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2010年11月 8日 (月)

「99年の愛~JAPANESE AMERICANS~」 第5夜 まれに見る壮大な遺言状

 このドラマの最終夜の記事を書く前に、ちょっと視聴率について。

 当ブログのこのドラマ記事に対するアクセスは、1ドラマのアクセスとしてはほかのドラマの3倍以上にのぼっております。 一日のアクセス最高件数は、これまで去年の小田和正サンの 「クリスマスの約束」 の記事だったのですが、あっさり更新してしまいました。 なんと申したらいいか、とにかく深く感謝御礼申し上げます。

 そのうち多くのアクセスの検索ワードが、「視聴率」 絡みになっていることは、改めてこの番組の視聴率に対する関心が高いのだと感じさせます。
 筆者は視聴率について全く関心がないのですが(つまりいいドラマであればいいというスタンスです)、「視聴率」 についてどこかに書いたかなあ?と思い自分の記事を読み直してみたら、橋田壽賀子サンの 「おしん」 が朝ドラ最高視聴率だとか書いてました(笑)。 「視聴率」 が知りたくてアクセスされたかたには、大変な肩透かしをさせてしまい、申し訳ございません。

 で、とりあえずウィキペディアなんですが、この番組の視聴率を調べさせていただきました。

 第1夜 12.6%
 第2夜 15.5%
 第3夜 14.7%
 第4夜 14.6%
 第5夜 19.1%

 らしいです。

 第2夜は寺島咲チャンと川島海荷チャンの日本送還での別れのシーンが、自分的にはこのドラマを通していちばん号泣したシーンだったので、比較的高かったというのは納得ですが、「ナサケの女」 や 「医龍」 が裏番組なのに、相当な善戦のように感じます。 第3夜第4夜でちょこっと落ちたのは、何が原因なんでしょうね? たぶん長すぎる、とか(笑)。 正直言って、内容的にはよかったですけど、さすがに私も5夜連続で2時間もしくはそれ以上、というボリュームは、見ていてしんどい時もありました(笑)。 最終の第5夜は、おそらく裏の 「パーフェクト・リポート」 が完膚なきまでに視聴者を持っていかれたことでしょう。 これに懲りて、フジテレビは元の路線に戻されることをご提案いたします…。

 それでも、第5夜はドラマ好きな人間にとっては結構先の読める展開で、日系人差別者の象徴的存在とも呼べるジェームズ・ハワード(平松農場を二束三文で買ったヤツですよね)が改心するのは、彼が第1夜あたりから別格みたいな感じでクレジットされているのを見たときから予感していた、というか(後出しジャンケンみたいで申し訳ないです)。

 それ以上に、やはり橋田ドラマだなあ、と感じたのは、現代編で平松農場の上條恒彦サンも八千草薫サンも、川島海荷チャンの壮年役の岸惠子サンも、とんでもない成功者になっているところ。 「おしん」 や 「いのち」 で見てきたパターンだなあ、という感じで。
 結局自分がビンボーだからか(笑)、こういうのにはちょっと感情移入しにくいんですよ。

 ただこういう設定にするのは、橋田サンが 「不断の努力をした者だけが報われる」 という世界を、まだ信じているからなんでしょうね。

 いまは、いくら働けど働けど、我が暮らし楽にならざりじっと手を見る、の世の中なような気がします。 自分もそうですもん。 みんな、見えない明日のために、必死になって働いていると思います。 もがいていると思います。

 だからこそそれが報われる世界を、もう一度信じてみよう、という気を、このドラマは起こさせているような気もするんですよ。

 ただこのドラマで予想外だったのは、中井貴一サン演じる平松定吉が、自殺をしてしまうところ。
 裸一貫でアメリカにわたり、とてつもない偏見のなかで歯を食いしばってきた男の選択とは思えませんでした。
 おそらく彼は、日本人であることを、捨てられなかったのでしょう。
 いわば自分が捨てた国、であるのに、その国の勝利を、冷静に考えれば勝てるはずもないのに、信じ続けたというのは、「日本人であること」 の誇りが彼にとって大きすぎた、ということの裏返しなのです。
 「日本人」「大和民族」 としての勤勉さを、彼は誇りに思っていた。
 敗戦は彼にとって、それが瓦解した瞬間なのです。

