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2010年12月

2010年12月31日 (金)

「第61回NHK紅白歌合戦」 実況中継、しますかね…

 去年もこの方法でやったのですが、「紅白」 放送中、随時更新していきたいと思います、この記事。 ツイッターでやりゃいいよーな気がしますが、使い方が分かりません。

 今年最後の晩餐がやたらと盛り上がったせいか、第2部の開始から書き始めてしまいますが、正直言いまして、今ベロンベロンです(ここまで酔っぱらった状態でブログを書くのは初めてであります。 大変申し訳ない)。

 正視眼が全く機能していない状態でこんなことを書くのは甚だ遺憾ですが、今年の紅白は、正直言って登場する人たち、歌われる楽曲に、なんか馴染みがなさすぎる気がしてなりません。
 そしてどうしても、下らない力関係がはたらいている気がしてならない。 若手の歌い手の人たちでもすでに、NHKとの癒着、というか、NHK御用達みたいな出演者が続出している気がする。
 ベロベロに酔っぱらった勢いで書かせていただければ、正直、つまらんです。
 去年はそんなことがなかった気がするのですが。 やっぱり60周年、還暦紅白、ということで、それなりに力が入っていたんでしょうか。

 ドラマ好きにしてみれば、西野カナサンが 「フリーター、家を買う。」 の 「君って」 を歌わないのは不満だし、いまメドレーとかで期待していた倖田來未サン、「セカンドバージン」 の主題歌がちょっとだけでも聞けるかと思ってたのに入ってなかった。 がっかりが、募っていく…。

 AKB48はやっぱり、ラジオでよく聞いたので面白かったかな。 「ヘビーローテーション」 はしょっちゅうかかってましたからね。 やっぱり今年を代表する歌手、ということになるでしょうね。 レコ大で彼女たちが選ばれなかった、というのは、もうレコ大の存在理由さえなくなった気がしました。 あんな下らん圧力で歪みまくった 「権威ある賞」 なんてのは、とっととやめてもらいたい。
 ん~、酔っ払っているせいか論理が過激だ…。

 ではまた、更新しまくります。




 和田アキ子サン、「笑って許して」!「古い日記」!やった!こういうのが聴きたかったんですよ! 追突事故で首が痛いせいか音程にちょっとふらつきがあった気がしますが、アッコサンにはこんなR&B全開でいてほしい(22時9分)。



 福山雅治サン、横浜の会場で、伸ばし続けた 「龍馬の証」、髪の毛の断髪式。 出てきましたよ、岩崎弥太郎(香川照之サン)。 弥太郎に切られたんですね。 「これで本当に終わってしまった」 と、感慨深げな福山サン。 審査員席からは、乙女姉やん役の寺島しのぶサン。 うーん、去年の紅白、グラバー邸からの中継以来、こちらも感慨深いです(22時20分)。



 小林幸子サン、今年はタンチョウヅルに乗ってます! 鳥インフルエンザ、撃退ですね!(爆)(22時30分)



 コブクロ、ゴローチャンが紹介してますネ! 自分が出演していた 「流れ星」 のことも臆することなく話してましたね。 スクリーンに映る満天の星。 そして流れ星。 客席にも星屑のようにペンライトが。 ああ~、よかったですぅう~(22時35分)。



 植村花菜サン、今日はずいぶんバッチリメイクです。 それにしても 「流星」 から 「トイレの神様」。 こういうのがいいんですよ。 つまらんしがらみなんてない、純粋にいい歌を聞かせる、というこの姿勢。 ようやくいいと思えてきた、今年の紅白(22時45分)。



 「ありがとう」、よかったですー。 まず松下奈緒サンのピアノ独奏、一呼吸置いていきものがかりの登場。 きよえチャン、なんか今日は特にカワイかった気がするぞ。 古手川祐子サン、涙ぐんでましたね。 私もウルウルでした。
 なんかだんだんよくなるホッケの…なんだったっけ?

 そして桑田佳祐サンの登場。 新曲と復帰前の曲の2曲。 桑っちょ独特のギャグも緊張で滑り気味か?(笑)
 なんかやっぱり、去年の 「音楽寅さん」 のころに比べるとちょっと顔つきがシャープになった気がします。 歌われた新曲、病気を機にした心境を歌っているような感じでした。 「次は石川さゆりサンです」 って、やっぱり紅白の流れの中では浮いちゃったかな?(23時10分)

 北島三郎サン、「風雪流れ旅」 と言えば、いつぞやの吹雪吹きまくりですけど、今回はそれほどでもなかった(笑)。 星野哲郎サンと言えばやはり、「女」 シリーズですよ、私の場合。 「函館の女」「加賀の女」「薩摩の女」…。 メドレーで聴きたかったなあ(23時20分)。



 こういうのが分かんないんだよなあ…ドリカム。 どうして紅組トリなのか? 浮いてる気がする…。 去年も同じ気がしました。 ドリカム、決して嫌いじゃないけど、どうにも登場場面が違う気がするんですよ(23時30分)。

 またどうせ白が勝つんだろうな…やっぱりそうだった。 ずいぶん昔にですね、紅白歌合戦の応援団長であった、いまは亡き三波伸介サンが 「『紅白』 で白が勝てば、来年はいい年になる」 ということを、確か何かの雑誌で語っていたのですが、それだけ昔は 「紅と白、どちらが勝つか」、ということにこだわりがあった気がするんです。 その思いを引きずっている私は、やはり紅白の勝敗に結構こだわりがあるのですが、在宅審査員とか、たぶんジャニーズファンの組織的な積極性が大きく作用しているように思える今の審査方法は、変えるべきだとここ数年ずっと考えているんですよ(23時50分)。

 今年ももうおしまいです。 当ブログにお越しくださり、本当にありがとうございました。 皆様のご多幸をお祈り申し上げます。 よいお年を!

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「朝まで生つるべ」 2010年年末 マツコサンのナマ歌

 前日ビートたけしサンと2時間くらいのトーク番組(字幕付いてたんで録画でしょう)をやっていた鶴瓶サンですが、引き続いて30日深夜31日1時過ぎから3時間の生放送。
 最初のうちはたけしサンとの番組と内容がかぶっていたんですけど、このところ 「きらきらアフロ」 も見てないし、鶴瓶サンの話がいちいち新鮮だったりしました。 あまりこの人をしつこくフォローすると、おんなじ話ばっかりしている感じがするんで(笑)。

 それにしてもこの、たけしサンと鶴瓶サンのトーク番組、結構面白かったです(番組名はよく覚えてませんけど、「今年中に言っておきたい5、6個のこと」 とかいう感じだったと思います)。
 特に 「民主党は与党になったらなにもやってない」 とか、「レンホーはバカだね、あいつは」 だとか、かなりアブナイレベルの話に終始。 年忘れだし、このくらい危ない話をしても許されるだろうと思うのですが、もともとテレビって、このくらい過激じゃなかったかなーなんて考えたりしました。 たけしサンのネタは相変わらず面白いのですが、触れる機会がないせいか、このアナーキーさはずいぶんとテレビ界から締め出され封印されている気がする。 もっともっとやっちまえ、と思います。

 で、「生つるべ」 の話ですが、相変わらず不思議なのが、鶴瓶サンのまわりに面白い出来事がまるで狙ったように続発し、ヘンな人が次々現れる、ということ。
 「不思議やろ~」「すごいやろ~」 と、とにかくしつっこいんですが(笑)、ヘンな人が続出するのはたぶん相手が鶴瓶サンだからだろう、という側面も確かにあるとは思います。 でもまるで演出家があらかじめ用意していたかのような出会いが続くというのは、鶴瓶サンのまわりに特別な 「笑いを引き寄せる吸引力」 がある気がしてなりません。

 今年もまたアルフィーの坂崎サンが登場。
 吉田拓郎サンと 「オールナイトニッポン」 をやっている関係からか、拓郎サンのごくごく初期の曲を歌いまくっていました。
 私はその曲は残念なことに知らなかったのですが、なんか拓郎サンの初期の曲って、最近の拓郎サンの曲に似ているような気がする。
 それって、拓郎サンが原点回帰しているってことなのかな~、などと酒を飲みながらぼんやりと考えたりしました。 いい加減な考察ですが(笑)。
 でも坂崎サンが 「生つるべ」 でほぼ毎年歌う歌には、その年その年ごとにテーマがあって、ある一貫性が感じられる気がしてならないんですよ。
 考えすぎかもしれませんけどね。

 途中から有名人の皆さんから電話がかかってきて、さまぁ~ずの三村サンや、俳優の堤真一サンなどはベロンベロンの状態(笑)。 堤サンなどはイメージダウンになって事務所から怒られるのではと鶴瓶サンが危惧するほどへべれけで(笑)。
 大竹しのぶサンはIMALUチャンと一緒にテレビを見ていたらしく、「鶴瓶サン死なないでね」 を連発、相変わらず天然のキャラ(笑)。 IMALUチャンは鶴瓶サンと 「A-Studio」 をやっていますよね。

 そしてマツコ・デラックスサンも電話で登場…かと思いきや、会場に登場。 何かの番組でアルフィーの 「星空のディスタンス」 を歌っていたのを坂崎サンが見ていたらしくて、「この曲をこんなにうまく歌っている人はほかに知らない」 とまで感想を述べたために鶴瓶サン(及び会場のお客さんたち)が 「聞きたい」 ということになり、「やめてよ!のどの状態が良くないと歌えないんだから」 などと言いながらマツコサンも歌う気満々。
 結局、 坂崎サンのアコギをバック、という超ぜいたくな設定で 「星空のディスタンス」 をちょっとスローバージョンにして歌ったのでした。 しかも坂崎サンのコーラスつき。 いいなぁ~。

 この人の声はオカマですけど野太い声なので、全く男性が歌っているのと変わらない感じ。 でもよく通ったいい声してましたよ。 しかし顔デカイなあ、鶴瓶サンと並ぶと。 さらに太ってません?

 そのあと鶴瓶サンは、吉幾三サンから贈られたという、「姉ちゃん」(ってタイトルだったっけなー)という歌を披露。 「自分の姉ちゃんはもう死んでいるので歌いたくない、鶴瓶にあげる、どう使ってくれてもいい」 と、まるで放り投げるような感じに思えたその曲でしたが、実際聞いて見ると結構泣ける曲で。 鶴瓶サンの朴訥としたその歌を聞きながら、ちょっとウルウルしてしまいました。 吉サン、「津軽平野」、「雪国」 とか 「酒よ」 とかのころに比べると近年はいい曲って減ったよなーと思っていたのですが、これって傑作ですよ。

 年末恒例、この番組を見ながら酒を飲む、という習慣も、今年はちょっときつかった。 途中でうつらうつらしながら見ました。 夜勤をやってるのでこの時間帯は起きてられるはずなんですけどねー。
 ともかく、今年もそろそろ終わりです。
 「紅白歌合戦」 実況ツイッター風の記事、書こうかな~。

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2010年12月30日 (木)

勝手に決めるベストドラマ2010…パート3、大賞発表!

 一気に書き上げてしまうぞぉ~、と思うのですが、根がズボラですから、どうなることやら…(補足、題名にも書いてしまいましたが、結局最後まで書きました!)。 で、夏ドラマ(7-9月)です。 今年一番さびしかったのは、この夏ドラマだったかなー。

 「新参者」(訂正、スイマセン、これ春ドラマでした…)。

 んーなんか、この手の駆け足感が、なんか最近のTBS日曜劇場には多い気がするんですけど。 「JIN」 の後遺症なんでしょうかね。 詰め込みすぎなんですよ。 「JIN」 の場合は語り部の用意周到な部分が大きかったために、そして優秀だったために、どんなに複雑なことをやってもすべてがスッと受け入れられたのですが、それ以降のドラマではひとつひとつの素材に対して咀嚼がなされていないために、とても感動が軽い。 一話完結、という形態自体に、無理があるんですよ。 これは 「新参者」 だけでなく、「獣医ドリトル」 にも同じことが言えた気がします。
 厳しいことを言うようですが、このドラマに関しては、残っているものがあまりないですね。 ただ原田美枝子サン、このあとの 「流れ星」 の下地を、ここで作っていたよーな…(笑)。 キャラが似てるんですよ、「新参者」 と 「流れ星」 の原田サン。

 「鉄の骨」。

 建設業界の談合をただ一方的に悪いと決めつけることなく、その先にあるものを見据えようとした作品だった気がします。
 キャスティングに関しては、なんとなく確信犯的な部分があったと私は考えています。
 つまり、小池徹平クンの起用。
 彼は設計畑の人間で、現場に関しては全くのペーペー。 まわりの論理に、思いっきり感化されていきます。
 その、あんまり全体的な視野を考えていないシロート感覚が、少なくとも私が持っている小池徹平クンのイメージと、結構重なるんですよ。 NHKも、失礼な言い方で恐縮ですが、なんか底意地の悪い配役をするもんだ、と感じました。
 でも、だからこそ彼が直面していく建設業界の体質が、この業界をよく知らない視聴者にも分かりやすく入ってくる気がする。
 その反面、談合の先にあるものに関しては、机上の理想の域を出ていないように感じました。

 「天使のわけまえ」。

 何だかこのドラマがあったことを、いちばん忘れていました!
 つまりですねー、とてもフツーのドラマだったんですよ。
 けれどもそのフツーこそが最も尊い、というこのドラマの視点、これがとても貴重なものだと感じるんです。 だから改めてこのドラマが今年はあった、と分かって、「これ、すごくいいドラマだったよなー」、という気持ちが、かなりぶり返してます。

 このドラマでは、観月ありさチャンが作る料理のひとつひとつが、いちいちフツーで、しかもハチャメチャうまそーに見える。
 そしてそのベーシックさに酔った人々が、その手料理をきっかけとして巡り合い、心を満たされていく。
 …なんか、今年のベストドラマに挙げたくなってきた(笑)。 でも大手を振ってこれがベストだ!と言えない空気を感じるので(爆)、とりあえずこの時点で決定いたします。

 「天使のわけまえ」 は、今年のベストドラマの、ウラ第1位です!

 「うぬぼれ刑事」。

 福島生まれ(生まれただけ)の私にとっては、西田敏行サンと長瀬智也クンの福島弁が何とも懐かしく、その部分だけで見てしまったドラマのような気がします。 まあ西田サンの福島弁は、郡山出身ということもあってか、さほどきつくはないんですけど、「うっちゃし」 とか 「バッパ」 とか、超個人的に胸キュンなワードなのです。
 そして私にとって初めての、クドカン体験。
 登場人物の言葉遣いがかなり悪い(笑)のがこの人のクセなのかな~。 楽屋落ちみたいなギャグだらけだし(爆)。 「SPEC」 の堤サンにしてもそうみたいですけど、癖のある作り手のドラマって、見る人をその時点で振り分けちゃうんですよねー(しみじみ)。
 でもその才能が独りよがりでうぬぼれであろうが、作り手が一生懸命であれば、それを見る視聴者は、幸せなのです。 「だからお前に捕まる犯人は幸せだよ」 という最終回での西田サンのセリフが、まだ胸に残っている。 そのクドカンワールドに、ちょっとでも触れることが出来たのは、幸運でした。

 「歸國」。

 倉本聰サンの 「ジジイのお説教」 ドラマ(笑)。
 けれどもそれを見下しては、けっしてならないのです。
 ドラマとしてわざとらしかろうが、無理やりだろうが、このお説教は、けっしておろそかにしてはならない。
 このドラマのおおもとの発想は、黒澤明監督の 「夢」 の中の1エピソードに端を発している気がしたのですが、私も 「特攻隊の若者たちが今の日本を見たら、こんな国を命を賭して守りたかったんじゃない、と言いたいんじゃなかろうか」、ということをかねてから考えていただけに、それをこうしてドラマにまでしてしまった倉本サンの手腕には、素直に脱帽いたします。
 そしてこのドラマで感じたのは、舞台的な手法をドラマに持ち込むことの難しさ。
 「龍馬伝」 にも同様の匂いを感じていたのですが、舞台とドラマ、というのは、結構性質的に相容れない部分があって、どうしても融合できないのではないか、ということです。
 それを解消するには、まずドラマの冒頭部分から、ワンカメで遠景で、思いっきり舞台チックにして、視聴者にこれでもか、と分からせるしかないのかな、などと妄想したりしました。
 大画面テレビの時代がかなり浸透すれば、そんな 「ただ舞台を映しているだけ」、みたいなドラマの方法も可能になってくる気がします。

 「チャンス」。

 これも一応、夏ドラマということになりますか。
 証券業界と競走馬の世界、そのふたつを同時に描こうとしたことが、結果的にそこそこの出来に落ち着いた、という感じですか。 失敗とも思えないけれども、成功していたとも思えない。
 この手のドラマに出てくる人たちって、要するにセレブ。
 金がなきゃできないことを、やっとるわけです。
 「セカンドバージン」 にしてもそうだったのですが、ビンボー人にとってはそうした夢物語をドラマとして見続けるためには、それなりのモチベーション(動機)というものが必要なわけですよ。
 この物語では藤原紀香サンの顧客が自殺をしてしまったことで、やり手ディーラーが直面した苦悩を表現していたのですが、なかなかそれが最後まで、表面的にしか伝わってこなかったことが、最も脆弱性を感じた部分だった気がします。

 「10年先も君に恋して」。

 上戸彩チャン、「流れ星」 とこのドラマで、今年はおおいに株を上げた気がします。 内野聖陽サンの浮気発覚で存続が危ぶまれたれしましたけど、NHKサイドは全く意に介せず、アッパレ(大沢親分も、今年は亡くなってしまいました…)。
 タイムトラベルが単なる道具のひとつに過ぎず、「もし自分が10年前に戻れたら」、という仮定によって成立していた気がするこのドラマ、主役のふたりの変節ぶりがどうして起こったのか、が最後まで見る者の気持ちを引っ張っていたドラマでした。 内野サン、私生活はともあれ(笑)、演技はやはりタダモノではない。 最初は10年前の30歳ヒロシが、やたらと若々しくてワザトラシかったのですが(爆)、それも事情があっての深い演技でした。
 人っていうのはそう簡単には変わるものではない、と私は考えているので、この部分には興味があったなあ。
 そして10年たっても、何年たっても、変わることのない思い。
 それが見る者の胸を、ぎゅっと締めつけるのです。
 10年後のリカのダウナーな演技、「流れ星」 のリサの演技につながっていた気がしますよね、彩チャン。 そういえば役名も、なんとなく似てます。

 そして番外編ぽいですが、「いちごとせんべい」「割れたせんべい」。

 「ゲゲゲ」 コンビの松下奈緒サンと向井理クンが下町のせんべい屋に扮したこのドラマ。
 このふたりが醸し出す独特の安心感、というものは、なんか本格的ですらあります。
 百恵友和コンビを見ている感じ。
 このコンビによるドラマを、もっともっと見たい気がするのですが、百恵友和コンビのときは、百恵チャンがやはり、コンビを続けたがった、という事情が一部あった気がするんですよ。 それだけ本人どうしの気持ちがないとおいそれと続くものではない。
 それにふたりが主役で、周囲がその引き立て役、さらにいつもいつもくっついてばかり、というパターン自体が、時代に合ってない気もするし。
 ゴールデンコンビ、というくくり方自体が、難しい時代なんですかねぇ…。
 ドラマはそれぞれ10分(正確には8分、だったかな)。
 時間の短さなど全くカンケーない、優れたドラマになってました。 驚異的。

 で、記憶も新しい秋ドラマ(10-12月期)に、突入しちゃいますか。

 「セカンドバージン」。

 NHKにしてはやたらと官能的だった、というのが最終的な感想であります。 大石静サン、最終回の作りかたが、なんか最近ヘタクソなような気がする(失礼)。 散々ひっかきまわしてそれかよ、みたいな結末って、ん~、コメントを差し控えさせていただきます(笑)。
 つまり、登場人物に対する作り手の愛情が、感じられないんですよ。 突き放して自分の作ったキャラクターたちを眺めている気がする。
 だからただなんとか借りてきたような意義をそこにくっつけて、表面上取り繕ったような決着をつけようとして、バタバタと風呂敷をたたんでいる感じの結末になってしまう。
 女性が元気なのは分かるんですが、あまりにも過去に対して割り切りすぎると、少なくとも男性の私にとっては共感が出来なくなる。 ドライに生きていきましょう、というのは、どうもなあ…。
 うわ、かなりキツイことを書いてますな、私も(男はこのドラマに共感できない、と無理に意義をくっつけてしまいましょう)(結局コメント、差し控えとらんがな…笑)。

 「獣医ドリトル」。

 オーラス2回はさすがに見ごたえがあって、涙流しまくりましたけど、そこに至るまではやはり一話完結の消化不良感が付きまとっていました。
 だからこそ最終回の怒涛の泣かせ攻撃には 「大外から一気のゴボー抜き」、という底力を感じました。 アスカミライ、復活してくれなかったですけど(続編アリかな?)。
 最終回、やたらと泣きまくったおかげで、次の日の 「流れ星」 の最終回が、ヤケにあっさりしてしまった気がするきらいも、無きにしも非ず(笑)。
 それにしても、やっぱり原作マンガを知っていた身としては、「あれがここまで…」 という驚きは、やはりありましたね。 小栗旬クン、成長し続けている気がします。 井上真央チャンは、演技力が老成しているのが気になりますが(つまりうますぎ、ということです)、来年の朝ドラ 「おひさま」 には期待したいですね。

 「フリーター、家を買う。」。

 初回のニノが引きこもりに至るリアリティには完全に引き込まれましたが、その後のリアリティにはちょっと失速感が漂っていました。
 ただ二宮クン、彼の演技力はハンパではない。
 若者の 「メンド臭い感」「潔癖感」、そんな姿を完全にモノにしている気がする。
 彼がこれから年齢を重ねて行って、どんな中年のリアリティを出せるようになるのかは、正直言ってとても期待しています。
 題名から期待する内容とはちょっと違っていましたけど、及第点のドラマだったのではないでしょうか(上から目線だ…)。

 「ギルティ 悪魔と契約した女」。

 「曲げられない女」 とのこの落差(笑)。 菅野美穂チャンに対する考えは、ここで大きく塗り替えられました。 サスペンスに食指が伸びず、あんまり注目していなかったがゆえの第1回目見逃しでしたが、人が殺されまくるドラマもたまにはいいもんだ(問題発言だなコレ)と、まあ思ったような思わないような(ゴニョゴニョ)…。

 ただ女性の脚本家だったせいか、玉木宏サン演じた真島は、あくまでストイックで、少女マンガに出てくるようなカッコよさを貫き通していた気がするのです。
 男って、もっと俗物だよなあ、という感じ(爆)。
 だからいちいち芽衣子(美穂チャン)に対する態度が、思わせぶりまくり。 カッコよさゆえの鈍感なのか?といぶかしく思ったことも何度か(笑)。
 最後の悲恋に至るまで、そのスタイリッシュは崩れることがなく。
 「A-Studio」 でかなり真面目な玉木サンの素顔はかねてから拝見していて、そんな人が 「のだめ」 の千秋センパイのように崩れるところが面白い面も確かにあるのですが、ここまでカッコよさを貫き通す、というほうが、ホントは正道なんだろうなー。
 なんか真島の感想文になってしまいました(笑)。

 「さよなら、アルマ~赤紙をもらった犬~」。

 いかにも駆け足で、ゆっくり見ることが出来なかった、という印象ですが、軍用犬、という存在をいま一度世に知らしめてくれたことの功績は大きい気がします。
 戦争において、何でもかんでも駆り出してしまう、というのは、太平洋戦争の時代が最後だったかもしれない。 ただそんな、何でもかんでもなりふり構わず自国の勝利のために利用しようとする心こそが、常軌を逸した世の中にしてしまう。 そのファナティックさに、誰かが早い段階で気付かなければならないと感じるのです。

 「99年の愛~JAPANESE AMERICANS」。

 壮大なスケールで繰り広げられたTBS開局ン10周年(すぐ忘れちゃうな)ドラマ。 フジテレビの 「わが家の歴史」 との比較をしてみると、両局の特長がモロに出ていて大変興味深かったです。
 セリフはやはり橋田ドラマ特有のボーダイさでしたけど、戦場シーンとかはそんなこともなく、無言の間の間に橋田センセイの言いたいことが凝縮されていた気がして、かなり新鮮でした。
 ただいちいち気になったのは、子役のふたりの男の子のワザトラシさ(爆)。 こまっしゃくれてんなこのガキども(爆)つー感じでしたけど、橋田センセイの書くセリフをそのまま言ってるだけだから、本人たちを責めては酷ですよね。
 それにしても感じるのは、今年のTBSはこのドラマに吸い取られて、見たいと思うドラマが激減していた気がすること。
 フジテレビも 「わが家の歴史」 にギャラをもっていかれまくった感じで(笑)、その後の春、夏ドラマとも惨澹たるありさまだった気がするのです。

 ところがフジテレビ、「ギルティ」「フリーター」 と共に、秋ドラマでは強烈に復活。

 「流れ星」 です。

 このドラマに関しては、もう言いたいことは言い尽くした、という感じであります。
 オワリ。

 …って、もっと何か書けよ!(爆っ!)

 ドラマが持つ可能性というものを新たに提示された作品だったと思いますネ(やっぱり書くこと、もうないなあ…)。
 橋田ドラマとは全くの対極にある、無駄なセリフが一切なかったこのドラマ。
 橋田センセイは役者に期待していないがゆえにすべてセリフで表現してしまう、という話を聞いたことがありますが、「流れ星」 はその点で、役者の演技力に最大限に頼り切っている。
 ドラマにとってちょっとした仕草やそぶりがいかに重要なのかを、如実に感じさせた一品でした。
 そして竹野内豊サンも、上戸彩チャンも、この緻密すぎる演出の要請に、完璧に応えていた。 ほんの一瞬しか見せない演技があるから、見る側は一瞬たりとも、画面から目を離せない。 すごいドラマに巡りあったものです。 感謝、です。

 番外編でございます。

 「新・三銃士」。

 手作りの人形に対するこだわり、脚色の三谷幸喜サンの起用、すべてにおいて力の入りまくった、NHK人形劇の歴史に名を連ねる大傑作になったと感じます。
 どうしてここまで、地に足がついた番組製作が出来るのだろう。 やはり公共放送でスポンサーが付いていないから、余計な思惑が入り込むスキがないんでしょうね。
 しかも重厚な作りか、と言えば、三谷作品特有のギャグが随所にちりばめられた、子供番組としてもじゅうぶん秀逸な作り。 初回の西田敏行サン演じるダルタニアンの父親の死んでしまう場面で 「メシ食ったか」「歯みがいたか」(だったっけなー)と 「8時だョ!全員集合」 の加トチャンのギャグ(福島出身つながりという芸の細かいこともやっとります)、最終回でのバッキンガム公の人造人間復活の儀式での仮面ライダーへのオマージュ、深読みすればきりがない設定にもシビレました。

 「仮面ライダーW」。

 主役のふたりの演技力が意外としっかりしていて、それだけで子供番組特有のチャラさに陥ってしまいそうなこの番組を、大人も見ても楽しめるレベルにまで押し上げていた気がします。
 細かい設定に関しては、映画版との併用で説明不足になっていたきらいはどうしてもある。 こういう抱き合わせって、なんか引いて見てしまいますね。

 さて、それではベストドラマを決めるといたします。
 ↓









 …えー。










 さんざん引っ張ってナンですが(爆)、あっさりと、「ゲゲゲの女房」。
 まあ権威のないアワードですから(笑)。

 順位をつけるといたしますか。
 1位 ゲゲゲの女房
 2位 Mother
 3位 流れ星

 以下、4位 チェイス、5位 10年先も君に恋して、6位 不毛地帯、7位 ギルティ、8位 曲げられない女、9位 八日目の蝉、10位 とめはねっ!鈴里高校書道部。

 そして暫定1位が、「天使のわけまえ」(暫定ってなんだ、暫定って…笑)。
 まあ妥当な線で落ち着いてしまいました。
 ここに挙げた11のドラマは、すべて 「大筋において釈然としない部分がない」「文句を言いたい部分がない」 ドラマばかりだと思います。 ありがとう、って伝えたいです(byいきものがかり)。

 「Mother」 と 「流れ星」 の順位には、ちょっと悩みました。 なにしろこのブログでいちばん反響が大きかったのが、「流れ星」 でしたから。

 「ゲゲゲの女房」 に関しては、各週ごとのキーアイテムや伏線布石の使い方の素晴らしさ、全体的な構成の確かさ、そして何より半年間にわたる物語の長さが全く何の障害にもなっていない物語のゆるぎなさを考慮しました。 出雲言葉は当ブログ内でも一時期ハマりましたし、いきものがかりにもハマったなあ。 言わばトータルパッケージとして優れているんですよ。

 脚本賞は 「Mother」「チェイス」 の坂元裕二サン、これは確定でしょう。
 主演男優賞は 「流れ星」 で竹野内豊サン。 次点に 「不毛地帯」「火の魚」 で、(助演も入るかな)原田芳雄サン。 あらたな才能見つけた賞としては、「チェイス」「歸國」 のARATAサン(あらた、のシャレではありません…笑)。 (補足、書き忘れました、助演男優賞は文句なく、香川照之サンです)
 主演女優賞は、「曲げられない女」「ギルティ」 の菅野美穂チャン。 次点が 「Mother」 の松雪泰子サン。 もうひとり挙げさせてもらえれば、「蒼穹の昴」「Mother」 で、田中裕子サン。 上戸彩チャンも、外せないんだけど、来年以降にもっともっと期待させていただきます。 助演としては、「火の魚」「Mother」 で、尾野真知子サン。 好みが出てますなあ。
 ベストカップルは、「ゲゲゲの女房」 の松下奈緒サンと向井理クン。 文句なく。
 「チョイ役にもかかわらず印象的だった人」 賞には、「君たちに明日はない」 で田中美佐子サンの父親役をやり、「獣医ドリトル」 で最終回号泣させてくれた、山本學サン。
 で、もっとも個人的にキュンとしたツンデレ大賞は(なんやソレ)、「龍馬伝」 のお龍、真木よう子サン。
 子役では芦田愛里チャンに 「泣かせてくれてありがとう賞」(だんだんグダグダになってきた…爆)。 「ゲゲゲの女房」「さよなら、アルマ」 で、松本春姫チャン。 「たいへんよくできましたで賞」(もうネタがない)。 うまいよなあ、この子も。
 そうだ、大滝秀治サンも、「天使のわけまえ」「さよなら、アルマ」 で印象的な演技をしてましたよね。
 あらたな企画賞としては、NHKのドラマ10、でしょうか。 ずいぶんとほとんどのドラマを見ましたよ。

 よーやっと今年の総括も終わってやれやれ、といったところですが、総評としては、「今年は豊作だったよなー」、という感じです。 来年は 「JIN」 の続編が最大の期待ですが、その前に大河ドラマ 「江」 があるか。 またいろんなドラマで、皆さんと感想を交わしたいなーと考えております。 まだこのあとも書くかもしれませんけど、とりあえず今年も、ありがとうございます。 そー言えばまだ 「坂の上の雲」 とか、第2部最後まで書いとらんだった(「ゲゲゲ」 の総集編を見ているせいか、また出雲言葉がぶり返してきた…笑)。 「球形の荒野」 も、HDDに残ったまままだ見とらんのですわ。

 ここまで書いてきて、どうも片手落ちだなぁ…(爆ッ!)。

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2010年12月29日 (水)

勝手に決めるベストドラマ2010…パート2

 ようやく今年の仕事が終わった、と思ったら、年賀状だの買い出しだの、ヤタラメッタラこき使われてブログを書くヒマがありません(爆!)。 まったく1日24時間では足らない今日この頃。

