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2010年11月

2010年11月30日 (火)

「流れ星」 第7回 分かってる、その気持ちは

 美奈子(板谷由夏サン)からマリア(北乃きいチャン)のドナーになりたいという申し出を受けて、「よかったじゃん」 と寂しそうに笑う、リサ(上戸彩チャン)。
 今回の話は、前回の怒涛の泣かせ攻撃とは別角度で、じわじわと泣かせる話だった気がします。 別に悲しい場面でもないのに、登場人物たちの心が素直にこちらの胸にも流れ込んできて、知らないあいだに涙が出てきてしまうシーンが多かった。

 「やっぱり健吾(竹野内豊サン)のことが忘れられなかった。 私たちの3年間を、これで終わらせたくないの」 と言う美奈子に、健吾は答えず、深く沈思する。
 いまさら何だよこの女、という声も聞こえてきそうなんですが(笑)、この場面、美奈子の 「マリアちゃんを助けたいの」 という言葉に、「健吾との仲を終わらせたくない」 という気持ち以上のものを、ちょっと感じられない。 その微妙さが健吾を黙らせてしまうような気がするのです。
 その微妙な気持ちを表現しきっている板谷サンもすごい。

 そしてこの、美奈子の気持ちを健吾がどう受け止めたか、という話が、このドラマにさらなる深みを与えている。
 この話はのちほどするといたしまして。

 翌朝起きてきたリサに、何かを話そうとする健吾。 「遅刻するよ」 とぶっきらぼうに、でもどことなく相手を思いやっているように話す、リサ。 このふたりの心理描写がいい。
 リサは元気なくお母さん(原田美枝子サン)の作った朝食を食べるのですが、この仕草にも注目です(細かい…笑)。
 それまで箸に食べ物をぶっ刺していた(笑)行儀の悪さだったのに、ちゃんとはさんで食べている(ホント細けーなぁ…笑)。 「やば…」 と言いながら、幸せを感じつつ、ちょっと寂しそうな表情をする、リサ。 あー細かすぎる…。 こんなことまで書いてたら、いつまでたっても書き上がらないのでちょっとピッチを上げます(笑)。

 案の定リサは岡田家を出ていくことを決心するのですが、その時に食卓に置かれた、健吾とお揃いのクラゲのストラップ。 岡田家の人たちの優しさも、そこに置き去りにしてしまったように感じられて、胸が痛みます。

 いっぽうマリアの病院に送りつけられてくる、匿名による一枚のファクス。 臓器売買の暴露と、手術の中止をぶち上げています。
 この時点ではネタ元の看護士(澤山薫サン)と神谷医師(松田翔太クン)の間でもみ消されたのですが。 いまさらあわてても遅いぞ、看護士さん(怒)。
 ゴローチャンに確認の電話をする看護士に、ゴローチャンはあっさりとその事実を認める。 シラを切らないのが不気味。 そりゃ、表面上は正しいことをやっているから、なんですが。

 家を出たリサを見かけた杉本哲太サンご夫妻に、リサは 「もう家族じゃねえんだ」 と吐き捨てて去っていく。
 当然その情報は健吾の耳に。 これを 「強がっているように見えた」 と話す杉本哲太サン、さすがです。
 健吾とってはリサが家を出たという事実以上に、リサが強がっている、という事実のほうが大切なことのように思えるからです。
 健吾はリサの捜索を開始。 家に戻ったとき、お母さんからゴローチャンとの金銭授受の話を聞かされます。 こんな話を聞いたら、私なら怒ってしまうだろうと思うのですが、健吾はぐっとこらえて言葉をのみこみ、衝動的気味にまた自転車で外へ飛び出す。 すべて思いを自分の中にしまってしまう健吾の優しさ、というものが感じれる、さりげなくもいいシーンでした。

 そして健吾をリサ探しにかき立てるものとは何なのか。
 ドナーがいなくなってしまうことの不安でないことは、すぐに分かります。
 リサをサルベージしなければならない義務感、というものは、ちょっとは入っているかな。
 でも健吾の心の中に、美奈子のドナー申し入れを受け入れる気持ちというものは見当たらないし、リサに対してただ単に同情をしているわけでもない。
 何かしら、愛情というものが、目には見えないレベルで萌芽しつつあることが、思い込みかもしれませんけど感じるのです。
 ん~~微妙(笑)。
 この微妙すぎるところが、またたまらないんですよ(笑)。 

 神谷医師はリサを呼び出し、ファクスの事実を打ち明ける。
 リサはドナーをやめたことを神谷医師に話し、金は少しずつでも返していくから、臓器売買にはならないでしょうと話す。
 「どうしてそこまでするんですか?」 と訊く神谷医師。

 「…助けたいから…」

 ぽつりとつぶやくように答える、リサ。
 手術はしてやってほしい、と言って立ち去るリサの気持ち。
 神谷医師の心に、このリサの真実の気持ちは、確実に届いたと思うのです。

 そして取って返して自分のアパートに戻り、ゴローチャンを詰問するリサ。
 お母さんから受け取ったお金を見つけ出し、返しに行こうとします。
 「あんな奴らに返す必要はないだろ?」 と言うゴローチャンに、リサは思わず反駁するのです。

 「あたしたちが関わっていい家族じゃねえんだよ!」

 怒った顔ではなく、とても哀しそうな表情を浮かべながら、リサはこう続けます。

 「迷惑かけないでくれよ、…お願いだから…」

 出て行こうとするリサに、心配そうな顔で話しかけるゴローチャン。

 「帰ってくるよな…?」

 声になるかならないかで、かすかに 「ああ…」 と答えるリサ。
 ゴローチャンの寂しそうな表情が、また何かを感じさせる。

 健吾は美奈子との待ち合わせもキャンセルして、リサを探し続けます。
 リサのアパートまで行った健吾は、ゴローチャンと遭遇。
 「リサを返してほしい」 と言う健吾に、「僕もあなたの立場だったら、そうしたでしょう。 でもあなたがぼくの立場だったらどうしますか? 黙って妹を差し出せますか?」 と逆に問いただすゴローチャン。 正論です。 金さえもらわなければ(笑)。

 「分かりません…でも、ぼくは、妹を苦しめたりはしない。 リサは…あなたと一緒にいても、幸せになれないと思います」

 思いをべらべらしゃべらない健吾が、どうしてもゴローチャンに言っておかなければならなかった、キツーイ一言。 ここに、健吾のリサへの強い思いが却って感じられる。 そしてリサを守ろう、というその意志も。
 ただこのことで、ゴローチャンの気持ちには、拍車がかかることになる。

 健吾は待ち合わせ場所にたたずむ美奈子を見つける。
 ここで待ち合わせをキャンセルされても待ち続けた美奈子の気持ちも、見る側の気持ちの中にさりげなく入ってくるのです。

 病院に行こうとする美奈子を呼び止める健吾。

 「美奈子の気持ちはすごく嬉しい。
 …でも、…ドナーになるって言ってくれたけど、…無理してんだろ?
 …美奈子のことはよーく分かってるつもりだよ…」

 健吾の気持ちを手繰り寄せて理解しようとする、美奈子の表情。

 「…もう大丈夫だから…」

 そう話す健吾の言葉に、ようやく理解が出来たように、笑いかける美奈子。

 「…はっきり言ってよ…。

 優しくなんてしないで。

 …私だって、健吾のことよーく分かってるつもりだよ。

 健吾の中で、もう答え出てるんでしょ?」

 分かっているから、言いにくい言葉を選んでしゃべる。
 分かっているから、傷つけたくない。
 分かっているから、その優しさがつらい。

 セリフのひとつひとつが、完全に無駄を排した単純な言葉ながら、演じているふたりの思いが、痛いくらい見る側に訴えかけてくる。
 かなり完成度の高い心理表現を駆使したワンシーンのような気がしました。

 それゆえに、美奈子の心の痛みがとても理解できて、知らないあいだに涙がぽろぽろ。 美奈子サンの好感度も、これでV字回復かな?(笑)

 「…ごめん…。

 美奈子とは、…結婚できない」

 これは健吾の、心の中のけじめだと思うのですが、そこにほとんど10%以下の水準で、リサへの思いが混じっている。 健吾もそれに気付かないレベルだと思うんですよ。
 自宅へ帰ってきた健吾は、リサがゴローチャンから奪い取った金の入った封筒をどうしようか迷っているところに遭遇する。
 「これ、おばさんに返しておいて…離婚届も送るから」
 と他人行儀なことを言って踵を返すリサを健吾は呼び止めます。
 いったん止まりかけて、また歩き出すリサ。
 ここ、細かいけど、リサの 「止めてほしい」 という心情がうかがえて、また泣かせる。
 健吾は遠ざかるリサを見つめ、意を決したように駆け寄って、こう言うのです。

 「…戻ってきてほしい」

 「…何言ってんの?」
 強く拒絶しているわけでもない、リサの反応。
 そんなリサに、健吾はクラゲのストラップを渡すのです。

 「…そういう契約だろ?」

 ここ、額面通りにとってしまえば、実にドライな一言のような気がするんですが、ここに健吾の、リサへの思いを堰き止めている大きな要因が隠されている。 そしてそうした、なにかにつけてけじめをつけたがる健吾の強い性癖が、健吾の中にあるリサへの思いを健吾自身にも分からなくしている側面があると思うんですよ。

 いっぽうマリアのほうは、移植手術をするとドナーの側にもお腹に大きな傷がつくと知って、大きく心が揺れ動きます。 リサになぜドナーになりたいのかを訊いたマリアは、リサが自殺をしようとしたこと、それを健吾に止められたことを知るのです。 そして最終的にマリアを決断させたのは、「生きたい…」 という意志でした。
 さらにゴローチャンからのさらなるファクス攻撃で病院内でもこのことが明らかになり問題に発展するのですが、神谷医師の強い決断から、問題はクリアされる。
 手術が、行われることになったのです。

 それでも、その晩ゴローチャンからかかってきた電話に、リサはこう答える。
 「手術が終わったら、…帰るから」
 リサの心の中では、これ以上岡田家にもめ事を持ち込みたくない、という気持ちが強いのでしょう。 そしてその思いが、健吾への思いを遮断している大きな要因になっている。

 健吾はクラゲを見たがるリサのために自分の部屋を一晩提供するのですが、そのときリサにこう問いかけます。

 「今でも、クラゲになりたいって、思ってる?」

 リサはしばらく考え、こう答える。

 「…どうだろう?」

 「なにも考えずに、漂っていたい?」

 「結構いいかもねー…。

 いろいろ面倒なこと考えるのも」

 安心したような、健吾の表情。
 しかしいろんな面倒なことを考えるのもいい、と答えたリサの真意って、なんでしょうかね?
 ゴローチャンとの関係をすっきりさせたい、という意志でしょうか?
 リサにとって、居心地のいい岡田家にとどまることは、「面倒なことを考える」 ことではない気が私はするのです。 次回予告によると、リサは岡田家を出ていっちゃうみたいですが。
 でも、見ている側からすれば、リサと健吾は一緒になってもらいたい、というのが本音です。

 さっきの場面の続き、お休みを言う健吾に、リサはそろりそろりと自分の着ていたシャツをまくり上げ、こう話します。

 「…覚えといて…。

 お腹…。

 あたしのお腹…」

 きれいなままの自分のお腹を、誰かに記憶していてもらいたい。
 そしてリサはその相手に、健吾を選んだのです。

 「…覚えた?…」

 健吾はうなずき、リサをじっと見つめながら、こう返します。

 「…しっかり…」

 いまにも泣き出しそうなリサの表情。

 「じゃあいいや…」

 リサは健吾のベッドに倒れかかるように横になるのです。
 それまでリサが全く出すことのなかった、お腹を切られることへの不安。
 見ている側は、ハッとさせられます。
 そうだ、リサは、こんな覚悟でいままでいたんだ。
 もうなんか、知らずに涙が出てきます。

 そして次の朝目覚めた健吾は、自分の部屋でリサに付き添って寝てしまっていたことに気付くのです。
 まあこの状況から言って、なんにもなかったんでしょうけど(笑)。
 手術に向けて進行していく話のなか、ゴローチャンがきれいな女性と会っているシーンが、一抹の不安を見ている側に掻き立てます。 おそらく彼女はジャーナリストかなんかで、さらなる巨大波状攻撃を仕掛けてくるつもりなのでしょう。 くそー(笑)。

当ブログ 「流れ星」 に関する他の記事
第1回 ダウナーな感覚あふれるフジの月9
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/1-9-cab7.html
第2回 なんか、あっという間でした~ http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/2-2223.html
第3回 一瞬で消えてゆく星、その星への祈りhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/3-f0b3.html
第4回 消えない流れ星http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/4-6d12.html
第5回 生きていてほしいからhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/5-8444.html
第6回 託したい思いhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/6-3966.html
第7回 分かってる、その気持ちはhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/7-9175.html
第8回 思いがはじける瞬間http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/8-2edd.html
第9回 グラス・タワーの緊張感http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/9-ce60.html
第9回 健吾の決断について、補足ですhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/9-cad6.html
第10回(最終回) やさしさが帰る場所http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/10-6223.html

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2010年11月29日 (月)

「龍馬伝」 第48回(最終回) 相克劇の終焉

 さまざまな物議を醸し出した感のある 「龍馬伝」 も、最終回。
 どんな描かれ方で龍馬ファン、幕末ファンの顰蹙を買われようが、最後にはやはり、この 「偉大なる人たらし」 が遠く彼方へ旅立ってしまうことに大きな喪失感がやってくるだろう、と思っていました。
 まあ、揚げ足とりみたいな揶揄半分の批判をされていた方はいざ知らず(失礼)、私の場合は予想通り(?)の寂しさに見舞われております。

 それは、岩崎弥太郎(香川照之サン)が感じていたように、「いればいたで鬱陶しい男だが、いなくなると妙に寂しい」 という認識を、私もこのドラマの中の龍馬に感じていたからかもしれません。
 実際のところ、弥太郎は暗殺者(市川亀治郎サンら)に対して、「あんな男、殺されてしまえばいい」 などと吐き捨てたりするのですが、いざ龍馬が殺されてしまったと分かった時、大雨の中で泥に這いつくばいのたうちまわりながら、慟哭するのです。

 「あああ…!
 …ああああああ…!

 …返してくれ…
 …返してくれ…!

 …わしの龍馬を返してくれ…!

 龍馬を返してくれ!

 大事な人や、大事な人なんじゃぁぁーーっ!

 大事や人や、返して……あああーーっ!」

 …いきなりクライマックスの部分から書いてしまって恐縮ですが(笑)ここ、自分も泣きまくりでした。
 字幕では、香川サンは 「わしの龍馬」 とは言っていません。
 つまり 「わしの」 は、私の聞き違いかもしれないし香川サンのアドリブかもしれない。

 この場面、弥太郎は 「日本にとって大事な人だ」 という認識で叫んでいるわけではない、と思うのです。

 つまり、この瞬間に、弥太郎の中の一部分が死んだ、と同義であることのほうを、私は強く感じるのです。

 最近になってこのドラマは映画 「アマデウス」 を念頭に置いて最初の発想がなされたことを読みました。 なんとなくそんなふうに感じていた自分も納得の話だったのですが。

 映画 「アマデウス」 では、サリエリはモーツァルトを死に追い込みながら、最後は老いさらばえて入った精神病院の中で自分の罪を 「モーツァルトを自分だけのものにした」 というニセの充足感にすり替え、神父に懺悔ではなく自慢をしている。
 そしてラストシーンは、檻の中の精神病患者たちに 「お前の罪を赦そう」 という 「神気取りの逃避」 を自分の本心であるとすっかり信じ込んでしまっている。

 それに対して弥太郎は、あくまで自分の龍馬への罪悪感を、強がりによって死ぬまで払拭し続けるのです。
 「龍馬さんの思い描いていた国にきっとなると思います」 とカンドーしまくる新聞記者に対して、弥太郎はこう絞り出します。

 「そんな甘いことではないがぜよ…!

 龍馬…。

 龍馬、龍馬、龍馬…!

 龍馬はのぅ!

 能天気で…!

 自分勝手で…!

 人たらしで…!

 おなごに好かれて…!

 あれっばあ腹の立つ男はおらんかったがじゃき!

 わしはこの世で、
 あいつがいちばん嫌いやった!

 あんな男…!

 あんな…

 あんな龍(りゅう)は、

 どこにもおらんがぜよ…!」

 言われてみれば全く弥太郎の言う通りで(笑)、能天気で自分勝手で人たらしでモテモテで、しかも、夢みたいなことばっかり言っていた気がするんですよ、このドラマの龍馬は。

 そんな男がどうして薩長同盟の立役者となり、暗殺されるほどの恨みを買ってしまったのか。

 それはやはり、龍馬が常人では計り知れないスケールを秘めた男に、当時も大勢の人たちから感じられていたからなんだろうと思うんですよ。

 それはいかにドラマでも、非常に表現しづらいことのように思えます。

 ひとつ間違えば、龍馬のやっていることはとても上っ面で(ちょっとこの言葉を引きずってスミマセン…笑)、うるさがたを納得させる説得力に欠けるかもしれない。
 けれども実際龍馬が遺していったものを見ても、私はやっぱり同じことを感じるのです。
 龍馬は、 「偉大なる夢想者であった」、と。

 司馬遼太郎サンの 「竜馬がゆく」 は、そんな龍馬の行動規範に一定のインテリ的解釈を加えることによって、かなりの知識層をも感動させる揺るぎのない説得力ある男として龍馬を構築した。
 それに比べれば 「龍馬伝」 の龍馬は、いかにも浅い理屈(たとえば、「憎しみからは何も生まれない」 とか 「日本をみんなが笑って暮らせる国にしたい」 とか)によって行動し続ける男、という印象があったかもしれない。
 それでも、龍馬がなにものかを感じ、その信念に向かって突き進んでいく男である、ということは、確実に見ている側には伝わったであろう、と考えるのです。 少なくとも私には伝わりました。
 そして福山龍馬が見せた、その人なつっこさ。
 ドラマを最後まで見終わって私が感じる喪失感の裏には、そんな彼の演技が今まで醸成してきた 「ある種の友達感、親近感」 というものが潜んでいるのです。

 それにしても、岩崎弥太郎の回想で締めくくられるエンディングタイトルバックの直前、お龍(真木よう子サン)が土佐の海でふと目にした龍馬の幻想。

 「お龍…!

 気持ちがえいのう!

 この海の向こうに、広い広い世界があるがじゃぞ!

 えいかお龍。

 『海』 じゃぞ。 『う』『み』!」

 参りました。

 ここで 「うーみ!」 がくるとは。

 これぞドラマの醍醐味であります。

 無粋ながら解説いたしますが(笑)、初めて会った当時、あまりにも不愛想なお龍に龍馬が教えた笑顔を作る方法が、この「うーみ!」 であったのです。
 このシーン、杉本哲太サンと寺島しのぶサンがその場に現れるまで、龍馬が暗殺されたことをお龍が知っているのかどうか、見る側は分かりません。
 けれどもこの 「うーみ!」 のセリフによって、「お龍、笑って暮らせ」 という龍馬の思いがお龍に届いた瞬間であることが見ている側に伝わり、なんとも涙を誘うシーンに昇華するのです。 参ったなあ、コレ。 泣きました~。 こーゆー泣かせ方をさせてくれるんですか。
 そうそう、この最終回冒頭で、龍馬の夢の中のシーンでしたけど、武市(大森南朋サン)や以蔵(佐藤健クン)、長次郎(大泉洋サン)、亀弥太らが再登場し、龍馬が大政奉還に一役買ったことを祝福するシーンが出てきたんですが、冒頭でいきなりウルウルしてしまいました(笑)。 「いきなりかよ!」 みたいな(笑)。

 この最終回、さまざまな批判をシャット・アウトするくらいの気迫がこもっていて、まさに傑作でした。 まあ、文化庁芸術祭参加作品だけあって、気合が入りまくっていた、とも言えるのですが(笑)。

 エンディングはぶざまに床に倒れこむ弥太郎の最期と、船の舳先にたたずむ龍馬の後ろ姿。 このドラマのもっとも表現したかった側面を、強く印象づけて終わったといえるのではないでしょうか。

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2010年11月28日 (日)

「ギルティ 悪魔と契約した女」 第7回 溝口アブナすぎ

 金井勇太ぁぁ~~っ!…いや違った、溝口ぃぃ~~っ! アッタマにくるんだよ~~っ!

 …失礼しました、思わず取り乱しました(笑)。 何でこんなアブナイのが街を徘徊しとるんでしょうか?
 逆に言えばここまでムカツク男を演じ切っている金井勇太クンが、すごいっちゃすごいんですが。 完全にイっちゃってますよね、この男。 すぐ拘束して手足縛りつけたほうがいーような気がいたします(笑)。

 そんな常時心神耗弱状態男に下らん指図をしているのが、真島(玉木宏サン)の上司で15年前の冤罪事件の鍵を握る男、宇喜田(吉田鋼太郎サン)。 自分の椅子に足を投げ出して座られ思いっきり挑発をしてきた真島を懲らしめようと(いや、殺そうと、かな)溝口を差し向ける。
 けれども真島の部屋にいたのは、打ち合わせに来てひとり残されていた万里(吉瀬美智子サン)。
 溝口は相手が誰だろーが構わず凶行に及ぶのです。
 この見境のなさ。

 それにしてもです。

 こういう鉄面皮の女性が襲われるのに一種独特のエロチシズムを感じてしまう、私もアブナイですかね?(汗)。
 溝口のアブナさ全開ぶりにはなんか、人間の負の部分をリミッター越えするほど増幅させてしまう側面を感じるのです。 吉瀬サンは刑事であるがゆえに相当な反撃を溝口に加えるのですが、溝口の身体能力はそれに比肩するほどすごい。 万里、病院行きです。

 さらに自分から宇喜田に会って芽衣子(菅野美穂チャン)の冤罪の罪滅ぼしをさせようとする三輪(モロ師岡サン)に対しても、溝口は容赦がない。 溝口をつけてきた真島の同僚の刑事も逆に拘束して、ふたりともども縛りつけて痛めつけ、駆け付けた真島にガソリンをかぶることを強要、「マッチに火を点けろ」 と脅しまくる。
 そこに芽衣子が居合わせて警察に電話していたみたいなので、ぎりぎりのところで真島は助かるだろーとタカをくくって見てたのですが、「どこまで悪どいんだこの男」 という憤りは、見ていて収まるもんじゃありません。 三輪に致命傷を負わせて溝口はその場からトンズラするわけですが、舌出しながらへらへら笑って人をいたぶった末に逃げおおせるとは。 どぉーにも許せん、つーか。 お前は一生ムショ暮らしして強制労働だ!と言いたくなります(不穏当な発言をしてしまい申し訳ございません)。

 芽衣子は三輪と宇喜田のやり取りを録画して宇喜田への脅迫材料を整えるわけですが、宇喜田は冤罪の奥に潜む大元を芽衣子に話すのでしょうか?

 それにしてもです。

 今回真島は芽衣子に、洗いざらい本当のことをしゃべるという方向転換を図りますが(万里にもそうしてましたね)このときの芽衣子の反応、見ものでした。
 真島は芽衣子が連続不審死事件の犯人であるという一定の結論のもとに、芽衣子にたいし自分は刑事で不審死を追っていて君が犯人ではないかと疑っている、とまで話す。
 芽衣子に対してウソはついてきたが、すべてウソではなかったと話す真島。
 芽衣子は抱きしめられたことを思わず思い出す。
 けれども芽衣子は、私は何も知らない、とシラを切りとおすことを選ぶのです。
 これ以上罪を重ねてほしくない、自分の思いが通じなかった真島の、落胆した表情。
 真島と別れて、いまはまだ話すわけにいかない、と苦渋で表情を歪ませる芽衣子。
 見ごたえがありました。

 溝口に刺された三輪は、絶命してしまいます。

 「溝口ぃぃーーーっ!」

 絶叫する真島。

 次回、ボッコボコにされる溝口に、期待です(かさねがさね不穏当でスミマセン)。

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2010年11月27日 (土)

「獣医ドリトル」 第5回 ドリトル流優しさ

 土門(國村準サン)と花菱(成宮寛貴サン)の関係の変質を描いていくことで、ドラマとしての緊張感を盛り上げることに成功している、「獣医ドリトル」。

 かたやペットを安楽死させることを積極的に選んでいく大動物病院の総医長、かたや外科手術が出来ないテレビで人気のカリスマ獣医。
 専門的な治療を推進する新しい総合動物医療センターの理念に自分の活路を見い出し、自らの弱点をカバーさせようとする花菱は、ビジネスライクな土門のやり方とは距離を置くようになるのですが、土門は自分の勧める動物の安楽死を、飼い主やペット自身の負担を軽減させる方法だ、と信じてやまない。

 そんな土門に花菱は、「犬一匹を救うために、我々獣医がいるんじゃないですか」 と反発を強める。
 「君には失望した」、で終われば話はここまでなんですが、土門が花菱を抱え込まざるを得ない理由が出来るんですよ。
 それはテレビで人気のカリスマ獣医が新センターから距離を置いたことによって、予算の捻出が困難になったこと。
 土門は花菱がひた隠しにしている 「手術できない」 という弱点をマスコミにリークすることで、花菱を無理やり新センターに引きとどめようとするのです。

 ここらへんの取引は、総合動物医療センターという話のオーゲサぶりは置いといて、実に面白い。 花菱は自分の弱点を克服しようと、ドリトル(小栗旬クン)が行なうオペを最後まで見届けようと努力し、あすか(井上真央チャン)からほめられて、自分もひとつ壁を乗り越えられたと、なんとか単純に納得しようとする――この構図が、浅いようで結構深い。 不安だから、大丈夫だと思い込みたがるんですよ。
 そして 「誰がオペするんですかぁ~?」 と花菱を揶揄しながら、自分の父親土門総院長を軽蔑したような目つきで見つめる、長男の土門勇蔵(笠原秀幸サン)。 この長男の動向も、ドラマ的なデフォルメが気になるとはいえ、緊張感を与えるひとつの役割を担っている気がします。

 そしてかねてから指摘していますが、橋本裕志脚本にありがちな 「話の詰め込み」 が、今回もまさしくてんこ盛りでして(笑)。

 花菱がドリトルに手術を依頼したラブラドールレトリバーのケンタ君のエピソードで、友情出演というよく分かんない役柄の藤沢恵麻チャンが絡みに絡んでくるのは序の口で(笑)、今回ドリトルが処理しなければならないのは、かつて好意を抱いていたという平野瞳(りょうサン)と彼女が連れてきた猫のベル、そしてハト屋敷の主加藤治子サンが連れてきた瀕死のハト。

 ところがこのふたつのエピソードとも、かなりの出来栄えで。

 加藤治子サンがハトに餌づけをしているのは、50年前に山で遭難した新聞記者の夫が通信鳩を死の間際に託したのではないか、という期待から。
 ところが息子の佐戸井けん太サンは、父親が山で遭難したのは、浮気相手と心中したからだ、という真相を知っていて、だからこそ母親の加藤治子サンに餌づけをするのをやめてもらいたがっている。

 かたやりょうサンは、夫(恋人だったかな?)が浮気相手と心中をしたことが原因で、生きる気力をなくしている。
 ベルがけがをしたのも、自分を捨てようとしたりょうサンについていこうとして車にはねられたから。

 そして佐戸井けん太サンから自宅のハトの駆除を頼まれたドリトルが持ち帰った巣の中のハトの骨に通信筒が巻きつけられていたのを、りょうサンが発見するんですよ。
 通信筒には、山での取材中自殺しようとしていた女性を助けようとして一緒に転落した、という加藤治子サンの夫の最期の通信が。
 「信じていた…でも、50年間信じ続けるのはつらかった」
 と号泣する加藤サン。
 こっちもウルウルでした…が、やはりイマイチ感情移入できない。
 すごくいい話なのに、詰め込み過ぎているために、のめりこむに至っていないうちにさっさと解決してしまうからなんですよ。
 やはり2話完結くらいがいちばん入り込みやすい気がするんですが。
 特に加藤サンの演技が秀逸だったので、ちょっと惜しい気がしました。

 そしてちょっと違和感が残ったのは、その通信筒を発見して加藤サンらからとても感謝されたりょうサンが、その直後に買い物中結婚式をたまたま見ただけで絶望してしまい、電車に身を投げようとしてしまうところ。
 他人の50年にわたる懸案事項を解決してあげたというのに、自分の夫(恋人?)が心中したのも何かの間違いだった、と信じることが出来なかったのでしょうか?

