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2010年12月20日 (月)

「獣医ドリトル」 第8回、第9回(最終回) 処分されゆくモノたち

 「獣医ドリトル」 というドラマを見ていて常に感じていたのは、毎回1話完結で話を終わらせることで、問題に対してちょっと突っ込みが不足気味になってしまう点でした。 説明がいつも駆け足で、感動するに至る前で話が勝手に解決してしまう、というもどかしさ。 同じ橋本裕志サン脚本の 「官僚たちの夏」 なんかも、そんな傾向がありました。

 そして同時に感じていたのは、「ペットや動物相手にそこまでするか?」 ということだったのも、正直に白状します。
 まずドリトル(小栗旬クン)の要求する治療費が、べらぼうに高い。
 そんな金を出すのなら、新しいペットを買ってしまったほうがよほど安上がり、という感情も、心のどこかにあったことは否定できません。
 最終回で行なわれたボルゾイ犬バルザックの人工心臓弁移植手術にも、500万円が土門(國村準サン)の息子順平(フィリップ君、じゃなかった…笑…菅田将暉クン)に要求されます。
 これは、ドリトルが 「そのくらいの対価をこのちっぽけな命にかけることが出来るのか?」 という、「飼い主や依頼主に対する」 心構えを突き付けている、と解釈していたのですが、この最終回を見ていて、そのくらい人間以外の動物にだって生きる価値はあるのだ、ということをドリトルは言いたかったのではないか、そんな気がしてきました(軽く考えればおんなじようにも思えますけど)。

 そんな 「飼い主や依頼主の都合」 という問題を、動物たち自身の命の尊さに目を向けた、オーラス2回の 「獣医ドリトル」、これまでの突っ込み不足感も解消して、かなりの完成度を誇った出来栄えになっていた気がします。
 そしてその、見る側を泣かせる気迫というものも、段違いに違っていた。
 かなり、泣きまくりました。
 けれどもそこでは、ただ単に殺される動物たちがかわいそう、というセンチメンタルな要因だけでなくて、これは我々が日々直面していることへの、とても重たい警鐘なのだ、という気も同時にしていた。
 鳥インフルエンザや口蹄疫のようなバイオクライシスが発生すると、何万何100万、という単位の家畜たちが一斉処分されます。
 そして保健所でも、毎日膨大な数の見捨てられたペットたちが殺処分されていく。
 そんなひとからげに単なる数としてしか認識されない動物たちの、ひとつひとつにも、小さな命が宿っているのです。
 もちろん人間たちに食べられるために毎日殺されていく家畜たちにも、命が宿っている。
 その両面から動物たちの命に対して議論することは、かなりの困難を伴います。
 けれどもその命について考えることは、決して無駄じゃない。
 直近の 「さよなら、アルマ」 の記事でも引用したのですが、ドリトルはイノシシの回で子供たちに、「どうすればいいのか、オレも分からない。 だがそのことを真剣になって考えることは重要だ」 という意味のことを言っていました。 すべてはそこから始まるのではないでしょうか。
 そうしてみんなが真剣に考えれば、少なくともペットを無為に捨てるなんてこと、絶対にできなくなると思うのです。

 同時にこのオーラス2回でずいぶん泣かせる話に昇華していたのは、土門を取り巻く親子関係です。
 土門のふたりの息子のうち兄(笠原秀幸サン)のほうは、父親にまったく期待されてなくて、その腹いせにいろんな妨害行為をはたらくのですが、そのエキセントリックさにちょっと個人的には引き気味でした(笑)。 なんか分かりやすすぎるなぁ~、という感じ。 おそらく自分の罪を認めて改心するんでしょ?みたいな感じ。
 そして弟のフィリップ君ですが(ホントしつこいなオレって…笑)、実は番組のかなり早い段階からちょこちょこ現れていた、矢ガモなどの動物虐待の犯人だった。 ここ数回この動物虐待の犯人が全く現れないので、なんか作り手が忘れちゃったのかな?あまりにてんこ盛りすぎてこっちの解決はうやむやにしてしまったのかな?などと考えておったのですが(爆)、最終回ではからずもその決着をするとは。 忘れてなかったんですね(当たり前か…笑)。

 このふたりがバルザックの不慮の負傷を機に、大きく心を動かしていく様は、かなりの見ごたえがありました。 ドラマを見慣れている者は、このふたりが改心することくらいはうすうす感じているもの。 そんなうるさがたの視聴者を黙らせるためには、かなりの努力が必要なのですが、そこにバルザックの死をいったん直面させることによって、説得力を増すことに成功したのです。