 で、春から始まったドラマから、またひとつひとつ寸評を加えていきたいと思います。

 まず、いきなり 「ゲゲゲの女房」。

 このドラマの特異点は、これまで自分がシュッ!役の(分かるかなあ?…笑…最後まで見ませんでしたけど)ヒロインが、ただひたすら世界の中心で悩んだり苦しんだり頑張ったりしてきた、という朝ドラの定義を逆転し、裏方に徹する人をメインに据えた、という点です。
 だからヒロインの村井布美枝(松下奈緒サン)の存在感が、とても希薄。
 それでも、むりくり自分を世界の中心に据えなくとも、女性はこれまでの虐げられていたかに見える社会のなかでも、しっかりと自分を前に出しながら存在感を主張することが出来ていたのだ、という、価値の逆転を見せつけてくれた。
 このドラマが終わって個人的に喪失感が大きかったのは、そんな布美枝が醸し出してきた、「裏方に控えている人がいる安心感」 がなくなってしまったことの象徴だった気がする。
 さりげなくとも、そこにいつもいてくれるから、安心していられる。
 それは紛れもなく、母親や女房の安心感なのです。
 そしてそれを、ドラマの中では、「見えんけど、おる」 というセリフに凝縮していた。
 それは決して妖怪のことだけを表現したセリフではなく、母親、女房の存在感をも言い当てた言葉だった気がするのです。

 そしてこのドラマのもうひとつの吸引力、言わばそれがメインとも言えるのですが、それはマンガ家水木しげる氏の人生を裏側から見た視点でした。
 客寄せレベルで 「ゲゲゲの鬼太郎」 という、数世代にわたって知名度のある作品のマンガ家、その人のお話、という興味を引き出しておき、裏話をちりばめながら、その実ドラマの主題としては 「見えないけれども大切なもの」 を徹頭徹尾強調していた。
 このドラマが万人に受け入れられたのは、そんな 「一昔前」 の価値観を肯定した点にある、そう感じます。
 日本人はなにしろ、この価値観で、戦後を生き抜いてきたのです。
 このドラマこそは、女性が社会進出をするにつれて 「家にいる女性」 の存在価値が貶められつつあるこの時期だからこそできた、「偉大なるアンチテーゼ」、という気がしてならないのです。

 「八日目の蝉」。

 子供を誘拐する、という点で同時期に放送された 「Mother」 と何かと比較されたこの作品。 NHKの火曜10時枠 「ドラマ10」 のオープニングとしても、力のこもった作品だった気がするのです。
 このドラマで強調されていたように思うのは、子供に対する愛情の注ぎ方に対する、限りない肯定と、そしてその結末に対しての、限りない冷めた見方、その相反するふたつの視点です。
 それは女性によって作られた作品だから、という要素が大きく関与している気がする。
 このふたつの視点。
 なんか私は、自らの恋愛体験と似たものをとても感じるのです(笑)。
 女性は、自分の感情に火がつけば、ヤタラメッタラ愛情をぶつけてくる。
 けれども一旦冷めてしまうと、まるで潮が引いたみたいに、冷静になってしまう。
 主演の檀れいサンが幼少時代まで育てた誘拐した女の子との仲を引き裂かれ、ラストでは大人になったその女の子、北乃きいチャンと再会するのですが、結局きいチャンは檀れいサンに気付くことなく、ちょっと振り返っただけでそのまま素通りしてしまう。 檀れいサンはそれを、満足そうな、なんとも言えない表情で見守る。 この、「いまさら会ったってどうしようもない」、というラストシーンのありかたは、女性特有の生理が導き出したラスト、のような気がしてならないのです。

 「わが家の歴史」。

 フジテレビらしい、超豪華ゲストがチョイ役で次々出てくる、という遊び心を満たそうとしながら、なんとか一歩先にある感動に結びつけたい、そんな三谷幸喜サンの苦慮のあとが見える大作でした。
 そしてこのドラマで共感が持てたのは、「どんなフツーの人でも、有名人のひとりやふたりとニアミスをしているものだ」、という点。
 ホント、この視点は個人的には斬新な視点でした。
 そうだよなー。
 私も長嶋茂雄サンとか数メートル近くで見ましたし、大野しげひさサンとかも(「走れ!ケー100」、覚えてる人いるかなー)。 杉田かおるサンも街中でバッタリ、とか(笑)。
 そして名前は明かせませんけど(もったいつけてます…笑)元フジテレビの女子アナのひとと小学生時代同じクラスでした。 もうひとりちょっと有名人のかたも、中学生時代同じクラスだったりしてます。
 結構いるもんですよねー。
 ポール・マッカートニーは、東京ドームでほぼ10メートル以内の席で見ましたし(これも一応ニアミスでしょうか…笑)。

 「大仏開眼」。

 いわゆる 「古代史ドラマ」 ですが、この手のドラマを見ていてそのつど感じるのは、「古代の日本の美しさ、原風景を表現しきれていない」、という点です。
 CG全盛の時代になったのですから、いくらでも出来ると思うんですが。
 私が飛鳥時代や奈良時代から連想するのは、「万葉集」 に描かれた、日本の風土の限りない美しさ、です。
 古代の天皇が天香具山などを見て詠んだ歌には、とてもワイドなビジョンでなだらかな景色が目に浮かびます。
 「古代ドラマ」 には、そんな風景がちっとも出てこない。
 どこかの田舎で撮ったような視野の狭い田舎の風景しか出てこないことが、とても不満なのです。
 そんな大いなる自然を活写していないから、登場人物たちの古代コスチュームが、とても安直に思えてくる。 ホント、コスプレ、という感じ(笑)。

 ただこのドラマで収穫だったのは、主役の吉備真備を演じた吉岡秀隆クン。 なんとなくこの人には、「やらされている感」 が漂うのですが、このドラマでは積極的に演技していこう、という執念、みたいなものを感じました。 執念みたいなドロドロとしたものは、吉岡クンにはあまり感じたことがなかったのですが。

 「Mother」。

 泣かされました、このドラマには。
 泣かされました、芦田愛菜チャンには。
 過去10年分くらいの涙を、このドラマを見ながら流した気さえします。
 しかもそのほとんどが、号泣(笑)。
 暴風雨のような、泣かせ攻撃だった気がしてなりません。

 このドラマは 「母性とは何なのか」、というテーマを、回を重ねるごとに肥大させていった。
 児童虐待からその子を救うために犯した、児童誘拐。
 それは 「八日目の蝉」 の自分勝手な理由とは全く異質のもので、しかも両方のドラマとも面白かった、というのは奇跡に感じます。
 ただ 「Mother」 は男性の視点から見た母性、というものを強く感じさせた。
 そこには女性の視点特有の冷静さ、というものは存在せず、ただ母性に対する尊敬と称賛が底流にあった気がするのです。
 そしてそのラストは、やはり冷静になって別れ別れになろう、という点において 「八日目の蝉」 と似通ってはいるのですが、何年か後の松雪サンと愛菜チャンの邂逅を描くことで、温かい目を注いでいる気がするのです。 それは男性特有の優しさ、なのではないでしょうか。

 「チェイス~国税査察官~」。

 「Mother」 と同じく、坂元裕二サンの脚本。 同時期にこのような大傑作2本を世に送り出した、というのは、実に驚異的です。 ま、これ以降坂元サンの作品って、聞かないんですけど(笑)。
 この2作に共通しているのは、物語が行き当たりばったりで作られていないことを強烈に感じさせる点です。
 「Mother」 では、もともと松雪サンが幼少時代、母親の田中裕子サンをひどい目にあわせる父親を、放火して殺した、という衝撃的な事件を起点とし、「チェイス」 では、ARATAサンが少年時代、誘拐されたのに無視されて逆上した犯人に片手を切り落とされる、という、これまた衝撃的な事件を発端としていた。
 物語のとっかかりがショッキングであることで、この二者は共通しています。
 そこから歪んだ人間の感情が、何年後かに歪んだ結晶として顕在化する。

 「チェイス」 の場合、それが金融の巨大スキームという大ごとに発展しているから、余計に面白い。 そこに主演の江口洋介サンの父娘関係も絡んでくるから、さらに 「親と子」 というテーマをはっきりと浮かび上がらせることが出来る。 その物語構築の重層構造には、舌を巻きまくりました。

 …ふぃ~、やっと春ドラマ完了だぁ…。
 今年も残りあと2日、家事の押しつけにも負けずに、今年中にアワード決定できるのか?(爆)
 待てパート3、大賞はいったいどのドラマなのか?(引っ張ってスミマセン…)

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2010年12月27日 (月)

勝手に決めるベストドラマ2010…パート1

 10-12月期のドラマもすべて終わったことですので、毎年恒例になりつつありますが独断と偏見によるベストドラマを勝手に決めたいと存じます。 今年を振り返る意味で、退屈でしょうがお付き合いくださいませ。

 まず毎回変わる選考基準としては(笑)年またぎのものは終わった時点での年のものに限定します。 つまり 「坂の上の雲」「てっぱん」 はまだ終わってないので候補から外し、「不毛地帯」 は今年の3月に終わっているので候補に入れます。
 それと重要なのが、「初回から見てなくても、自分が最後まで見たドラマに限る」、という点。 とーぜんですが(爆)。

 で、エントリーしたのがですねー。

 「龍馬伝」(NHK)
 「蒼穹の昴」(BS-hiによる字幕版)
 「曲げられない女」(日本テレビ)
 「とめはねっ!鈴里高校書道部」(NHK)
 「不毛地帯」(フジテレビ)
 「君たちに明日はない」(NHK)
 「樅の木は残った」(単発、テレビ朝日)
 「火の魚」(単発、NHK…本当は去年制作なんですが、今年再放送を見たので…)
 「ゲゲゲの女房」(NHK)
 「八日目の蝉」(NHK)
 「わが家の歴史」(3夜連続、フジテレビ)
 「大仏開眼」(前後編、NHK)
 「Mother」(日本テレビ)
 「チェイス~国税査察官~」(NHK)
 「新参者」(TBS)
 「新・三銃士」(NHK、人形劇ですがこれも入れさせてください!)
 「いちごとせんべい」(単発ミニドラマ、NHK)
 「鉄の骨」(NHK)
 「天使のわけまえ」(NHK)
 「うぬぼれ刑事」(TBS)
 「歸國」(単発、TBS)
 「チャンス」(NHK)
 「10年先も君に恋して」(NHK)
 「割れたせんべい」(単発ミニドラマ、NHK)
 「セカンドバージン」(NHK)
 「獣医ドリトル」(TBS)
 「流れ星」(フジテレビ)
 「フリーター、家を買う。」(フジテレビ)
 「ギルティ 悪魔と契約した女」(フジテレビ)
 「99年の愛~JAPANESE AMERICANS~」(5夜連続、TBS)
 「さよなら、アルマ~赤紙をもらった犬~」(NHK)

 …それと、
 「仮面ライダーW」(テレビ朝日、そこのアナタ、ズッコケないでください!…笑)。

 …いやー、それにしても見たもんです。 こうやって振り返ってみても、そのひとつひとつが傑作で、ブログ管理画面の記事一覧を見ながら、「うわ、これもか」「ああ~こんなのあったよなあ」 の連続で。 ずいぶんと取捨選択しながらの視聴にもかかわらずこれだけあるんですからね。

 て言うか、なんか去年と比較しただけでも、ずいぶんと見るドラマが増えておるんですよ。
 これもこのブログに集まって下さる方々のアクセス数と、お寄せいただくコメントに後押しされてのことだと、深く感謝しております。

 以前はホント、かなり厳選しながら見てたんですけどね。
 でもドラマをこうして大量に見るようになって感じるのは、ドラマっていうのはたくさん見ることによってそれだけ心が豊かになる、っていうことです。
 もちろん作り手の描写のすごさと同時に、描写不足というものも感じる。
 けれどもそれを感じることで、人間的な素養が養われる気がするんですよ。

 そしてそれをどう 「けなして」 いくのか(笑)。

 批判精神というものは、時に人間をダメにしていきます。
 ネットでドラマ感想文を書くようになって如実に感じるのは、その点です。
 批判というものの裏側には、「自分はこれだけ世間の常識をわきまえている」「これだけ正確な批評眼を有している」 という本人の優越感を満足させる側面が、たぶんにしてあります。
 そしてそこには、自分がそのドラマの作り手になったように錯覚してしまう落とし穴も待ち受けている。
 また重要なのは、「つまらないと自分が感じるドラマが、テレビという華々しいメディアによって世の中に喧伝されている」、という感情が、そこに混じってくることです。
 簡単に言えば、「なんだこんなことでモテハヤサレヤガッテ」、という 「嫉妬」 です。

 このブログでは、そんな悪感情を極力排してきたつもりであります。
 まあエラソーなことを言っても、そんな 「批判の暗黒面」 に引きずられてしまうことって、多々あるんですけどね。

 で、前置きはそのくらいとしまして、ちょっとここのドラマについての考察に入ります(まだ前置きか…また長くなりそうだなあ…笑)。 これまで当ブログで書いてきたことと重複する部分もあると思いますが、なにぶん 「振り返り」 の作業ですのでご了承ください。

 「龍馬伝」。

 このドラマの真骨頂は、その 「パッケージング」 にあった気がします。
 つまりプログレッシヴカメラとか、独特の色彩とか、幕末の志士達の汚さとか、砂煙とか、容れ物としての外観の特異性。
 そして展開されたのは、歴史ドラマという形態に名を借りた、舞台劇。
 そこでは作り手の主張に沿って歴史が大きく改竄され、少なくとも龍馬ファンの気持ちを大きく逆なでした。
 まずまったくのフィクションである岩崎弥太郎と坂本龍馬との相克をメインに持って来る、という点で、見る側はその点に気付かなければならなかったのだと思うのです。
 このふたりの相克を強調した舞台劇、というスタンスでこのドラマを見直すと、作り手の言いたいことは十二分に表現されていた気がしてならない。
 物議を醸し出しましたけど、大河ドラマとしては傑作の部類に入ると思うのです。

 「蒼穹の昴」。

 中国の役者たちの演技力の素晴らしさと、それをたったひとりで受け止め土俵際まで持っていく西太后役田中裕子サンのすごさが際立った作品だった気がします。
 物語的には特に破綻がなく、それはいっぽうでは重厚な作り、ということになりますが、面白みに欠けてしまった部分はあるかもしれない。 何回か見逃しても特に支障がなかった、というのが、その感想の理由です。
 春児が京劇役者として西太后に取り立てられる部分までは、まるでジャッキー・チェンのカンフー映画を見ているようで、そのオーソドックスさに酔ったのですが、その血わき肉躍る感じはそれ以降ぐっと低下してしまった感はあります。
 ただ全体的には、西太后の悲しみを描写していた、という点で、西太后の認識を改めさせる力に満ちていた気がします。

 「曲げられない女」。

 菅野美穂チャンのブチ切れシーンが真っ先に思い浮かびますよネ(笑)。 時には説教臭く、ためにする展開だった点も無きにしも非ず。 そのせいか途中、ダレていたような記憶があるなあ。
 ただ曲がったことの大嫌いなネクラ女オギワラ(ハギワラではありません)が警戒水域を超えるとスイッチが入ってブチ切れ、言いたいことを全部言い終わるとスイッチが切れてしまう、あとに残ったのは荒涼たる周囲の引き具合、という構図には、ホントに笑わされました。
 まあ最後は谷原章介サンと永作チャンがくっついてしまうとか、なんでそーなるのだ?みたいな展開がありましたけど、このドラマの持つ潔癖性が必然的に着地する結末だった気がするのです。 最終回のオギワラの大大ブチ切れ大会には、かなりシビレましたよ。 美穂チャンの私のなかでの好感度は、これで一気にアップしました。
 今年はしょっぱなから、すごいドラマがあったんだなあ。

 「とめはねっ!鈴里高校書道部」。

 「てっぱん」 であかりの親友役の朝倉あきチャン主演のドラマ。 「新・三銃士」 のダルタニアン、池松壮亮クンが相手役。 出てくる高校生たちも、みんな飛びぬけて美形、というわけではない、というのが共感をあおるのです。
 青春のきらめきをそのまま小箱に閉じ込めてしまったような内容のドラマで、とても甘酸っぱく切なかったです。 朝倉あきチャンは限りなく明るく、すっごく好きになりました。 私みたいな中年世代は、遠い目をしてしまいそうな眩しい内容のドラマ。 こういうドラマは、個人的に大事に胸の中にしまっておきたい気さえします。
 特に後半、サザンオールスターズの 「希望の轍」 をテーマにした書道が展開されるのには、世代間の違いとその接近を同時に感じさせた。 「流れ星」 と同じく、江の島を中心とした地域が舞台。 江の島に個人的思い入れがあるのも、ドラマにハマった要因だったかな~。

 「不毛地帯」。

 「ギルティ 悪魔と契約した女」 で唐沢寿明サンが 「もしもし、竹野内豊です」 とやった伏線のひとつがこれだったよーな気が(笑)。 竹野内サン、唐沢サンのチームでサルベスタン鉱区のプロジェクトに邁進してましたよね。
 なんとなく話の古臭さに視聴者がついてこなかったことを、「怪人ドラマ」 として再生させようとしているところが、結果的に迷走に映った感は否めません。
 けれども後半、予定回数を1回減らしてまで詰め込みまくった逆風の中で、最終回に向けてのテンションは上がる一方。 「怪人ドラマ」 の流れを、完全に断ち切りました。

 それにしてもこの 「怪人」 たち(笑)。
 思い出しただけで笑ってしまいます。
 鮫島役の遠藤憲一サン、里井副社長役の岸部一徳サン、トカゲ男の篠井英介サン、なんかもいたなあ。
 特に岸部一徳サンのブチ切れぶりには、かなり笑わせてもらいました。 「曲げられない女」 以上にキレてましたよ(笑)。 ブチ切れまくった末に入院までしてしまうほどで(爆)。

 最終回に向けてドラマを牽引していたのは、大門社長役の原田芳雄サン。 その老けぶりもさることながら、演技とはかくあるべし、という思想さえも感じさせる素晴らしい迫力でした。 「壹岐君…退陣や」…。 散々暴れまくった末につぶやいた断末魔。 いまでも胸に残っています。

 そしてラストシーン、雪のシベリア収容所跡にたたずむ壹岐。 唐沢サン、渾身の演技でした。 なんで壹岐がここまでがむしゃらに仕事をしてきたのかがたちどころに理解出来てしまったラストだったと思うのです。 同じ唐沢サン主演でも 「白い巨塔」 より数倍すごかった。 視聴率的には残念で、打ち切り同然というのがフジテレビの根性のなさを感じさせました。 開局何10周年かの記念ドラマでしょうに。

 「君たちに明日はない」。

 リストラ請負人の姿を描いた坂口憲二クン主演のドラマ。 田中美佐子サンとのトートツなキスのありえなさぶりに一気に見る気分が減退したのですが、コメントをいただいた方のご尽力によって最後まで見たドラマでした。
 村田雄浩サンなどリストラされた側の人々についてのフォローがもっとあれば、もっと興味深いものになった気がするのですが、坂口クンと田中サンの恋愛も描こうとした点は、そうした面では余計だった気はするんですよ。
 脚本の宅間孝行サン、いつも感じるのですが、論点の絞り込みが苦手なのかな。 リストラ請負人、というドラマのおおよその内容を提示されて視聴者が何を期待するのか、という観点がない気がする。 「リストラ」 などと聞いて視聴者が恋愛ドラマを期待するとは、あんまり思えないんですけどね。 つまり坂口憲二クン、というイケメンで人気の役者を生かすために、恋愛ドラマにしてしまおう、という意図が宅間サンのなかで生じてしまう、…そんな気がします。

 「樅の木は残った」。

 田村正和サンと井上真央チャンの組み合わせが、やっぱり不自然だったかな~。 「うちの子に限って…」 あたりからずーっと田村サンのフォロワーをしている私にとっては、田村サンの老いた姿は少々忸怩たる思いがしながらも、いい年輪の重ね方をしているよなあ、と思うことが多いだけに、ちょっと最初に客引きのキャスティングありき、みたいな井上真央チャンの起用自体が、なんか許せない気がする。 若い人にもこのドラマを見せよう、というテレビ局の魂胆が、見透かされる気がするんですよ。
 それと気になったのは、田村サンのしわがれ声。 セリフ、聴き取りにくかったなー。
 ただその気になる点をのぞけば、総じて見ごたえのあるドラマだったのではないでしょうか。 史実を大胆に解釈した、という点においては議論の分かれるところですが、単発ドラマとしては見ごたえがあった、と言いますか。 例えて言えば、最近よく見受ける藤沢周平チックな小品の時代劇映画の傾向に通じるものがある。
 手放しで称賛される作品ではありませんが、そんな大人の読み物、みたいなスタンスの時代劇があってもいい、私はそう思うのです。

 「火の魚」。

 こちらは1時間ドラマとしてはかなりよくまとまった作品で、なんか賞をもらったのも納得、という感じです。
 主演は原田芳雄サン。 偏屈な作家の役を、かなりコミカルに演じています。
 相手役が 「Mother」 で虐待母を演じていた、尾野真知子サン。 こっちの作品のほうが古いんですが。 偏屈な作家につく編集者です。
 室生犀星の原作をかなりポップに味付けした、というのが最大の印象で、映画 「ジョゼ…」 の脚本家のかたが書いた作品だったとか。 かなりの手練れたものを感じます。
 最初コミカルな話の運びだったものが、文芸小説特有の重苦しさを、徐々に纏っていく。
 それがラストで、またキョーレツにポップに着地するのです。
 この快感。
 影絵の場面とか浜辺に描かれたコンブ(だったかな?)の絵とか、印象的なシーンが多かった中で最も印象的だったのは、やはり尾野サンが原田サンに強要されて、生きている金魚を魚拓にするために殺してしまうシーン。 そしてそのあとに控えているシーンの、そこはかとない可笑しさ。 この転回の仕方がかなり見る側を圧倒する。 傑作でした。

 …

 ちょっと待って(笑)。
 まだ冬クールまでしか書いてない(笑)。
 なんか終わんないので、続きはまた次回にさせていただきとう存じます(ランキング乞うご期待!…笑)。

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2010年12月26日 (日)

「仮面ライダーオーズ」 メダル争奪戦が持つ可能性の面白さ

 平成仮面ライダーシリーズの最新作 「オーズ」 はまたまた新ライダーの登場で話が複雑になりつつあります。

 今回このシリーズの悪役であるグリードと、主役オーズの誕生の真相が明らかにされたのですが、相変わらずちょっと聞いただけでは分かんない理屈のオンパレードで(爆)。 テレビドラマの解説を主に行なっている当ブログの筆者でも半分くらいしか理解できないのですから、これを一見ですべて理解できてしまう人は、かなりの能力の持ち主だと称賛いたします。
 ドラマを見直せば分かるんでしょうけど、オッサンになるとそこらへんの設定って、もうどーでもよくなる、と申しますか(爆)。

 要するに10何枚かのメダルを集めることでグリードは完全になるらしいのですが、ドクターマキという人物と、グリードの中のおひとりがその先にあるものが何なのか、知りたがっている。
 そのドクターマキを雇っている宇梶剛士サンが、欲望によって増殖するメダルと、コアメダルというものを収集しながら 「欲望による世界の再生」 をもくろんでいるのですが、ドクターマキは全く逆で、「欲望による世界の破滅」 を見たいと考えている。 今回のそのふたりの対比の仕方は、なんか子供番組にもかかわらず見ごたえがありました。

 この番組を見ていて感じるカタルシスは、獲得したメダルによって変身形態が変わっていくオーズにあることは確かです。
 敵方グリードのコアメダルを手に入れることで敵の能力を自分のものにしたり、コンボと言って同じ色のメダルを3枚利用することによって能力以上のパワーを発揮したり、この快感はすごい。
 そしてこのところ集まるいっぽうだったメダルをオーズが次々奪われていくことによって生じるジリジリ感が、またこのメタル争奪戦をかなり面白いものにしている気がします。

 さらに4人いるグリードの中で繰り広げられる、味方同士の分裂。

 そのなかのひとりが、メズールという女なのですが、コイツの人間形態なのが、未来穂香チャンというカワイイ女の子。
 この子が自分のコアメダルを仲間に奪われて苦しそうによろよろ歩いていく姿は、結構来るものがあります(何が来るんだ、何が…笑)。
 その子が仲間にとどめを刺されそうになるところをオーズが助けるのですが、ここでちょっと妄想してしまいました。
 メズール、オーズ側につかないかな~、なんて。

 このメダル争奪戦を繰り広げる者たちにかなり共通しているのが、もともと悪い奴が自分の利益のために仲間を作っている、ということに尽きます。
 主人公の男の子(火野映司…渡部秀クン)にオーズの変身キットを渡したアンクというグリードのひとりも、もともとは自分の完全復活のためにオーズを利用している。
 宇梶剛士サンも自分では良かれと思ってやってるんでしょうけど、結局自分の欲望を満たすためでしょう。
 「ドラゴンボール」 で、もともと敵方なのに、さらなる強大な相手に勝つためにかつて敵だったものと手を組む、という構図が繰り広げられていたものですが、「オーズ」 ではそのからくりをさらに進化させている。
 要するに、火野映司クン以外はみんな、悪だくみのために相手を利用しているのです。
 この仕組みは、実に興味をそそられる、と言っていいでしょう。

 そのからくりから行くと、メズールがオーズの側につく、という可能性も、捨て切れない。
 人物相関図や話の展開が劇的に変化していく可能性を、無限に秘めている設定だ、と言っていいのではないでしょうか。 でも、そんな劇的な変化なんか、料理しきれないんだろうなー。 結局また元のサヤに戻った感じがしますけど。

 まあ実のところ、こんなかわいい女の子がオーズの側について欲しい、という、ヤラシイ願望なんですけどね(爆)。

 それともメズール、…死んじゃったのかな?

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2010年12月25日 (土)

「クリスマスの約束2010」 いまを全力で生きていくこと

 去年の 「クリスマスの約束」 に関する当ブログの記事(「クリスマスの約束2009」 J-POP組曲 「22'50''」 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/2009-j-pop-2250.html)は、実は長いあいだ当ブログのアクセス数人気記事ランキングの1位をずっと独走しておりました。 書いた当日のアクセス数もハチャメチャな数字で、この状態が1カ月以上続いたものです(長い!)。 おそらく口コミの威力でアクセスの多い状態が持続したのだと思います。

 それだけ去年のこの番組に対する反響はものすごかったようで、今年の春先だったか、各地で異例の再放送までした、といういわくつきの傑作音楽番組でした。
 その番組内容は当ブログリンク先を参照していただくとして(映像はなくて文章だけの説明になってしまいますが)、今年はどのような手を使ってくるのだろう、という期待と、あれだけのものはそうそう作れんだろう、というあきらめと、ふたつの気持ちがないまぜになって今年の 「クリスマスの約束」 を視聴したのでした。

 結果的に申しますと、去年と同じようなスタンスでした。
 それでも、去年のような超豪華メンバーが揃ったわけではなく(そりゃあれだけのメンバーが揃うのは、困難の極みであります)、キロロのヴォーカルの人とか目新しい人もおりましたが、去年と同じようなメンバーが多く、正直なところ新鮮味に欠けたことは否定できません。

 ただ内容的には、メドレーという形でブツ切りを聴かせていった去年の方法から脱却し、1曲1曲をじっくり聴かせる方法。
 だから去年のようなドキュメンタリータッチは全くなくて、徹頭徹尾コンサートの模様。
 会場はこの番組が始まってから10年、という一区切りもあってか、小田サンの出身地である横浜の会場を借りて、原点に立ち戻ったかのようなスタイルで行なわれました。

 ただし原点、といっても、始まった当初のように協力してくれる歌手も誰ひとりいなくて(だったっけな…よく覚えてないですけど、そんなイメージがありました)、うすら寒い中で小田サンが他人の曲をカバーしまくっている、という状況とは雲泥の差。

 そしてこの、去年と違う1曲1曲を丁寧に聴かせる方法。
 いずれの曲も去年と同じように、登場しているメンバー全員のコーラスが入るため、リハーサルには去年以上の緻密さが要求されたように思われるのです。
 コーラスワークは、おそらく小田サンが大部分を手掛けたのではないかと思われる、「追っかけ追い越しコーラス」 の多用。 相当な技術が必要とされます。
 番組の中でも小田サンが漏らしていましたが、そのコーラスアレンジメントは、「作る以上はオリジナル以上のものを目指したい」 という小田サンの意気込みが十二分に伝わってくるかのような完成度で、難易度高そう。

 大変だったろうなー、ここに出てくる人たち。 こういうことは、おいそれと毎年できないような気がする。 皆さんスケジュールの調整とか、大変でしょう。

 でも、「クリスマスにこれをやる」、という歌手たちのテンションが恒例化すれば、そのうちにもっと規模の大きなことが出来るかもしれない。
 それは年末に行なわれるレコード大賞とか紅白歌合戦とか以上に、重大な音楽イベントに成長していく可能性を秘めたプロジェクトのような気さえするのです。 もしかすると小田サンの手を離れていくかもしれないほどに。
 …まあそれはかなり希望的観測に満ちた妄想ですけどね。

 だいたいいまのところこの番組に参加してくれている人々の大きなモチベーションは、小田サンにあることは確実なのです。
 小田サンの依頼だから、出たいと思う。
 小田サンがやっているから、この音楽イベントに参加したいと思う。
 でなきゃ個々人の主張が強い歌い手の皆さんが、一緒になって何かを作り上げていこうなんてのは、ちょっと難しい。

 で、去年のような心臓掴まれまくりのすごい感動、ということには遠く及ばなかったのですが、今年はその個々人の歌が心に沁みてくることが多くて、知らないうちにじわじわと涙がぽろぽろ流れたりしました。 「クリスマスの約束」 には、毎年のように泣かされてはいるんですけど。

 特に絶妙に思えたのは、曲の前に展開される、その歌い手とのフリートークが曲の感動を後押ししている点。

 さっきも出たキロロのヴォーカル玉城千春サンは、結婚出産から思うような声が出せなくなってしまって、一切自分から歌を遠ざけていたそうなのですが、去年の 「クリスマスの約束」 を見て、自分もあの場所に立ってみたい、自分も一緒に歌いたい、という衝動に駆られたそうです。
 そんな彼女が歌った、「未来へ」「長い間」。
 独唱タイプのこの歌に、絶妙のコーラスワークが絡む。
 歌いたい、という原初的な感情。
 人はうまかろうが下手だろうが、歌を、歌いたいものなのです。
 その感情に心を閉ざしていた彼女が、もう一度歌う喜びの中にいて、そしてそれを支えてくれるコーラスに包まれている…。
 そう考えたら、なんかもう、ボロボロ泣いてました。

 スタレビの根本要サンは、小田サンに強要されて(笑)共作をしたらしいのですが、勝手に押しつけてどっかへ行ってしまった小田サンを(笑)尻目に作った 「思い出はうたになった」。
 「まるで小田和正がオレの中に入ってきた感じ」(笑)で作られたその曲、「長い間歌を歌ってきたからこそ書ける詞」 をリハーサルで歌い終わったら、いままでしたことのないくらい号泣してしまった、という話をされていました。

 気がつけば こんなに 時が流れていて
 そして 僕は まだ ここで 歌っている
 歌ってさえいれば ただそれだけで
 幸せなんだと 思っていた

 確かにどことなく 「小田メロディ」 の曲でしたが(笑)、歌詞の内容もまさに、長い間歌ってきたからこそ感じるであろうことがストレートに書かれていて、感動的。

 それにしても感じたのは、出演された歌い手の皆さんが選んだ曲の傾向についてです。
 つまり自分の持ち歌が多い中で、決してそれにこだわっているわけでもなく、テレビ局やエージェントの思惑によって歌わされるわけでもない、という点でした。
 最初全員で歌われた 「Today」 という歌のあとにひとりめの歌手として登場した、JUJUサン。
 個人的には 「ギルティ 悪魔と契約した女」 の主題歌 「この夜を止めてよ」 を歌ってほしかったのですが、彼女が歌ったのはマイリトルラバーの 「Hello,Again~昔からある場所~」 のカバー。 なんか今年の夏に実際にカバー曲シングルとしてリリースされたみたいなんですけどね。
 まあ、フジテレビのドラマの主題歌を歌わせるわけにもいかんか、つー感じもしますけど(爆)、同じフジテレビのドラマ 「東京ラブストーリー」 の 「ラヴ・ストーリーは突然に」 は歌われてたし、別にいーんじゃないかという気もしますが(笑)。 でも 「この夜を止めてよ」 とこのギグの性格が合わない、ということが最も正確なところかもしれないです。

 これ以外にもですね、小田サンが歌っていた同TBSの 「獣医ドリトル」 の中のテーマ曲 「グッバイ」 も歌われなかったし、なんかコマーシャルじゃないんだよなー、いちいち。

 個人的によかったのは、やっぱり私お気に入りの山本潤子サン、「冷たい雨」。 それまでマイラバとかスピッツとか、「新しい世代」 が影響を受けた 「ちょっと昔」 の歌が続いた中で歌われた、「かなり古い歌」。 ユーミンの作った名曲ですが、ハイ・ファイ・セットの天才的コーラス・アレンジメントとは違うアプローチで攻めてきた 「小田式コーラス・ワーク」、地味目でしたけど聴きごたえがありました~。 若い世代にも山本潤子サンあたりの名曲は、どんどん触れていってもらいたい気がすごくします。 古くならんのですよ、ハイ・ファイ・セットあたりは。 「燃える秋」 なんか、超名曲なのに、滅多に耳にすることがない。 みんな、聴いてください!

