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2010年11月 7日 (日)

「99年の愛~JAPANESE AMERICANS~」 第4夜 戦争の、容赦のなさ

 特に太平洋戦争を含む第二次世界大戦を描いた映画、ドラマを長年見てきて、毎回一様に思うのは、戦争の、容赦のなさです。 まるで何年ものあいだ終わることのない悪夢が続く眠りのなかにいるような、そんな錯覚を覚えます。
 それは、この戦争が、世界が体験した、群を抜いて最悪の戦争だったせいもあるのですが。

 そして今回の 「99年の愛」 も、その例に漏れない。
 さらにこのドラマを書いた橋田壽賀子サンには、「これが最後」、という気迫をものすごく感じるのです。
 要するにこんな壮大で大掛かりなドラマというのは、テレビ局の何十周年、というスパンでしかできないと思うのですが、橋田サン自身がもうすでに、85歳、でしたか?…状況的にはちょっとこの先が考えられない、という判断をされるのも無理からぬ話だ、ということです。

 第4夜の圧巻はなんと言っても、草彅クンが派遣された442日系人部隊のテキサス部隊救出に向かう闘い。
 途中に待ち受けるドイツの狙撃兵による機関銃の乱射、森のなかで乱反射する弾の軌道。 相手に向かって投げたはずの手榴弾が木に跳ね返って味方を直撃する。

 もっと考えて攻撃しろよ、ということではないのです。

 姿の見えない相手に攻撃された時、冷静に判断をすることなど、至難の業だというほかはない。 バタバタと倒れていく味方。 そんななかで草彅クンは、ただひたすら前に向かって前進することで、活路を見出そうとするのです。 それは、日本人の生真面目さ、という民族性の発露である、という見方もできる。
 結果的に救出しようとしたテキサス部隊の数とほぼ同程度の442部隊の兵士が、この戦闘で死んでいったことになる。 何なんだ、という感じですよね、現代的な視点から言うと。

 要するにこれは、玉砕戦法なのですが、玉砕、という冷静さを欠いた破れかぶれ戦法じたいが、実は日本人の勤勉さ、生真面目さに端を発している、という側面を感じさせるのです。 442部隊を構成していた当時の日系人に玉砕、などという概念は理解しがたいものであったと私は考えるのですが、結果的にこの戦闘では、玉砕的な戦い方をしている。 大和民族の持つ勤勉性がその道を導き出した――、ドラマでは 「大和魂を見せつけてやれ」、というセリフによって、そのことが凝縮し表現されているのです。

 あまりにも無意味に殺されていく日系人たちを見ていて、「終わらない悪夢」 を久しぶりに体感したような気がします。
 そしてそれを演じ切った草彅クン。
 見事だ、と言うほかはないです。

 大泉洋サンが強制収容所の家族のもとに持っていく、草彅クンの死亡通知書。
 まるで 「死の配達人」 です。
 そしてそれを受け取った、中井貴一サン扮する草彅クンの父親。
 まず目にしたのは、ケース入りの勲章。
 なんだ?と思いながら添付されていた紙を開けてみると、息子の死を知らせる文書だったのです。
 ぽとりと手元から落ちる勲章のケース。
 勲章など残された者には何の意味も持たない、ということを、一瞬で表現しています。
 その通知を知らされて涙にくれる泉ピン子サン、松山ケンイチクン、草彅クンとほんのわずかの間結婚生活を送っていた仲間由紀恵サン、そしてその赤ン坊までもが泣きじゃくる。 「泣くな」 と言いつつ、中井サンも涙をこらえることが出来ない。 私も泣かせていただきました。

 それからしばらく経って、東京大空襲のうわさを聞きつけた中井サンは、「こんなデマに惑わされるな」 と、日本の勝利を信じて疑わない様子。 なんだかそれまで冷静だった父親が、まるで人が変わってしまったように思えるのです。
 それは中井サンのなかで、息子を死に至らしめたアメリカに対する憎悪が萌芽しつつあることの、証拠のように感じます。

 いっぽう、沖縄戦の真っただ中にいる川島海荷チャン。

 アメ公と言われ続けたいじめに対する対抗手段として軍国少女になっていった海荷チャンが、家族に対する憎悪を膨らませつつあることも、同時にこのドラマでは描写されていくのです。
 集団自決の憂き目から辛くも助かった海荷チャンは、マンザナー強制収容所でピン子サンらと同室だった中尾明慶クンの 「同じ平松という家族を知っている」 という話に、わざと 「知りません」 と反応する。 自分こんな目に遭わせているのはアメリカにいる家族なのだ、という気持ちに囚われているのです。
 広島の姉のところへ行きたい、という希望を中尾クンに打ち明けていた海荷チャンは、ある日それが叶わなくなったことを、中尾クンから聞くのです。

 要するに原爆、ということなのですが、第5夜の最終話では、奇跡の再会が待ち受けている様子。 それが誰なのかは今のところ分かりませんが、また感動させてもらえるものだと、大いに期待をしております。

「99年の愛」 に関する当ブログほかの記事
第1夜
 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/99japanese-amer.html
第2夜 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/99japanese-am-1.html
第3夜 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/99japanese-am-2.html

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コメント

森の中の戦闘シーンは迫力ありましたね。
442部隊があんな小人数でたどりついて、テキサス部隊を救えるんでしょうか。(救えたのでしょうね。知らなくて申し訳ないです)

アメリカの家族は知らなかったわけですから、言ってもしょうがないですが
海荷ちゃん、収容所にいたほうがずっと幸せだったですよねえ。。。
被爆するであろうお姉さんも。


原作は持ってますが、山河燃ゆを見てないんで…
ああ、ジュリーのチャーリー田宮を見たかった。
山崎豊子さんの話は必ず主人公のライバルが出てきて、ちょっとキザだったり野心家だったりするんですよね。

投稿: マイティ | 2010年11月 7日 (日) 13時58分

マイティ様
コメント、ありがとうございます。

実際のところはもうちょっといたのかもしれませんね、442部隊。 人海戦略、みたいな感じもするんですけどね。 いずれにせよ救出された数と同等の人数が戦死した、というのは、非常に効率の悪い戦い方のような気がいたします。 ひょっとして米軍も、日系人だからと捨て駒感覚だったんじゃないでしょうか(それはそれで腹が立つ…)。

うーん、どっちが幸せか、というのは、やはり結果論という感じがしますけど。 戦争で敵味方になるなんて思わなかっただろうし、日本が神国で負けるわけがない、と思うからこそ、日本のほうがいいと判断したでしょうしね。

いずれにせよ、咲チャンと海荷チャンみたいな人が大勢いたことは、事実なんですよね…。

ジュリーもあの頃はスラッとしてカッコよくて、気障なチャーリーを見事に演じてました。 確かチャーリーは、自殺したと記憶していますが、チャーリーの日系人としての苦悩ばかりが印象に深く刻まれています。

投稿: リウ | 2010年11月 7日 (日) 15時37分

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