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2011年1月

2011年1月31日 (月)

「冬のサクラ」 第3回 折れた翼で飛び続けること

 一身上の都合で告知もせずだいぶお休みしてしまいました。 申し訳ありません。 ブログ再開いたします。

 祐(草彅剛クン)が抱える、萌奈美(今井美樹サン)への、どうしようもない思い。
 それは祐が小学校のころからすでに確立していた、「自分以上に人のことが心配になってしまう」、という持って生まれた性格も手伝っていたようです。

 祐と幼馴染みの駐在さん(山崎樹範サン)によると、クラスで飼っていたウサギの花子が病気になってしまって、それを祐がメシ食うのも忘れて看病していたら、自分のほうがぶっ倒れてしまった、らしい。
 「オレ子供ごころに、『こいつバカだなぁ~っ』 って思ってさあ(笑)」
 「うるせえよ(笑)」
 「…でもスゲエとも思った。 オレにゃ出来ねえって」

 そんな祐の性格を熟知していながら、駐在さんはやはり、「あの人のことは忘れろ」、としか言えない。

 弟の肇(佐藤健クン)の恋人、加藤ローサチャンからあの日萌奈美が、長距離バスターミナルまで行ったことを知らされた祐。 心がグラグラ揺れ動きます。
 ローサチャンからそのことを聞いた肇は、酔ったフリをして、自分も知ったばかりの 「世の中狭い」(同時にいかにもドラマらしい…笑)事実を兄に打ち明ける。 萌奈美のダンナ(高嶋政伸サン)は自分の勤める病院の院長で、兄ちゃんなんか太刀打ちの出来ない完璧なダンナだ、ということを。
 ローサチャンはローサチャンで、萌奈美がどことなく無理をして突っ張っている、ということを察知して、祐に肇から口止めされていたバスの話を打ち明けてしまっていたのですが、肇はそんなことはどうでもいい、というスタンス。 兄の傷つくのを見たくない、という気持ちから、夫も子供もいる女性に兄が思いを募らせていくのに反対する立場をとるのです。 駐在さんと同じです。
 それでも肇は、「彼女の検査結果を調べてくれ」 という兄の頼みを、釈然としないながらも調べてしまう。
 ローサチャンの気持ちも肇の気持ちも、きちんと描写されているから、このふたりの行動にも共感が出来るのです。

 そしてぼんやりモードの祐が落としてしまった、翼を広げたガラスの鳥の、オブジェ。
 翼の部分が割れてしまいます。

 折れてしまった翼を象徴するように、そのときの萌奈美は結局別の病院で診断された、自分の病状に、打ちのめされています。
 萌奈美の脳腫瘍は、手術をするのが大変危険なところで、成功率も低いこと。
 そしてよしんば手術が成功したとしても、記憶をつかさどる部分に損傷があれば、過去の記憶をなくしていってしまう、ということ。
 なにもしなければ、もって数カ月だ、ということ。

 診断を聞かされた萌奈美は、「どうして私なの?」 とやり場のない怒りにも似た悲しみにさいなまれます。
 道行く親子の幸せな様子。
 記憶がある、ということの有り難さ。
 明日が当たり前に来ることの有り難さ。
 そして、この世の美しさ。
 自分が死に至る病に直面しなければ、そんな感情にとらわれたりしない。

 だのに、夫航一にも、娘(森迫永衣チャン)にも友人理恵(白羽ゆりサン)にも、彼女のまわりにはこのつらさを打ち明ける相手が、誰ひとりとしていない。
 だいたいダンナが、彼女を完全拒絶している(笑)。 前回も書きましたが、萌奈美に対する独占欲が異常に強いくせに、この構造は分かりません。 しかも自分は愛人(理恵)がいるクセに。

 この航一、山形に萌奈美が行っていたことまでは把握していたみたいですが、祐と一緒だったというのは、今回の調査で知ったようです。 やっぱり自分の妻の病状には、嫉妬心のあまり気付いていないのかな?
 調査書の祐の写真の目の部分を、メスで突き刺す航一。
 いちいちコワイ(笑)。
 「セカンドバージン」 の鈴木京香サンも写真の目の部分を深キョンにグリグリやられていましたけど、人間って、恨みを持った人の目の部分を傷つけたがる衝動、ってもんがあるんでしょうか。 理解不能ですけど。

 肇から、肇の病院では検査を受けていない、ということを知らされた祐は、軽トラに乗って山形から東京まで夜通し爆走(笑)。 軽トラでこの距離は、かなりキツイと思われます(笑)。
 そして祐が着いたのは、多摩川の丸子橋近辺。 ちょうど、数年前アザラシのタマちゃんが出没した場所であります。 そこから玉堤通りを西へと向かえば、途中私の住んでいる場所を通り抜けて(笑)成城へと至るのであります。 同じ世田谷でも、私とはあまり縁のないところでして、成城は(笑)。

 その丸子橋近辺から萌奈美に電話をかける祐。
 夫が帰ってこずソファで朝を迎えてしまっていた萌奈美は、たまらず祐に逢いに行くのです。 彼女の孤独が極限状態になっていることをきちんと描写しているために、この萌奈美の衝動は共感できる。

 「私…行ってもいいですか?」

 「…

 …はい…」

 逢いに来た萌奈美は、満面の笑みで祐に近づいていきます。 そして祐の乗ってきた軽トラに、苦笑してしまう、萌奈美なのです。 それは氷のようにかたく凍っていた心が、溶けていく瞬間です。
 自分の離婚した両親のこと、教師をしながら女手ひとつで育ててくれた母親のこと、その母親が5年前に亡くなったこと、そんな母親とドライブに行きたくて果たせなかったこと、自分の娘は車酔いがひどくてドライブにいけないことなんかを、訊かれてもいないのにべらべらと話してしまう萌奈美。 祐がもたらす安心感が、萌奈美の口を軽くしてしまうのでしょう。
 そんな萌奈美に祐は、この軽トラでドライブに行こう、と誘うのです。

 夕陽の見える湾岸沿いの見晴らし台で、「気持ちいいー! こんな大声出したのいつ以来だろう」 と屈託なく笑う萌奈美。
 萌奈美は祐に、ほかの病院で受けた再検査の結果を報告します。

 彼女は、それをほほ笑みながら祐に報告するのです。
 まるでもう、悟りきったかのように。

 「…すごいですよね」

 萌奈美はついそう言ってしまうのですが、なにがすごいんでしょう?

 自分の病状がすごいことになってる、という意味でしょうか?

 こんな深刻なことを笑いながら話してしまうことにでしょうか?

 「今でも信じられないんです。
 自分がこの世からいなくなるなんて。
 明日が来るのが当たり前だと思っていたから…」

 萌奈美は我に返ったように、祐に謝ります。

 「…ごめんなさい、困りますよね急にこんなこと言われても」

 「いえ、聞かせてください…。 俺でよければ…」

 祐は精一杯、萌奈美の思いを受け止めようとするのですが、萌奈美は思いを振り切ったように、こう言うのです。

 「祐さん。

 私…あなたに聞いてもらってよかった。
 あの日山形で、夜通し手を握っててくれたことも、あなたが撮ってくれたこの写真も、今日逢いに来てくれたことも、本当に感謝しています。

 …だから、

 もう大丈夫です…。

 私は、

 …もう大丈夫ですから」

 自分が言い続けてきた、「大丈夫」 という言葉。 何かを言いかける祐なのですが、それを萌奈美は制します。

 「祐さんに…

 稲葉祐に会えて、本当によかったです…」

 深々とお辞儀をする萌奈美。

 「あの丘で見た夕日は、ホントにきれいでした。
 あの日のことも、今日のことも、
 私、…忘れません」

 言いかけた言葉の行方を見失ってしまう、祐。 これ以上の深入りは、祐には出来ないのです。

 別れ際、握手の手を差し出す萌奈美。
 その顔には、祐のことを振り切ってこれからのことに立ち向かっていこう、という覚悟が見え隠れします。
 たとえ異様な夫婦関係であっても、孤立無援であっても、夫や子供がいる身でほかの男性に思いを寄せることなど許されない。 たとえ傷ついても、折れた翼を抱えながら、人間は生きていかなければならないのだ。
 そんな覚悟です。

 「さようなら」

 人波のなかにまぎれ、足早に遠ざかっていく萌奈美。
 祐は、思わず叫んでしまいます。

 「萌奈美さん!」

 何度か叫んだその言葉は、人ごみの中へと消え去ってしまう。
 振り返らない、萌奈美。

 こぶしをかたく握りしめる、祐。
 雑踏の中を、泣きながら思いを断ち切ろうと歩いていく萌奈美。

 そんな萌奈美の前に、いきなり現れる、険しい表情の航一。
 わわっ!
 びっくりした(笑)。

 何かを言いかけようとする萌奈美を無視して、踵を返して行ってしまう、航一。
 家に帰ってくると、航一の母(江波杏子サン)がとっくに晩飯を用意して待っている。 またまた何もなかったかのように表面上の優しさをふりまく航一。 なんなんだよ、全く…(笑)。
 そんな萌奈美が折れた翼のままここで生きよう、と覚悟を決めた家庭の様子は、ハンディカメラでゆらゆら揺れながら、まるでめまいのように展開していくのです。
 自分の部屋に戻ろうとして、また頭痛に見舞われる、萌奈美。
 それを冷たい顔で、後ろから観察するかのような、航一。
 このダンナ、やっぱり病状知らないのかなあ? 次回予告で、脳のスキャン写真見ていて愕然としていたみたいだったし。
 脳外科医というのに、妻の頭痛に気付かないのは、やっぱり嫉妬のなせるわざなのかなあ?

「冬のサクラ」 に関する当ブログほかの記事

第1回 …大丈夫…
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/01/1-1d6a.html
第2回 「逢いに行こう」、「なんのために?」 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/01/2-96f6.html

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2011年1月26日 (水)

「美しい隣人」 第3回 隔離された 「傷つく構造」

 ウィキによればサッカーアジアカップ対韓国戦に5%も視聴率をもっていかれた格好の 「美しい隣人」 第3回。 でも内容的にはまたまたオセロゲームの如く見事にこちらの思惑がひっくり返されたような格好(前回コメント欄でいろいろ予測しましたけど)。 ますます冴えを見せます。

 つまりですよ(あ~のっけからバレバレで行きますが)、仲間由紀恵サンはやっぱり、死んだ男の子の父親(高知東生サン)と婚姻関係にあった、ということなんですよ。 予測の選択肢のひとつにはあったけど、いずれにせよその事実を見せるまでの演出の方法が緻密すぎます。

 まず前回、夜中に隣の家の窓の奥から手招きをしていた仲間サン。
 それがとても不気味だったのですが、檀れいサンも同様に感じながら、恐る恐る隣の家へとやってくる。
 するといきなりドアが開いて、「ばあ~」(笑)。
 「なんかビビってたでしょ?」
 驚かそうと思ったみたいなのです。
 いたずらっぽい笑みを満面に浮かべる仲間サン、お茶目ごころ全開、と言いますか。
 ここで見る側の心理は、「なあんだ」 と感じると同時に、そんな仲間サンの 「屈託のない笑顔」 に、一気に安心感を覚えてしまうのです。

 ところが仲間サンは、半ば強引に檀れいサンにワインを勧め、「自分も浮気している」 と打ち明け出します。 もちろんそれが檀れいサンの夫(渡部篤郎サン)だとは打ち明けずに。
 檀れいサンは 「それで、…、あの…、会って何回目くらいで、…、なんて言うのかな、…そういうふうになっちゃったの?」 と、まことに言いにくいことを仲間サンに訊くのですが(笑)、もうその時点で、ちょっとばかり彼女が酩酊しているようにも感じさせるのです。 見ている側は檀れいサンの酩酊と同じ感覚で、仲間サンの陰謀ワールドに突入していく。 この構造が、うまい。

 「まだだけど…」
 「えっ、…な、なあんだ、好きになっちゃっただけなの?」

 檀れいサンは、ほんの少し酔っぱらった状態で、「好きになるだけなら構わないんじゃない?」 と軽口を叩いてしまうのですが、これは普段の状態ならばちょっと慎重にならざるを得ない対応の仕方です。

 ここで、相手が誰だか知らないということもありますが、檀れいサンは仲間サンと自分の夫との関係を認めてしまったことになる。 この構造もなんとなく怖い。

 つまり、もしその浮気の相手を檀れいサンが分かって檀れいサンからなじられた場合に、その相手が檀れいサンのダンナとは知らなかった、と仲間サンが言い張れば、この檀れいサンの 「いいんじゃない?」 という言葉が言質になる。
 それによって防波線を張ると共に、もしその事態に立ち入ったときに、仲間サンはそれで檀れいサンをさらに精神的に追い詰めることが出来るのです。
 うまいなあ。 布石を巡らせるのが。

 酔って寝てしまった檀れいサン。

 ここから、仲間サンの異様な行動が展開されていきます。

 仲間サンはテーブルに置かれたままの檀れいサンの自宅の鍵を持ち出し、檀れいサン宅に無断侵入。 部屋を物色し始めます。 オイオイ…。
 そしてアルバムを見つけ、檀れいサンの結婚生活を、現在から徐々にさかのぼって見ていく。 最近の様子から駿クンが生まれる場面、そしてふたりの結婚式…。 仲間サンの目は、赤ん坊の駿クンの写真にくぎ付けになるのです。
 それにしても結婚式の写真とか、んまー小道具にずいぶん細かい仕事してるなー、という気はしました。

 そして眠っている駿クンをいとおしそうにさわり、心臓の鼓動を聴き、その首に手をかけていく。
 けれども、寝ぼけて 「ママ…」 と寝言を言う駿クンを、仲間サンは抱きしめてしまう。

 三浦理恵子サンのお店にやってきた仲間サン、三浦サンがいないと見計らってリオ(南圭介クン)にあからさまに精神的嫌がらせ(笑)。 「テレパシーでオーダー頼みました」 みたいな(笑)。 そこにやってきた三浦サンに何食わぬ顔で、今度は三浦サンがバツイチであることを檀れいサンから聞いた、ということを、すごくなにげなく洩らしてしまうのです。

 三浦サンはこの一件で完全に憤慨。 以降、檀れいサンをそれとな~く避けるようになります。
 しかしまあ、そんなに自分が傷ついてしまう秘密なら、自分がバツイチであることを吹聴しまくらなくてもいいでしょ~に、と私などは思ってしまうのですが、そこがそれ(?)、主婦の世界、…なのかな~。

 いっぽう渡部篤郎サンは、仲間サンのことが気になって仕方のない様子。 同僚の女の子(藤井美菜サン)のアタックには目もくれない癖に(笑)。 仲間サンから貰ったケータイの番号に電話をかけてしまおうとするのですが、待ち受け画面の息子の写真に待ったをかけられる。 浮気の防止になりますな、待ち受けの子供の写真、とゆーのは(爆)。

 しかしのちにそのバリケードも突き破って(笑)渡部サンは、仲間サンに電話してしまうのです。 仲間サンは知ってて、それに出ない。 いったんはぐらかして渡部サンをあきらめさせといて、東京にいったん帰ってきていた渡部サンを隣の家から観察しながら、渡部サンのケータイに電話をかけるのです。 オタオタして家の外で電話を取る渡部サン。 それを笑って見ている仲間サン。 悪趣味(笑)。

 話はさかのぼります。
 檀れいサンが出会った高知東生サンですが、檀れいサンが自分の息子に花を手向けに来てくれた、という経緯もあってか、檀れいサンが義理の母親(草笛光子サン)の見舞いにやってきた病院ですれ違った時、「妻が新しい命を授かりました」 と思わず報告してしまう。 「見知らぬ人にどうかとは思うんですが」 と断りを入れながら、やはり高知サンのその報告は自然な流れだと感じます。
 そして、買い物帰りに三浦サンの冷たい態度になんとなく傷つきながら、檀れいサンは一緒に車に乗せた仲間サンに、その事実(死んだ子の夫婦に子供が出来たこと)をありのままに話すのです。
 顔がこわばる仲間サン。

 「早すぎない?

 …たった一年で」

 たった一年で死んだ子の代わりみたいに子供を作っちゃうなんて、死んだ子のことをどう思ってるの?