 マンザナー収容所で流された、昭和天皇の 「玉音放送」。

 この年代になると、今までに何度となく聞いてきた、いわば我が魂に刻まれた音声なのですが、これまでと違い自分が今回如実に感じたのは、その音声がとても特殊な言語によって語られ、まるで別世界の人間、いわば神(現実に天皇陛下は現人神だと信じられていたのですが)の声のように聴こえた、ということです。 それまで 「こんなのみんな理解できたのか?」 くらいにしか感じたことはなかったんですけどね。

 だから釈然とはしないまでも、定吉がこの放送を聞いて絶望し自ら命を絶ったことは、どこか理解できるような気がする。
 若いころだったらとても理解できなかったでしょう。 おそらく自分が定吉と同年代にさしかかっていることが、その大きな原因のような気がするのです。
 いくら歯を食いしばって頑張ってきても、経年劣化というものはあるのです。
 もうくたびれた。
 もういいんじゃないか。
 人間は時として、それまで降り積もってきた思いに、勝てなくなる時があるのです。

 だが、理解はできるけれども、自殺というのは、結局敗北であります。
 死んだあと死後の世界で自分がどうなるかを思えばこそ、自分はそう思う。
 死んだらそれで何もかも終わりだったら、苦しきゃ死ねばいいだけの話だ。 簡単だ。
 でも死んだあとも、自分が何かから逃げた、という魂は、結局永遠に解決されなかった、という思いだけは、残っていくだろうと思うのです。 そしてもし生まれ変わったとしても、その魂の遍歴は、ずっと残っていくように思う。 これはオカルトチックな話で説得力がない話なのは承知していますけどね。

 このドラマでは、さまざまな人の人生が、戦争によってゆがめられた、ということを強調しています。
 確かにここで取り上げられるケースは、日系人、442部隊、沖縄、広島、と、戦争の悲劇をいちばんじかに体験した人々ばかりです。 私の福島の祖母なども、アメリカの戦闘機の機銃掃射を受けた体験を持っていました。 目の前を機銃の弾が走り抜けていくなんて、映画やドラマでしか知らんです、私は。 しかもこう言ってはなんですが、福島のずいぶんな片田舎なんですよ。 こんな体験をした人は、特に片田舎では結構まれなような気もする。 もしそれで祖母が死んでいたら、私もいまと同じ境遇にあったかどうかは分からんです。
 ともあれ、大なり小なり、戦争の影響はすべての日本人、いや戦争にかかわったすべての人々が負っているはずですが、冷静に考えて、このドラマが極端な部分を開示していることは、否めない。

 でもそれでも、戦争というものの悲惨さは、覆い隠すことのない事実だ、ということだけは言える。

 それに難癖をつける人間を、私はあまり信用したくありません。

 事情がどうあれ、情勢がどうあれ、戦争を必要悪だとか言い張る人間にも、なりたくないです。

 結局、殺し合いなんですよ、戦争は。

 実際の戦争状態になってしまったら、そんなきれいごとは言っていられない。 自分の大切なものを守るために、敵を殺すだろうと思います。

 けれどもそれがいいことだとは、決して思わない。

 相手を殺して、何になるっていうんですか。

 戦争はいかん、ということだけは、声高に主張だけはしていかなければいかん、と私は心から思います。

 ともかく。

 「戦争だけはいけない」、という橋田サンの強い思いが結実しているこのドラマ、とてもじゃないけどあーだこーだ言えんです(感情移入がどうだとか先が読めるとか、アレコレ言ってますがな!)。

 最終話で私が感動したのは、広島で再開した咲チャンと海荷チャンが身を寄せた京都の医者の家で、その医者の奥さんである高畑淳子サンから差し出されたおはぎを、泣きながら姉妹が食べる場面。
 おはぎなんて最近のガキ共は喜びませんけど(好きな子も確かにおりますが)、それ以上に姉妹の身にしみたのは、最初怖そうに見えた高畑サンが、本当は優しい人だったこと。 人の心の温かさに、本当に何年かぶりに触れたことでしょう。 そのおはぎは、一生忘れられない味になったのではないかと想像いたします。 「こんなにうまいものを食べたのは、このとき以来ない」、という経験、誰しもお持ちなのではないでしょうか。 見ていてこちらも涙がぽろぽろ出て仕方なかったです。

