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2010年12月 5日 (日)

「てっぱん」 第9週 心の奥深くにあるもの

 ヤフーのみんなの感想欄では、強力なネガティヴキャンペーンが繰り広げられている感のある、「てっぱん」。
 人間、ここまで他人に対して残酷になれるのかな、と私は思います。
 そこまでひどい話だとは、私はちっとも思わない。
 仮にいくらこのドラマが人の心を表現しきれていないのだとしても、この感想欄でこのドラマを悪しざまにけなす人たちは、その心自体が壊れている…そう感じます。

 確かにヒロインの瀧本美織チャンは元気過ぎてうざったいかもしれない。
 母親の安田成美サンは上っ面かもしれない。
 ふた言目には家族家族、と言いすぎるかもしれない。

 けれども、どんな人間でも、人は皆、成長の途上にいるのです。
 他人が見てとやかく言いたくなるような人でも、その人なりに悩み、こんなじゃいけない、自分はこうであらねばならない、という気持ちを秘めているのです。
 そんな人たちを批判するのは、いじめと同じだとは思いませんか?
 ドラマをよくしたいとか的確にそのドラマがダメであることを喧伝したいとか、善意で批判をするのだとしても、結果的に、その人たちの一生懸命を、貶めていることに、ならないのでしょうか?

 私はいじめをする人たちを連想します。
 いじめをする人は、「あいつはウザい」 とまず考え、「悪いところを直してやる」 というもっともらしい理屈でもって、ひとりの人を攻撃し始める。
 そのうちに 「みんながやってるから」 という理屈で、それが次第にエスカレートし始める。
 「自分たちは相手の悪いところを直そうと思ってしてるんだ」、という下らない正義感がベースにあるから、何の躊躇もしないのです。
 それと同じである。
 下らんです。
 心が、貧しすぎる。

 本題に入りますが、このところずいぶん忙しくて見ることのできなかった先週分の 「てっぱん」 をようやく見ました。
 かなり、泣きました。

 私がこのドラマを見ている最大の動機のひとつは、伝さん(竜雷太サン)が操を立てている初音(富司純子サン)の作ったお好み焼きを、いつ伝さんは食べられるのか、ということだったのですが、今週のその話は私のその望みをはぐらかしながら、そのうえでさらに伝さんの本当の気持ちを強く感じさせる話になっていた気がします。

 広島風のお好み焼きだけでは客層が伸びない、と考えたあかり(瀧本美織チャン)は、大阪風のお好み焼きも取り入れようとします。
 この方向転換ですが、なぜ簡単にそうするのでしょうか。
 あかりは鉄にい(森田直幸クン)に、こう言います。

 「この店は、夢なんよ…。
 うちが、冬美さん(ともさかりえサン)から受け継いだ…。
 尾道から出てきて、なにもなかったうちが、やっと見つけた…夢なんよ!
 うちが尾道で生まれたんも、うちが尾道から出て、いま大阪におるのも、きっと、ここで、お好み焼き屋をするためじゃった…。
 ほいじゃけえ、後戻りはできん。
 中途半端なことしたら、お父ちゃんとお母ちゃんに、合わす顔がないけえね。
 うちは、どんなことをしてでも、ここを潰すわけにはいかんのよ!」

  これを単純に受け取っては、ドラマを深く鑑賞していることにはなりません。

 だいたい、18歳という若い女の子がお店をやる以上、「つぶすわけにはいかない」、というのはあまりにも当たり前なのです。 これに代わる大義名分など、そうそうあるものではない。
 「どうせ潰しはほかでも効く」、などと考えるのは、人生の荒波を渡った人の発想なのです。 初めての事業だからこそ、背水の陣になった時の焦りというものがどれほどのものなのかに、思いをいたす必要がある。

 (話は前後しますが)あかりは初音への意地から独学で大阪風お好み焼きを作り、それをまず、伝さんに味見してもらうことにする。

 先ほど述べた私のこのドラマを見ている大きな動機である 「伝さんの操」(笑)なんですが、その心情から言ってここで伝さんには、あかりのお好み焼きを食べてほしくなかった。

 でも伝さんは、どうしてもと請われて、それを一口食べるのです。

 これを見たとき、ちょっといろんなことを思ってしまいました。

 伝さんはつまり、初音の作ったもの以外絶対、一生涯お好み焼きを食べない、というわけでもないらしい。
 ずいぶん柔軟だ。
 これはつまり、初音にあかりを手伝ってもらうよう口添えする口実を作るためなのか?
 それともあかりを心から応援している故なのか?