 そしてコンサートの最初と最後に全員で歌われた、先ほどもチラッと書いた 「Today」 という曲。

 「数えきれないくらいの明日がやってきて
 いま このときの喜びを忘れていってしまうにちがいない
 だからこそ 『昨日の栄光』 や 『明日への約束』 とかではなく
 『今日』 といういまを生きるんだ
 いまこそが自分の歴史が作られている瞬間なんだ」

 という内容とのこと。

 先ほど書いた 「テレビ局やエージェントの思惑によって歌わされている感じがしない」 というのも、実はこの曲の持つコンセプトに沿った選曲なのかな、と感じるのです。

 いま、自分がいちばん伝えたいことを歌う。
 自分がいちばん歌いたい歌を歌う。
 それこそが、いまを全力で生きていることなんだ、という小田サンの意志です。

 そして歌い手のそんなまっすぐな情熱こそが、聴く側を感動させることができる。
 キロロの歌に流した涙には、そんな理由が隠されている気がするのです。

 なんともワンパターンではない、今年なりの小田サンのメッセージの伝え方に、完全に脱帽状態なのであります。

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2010年12月24日 (金)

「ギルティ 悪魔と契約した女」 第11回(最終回) 復讐の果て

 ネタバレブログの筆者といたしましては、この最終回のストーリーを 「流れ星」 の記事並みに細かく追っていくことが責務なような気もいたしますが、正直なところ細部にわたって 「ここがこうだった」、というのに今回あんまり自信がありません(笑)。 勘違いかもしれませんが、なんかどうとでも取れるようなシーンが、多かった気がするんですよ。

 そんなせいか、見ていてなんとなくフワフワ感が漂っていた。

 芽衣子(菅野美穂チャン)はいったい、どこまで復讐をするのか、という点において、三沢(津嘉山正種サン)の息子準(柏原収史サン)の命をもって償わせるのか、堂島(唐沢寿明サン)の記事を世間に公表することが復讐になるのか。 それが最後までつかめないために、芽衣子の心の動きが読み取れず、物語だけが勝手に進行していく感じ。

 おそらく、ここまで事件の関係者をことごとく死に追いやってきて三沢準だけを赦す、というのはあり得ないとは思ったんですが、最後の最後で真島(玉木宏サン)が、芽衣子の復讐心を思いとどまらせて、物語として復讐のありかたに一定の結論を出すのではないか、とか、そう考えたわけです。

 芽衣子は三沢準と密約を取り交わし、恨みの募っていた自分の父親を自殺に見せかけて殺す、その見返りに堂島の記事の入ったUSBを渡す、ということに同意。 その場で提示される、青酸カリ。
 三沢準は、その毒を父親に飲ませることに成功するのですが、このからくりがまず目を引きます。

 まず自分が身を引くことで決着をつけると父親に話し、自分の新しい門出を祝ってワインで乾杯しようとする。
 そのワインには毒を仕込んである、と見る側に思い込ませる演出でしたが、父親に差し出したワインを父親は拒み、息子の側に置いてあったワイングラスを手に取る。
 「失敗した…」 という表情を息子にさせることで、父親はそのたくらみを見破ることに成功した、と見る側に思わせます。 息子はワインに口をつけますが、飲んだようには見えない。
 そこで、もしかしてホントは父親が取ったほうのワイングラスのほうに毒が仕込んであったのではないかと見る側に疑問を持たせる。 父親も、そんな疑心暗鬼の表情をしています。
 父親はそれを見越して 「ワインの気分じゃない」 と自分のブランデーを持ってきてグラスに注ぎ、それを飲む。
 完全に計画失敗、と思いきや、実はそこまで父親がすると行動を推測しての、息子の計略だったのです。
 ホントに毒が入っていたのは、そのブランデーのほう。
 即効性が強いですから、父親は即死します。
 恐るべし、青酸カリ。
 恐るべし、三沢準の暗黒面(ダース・ベイダーか?)。

 そうなんですよ、この場面で露わになるのは、この親子の限りないドロドロ。
 互いに相手のことを、全く信用していない。
 うすら寒くなります。
 父親の疑心暗鬼を逆手に取った息子の行動、そしてその、クラーイ情熱。
 息子の中で長いあいだ熟成されていた、父親への限りない殺意。

 三沢準はその後芽衣子に 「15年前の事件関係者をみんな殺してくれてありがとう」 みたいなセリフを言うのですが、実は父親の殺害こそが、三沢準にとってのいちばんの本懐だった気さえします。
 けれどもその後押しをしてくれた芽衣子まで、今度は自らの手で殺害しようとするのです。

 父親に自分の力を誇示するために無差別殺人を敢行した、と言う三沢準。
 そんなことのために身内を殺されたのか、という苦渋の表情の芽衣子。
 すべての事件の発端となった桜葉館学園の理科実験室から、学園裏手の排水溝に三沢を落とすことに成功するのですが、最初芽衣子は落とし穴でも作っていたのかと思いました(爆)。
 消火栓からホースを引っ張ってくる芽衣子。
 まさか、初めて自らの手で殺人をしてしまうのか?(溝口の場合は不可抗力だと断定いたします…笑)。

 大量の水が排水溝に注ぎ込まれるのですが、ドラマでは三沢準が溺死したところまで描いていない。
 過激すぎるからかもしれませんが、ここ、たぶん死んじゃったんだろうなー程度では、この後の展開の必然性に支障が出てくる気がなんとなくします。
 なぜならそのあと、芽衣子はそばにあったガラスの破片を首に押し付け自殺を図ろうとするからです。
 自殺をしようとすることで自らの罪の意識を清算しようとする芽衣子の決断ですが、殺したところを見せていないから、芽衣子の決断に自殺しようとするまでの限りなく重たい悲壮感というものが感じられなくなる。
 まあ、あくまで個人的な感想であります。

 そこに駆け付けたのは、堂島の最期の置き土産によって居場所を突き止めた、真島。
 芽衣子を必死で抑えつけ、自殺を阻止しようとします。 激しく揉み合うふたり。

 「離してください! 死なせて下さい!」

 「三沢を殺したのか?」

 「だから死なせて下さい! お願いします!」

 「死んで罪を償えると思うのか!」

 「ほかにどんな方法があるっていうんですか!」

 「生きて償え!」

 「生きて…そんな資格なんてない!」

 「それでも生きるんだ!
 待ってるから…!
 …いつまでも待ってるから…」

 動きが止まる芽衣子。
 真島の頬に手を伸ばし、真島の胸にいったん身を預けます。
 芽衣子を抱きしめる真島。

 けれども芽衣子は、いったん身を任せた真島から、無理やり離れようとする。
 再びガラスを手にしようとする芽衣子の手を押さえ、手錠をはめる真島。

 「野上芽衣子、殺人容疑で逮捕する」

 このシーン、真島が芽衣子を逮捕することで芽衣子を救い、守ろうとしたシーンだったと思うのですが、いったん身を任せた芽衣子がまた自殺をしようとしたところが、とりわけラストへの重要なポイントとなっている気がします。
 つまり、ここまで罪を重ねてしまった以上、それぞれひとりひとりの人生、未来の可能性を奪っていったことに対する罪の意識は、死によってしか購えない、と感じている、芽衣子の感情です。

 種明かしをしてしまえば(毎度そうですが…笑)、このあと芽衣子は自殺をしてしまう。
 だからこそ、三沢準を殺害したシーンは、過激であろうがなんであろうが、見る側に提示すべきだと考えます。

 なぜならそれだけ、自殺をしようとする人の気持ちは、限りなく重い。

 それまで芽衣子は、共犯者たちに対して間接的な自殺幇助とか、正当防衛の範囲内でしか手を下してこなかった。
 それが最後に、自らの手で、殺人を犯したのです。
 同じだ、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私は結構、この違いは大きい、と考えます。
 やはり自殺につながる動機としては、三沢準をこの手で殺した、というのは、見る側を納得させる大きな要因となってくる気がする。

 まあ、それだけ人ひとりの命は重たい、と私が考えているからこその、こだわりだという面はあるのですが。

 作り手が提示した芽衣子の自殺に至る大きな要因は、別のところにあった気がします。

 それは逮捕された現場に万里(吉瀬美智子サン)が連れてきた、ペットサロンオーナーの琴美(横山めぐみサン)。
 彼女がすべての事件の発端であった、というのは、うすうすそうなんじゃないかとは思っていたのですが、あんまりこのブログ内でも書きすぎたので(笑)、ちょっと却って興醒めしてしまったよーな気も…(笑)。
 要するに琴美サンの実の父親が三沢の親父で、母親とともに捨てられた恨みから三沢の息子をそそのかした、ということだったと(ホント、ネタバレ全開ですがな…)。
 土下座して芽衣子に謝る琴美。
 泣き崩れる、芽衣子。

 「嘘ぉ…。

 …嘘…!

 …嘘ーーーっ!!
 …
 …
 …もうなんで、…どうして…
 …どうしてーーー!!」

 自分が行なってきた復讐の発端が、実は自分が最も頼りにしていた人だった。
 芽衣子の復讐の結末が無意味なものだったことだと一気にデータ書き換えを迫られるほどの事実です(まあなんとなくそーじゃないかとは思ってたんですけど)。

 そしてもうひとつ、芽衣子の自殺を大きく幇助したのが、真島がそうしなければならない、と判断したのでしょうが、収監前に再び会わせた、芽衣子の母親野上千津(岩本多代サン)との会話。

 彼女は芽衣子が浮気をしていた夫に似ていたために長いあいだ芽衣子につらく当たってきたのですが、ちょっと既に認知症が入っている。
 そのため訪れた芽衣子を最初、自殺した芽衣子の姉小夜子(紺野まひるサン)と勘違いをして話を進めます。
 彼女の口から語られたのは、芽衣子を長い間苦しめたことへの懺悔の気持ち。
 万里がこの回、母親に事件の真相を語ったことを、母親は覚えていたのでしょうか。

 「取るに足らない理由で芽衣子を憎んで、あの子を傷つけてきた…。
 あの事件の時だって、あの子の言葉に、一度も、耳を傾けなかった…。
 実の娘なのに…。
 …(芽衣子に向かって)小夜子、あなたから、伝えてもらえない? 『お母さんが悪かった』 って…」

 小夜子になり済ました芽衣子は、こう答えます。

 「うん、分かった…ちゃんと伝える…」

 そして感極まって、小さく叫ぶように、言うのです。

 「…おかあさん…!」(泣けた…)

 それを見た千津は、驚いた表情。
 目の前にいるのが小夜子ではなく、芽衣子だと、分かったのです。

 「…ああ、…あああ…」

 情緒不安定になったと判断したのか、介添人が千津の乗った車いすを移動し始め、芽衣子から遠ざけます。
 真島のそばを通りかかった千津、「芽衣子を、よろしくお願いします…」 と頼み込むのです。
 けれどもその隙に、芽衣子は再び、いなくなってしまう。

 そして姉小夜子の自殺した現場で、芽衣子はかなり小さな入れ物に入った薬を飲んで、自殺をしてしまうのです。
 この入れ物がかなり小さい、ということで、これが三沢が持っていた青酸カリだった、というのが分かります。 この回芽衣子がその青酸カリを手に入れる機会、というものは、ちゃんと提示されていました。

 この青酸カリは、おそらく三沢が大昔に桜葉館学園で盗ませたもの。
 言わば姉の夫と甥っこを死に至らしめたものと同じ毒をあおって、芽衣子は自殺を選んだのです。

 琴美の告白で、自らの復讐が、あまりにも虚しいものに価値を変えてしまった。

 さらに長年にわたる母親との確執が、一気に氷解した。 この出来事は大きい。
 つまりここで、芽衣子の人生それ自体が、大きく自己完結してしまったと考えられる。

 この大きなふたつの要因に、さきほどからくすぶっていた 「死を持ってしか購うことが出来ない」、という意志が結び付き、芽衣子は死を選んだのです。

 その場所にまたもや駆け付けた真島。

 さらに大きな自殺の要因、それが真島の存在でした。
 芽衣子が人間らしい心を取り戻す、いちばんの相手が真島だったのです。
 芽衣子は自らの人生を、彼がいたことで 「キラキラ輝いている」 と評価してしまった。
 万里への伝言で、芽衣子の心情が訥々と語られます。

 「人生の大半が暗闇でした。 光が差す瞬間なんて、…二度とない。
 そう思っていました。
 なのに出会ってしまった。
 ずっとひとりでいいと思ってたのに、そばに、いてほしいって、思う人に。

 出会ってからの時間は本当に短かったけれど、私の心は輝いています。 幸せです、それだけで。 全部、真島さんのおかげです。

 だけど、真島さんには表の道に戻ってほしい。

 だから…」

 芽衣子を抱きかかえる真島。
 最後の力を振り絞って、芽衣子は真島に、こう告げるのです。

 「あ…い…してる…」

 がっくりと脱力する芽衣子。

 「芽衣子…芽衣子!!」

 死んでしまった芽衣子に、唇を押し付ける真島。

 ところがです。

 芽衣子と最後のキスをしていた真島が、エンディングテーマとタイトルバックが流れる途中で、がっくりとこちらも脱力してしまう。 エンドマーク。

 これって…。

 おそらく真島も青酸カリの毒にやられてしまった、としか解釈のしようがない気がするのですが、だとすれば青酸カリ、すごい致死量だ…。 もしかして芽衣子を助けるために、毒を吸い出そうとした、とか?

 そしてふたりとも死んでしまった、と仮定して話を続けますが、結局真島は、千津に頼まれた 「芽衣子をよろしくお願いします」 という言葉を、忠実に実行してしまった、という側面も感じさせるし、死んでも自分が芽衣子を守る、という悲壮な決意のもたらした結論、であるとも考えられます。

 この倒れ込むしかない悲惨な愛の結末は、刹那的な幸せがすべてだと結論付けてしまう、という点で、ふたりのありかたを肯定するわけにはまいりません。 思いっきり泣きましたけどね。

 けれどもここまで犠牲者が出まくった事件の幕引きとしては、死を持って償うしかないのかな、などというむなしい気持ちも、強く残ります。

 そこであらためて深く心に残っているのが、ベタですけど 「復讐なんていうのは、気付いたら、何も残らないんですね」 と琴美に話していた、万里のセリフ。

 このドラマは、「悪い奴らは死をもって償え」 という論理によって展開していた気がします。
 それは一面では、死刑を賛成する人々の論理とリンクする面がある。
 そうした論点から見れば、この、人が死にまくった(笑)ドラマの誰もが、「死んでよかった奴ら」 だったのかも知れない。

 だけども、死んですべてが片付く、というわけでも、けっしてない。 このドラマはそんな復讐の果ての無力感を描くことで、見る側に何かを訴えかけている気がしてならないのです。

 そしてそれは、真島と芽衣子がともに死んでしまった(仮定です、あくまで…)ことで、さらに虚しさを、前向きに加速させている気がする。 バッドエンディングにすることで、復讐の愚かさを際立たせている気がするのです。

 正直なところ、真島が芽衣子に向かって叫んでいた 「生きて償え!」 というのが、つらいけれどもいちばんの償い方、なのではないでしょうか。

 そんな 「復讐」 というものが持つ本質を、このドラマの作り手は最後まで真摯に見据えていたのではないでしょうか。 いいドラマでした。 ペコ様、このドラマをご紹介くださり、ありがとうございました。 嗅覚の鋭くない私に、さらにご教授いただければ幸いです。

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2010年12月23日 (木)

「いきものがかり吉岡聖恵のオールナイトニッポン」 終わってしまいました…

 春先あたりから聴き始めて、最近どっぷりハマっていた 「いきものがかり吉岡聖恵のオールナイトニッポン」 が、本日付で終わってしまいました。 どうもグループの活動休止に伴ってのことらしいです。 いきものがかりの活動休止のニュースが流れても、私の聴く限り番組内でそのことには一切触れてこなかったので、この放送は続けるんだろう、とタカをくくっていた先の、番組終了発表。 なんかだいぶショックでした。 ラジオ番組って、テレビのワンクールとかあまりにも短いスパンで放送されることは少なくて、まのーびした感覚なので、番組終了という話には、あんまり免疫がないわけですよ、全般的に言って。 だからショックが大きい。

 最終回のオールナイトでは、これまでもらっていた投書を全部湖に落としてしまった、という設定になっていて、投書コーナーごとに金のオノ銀のオノの女神みたいな人が登場し、「お前の落としたのはどれですか」 と尋ねるのですが、欲に駆られた聖恵チャンが 「北川景子のパンツ!」 とか 「ロケットオッパイ!」 とか叫ぶために(笑)、すべて湖の藻屑と消えてしまう、という形で終わっていくのでした。 私の大大大好きだった 「ホトケのキヨエ」 のコーナーも、そうやって消滅。 悲しいです。 「ホトケのキヨエ」 だけは、どこかで5分か10分くらいの番組でいいですから、続けてもらいたかった…。

 番組の終わり間際20分くらいには自ら書いたコメントを読み上げながら涙声。 元気印のキヨエちゃん、目いっぱい明るくふるまおうとするのですが、声を詰まらせたり鼻を押さえたりしているのが分かる。 最後はリスナーの常連さんたちからの感謝状。
 涙声ながらも、「オッパイ!」 と叫びながら、聖恵チャンは2年間の放送を終えたのです。

 あーあ。 終わっちゃった。

 考えてみれば今年のいきものがかりは、なんとなくテンション高田~!(番組内の1コーナー名)、という感じでした。
 この感覚は、ずいぶん昔に経験したことがあります。
 キャンディーズの解散宣言前のテンションと似ているんですよ。
 なんと言うか、自分の持てる力以上のものを出し切っている、終わりに向かって(今回は活動休止ですが)加速している、というこの感覚。

 そう言えば今年もあと残りわずか。
 私の仕事のテンションも、年末に向けて加速しているような気がしますです(笑)。

 ちゃんキヨ、またいつの日かオールナイトに復帰してくれることを待ってます!

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2010年12月22日 (水)

「フリーター、家を買う。」 第10回(最終回) 共感できた部分…です

 ここ数回レビューを怠ってきた 「フリーター、家を買う。」 でございます。 なんともフォロワーのかたには 「今頃ナンダ」 と白い目で見られそうですが(汗)、肩身の狭い思いをしながらも、ささやかながら感想文を書かせていただきます。

 このドラマで私がいちばん引いてしまったのは、以前にも書いたのですが、ほかならぬ土建屋のリアリティに関してでした。 そのとき書いた以降にも、バーベキュー大会とかは自社もやる得意先もやる、みたいに年がら年中(でもないか)やってる感じがするし、たかだかひとつの現場に出ているだけで仕事が分かった、などと言って営業の仕事を任せようとかしたり(まあやりながら覚えていく側面もありますけど)、気になるところがなかったわけではありません。
 ハローワークの描き方にも違和感があったよーな。
 院長夫人の嫁姑関係のステレオタイプ的な描写も気になった、つーか。

 それもまあドラマには仕方ないことなのかということで。
 ただなんだか、それでドラマに関して真剣に感想文を書こうとした気分が萎えてしまった、というのはあるかなあ。 どんな職種でもドラマにする以上演出、というのはやはりあるもんですけどね。

 そこで私が共感していったのは、二宮クンをとりまく家庭環境、とりわけ父親の竹中直人サンの関係。

 実は私も社会人になってちゃんとするまで(社会人になってもながいこと結構フラフラでした)は、結構父親との仲が険悪になっていた時期がありまして。
 そんな経験からこの親子の関係を見ると、まんまうちと同じ、という気さえしたのです。

 まずこの、険悪な親子関係、という点におきまして特徴となりますのは、話のとっかかりが 「メンド臭い」 という感情から始まる点(笑)。

 互いに相手を気にしすぎているために、ついキツイ言葉から会話を始めてしまうんですよ。 それに対して話しかけられたほうは、常に相手と話すのは気を遣う、面倒だという気持ちがあるから、ぶっきらぼうな返事をしてしまう。 それに対して話しかけたほうはさらにさらに気分を害してしまう。 「親に対してその口のきき方はなんだ」、とスンゲーよく言われましたよ(爆)。

 で、こちらはマトモに社会人としてやってない、という劣等感があるから、いちいち突っかかりたくなる(笑)。 「フッザケンナヨクソオヤジ」、とゆーわけであります(笑)。
 その実親父にはどこまでも頼れる存在であってほしい。 ニノが最終回でも口に出さないまでも思ってましたね、「少しは尊敬させてくれよ」 と。 私の親父はそんなに情けなくはなかったですが、やっぱりそんな感情はあった気がします。

 いっぽう親父は親父で、息子にしっかりと自分の足で立ってもらいたいと考えている。 その裏で、息子をライバルだと思いたい、そして息子には負けたくない、という気持ちがあるから、息子のことを 「だからお前はダメなんだ」「お前はバカだ」 と言って貶めたがる。 這い上がって俺のライバルになってみろ、という感情も、そこにはあると思うんですよ。

 互いに、「親(息子)にはこうであってほしい」 という気持ちがあるから、その部分がどうしても、態度に出てしまう。
 それに対してまたまた互いに 「自分のダメなところをなんとかしたい」、という部分があって、相手がそれを的確に突いてくるもんだから、余計に感情的になってしまう。

 だけど。

 結局互いのことを大事に思っているんですよ、結局。
 でなければ、大ゲンカして家を飛び出してしまうか、悪くすれば刃傷沙汰になってしまう、というか。
 なんとか相手と良好な関係でいたい。 互いに認め合い、酒を酌み交わす仲になりたい。
 親父と息子の関係というのは、そんな感情が底辺にありながら、意思の疎通がなかなかうまくいかないものなのです。

 でもまあ、うちは特殊だったのかもしれないですけど。

 で、最終回にもうひとつ共感できる点が見つかりました。

 ニノと香里奈サンとの関係です。

 このふたり、出合った当初からかなりタメ口のフランクな関係だったのですが、まったくそれが実を結ぶ要素が見当たらなかった。
 それは香里奈サンが眞島秀和サンに対して抱いていた不倫感情が横たわっていたことが最大の要因ですが、その障害がなくなったとき、香里奈サンがなんとなく、ニノに対して持っていたお姉さん的なお節介な感情が、恋愛感情に移行しつつあることに、当の香里奈サンさえ気付いていない。
 ニノはニノで、家庭がメチャクチャだったし就職で頭がいっぱいだったりしたから、こちらも香里奈サンに自分が恋愛感情を持っているなんてほとんど気付いていない。

 それが、香里奈サンが和歌山に行く、という話が決まった途端、互いに互いの存在がいかに自分の支えになっていたかが、なんとなく分かってくるのです。

 その感情は、相手がいなくなるとさびしくなる、別れたくない、という感情です。

 これって恋愛の、いちばん端緒にある感情じゃないかなー。

 恋愛のいちばんとっかかりは、なんか相手のことを好きだなんて言うと自分が優位に立てなくなるとか、相手が自分のことをなんとも思ってなかったら恥ずかしいとか、別にどーだっていいんだけどとか、なんか自分のプライドみたいなものが邪魔をして、素直に告白が出来ない。

 で、互いに互いの出方を探りながら、牽制しながら、相手の気持ちを確かめようとするのです。

 香里奈サンは飲み会の席で、自分が和歌山に出発する日と時間をニノにしゃべるのですが、それはニノに、迎えに来てもらいたいから、そして 「行くな」 と止めてもらいたいから、という探りの気持ちが絡んでいます。 ニノはそれに対して、香里奈サンはもしかして自分に迎えに来てもらいたいのか、和歌山行きを止めてもらいたくて出発時間まで教えてくれるのか、と逡巡した、と思うのです。

 この、相手の気持ちの探り合い。

 ああ~なんか、エレー懐かしいぞー、自分も恋愛の当初はこんな気分になったぞー、という感じで、大共感。 甘酸っぱい思いを、久々に思い起こさせていただきました。

 自分の家の引っ越し作業をうっちゃって、ニノは和歌山行きのバスに乗り込もうとする香里奈サンのもとに駆けつけます。 「千葉真奈美!」
 世界の中心で香里奈サンの名前を叫んだはいいものの(笑)、「あ、…あのさあ、やっぱ、和歌山のミカンを送ってもらおーと思って」…などという、なんとも気後れした話をしてしまうニノ(笑)。 分かるわ~。
 「それだけ?」
 「あ、いや、あ~、それと、言っておきたいことがあって…」
 ついにコクるのかと思ったら、「あっち行っても、不倫とかすんな」 って…(笑)。
 そんな気後れしまくりのニノに、香里奈サンは 「じゃね」 とバッサリ(笑)。
 コクる勇気もないのか…という感じ?
 
 けれども香里奈サンがバスに乗り込もうとしたとき、「好きだよ!」 とニノは思わず言ってしまうのです。 このときにしか言えない、という衝動だけで。
 キッと睨み返す香里奈サン。 「あ、あの…だから…」 と、またまたしどろもどろに逆戻りのニノ(笑)。
 そこに来たバスの運転士。 乗車をせかされるのですが、香里奈サンは運転士に向かって、こういうのです。

 「すいません、すぐ乗ります。
 2年間離れ離れになっちゃうんで。
 (ニノを指差し)…カレシと」

 そして喧嘩でも売るようなコワーイ顔で香里奈サンはニノに近づき、「来るの遅い」 と一言。 「あ…ゴメン」「…ミカンもう送んないから」「え?」「食べに来て…じゃね」

 ここらへんのやり取り、実に感情の綱引き、と言いますか、引っ張り合いで、恋が始まるドキドキ感に満ちていました。 よかったなあ。 ま、2年も待てるのかどうかは分かりませんけど。 ニノにとって結婚活動は、意識的にもこれからこれから、という感じ、でしょうか。

 このドラマ、「フリーター、家を買う」 などという大仰なタイトルだったにもかかわらず、別にニノひとりが家を買うというわけではなかったし(親父さん全面協力)(まあ結果的には親父さんに金を返していく、というわけですけど)、親子二世帯ローンをする時点で、ニノはフリーターというわけでもなかった。 家を買う裏ワザとか、ハウツーもののドラマでもなかった。 その点ではずいぶんはぐらかされた気もいたしますが、親子関係特有のいいところ悪いところの両面をかなりリアルに描いたドラマだった気がしてなりません。

 特に二宮クンの演技は、今更ながらという気もいたしますが、彼特有の演技の深みが増しつつある、そんな気がいたします。 なんか彼の出演するドラマって、結構私、見ている気がするんですよ。 それって、彼が出演したいと思うドラマの志向が、私の好みと似ているせいなのかもしれないです。

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2010年12月21日 (火)

「流れ星」 第10回(最終回) やさしさが帰る場所

当ブログ 「流れ星」 に関する他の記事
第1回 ダウナーな感覚あふれるフジの月9
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/1-9-cab7.html
第2回 なんか、あっという間でした~ http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/2-2223.html
第3回 一瞬で消えてゆく星、その星への祈りhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/3-f0b3.html
第4回 消えない流れ星http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/4-6d12.html
第5回 生きていてほしいからhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/5-8444.html
第6回 託したい思いhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/6-3966.html
第7回 分かってる、その気持ちはhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/7-9175.html
第8回 思いがはじける瞬間http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/8-2edd.html
第9回 グラス・タワーの緊張感http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/9-ce60.html
第9回 健吾の決断について、補足ですhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/9-cad6.html
第10回(最終回) やさしさが帰る場所http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/10-6223.html




 ドラマを見る前にちょっとした失望。

 「なんだ、時間延長しないのか」。

 最終回の時間延長、というのは、いわば視聴率がよかったときのテレビ局の戦略のひとつで、視聴者にとっては言わば 「ご褒美」 みたいな側面もあります。
 このドラマはそんなに爆発的な視聴率ではなかったにせよ、全体的には合格レベルだし、何より視聴者の圧倒的な共感を得ているドラマであったことを、ほかならぬこのブログでの反応から私はとても実感しているのです。
 だから時間延長がない、というのは、ちょっと意外でした。

 そのせいかもしれませんが、最終回を最後まで見ての感想を率直に述べさせていただくと、「もうちょっと見ていたかったな」、というのが正直なところ。
 ただし物語的には、「流れ星」 というかなり高度な心理劇のスタンスは、最後まで崩壊していなかった。
 そして時間延長をしなかったことで、このドラマを 「小品」 として位置付けることに作り手は成功し、無駄に感動の押し売りをするドラマという位置を、拒絶したと思われるのです。

 最終回冒頭。

 病院のベッドで眠っているマリア(北乃きいチャン)の首に手を伸ばした修一(稲垣吾郎クン)は、すんでのところで思いとどまります。
 気配に気付いて起きたマリアは、修一を記者だと勘違いをしたまま、記者になりすました修一と会話をする。
 のっけから、微妙な設定変更を見る側に課してくることで、見る側がまた、スッとドラマに入りやすくしている。
 ゴローチャン、記者になりすまして、いったいどうするつもりなのか?
 毎回このドラマの導入部分には感心することが多かったのですが、最終回もその例に漏れない。

 「契約結婚なんかじゃありません。 兄が騙したんです、リサさんのことを」

 ここからマリアは、健吾が警察に出頭することまで知らされていたのではないか、と見る側は想像することになります。 つまりマリアと健吾の間では、口裏を合わせることが合意されている。
 あまりに誇らしげにそう語るマリアに、ゴローチャンはなぜなのか問いかけるのです。

 「…お兄ちゃんが、私のためにしてくれたことだから」

 ゴローチャンはその言葉を、まるで忘れものが見つかったような表情で聞く。 しばらくの沈黙。
 このドラマはこうやって、ゴローチャンの心境の変化、というものを、あまりにも繊細に表現していくのです。
 同じ妹がいることを打ち明ける修一に、共感していくマリア。

 「小さい頃は泣いてばかりいてね。
 ぼくがいないとなんにもできなくてね」
 …
 「私のお兄ちゃんもそう思ってるんだよなあって。
 …お兄ちゃんやるのも大変なんですねえ…」

 「…そうだね…」

 小さいころのリサを思い出しているような表情の修一。

 「だから、お兄ちゃんが困ったときには、今度は私が助ける」

 顔がかすかにひきつる修一。 このひきつりかたが、すごい(笑)。 やれって言われて出来るものなのかな?(笑)

 「どうしたんですか?」

 「いや…小さいころに妹が、そんなこと言ってたなあって思い出してね」

 「…仲いいんですね」

 ほんとに仲がいいのか?という表情をする修一。 よかった仲を壊してしまったのは誰なんだ、という表情をしています。 修一はいたたまれず、その場から去っていくのです。
 また取材に応じると言うマリアに、修一は一言。