 そして最終夜でいちばん泣いたのは、442部隊がワシントンでパレードを行なった時、ひとりの兵士(夏木…片岡愛之助サン)が持った一郎(草彅剛クン)の遺影に、母親役の泉ピン子サンが思わず駆け寄ってしまう場面。
 「一郎!」
 とピン子サンの叫ぶ声は聞えず、ただ千住明サンの主題曲が流れる中、スローモーションで一郎の遺影に、すがりつくのです。
 取材するアメリカ人の記者たちのフラッシュ。
 ホントに、つくづくピン子サンの演技には、泣かされます。 「おしん」 のころから、泣かされ続けてるなー。 長い付き合いでありますね。

 最終夜の話は先が読める展開だった、と書きましたが、それでもそんな心ない私ですらそれをよしとせざるを得ないのは、その先の読める展開が、まるで一郎の意志(遺志)によって動いていく話のように感じるからです。

 ジェームズ・ハワードが改心をして平松農場を返してきたのも、紛れもなく442部隊の功績があったからこその話。 夏木が平松家の力になってくれたのも、一郎のおかげ。
 草彅クンは最終夜で回想シーンにしか出てこないのですが、出演しないのに、こんなに存在感を光らせている。 このことはすごいことだなあ、と素直にそう思うのです。

 そしてさまざまなわだかまりや、過去に対するこだわりを捨てて、八千草サンと岸サンが抱擁するシーン。 個人的な話で申し訳ないですが、「赤い疑惑」 のエピローグ、最終シーンを見ているようで、別の部分で感動しまくりました(この事情については第1夜に書きましたので、お手数ですが詳しくはそちらをご覧ください↓)。

 あーしんどかったけど、橋田サンの遺言状、しかと受け止めさせていただきました。 あまりにも巨大すぎる、叙事詩でありました。
 同じカテゴリーに入ると思われる、今年放送されたフジテレビの開局50周年記念ドラマ 「わが家の歴史」 八女家の人々も、フジテレビの局イメージを踏襲するそれなりにいい作りでしたが、それを遥かに凌ぐ重厚な、TBSらしい開局60周年記念ドラマだったような気がいたします。

「99年の愛」 に関する当ブログほかの記事
第1夜
 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/99japanese-amer.html
第2夜 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/99japanese-am-1.html
第3夜 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/99japanese-am-2.html
第4夜 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/99japanese-am-3.html

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コメント

私も高畑さんの優しさに泣きました〜。
お姉ちゃんのほうは特に広島でおはぎを食べさせてもらえなかったぶん、うれしかったでしょうねえcrying
高畑さんも、最初から愛想よく登場すればいいのにぃ。

定吉さんは敗戦国民としてさらに米国から蔑まれて生きていくことに耐えられなかったのでしょうね。日本人としての誇りを守った。
捕虜になるくらいなら自決を選んだ、戦場の人たちと同じメンタリティでしょうか。
しかし、これから困難と戦って生きていかなくてはいけない家族もいるのに…。

私も、みんな成功者になってるのは…ナイと思います!(やっかみです)
「この不況で農場も厳しいんだよ」くらいのこと言って!(笑)
で、さちは有名ファッションデザイナーだから岸恵子さんだったのね、と変な納得をしました。
最後に「孫娘の結婚反対→許す」っていうエピソードは必要だったんでしょうか。
ドレスをデザインさせるために?

5日間、しっかりリアルタイムで見てしまいましたが、充実した時間だったと思います。
(損はしてない)

最終日、フジテレビは野球でかなり押してたので、TBS後に松雪さんのドラマも見てしまい、夜中にMr.サンデーが見られるというのが奇妙でした。

投稿: マイティ | 2010年11月 9日 (火) 00時31分

マイティ様
コメント、ありがとうございます。

高畑サンが能面みたいな顔で出てきたときは、「八日目の蝉」 の教祖に仕えるシスターを思い出してしまいました(笑)。 フェイントかよ!みたいな(笑)。

定吉サンについては、どうしても草彅クンの若いころと中井サンの壮年のころとのギャップが、顔だけでなく性格面でも出てしまったように感じます。 壮年になっていくに従って変容してしまう気持ち、橋田サンの脚本にも苦心の跡が見えたような気がしております。 遺された者たちの精神的ダメージも、自殺者は考えなければならない一点かと思います。

岸サンがファッションデザイナーというのは、またまたで恐縮ですが、「赤い疑惑」 の役柄そのままでした。 「赤い疑惑」 ではピエール・カルダン財団に所属する、百恵チャンにとってはパリに住んでいるカッコイイおばさま。 当時岸サンはパリ在住でしたよね。

