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2010年12月12日 (日)

「坂の上の雲」 第7回 (ふたたび)痛みを忘れる方法

 私にとっては因縁の(笑)第2部第2回目(通算7回目)「子規、逝く」。 とりあえず前に書いた大恥ものの痛恨記事に手を加え若干削りながら、改めて記事をアップいたします。

 今回の話は題名の如く、、主役級のひとり正岡子規(香川照之サン)が亡くなってしまう話。

 香川照之サンは 「龍馬伝」 での岩崎弥太郎役とは打って変わって、痩せこけ今にも死にそうな子規を、完璧に演じ切っておりました。 にもかかわらず、そこにはちゃんと、俳優香川照之が厳然と存在している。 こういう激烈な人物の人生を演じさせたら、ものすごいものがありますよね、この人は。

 そしてその瀕死の演技にこの回最も対抗していたのは、子規の妹律(通称リーさん)を演じた、菅野美穂チャンでした。
 子規が亡くなるシーンでは、こちらもおおいに泣かせていただきました。
 その演技法は彼女なりのメソッドに貫かれた部分が新鮮で、彼女もこの先どれだけ成長していくんだろう、という大いなる期待を抱かせてくれる。

 それにしてもどうして当時の日本人たちは、これほどまでに 「大人」 なのでしょうか。

 寿命が短いせいもあるのでしょうが、当時は早く大人になる必要が、いまとは段違いにあった、ということでしょうね。
 特に私は、明治期の文豪たちの書くものを読んでいると、そこには知識を弄ぶような高等遊戯感が散見されるものの、おしなべて皆、ひとりの人間として実に力強く屹立していることを、とても感じます。

 それが大正期から昭和初期の小説になってくると、どうも女々しさ(この表現、ご了承ください)がそこに割り込んでくるような気がする。

 これは明治期が、それまでの武家社会がリードしてきた倫理観や慣習の影響が世の中全体に色濃く残っていた時代だからなのではないか、と私は考えています。
 それが、大正期になると個人主義の台頭で結構 「家」 の中での役割とかを軽視するような傾向が出てくる。
 そして明治期の 「新時代的気風」 は次第に手垢が付いていき、権力に寄りかかるような精神的風土が醸成されていく。

 そうした観点から今回描かれていた明治期の軍司令部と、昭和期の軍司令部とは、その気風において優劣がすでについている、そんなふうに感じるのです。
 今回片岡鶴太郎サン演じる秋山真之(本木雅弘クン)の上司が、真之の講義を受ける、という構図などまさにその象徴。 柔軟さが違う。

 そしてその精神的柔軟さを垣間見るのは、数少ない出番だった気がしますが、阿部寛サン演じる秋山好古が、中国の袁世凱と懇意になっていく過程。

 「蒼穹の昴」 では 「とんでもない食わせ物」 として田中裕子サン演じる西太后に疎んじられていた袁世凱ですが、そんな裏でなにを考えているか分からない存在感そのままで、日本とある意図のもとで繋がっておこうとした狡猾さもちらちら見える。 好古とふたりで馬の酔っぱらい運転(泥酔運転?…笑)をするくだりなどは、その真意がどこにあるのか、見る側も探りながらの視聴で、かなり面白かったです。

 ここで袁世凱と好古の駆け引きを見ていると、袁世凱側は自らの利益をどう最大限にしようかという意図が見え、好古のほうはあくまで武士道精神にのっとって、国際情勢における日本の果たすべき役割から見た対局にしか立っていないように思える。
 好古のそんな誠実さに袁世凱は胸襟を開く(フリ…笑)をするのですが、両者とも実に成熟した外交的判断だと思うんですよ。
 そんなやり取りから見えてくるのは、やはり相手をおもんぱかった態度からくる柔軟性。 自らの引けない部分は残しつつ、誠実な外交姿勢によって友好関係を保つ。 現代の日本の政治家には、爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいくらいの心憎さなのであります。

 そしてやはり、冒頭にも書きましたが、なんと言ってもこの回の白眉は、香川照之サンと菅野美穂チャン。

 息も絶え絶えな結核病患者が、それでもあらんかぎりの力で仕事を続け、死ぬ間際まで痛みに苦しみ、そしてその苦しみから、解放される瞬間。

 いつもは仲間たちであふれかえっている子規宅に誰もいないとき、ひとりぼっちの子規は苦しみにのたうちまわります。

 「あ~、痛い、痛いい…。

 律…母上~…痛いよ~…。

 痛いよ、痛いよ、痛い…。

 淳さん(真之)…夏目(漱石)…誰か…助けておくれ…。

 みんなどこにおるんじゃあ…。

 律、律、律、律、律、律…!