 「…もう来ません」

 ここで修一がマリアや健吾に対して抱いていた嫉妬や憎悪が解消していることを見る側は強く感じるのです。

 このドラマの真骨頂は、こうした役者の、ちょっとした表情から、見る側が登場人物の心理を探れることにある。
 これはかなりの演出的要求が必要とされる所業のような気がするのです。

 …ちょっと待て(笑)。

 まだ開始4分だ(笑)。

 毎度だけど、またまた終わんないぞこの記事(笑)。
 冒頭部分だけで、こんなに書いてしまった(笑)。 どうすっかなー。

 いっぽう健吾(竹野内豊サン)に別れを告げられたと思ったリサ(上戸彩チャン)は、どうして居場所を突き止めたのか(笑)そこに現れた神谷医師(松田翔太クン)に、健吾が警察に出頭することを知っていたのか、と尋ねる。
 この神谷医師、最終回は神出鬼没で(笑)、まあどうしてそこが突き止められたのかは説明されていましたけど、かなりストーカーチックに見えました(爆)。

 まあとにかく、神谷医師はその場に崩れてしまったリサを知り合いの病院に連れて行き、健吾の覚悟も察してあげるようにベッドに伏せるリサに言うのですが、リサは力なく、こう答えます。

 「もういいよ…。

 …なんか疲れた…」

 寝返りを打って向こうを向いてしまうリサ。
 リサのもともと持っている蓮っ葉な感情が、こじれてしまった恋愛感情を切り捨てるために、現実から背中を向けようとしていることがここで分かります。
 夜、病室のリサに、ケータイに電話がかかる。
 もしや健吾から?という表情で、すぐさまケータイを見るリサなのですが、リサは発信先を見てガッカリし、電話に出ません。 赤いクラゲのストラップが、リサの期待とその失望を瞬時に描写する。
 電話の主は修一。
 リサは、病室を抜け出します。

 荷物を抱え、ふとケータイの伝言を聞いたリサは、修一が自殺をしようとしていることに気付きます。 ビルの屋上から飛び降りていく修一。 リサの血の気が、さっと引いていきます。 この、いかにも血の気が引いた顔をしている彩チャンの演技も、かなり高度。

 ここでオープニングタイトル、そして女子高生の姿で江の島をバックに元気に自転車で帰宅するマリアに画面転換。 「一年後」 のテロップが入ります。
 そう来たか…(笑)。

 ここでマリアの作ったオブジェがコンクールに入賞したこと、健吾が宅配便の配送所で働いていることが提示されます。
 健吾が警察に出頭して、いったいどうなったのかの描写は、全くなし。
 コンクール入選に喜び合う家族は、まるで以前と同じよう。 神谷医師は以前の大病院とは違う、町のお医者さんみたいな開業医のもとで内科医として働いているようです。

 そしてリサはアクアペットショップで水槽を前にして働いている。 まっとうな仕事ですネ(笑)。
 岡田家にはあれ以来戻っていない様子。
 ニモをプレゼントしたいと水槽の前から離れない子供が、「約束したから」 とリサに話します。
 「約束したんだ…」
 リサの表情は、1年前に健吾と交わした、ふたご座流星群を江の島展望台で見よう、という約束など、とうに忘れ去られているかのようです。 そもそもそれが約束かどうかも分からないんですけどね。

 ATMに小銭を投入してリサがやって来たのは、どうやら病院のリハビリセンターらしい。
 そこに待っていたのは、車いすに座ったゴローチャン。
 助かったんですね、おそらく大怪我をしながらも。
 そしてその場に、おそらくリサが駆け付けたのでしょう。
 それから1年、ずっとリサは兄の看病をしていたのでしょう。
 見る側の頭脳は、ここでまためまぐるしく回転を余儀なくされるのでした(笑)。

 子供のころに約束をしていた、自転車に乗せるようにしてあげる、と言い出す修一に、1年前の出来事を思い出すような、そして兄の申し出にどう答えようか困ったような表情で受け止める、リサ。

 「自転車ぐらい、もう乗れるよ…。
 もうガキじゃないんだから」

 「…そうだよなあ…」

 人は変わっていく、と言っていたリサの言葉を、思い返すような表情の修一。

 画面は転換して、夜自転車で自宅に戻ってくる健吾、玄関先にはリサの自転車がそのまま置いてある。
 ここで健吾の思いがいかなるものであるか、見る側はまたまた、瞬時に悟るのです。
 健吾は、リサを待っている。
 物言わぬ彼がどのような思いでリサを待ち続けているかが、この自転車ひとつで分かってしまう。

 帰ってきた健吾の部屋にやってきたマリア、リサのことを気にかけるのですが、健吾は表向きさばさばした表情で 「リサのことは、もう…」 と話を終えようとする。 「そっか…」 と感情を割り切ろうとするマリア。

 げっ、まだ開始15分だ…。 マジで終わんねーぞコレ(爆)。

 リサのもとを突然訪ねてくる神谷医師。
 ナースのルミチャン(ゴローチャンにリークした人でしたかね)がアクアペットショップのHPを見てリサの姿を発見したらしくて、それでリサの居場所が判明したらしい。 かなりのぐーぜんのよーな気もしますが(笑)、ともかくリサは神谷医師に、健吾には自分の居場所は黙ってて欲しいと頼みます。 神谷医師はそんなリサに、マリアの作品が出品されている展示会のパンフを渡します。
 「今度イタリアンおごって」 とまたまた軽ーく医者にたかるリサなのですが(笑)、このあと実際に神谷医師がおごったのはピザまんでした(爆)。 相変わらずビンボー医師ってことでかなり笑えましたけど、町医者に勤めていることでそれに拍車がかなりかかっとる、といいますか(笑)。

 マリアの作品を見に来た杉本哲太夫妻と美奈子(板谷由夏サン)。 ここで美奈子はお見合いをすることになった、と健吾に告げ、完全に後顧の憂いがなくなった形。 時期を逃すと結婚というのは困難になる、という見本のような形でしたね。

 「健吾は?…ずぅーっと待ってるつもり?」

 口に出さなくても、健吾がリサを待っていることくらい分かっている、という、以心伝心のまたまた見本のような形でありますネ、美奈子サン。

 これらのシーンで、マリアの作ったオブジェの題名がチラッと映るのですが、見る側にそれが提示されない。
 んもー、もったいつけんな!(笑)と言いたくなるのですが、たぶん感動を引っ張っているのでしょう(笑)。

 その美術展から帰る岡田家の親子3人。 談笑しながら歩いていくその姿を、パンフを持ったリサが遠くから発見するのです。
 かつて自分がいた、その団欒を、懐かしさと共に思い出すかのように、ほほ笑むリサ。
 そこにいる、以前とまったく同じ、無駄にイケメンな(笑)健吾の姿。
 リサは一瞬、駆け寄りそうなそぶりを見せるのです。
 それはホントに、ほんの一瞬。
 けれどもリサの嬉しそうな表情は、まるで自分には手の届かないものを見るかのように真顔に戻っていき、彼女はその場から逃げるように立ち去ろうとするのです。
 かなり切ないシーンで、思わず泣けてきました。

 立ち去ろうとしたそばから、人にぶつかってしまうリサ。

 その空気を鋭く察知する健吾。

 彼はリサによく似た後ろ姿の女性が遠ざかっていくのを発見し、心がざわめき立ちます。
 マリアに呼びかけられて振り向いた健吾。
 その一瞬で、健吾はリサに似た女性の姿を、見失ってしまうのです。

 展示会が閉まってしまったあとにやってきたリサ。
 ガラス越しに、マリアの作品を見つけて、その前にたたずみます。
 題名は(やっとここで提示…笑)、「つながる命」。
 らせん状に星に向かって伸びていく道の上に、いろんな動物みたいなオブジェがのっかっている。
 それを見つめてほほ笑むリサ。
 その表情が、不意に曇ります。
 誰かがこっちに向かってやってくる…。
 響く靴音。
 伸びるひとつの影。

 でもやってきたのは神谷医師(またかい…笑)。
 ここで神谷医師がおごったのが、さっきも出たピザまんだったのですが、イタリアンだからピザまん、という神谷医師の論理が笑えました。
 神谷医師はここで、自分が北海道に行くことをリサに告白。

 マリアは健吾にふたご座流星群を見ることを話し、去年やれなかったことを全部やるんだ、と言います。

 「お兄ちゃんは?
 去年できなかったこと全部やった?」

 その言葉を黙って聞く、健吾。
 去年できなかったこと…。
 それはリサと展望台で流星群を見ようとしたことでしたよね。

 見舞いのたびにバッグをガサゴソやっているリサをいぶかしく思い(いかにも、って感じでしたけどね、ここだけは…笑)、リサのバッグの中身を見てしまうゴローチャン。 そこには、リサの通帳が入っていたのですが、毎日のように数百円単位で入金がされているその通帳。 いまにして思えば成功報酬だと思われる100万円のほかに、7万くらいしか入金されていませんでしたけどね。 おそらく兄の治療代で貯金どころじゃないんでしょうが。 その通帳の裏側を見て驚いた表情のゴローチャン。 その通帳を持って、病院を抜け出します。 持っていた杖を捨て、ひとりで平然と歩きだすゴローチャン。 とっくに、治っていたのです。
 いっぽう健吾は、宅配便に届けられた荷物のタグから、リサの居場所を偶然発見します。

 「クソ兄貴がいなくなった…貯金も全部持ってかれた…行っちゃおっかな北海道…」

 失意のリサは、神谷医師のもとを訪れます。

 「ときどきさ、全部夢だったんじゃないかって思うんだよね…。
 …
 あいつに出会ったのも、あの家で暮らしたのも、手術したのもぜえーんぶ」

 「夢なんかじゃないですよ」

 「…え?」

 「分かってるんじゃないですか?夢なんかじゃないって」

 夢なんかじゃない…。
 ひどい目に遭い続けていたリサが、唯一心のオアシスのように感じていた、あの家。
 そして、あの存在。
 リサはこの前に健吾たちを遠くから発見したときは、自分はそんなところにいちゃいけない人間なんだ、自分には手の届かない幸せなんだ、と考えて、その場を立ち去った。
 でも神谷医師からそう言われて、リサは自分の本当の気持ちがどこにいたがっているのか、あらためて考えたのではないでしょうか。

 リサの居場所を知った健吾。
 自宅に戻ってあらためて、玄関先に置いたままのリサの自転車を、じっと見つめます。
 もう表面上はあきらめて、踏ん切りをつけた気持ちでいたはずなのに、いざ居場所が分かった途端、それは自分に嘘をついていたことなんだとあらためて考えたのだと、私は解釈します。
 帰ってきた健吾に、お母さん(原田美枝子サン)が 「リサさんの通帳がポストに入っていた」、と言うのです。
 通帳新規1行目に入金されている、100万円。
 それを見て思わず短くため息をついてしまう健吾。
 「こんなことをしなくてもいいのに…」 というため息です。
 そして通帳の裏側を見る、健吾。

 そこには、赤いクラゲと青いクラゲのシールが、張ってあったのです。

 泣けました、ここ。

 赤いクラゲはリサ、青いクラゲは健吾。
 リサはずっとずっと、健吾のそばに気持ちを寄り添わせていたのです。

 そして人ごみの中に消えていく、ゴローチャン。
 病院から抜け出したのも、通帳を岡田家に届けたのも、その赤と青のクラゲを見て、リサにとってどうするのがいちばんいいのか、考えた末の行動だったわけです。
 最後のシーンで昔の仲間に電話していたようですが、修一がまっとうな人間になってくれることを願ってやみません。

 アクアペットショップに立ち寄るリサ。
 どうやら店をたたむために、リサは解雇された模様。
 誰かが訪ねてきた、と店長らしきオバサン(キムラ緑子サン)から言われて、いったん店を飛び出そうとするリサ。 でも修一がやってきたのだと思い直して、追うのをやめます。
 店の水槽を見て、「ほんとはクラゲがいいんだけど…」 と言うリサに、「兄弟そろってクラゲ好き?」 さっき来た男の人もそう言っていた、とオバサン。

 「(あいつだ…!)」
 という表情のリサ。

 「あの、モジャモジャ頭でした、その人?
 じゃ、背が高くて、無駄にイケメンでした?」

 笑っちゃいました、ここ。 ともかくそれで健吾だということを、リサは確信するのです。

 店を飛び出し、健吾を追いかける、リサ。

 出演者のテロップが流れ始めます。
 終わりか…。

 ケータイを開き、電話帳に入ったままのリサの名前をじっと見る健吾。
 青いクラゲのストラップが揺れます。
 そこに駆けつけつつある、リサの後ろ姿。

 リサは健吾を発見し、必死に追いかけます。

 でも…見失ってしまうのです。

 とぼとぼと歩くリサが目にしたのは、ショウウィンドウに映し出された、ふたご座流星群のニュースを流すテレビ。
 自転車を押しながら健吾が見上げるのは、江の島の展望台のイルミネーション。

 展望台のクラゲの水槽を手入れしにやってきた健吾。 リサが、その場にやってきます。

 青い明りがついた水槽の向こうに、リサの姿を認める、健吾。
 浮遊するクラゲの向こうに、驚いた表情のリサ。

 このクラゲ越しの再会シーン。
 とても素敵でした~。

 「何で来たんだ…」

 リサは健吾に話しかけます。
 何のことか分からず、聞き返す健吾。

 「店、来たんだろ…」

 「ああ…これ、返そうと思って」

 リサの通帳を取り出す健吾。
 この期に及んで、まーだ事務的、と言いますか(笑)。

 「ポストに入れたでしょ」

 通帳をひったくるようにして中身を調べる、リサ。
 そしてその瞬間、兄の改心と真心を、リサは悟るのです。

 「は……クソ兄貴……余計なことしやがって」

 そしてその言葉で健吾にも、なにがあったのかが分かってしまう。
 互いに通帳を譲り合うふたり。
 結局健吾がリサのバッグに通帳を押し込みます。

 リサは流れ星の方向を健吾に尋ね、「あんたんちのクラゲ元気?」 と訊きます。

 「もう…いないよ…水族館に全部引っ越した」

 「そうなんだ…今頃さびしいって泣いてんだろうね」

 「クラゲには脳がないからね…寂しいとか悲しいとかそういう感情はないん」

 「それ前に聞いた。
 …
 (流れ星)外出たら見えるかな…」

 背中を向けているリサに、健吾は語りかけます。

 「…リサ…」

 「…んん?」

 「……

 一緒に帰ろう」

 振り向いたリサは、無表情でこう答えます。

 「それも前に聞いた」

 しばらく動かないふたり。

 そのとき突然、健吾は後ろから、リサを抱きしめるのです。

 「…帰ろう…。

 …帰ろう?」

 かたくなな表情のリサが、少しずつ、少しずつ、その表情を崩していきます。

 リサの目から、一粒こぼれる涙。

 「………ウン………」

 それまでこのドラマの中で低い声のトーンでずっと押し通してきた上戸彩チャンが、初めて発した、ハイトーンの甘えるような、小鳥の泣くような声なのです、これが。
 来ました。
 何がって、涙が(笑)。
 泣けました。
 素直に。

 振り返り、自分のほうから健吾にすがりつくように腕を回すリサ。
 健吾も固くかたく、リサを抱きしめます。
 まるでもう一生、離さない、というくらい強く。

 そしてそんな自分たちのハイテンションに照れたかのように、ふたりとも抱き合いながら、笑ってしまうのです。 ここ、すごい。
 リサのほうから、健吾の頬にキス。
 気持ちを持たないクラゲが、そんなふたりを見守るかのように、やさしく浮遊しつづけます。

 終わりです。

 提供の場面でさらに、このふたりがクラゲの水槽の前で仲むつまじく笑いあうシーンが挿入されたのですが、ここ、ちょっと惜しかったなあ。 要するに、もっともっとじっくり見たかったような。

 そしてこんな時間延長もなしでここまでクオリティの高いものに仕上げた作り手の手腕には、ほとほと感心しまくったのですが、見終わって感じるのは、やっぱり物足りなさ。

 特にいまさらながら考えると、流れ星に対する描写が、最後あってもよかったのではないか、という点です。 ドラマをトータルな視点で振り返ったとき、「流れ星」 というのはタイトルだし、ふたご座流星群を見るふたりで終わらせる方法がベストのような気がします。 まあベターな選択だったのかもしれませんが(菅サンか?…笑)。 時間延長、されてればなー。

 でもやはり、リサが本当に求めていたのは、岡田家の、健吾の持つやさしさがもたらす、安心感だった、という気がしてなりません。
 やさしさの帰ってくる場所。
 それは何物にも代えがたい、説得力を伴うものなのです。

 最後の部分はほとんどドラマをそのまま書いたようなブログになってしまって甚だ申し訳なかったのですが、とりあえずここで私なりのこのドラマに対する見解を述べさせていただくと。

 このドラマは、無言劇に近い性質のものだった気がしてならないのです。

 このドラマで見る側の姿勢として最も要求されたのは、この記事冒頭部分にも書いたのですが、登場人物の表情を読み取る、という点に尽きます。

 要するに、無言のままのシーンが、やたら多かった。

 大昔、サイレント映画は無声ですから、役者たちはパントマイムに近い形で、自分たちの感情を表現する必要があった。
 それはかなりおおげさに行なう必要があったのですが、現代の大きくて精緻なデジタル放送を享受できる時代には、そんなおおげさな演技など、必要ありません。
 役者たちはそんな時代に合致した、とても繊細で微妙な演技をすることが、可能になったのです。
 竹野内豊サンや上戸彩チャンが、一瞬見せる表情。
 いままでのテレビでは、そんな部分を視聴者は見逃してきたような気がするのですが、かなり細かい部分まで、これらの繊細な演技は、駆使されていた。

 つまり、このドラマは、「大画面地デジ時代の、サイレント映画」 とも呼べるのではないかな~、などと、大仰に考えたりもするわけです(ほんと書いてて恥ずかしくなるな…笑)。

 最後に、このあまりにも長ったらしい記事を途中飛ばさず読んで下さった方には、心よりのお礼を申し上げます。 書くのに5時間近くかかった…(スミマセンアホみたいなことに血道をあげてまして…笑)。

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2010年12月20日 (月)

「獣医ドリトル」 第8回、第9回(最終回) 処分されゆくモノたち

 「獣医ドリトル」 というドラマを見ていて常に感じていたのは、毎回1話完結で話を終わらせることで、問題に対してちょっと突っ込みが不足気味になってしまう点でした。 説明がいつも駆け足で、感動するに至る前で話が勝手に解決してしまう、というもどかしさ。 同じ橋本裕志サン脚本の 「官僚たちの夏」 なんかも、そんな傾向がありました。

 そして同時に感じていたのは、「ペットや動物相手にそこまでするか?」 ということだったのも、正直に白状します。
 まずドリトル(小栗旬クン)の要求する治療費が、べらぼうに高い。
 そんな金を出すのなら、新しいペットを買ってしまったほうがよほど安上がり、という感情も、心のどこかにあったことは否定できません。
 最終回で行なわれたボルゾイ犬バルザックの人工心臓弁移植手術にも、500万円が土門(國村準サン)の息子順平(フィリップ君、じゃなかった…笑…菅田将暉クン)に要求されます。
 これは、ドリトルが 「そのくらいの対価をこのちっぽけな命にかけることが出来るのか?」 という、「飼い主や依頼主に対する」 心構えを突き付けている、と解釈していたのですが、この最終回を見ていて、そのくらい人間以外の動物にだって生きる価値はあるのだ、ということをドリトルは言いたかったのではないか、そんな気がしてきました(軽く考えればおんなじようにも思えますけど)。

 そんな 「飼い主や依頼主の都合」 という問題を、動物たち自身の命の尊さに目を向けた、オーラス2回の 「獣医ドリトル」、これまでの突っ込み不足感も解消して、かなりの完成度を誇った出来栄えになっていた気がします。
 そしてその、見る側を泣かせる気迫というものも、段違いに違っていた。
 かなり、泣きまくりました。
 けれどもそこでは、ただ単に殺される動物たちがかわいそう、というセンチメンタルな要因だけでなくて、これは我々が日々直面していることへの、とても重たい警鐘なのだ、という気も同時にしていた。
 鳥インフルエンザや口蹄疫のようなバイオクライシスが発生すると、何万何100万、という単位の家畜たちが一斉処分されます。
 そして保健所でも、毎日膨大な数の見捨てられたペットたちが殺処分されていく。
 そんなひとからげに単なる数としてしか認識されない動物たちの、ひとつひとつにも、小さな命が宿っているのです。
 もちろん人間たちに食べられるために毎日殺されていく家畜たちにも、命が宿っている。
 その両面から動物たちの命に対して議論することは、かなりの困難を伴います。
 けれどもその命について考えることは、決して無駄じゃない。
 直近の 「さよなら、アルマ」 の記事でも引用したのですが、ドリトルはイノシシの回で子供たちに、「どうすればいいのか、オレも分からない。 だがそのことを真剣になって考えることは重要だ」 という意味のことを言っていました。 すべてはそこから始まるのではないでしょうか。
 そうしてみんなが真剣に考えれば、少なくともペットを無為に捨てるなんてこと、絶対にできなくなると思うのです。

 同時にこのオーラス2回でずいぶん泣かせる話に昇華していたのは、土門を取り巻く親子関係です。
 土門のふたりの息子のうち兄(笠原秀幸サン)のほうは、父親にまったく期待されてなくて、その腹いせにいろんな妨害行為をはたらくのですが、そのエキセントリックさにちょっと個人的には引き気味でした(笑)。 なんか分かりやすすぎるなぁ~、という感じ。 おそらく自分の罪を認めて改心するんでしょ?みたいな感じ。
 そして弟のフィリップ君ですが(ホントしつこいなオレって…笑)、実は番組のかなり早い段階からちょこちょこ現れていた、矢ガモなどの動物虐待の犯人だった。 ここ数回この動物虐待の犯人が全く現れないので、なんか作り手が忘れちゃったのかな?あまりにてんこ盛りすぎてこっちの解決はうやむやにしてしまったのかな?などと考えておったのですが(爆)、最終回ではからずもその決着をするとは。 忘れてなかったんですね(当たり前か…笑)。

 このふたりがバルザックの不慮の負傷を機に、大きく心を動かしていく様は、かなりの見ごたえがありました。 ドラマを見慣れている者は、このふたりが改心することくらいはうすうす感じているもの。 そんなうるさがたの視聴者を黙らせるためには、かなりの努力が必要なのですが、そこにバルザックの死をいったん直面させることによって、説得力を増すことに成功したのです。

 ドリトルの手術の腕も相当なものですから、いくら犬の人工心臓弁移植などという聞いたこともない手術をしたって、どうせ成功するんだろう、とタカをくくって見ている。 そんな視聴者を、バルザックの心拍が回復せず、ドリトルにもいったんあきらめさせることで、半分絶望感を見る側に植え付ける。

 けれどもそこに、花菱(成宮寛貴クン)が推し進めていた、ブルセラ感染症の20匹の犬たちの受け入れ先が絶望的になった、というシーンを挿入し、見る側の絶望感を半分の状態からさらに100パーセントの絶望にのし上げて行く。 この手法には、かなりうなりました。
 ここで見る側の絶望を決定的にするのは、実は前回(第8回)冒頭で、この20匹の犬たちを安楽死するに至ったドリトルたちを前もって提示していた、ドラマの構成力にあります。 いや、参りました。

 だからこそ、ドリトルもあきらめて放置されたバルザックの心臓が、かすかに脈動を始めたときの見る側の感動に、強く直結していくのです。

 そして土門は同じころ、ふたりの息子が自分を裏切っていたことを知るのです。
 順平の部屋をあら探しする土門。
 エロ本が出てきたらどうするつもりだったのでしょうか?(笑)
 じょーだんはともかく、机の下から出てきたのは、変な黒い箱。
 その中身を開けてみた土門は、ご夫人ともども、かなり驚きまくり。
 この土門の腰の抜かしようは、それまであまりにしたたかなこの男を見てきたせいか、結構笑えました(ハハ…)。
 で、そこに入っていたのが、順平が動物虐待に使っていた、血のこびりついたナイフだったわけです(書く順番、間違えたかな…笑)。

 順平は、父親の動物たちに対する冷たさ、愛情のなさに嫌気がさし、自分が獣医になることも躊躇するようになっていた。 そしてその反動から、動物虐待を繰り返していた。
 一見同情できる話なのですが、ドリトルはあまりにも冷たく、こう言い放つのです。

 「それは違うな。
 お前の親父さんは、必要もないのに動物を傷つけたりしない。
 それに、これまでに、多くの動物たちの命を救ってもきた。
 親父のせいにして動物を傷つけた、お前とは決定的に違う。

 お前がやったことはすべて、お前の責任だ。

 まずは自分の罪を償え。

 そうしないと何も始まらないぞ」

 「さあ、お前の罪を数えろ」 というわけですが(これが分かる人は、「仮面ライダーW」 を見ています…w)、ここですったもんだが発生することで、罪を認めるかどうかという判断を、見る側も一緒に考えることになります。

 ここまで反省してるんだからいーんじゃないの?というのは、やはり動物の命を軽く見ている人たちだ、と思うんですよ。
 つまり反省すればそれで足る、という程度にしか、動物の命を考えていない、っていうことですよね。
 順平の兄勇蔵は、弟を擁護します。
 しかしドリトルは、動物虐待は動物保護法に違反する、と言って聞きません。
 そこにあすか(井上真央チャン)が 「考える時間をあげてください」 と助け船を出し、ようやくその場は収拾するのです。
 順平に殴りかかるドリトル。 寸前で、そのこぶしを止めます。

 「…これが暴力だ。

 カモや犬は、お前のように抵抗すらできなかったんだ。

 …よく考えろ」

 苦しみに歪んだ表情の順平。
 実際の矢ガモなんかの犯人も、この場面を見て猛省することを、強く強く期待します。
 自分がされたら嫌なことをすることが、いかに世の中にはびこっていることか。
 心とは何なのか、痛みとは何なのか。
 このドラマは、強くその部分を訴えているのです。

 ドリトルは猶予期間が1日とされた、ブルセラ感染症の20匹の犬たちを預かることにしたのですが、結局最後の受け入れ先も土門の圧力でダメになってしまう。
 ドリトルはあすかに安楽死のための薬を買ってくるように言いつけるのですが、同時にこう言うのです。

 「ついでに、…最高級のドッグフードを20匹分買ってこい。
 …金は、…いくらかかってもかまわない」

 ここ、かなり泣けました。

 大量に処分されていく保健所の動物たちがいるというのに、この20匹の犬たちに対してそれは優遇されすぎなのではないか、という気持ちも、確かに個人的にはします。
 けれども、目の前の動物たちを救う、という気持ちから発生した、せめて最後の食事くらい最高のものを食わせてやりたい、というこのドリトルのぎりぎりの思いに、私は泣けるのです。
 ここであすかが、その食事は自分が作る、と言い出します。
 あんなまずいカレーを作っといてダイジョーブか?とも思うのですが(笑)、やはりここでも、あすかが自分にできる限りのことをしたい、という気持ちに、やっぱり泣けるのです。

 そしてあすかが作った最後の食事を、無心に食べ続ける犬たち。

 号泣でした。

 と同時に、保健所で処分される動物たちなど、あってはならない、という気持ちも、同時に強くするのです。

 同時に展開していくのは、土門と認知症の父(山本學サン)との病室でのやり取り。
 毎日ひどい目に遭わされ続け、自分を全く認めてこなかった父親に対して、精一杯の恨み事を言う土門に、父親は一瞬正気に戻ったのか、いきなり息子の手を激しく握り締めます。

 「…つらかっただろう…。
 …すまなかったな…。
 …私が間違っていたんだ…。
 …もっと早く分かっていればなぁ…」

 「私のことが分かるんですか?」

 「大蔵…。 …大…きくなったなあ…。
 お前は… 私の宝物だ…」

 土門の表情が、恨めしげに大きく崩れます。

 「いまごろなんでそんなことを言うんですか…!