 だいたい仲間サンの心情はそんなところだろうと簡単に考えてしまうのですが、となるとですよ、仲間サンはやはり、死んだ子の母親、少なくとも母親であったことがある、そして産みの母親である可能性が高い、というように思えてくる。

 ドラマではこうした核心の部分に、全く明確な説明をしていません。

 第1回目から個人的に感じていたように、やはり見る側の勝手な想像を最大限に促しながら、このドラマは展開をしていく。
 仲間サンは家に戻るなり、片づけたばかりの家の中のものを片っ端から破壊していく。
 そのカミナリみたいな音に驚いた檀れいサンが心配して仲間サンの家の様子を見に行くのですが、仲間サンは次々にモノがおっこっちゃって、みたいに取り繕ってすぐ扉を閉めてしまう。
 穏やかな仲間サンの裏に隠された、計り知れない破壊衝動。 見る側の気持ちは、一気に凍りつくのです。

 そして壊されまくったがれきの間に置き去りにされたデジカメのスライドショー。
 そこには、仲間サンと、おそらく溺れ死んだであろう息子(これも、勝手な憶測なんですが)の仲睦まじい写真。
 それは、リオが撮った写真だったのです。

 この子の年齢を推測すると、5歳前後かと。
 もしこの男の子が溺れ死んでしまった子だとすれば、どうも溺れ死んでしまう直近のように思えます。
 つまり仲間サンは、大きくなるまでこの子の母親だった。

 さて面白がりながら渡部サンがあたふたしているところを見ていた仲間サンのもとに、法律事務所から手紙が届きます。
 つまり離婚調停。
 仲間サンは夫に会う条件を相手の弁護士に突き付けます。
 後日、仲間サンが会いに来たその相手の夫は、
 …なんと高知サン(毎度ですがバラしまくってます…笑)。

 それにしても 「Mayer」(マイヤー)という表札は、フェイクなんでしょうかね。 別の名前を自宅の表札に出していても、問題ないのかな~。 引っ越しとかいって、やはり偽名じゃ引っ越せないと思うし。 仲間サンの本名は、マイヤーじゃない、んでしょうね(確かなことは申せませんが)。
 法律事務所から書留が来たときも、仲間サン、自分の名前の部分をしっかり手で隠してました(笑)。

 話が意外な方向に急展開する繰り返しでとても面白いのですが、私が感じたのは、「人を傷つけるって、思わぬ瞬間にしてしまうもんだな」、ということ。

 それは檀れいサンを見ていて感じるのですが、このドラマにおいて檀サンは、とても普通の判断が出来る人物であります。
 つまり、その場その場で、最良に近い判断が出来る。

 ドラマを見ている視聴者は、そこで展開する登場人物たちの行動について 「あり得ない」 とか簡単に言いすぎる傾向があります。
 でも振り返ってみれば、当の自分は、とてもじゃないけど人生において最良の判断をし続けている、とは思えないのです(自虐的ですが…笑)。
 さらにパニックになってしまえば、「なんだソレ?」 みたいな行動をしてしまったりする。

 でも檀れいサンは、仲間サンから浮気を打ち明けられた時も、酔っ払いながらもそう言うしかないだろう、という言葉ばかりを選んでますし、草笛光子サンにもきちんとした対応をして気持ちのすれ違いを最小限に抑えているし、高知サンから突然の報告を受けても、ちゃんと素直にうれしい気持ちを伝え、奥さんお大事にの言葉も忘れない。

 それでも、それがあまりにもスムーズすぎると、それが却って反感を持たれてしまったりする。 上っ面、みたいに見えてしまうんでしょうか。 出来過ぎてもイカン、というのはつらいもんがありますが。 人間って、どこかでかなりの本音を、その人に求めてしまうもんなんでしょうかね。

 三浦理恵子サンが、先ほども言いましたが自分も悪いと思われることで檀サンを逆恨みしてしまう、という構造には、檀サンがそんな上品で完璧な対応しかしないことへの不満が裏返しで存在している気がする。 檀れいサンは気付かず、普段から三浦サンの心を傷つけているのかもしれない。

 つまり、人が傷ついてしまう、という構造は、思わぬところで発生してしまう、ということです。

 それをひとり意図的に行なっているのが、仲間由紀恵サン。

 彼女はそんなひとりひとりの心にそれぞれ巣食う 「傷つく構造」 を、最大限にいじくりまわしているのです。

 しかしですねー。

 ラストで駿クンのあたらしいスイミングのお友達、「シロウ」(シロ?)クン。
 なんかスライドショーに映っていた仲間サンの子供に、似てたよーな気がする…。
 でも死んだ男の子は、隼人クンだったし…。
 勘違いかもしれないですがね。
 ひょっとして仲間サンの子供は、生きている…?とか?

「美しい隣人」 に関する当ブログほかの記事

第1回 勝手な先読み、という恐怖増幅の方法
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/01/1-f59a.html
第2回 鏡の中と現実の浮遊感http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/01/2-50e1.html

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2011年1月25日 (火)

「江~姫たちの戦国~」 第3回 何が許せて、何が許せないのか

 このドラマを見ていて大多数の人々が抱く違和感、浅井三姉妹を年端の行かぬうちからすでに成人の女優のかたがたが演じている、という点。 特に江(上野樹里チャン)は主役で出ずっぱりですから、風当たりはさらに強い。 彼女は必然的に童女の演技をせねばならず、結果、それは 「のだめ」 になるしかない(笑)。 「ぎゃぼー」 はないけど 「ひえ~」 はある(笑)。 考えてみればかわいそうな話であります。

 ドラマを3回にわたって見てきた正直な感想を述べさせていただくと、この内容だとやはり、その年齢の子供を江の役としてあてがうのは無理があるか、と。
 つまり信長(豊川悦司サン)が江に話す内容が、2回目も3回目も、かなり難しいんですよ。

 だけども脚本では、その信長の話すことを江は 「分かりません」 とちゃんと書いている。

 分からないなら分からないで、子役を立てたほうがそのセリフのリアリティがずっと浮き彫りになると思うんですが、見た目完璧に大人の(笑)樹里チャンが 「分かりません分かりません」 と言っているせいで、江がかなりのおバカに見えてしまう傾向に陥ってしまう。 結果、樹里チャンはまたしてもおバカキャラの 「のだめ」 に陥ってしまう(笑)。

 子供というものは、大人がいかに難解なことを言っていても、何かが心に残っていくものです。 そのことを見る側に納得させるには、やはりこの時期の江は子役でなければならない気がするんですよね。

 もうひとつ、6、7歳の江が上野樹里チャンでなければならない理由を個人的に想像したのですが。

 江が生まれて初めて思いを寄せる人物が信長である、という設定のため、これも子役を別に立ててしまうと、その後の江の精神的な基礎の一貫性がはかれなくなる恐れがある。 まあ、単なる憶測ですけどね。

 でもこれだって、いくらでも少女時代との整合性を図れると思うんですよ。 セリフひとつでなんだって出来ちゃうんですからね。

 前回のレビューでも書いたのですが、子役を立てなかった、というのは、脚本の内容や拭い去れない違和感などさまざまな観点から見て、製作者(キャスティング班?)が完全に誤った、というのが私の見解であります。

 そのうえで。

 今回の 「江」 は、話的につまらなかった(笑)。
 テンポが悪かった、とも言えるのですが、演出の緩急が付いてなかったように感じるのです。 正直に申し上げますが、途中、寝ました(笑)。
 つまり、見る側に緊張を強いる場面が、全くなかった、ということです。
 あえて挙げれば明智光秀(市村正親サン)が信長に殴られるシーンのみ。
 こういう静かな話のときに、まるで信長の真意を探って逡巡しているような展開は、ドラマ自体の吸引力を急速に低下させる気がします。
 結果的に残っているのは、信長のワイシャツ姿だけだったりする(笑)。

 第3回の話の中心は、信長が家康(北大路欣也サン)の息子夫婦を殺せと命じたことへの真意。 大河ドラマの常套として、主役の江が、その真意を信長に質しに行きます。 そして信長はそれに気長に付き合う(笑)。 信長がヒマだとかいう議論は、してはいけません(爆)。

 史実がどうとか、抜きにして話しますけど、安土城に押しかけた江が見たものは、ルイス・フロイスと目も合わせなかったというだけでぶん殴られる明智と、信長にズケズケものを言うのに一笑に付される千宗易(利休、石坂浩二サン)。
 このふたりへの対応があまりにも正反対なので、江は信長にそのことをズバリと訊く。

 「(明智は自分への不満があるのに)なぜそれをわしに言わん」

 「それは、…伯父上のお力を恐れておいでなのでしょう」

 「それは己をもたぬということじゃ。 そのような者に、よき働きはできぬ。

 (いっぽう)あの者(千利休)たちは、別のいきものよ。

 美しきものを作り、磨き、極める。 そのためだけに生まれてきた者たちだ。

 とりわけ宗易は一流の人物じゃ。 あの者の生み出す美の前では、刀も鉄砲も、役には立たん」

 「はぁ…」 とワケの分かったような分からないような返事をする樹里チャン(笑)。
 さっきの話をまたいたしますが、これが大人の樹里チャンだから、なんかバカに見える。 子役だったら、「はぁ…」 という気の抜けたような反応にも見る側の納得がいくのです。 作り手は、のだめを狙っているのかもしれませんけどね。

 さらに別のシーン、家康の息子の一件について、信長は 「ではわしが、おね(大竹しのぶサン)を秀吉(岸谷五朗サン)に殺せと命じたら、秀吉は全力でおねをかばうだろう」 という話をする。

 「どうにかしたいことがあったら、人は何とかするものよ。

 そちも安土へ来た。 自分の知りたいことを、知るためにな」

 第3回のキモのセリフは、ここでしょうね。

 人がもし窮地に立たされたら、文句や理屈など言っている場合ではない。
 自分が生き残るために、必死にならねばならないのです。

 家康も秀吉も、自分が全力で問題を収めようとする人間だからこそ、信長はそのどちらをも裏切らない、と考えているのです。 だから許せる。

 明智はそれを腹の中にしまってしまう人物だからこそ、信長は腹を立て、殴りつける。 信長はどうにかしようとしない人物を、許すことが出来ないのです。

 第3回でこのドラマはそんな主眼を語っていたのですが(そこにオリジナリティがあるかどうかは別ですけどね)、やはり江は、その信長の話に 「分かりません…分かりません」 と言うしかないのです。 6、7歳ですから。

 結局何もかも知りたがる江に宗易が笑いながら話した 「あんさんは、傲慢や」「欲張りや」 という言葉だけを、江はかみしめることになる。
 子供って、そんなもんなんですけどね。
 これが樹里チャンだから、…やっぱり違和感が生じる。
 見る側が余計なことを考えてしまう余地を、かなり幅広に提供してしまうがゆえです。

 う~ん、次回はメリハリを期待したいです。 信長が何を許せて、何が許せないのか語っている間に、見ているこっちが許せなくなってしまったら、それこそ終わりですからネ(かなり辛辣なことを、書いてしまった…)。

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2011年1月24日 (月)

「冬のサクラ」 第2回 「逢いに行こう」、「なんのために?」

 記憶も戻って成城での優雅な暮らしに戻った萌奈美(今井美樹サン)。 第2回ではその萌奈美に、祐(草彅剛クン)が山形から逢いに行きます。
 物語は、「なぜ祐がわざわざ東京まで行かなければならないのか」、をくどいくらいに追っていた気がします。 なぜなら、それこそがやはり視聴者の知りたいところだという認識が作り手にもあるから、でしょう。 それくらい今回の祐の行動は、フツーに考えると不自然なのです。

 これはですね。
 こうでもしなきゃ恋愛ドラマとゆーものは成立しない、というごもっともな理由もございますが(笑)、いくら不実な恋でも常識や理屈ではいけないと分かっていても、自分の気持ちを押さえられない、というのが、恋なのだ!と結論いたします(異論は認めません…爆)。

 冗談はさておき(じょーだんかよ!)、山崎樹範サン演じる駐在さんに 「電話で済むだろ」 と言われ、「電話で済むことじゃないよ…大変なことだし、ちゃんと会って話したほうがいいと思ったんだ」 と切り出したのが、まず最初の祐のいいわけ。

 駐在さんのとりなしで萌奈美と電話で話す祐なのですが、萌奈美は夫(高嶋政伸サン)の手前もあってそっけなく電話を切ってしまう。 祐は、萌奈美が記憶をなくしていた普段の生活に、強い息苦しさを感じていたことを思い返すのです。
 つまり祐は、萌奈美が普段の生活から鳥のように逃げだしたくて山形に来たと思っている。

 第1回では萌奈美の手を握っていましたよね、祐は。
 要するに自分も気付かないうちにもう恋しちゃってる、ということなんですけど、それを、自分の母親や弟にしたように、他人の面倒を親身になって見てやらねば気が済まない自分の性格のせいにしている部分もある。

 祐が東京に行くことに難色を示す駐在さんもマトモな神経なのですが(笑)、輪をかけてマトモな反応を示すのが、弟の肇(佐藤健クン)。 やってきた兄に、「ストーカーじゃあるまいし」「勘違いすんなよ」。
 まるで肇は、視聴者の大いなる代弁者のようであります。
 肇は今回後半、事情を知りながらも、「だったらなおさら兄ちゃんの出る幕じゃねえよ、旦那いんだから」 と忠告をする。
 まったくその通りなのです。
 さらに、電話をかけてきた萌奈美のことを気にする祐に 「そんなもんは(萌奈美の)一時の気の迷いだ」 と言い切り、「10時の長距離バスに乗って帰る」 と思わせぶりなことを萌奈美に言ってしまう兄に 「うぬぼれんなって」「逢いに来たからどうすんだ?いい年して冷静になれよ」 とズバズバ言いまくる。
 この佐藤健クンのセリフはみな、このドラマを冷めた目で見ている人たちの強力な代弁をしている。

 けれども 「冷静になれ」 という弟の忠告に、祐はこう切り返すのです。

 「なれるかよ。

 バカなこと言ったって、自分だって思ってるよ。
 だけど…だけど俺は…、俺はただ…。

 …分かってるよ。

 来ないほうがいいってことくらい…。

 来なければ、彼女は俺なんかいなくても大丈夫って、そう思えるから。

 …彼女は大丈夫だってことだから…」

 「俺はただ…」 のセリフのあと、祐は何を言いたかったんでしょうね。
 「彼女が気になって仕方ないんだ」、ってことでしょうか。
 呑み込んだセリフの代わりに、「来なきゃあきらめる」、という態度を示す。
 それは、祐が自分のこれまでの人生に戻る、ということと同義です。
 祐の人生を考えた場合(オーゲサだなあ…)、彼はいつも諦念にとり憑かれながら生きてきたのです。 男を作っちゃいなくなってしまう母親、弟の面倒、そして認知症になってしまった母親の介護。 彼はそうした周囲のひどい環境に、ある諦めを抱くことで、人生を生きてきた。 東京まで萌奈美に逢いに来たのは、母親の介護という足かせがなくなったことからくる要因も多分に考えられますが、祐なりの、諦め続けてきた自分の人生を転換しようとする所業だったのだ、私はそう考えます。 その感情の奥低には、萌奈美を救いたい、というオブラートに包まれた、萌奈美への恋心があることは、論を待ちませんが。

 そんな兄に、弟はもし彼女が来たらどうするんだ、と問いかけ、何を言っても無駄か、とひとりごちます。

 「…けど俺は反対だ。

 もうなんか背負いこんで、苦しむ兄ちゃんは見たくない」

 この兄弟の絆は、実に素晴らしい。

 ところが10時の長距離バスで旅立とうとする祐のもとに、萌奈美は駆けつけてしまうのです。 結局間に合いませんでしたけど。

 日常生活に戻った萌奈美は、夫航一の異様な圧迫感(笑)にさらされ続けます。
 航一は病院ではかなりの人格者で、いつもニコニコ患者さんにはとても優しい。
 家庭でも愛想がいいのですが、なにかっつーとバタン!ガシャン!(爆)、そして優しいお言葉(なんなんだコレ?…笑)。
 しかも自分は理恵という愛人(白羽ゆりサン)(しかも萌奈美の良き友人)を囲ってるくせに、妻に対する独占欲がハチャメチャに強い(笑)。 今回萌奈美が山形に行ったこともとっくに知っていた模様で、何が山形で起こっていたかも逐一報告されていた感じ。 脳外科医ですから、萌奈美の病状もとっくに知っているようでしたしね(第1回目で、山形で死んでりゃとか、その調査員?が軽口叩いてましたよね)。 あ~もう、モルモット的愛情ですか~。

 で、祐が東京まで来た表向き上の要件、萌奈美の脳に影がある、再検査の必要がある、という事実も、結局弟の恋人加藤ローサチャンのとりなしで萌奈美は祐から直接知らされるに至ったのですが、そのショックを打ち明ける相手がいない。

 夫は手術が立て込んでてとか言いながら萌奈美に会おうとせず、わざわざ萌奈美に分かるように素通りしてタクシーに乗り込む。 ありゃわざと見せてますよ。 確信犯です。
 しかもマイカーの座席におそらく理恵のものと思われるピアスを片方仕込んでますし(それって理恵がやったんでしょうかね)。 私の頭の中には、ユーミンの歌が反芻してました(♪ブロークンハー…笑)(このジョークが分からない人は、松任谷由実 「真珠のピアス」 でご検索ください)。 こういう理解不能な仕打ちをしてくる夫に、萌奈美もブチ切れて片方だけのピアスを部屋の片隅に投げ捨てる。 理恵に電話しても(萌奈美は理恵が夫の愛人であることに気付いていないですね)留守電だし。 萌奈美には、腹を割って話せる相手が、誰もいないのです。

 それにしても萌奈美が苦悩する、この豪奢な成城のお宅。
 実に無機質な感覚で、前回の山形の風景や家の中とは、全く趣が違う。
 今回この萌奈美の苦悩が見る側に大きな共感をもって受け入れられるのは、この正反対な山形と東京の風景の強いコントラストによるものだ、そう私には思えるのです。

 そして結局、自らのかたく閉ざした心は、「10時の長距離バス」 という祐から渡された鍵によって、一気に噴出してしまう。

 前述したとおり、結局萌奈美はそのバスに間に合いませんでした。 祐に逢うことが叶わなかったことを悟って、ひとり笑ってしまう萌奈美、「流れ星」 の竹野内サンみたいでしたねー。
 ところがそれを物陰から弟の肇が見ていた。 弟は、萌奈美の思いを、知ってしまうのです。

 それにしても、今回ゲスト出演した、チェ・ジウサン。

 いったいなんだったんだぁ~~っ?(笑)

「冬のサクラ」 に関する当ブログほかの記事

第1回 …大丈夫…
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2011年1月23日 (日)

「スクール ! !」 第1回 強引な吸引力のあるドラマ

 まず個人的なことをお話しますが、この記事いったん書き終えて投稿しようとしたら、エラー画面(泣)。 泣く泣く休日返上で書き直してます。

 「冬のサクラ」 の裏番組、「スクール ! !」。 江口洋介サンが、建設会社から民間人校長として小学校にやってくる、というドラマです。 録画だけしておいたのですが、なんとなく見る気がしなくて放っぽっていました。

 この手のドラマにありがちなのが、学校の抱える問題を極端な形で描写していく、という方法。 いじめや、学校教育のありかた、親たちの態度など、もっとも問題と思われる部分を大きく膨らませてドラマを見せよう、とする傾向が強い。

 だからこのドラマでも、いきなりこまっしゃくれたガキが登場していじめを行ない、権利だの義務だの振りかざしながら、こざかしい理屈で自分たちの下らん行動を正当化しようとするんですけど、その不快感たらない。 こんなガキなんか、ぶん殴っちまえばいいと思うんですがね(ぶん殴る代わりに、視聴や~めた、でもよかったんですが)(どうも書き直しでいらついているせいか、論旨が過激だ…)。
 けれどもそんなことを言えば簡単に問題になるのが、いまの世の中。 実行しちまえば、訴えるだの逮捕だの、過剰防衛反応したがる。
 確かに大人の側も、加減というものが分からなくなってることはありますけどね。 虐待とか。

 いっぽう教師たちは少子化や学校自由選択制で顧客市場になっている現実のもと、親からの反発を恐れて、腫れ物に触るように子供たちに接している。
 一例を挙げれば、生徒を呼び捨てなんてもってのほか、「○○くん」「○○さん」 という区別も男女差別に当たるからみんな 「さん」 づけ。