 ううっ…! ああっ…! あああ…」

 そんな苦しみに喘ぐ姿に、当の子規のナレーションが、かぶさるのです。

 「可笑しければ、笑う。
 悲しければ、泣く。
 痛みの激しいときは、うめくか、叫ぶ。
 盛んにうめき、盛んに叫び、盛んに泣くと、少し、痛みが減ずる」

 これってとても大切なことのように感じました。

 仕事をしていても、気を張って打ち込んでいるときには、疲れというものは、あまり切迫して感じない。
 それでもちょっと小康状態になってきたとき、疲れを一気に感じてしまうものです。

 何かにただひたすら、打ち込むこと。

 ただひたすらに笑い、ただひたすらに苦しむ。

 実はそれこそが、自らの人生を謳歌していることなのではないでしょうか。
 苦しみすらも、そうして前向きにとらえて生きることが出来れば、どんなに人生にとってプラスになることか。

 ある夜、律は兄の眠る蚊帳の中に、生気が感じられないことに気付きます。

 心がざわめき立つ、律。

 近づいて息を確かめると、子規は息をしていない。
 母親の原田美枝子サンに向かって、かぶりを振る、律。

 「兄(あに)さん…」

 律は兄の体を揺さぶります。

 「兄さん兄さん…」

 子規は動きません。

 「ねえ兄さんどこにおるん?
 どこにおるんじゃ…」

 きっとそのあたりをまだ漂っているであろう、自分の兄の霊魂に向けて、律は語りかけるのです。
 この心境、かなり共感しました。
 もうこの時点で私、かなり泣いてます。

 「兄さん戻ってきてくだされ…!

 そこに死神がおいでか?

 ならうちのところに連れてきて…。

 うちが懲らしめてやるけん。

 兄さんは、うちが守ってあげるんじゃけん。

 兄さん…兄さん…!

 誰がいじめとるん?

 兄さんをいじめる奴は、うちが許さんけん…」

 子供の頃、いじめっ子から兄を守った記憶が、フラッシュバックします。
 号泣して兄にすがりつく、律。
 こちらも滂沱の涙でした。

 ここで 「戻ってきてくだされ」「死神がおいでか」 と語りかける律の言葉は、方言も多少はあるかと思いますが、実に明治の言葉、と言っていいでしょう。
 私ははからずも野口英世の母シカが英世に送った手紙 「はやくかえってきてくたされ」(ママ)を思い出してしまったのですが、この言葉には一種の、言霊が潜んでいるような気がする。

 私を揺り動かすのは、明治も現代も変わらない、亡くなった人に対する衝動的な感情です。
 「死神がそこにいるのか?」 などというのは、悲しみのあまりに見てしまう、一種の幻覚のようなものです。
 そのあまりの悲しみを、ここでの律のセリフは余すところなく表現している。

 いずれにせよ1時間半の長丁場は、すべてこの瞬間のためにあった、と言っていいような物語の集束の仕方でした。
 …やっぱり、長かったっスよ、1時間半(笑)。

「坂の上の雲」 に関する当ブログほかの記事

第1回 いや、ガイじゃのう!
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/1-46c5.html
第2回 列強に植民地化されなかった日本とはhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/2-3ded.html
第3回 親というものは、ありがたいものですhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/3-9188.html
第4回 戦争の真実を見つめようとしない人々http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/4-4583.html
第5回 今度は、一年後ですか… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/5-16b5.html
第6回 人を思いやる心http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/6-7032.html

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コメント

 復帰おめでとうございます。私が火事をおこしたようでもうしわけないです。正直申しまして、前回のコメントとは意に反し、少しお休みしていただいてリフレッシュしていただけるのもいいと思っておりました。(袋叩きは覚悟して書いてます)

 コメントを寄せない間、いろいろ熟慮した結果、おもってもみないことでしたが、先月末からひっそりとアメブロでブログをはじめました。

 リーンのアルチザン批評(旧名、リーンのげいじゅつ日記)http://ameblo.jp/leanryotatsu

 こちらが通常に戻りましたので、そっとご案内しておきます。ブログをかくたびリウ様の苦労をおもいます。自分のブログに神経を注いでいますのでなかなかコメントをお寄せできません。よろしければこちらにお寄りいただくもよし、コメントもよし、無視もよしです。辛い記事もありますので見てもらうのは怖いですが……。

 こちらのチェックは毎日させていただきます。ではでは。

 最後に、このコメントは削除してくださってかまいません。内容と関係ありませんから。
 

投稿: リーン | 2010年12月13日 (月) 13時55分

リーン様
コメント、ありがとうございます。

今回の件は遅かれ早かれ判明することでしたので、それをリーン様からご指摘いただいたことは大変幸運だったと、却って感謝しております。 これが見も知らぬ人から 「やーい間違えてやんの」 とか指摘されたら…と考えますとbearing。 感謝に堪えません。

リーン様のブログ、近いうちによらせていただきます。 当方もかなりブログばかりに時間が割かれている状況なのできちんとした形でコメントを差し上げるのはいつのことか分かりませんが、感じたままをコメントする日を楽しみにしております。

このコメントは削除いたしません。 皆様もよろしければリーン様のブログにお立ち寄りください。 ではでは。

投稿: リウ | 2010年12月13日 (月) 16時56分

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