 でも、これはこれで、アリなような気もするのです。

 人間、いくら励まされて勇気が出ても、死にたいと思っている人は簡単なきっかけでまた元の木阿弥になってしまう。 感情というのは、その時その時で、千変万化に移ろいゆくのです。

 電車に飛び込もうとするりょうサンのポケットの、ケータイが鳴る。

 「ベルをよろしく…」 と遺言を託そうとするりょうサンに、ドリトルはあすかの受話器を横取りして、こう言い放つのです。

 「悪いが、うちでは捨て猫の保護はしていない。
 瞳さん、あんたがベルを捨てるって言うんなら、ベルは殺処分だ。

 飼い主の捨てたペットを全部、獣医が飼うとでも思っているのか。
 笑わせるな。
 捨て猫は保健所に引き取ってもらう。

 見殺しにしようとしているのはあんただろ。
 あんたは他人の善意に寄りかかって、あんたがいなきゃ生きていけないペットを捨てて、飼い主の責任から逃げようとしてるんだぞ。

 フンッ。

 勘違いしてないか?
 オレはボランティアじゃない。

 …獣医はビジネスだ」

 辛辣な言い方しかできない自分なりに言葉を選びながら、相手の反応を聴きながら、「生きろ!」 という感情をこめて、りょうサンを叱咤する、ドリトル。
 ベルを大事に思っているなら、なんとしてでも生きてベルの面倒を看つづけるんだ、という気持ちがあふれかえっていて、感動しました。
 このドリトル流の優しさを、小栗旬クンは完全に噛み砕いて演技しておりますね。

 そして、その言葉を涙を流しながら聞いていたりょうサンは、「…今から、迎えに行きます…」 と絞り出すのです。

 やられたなあ…。

 そこにたたみかけるように、土門と花菱の相克ですからね。
 詰め込まれた話のめまぐるしさが持つ魅力に、ちょっとクラクラしてしまいました。
 駆け足すぎて泣ける場面で思いっきり泣けなかったけれど、こういうシビレ方もあるんだなあと感じました。
 また、井上真央チャンの演技がひとつのオアシスみたいになっていて、これがいいんだなあ。 ドリトルに好意を寄せるにはずいぶんまだまだ先の話のような気がするのですが、みんなから指摘されて激しくかぶりを振っている、というのが、構図的にしっくりしている気がする。

 次回以降も、話がどんどんこじれそうで(笑)、期待させてくれます。
 「獣医ドリトル」 のマンガが、よくここまで昇華できたものだ、と感心をしております。

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2010年11月26日 (金)

「龍馬伝」 第46回、第47回 「龍馬伝」 の演劇的手法

 最終回に向けて、遅れ気味だった 「龍馬伝」 のレビューを済ませておかねばなりません。 って義務は別にないのですが、とりあえずけじめとしては。

 第46回 「土佐の大勝負」 について。

 この回で龍馬(福山雅治サン)は山内容堂(近藤正臣サン)と面会し、大政奉還を直訴するわけですが、その真偽は全くこっちに置いといて、下士でしかも脱藩の前歴が2度(このドラマにおいて)ある男に、殿様を差し置いて土佐の最高権力者である容堂が会おうと思うに至るのに、どのような要因があったのか。
 それには後藤象二郎(青木崇高サン)の熱意が大きな役割を果たしています。

 青木崇高サン、ドラマ開始当初とはだいぶ恰幅が良くなって、古写真で見る実際の後藤象二郎が乗り移っているかのよう。 調べてみたら、15キロも役作りのために太ったらしい。 その心意気やよし、であります。

 その後藤が龍馬に会うよう容堂に強く直訴する場面で、はじめ全く取り合うつもりがない(当然ですが)容堂を大きく動かしたのは、龍馬が薩長同盟の大きな立役者だったことを聞いたから。
 表向き徳川への忠誠を示しながらもそこにモヤモヤ感を抱いている容堂が、この話に興味を持たないはずがない。
 なぜそのことを今まで黙っていた!と詰問する容堂。
 それに対して後藤は、苦渋で表情を歪ませながら、こう絞り出すのです。

 「妬ましかったがです…!
 …妬ましかったがです!

 下士の分際で、叔父上、吉田東洋様に認められ、脱藩者でありながら次々と、次々と大事を成し遂げていく坂本が!、…妬ましかったがです…」

 この場面と並行して、土佐に帰った龍馬を、これまでと同じようにひざまずかせようとする上士たちに、龍馬がいったんはひざまずきながら、大いに嗤うシーンが挿入されています。

 「ハハハハハ…。
 下士が上士にひざまずく。
 土佐ではまぁだ、こればあばかばかしいことをしゆうがかえ」

 青木崇高サンの体を張った渾身の演技と、この龍馬のシーンとの併用は、「上士と下士」 という、 という、龍馬の思想に影響した最も原初的な問題意識の表現だった気がします。 その問題がまだ土佐でくすぶっていることは、里帰りした龍馬がフィクション抜きで、感じたことであろうと推測される。 この後(たぶんこの後、なんでしょう)龍馬が後藤象二郎に対して 「大政奉還がなされない場合は徳川慶喜も討つ覚悟」 などと過激な手紙を送っている(「龍馬伝紀行」 でやってましたね)裏には、そんな故郷の旧態依然とした理不尽な階級制度をふたたび目の当たりにしたからなのではないか、という気を見ている側に起こさせる。

 いずれにせよこの 「上司と下士」 という、「龍馬伝」 第1回の副題が、今回の後藤の苦渋の告白によって実を結ばれている、そんな気がするのです。

 容堂公とのお目通りの際に龍馬は大政奉還の建白書を書くよう強く勧めるのですが、要するにこれって、容堂公の失職を強く勧めている、というのと同義。
 将軍も殿様も要らん、ということですから。
 ここらへんの経過は全くフィクションではありますが、結果的に容堂公が建白書を書いたのは事実ですよね。
 作り手は山内容堂がそれを決断したことを、後年武市のことを容堂が 「あれはいい家来だった」 とよく話していた、という事実から導き出しているような気がします。
 「どういてわしが建白書を書くと思った?」 と訊く容堂に、龍馬は 「大殿が武市に牢まで会いに来たことを知ったから」 と答えます。
 容堂が牢まで行って武市と会った、ということがこれまたフィクションなんでしょうが(笑)、容堂を現体制にモヤモヤ感を抱き、釈迦来迎図という理想の世に憧憬を抱いていた権力者、という描き方をした作り手が、龍馬と会うまでの道筋をこのように構築していった、というのには、ちょっとシビレます。

 そして第47回、「大政奉還」。

 前の回で緻密な運びを堪能したのですが、この回はほとんど龍馬のおかげで大政奉還が成った、とされるような話の運び方。 忌憚なく述べさせていただきますが、正直なところだいぶ閉口しました。
 けれどもそれは、弥太郎(香川照之サン)の嫉妬心を大いに喚起させるための演出なのだと割り切ることにします。
 (「新しい日本の夜明けじゃあ!」 というのも、作り手は龍馬に叫ばせたかったんだろうなー、と言いますか…笑)。

 この回 「日本が内乱状態になる」 と踏んでミニエー銃を売りさばいていた弥太郎は、「龍馬が大政奉還を成し遂げる」 という周囲の予測や、自らの龍馬への畏怖心を辛くも受け入れ、「今日中に銃をすべて売り叩け!」 と指示するのですが、果たしてそれは図に当たり、売り抜けて大もうけする。
 それなのに弥太郎は、歯ぎしりしながらこう吐き捨てるのです。

 「負けた…。

 負けた…!

 …また負けじゃあ…!」

 そしてこの回、またまたフィクションだったのですが、勝麟太郎(武田鉄矢サン)と龍馬との、再びの邂逅。
 そのあり得なさぶりはこっちに置いといて(笑)、これは武田サンの個人的な思いが凝縮された、感慨深い場面だった気がするのです。
 ええじゃないかを踊り狂う人々たちを前に、大政奉還が成ったことを喜々として報告する龍馬(ええじゃないか…)。
 そこに現れる新選組(ええじゃないか…)。
 龍馬を斬ろうとする新選組の前に立ちはだかる、勝麟太郎(ええじゃないか…)。
 「坂本龍馬を斬ることは、この勝麟太郎が、許さねえ!」

 この構図は、全くあり得なさの極致なのですが、あり得なさの中で龍馬の底抜けな喜びと、旧い時代に固執して没落していく新選組と、弟子龍馬を命がけで守ろうとする師匠、ということを象徴的に表現している。 特にこの、龍馬を守ろうとする武田サンには、武田サンの個人的な思いが全開で、あり得なさすぎの場面なのに、思わずウルっとしてしまいました。

 大政奉還を成し遂げた龍馬に対して、武田サン(あえて武田サン、と書きます)は、バカ野郎、オメエサンの仕事はこれからだ!と一喝する。
 これからだったんだよ、龍馬の仕事は…!という武田サンの思いがビンビン伝わってきます。

 「さて坂本、オメエサンいったい、これから、なにするね?」

 これも、実際に武田サンが龍馬にすごく訊きたいことだと思うんですよ。
 龍馬は満面の笑みの中、何も答えようとしません。

 「なあ坂本…。

 …また会おうぜ!」

 この、万感をこめた武田サンのセリフ。
 もう、ウルウルでした。

 これって、武田サンが坂本龍馬に対しての強い思いをこちらが知っているからこそ感動できる場面だ、という点では、ちょっとルール違反の感動のさせ方ではある気はするんですけど、死を目前にした龍馬に武田サンが会いたい、という願いが叶った瞬間のような気がして、やっぱりいい場面だった気がします。

 と同時に、このドラマが目指しているものが、実に舞台演劇的な気がしたのです。

 舞台演劇は、自分の言いたいことを分かりやすく巨大化させ、印象的で象徴的な再構築をする。 そのためにはあり得なさなど二の次で、ただ雪だるま的にクライマックスへ向けてひた走る。

 「龍馬伝」 もその手法を使っているのではないでしょうか。

 確かにテレビドラマと舞台では表現方法が異なる。
 「龍馬伝」 に違和感を抱く人たちが続出するのは、その点ではいたしかたないことだとも思うのです。
 それでも、作り手の新しいチャレンジを見守り、場合によっては祝福することも、受け手に必要な態度のような気が、するのです。

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2010年11月25日 (木)

「第61回紅白歌合戦」 出場歌手決定 「つまらんのう…」

 去年還暦だった 「紅白歌合戦」、永ちゃんだのスーザン・ボイルだの全力を使い果たしたのか、今年の顔触れは、正直パンチに欠ける、と言いますか。
 特に我々ミドル世代をうならせる人選というのが、全くない。 つーか、人選にやる気が感じられない。
 年配世代と若者の両極化への媚びが目立っているような気がする。

 特に大不満なのが、「10年先も君に恋して」 のクリスタル・ケイサンが出ない、ということ。 あのバラード、絶対聞きたかった。 NHKだから当確だと思っていたんですが。 がっかりだよ!

 マッチも出ないのは、ちょっとよく分からん、というか。
 あの曲、結構あちこちで聞いた気がしますけど。

 ドラマ好きとしては、「ゲゲゲの女房」 のいきものがかり、「流れ星」 のコブクロ、この2曲だけですかね。 コブクロのほうは 「流星」 を歌うかどうかはまだ分からんですが、これじゃなかったらいきものがかりしか見るとこないじゃないですか。 あ、くぅ~ちゃんの 「セカンドバージン」 の主題歌があるか。 いや、歌うのかな?ソレ。 「八日目の蝉」 の主題歌も、聞きたかったけど、その人も出ないみたいですね。

 北島三郎サンは、星野哲郎サンが亡くなってしまいましたからね、「函館の女」 とか、期待してますけど。 その点を考えますと、何で水前寺清子サンが出ないのかなあ?それが謎です。 佐良直美サンも、歌手復帰したんだから、出せばいいのに。 聞きたいっス、「いいじゃないの幸せならば」。

 スンゲー個人的ですが、このところニッポン放送の 「開局!フジテレビラジオ」 で斉藤舞子アナがイチ押しでよくかけている 「アリガットーゴジャイマース」 とゆーのにハマってるんですけど…(笑)。 コーラスジャパンの 「根の歌」 も聞きたいし。

 これじゃこの前にやっていた 「思い出のメロディー」 のほうが、数段顔ぶれがエキサイティングでしたよ。

 つまらんのう…(FF)。

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2010年11月24日 (水)

「セカンドバージン」 第7回 破滅へ、ようこそ

 北朝鮮が韓国に攻撃を仕掛けてきたというのに、相変わらずドラマ三昧であります(平和ボケもここに極まれり、か)。 まあ、北朝鮮に戦争を本気でする気など毛頭ないと思っておるのですが(だってムリでしょう)。

 これまでどうしても痴話ゲンカレベルの下衆な興味で見てしまっていた 「セカンドバージン」 でしたが、今回の深キョンによる復讐劇は、裏番組の 「ギルティ 悪魔と契約した女」 の菅野美穂チャンも真っ青な展開で、息をのみました。
 正直なところ、理詰めで復讐を遂げようとしている美穂チャンより、嫉妬に狂っているだけに××に刃物的な(実際ハサミ片手の復讐だからなおコワイ)見境のなさがある点で、深キョンはかなり強烈。 日常生活に潜む狂気を表現している点で、「復讐」 を看板に掲げているドラマよりも、インパクトが強烈になってしまうきらいはあるのですが。
 しかし、こんなところでフジテレビがお株を持っていかれるとは。 まさしく、「破滅へ、ようこそ」(「ギルティ」 のキャッチコピー)であります。 北朝鮮も戦争などすれば 「破滅へ、ようこそ」 なのであります。

 るい(鈴木京香サン)と行(長谷川博己サン)の仲を知ってしまった深キョンは、何食わぬ顔をして行を迎え入れ、さっそくケータイを家探しして行が仕事で危険な橋を渡っていることを把握。 まあいくらおバカでも読解力はあると言いますか(笑)。

 続いて、るいの飼い猫レタ君を籠絡(籠絡って…笑)。
 るいがレタ君を家の敷地内に出せるようにしておいた、というのが最初のうちは分からなくて、「なんとムボービな」 思ったのですが(笑)。
 ハサミを手に、レタ君を見下ろす深キョン。
 深キョンに絶大な信頼のまなざしを寄せるレタ君。
 不気味な効果音。
 やめてくれぇぇ~~~っ!(笑)…って、まあ動物愛護団体から、苦情がきますもんね。 いくらフェイクでも。
 結局事なきを得ましたが、レタ君がいなくなったことで、るいの精神的な苦痛は相当なもの。 今回はるいの息子、亮(綾野剛サン)もドラマに大きく絡んでくるのですが、るいはどこかで、レタ君を息子の代わりみたいな感覚で愛情を注いでいる気がするのです。 この精神的ダメージは大きい。

 そしてるいに送りつけられてきた、るいの写真。
 目の部分がニードルでガリガリやったような白い線で引っ掻きまくられています。
 コワ…。
 もし自分がこんなことされたら、きっと血の気が引くでしょうね。
 強烈な悪意と、強烈な精神の異常。 その両方を感じると思うんですよ。 予告でこの部分、やらないほうがよかったな。 インパクトが半減します。
 興信所を頼んだのか、深キョンは一連のるいと行との密会写真を、またもやハサミで切り刻みまくってます(怖すぎる…)。

 そんな精神的ダメージを与えられ続ければ、行と会った時は、るいもそりゃ燃えます(笑)。
 なんか、キスの描写にも、拍車がかかっている。
 そこには、「助けて!そばにいて!」 という気持ちも混じっているから余計です。

 ただ、恋愛に逃げ込むこと。

 これって正直なところ、人生にとってはマイナス要因のほうが大きい気がするんですよ。
 恋愛は人生の最大のイベントのような気もいたしますが、ある程度一定の距離を保ってこそ、恋愛は人生全般をいい方向に動かしていく風の役割を果たすと思うんです。 あまり自らの虚無感を埋める対象として、相手と一体化しようとしすぎると、却って生きるバイタリティというものが、恋愛にばかり吸い取られていってしまう可能性がある気がする。

 行はるいのそんな状態に、深キョンとの離婚の決意を深く固め、これまでになく強い調子で別れを迫る。
 深キョンは当然聞き入れないのですが、その時の深キョンの反応が、また怖い。
 「死んで!」
 死んだら仕方がないから許す、みたいな論調です(蛇足ですが、ここでるいと行との仲を知っていることをあくまで隠している、というのもすごい知能犯的、とゆーか…笑)。

 それにしても、「死ぬ」 だの 「死ね」 だの、あまりに軽々しく口にしてしまうことの恐ろしさ。
 それは死ぬということがどういうことか分かっていないがゆえの言動なのですが、それはかえって、死ぬこと以上の苦しみを相手に与える、ということの罪の意識まで軽くなってしまう、ということにつながっていく気がするのです。

 そして実際、深キョンはるいと行に、死ぬよりも深い苦痛を与えていくことになる。

 要するに先週YOUサンがるいに忠告していたことですが、ふたりの密会をマスコミにリークすることで、社会的にダメージを与える、という方法です。 るいのほうは段田安則社長の懐の深さ、というより同じ穴のムジナ感覚による特赦、と言いますか(笑)。 「自分もゲイだから」 という論理と、俗物を売り物にしている出版界なのだから、という論理で 「堂々としてろ」 と逆に諭されます。

 ところが行のほうは、検察に睨まれるような要因をまた作ってしまったことで、仕事に与えるダメージがとても大きい。
 さらに追い打ちをかけるように、法律違反覚悟のメールを深キョンがリークしたため、東京地検の捜査が行の会社に入ることに。

 深キョンのこの一連の復讐は、先ほども書いたように、 「死ぬ」「死ね」 という経過を経ているから、行の会社がダメになって結局自分が経済的に破滅しようがなんだろうが、行とるいを破滅させなければおさまらない幼児的な動機が大部分を占めている。
 これは美穂チャンより、怖いですよ、やっぱり(笑)。

 子供がそのまま大人になっているから、バカだバカだと言いながらも、結局知能犯的部分も併せ持っているし。
 行が弁護士まで立てる、と離婚話のときにしゃべったことは、行が浮気をしたということで、だいぶ行にとって不利に働くことになりますし、自分が妊娠していないことを行に怪しまれても、それを隠し通す術まで長けている。
 かなり、強敵です(笑)。

 るいは行が東京地検に連行される前、行がいきなり目の前からいなくなってしまう不安を口にします。

 「置いていかないでね…」

 「置いていくわけないだろ。 何でそんなこと言うの?」

 「分からない…。
 幸せだと、同じくらい不安になるの」

 なんか分かります。 特にあまり自分がこれまで幸せだと思わなかった人にとっては、急に来る幸せというものに、警戒心を持ってしまうものなんですよね。

 でもその幸せは、るいのエゴなのかもしれない。

 今回の不倫騒動がマスコミにバレたとき、息子の亮は強烈な敵意を周囲に撒き散らします。 あんなにいいヒトのYOUサンにさえ。
 彼の意識には、そりゃマザコンとも呼べる甘えがあるのは当然ですが、いろんな人を犠牲にしながら生きてきたるいの人生そのものに対する強い猜疑心も、いっぽうでは厳然と存在しているのです。
 自分は自分なりに、息子のことも行の奥さんのことも考えてきた。
 でもそれは、実はとても自分本位な立場から考えていただけのことなのではないか。
 そんな、るいの生き方に対する客観的な評価もせざるを得ない展開になってきた、というのは、やはりすごい。

 単なる痴話ゲンカの話じゃ、なくなってまいりました。

「セカンドバージン」 に関する当ブログほかの記事

第1回 セレブの恋愛に、興味なし…ですけど
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/1-5dd1.html
第2回 冒険してもいい頃? http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/2-ded4.html
第3回 あーあ、やっちゃったよhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/3-68b7.html
第4回 ああーっ、修羅場だぁ~っ!(笑) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/4-ba7f.html
第5回 秀月センセイの真意って… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/5-208c.html
第6回 わわっ…知~らないっと! http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/6-f81b.html

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2010年11月23日 (火)

「流れ星」 第6回 託したい思い

 なんか毎度のことになりつつありますが、この記事も長くなってしまいました。

 山梨行きから急激に悪化の一途をたどった、リョウタクン(桐山照史クン)の病状。 この経過について、マリア(北乃きいチャン)は 「私のせいだ」 みたいに気に病むところをどうして見せないんだろうとか、これまであまりにも緻密すぎる物語を見せられてきたせいか、ちょっと気になる部分もありました。
 けれどもそれを補って余りあるほどのラストが、今回用意されていたのです。
 例によってクレジットタイトルが番組冒頭に来る構成。
 また衝撃的なことが待っているのか…と、見る側の気持ちは、ちょっと暗く沈みます。

 お母さん(原田美枝子サン)から必死の説得を受けて自殺を思いとどまったマリアでしたが、リサ(上戸彩チャン)から肝臓を300万で買ったことを聞かされ、さらに心を閉ざす。

 リサは 「手術してもしなくても300万はもらう、そういう契約だから」、とぶっきらぼうにマリアに言うのですが、それは決して無神経な言葉ではないように感じます。 ビジネスライクに割り切ってマリアに考えてもらいたい、というリサのひねくれた優しさのように感じるのです。
 マリアにその思いが通じないリサは、健吾(竹野内豊サン)に 「私この家にいる意味あるのかな?」 と問いかけるのですが、健吾の返事は 「家族の問題に巻き込んでしまって申し訳ない」 と、あくまで他人行儀。 そんな健吾に、悲しそうな表情を見せるリサ。 家族にはなれない、という意識が、リサの中でまた強くなったように思えるのです。

 リサは美奈子(板谷由夏サン)のもとを訪れ、なんとかマリアを説得してほしい、と頼みます。
 「アイツも悩んじゃってさあ…。 私もあの家族にいつまでも付き合ってらんないし、早いとこケリをつけたいんだよね」
 リサの気持ちとしてはもう、これ以上深入りすれば健吾のことを本気で好きになってしまいそうだから、岡田家にずっといたいと思ってしまいそうだから、そんな自分に見切りをつけたい。 痛々しいです。

 そして健吾は、マリアから臓器売買のことを聞いてしまった神谷先生(松田翔太クン)から、このことが分かってしまった以上、マリアの手術はすることが出来ない、とはっきり言われます。 マリアがこのことを頑強に拒むのは、なにもリサへの個人的な気持ちではなく、臓器売買をしてしまうと健吾が犯罪者になってしまう、という、兄への思いから来ていることも、同時に知らされる。 さらにこのことが公になれば、この病院でほかの移植が出来なくなってしまうことも。

 この神谷先生の話は、反論の余地がない完璧な理由のように思えました。
 臓器売買の話の真偽にはあえて答えず、それでも健吾は、こう言って反駁する。

 「どうしても、ダメですか…?
 とにかく、手術をしてもらえませんか、お願いします…!
 …
 だったら、マリアを見捨てろっていうんですか…?
 …
 目の前の患者を、マリアの命を助けて下さい…!」

 この健吾の問いかけに、神谷医師は 「でもそれは、自分たちがよければそれでいいというエゴなんだと思います」 と言い、立ち去る。

 たしかに岡田家の場合、300万円という資金があったからこそドナーが見つかった、という側面もあります。 それでもいない場合はいないんでしょうけど、このドラマではたまたまリサという自殺しようとしていた女性がいた。 そして彼女は、その臓器売買のための契約結婚に同意をした。
 このことを表面的な事実からだけ見て判断すれば、金があれば何でもできる、という、まさに 「エゴ」 による行動のように思えます。

 でも、果たしてそうなんでしょうか。

 そうまでして家族を助けたい、と思うことが、果たしてエゴなんでしょうか。

 確かにこのことは、経済的弱者(私もその部類に入るかなぁ)から見れば、金持ちじゃなきゃできないことだよなあ、というのはありますが、お金があれば私だって、家族の命をどんな手段でも助けたい、と思うでしょう。
 このことを杓子定規に 「社会のルール無視」 とか 「金持ちのエゴ」 とかで片づけてしまうのは、ちょっと違う気がしてならない。 関係ない話になってしまいますが、いまの世の中、「法律で決められているルールに従うこと」 を、あまりにも機械的によしとする人たちが、多すぎる気がする。

 人には、心ってものがあるのです。

 その人たちが心というものを持っていない、とは申しませんが、「決められたルールを守らない」 ということの反社会性にばかり目を向けてしまって、人間的な同情が出来なくなってしまうことは、とても哀しいことのように思える。 そんな人々は、法律やルールを、「悪いことをしないためのもの」、というコンセプトから、「仲間はずれを作らないための囲い込み」 という縛りに変化させている気がしてならないのです。
 失礼な言い方で恐縮ですが、おそらくそんな人々は、この 「流れ星」 というドラマも、共感を持って見ることが出来ないのだと思うのです。

 話をドラマに戻します。

 移植手術が出来なくなったことを健吾から聞かされたリサは、神谷医師に会いに行きます。

 「もらった金を返せば手術できるんでしょ?」

 返事をしない神谷に、リサはこうぶちまける。

 「なんだかんだ言って犯罪の片棒を担ぐのが嫌なんじゃない?
 守りたいのはマリアじゃなくて、医者としての自分なんじゃないの?