 それはけっして誇張でもなんでもないのかもしれませんが、ドラマ開始数分で、そんな現実を見せつけられると、どうも最後まで見ようという気がしなくなる。

 そんな萎えた視聴意欲を強引に最後までつなぎ止めようとするのが、「熱血」 という言葉そのものの、江口洋介サンの存在なのです。

 ここでの江口サン、「ひとつ屋根の下」 のあんちゃんを思い起こさせるようなキャラで、彼の存在は、どす黒く澱んだ教育現場を吹き飛ばすほどのパワーにあふれている。 その強引さが、限りなく爽快感をもたらします。
 だから、こんな問題誇張しまくりの不快感満載のドラマを、最後まで見てしまうのです。

 まず冒頭のこまっしゃくれたガキどもに、「かわいくないガキだねえ」 とストレートな物言い。
 「くん」「さん」 の話も、「男女差別?だったら呼び捨てでいいじゃないか」「さんさんさんさん、どうだっていいんだそんなことは」。

 いじめの問題を認めたがらない教師たちに諭されて、「いやー、一本取られたな。 ダイジョブダイジョブ! 新人の特権はミスが許されることだ。 めげずに次にチャレンジしてけばいいんだ!」 と勝手に自己解決して勝手に立ち直る(笑)。

 冒頭でいじめられていた男の子は、小学5年なのに九九が出来なかったことが原因でいじめられていた。 その子に平気で 「バカ」 といい、とがめられると 「バカをバカと言って何が悪い」。
 そしてその子が屁理屈を言うのに頭グリグリの刑をしたら法律を持ち出されてまたとがめられるのですが、「難しいことは知らんよ。 でもそんな時代間違ってる」「誰だってなあ、出来ないことはある。 出来ないことは悪いことじゃないよ。 悪いのは、出来ないのにそれを認めなかったりごまかしたりすることだ」

 その子は九九が半分できるようになったことを母親に報告するのですが、逆に非難されて学校を休んでしまいます。 その危険を素早く察知し、男の子の住む団地へと向かう江口校長。
 果物ナイフを振りかざすその子のナイフを握りしめ(当然血だらけ)、江口校長は、こう話しかけるのです。

 「一度決めたことは最後までやりとおせ。
 最後までやれば何かが残る。
 何かが残れば、人はそれを誇りにできる。
 自分に誇りを持てればきっと強くなれる。

 こんな傷なんか全然痛くないぞ。
 途中で投げ出す傷に比べたら、こんな傷なんか全然痛くないぞ。

 お前途中で投げ出したらこのままバカのまんまだ。
 生きてりゃいくらでも変わるチャンスがあるっていうのに…大バカ野郎。

 …

 でもこれだけは忘れるな。
 死んだほうがいい子供なんかいやしない。

 子供は大人より先死んじゃいけないんだ」

 子供にとって、人生は始まったばかりです。
 人生の門の手前で、ウジウジしている場合じゃない。
 人生には、なんでこんなに理不尽なんだと思えるような出来事が、この先たくさん待ち受けているのです。

 江口校長のここでの最後のセリフは、彼の子供(と奥さん)が亡くなっていたことを暗示していました。 江口校長はモノローグで幾度も息子に呼びかけていたのですが、第1回ラストで 「お前が行けなかった小学校」、というセリフが語られ、それが分かる。

 確かにストーリー的にはそんな簡単にいくかよ、というものかもしれません。
 話の重箱をつつけば、江口校長がその小学校の教員すべてのプロフィールを完全暗記していたとか、新米教師役の北乃きいチャンがいちいち法律を一言一句も間違えずに暗誦するとか、鼻につく場面は散見されます。
 また、人間というものは、人をいじめずにはいられない、という西島秀俊センセイ、彼と江口校長とは対立構図になっていますが、いずれ理解しあえるベクトルであることもなんとなく分かる。 いじめっ子役のクソ生意気なガキもそのうち自分がいじめられ役になるとか予想が…う~ん、ベタな展開かな~それはないかな~(笑)。 いわゆるモンスターペアレンツも出てくるでしょうし。 なんとなく予想がついてしまう感じは付きまとうのですが。

 けれども、ひとりひとりと真剣に向き合えばどうにかなる、という江口洋介校長の思いは、楽観主義とか非現実的だとかいくら思われようが、それこそがいちばん正しい、子供との向き合い方であることを強く実感するのです。
 江口校長のその単純な愛情は、ドラマを強引に見させようとする、強烈な吸引力になっています。

 私は特に小中学の教師は全員、社会に出て5年間の労働をすることを義務付けるべきである、という暴論の持ち主であります(笑)。

 教師が子供に対してまともな対応が出来ないというのは、私は教師の社会勉強不足が原因であると思う。
 子供にとっていちばん大事なのは、いい大学に入ることではない。 今の教育は、そこをゴールに設定しているから、根本から誤るのです。
 私は、社会人になって、きちんと働くことが出来るようになることこそが、「子供が大人になる」、ということのゴールであると思います(人生のゴールは、まだまだその先にいくつもあるのですが)。 教育は、そこをゴールに設定する必要がある。
 だのに、教師は子供たちに、その 「大人になる」 こととはいったいどういうことであるのかを、ほかならぬ自分自身が経験していない。 だからこそ自分たちが、まず社会勉強をしなければならない。

 このドラマに出てくる教師たちは、そんな社会の機微もまともに触れたこともなく、人の上に立つ職業に就いた人たちばかりです。 だから現場独特の空気に毒されて、知らない間にどす黒い澱んだ狭い常識に足元をすくわれてしまっている。

 だからこそ江口校長のような単純明快な愛情が、最も力を発揮すると思うのです。
 その経過を見ていくことは、誇大表現された教育問題を描写していくドラマの中で、結構気持ちのいいものなのかもしれません。

 もっといいこといっぱい書いたんですが、忘れちゃいました(笑)。 忘れちゃうということは、どうでもいいことだったんでしょう(爆)。

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2011年1月22日 (土)

「江~姫たちの戦国~」 第2回 己の信じる道を行け!GO!

 予約録画が失敗して、再放送をようやく見た、「姫たちの戦国」。
 ヤフーのみんなの感想で早くも袋叩きの様相を呈してまいりましたが、その反応を見てからのレビューとなります。
 よって、その反応に対する私なりの見解を書きながらの記事になります。 後出しジャンケンみたいで甚だ恐縮ですが、お付き合い願いたいと存じます。

 まず 「江を6歳だか7歳で上野樹里チャンが演じるのは無理」 ということ。

 第2回の舞台は天正7年、江が生まれてから6、7年後の話であることを、ドラマ上では信長(豊川悦司サン)の話によって明らかにしています。
 だから江も、6、7歳。

 「江がのだめに見える」 という感想も読みましたが、6、7歳じゃしゃべりかたが舌足らずになるのはどーしよーもない(笑)。 舌足らずになれば、上野樹里チャンは必然的に、のだめになるしかない、と申しましょうか(笑)。 私などは却って、「キャー、のだめが大河に出てる!」「ギャポーと言わないかしら」 と楽しみながら見てしまいました(ぎゃぽーはさすがになかったですが…笑…)。

 で、「どうして6、7歳の子供を上野樹里チャンにやらせるのだろう?」 という疑問が、次にわき起こったのですが、第2回の内容を見ていると、そりゃ早めに樹里チャンを出したい、という思惑も感じましたが、内容的に6、7歳の子役を使うには、現代ではちょっと幼すぎるきらいがあるのかな、なんて感じました。
 じゃったらば10歳くらいの子役でもよかろうよかろうよかろうもん(byホトケのきよえ)とは感じますけどね。 結論としては、見る側に不自然を感じさせてしまった点で、大きな失敗であろう、と思われます。

 そして豊川悦司サンが信長で、北大路欣也サンが家康、などなど、史実とは大きく異なる年齢設定。 これも感想欄でやり玉にあがっておりました。

 どうなんですかねこれって。

 要するに、家康は今後も江の人生に深ーく関わってくるから、最初から北大路サンで統一させてしまおう、とか、そんなイージーさが見え隠れするんですよ。 これも上野樹里チャンほか浅井三姉妹を早めに登場させてしまう、ということと同列の、作り手の判断基準のような気がいたします。

 なぜ 「少女時代」(あ、K-POPじゃないです…笑)とか、「青年時代」 とか、いちいち分離して配役しないんでしょうね。

 これはもしそうした場合、その時代に配した役者サンが人気になってしまうと困るとか、交代したとき 「イメージが違う」 と指摘されるのを避けるためとか、いろいろ理由が考えられますけど、「それって作り手の怠慢じゃなかろうか」、という気は強くします。
 作り手は少なくとも、北大路欣也サンにそっくりな青年時代の家康を探す必要があるし、上野樹里チャン、水川あさみサン、宮沢りえサンにそっくりな少女時代の浅井三姉妹を探す必要がある。
 それをいかに似せて視聴者に披露するのかは、作り手のパフォーマンスを推し量る大きなバロメーターとも言える気がするのです(オーゲサかな?)。
 そこで視聴者が、その配役が交代したときにまたケンケンガクガクするのも、ドラマを見る大きな楽しみのような気がする。
 そんな手間を惜しんでるのは、厳しいようですがやはり怠慢、と映ります。

 ただ史実に関して省略されるべき部分、その取捨選択については、作り手の意図というものをそこに感じたい、という部分は個人的にあります。

 第1回のときみんなの感想欄で大きく問題にされていたのは、浅井には三姉妹のほかに息子があって、ひとりは殺されひとりは仏門、だったかな?そんな重要と思われる部分が思いっきり抜けていたこと。
 信長に対する浅井方の遺された人々の大きな情念に深く関与すると思われるこの描写をごっそり抜かしたことで、物語はとてもあっさりとした話にならざるを得ません。
 けれども第2回の話を見ていて、脚本家の田渕久美子サンがなぜそれを抜かしたのかが、ちょっと見えた気がしました。 まあ、自分にもむりくり納得しようとしてるきらいは、どうしてもあるんですが(笑)。

 第2回で重要な話として持ち上がったのが、信長が勝利のあとに浅井長政ら裏切り者の首に金箔をつけ、しゃれこうべの頭頂部分を切り取り、盃にして酒を飲んだ、という、歴代の信長をめぐる大河の話でも何度となく繰り返されたエピソード。

 信長に招かれて安土城に初登城した市(鈴木保奈美サン)と浅井三姉妹、江はそのとき母親から信長が父親の仇であることと、さらに初からその盃の事実を生まれて初めて知るのですが、その真意を信長に直接訊きに行く、という大胆行動をとります(まあ、いいじゃないですか…笑)。
 すると信長は、出来たばかりの金のかかってそーな安土城のあっちゃこっちゃに穴をあけながら(爆)、盃の話を単なるうわさ、と一蹴するのです。

 このくだりは、「史実がいかに不確実なものであるか」、を見る側に知らしめる重要なシーンだったように思われる。

 確かに浅井の息子たちの事実は覆い隠しようがないですよ。
 でも、田渕サンの主眼は、(そのような重要と思われる事実をなかったものにしてまでそれが言いたかったのか、という選択の是非はともかく、)「物事というものは本人に直接訊いてみないことにはその真意は測れない、他人の風評に翻弄されていては本当の自分をこの世には遺せない」、ということだったと強く感じるのです。
 そしてその主眼を、「己の信じた道を往け」、という信長のセリフに、集約している。
 それは田渕サンの、この一年大河の脚本を書いていく覚悟を表したセリフのようにも思えます(田渕サンの個人的なことなどどうでもいいという議論は置いといて)。

 そしてこの信長と江の対峙するシーンを演じさせるためには、6、7歳の設定でも上野樹里チャンにやらせたかったのかなーなどと、甘チャンな見方までしてしまうんですよ、私の場合(笑)。

 第2回のこの物語で強調されていたように思うのは、そのほかにもあります。

 それは、「天下人信長」 の大きさ。

 「天下人」、というと、当時の世の中では天皇を差し置いて、いちばん世の中でエライ人、という感覚。 総理大臣みたいな。
 その人が建てた、当時最高峰のハイテクを誇る牙城、安土城。
 CGによるこの安土城の全景は、それを見上げる浅井三姉妹を圧倒する威容。
 そして市と三姉妹が登場すると、一斉に頭を下げる信長の家臣たち。
 幼い江は、こんなすごいお城のエラソーな人たちが自分たちに頭を下げることに、完全に舞い上がったことでしょう。 ここで、自分は高い身分なんだ、というインプリンティングもされたでしょうし、それが後々の江のプライドの起源となった、という解釈をドラマではしているように思えるのです。

 ところがさらに、その自分たちが頭を下げざるを得ない人がいた。
 信長です。
 江はこのとき 「日本でいちばんエライ人」 のインパクトを、ムチャクチャ受けたに違いないのです。
 このドラマは、そんな階級的なからくりのほうに、目を向けている。
 …やっぱり、10歳くらいの子役のほうがよかったかな~(笑)。

 そして江は前述のとおり、父の仇である信長の真意を訊き出すに至るのですが、秀吉(岸谷五朗サン)をメチャメチャに殴りつけたり、アッチャコッチャに穴をあけたりしている割には(笑)信長は真摯で、しかも人の目の前に刃の切っ先を突き付けてくるような男(じっさい槍を江に突き付けてましたけど…笑…、これってかなり象徴的な所業のような気がします)。

 誤解されながらも自分の道を突き進む、ということには、かなりの精神力(そしてかなりの鈍感力…笑)が必要です。

 そしてそれをいったん決めたら、他人がなんと言おうが貫き通す、そんな覚悟が、人生においては重要なのだ、ということを作り手は強く訴えている。

 このドラマのオリジナルな主眼は、そこに隠されている気がして、ならないのです。

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2011年1月21日 (金)

「外交官 黒田康作」 第2回 柴咲コウサン、いい味出してます

 11年ぶりに日本に帰ってきた黒田康作(織田裕二サン)がやってきたのは、外務省中米カリブ課。 メキシコ国際産業連盟の主催するメキシコ湾岸油田の新規入札パーティに向けての対応に追われている課内であります。 冒頭からなんかワケの分かんない展開で、ちょっと説明ゼリフのオンパレードに混乱してしまう。 要するに黒田はこの課にとりあえず配属され、霜村毅(香川照之サン)の調査を内々に進める模様です。

 そのなかで 「あまり優秀だと困るだろ…警察手帳として活用できればそれでいい」 と鹿賀丈史サンから黒田の捜査に必要な手帳扱いされ(爆)マユゲのある田中哲司サン(笑)からは 「事務員同然のオンナノコ」 とコケにされまくっている黒田のパートナー、柴咲コウサン(柴崎、などと間違えまくってました、先週…)が、硬派なドラマの中で見る側の気を惹きつける最も重要な調味料になっています。

 パーティの料理を確認するのに訪れたメキシコ料理店で目の前に出された料理を食べようとしたら、そそくさと席を立つ黒田。 お預けを食らった柴咲サンが可笑しい。 「どうしても君が必要だ」 と言われてついていった先は、入国管理局。 入国者リストを洗うために外交官では捜査権がないために、さっそく柴咲サンの警察手帳が活用される(笑)。 「こんなことばれたら、大目玉ですよワタシ…」 と心配する柴咲サンに、黒田は 「君が処分を受ける前に、やるべきことはやる」 とにべもない(笑)。 「処分っ?」(笑)。
 「外で待ってて」 と中には入れてもらえず、またまたお預け(笑)。 振り返ると、中南米系の子供が、柴咲サンのスーツの裾を引っ張っている(笑)。
 さらに黒田から霜村の娘、瑠衣(夏帆サン)の面倒も押しつけられ、「あの、私今日お休みなんですけど…」(笑)。

 自分の記憶と真っ向から対立する証言をしてきた君島(AAAの西島隆弘クン…「ゴーストフレンズ」、見てました)に事情聴取をしても、全くなすすべなし。 「その時間帯は学校に行ってるはずですよね?」 といいところを突くのですが、「サボってました」(笑)、「そんなところをうろうろするんですか?」 と訊いても、「ぶらぶらするのに場所なんかカンケーない」 と、相手のほうが一歩も二歩も上手。

 そして一人暮らしを、自宅の銭湯と目と鼻の先でしている、というのも笑えます。 しかも母親(美保純サン)が置いていった富士五湖温泉めぐりとかいうパンフレット見て、行きたがってるし(笑)。 自宅が銭湯だから、温泉はいいんじゃない?とか(笑)、…まあそれは別にいいんですが…(笑)。 父親が六平直政サン、というのも、なんか笑ってしまうキャスティング、と言いますか…。 なんかいちいちコミカルなBGMが流れて、それにつられて笑っているようなところもありますが。

 この柴咲サンの存在が、非日常だった 「アマルフィ」(未見なのですが)から日常へとドラマを引きずり下ろす最大の要因になっている。

 スケールダウンをその点において埋め合わせよう、という作り手の思惑を感じるのです。

 なにしろこの柴咲サン、へっぴり腰でしたけど、夏帆サンに付きまとうストーカーが香川照之サンだと突き止めましたし、オービスで香川照之サンを探し当て、メキシコ大使館のパーティで香川照之サンを発見しましたし、黒田が言うところの 「シンプルな発想」 を発揮しまくり、運の良さも付きまとっている気がします。
 蛇足ですが、柴咲サンが調べまくった監視カメラによる映像、最近の目黒区で起きた事件の犯人が中目黒駅前に向かうまで複数の監視カメラに写っていた、という話とリンクして、なかなか興味深かったです。 いろんなところで、監視されてるんだなー、私たち。 鼻ほじくったり路上キスしたり、めったなこと出来ないっスね(路上キスはないか…笑)。

 あとは柴咲サンのボケぶりに、むっつりスケベの(爆)黒田が天を仰いで呆れる、というシーンが欲しい(笑)。

 ドラマはいずれにしてもかなり面白い気がします。 君島がカツアゲされているように表面上は見えた青年、彼も夏帆サンをストーキングしてましたよね。 いったいこれってどういうことなんでしょう。 またメキシコ大使館が霜村をかくまう理由とは?