 一口食べた伝さんは、あかりに向かって、こう言います。

 「正直に言うてええか?
 …うまいわ!

 ただし、タダやったらな。

 金払ろてもういっぺんこの店来ようとは、思わんな」

 ここで鉄にいにあかりがしゃべったさっきのセリフにつながっていくのですが、広島風お好み焼きにこだわって納得がいかない鉄にいに、伝さんはこう話すのです。

 「鉄みたいな根なし草と違てな、あかりちゃんは大阪で、踏ん張っていくて決めたんや。
 妹の邪魔したらあかん」

 「オレが…邪魔言うんか?」

 「それは自分がいちばんよう分かってるはずや」

 店を飛び出す鉄にい。 追おうとするあかりを、伝さんは制します。

 ここでの伝さんの言動は、あかりがさっき話した 「夢」 だとか 「中途半端は嫌だ」 とか、いかにも若さに任せて言った理由と違って、あかりの方向転換を実に見る側に納得させる重みに満ちています。
 そう、あかりはここで、大阪で踏ん張っていくと決めた。 たった18にもかかわらず。
 だからこそ、潰すわけにはいかんのです。 

 どうして初音のお好み焼きに操を立てているのか。
 その理由を、伝さんはこう語ります。

 「せやな…食べると、ほっとしたわ。

 なんや、『おかえりー』 って言われとるみたいでな。

 もういっぺん食べたいわ…。

 『ただいまー』 言うて……へへっ」

 いかにもその場面を想像しているかのような伝さん。
 なんか知らずに、泣けてきました。
 竜サン、さりげなくも、すごい演技であります。

 ここで私の涙腺を刺激するものは、失われたものに対する郷愁の気持ちであります。

 食べ物でも人でも場所でもなんでもいい、かつて自分がとても大事にしていた対象がなくなってしまって、そのことに心を痛めている経験のある人ならば、その喪失感に涙したことのある人ならば、伝さんのこの懐かしむ表情に、強く共感するに違いないのです。
 私も、「ただいまー」 と言いたい、場所があります。
 けれどももうそれは、決して叶うことがない。
 涙が出てきます。

 あかりは初音に 「お好み焼きを習いたい、私を弟子にしてください!」 と頼み込みます。
 店が存続するかどうかやきもきしていた初音が、それを拒絶するはずがない。

 初音のレクチャーは、接客態度から素材の選び方まで実に多岐にわたります。
 まあここらへんの描写はお約束とは言え、この手の話では伊丹十三監督の 「タンポポ」 をはじめとしていろんなところで見てきたにもかかわらず、やはり何べん見てもどんなパターンでも興味深くて面白い。
 ここで注目なのは、初音に弟子入りしてから、あかりの髪形が大きく変わったことです。
 ポニーテール(って最近は言わないんでしたっけ?…笑)気味だったのが、全体的に髪を束ねて後ろでギュウギュウにしている感じ、と申しましょうか。 あまりにうしろに引っ張っているせいか、あかりの顔もうしろに引っ張られてつり眼気味になっとる、つーか(笑)。 表情がなんとなく変わってしまうくらい。 おそらく衛生面でのダメ出しが初音から入ったのでしょう(笑)。

 それでも、お好み焼きの味に関しては、初音は一切口を出さない。

 自分で納得するまで試行錯誤して、自分の味を探し出せ、というスタンスなのです。

 これは初音のサルまねをしても意味がない、という点で、とても重要な点ではないかと思えます。 あかりは鉄にいが置いていった広島のいりこを見つけ、それをダシの味に組み込むことを考えつきます。

 そんなあるとき、あかりは初音に、こう漏らします。

 「千春さん(あかりの生みの母親で初音の娘)、なんでここが嫌いになってしもうたんじゃろうね…」

 初音は、千春が自分の才能とは不相応な夢を持ち始め、勝手に高校をやめてアルバイトをし出したこと、そのことで仲たがいし、家を出て好きな人のところに転がり込んだらしいこと、を話します。

 「千春のこと、なぁんにも知らんかったんや。
 鉄板のほうばぁっかり向いてて、娘に、背中向けてたんや…。

 悪いのは、うちや…。

 憎むんやったら、うちを憎み。

 母親を憎んだら、あかんで。

 あんたにまで、母親憎ませることなったら、…うちは…」

 「憎んだりせんよ。 千春さんのことも、おばあちゃんのことも…」

 ここでも、あかりは簡単に割り切っているように見える。
 けれども、それは違うのです。
 それはのちほど述べます。

 あかりはついに、自分なりの大阪風お好み焼きを完成し、それをまたもや、伝さんに試食させるのです。
 伝さんは都合2回、操を立てていた人以外のお好み焼きを食べたことになる(笑)。