 人ひとり助けらんないでなにが医者だよ」

 この言葉は、神谷先生の胸を貫いたに違いありません。
 そして同時に、「金を返せば」 というリサの言葉は、マリアを助けるためには、自分の金なんかどうでもいい、とまでリサが考え始めた証左でもある。 岡田家のために何かしてあげたい、というリサの気持ちの昇華でもある。

 話は前後しますが、リョウタクンを見舞ったマリアは、彼とケンカをしてしまう。
 ドナーを断って手術をするのをあきらめた、と言うマリアに、リョウタクンが詰問したからです。

 「なんで断った?
 生きれんのに、なんで断った?」

 「リョウタなら分かってくれると思ったのに…」

 「分かるわけないやろ!
 ドナー見つけてくれたんやろどんな形でも!」

 「…あんな人、ドナーだなんて認めてないし」

 「お前はな、…お前はみんなに甘えてるだけや…」

 「…別にいいよ、リョウタに分かってもらおうなんて思ってないから」

 「生きれるのに、なんで断るんだ?」 というリョウタクンの思いは、彼の病状が悪化しているのが分かるからこそ、こちらの心にも強く響いてくるのです。

 病院に見舞いに行った健吾とお母さんは、マリアから相変わらず面会拒絶を受けるのですが、リョウタクンからの伝言を受けて、健吾はリョウタクンの病室に向かいます。

 リョウタクンは息も絶え絶えに、健吾に向かってお礼を言います。
 何のことか分からない健吾に、リョウタクンはこう、話すのです。

 「アイツの…ドナーを見つけてくれて…。
 …ムチャクチャな…やり方でもなんでも、…オレは…アイツに生きとうてほしいから…。
 …だから、…だから、絶対、手術受けさせてください…」

 そしてリョウタクンは健吾に、あることを頼むのです。

 リョウタクンと仲直りしたくて病室に向かったマリア。
 彼が個室へ移ったことを聞き、何かを感じつつも、そこへ向かいます。
 ケンカの時と比べても格段に悪くなっているリョウタクン。
 マリアはそんなショックも表面に出さず、いつもどおりにふるまうのです。

 「約束したやつ、描くね…」「林家正蔵画(肖像画)か…」
 まったく生気のない顔をして、冗談だけは言うリョウタクンに、マリアは 「バカ…」 と笑いかけ、リョウタクンの顔を描き始めます。

 「リョウタも約束守ってよ…落語。 長いの聞かせてよね」

 「男前に描いてくれたらな…」

 あとから察するに、この時すでに、リョウタクンはケータイに、その約束を果たした映像を残しています。
 でも彼は、その時そのことをマリアには言わなかった。
 自分が元気になって、もっとちゃんとしたものを見せるつもりだったのだと思うと、あらためてまた、涙が出て来るのです(ちょっとフライング気味のネタバレになってますけど、書かずにはおれません)。

 「元気になったらさ…元気になったら、スカイツリーの、展望台からの景色、描いてや…」

 なんとか体を起こしたリョウタクンは、鉛筆を握ったマリアの手を、そっと握る。
 マリアはその手にもうひとつの自分の手を重ね、リョウタクンにキスをするのです。
 手を払いのけるリョウタクン。

 「なに…?」

 「やっぱオマエ、…コブタに似てるわ」

 同じころリョウタクンの家族は、神谷先生から、病状がもう抜き差しならないところまで来ていることを知らされています。

 帰ろうとするマリアに、リョウタクンは話しかける。

 「なあ、…コブタ…」

 「なあに?」

 「いや………ありがとう……」

 「…なに、リョウタらしくないなあ…。
 …じゃ、続きはあした!」

 「…おう…」

 そしてこれが、マリアとリョウタとの、最後の会話になってしまうのです。

 神谷医師の必死の心肺マッサージにもかかわらず、心肺停止。
 そのマッサージをする手が、静かに止まります。
 泣き崩れる家族。
 自分の無力さに打ちのめされたように後ろ姿を見せて去っていく神谷。
 「人ひとり助けらんないでなにが医者だよ」
 というリサの言葉が、改めて重くのしかかってきたに違いありません。
 このことが神谷医師を、今後どう変えていくのでしょうか。

 そしてリョウタクンのお姉さんから、リョウタが亡くなったことを聞く、マリア。

 呆然と、感情をどう表現したらいいか分からないままベッドに腰掛けるマリアのもとに、健吾が訪れます。

 「兄ちゃん…。

 リョウタ、…

 リョウタしんじゃった…。

 しんじゃったよ…」

 そんなマリアの肩を抱きながら、健吾はリョウタクンに預かっていたものを渡すのです。 黙ってその場を去る健吾。

 健吾がリョウタクンから頼まれていたのは、すでに書いてしまいましたが、マリアとの約束だった、長い落語の話。

 とてもつらそうにその噺を続けるケータイの中のリョウタに、マリアはそれまで、いつの間にか溜まっていた思いがあふれてきて、知らず知らずに涙がこぼれてくる。
 そして下げの部分(落語のいちばん最後のオチのこと)。
 「わしは親不孝だ…見ろ、親を駕籠(かご)かきにした」

 「抜け雀」 という噺ですが、絵の中のスズメに籠をつけるというこの噺、かごのなかの鳥として自分をとらえたことの象徴でもあるし、絵を描くという登場人物に、マリアを重ね合わせた面もある。 そして親に先立ってしまう 「親不孝」 な自分も、そこに託している。

 こんな解説をすると興醒めですけどね。

 私の場合リョウタクンが、最後のマリアとの会話でも、このケータイのなかでも、決してマリアに 「手術を受けろ」 だの説教じみたことを言わなかったことが、却って押しつけがましい話になってなくて、そこに強く感情移入してしまいました。 そのことでリョウタクンがマリアに託したい思いが、逆に激しく浮き彫りになってくる。
 言うまでもありませんが、かなり泣きました、私も。

 そして、リサと帰ってきた健吾を待ち受けていたのは、元婚約者の美奈子。
 自分がドナーになる、と言い出します。
 リサの頼みを、わがことのように考えた末の決断でしょうけど、これで事態がさらにややこしくならねばいいのですが。

 さらに、母親の原田美枝子サンに忍び寄る、ゴローチャンの存在。
 なんかリサがドナーになることをやめさせようとして、それで母親から金を巻き上げよう、という魂胆なのでしょうか。 リサのことを考えての行動のような、金づるを手ぐすね引いて引っ張っているかのような。 どうもよく分かりません。

当ブログ 「流れ星」 に関する他の記事
第1回 ダウナーな感覚あふれるフジの月9
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/1-9-cab7.html
第2回 なんか、あっという間でした~ http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/2-2223.html
第3回 一瞬で消えてゆく星、その星への祈りhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/3-f0b3.html
第4回 消えない流れ星http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/4-6d12.html
第5回 生きていてほしいからhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/5-8444.html
第6回 託したい思いhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/6-3966.html
第7回 分かってる、その気持ちはhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/7-9175.html
第8回 思いがはじける瞬間http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/8-2edd.html
第9回 グラス・タワーの緊張感http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/9-ce60.html
第9回 健吾の決断について、補足ですhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/9-cad6.html
第10回(最終回) やさしさが帰る場所http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/10-6223.html

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2010年11月22日 (月)

「てっぱん」 第8週 18歳の店主、どう納得させてくれるか

 新潟にいったん帰ったジェシカちゃん(ともさかりえサン)でしたが、物語はすでに彼女が帰ってこないことが前提で動いている様子(笑)。

 下宿屋の続きのスペースでお好み焼き屋をやることになって、当の下宿の住人たちは 「酒を出すこと」「夜遅くまでやること」「タバコを吸われること」 などに難色を示し、あかり(瀧本美織チャン)に開店反対の意向を明らかにするのですが、普通は店長のジェシカちゃんに言うべきところ。 あかりも 「冬美サン(ジェシカちゃん)が帰ってから…」 と及び腰なのは、致し方ない気がします。

 そして初音(富司純子サン)に 「なんでみんなから反対された時、一言くらい言ってくれなかったのか」 と助け船を求めるのも、厳しい言い方をすれば、自分が主体となってやっていないからこその 「甘え」 なのであります。 当然初音は、その抗議にとりあおうともしない。
 そこをちゃんと描いているゆえに、「このコに任せて大丈夫なのか?」 という不安を、見る側は持つことになる。
 ても、そんな不安の喚起こそが、作り手の意図しているところであるとも言える。

 さらに気になるのが、あかりが働いているかつおぶし屋 「浜勝」 との兼ね合いの問題。
 あかりは開店前の店の前で通行人たちのリサーチをして客層を探るのですが、よくこんなことをやっている暇があるもんだ、という感じもする。
 けれどもこれも、「浜勝」 がこのお好み焼き屋に協力することではかれるイメージ戦略とか、もともとフルタイムで働いてもらうには、あかりの給料を出すのは難しいとか、企業としての思惑も絡んだ結果だと考えると、結構納得できるものがあると思うのです。
 だけどそこらへんを話に出してしまうと、ドラマとしてドロドロしてしまう、つーか(笑)。
 理屈っぽく見てしまうには、ちょっと脳内補完が必要な点はあるんじゃないでしょうか。

 そして最大のキーポイントと呼べるのは、18歳で社会に出たばかりのあかりを、どうやってこのお好み焼き屋の店主としてスタートさせるかです。

 案の定と申しましょうか、ジェシカちゃんは新潟の病弱な父親の手助けをするために、このお好み焼き屋をやめる、と言いに帰ってきます。 そのときあかりは、「うちはこのお店をやりたい!」 と言い出すのですが、その場にいた浜勝の社長(趙珉和サン)や経理の川中美幸サン、折から大阪に来ていたあかりの父親(遠藤憲一サン)、伝さん(竜雷太サン)、ジェシカちゃん、みんなが反対。

 「勤めはどうするの」 という伝さん、「昼間働いて夜だけ店を開ける」 と答えるあかりに社長は 「そりゃムチャや」 と一蹴。 「ひとりでは、無理だと思う」 というジェシカちゃんの話も当然です。

 私がいちばんネックだなあと思ったのは、「酒を出すような店を未成年の娘にやらせるわけにはいかん」 と言う遠藤憲一サンの反対に 「酒は出さんようにする」 と返したあかりの答え。
 夜だけやる店に酒が出ない、というのは、ちょっと商売として成立しなさすぎる。
 おやつ代わりに食べてもらうというのであれば、おやつタイムに開店していなければ。
 私の場合、やはりお好み焼きを食べるときはビールは必携、と言いますか(笑)。 開店第1号のお客さんも、まずビールを頼んでましたよね。 これって商売上ネックになりそうだけどなー。

 初音がもともと、この店をジェシカちゃんにだけ許可していた、ということは、あまりネックとはならん気がしてました。
 なぜならば、初音自身も、本当は店を開けたくてうずうずしていることは、手に取るように分かったので。

 私が初音を見ていてとても感じるのは、この人は経営学とか学んでなくても、経験上それに匹敵する、いやそれ以上の生きた経営学を身につけている、ということです。
 採算のとれるひとり当たりの客単価を熟知していることは当然のこと、ご近所への気配りや店の雰囲気、味に対するこだわりなど、いかにしたら店を継続していけるかが、割合はっきり見通せている気がする。

 そんな初音を開店の方向に動かしているのは、何より娘千春(木南晴夏サン)への思いと、あかりへの不器用な愛情が大きい。
 逆風の中、とりあえず焼くだけ焼いてみよう、と思いたったあかりが、鉄にいの磨いた鉄板でいちばん最初に焼いた広島(尾道)風お好み焼きをまず食べてもらおうと思ったのは、あかりの生みの母である千春。 てっきり初音に持っていったのかと思いきや、あかりは初音を素通りして、奥にある仏壇の前へ。 仏前の千春に、お好み焼きを供えるのです。
 泣けました。
 初音はそんなあかりを、心から応援しようと思ったに違いないのです。

 初音にとって開店のためのいちばんのネックは、父親の遠藤憲一サンが開店を許してくれるかどうか。
 でも当の遠藤サンも、初音が許してくれれば、という気持ちでいる。
 お互いの立場を尊重した、いい構図じゃないですか。

 そしていちばん大事だと思える、あかりの気持ち。

 大阪に来た名目であるプロペラの修理を父親がしているところにやってきたあかりは、遠藤サンにこう話すのです。

 「うち…正直言うて、不安だらけじゃわ。
 お金のことも…商売のことも…まだ、全然分かっとらんけえね。
 でも…あの店やりたい思うたんは、冬美サンの代わりってだけじゃ、ないんよ。

 あのお店は…うちに…尾道と大阪、どっちの家族も、忘れさせんためのもんなんよ。

 おばあちゃんのお店で、お母ちゃんの味のお好み焼きを焼く。

 欽にいの作ってくれた口座に、お店のお金を出し入れする。

 鉄にいが磨いた鉄板を、毎日大事に使う。
 出来はいまいちでも、お父ちゃんの見て覚えた仕事じゃけえね。

 うち…あのお店ちゃんと出来たら…大阪におっても、ええような気がするんよ」

 遠藤サンはそんなあかりに、鉄の溶接の話を引き合いに、あかりの役割はふたつの家族を結び付けるものなのかもしれない、と話します。

 このあかりのお店を開く動機というものは、ちょっと弱いような気もどこかでします。
 あかりは不安を持ちながらも、ちょっと無鉄砲すぎるのではないか、と。
 今すぐ始めんでも、もうちょっと入念な下準備をしてからでもええのではないか、と。 18歳って、店をやるのにはちょっと性急に過ぎるよ、と。

 でもそれ以上に感じるのは、あかりのそんな上昇志向です。
 リスクがあるのは、どんな仕事であれ当然のようについてきます。
 安定ばかりを求める自分にとっては、そんなあかりのベンチャー的な意識が、とても眩しく見える。

 ドラマではそんなあかりを、応援してくれる人たちがいる、という論理でこの無謀さを解消しにかかっている。

 開店のために最大の懸案となるかに思われた金銭的なことも、初音が200万円をジェシカちゃんに返すことで解消。
 ご都合主義というなかれ。
 それだけのことをあかりにしてあげたい、という熱意を、あかりは持っているのです。
 熱意だけでは世の中はまわっていかないのは当然ですが、一生懸命物事にぶち当たっていけば、どこかでちゃんと見てくれている人がいる、と前向きに考えたほうが、ずっと自分の人生の精神的健康にとってよろしいのではないでしょうか。
 ああだこうだと後ろ向きに考えてばかりでは、人生、前には決して進んでいかないものです。

 初音はジェシカちゃんに返したその200万円を、あかりが自分から借りたことにして、毎月いくらでもいいから私に返していきなさい、と言います。 返済途中で自分は死んでしまうかもしれないが、それでも全額返すんや、と。
 これ、すごく後腐れのない話で、感激するジェシカちゃんと一緒に、私も泣かせていただきました。
 こんな、ちゃんと見守って応援してくれる人がいるということは、お金のこと以上にあかりにとってとてつもない財産だと思うのです。
 それがまたもや、天国にいる千春の主導で進行しているところが、また泣ける。

 開店当日、第1号の客は、先ほど書いたようにまずビールを注文。 「お酒は出さない」 と言うあかりに、ちょっと不満そうな顔をします。
 下宿屋の住人の同意を得るために打ち出した 「店は夜9時まで」「酒は出さない・たばこも禁止」 という店の経営方針に、ちょっと一抹の不安も感じさせます。
 ただそこから、あかりがどのように、このお好み焼き屋を成長させていくか。
 経営者としての知識豊富な初音の出番も、きっとこれからだと思うのです。
 そのことを考えると、先行きが楽しみなドラマになってきました。

 ジェシカちゃんとあかりのテーマ曲でもある 「銀河鉄道999」。
 ジェシカちゃんはお好み焼き屋の開店を見守ったあと、別れのホームで、こう話します。

 「おのみっちゃん、これからどんなことがあっても、上だけ見ていこう。

 雨でも曇りでも、必ず星は見えるからね」

 その意味が分からずきょとんとするあかり。
 ジェシカちゃんとの別れのシーンも、泣けました~。

 その晩、いままで初音と続きの部屋で寝ていたあかりは、けじめのためにジェシカちゃんのいた部屋で今後は寝るようにと初音から言い渡されます。
 と同時に初音からの開店祝いが、やけどの塗り薬。
 苦労知らずのあかりの手がやけどの跡だらけになるのに心を痛めた初音の思いやりにも、ぐっと来るものがありました。

 ジェシカちゃんのその部屋に入ったあかりは、天井に星のオブジェクトが飾られていることに気付きます。
 このことだったのか…。

 上だけを見ていく。

 なんて、眩しいんでしょう、こんな生き方。
 下ばかりを見てお金が落ちていないか探しているような(笑)人生を送っていた自分も、ハッとさせられるような話であります。
 このことに気付かせてくれただけでも、このドラマを見ていた甲斐がありました。
 これから、どんな試練があかりを待っているんでしょう。

「てっぱん」 に関する当ブログのほかの記事
第1回 名作の後番組は、ハードルきついですよね
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/1-8eb5.html
第1週 どこまで、ついていけますかね?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/1-c996.html
第2週 相変わらず、ゴーインな脚本ですがhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/2-69b4.html
第3週 物語が、駆け出したhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/3-ed2e.html
第4週 ちょっとキツイかもhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/4-0d8a.html
第5週 居心地が、作られつつあるhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/5-a598.html
第6週 真夏にナベとか…(笑)でも、いいドラマですhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/6-0ce4.html
第7週 舌に残る記憶、舌に受け継がれる味http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/7-7f4f.html

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2010年11月21日 (日)

「セカンドバージン」 第6回 わわっ…知~らないっと!

 相変わらずのっけからネタバレですが、ついに、深キョンがるい(鈴木京香サン)と行(長谷川博己サン)の仲を、知ってしまいましたねー。
 …と、このことはのちほど述べることといたしまして。

 秋夫・ウィリアム・ターナー(布施明サン)の誘いに乗って、函館への夜行列車に乗ったるい。 鈴木行を忘れようとする旅だったのですが、思い出すのは行のことばかり。

 分かるなあ、この感じ。

 特に男ってのはあきらめの悪い人種ですから(笑)、失恋した後もだいぶそれを引きずってしまうものです。 どこに行っても何をしても、ああ彼女とここに来た、これと同じことをした、などといちいち考えてしまう。 それがまた、悲しみを増幅させるのです。

 ともかくそんなるいに秋夫は、「無理せずに生きたらいいよ…そう!その曖昧な顔を、人にも見せたらいい」 と、実に的確とも思えるカウンセリングをするのですが、るいはこれほどまでに出来過ぎた男にも、なんとなく食指が動いてこない。 まんぷく海鮮丼も、効果なし(笑)。

 ところで前回、秀月センセイ(草笛光子サン)がいきなりるいの会社(新海社)と絶縁宣言、敵対関係勃発となったことですが。

 これを機に秀月センセイなしで一から再スタートしよう、という段田安則社長のセリフを聞いていて、もしかすると自分におんぶにだっこの状態から脱却しなさい、という、ライオンの子供を谷底に的な秀月センセイの親心なのかなーとも思ったんですけどねー。

 どうも秋夫の話によると(又聞きなので確証なしですけど)、秋夫とるいの関係に横やりを入れたようなんですよ。 なんかちょっといい年して大人げない、と申しましょうか、まあステーキばっかり食べているから、いい年してもギラギラなんでしょうなあ、というか(笑)。
 でもこんな説明で終わってしまって、秀月センセイがこれ以上ドラマに絡んでこないというのは、ちょっともったいない気もします。 もっと裏があれば面白いんですが。

 さて自らの申し入れで、専務から総務へ鞍替えしたるいですが、部署の人たち、やりにくそ~…って当たり前か(笑)。
 そんなるいを訪ねてきたのは、るいの息子、亮(綾野剛サン)の恋人、愛子(YOUサン)。
 いきなり霊能者のごとく、男と別れたでしょーと鋭く指摘(笑)、亮とケンカしたからるいの家に置いてくれ、と頼み込みます。
 このYOUサンの存在が今回、大いにるいの慰めになるのですが、こちらもずいぶん癒されました~、このギスギスしたドラマの中で。

 「あ~んなバカ女に気後れしてどーすんのよ!」(笑)

 しゃべっちゃったんですね、るいはYOUサンに洗いざらい。 分かります、こんなフランクな同性になら。

 「カンケーない」「カンケーない」「カンケーないね!」

 るいのネガティヴな気持ちにこれでもか、というほど強く自己肯定を強いてくるYOUサン。

 「あっちが妊娠してるなら、こっちも妊娠しちゃいな」「奪い取りな…絶対、奪い取りな!」

 その論調があまりにも過激であるがゆえに、るいの常識的な意識はずいぶん引いてこのYOUサンの忠告を聞いたと思うのですが、どこか心の底で、るいは 「そんな自分勝手な積極性もアリか」 と思ったように感じるんですよ。 それが今回ラストの、タガが外れた行とのキスシーンにつながっている気がする。

 「鈴木…なめんなよっ!スズキーっ!」(笑)

 行の自宅に向かって声を殺して怒鳴るYOUサン。 笑いました(実は私も仕事でいやーな鈴木がおりまして…笑)(いい鈴木サンには、心よりお詫び申し上げます)。

 「まだバレてないからいいけどさ、あの手の女は第三者巻き込んでいくからね。
 会社にいられないようにするよ、きっと。
 被害者意識の強そうな女だからさ、自分がかわいそうだって世間に向かってわめき散らすよ絶対。
 あっちは無名だからいいけどさ、るいちゃんと鈴木行は社会的地位があるから、やられたら痛いよ」

 このYOUサンの深キョンに対する分析、この先の展開の水先案内ともいえる的確なもののような気がします。 ズバッ、グサッ…とゆー感じ(笑)。
 これって言わば近所の奥様連中の茶飲み話の延長上そのものなんですけど(笑)、だからこそ興味津々で聞けるし(笑)、この分析が今回ラストの衝撃性をより一層高めていますよね。

 そしてもうひとつ、今後が大変だぁ~と思わせるシーンが、母親(朝加真由美サン)から行と別れたらどうかと言われた時の深キョンの反応です。

 「もしかしてママ、行クンのことが好きなと?
 だって行クンと私を別れさせようなんておかしかもん。
 行クンは私の夫なと!
 お仕事よりも何よりも、私のことを愛さないといかんと!

 行クンはもっともっと、私のことを愛さないといかんと!

 もっともっと、…もっともっと!」

 自分のことを思って忠告をしてくれている母親にさえ疑惑の目を向け、子供が駄々をこねるように夫を占有したいと思いつめてしまう…。 そして、ブチ切れる。
 こりゃバレたらそれこそとんでもないことになる…と思っておったのですが。

 あまりにも辛すぎる空白期間が続いた後、ある夜、自宅玄関前で鍵を落として 「よっこらしょ」(違うか…笑)と言ってしまって苦笑いし、かがんだままのるいの前に、行が偶然通りかかる。

 「るいさん…」

 るいは感情を無理やり押し殺して自分の家に急いで入ってしまうのですが、早技のように行はるいのあとを追って玄関に入り込む。

 「嫌…行サンでないと…」

 立ちすくんだままじっとしていたるいは、そう言うが早いが行に向かってキス。

 「どうして私を迎えに来ないの?

 イギリスに行っちゃうから…。

 行っちゃうから、行っちゃうから!」

 あ、るいは秋夫から、イギリスの実家に行こうと誘われているのです。

 玄関先で激しく抱き合うふたり。

 キスもしまくり。

 このところ抑圧されていただけあって、この性的表現はR-15指定さながらの激しさです。

 同時刻、ケータイのGPS機能で行が自宅に来ていることを確認した深キョンは、なかなか帰宅しない行を迎えに出ようと、自宅から出る。

 深キョンはふと見たるい宅の玄関奥で、激しく抱き合っているふたつの影を確認。 そこに近付いていく。

 ヤバイヤバイ、やばいよォォーっ!(笑) こんなにドラマを見ながらドキドキしたのは、久しぶりです(笑)。

 玄関付近では、飼い猫のレタ君に見守られてくんずほぐれつしているふたり。 ヤバすぎる!(笑)

 そしてついに、玄関の扉を開けてしまう、深キョン(!)。
 あーあ、ついに見ちゃった!(知ーらないよ知らないよーっ)(半分ふざけてスミマセン)

 それにしても。

 深キョンのその時の目はまるで、レタ君の目のような、まさしく 「目がテン」 状態。

 この表現には、シビレまくりました。

 レタ君と深キョンを、こんな形でシンクロさせるとは。

 次回このレタ君と深キョンは、…どうもなんかやーな予感。

 まあ、こけおどしであることを願います…(笑)。

 なお、一部下品な表現があったことを、心よりお詫び申し上げます…。

「セカンドバージン」 に関する当ブログほかの記事

第1回 セレブの恋愛に、興味なし…ですけど
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/1-5dd1.html
第2回 冒険してもいい頃? http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/2-ded4.html
第3回 あーあ、やっちゃったよhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/3-68b7.html
第4回 ああーっ、修羅場だぁ~っ!(笑) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/4-ba7f.html
第5回 秀月センセイの真意って… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/5-208c.html

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2010年11月19日 (金)

「龍馬伝」 第45回 安らげる場所

 またまた遅ればせの記事になってしまいます。 たぶんこの次の回(「土佐の大勝負」、今週放送分)がクライマックスの感があるのですが、まだ未見です。 ご諒承のほどを。

 ミニエー銃を手に木戸(谷原章介サン)らを説得するため長州入りした龍馬(福山雅治サン)。 けれどももはや龍馬のパワーバランス論とかいうレベルではお話にならん、というほど、情勢は緊迫化しきっている。 木戸もその場にいた薩摩の大久保(及川光博サン)も、木で鼻をくくったような返事しかしない。 「完膚なきまでに叩いておかないと、幕府はいつまでたっても新時代の火種になりうる」 という理論に、龍馬は太刀打ちが出来ない。

 「龍馬伝」 を見ていていつも思うのは、龍馬の理想や夢が、現実には実効性がないだとか甘っちょろいとか、そんなふうにしか思われないもどかしさです。 もうちょっとまっすぐな理想ばかりでなく、万人を納得させるような龍馬の理論が展開されないものか、というもどかしさ。
 そんな考えから、話を蒸し返すようですけど龍馬の行動を 「上っ面」 などと評価してしまうのですが、それは決して、龍馬に対する批判でそう表現したわけではないのです。

 つまりこのドラマは、龍馬の夢と現実世界との乖離にも、焦点を当てているようにも思えるからです。

 龍馬が求めた理想社会を、この世の中の大人たちは、批判的な冷笑で傍観してしまう。

 「そんな子供だましの話、誰が納得するか」、というように。

 でも、そんな子供のような情熱を、大人はどこで捨ててきたんでしょうか。

 そんな世情に対する、作り手の大きな皮肉がこのドラマには隠されている、そう私には思えるのです。

 だからこそこのドラマでの龍馬は、ただ純然たる理想のもとに、甘っちょろいだの現実を見ていないだのいう木戸や西郷や大久保などの批判に目もくれず、一直線に突き進んでいく。
 「坂本龍馬」 は、そういう人間だったのではないでしょうか。
 そんなわき目もふらず大人の論理にも与せず、自分の信じる世界のためにただ出しゃばりのごとくあっちこっちに首を突っ込んだ男。

 そんな龍馬。

 第4部に入ってから疾走し続けた感があるのですが、長州入りすることで、三吉(筧利夫サン)にかくまわれていたお龍(真木よう子サン)と再会する。
 龍馬を目にするなり、いきなり駆けよって抱きつくお龍。
 当時の恋愛感情表現からすれば、大きく逸脱していることは間違いない(笑)。
 「誰がおばちゃんや!」 というコワーイオネーサン(笑)がここまであけすけに抱きついてしまうことに、オッサンは胸キュンなのであります(笑)。 相変わらず、「史上最大のツンデレ」 の名をほしいままにしております、お龍。

 明日土佐に旅立ってしまうと言う龍馬、そんなお龍としっぽり行くかと思いきや、奇兵隊の人々の来訪によりそれがオジャン。
 熱~いお風呂を沸かして待っているお龍が戯れに床に散りばめたモミジの葉が、一面に広がっていく様は、さながら一幅の名画のようでした…が(笑)、エレー長いシーンでした~(笑)。