 でも、ほとんど私の興味は脇役の柴咲サン(笑)。
 ドラマの内容に期待されたかたには誠に申し訳ないのですが、今回は本筋とはだいぶ離れた部分でのレビューとなってしまいました。 あしからず…。

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「恋のから騒ぎ」 終了とか。

 スポニチニュースで、「恋のから騒ぎ」 が終了することを知りました。 この番組に関しては好き嫌いが分かれる傾向にあると思うのですが、個人的には当番組のファンだったので、とても残念です。
 でも、つい最近まで、次期生募集の告知がされていたと思うんですが…。 それが先週からかな?何の告知もされなくて、「変だな…?」 とは思っていたんですよ。

 ただ、終了というのはしょうがない気がする。
 長年この番組を見ていて、今期ほどのめり込めなかったことはなかったんですよ。 これも見るかたによって大きく意見が別れる評価だとは思うんですが。
 前期は当ブログでも、しつこいくらいにフォローしまくりました。 民謡チャン、ハイパーチャン、PTAチャン…。 彼女たちには、番組を盛り上げよう、という気迫があった(ハイパーチャンは存在自体が奇跡でしたけど…笑)。

 今期は、ようやく後半になって慣れてきた気はするのですが、メンバーたちに 「キャラを立てよう」 とかいう気概がない。 メンバーたちの反応に爆笑することは激減し、さんちゃんのツッコミとゲストの反応だけで笑っていたような印象が、私の場合はついて回りました。

 また、これも私だけの感じかたかもしれないですが、今期のメンバー、ケバイのが多すぎる(大変失礼な言い方で申し訳ないのですが)。 キャバクラにでも来たような感じがすごいするのです。

 さんまさんの年齢的な部分で、番組の質は変遷していきましたが、それでも番組終了の責がさんまさんにあるとは思えない。 これも、見る人、見る世代によって大きく意見が異なると思うのですが。
 いちばんの原因を私なりに考えると、今期メンバーのパンチのなさもありますが、最大の要因は土曜から金曜に放送時間が移ったこと。
 この番組は、土曜の深夜にやるのがいいんです。 絶対。
 しかも25分番組に縮小。 そして今期途中、説教部屋までのCMタイムを番組途中にずらした。 こういうパッケージングのチリポラとした変更が、番組自体のテンションや、視聴者に与える吸引力を大きく低下させると私は思うのです。 視聴者には、ゆるぎなさを求める傾向があると個人的には思います。

 放送時間変更で番組を潰す、というケースが多いことに、テレビ局側は気付かなければなりません。 「東京フレンドパーク」 もそうでしょう。 これをテレビ局やマスコミたちは、「番組の役目が終わった」 などと勝手に判断し自己解決する。 視聴率を下げたのは自分たちテレビマンの責任でしょう。 「視聴率が下がったから終了します」 と彼らが言わないのは、自分たちの責任を回避しているも同然であります。

 ほかにもテレビ局の予算とかいろいろ原因はあるでしょうが、そんなもん気力で何とかせい!とゆー感じ(笑)。 彼らを見ていると、経済観念が浮世離れしまくっとる気がする(意見には個人差があります)。 粥をすすってでも、いい番組を作らんかい!(かなり暴論…笑)

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2011年1月19日 (水)

「美しい隣人」 第2回 鏡の中と現実の浮遊感

 第1回目から、だいたいこんな筋書きだろうなーとフツーに予想していた 「美しい隣人」。
 いきなり第2回目で、オドロキ桃の木です(古いな~この表現…爆)。
 こういうのは、誰かにしゃべりたくなりますね。 むしょうに。 ブログという場があってよかったです。

 いきなりバレバレで参りますが(笑)、池で死んだ男の子の母親が、仲間由紀恵サンじゃなかったんですよ。
 じゃ一体何なんだ? ドラマを見ている側としては、こうなるともう、先が知りたくて仕方なくなってくる。
 このストーリーテリングは見事の一言に尽きます。

 正直言って、第2回目の途中までは、「フツーの展開だよなあ」「どうしようかな、コレ見るのやめるかな」 と思っていました。
 特に仲間サンが大阪に単身赴任している渡部篤郎サンの前に現れ、渡部サンが仲間サンに気を惹かれていく展開。 う~んありがち…。
 そして仲間サンがさりげなく檀れいサンの友人である三浦理恵子サンに接近、なんだかふたりの仲をかきまぜそうになる展開。 友人を敵に仕向けそうな展開も、ありがち…。
 見ている側の気持ちは、次第に萎えていきます。

 でもドラマは急速に 「仲間サンが死んだ男の子の母親だ」 という展開になっていく。

 1年前に檀れいサンの息子を発見し助けた、目の鋭い陰気な青年リオ(南圭介クン)、仲間サンと最初に会ったときから何かを感じていたみたいなのですが、「アンタ、死んだ子の母親だろ?」 とぶしつけに仲間サンに訊くのです。
 問われた仲間サン、それには答えず、「キミってホントに礼儀知らずだね」 と冷たい笑みを浮かべながら、リオが餌をあげていた猫から餌を取り上げ、静かにその場に捨てる。 うつむいてしまう、リオ。

 仲間サンは三浦理恵子サンの店にやってくるのですが、そこで働いていたリオとの間に奇妙な緊張感が流れる。 そこで死んだ男の子の話になって、水死事故(これも、事故じゃなくって事件なのかも、と感じさせます)のあと池に供えられていたお花などが荒らされていた、という話になる。
 それを 「(荒らしたのは)母親かもしれないわね」 と分析する、仲間サン。

 「どうして母親が、そんなことをするの?」

 意外な話に思わず訊いてしまう、檀れいサン。

 「分からないけどなんとなく…。
 その立場に立ってみないと、分からないことってあるから…」

 固定カメラだけで展開していくこのシーン、仲間サンを映すときだけ、ハンディカメラで、微妙にゆれ動かされる。
 目つきの鋭いリオが、動揺する様子もさりげなくインサートされる。
 そして檀れいサンのモノローグ、「私の心の中にはそのとき、母親というのは、沙希さん(仲間サン)本人ではないかという考えが浮かんだのです」。

 こうして早いテンポで展開される説明の仕方に、「ずいぶん早々と種明かしをしてしまうんだなあ」 と感じさせ、実はウラにいろいろあるんじゃないか?と見る側の心がザワザワしていくのです。

 同時に、うまいなあと感じたのは、そのシーンの前に再び渡部サンと仲間サンがバーで会った時のシーン。
 フツーの話をしながらカウンターの下で、渡部サンの足に自分の膝をほんのちょっとだけくっつける仲間サン。
 渡部サンはそのことに気付き、ちょっと動揺しながらも、しばらく逡巡したあげく足をさりげなく自分のほうに寄せて離す。
 するとまた仲間サンが、膝をほんのちょっとだけくっつけてくる。

 この、ほんのちょっとだけ、さりげなく、というのがちっともわざとらしくなくて、こういうこと、あるんだよなぁ~とすごく感じさせるのです(自慢するよーでナンですが…爆…こーゆー経験、多々あり)。

 「膝をすり寄せてくる」 というのならまだしも、ここまでさりげないと、男の気持ちは千路に乱れます(爆)。 あんまり無神経に、男に触んないでほしいです、女性のかたがた(爆!)。

 まあいずれにせよ(笑)、冗漫なように見えていたドラマが、そんなこんなで(どんなこんなだ?…笑)なんとなく開始当初より吸引力が増してきたように感じていくのです。

 そして第2回終盤。

 男の子が亡くなって一周忌ということで、檀れいサンが男の子の亡くなった池に花をもっていき、そこに居合わせた男の子の両親と顔を合わせることになります。
 こんな性急な展開に、「これって違う母親なんじゃ?」 と見る側はますます思うのです。

 父親(高知東生サン)は日本人。 外人じゃない。
 仲間サンが嘘をついていたのか?
 そしてなかなか顔を見せないその母親。
 見る側の気持ちはその見せかたから言って、「これは仲間サンじゃない」、という確信へと変わっていきます。
 そして顔を見せたその母親、
 やはり仲間サンではなかったのです。

 簡単に予想のついてしまいそうな話を、こうしてどんでん返しさせる、という手法は、「シックス・センス」 を連想させます(私はこの映画、勝手な推測で別の結末を考えてしまって、妹から種明かしがされるまで分からなかったんですけど…爆)。
 つまり見る側の 「見くびり」 を利用し、逆手に取る手法なんですよ。
 2回目で早くも 「シックス・センス」 してしまった(笑)このドラマ、いきなり目の前には、さまざまな推理の分岐点が現れました。 こういうのは楽しいなあ。

 このドラマでもうひとつうまいなあ、と思うのは、「鏡の使い方」 です。

 堂島ロールもどき?(笑)を 「大阪土産」 だと言ってしれっと持ってきた仲間サン、檀れいサンはそれをおいしいおいしいと食べるのですが、いきなり檀れいサンが左利きになる。
 アレッ?
 私も左利きなので、こーゆーのには敏感なのです(笑)。
 檀れいサンも左利きか…と思ったら、次のシーンでは右利き。
 なんじゃこりゃ?と思ったら、そのシーンだけ鏡に映っていたシーンだったんですよ。

 こういう見せかたをして、見る側の気持ちを軽く揺さぶっている。

 それから、先ほどの仲間サンが渡部サンに膝をくっつけるシーン。
 カウンターの向こう側にはやはり鏡が置かれていて、仲間サンが別の顔を見せてセリフを言うシーンで、鏡の向こう側の仲間サンにカメラはパンしている。 そして手前の仲間サンにズームイン。

 「いろんな顔をもってるんですね」

 「…そう、…そうなの。

 …そういうのは嫌?」

 鏡の世界と現実の世界で揺れ動いていく不安定な現実を見せる手法、こういう丁寧さが見ていて感心するのです。

 同じドラマでも、いくら出ている俳優さんが有名どころで、脚本が素晴らしくても、やはりなんとなく見ていてチープ感が漂ってしまう、というドラマがあります。
 それはやはり、演出家の腕ひとつにかかっているのではないでしょうか。
 細かい舞台のディテールとか、俳優のさりげないしぐさひとつにあらわれるさまざまな事情、カメラワークの使い方、そんな部分が、ドラマを優れたドラマにするのかフツーのドラマにしてしまうのかを振り分けてしまう気がするのです。
 このドラマには、そんな演出家の細やかな神経が見てとれる。
 展開的にも面白くなってきたし、一気に期待度が上がってきました。

「美しい隣人」 に関する当ブログほかの記事

第1回 勝手な先読み、という恐怖増幅の方法
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2011年1月17日 (月)

「冬のサクラ」 第1回 …大丈夫…

 (私の見たい)冬ドラマの中でオーラスの登場となったTBS日曜劇場 「冬のサクラ」。 「冬のソナタ」 との関連性、草彅剛クンやチェ・ジウサンが出演するということで、韓流ドラマの流れをくむものなのかと思っていましたが、「記憶喪失」 という題材以外は、別に韓流ぽくありませんでした。

 それにしても第1回目を見る限りでは、秀作の匂いがぷんぷんする。 個人的には、ですが今クールのドラマの中では(NHK大河も含め)いちばん物語に入り込めた一作となりました。

 ただ心配なのは、第2回目以降、結構下世話でドロドロとした展開になりそうなこと。 それをどうやって押しつけがましくなく見せていくのか、期待7分の不安3分、といったところかな。 第1回目でも話の内容自体は下世話な展開も見え隠れしましたけど、意外と押しつけがましくなかったですから。

 「冬のソナタ」 との関連性でこのドラマの特長をもうひとつあげるとすれば、それは 「凍える寒さの中、あたたかな屋内で互いにぬくもりを求め身を寄せ合いたくなる、人と人とのつながりを描いている」 という点でしょうか。

 人々は外が寒いからこそ、屋内に閉じこもりたがる。
 そして降り積もる雪は、ますます人々の活動の場を限定させ、心を外界から閉ざしていくのです。
 「冬のソナタ」 はそんな人々の、雪に閉ざされた土地であるからこそ増幅される 「ぬくもりを求め合う気持ち」 におおきく働きかけたために、あれだけのヒット作になったと思うのです。
 「冬のサクラ」 は、その性格を強く引き継いでいる。

 このドラマの舞台は山形。
 冬に咲くサクラを見ようと東京からやってきた萌奈美(今井美樹サン)(モナミかぁ…フランス語で、「私の恋人」 っていう意味ですよね)は、ひったくりにあったときに頭を強打、一時的な健忘症になってしまいます。
 そのとき萌奈美を助け、駐在さんから頼まれて彼女の面倒を見ることになったのが、ガラス職人の稲葉祐(たすく、草彅剛クン)(タスク、って英語で、「牙」 っていう意味もあるんですけどね)。

 ここで、萌奈美を助けたときの祐のセリフが、いきなり 「大丈夫」。
 頭から血を流しているのに 「大丈夫」 はねーだろ、という感じなのですが(笑)、この 「大丈夫」 という言葉はのどに突き刺さった棘のように、見る側の心に引っかかります。

 祐は認知症の母親(吉田日出子サン…年取ったなぁぁ…)を介護していて、ことあるごとに母親の手を握り、「大丈夫」、と繰り返しているのです。 母親は若かりし頃男を作っちゃ家を出ていく繰り返しで、祐には弟(佐藤健クン)がいるのですが、ふたりとも父親が誰だか分からない(前日 「チューボーですよ!」 で堺巨匠から 「(草彅クンと兄弟って)全然似てない」 と佐藤健クンが指摘を受けてましたが、健クン、事情を話してませんでしたね。 編集されてたのかもしれませんが、ドラマ視聴に邪魔になる情報は教えない、という佐藤健クンの姿勢は立派です)。
 「大丈夫」、はそんな彼が幼いころ、母親に言われたとても印象的な言葉だったのです。

 そんな母親の面倒を見ている草彅クン。
 小さいころから母親のいない身で弟の面倒を見続け、母親が認知症になったら母親の面倒を見ている。
 そんな苦労人の彼は、あくまで穏やかな性格です。

 でもそこには、幼いころからしたたかに打ちすえられてきた末に完成した、彼自身の諦観、「あきらめ」、という気持ちがある気がしてなりません。

 あまりの悲しさ、寂しさにさらされると、子供はその事態を 「これが当たり前なのだ」 と受け止め、ただあるがままに状況を受け入れようとする。 祐の穏やかさには、そんな裏がある気がするのです。

 ふつう、記憶喪失の女性なんか、警察や病院でなんとかしたら、と思うのですが、このドラマの作り手は 「捜索願が出されていないから」 という理由で祐に萌奈美を押し付ける。
 まずここが無理やりっぽかったのですが、それを受け入れてしまう祐の性格というものを丁寧に描写しているから、押しつけがましさがなくなってしまう。
 彼も、過去のことなど思い出したくもないはずです。 だからこそ過去の記憶をなくした萌奈美に惹かれている。

 同時にそれを押しつけがましくなくさせているのが、萌奈美を演じる今井美樹サンの演技です。
 彼女の記憶喪失の裏には、思い出したくないそれまでの日常が、大きく絡んでいる。
 それが、祐の 「大丈夫」 の一言で、かなりの精神状態の安定をもたらされている一面があるのです。
 だからこそ、萌奈美は介護で大変そうな祐のもとに身を寄せる。
 悪いな、と思いながら祐の穏やかさに惹かれていく萌奈美を、今井美樹サンは大げさでなく、上手に演じています。 同じ久々の演技でも、「江」 の鈴木保奈美サンは気合が入りまくってましたけど、相変わらずニュートラルなんだよなー、今井美樹サンって。

 この、草彅剛クンと今井美樹サン。
 ふたりとも、言っちゃナンですがけっして美男美女じゃない。
 でも、そんな自分の外見的な評価を正確に受け入れ、自分の立ち位置を分かって演技している点に、とても好感が持てるのです。

 祐の母親は、萌奈美が身を寄せてからほどなくして、亡くなってしまいます。
 最後の瞬間に正気に戻る、というのは、なんか最近も別のドラマで見た気がしますが、やはり泣けました。
 母の手をずっと握りしめていた祐。
 そんな祐に、母親は 「ありがとう…」 と言って、この世を去っていくのです。

 ひどい母親を持った子供の反応として祐と対照的な立場を見せる弟の肇(佐藤健クン)。
 東京で病院の研修医をやっているのですが、葬式の席にも遅れて到着。
 すぐに駆け付けない、というところからも肇の心情が推し量れるのですが、葬式の席でも 「こんなサイテーの母親」 と始めてしまって、祐と衝突します。 そこから何かを思い出したように 「やめて!」 と強い拒絶反応を示す、萌奈美。

 肇は兄に直接話さないままそそくさと東京に帰ろうとするのですが、バス停まで駆けつけてきた兄は、青いマフラーを弟に渡そうとする。
 母親が好きでずっと身に着けていたその青いマフラー。
 葬儀の席でも一緒に荼毘に付されることもなく、祭壇に置いてありました。
 どうして荼毘に付さないのかな?と思っていたのですが、そうか、弟に母親の形見としてあげるためか、と思ったら。

 それは母親が弟のために編んでいたマフラーだったのです。

 青い色が好きな肇のために、病気が進行する前から編み始めたそのマフラー。
 病気が進行していくにつれてその網目は乱れ始め、最後のほうはグダグダ。
 そしてわけが分からなくなってからも、そのマフラーだけは肌身離さずつけていた、母親のなかに残っていた肇への思い。
 弟はそのマフラーを、兄から受け取るのです。
 バスがやってきます。
 弟はバスに乗り込み、振り返る。

 「兄ちゃん…」

 泣けました。

 しかしこの感動的な場面で、またもやニュース速報(…)。

 どーにかならんもんですかねコレ?
 なんでこのタイミングでやるかなあ。
 なめとんのか?