 …お父さん…!」

 しっかり息子の手を握ったまま離さない、父親の手。

 かなりこみあげてくるものを押さえている土門。
 そこに病室を叩く、ノックの音。
 「はい…」
 我に返ったような、土門の一言。
 やってきたのは、ふたりの息子たち。
 親子3代にわたるわだかまりが解消するときです。

 このシーン、國村サンと山本サンのかなりの重厚感あふれる演技の応酬で、泣きまくりました。 ここに先ほど書いた犬たちの最後の食事のシーンが重なるんですよ。 「おなかの赤ちゃんたちの分まで、たくさんお食べ…」 と、妊娠していることが分かったビーグル犬をさすって泣きながら語りかける、あすか。 もう、ダメだぁ~~っ(泣、泣)。 たたみかけるなっつーの。 涙腺、ぶっ壊れました。

 土門は自らの動物医療総合病院の建設を断念、順平も警察に出頭します。 話が前後しますが、前回の冒頭シーン、20匹の動物たちの安楽死の場面、寸前で土門の意向から、この犬たちの命は助かるのです。 ここもドラマ的には、どうせ助かるんだろう、という気持ちが見る側にもあるのですが、ドリトルのこの動物たちに対する苦悩と苦渋の判断を見ているので、もしかしたら殺されてしまうのかもしれない、という気を見ている側に同時に起こさせるのです。
 そしてそれを助長するのが、井上真央チャンの泣きの演技。
 この演技がうますぎるので、ドリトルが躊躇するのではないか、という気を見ている側に起こさせる。 でもそんなことくらいでドリトルは躊躇しない、という気も発生させる。
 ここらへんの見せ方も、実にうまかったです。

 で、「息子たちが世話になったようだな」「おかげでたんまり稼がせてもらったよ」 という土門とドリトルの会話。 物語の風呂敷のたたみ方も、素晴らしい。
 あすかが作ったカレーライスに、ドリトルが 「うまい…」 と感心する様子。
 そのドリトルの反応に、思わず感激して泣いてしまう、あすか。
 ここはさっきまで20匹の犬の安楽死に泣いていたあすかの、まるでパロディとも呼べるような過剰反応のたたみかけで、この涙の収拾の仕方にも感心しまくります。

 「変わったヤツだな…カレーをほめられて泣いてる奴なんて、初めてだ」
 「だって…お別れだと思うと…先生、いままでホントにお世話になりました」

 ここでドリトルのアフリカ行きに対する結論もちゃんと提示。 ドリトルは花菱に、そのアフリカ行きを勧めた模様。

 ただやはり気になるのは、ドリトルの父親が誰だったのかの提示が、結局されなかったことです。 もしかするとその話を中心とした続編も、示唆しているのかもしれないですけど、まあそれは明日は明日の風が吹く、と申しましょうか(笑)。

 そしてラストシーン、あすかに顔を近づける、ドリトル。
 おでこの広い真央チャンなのですが、そのおでこをピシャリ。
 「蚊だ」
 って、こんな寒くなっているわけないんでしょうが、フィラリアの話もあったからあるいは…という気もするし、ドリトルの照れなのかもしれないし。
 ほんとに話の収拾の仕方がうまかったなー。
 さわやかな終わり方でした。
 そのいっぽうで、動物たちの命を真剣に考える機会、というものを、このドラマは与えてくれた気がします。 処分される動物たちは、モノじゃない。 すべての子供たちや、大人たちも、必ず考えなければならない問題だと、強く感じます。

 原作のマンガを知っている身としては、あの話がここまで深い内容のドラマになったことは、実に驚異であります。 それまで考えてきたマイナス要因が、すべてチャラになった感のある、オーラス2回の 「獣医ドリトル」 でした。

 あとは 「クリスマスの約束2010」 で、小田サンが主題歌 「グッバイ」 を歌ってくれることを期待します…。

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2010年12月19日 (日)

「さよなら、アルマ~赤紙をもらった犬」 生き物との共存を考える

 NHKスペシャル ドラマ 「さよなら、アルマ」 を見ました。
 約1時間20分のドラマであるため幾分、かなり駆け足の展開でしたが(映画並みに2時間程度にすればもっとよかったと思うのですが)、かなり泣かせていただきました。

 ただこれをご紹介くださった方へのコメントでも書かせていただいたのですが、私の場合ノンフィクションに近いこの手の戦争ものに関して、実際にこんな目に遭われた方々への厳粛な気持ちから、結構流す涙の量にリミッターがかかってしまうところがあるのです。 それを考慮に入れても、かなり泣いた部類に入りました。

 まず素直に驚くのは、こんなダイジェスト版のような印象すら受ける短いドラマに、結構濃密な出演者のかたがたが大量投入されている、という点。

 主演は勝地涼クン、テキサス刑事の息子さんであります(って勘違いでした、大変スミマセン!)。 その壮年期役で大滝秀治サン。 この人、なんか今年よく私の見るドラマでよく見かけたなあ。 老いてますますご活躍です。
 ヒロインは仲里依紗チャン。 この人を見ると 「ゼブラーマン」 の過激なメイクとファッションを思い出してしまう今日この頃(笑)。 まったく360度違う(一緒やがな…笑)清純な役をやっています。
 近所の子供にこども店長クン(「わしはこんなところに来とうはなかった」…加藤清史郎クン)、「ゲゲゲの女房」 で布美枝の次女をやってた松本春姫チャン(わわっ、♪会いたかった~会いたかった~会いたかった~…笑)。 この子役ふたり、子役同士でかなり演技力の激突をしていたように感じます(笑)。 末恐ろしい。
 そして 「ゲゲゲ」 つながりでは東てる美サン。 なんかセリフがひとっ言もなかったよーな…(それってかなりすごい気がします)。
 「チェイス」 で金持ちのボンボンをやっていた斎藤工サン。
 石原良純サンは負傷したため兵隊になれなかった近所のオッサン、「金八先生」 のおまわりさんも出てたなあ。
 軍人さんたちのメンツもすごい。
 大尉役の玉山鉄二サンは、去年の 「天地人」 などよりも数倍、いや数百倍、戦の悲惨さを表現しつくしていました。 髪の毛長いのは気になりましたけど。
 そしてナニゲニ 「天地人」 つながりで小泉孝太郎クン。 最初ひどい鬼軍曹でしたけど、最後は実に大和魂を見せつけました。
 池内博之サンの演技も、またよかったなあ。 この人がつぶやいた、「この犬(アルマ)がいるおかげで、俺たちは人間としての気持ちを思い出すことが出来るんだ」 という内容のセリフ。 この気持ちが最後に全滅しゆく兵隊たちの心情にかぶさって、かなり物語の奥行きを深くしてくれた気がします。
 中村獅童サンもエライ軍人さん役で出てたぞ。 なんか、キリがないなあ、まだまだいるんですよ。
 萬田久子サン(この人も 「天地人」 つながりか…このドラマの演出が 「天地人」 をやってた一木正恵サンだから、かもしれないですね)(一木サン、「ゲゲゲ」 もやってましたね)、草笛光子サン(「セカンドバージン」 秀月センセイ役が直近ではかなり印象的)、劇団ひとりクン(どこにいた?…笑)、角田信朗サン、川野太郎サン…。

 …あのー、キャストを書いているだけでこの記事終わってしまいそうなんですけど(笑)。

 で、私が個人的に注目したのは、やっぱり軍人役で出てきた、小栗旬クン。

 この人、「獣医ドリトル」 でいま、おんなじようなテーマのドラマに取り組んでますよね。

 このドラマは、大東亜戦争中に大量に投入された軍犬の悲劇をテーマにしていましたが、「獣医ドリトル」 でもまさに、人とペット、人と動物との関係に焦点を当てたテーマを扱っている。
 これらふたつのドラマは、彼にとってどのような意味をもたらしたんでしょうか。

 「獣医ドリトル」、ここ数回は書くことが重複してしまうために当ブログでは記事にしておりませんが、確か野生のイノシシを捕獲した回に、人間と動物との適正な関係についてドリトルはこんな内容のことを言っていた気がします。

 「どうすればいいのか、俺にも分からない。 みんなが真剣に考えることがいちばん重要なんだ」(極めて不正確で申し訳ありません)

 現代に比べると、戦時中の動物たちに対して人間が行なってきたことは、比較にならないほどひどいレベルです。 「かわいそうな ぞう」 というお話にもなっているくらい。
 ドラマ中で不可侵条約を一方的に破棄して満州に攻め込んできたソ連軍を、兵士のひとりが 「露助」(ろすけ) と表現していました。 ロシアの連中だから、露助。 要するに蔑称です。
 そして同じドラマ中で、誰かがアルマたち軍犬を、「犬ころ」 と表現していました。
 つまり、敵も犬も、当時の日本人にとっては同程度のレベルでしかなかった、ということです。
 私も年配の人が犬のことを 「犬ころ」 というのを、聞いたことがある。

 当時の日本人は自分たち大和民族以外のものを、限りなく下に見ていた。
 これは日本人だけでなく、世界中がそうだった、とも言えます。
 ゲルマン民族がユダヤ人を下に見て、ヤンキーがイエロージャップを下に見る。
 差別というものは人類がつい最近になるまで呪縛されてきた、忌まわしき悪癖なのです。
 それに、その呪縛はいまだに続いていたりする。

 人間が動物たちに対して持つ感情、というものも、実はレベルこそ違え、構造的には全く同じと言っていい。
 人間たちが動物たちを殺すことに躊躇しないのは、彼らが自分たちより下等な頭脳しか持っていない、人間並みの気持ちを持ち合わせていない、という意識からくるものが大きい。
 だから牛や豚はよくて、クジラやイルカはダメだ、みたいな倒錯が生まれたりするのではないでしょうか。

 そのいっぽうで、もし人が動物たちに対して同等の立場で考え始めてしまったら、人は動物たちを殺して食べることすらできなくなってしまいます。 動物との距離を考えることは、ことほどさように難しい。 ドリトルのように、答えは自分の中で真剣に考えることによってのみしか、出てこないのだと思うのです。

 このドラマの中で先ほど私が引用した、池内博正サンのセリフ、「犬がいるから人間らしい気持を保っていられる」(こっちも不正確で申し訳ないです)は、最初犬を犬ころ、単なる道具として見ていなかった連隊の空気が、犬によって癒されている、と気付いた時からの、大きな思想の転換を象徴したセリフなのであります。

 人間らしい心が失われていく戦場の中にあって、たった一匹の犬が、自分を人間に戻してくれる。
 そしてその犬は、もって生まれたその忠誠心によって、人間に限りなく尽くそうとしている。
 「こいつはどうしてこんなことをしているのか、分からないんだろうなあ」、と兵士のひとりが漏らしていました。
 それはいま分析したように犬の本能だから、なのですが、人に尽くせばよい結果がある、というように太古の昔から犬を調教してきたのは、まさしく人間でしょう。
 犬はそんな人間の期待にこたえるべくして、砲弾が飛び交う中を、駆けぬけて行くのです。
 その気持ちを考えると、自然と涙が出てきます。
 このドラマを見ていて涙を禁じえなかったのは、まさしくその部分でした。
 だからあまりにも駆け足気味だったこのドラマに、最後まで入り込んでしまったのでしょう。

 犬の一生は人間よりもずっと短いです。 そんな犬を一匹、日本へ戻すことが出来なかったとしても、それは大したことじゃなかったのかもしれません。
 でもなにがなんでもそうしたかった、それもまた、人間の本心なのだと信じたい。
 盲目的に動物保護をするよりも、人間はもっと深く、動物との関係を考えるべきだ、と 「アルマ」「ドリトル」 の両ドラマは見る側に突きつけている気がしてなりません。

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2010年12月18日 (土)

「セカンドバージン」 第10回(最終回) 生きて行く私

 初めにお断り。
 このドラマの最終回、本放送の総合テレビ放映分なんですが、HDDの関係上最後の4分ほど録れてなかったんですよ。
 で、衛星ハイビジョンの再放送を予約録画したのですが、なんか機械の不具合で録れてませんでした(ガーン)。
 したがって、最後の4分間?を抜かした感想文になってしまいます。
 その4分間に大どんでん返しがなかったと仮定して(爆)、この記事を書き進めたいと存じます。 もし重大な欠陥があればすぐさま訂正いたしますので、お手数ですがコメントにてお知らせいただければ幸甚であります。



 で、「セカンドバージン」 の最終回なんですが。

 まさに前回予告を見て予想した通りの展開で、「なんかないのかいな、でもこうするほかあらへんのやろな」 と秀月センセイ(草笛光子サン)ばりにクサしたくなるような内容でした。

 いちばんモヤモヤしたのは、やはり私が男だからでしょう、鈴木行(長谷川博己サン)の人生に何の救いもなかった点。 結局死んじゃうのですが、ここまで人生誤ったらこうなるしかない、という見本のような感じで、どうにもやりきれない。

 それ以上にムカムカするのは、そんな鈴木行の人生が、中村るい(鈴木京香サン)や万里江(深田恭子チャン)の人生の、まあ悪く言えば 「エサ」 にしかなっていない、という点です。
 いちばん腹の立つのは、自分が社長に就任してから得意先の倒産で会社が危機的状況に陥ったとき、自分と鈴木行とのスキャンダルを逆手にとって書籍発行部数を荒稼ぎしようとした点。 そしてそれに乗っかる、深キョン。
 互いに鈴木行の遺骨を 「あんたにあげる」 の応酬でごたいそうな理由をつけて譲り合い。
 帰ってこない男の靴を磨き続け。

 ちょっとこのブログにあるまじき暴言を吐いてもよかですか?

 ふっっっ、ざっけんじゃねーよ分かるけど(笑)、男を餌にしてうめえもん食って、あげくの果てにそれを行サンも望んでいるなんて都合よく考えてんじゃねーだろーなっ! 死んだ男なんて当てにしないでテメエの力で何とかしろよ!

 …大変、大変失礼いたしました(笑)。

 最後の4分間で何らかのフォローがされているとしたら、重大な暴言であります(笑)。

 人間、生きていくためには、なりふり構っていられないのは当然であります。
 そして成功する人間には、常人には理解しがたい貪欲さ、というものが、絶えず付きまとっている気もします。
 でも、私はそんな生き方にはくみしません。
 そりゃ、自らのスキャンダルを逆手に取る、という方法は、るいにとっても深キョンにとっても、心苦しい点があるのかもしれません。
 でもこのドラマの描写方法を見ていると、「立ち上がれ女たち、誇りを持って生きよ女たち」 という観点しか浮かびあがってこない気がする。
 鈴木行は、そのためのスケープゴート、ていのいいいけにえです。
 中村るいはこの男と××して若さを取り戻し(コラーゲンかっつーの)、深キョンはこの男の裏切りに遭って自分の生きる道を見つけた。
 そしてふたりとも、鈴木行のおかげでだいぶ稼がせてもらった。

 そんな他人を踏み台にするような人生に、価値があるというのでしょうか?

 私は個人的には、どんなに成功しようが、そんな生き方に価値はない、と思います。

 自分の思うがままに生き、他人を犠牲にしながら自分だけが人生を謳歌してゲラゲラ笑っている。
 ゲラゲラ笑っている、は余計ですけど(笑)、これじゃホントに蜘蛛女だ。
 女性の生き方さえも本質的に冒涜している気がする。

 けれども、悲しいことにそれも人生です。
 男たちなんか、女以上に生き馬の目を抜く社会で戦っている。

 そんななかでないがしろにされていく、大切にしなければならないものって、どうしてもあるのです。

 いずれにしたって救いようのない鈴木行の人生でした。 あんなに金融王子ともてはやされたというのに、そのスキャンダラスな死に対する、世間の反応とかマスコミの反応とか、そりゃ描写する必要もないと思いますけど、全く何もなし、ですからね。 最後に言い訳みたいな手紙を残したのだって、なんかとってつけたみたいで 「行サン、かわいそう…」 という涙を禁じえない。 ドラマ的に泣かせりゃいいってもんじゃないでしょう。 最期の瞬間だって、「好きだよ、るいさん…」 という言葉は心の中でだけ、「に…げ…ろ…」 だけしか口にできなかった。
 実際るいは逃げも隠れもしなかったわけですが、るいも深キョンもチャイニーズマフィアに狙われりゃよかったんだと思うのは、…どうもイカン、過激すぎる…(笑)。

 他人を巻き込みながら自分が肥え太っていく、という図式は、宇野千代サンの 「生きて行く私」 を連想させます。
 してみると、秀月センセイ、というのは、るいや深キョンの到達すべき姿、だったのかもしれません。 秀月センセイのモデル自体が宇野千代サンっぽい部分もあるような気がする。

 いずれにせよ、結局、「男を食い物にしてステーキを食い続けるセレブ女」、という話だった、という点で、あ~あ、という感じであります。 鈴木行、という男の描写はかなり不満足なものでしたが、そのいっぽうで段田安則社長の思考構造は、男の私でもじゅうぶん納得のいくものだったと言っていいでしょう(ゲイの部分じゃないですよ…笑)。

 かなり過激な論調に終始してしまいましたが、ドラマを見てこうして憤るのも、一面ではかなり面白いことでは、あるのです、私の場合。 特に鈴木京香サンのベットシーンには、ごちそうさまでした、という感謝の気持ちでいっぱいであります(笑…)。

「セカンドバージン」 に関する当ブログほかの記事

第1回 セレブの恋愛に、興味なし…ですけど
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/1-5dd1.html
第2回 冒険してもいい頃? http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/2-ded4.html
第3回 あーあ、やっちゃったよhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/3-68b7.html
第4回 ああーっ、修羅場だぁ~っ!(笑) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/4-ba7f.html
第5回 秀月センセイの真意って… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/5-208c.html
第6回 わわっ…知~らないっと! http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/6-f81b.html
第7回 破滅へ、ようこそhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/7-a7b5.html
第8回 どんなあなたでも好きhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/8-4541.html
第9回 ガラスの心http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/9-2089.html

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2010年12月16日 (木)

「ギルティ 悪魔と契約した女」 第10回 やさしさの裏側

 堂島(唐沢寿明サン)の仕掛けで駆け付けた捜査一課によりようやく逮捕された宇喜田(吉田鋼太郎サン)でしたが、同僚の首を絞めてその場から逃走。 捜査一課を指揮する身になっていたチョーナマイキ男門倉(RIKIYAサン)は完全にメンツを潰された格好で、頭から湯気が立っている状況(笑)。 真島(玉木宏サン)の辞表も握りつぶし、宇喜田逮捕にやっとやっと一丸となります。

 ところがこの捜査、どうも警視庁内では完全に内輪だけで行なわれている模様。
 なにしろ宇喜田、このあとの展開で堂々と自分の職場に戻ってくるのですから。
 「なんで平然と入ってこれんねん!」 とツッコミを入れたくなりましたが、どこかでその説明はされていたのかな~。 それとも警視庁内が完全な縦割り業務とか。

 気になる点はこっちに置いといて、今回の話では芽衣子(菅野美穂チャン)が真島と万里(吉瀬美智子サン)によって最初は緩やかに、そして次はより確実に拘束状態になっています。
 堂島という協力者も失い、しかも行動が大幅に制限されていく、いわば手足をもぎ取られた状態で、芽衣子がどうやって自らの復讐を遂行していくのかに、私の興味はありました。

 真島は芽衣子を自分の部屋に押し込み、堂島と宇喜田の間になにがあったのか問いただすのですが、芽衣子は口を割らない。
 それまでは警察なんかに頼ったって仕方がない、という心情だったように思える芽衣子ですが、この期に及んで真島を頼らない、というのは、真島を巻き込みたくない、という心情のほうが大きくなっていることを感じさせます。

 真島は万里に芽衣子の監視を要請するのですが、芽衣子が黙ってその場にいるはずなど全くなし(笑)。 極めて抜けベンベンであります(笑)。

 いっぽう逃げおおせた宇喜田は三沢のぼっちゃん(柏原収史サン)宅で、芽衣子と堂島の関係から、真相記事の入ったUSBを芽衣子が持っているのではないかと吹きこまれる。
 そこに同席していたのが、ぼっちゃんの親父で法務副大臣の三沢豪(津嘉山正種サン)。 ついにいちばん奥にいる人物の登場であります。

 それにしてもこの副大臣、自分の息子に 「父さん」 と言われて 「馴れ馴れしく呼ぶんじゃない」 と激冷たい。
 たぶん自分の息子の学歴詐称隠蔽のために散々苦い汁を吸ったという怒りがあるんだと思うんですが。
 そんな父親の冷たい態度に複雑な表情を見せる息子。
 こういうのを見せられると、ああこのぼっちゃん、そのうち親父を裏切るのかなーなどとドラマ好きは要らぬ詮索をしてしまいます(笑)。

 とにかく宇喜田はその情報をもとにして芽衣子の勤めるペットサロンに出向いて芽衣子に直接電話。 芽衣子は芽衣子で真島の部屋から抜け出して、ペットサロンに自分が辞めることを言いに来ていたんですが。
 万里からの連絡を受けてペットサロンに急行した真島、拘束を拒絶する芽衣子と揉み合いになったことをいいことに暴行で(公務執行妨害のほうが合ってるような気も…)芽衣子を逮捕。

 ここまでしなきゃ芽衣子をきちんと守れない、という真島の好判断ですが、最初からそうしていればよかったような気も。
 真島は 「これ以上間違ってほしくないんだ…お願いだ…俺に委ねてくれ」 と芽衣子に必死の懇願。 堂島の死因を新聞社に出向いて聞き出そうとし、記者の渋る様子から三沢副大臣の存在を不確定ながら察知します(この記者、分かりやすすぎ…笑)。 それにしても、どうにも後手後手だ…。

 これらのことは芽衣子がしゃべってくれないから仕方ないんですが、真島の芽衣子に対する真心を、芽衣子は目の前でブルンブルンかぶりを振って(笑)ブッ飛ばしまくっている気がします(笑)。

 「今の私は、大切にされるなんてもったいない…」

 自分の罪を真島にまで背負わせたくない、という芽衣子の気持ち。 分かるんですが、ここまで彼女を苦しめる15年前の冤罪、というもの自体に対するやるせない思いもふつふつとわいてきます。
 それにしても学歴詐称隠蔽、という部分までは分かったのですが、いったいそれがどうして、毒入りチョコレートケーキにまで発展する話になるのか? ここまで来て、全くその手がかりがない(その後お寄せいただいたコメントから、堂島レポートにその関連性を指摘した部分があったことが判明いたしました。 お詫び申し上げます)。 かなり作り手は、視聴者による勝手な真相究明の憶測をシャット・アウトして警戒している気がするのです。 ずいぶん衝撃的な話になるんだろうなー、次回の最終回(やっぱりペットサロンの横山めぐみサンが気になる…違うかな~)。

 「私のせいかもしれない…チョコレートケーキなんて買ったから」

 万里を伴って宇喜田と接触し、万里にけがを負わせてまた拘束される身となった芽衣子は、真島に15年前の冤罪の真実を告白します。
 芽衣子は自分が愛人との間に出来た子供で、父親に似ていたがゆえに、自分の母親から疎んじられていた。
 ほめられたい、ありがとうと言われたい、という気持ちが強かったがために、姉が子供に禁止していたチョコレートの入ったケーキをあえて買ってきた。

 「そんなことが原因なのか…」

 このセリフ、そんなつまらないことが原因で、という意味で真島は芽衣子にしゃべったと思うんですよ。
 真島をキッと睨みつける芽衣子。

 「ちょっとしたことが、深い傷を作る時もある…。
 罪のないことが、大きな罪に変わってしまうときもある」

 甥っ子をかわいがったのも、結局自分がいい気分になりたかっただけだったのかもしれない。 私がケーキを最初に食べれば、こんなことにはならなかった。

 思いやりとか優しさとかいう感情の裏側にあるものを完全に射抜くような、芽衣子のこのセリフ。
 自分の優越感のために行なわれる善意がある、ということは、これはどうしようもない人間の側面の一部であります。
 けれども人は、人にやさしくしてあげたい、という気持ちを、抑えることはできない。
 たとえそれが自分のためとはいえ、そうすることで相手の気持ちも、満たされていくのは事実なのです。

 だとすると、芽衣子が行なってきた、このドラマにおける復讐劇、というものは、実は善意によるものなのではないか?

 このドラマを見ていて強く感じるのは、悪役たちの見事な悪役ぶりです。
 悪いことをするのに、彼らは何の躊躇もないし、逆にそれを楽しんでいるようにさえ見える(第1回目は未見なので第1回目の被害者がそうだったか、ということは別口で考えます)。
 実は悪魔に魂を売っているのは、この悪役たちなのではないのか。
 つまり芽衣子は、悪魔と契約しているわけでもなんでもないのです。
 「悪魔に罪の意識は存在しない」 というこのドラマで毎回繰り返されるセリフですが、この定義から行くと、芽衣子は全く悪魔ではない。 罪の意識にさいなまれまくっているからです。

 番組後半、芽衣子におびき出されて、先ほど書いたように白昼堂々(笑)正面玄関から自分の職場に戻ってきた宇喜田は、芽衣子にこう言い放ちます。

 「お前が生きている価値もない、安い人間だったからだよ。
 …
 お前がどうでもいい人間だったのがそもそもの罪だ…」

 自らの存在を疎まれながら、ほめられたいがために、自分の優しさを振りまいていた芽衣子と、そんな芽衣子を見下している宇喜田。 どっちが人間的にダメかと言えば、…議論の余地なし(笑)。

 私の興味はここで完全に、先ほど挙げた 「拘束されながらもどうやって復讐を遂行するのか」 というところから、人間心理の奥底に潜むものに移行した、と言っていいでしょう。

 三沢の策略で捜査一課は芽衣子以外人払いされていたはずだったのですが、真島の機転のおかげで万里が宇喜田と対峙。
 あえなくやられてしまうのですが、そこに駆けつけた真島によって、宇喜田は射殺されてしまうのです。
 ここらへんの動静は非常に見事。 この部分に関して詳細を書くことは、却ってこのドラマのサスペンス性を削ぐことになってしまうので、ネタバレブログにはあるまじきことですが(笑)、あえて簡単な説明にとどめます。
 直属の上司を撃ってしまった真島。 そのショックの描写。
 そしてその混乱に乗じて、その場から消えてしまう、芽衣子。
 芽衣子はその足で、三沢のぼっちゃんに会いに行くのです。
 ついにゴール直前に辿り着いた芽衣子。
 なんか溝口の狡猾さとか堂島の死とか今回の拘束状態とか、さまざまな困難を乗り越えただけに、ここまでやってきたことには一種の感慨も禁じざるを得ません。
 来週、最終回。
 毒入りチョコレートケーキの真相も明らかにされる日は近いです(かさねがさね、堂島レポートに書かれていたらしいです)。

 いずれにせよ、黙ってまな板の鯉になって(笑)、頭空っぽ状態で堪能したいなーと、考えております。

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2010年12月15日 (水)

「流れ星」 第9回 健吾の決断について、補足です

 「流れ星」 第9回の当ブログ記事、「グラス・タワーの緊張感」 に寄せられた皆様からのコメントを読み、返信させていただいたことをここに再掲載させていただきます。 改めてこのドラマに寄せる皆様の思いの大きさを感じ、コメント欄での返信だけにとどまらせるのはちょっと惜しい気がいたしましたので。

 「グラス・タワーの緊張感」 本文中にも書いたのですが、今回の健吾の決断のいちばん奥低にある動機は、記者から 「こんなこともできずに亡くなっていく患者も大勢いる」、と聞かされたことだった気がするのです。

 そしてそれと強く連動しているように思えるのは、マリアが瑞希チャンに、「リョウタみたいな人もいるのに私ばっかり」、みたいな内容のことを言ったシーン。

 見ている私たちとしては、健吾とリサの中であまりにもゆっくりと育ってきた相手への恋愛感情が、前回の抱擁で爆発したのを見て、イケイケで前のめりにこのままゴールインしてしまえ、という感情でいるために、なかなかこの部分を受け入れ難くなっている。

 第9回感想文を書くためにもう一度見直しながら、健吾の決断に至る心情を考えてみたのですが、おしまいから考えることで見えてきたものが相当あるんですよ。 脚本の構成としては、最初に健吾が警察に出頭するシーンを挿入したほうがよかった気もするくらいです。

 出頭の決断を念頭に置いて見直して強く感じたのは、「いくら純粋で、本当のことを知ってしまえば誰もが同情してくれるようなことであれ、やはり健吾が金によって抜け駆けしている、という側面は、どうしても拭い去れるものではない」 ということ。

 だから健吾が下したこの決断は、言わば、健吾なりに考えた、世間に対する彼のけじめ、なのです。

 最近謹慎をした自分の心情も、レベルは全く違いますけど似通った部分があります。
 いくら心情的に許されても、世間のきびしい目から許しを請うには、まず自らがけじめをつけなければならないのです。 健吾はその部分をなあなあで曖昧に済ませることが出来なかった。

 自ら警察に出頭、という判断をするまでに、健吾はまわりの人々に対して、リサを守ってくれるよう細かい配慮でフォローを入れているような気がします。

 その最たるものがマリアとの最後の話し合いにある気がする。

 たぶん健吾は、リサを守ってやるようにマリアに頼んだのだ、と思う。

 「まだリサさんにありがとうしか言えてない」 と話すマリア、リサを守ろうという決意がにじみ出ている気がするのです。

 そしてリサを守ってくれる美奈子の存在、というものも、健吾が安心できる大きな要因のような気がします。
 要するに健吾は、自分の周りに知らず知らずの間に育ってきた、周囲の人たちの巨大なやさしさに、リサを任せられる、と判断したのではないでしょうか。

 それでもなおかつ、健吾の判断には、性急性というものを感じざるを得ない。

 けれどもやはり、人間はその時その時で最良の判断を出来るわけではない、ということを(このブログではほかのドラマ記事でも再三書いてきたのですが)、改めてそう言いたいのです。

 この回の心理描写は、前回までのゆっくりと堅実な描写の仕方から比べると、かなりとっ散らかっている印象があります。
 でもそうすることで意図的に、マスコミという大きな権力によって少なからず揺れ動いている当事者たちの気持ち、というものを表現しているとも感じるのです。

 マスコミの取材攻勢を必要最小限な表現でとどめているのは、その当事者たちの混乱を強調する点ではかなりマイナス材料。
 けれどもこのドラマの作り手は、そうしたマスコミや世間の野次馬的な見下げた対応を描写することを、相容れないとして拒んでいる側面も、感じられるのです。

 ドラマの構成上、最終回を盛り上げるためにわざと絆を引き裂いている、と感じられる作り手のいやらしさ、というのものも敏感に感じることはできるのですが、やはり 「臓器売買」 という責に対して何らかのけじめはつけなければならない、という作り手の強い意志は、感じられると思うのでしょうが、どうでしょうか?

 いずれにせよ、当ブログの中ではかなり物議を醸し出した、健吾の決断です。 最終回、どのような結末が待っているのか、とても期待しています。

当ブログ 「流れ星」 に関する他の記事
第1回 ダウナーな感覚あふれるフジの月9
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/1-9-cab7.html
第2回 なんか、あっという間でした~ http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/2-2223.html
第3回 一瞬で消えてゆく星、その星への祈りhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/3-f0b3.html
第4回 消えない流れ星http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/4-6d12.html
第5回 生きていてほしいからhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/5-8444.html
第6回 託したい思いhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/6-3966.html
第7回 分かってる、その気持ちはhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/7-9175.html
第8回 思いがはじける瞬間http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/8-2edd.html
第9回 グラス・タワーの緊張感http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/9-ce60.html
第9回 健吾の決断について、補足ですhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/9-cad6.html
第10回(最終回) やさしさが帰る場所http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/10-6223.html

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2010年12月14日 (火)

「流れ星」 第9回 グラス・タワーの緊張感

 最初にちょっと、僭越ながら苦言を少々。

 いちばん盛り上がる場面で下らない内容のニュース速報を流す神経、というものが分かりません。
 法人税がどうなろうと知ったこっちゃないじゃないですか。
 これは昨今のブルーレイなどクオリティが増している録画技術による視聴者の番組ライブラリ化を阻止する意図があるとしか思えません。 要するにDVDボックスを買わせようという魂胆、と言いますか。

 ついでで申し訳ないですけど、ドラマの内容でもちょっと気になった個所が。
 どうして神谷医師(松田翔太クン)が、最後泣き崩れるリサ(上戸彩チャン)の居場所を突き止めることが出来たのかなー。 GPSケータイでも持たせてるとか?(笑) 見ている私が鈍感なのかな? 健吾の行き先を、やっぱり神谷医師も知っていた、ということでしょうか。 それで簡単にリサの居場所が分かった、とか。

 それはともかく。

 今回の話は臓器売買の話がマスコミに取り上げられてしまったことで健吾(竹野内豊サン)が迫られた判断について、結構見ている側の意見が分散しそうな話になっていた気がします。

 そしてその健吾の決断。

 それは健吾がもともと持っている強い責任感や、自分ひとりで重大事を決めてしまう性癖に基づいたものであることが、容易に見ている側に想像できるがゆえに、物語に一種の緊張感をもたらしている。

 その象徴が、水族館でクリスマスシーズンに飾られているグラス・タワー。

 私はこのグラス・タワー、完成したら周囲にちょっとした柵でも設けられるのかと思っていたんですよ。
 ところが柵が設けられたはいいものの、それは結構ゆるくて、誰にでも触れるレベルのもの。
 そしてそのグラスのひとつひとつに入れられた、クラゲたち。
 水の入れ替えとかこまめにしてやらなきゃ、すぐに死んでしまう気がしたんですが。

 このことによる緊張感が、見る側を縛り付ける気がする。
 ちょっとでも手を触れてしまえば崩れて粉々になってしまう思い。
 そして水を与えてやらなければすぐにでも死んでしまいそうな思い。
 グラスの中のクラゲたちは、健吾の決断によってひとり取り残されてしまう、リサの孤独を予感させるものになっていたのではないでしょうか。

 このグラス・タワーを前にして、クリスマスの訪れに、初めて健吾と出会った時はまだ夏だった、と感慨を募らせるリサ。 先週の抱擁シーンのあとみたいですね。

 「なんだかあっという間だね…いろいろありすぎて…あっという間」
 そんなリサに、健吾はこう語りかけるのです。
 「これからは、ゆっくりいこう」

 「そうだね…」

 健吾を見つめるリサの目は、やっと自分のいちばん素直になれる場所を見つけた幸せに満ちています。
 第1回目でリサが付き合っていたかめへんろ、じゃなかった(笑)大東俊介クンとの間柄は、結構リサの浮ついた気持ちや兄(ゴローチャン…稲垣吾郎クン…たまにはちゃんと記してあげなければ…笑)への反発心に基づいたものであったことに比べると、蓮っ葉なしゃべり方をしても健吾は全く気にしないし、ホントにニュートラルでいられる。 ようやく曳航された小舟のような気がするのです。

 ちょっと待った…まだ開始してから2分だぞ…こんなことでは永久に終わらない(笑)。 やっぱり飛ばしてまいります(笑)。

 そんなふたりを襲うのは、マスコミの暴露記事。
 ゴローチャンが意図していたのは一方的に健吾を非難し、リサが被害者であることを強調した記事だったようなのですが、世間の関心は下卑たところにある、という姿勢のタブロイド紙です、結果的に最も強調されていたのはリサが風俗嬢だったこと。 「世の中にはこういうこともできずに死んでいく患者も大勢いる」 という新聞記者の理屈は一見ご立派ですが、やってることは低劣。

 ただ今回の健吾の決断を動かしている根源は、実は記者が健吾に放ったこの理屈なのではないでしょうか。
 自分はたまたまお金があった、たまたまドナーに巡り合えた、それはいくら家族のためとはいえ、世間から見れば抜け駆け行為に当たる。
 リサとの愛情は確かに健吾にとっても必要不可欠なものになってはいるのですが、それ以前に世間に対する示しをつけようと、健吾は考えたのではないか。