 果たしてそのお好み焼きは合格し、鉄にいもそれを食べて戻ってくるのですが(限りなく長くなりそうなので説明省きます…笑)、帰ってきたあかりと鉄にいを待っていたのは、あかりの19回目の誕生日会。
 そこで初音は、あかりへのプレゼントを考えた末、あかりと一緒にお好み焼きを作ることを思いつくのです。

 私の視線は、もう伝さんにくぎ付け(笑)。

 「焼いてる…。

 初音はんが、あかりちゃんと…」

 感無量の伝さん、こちらももう、ナミダナミダです。

 「まだ焼いてるだけや」 という駅伝クン。

 「せやけど、焼いてるんや…。

 20年ぶりや…!

 千春ちゃんとはずっと…。

 ふたり焼いてて…。

 20年ぶりやぁぁ…」

 声にならない声で泣き伏す伝さん。

 みんながその様子を見て笑うのですが、赤井英和サンがぴしゃりとみんなを制する。

 「笑いなや。

 20年てな、そう待てるもんやないで」

 ところがです。

 20年ぶりに初音が焼いたそのお好み焼きを、伝さんは食べずにその場を離れてしまうのです。 これはいったい、どうしたことか?

 伝さんはお好み焼きを焼き終えた初音のところにやってきて、「ええもん見せてもろたわ」 と話しかける。
 「20年待たされた間に、すっかりジジイや…」

 そして物語は、それ以上伝さんの気持ちを語らず、場面は転換してしまう。

 これはでも、決して説明不足ではない。

 伝さんは初音の作るお好み焼きそのものを待っていたわけではなかったのです。
 伝さんは、初音がお好み焼きを作ることを、待っていたのです。
 その気持ちに初音がなることを、待っていたのです。
 それは伝さんが、初音に思いを寄せていることのひとつの表れでもある。
 そこを説明してしまうと、かなり無粋になってしまう気がする。
 この寸止めの仕方は、とても上質な余韻を残すものだと感じます。

 そして、千春の仏前に、初音が20年ぶりに焼いたお好み焼きを供える、あかり。 そして母親が食べたであろうことを確認してから、自分もそれをいただくのです。

 「これが、千春さんが食べとった、味なんやなあ…」 と、絶妙の中村玉緒サンのナレーションが入る。
 自分の生みの母が嫌になるほど食べたであろう、その味。
 あかりはその夜、初音の部屋にやってきます。

 「やっと食べられた、おばあちゃんのお好み焼き。

 うちを生んだ人が、食べて育った味なんじゃね。

 ありがとう。
 おばあちゃんが千春サンを育ててくれたけえ、うちが、いまここにおる。

 ずうーっと考えとった。
 うちが、どうして生まれてきたんか。

 考えても考えても、分からんことだらけじゃ!
 でも…うちがどう生きていたいんかは、…見えたよ。

 うちは、あのお店でお好み焼きを焼く。
 目の前のお客さんを相手に、一枚一枚、一日一日。
 おばあちゃんがそうしとったみたいに。

 そしたら…いつか…。

 いつか、…いろんなこと、…笑って話せるようになるかもしれん…。

 千春さんが好きになった人が来ても、…一緒に!

 おばあちゃんも一緒に…笑える日が来るかもしれん!」

 泣きながら笑う、あかり。
 あかりは千春のことも初音のことも、憎んだりしないといとも簡単に言っていました。
 けれどもそれは、心に大きな悲しみやモヤモヤを抱えたままの、表面的な初音への思いやりの言葉に過ぎなかったのです。
 あかりは、自分がもらわれっ子だったことの苦しみ、本当の家族が誰なのかという漂流感、そして自分が何者なのかという自己喪失感を、元気いっぱいにふるまうことで、隠し続けていたのです。

 「泣くんか、笑うんか、どっちかにしい!」
 あかりの本心を知った初音も、目を真っ赤にしながら、精一杯強がる。

 「どっちにしよう!」
 また精一杯、明るくふるまおうとする、あかり。
 そんな、あくまでも人の心を明るくしようとするあかりに初音は心を揺り動かされ、こう話しかけるのです。

 「ありがとう…。

 あんた…

 よう…生まれてきてくれたなあ…!」

 もう、号泣しました、このシーン。
 生きてきてよかったのか?と悶々としていたあかりに、生きてきて、千春とのわだかまりも解消してくれ、しかも自分にもう一度お好み焼きを焼かせてくれたこの子に感謝しようとする、初音の心。
 生まれてきたことに意味がないなんてこと、決してないんだよ、と言われているようで、泣けて泣けました。

