。 目先のことに囚われて、国家100年の計を考えていない者の、なんと多いことか(現代も全く同じです)。 ここからも、「龍馬伝」 の作り手が何を本当に訴えたかったかが、うかがいしれる気がするのです。

記事本文ではここまで書いてしまうと却って無粋になってしまうと私が考えたことまでお導きいただき、ペコ様には深く感謝申し上げます。

投稿: リウ | 2010年12月 2日 (木) 11時06分

アキラ様
ご丁寧な返信、こちらこそありがとうございます。

激しく感情移入してしまうことは、大いに結構なことではないでしょうか?wink

でもくれぐれも、巻き込まれてしまわないように…coldsweats01。 私はもう35年も前の話になってしまいますが、「俺たちの旅」 というドラマに結構ハマりまくりまして、主人公たちの 「会社人間」 になりきれない生き方に賛同してしまったせいか、その後の生き方にも相当影響してしまったような気がいたしますので…bearing

でも 「龍馬伝」 の場合には、そんな心配は全くないですけどね!
龍馬の、志に向かって突き進む姿勢は、大いに学ぶべき点がありまくりだと思いますです。

福山龍馬が一生涯抱えていた孤独感、というものは、やはり自分の思想が受け入れられないもどかしさが原因だった気がします。 それでも、当時から彼の賛同者はいたわけです。
このドラマ上では、弥太郎がいちばんの賛同者ではなかったかと思うのです。
弥太郎は強く反駁しながらも、心の奥底で彼に大きく賛同していた。 だからこそラストの 「あんな龍はどこにもおらんがぜよ!」 というセリフにつながったんだと思うのです。

私のようなテレビ中毒者にお付き合いいただき、こちらこそ感謝!であります。 では!

投稿: リウ | 2010年12月 2日 (木) 11時22分

本日録画を見ました。
切られた後、龍馬が、自分の額を触り、脳の髄液が漏れ出し、自分の死を悟ったとき、
「中岡、わしはこの命を使えきれたかがえ」
といったとき、ドキッとしました。
そうだ、龍馬はその命を使い切って現在の日本の礎を築いてくれたのだ。と同時に、
果たして自分は龍馬のように命を使い切って生きているだろうかと省みました。
また、最後の弥太郎の場面では涙が止まりませんでした。
改めて、龍馬にありがとうと言いたい。

投稿: marco | 2010年12月 2日 (木) 22時37分

marco様
コメント、ありがとうございます。

「命を使い切る」、と言って思い出すのは、アタックチャーンス!…じゃなかった(笑)、児玉清サン演じる龍馬の父親が、確か最後のシーンか何かで語っていた言葉です。

 「龍馬、…わしに構もうな。 おまんは、剣を振り、書を読む。 侍が、己を磨き、高めよういう気持ちを忘れたら、生きておる値打ちは、ないぜよ。 この世に生まれたからには、己の命を、使い切らんといかん。 使い切って、生涯を終えるがじゃ」

以上、自分の過去記事からの抜粋でしたが(笑)、最終回はいろんな回で植えつけられていたキーワードが、それとなく完結している。 かなりトータルな締めくくり方を考え抜いた脚本だった気がするのです。

命を使い切らなければ、生まれてきた甲斐がないと、私も考えます。 自分なりの最大の力を出し切って、自分は生き抜いたと今際の際に言えるような人生を、送りたいものですね。

投稿: リウ | 2010年12月 3日 (金) 05時53分

はじめまして!リウさん。

もう4日とコメントするには遅すぎる感もありますが、ファンの贔屓の引き倒し(福山さん)ではなく、かと言って人気者が主役だからと先入観、色眼鏡でもって粗探しの様な感想も読みたくないと探していたらこちらに辿り付いた訳です^^

公平で気持ちの良いレビューと感想を読ませて頂いて(最終話とここ数話)参考になりました。

演劇的手法と書かれていましたが、この脚本家さんは確か原点は舞台劇出身だったと記憶しています。その後、TVドラマ(ヒット作多いですね)に移ったようですが。
映像は映画のようで極上。キャストも概ね魅力的。何よりも演出家や演じ手の情熱がこちらに伝わってくる迫力。ライブで舞台劇を見ているようでした。音楽も美しい。
「龍馬伝」歴史エンタテイメントとしてとても面白かったです。ただ歴史上の人物、しかも資料が多く残っている僅か150年前の時代の、ということで何かと批判も多かったのでしょう。
たまに行き過ぎた脚色もあり、脚本がいけないのか?と思ったりもしましたが歴史をそんなに知らなければ楽しめた、そんな感じです。