 ドリトルの手術の腕も相当なものですから、いくら犬の人工心臓弁移植などという聞いたこともない手術をしたって、どうせ成功するんだろう、とタカをくくって見ている。 そんな視聴者を、バルザックの心拍が回復せず、ドリトルにもいったんあきらめさせることで、半分絶望感を見る側に植え付ける。

 けれどもそこに、花菱(成宮寛貴クン)が推し進めていた、ブルセラ感染症の20匹の犬たちの受け入れ先が絶望的になった、というシーンを挿入し、見る側の絶望感を半分の状態からさらに100パーセントの絶望にのし上げて行く。 この手法には、かなりうなりました。
 ここで見る側の絶望を決定的にするのは、実は前回(第8回)冒頭で、この20匹の犬たちを安楽死するに至ったドリトルたちを前もって提示していた、ドラマの構成力にあります。 いや、参りました。

 だからこそ、ドリトルもあきらめて放置されたバルザックの心臓が、かすかに脈動を始めたときの見る側の感動に、強く直結していくのです。

 そして土門は同じころ、ふたりの息子が自分を裏切っていたことを知るのです。
 順平の部屋をあら探しする土門。
 エロ本が出てきたらどうするつもりだったのでしょうか?(笑)
 じょーだんはともかく、机の下から出てきたのは、変な黒い箱。
 その中身を開けてみた土門は、ご夫人ともども、かなり驚きまくり。
 この土門の腰の抜かしようは、それまであまりにしたたかなこの男を見てきたせいか、結構笑えました(ハハ…)。
 で、そこに入っていたのが、順平が動物虐待に使っていた、血のこびりついたナイフだったわけです(書く順番、間違えたかな…笑)。

 順平は、父親の動物たちに対する冷たさ、愛情のなさに嫌気がさし、自分が獣医になることも躊躇するようになっていた。 そしてその反動から、動物虐待を繰り返していた。
 一見同情できる話なのですが、ドリトルはあまりにも冷たく、こう言い放つのです。

 「それは違うな。
 お前の親父さんは、必要もないのに動物を傷つけたりしない。
 それに、これまでに、多くの動物たちの命を救ってもきた。
 親父のせいにして動物を傷つけた、お前とは決定的に違う。

 お前がやったことはすべて、お前の責任だ。

 まずは自分の罪を償え。

 そうしないと何も始まらないぞ」

 「さあ、お前の罪を数えろ」 というわけですが(これが分かる人は、「仮面ライダーW」 を見ています…w)、ここですったもんだが発生することで、罪を認めるかどうかという判断を、見る側も一緒に考えることになります。

 ここまで反省してるんだからいーんじゃないの?というのは、やはり動物の命を軽く見ている人たちだ、と思うんですよ。
 つまり反省すればそれで足る、という程度にしか、動物の命を考えていない、っていうことですよね。
 順平の兄勇蔵は、弟を擁護します。
 しかしドリトルは、動物虐待は動物保護法に違反する、と言って聞きません。
 そこにあすか(井上真央チャン)が 「考える時間をあげてください」 と助け船を出し、ようやくその場は収拾するのです。
 順平に殴りかかるドリトル。 寸前で、そのこぶしを止めます。

 「…これが暴力だ。

 カモや犬は、お前のように抵抗すらできなかったんだ。

 …よく考えろ」

 苦しみに歪んだ表情の順平。
 実際の矢ガモなんかの犯人も、この場面を見て猛省することを、強く強く期待します。
 自分がされたら嫌なことをすることが、いかに世の中にはびこっていることか。
 心とは何なのか、痛みとは何なのか。
 このドラマは、強くその部分を訴えているのです。

 ドリトルは猶予期間が1日とされた、ブルセラ感染症の20匹の犬たちを預かることにしたのですが、結局最後の受け入れ先も土門の圧力でダメになってしまう。
 ドリトルはあすかに安楽死のための薬を買ってくるように言いつけるのですが、同時にこう言うのです。

 「ついでに、…最高級のドッグフードを20匹分買ってこい。
 …金は、…いくらかかってもかまわない」

 ここ、かなり泣けました。

 大量に処分されていく保健所の動物たちがいるというのに、この20匹の犬たちに対してそれは優遇されすぎなのではないか、という気持ちも、確かに個人的にはします。
 けれども、目の前の動物たちを救う、という気持ちから発生した、せめて最後の食事くらい最高のものを食わせてやりたい、というこのドリトルのぎりぎりの思いに、私は泣けるのです。
 ここであすかが、その食事は自分が作る、と言い出します。
 あんなまずいカレーを作っといてダイジョーブか?とも思うのですが(笑)、やはりここでも、あすかが自分にできる限りのことをしたい、という気持ちに、やっぱり泣けるのです。