 祐の家の風鈴が鳴ります。
 それは母親が祐を呼ぶために慣らしていた呼び鈴。
 母親のいなくなった部屋で、祐がそのヒモを引っ張って、鳴らしていたのです。
 母親の部屋にやってくる萌奈美。

 祐を励ます萌奈美の言葉に、祐は泣いてしまいます。
 それは葬儀の緊張や、いままで介護してきた緊張からの解放を意味しています。
 そしてもぬけのからのベッド。
 祐にとって、埋めることのない穴が、ぽっかり空いてしまった瞬間に、萌奈美の言葉が心のなかに入り込んできた。
 祐が萌奈美に心を寄せる大きなきっかけとなったシーンのような気がしました。

 そしてひったくられたバッグが発見され、萌奈美の名前や住所が判明する。

 事実を知ることに大きな不安のある萌奈美の手を、祐は握ります。

 「大丈夫。 俺は、いつでもここにいますから」

 萌奈美は祐の言葉を反芻します。 「…大丈夫…」。

 「安心する…」

 「でしょう?」

 ガラスの鳥の置物を見て、「なんだかとっても心惹かれる…鳥にでもなりたかったのかな?」 とつぶやく萌奈美。 そんな萌奈美に祐は、何かを言いかけるのですが、長い間考えた末に、躊躇してしまいます。 たぶん言ってはならない言葉だ、と判断したのでしょう。 ここでその言葉を言ってしまえば、ドラマとしても下世話な展開になったかもしれません。

 「このまま、時間が止まってもいい感じ…」

 萌奈美は目を閉じて、この安らいだ空間に、いつまでもいたい、というつぶやきを漏らします。

 けれども翌日、東京に電話をした萌奈美は、娘(森迫永衣チャン)の声を聞いて、記憶が戻ってしまうのです。 あらら、あっけなかったですね。

 東京から迎えに来た萌奈美の亭主(高嶋政伸サン)と娘。
 タクシーに乗り込もうとしたところに、祐がやってきます。

 「(どうもありがとうご…)」

 と唇が動く萌奈美。

 「(大丈夫)」(後半判読不能…笑)

 と唇が動く祐。

 ふたりは遠巻きに、別れていくのです。

 タクシーのサイドミラーから萌奈美が見たのは、いつまでも見送る祐の姿。
 祐は弟がバスで帰るときも、同じようにいつまでも見送っていましたよね。
 これって祐のクセなのか?(笑)
 いや、彼は自分ひとりで頑張ってきて、やはり誰かを求めているんですよ。
 立ち去って行く人に見せるその名残惜しい態度は、祐の寂しさの表れだ、と思うんですよ。

 ところが。

 CTスキャンをした医師が祐に、萌奈美の脳に腫瘍のような異物があるのを見せ、早急に彼女に知らせるべきだ、と言ってくるのです。

 彼女の病状と夫の高嶋政伸サン、姑の江波杏子サンが絡んで、次週以降はドロドロとした展開になっていきそうなこのドラマ。

 ともかく第1回目は、冬ざれた町に住む人々に特有な、うざったく思えるほどの他人への介入とか、そんな雪で閉ざされた山形の美しい風景が満載の、優れた 「冬のドラマ」 を堪能いたしました。
 重ねて申し上げますが、個人的にはこの冬一番のドラマです。

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2011年1月16日 (日)

「チューボーですよ!」 佐藤健クンの人となり

 1月15日 「チューボーですよ!」 ゲストは佐藤健クン。 メニューはキーマカレー。

 ジャガイモをピーラーでむく手つきがいかにもたどたどしい健クン。
 枡田絵理奈アナの長いゲスト紹介にいちいち頭を下げるなど、謙虚なところも見せつつ、堺巨匠が 「ROOKIES」 の話を振っても上の空で 「ちょっと手先が不器用なんですよ」 と自分のジャガイモむきの下手さぶりを言い訳(笑)。 生真面目なところを見せます。 バラエティの柔軟な当意即妙の受け答えに慣れていない、という感じで、初々しい。

 ところがひとり暮らしの部屋の中は結構汚れ放題らしく、替えの下着がなくなれば洗濯をする、というズボラな面もある(笑)。
 仕事はかなり真面目にやるけれども、プライベートでスイッチが切れるとダラーンとしてしまう、つまりそれだけ役作りにのめり込んでいる、という様子が、ぱっと眼に浮かびます。 この番組、相変わらずゲストの素性がよく分かる番組であります。

 で、その下着の色とかを訊いてくるキョショー(笑)、「黒系とか」 という健クンの答えに、「かぶるね~」 と無理やり自分との共通点を探す(笑)。 枡田アナ、「キョショー何を訊いてるんですか…?」「ほかに何がかぶるって(ゆーんですか)?」 と、堺巨匠に突っ込みまくり(笑)。

 知り合いのシェフからごちそうになったというクマ鍋の話になって、「ウシとかより柔らかくないけどうまみがあって」 と語る健クン。 ツキノワグマとヒグマでは味が違うらしい。
 巨匠 「都内ですか?」
 健クン 「都内です」
 巨匠 「都内にも出るんですかクマ?」(笑)
 健クン、言葉に詰まって 「都内にでたクマかどうかは分からないんですけど…」(笑)。
 巨匠 「どっちがおいしかったんですかツキノワグマとヒグマ」
 健クン 「覚えてないですけどたぶん…僕はツキノワグマがおいしかったと思ったかもしれないです…でも、そ、こ、はもういいんじゃないですかもうツキノワグマでもヒグマでも」(笑)

 堺巨匠の 「受け」 を狙った質問に、どう答えていいのか分からない健クンのオタオタぶりが笑えます。 しかもどっちがおいしいかなんて、覚えてないのに無理やり答えさせられて、話をうやむやにしようとするところがまた、誠実さを感じる、と言いますか。

 「色素が薄い感じの」 女性(要するに繊細な、という意味らしいです)が好みらしいのですが、ツンデレも好みだそうで。
 枡田アナがまた巨匠に促されてツンデレの実演をするのですが、それも笑えました。

 枡田アナ 「TBSのツンデレ系アナと言われているんです」
 巨匠 「(健クンに)試してみて」
 健クン 「あの…(枡田アナに)トマト出来たんですけどだいじょうぶですかねこんなので」
 枡田アナ 「自分で考えなよ」
 枡田アナ、いきなりかなり冷たい!(笑) スタジオが一瞬静まり返り、健クンと堺巨匠は互いに顔を見合わせる(笑)。 スタッフの笑い。

 巨匠 「枡田クンなんで優しく言ってあげられないの~」
 枡田アナ 「いや…遅いから…いいから早く切りな!」
 爆笑してしまう健クン。 「スイマセン…」(笑)
 切ったトマトを皿に乗っけようとする枡田アナ。
 健クン 「あっ優しい…」(笑)

 枡田アナ 「さっきは、ツンツンしちゃってゴメンネ、お兄ちゃん♡」
 ウワー、という顔の(なんだソレ)健クン。
 巨匠 「(枡田アナに)お前ダイジョーブかソレ?」
 笑いました。
 枡田アナ 「だって、ツンデレのデレが分かんないからお兄ちゃんって…」(笑)
 健クン 「あのー、いいと思います」
 枡田アナ 「アリでしたか?」
 健クン 「すごくいいと思います」(笑)

 去年のドラマ 「Q10」 で(私は未見です)堺巨匠の 「さらば恋人」 を合唱で歌ったらしくて、フツーここではお約束で(笑)堺巨匠がフトコロから 「あ、こんなところにマイクが…」(笑)と始まって、カラオケでデュエットとか始まるんですが、今回はアカペラで、健クンが低いほうのパートを歌って、しっかり最後のほうでは堺巨匠とハモってました。 カラオケじゃなかった、というのが、かえって健クンの照れを感じてよかったですね。

 それからやはり、佐藤健クンと言えば 「仮面ライダー電王」 が本格デビューでしたから、その変身ポーズも巨匠にリクエストされて。
 ただその変身ポーズ、平成ライダーシリーズの中では 「史上最弱」 と銘打たれていたくらいで、別段カッコイイわけでもない、これが変身ポーズ?という感じのアクションなんですよ。 堺巨匠も、なんかピンとこない雰囲気(笑)。
 「久しぶりにやりました…メチャメチャ照れますね」 と言いながら、本編では変身ポーズあとにCGでカッコよく変身していく様を、実演でやってくれたりして。 なかなか彼、サービス精神旺盛ではないですか。

 フツーここまでやりませんよ。 自分が有名になった足がかりなのに、仮面ライダーに出ていたことを隠したがる俳優さんもいると聞き及びます。 「さらば恋人」 の合唱もそうですが、誠実だからこそここまでできるんだと思うんですよ。

 「龍馬伝」 で福山サンの演技を食っていたことも巨匠からそれとなく振られて 「まずいですよコレ」 と謙虚さをまた見せつつも、その評判は聞き及んでいるかに見える反応です。

 いちいち反応が思いあがってないのがすごい。 あれだけの演技をする人なのに。

 自分が宣伝している、番組提供のサントリーの 「ほろよい」 そっちのけで、カレーを試食するときも目の前に置かれたプレミアムモルツが気になって仕方がない様子(笑)。 「大好きなんです…プレミアムモルツがいちばん好きなんです」 と、ごくごく飲んだあと、「うまいぃぃ~~っ」 とホントにうまそうに(笑)。 堺巨匠から 「ちなみに、ビールで採点しないでください」 と言われる始末(笑)。 ビールとカレーって、意外と合うんですよね。

 ホントにうまそうに完食さえしたのに、健クンのキーマカレーの星は2.5(笑)。 「言ってしまえば、…カレーって、おいしくて当たり前じゃないですか」(笑) …なっとく(笑)。 巨匠も、ヘンに感心してしまってました(笑)。
 「いや驚きましたねえ…『カレーは、おいしくて当たり前』…。 名言ですねコレ!」(爆)。

 枡田アナのツンデレも見ることが出来たし、本日の 「チューボーですよ!」 はその点でも、ごちそうさまでした(?…笑)。

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2011年1月14日 (金)

「外交官 黒田康作」 第1回 非日常から日常へ

 映画 「アマルフィ」 の続編である、というこのドラマ。 「アマルフィ」、こないだやってたのに見ませんでした。 阿部寛サンのドラマのほうを見てしまって。 というより、このドラマとの因果関係知らなくて。

 で、初回2時間のスペシャル版。 正直長かったです。 息をもつかせぬ展開、というのとはほど遠い。 海外ロケとかイ・ビョンホンサンの登場とか、素材がいいのにもっさり感が漂う。

 どうもピンとこないのは、織田裕二サン演じる、外務省の外交官というものの性格です。
 要人警護とか邦人誘拐救出とかしているみたいですけど、拳銃は持っていない感じですね。 どうもそれが、もどかしく思える。 犯人見つけてバンバンバン!ってワケにいかない、というのが。

 織田裕二サンは私、あまり得意じゃないので彼が出るドラマというのもほとんど見たことがないのですが、今回はかなり渋い役をやってますね。 終始徹底して冷静沈着。 外人の女の子に笑いかけたときだけしか、笑わなかった気がします。 こういう押さえた役はいいですね。

 ドラマには、なんとなくチープ感が見え隠れする。
 WTO農業交渉会議でテロ犯人に対していきなり説得にしゃしゃり出る外務副大臣の草刈民代サン。
 ありえねーとか思っていたら、それを織田裕二サンが不審に感じる。
 不審に感じてとーぜんだ、と思うのですが(爆)。
 案の定彼女は、自分のスキャンダルを挽回するためにこういう勇気ある行動を自己演出していた、というオチで。
 で、そんなことのために日米交渉の場を利用してしまう、という話自体に、こっちが引いてしまうんですよ。
 案の定、などと書きましたが、いちばんあってはならないオチのよーな気がする。

 で、この外務副大臣、見るからにレンホーサンをレンソーさせる(笑)人物設定で。
 織田裕二サンの 「鋭い」 推理に彼女は、織田サンの所属するテロ対策室の予算を事業仕分けしなきゃね、みたいなことを言い出す。 下らんパワーゲームだ。 政治家のことを人間として見下げ果てた奴、という描写をするのも結構ですが、そんなのは現実世界だけでたくさんだ、という気がするんですよ。

 そのレンホーサン、じゃなかった、草刈サンは、結局世界をまたにかけて活躍する織田サンを、チマチマとした日本へ強制送還(言いすぎか?…笑)させる手助けを行なうのです。 あ~あ、世界で活躍させてりゃ、織田サンが日本に戻って連続ドラマをやることもなかったのに(…)。

 このドラマ第1回目を最後まで見ていて感じるのは、まさにこの感覚でした。
 なんで世界を舞台にしている男を、日常世界に強制送還させるのか。
 外人だらけ、異世界である外国でのドラマから、いきなりいつもの役者さんたちがうようよする日本のドラマに引き戻される。 なんか、まるで僻地への左遷にでも遭ったような錯覚に陥ってしまうのです。

 だからドラマでは、織田サンを日本に連れ戻す口実として、旧知の仲だった香川照之サンの殺人事件を用意している。
 でもこのことだけでは到底理由になりえないから、このことに織田サン自身の事情(過去?)も絡んでいるように見せている。
 それでも世界の舞台からは、ぐっとスケールダウンしている感は、否めない。

 ただ面白いかな、と思うのは、今回これだけ冷静沈着でつまんない男(笑)を演じている織田サンと、日本に帰ってきてタッグを組むことになりそうな、佃署の地図作成係(笑)、柴咲コウサンとの絡みです。
 彼女は佃署のなかでもお荷物的存在で、殺人現場の第1発見者となったにもかかわらず、「現場を見てどう感じた?」 という徳川慶喜サン、じゃなかった、田中哲司サンの問いにも 「あっ、人が死んでる」(だったっけな…笑)。
 そんなボケまくりに思える彼女なのですが、結構捜査の常識にとらわれない柔軟な思考をもっているように思えます(捜査の常識で闇に葬られてしまう事件もずいぶんあるんだろうな~という感想はありますが)。
 というより彼女、「昼間見たときには遺体はなかった」、という自分の記憶に固執しているだけ、つー感じもしますが(笑)。
 ボケまくりの柴咲サンにコワモテの織田サンが呆れるところとか、なんか面白そうな感じはします。

 この日本での佃署所轄での事件は、やがて織田サンのまわりで起きていた香川照之サンの事件と結び付いていくのですが、このふたつの舞台を並行させる方法にも、なんかドラマのチープ感を加速させている要因がある気がする。 自殺していた香川サンが実は…という展開も、その先に何かがあるのではないか、という気を、見ている側に早い段階で起こさせてしまうのです。 もっと 「実は…」 の部分で驚かせて欲しかった、というか。 …イカンイカン、この手のドラマの見過ぎだ、最近。 ま~た人が殺される話だよ。 殺人件数は、過去最低?とかいうニュース、見たばかりなんだけど。 なのに今クール、殺人は大流行りで。

 いずれにしても、もっとテンポ良く見せて欲しかったかな、という感じでした。 一応、来週も見ちゃうんでしょうか。

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2011年1月12日 (水)

「美しい隣人」 第1回 勝手な先読み、という恐怖増幅の方法

 檀れいサンの隣に引っ越してきた仲間由紀恵サンが復讐をする、みたいな前知識だけで見た、「美しい隣人」。

 見る側に最初に提示されたのは、檀れいサンの幼稚園に通う息子が行方不明になり、同時刻に近所の池から子供の溺死体が上がった。 でもそれは別の子供で、息子のほうは木に登って降りられなくなったところを発見された、という経緯です。 子供がいなくなる、という日常いつでもありうる不安を、まず見る側は目の当たりにするのです。

 その1年後に、檀れいサンの隣に仲間由紀恵サンが引っ越してくるのですが、最初の登場からなんとも複雑な雰囲気。
 ここで見る側は勝手に、仲間サンは1年前に溺死体で上がった子どもの母親で、同時に無事で発見された子供の家庭に嫉妬を持ち、その家の隣に越してきて家庭をめちゃくちゃにさせるのだろう、という推測をしてしまいます。

 もうひとつ、見る側が勝手に推測してしまうことがある。
 それは木に登った息子を助けた青年が、ヤケに無愛想で目つきが悪いことから、もしかするとこの青年が池で子供を溺死させたのではないか、ということ。

 そんなふたつの勝手な憶測でドラマを見進めると、仲間由紀恵サンのあまりのフツーぶり(いや、いいヒトぶりか)が、ヤケに不気味に思えてくるのです。

 檀れいサンの夫は渡辺篤郎サンで、大阪に単身赴任中。 檀れいサンの孤独感を、ドラマはさりげなく描写しています。
 しかも渡辺篤郎サンですからね(なんだソレ)。
 彼が何か起こさないはずがない、みたいな先入観が、どぉ~もする(笑)。
 ドラマの作り手は、そんな見る側の勝手な憶測を最大限に利用している感じがするのです。

 さらに話の舞台はいかにも新興住宅街で人間関係もにわか作りみたいな感覚がするし、さらに子供が溺死した池でホタルの放流をするという、なんとも気になる舞台設定にも、怠りがない印象があります。
 そして檀れいサンと仲間由紀恵サンの家は、その新興住宅街から少し離れた高台っぽいところにある、野中の二軒家、という感じ。 不思議な孤独感をあおります。

 引っ越してきた仲間サン、最初にこの街で、あの目つきの悪い青年と出会うのですが、そのときに全身から漂わせていた複雑なオーラは、檀れいサンの前に初めて現れたときはすっかりなくなっている。

 ふつう誰かが相手に悪意のある場合、相手と話し終わったあとに、相手に気付かれないところで真顔に戻ったりして、いかにも分かりやすい悪意を視聴者に提供してくれるのですが、それが一切ない。 フツーに見ていれば、仲間サンの行動には、はじめ全く何も不審なところがないのです。

 それをことさら、効果音とかBGMで不安をあおりたてるようなドラマの作り方をしている。
 なんとなくワザトラシイよな、なんて感じていたのですが。

 ある夜この辺一帯が停電になる。
 停電、などということ自体が非日常的なのですが、そこに訪ねてきた仲間サンが檀れいサンに語った、若いころに旅行した、ミャンマーでのホタルの話。 その話に素直に感動して涙する檀れいサン、至って優しいフツーの女性なのです。
 その檀れいサンの涙をそっと拭う、仲間サン。
 なんとなく微妙な違和感が、見る側に生じます。
 見る側はこうして、自分勝手にミステリーの中に入り込んでいく。

 そんな小さなボディブローのあと、仲間サンはいきなり、何の脈絡もなく、大阪に単身赴任している渡辺篤郎サンの前に姿を現す。
 なんだよソレ、と見る側の心はざわめきます。