 そしてそのあまりの長さと正比例しながら、朝帰りした龍馬を待ち受けていたものは、お龍のピストルによる威嚇(笑)。 お龍の怒り爆発!であります。
 じょーだんに思えないから(笑)、龍馬も顔が引きつること引きつること(笑)。

 ここらへんの緊張感が、お龍には常について回っている。

 お龍の人物像についてはよく知りませんけど、お龍をそんな抜き差しならない切羽詰まったキャラクターにすることで、このドラマはなぜ龍馬がお龍と結婚したのか、という説得力を醸成している気がするのです。 私は支持派です(笑)。

 そんなお龍を、三吉はいみじくも、「坂本さんが帰る場所は、お龍どのですから」 と指摘する。
 同時に三吉は、龍馬のことは好きだが、自分はその前に長州の人間である、ということも吐露する。
 ここにも冒頭で私が書かせていただいた 「理想と現実の差」 というものを感じてしまう。

 船の出航が一日遅れ、龍馬はあらためてお龍と一日過ごすことになります。
 この 「もう一日」、なんてことないシーンの連続でしたが、「帰る場所」 で安らぐ龍馬、そしてお龍の与える安心感、じゅうぶん堪能させてもらった気がするのです。

 けれどもここでの一日が、龍馬とお龍の最後の一日になってしまう。

 龍馬とお龍の別れのシーン、そりゃふたりにとってはこれが今生の別れになるとは全く考えもしていないことです。
 だからこそ余計に、泣ける。
 「また戻ってくるき」 と言いながら、スローモーションでお龍のもとを去っていく、龍馬。

 ふたりの過ごした時間のあまりの短さを思うと、いたわしい限りであります。
 と同時に、いったいお龍にとって龍馬はどれほどの重要さを人生において持っていたのかな、なんてふと現実に戻って考えたりもします。
 今回本編後の龍馬伝紀行で、お龍は龍馬の死後坂本家に身を寄せたが半年でそこを出、再婚したそうですが、なかなかいろんなことを考えさせてくれる 「その後」 の消息です。

 まあドラマ上の設定ですが、龍馬はお龍の気の強さに、乙女姉やん(寺島しのぶサン)との共通項を見出していたみたいで、そこに惹かれたと思うんですよ。 似た者どうしうまくいきそうな気もしますが、気が強い者どうしだったから結構衝突したのかなあ(笑)。

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2010年11月18日 (木)

「ギルティ 悪魔と契約した女」 第6回 まだ霧の中

 前回とうとうカナヤまで自殺に追い込んでしまった芽衣子(菅野美穂チャン)ですが、その際に真島(玉木宏サン)が刑事であることを知ってしまいます。

 それを知ってしまってからの芽衣子の真島に対する表情が微妙に変化して、まるで真島を利用しようとするかのような目つきを時折見せる。

 真島の優しさや、抱きしめられたことを思い出していた芽衣子は、いったいどう感じたのでしょうか。
 「あれって利用しようとしただけ…?」 という感じなんじゃないかなー。
 だって明らかに、利用するにしては抱きつきとか行きすぎている感じがするし(笑)、利用するために男の色香(なんだソレ?…笑)を行使したとすれば、いくらイケメンでも 「なにその 『オレはモテる』 的な自信満々」 と思わざるを得ないでしょう(笑)。

 そして芽衣子の次の標的は、フリージャーナリストの堂島(唐沢寿明サン)。
 この堂島を演じる唐沢サン、かくもシリアスなドラマのなかにあって、ただひとりチョー受ける男。 今回も、鋼のようにガチガチに固い女の吉瀬美智子サンに向かって腰を振りながら 「マリリンちゃ~~ん」…ですからね(笑)。
 芽衣子からの電話に 「はい、竹野内豊です」 には爆!でしたが(「流れ星」 の評判を気にしたアドリブなのか、ただ単に男としての嫉妬なのか…笑)、殺してしまうにはあまりにも惜しい(笑)。
 芽衣子は長年離れ離れの最愛の息子の写真を堂島に送りつけ、復讐モード全開なのです。
 かと思いきや…あ、ネタバレですよー(笑)、実は堂島が…(見てない人読まないで!)









 …芽衣子の協力者だったとは!

 ストーリー的なことはわきに置いといて、こういうどんでん返しを見せられると、この先にもこれ以上の意外な展開が、待ち受けているような気がしてならなくなってくる。
 ああじゃないかこうじゃないか、という想像が、いかようにも出来てくるところは、この手のドラマを見るひとつの吸引力に思えてならないんですよ。
 ここまで意外な展開ならば、ペットショップオーナーの横山めぐみサンが事件に絡んでくるとか、そんなことまで予想の視野に入ってくるんですからね。

 私の場合、どう見ても芽衣子の冤罪事件のいちばん奥にいるのは宇喜田(吉田鋼太郎サン)としか思えないのですが、そもそも宇喜田をそんな隠蔽工作に走らせている大元のモノとは何なのか、これがドラマを見ていて今のところ全く見えてない。

 この宇喜田、真島のトラウマとなっている同僚刑事の殺人に関わって無罪放免となっている溝口(金井勇太サン)を動かして、今回芽衣子をスタンガンで襲わせるのですが、真島のトラウマになっている事件との関連性も疑われてくる展開かと。 アンのおかげでその現場に急行した真島は、溝口ともみ合いの末、スタンガンの電流をもろに浴びてしまう。
 蛇足ですがこの溝口、「X-ファイル」 に出てきそーな宇宙人のお面をかぶって犯行に及ぶのですが、吉瀬サンから 「どうしたの?」 と訊かれた玉木サンが 「宇宙人に襲われた」 と返答したのには、またまた爆!でありました。

 それにしても冤罪事件の真相なんですけど、そもそも私が見てない第1回目に自殺をした桜葉館学園の元理事長、という人がなんかよく分かんない。
 どうして裁判で芽衣子に不利な証言をしたんでしょうね、この人。

 で、協力者だった堂島と一緒に、この事件の奥を調べようとしていた芽衣子だったのですが、ここにきてちょっと手詰まり。 真犯人への本当の復讐を実現させるために、真島まで利用することになるのかなあ、この先。

 「自分の罪は自分で償う。

 誰かに罪をなすりつけるなんて絶対に嫌。

 それがたとえ、復讐したい相手でも」

 三輪(モロ師岡サン)をスケープゴートとして犯人に仕立て上げようとする堂島に対して、芽衣子はこう言い切るのです。

 ここから分かるのは、芽衣子はすでに、出所後に起こした連続不審死の先導役としての罪をかぶる覚悟はできているらしいこと。
 そして、ちゃんとした真相も分からないで、誰かを(この場合三輪を)断罪することなどできない、という心情を抱えていること。
 つまり芽衣子の本当の目的は、冤罪の奥に潜む真実を知ることなのです。

 いったい芽衣子は、宇喜田、そしてその奥に潜む真相に、たどり着くことが出来るんでしょうか。

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2010年11月16日 (火)

「流れ星」 第5回 生きていてほしいから

 おことわり この記事、エライ長いです。 スミマセン。

 兄健吾(竹野内豊サン)の契約結婚、自分の病状、…本当のことを知ってしまったマリア(北乃きいチャン)は、病院から姿を消します。 今回の 「流れ星」 は、そのなかで明らかになっていくマリアの出生の秘密に物語のメインが据えられていました。 そこから、竹野内サンや母親役の原田美枝子サンが持っていた一種独特のダウナーな雰囲気の正体が、明らかになった気がしました。

 ところで前回の記事で誤認があったことをまずご報告いたします(笑)。 マリアはリサ(上戸彩チャン)がつけてくれたネイルを剥がしてしまった、などと書いたのですが、剥がしてませんでしたね(汗)。 どうやら一晩中悩んでカリカリしていたあいだに、星型のチップだけ取れてしまっていたようです。

 でもそこから分かるのは、マリアがリサを心から拒絶しているわけではない、ということですよね。 今回の話を見終わって予告まで見ての感想なのですが、そこにひとつの望みが託されているような気がします。
 そしてリサがつけてくれたマニキュアのオレンジ色。
 これが今回の話のカギを握っていました。

 実は出生の秘密、というものに、私自身はあまり興味がないタイプなのですが、このドラマの作り手は、それをただの打ち明け話として処理することを許さなかった。 すごいなあと思います。 この話はのちほどあらためてすることにいたしまして。

 まずどうでもいいことなんですけど。
 このドラマ、タイトルバックが番組冒頭に来たり、ラストに来たりしますよね。
 これって、すごい緊張感を誘う演出のような気がするんですよ。
 今回は番組冒頭。
 ラストにとんでもないことが待ち受けている、ということを、ここで否応なく予感させるのです。
 この手法、あまり使うと視聴者が慣れてしまうような気もするんですけど、いまのところはドラマを見る側がそのことで物語にのめりこむ加速がつく効果を生んでいる気がします。

 いなくなったマリアのことを母親には黙っていて、とリサに伝える健吾。
 そして警察へ捜索願を出してから、前の婚約者美奈子(板谷由夏サン)にケータイで、それとなくマリアのことを尋ねるのですが、ここから美奈子が今回の契約結婚のことについて知ってしまうくだりは、美奈子の心理状態が微細に描かれていて、すごく自然な流れでした。

 マリアが大好物を食べなかったことを病院に行って訊こうとしている原田サンにリサが戸惑っているところに、美奈子がやってくる。 リサの姿を見て、何者なのこの人?という表情の美奈子。 その気持ちをわきに追いやりながら、原田サンに 「マリアチャンどうかしたんですか?」 と尋ねる。 健吾が肝心なことを話さなくても分かってしまう、美奈子の元婚約者としての強みが悪い具合に作用してしまっています。
 結局原田サンはマリアが失踪したことを知ってしまい、美奈子は自分が移植を断ったせいだ、と済まない気持ちを募らせるのです。 「あんたのせいじゃないよ…私の肝臓がいやだったんだ」 と話してしまうリサ。
 そこに健吾が戻ってくる。 気まずい雰囲気をなんとかしようと、リサは 「手術が終わったら離婚するからさ」 ととりなそうとするのですが、それが逆効果。

 意を決して、本当のことを打ち明ける健吾。
 そのことにショックを受けながらも、それでも別れ際に、美奈子はマリアのことを案じるのです。 元婚約者のそんな一面を見ながら、自分の心の一部が引っかかれたように感じているかのような、リサ。

 どうってことないシーンなのですが、「流れ星」 というドラマの良さが凝縮されているシーンのような気がするんですよ。

 「どうして話してくれなかったの?」「母さんに心配させたくなかったから」「私はマリアのことを心配しちゃいけないの?」「そうじゃなくて…」
 美奈子が帰ったあと、原田サンは健吾を責めるのですが、このやり取りも互いの優しさが感じられるシーンでした。

 ここで展開されるこれらの話は、登場人物がみんな、優しい気持ちをそのまま行動に出している。
 けれどもそれが結果的に、知られたくないことを相手にさらけ出してしまい、相手を傷つけてしまう。
 そんな、「善意によるナイフ」。
 人を傷つけたことで自分も傷ついた経験がある人ならば、誰しも強いシンクロ感を抱くのではないでしょうか。
 ここが 「流れ星」 というドラマの、最大の魅力なような気がします。

 そしてそんな微妙な演技を堪能させてくれる役者さんたち。 優れた心理劇を見るような感覚です。

 失踪したマリアは、行動を共にしているリョウタクン(桐山照史クン)に何の気なしにこう話します。

 「私さ、もうすぐ死んじゃうんだー」

 それに対するリョウタクンの反応が、またいい。

 「マジで? オレも一緒や。 奇遇やな~」

 マリアはそんなリョウタクンの懐の深さに、とても安心したような表情を浮かべます。
 マリアに誘われラブホに入っちゃうリョウタクン、男の生理としてはとーぜんなのですが(笑)、「どーせ死んじゃうんだから」 とキスをしようとするマリアを、リョウタクンは拒絶する。 リョウタクンを拒絶させるものは、マリアの投げやり感なのです。

 「やめろ、そんなふうになんの」

 若さゆえに、投げやりな部分が我慢できない、というリョウタクンの心理には共感します。

 そしてここで、いくらリョウタクンに心をサルベージされつつも、ややもすれば簡単にネガティヴな方向に気持ちが傾いていってしまう、マリアの危なげな心情もちゃんと描かれている。 これが次回以降にも、物語に微妙な影を投げかけそうなんですが。

 そしてここで、マリアの出生の秘密が明らかにされていくわけですが、興味がないながらも簡単に書きますと(笑)、マリアは健吾の父親の浮気相手との間に出来た子供で、山梨で赤ん坊のころ暮らしていたらしい。 それが火事で両親を失ってしまい、残されたマリアを原田サンが引き取って育てた。 健吾の父親が亡くなったのは、墓碑銘によると1995年、ということですから、2歳までマリアは父親と一緒だった、ということになりますかね。

 このことはマリアが高校を卒業するころに話そうと原田サンと健吾は決めていたらしいのですが、マリアはすでに、そのことを知っていた。
 リョウタクンにそのことを話しながら、家族に対して済まない思いを口にするマリアに、リョウタクンはこう返します。

 「迷惑か…。 そんな、オレもかけっぱなしやけどなぁ。
 移植必要になってからは、家族てんやわんやでな、ドナー頼んで回ってくれたせいで親せきとビミョ~な感じになってるみたいやし、ネーチャンなんかな、妊娠したこと謝ってきよった。 なんやねんソレ。 めでたいわフツーは。

 …だから、オレも一緒や」

 そういえば、原田サンと健吾が親せきを頼ってドナーを頼んだ時も、そんな感じでしたね。 リョウタクンのこの話には、話しっぷりが明るいだけに余計、泣けましたわ。

 マリアが山梨のことを話していた、というリサの記憶を頼りに、健吾とリサは山梨へと向かう。 ちゃうって! マリアとリョウタクンは、浅草やって!(笑)と言いたくなりましたが、いきなり居場所が分かってしまうより、こうした迂回路を見せることのほうが、よりリアリティが増す気がするんですよ。

 山梨へ向かう車のなかで出生の秘密も語られるわけですが、と同時に、上着をかけてくれたり、健吾の優しさにリサが思いを募らせていく経過も、きちんと描かれていました。
 「いいよかけてくれなくても」 と一度は拒絶していた上着。
 それがまたかけられていたのを朝、車のなかで目覚めたリサは気付きます。
 その健吾のジャケットを、リサはぎゅっと握りしめるのです。
 見る側の気持ちも、ぎゅっと握られるような感覚に陥りました(あ~もう、ドラマにハマっとんなぁ~…笑)。
 起きてきたリサに、健吾は温かい缶コーヒー?を差し出す。
 あまりにさりげなさ過ぎて、男としては嫉妬を覚えます、竹野内サンのこの優しさ(笑)。

 そしてもうひとつ山梨で明らかになったのは、父親が残していった、健吾への思い。
 渡されることのなかった就職祝いのコンパスに刻まれた、「To Kengo」 の文字。
 教会に眠る父親の墓の前でそれを見ながら、父親のその思いが、胸の中へ徐々に入り込んでいくかのような、健吾の表情。
 ここでもじわじわ泣かせます。
 その場を偶然見てしまった、リサのばつの悪そうな、そしてなにものかを感じ取ったような表情。
 なんか微妙すぎて、物語にぐんぐん引き込まれるんですよ。
 その父親の思いがまるで通じたかのように、自分のネイルを見てふと、それまで思い出せなかったことを思い出したリサ。
 それは、マリアに塗ってあげたマニキュアの色から、オレンジの海のことをマリアが話していたこと。
 オレンジの海について何か知っていることはないか、と原田サンに尋ねた健吾は、海のない山梨にある、そのオレンジの海の見える場所へと急ぎます。

 果たしてその推測はぴたりと当たり、具合の悪くなったリョウタクンを病院に残して湖のほとりに座り込むマリアを、健吾とリサは発見するのです。

 マリアはやってきた健吾に対して、 「リサさんから何も貰いたくない」 とドナー拒否を決めたことを話します。
 そこにやってきた、原田サン。
 原田サンはマリアを引き取った時にどうしても納得が出来ず、この湖で死のうとしたことがあったと打ち明けるのです。
 でも、「オレンジ色の海だよ、お母さんきれいだね」 とはしゃぐマリアの顔を見て、自殺を思いとどまった、というのです。

 それを聞いて、湖に一直線に入って行こうとする、マリア。

 自分がどれだけ家族に迷惑をかけているか、分かりすぎるくらい分かっているために、そのお母さんの告白を聞いたマリアは、余計に絶望したのです。
 もちろんお母さんのほうは、そんなマリアと一緒に生きていこうと決めたことをいちばん訴えたかったのですが、いちばん訴えたいことが伝わらないことは、本当によくあることです(ブログやってても自分の表現力の拙さに時々打ちのめされます…笑)。
 それを必死で止めようとする健吾。

 「どうして話してくれなかったのよ! 移植するってことも、ドナーがいなかったってことも!」

 「それは…」

 「かわいそうで言えなかった?」

 同情されながら生きていることに我慢がならないマリアの心情も、この一言に凝縮されています。 そんなマリアに、健吾はこう訴えるのです。

 「…生きててほしいから…!」

 それでもその訴えはマリアに届くことがなく、マリアはさらに湖の深みに向かおうとする。

 それを見ていたリサは我慢できず、それを止めようと自分も湖に入っていく。

 でも、やはりマリアは、それも振り切る。

 そこに母親の原田サンが入って行って、マリアを抱きしめ、ようやくマリアを阻止することが出来るのです。

 ここでは出生の秘密がもたらした、家族の間に重たくわだかまっていたものが、湖の底の砂がかき乱されるように大きく舞い上がった瞬間のように思えました。

 そして重要に思えたのは、ここでは原田サンもリサもマリアも、自殺をしようとした点で共通する間柄になった、ということです。
 さらに、ここではリサは結局、マリアを止めることはできなかった。 このことがリサに与えたショックというものは、相当なもののように感じます。 結局家族にはなれない、そんなあきらめがリサを直撃しなければいいのですが。

 そのうえ、マリアは結局原田サンに止められたわけですが、次回予告を見る限り、完全にマリアのその心を完全に止められたわけでもないらしい。 互いに引きずっている傷が、そんなに簡単に修復の効かないものであることが、とてつもないリアリティを感じさせる。
 「生きていてほしいから」 という健吾の願いは、とてもストレートではあるけれども、なかなか届かない。 海に落ちた流れ星は、消えずに残っていくものなんでしょうか。

 出生の秘密を単なる打ち明け話として済ませなかった作り手の力量には、感服であります。

 そしてその感動的なシーンのすぐ後に、岡田家に不法侵入してまで、その秘密を写メに撮るゴローチャン。 マリアの病院の看護婦(あっ看護士、か)を籠絡した末のこの犯罪行為。

 エレー好感度ダウンの所業なんですけど(笑)。 なんか、すんごいやり過ぎ感が漂ってます(笑)。 なんなんだ、この男(笑)。 「ビンゴ!」 じゃねーよ!(笑)

当ブログ 「流れ星」 に関する他の記事
第1回 ダウナーな感覚あふれるフジの月9
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/1-9-cab7.html
第2回 なんか、あっという間でした~ http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/2-2223.html
第3回 一瞬で消えてゆく星、その星への祈りhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/3-f0b3.html
第4回 消えない流れ星http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/4-6d12.html
第5回 生きていてほしいからhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/5-8444.html
第6回 託したい思いhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/6-3966.html
第7回 分かってる、その気持ちはhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/7-9175.html
第8回 思いがはじける瞬間http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/8-2edd.html
第9回 グラス・タワーの緊張感http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/9-ce60.html
第9回 健吾の決断について、補足ですhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/9-cad6.html
第10回(最終回) やさしさが帰る場所http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/10-6223.html

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2010年11月15日 (月)

「獣医ドリトル」 第5回 動物の死ぬのには、お手上げであります

 特別ドラマが1週入ったために久々のお目見えの 「獣医ドリトル」。
 1エピソードにかける時間が短くて、とても駆け足に見えるのは相変わらずなんですが、今回の話は泣けました。

 なにしろ、(あっ、あらためて言うまでもありませんがネタバレです)ドリトル(小栗旬クン)がこのドラマでは初めて動物の命を助けることが出来ず、野良犬でしたけど、死んでしまうのです。

 この死に顔、わが家にも長年の間何代も犬を飼っているせいで感情移入し過ぎるきらいがありますが、ホントに犬が死んだときの顔なんですよ。 目も口も、かすかに開いたままで。
 もう、歴代の飼い犬の死に目を思い出して、涙が止まりませんでした。

 これはドラマに対して抱く感想とはちょっと別モノではある気はするんですけどね。

 つまり私が泣けたのは、ドラマのなかでの犬の死に顔ではなく、わが家で飼ってきた犬に対する、複雑な思いからです。 優しい気持ちで泣いているのではなく、ああしてやればよかったという後悔の念、とか、最後まで頑張った犬の健気さにとか、そんな部分から、泣けるのです。 ちょっと個人的感情が入りすぎております。

 そして徐々に心拍が弱まっていくこの野良犬に、ドリトルが必死のお形相で 「死ぬな!」 と叫び続け、電気ショックを与え、心臓マッサージをするところ。
 これも、これまでどんな難しい手術でも余裕の表情で施術を行なってきたのと大きな違いで、それがドラマとして大きな効果を生んでいたし、実際とても感銘を受けました。

 その演出の見事さに引っ張られて、いつも消化不良感が残るゲスト出演者たちの役の事情、中村敦夫サンの心情にも大きく感情移入することが出来ました。
 個人的には 「JIN-仁-」 で藤田まことサンの代役を務めた中村サンが、またこのシーズンに日曜劇場の医療ドラマに出演されたことへの感慨も大きかったのですが。

 それと、その中村サンと袂を分かった娘役の国仲涼子チャンの演技にも引き込まれました。 なんか個人的にはずいぶん久しぶりに拝見したのですが、女っぷりが上がってますなあ…。 NHKのドラマあたりでもっと見たい気がしますです。 「ちゅらさん」 の続編はそーとー厳しいでしょうが…。

 それにしても、動物たちの演技に慣れてきたせいもあるのかもしれませんが、今回は国仲サンが仕事で預かっていたウサギとか、中村サンが娘と同じ名前を付けてかわいがっていた小型犬とか、もちろんその小型犬を助けて絶命してしまった野良犬とか、動物たちの演技にとても引き込まれました。 1エピソードが駆け足すぎるせいで、中村サンと国仲サンが父娘だった、というドラマによくありがちな 「狭い世界」 にも、さして違和感を抱かなかったですし(あ~あ、まっいーか、という感じ…笑)。

 そしてその 「まっいーか」 と思わせてしまう裏には、ドラマの外枠において進行していく、國村準サンや成宮寛貴サンの話、さらにそれに大きく絡んでくるように見える山本學サンの存在があるのです。

 國村サンは総合動物医療センターのオープニングスタッフとして成宮サンを迎え入れるのですが、それは事業の知名度や信用度を上げるためにそのカリスマ獣医としての知名度を利用しているためであること。 国会議員(大臣でしたっけ?)が事業に協力する意向を強めているわきで、成宮サンをいかにもな目つきで見つめる國村サンの目の演技。 シビレます。
 そして手術が出来ない自らの致命的な欠点を、この総合動物医療センターの持つ分業制、という部分に活路を見出し、利用されているだけとは知らずに國村サンに接近していく、成宮サンの一途さと悲しさ。
 この部分が、このドラマに奥行きを与えている気がするのです。

 そして個人的には最大の謎になってきたのが、山本學サン。

 この人、いきなりドリトルの前に現れて、「東大医学部に受かったのにどうして関東獣医大になんか行ったんだ!」 と激高しまくるのですが、「この人鳥取先生のお父様?」 と訊いてくる井上真央チャンに、ドリトルは 「知らない人間だ、認知症だ、警察に通報する」 の一点張り。

 ところがですよ、山本學サンは今度は國村サンの病院に押しかけ、全く同じことを國村サンに向かって怒鳴り込むんですよ。 「東大医学部に受かったのにどうして関東獣医大なんかに行ったんだ!」 って。
 こちらはどうやら本物の父子だったらしく、國村サンは父親を冷たくあしらうのですが、これって…。

 山本サンは確かに認知症が若干入っている役どころであるみたいなんですが、國村サンとドリトルは、親子なのか?…と思わせる部分も捨て切れない。
 でも以前ドリトルのもとに治療依頼をしに来た國村サンは、ドリトルとは初面識だった感じだし、少なくと國村サンはドリトルを自分の息子だとはゆめゆめ思っていない感じ。 ドリトルも同様です。

 ここらへんの謎の絡ませ方が、とてもうまくいっている気がします。 今後の展開も、大いに期待できる感じです。
 ドリトルに助けられなかった命があった、ということの開示も含め、ドラマ的な重層構造が効を奏してきた気がとてもするのです。

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2010年11月14日 (日)

「てっぱん」 第7週 舌に残る記憶、舌に受け継がれる味

 「てっぱん」 というドラマにおいて私が望んでいるのは、初音(富司純子サン)とあかり(瀧本美織チャン)が20年余りの間閉めていたお好み焼き屋を開店すること。 伝さん(竜雷太サン)が 「操を立てている」 と断言している初音のお好み焼きが、復活する瞬間なのです。

 乏しい認識で恐縮ですが、大阪人にとってお好み焼きを我慢するということが、どんなにおおごとなのかなんとなく分かる気がするので(お好み焼きをそんなに命がけで好きでもない大阪のかたもいらっしゃると思います…)伝さんの心情に完全にシンクロしている私の興味は、「ああーベッチャアのお好み焼き、どんな味なんだぁぁ~っ」、ということ(笑)。 私もお好み焼き、大好物なんで。

 ところがこの物語、なかなか思ったような方向にいかないのです。

 「ひらけ!開かずの間」 というポンキッキみたいな副題(笑)がついた今週の 「てっぱん」、ついに私の望みが早くも実現してしまうのか?と思ったのですが、物語は冬美(芸名ジェシカちゃん、ともさかりえサン)がこのお好み焼き屋の店舗を借りるような方向にどんどん進行していき、しかもそのお好み焼きは、広島風のお好み焼きになる模様。 「違うんだけど…」 と思いつつ、ジェシカちゃんの夢が叶う瞬間を祝福したい気持ちもどんどん膨らんでくるのです。

 どうしてジェシカちゃんに感情移入してしまうのか、と申しますと、ジェシカちゃんの精神的な葛藤が、しっかり描かれているせいです。
 400万円を貯めてようやく自分の店、ショットバーを開店させるところまでこぎつけた矢先に新潟の実家からお姉さんがやってきて、親が借金で困っている、金を出してやれ、いままで自由奔放にやってきたんだからそれくらいやってもいいではないかと言ってくる。
 ジェシカちゃんの両親は小料理屋をやっていて、門限は5時、毎日毎日のっぺ汁に飽き飽きしたジェシカちゃんは家を飛び出したのでした(ちょっと違うか…)(それが主因じゃないでしょうけど)。