 すでに今回の結末を語っているような書き方で申し訳ないのですが(ネタバレブログだからい~か…笑)、なんか健吾がすべてを自分のせいにして警察に出頭しようとする姿勢について、ほかならぬ自分自身がモヤモヤしているので、どうしても物語を振り返りながら納得したくなるのです。

 ため息をつきながら帰宅したお母さん(原田美枝子サン)、すでに記事のことを知っていることがうかがえます。 家に戻っていたリサが 「おかえり…またお世話になります」 と話しかけると、精一杯の笑顔で 「おかえり…」 と返します。 このお母さんの気持ち。 ここでも見る側に対して、こんなやさしい人たちのいる岡田家でリサがずっと暮らせたらいいのに、と思わせる布石が打たれている。 「どうかした? 疲れてるみたい」 と話すリサ。 そこに記者からの一本の電話が入り、リサは事情をのみ込むのです。

 いっぽうマリア(北乃きいチャン)も、すでにこの記事のことを知っている。 「ごめんなさい迷惑かけて…」 と神谷医師に話すと、「ううん…そんなことないよ」 と、「そんなことあるよ」 みたいな口調で話す神谷医師(笑)。 ほんとに表現が微妙なんだよなあ、このドラマ。

 水族館のホームページにも疑惑の書き込みが増加。 閉鎖をせずこのまま続けてくれと言う健吾。 このあたりにも、健吾の決断を後押しする要因が感じられます。

 夜、健吾が帰宅すると、家の前で星空を眺めているリサを見かけます。
 ここで語られるのは、ふたご座流星群。
 ニュースで見たばかりだったので、なんかこの同時性が、ちょっと嬉しい。
 狙ってますなあ、作り手も。

 リサが記事のことをお母さんから聞いた、としゃべっても、顔色ひとつ変えずに 「そう…」 と笑いかける健吾。 そんな健吾の心の広さに安心したようにリサは 「風俗嬢ってやっぱみんな面白いんだろうなー」。 「関係ないよ」 と断ち切る健吾に 「関係あるに決まってんじゃん…あたしがイメクラやってなきゃアンタだって声かけなかっただろ?」 と自嘲する。

 「あのときは必死で、そんなこと考えてる余裕なかったよ…マリアの命さえ助かればそれでいいって思ってたから。
 …
 でも今は違う。
 …
 リサのこと…苦しめたくない…」

 リサはその言葉に照れたのか、流れ星の話を始めます。

 健吾は父親からのプレゼントだったコンパスと、マリアが小学生時代に使っていた星座早見表を持ってきて、ふたご座の位置を探します。
 これ、かなりぐっとくる設定でしたね。
 父親の願いと、娘の願いが、同時に温かく健吾とリサを見守っている。 ふたりは祝福されているんだよ、というのがじわじわと伝わってくる気がしました。
 ふたご座を探すふたりの向こうには、やはり江の島が遠くで、ぼんやり寝ています。
 そしてそこには江の島展望台のライトが。

 「展望台行ってみる?」

 あそこなら、もっと見えるから、と言う健吾に、「じゃあ…来年…連れてってくれる?」 と答えるリサ。
 どうして今じゃいけないんですか?とレンホーサンみたいに考えてしまいましたが(笑)、これってその後のつらい展開を予感させる布石のような気も。

 「でもさあ…流れ星に願い事って、フツーに無理だと思わない?
 だって一瞬じゃん。
 いつ来るかも分からないし…」

 「それだけ強く願ってないと、叶わないってことじゃない?
 …
 その一瞬で唱えられるくらい、ずっと思ってないと、叶わないんだよきっと」

 「ふうん…。
 じゃあんたのお父さんはさ、ずっと願ってたのかな?
 …
 願いが叶ったわけじゃん。
 (コンパスを手にして)ずうーっと渡したかったんでしょ?…あんたに」

 「…そうだね…」

 リサは星空を見上げながら、ふとこうつぶやくのです。

 「このままがいい…」

 いぶかしげにリサを見る健吾。

 「叶うかな…?」

 健吾はしばらくリサを見つめます。

 「…きっと叶う」

 幸せそうにほほ笑むリサ。
 健吾はそれを、厳しい表情で見つめるのです。

 この場面、最終回に向けてリサにとって大きな支えとなってくれるようなシーンだった気がしてなりません。 そしておそらく、見る側にも。
 強く願えば、祈りは叶う。
 どうも、涙腺を刺激してくれますネ(笑)。

 ヤッベ…。 まだ番組開始してから14分しかたってない。 今日中書き上げられるか、これ?(笑)

 私服で水族館を訪れている健吾。 クラゲを夢中になって見ている男の子を見かけます。
 「ぼくね、水族館の飼育員になりたいんだ」
 「なれるよ、きっと。
 そう信じてれば」
 力強くうなずき、クラゲを見上げる健吾。
 いまから思えばそこには、リサを守ろう、という決意が秘められていた気がします。
 健吾はそのとき、水族館を辞めるために、そこに来ていたのです。

 健吾が辞めると聞いた、杉本哲太サン以下の仲間たちは、取り立てて強引に健吾を引き留めようとしません。
 これは健吾が一度言い出したら何を言っても撤回しない性格を、誰もが熟知しているがゆえの反応だと強く感じました。
 健吾の差し出した手をいったん握手しようとして押しのけ、思わず抱いてしまう杉本サン。
 「バカヤロウッ!」
 なんかそれだけで、すべてが分かってしまうような感覚。
 「お前みたいなサカナバカが水族館やめてどうすんだよっ!」

 暴露記事の影響について、取材攻勢とかそれほどオオゲサな描写をこのドラマではしていないのですが、健吾が水族館を辞めたりお母さんがパートを休んでくれと言われたり、徐々に岡田家の経済状態を圧迫してくるのではないか、という状況になってきます。

 そんななか、リサはお母さんと来ていた病院からタブロイド紙の記者に会うため新聞社に向かいます。
 そこに後ろから忍び寄るようにやってきたのが、ゴローチャンと思ったら健吾だった。
 お母さんから、「ちょっと用事があると言ってどこかに行った」 と聞かされてその場所を探り当てるなんざ(笑)ちょっとやそっとの推理では容易にできない気がします。 健吾の心の中で、リサは完全にその一部と化しているがゆえの行動だと思うのです。 要するにリサの行動パターンを、健吾はもう分かっちゃってる(笑)。

 「どうしてひとりで行ったりしたの…きみが責任を感じることじゃないんだよ」

 記者とひと悶着した後、健吾はリサにこう言います。

 「…あんただってそうじゃん。
 …
 いっつもひとりで何とかしようとしている…。
 …責任感じたっていーじゃん…。
 勝手にひとりで決めんなよ」

 突然苦しそうに、その場にうずくまってしまうリサ。
 手術直後だというのに、無理がたたったのでしょう。

 自宅に戻り、リサを寝かしつけた健吾。 あの記者になにを言おうとしたのか、リサに尋ねます。

 「この結婚は、偽装なんかじゃないって。
 しっかり、夫婦だって言おうとした」

 そこにやってきたのは、ゴローチャン。 健吾の制止も振り切って不法侵入(笑)。 リサを連れ出そうとします。
 ここでゴローチャンとリサの兄妹のつながりを推し量るヒントのようなものが提示されました。

 「『お兄ちゃんの味方だ』 って言ってくれたじゃないか…」

 「はぁ?」
 飲み込めないリサ。

 「親父もお袋もいなくなった時、ふたりだけで生きていこうって決めたろ?
 あのときリサも、『ずっとお兄ちゃんの味方だ』 って、『ずっとそばにいる』 って、そう言ってくれたろ?」

 「忘れたよそんなこと!」
 ゴローチャンの手を払いのけるリサ。
 「…変わるんだよ人は…。
 …お前だって…」

 脱皮できてない自分のことを断罪されたかのようにうつむいてしまう、ゴローチャン。

 要するにシスコン(シスターコンプレックス)だった、というのかもしれませんが(笑)、月9では表現できないような性的なつながりさえもなんとなく感じてしまう、この兄妹の関係なのです。 下衆の勘繰りかなあ。 それでなければ、このお兄ちゃんは相当に妹依存症であります。 ゴローチャンはとっとと妹から旅立たねば、なりません。
 この妹依存症のゴローチャン、病院にやってきて、寝ているマリアの首を絞めようとまで、このあとしようとするのです。 ここまで来ると理解不能だ。 もともとリサへの付きまとい方じたいが病的なんですけど(笑)。

 「帰っていただけますか?」 と話しかける健吾に、ちょっとした殺気を漂わせながら、ゴローチャンは300万円の確たる証拠の入ったケータイを突き付け、「これ、記者に言うことにしますネ」 と最後っ屁(笑)。 キッタネエなあ。 好感度下がりまくりですよ(笑)。

 「待ってください…!
 そんなことをしたら、リサまで…!」

 「このままリサをあなたに渡すよりよっぽどいい」

 「…リサは…!」

 「なんでしょう?」

 「…どこまでリサを苦しめるんですか?!」

 「あなたがリサの肝臓を奪わなければ、リサの気持ちを奪わなければこんなことにはならなかった…」
 玄関を出ていくゴローチャン。 
 この期に及んで健吾は、とうとう決断せざるを得なくなるのです。

 美奈子(板谷由夏サン)からの申し出で、美奈子の勤める結婚式場と一緒であろうと思われるホテルにリサは居を移します。
 「あのさ…アリガトネ」
 美奈子にお礼を言うリサ。 かぶりを振ってほほ笑む美奈子。 いい関係だなぁ~。
 このシーンの直前にマリアの親友の瑞希チャンが記事のことを気にするマリアに 「軽蔑なんてしないよ…するわけないじゃん」 と言い切ったのもよかったですよネ。

 そんなやさしさがドラマを包んでいく中で、険しい表情のままケータイでどこかと連絡を取る、健吾。

 そのあと健吾は自分の覚悟を、マリアに話すのです(でもすべてかどうかは分かりません。 おそらく離婚届を出すことについてのみ、かな?)。

 「マリアには、つらい思いをさせるかもしれないけど…」

 「…私、リサさんになにも出来てない。
 ありがとうしか言えてない…。

 …リサさんのためなんだよね?」

 「…うん」

 「…うん…分かった…それでいい」

 ここで警察出頭まで健吾が話したら、マリアはこんなにあっさりと兄の言うことに同意しないでしょうね。
 健吾は自分と記者との取材の席にゴローチャンも同席させ、ゴローチャンが金科玉条の証拠写真を出そうとしたところでそれを取り上げ、自分の口から、すべて悪いのは自分だ、とぶちまけるのです(もうすでにこの記事中で散々書いちゃってますけど…笑)。
 健吾は以前リサから受け取っていた離婚届にサインをしたものを、役所に提出します。
 その気配を敏感に感じ取ったリサ。
 新聞社に急行しますが、もうすでに取材は終わった様子。
 リサは、健吾のケータイに電話をします。
 手からこぼれおちてゆらゆら揺れる、赤いクラゲのストラップ。

 「あんた今どこにいるの?

 …勝手に決めんなっつったじゃん…」

 健吾はあくまで平静を保ちながらこう返します。

 「これ以上体調が悪くなる前にちゃんと体を休めないと」

 健吾の優しさをのみこみながら、リサは切実な調子で、こう尋ねます。
 「帰ってくるんだよね…」
 なにも話さない、健吾。

 「…答えろよ…!

 …あたしどこに帰ればいいの…?」

 ウッ、やばい…(笑)。 泣けてきた…。
 健吾はそれでも答えません。

 「…またひとりにすんのかよ…」

 しばらくの沈黙。

 「リサ…」

 リサの目から、涙が一粒、まるで流れ星のようにこぼれおちます。

 「…

 ゴメン」

 …

 …

 …ここで、ここで…。

 「ニュース速報」 ダァ~~っ!(笑)
 だぁぁぁーーーっ、やるか、フツー、このタイミングでっ?(笑)

 「菅首相が野田財務相らに法人税の実効税率5%引き下げを提示」…って、ちっとも重要じゃないでしょおおーーっ、こんなニュースっ!(笑)

 健吾のケータイから揺れる、青いクラゲのストラップ。
 感動が、かなり台無しですが、冷静に描写を続けます(笑)。
 切れてしまう電話。 キレてしまう、私たち視聴者(笑)。
 さらに 「ニュース速報」 の追い打ち。
 信じらんない!

 泣き崩れる、リサ。
 泣き崩れたいのはこっちも同じです(笑)。

 どうしてこんな感動的な号泣シーンを、笑いながら解説せにゃいかんのか?

 アスファルトに寄りかかって一人ぽっちになってしまった、赤いクラゲのストラップ。

 健吾は警察署の前に、ひとり佇んでいます。

 ゴローチャンはマリアの首に、手を伸ばしています。

 次回、最終回。

 大地震が来ないことを切に祈ります。

当ブログ 「流れ星」 に関する他の記事
第1回 ダウナーな感覚あふれるフジの月9
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/1-9-cab7.html
第2回 なんか、あっという間でした~ http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/2-2223.html
第3回 一瞬で消えてゆく星、その星への祈りhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/3-f0b3.html
第4回 消えない流れ星http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/4-6d12.html
第5回 生きていてほしいからhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/5-8444.html
第6回 託したい思いhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/6-3966.html
第7回 分かってる、その気持ちはhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/7-9175.html
第8回 思いがはじける瞬間http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/8-2edd.html
第9回 グラス・タワーの緊張感http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/9-ce60.html
第9回 健吾の決断について、補足ですhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/9-cad6.html
第10回(最終回) やさしさが帰る場所http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/10-6223.html

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2010年12月12日 (日)

「坂の上の雲」 第7回 (ふたたび)痛みを忘れる方法

 私にとっては因縁の(笑)第2部第2回目(通算7回目)「子規、逝く」。 とりあえず前に書いた大恥ものの痛恨記事に手を加え若干削りながら、改めて記事をアップいたします。

 今回の話は題名の如く、、主役級のひとり正岡子規(香川照之サン)が亡くなってしまう話。

 香川照之サンは 「龍馬伝」 での岩崎弥太郎役とは打って変わって、痩せこけ今にも死にそうな子規を、完璧に演じ切っておりました。 にもかかわらず、そこにはちゃんと、俳優香川照之が厳然と存在している。 こういう激烈な人物の人生を演じさせたら、ものすごいものがありますよね、この人は。

 そしてその瀕死の演技にこの回最も対抗していたのは、子規の妹律(通称リーさん)を演じた、菅野美穂チャンでした。
 子規が亡くなるシーンでは、こちらもおおいに泣かせていただきました。
 その演技法は彼女なりのメソッドに貫かれた部分が新鮮で、彼女もこの先どれだけ成長していくんだろう、という大いなる期待を抱かせてくれる。

 それにしてもどうして当時の日本人たちは、これほどまでに 「大人」 なのでしょうか。

 寿命が短いせいもあるのでしょうが、当時は早く大人になる必要が、いまとは段違いにあった、ということでしょうね。
 特に私は、明治期の文豪たちの書くものを読んでいると、そこには知識を弄ぶような高等遊戯感が散見されるものの、おしなべて皆、ひとりの人間として実に力強く屹立していることを、とても感じます。

 それが大正期から昭和初期の小説になってくると、どうも女々しさ(この表現、ご了承ください)がそこに割り込んでくるような気がする。

 これは明治期が、それまでの武家社会がリードしてきた倫理観や慣習の影響が世の中全体に色濃く残っていた時代だからなのではないか、と私は考えています。
 それが、大正期になると個人主義の台頭で結構 「家」 の中での役割とかを軽視するような傾向が出てくる。
 そして明治期の 「新時代的気風」 は次第に手垢が付いていき、権力に寄りかかるような精神的風土が醸成されていく。

 そうした観点から今回描かれていた明治期の軍司令部と、昭和期の軍司令部とは、その気風において優劣がすでについている、そんなふうに感じるのです。
 今回片岡鶴太郎サン演じる秋山真之(本木雅弘クン)の上司が、真之の講義を受ける、という構図などまさにその象徴。 柔軟さが違う。

 そしてその精神的柔軟さを垣間見るのは、数少ない出番だった気がしますが、阿部寛サン演じる秋山好古が、中国の袁世凱と懇意になっていく過程。

 「蒼穹の昴」 では 「とんでもない食わせ物」 として田中裕子サン演じる西太后に疎んじられていた袁世凱ですが、そんな裏でなにを考えているか分からない存在感そのままで、日本とある意図のもとで繋がっておこうとした狡猾さもちらちら見える。 好古とふたりで馬の酔っぱらい運転(泥酔運転?…笑)をするくだりなどは、その真意がどこにあるのか、見る側も探りながらの視聴で、かなり面白かったです。

 ここで袁世凱と好古の駆け引きを見ていると、袁世凱側は自らの利益をどう最大限にしようかという意図が見え、好古のほうはあくまで武士道精神にのっとって、国際情勢における日本の果たすべき役割から見た対局にしか立っていないように思える。
 好古のそんな誠実さに袁世凱は胸襟を開く(フリ…笑)をするのですが、両者とも実に成熟した外交的判断だと思うんですよ。
 そんなやり取りから見えてくるのは、やはり相手をおもんぱかった態度からくる柔軟性。 自らの引けない部分は残しつつ、誠実な外交姿勢によって友好関係を保つ。 現代の日本の政治家には、爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいくらいの心憎さなのであります。

 そしてやはり、冒頭にも書きましたが、なんと言ってもこの回の白眉は、香川照之サンと菅野美穂チャン。

 息も絶え絶えな結核病患者が、それでもあらんかぎりの力で仕事を続け、死ぬ間際まで痛みに苦しみ、そしてその苦しみから、解放される瞬間。

 いつもは仲間たちであふれかえっている子規宅に誰もいないとき、ひとりぼっちの子規は苦しみにのたうちまわります。

 「あ~、痛い、痛いい…。

 律…母上~…痛いよ~…。

 痛いよ、痛いよ、痛い…。

 淳さん(真之)…夏目(漱石)…誰か…助けておくれ…。

 みんなどこにおるんじゃあ…。

 律、律、律、律、律、律…!

 ううっ…! ああっ…! あああ…」

 そんな苦しみに喘ぐ姿に、当の子規のナレーションが、かぶさるのです。

 「可笑しければ、笑う。
 悲しければ、泣く。
 痛みの激しいときは、うめくか、叫ぶ。
 盛んにうめき、盛んに叫び、盛んに泣くと、少し、痛みが減ずる」

 これってとても大切なことのように感じました。

 仕事をしていても、気を張って打ち込んでいるときには、疲れというものは、あまり切迫して感じない。
 それでもちょっと小康状態になってきたとき、疲れを一気に感じてしまうものです。

 何かにただひたすら、打ち込むこと。

 ただひたすらに笑い、ただひたすらに苦しむ。

 実はそれこそが、自らの人生を謳歌していることなのではないでしょうか。
 苦しみすらも、そうして前向きにとらえて生きることが出来れば、どんなに人生にとってプラスになることか。

 ある夜、律は兄の眠る蚊帳の中に、生気が感じられないことに気付きます。

 心がざわめき立つ、律。

 近づいて息を確かめると、子規は息をしていない。
 母親の原田美枝子サンに向かって、かぶりを振る、律。

 「兄(あに)さん…」

 律は兄の体を揺さぶります。

 「兄さん兄さん…」

 子規は動きません。

 「ねえ兄さんどこにおるん?
 どこにおるんじゃ…」

 きっとそのあたりをまだ漂っているであろう、自分の兄の霊魂に向けて、律は語りかけるのです。
 この心境、かなり共感しました。
 もうこの時点で私、かなり泣いてます。

 「兄さん戻ってきてくだされ…!

 そこに死神がおいでか?

 ならうちのところに連れてきて…。

 うちが懲らしめてやるけん。

 兄さんは、うちが守ってあげるんじゃけん。

 兄さん…兄さん…!

 誰がいじめとるん?

 兄さんをいじめる奴は、うちが許さんけん…」

 子供の頃、いじめっ子から兄を守った記憶が、フラッシュバックします。
 号泣して兄にすがりつく、律。
 こちらも滂沱の涙でした。

 ここで 「戻ってきてくだされ」「死神がおいでか」 と語りかける律の言葉は、方言も多少はあるかと思いますが、実に明治の言葉、と言っていいでしょう。
 私ははからずも野口英世の母シカが英世に送った手紙 「はやくかえってきてくたされ」(ママ)を思い出してしまったのですが、この言葉には一種の、言霊が潜んでいるような気がする。

 私を揺り動かすのは、明治も現代も変わらない、亡くなった人に対する衝動的な感情です。
 「死神がそこにいるのか?」 などというのは、悲しみのあまりに見てしまう、一種の幻覚のようなものです。
 そのあまりの悲しみを、ここでの律のセリフは余すところなく表現している。

 いずれにせよ1時間半の長丁場は、すべてこの瞬間のためにあった、と言っていいような物語の集束の仕方でした。
 …やっぱり、長かったっスよ、1時間半(笑)。

「坂の上の雲」 に関する当ブログほかの記事

第1回 いや、ガイじゃのう!
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/1-46c5.html
第2回 列強に植民地化されなかった日本とはhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/2-3ded.html
第3回 親というものは、ありがたいものですhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/3-9188.html
第4回 戦争の真実を見つめようとしない人々http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/4-4583.html
第5回 今度は、一年後ですか… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/5-16b5.html
第6回 人を思いやる心http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/6-7032.html

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「坂の上の雲」 第6回 人を思いやる心

 衛星ハイビジョンの第2部第2回目(通算第7回「子規、逝く」)を第2部の開始と勘違いしたために大恥さらしの痛恨記事を書いてしまいまして、3日ばかり謹慎しておりました。 これは男一匹恥をさらした以上せねばならないけじめではあったのですが、身勝手な謹慎にお付き合いいただいた読者のかたがたには、改めて最大級のお詫びを致します。

 そのため改めて第6回の記事を書くのは少々恥の上塗りで躊躇したのですが、こんな拙記事でも読んでいただけるかたがいることをぶしつけながら期待して、僭越ではございますが書かせていただきます。

 あらためて、第2部の開始であります。

 やはり第2部の開始ですから、スケール的にもその巨大さがアピールされておりましたね。
 次の回の 「子規、逝く」 はそれに比べればいくぶん市井のスケールになっていて、この回から第2部を見てしまった私は 「ずいぶん小ぢんまりとした始まりかただな」 と思ったものでした(汗)。

 この回でまず強調されていたように思うのは、日本が軍事費を捻出するためにどれだけの犠牲を自らに課してきたか、ということです。
 日露開戦前夜のポーツマス港で秋山真之(本木雅弘クン)と広瀬武夫(藤本隆宏サン)は再会するのですが、そこで搭乗した戦艦朝日の威容を、数字の一字一句もたがわずに表現していきます。
 これはリアリティという観点から見れば、こんなに正確に覚えてなくてもよかろう、というレベルなんですが(笑)。
 イギリスにその戦艦建造のほとんどを任せた金額は、敷島三笠なども含め5851万4000円。 
 この数字を正確に広瀬が言うことで、国民の血税によるありがたみを使用する側がじゅうぶん覚知していたことを表現する。
 そしてイギリスでの晩餐会で、会場に流れる弱小国蔑視の空気の中、広瀬は堂々とこう話します。

 「5845万4000円という、英国の造船所に支払った金は、生糸を売った金ではありません。
 貧しい日本人が、爪に火をともすようにしてためた金です」

 「それはそれは…」 と小馬鹿にしたように立ち上がって頭を下げるイギリス人。
 真之はそこで、こうぶち上げるのです。

 「日本人の意志表示でもあります。
 外国からの侵略は決して許さない」

 貧しい日本人が、先進国から小馬鹿にされながらも、決して誇りを失わない気概が画面から溢れ出すかのようでした。
 当時の日本人にとってのいちばんのバネとなったのは、なんと言っても江戸幕府の外交下手から決められてしまった不平等条約の数々だったのではないでしょうか。
 文明下等国と見做された日本人が自らの自尊心を大きく傷つけられ、自らの美しい歴史的な伝統さえもかなぐり捨てて、その誇りを回復しようとした。
 明治という時代は、そんなエイトスに包まれている。 現代に生きる我々は、ジャパン・パッシングなどと自嘲的に嘆いている場合ではないではありませんか。

 そしてそんな誇り高い国だからこそ、戦闘状態になだれ込むのが必至なロシアとも、最後まできちんとした友情を築くことが出来た。
 今回はその象徴的な唯一の人物として、広瀬が大きくクローズアップされるのです。

 ロシアでの恋人アリアズナに対して、広瀬は日本の戦艦につけられた名前の由来を語ります。
 朝日、朝霧、曙、村雨…。
 それらは皆、美しい自然からつけられたもの。
 ちっとも勇ましくない、と言うアリアズナに、広瀬はこう言うのです。

 「力が強いだけでなく、心が優しい。
 それが日本の武人の理想です。
 君がよく使うロシア語で言えば、――『グマナスティ』 という言葉」

 グマナスティ、それは、人が人を思いやる優しい心のことです。

 「いつか必ず、私と君の国はそれで繋がる…」

 広瀬はそう言うのですが、果たして現在、そうだろうか?と考えを思いめぐらすとき、必ずしもそうはなっていない気がしてなりません。
 それは両国の間に領土問題、という重たい課題が横たわっている故のことなのですが、広瀬がこの後帰国するに際してロシア人たちに向かっても強調していたこの 「思いやりの心」 は、これから戦闘状態になるであろう相手に対しては、およそ相容れないような思想であります。

 それでも、政治情勢がどのように緊迫しても、ひとりひとりの人徳に勝るものはない。

 アリアズナとの仲に横恋慕をしていたボリスも結局は広瀬との友情を第一に考えたように、いずれは互いに戦火を交えることとなっても、消えない信頼というものが存在する。
 これは一見、理解しがたいことのように思えます。
 それでも少なくとも広瀬とその周りのロシアの人々との間には、悪感情に任せて相手を蔑みいたずらに揶揄して攻撃しようという感情が、存在していない。 そりゃこの別れのパーティの席で披露された滝廉太郎の曲を 「やっぱり盗作だ。 日本人にこんな美しいメロディが作れるはずがない」 などと言って席を立ってしまうご婦人のようなかたもおりますが。
 でも信頼によって築かれた感情は、どこまでいっても両者ともそこに誇りを保つことが出来るのです。 騎士道精神、または武士道とも通じる側面がある。 この意義を考えることは重要に思えます。

 しかしながら、衆愚というものは、いつの世にも存在しているものです。

 日英同盟に浮かれる日本の民衆たちは、これが対等なものではなくイギリスが極東地域を疎かにせざるを得なかったことからくる安全弁の役割としか見做していないことに、気付いていません。
 そしてその感情の底辺には、先ほど指摘した 「不平等条約からの誇りの回復」 という要因が深く絡み、清国、満州をめぐるロシアへの国民的な悪感情にすり替わりつつある。

 人が人を思いやる心が、そんな悪感情によっていとも簡単に壊されてしまう局面に、後世の日本人は直面していくことになる。

 それにしてもやはり何度も書くようですが、1時間半という放送時間は結構見ていてきつい。
 途中、またまたダレてしまいました。

「坂の上の雲」 に関する当ブログほかの記事

第1回 いや、ガイじゃのう!
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/1-46c5.html
第2回 列強に植民地化されなかった日本とはhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/2-3ded.html
第3回 親というものは、ありがたいものですhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/3-9188.html
第4回 戦争の真実を見つめようとしない人々http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/4-4583.html
第5回 今度は、一年後ですか… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/5-16b5.html

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「セカンドバージン」 第9回 ガラスの心

 このドラマの第1回目冒頭で撃たれてしまっていた、鈴木行(長谷川博己サン)。
 今回のラストでは、ついにそのシーンにまで物語が追いつきます。
 登場人物が撃たれてしまう、というショッキングな話に向けて物語は逆の意味での加速度がついていき、全体的に話が重々しく、重力をさらに身にまとうような感覚でドラマを視聴しました。

 その重力の磁場の中心にいる人物が、ほかならぬ鈴木行。
 拘置所から戻った自分の家が空っぽだったためか、中村るい(鈴木京香サン)と純日本風の平屋建て一軒家に新しい居を構えるのです。 ただその家屋に対して、なんか説明がなかったような…。 最初は 「どこだココ?」 と思いました。 秀月センセイ(草笛光子サン)の家かな?とか。

 とにかくるいとようやく念願の生活を始めたというのに、鈴木行はすっかり意気消沈したダメ男状態。 しかもるいに対して、自分の不利な情報を検察にリークしたのではないか、という疑心暗鬼の眼すら向けている。
 「どんなあなたでも好き」 と言った手前(笑)、るいもそんな抜け殻のような鈴木行と暮らし続けなければならない。
 この重たさと言ったら。

 だいたい惚れた腫れたでくっついたくせして、自分の女すら信じられんのか、という感じは、どうしてもするんですよね、男の目から見た場合。 何を甘えとんのか、しっかりせい!という感じ(笑)。 こういう変節をしてしまう男は、個人的で申し訳ないですが、正直言ってキライであります。

 ただるいにしても、リークから脅迫からレタ君の件から、みんな深キョンのせいだということを本人から聞いていて鈴木行にしゃべらない、というのも悪い気がする。
 これについては行との喧嘩にまで発展し、はからずもその真意がるい本人の口から話されるのですが。

 「愛してるからでしょ?
 愛してるから私の胸に納めてたんじゃない!
 そんなことも分からないの?
 …
 言ってどうなるの?
 取り返しつかないんだもの。
 そうでしょ?!
 …
 いまこうして一緒にいられることを大切にしたかったからよ!
 やっと一緒に暮らせるようになったんだもの。
 ずっとずっと待ってたんだもの」

 行はそれに対してこう言い放ちます。

 「同情されながら一緒にいるのなんか耐えられないよ!
 …
 るいさんは俺にはまぶしすぎる…。
 だからあいつのほうが楽だと思ったんだ!
 …
 拘置所に毎日来る手紙も、だんだん読むのがつらくなった。
 こんなんなった俺を、どこまでも支えるって言い続ける、るいさんの強さが鬱陶しくなったんだ!
 …
 俺なんかるいさんにふさわしい男じゃないんだって…。

 …最低だろ?」

 家を出て行こうとする行。
 かなり強情にそれを止める、るい。
 負けちゃダメ、という励ましも、もう負けてるんだ、というネガティヴな気持ちに、届くことはないのです。 泣き崩れる、行。

 どうしてイケイケだった男がここまでネガティヴ思考の人間になってしまうのか。
 段田安則社長は、執行猶予がついた行に体験談の出版を打診しながらも、裏でるいには、こううまいこと言ってました。

 「あの男はダメだな。
 この前もずっと傍聴したけど、地に足がついていない。
 るいみたいに出来る女は、ああいうガラスのような男を守りたくなるんだろう。
 …しかし、国民の金融資産を投資に回せばみんなが豊かになるなんて理屈はとんでもないよ。
 頭のいい(?)人間の、机上の空論だ」

 「時代が早すぎたんです」

 「どんな時代だって同じだ。 そんなこと、分かってんだろるいだって」

 つまり鈴木行の考えている金融再編理論は、人間の心理状態を深く考えていないゆえに勘違いしている、歪んだ理想なのである、ということです。 眠っている貯蓄が市場に出れば経済が活性化する、などということのリアリティには、やはりどうしても疑問が残るもの。 老人たちが、ハイリスクハイリターンの投資なんか、寿命が残りどれくらいあるかも分からず収入も年金のみの生活状態で、すると思いますかね?