孫娘の結婚反対から賛成へ、というストーリーは、いかにもとってつけたみたいだった、というより、橋田サンの息切れを感じました。 泉ピン子サン扮するともが亡くなるシーンもそう。 たぶんもっと細っかいプロットがあったんじゃないでしょうか。 5夜連続では収まりきれないほどのプロットが。
私は見ていて、なんだかこの10時間に及ぶ放送時間のなかに、50回近い大河ドラマ並みのストーリーが隠されている気がして仕方ありませんでした。

日本シリーズ、ヤタラメッタラ長かったですよね(笑)。 ちゃんと別の時間にやるんだったら、「パーフェクト・リポート」 も予約録画していけばよかったなあ…。

投稿: リウ | 2010年11月 9日 (火) 05時45分

5夜連続。さすがに毎日は見られませんでしたが橋田さんの想いは感じ取ることができました。「戦争をしてはいけない」というメッセージは伝わっていたのではないでしょうか?

第4夜の一郎の442部隊の戦闘シーンはすごかったですね。戦争が部隊になっている映画もいろいろみていますが、ドラマの場面としてはすばらしく力が入っていたように思います(制作者の方たちの想いがすごく伝わってきました)

第5夜の高畑さんの登場場面では、「ホタルの墓」のアニメを思い出して、どうなることかと思いましたが、良い人でほっとしました。

ただ、私が気になるのは橋田さんが伝えたかったこのドラマを若い世代の方がどれくらい視聴したのかということ。

私たち世代は若干でも戦争を経験した世代の人たちから直に話を聞く機会があったと思いすが、若い世代の方ははるかに少ないと思います。また、こういう展開のドラマを興味を持って見続けることができる若い人たちがどれくらいいたのでしょうか?気になる所ですね。

私たち世代が若い世代に戦争の悲惨さを伝えていく努力を忘れずに継続していくことが大事なのでしょうね。

投稿: rabi | 2010年11月 9日 (火) 12時49分

rabi様
コメント、ありがとうございます。

戦闘シーンは、実に気合の入ったものだったですね。 しかもシアン色の強い画面で、そのために血の色がより一層効果的に強調されていました。 爆発で吹っ飛ぶ兵士たちの表現も、実際に見たことはないから分からないのですが、実に真に迫っていたように感じます。

戦争の記憶の風化、というものは、徐々に世代をむしばんでいくものだと思います。 ネット上で見る限り、(それはネット右翼と言われる人たちの仕業かもしれないのですが)ヤケに過激な論調ばかりが跋扈しているように思えます。 そしてもうひとつ危険なのが、評論ばかりで皮肉ばかりを感じている 「冷笑主義」 の台頭です。 そんな連中で埋め尽くされているネットに、若い世代が毒される危険性は非常に大きい。 ネット右翼の地道な草の根運動に、気付く判断力が必要な時代だと強く感じるのです。

投稿: リウ | 2010年11月 9日 (火) 14時24分

ドラマの影響とはすごいものです。本当にあった事のように思わせてしまう。収容所はあんなに楽しいところではなかったし、あんなに楽に生活はできなかったと聞いている。そして、人種差別などがなくなったと信じてしまう。
広島、長崎の事が許されないのと同じで、パールハーバーでの事を未だ許さない人だっている。はっきりとした言葉で言う差別がなくなった分、言葉を使わない差別が産まれた。未だ差別は残念ながら、あるのです。

投稿: | 2010年11月10日 (水) 10時23分

??様
コメント、ありがとうございます。

確かにドラマとは、ある一部分を取り出して、それを膨らませる作業であります。 その誇張された部分を見て、これは事実なのだと認識をすることは、危険です。 このドラマにしても、NHKの大河ドラマにしても。

私たちはドラマのような、何もかもが解決できるような世の中を生きていません。 要は、自分たちがドラマを契機として、どう現実問題と向き合っていくのかが重要なのだと感じます。

アメリカに限らず、差別というのは人間の本質的な生命が持つ原罪であると私は感じます。

戦争についても同じことが言えます。 簡単にかたがつく問題ではありません。

でも、こんなことを考える契機があることで、心ある人たちが増殖していくことが、何よりも大切なことなのではないでしょうか。

投稿: リウ | 2010年11月10日 (水) 15時12分

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