容堂公と龍馬は会ったことはないのでしょうが、よく言われる名前も知らなかった、というのは嘘でしょう。幕府側も日本中の主だった藩の者も知っていて当時からかなりの有名人になっていた龍馬を情報通で聡明な大殿様が知らない筈はない。
本家の才谷家は城中の上司達は皆知っていたのだし。借金絡みで。
下士の力で動いた、なんて思いたくもないし思われたくもない、だから口が裂けても坂本の名は言いたくなかったのだと思います。
仲間では唯一武市だけが会っていた大殿様にドラマの中とはいえこうしてお目通りが叶ったのは良かった。
龍馬さん本人は別に会いたかったかどうかは分かりませんが。

私は長崎出身で普通の風景の様に象二郎邸後や
土佐商会跡、亀山社中跡など見て育ちました。
あの清風亭があった場所も幼い頃住んでいたすぐお隣さんだと今年判明しました。
才谷梅太郎、の梅太郎は確か勝先生が長崎のお久さんとの間に設けた男子の名前だったように思います。勝しぇんせいは”まめ”な殿方だったようです。
渡哲也さん、むかーし長崎に大河のロケで来られていました。途中降板で残念でした。

幕末好きとしてはまたいつか勝先生でも桂さんでもいいから映像化されたものを見てみたいです。

失礼しました。

投稿: ケイコα | 2010年12月 4日 (土) 02時33分

ケイコα様
こちらこそはじめまして。 コメント、ありがとうございます。

「ひいきの引き倒し」 や逆に 「悪意のあるあらさがし」 は、当ブログがいちばん気をつけている点でしょうか(たまになってしまうときもありますが…笑)。
その点からお褒めの言葉をいただき、恐悦の至りであります。

脚本の福田靖サン、舞台演劇ご出身ですか! 道理で…。 自ら決めたテーマに沿ったかなり意図的な歴史の改編作業が顕著であると、ずっと思ってきました。 オーゲサ、が舞台演劇の最大の特長ですが、その点でもテレビドラマ(特に歴史の教科書的な意味合いも兼ねているように一部勘違いされている大河にとっては)とは相容れなかった点があった、のかもしれません。 私はこれはアリ、だと思いましたけど。

演劇的誇張主義が大きく作用しているいっぽうで、このドラマは 「表面上のリアリティの追求」 がなされている。

ケイコα様がご指摘の通り、映像表現にその傾向性が強いですね。
埃が舞い飛んでいるような感覚、弥太郎の汚い歯やら(笑)浅黒い顔の人々、このドラマの第1回目を見たとき、まるで幕末の古い写真からそのまま人々が飛び出してきたかのような錯覚に陥ったものです(タイトルバックにも、幕末の古写真が多用されていましたよね)。

「このドラマはかなりリアリティにこだわっている」 と思っていたのに、実際進行していくのは演劇的な誇張表現、主題を強く打ち出すための大きな史実改竄――。
ケイコαサンのコメントを読んでいるうちに、「龍馬伝」 が一部の人々にもたらした失望感の本質が、なんだかそこにあるような気がしてまいりました。

長崎ご出身であれば今年のドラマは、さぞ思い入れも強かっただろうとご推察いたしますが、ケイコα様はかなり冷静な目を持ってドラマをご覧になっているご様子ですね。

私が長崎、と聞いていちばん連想するのは、さだまさしサン(グレープ時代からファンです…笑)。

そんなさだサンの気質にずっと触れながら自分も育ってきたせいか、長崎の風物詩やキリシタンが描かれていた今回の大河は、なんとなく私自身も懐かしさすら感じさせる作りになっていました。 それとなく坂道が多い風土の表現もなされていた気がする。 考えてみれば、すごいことです。

桂サンのこのドラマにおける変節ぶりに対しては、もうちょっと説明が欲しかったような気もいたしますね。 なにしろ龍馬との最初の邂逅が野球拳?で負け続けて顔じゅう落書きだらけのていたらくでしたから(笑)。 酔っぱらって 「さかともクン!」…ですからね(笑)。

ケイコα様、いずれにせよドラマに対してかなり深い読みをされているご様子でいらっしゃり、私もとても啓発されました。 重ねて御礼申し上げます。

投稿: リウ | 2010年12月 4日 (土) 11時55分

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