 さらに母親(草笛光子サン)の病気で檀れいサンから息子を預けられた仲間サン、息子は1年前の木のぼり事件以来両親からかたく止められていたんですけど、その息子を木のぼりに半ば強引気味に誘うのです。
 その前に、なつかないその息子に 「おばさんの手をぎゅーっと握って」 などとけしかけて、あまりの力の強さに痛がったりして、仲間サンの中に生じる何者かの感情の助走をつけることも忘れない。
 結局息子を木に登らせてしまった仲間サン、「これはお母さんには内緒だよ」 と口止めをします。

 その晩檀れいサンは息子を引き取りに来るのですが、秘密をもってしまったせいか、息子は母親の檀れいサンにこれまでになく心を閉ざしてしまう。 何かが微妙に変わり始めたことを、見る側は敏感に感じ取ることになるのです。

 そして息子を預かってもらったお礼に仲間サンが檀れいサンから頂いたバウムクーヘン。
 息子が落としてしまってちょっとベチャッとなったそれを、仲間サンは 「構いませんよ」 とばかりニコニコ顔でもらってきたのですが、自分の家に帰って来た途端豹変、仲間サンは思い切り、ゴミ箱の中に投げ捨てる。
 そして同時にゴミ箱に投げ捨てたのは、息子がいつも遊んでいた、飛行機のオモチャ。 いつのまにか仲間サンは、それを盗んでいたのです。

 ここでようやく、見る側は仲間サンの明らかな悪意を見せつけられるのですが、今後どのような形で仲間サンが檀れいサンの家庭を壊していくのか。
 なんとなくパターンは限られている気もしますが、今までに見たこともないような展開も、ちょっと期待したい気持ちがあります。

 見る側の勝手な想像力を浮揚力にして恐怖を増幅させていくグライダーのような、このドラマに、ちょっと付き合ってみようかな。

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2011年1月10日 (月)

「任侠ヘルパーSP」 むなしさの先を見据えること

 草彅剛クンにとっては忘れられない事件の直後に復帰作として放送された、「任侠ヘルパー」。 一昨年のことでした。

 ありていに言いますが、暴力団員が介護センターで働く話。
 その性格上明るい話になるはずもなく、たとえ笑いがあったとしてもそれは底抜けに明るい方向にはけっして行かない。 ダークサイドにストーリーは傾き続け、どうにもならない飽和状態から、ラストはそれでも、未来にかすかな希望を残された形で結ばれた、そんな印象のドラマでした。 草彅クンの全キャリアから見ても、かなりのハイレベルの作品になったと思います。

 その後日談が語られた、今回のスペシャル版。

 ラストまで見て残っている思いは、言いようのない虚しさ。

 あの、ダークな話なりにギリギリの線で希望を持たせた前作(本編)でやめといて、その後の話を自分なりに、いいほうに想像したままのほうがよかった、そんな気さえします。

 今回のスペシャル版ラストまで見てどうにもよく分からないのが、翼彦一(草彅クン)がどうして羽鳥晶(夏川結衣サン)の息子涼太(加藤清史郎クン)を置いて旅立ってしまうのか、ということ。

 私が抱いた 「虚しさ」 のいちばんの原因となったものは、この夏川サン演じる若年性アルツハイマーの母親が、結局死んでしまうところです。
 この遠因は、彦一にある。
 表向きだけカタギの北村有起哉サンが社長を務める老人会話サービス(アコギな商売)の顧客を彦一が引き抜いたことを根に持たれ、乱闘に発展したところに巻き込まれた晶が頭を強く打ちつけた経過って、…やっぱり遠因ではないでしょうか。
 それなのに、彦一は遺された息子を見捨てて、寅さんの如く旅立っていく。 まあ、彦一らしいと言えば彦一らしいのですが。

 ここで、どのみち足を洗ったと言っても彦一は極道だったのだから、そう簡単にしがらみから抜け出せるわけでもないし、暴力沙汰とはいつも背中合わせになってしまうことは避けられない。 だから彦一が晶を死に至らしめてしまうのも、ある意味ではそうなるよりほかないのかな、などと変に納得を強要させられてしまうことへの嫌悪が、私にはある。

 だから最初から、このスペシャル版は見ないで、本編のままでいい思い出にしてりゃよかったのかな、なんて、考えてしまうわけです。

 そしてもうひとつ、そんな晶の死の遠因となったけがを負わせた北村有起哉サンに対する憎悪、というものも、私の中にはあるわけです。 それが解決してない。

 北村総一朗サンに止められながらも、彦一はそれを振り切って北村有起哉サンのもとにお礼参りに行くわけですが、それもやはり、彦一の心の奥底には、自分のせいでこうなった、という自責の念があるんだと思うんですよ。 だからなんとしても復讐せねばおさまらない。

 けれども、いざ乱闘が始まったか、と思ったら、次のシーンでは前身ホータイだらけの彦一の姿。 彦一のかつての仲間も駆けつけたけど一緒にやられてしまったらしい。
 北村有起哉サンに対する私自身の憎悪の念、というものはこれでブスブスと不完全燃焼したままになってしまうのです。

 北村有起哉サンの演技は、実にすばらしかったです。
 裏では極道なのに、表向きヘコヘコしている。 すごくフツーの顔して慇懃極まりないのに、声にどことなくドスがある。 極道時代の彦一に頭が上がらなかったはずなのに、いったん敵対関係にあると分かると相手がカタギだからと途端に見下す。 見ていて非常にムカムカしました。 演技がすごいからそう思ってしまう。

 だからこそ晶が亡くなってしまう展開になって、自分も彦一と一緒にその憎悪が頂点に達するわけですが、結局乱闘シーンが流れることもなく、返り討ちにされちゃった、ということで、虚しさだけが残ってしまう。
 自分が抱いた 「憎悪」、というものに対して、ほかならぬ自分自身に嫌気がさしてしまうわけです。

 それでも。

 そんな虚しさに襲われながらも、このドラマはその先にあるものを見据えていた気がしてならないのです(そうでも思わなきゃやっとられん、つーか…笑)。

 話は前後しますが、死ぬ寸前に正気を取り戻した晶は、彦一に向かって 「幸せだ」、と話しかけます。
 結局それが最後の会話となってしまうのですが、彦一は葬儀の席で彼女に渡すはずだった婚約指輪を棺に置き、踵を返してお礼参りに行こうとする。
 いったんそれを止められた彦一は、人生最後の1%でも幸せならばそれもありなのかもしれない、とつぶやきます。
 彦一の下宿を世話していたシャッター街の老いたラーメン屋の北村総一朗サン、彼の店も北村有起哉サンの陰謀でハチャメチャにされ、その場にいたのですが、彼はそんな彦一の言葉を聞いて、強く反発するのです。

 「幸せなワケねえよ。
 こんな若えのに病気んなって、家庭や仕事を捨てて、小さいせがれ残して死んじまうなんて…幸せなワケねえよ。
 それでももしこの人が幸せだってあんたに言ったんならなあ…そりゃあな、あんたのしてきたことを覚えていたからだよ。
 毎日ゲーセン閉めて、施設へ通って、あんた必死になって、カタギになろうと努力したことを、この人は覚えていたからだ。
 な、だから幸せだって言えたんだよ。

 幸せなんてものはな、そうやって必死になって、ようやく分かるんだよ。

 死ぬ前に、ちょっとばかりいい思いしたからって、分かってたまっかよ…!」

 人生、最後さえ幸せならばすべては報われる、という話があります。 マザー・テレサの話もそんな意味なのかもしれない。 でもそれって、一部分だけ幸せだからいい、という話ではないように思えるのです。

 要するに、その1%の幸せでさえ、自分がつかみ取ろうとした末につかんだ幸せだからこそ、意味があるのではないか。 けっしてその1%の幸せは、タナボタの幸せを言っているのではない、と思えるのです。

 つまり、どんなに自分が表向き不幸でも、幸せに近づこうとする気力があることが、本当の幸せなのだ、と。

 努力もせず、必死にもならない、そんな生き方こそが、不幸なのだ、と。

 それでも復讐に行こうとする彦一を、北村サンは彼女の思いを無駄にするのか、と止めるのですが、彦一はそれも振り切ってしまう。

 「オレはオレで好きなように生きてなあっ、好きなようにくたばるだけだよ!!」

 これは表面上は自分勝手に生きてやる、というようにも取れるのですが、実は北村サンのお説教に呼応したセリフだと思うのです。
 必死になって生きていくことでしか、自分の気持ちに真っ正直に生きることでしか、いまのモヤモヤした気持ちをどうすることも出来ないんだ、という、彦一なりのねじ曲がった決意宣言だと、私は思うのです。

 またまた話はさかのぼりますが、北村総一朗サンの娘役で今回出演していたミムラサン、彼女は北村サンが孤独死をしてしまうのではないかと心配して店を明け渡すようにずっと主張していたのですが、そんなミムラサンに彦一は、こう言っていました。

 「望んでもいねえ奴に無理やり絆を押し付けて、ホントにそんなもの幸せなのか?

 孤独に理由なんかねえよ。

 孤独は選ぶもんだろ。

 …あんたのオヤジみたいに」

 北村有起哉サンが展開していた、アコギな老人電話サービスも、それに頼ろうとしている老人たちは、嘘んこの幸せにすがりついて生きようとしている。 それは実は、自分をごまかしているのと一緒だと私も思います。
 けれども、そんな生き方を選ぶのも、孤独死を選ぶのも、結局は自分の心ひとつなのだ。 自分がバーチャルな幸せの中でカンチガイしながら死んでいくのも、結局はその人の人生への姿勢、なのです。 そこから抜け出そうともがくのも人生だし、ひとりで死んでいくのを選ぶのも人生だ。 選ぶのはほかでもない、自分自身なのです。

 そしてその人が選んだ人生を、他人がかわいそうだとか言う義理もないし、助けてやろうなんてのもお節介のように思える。 ただ助けてほしいと思った時にその救済手段は、やはり必要だとは思いますけどね。

 彦一みたいなぎりぎりの生き方をしていないですけどね、私なんかも含めてたいていの人は。
 けれども生きるために、何らかの形で必死になっていることだけは、言えると思うのです。
 晶が死んでしまったように、ややもすれば虚しさに襲われてしまうような、出来事だらけですよ、人生って。 なかなか分かってもらえないことだらけだし、うまくいかないことだらけだし。
 でもその先を見据えて毎日毎日コツコツと頑張っていくことでしか、目の前のことに全力で取り組むことでしか、その虚しさを解消する方法はないのではないか…。

 このドラマを見て、そんな人生の現実を、あらためて突きつけられた気がして、ならないのです。

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2011年1月 9日 (日)

「江~姫たちの戦国」 第1回 繰り返される物語の中で

 「篤姫」 で幕末を生きた女性を描いた脚本家、田渕久美子サンが今度は戦国時代に生きた女たちを描く、「江」。

 お市の方(鈴木保奈美サン)の娘たち、浅井三姉妹が主役、とあって、物語的にはこの上なくオーソドックスな、戦国時代の三人の主役、信長(豊川悦司サン)秀吉(岸谷五朗サン)家康(北大路欣也サン)が絡みまくった話となるは必定(いきなり時代劇言葉…笑)。

 第1回目は江(のだめ…じゃなかった、えーと、上野樹里チャン)が生まれるまでの話なので、浅井長政(時任三郎サン)とお市の、大河史上幾度となく繰り返されてきた悲恋が展開します。 初心者には新鮮でしょうが、こちとら無意味に年だけ重ねてきたわけでもないので(爆)「ああ~またか…」 のウンザリ気味の話に終始。

 つまりですね、「信長KING OF ZIPANGU」 と 「秀吉」 と 「徳川家康」 が単純にくっついた、というだけじゃなく、「おんな太閤記」「葵 徳川三代」 だけでもなく、地方の戦国武将を扱った大河でも、キリのないくらいに繰り返されてきた話なのです。
 これがずうっと、ずう~~っと続くのかと思うと、なんとも切ない気持になってくる。

 信長が仕掛けた政略結婚で浅井に嫁いできたお市の方が、浅井長政の愛情にほだされて兄を裏切ってしまう。
 秀吉はお市の方に恋心を抱いている。
 柴田勝家(大地康雄サン)は相変わらず超天然パーマで(これっていつから定着したんでしょーか?…笑)、足利義昭(和泉元彌サン)はおじゃる丸バカ殿バージョンで(あらら…爆)、明智光秀(市村正親サン)は比叡山焼き討ちで苦渋の表情を浮かべ…。

 ああ~、オーソドックスすぎる…。

 (史実がどこまで尊重されるか、ではなく)ドラマ構築においてどのような脚本家独自のオリジナリティが見い出せるか、に私の興味は集中したのですが、その前にどうしても気になるのが、ドラマに久々の出演となる、鈴木保奈美サンの演技。
 この鈴木サン演じるお市の方、ナレーションもなさるようであります。
 ということは、「武田信玄」 の信玄の母親や、「ゲゲゲの女房」 のおばばのように、亡くなってからもナレーションを続ける、というパターンになりそうです。
 そこまでNHKが鈴木サンの演技に全幅の信頼を寄せているのか、と思うと、ちょっと危なっかしいものを感じます。 鈴木保奈美サンって、そんなに大物だったっけなー、という感じが、失礼ながらどうしても付きまとうのです。

 じっさい鈴木サン、最初のうちの演技は相当固さが取れない感じだったのですが、それで浅井に嫁ぐ前のかたくななお市の心情をうまく表現できてしまった、という思わぬ効果を生んだようであります。
 それでもこのお市、賛否両論がわき出るかもしれないです。 第1回クライマックス、浅井長政との別れのシーンでは実に演技もこなれてきて、さすがだなと思わせたのですが、長ーい女優業ブランクのあとの大河ドラマ序盤主役級、というのは、実に責任の重い立場だと感じるのです。 しかもナレーションは最終回まで続くんでしょう。 大変です。

 そしてそんな鈴木サンの、女優としての新たなるスタートの前に立ちふさがってしまったのが、なんと子役の茶々。 …そう、「Mother」 で継美チャンを演じたあの超天才子役、芦田愛菜チャンであります(笑)。
 この茶々が、信長の浅井攻めの最中に身ごもった子ども(江)を流そうとする市を、涙ながらに止めるのです。
 ここで完璧に、鈴木サンの苦労は芦田愛菜チャンに飲み込まれてしまった(あ~あ…笑)。
 でもまあ、愛菜チャンもあの年で(確か5、6歳)時代劇言葉、というのは、さすがにしゃべりにくそうに思いましたけど。
 それに、「泣かせ」 の演技が、現代的なような感じに思えたんですよね。 うまいなあ、とは思いましたけど、ちょっと継美チャンの時よりは引いて見てしまった気がします。

 ところがこの、幼い茶々が結果的に江の産まれてくるのを手助けした、という物語の構築の仕方が、ようやく私が感じた田渕サンのオリジナリティだったのです。

 この茶々と江のふたり、ドラマの中でも説明がなされていましたが、いずれ豊臣方と徳川方に別れてしまう、という運命をたどります。
 そのことを考えたとき、この貸し借り関係は、後々興味深い展開を示すカギとなるのではないか、そんなふうに思えるのです。

 そしてもうひとつのオリジナリティ。

 それは、浅井が滅ぼされ、信長のもとに連れ戻された市たち母娘が悔し涙にくれているとき、ひとり赤子の江だけが笑っている、というシーン。
 浅井長政は、この赤子を、「希望」 だと位置づけていました。
 かような絶望的な瞬間に、この赤子だけが、笑っている――。
 ちょっこし 「ゲゲゲの女房」 の 「笑って暮らしとるよ」 というセリフが脳裏をよぎりました。

 このあまりにも何度も繰り返され手垢にまみれた物語の中で、茶々とその関係を特別なものに位置づけ、そして主人公の存在を 「希望」 と象徴させた作り手の手腕に、今後一縷の 「希望」 を、それこそ持って見ていこうかな、と思いました。

 次回予告ではこの江、信長を慕う娘に成長するようであります。 これも個人的には今まであまり見たことのないパターンかな。
 第1回目はプレストーリーの域を出ないものでしたが、どんな新しい解釈を見せてくれるのか、少しばかりそれに期待したいと思います。

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2011年1月 8日 (土)

「LADY~最後の犯罪プロファイル~」 第1回 親が子に背負わす十字架

 警視庁捜査一課に新設された、犯罪行動分析室(CPS)が舞台である、というドラマ、「LADY」。
 それが実在するセクションなのかどうかは知らないのですが、ドラマにおけるその説得力は非常に希薄(いきなり厳しいことを申し上げます)。
 パソコンによるデータのグラフィック化やイケメン美女揃いのチーム、という、ビジュアル的なかっこよさに重点が置かれ、現実から乖離している匂いが強くします。
 何よりそのチームの性格が、変わり者ばかりで統制が取れてなくて、…こういうのはよくあるパターンだよなあ、という感じ。
 「24」 チックな分割画面も 「ちょっとやってみました」 みたいでいかにもという感じだし、してみるとパソコンに向き合ってばかりの須藤理彩サンは、クロエだよなあ、つーか(笑)。
 また、過去に世界中で起きた事件をいちいち引き合いに出してくるのも、なんとなく鼻につく感じがする。 事件は外国で起きてるんじゃない、日本の現場で起きてるんだ!つーか(あ、パクリました)。

 つまりCPSという器が、新鮮味のない手垢のついた素材である、という印象がついて回る。 このチームの中のやり取りは、はっきり申し上げますが、既視感の連続でした。

 でも、2時間15分という長尺の第1回目を、最後まで見続けてしまったんですよ。 途中、さすがに長くてダレましたけどね。

 最初のうちは、北川景子、という女優がどれほどのものか、という興味でした。

 先だっても書いたのですが、私はこの人、「セーラームーン」 の実写版でセーラーマースを演じていたころに見たっきりで(重ねてイイワケいたしますが、甥と一緒に見ていたんですっ…笑)。
 このセーラーマース、結構ブアイソなキャラでして。
 そのブアイソキャラが、今回の彼女の役にも貫かれていました。
 演技的な部分で申し上げますと、成長の途上にいるかな、という感じです。
 正直なところ、フェチ的なファンの支持でもってるかな、という気がいたしました(失礼)。
 そうした人気があるからこそ、テレビ局が彼女をドラマの主役に抜擢したいスケベ心が発生するのではないでしょうか。 今回のドラマを見ていて、主役を張るには、ちょっとまだ力不足かな、という気がしました。
 でも逆に、彼女には可能性がある気がいっぽうでします。 顔に飽きられた時が勝負、なのかな~。 彼女にこの仕事を続ける気があるなら、今後は楽しみであります。