 ところでこのジェシカちゃんのお姉さん(久保田磨希サン)、片桐はいりサン似のちょっと個性的な顔立ち(失礼)。
 このお姉さんが長年抱えていた劣等感、美人な妹への嫉妬のような感情がそれだけで想像できてしまい、妹に無理な頼みを嫌味っぽく言ってしまう心情を見る側に理解させてしまうのです。 秀逸な設定です。

 そして実家が嫌で嫌で仕方がなかった、という気持ちを吐露するジェシカちゃんに、自分の娘千春と同じ部分を感じてしまう初音の姿も、カメラはさりげなく映し出す。 ジェシカちゃんの態度から千春の若いころの振る舞いを想像させてしまうこの作りが、またいいのです。

 「どないしたらよかったんか、あとになっても分からんこともあるんや。
 自分のことは、自分で決めるしかない!
 横からごちゃごちゃ口出しされたらかなわんわ!」

 ある朝、ジェシカちゃんに実家の力になってほしいと動こうとするあかりに対し、初音はこう言ってそれを遮ります。 初音が娘千春との関係を、まだ清算しきれていないことが、ここからも分かる。
 あかりは自分のやろうとしていたことをすぐに反省し、初音に謝るのですが、初音はそれには答えず、「はよ行き。 あんたに出来るのは遅刻せんことぐらいや」 と、また憎まれ口を叩く。 あかりはそれにめげずに明るく、「ほーい。 行ってきまーす!」 と会社に向かう。 その後ろ姿を見ながら、いたずらっぽく笑みを浮かべる初音。

 この構造が、とてもいい。

 こういうやり取りは、私はとても好きなのです。 いいなあ。

 瀧本美織チャンが、富司純子サンとの演技をしている間に、何かをどんどん学んでいる様子が手に取るように分かる。 うーん、これこそが朝ドラヒロインが見せる、真の醍醐味なんでしょうね。

 ジェシカちゃんは逡巡の末ショットバーの開店をあきらめ実家に200万を送金するのですが、残念会の席で自分に合っているのはおしゃれな店ではなく、その席で焼かれていた広島(尾道)風お好み焼き屋みたいな庶民派レベルの店だったと気付きます。 酔っぱらいながらそこにジェシカちゃんが気付いていく場面は、なんか実に自然な成り行きのように感じました。
 そして渡りに船のごとく、その残念会の隣の間にある、20年余り放置された初音のお好み焼き屋の店舗に、その場にいたみんなが着目する。 完全に酩酊したジェシカちゃんは、夜更けにご近所に大声で 「私はこの店を借りま~~す!」 と宣言し、初音に大々的に頼み込むのです(笑)。
 なんかこのシチュエーション、どっこっかで見たような気がしたのですが、あれですよ、「めぞん一刻」 で五代クンが酩酊したうえに真夜中ご近所に 「私は響子さんが好きでありま~~~す! 響子さーん、好きじゃああ~~っ!」 とやった場面(笑)。
 …どーも先週の 「あしたのジョー」 といい、マニアックな何かが隠されているよーな気がしてなりません(笑)。

 さて、この空き店舗を借りよう、という話になるのは自明の理ですが、初音はジェシカちゃんの運を試そうと、明日の天気が雨だったらこの店を貸してもいい、と言い出すのです。
 天気予報は降水確率10%、ほぼ間違いなく晴れ。
 こーゆー場合は雨が降るのがドラマ的なセオリーなんですけど(笑)、案の定翌日は大雨。
 初音はその種明かしを、雨が降る前の日は持病の神経痛が出るから、と打ち明ける。
 ですがここで謎なのは、初音にそんな持病があると聞いたことはない、という伝さんの証言であります。

 ドラマのなかでその答えとなる場面はどうもはっきりと探し当てることが出来なかったのですが、初音は折から家出して転がりこんでいた鉄にい(森田直幸クン)に 「あんた、尾道の家族に、ちゃんと連絡しとるんか? 人さんに意地ばっかり張ってたら、自分にも意地張ってしもうようになるんや。 おかげで、いろんなこと神さん仏さん任せにするしかのうなるでえ」 と話している。 ここに答えが隠されていそうです。
 つまり初音は、意地ばっかり張っている自分を解放したくて、ほぼ間違いなく晴れだという天気予報に、賭けてみたんじゃないでしょうか(相当分かりにくいな、この動機…)。
 つまり晴れなら晴れで、それでいい、というほぼOKの気持ちです。
 もしそれで雨でも降れば、それは神や仏がよほどこの店舗貸出しに反対しているせいだ、ということだ、という開き直り、とでも申しましょうか。
 それに、今回この店を開くのは自分の店としてではなく、他人に貸し出す、ということ、そしてその店が広島風お好み焼きの店であること。
 それを天国にいる自分の娘は許すのか?という挑戦状みたいな感覚。
 どうも憶測でしかないのですが、そんな初音の気持ちを、この 「神さん仏さん」 の発言内容から読み取ることができる気がします。

 しかし初音は、賭けに勝って断ったはずの店舗貸出しを、翻して貸し出すことにする。

 この動機は、あかりがジェシカちゃんのために心底一生懸命になっている姿を見たからです。 そしてあかりの母、真知子(安田成美サン)から期せずして聞いた、千春の尾道での様子。 これが大きい。

 真知子は鉄にいと直談判するために大阪へやってきたのですが、夕餉の支度をする初音を手伝いながら、「千春さんに料理を作ってもらっていた」 と打ち明ける。 「あの子が作ったものなんて、食べたことないよって…」 とショックを受ける初音。

 そしてその晩、出されたアジの南蛮漬けを食べながら、「昔これとおんなじ味、頂いたことあります。 千春さんが作ってくれました」 と真知子は話します。

 「不思議じゃねぇ…。
 おんなじ味を、いまも、あかりが食べとるんじゃね」

 自分の生みの母親の味…。 南蛮漬けをじっと見つめ、それを口にほおばるあかり。
 部屋に戻り、同じように自分の作った南蛮漬けをじっと見つめ、うれしそうに 「いつの間に覚えたんやろ…」 とつぶやく初音。
 見えざる神の手のごとく、いまは亡き千春の思いが、画面いっぱいに溢れかえっているように思えます。 すごい。 ここのくだり、神がかっている。

 初音はあかりに、あんたの尾道焼きは、お母ちゃんから習うたんか?と訊く。
 ほうじゃわ!お母ちゃんの味じゃった!と答えるあかりに、初音はジェシカちゃんに店を貸してもいい、と切り出すのです。
 初音はこのとき、「母から子に受け継がれる味ならばあの店を任せてもいい」、と考えたに違いありません。 初音をその気にさせたのは、やはり自分の味がいつの間にか千春に受け継がれ、それが真知子の記憶に受け継がれていたことに心が動かされたことが大きい、そんな気がします。

 これでジェシカちゃんの主導的な展開でこの開かずの間は開かれる。
 そこに再び現れたのは、ジェシカちゃんのお姉さん。
 「余計なことをするなとお父ちゃんからひどく怒られた」 と200万円を返されます。
 そこで父親の具合があまり良くないことを聞かされたジェシカちゃんは、いったん新潟に帰ることにするのですが、そこから物語は大きく転換していくようです。 ナレーションの中村玉緒サンが、はやくもネタばらししちゃってます。 グフフフ…(笑)。

 しかしタダで済まさないのが、このドラマのすごいところ。

 新潟に帰ることをちょっと渋っていたジェシカちゃんに、初音はお姉さんから聞き出したレシピで作ったのっぺ汁を、食卓に出すのです。
 それをうまいうまいと食べる下宿人たちに対して、ドン引きしまくるジェシカちゃん。

 「あんたら舌どうかしてるで。
 そんなおいしいわけないわ、こんな普通の田舎料理」

 そしてしぶしぶ食べ出すジェシカちゃん。

 「…ほら、…やっぱり好かん。

 門限、夕方5時でな、友達とも遊ばれへん。
 ちょっと寄り道もでけへん。 そういう味やもん。

 うん! ようダシ取れてるし、さすが大家さん。
 味もとろみも、メチャウマやけど、
 …これ、お父さんののっぺまんまやん…。

 いままで食べた中で、こんな好かんもんない。
 大家さんの料理で、ワーストワンやわ!

 …ほんま好かんわ…。

 …泣きそうやわ…」

 そしてジェシカちゃんは、いったん新潟に戻る、すぐ戻るけどとあかりに話すのです。
 泣けました。
 舌に残った記憶。
 人を納得させるのは、その舌の記憶を刺激することなのです。 それに勝る説得力はない、というのが、このドラマの持つスタンスであるといえる。

 「かならず腹は減る。 かならず朝は来る。」
 というのが、この番組HPの冒頭に来る文句であります。
 その大前提が物語を貫いているのは、特筆に値します。

「てっぱん」 に関する当ブログのほかの記事
第1回 名作の後番組は、ハードルきついですよね
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/1-8eb5.html
第1週 どこまで、ついていけますかね?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/1-c996.html
第2週 相変わらず、ゴーインな脚本ですがhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/2-69b4.html
第3週 物語が、駆け出したhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/3-ed2e.html
第4週 ちょっとキツイかもhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/4-0d8a.html
第5週 居心地が、作られつつあるhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/5-a598.html
第6週 真夏にナベとか…(笑)でも、いいドラマですhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/6-0ce4.html

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2010年11月12日 (金)

「龍馬伝」 第44回 イカルス号事件と結びつけられたお元、その真意

 もう2週間も前の話になってしまいますが、遅ればせで今更ながらですけど 「お元逃亡」 の回の感想文を書かせていただきます。 ヒートダウンした状態で一歩引いたような感覚になっているかもしれないですけど。

 この回を見ていて顕著に思えたのは、話の運びの強引さ(いきなり冷静さ全開です…笑)。

 イギリス船籍のイカルス号の水夫が殺害された罪で、長崎奉行所はこれ幸いにと龍馬(福山雅治サン)を探しまくるのですが、その過程でお元(蒼井優チャン)がキリシタンだということがばれてしまう。

 長崎奉行所は隠れキリシタンの集まる祈りの場を急襲、「お元はどこだ!」 と探しまくるのですが、その前にその場にいる人間全員捕縛でしょう(笑)。

 そして逃亡するお元を探しまくる龍馬。
 アンタのほうが危険でしょう!という感じなんですけど。
 しかもどうやってそこが分かったのか、龍馬は海辺の岩場に隠れるお元を、捜しあててしまう。
 恐るべき嗅覚であります(笑)。
 おそらくお元と一緒にいたときに紀州藩に襲われた思い出の場所とか、そんな理由なのでしょうが、龍馬にそのことを気付かせるほんの1カットでもほしいところです(ものの10秒もかからんと思うのですが…)。 ドラマとして、不親切なんですよ。

 そしてお元を、イギリスに送還させてしまう。
 「みんなの笑って暮らせる国になったら戻ってこい」 という展開が、いかにも…(感想は割愛させていただきます)。

 ここで私が感じてしまうのは、作り手が龍馬に対して持っている 「何なんだこの男?」 という感覚なのです。
 龍馬はお節介で向こう見ずで、大言壮語ばかりで実にワケの分からない男だ、という認識のまま、このドラマを構築している気がする。
 実際私も、龍馬という男は器が大きすぎる面が、常人の理解の範疇を超えている、と感じます。
 けれどもそれをドラマとして再構成するために、話自体が荒唐無稽になってしまっては、説得力そのものがなくなってしまう。

 龍馬は今回のお元に関わらず、亀弥太も以蔵も、自らの危険を顧みないで大声で捜索しまくっている。 まずそのことの不自然さを、視聴者に納得させるべきです。
 けれども見る側は、そんな不自然さに囚われてしまうと、作り手の思いを感じ取ることができなくなる。

 作り手はどうして、こんな無鉄砲な男に、龍馬を仕立て上げようとしているのか。

 「無鉄砲であるがゆえに暗殺者に狙われ、無防備であるからこそ、暗殺されてしまった」。

 私はここに、龍馬の人物像としての、「龍馬伝」 の作り手の真意がある気がしています。

 そして作り手がそれを分かりやすいセリフで説明しすぎるところに、「龍馬伝」 批判に見る側が安易に陥りやすい穴があるように感じます。

 お元という人物は詳細が不明なこともあり、ドラマ的にはいかようにも利用のできる存在です。 これをここまで大胆にアレンジしまくっているのは、一面では評価できるのですが、「日本をみんなが笑って暮らせる国に」 と何度も繰り返される語り口には、正直なところ奥行きが感じられません。
 けれども龍馬が、上っ面ではあるけれども人の心を動かす情熱を持っていたことだけは、感じ取ることができる気がします。

 お節介で向こう見ずで大言壮語の男。

 このドラマにおいて、そんな男に心底嫌悪感を持ち、そしてその上っ面っぽい一面を持ちながら底の知れない器の大きさを兼ね備えているこの男を心底恐れている、それが弥太郎(香川照之サン)なのです。

 この回の中盤、弥太郎は雨の降る中をお元を必死になって探す龍馬の前に立ちふさがります。
 ここでもどうやって弥太郎が龍馬と会うことが出来たのか?という詮索は、あえてなしです。
 つまり作り手が意図しているのは、いきなり龍馬の前に理由もなくあらわれる弥太郎の、デモーニッシュな存在感だからです。
 弥太郎は悪魔のように、龍馬に向かってこう言い放つのです。

 「おまんが奉行に捕まったらえいがじゃ。

 おまんのせいで、わしの土佐商会もお元の人生も、わやくちゃになったがじゃ!

 お元はのう…お元は!

 当たり前の幸せを望んじょっただけぜよ。

 …それを壊したがはおまんぜよ龍馬!


 龍馬…おまんはのう…疫病神ぜよ!


 龍馬…わしの前から消えてくれや…。

 もう消えてしまいや!」

 いろは丸の一件やら今回のイギリス人殺傷の一件やら、ことあるごとにメーワクかけまくっている龍馬にグサグサ突き刺さる愚痴を言いまくる弥太郎(笑)。
 断罪される龍馬は、悔しげに唇をかみしめるだけ。
 しかし弥太郎の表情からは、「消えてしまえ」 と言った先から、侮蔑ともつかぬ、後悔ともつかぬ、複雑な表情が見てとれるのです。
 人懐こくて、不思議な吸引力のあるこの大口叩き男に、限りなく嫉妬と憧憬のまなざしを向けるこの男。
 この対立と愛憎の構図が、作り手がいちばん表現したい部分であると私は思うのです。

 龍馬はいきなりイギリスのパークスのもとに行って直談判する。 敵の懐に潜り込むという、龍馬の大胆さを作り手が強調したがっているのが、ここからも分かります。 ここでイギリス人たちを納得させてしまうのも、理屈ではなく、龍馬のその熱意。

 その龍馬の熱意がその場でお元の身柄を引き受けてくれというパークスへの依頼に通じてしまうのですが、この作り話をやりすぎ、と見るか感動的な話のたたみかけ、と見るか。

 見る側の姿勢が、問われている気がします。

 …あー、簡単に済ませて次回分も書こうと思ってたのに、今日はここが限界です。
 このドラマにはそれだけ、熱く語りたくなる何かがあるんですよね。

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2010年11月11日 (木)

「セカンドバージン」 第5回 秀月センセイの真意って…?

 るい(鈴木京香サン)の会社、新海社のいちばんの立役者であった大作家の眞垣秀月先生(草笛光子サン)。 いきなり新海社から自分の作品を全部引き上げると言い出します。 これまであまり物語の中心部分に関わってこなかった秀月センセイが、いきなり物語に激しく絡み始めた。 ちょっと意外な展開に、ドロドロの愛憎劇に飽き始めていた向きには大きな刺激です。

 秀月センセイの大反乱の前に、深キョンの妊娠事件がるいと行(長谷川博己サン)の前に立ちはだかります。

 簡易妊娠検査の結果を見せびらかして自分が妊娠したことをるいや行に吹聴しまくった深キョン。
 当然ですがるいは大ショック。 自分の家に帰ってきたるいの表情が、なんだか急激に老けこんでしまった浦島太郎を見るみたいで、「恋愛が若さに与える影響力」 を如実に感じさせます。 京香サンの表現力、すごいなあと感じる。
 お別れのメールを、文面まできちんと書きながら、すぐに一字一字消去していくるい。 彼女の迷う心を表わしている、というより、「もうたくさん」 という気持ちのほうが強い気がしました。
 いっぽう行のほうは、深キョンから 「包丁研いで切れ味が鋭くなった」 とリストカットの危険性アップを意味する、まるで真綿で首を締めあげるような脅迫に遭いながら(笑)半ばなし崩しにワインで乾杯(笑)。

 るいと行は話し合いの場を持つのですが、「ほしいものがひとつくらいなくなっても生きていける」「あきらめるのが人生よ」「結果が出なかったら何もしていないのと一緒じゃない!」 と、取り付く島のないるい。
 「僕だって必死でやってるよ!」 という行ですが、軍配はるいですな(笑)。
 行の話には、説得力が大いに欠けている(笑)。

 「私の人生に男は必要ないの。 無駄な時間だったわ」 とその場を立ち去るるい。 「無駄」 はないでしょーが!と思いましたけど、「いい時間を過ごさせてもらったわ、ありがとう」 と言わない、言えないところが、実はるいの心残りを表している気がするんですよ。

 散々ふたりをひっかきまわした深キョンの妊娠騒ぎでしたが、結果は想像妊娠(ですよね?)。 月経の証が深キョンの足元を伝っていく様子は、ちょっと衝撃的でした。 この程度で体当たりと言うのは甘い気もしますが、深キョン(もしくは所属事務所)がここまで許してしまうんだ、という意外性はあります。

 しかし深キョンは、妊娠が間違いだったという事実を、行に隠すことにするのです。
 したたかだなあ。
 おバカな娘の演技力全開であります。
 ここまでできるんだ。 女って怖いなあ。
 ベビー服をこしらえたり、赤ちゃんの名前を考えたり、深キョンの偽装工作は、念には念がいってます。
 蛇足ですが、深キョンが考えた子供の名前、父親が 「行」(いく)だから 「くる」 だとか、なんかおバカ丸出しで笑っちゃいました。 でもまあ、行に 「行って欲しくない」 という気持ちの表れでもある気がしましたけど。 行がそれに 「漫才師みたいだ」 と感想を言うのには、爆笑しました。 「いくよ」「くるよ」 ですか(笑)。

 ところで、行の気持ちをうかがうことのできる、印象的なシーンがありました。
 夜、あかりのついていないるいの家をひとり見つめ続けるシーンです(漫才師のシーンの直前)。
 街灯が、行の姿を2本の影にして道路に映し出していました。
 それは、るいと深キョンとの間で揺れるふたつの心の表れでしょうか。
 それとも恋愛感情と仕事に打ち込んでいる自分の、二面性を表しているものでしょうか。
 いずれにせよ、とても興味深い1ショットでした。

 るいはと言うと、そのこと以来自宅に戻らなくなってしまい、飼い猫のレタ君とホテル暮らし、レタ君は昼間はペットホテルに預け、深キョンもそれとなく心配するくらい、ほっぽっとき状態。 レタ君、グレてしまわないか心配です(それはないか)。

 しかし私がレタ君のことを心配しているそばから、物語は別方向へと急展開をするのです。

 それは冒頭にも書いた、秀月センセイの新海社引き上げ騒ぎ。
 その直前にるいと秀月センセイは高級寿司屋でトロばかりをほおばっているのですが、ここでちょっと話が出た本の帯のかけ替えが、秀月センセイの気分を大いに損ねてしまったらしい。
 以前は 「古典を超える」 と書いていた帯の文句が 「古典」 と直されてしまったことで、「自分の小説は古典なんかやない」 といたくご立腹なのです。
 自分の作品を引き上げさせるどころか、秋夫・ウィリアム・ターナー(布施明サン)にまで、「新海社には本を書くな」 と裏工作までする始末。

 しかしこの理由は、段田安則社長がいぶかっていたように、本当の理由とは到底思えない。
 見ている側も、秀月センセイの真意がどこにあるのか、頭グルグル状態であります。
 いったい秀月センセイの真意とは何なのか? 「草を放っている」 と忍者使いみたいなこと言ってましたけど、秀月センセイ(笑)。 るいの素行上、なんか問題があったのかな? 行と付き合ってるのが許せないとか、秋夫をソデにしてるのが許せないとか、それじゃレベルが低すぎるか。

 新海社にとって大事件が起こるのと並行して、るいの気持ちは千路に乱れます。
 まったくの身に覚えのないことで三下り半を突き付けられ、自分がこれまでしてきた仕事に対する自信の屋台骨が、完全に瓦解している。 自分見失い状態です。
 そしてその思いの裏には、ひょっとして行と別れたことが、何らかの影響を仕事に与えていたのかもしれない、どこかがうわの空になっていたのかもしれない、という気持ちに直結している気がする。

 るいを心配してやってきた行を振り切りながら、るいは今にも泣き出しそうな表情を浮かべながら、こう願うのです。

 「(助けて…。
 そばにいて…。
 抱きしめて…。

 あなたのそばにいたい…)」

 そしてそんな自分を憐れんでか、「バカ…」 と次の瞬間つぶやくのです。

 これまでにこのドラマを支配してきた官能的な雰囲気はぐっと後ろに引っ込みながら、抑圧された気持ちがさらに官能的な展開を予感させる。 るいは秋夫・ウィリアム・ターナーの誘いに同意し、函館行きの列車に乗るのです。

 ところでその誘いの場でるいが頼んだ酒は、マティーニ。 戦場で 「また人が死んだ」 と思いながら飲む酒だ、と言う、秋夫。 「私も今、戦場にいるようなものですから」 と答えるるいは、戦場から少しの精神的休息を得るために、秋夫の誘いに乗っていく。 ポイントとなる要所でカクテルがたびたび登場する作りも、なかなか心憎い演出です。

「セカンドバージン」 に関する当ブログほかの記事

第1回 セレブの恋愛に、興味なし…ですけど
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/1-5dd1.html
第2回 冒険してもいい頃? http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/2-ded4.html
第3回 あーあ、やっちゃったよhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/3-68b7.html
第4回 ああーっ、修羅場だぁ~っ!(笑) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/4-ba7f.html

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2010年11月10日 (水)

「フリーター、家を買う。」 第4回 張りつめていたものが切れるとき

 のっけからナンですが、このドラマは細かい点の設定が、少々甘いような気がしております。
 土木の仕事に関することはすでに当ブログで指摘させていただいたのですが、そのほかの部分にも気になることがいくつか。

 土木建設会社に勤めている従業員の女の子とか、その女の子があこがれる弁護士で、実は二宮クンのお隣の坂口良子サンの息子だったという男(結構引きました、この設定…世の中狭すぎる)とか、二宮クンのお姉さんの井川遥サンの 「友達」 の奥さん連中とか、ヤケに中心人物意外の人物描写が浅すぎる気がしてならないんですよ。
 せっかく二宮クンが感動的な演技をしているのに、こうした周囲の浅すぎる描写によって、ずいぶん損をしている気がします。 もったいないと思う。

 今回のクライマックスは、仕事と面接と介護によって疲弊していく二宮クンが、カラオケボックスで香里奈サンや土木会社の人たちの前で、張りつめていた気持ちが切れてしまうところ。
 実に悲痛で感動的な場面だったのですが、そんな細かい描写不足に見る気持ちが削がれていたせいか、イマイチ感情移入できなかったんですよ。 これはつまらんことを考えすぎる私の個人的な意見であることを、ご了承ください。

 で。

 「家を買う」、という壮大で無茶な目標を立てたために、二宮クンはその夢に囚われ、ブチ当たって砕けていくのですが、ここで二宮クンの気持ちにとってマイナスな大きな要因があります。

 それは、「やってやってるんだ」、という感覚です。

 この気持ちがあるからこそ、母親の浅野温子サンにハンドクリームを塗ってあげるとか、とても優しい気持ちがある子なのに、いっぽうでそんな母親が、ウザくて仕方がなくなっていく。

 家族のために、とか、何か自分以外の別な目的のために自分が動こう、という気持ちは、とても尊いし、大切なことだと思うのです。
 ただ、それは巡りめぐって、自分のためである、ということも、自覚する必要があるのです。

 「情けは人のためならず」、という言葉は、よく誤解されることわざみたいに取り上げられることが多いですが、実際人に情をかけてあげる、ということは、結局自分にプラスになって戻ってくるんじゃないでしょうか。 打算じゃなくて、ですよ。

 他人のために骨身を惜しんでも(この場合は自分の母親ですが)、もしそこに 「やってやってるんだ」 という気持ちが混じっていたら、他人が自分の行為に対して思い通りに動いてくれないことが、とても腹立たしくなっていく。

 そして、結局母親をウザいと思ってしまうことに、当の自分自身が、傷ついていくのです。

 カラオケボックスで酔っぱらった二宮クンは、母親が鬱であることも、自分が家を買うという目標を持っていることも、洗いざらいぶちまけてしまう。 ここらへん、5万の家賃で住んでるんだみたいな話を吹聴しまくった父親の竹中直人サンの血が混じってんなー、という感じなんですけど(笑)。 その場にいた香里奈サンも、社長の大友康平サンも、仮面ライダーディケイドも、ただ黙って聞くしかない(笑)。 この場面、見ている側の感情移入の仕方によって、「周囲がドン引きしている」 と見るか、そんな二宮クンの悲痛な心の叫びに言葉もない、と見るかが分かれてくるような気がいたします。

 私の場合は、「君の悲痛な心は分かる。 でも、悲痛なのはお前だけじゃない」 という気持ちで見ていました。 ああ~なんて冷酷人間(汗)。

 でも彼の場合、身分不相応な目標を立ててしまったがゆえの、精神崩壊なのです。

 若い時は、自分がどれだけの能力を持っているかが、よく分からない。
 分からないがゆえに、自信がない。
 自信がないのに、目標だけ高く設定しても、自分の夢に跳ね返されてしまうだけなのです。 目標を高く持つことは大事ですけどね。 要は、それに向かって自分がどうすべきか、を見誤るな、ということなんですよ。

 まずは目の前のことから一歩一歩、全力で取り組まなければ。
 そうすることでしか、自分の能力がどれくらいなのか、知ることはできないと思います。
 能力を知れば、おのずと自分がどうすべきかを、知ることができる。

 ああ~説教臭い話になってきた(笑)。

 すべて自分がしょいこもうとしているからこそ、二宮クンはカラオケボックスで、張りつめていたものが切れてしまった。
 そんな彼の気持ちを考えると、いまの状況に我慢している人ほど、今回の話に共感するんだと思うんですよ。
 と同時に、そんなに簡単に(簡単でもないですが)キレてしまえばどんなにか楽なのに、と思ってしまう自分も、おそらくいるんじゃないか、と思うのです。
 私がここで二宮クンと一緒に泣けなかったのも、そこに最大の原因があるような気がします。

 つらい、と打ち明けることのできる相手が周りにいてくれることは、とても幸せであります。

 泣いて、突っ伏して、ボロボロになって、そして次の日からは、またよろよろと立ちあがって、明日に向かって歩いていく。
 人間というものは、そういうものです(断言しております…笑)。
 がんばれ、二宮クン!