 そしてあすかが作った最後の食事を、無心に食べ続ける犬たち。

 号泣でした。

 と同時に、保健所で処分される動物たちなど、あってはならない、という気持ちも、同時に強くするのです。

 同時に展開していくのは、土門と認知症の父(山本學サン)との病室でのやり取り。
 毎日ひどい目に遭わされ続け、自分を全く認めてこなかった父親に対して、精一杯の恨み事を言う土門に、父親は一瞬正気に戻ったのか、いきなり息子の手を激しく握り締めます。

 「…つらかっただろう…。
 …すまなかったな…。
 …私が間違っていたんだ…。
 …もっと早く分かっていればなぁ…」

 「私のことが分かるんですか?」

 「大蔵…。 …大…きくなったなあ…。
 お前は… 私の宝物だ…」

 土門の表情が、恨めしげに大きく崩れます。

 「いまごろなんでそんなことを言うんですか…!

 …お父さん…!」

 しっかり息子の手を握ったまま離さない、父親の手。

 かなりこみあげてくるものを押さえている土門。
 そこに病室を叩く、ノックの音。
 「はい…」
 我に返ったような、土門の一言。
 やってきたのは、ふたりの息子たち。
 親子3代にわたるわだかまりが解消するときです。

 このシーン、國村サンと山本サンのかなりの重厚感あふれる演技の応酬で、泣きまくりました。 ここに先ほど書いた犬たちの最後の食事のシーンが重なるんですよ。 「おなかの赤ちゃんたちの分まで、たくさんお食べ…」 と、妊娠していることが分かったビーグル犬をさすって泣きながら語りかける、あすか。 もう、ダメだぁ~~っ(泣、泣)。 たたみかけるなっつーの。 涙腺、ぶっ壊れました。

 土門は自らの動物医療総合病院の建設を断念、順平も警察に出頭します。 話が前後しますが、前回の冒頭シーン、20匹の動物たちの安楽死の場面、寸前で土門の意向から、この犬たちの命は助かるのです。 ここもドラマ的には、どうせ助かるんだろう、という気持ちが見る側にもあるのですが、ドリトルのこの動物たちに対する苦悩と苦渋の判断を見ているので、もしかしたら殺されてしまうのかもしれない、という気を見ている側に同時に起こさせるのです。
 そしてそれを助長するのが、井上真央チャンの泣きの演技。
 この演技がうますぎるので、ドリトルが躊躇するのではないか、という気を見ている側に起こさせる。 でもそんなことくらいでドリトルは躊躇しない、という気も発生させる。
 ここらへんの見せ方も、実にうまかったです。

 で、「息子たちが世話になったようだな」「おかげでたんまり稼がせてもらったよ」 という土門とドリトルの会話。 物語の風呂敷のたたみ方も、素晴らしい。
 あすかが作ったカレーライスに、ドリトルが 「うまい…」 と感心する様子。
 そのドリトルの反応に、思わず感激して泣いてしまう、あすか。
 ここはさっきまで20匹の犬の安楽死に泣いていたあすかの、まるでパロディとも呼べるような過剰反応のたたみかけで、この涙の収拾の仕方にも感心しまくります。

 「変わったヤツだな…カレーをほめられて泣いてる奴なんて、初めてだ」
 「だって…お別れだと思うと…先生、いままでホントにお世話になりました」

 ここでドリトルのアフリカ行きに対する結論もちゃんと提示。 ドリトルは花菱に、そのアフリカ行きを勧めた模様。

 ただやはり気になるのは、ドリトルの父親が誰だったのかの提示が、結局されなかったことです。 もしかするとその話を中心とした続編も、示唆しているのかもしれないですけど、まあそれは明日は明日の風が吹く、と申しましょうか(笑)。

 そしてラストシーン、あすかに顔を近づける、ドリトル。
 おでこの広い真央チャンなのですが、そのおでこをピシャリ。
 「蚊だ」
 って、こんな寒くなっているわけないんでしょうが、フィラリアの話もあったからあるいは…という気もするし、ドリトルの照れなのかもしれないし。
 ほんとに話の収拾の仕方がうまかったなー。
 さわやかな終わり方でした。
 そのいっぽうで、動物たちの命を真剣に考える機会、というものを、このドラマは与えてくれた気がします。 処分される動物たちは、モノじゃない。 すべての子供たちや、大人たちも、必ず考えなければならない問題だと、強く感じます。

 原作のマンガを知っている身としては、あの話がここまで深い内容のドラマになったことは、実に驚異であります。 それまで考えてきたマイナス要因が、すべてチャラになった感のある、オーラス2回の 「獣医ドリトル」 でした。

 あとは 「クリスマスの約束2010」 で、小田サンが主題歌 「グッバイ」 を歌ってくれることを期待します…。

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