 そして次に私の興味が移ったのは、CPSというヌエ的なセクションをめぐる捜査一課内の動向。

 小澤征悦サン演じる捜査一課の上司が、このセクション自体を信用しないという懐疑的立場を明確にしていくのに対し、課長の竹中直人サンや、ユースケ・サンタマリアサンが肯定的な立場になっていく。
 それが、竹中直人サンが犯人によって殺されてしまうところから、一気にユースケサンがCPSを積極的に支持していくのです。
 その展開の中で二転三転を繰り返しながら明らかになっていく、犯人像。
 CPSのメンバーたちがそれを解明していく場面は、なんとなくワザトラシさが付きまとう感じなのですが、北川景子サンと竹中直人サンが、お互いに相手をプロファイリング(精神分析)し合う、という話の構造が面白く、だからこそ竹中サンが殺されてしまう場面では感情移入がしやすく、その結果、ユースケサンがやや暴走気味にCPSを支持していく、という構造が、また面白い。
 ユースケサン、今回は完全なるハードボイルドであります(笑)。 物語のクライマックスでは、拳銃を北川景子サンに持たせようとする始末。 コラコラ、いいのかよ、という感じですけど(笑)、その気持ちは分かります。 身内を殺されると、捜査にも熱がこもろうってもんです、犯人への憎悪も増すってもんです(いいのかソレ?)。

 で、最終的に私がこのドラマを2時間以上、最後まで見てしまった最大の要因。

 それは、DAIGOサンが演じた犯人の素性でした。

 一家惨殺、と言いますと、私の住んでいる世田谷の事件を想起するのですが、そのせいか、外国人による犯行、というこのドラマで捜査一課が最初に出した捜査方針から、CPSが当初打ち出した 「異常者による成長していく単独犯行」 という流れは、極めて妥当な流れかな、と思い込んでしまうのです。

 でも犯人は(ここからネタバレです)幼いころに弟を父親に虐待され、結果的に虐待死されたことへの復讐を、他の虐待家庭に向けて行なっていたのです。
 だから連続して一家惨殺しているのに、その家で虐待されていた子供たちだけは助けたうえ、自分が連れ去って優しくしていたらしい。

 この犯人像が明らかになっていく過程で、DAIGOサンがその犯人像通りの演技をしていく、その演技力がすごい。
 DAIGOサンの演技力がこれほどのものとは、正直思っていなかったです。
 その意外性も私を強く引き付けたのですが、これってよく考えてみると、親の行動に束縛されている子、という意味で、竹下元首相の孫であるDAIGOサンと共通している部分があるのではないか、だから演技に吸い込まれるのではないか、と思ったわけです。
 親が子に(孫にも)背負わせるもの、というものは、結構大きいものがあります。 それはよきにつけ悪しきにつけ、子を蹂躙するものです。 何食わぬ顔をしていながらDIGOサンも、そんな十字架に苦しめられたのかもしれません。 彼の好演には、そんな裏がある気がしてならないのです。

 そしてクライマックスシーン、事件現場に立てこもったDAIGOサンのもとに、ユースケサンから差し出された拳銃を拒否した北川景子サンがその家の主婦を装って入り込む。
 そこで正体がバレながらも、幼い日のトラウマと向かい合わせる北川景子サンと、それに呼応していくDAIGOサンの演技の応酬。
 これは、正直、見ごたえがありました。

 実は連続一家惨殺の殺人犯は自分の正義を貫いていただけで、その被害者家族のほうが、自分の子を虐待していたワルモノだった、というこの逆転した構図自体にも興味が引きつけられたのですが、ここで物語にさらなる深みを与えたのが、DAIGOサンの母親役だった杉田かおるサンの存在。
 北川景子サンは犯人の復讐心のいちばん奥には、父親の虐待を結果的にやり過ごしていた母親にある、と判断し、目の前で行なわれようとしている殺人の寸前で、自分がその母親役になりきって、DAIGOサンが拳銃を持たせている子供に向かって 「お母さんが悪かった!」 と叫ぶのです。 そしてさらに、 「お兄ちゃん、もういいよ!もうやめよう!」 と、虐待死させられた弟になりきって叫ぶ。
 DAIGOサンはここで、「自分は何のために生まれてきたのか…」 と自問自答し出す。
 そこに狙撃班の弾丸が一発。
 DAIGOサンは、即死します。
 いままで見ながら思っていたこのドラマのマイナス点が、一気に帳消しになる感じでした。

 ただその事件が終わったあとの虚しさを描いたあとは、CPSチームのまた既視感あふれるやり取りと、今後につながってくるかのような謎の人物の登場(NHK火曜ドラマ10 「フェイク」 そのまんまだぁ~…笑)。 う~ん、期待していいものやら…(笑)。

 いずれにしても第1回目を見た限りでは面白かったです。
 ただしホントに、人が殺されるドラマばっかりで、正直うんざりしています。 「フェイク」 はもう来週は見ないでしょう。

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2011年1月 7日 (金)

途中まで見て、「フェイク」 放っぽってます

 ちょっこしコメント返信にも書かせていただいたのですが、NHKの火曜夜10時のドラマ10最新作、「フェイク」、第1回目の途中まで見て、そのまんま放っぽってます。
 ここ数日やたら忙しくてブログを書いているヒマさえない、というのもあるのですが、どうも続きを見たい、という気にならない。
 財前直見サンのキャラとファッションが中途半端で気になるのと(受けを狙ってるのかなんか、よく分からん)、南野陽子サンの髪形が気になるのと(しょーがネェだろッ!…爆)、京都弁?が合ってるのかどうか気になってしまうのと、出てくる美術品が本物なのか、美術品をめぐる話がどこまでフィクションなのか気になってしまう、というのと(なまじ美術に造詣があるもんだから)(でも日本の美術には、からきし弱いんですけど)で、ドラマ以外のほうに神経が行ってしまう。

 ドラマをちゃんと見ていないであれこれ書くのは、えらくルール違反のような気がするんで、ここらへんでやめときます…。 土日を使ってちゃんと見なおしてみようかな。 でもなんか、見続ける気力がない。 ドラマの吸引力がない、ということなのかな。

 で、このままではこのブログ自体が3連休になってしまい、前の月に3日間謹慎したのと同じになってしまうため(爆)、無理やり記事を書いとります。 甚だ簡単ではございますが、本日はこの辺で終わりにさせていただきとう存じます。 以上です。 わーたなべ、あ、いやいや…(スミマセン)。

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2011年1月 4日 (火)

「赤い指」 親を思う子、子を思う親

 去年の春ドラマ(先だっての記事で、夏ドラマなどとマヌケなことを書いてしまいました)「新参者」 のスペシャルドラマとして、2時間半弱の単発ドラマとしてよみがえった、阿部寛サン演じる加賀恭一郎シリーズ。

 正直なところ、「新参者」 では話にどうにものめり込むことが出来ませんでした。
 それは一話完結にすることで、話に奥行きがなくなってしまう点。
 無理に人情ドラマを作り上げている部分。
 加賀恭一郎のキャラクターが、「狙いすぎている」 点。
 その点が気になってしまって、いい素材が生かされていない、ということを強く感じていました。

 ところが今回のスペシャルドラマ。
 原作は知りませんが、話的に2時間半、という尺が最も適しているように思える。
 そして物語の重層構造。
 これが映画みたいな長さだと、一気に見ることが出来てとても分かりやすい。

 「新参者」 は連続ドラマにしなければ成立しない話だったのでしょうが、その構成において大きな失敗を犯していた。
 毎回繰り広げられる人情ドラマのたたみかけが、そのままドラマ全体のマンネリ感に直結していた気がするのです。
 それに対してこの 「赤い指」 は、親と子の関係、という同質の話を数パターン用意し、極めて完成度の高い構成を見せつけていました。 同じスタッフとは、到底思えない。 見終わったあとは、映画館で1800円を出して映画を見たような感覚でした。

 そして加賀のキャラクターも、「ちなみに」 を連発することもなく、甘いものばっかり食べていることもなく、たい焼きをどうしても食べられないこともなく。 要するに狙っている部分が全くなし。 2時間半のドラマにすることで、警察の中の余計な他の登場人物に力を注ぐようなこともなく(松重豊サンと、アンジャッシュの人だけだったかな~)。
 これで結果的に、とてもすっきりドラマを見ることが出来るんですよ。

 ただし容疑者の前にいきなりぬっと現われて、ぎょろっと見つめる不気味さは健在(笑)。 つまり加賀は、最初っから犯人の目星をちゃんとつけているわけです。
 今回は最初から犯行の瞬間以外は一部始終が明らかにされているため、なぞ解きの部分はちょっとなりを潜めているのですが、クライマックスの部分での加賀の思惑は、「いかにして犯人を裁くかではなく、どうしたら犯人を救うことが出来るのか」、という一点に集中しているため、見る側を最後まで強く話に引きつけたままにすることが可能なのです。

 今回のドラマで最も強烈な印象を残したのは、杉本哲太サン。
 そしてその認知症の母親を演じた、佐々木すみ江サン。

 杉本サンはこの前までの 「流れ星」 の役とはうって変わって、家庭の問題から逃避し続けた末に息子の犯罪を隠蔽しようとする父親の役。 彼が逃避していたのは、認知症の母親の問題もさることながら、妻や息子が抱える問題。 でもそのレベルって、どこの家庭でも大なり小なり抱えていて、回避行動が行なわれているレベルの逃避なのです。 現に彼は息子の犯罪を知ったとき、警察に届けようとするまともな神経の持ち主なのです。

 それが 「表沙汰になったらうちの家族はみんな破滅だ」、という妻の西田尚美サンの思い込みに負けて、息子を守ることがすなわち自分や自分の家族を守ること、みたいな倒錯した心理状態になっていくのです。 そこに至るまでの杉本サンの演技力は、まさに迫真。 その昔横浜銀蠅の弟分としてツッパリ野郎だった杉本サンさえ思い起こさせるまでの激烈さでした。
 まさしく普通の人が、犯罪隠蔽にどうして命をかけてしまうのか、という説得力が、杉本サンの演技から、物語全体から、満ち溢れているのです。

 そんな杉本サン、加賀恭一郎の登場によって、徐々に追い詰められていくのですが、ここでの阿部サンは、病院で死にかけている父親の山崎努サン(この人も元刑事)が将棋を指しながら看護士の田中麗奈チャンに語るように、「相手を揺さぶってどう反応するか、それが楽しい」 をまさに地で行っているような事情聴取の方法で。

 けれどもその阿部サン、父親の山崎サンに、けっして会おうとしないのです。 この事情にも、後半胸の熱くなる展開が。
 そしてその将棋、看護士の田中麗奈サンがヤケに強い、と山崎サンは感心しているのですが、これにもある事情があった。 この山崎サンと田中サンの取り合わせは、すごく意味のあったものだった、と結末を見たいまとなってはただただ感心するばかりであります。

 そして杉本サンの母親を演じた、佐々木すみ江サン。
 クライマックスシーンでは、ただただ、泣けました。
 途中でも、杉本サンが必死の形相で自転車をこぎながら隠蔽工作を敢行している場面と並行して、その杉本サンが子供時代だった頃を思い出しながら、「おててつないで」 の歌を人形相手に嬉しそうに歌っている場面でも、もう泣けて泣けて。 佐々木サン、個人的には、「ふぞろいの林檎たち」 で初めてその存在感に圧倒されてから、「篤姫」「ゲゲゲの女房」 と、もう近年、空恐ろしいまでのバイプレイヤーとしての地位を揺るぎないものにしている感がとてもするのです。

 ネタバレブログにはあるまじき、物語の核心をちっとも書かない記事になっておりますが(笑)、教えちゃうのはもったいない気がすごくする。 ネタバレ、というのは、要するに感動を共有したいがためのひとつのルール違反の書き方なんですけどね。

 結局のところ、杉本サンに隠蔽をそそのかした西田尚美サンの存在が、表面的に見るといちばん間違っているような気もするのですが、それもこれも、息子を守りたい一心なのだ、ということが、ラストシーンで佐々木サンの号泣するところと同時に進行することによって、おぼろげながら見えてくる。 けっしてそれは褒められた愛情ではありません。 でも、西田サンもただ一方的に悪い人物として決着をしていないこの脚本の意志は、感じることが出来るのです。

 そして山崎サンをめぐる、このドラマのラストシーン。 風呂敷のたたみかたとしては、大変正鵠を射ている気がする。 ここから、この物語が 「子を思う親の心」「親を思う子の心」 という大テーマを鮮やかに浮かび上がらせたまま、エンディングを迎える道筋が完成するのです。

 すごすぎる。

 杉本サンは異常な心理状態に突入する前までは、なんとなく加賀恭一郎に犯人を見破ってほしかったようなところも、どこかにあったような気がします。 加賀の推理にいちいちびくびくしながらも、加賀の 「救いたい」 という気持ちに共振していたような部分。 暗黒面に取り込まれながらも、ぶくぶく沈みこみながら、手を伸ばして、「助けてくれ!」 と言いたげな表情。

 それがラストでは、一気に加賀のその思いに、登場人物たちもドラマを見ている側も、すべての人が救われる気がする。

 すごいドラマに、昇華したものです。

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2011年1月 3日 (月)

「てっぱん」 第10週 「臆病」 とのたたかい

 ものすごく遅れたレビューになってしまって恐縮なのですが、去年の11月29日から12月4日までの 「てっぱん」 第10週の感想文を書かせていただきます。 正月休みで見て、あまりにも泣いたので、やはりなんか、書かずにはいられません。

 この週は、民男クン(前田航基クン)が東京に行かずに父親と暮らすことを決め、村上あかり(瀧本美織チャン)の生みの母千春(木南晴夏サン)が遺した手紙の中身が明かされる話がメインの週でした。

 どうしてこれほどまでに見るのが遅れてしまったか、と言えば、年末で忙しくて見られなかった、というのも確かにありますが、じっさいのところその前の週での、田中初音(富司純子サン)があかりに言った 「あんた、よう生まれてきてくれたなあ」 のセリフから、先の話を見るのが怖かった、ということになるでしょうか。
 つまり話の盛り上がりが、毎週のようにヤケにクライマックスを迎えている気がするのです。
 そしてそのクライマックスの幸せが、崩れる瞬間が怖い。

 けれども第10週の一連の話は、そんな私の気持ちをまるで見透かされたような、人がちょっとした瞬間に直面してしまう 「臆病」 と向き合うことが、テーマだった気がするのです。

 本題に入る前に指摘しておきたいのですが、このドラマの感動を後押ししているのは、葉加瀬太郎サンのスコアによるテーマ曲にある気がしてなりません。
 この曲は、限りなく見る側の優しい気持ちを掻き立てます。 つくづく名曲だなーと思います。

 そしてその曲をバックに繰り広げられる、「てっぱん踊り」。 紅白でもやってましたね、川中美幸サンのバックで(笑)。
 ドラマで最初見たときは、あまりに大勢の人たちがワサワサ出てくるその演出方法に、ちょっと気持ちがザワザワしたような覚えがあります。 「ゲゲゲの女房」 の、たった4人(最初は2人)とアニメだけ、の静けさとは対極にある感じに、ちょっこし反発したのかもしれません。
 でもいまでは、このドラマの特長に、とても合った演出方法のような気がするんですよ、このタイトルバック。
 つまり、このドラマは、このてっぱん踊りのように、人の心の中に、ずかずか入り込んでくるタイプのドラマなんじゃないか、と。
 あかりは、そっとしておいてもらいたいというほかの登場人物や視聴者たちの気持ちの中に、ずかずか入り込んでくる。

 第10週、そんな 「そっとしておいてもらいたい」、という登場人物たちの気持ちにずかずか入り込んできたのは、生臭坊主(笑)の隆円(尾美としのりサン)が持ってきた、千春が亡くなる直前に書いたと思われる、一通の手紙。
 どうやら隆円の父親が、千春から預かっていたらしい。

 この手紙の内容は、なかなかつまびらかにされません。 誰が見るべき筋合いのものなのか、果たして見ていい内容なのか。 その行方は二転三転し、見る側をじらし続けるのです。

 それを最初に隆円から見せつけられたあかりの父親錠(遠藤憲一サン)と母親真知子(安田成美サン)。
 一応いったん預かった錠はその手紙を、迷ったあげく火にくべて燃やそうとします。
 そんなことを勝手にやっていいものなのか。
 見る側の気持ちは、遠藤サン非難の方向に流れようとします。

 結局それは安田成美サンともみ合いの末に止められるわけですが、ここで明らかになるのは、遠藤サンの父親としての心情です。
 遠藤サンは中身の分からないこの手紙の中に、あかりの実の父親のことが書いてあるかもしれない、ということにいちばん危惧を抱いている。 結果的にあかりを捨てた、という形になっているその実の父親のことを、育ての親である遠藤サンは、けっして許すことが出来ないのです。 そしてそのことであかりの心が揺れ動き、要らぬ精神的負担をかけ、さらにもしかして自分たちの手を離れてその父親のほうに気持ちが向かってしまうかもしれない、ということまで気をまわしている。
 真知子はそんな錠の気持ちを、「千春さんの手紙を怖がっている、手紙から逃げている」 と鋭く言い当てるのです。 もしかして手紙には、初音に宛てた何かが書いてあるかもしれない、それを燃やしてしまうのは、もってのほかだ、というわけです。 実に正論。

 「あかりが知りたい思うことは全部教えてあげる。
 それが…うちらの役目じゃろ。
 立ちんさい!
 あかりんとこに電話するんよ!
 あの子の声聞いたらお父ちゃん一発で目さめるわ!」

 そんなときにあかりのほうから偶然、電話がかかってきます。 民男クンの問題で思いにふけっていたあかりが、両親の声を聴きたくなったのです。 わざと錠に電話を代わる真知子。 錠は思わず、「すまんかった」 といきなり口走ってしまうのです。