 人の心は、表面的な部分だけを見ていては、決して理解できるものではない。
 このドラマは、きちんと見ることで、より深く見る側自身の心を試しているかのような作りになっている気がします。 片手間に見ていて、ここらへんは理解できない。 朝の忙しい時間帯にたった15分ずつ切れ端を見せられるような方法では、ちょっと分かりづらいのかもしれません。

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コメント

はじめまして。
時々おじゃまさせて戴いてます。
私も忙しい朝「てっぱん」を視聴してますが、橋本リウさまの第9週レビューに涙して拝読しました。
心の奥深くにあるものがうごめいて涙が止まりません。
私が感じてること全てが丁寧に書かれてあり 溢れ出る涙で文字が見えなくなってしまいます。
どーもありがとーございます。
お礼が言いたくでコメ致しました。
今後もちょこちょこ寄らせて戴きますので宜しくお願い致します。
「てっぱん」は 健気なあかりちゃんはじめ 登場人物の心の描写、その機微が丁寧に描かれ ホント片時も目が離せないドラマだと思います。

投稿: えつねぇ | 2010年12月 5日 (日) 08時54分

えつねぇ様
こちらこそはじめまして。 コメント、ありがとうございます。

ドラマを見て感動した後にヤフーの感想を見たらボロクソだったので、それに対する怒りから文章がかなりきつい調子になってしまいました。 大人げないんですけどね。 いま自分の記事を読み返してみたのですが、状況説明が不備だったり(書き足しますね…笑)。

それで私も自分の記事を読んでまたまた涙してしまったのですが(お恥ずかしい…)、それは自分の文章じゃなくって、セリフの部分だったりして(笑)。 私ももっと精進せねばなりません。 お褒めくださり、穴にでも入りたい心境です。

このドラマは食事のとき、みんなきちんと、手を合わせて 「いただきます」 と言いながら食べています。 私も、あかりチャンの元気を 「いただきます」 という感じでいただいておりますです(笑)。

投稿: リウ | 2010年12月 5日 (日) 10時49分

私はあまり熱心にこのドラマを見ているほうではありません。
遅い朝食をとりながら、父と母がこのドラマを見ているのにしょうがなく付き合って見ている程度です。

唯一楽しみにしているのは、一見冷たかったり厳しかったりするように見えて、実は思いやりもあり見識もあり、どこかしら気品すら感じさせる、富司純子さん演じる初音だけですね。

祖母と孫との和解(?)を表す上で、いつか「生まれてきてくれてありがとう」に類するせりふが出るであろうというのは想定の範囲内だったのですが、それでも富司純子さんが演じてみせると、胸に迫るものがありました。私は富司純子さんが過去に仁侠映画の主人公だった時代は全く存じませんが、「この人すごい」と思わざるをえませんでした。

第9週で祖母と孫の和解が、第10週では母と娘の和解(娘はもう他界していますが)が描かれ、さらに初音がまた(気の向いたときだけとはいえ)店でお好み焼きを焼くということになり、父と母も「もうこれでこのドラマ終わりにしてもええのと違うか」と言っています。

逆を言えばここからが制作側の腕の見せ所なのかもしれませんけどね。

投稿: がんちゃん | 2010年12月 5日 (日) 23時48分

がんちゃん様
コメント、ありがとうございます。

第10週はまだ見ておりませんが、第9週の盛り上げ方はいかにも最終回、みたいな雰囲気でしたね。
私もここまでやってしまったらあとは何をいったいやるんだろう、という気持ちで見ております。

あれこれ予想を立てながらドラマを見る、というのはですねー、私はあまりしないようにしておりますです(したら面白い場合はしますけどcoldsweats01。 予想通りだとなんかがっかりしちゃうんですよねー(笑)。 頭をからっぽにして、いちいち驚くほうが楽しいような気がいたします。

富司純子サンはご指摘の通り、「緋牡丹お龍」 で一世を風靡しました。 昔は藤純子という名前で、高倉健サンとよく共演していたと思います。 それからやはり、「3時のあなた」 の司会者で、「恐怖のどん底」 を「恐怖のズンドコ」 と言ったとか言わないとか…(笑)。 緋牡丹お龍のころから知っていた(叔父貴がレコード持ってました…笑)身としては、「トシ食ったなあ…」 という感慨が先に立ってしまいます。 でもこの人がいるおかげで、ドラマがピシッとしまってますよね!

投稿: リウ | 2010年12月 6日 (月) 07時07分

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受信: 2010年12月25日 (土) 11時03分

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