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2010年11月 9日 (火)

「流れ星」 第4回 消えない流れ星

 リサ(上戸彩チャン)がマリア(北乃きいチャン)のドナーになるためだけに婚約をしたのではないかと疑った神谷医師(松田翔太クン)は、さっそく健吾(竹野内豊サン)とリサにその真意を訊いて回るのですが、「これじゃまるで…」「まるで、なんですか?」 と竹野内サンから半分すごまれ(笑)、リサには 「大切な人が困っているから助けたいと思っているんです」 と、その演技力のうまさでするりとかわされる。
 どうにも釈然としない翔太センセイなのでありますが、そこは何とか、大目に見ていただきたいのが視聴者心理なのです。
 ただ翔太センセイは杓子定規で物事を考えるタイプではなく、このことをきいチャンが知ったときのことを、不安に思っている。 あくまでルール違反を責めているわけではないのが、好感が持てるところです。

 そしてその翔太センセイの不安は、今回ラストで現実のものとなってしまう。

 その話は置いといて、リサの兄モズク頭の(笑)ゴローチャンがまたぞろ、借金取りに追われている模様。 どこまで金借りてんだこの人?という感じです。
 そりゃ身分不相応な車乗りまわしてたり、その金でいい思いをしていることは確実だと思うのですが、底なしに金を借りて、車以外に何に使っているのか?というのは、ちょっと気になります。 テッテ的に遊ぼうとでも思わなければ、金なんかそう浪費できないもんだと思うんですよ(これってビンボー人の感覚か?…笑)。 ゴローチャンのその金使いの荒さにドラマ的な面白いウラでもあると、また興味深いのですが。

 そして今回も、このドラマはさりげなく見る者を引きつけていく。
 そして知らぬ間に見る側は、時間のたつのを忘れてしまう。
 今回もなんか、あっという間でした。
 この見た目地味なドラマに引きこませる要因というのは、いったい何なのでしょうか。

 私が考えるに、細部のなにげない話に、興味深くまた人の心を豊かにしてくれるエピソードが挿入されてるせいなのでは、と。

 そうした意味で今回のさりげない話は、煮物の話です。

 煮物くらい作れる、とナニゲニ自慢したリサは、ショッピングセンターの書籍コーナーで料理の本を読んでいる。 下調べをまずしておこう、というリサの気持ちが、なんかカワイイ(笑)。 母親の原田美枝子サンの好みを竹野内サンから聞いておく、というのも、ナニゲニ用意周到。

 そしてまったく別のシーンで、マリアがリョウタクン(桐山照史クン)から聞く小噺が、煮物にまつわるダジャレなのです。
 こうした、カンケーないところで同時多発的なサブリミナル的手法をしているのが、さりげなくすごい。
 視聴者は無意識のうちに、煮物が食べたいという気持ちにさせられ(笑)(サブリミナルって、実際効果があるかどうか、私は疑問なんですけどね)、かぼちゃの煮物をリサが作った時の竹野内サンの感動に、見る側が共感しやすくなっている。

 まあストーリーの本筋とは離れた部分での、こんななにげなさが、「時間のたつのを忘れる」 要因なのではないか、と思うんですよ。

 そしてショッピングセンターで鉢合わせした竹野内サンに、リサはきいチャンにしてあげるネイルアート用のチップ?(名称がよく分からんです)のどれがいいか尋ねるのです(この時点でリサは、まだマリアが健吾の妹であることに気付いていません)。 まったく興味の外ながら、星型のチップを選ぶ竹野内サン。 「流れ星」 のイメージを、ここでもサブリミナル的に挿入してますよね。

 ある夜、ノンアルコールビールを飲みながら家の外で星を見ていたリサに、健吾はこう話しかけます。

 「そう言えばこのあいだ、『流れ星はクラゲみたいに消えて無くなる』 って言ってたよね。 海に潜ると、消えない流れ星が見れるんだよ」

 その 「海の流れ星」、フカクテンジクダイ?とか言ってましたけど、リサが 「流れ星は消えて無くなるものだ」 という認識でいる悲しい心の持ち主だということを、健吾が気にとめていたことが分かる、重要な場面のような気がしました。

 消えることのない流れ星、それは、消えることのない祈りです。 妹を助ける、その願いが消えてしまわないように、健吾は強く願っているからこそ、「消えない流れ星がある」 とリサに言っておきたかったのではないでしょうか。 そしてそれは同時に、悲しい心の持ち主であるリサの希望が消えてしまわないでいてほしい、という気持ちの表れでもある。

 さて、リサがネイルアートをマリアにしてあげていたところに現れた健吾。
 健吾がこのコの兄だったということに、リサが気付いた瞬間です。
 その場を立ち去るリサ。
 健吾はもはや、妹に打ち明けるときが来ていることを察するのです。

 当初はリサ抜きの家族3人で話を進めようとしていた健吾ですが、ゴローチャンがリサを連れ去っているところを目撃し、車を自転車で追いかけ(!)、強引に 「リサは、ぼくの妻です」 と連れて帰る。
 その時に健吾は、リサも家族の話し合いに加わらせようと決意するのです。

 健吾のこの決断は、自らの引き返せない強い覚悟の表れだったのですが、当のマリアは、やはり17歳の女の子です。 何もかも洗いざらい事実を聞かされて、混乱するばかり。

 このときのきいチャンの気持ちに、完全にシンクロしてました、私。

 いきなり前の婚約者(板谷由夏サン)とは別れた、この人とオレは結婚する、ドナーになってくれるんだ。
 お前の体は、もう移植しなければどうしようもない段階にきてるんだ。

 一晩考えたくらいでは、気持ちの整理など全くつかない、というのが本当のところだと思うのです。
 板谷サンからは、別れたことなど一切聞いていなかった(これも板谷サンの思いやりだったのですが)。
 しかもいくら仲良しになったからと言って、兄とは全く釣り合わない、リサ。
 そんな女性と、自分のために結婚しようとしている兄。
 しかもそうでもしない限り助からない、という自分の体。
 ちょっと17の女の子には許容量オーバーの衝撃的な話の連続なのですから。

 一晩考えたきいチャンは、それを受け入れるのですが、それはただ表面的な取り繕いに過ぎなかった。

 病室には、リサが施してくれたネイルアートの、星型のチップが落ちている。 翔太センセイが言っても取ることを聞かなかったネイルを、マリアは取ってしまった、ということですね。
 そして板谷サンと竹野内サンのために作っていた石膏?のプレート。 投げつけたのでしょう、粉々になって床に転がっています。
 そしてもぬけの殻の病室。

 次回、きいチャンは自暴自棄になるようです。 「どうせ死ぬんだ」 とか予告で言っていたみたいですが、きいチャンの自暴自棄が、どこまでリアリティを伴っているのかに、ちょっと注目してみたいと思います。

当ブログ 「流れ星」 に関する他の記事
第1回 ダウナーな感覚あふれるフジの月9
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/1-9-cab7.html
第2回 なんか、あっという間でした~ http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/2-2223.html
第3回 一瞬で消えてゆく星、その星への祈りhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/3-f0b3.html
第4回 消えない流れ星http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/4-6d12.html
第5回 生きていてほしいからhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/5-8444.html
第6回 託したい思いhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/6-3966.html
第7回 分かってる、その気持ちはhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/7-9175.html
第8回 思いがはじける瞬間http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/8-2edd.html
第9回 グラス・タワーの緊張感http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/9-ce60.html
第9回 健吾の決断について、補足ですhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/9-cad6.html
第10回(最終回) やさしさが帰る場所http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/10-6223.html

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2010年11月 8日 (月)

「99年の愛~JAPANESE AMERICANS~」 第5夜 まれに見る壮大な遺言状

 このドラマの最終夜の記事を書く前に、ちょっと視聴率について。

 当ブログのこのドラマ記事に対するアクセスは、1ドラマのアクセスとしてはほかのドラマの3倍以上にのぼっております。 一日のアクセス最高件数は、これまで去年の小田和正サンの 「クリスマスの約束」 の記事だったのですが、あっさり更新してしまいました。 なんと申したらいいか、とにかく深く感謝御礼申し上げます。

 そのうち多くのアクセスの検索ワードが、「視聴率」 絡みになっていることは、改めてこの番組の視聴率に対する関心が高いのだと感じさせます。
 筆者は視聴率について全く関心がないのですが(つまりいいドラマであればいいというスタンスです)、「視聴率」 についてどこかに書いたかなあ?と思い自分の記事を読み直してみたら、橋田壽賀子サンの 「おしん」 が朝ドラ最高視聴率だとか書いてました(笑)。 「視聴率」 が知りたくてアクセスされたかたには、大変な肩透かしをさせてしまい、申し訳ございません。

 で、とりあえずウィキペディアなんですが、この番組の視聴率を調べさせていただきました。

 第1夜 12.6%
 第2夜 15.5%
 第3夜 14.7%
 第4夜 14.6%
 第5夜 19.1%

 らしいです。

 第2夜は寺島咲チャンと川島海荷チャンの日本送還での別れのシーンが、自分的にはこのドラマを通していちばん号泣したシーンだったので、比較的高かったというのは納得ですが、「ナサケの女」 や 「医龍」 が裏番組なのに、相当な善戦のように感じます。 第3夜第4夜でちょこっと落ちたのは、何が原因なんでしょうね? たぶん長すぎる、とか(笑)。 正直言って、内容的にはよかったですけど、さすがに私も5夜連続で2時間もしくはそれ以上、というボリュームは、見ていてしんどい時もありました(笑)。 最終の第5夜は、おそらく裏の 「パーフェクト・リポート」 が完膚なきまでに視聴者を持っていかれたことでしょう。 これに懲りて、フジテレビは元の路線に戻されることをご提案いたします…。

 それでも、第5夜はドラマ好きな人間にとっては結構先の読める展開で、日系人差別者の象徴的存在とも呼べるジェームズ・ハワード(平松農場を二束三文で買ったヤツですよね)が改心するのは、彼が第1夜あたりから別格みたいな感じでクレジットされているのを見たときから予感していた、というか(後出しジャンケンみたいで申し訳ないです)。

 それ以上に、やはり橋田ドラマだなあ、と感じたのは、現代編で平松農場の上條恒彦サンも八千草薫サンも、川島海荷チャンの壮年役の岸惠子サンも、とんでもない成功者になっているところ。 「おしん」 や 「いのち」 で見てきたパターンだなあ、という感じで。
 結局自分がビンボーだからか(笑)、こういうのにはちょっと感情移入しにくいんですよ。

 ただこういう設定にするのは、橋田サンが 「不断の努力をした者だけが報われる」 という世界を、まだ信じているからなんでしょうね。

 いまは、いくら働けど働けど、我が暮らし楽にならざりじっと手を見る、の世の中なような気がします。 自分もそうですもん。 みんな、見えない明日のために、必死になって働いていると思います。 もがいていると思います。

 だからこそそれが報われる世界を、もう一度信じてみよう、という気を、このドラマは起こさせているような気もするんですよ。

 ただこのドラマで予想外だったのは、中井貴一サン演じる平松定吉が、自殺をしてしまうところ。
 裸一貫でアメリカにわたり、とてつもない偏見のなかで歯を食いしばってきた男の選択とは思えませんでした。
 おそらく彼は、日本人であることを、捨てられなかったのでしょう。
 いわば自分が捨てた国、であるのに、その国の勝利を、冷静に考えれば勝てるはずもないのに、信じ続けたというのは、「日本人であること」 の誇りが彼にとって大きすぎた、ということの裏返しなのです。
 「日本人」「大和民族」 としての勤勉さを、彼は誇りに思っていた。
 敗戦は彼にとって、それが瓦解した瞬間なのです。

 マンザナー収容所で流された、昭和天皇の 「玉音放送」。

 この年代になると、今までに何度となく聞いてきた、いわば我が魂に刻まれた音声なのですが、これまでと違い自分が今回如実に感じたのは、その音声がとても特殊な言語によって語られ、まるで別世界の人間、いわば神(現実に天皇陛下は現人神だと信じられていたのですが)の声のように聴こえた、ということです。 それまで 「こんなのみんな理解できたのか?」 くらいにしか感じたことはなかったんですけどね。

 だから釈然とはしないまでも、定吉がこの放送を聞いて絶望し自ら命を絶ったことは、どこか理解できるような気がする。
 若いころだったらとても理解できなかったでしょう。 おそらく自分が定吉と同年代にさしかかっていることが、その大きな原因のような気がするのです。
 いくら歯を食いしばって頑張ってきても、経年劣化というものはあるのです。
 もうくたびれた。
 もういいんじゃないか。
 人間は時として、それまで降り積もってきた思いに、勝てなくなる時があるのです。

 だが、理解はできるけれども、自殺というのは、結局敗北であります。
 死んだあと死後の世界で自分がどうなるかを思えばこそ、自分はそう思う。
 死んだらそれで何もかも終わりだったら、苦しきゃ死ねばいいだけの話だ。 簡単だ。
 でも死んだあとも、自分が何かから逃げた、という魂は、結局永遠に解決されなかった、という思いだけは、残っていくだろうと思うのです。 そしてもし生まれ変わったとしても、その魂の遍歴は、ずっと残っていくように思う。 これはオカルトチックな話で説得力がない話なのは承知していますけどね。

 このドラマでは、さまざまな人の人生が、戦争によってゆがめられた、ということを強調しています。
 確かにここで取り上げられるケースは、日系人、442部隊、沖縄、広島、と、戦争の悲劇をいちばんじかに体験した人々ばかりです。 私の福島の祖母なども、アメリカの戦闘機の機銃掃射を受けた体験を持っていました。 目の前を機銃の弾が走り抜けていくなんて、映画やドラマでしか知らんです、私は。 しかもこう言ってはなんですが、福島のずいぶんな片田舎なんですよ。 こんな体験をした人は、特に片田舎では結構まれなような気もする。 もしそれで祖母が死んでいたら、私もいまと同じ境遇にあったかどうかは分からんです。
 ともあれ、大なり小なり、戦争の影響はすべての日本人、いや戦争にかかわったすべての人々が負っているはずですが、冷静に考えて、このドラマが極端な部分を開示していることは、否めない。

 でもそれでも、戦争というものの悲惨さは、覆い隠すことのない事実だ、ということだけは言える。

 それに難癖をつける人間を、私はあまり信用したくありません。

 事情がどうあれ、情勢がどうあれ、戦争を必要悪だとか言い張る人間にも、なりたくないです。

 結局、殺し合いなんですよ、戦争は。

 実際の戦争状態になってしまったら、そんなきれいごとは言っていられない。 自分の大切なものを守るために、敵を殺すだろうと思います。

 けれどもそれがいいことだとは、決して思わない。

 相手を殺して、何になるっていうんですか。

 戦争はいかん、ということだけは、声高に主張だけはしていかなければいかん、と私は心から思います。

 ともかく。

 「戦争だけはいけない」、という橋田サンの強い思いが結実しているこのドラマ、とてもじゃないけどあーだこーだ言えんです(感情移入がどうだとか先が読めるとか、アレコレ言ってますがな!)。

 最終話で私が感動したのは、広島で再開した咲チャンと海荷チャンが身を寄せた京都の医者の家で、その医者の奥さんである高畑淳子サンから差し出されたおはぎを、泣きながら姉妹が食べる場面。
 おはぎなんて最近のガキ共は喜びませんけど(好きな子も確かにおりますが)、それ以上に姉妹の身にしみたのは、最初怖そうに見えた高畑サンが、本当は優しい人だったこと。 人の心の温かさに、本当に何年かぶりに触れたことでしょう。 そのおはぎは、一生忘れられない味になったのではないかと想像いたします。 「こんなにうまいものを食べたのは、このとき以来ない」、という経験、誰しもお持ちなのではないでしょうか。 見ていてこちらも涙がぽろぽろ出て仕方なかったです。

 そして最終夜でいちばん泣いたのは、442部隊がワシントンでパレードを行なった時、ひとりの兵士(夏木…片岡愛之助サン)が持った一郎(草彅剛クン)の遺影に、母親役の泉ピン子サンが思わず駆け寄ってしまう場面。
 「一郎!」
 とピン子サンの叫ぶ声は聞えず、ただ千住明サンの主題曲が流れる中、スローモーションで一郎の遺影に、すがりつくのです。
 取材するアメリカ人の記者たちのフラッシュ。
 ホントに、つくづくピン子サンの演技には、泣かされます。 「おしん」 のころから、泣かされ続けてるなー。 長い付き合いでありますね。

 最終夜の話は先が読める展開だった、と書きましたが、それでもそんな心ない私ですらそれをよしとせざるを得ないのは、その先の読める展開が、まるで一郎の意志(遺志)によって動いていく話のように感じるからです。

 ジェームズ・ハワードが改心をして平松農場を返してきたのも、紛れもなく442部隊の功績があったからこその話。 夏木が平松家の力になってくれたのも、一郎のおかげ。
 草彅クンは最終夜で回想シーンにしか出てこないのですが、出演しないのに、こんなに存在感を光らせている。 このことはすごいことだなあ、と素直にそう思うのです。

 そしてさまざまなわだかまりや、過去に対するこだわりを捨てて、八千草サンと岸サンが抱擁するシーン。 個人的な話で申し訳ないですが、「赤い疑惑」 のエピローグ、最終シーンを見ているようで、別の部分で感動しまくりました(この事情については第1夜に書きましたので、お手数ですが詳しくはそちらをご覧ください↓)。

 あーしんどかったけど、橋田サンの遺言状、しかと受け止めさせていただきました。 あまりにも巨大すぎる、叙事詩でありました。
 同じカテゴリーに入ると思われる、今年放送されたフジテレビの開局50周年記念ドラマ 「わが家の歴史」 八女家の人々も、フジテレビの局イメージを踏襲するそれなりにいい作りでしたが、それを遥かに凌ぐ重厚な、TBSらしい開局60周年記念ドラマだったような気がいたします。

「99年の愛」 に関する当ブログほかの記事
第1夜
 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/99japanese-amer.html
第2夜 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/99japanese-am-1.html
第3夜 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/99japanese-am-2.html
第4夜 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/99japanese-am-3.html

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2010年11月 7日 (日)

「てっぱん」 第6週 真夏にナベとか…(笑)でも、いいドラマです

 この状況に持って行くのに相当な無理を重ねた 「てっぱん」 ですが、話的に辻褄の合わない部分は散見されるものの、あかり(瀧本美織チャン)の笑顔に引っ張られながら見続けています。

 確かに今週の話でも、欽にいが勤め先の信金の課長とトラブルを起こしてしまったのが 「あかりがもらわれっこ」 だったと言われたことが原因だったり(どこでその課長サンはそのことを知ったんだ?という感じ)、盆休みからあかりが帰ってきた時点、ということは真夏のはずなのに、ストーブ出して濡れた体を温めたりナベをやったり(「真夏にナベかよ!」 みたいなツッコミは、ドラマ内でしてましたけど…笑)、なんか妙に抜けてるところはあるんですが、全体の話がいいから、まあ、しょうがないかな…と思ってしまうんですよ。

 このドラマには、「ゲゲゲ」 に至るまで途中リタイアだらけだった朝ドラとは一線を画す、「見続けたい何か」 がある…そんな気がいたします。

 その 「何か」…というのは、あかりの大家でおばあちゃんの初音(富司純子サン)の解凍ということなんですけど(スミマセン…ポール・マッカートニーの 「バンド・オン・ザ・ラン」 のデータ解凍に、いま興味の大部分が移っているためこんな表現をしてしまいました…笑)。

 あかりがお盆休みに勤め先のかつおぶし屋の電話番をしなけばならなくなり、それが社長のスケジュールの都合で撤回されたことによる、初音の反応の推移がまず面白い。
 お盆に自分の本当の孫と一緒にいることを、初音は心の底で楽しみにしていたんですが、その話の立ち消えと共に、自分には家族なんかいらない、という気持ちを、また立ち上げようとする。

 加奈(朝倉あきチャン)が、自分の音大受験をあきらめさせるために、親がまたもやお見合いを勧めとるという相談をあかりにしていたところに、「音楽のことは分からんでもなあ、自分の子に才能があるかどうかぐらいは分かるもんや」 と、結構図星のことをはっきり言ってしまう初音。 図星だからこそ、かなりのショックを受けてしまう加奈。

 「子供が憎うて立ちはだかる親はおらん…子供を傷つけるもんから守ろうとして立ちはだかるもんや」 と言いながら、「あんたは自分の家族を大事にせい…あんたの家族は、そっちや」 と、自分とあかりの関係を、フラットなものに戻そうとするのです。
 納得のいかない表情のあかり。

 そして里帰りしたあかりは、前述した欽にいのトラブルに、やはり首を突っ込もうとする。 欽にいに誘われてあかりのうちに泊らせてもらっていたアスリートクンに、「家族だからほっとけん」 と言い切ります。 「それでか…お前があの大家に要らんことするのは」 というアスリートクンに 「うちには、家族じゃけえね」 と、屈託なく話すのです。
 同じころ、あかりがいないことに、どこか穴がぽっかり空いた気持ちになっている初音。
 「そばらおったら煩わしい…離れてたら、なんや寂しい。 つくづく、面倒なもんですわ」 という中村玉緒サンのナレーションが、笑えます。
 なんかこれと同じ内容の文句を、どっこっかで聞いたような気がしてならなかったのですが、「あしたのジョー」 でしたわ!(笑) ジョーが刑期を終えて少年院を去ったあと、刑務官たちが同じようなことを言っとりました。

 加奈チャンのお見合い問題でも、父親の柳沢信吾サンは自分の会社が傾いているから政略結婚しようとさせたわけではなく、会社が厳しいからこそ、音大に行かせることに経済的な不安がある、それよりも音楽を続けさせてやるには、こうしたほうがいいのではないか、という親の情愛が絡んでおりました。
 だいたい加奈チャンが一浪したということは、天性的な才能がないこと、の裏付けなのかもしれません。 そりゃ続けることでその才能を開花させる人も、いくらでもいますけどね。
 そこのところまで考え抜いて、親というものは判断をしている。
 でも、娘の人生は、娘が決めるものなのです。 あかりの母親の安田成美サンは柳沢サンに向かって 「子供たちはみんな自分からしんどい道を選んでいるように見える」 と言うのですが、自分のことを考えてちょっとそーでもないけど…とは思いましたけど(よーするに生きいいほうを選んでるんですよ、私は…笑)見守らなきゃならない、という考えには納得します。

 加奈に向かって謝る、柳沢サン。 加奈がいたからこそ、自分は会社をがんばることが出来た、娘を泣かせて、会社を守れるわけなかろうが!と男泣きするのですが、父親の気持ちが痛いほど伝わってきて、こちらも泣かせていただきました。

 また同時に、欽にいが上司とのトラブルで会社を辞める、と言い出した時、父親の遠藤憲一サンはそのことについて何の口出しもしない。 息子の人生は、息子が決めるものなのだ、というスタンスです。 鉄平兄貴も、父親の鉄工所を継ぐことについて、自分なりに考えている。 結局欽にいも辞表を出すことを撤回するのですが、息子たちが自分の頭で考え、自分なりに何かを決断しながら生きていることに、遠藤サンは何の口出しもしないのです。 そして 「自分の鉄工所は、自分が好きでやっとる、お前らは自分の道を行け」、と言い切るのです。

 「ただし…道に迷うた時には、ひとりで悩むな。
 誰かひとりの問題は、家族みんなの問題じゃ。

 ひとりだけ、幸せにはなれん。

 ひとりだけ、不幸にもできん!

 それが家族じゃと、お父ちゃんは思う」

 この物語が、穴があきながらもきちんとしているように感じるのは、このメッセージ性がストレートであることが原因のようです。

 大阪に帰ってきたあかりを待ち受けていたのは、台風と、伝さん(竜雷太サン)の初音へのプロポーズシーン。
 「家族みたいなややこしいもん、もうこりごりじゃ」 と伝さんの気持ちをシャット・アウトした初音に、あかりは早速首突っ込むのです。

 「『ほっとけ』 いわれても、ほっとけんのが家族じゃ。
 おばあちゃんがさみしいと、…うちもさみしい!
 おんなじ1日じゃったら、いっぱい笑えたほうがええじゃん…!
 …いままで笑えんかった分も、笑えばええじゃん!」

 その気持ちに動かされながらも、初音は 「ほんま、おめでたい子ぉや」 と憎まれ口をたたく。

 この初音の心の動かされ方、初音の心を揺り動かすあかりのキャラの前向きさが、私がこのドラマを見る大きな動機となっているのです。
 ただ、それだけではないんでけど。
 それはのちに書くこととしまして。

 さてその台風ですが、その強風がお好み焼き屋の開かずの扉を、強引にこじ開けてしまうのです。
 なんで長年びくともしなかった開かずの扉が今年になって壊れたんだろう?と伝さんはいぶかっていましたが、とーぜんですよ、ジェシカちゃん(ともさかりえサン)が半分こじ開けてしまってましたから(笑)。
 その扉を、半狂乱になって元に戻そうとする、初音。
 けれども結局は初音の下宿人たちが総出で、初音に代わって扉を修理するのです。
 かつてはみんなバラバラだった下宿人たち。
 それが初音の、家族のような存在になってきている。

 「あかりちゃん、ようけ家族連れてきてくれたがな…」

 伝さんの言葉に、表情がやらかくなっていく、初音。

 以前にこのドラマに関する当ブログの記事でも書いたのですが、このドラマは、天国にいるあかりの実の母親、千春サンが仕組んでいる話のように思えて、仕方がない。 オカルトチックで申し訳ないですけど。
 ただそれこそが、このドラマを貫く大きな柱となっていると同時に、最大の魅力になっていると私は考えるのです。

 夏にナベを食べながら(笑)民男クンの初音のモノマネに笑ったりしている下宿人たち。 そんななかで、笑いながらも、涙がぽろぽろとこぼれていく、あかりなのです。

 「『ちはる』、いうんです、お店の名前。

 うちを生んだ人の名前。

 千春さんが家を飛び出して、おばあちゃん、店を閉めたんです。

 ほいじゃけえうち、あの開かずの間は、おばあちゃんの傷みたいなもんじゃ思ってました。

 人に触れられとうない辛い思い出がいっぱい詰まっているけえ、鍵、掛けとるんじゃって。

 今日…さっき、分かったんです。

 フタするために鍵かけとったんと違う。

 大切に、守るためじゃったって…。

 必死で戸を抑えつけとるおばあちゃんを見て、思ったんです。

 きっと、あんな風に、なりふり構わんと、千春さんのこと守っとったんじゃろうなって。

 毎日毎日、油まみれになって、お好み焼きやいて。

 あの部屋には、…あの部屋には、おばあちゃんが、お母さんじゃった時間が閉じ込められとったんです」

 「それを、開けにきたんやな、おのみっちゃんは」

 ジェシカはん、ええこと言わはる(どーしていきなり京都弁?…笑)。

 この、家族同然という下宿の構造は、「ちゅらさん」 を想起させるような部分もありますが、どうしてこの設定でなければならなかったのか、ということが、今週の話で明確に分かったような気がするのです。

 ええ話ですよ~、みなさん。 話がありえないとか、見ないのはもったいない気がいたします。

「てっぱん」 に関する当ブログのほかの記事
第1回 名作の後番組は、ハードルきついですよね
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/1-8eb5.html
第1週 どこまで、ついていけますかね?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/1-c996.html
第2週 相変わらず、ゴーインな脚本ですがhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/2-69b4.html
第3週 物語が、駆け出したhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/3-ed2e.html
第4週 ちょっとキツイかもhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/4-0d8a.html
第5週 居心地が、作られつつあるhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/5-a598.html

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「ギルティ 悪魔と契約した女」 第4回 真島の気持ちをちょっと考えてみた

 第1回から見ていない弱みもあってか、これまで真島(玉木宏サン)の気持ちのなかに、芽衣子(菅野美穂チャン)への恋愛感情はない、などとコメント返信でさんざ書いてきたのですが(笑)、第4回でいきなり真島が芽衣子を抱擁(!…笑)。 やはり深い読みが出来ていませんなあ…。 見るドラマが多すぎるとか言い訳したくないですが(しとるやん!)、このところちゃんとドラマを見る能力が、低下しているようであります。

 真島と芽衣子の出会いの場面から見ていないので、真島の気持ちがどう推移しているかがちょっと把握しにくいのですが、私なりに真島の気持ちを考えてみました…ってやはり片手落ちになってしまいそうなのですが。

 どうも宅八郎…じゃなかった(笑)堂島(唐沢寿明サン)の書いていた公判記録を真島が見るまで、真島は芽衣子が今回の連続不審死事件に絡んでいる、ということを知らなかったようですネ。 もともと別件の三輪(モロ師岡サン)の失踪を調べている時点でそこまで真島が芽衣子のことを疑っているのか、と思っていました。 私が真島に、芽衣子に対する恋愛感情なし、とシッタカで(笑)断定したのは、そこに原因があるのです。 勘違いも甚だしい(笑)。 前言撤回!であります(笑)。

 で、私がよく分からない点で重要ではないかと思われるのは、芽衣子が三輪の犬を預かっていることに、何か裏がないのか?ということ。 三輪が自分にとって復讐の相手になるのかを見定めるために、芽衣子は三輪の犬に接近した、ということなのかなー?