 そんなバブリーで浮ついた理想を掲げる男が、精神的に強いはずがない。
 「ガラスのような男」 というのは、言い得て妙であります。

 そして。

 物語の重たさにさらに輪をかけて重たくしているのが、今回の逮捕起訴で迷惑をかけたチャイナ・キャピタルの鈴木行への脅迫。 非常にキナ臭い話になってます。 鈴木行は自暴自棄な精神状態なので、「殺すなら殺せ」 という態度を崩さないのですが、それが却ってるいの身にまで危険が迫る話になってくる。
 物語としては意外などんでん返しなど起こるはずもなく、ただ雪だるまが徐々に巨大になりながら坂を転げ落ちていくしかない展開なのです。

 そんな破滅状態を導き出した深キョンは郷里の長崎で親に甘やかされながら新しい事業を少しずつ始めようとしています。
 家がもぬけの殻だった、という前回ラストも意外だったのですが、それから深キョンが鈴木行に対して復讐することにしか興味を示していなかった、ということが、ちょっと描写的に齟齬をきたしているかな、という気はします。
 なにしろ前回途中まで深キョンは、どんなことをしてでも行クンと別れない、などと大見得を切っていたのです。
 つまり死ぬまで奴隷かよ、みたいな感じで私はこの深キョンの言動を解釈していたのですが。
 これは、「女って男が破滅してしまうと一気に興味がなくなってしまうものらしい」…という解釈で、よかですかね?(笑)
 それともこうしたショッキングな家出劇を見せつけて、行クンが戻ってくることを期待しているショック療法、という解釈でよろしいでしょうかね?

 この深キョンの変節は、最終回予告で見られていたような、女の強い生き方の一端を表すケースとして提示されることになりそうなのですが、それじゃあの嫉妬とか復讐ってなんだったの?つー感じも、しないではない。

 いずれにせよ鈴木行は、るいに危険が及ぶに至って、非合法的マネーロンダリングなどのスキーム(計画、策略)に協力するため、日本を出国する。 もちろんるいには内緒です。 最後の晩には料理も作って、ベッドでも久々だったせいかかなり燃え上がっておりました。 そう言えばこのドラマの見どころはこうした官能的シーンだった気がするのですが、ここ数回その魅力が封印されていたなあ。

 そして行が姿を消してから物語は1年後。
 仕事面でますます成功をおさめ、新海社も株式上場を達成して、まあこれでいーんじゃないの?というるいなのですが、ここでシンガポールに向かう用事が出来る。 だんだんと物語冒頭のシーンが近づいています。
 果たしてシンガポールの街中でるいは数人のアジア人に連れ回される行を発見。
 あとを追いかけ、「行さん!」 と声をかけると、行はその場から逃走。
 そして、
 …行は撃たれてしまうのです。

 それにしても最終回予告は、なんだか引っかけかもしれませんけど、ストーリーが全部分かってしまうかのような予告でした。 なんだかなあ…。

 しっかし、蛇足になりますが秀月センセイ、やっぱり秋夫・ウィリアム・ターナー(布施明サン)への恋心があったんですなあ…。 株式上場パーティの場でかちあったら、秋夫を完璧に無視(笑)。 イギリスに逃げちゃってましたからね、秋夫サン。 おおこわ…(笑)。 私にもちょっと経験ありますよ、ケンカして無視したら、無視し返されて恋が消滅した、ということ(笑)。

「セカンドバージン」 に関する当ブログほかの記事

第1回 セレブの恋愛に、興味なし…ですけど
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/1-5dd1.html
第2回 冒険してもいい頃? http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/2-ded4.html
第3回 あーあ、やっちゃったよhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/3-68b7.html
第4回 ああーっ、修羅場だぁ~っ!(笑) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/4-ba7f.html
第5回 秀月センセイの真意って… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/5-208c.html
第6回 わわっ…知~らないっと! http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/6-f81b.html
第7回 破滅へ、ようこそhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/7-a7b5.html
第8回 どんなあなたでも好きhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/8-4541.html

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2010年12月11日 (土)

「ギルティ 悪魔と契約した女」 第9回 惜しい人を亡くしました…

 この超シリアスドラマの中にあって、ただひとりブッ飛びオチャラケ男を貫いていた堂島(唐沢寿明サン)。 彼らしい最期でした。 エンディングタイトルではいつもと違い、十字架ポーズで腰ふりダンスのおまけつき(笑)。 ここで笑わせるかい!つー感じ、と言いますか。 せっかくのシリアスな死にざまが台無し、と言いますか。 これこそ堂島らしい幕引き、と言いますか。

 なにしろ野上芽衣子(菅野美穂チャン)の復讐劇の矛先が宇喜田(吉田鋼太郎サン)どまりで、その先が見えなかったところに、この堂島は命がけで斬り込んでいったんですからね。 堂島の働きは重要かつ不可欠。
 ここで堂島が事態を打開してくれなければ、永遠にこのドラマも完結に向かわなかったでしょう。

 逆に言えばこの堂島の命がけの取材は、ストーリーを進めるための安易な展開感、と言いますか、無理やり感が、ほんのちょっとですけど漂う。 どちらかと言うと相手の巨大さに気後れして逃げ回るポーズをとる堂島のほうが、リアリティがある気がするんですよ。
 でもここでは、堂島のジャーナリストとしての使命感を浮き彫りにすることで、その無理やり感を払しょくすることに成功しているのです。
 ただまあ、芽衣子に対してやさしく手を振ったり、死亡フラグ立ちすぎですがな…みたいな展開も、気にならないわけでもなかったです。

 ですからどうやって堂島が黒幕をおびき寄せ、「かなりレベルが違う」 その強敵に対して、どのような安心できる布石を事前に打っておけたのか、という興味がメインで見ていたのですが、これがなかなか見ごたえがありました。
 そしてそこに至る堂島の覚悟も、オチャラケつつもきちんと描かれていた。

 この覚悟。

 堂島は度重なる衝撃的な展開にすっかり自分を見失って刑事を辞める辞めると駄々をこねている真島(玉木宏サン)に、「拓ちゃん来ちゃった」 じゃなかった(笑)、「ター坊キー坊の仲なんだから」 じゃなかった(私もしつこい…笑)、かなり珍しくまじめな表情でこう言い放つのです。

 「焦りすぎなんだよ。

 答えなんかそう簡単に出るか?

 苦しくてもしがみついて、悩んでもやり続けて、がむしゃらに、自分のやりかたを貫き通すしかない。
 投げたらそこで終わりだ。

 …せめて自分が守るって決めたものは守り通せ。
 …男だったら」

 「…あんたに説教されるとはな」

 「だって説教してくれって顔してんだもん、自分で言っててカンドーしちゃったよ!」

 …会話の後半部分引用は要らなかったか(笑)。

 しかしですよ、この堂島の 「最後まで自分のやり方を貫け、投げたら終わりだ」 というセリフは、実に身につまされるセリフなのであります。
 特にこういうブログをやってて、ときどき無力感に襲われる時もあるのですが、「自分の感じたことをすぐさま世間に向かって発表できて、しかもその反応がすぐに来る」 ということの喜びを感じるからこそ、苦しくても悩んでもやり続けたいと思うのです。
 人生だって同じ。
 逃げてしまったら、何もかもがそこでおしまいなのです。
 それはもう、あっけないほどに。

 そしてこの、覚悟を持った堂島というひとりの男の行動。
 これがドラマとして、見る側が納得できる感動へ導いてくれるのです。

 しかし敵もさる者。
 民自党の代議士の息子、という黒幕は、視聴者に向けてはようやく、やっとのことで提示されるのですが、堂島の誘いには簡単に乗ってこない。
 堂島の前に現れたのは、名目上休暇中の宇喜田。
 しかも指定された面会場所が、堂島のひとり息子がアルバイトをしている駐車場の見えるビルの屋上。 脅迫材料をお膳立てしている、というわけです。

 堂島は宇喜田から、「息子の命と引き換えに、このビルの屋上から飛び降りて死ね」、と脅迫されます。

 堂島は苦渋の表情を浮かべるのですが、ミジンコ名義(笑)で万里(吉瀬美智子サン)に通報しておいたことで現場に駆けつけた警察の車両を見て、「グッドタイミング万里リン…」 とつぶやきます(笑)。

 「息子が生きようが死のうがあいつの人生だ俺には関係ない。
 俺にはジャーナリストとしての生き方しか残っていない。

 …宇喜田サン…力のない人間でも、話を聞かせる方法ってあるんだよ。

 事件に仕立て上げればいい」

 「ごちゃごちゃ言ってないで飛べぇぇっ!」

 堂島は周囲に分かるように大声で叫ぶのです。

 「助けてぇぇ~~!

 撃たないでぇぇ~っ!

 宇喜田さぁぁ~~~ん!」

 堂島は完ぺきなオチャラケモード(笑)。 笑わせるか、ここで?

 「お願いだ、助けてくれ!

 息子は、息子にだけは手を出さないでくれぇ~~ッ!

 わ、分かった、宇喜田サンの言う通り、ここから飛び降りるよォォ~~ッ!」

 柵を乗り越える堂島。
 にやりと笑う、宇喜田。

 しかし。

 「やっぱり俺の勝ちだね」

 と笑いながら、両手を広げ、後ろ向きに落ちていく、堂島。

 「ザマアミロ」

 その一部始終を堂島からのケータイで聞いていた芽衣子。
 そこにホームレスの男から、堂島から託されたUSBが届けられるのです。
 そこには真犯人の名だけが抜かれた堂島の記事が。
 メモには、「俺への復讐、ひと手間はぶけたろ?」 と。
 堂島は自殺することで、同時に芽衣子への贖罪も完遂したのです。
 おちゃらけながらも、カッコよすぎだろ、堂島!

 さて、今回の話は堂島がメインでしたが、主役の芽衣子と真島に動きがなかったか、と言うとそうではありません。

 刑事を辞める、溝口の死亡にも自分が責任を持つ、と言う真島に芽衣子は、自分が連続不審死の先導を行なった、と告白をします。
 ここで芽衣子が展開する理論は、悪い奴らは自分だけでなくまわりも不幸に巻き込んでいく、その連鎖を断ち切らねばならない、という、およそ悪魔には似つかわしくない言動であります。 ちょっといい子ぶっているようにすら聞こえます。

 「ほんとに悪い奴らは、…誰かが罰を与えないと…。

 警察や法律なんか信用できない…!
 それは私がいちばんよく知ってる。

 …だから、私が、…直接罰を与えた」

 だったらオレも同罪だ!と反駁する真島に、芽衣子はこう言います。

 「いいえ、あなたに罪はない!
 …あなたは私のような人間に、罪を償わせるために必要な人なんです!」

 芽衣子はほかならぬ真島にのみ、自分を断罪してもらいたい。
 彼女があくまで求めているのは、真実なのです。
 だからこそ裏に何かあったり杓子定規にしか物事をとらえてくれない警察や裁判所に、真実が存在しているとは全く考えていない。
 彼女は自分が断罪されることを恐れていないのですが、それは真実によってのみ、可能なことなのだと信じているのです。
 そしてその真実を追い求める象徴的な人物こそが、真島なのです。

 しかし当の真島、自分は警察を辞めるとか言ってますけど、気持ち的には全く刑事のまんまだと思うんですよ。
 そんな真島が、真犯人の告白まで聞いて、このまま芽衣子を放っておくのでしょうか?

 堂島からのUSBを閲覧する芽衣子の部屋に真島は乱入、壁に張り出された復讐の相手の写真を引きちぎりまくります。
 止めに入る芽衣子。

 「もう復讐なんかやめろ!」

 「お願いだから、もう私に関わらないで!」

 激しくもみ合うふたり。

 「俺が君を受け止める…!

 …愛してる…!」

 動きが止まる芽衣子。
 抱きしめる真島。

 「…愛してる…」

 「愛してるーっていうあーな~た~の~ことーばーをー」…ってテーマソングがかかって、「あっ歌詞通りだ…」(笑)と思う間もなく、エンディングタイトル。 前述の通り堂島チャンが腰ふりダンスをしていて、ぐっと来る抱擁シーンも台無し、とゆーか(冒頭でも同じようなこと書いたか…笑)。

 それにしても 「流れ星」 に引き続いて、抱擁シーンでしたけど、その質は表面上全く違っててとても印象的でした。 だのに実は、こんなに異質な抱擁シーンが、「互いにいけないと思いながら相手を求めてしまう気持ち」「倍加していく切なさに駆られてしまう感情」 という点で共通しているのは、かなり興味深い。

 いずれにせよ、柏原収史サン演じる代議士の息子、三沢準ですが、芽衣子と同じ桜葉館高校に在籍していたのに海外留学していたと学歴詐称をしていた、という事実が判明してしまって、どうして桜葉館なのかもなんとなく分かったし、どことなく事件の全体像がいきなりつかめてしまったみたいな感じで(まあツマラン推理ですけどね)、もうちょっとひとひねりを期待したいところです。

 ドラマの中でかなり異質で、それゆえにドラマに独特の立体感を与えていた堂島の死。
 彼亡きあと、ドラマは私の想像していた範囲以上の展開を示してくれるのでしょうか?

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2010年12月10日 (金)

「流れ星」 第8回 思いがはじける瞬間

 お待たせして、大変心苦しく、申し訳ございませんでした。
 「流れ星」 第8回の感想文を書きます。

 予告編で、健吾(竹野内豊サン)とリサ(上戸彩チャン)の抱擁シーンを見ていただけに、ふたりがいつそうなるのか、という期待が、この回を見ているときの唯一の救いだった気がします。
 それだけ今回の話は、健吾とリサが別れる方向にしか向いていかない。
 それゆえに見ている側はそのもどかしさを、「予告編で抱き合ってたから…」 という期待のもとに見ることになるのです。
 この効果というものは絶大だった気がします。
 予告編では、要らない情報を与えられる場合が、あまりに多い。
 でもこのドラマは、違います。
 予告編にすらこの 「さりげない傑作」 の質を見る気がするのです。

 「そういう契約だから…」
 という意識は、マリア(北乃きいチャン)の手術が成功したあとあとも、健吾とリサに重い枷(かせ)となってのしかかっているように見えます。

 「これで契約完了だ…」

 手術から目覚めたリサは、成功したことを知ると、寂しさを酸素吸入マスク越しに隠しながら、つぶやきます。
 リサは、目覚めたとき、健吾がずっと付き添ってくれて、傍らで眠るのをいとおしそうに見つめていました。
 それなのに、リサは、健吾が目覚めたとき、冷たくそう言って自らにけじめをつけようとする。
 その、リサの気持ち。
 健吾はその事務的な言葉に一瞬躊躇します。 けれども自分も思いを断ち切るように
 「それでもいい…」
 と笑いかける。
 その、健吾の気持ち。
 開始早々、このドラマの持つ独特な感情表現に、見ている側は一気に引き込まれるのです。

 この、ふたりの間に保たれる、奇妙な距離感が、この回の物語には貫かれていた気がする。
 そしてふたりが別れに向かっていくにしたがって、その深く静かに潜行していく思いは、押さえることが出来ないくらいに、膨張していく。
 そんな昂揚感を、見ている側は感じることが出来たのではないでしょうか。

 手術終了後に覚醒したマリアは、リサに向かって心からのお礼を言います。
 「…ありがと…」
 そして弱々しく、力強く、ピースサイン。
 それを見て、こんな自分でも人のためになったんだ、という喜びを一瞬見せ、そして恥ずかしそうに眼を伏せる、リサ。
 面会後、自分の病室に帰るリサがよろめくのを、しっかりと支える健吾。
 ただの契約結婚という間柄なら、ここまでとっさに判断が出来ない、という支え方でした。
 …まだドラマが始まってから5分なのにここまでダラダラと書いてしまった…。 ま~た限りなく長くなってしまいそうなので、はしょりながら参ります(笑)。

 マリアからのメールを見て、いかにも 「よかったねー」 という表情で自分のケータイをなでまわすのは、健吾の元婚約者の美奈子(板谷由夏サン)。 もしかしてこれでまた健吾との仲が?…という予感を、見ている側に感じさせます。

 一足先に退院したリサ。
 岡田家に戻ってお母さん(原田美枝子サン)の手料理を久々に食べ、あまりに味気なかった病院食との落差に、「ヤベ…」 も復活(笑)。 自分を気遣ってくれるお母さんと健吾の優しさに包まれながら、「ずっといてもいいのよ」 と言うお母さんの言葉に、「いいよ…出てくよ…そういう契約だし」 と、やはり事務的な話をするのです。
 健吾はちょっと考えたあと、「住むところが決まるまでいたらいいよ」 と、問題先送り宣言(笑)。 まるでそれまでに、自分がリサに対してどういう思いであるかを確認しよう、という気持ちも含まれている気がする。
 それぞれの部屋へ戻り、自分の心のありかがどこにあるのかを探るように深く考え込む、リサと健吾。

 そして洗濯物の片づけを手伝いながら、健吾のパーカーの背中部分を目にして、健吾の背中を思い出すかのように微笑むリサ。 「同じ服ばっかり着るのよ」 というお母さんの言葉に、「あいつらしいや…」 と思いながらの表情です。
 いっぽう水族館でグラスの飾り付けを完成させつつ、クラゲの水槽をじっと見つめてしまう健吾。
 健吾の中では、クラゲイコールリサ、という図式がある。
 思いが深くなっていく瞬間です。

 描写が、丁寧過ぎる。

 そしてその深まりウェットになっていく感情とは裏腹に、あくまでもドライに事務的に、ふたりはリサの新しく住む場所を探します。
 「星見えるかなあ…」
 「どうだろうねー」 と答える健吾。
 ふたりはしばらく、互いの距離感を測るかのように違う方向を向きながら黙りこみます。
 健吾は 「あのさあ…ひとりで大丈夫?」 と訊き返します。
 「大丈夫…ひとりでやっていくって決めたから」
 寂しさを一瞬表情に見せながら、自分をふっきるかのように厳しい表情で答え返す、リサ。

 ここらへんの気持ちの微妙な駆け引きが、どうにもたまらなくて書いてしまうのですが、まーだドラマ開始から16分だ(笑)。 いつになったらこの記事、書き上がるんでしょーか?(笑)

 いっぽうマリアは、親友の瑞希チャン(川口春奈サン)に、亡くなったリョウタクンの肖像画をお姉さんに渡すよう促されます。 それがリョウタクンとの約束だったのですが、マリアにとってはリョウタクンとつながっていたことの、紛れもない証なのです。 マリアの気持ちを知らない瑞希チャンはある面では残酷ですが、そのことでまた募ってくる思いが、マリアにはある。
 マリアは結局その絵をお姉さんに渡してしまうのですが、それはその場の流れみたいなものでしたけど、結局ふっ切っていかなければならないものがある、という点で共感します。 その絵を渡す場にいた瑞希チャンの 「リョウタが好きでした…あー、すっきりしたっ!」 という告白でこのシーンは終わってしまうのですが、マリアにとってもこういう心の清算は、しなければならないのだと思うのです。

 話は戻ります。
 手術後にリサに 「ランチくらいはおごります」 という約束をしていた神谷医師(松田翔太クン)は、律儀にそれを守るのですが、入った先は定食屋(笑)。 医者もそこそこビンボーなんですよ、というのが笑えます(そしてまた好感度アップ…笑)。

 そこで神谷医師が幼いころ、夜逃げばかりしていたことを告白するのですが、リサも 「(自分も)同じだ…」 とつぶやきます。
 「そういう時ってさ、引っ越して今より良くなるって思わなかった?」
 と訊くリサ。
 「ああ…そうかもしれないですね…実際は悪くなるいっぽうだったけど」
 リサの表情からは、「自分も同じだった」 ということが読み取れます。

 「次は幸せにならなきゃ…」

 神谷医師はそれを聞いて、たぶん健吾とうまくやっていくことなのだろう、と思ったのか、黙って食事を続けます。 けれどもリサの気持ちは、別のところにある。

 マリアの病室には美奈子がやってきます。 スワ、健吾とよりを戻しに来たのか…?という感じ(笑)。 杉本哲太夫妻も駆け付け、病室はまるで昔そうだったような団欒モード。 そこにやってきたリサはその雰囲気にいたたまれず、病室に入ることなく踵を返します。

 でもリサを見かけた美奈子は、リサに 「健吾に 『結婚はできない』 と言われて、きれいさっぱりした」 と話すのです。 あらら、そうなのね…(笑)。 修羅場でもよかったんですけど(笑)。
 「あんたほんとにいい女だな…」
 と思わず口にしてしまうリサ。 しばらく考えてから 「…でしょ?」 と返す美奈子。
 この間が、すごい。
 一瞬ムッとした表情になるリサでしたが、笑ってしまうのです。
 この間も、すごい。
 間の取り方を間違えると、台無しになってしまうシーンでした。
 「健吾のこと、よろしくね」 と言い残しその場を去る美奈子。
 カッコよすぎる(笑)。

 健吾はマリアから、「ドナーになるの、誰でもよかったわけじゃないよね?リサさんじゃなきゃだめだったんでしょ?」 と指摘され、自分の思いに改めて気付く。
 「そういやそうだ…」 という表情をしてましたね、健吾。
 こんなふうに、まわりの言動からも気付かされていく自分の本心、というものもある。

 それとは裏腹に、どんどん進行していくリサの引っ越し。
 明日の朝には引っ越す、というリサに肩透かしを食ったような健吾の表情なのです。
 最後の夜に自分の作った料理を食べさせようと買い物をしたリサ、陳列棚のカボチャに目をやるのですが、このカボチャ、4分の1カットで128円(!)高けぇぇ…(笑)。

 そして買い物から帰ってきたリサ、岡田家の目の前に広がる海をぼんやり見つめるのです。
 健吾と一緒に行った新しいアパートを断り、ごみごみしたところを求めてみずからひとり住む場所を決めたリサ。 大きな海を見て、いつも心が慰められていた気がするのですが、その思いとは裏腹な場所を住むところに決める、ということ自体も、なんだか切ない。

 そこに現れたのは、ゴローチャン。
 離婚もする、家も出るけど、お前のところへは帰らない、というリサ。
 今回幼い時夜逃げばかりだった、という事実は明らかになったのですが、まだまだ何かこのふたりにはあるような気がする。

 結局カボチャの煮物だけは作ったリサでしたが(笑)、そんなリサに健吾は自転車の鍵を渡す。 不便な場所に住むと聞いた健吾からの、プレゼントです。
 ところがリサは、自転車に乗れなかった。
 ここ、笑えましたけど、夜逃げばかりで自転車に乗ることも覚えられなかった、という点で、逆にしんみりしてしまう話になる。 この、返す刀で斬られる快感、と言ったら(笑)。

 そしてリサは恥ずかしがりながら、健吾に自転車のレクチャーを受けるのですが、このシーンがまた、よかったんだよなー。

 幼いころにゴローチャンに押してもらっていた自転車、夜まで練習して帰ってきたら両親ともいなかった、と言うリサ。
 その続きを、健吾がしてあげているのです。
 なんかそれだけで泣けてくる、というか。
 (同じシーンで話は前後しますけど)「ちょっとちょっと!危ない… …離すなって言ってんじゃん!」
 蓮っ葉な言葉が全開のリサ、でもなんか嫌みに聞えない。
 そんなリサに健吾も嫌な感情など持たず、こう返すのです。

 「いつかは離さないと…」

 その言葉にギクッとした表情のリサ。
 健吾は何の気なしに言った言葉なのに、自分も健吾から離れていくと決心したというのに、リサはその言葉に、心ならずも胸を貫かれるのです。
 ここ、よかったなー。

 「うまいうまいうまい、いいじゃん、離してないよー」

 と言いながら、自転車を持つ手を離す健吾。

 リサの乗る自転車はそのまま、よろよろと走っていきます。

 なんかわけも分からず、泣きました、このシーン。

 何でだろう。

 たぶんそれは、リサが幼いころの思いを乗り越えた瞬間だったからです。
 そして自分からつなぎとめておかなければ、自分がそう心から思わなければ、自分の手を離れて巣立って行ってしまいそうな思いがある、ということにです。

 振り返って自分が自転車に乗れるようになったことに気付くリサ。
 笑いながら、一瞬寂しそうな表情を見せ、リサに笑いかけ、そしてまたその微笑みの度を緩めていく健吾。
 リサの目には涙が光っているのですが、それが分かるか分からないか、という微妙なレベルだ、というのがまたすごい。 まるで神の手がはたらいているかのような微妙さ加減だと思う。 泣けた~。

 別れの朝、成功報酬を健吾から受け取る、リサ。 そして健吾と、別れの握手をするのです。

 この場面、リサがどうするのかかなり注目だったのですが、結局報酬を受け取ったのは、自らの思いを断ち切るための踏ん切りだったという点で、いたしかたなしのような気がします。
 こうでもしないと、リサは健吾とはドライに別れられない。 そんな気がするのです。

 荷物を乗せた軽トラに乗り込むリサ。
 バックミラーに映る健吾の姿が寂しげに、遠ざかっていきます。

 これらの場面にインサートされるのは、ゴローチャンが情報をリークした記者とのケータイでのやり取り。 なんかゴローチャンが意図した以上の大ごとになりそうなことを感じさせる、ゴローチャンのセリフ。
 「えっ?ええっ、違いますって。 いえそうじゃなくって…ちょっと待ってください!」
 コンビニのタブロイド紙を見つめて驚愕するゴローチャン。

 何が起こっているんだ?というざわめきを感じさせながら、健吾がいったん見送ったリサを、自転車で追いかけることを瞬時に決断する場面へ。

 ゴローチャンの赤いスポーツカーにさえ追いついた健吾の自転車であります(笑)。 軽トラごとき追いつけないはずはない!(笑)と思ったのですが、残念、見失ってしまう。 いいところまで行ったんですけど(笑)。

 そして見失ってしまったことを受け入れた健吾。
 息せき切った苦しい表情から、「なにをバカなことを…」 と自分の衝動的な気持ちを冷静になって思い直してしまい、苦笑いを浮かべるのです。
 しかし全くセリフもないのに、よくここまで心の動きが表現できてしまうものだ、と竹野内サンの演技には舌を巻きまくりなのであります。
 とぼとぼと仕事場へ向かう健吾。

 ところがです。

 勤める水族館に面した海の見える場所、かつて健吾とリサが星を眺めたあの場所に、リサがポツンとひとり、座っているのです。

 「まだあいてなかった…ここのクラゲ、最後にもう一回だけ見たかったんだけど…」

 照れ笑いを浮かべて、「じゃ…」 とその場を立ち去ろうとするリサ。

 その手を、健吾がぱっと掴みます。

 そしてリサを抱きしめる、健吾。

 健吾が今まで抑えてきた思いが、はじけてしまった瞬間。

 リサも、そっと健吾の腕に腕を回します。

 リサも、自分の気持ちを押さえていたのです。

 涙を流すリサ。

 健吾のジャケットを、しっかりと離さないように掴みます。

 江の島が遠くで、ぼんやり寝ています(分かるかなあ、これ…笑)。

 あー、なんかラヴ・ストーリーを、久々に堪能させてもらった気がする。 とても、よかったです。 自分も恋する人の目になってしまう感じですね(年甲斐もなく…笑)。

 ただ気になるのは、ゴローチャンの手を離れてしまったかに見えるリーク問題。

 来週も、目が離せません。

 最後に、要らぬご心配をかけて、この記事自体のアップも大幅に遅れてしまい、大変申し訳ありませんでした。 この場を借りて、重ねてお詫び申し上げます。

当ブログ 「流れ星」 に関する他の記事
第1回 ダウナーな感覚あふれるフジの月9
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/1-9-cab7.html
第2回 なんか、あっという間でした~ http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/2-2223.html
第3回 一瞬で消えてゆく星、その星への祈りhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/3-f0b3.html
第4回 消えない流れ星http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/4-6d12.html
第5回 生きていてほしいからhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/5-8444.html
第6回 託したい思いhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/6-3966.html
第7回 分かってる、その気持ちはhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/7-9175.html
第8回 思いがはじける瞬間http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/8-2edd.html
第9回 グラス・タワーの緊張感http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/9-ce60.html
第9回 健吾の決断について、補足ですhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/9-cad6.html
第10回(最終回) やさしさが帰る場所http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/10-6223.html

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2010年12月 6日 (月)

「坂の上の雲」 第6回 痛みを忘れる方法、及び当ブログへお越しの皆さまへ

 お詫び この記事、総合テレビでは来週分の放送だったようであります。 なにも知らずにこれが第2部第1回目の放送だと重大な勘違いをしてしまいました。 本文は今のところこのまま掲載し続けますが、あす朝には大幅改訂いたします。

 と書いたのですが、改訂するには大きな困難が伴うことが判明したため、改めて書き直しアップさせます。 ただしいつになるかは未定です。

 今回自分がこのような大失態を演じてしまったのは、自分がいつもNHK大河または今回の 「坂の上の雲」 のようにそれに準ずる作品を、NHK衛星ハイビジョンで予約録画しているために発生いたしました。

 ご存知の方もいらっしゃると思いますが、このチャンネルで放送される大河ドラマは、地上波のNHK総合テレビよりも2時間ばかり早く放送されます。 いまは自分も夜勤のためその恩恵を受けることもなくなったのですが、以前は一足早く見てその記事をアップさせる、という方法を取っておりました。

 その名残で今回も衛星ハイビジョンの放送を予約録画したのですが、今回衛星ハイビジョンでは、先週の 「龍馬伝」 最終回が終わった先から(11月28日)、第2部の第1回目(通算6回目、「日英同盟」)が先行放送していたらしいのです。

 自分も不勉強、と言いますか、そのことを全く知らず、12月5日に同衛星ハイビジョンで放送された第2部第2回目(通算7回目) 「子規、逝く」 を、第2部の開始だと勘違いをしてしまい、その勘違いにのっとって、記事をしたためました。

 去年はそんなことをしていなかったため、今年も同じ放送形態だろうと考えていた自分がバカだった、というだけの話なのですが、バカなりにNHKにはちょっと文句を言いたい気持ちであります。

 ただ、大勢のかたがたのアクセスをいただくまでになったブログの管理者としては、今回の大失態はまさしく物笑いの種であります。 「穴があったら入りたい」、どころの話ではありません。

 たかがテレビの感想文ですが、自分なりに精魂を込めて記事をアップさせているつもりでおりましたので、この不祥事を機に自らを大いに恥じ、しばらく謹慎をしたいと考えております。 たぶんアップしたくなってすぐにでも謹慎解除してしまいそうですが(笑)。 とりあえず記事は書き続けます(書きたいので)。 謹慎解除したときに、その記事はアップしようかと考えております。

 いずれにせよ、もしまたアップするときが来ましたら、よろしかったらまたお付き合いいただきたいと切に願っております。

 申し訳ありませんでした。

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2010年12月 5日 (日)

「てっぱん」 第9週 心の奥深くにあるもの

 ヤフーのみんなの感想欄では、強力なネガティヴキャンペーンが繰り広げられている感のある、「てっぱん」。
 人間、ここまで他人に対して残酷になれるのかな、と私は思います。
 そこまでひどい話だとは、私はちっとも思わない。
 仮にいくらこのドラマが人の心を表現しきれていないのだとしても、この感想欄でこのドラマを悪しざまにけなす人たちは、その心自体が壊れている…そう感じます。

 確かにヒロインの瀧本美織チャンは元気過ぎてうざったいかもしれない。
 母親の安田成美サンは上っ面かもしれない。
 ふた言目には家族家族、と言いすぎるかもしれない。

 けれども、どんな人間でも、人は皆、成長の途上にいるのです。
 他人が見てとやかく言いたくなるような人でも、その人なりに悩み、こんなじゃいけない、自分はこうであらねばならない、という気持ちを秘めているのです。
 そんな人たちを批判するのは、いじめと同じだとは思いませんか?
 ドラマをよくしたいとか的確にそのドラマがダメであることを喧伝したいとか、善意で批判をするのだとしても、結果的に、その人たちの一生懸命を、貶めていることに、ならないのでしょうか?