 自分が千春の手紙を燃やそうとしていたのは、やはり臆病からくるものだった。 あかりにとって本当に良かれと思うことを考えているつもりだったのに、実はそれは自分勝手な気持ちで、本当にあかりのためになっていなかった。 「すまんかった」、という気持ちはそんな錠の逡巡がそのまま出てしまった言葉だったのです。
 そんな父親の様子をいぶかしがるあかりを、真知子はとっさの機転でかわすのですが、電話から離れて座り込んでしまう錠の小さくなった背中を、カメラは追い続けます。 手前には少しばかりよれてしまった、千春の手紙。 錠の心情がその背中ひとつで、とても伝わってくるのです。

 「これ、田中さんとこ届けよう…」

 そう切り出す錠のところにやってきたのが、隆円。 渡りに船、という展開であります(笑)。

 隆円が持って来た千春の手紙。 それを初音は拒絶します。 そしてあかりも、その手紙によって何かが変わってしまうことに、恐れを抱く。

 「どうせ、うちへの恨み事しか書いてあらへん。
 (あかりの父親のことが書いてあるかもしれないなら)なおのこと要りません。
 あの子を、がっかりさせとうないさかい」

 隆円は千春に、あかりの父親になってもいいと話したが断られた、という昔話を初音に打ち明けます。 そんな千春の決意は、身近にお手本(初音)がいたからなのではないか、と。
 初音の気持ちは少しばかり揺れるのですが、村上夫婦のことを考えるとやはりその手紙を読むわけにはいかない、と考えるのです。
 それでもあかりの気持ちを考え、初音はその手紙をいったん預かることにする。

 初音はあかりにその手紙の処遇を託します。

 「あんた、この中身、見たいことないか?」

 「…おばあちゃんは?」

 「うちのことはええ。 あんたがどうしたいかや」

 「うちは…」

 迷うあかりを見て、初音はその手紙を破り捨てようとします。

 「ちょっと!?
 何するんよ大事なもんじゃのに!」

 「ほんなら、あんたが開けたらよろし。
 開けて、読んでみたらええ!」

 「おばあちゃんが読まんもん、うちが読めるわけ…」

 「うちは読まんし、あんたも読まん。
 そしたら、捨てるよかないやろ」

 「何で?
 千春さんが遺したもんじゃろ?」

 あかりは、いつか自分が読みたくなった時まで、初音にその手紙を預かっていてほしい、と頼みます。
 でもその話を聞いてしまった、鉄にい(森田直幸クン)。 その手紙を持ち出そうとします。 その思いは、父親の錠が初めに考えたのと、同じ論理です。
 そこに出くわした初音は、手紙を取り返します。

 「あんた、鉄平いう名前やろ!
 鉄みたいに強なれてつけてもろた名前や。
 こんな紙切れ一枚に負けてたら、親泣くわ!」

 そう叱りつける初音に、鉄にいはこう切り返します。

 「…ばあちゃんこそ、子が泣いとるわ」

 生きている者のことはいい。 その人たちのことを思い、義理を通すのもいい。
 けれども、どんな気持ちで千春が、隆円の父親にそれを託したのか。
 その気持ちを考えてやれ、という鉄にいの言葉が、初音の胸を貫くのです。

 そのころ真知子が錠に、千春の20回忌に仏壇にお線香をあげに大阪へ行き、あの手紙を一緒に読ませてもらおう、と提案しています。 鉄にいと真知子の考えていることは、やはり同じであり。

 「千春さんの気持ち、考えとったんよ。

 自分が死ぬかもしれん思うた時、産まれたばかりのあかりを見ながら、どんな気持ちじゃったんかなって。

 あんなかわいい赤ん坊のあかりを、たったひとり残していくんが…どれだけつらくて、悔しかったか…。

 その千春さんが、最後に言い残したかったこと…やっぱり、ちゃんと知っとかんとね。

 あかりを、うちの子にするとき、どんなことがあっても、絶対あの子を守るって決めたじゃろ?

 あん時、千春さんは、うちの家族になったんよ!

 あん時から、うちらと田中サンとは、他人じゃなくなったんよね」

 そのとき、初音から電話が入るのです。 初音は手紙を開けることを、決意したのです。

 ここでこの週の最初に展開していた、民男クンが大阪に残ろうとした話が、あかりを後押しさせることになります。
 民男クンは再婚しようとしている母親も、その新しいダンナも、そして下宿の人たちみんなも、新しい家族だと思っている。 だからそれが、メッチャうれしいんや、と。

 初音と錠、真知子が手紙を開けようとするのを、最初のうちやはり怖がっていたあかり。
 あかりは真知子に、こう話します。

 「千春さん、ここを飛び出してから、どうしとったん?
 なんで尾道に行ったん?
 トランペット、なんでやめてしもうたん?
 おばあちゃんのこと、どう思うとった?
 嫌いじゃった?
 ずっと、悪く思うとったんなら、おばあちゃん、かわいそうじゃわ。
 それに…。
 うちの…父親じゃった人のこと…。
 どう思うとった?
 もし、その人のこと恨んどったら、
 …うちどうしたらええん?
 千春さんのことも、その人のことも、…うち好きになれんよ!

 あの手紙読んでしもうたら、ほんまのこと分かってしもうたら、
 …
 うちは…
 うちはこのままじゃおれん!」

 真知子はそんなあかりにこう言うのです。

 「大丈夫。 なぁんも変わらんよ。
 どんなことが書いてあっても、千春さんが、あかりのお母さんで、うちが、お母ちゃんじゃわ。
 ほいで、どんなことが書いてあっても、村上錠が、あかりのお父ちゃんよ。
 田中サンがあかりのおばあちゃんいうのも、全然変わらん。
 あんたには、尾道と大阪の両方に家族がおるんよ。
 みんなあかりのこと、大切に思うとる。

 …

 千春さんね。
 あんたを産んだあと、ほんま幸せそうな顔しとった。
 『やっと会えたあ』 言うてね。
 じゃけど、急に具合が悪うなってね…。
 お母ちゃんも、ちゃんと千春さんにお別れも出来んかった。
 あの手紙は、亡くなる前の千春さんが伝えたかったことなんよ。
 じゃけえ…ちゃんと読んであげんとね」

 あかりはいったん躊躇するのですが、やっぱり思い直します。 内容によっては処分し、あかりにも内容を知らせない、と初音がハサミを入れかけた場に、あかりは飛び込んでくる。

 「…もう二度ともらえん、うちを産んだ人からの手紙じゃけえね」

 初音は封を切り、手紙を黙って読みます。
 そして黙ったまま、その手紙を錠に手渡します。
 錠はその手紙をまた黙ったまま読み、なんとも言えない表情で真知子に手渡す。
 真知子も黙ってその手紙を読み、初音に一瞥して、うれしそうな悲しそうな顔をして、「千春さん…」 と思わずつぶやいてしまう。
 後ろからそれを見た鉄平が一言。 「これだけ…?」
 笑ってしまう初音。
 真知子は、あかりに手紙を渡すのです。

 「あかりと、
 お母ちゃんのお好み焼きを食べたい」

 その手紙の中央部分に、小さな文字で書かれていたのは、たったそれだけの言葉。

 泣きました。
 書きながら、また泣いてます(はずかしっ!)。

 あかりは、自分を産んだ母親に、語りかけるのです。

 「千春さん…!…

 うち…食べたよ。

 おばあちゃんのお好み焼き。
 …
 うち食べたよ。

 …おいしかったよ…!…」

 大粒の涙を流しながら、仏壇の前に正座し、頭を下げる、あかり。

 「…ありがとう、
 …おかあさん…!…

 …ありがとう…。

 …ありがとう…」

 自分の母親のことを 「千春さん」 と言うことにかなりこだわっていたように思えるあかりが、初めて自分を産んだ母親のことを、「おかあさん」 と呼んだ瞬間。
 振り返り、思わず初音に抱きついてしまうあかり。
 初音も涙を流しながら、あかりを抱きしめるのです。

 そしてその晩、初音は自分の焼いたお好み焼きを、村上家の人々にふるまい、千春が食べたという真知子のお好み焼きも、初音は食べることになります。 下宿の人たちや伝サン(竜雷太サン)にもふるまわれたそのお好み焼き。 20年ぶりの初音のお好み焼きを、ようやく伝サンも食べることができました。 それも結構涙腺刺激しまくり、です。

 親が作ってくれる、その家だけの味。 それをまた食べたい、と願う、子の気持ち。
 このドラマには、そんな特有の味に愛着があり、思い入れがある人にだけしか分からない思いが満ち溢れています。 (第10週が終わった時点で言わせていただければ)とても優れているドラマであることは、間違いがない。

 ああ~なんか、またまた次週分を見るのが怖くなってきた。 まだまだ自分も、臆病ですネ(笑)。 それにしても毎週毎週、クライマックスすぎますって、このドラマ。 この文章を書くのも、すごく苦心しました。 正月休みだからここまで書けた気がします。

「てっぱん」 に関する当ブログのほかの記事
第1回 名作の後番組は、ハードルきついですよね
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/09/1-8eb5.html
第1週 どこまで、ついていけますかね?http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/1-c996.html
第2週 相変わらず、ゴーインな脚本ですがhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/2-69b4.html
第3週 物語が、駆け出したhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/3-ed2e.html
第4週 ちょっとキツイかもhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/4-0d8a.html
第5週 居心地が、作られつつあるhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/10/5-a598.html
第6週 真夏にナベとか…(笑)でも、いいドラマですhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/6-0ce4.html
第7週 舌に残る記憶、舌に受け継がれる味http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/7-7f4f.html
第8週 18歳の店主、どう納得させてくれるかhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/8-18-e6b4.html
第9週 心の奥深くにあるものhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2010/12/9-a276.html

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2011年1月 1日 (土)

「正月時代劇 隠密秘帖」 そういうことかい!(笑)

 NHKニュース7を横目で見ていたらいつの間にか正月時代劇が始まって。
 なんとなく軽いノリで、音楽も軽め。 ひとつひとつのエピソードも軽め。
 老中田沼意次が出てきて、それが笹野高史サン。 いかにも田沼、というキャスティングだよなあ、と思いながら見ていました。
 そして主人公らしいのが小人目付の舘ひろしサン。 その息子役に濱田龍臣クン。 「龍馬伝」 で福山サンの幼少時代をやった男の子ですね。
 何の気なしにちらちら見ていたら、田沼の嫡男が殿中で斬られ、死んでしまう。
 その真相を突き止めよ、と大奥の意次擁護派、松坂慶子サンに命じられ、それが下達するに従っていかにもやっつけ仕事的になっていくのですが、最終的にそれを命じられたのが舘ひろしサンと同じ目付仲間(?)の南原清隆サン(ナンチャン)。 テキトーにやっていいよ、みたいな感じで申しつけられたのですが、このふたりが上意に反して緻密な捜査を進めることになるのです。 いつの間にか本腰を入れて見ていました。 ブログのために録画も開始。

 最初のうちあんまり注意して見ていなかったので事情はよく掴めませんでしたが、どうもこの田沼の息子殺害には、神山繁サンのワルモノ一派が米相場の暴落も当て込んだ?悪だくみが絡んでいる模様。
 貸本屋になり済まして吉原潜入をしたり、結構あの手この手で真相に迫っていく舘ひろしサンらなのですが、ワルモノたちの謀略によって結局その真相はもみ消されてしまう。

 濱田龍臣クンは道場の仲間から、父親を卑しい者呼ばわりされるのですが、それを直接父親にぶつけると、父の舘ひろしサンは、いきなり濱田クンの横っ面をバチーン。

 「又十郎(濱田龍臣クンの役名)! ようく聞け!
 この世に卑しい勤めなどはない!
 卑しいのは、邪悪に心を売る輩だ!
 邪悪の理不尽に、屈してはならぬ! 許してもならぬ!
 正義と信じるものを貫くのだ!」

 どうしてこんなムキになって捜査を進めるのか、と訊かれた時、舘サンは自分の倅たちに対する示しがつかないから、みたいなことを言っていました。 つまり舘サンは、しがない昼行燈と思われながら、自分の子に対して父親の信念を叩き込ませたのです。

 けれどもナンチャンは妊娠している女房という弱みを握られて捜査から身を引き、結局ワルモノ一派の差し向けた刺客によって殺されてしまいます。
 そして舘ひろしサンも、女房役の水野真紀サンとか濱田クンではないもうひとりの嫡男と共に、殺されてしまう。

 この場面、いかにも多勢に無勢で、こんな大人数で向かってこられたらいかに手練れの小人目付の舘ひろしサンでも太刀打ちできまい、と思っておったのですが。
 でもこのドラマ全体に流れるなんとなーく軽い雰囲気が、もしかして全員やっつけちゃうのかな、と思わせてしまうんですよ。
 そしたら、屋敷に火をつけられて、濱田龍臣クンの目の前で、舘ひろしサンは敵方の刺客大勢を結局全滅させつつ、自らも深手を負って、死んでしまうのです。
 ここらへんの緊張感は、ちょっと手に汗握りました。
 そして、なんだよ、死んじゃうの、それじゃこの事件の真相は闇に葬られたまま終わり?という状態の中で、見る側はいやいや、そんなことはない、と考えるわけです。
 それは、舘ひろしサンがこの事件の真相を改めて書きしるした忘備録が、その家の奉公人かな?の津川雅彦サンに託されて、お寺に納められているのを知っているからです。

 この津川雅彦サン、下人みたいなまったくのチョイ役で出るには、あまりにビッグ・ネームすぎる。

 津川サンは舘ひろしサンが炎に巻かれて死んでしまったあと、神山繁サンの屋敷に隠密らしい風体でいきなり現れ、神山サンにくぎを刺して風のように去っていく。
 急にクローズアップし出した津川サンの働きによって、意次擁護派の松坂慶子サンと結び付き、事件は解決するか、と思われるのです、が。

 物語はいきなり35年後にタイムスリップ(笑)。

 は?という感じです。 まるでキツネにつままれたよう。

 そして呼び止められて振り返ったのが、なんと舘ひろしサン。
 なんだソリャ?(笑)

 舘サンが、なんか又十郎(濱田龍臣クン)の35年後の姿、らしいのです。

 どういうことだ?

 ここでなんと話が終わってしまう。

 これって、いったい?

 つまり35年後に、父親の無念を晴らそうと、息子の濱田龍臣クンが舘ひろしサンになって事件を解決するから、めでたしめでたし、というわけなのか?
 ずいぶん見る側の想像力に頼り切った終わり方だなあ、と思っていたら、続いて始まったのは、その又十郎が活躍する土曜時代劇の新シリーズの予告。

 …(笑)…そーゆうことかよ…。

 けれどもその35年前の事件が解決したって、その時代にはもう田沼の時代は終わって、松平定信の時代になっているようであり、事件の解決が何の意味も持たない、ということですよね。
 それを何か絡めてくるのか?
 それともそんな邪悪がもみ消されたことで、又十郎にそれなりの正義感が宿った、という、単なる前フリだったのか?
 なんか気になってきた(笑)。

 まんまと壮大な前宣伝に乗せられてしまったようでありますが、これでNHKの土曜時代劇を見ざるを得なくなってきた(爆)。

 あ~あ。 クソッ!(笑)

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冬ドラマ、あんまりぱっとしなさそうですけど…

 あけましておめでとうございます。 旧年中はご贔屓を賜り、厚く御礼申し上げます。 皆様のご多幸をお祈り申し上げます。 今年もヒマつぶしに、よろしかったらおつきあいください。

 今年最初の冬ドラマ、ちょっと簡単な早見表を見てみたんですが、なんか刑事ドラマ、部外者が割り込む学校ドラマなど、ヤケに多い気がします。 やっぱりテレビでやる番宣なんか見ないと、見たいなーという気が起きないのかもしれません。

 そのなかでNHKのドラマ10、「フェイク」(火曜10時) は面白そうな感じがします。 細野不二彦サンのマンガ 「ギャラリー・フェイク」 を連想させますけど。

 「ゲゲゲ」 の松下奈緒サン、フジテレビ火曜9時枠の 「CONTROL」 では刑事役ですか。 とりあえず見てみます。 そのあとに仲間由紀恵サン、檀れいサンの復讐サスペンスもの 「美しい隣人」 も、様子見で見ますか。 「フェイク」 と時間帯かぶりますが。

 田村正和サンのフォロワーとしては 「告発」(テレビ朝日、木曜9時枠)は気になるのですが、テレ朝のドラマってあんまり見ないので、どうするか迷ってます。

 織田裕二サンのドラマも、あんまり得意じゃない役者さんなので見ることは少ないのですが、フジ木曜10時枠の 「外交官・黒田康作」 も、とりあえず第1回は見てみることにしようかな~。

 北川景子サンって、「セーラームーン」 の実写版のころに甥につき合って何度か見たっきりで(何年前だ?…笑)(パンチラしまくりで今日では考えられません)(録っておきゃ今頃お宝だったかも…爆)、去年の木村拓哉クンのドラマに出てたのを1回見ただけですけど、そんなにうまいと感じなかったなあ。 その彼女がTBSの金曜ドラマ(10時枠)に主演ですね、「LADY」。 一応見てみます。

 あとはTBS日曜劇場(9時枠)、草彅クンと今井美樹サン(久々だなぁ…)の 「冬のサクラ」。 モロに韓ドラの匂いがプンプンしとる感じがしますが。 裏のフジテレビの江口洋介サンが小学校校長をやるとかいう 「スクール!!」 も、「パーフェクト・リポート」 の例もあるから、もしかしてそこそこの出来なのかもしれない…。

 いずれにせよ、ホントにほぼすべてが様子見、という感じであります。

 あ、NHK大河ドラマ 「江」 は必須ですな。 これは毎年習慣ですので語るまでもない、と言いますか。
 それにしても全部省略しましたけど、メインタイトルのあとに来るサブタイトルつきの題名が、ヤタラメッタラ多い(笑)。 もうちょっと題名に力入れろよなー、という気がします(爆)。
 「ふぞろいの林檎たち」 とか、「前略おふくろ様」 とか、作り手のセンスが、それだけでビビッと来てしまう、そんな価値観など、微塵もありません。

 以前の基準から行けば、おそらく 「江」 と 「フェイク」 だけだったでしょうね。 それだけなし崩しにドラマを見始めているのかもしれませんが、最初にたくさん触れておかないと、良質のドラマに巡り合う機会を逸してしまう、そんな気がします。

 私よりよほど嗅覚が優れている、このブログ読者の方々のお勧めがございましたら、お教えいただければ幸いです。

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