 いっぽうで芽衣子は真島が刑事であることを、今の時点では知っていませんよね。
 つまり純粋に、真島に対する思いが芽衣子のなかでは交差している。 自分に近づいてくる真島の気持ちを、だから純粋に復讐との兼ね合いの中で拒絶しようとしている。 真島に対する恋愛感情を芽衣子も持っている証拠ですよね。
 でもそれは、真島が刑事だと知った瞬間、一気に 「これは自分に近づくための打算だ」 と芽衣子が考えてしまう可能性が大きい。

 真島は三輪が芽衣子のことを 「かわいそうなことをした」 と話していたことを、今回の捜査の段階で知るのですが、そこから昔の事件が芽衣子の冤罪だったのではないか、ということに気づいてはいるものの、芽衣子が復讐をしている、ということまでは気付いていない。

 真島が芽衣子を抱きしめるのは、実にその段階なんですけど。

 この、いきなり抱擁(笑)というのは、やはり恋愛感情からきていることはあると思うのですが、真島は直前に、吉瀬美智子サンが芽衣子を探りにペットサロンきていることを知っている(ここでペットサロンオーナーの横山めぐみサンと従業員の滝沢沙織サンが完璧に痴情のもつれだとカンチガイしている図は、笑えました)。
 そこに現れたのは、どこで知ったんだか、芽衣子が前科者であることを知ったお客のオバハン。
 芽衣子をののしりながら、自分の飼い犬を奪い取って出てゆく。
 それに毅然と対応する横山サンに、うなだれる芽衣子。

 そんなことが立て続けにあったあとで、真島は芽衣子を抱きしめている。

 そこには先に書いたように、恋愛感情という気持ちも持ち合わせながら、冤罪で長い間苦しんできた芽衣子に対する真島の強い同情の気持ちも同時にある、と私は考えるのです。

 今回私が注目したのは、毒入りチョコで兄と甥が死んでしまったところ、そして裁判での芽衣子の回想シーン。

 要するにこれらの回想シーンの芽衣子は、芽衣子の本来の姿ですよね。

 現在の芽衣子は、天使の顔も悪魔の顔も、どちらとも昔の芽衣子の顔ではない。 これまで自分が考えていたように、芽衣子はどうも、両方とも演じていることで、精神の平静を保っている、という感じがします。

 ドラマは冤罪事件の公判で証言に立った人たちが連続不審死につながったことで、真島はカナヤの危険を察知し、カナヤの事務所へと急行する。 当のカナヤは、芽衣子から5億円の身代金と引き換えの誘拐脅迫電話を受け取っている最中。
 もうこの時点で、「脅迫」 の罪が芽衣子にはさらについてしまっている感じですが(芽衣子の罪状は、もうどうにも止まらない、という感じですよね)、真島は芽衣子のさらなる犯罪を止めることが出来るんでしょうか?

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「99年の愛~JAPANESE AMERICANS~」 第4夜 戦争の、容赦のなさ

 特に太平洋戦争を含む第二次世界大戦を描いた映画、ドラマを長年見てきて、毎回一様に思うのは、戦争の、容赦のなさです。 まるで何年ものあいだ終わることのない悪夢が続く眠りのなかにいるような、そんな錯覚を覚えます。
 それは、この戦争が、世界が体験した、群を抜いて最悪の戦争だったせいもあるのですが。

 そして今回の 「99年の愛」 も、その例に漏れない。
 さらにこのドラマを書いた橋田壽賀子サンには、「これが最後」、という気迫をものすごく感じるのです。
 要するにこんな壮大で大掛かりなドラマというのは、テレビ局の何十周年、というスパンでしかできないと思うのですが、橋田サン自身がもうすでに、85歳、でしたか?…状況的にはちょっとこの先が考えられない、という判断をされるのも無理からぬ話だ、ということです。

 第4夜の圧巻はなんと言っても、草彅クンが派遣された442日系人部隊のテキサス部隊救出に向かう闘い。
 途中に待ち受けるドイツの狙撃兵による機関銃の乱射、森のなかで乱反射する弾の軌道。 相手に向かって投げたはずの手榴弾が木に跳ね返って味方を直撃する。

 もっと考えて攻撃しろよ、ということではないのです。

 姿の見えない相手に攻撃された時、冷静に判断をすることなど、至難の業だというほかはない。 バタバタと倒れていく味方。 そんななかで草彅クンは、ただひたすら前に向かって前進することで、活路を見出そうとするのです。 それは、日本人の生真面目さ、という民族性の発露である、という見方もできる。
 結果的に救出しようとしたテキサス部隊の数とほぼ同程度の442部隊の兵士が、この戦闘で死んでいったことになる。 何なんだ、という感じですよね、現代的な視点から言うと。

 要するにこれは、玉砕戦法なのですが、玉砕、という冷静さを欠いた破れかぶれ戦法じたいが、実は日本人の勤勉さ、生真面目さに端を発している、という側面を感じさせるのです。 442部隊を構成していた当時の日系人に玉砕、などという概念は理解しがたいものであったと私は考えるのですが、結果的にこの戦闘では、玉砕的な戦い方をしている。 大和民族の持つ勤勉性がその道を導き出した――、ドラマでは 「大和魂を見せつけてやれ」、というセリフによって、そのことが凝縮し表現されているのです。

 あまりにも無意味に殺されていく日系人たちを見ていて、「終わらない悪夢」 を久しぶりに体感したような気がします。
 そしてそれを演じ切った草彅クン。
 見事だ、と言うほかはないです。

 大泉洋サンが強制収容所の家族のもとに持っていく、草彅クンの死亡通知書。
 まるで 「死の配達人」 です。
 そしてそれを受け取った、中井貴一サン扮する草彅クンの父親。
 まず目にしたのは、ケース入りの勲章。
 なんだ?と思いながら添付されていた紙を開けてみると、息子の死を知らせる文書だったのです。
 ぽとりと手元から落ちる勲章のケース。
 勲章など残された者には何の意味も持たない、ということを、一瞬で表現しています。
 その通知を知らされて涙にくれる泉ピン子サン、松山ケンイチクン、草彅クンとほんのわずかの間結婚生活を送っていた仲間由紀恵サン、そしてその赤ン坊までもが泣きじゃくる。 「泣くな」 と言いつつ、中井サンも涙をこらえることが出来ない。 私も泣かせていただきました。

 それからしばらく経って、東京大空襲のうわさを聞きつけた中井サンは、「こんなデマに惑わされるな」 と、日本の勝利を信じて疑わない様子。 なんだかそれまで冷静だった父親が、まるで人が変わってしまったように思えるのです。
 それは中井サンのなかで、息子を死に至らしめたアメリカに対する憎悪が萌芽しつつあることの、証拠のように感じます。

 いっぽう、沖縄戦の真っただ中にいる川島海荷チャン。

 アメ公と言われ続けたいじめに対する対抗手段として軍国少女になっていった海荷チャンが、家族に対する憎悪を膨らませつつあることも、同時にこのドラマでは描写されていくのです。
 集団自決の憂き目から辛くも助かった海荷チャンは、マンザナー強制収容所でピン子サンらと同室だった中尾明慶クンの 「同じ平松という家族を知っている」 という話に、わざと 「知りません」 と反応する。 自分こんな目に遭わせているのはアメリカにいる家族なのだ、という気持ちに囚われているのです。
 広島の姉のところへ行きたい、という希望を中尾クンに打ち明けていた海荷チャンは、ある日それが叶わなくなったことを、中尾クンから聞くのです。

 要するに原爆、ということなのですが、第5夜の最終話では、奇跡の再会が待ち受けている様子。 それが誰なのかは今のところ分かりませんが、また感動させてもらえるものだと、大いに期待をしております。

「99年の愛」 に関する当ブログほかの記事
第1夜
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第2夜 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/99japanese-am-1.html
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2010年11月 6日 (土)

「99年の愛~JAPANESE AMERICANS~」 第3夜 いいほうにとらえるか、悪いこととみなすのか

 第2夜に続いて、私がこのドラマに対して抱く思いは、26年前のNHK大河ドラマ 「山河燃ゆ」 と近づきつつあります。

 特に砂漠の真ん中にあるマンザナール強制収容所(今回のドラマではマンザナー、となっていますが)に登場人物たちが向かうシーンは、荒涼な土地の一本道を走る、という構図。 これは 「山河燃ゆ」 のタイトルバック、主題曲が流れるシーンで毎回見ていたものと同一なのです。

 そして自足の生活を許され(米政府のコストダウンの方策でしょう)ただの収容所が小都市の様相を呈していく様子も、「山河燃ゆ」 で見ていた風景。 ただし 「99年の愛」 は、日系人タウンと言うよりも、外的な畑作りとか庭作りとかに描写の重点が置かれていたようです。

 「山河燃ゆ」 では主人公たちの父親が三船敏郎サンで、あのコワモテで(笑)クリーニング屋をやっていたと記憶しています。 その存在感たるや。 クリーニング屋にしておくのはもったいない、という感じでしたが、出てくるだけで画面がビシッと引き締まり、大役者の風格を発散させていました。 いま、そんなふうに感じる役者サンというのは、実に少なくなった気がいたします(いや、三船サンが別格すぎるんですけど)。

 どうしても 「山河燃ゆ」 に心酔していたものとして、そっちの思い出話ばかりに話が行ってしまうのですが、そのためかこちらのドラマについてあまり細かい話のフォローをしよう、という気が起きません。

 どうにももったいないように感じるんですよ、ダイジェスト風な話の構築が。

 特に寺島咲チャンや川島海荷チャンの日本でのエピソードは、もっと時間をかけて見たい気がします。
 まるで小型版 「おしん」 を見ているような錯覚に陥るんですよ。

 「おしん」、と言ったって、いまの若い人は全く知らない人が多いでしょう。 これは 「山河燃ゆ」 の1年前、いまから27年前の1983年のNHK朝ドラマ最高傑作(ついでに最高視聴率だった気がします)です。 私どもの年代以上の人には、全く説明不要なんですけどね。

 特に川島海荷チャンの学校の先生が思想犯としてしょっ引かれる場面は、おしんにアカの思想を教えた中村雅俊サンを彷彿とさせる話だし、寺島咲チャンを一方的にいじめ抜くふせえりサンに対して、ダンナがおっかなびっくりながらも優しい役割を演じる、というのも、「おしん」 にあったような気がします。

 それだけに、もっとじっくりいじめられるところを見てみたいし、もっと母親が恋しい心を見せて紅涙を絞らせてほしいし、杉田かおるサンなんかをぎゃふんと言わせるところももっとひつこく見たい。

 でもそうすると、まんま 「おしん」 になってしまうんですが…(笑)。

 そんななかでふさぎがちな気持ちをパッと切り替えて、アメリカ育ちの持ち前の図々しさ?を発揮して、人一倍に働き、働いたからもらう!とお粥のお代わりをする海荷チャンには、前向きに生きていくことの重要さを、教えてもらったような気がいたします。

 同様に何事にもポジティヴなのが、泉ピン子サン。

 平松農場を二束三文で売り飛ばすことになっても、丈夫な体があるだけでじゅうぶん、と裸一貫からの再出発に気後れしないばかりか、逆にそれを楽しもう、という気概さえ見せる。

 それは自分がゼロから出発した人間だからこそ、そう思えるようなところも確かにあります。
 初めから何でもそろっている人間には、「自らの持ち物を失う」、ということに対して、とてもダメージが大きいものです。
 それって、ほぼ今の日本人全員じゃないですか。
 過保護に育ってきた我々に対する、これは橋田サンの強い警告です。

 自分がいきなりゼロ、もしくはそれ以上にマイナス、になってしまった時、どうやって自分を鼓舞できるのか。

 それはポジティヴな考え方しか、ないのです。

 財産ほぼ没収のうえ強制収容所に押し込められた日本人たちが、行動制限の緩和を言い渡された途端、マンザナーでの創意工夫に満ちた、しかも自分のこれまでの仕事を生かした街づくりを開始する。

 これは 「ほかにやることもないし」 という後ろ向きな考えも含みながら、実は自分たちの誇りを守る作業だったりも、するのです。

 「日本人てさ、過酷な運命でも仕方がないって諦めて、そこからどうやったらその運命を克服できるか、前向きに歩き出すんだよねえ」

 松山ケンイチクンがこの荒れ果てた土地を畑に変えていった作業を思い起こしながら、彼が年をとったあとに(上條恒彦サンとして)回想するその言葉。 第3夜のテーマは、そこにあった気がします。 笹野高史サンはそれにあくまで不満を訴え、暴動を扇動させる。 不満から生まれるものは、破壊であり、不信であります。 従順に生きよ、ということではない。 でも悪いことも、ちゃんと起こるのが、人生なのです。 不満を抱いて生きるより、前向きに勢いをつけて前進すれば、おのずと道は開けていくものなのではないでしょうか。 川島海荷チャンの開き直りにも、そのことが感じられますね。 ピン子サンも松山クンも、そんな 「逆境をバネにする」、ということを、地で行っているのです。

 けれどもそんな生活が破られる時が来る。

 アメリカ人は日本人たちも戦争に駆り出そうと、母国に対する忠誠心を確認しようとするのです。
 アメリカ人が日本と同じ枢軸国系のドイツ・イタリアの人々よりも日本人をことさら軽蔑した、ということは、アングロサクソンという民族的な理由(よーするに同じ白人、という意識)と、真珠湾攻撃に対するあまりの印象の悪さが相俟っている。 その仕打ちに対して一郎(草彅剛クン)は 「このアメリカという国を見損なった、絶対に許せない」 としておきながら、この忠誠誓約書に、「イエス」 と書き込むのです。

 その理由は、これを拒絶したら、日本を捨ててこの国に骨を埋めようとしてやってきた親たちの思いを叶えられないことになる、という 「親を思う気持ち」 から。

 しかしその選択は、自分の親の国の人たちを殺そうとする展開に、結びつくかもしれない決断なのです。

 そんな胸が引き裂かれるほどの決断を、草彅クンはしているのです。

 確かにそれがどこまで重大な意味があることなのか、草彅クンは意識していないかもしれない。
 けれども人生において最良の選択など、人はそんなにできるものではないのです。
 彼がそうしなければならなかった、家族への思い。
 第4夜では、その家族の思いゆえに、殺し合いの現場のただなかに、草彅クンは突っ込んでいく。
 またまた、期待であります。

「99年の愛」 に関する当ブログほかの記事
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2010年11月 5日 (金)

「99年の愛~JAPANESE AMERICANS~」 第2夜 「山河燃ゆ」 とダブります

 草彅剛クン、第2夜からは日系二世役であります。 そして第1夜で草彅クンが演じた長吉が、中井貴一サン。 切れ長の目で面立ち的には同系統の顔なのですが、ちょっと似ても似つかない。 性格的にもちょっと頑固になってしまったようなきらいがあります。 イモトアヤコサンを嫁にしたときの柔軟な思考が、なりを潜めている感じ。

 そしてイモトアヤコサンの役が、今度は泉ピン子サン。 これは苦笑してしまうほど同じ顔。 ただ年齢的に中井サンとは釣り合わんよなあ、という感じです。 まあ、顔が同じなので許します(エラソーだなあ…)。

 そして中井サンとピン子サンのふたりの息子が、前述した草彅クンが長兄で、松山ケンイチクンが次男。 ふたりの妹は、寺島咲チャンと川島海荷チャン。 咲チャンはメイクのせいか、イモトアヤコサンの面影を少し感じさせます。 この子が物語では死んでしまう役で、海荷チャンがのちの岸惠子サン、というわけですか。

 そして二世の草彅クンの恋人役が仲間由紀恵サン。 現代編では八千草薫サン。 ただし結局結婚しているのは、松山ケンイチクンのほうです(間違えました、どうも結婚はしていないようです…マイティ様、ご指摘恐れ入ります)。 つまり現代編で松山クンは、上條恒彦サン、ということになります。 あ~ややこし(笑)。 二世の草彅クンは兵士になっていましたから、おそらく戦争で死んでしまうのでしょう。

 という事情を頭にちゃんと入れながらこのドラマを見ると、「ああ~ここが今生の別れだったんだ」、とかが分かって、涙腺がさらに刺激されることは確実です。

 実際この第2夜は、何度も泣かされました、私。 コメントを下さるリーン様が気になったと言われていた、仲間サンが海に飛び込んでアメリカ再上陸(笑)という話も、そこまで思いつめていたことがかえって感動的でしたよー。 マイティ様が指摘していた 「広島と沖縄」 という点も、分かりやすすぎで苦笑ものですが、実際そここそがいちばん(順位はつけられませんが)戦争の悲劇を体現した場所だったので、あえて目をつぶります。

 私が個人的に残念なのは、こうした日系人たちの悲劇は、すでにNHK大河ドラマ 「山河燃ゆ」(原作は山崎豊子サンの 「二つの祖国」) で見てしまっていること。
 でももう、26年も前になってしまうんですねー。
 この 「山河燃ゆ」 は、NHK大河ドラマのマイベスト3に入る作品です。 19歳という世間知らずの段階でこの番組を見た、というインパクトを差し引いても、です。
 主演は市川染五郎サン…現在の松本幸四郎サンです。
 そしてその弟役が、西田敏行サン。
 あにおとうと、と言って連想されるのは、そう、今回の草彅クンと松山クンです。
 ただ 「山河燃ゆ」 では、兄弟が敵味方になってしまう。 それゆえにかなりドラマチックな展開を示していくのですが、太平洋戦争のなかでも日系二世たちの悲劇を余すところなく描かれる話に昇華されていました。
 そしてマンザナール強制収容所。 おそらくこのドラマでも第3夜で描かれていくのでしょうが、19歳の私にとっては、アメリカにいるだけで罪人となってしまった日本人たちがいたことに、強烈なショックを受けたものです。

 「99年の愛」 に話を戻しますが、レイプされそうになった仲間由紀恵サンを草彅クンが救ったことがきっかけでふたりは付き合うようになります。 農場にやってきた仲間サンを見て一目ぼれしたのは、松山ケンイチクン。 この、兄弟それぞれの思いが交差する展開がいい。

 日米情勢の悪化によって日本に帰ることを決意した仲間サンは、極めて理路整然と、しかも事務的に、草彅クンに別れを告げます。
 そして草彅クンも、苦しみながらもそのことに同意。
 ふたりの別れのシーンは、橋田流の心情全部ばらしまくりの手法(笑)によって、とても分かりやすく涙を誘うものになっていました。 泣けました。
 ふたりとも、情勢や親に逆らいながらこの恋を推し進めていくことに、覚悟も自信もないのです。
 この、「覚悟と自信がない」、という点は、深く共感できる部分があります。

 そして中井サンが娘の咲チャンと海荷チャンを日本に帰そう、とすることへの理由づけも、実に納得のいく話。
 その底辺には、咲チャンがレイプされかかった、ということが重たく横たわっている。
 それを阻止した草彅クンの意向で本当の話は全くされないのですが、中井サンもピン子サンも、すぐに気付いてしまう。
 そして日本に送ろう、という考えには、「こんな戦争は一時のことだ、すぐに帰ってこられるだろう」 という甘い考えがあることも確か。 実はその甘い考えこそが、大きな悲劇を呼んでしまうのですが。
 そして中井サンとしては、 「美しい国日本」 を見せてやりたい、という気持ちも含まれています。
 ところが美しいのは景色だけで、ロクなもんじゃなかった。
 日本人のウェットさ、嫉妬深さを知っている橋田サンの本領発揮ですな、ここらへんは。 「おしん」 を思い出しましたよ、咲チャンたちを引き取る杉田かおるサンなんかの演技を見てまして。 姉妹が今生の別れをするシーン、ここでもボロボロ泣きました。

 でもいちばんボロボロ泣いたのは、やはり家族の別れのシーンですね。

 咲チャンと海荷チャンを送りに来た場で、それまでずっと我慢してきたピン子サンが、背中を向けて歩き出したふたりに向かって、大声で叫ぶのです。

 「…いいーーー!!

 行かなくていいーーー!!」

 駆け寄っていく母娘。

 もう、理屈抜きで、ダバダバ泣きました。 号泣です。 ピン子サン、うますぎる! 誰が何と言おうと、うまいものはうまい! もう、脱帽であります。 このシーンを見るだけでも、このドラマを見る価値が絶対にある。

 そしてさらに、父親にすがって泣きじゃくる娘ふたりを、思い切り強く抱きしめながら、中井サンは意を決したように、こう叱咤するのです。

 「船が出ちまうぞ…!

 行け…!

 行け!

 ……行けっ!!」

 あーもう、仕事行かなきゃならんのに、またボロボロ泣いてます(笑)。

 橋田サンの力量が全く衰えていないことにひたすら驚嘆するばかりであります。
 こんな長丁場のドラマを、しかも5夜連続、しかも 「渡る世間」 も書きながらなんて、なんて人なんだ!

「99年の愛」 に関する当ブログほかの記事
第1夜 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/99japanese-amer.html

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2010年11月 4日 (木)

「99年の愛~JAPANESE AMERICANS~」 第1夜 橋田ドラマにハマれるか?

 TBS開局60周年記念番組として5夜連続ドラマをぶつけてきました。 ぶつけられた 「SPEC」 も 「獣医ドリトル」 も、みんな吹っ飛んでいってしまいました(笑)。 私の場合、「黄金の豚」 が、あえなく遠い彼方までかっ飛ばされてしまいました(何せHDD容量がもうないもので…笑)。 ですので今週の 「黄金の豚」 のレビューはお休みです(それ以前に、このドラマの記事を書くことのテンション自体が、かなり低下しているのですが)。 ご了承ください。

 それにしても、どうして改変期にやらないんでしょうか? 第1夜を見る限り個人的には傑作だったと思うので、余計に残念な気がします。 改変期のドラマ品薄状態の時にやれば、もっと効果的なのに。
 私の場合こうしたブログを書いているおかげで、「5日も連続して2時間以上放送するなんて、何を考えとんじゃ!傑作じゃなきゃレビューなんて書かないけど、もし書きたい内容だったら、体が持たないっての!」 という感じなんですな(笑)。

 で、恐れていたように、第1夜を見る限り、書きたくなるような傑作だったわけで。

 このドラマを見る際のハードルとしては、まず橋田壽賀子サンの脚本に乗れるかどうか、だと感じます。
 橋田ドラマはいつのころからか、セリフの量がボーダイな役者泣かせの脚本として、その地位を確立していったのですが(違うか…笑)、それが彼女が、役者の演技を信用していないから、らしいんですな。
 それで何もかも、登場人物が自分の気持ちを洗いざらいしゃべってしまう脚本になるらしいのですが、昔はあんまり、そんなことがなかった気がするんですけどネ。 「おしん」 なんか、そんなにみんながベラベラ喋っていた印象がない。

 で、この 「べらべら喋くりまくり」 というのが、近年のドラマ作りのセオリーからは、次第に遠ざかりつつある。
 結局何が言いたいのか、と申しますと、橋田サンのそんな脚本が、実に現実離れしていて、うざったく聞こえるように、なってしまっているんですよ。

 けれども、それは確実に、橋田脚本の味でもある。
 いったんその世界に浸かってしまおうと考えてしまえば、違和感を抱くのは最初のほうだけで、あとはそのクセを楽しめるようになるのです。

 この壮大なドラマのオープニングは、シアトルマリナーズのイチローの活躍を、上條恒彦サンと八千草薫サンが観戦している現代編から始まる。 イチローというのがちょっと意表を突いた形ですが、これがこの物語の経てきた人種差別時代の結果を象徴的に表わす、重要な導入部分なのです。 このドラマの主人公も、一郎ですし。

 その上條恒彦サンの妹で、70年もの間消息が分からなかったのが、岸惠子サン。 兄妹の感動の再会、と思いきや、自分が日本に送り返されたことの恨みもあって、一度は拒絶してしまう。
 ここでふたりを引き合わせた岸惠子サンの息子の嫁が、岸サンに土下座して謝るシーンでは、やはりドン引き。 主従関係か?みたいな(笑)。 まあ、それだけ岸サンが日本でひとかたならぬ大物になっているんだろうなー、という想像は、出来ますけど。

 結局岸サンは逡巡の末、兄夫婦と和解する。 ここらへんも、結構イージーに事が運ぶような気がしたんですが、でも感動してしまった。 こんなに岸サンがあっさりと恨みを撤回しているのに、ですよ。

 これって結構昔風のドラマの運び方なんですよ。

 いまのドラマは、何しろ見ている側が納得しないもんだから、これでもかこれでもか、というくらい、「どうしてその人がそういう行動をとったのか」、という理由を添付したがる。
 橋田ドラマは、膨大な量のセリフの割には、そのひとつひとつの言葉が、とても軽いような印象を受けます。 もちろん肝となる部分のセリフは、とても印象的ですけどね。
 でも、その膨大な軽いセリフのなかから、なんとなく生まれてくる雰囲気、というものが、あるんですよ。
 現代のドラマが状況証拠やら、無駄を削ぎ落とした簡潔なセリフやらによってくどいほどの理由をつけたがる登場人物の行動を、橋田壽賀子はそのくどいほどの膨大な軽いセリフによって表現しているのです。

 登場人物の心情が余すところなく言葉によって表現されているため、岸サンがそれまでの恨みを撤回するのにも、さして込み入ったお膳立てが要らない。 こんなに簡単に考えを翻して兄妹が抱き合ってしまうシーンに感動するのは、そんな語り部の意図的なドラマの構築がなされているからなのだ、と私は思うのです。

 個人的に非常に感慨が深かったのは、八千草薫サンと岸惠子サンの久しぶりの共演。

 「赤い疑惑」 での、百恵チャンの育ての母親と生みの母親じゃないですかぁぁ~~~っ! 八千草サンは 「俺たちの旅」 とか、多忙のために早い段階から降板してしまったんですけどネ。