 私はいじめをする人たちを連想します。
 いじめをする人は、「あいつはウザい」 とまず考え、「悪いところを直してやる」 というもっともらしい理屈でもって、ひとりの人を攻撃し始める。
 そのうちに 「みんながやってるから」 という理屈で、それが次第にエスカレートし始める。
 「自分たちは相手の悪いところを直そうと思ってしてるんだ」、という下らない正義感がベースにあるから、何の躊躇もしないのです。
 それと同じである。
 下らんです。
 心が、貧しすぎる。

 本題に入りますが、このところずいぶん忙しくて見ることのできなかった先週分の 「てっぱん」 をようやく見ました。
 かなり、泣きました。

 私がこのドラマを見ている最大の動機のひとつは、伝さん(竜雷太サン)が操を立てている初音(富司純子サン)の作ったお好み焼きを、いつ伝さんは食べられるのか、ということだったのですが、今週のその話は私のその望みをはぐらかしながら、そのうえでさらに伝さんの本当の気持ちを強く感じさせる話になっていた気がします。

 広島風のお好み焼きだけでは客層が伸びない、と考えたあかり(瀧本美織チャン)は、大阪風のお好み焼きも取り入れようとします。
 この方向転換ですが、なぜ簡単にそうするのでしょうか。
 あかりは鉄にい(森田直幸クン)に、こう言います。

 「この店は、夢なんよ…。
 うちが、冬美さん(ともさかりえサン)から受け継いだ…。
 尾道から出てきて、なにもなかったうちが、やっと見つけた…夢なんよ!
 うちが尾道で生まれたんも、うちが尾道から出て、いま大阪におるのも、きっと、ここで、お好み焼き屋をするためじゃった…。
 ほいじゃけえ、後戻りはできん。
 中途半端なことしたら、お父ちゃんとお母ちゃんに、合わす顔がないけえね。
 うちは、どんなことをしてでも、ここを潰すわけにはいかんのよ!」

  これを単純に受け取っては、ドラマを深く鑑賞していることにはなりません。

 だいたい、18歳という若い女の子がお店をやる以上、「つぶすわけにはいかない」、というのはあまりにも当たり前なのです。 これに代わる大義名分など、そうそうあるものではない。
 「どうせ潰しはほかでも効く」、などと考えるのは、人生の荒波を渡った人の発想なのです。 初めての事業だからこそ、背水の陣になった時の焦りというものがどれほどのものなのかに、思いをいたす必要がある。

 (話は前後しますが)あかりは初音への意地から独学で大阪風お好み焼きを作り、それをまず、伝さんに味見してもらうことにする。

 先ほど述べた私のこのドラマを見ている大きな動機である 「伝さんの操」(笑)なんですが、その心情から言ってここで伝さんには、あかりのお好み焼きを食べてほしくなかった。

 でも伝さんは、どうしてもと請われて、それを一口食べるのです。

 これを見たとき、ちょっといろんなことを思ってしまいました。

 伝さんはつまり、初音の作ったもの以外絶対、一生涯お好み焼きを食べない、というわけでもないらしい。
 ずいぶん柔軟だ。
 これはつまり、初音にあかりを手伝ってもらうよう口添えする口実を作るためなのか?
 それともあかりを心から応援している故なのか?

 一口食べた伝さんは、あかりに向かって、こう言います。

 「正直に言うてええか?
 …うまいわ!

 ただし、タダやったらな。

 金払ろてもういっぺんこの店来ようとは、思わんな」

 ここで鉄にいにあかりがしゃべったさっきのセリフにつながっていくのですが、広島風お好み焼きにこだわって納得がいかない鉄にいに、伝さんはこう話すのです。

 「鉄みたいな根なし草と違てな、あかりちゃんは大阪で、踏ん張っていくて決めたんや。
 妹の邪魔したらあかん」

 「オレが…邪魔言うんか?」

 「それは自分がいちばんよう分かってるはずや」

 店を飛び出す鉄にい。 追おうとするあかりを、伝さんは制します。

 ここでの伝さんの言動は、あかりがさっき話した 「夢」 だとか 「中途半端は嫌だ」 とか、いかにも若さに任せて言った理由と違って、あかりの方向転換を実に見る側に納得させる重みに満ちています。
 そう、あかりはここで、大阪で踏ん張っていくと決めた。 たった18にもかかわらず。
 だからこそ、潰すわけにはいかんのです。 

 どうして初音のお好み焼きに操を立てているのか。
 その理由を、伝さんはこう語ります。

 「せやな…食べると、ほっとしたわ。

 なんや、『おかえりー』 って言われとるみたいでな。

 もういっぺん食べたいわ…。

 『ただいまー』 言うて……へへっ」

 いかにもその場面を想像しているかのような伝さん。
 なんか知らずに、泣けてきました。
 竜サン、さりげなくも、すごい演技であります。

 ここで私の涙腺を刺激するものは、失われたものに対する郷愁の気持ちであります。

 食べ物でも人でも場所でもなんでもいい、かつて自分がとても大事にしていた対象がなくなってしまって、そのことに心を痛めている経験のある人ならば、その喪失感に涙したことのある人ならば、伝さんのこの懐かしむ表情に、強く共感するに違いないのです。
 私も、「ただいまー」 と言いたい、場所があります。
 けれどももうそれは、決して叶うことがない。
 涙が出てきます。

 あかりは初音に 「お好み焼きを習いたい、私を弟子にしてください!」 と頼み込みます。
 店が存続するかどうかやきもきしていた初音が、それを拒絶するはずがない。

 初音のレクチャーは、接客態度から素材の選び方まで実に多岐にわたります。
 まあここらへんの描写はお約束とは言え、この手の話では伊丹十三監督の 「タンポポ」 をはじめとしていろんなところで見てきたにもかかわらず、やはり何べん見てもどんなパターンでも興味深くて面白い。
 ここで注目なのは、初音に弟子入りしてから、あかりの髪形が大きく変わったことです。
 ポニーテール(って最近は言わないんでしたっけ?…笑)気味だったのが、全体的に髪を束ねて後ろでギュウギュウにしている感じ、と申しましょうか。 あまりにうしろに引っ張っているせいか、あかりの顔もうしろに引っ張られてつり眼気味になっとる、つーか(笑)。 表情がなんとなく変わってしまうくらい。 おそらく衛生面でのダメ出しが初音から入ったのでしょう(笑)。

 それでも、お好み焼きの味に関しては、初音は一切口を出さない。

 自分で納得するまで試行錯誤して、自分の味を探し出せ、というスタンスなのです。

 これは初音のサルまねをしても意味がない、という点で、とても重要な点ではないかと思えます。 あかりは鉄にいが置いていった広島のいりこを見つけ、それをダシの味に組み込むことを考えつきます。

 そんなあるとき、あかりは初音に、こう漏らします。

 「千春さん(あかりの生みの母親で初音の娘)、なんでここが嫌いになってしもうたんじゃろうね…」

 初音は、千春が自分の才能とは不相応な夢を持ち始め、勝手に高校をやめてアルバイトをし出したこと、そのことで仲たがいし、家を出て好きな人のところに転がり込んだらしいこと、を話します。

 「千春のこと、なぁんにも知らんかったんや。
 鉄板のほうばぁっかり向いてて、娘に、背中向けてたんや…。

 悪いのは、うちや…。

 憎むんやったら、うちを憎み。

 母親を憎んだら、あかんで。

 あんたにまで、母親憎ませることなったら、…うちは…」

 「憎んだりせんよ。 千春さんのことも、おばあちゃんのことも…」

 ここでも、あかりは簡単に割り切っているように見える。
 けれども、それは違うのです。
 それはのちほど述べます。

 あかりはついに、自分なりの大阪風お好み焼きを完成し、それをまたもや、伝さんに試食させるのです。
 伝さんは都合2回、操を立てていた人以外のお好み焼きを食べたことになる(笑)。

 果たしてそのお好み焼きは合格し、鉄にいもそれを食べて戻ってくるのですが(限りなく長くなりそうなので説明省きます…笑)、帰ってきたあかりと鉄にいを待っていたのは、あかりの19回目の誕生日会。
 そこで初音は、あかりへのプレゼントを考えた末、あかりと一緒にお好み焼きを作ることを思いつくのです。

 私の視線は、もう伝さんにくぎ付け(笑)。

 「焼いてる…。

 初音はんが、あかりちゃんと…」

 感無量の伝さん、こちらももう、ナミダナミダです。

 「まだ焼いてるだけや」 という駅伝クン。

 「せやけど、焼いてるんや…。

 20年ぶりや…!

 千春ちゃんとはずっと…。

 ふたり焼いてて…。

 20年ぶりやぁぁ…」

 声にならない声で泣き伏す伝さん。

 みんながその様子を見て笑うのですが、赤井英和サンがぴしゃりとみんなを制する。

 「笑いなや。

 20年てな、そう待てるもんやないで」

 ところがです。

 20年ぶりに初音が焼いたそのお好み焼きを、伝さんは食べずにその場を離れてしまうのです。 これはいったい、どうしたことか?

 伝さんはお好み焼きを焼き終えた初音のところにやってきて、「ええもん見せてもろたわ」 と話しかける。
 「20年待たされた間に、すっかりジジイや…」

 そして物語は、それ以上伝さんの気持ちを語らず、場面は転換してしまう。

 これはでも、決して説明不足ではない。

 伝さんは初音の作るお好み焼きそのものを待っていたわけではなかったのです。
 伝さんは、初音がお好み焼きを作ることを、待っていたのです。
 その気持ちに初音がなることを、待っていたのです。
 それは伝さんが、初音に思いを寄せていることのひとつの表れでもある。
 そこを説明してしまうと、かなり無粋になってしまう気がする。
 この寸止めの仕方は、とても上質な余韻を残すものだと感じます。

 そして、千春の仏前に、初音が20年ぶりに焼いたお好み焼きを供える、あかり。 そして母親が食べたであろうことを確認してから、自分もそれをいただくのです。

 「これが、千春さんが食べとった、味なんやなあ…」 と、絶妙の中村玉緒サンのナレーションが入る。
 自分の生みの母が嫌になるほど食べたであろう、その味。
 あかりはその夜、初音の部屋にやってきます。

 「やっと食べられた、おばあちゃんのお好み焼き。

 うちを生んだ人が、食べて育った味なんじゃね。

 ありがとう。
 おばあちゃんが千春サンを育ててくれたけえ、うちが、いまここにおる。

 ずうーっと考えとった。
 うちが、どうして生まれてきたんか。

 考えても考えても、分からんことだらけじゃ!
 でも…うちがどう生きていたいんかは、…見えたよ。

 うちは、あのお店でお好み焼きを焼く。
 目の前のお客さんを相手に、一枚一枚、一日一日。
 おばあちゃんがそうしとったみたいに。

 そしたら…いつか…。

 いつか、…いろんなこと、…笑って話せるようになるかもしれん…。

 千春さんが好きになった人が来ても、…一緒に!

 おばあちゃんも一緒に…笑える日が来るかもしれん!」

 泣きながら笑う、あかり。
 あかりは千春のことも初音のことも、憎んだりしないといとも簡単に言っていました。
 けれどもそれは、心に大きな悲しみやモヤモヤを抱えたままの、表面的な初音への思いやりの言葉に過ぎなかったのです。
 あかりは、自分がもらわれっ子だったことの苦しみ、本当の家族が誰なのかという漂流感、そして自分が何者なのかという自己喪失感を、元気いっぱいにふるまうことで、隠し続けていたのです。

 「泣くんか、笑うんか、どっちかにしい!」
 あかりの本心を知った初音も、目を真っ赤にしながら、精一杯強がる。

 「どっちにしよう!」
 また精一杯、明るくふるまおうとする、あかり。
 そんな、あくまでも人の心を明るくしようとするあかりに初音は心を揺り動かされ、こう話しかけるのです。

 「ありがとう…。

 あんた…

 よう…生まれてきてくれたなあ…!」

 もう、号泣しました、このシーン。
 生きてきてよかったのか?と悶々としていたあかりに、生きてきて、千春とのわだかまりも解消してくれ、しかも自分にもう一度お好み焼きを焼かせてくれたこの子に感謝しようとする、初音の心。
 生まれてきたことに意味がないなんてこと、決してないんだよ、と言われているようで、泣けて泣けました。

 人の心は、表面的な部分だけを見ていては、決して理解できるものではない。
 このドラマは、きちんと見ることで、より深く見る側自身の心を試しているかのような作りになっている気がします。 片手間に見ていて、ここらへんは理解できない。 朝の忙しい時間帯にたった15分ずつ切れ端を見せられるような方法では、ちょっと分かりづらいのかもしれません。

「てっぱん」 に関する当ブログのほかの記事
第1回 名作の後番組は、ハードルきついですよね
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/1-8eb5.html
第1週 どこまで、ついていけますかね?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/1-c996.html
第2週 相変わらず、ゴーインな脚本ですがhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/2-69b4.html
第3週 物語が、駆け出したhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/3-ed2e.html
第4週 ちょっとキツイかもhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/4-0d8a.html
第5週 居心地が、作られつつあるhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/5-a598.html
第6週 真夏にナベとか…(笑)でも、いいドラマですhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/6-0ce4.html
第7週 舌に残る記憶、舌に受け継がれる味http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/7-7f4f.html
第8週 18歳の店主、どう納得させてくれるかhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/8-18-e6b4.html

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2010年12月 4日 (土)

「ナインティナインのオールナイトニッポン」 岡村クンの様子

 甚だ簡単ではありますが、「ナインティナインのオールナイトニッポン」 に今週岡村クンが復帰したときの感想を書こうかな、と。 聴きました、全編ではないですが。

 この人はお笑い芸人としてはレベルの高い部類に入る人のように思うのですが(スミマセン、あんまり真面目に見たことないですけど)、かなり以前から感じていたのは、「この人って普段は相当暗いんだろうな~」 ということであります。
 今回の休養もその部分が相当関与していた印象を受けるのですが、「オールナイト」 に復帰した岡村クンの様子は、やはりそのことを裏付けていた、と申しますか。

 要するに、暗い人がかなり無理をして明るくふるまっている、という部分を、失礼ながら感じたんですよ。
 岡村クンの真骨頂(知らない癖にたびたび知ったかぶりで申し訳ない)は、ダウナーでネガティヴな、自分の後ろ向きの部分を笑いに直結させるワザのような気がするのですが、そんな人が5カ月ものあいだ引きこもり状態にいた、ということ自体が正しくないような気がする。
 放送を聴いている限り、相方の矢部クンとの距離感がうまく取れていないような印象がしました。 妙なところで自分を奮い立たせているし。
 やはり毎日仕事をして仲間の中でもまれていないと鈍ってしまう感覚があるような気がいたします。

 それでもそんな岡村クンを相方の矢部クンはじめ周囲の人々が最大限に気遣っていることは、如実に感じることが出来ました。
 岡村クンは自分が才能があることに気付いていらっしゃらない様子で、しかもかなりの人気があるにもかかわらず、そのことをちゃんと認識していない感じがする。 今回のことで何万、何十万単位(いやもっとかな)の人が岡村クンを応援している、という矢部クンの話を、岡村クンは興味津々でもっと聞きたがっていた。 NHKの 「ゲゲゲの女房」 からメジャーリーグ、高校野球ばっかり見ていた、などと話していた岡村クンですが、それよりもっとそんな自分に関する話題をネットででも調べてみれば、ある程度の自信がつくと思ったのですが。

 いずれにせよ、あまりよく見たことのない人に対してこういうことを書くのは大変失礼にあたるのですが、彼はもっと自信を持ったほうがいいと感じました。
 私なんか何10メートルもある壁に自分に対する励ましの言葉がびっしり書かれた、などと聞いたら、かなり嬉しくてそれだけで生きてきた甲斐がある、と感激しまくりますよ(却って重たく感じちゃうかな~?)。

 それでも感じたのは、「やっぱりこの人は面白い」、という点であります。
 「めちゃイケ」 の復帰終了後だったか、岡村クンが矢部クンに話したそうなんですよ、「相方、お金がない」 って(笑)。
 大金持ちでしょうに、相当笑えました。
 この人は素のままでじゅうぶん面白い。 仕事復帰することが、いちばんのリハビリになる気がいたします。 微力ながら応援してます。

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「いきものがかり吉岡聖恵のオールナイトニッポン」 流行語大賞

 久々にラジオの話など。

 巷ではどこが流行したんだ?という大賞が連発されている感のある 「流行語大賞」 の話題がニュースをにぎわせています?が、去年も書いたと思うけどこの看板、「今年を象徴する言葉大賞」 とかに掛け替えをしたらよろしいかと強く思います。 「流行語大賞」 などというエラソーな看板を掲げているのが非常に不快感を抱かせる。 別に言葉を大事にしている詩人、という観点からではないですけどね(自分の場合ふざけた言葉でおちゃらけ文章を作るのが趣味みたいなもんですから…笑)。

 まあそんなゴーマンかましまくりの 「流行語大賞」 に比べれば、いきものがかり吉岡聖恵チャンの 「オールナイトニッポン」 で 「番組の中の流行語大賞を決めよう!」 という企画は、実に罪がなくってよろしい。

 自分的にはきよえチャンの別人格キャラクター、「ホトケのキヨエ」 の 「よかろうよかろうよかろうもん」 がダントツブームなのですが、こと今年に限って言えば 「パッスィリー」 ですかね(笑)。

 番組のリスナーなら毎回のよーにきよえチャンから説明がされているのでいまさら解説不要なのですが、以前にも当ブログでも書いたんですけどまた説明させていただくと。
 友人の結婚式に行ったきよえチャンが見た、彼女がいきものがかりのボーカルだとは知らない隣席の男がまるで 「探偵物語」 の松田優作サンのようにカッコつけまくりだったことがそもそものきっかけ(彼女の正体を知ってからの彼の態度の豹変ぶりもツボ…笑)。
 で、「探偵物語」 といえばテーマ曲の 「バッド・シティ」 なんですが、きよえチャンはそれを長年のあいだ 「パッスィリー」 と勘違いしてたらしくて(笑)。

 きよえチャンがこんな大昔のドラマを直で見ていたわけはなく、木村拓哉クンのパロディ版を見て認識していた、というのがいかにも世代の差を感じさせてオッサンは哀しいのですが(笑)、こういうもじゃもじゃ頭で半分ズッコケ気味のカッコつけ男を、自然と番組では 「パッスィリー」 と呼ぶようになったのです。

 それにしても 「世代間の差」 を感じさせるのはほかにもいろいろありまして、大昔にテレビでやっていた 「マキバオー」 のアニメのエンディングテーマ、「馬並みなのねぇ~」(正式な題名知りません…笑)を、彼女が中学時代だったか、お昼の校内放送でかけまくってたとか(笑)。
 オッサンはこのアニメ、確か社会人になってしばらくしてから結構ハマっておりまして(笑)、「んあっ!(笑)そうか~このアニメが放送されていたとききよえチャンはまだ 『馬並み』 の意味さえ知らないおぼこ娘だったのねっ!」 と、ミョーな感慨にふけってしまいました(笑)。
 このアニメについて喜々として語るきよえチャンに、オッサンも懐かしさをかみしめていたのであります(笑)。

 話はコロコロ変わりますがそれにしても 「ホトケのキヨエ」 には、最近ますますハマりまくっております(笑)。 前にも書きましたが、これで2時間ぶっ通しでやってくれないかな~。 たまにホトケ様が出てこない週があると、かなりガッカリします(笑)。 特にホトケ様がブチ切れる瞬間は、かなりのカタルシスを感じる(笑)。 もう、笑い転げてます。 紅白に出てこないかな~、ホトケのキヨエ様(無理だって…笑)。

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2010年12月 3日 (金)

「セカンドバージン」 第8回 どんなあなたでも好き

 鈴木行(長谷川博己サン)が任意同行から逮捕に処分移行したのは、万里江(深田恭子チャン)のリークによるもの。 顧問弁護士との間のやり取りで、「法律に抵触することを承知の上で」 証券会社の資産管理会社の取得をしたことが、問題にされているのです。

 ただ検察にとっても、こういった周辺状況からの起訴というのは、前例のないことらしい。
 だからなおさら、「知っていてやった」、ということがキーポイントになってくる。
 顧問弁護士との接見のやり取りの中で、鈴木行は中村るい(鈴木京香サン)がそのリークをしたのではないか、と疑念を持ち始めるのです。

 しかしこれはですねー、鈴木行もずいぶん思慮が足らない気がするんですよ。

 確固とした証拠はドラマの中では語られておりませんが、鈴木行は、彼の仕事をうまくいかなくさせて奥さんの深キョンと別れさせよう、という動機からるいがリークをした、という疑念を募らせている気がする。
 そしてさらに問題なのは、るいが拘置所に送り続けた手紙。
 「あなたの本が売れています。 世の中もあなたの味方です」 と書かれた手紙を読んで、「ひょっとするとるいは失脚したことを自分の会社の本の売り上げを伸ばすことで挽回しようとしているのかもしれない」、と行が考えた可能性がある。
 行がるいとの面会を拒絶し続けたのには、おそらくこんなになった自分の姿を見せたくはない、という一種のプライドも関与している気はいたしますが、どうにもまっすぐ伝わらない真意、というものが大きく影響している気がするのです。

 でもなぜ自分が愛した女性を信じられないんですかねー。

 どんなことをしてでも深キョンと離婚する、と決意したのは、それだけ強すぎるくらいの意思がなければできないことですよね。
 そんなに深く愛しているのに、るいに真意を確かめもせずに仮釈放のときにもふてくされたようにるいを無視してすたすた歩いて行ってしまう、というのは、私から言わせれば甘え、であります。 脚本家が女性だから男性側の心理状態を的確に表現しきれてないのかな、などと失礼ながら思ったりもする。
 男性というのは女性と比較して、異性の伴侶または恋愛対象におもねる傾向が強い、と私は思うんですよ。 女性は男性を批評の対象にすることが多いのかもしれないですが、男性は結構ノーテンキに相手のことを信頼してしまう(笑)。
 鈴木行の釈放後の態度は、いくら厳しい取り調べの末に心がささくれだっているとはいえ、男の私から言わせれば 「みっともない」、の一言に尽きます。

 鈴木行がるいに嫌悪感を抱き始めている要因でもうひとつに、深キョンとるいに共通するものを感じ始めたことがあるのかもしれない。 まあ私だけの感覚かもしれないですけど。

 深キョンは接見に来た際に、いくらあなたがどんなになっても離婚は絶対にしない、という態度を表明します。
 いっぽうるいは、「どんな行さんでも好き」 と考えている。

 これって 「どんなあなたでも好き」 という点で、共通しているのではないでしょうか。
 男にとっては、好きな女性に対してはいつでも頼れる男でありたい、そう願っています。
 だのに 「どんなあなたでも好き、別れない」 と言われるのは、結構屈辱的だったりする。
 ヒモでもなんでもいい、っていうことですからね。
 深キョンの場合は実家が大金持ちだから別に旦那が経済的に破綻しようが構わない、という前提がありますけどね。
 でも死ぬまで自分のことを好きでもない旦那をつなぎ止めていたい、というのは、要するに言葉は悪いですが奴隷みたいなもんでしょう。 自分の征服欲を満たすためだけの存在なわけですよ。

 るいの場合はそんなわがままな恋愛感情でないことは分かるのですが、るいのことを誤解し始めている鈴木行の思考回路でものを申しますと、「オレを破滅させて自分の支配下に置こうとしている」、という点で、深キョンと同じなわけですよ。

 今回シビレたのは、るいと深キョンの直接頂上決戦でしたね(YOUサンの途中参戦も、ワクワクしました…笑)。 深キョンは今回の一連のことをすべて自分が仕組んだことだ、とバラしまくっていましたが、これってもし裁判沙汰になれば不利な証拠になる、という点で、バカなふりをして頭がいいようでいて、やっぱり思慮が足りない、とゆーか(笑)。

 しかし思慮が足りないのに、鈴木行がるいを振り切って帰ってきた自宅は、家財道具がみんな引き払われて、もぬけの殻。 ボー然としてしまいますよね、フツー(笑)。 写真の目ん玉引っ掻き攻撃にしてもそうですが、人の顔から血の気の引くようなことを仕掛ける頭脳だけは、深キョンは一流と言わざるを得ません(笑)。

「セカンドバージン」 に関する当ブログほかの記事

第1回 セレブの恋愛に、興味なし…ですけど
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/1-5dd1.html
第2回 冒険してもいい頃? http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/2-ded4.html
第3回 あーあ、やっちゃったよhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/3-68b7.html
第4回 ああーっ、修羅場だぁ~っ!(笑) http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/4-ba7f.html
第5回 秀月センセイの真意って… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/5-208c.html
第6回 わわっ…知~らないっと! http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/6-f81b.html
第7回 破滅へ、ようこそhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/7-a7b5.html

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2010年12月 2日 (木)

「ギルティ 悪魔と契約した女」 第8回 自業自得、ですか…

 おことわり この記事当初のアップ時から、ちょっと内容について削除・変更いたしました。

 「常時心神耗弱状態男」 溝口(金井勇太サン)に対する憎しみで完全にこちらも心神耗弱状態になりまくりの真島(玉木宏サン)。 目が尋常じゃない(笑)。 「ぶっ殺してやる」 と顔に書いてあります(笑)。

 いっぽうの溝口は完全に行方をくらましボウガンなんぞ入手しちゃって、「早く試したいなぁ~」 などとのたまう始末。 それでも真島が溝口のヤク密売ルートを壊滅させてしまったために手詰まりになって宇喜田(吉田鋼太郎サン)に泣きつくもまったく連絡が取れず、そのことで逆に宇喜田に対して牙をむきそうな雰囲気。 見境なさすぎ。

 あ~早いとこ溝口をボコボコにしてくれ真島!と、なんか見ているこちら側が危険な感情に囚われてしまうほどの、溝口の悪党ぶりなのです。

 溝口が犯行予告をご丁寧にもしてきてくれたおかげで(かなり意図的)、芽衣子(菅野美穂チャン)を襲おうとした溝口を真島は確保、殺意丸出しで殴る蹴るの暴行。
 いいぞ真島、やっちまえ!
 …って、野蛮な感情がこちらも爆発なのでありますが、銃口を溝口の額に押し付けるに至ってようやくこっちもハッとし(笑)、「ホントに殺す気だよこの人」「やりすぎだよ真島サン…」 と引き始めたそのとき、芽衣子が真島を強引に止めにかかるのです。

 「撃たないで!」
 「邪魔するな!こいつが…」
 「お願い殺さないで!」
 「こんな奴生かしちゃおけないだろ!」
 「だからって殺しちゃいけない!あなたは私と違うんだから!」

 確かにここで終わらせてしまっては、溝口の先に潜む真犯人を追うことはできない。
 どんなにつらくとも自分を見失わず冷静な判断が望まれる局面なのです。
 もみ合っているうちに隙を見て逃げ出す溝口。 銃口を額に当てられてかなりビビっていたみたいでしたから、結構こっちの溜飲も下がりました(笑)。

 芽衣子はここで自分が殺人者だとばらしてしまったようにも思えるのですが、よく考えるとすでに冤罪の罪で15年前に服役している。 だから連続不審死の先導役としての殺人者ではなく、15年前の殺人者として真島を説得にかかっている。 すべてを真島にさらけ出しているわけではないと思います。
 それでも真島は、こう絞り出すしかない。

 「それでも、…殺したかった…殺したかったんだよ…!」

 泣き崩れる真島。
 慟哭する真島に、そろりそろりと手を伸ばし、介抱する、芽衣子。

 そこに現れた榎本万里(吉瀬美智子サン)、芽衣子を平手打ち。
 「二度と彼に近づかないで…!
 あなたのせいで、拓朗がどんどんおかしくなっていくじゃない…!
 これ以上、彼を不幸にしないで…!」

 この場面以前に万里と会った時、芽衣子は万里に向かってこう言っていました。

 「榎本さん、幸せな人生を送ってきたんですね…。
 疑われたことがないから、簡単に人を疑うことが出来る」

 「これが私の仕事だから」

 「つらい…仕事ですね」

 皮肉っぽい表情を浮かべていた芽衣子に、ここぞとばかり平手打ちで報復した、んでしょうかね(笑)、万里。
 ただ万里の気持ちを考えると、かなりしんどいものがあるように思われます。
 真島には振り向いてもらえず、しかも一蓮托生になれば確実に不幸に巻き込まれそうな芽衣子に、その真島は思いを寄せている。

 いっぽう溝口については興味ナシゴレンの(笑)堂島(唐沢寿明サン)から、宇喜田の背後にかなり大物が控えていることだけは知った、芽衣子。 芽衣子の復讐の焦点が、定まりつつあります。 ただまだその先は五里霧中。
 溝口に手を出すな、と警告する堂島、実はかなり優しい人物とお見受けいたしました(笑)。
 「芽衣子ちゃん、アンタ人のためになんかしている場合じゃないんだよ」
 人のため、っていうことは、真島のため、ということでしょうか。 かなり堂島は、芽衣子の真意の奥まで理解しているようであります。
 「芽衣子ちゃん…いまのアンタただの殺人鬼だよ」
 堂島なりの思いやりのこもった言葉、でしょうか。

 芽衣子は溝口が宇喜田に疑心暗鬼の目を向けていることを利用し、その疑惑を最大限に膨らませて置いて、溝口と手を組もうとする。 毒を食らわば皿まで、と申しますか、ここまでしてしまう芽衣子が怖い。 ただやはり、それには大きなリスクが伴うことを、芽衣子も十分承知しているのです。 その過程で、溝口が心神耗弱になっていたのは罪を逃れるためだったことが明らかなる。 あ~もう、なんか許せねー!の極致、と申しましょうか。

 芽衣子と会った溝口は、芽衣子の本心をかなりちゃんとした判断能力を持って理解する。

 溝口は、やはり芽衣子を信用していなかったのです。 彼にとっての最大の快感は、人が困ったり苦しむところを見ることのようです。 クスリ以上の快感になっている感じ。
 芽衣子を追いつめ、灯油をかける溝口。 また灯油か、という感じでなんか、ワンパターンでしょーもないのですが、悪魔に魅入られてこの快感から逃れることが出来ない、というのも、いっぽうでは哀れにすら思える。

 堂島に芽衣子と溝口との落ち合い場所を教えてもらった真島は、現場に向かって急ぐ。
 それにしても真島が溝口のありかを吐き出させようと暴走するところに現れた堂島チャン、「真島ちゃん燃えてるねぇ~。 あ灯油かぶったからか。 そらメラメラ燃えるわなぁ~」 とのたまったのには、かなりシリアスなシーンだったのに吹き出してしまいました。

 そして真島が急行した芽衣子の溝口のいる現場。
 真島は、溝口が芽衣子を羽交い締めにして火をつけようとしている場面に遭遇する。
 どうやら溝口は、真島を意図的に現場に誘い込んだようです。
 大切な人が焼け死ぬのを二度も見ることが出来て、あんたはとても幸運だ、と羨ましがり、愉快でたまらない様子の溝口。
 けれども芽衣子の催涙スプレーの反撃に遭い、もみ合った末に溝口は、自分のつけた火に巻かれて燃え死んでしまうのです。

 不可抗力で正当防衛とはいえ、初めて芽衣子が人を殺す瞬間に立ち会ってしまった真島。 芽衣子は同時に、宇喜田の背後に潜む大物に迫るチャンスを失ってしまったわけですが、同時に真島に、強く抱きしめられる。 灯油臭いのも関係ありません(笑)。

 「俺のせいだ…

 …お前はもう、…ひとりじゃない」

 表情を崩しながら、真島の胸に顔を埋めていく芽衣子。
 だれにも頼れず、ひとりで苦しみ続け、心を許しているかに見えた堂島とも、あくまでこの人とは他人だ、と思い知らされたところを見たからこそ、芽衣子が真島に心をゆだねる気持ちの推移が、見る側に突き刺さってくるのです。

 なんか、泣けました。

 もうひとりじゃない、んですよね、芽衣子。

 最後はあっけなかった溝口ですが、このチョー許せない男を演じた金井勇太サンの記憶は、しっかり私にも刻みつけられました。

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