 それでもやはり、感激しまくりました…(ナミダ)。

 それだけでも、このドラマを見た甲斐がありました。

 さらに私をこのドラマにハマらせた原因が、主人公たちの島根弁。

 「ゲゲゲ」 ロスト症候群にかかっている私は、「そげ」 「ごしな」 等、助詞が使われるたびに奇妙な安心感に包まれまして(笑)。 これは橋田サンの確信犯的な部分を感じる(笑)。

 物語はその現代編からおよそ100年前にさかのぼるのですが、まずアメリカ人のモブシーンには 「金かかってそう…」 と感嘆。 イモトアヤコサンがアメリカに乗りこんでくるシーンでも、大正時代の髪形をした女性たちが大挙して上陸してくる(兵隊かよ…笑)のは圧巻でした。

 この第1夜を見ていて強く感じたのは、日本人の勤勉さです。 おそらく橋田サンの言いたいことのすべては、そこにある。

 アメリカに渡ってきた草彅剛クンは、当初の話とはだいぶ食い違った実情を見せつけられながらも、貧しい日本にいるよりはマシ、という感覚で、頑張り続ける。 やがて写真によるお見合いで、日本から来たイモトアヤコサンと出会うのですが、イモトサンは実は美人のお姉さんがアメリカ行きを拒絶したために代わりに渡航してきた替え玉、と言いますか(笑)。

 この出会いの場面は、イモトサンが美人でないことを利用した、なんとも笑える場面。

 それでもイモトサンは、断られても、自分で働きたいからアメリカに来た、という決意を告白することで、草彅クンのお眼鏡にかなうのです。

 晴れてふたりは夫婦になり、何かと面倒を見てくれる小林稔持サンから職と住む家を提供され、夕暮れにその家の前で佇むふたり。

 草彅クンはイモトサンに、こう話します。

 「私は何も持っていない。 けど、いつかは自分の家を持てるようになってみせる。 それまで辛抱してほしい」

 イモトサンはそれに、こう答えるのです。

 「貧乏は慣れとる。 こがあなとこじゃって、働かせてもらえたら、いつかひとつずつでも欲しいもんじゃって買えるようになる。 そがあな幸せなことないもん。 それに…ひとりじゃない。 あんたがおってくれる。 日本におるときは、ただ働くだけで、なんの希望なかった。 だけど今は違う。 生まれてきてよかったと思うとる。 生まれて、初めてそういう気持ちになれた。 ふつつか者ですが、末永くよろしくお願いします」

 まるでミレーの 「晩鐘」 のような景色のなかで、交わされる会話。 「膨大で軽い」 セリフが織りなしていく、さまざまな思い。 そこにイモトサンの演技のうまさ、という意外性が加わって、このドラマは見る者の心を動かすのです。

 イモトサンのセリフでもうひとつ印象的なものがありました。

 最初の男の子(一郎)が生まれたときです。

 「アメリカで、どがあな目に遭ったって、定吉サンと、この子がおったら働けます。 元気で働けたら、言うことありましぇん!」

 働くことができれば、それが何よりのことなのだ、日本人は働いて働いて、働いてきたからこそ、これだけの経済大国になったのだ、ということです。 近年ではそんな価値が、とても軽んじられている。 金よりも心だ、というのは正論ですが、心を豊かにするために、金というものは存在しているのです。 使うものが心を失わなければ、金というのは大きな生きていくための力になる。 その推進力というものが、正論によって大きく低下しつつあるのが、いまの日本ではないでしょうか。

 心が大切にされすぎる弊害は、結婚ということにも如実に表れる。
 自分の人生が大事だから、経済的に無理だからと結婚に踏み切れない人々にとって、草彅クンとイモトサンの第1夜での結婚は、信じられないイージーさを伴っています。
 でもひとりでは出来ないこともふたりならなんとかなる。 結婚というものが打算に流されすぎてはいないか?という問いを、このドラマは投げかけているような気もします。

 そしてもうひとつの大きな柱が、アメリカの人種差別。

 家が燃やされてしまったシーンは、まさに 「風と共に去りぬ」 を連想してしまったのですが、自分らがネイティヴアメリカンを駆逐してきたくせに、自分の土地だと我が物顔で闊歩する姿は、実に醜い。 そして抜き去りがたい、イエロー・ジャップへの軽蔑。 第2夜以降では、そのことがだんだん巨大化してくるようであります。

 それにしても、イモトサン、私はバラエティをあまり見ないので、マユゲの濃いネーチャン、という認識しかなかったのですが、朴訥ながらも演技が上手いです。 もっと演技の勉強をしたらいかがでしょうか。

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2010年11月 3日 (水)

「セカンドバージン」 第4回 ああーっ、修羅場だぁ~っ!(笑)

 深キョンとの離婚を決意した鈴木行(長谷川博己サン)。 るい(鈴木京香サン)に 「絶対別れる」 とか何とか、言うだけは簡単なんだよなーと思ってたら、案の定、深キョンと修羅場に突入(笑)。

 この修羅場、見ていてなんか爆笑もので(笑っちゃいけないんでしょうけど…)。

 「分かんない、全然分かんない、私バカだから分かんない!」(笑)。

 手当たり次第モノを投げつける深キョン(笑)。

 「このあいだ中村さんちに行ったことを怒ってるの? やっぱりバカだから嫌いになったんだ!」(笑)(笑)。

 行は自分のやってる難しい仕事に興味を持ってもらいたい、という論理を展開(そりゃ無理でしょう…笑)。

 「だって分かんないんだもん行クンのお仕事難しすぎて!」

 「知ろうと思わないだろ?」

 「知ろうとしても分かんないんだもん!」

 「普通は興味を持つと思うんだよ、一緒に生きていくなら」(ムチャクチャでんがな…笑)

 「だったら教えてくれればいいじゃない、バカな私にも分かるように!」

 「自分のことバカバカ言うなよ!」

 「だってバカなんだもん!」

 失礼ながら、笑い転げました。

 その挙句、深キョンは包丁を持ち出して、「死ぬ死ぬ」 の脅迫行動を採択(笑)。 九州の実家に電話して、その様子を実況中継(笑)。

 バカはバカなりに、怖ええ~~っ、という感じなのであります(ホントは頭いい?…笑)。

 そしてとうとう、深キョンは手首を切ってしまう。 「止めてやって!」 と叫び続ける電話、「大丈夫です、じゃあ切ります」 とパニック状態の行。 病院に直行しようとしますが、「手首を切るよーな女に思われたくない、行クンだってテレビに出てるんだから恥ずかしいでしょ」 という深キョンの頼みで引き返す(やっぱり頭いい?したたかさを感じる…笑)。

 翌日九州から深キョンの両親が急遽上京(そらそうだわな、あんな修羅場を実況中継されては…)。
 この両親、行に対して包囲網を張り巡らすのですが(笑)、「浮気くらい大目に見るけど離婚は許さん」 という石田太郎サンと、「やっぱりうちの娘とあなたは合わんのかもしれんね」 と言いつつも 「自分のことは自分でカタをつけろ」 と凄む九州女の朝加真由美サン、どちらも個人的には納得の理論なのです。

 しかしまあ、他人の不幸は蜜の味、と申しますが(笑)、実に面白かったです(興味本位で誠に申し訳ない…)。

 それにしても、行の浮気を疑ってケータイの中身を執拗に知りたがる深キョン、急に大人の色気を発散させている気がしてなりません。 と言うより、嫉妬に狂う女の漂わせる妖気、みたいなものを感じるんですよ。 深キョンがこんな演技をすることによって、ドラマ全体がシャキッとしてきたような印象すら受ける。

 いっぽうの鈴木京香サン。

 鈴木行の状況が把握できないまま、ケータイが壊れたとか、深キョンの両親の登場とか、ワケの分からない状態が続き、普通だったら 「こんなメンド臭いことになるなら、もうい~や」 みたいになってしまうところなんでしょうが。

 「(世間知らずな若妻を、絶望の淵に落とす…。 そんなことしていいの?)」 と、ドレッサーの前で気の抜けたような顔をする、京香サン。 けれどもこう、考え直すのです。

 「(同情は欺瞞だわ…。
 私のほうがあの人の人生を豊かにできる。
 思いのままに生きていい。
 人を愛することが出来たんだもの。
 もう一生出来ないと思っていたことが、出来たんだもの)」

 それでも、「自分が60になった時、あの人はまだ、43」 と、将来添い遂げるときのことまで考えてしまうのは、見ていてやはりリアルなのです。 にもかかわらず、るいは今までとは違う人生を踏み出そうとする。 やはり社会で成功する人は、どこかアグレッシヴであります。

 しかし前述のとおり、深キョン両親に誘われて鈴木行宅で食事をするに至って、るいの気持ちはグラングラン揺れるのです。

 「なんなの? この家族だんらん」(笑)。

 その場を逃げるように戻ってきたるいは、息子の恋人YOUサンと鉢合わせ。 彼女の懐の広さに、なんだかとても安らぎを感じてしまうるい。 その時YOUサンがふと漏らした一言。

 「若いってだけで、宝物みたいに見えるときもある」。

 これは、若い人には分からんだろうなー、うんうん、という感じなのであります(笑)。

 そしてもう一言、キツーイ一発。

 「妻と別れるって言う男で別れた人いないもん」(笑)。

 鈴木行には、実に高ーい、棒高跳びみたいなハードルが待ち受けておるのです(笑)。

 さらに京香サンの前には、布施明サンというもうひとりのアタッカーが出現(笑)。 彼に対して、京香サンはこうのたまうのです。

 「私、浮いた関係に興味はありません。

 踏み出すなら一番でないと。

 一番でないとダメなんです」

 「二番じゃどーしていけないんですか?」 と突っ込みたくなってしまいました(レンホーか?…笑)。

 それはともかく、要するに京香サンは、鈴木行が離婚しなきゃ、お付き合いできません、という意志表示を、ここでしたも同然なのです(話す相手が違いますけど)。

 鈴木行サンのハードルは、ますます途方もなく高くなっていくばかり。

 いやー、ドロドロの、面白い話になってまいりました(返す返すも、興味本位で誠に申し訳ないです…)。

「セカンドバージン」 に関する当ブログほかの記事

第1回 セレブの恋愛に、興味なし…ですけど
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/1-5dd1.html
第2回 冒険してもいい頃? http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/2-ded4.html
第3回 あーあ、やっちゃったよhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/3-68b7.html

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「フリーター、家を買う。」 第3回 家を買ってやろーじゃないの!

 前回はこのドラマの建設業の描き方に大いに文句を言った当ブログ、今週はそうした描写もなくなんとか無事に…と思ったのですが(笑)。

 まずカンケーないところから攻めてまいりますが(笑)このドラマ、オープニングタイトルで二宮クンと香里奈サンがペーパークラフト風な?ひとつの家の前で並んで立っています。
 つまりこのふたりはいずれ結婚する、ということなんでしょうかね?
 それってかなり、最初っからネタバレ全開、ということのように思えるんですが(考えすぎかな?…笑)。
 や、すでに題名からして、ネタバレの権化みたいですから!(笑)

 で、その香里奈サンなんですけど、二宮クンを飲みに誘ったり(仲間同伴ですけど)帰り道に長々としゃべったり、あげくの果てに夜に彼とニアミスして誰にも言ったことのない自分の夢を滔々と語るに至っては、どうしてここまでこんな口の悪いアンチャンと絡みたがるのだ?とすら考えてしまうのであります。

 そうなんですよ、このドラマでの二宮クン、香里奈サンが得意先の人間であるにもかかわらず、タメ口ききまくりで(笑)。 大友康平社長にも友達みたいな感覚だし、甥っ子にまでべらんめえ調で(笑)「オマエは口のきき方からなんとかしろ」 と言いたくなる、とゆーか(笑)。

 でも、文句を言うのはここまでです。

 第3回の焦点は、いかにしてニノが(なんで私がニノと言わねばならんのだ?…笑)「家を買う」 と宣言するに至るのか、ということに尽きます。
 坂口良子サンが浅野温子サンに10年以上いじめを繰り返していた、という事実を二宮クンが突き止めるまでの話には、正直引き込まれました。 と言うか、ジリジリ焦れました(笑)。 あれほどのタメ口全開男なら、その現場に直行してオバハン(坂口良子サンをオバハンと呼ぶことには、かなり抵抗がある…笑)を押さえつけ、「ナニやってんだこのババア!」 くらいの展開でもよかった気がするのですが(ババアはオバハンよりマズイか…笑)。

 そしてゴミ出しの嫌がらせに気付いた二宮クンが母親の浅野サンに 「どうしてか分かった!」 と報告しに行くと、母親はすでに、何もかも承知だったのです。

 鬱がひどくなる前兆の、体の大きな揺さぶりを始める、浅野サン。
 なんとかその震えを止めさせようと、母親の手をしっかり握る、二宮クン。

 この口の悪い息子が、母親の手を握る、ということに対して、私はとても心を動かされるのです。

 親に対して横柄な口のきき方をするのは、まず最初に、メンド臭い、というのがある。
 そして明るくふるまう、ということが本来の自分ではない、という意識が多分にしてあり、だからそのままの自分を親には分かってほしい、という、「歪んだ甘え」 の側面もあるのです。

 そんな不肖の息子が、すべての照れや取り繕いを排除して親の手を握る、ということには、相当な心の抵抗を乗り越える必要があるのです。 普通だったら気恥しさが先に立ってしまう。
 このときの二宮クンの張り裂けそうな気持ちを考えると、いたたまれない気持ちになります。 思い当たるところ、あるんだよなー(私も不肖の息子なんで…)。

 そしてその解決策として二宮クンは、引っ越そう、という話を父親の竹中直人サンにするのですが、そんな金なんかない!オレが稼いだ金は、全部オレのもんだ!と主張する竹中サンに、完全ブチ切れ。

 金なんか、あるはずがありません、竹中サン。
 だって若い女の子に、せっせと貢いでるんですから(笑)。

 でもこのオヤジ、今回のそこらへんの描写を見ていて、なんとなく浮気にまで至っていない、という気はしたんですが。
 だってなんかえらくモジモジ君だし(笑)、どうひいき目に見ても、「付き合ってもらってる」、という感じなんですよ。
 何か裏に事情でもない限り、何考えとんじゃこのバカ親父は?としか思えません。 製作者のかた、何か事情を作って下さいよ~っ(笑)。

 物語は、冒頭に述べたように、香里奈サンに自分の夢を二宮クンに向かって告白させることで、二宮クンに 「人生の目的とは何なのか?」 と考えさせる動機を作っていくのですが、二宮クンが 「家を買ってやる」 という気持ちを持つに至った最終的な動機として、やはり母親をなんとか救いたい、という、衝動的なまでに強い愛情に突き上げられたことを持って来るのです。

 そしてそのきっかけとなったのが、自分の小学校低学年の頃の、作文。

 その作文のなかで二宮クンは、ほかならぬ自分自身が、将来父親のようになりたいと思っていたことを図らずも知り、同時に健康でいてくれればそれでいいと当時から言っていた母親の気持ちを再確認する。

 二宮クンが思い出していたのは、幼いころに病気になった自分の手を、しっかり握りしめていた、母親の手。

 今度は自分が、病気になった母親の手を、しっかりと握っていなくてはならない…そう、不肖の息子は、決心するのです。

 第1回目の雨のなか突っ伏して泣くシーンに通じるものがあるのですが、ここでもウルウルです。

 翌朝食事の席で、「引っ越そう」 と母親に切り出す、二宮クン。
 当然父親の竹中サンは反対。
 そんな竹中サンに向かって、二宮クンは自分が家を買う、と宣言するのです。

 これは要するに、昔自分のヒーローだった父親に対する幻滅を当の父親に当てつける側面も持ちながら、そんな父親を見返してやろう、乗り越えてやろう、という、不肖の息子の半ば破れかぶれな、闘いの宣言なのです。

 「ふざけんなよクソオヤジ、家を買ってやろーじゃないの! 母親は、オレが守ってやる!」、といったところでしょうか。

 まるでマンガ版の 「エヴァンゲリオン」 みたいです(マニアックな話を突然してしまい、恐縮です)。

 長いこと会っていなかった父親に突然呼び出され、いきなり 「地球の危機だ、エヴァに乗って地球を救え」 と言われた碇シンジクンは、アニメでは 「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ」 と自分を鼓舞しながらエヴァに乗るのですが、マンガ版では 「どーせ死ぬのなんか怖くないんだ、フンッ、乗ってやろーじゃないの」 という自暴自棄混じりの搭乗動機でして(笑)。

 それはともかくですねー(笑)、賽は投げられたのであります。

 やってやろーじゃないの、こっちも、自分の人生!(笑)

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「流れ星」 第3回 一瞬で消えてゆく星、その星への祈り

 ドナーになることへの交換条件として、竹野内豊サンとの300万円の契約結婚へ踏み切った、リサ(上戸彩チャン)。
 積極的に大人し目な服装にしたりとか、自分から髪の毛をフツーレベルにまで染め直そうとか、酒もタバコもダメ、という竹野内サンや母親の原田美枝子サンの言うことにしぶしぶながらも従うとか、彼女の姿勢にはすくなくとも、「ちゃんと300万円に見合う 『仕事』 をしよう」、という意気込みが見えます。

 ただ持って生まれた性格は、いくら隠そうとしても、ふとした瞬間につい出てしまう。
 彼女の場合 「ウゼェこんなこと」 という感情が先走ってしまうためか、自分の本来の性格を隠そうとするのも、いかにも中途半端。 でもいっぽうで、「ちゃんとやってやるよ」 という意地、もしくはミョーなところに几帳面、義理堅い、という部分も垣間見える。 一種の複雑さが、演技に求められるのです。

 この、「ミョーなところが几帳面」、というのは、稲垣ゴローチャンの借金をせっせと生真面目に返そうとする点に顕著だと感じます。 リサは、自堕落な性格のくせして、ヤケにそこんところだけはきちっとしている。

 ゴローチャンの尻拭いをしようとするのは、もって生まれたリサの 「几帳面な」 性格によるものなのか、ゴローチャンとの関係が、単なる兄妹という単純なものではないことからくるのか、このドラマには、そこを見る側が想像できる楽しさがあります。

 彼女は竹野内サンや原田美枝子サンの優しさに触れながら、凍りついていた心が、ほんの少しずつ解けていく。 それは、第3回の時点では、ホントに、ほんの少しです。 原田サンの手料理に、「ヤッベ」 と言いつつ、江の島の展望台で写真を撮りながらはしゃぐ原田サンに呆れつつ、リサの気持ちは、なんとなく 「自分の居心地のいい場所」 を見つけたように、柔和になっていくような気がするのです。
 髪の毛を染め直すのを竹野内サンに手伝ってもらいながら、「イルカってどうやって眠るの?」 と訊くリサ。 脳を片方ずつ交互に眠らせるんだ、という竹野内サンの説明を聞かないうちに、すやすやと寝入ってしまいます。
 リサの安心感が、じゅうぶんに伝わってくる、シーンでした。 

 そしてそんな複雑な演技をこなしている上戸彩チャン。

 私が 「金八先生」 のころに抱いていた 「このコの演技は本物だ」 という直感を、久方ぶりに思い起こさせてくれるのです。 屈託なく笑う役の彩チャンよりも、こっちのほうがずっと本来の姿のような気がする。

 先週出番が極端に少なかったように見えた、そんな上戸彩チャンの心の動きが、今回の話のメインだった気がします。
 ここらへんの作り手のバランス感覚は、優れているなあと感じます。
 物語は今回、この契約結婚が起こす余波と、リサがドナーとして合格するまでのプロットを、淡々と描いていきます。 あまりにも淡々としているこうした落ち着いた描写が、個人的にはとても好感が持てる。

 そして、竹野内サンの妹役である、北乃きいチャン。

 彼女もまた、リョウタクン(桐山照史クン)に心を寄せながら、微妙な恋心を演じている。

 リョウタクンが泣かせた女!(笑)が、彼のお姉さんであることを知ったきいチャンは、お姉さんから、リョウタクンの病状の深刻さを改めて知り、深く沈んでしまいます。

 このお姉さんの思いも、結構胸にずしんときます。
 家族のなかで自分しかドナーに適合する人間がいなかったのに、気付いた時には妊娠していることが分かって、結局自分の弟の命を助けてあげることが出来ない、という悔しさ。
 そりゃほかにドナーが見つかれば、お姉さんの思いは解消するんでしょうが、きいチャンはドナーが見つかることの難しさを知っているせいか、リョウタクンの前でもうつむいたまま、顔を上げることができない。

 そんなきいチャンに、リョウタクンは落語にある死神退散のおまじないを伝授するのです。
 「アジャラカモクレン、テケレッツノパ!」(笑)。
 モクレンはブッダの弟子のことか?(笑)
 まとにかく(笑)、きいチャンはそのおまじないのひょうきんさに、だいぶ元気を取り戻します。

 でもそのあと、きいチャンは病院のベランダで、ずっと流れ星を探して夜空を見上げ続けるのです。
 このきいチャンの気持ちが、見る側をとても癒してくれる。
 ケンカばかりなのに、実はとても大事に思っている。
 よくあるパターンですけど、いいんだなあ、これが。

 そこに現れた竹野内サンに、きいチャンはこう、話すのです。

 「探してるの、流れ星…。

 リョウタがよくなりますように」

 流れ星が出たわけでもないのに、手を組んで見えない流れ星に祈る、きいチャン。

 「もし、私に移植が必要になっても、…大丈夫。

 死神退散の呪文教えてもらっちゃったから!」

 屈託なく笑うきいチャン。

 そんなきいチャンの笑顔を見ながら、複雑な表情の竹野内サン。 そのあとひとり、海辺で星を眺める竹野内サンのもとに、上戸彩チャンが現れる。

 「ねえ…願い事でもしてたの?

 流れ星ってさあ…。

 消えて無くなっちゃうんだよね?

 クラゲみたいに」

 これらのシーン、願いを叶える流れ星に対する、きいチャンと彩チャンの考えが違う、結構鮮やかな対比のように思えました。

 きいチャンのほうは、あくまで流れ星が願いを叶える、という言い伝えを純粋に信じている、まっすぐさがある。 そして流れてもいないのに、星に願いを叶えてもらおうとする、ある意味での生きることに対する前向きさがある。 眩しいです。

 それに対して彩チャンのほうは、願いなんかなにも叶ってこなかった、という、自分の人生に対する自虐が、かなり支配している。 リサが共感しているのは、流れ星も、クラゲも、「消えて無くなってしまう」、ということに対してだけなのです。
 そして契約が終わってしまえば消えて無くなってしまう、自らの居心地のいい場所へのあきらめの気持ちも混じっている。 哀しいです。

 リサはドナーとして合格。 物語はいい方向に動き出すかに見えます。

 しかし同時に、松田翔太センセイは、リサが竹野内サンの本当のパートナーでないことに気付く。 翔太センセイが今回のインフォームドコンセントの場でちょっと話に出していた 「倫理委員会の決定」、というドナーとしての最終判断に、大きくかかわるかのような展開です。

 そしてもうひとつ気になるのは、ゴミ箱まであさって自分の妹の行方を捜しあてる、ゴローチャンの不気味さ。 彼にそこまでさせるものとは、いったい何なのでしょう。

 起承転結の、承の部分を受け持ったと明確に分かる、今回の内容。 そんな物語全体のゆるぎない部分も強く感じる、「流れ星」 なのです。

当ブログ 「流れ星」 に関する他の記事
第1回 ダウナーな感覚あふれるフジの月9
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/1-9-cab7.html
第2回 なんか、あっという間でした~ http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/2-2223.html
第3回 一瞬で消えてゆく星、その星への祈りhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/3-f0b3.html
第4回 消えない流れ星http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/4-6d12.html
第5回 生きていてほしいからhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/5-8444.html
第6回 託したい思いhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/6-3966.html
第7回 分かってる、その気持ちはhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/7-9175.html
第8回 思いがはじける瞬間http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/8-2edd.html
第9回 グラス・タワーの緊張感http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/9-ce60.html
第9回 健吾の決断について、補足ですhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/9-cad6.html
第10回(最終回) やさしさが帰る場所http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/10-6223.html

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2010年11月 1日 (月)

「獣医ドリトル」 第3回 単なる動物病院の話からの脱却

 なんだか面白くなってまいりました、「獣医ドリトル」。
 その原因は、獣医以外のパワーバランスの話が程良くドラマを侵食し始めたことによるものです。
 そしてその主役は、エンペラー動物病院グループの國村準サン。
 この人物、実に興味深いです。
 石坂浩二サンに紹介されて、大臣の孫のハムスターをドリトル(小栗旬クン)に任せるのですが、その裏には統合的な専門動物医療センターの設立、という思惑が絡んでいる。

 このセンター自体が、結構現実離れしているのはご愛敬ですが(そこまでやるか、って感じ…笑)、完全分業制にして専門的な動物治療のエキスパートを集める、というその理念に、花菱(成宮寛貴サン)が大いに興味を示す、という構造が、面白い。
 花菱はよーするに、手術はできないけど診断に関しては絶対の自信を持っている、という偏った才能の持ち主だから、國村サンの理念に賛同したがるんですよ。 で、國村サンのもとに尻尾を振って会いに行くのですが、カリスマ獣医として自分の動物病院の客を横取りされている、と感じている國村サンは、花菱のことなど歯牙にもかけない。 かさねがさね、この構図は面白いです。
 ここで國村サンが花菱の腕を買うまでに至れば、話はさらに複雑怪奇の様相を増してきて面白くなりそうなんですが。 いや、それはないかな。 國村サン、花菱見くびってますし(笑)。

 で、ドリトルにハムスターを預ける際に、300万を要求したドリトルに対して、自分の病院で直してもらったことにするために、さらに100万上乗せする。 ドリトルは、「こんなこと初めてだ」 とほくそ笑むのです。
 いやー、蛇の道は蛇、と申しますか、今回終盤で國村サンはドリトルと自分に共通点を感じた様子。 新センター開業のあかつきにはうちに来て働かないか、報酬ははずむ、とドリトルに提案するのです。

 ところがそれに対してのドリトルの答えは、「金は大好きだが、金に縛られたくはない」。

 そんなドリトルの答えに、國村サンはますますこの男に対する興味を強めていくのです。

 こーゆーのが、面白いんですよ。

 そしてもうひとつ、物語の底を静かに潜行しているのが、矢ガモ犯人。

 そいつがケーブルを切断してハムスターの治療の邪魔をする、というところまで、物語に落とす影が濃くなっているのです(たぶん同一犯人でしょう)。

 動物虐待、というのは、サカキバラ事件においてもそうだった記憶があるのですが、人間の殺人へと至るケースがじゅうぶん考えられる。 そんな長年の私の忸怩たる思いを、このドラマがどれだけ改めて問題提起させ、どれだけスカッと解決させてくれるのか、その料理の仕方にも、個人的な期待が高まっているのです。

 そして気になるのは、大橋のぞみチャンの犬…のほうではなくて、大橋のぞみチャン(笑)。

 彼女、「ポニョ」 のころに、もうお仕事はやめにしたいみたいなことを言っていたよーな記憶があるのですが…。 いつまでこのお仕事、お続けになるおつもりなんでしょうかね?(笑)

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