« 「江~姫たちの戦国」 第1回 繰り返される物語の中で | トップページ | 「美しい隣人」 第1回 勝手な先読み、という恐怖増幅の方法 »

2011年1月10日 (月)

「任侠ヘルパーSP」 むなしさの先を見据えること

 草彅剛クンにとっては忘れられない事件の直後に復帰作として放送された、「任侠ヘルパー」。 一昨年のことでした。

 ありていに言いますが、暴力団員が介護センターで働く話。
 その性格上明るい話になるはずもなく、たとえ笑いがあったとしてもそれは底抜けに明るい方向にはけっして行かない。 ダークサイドにストーリーは傾き続け、どうにもならない飽和状態から、ラストはそれでも、未来にかすかな希望を残された形で結ばれた、そんな印象のドラマでした。 草彅クンの全キャリアから見ても、かなりのハイレベルの作品になったと思います。

 その後日談が語られた、今回のスペシャル版。

 ラストまで見て残っている思いは、言いようのない虚しさ。

 あの、ダークな話なりにギリギリの線で希望を持たせた前作(本編)でやめといて、その後の話を自分なりに、いいほうに想像したままのほうがよかった、そんな気さえします。

 今回のスペシャル版ラストまで見てどうにもよく分からないのが、翼彦一(草彅クン)がどうして羽鳥晶(夏川結衣サン)の息子涼太(加藤清史郎クン)を置いて旅立ってしまうのか、ということ。

 私が抱いた 「虚しさ」 のいちばんの原因となったものは、この夏川サン演じる若年性アルツハイマーの母親が、結局死んでしまうところです。
 この遠因は、彦一にある。
 表向きだけカタギの北村有起哉サンが社長を務める老人会話サービス(アコギな商売)の顧客を彦一が引き抜いたことを根に持たれ、乱闘に発展したところに巻き込まれた晶が頭を強く打ちつけた経過って、…やっぱり遠因ではないでしょうか。
 それなのに、彦一は遺された息子を見捨てて、寅さんの如く旅立っていく。 まあ、彦一らしいと言えば彦一らしいのですが。

 ここで、どのみち足を洗ったと言っても彦一は極道だったのだから、そう簡単にしがらみから抜け出せるわけでもないし、暴力沙汰とはいつも背中合わせになってしまうことは避けられない。 だから彦一が晶を死に至らしめてしまうのも、ある意味ではそうなるよりほかないのかな、などと変に納得を強要させられてしまうことへの嫌悪が、私にはある。

 だから最初から、このスペシャル版は見ないで、本編のままでいい思い出にしてりゃよかったのかな、なんて、考えてしまうわけです。

 そしてもうひとつ、そんな晶の死の遠因となったけがを負わせた北村有起哉サンに対する憎悪、というものも、私の中にはあるわけです。 それが解決してない。

 北村総一朗サンに止められながらも、彦一はそれを振り切って北村有起哉サンのもとにお礼参りに行くわけですが、それもやはり、彦一の心の奥底には、自分のせいでこうなった、という自責の念があるんだと思うんですよ。 だからなんとしても復讐せねばおさまらない。

 けれども、いざ乱闘が始まったか、と思ったら、次のシーンでは前身ホータイだらけの彦一の姿。 彦一のかつての仲間も駆けつけたけど一緒にやられてしまったらしい。
 北村有起哉サンに対する私自身の憎悪の念、というものはこれでブスブスと不完全燃焼したままになってしまうのです。

 北村有起哉サンの演技は、実にすばらしかったです。
 裏では極道なのに、表向きヘコヘコしている。 すごくフツーの顔して慇懃極まりないのに、声にどことなくドスがある。 極道時代の彦一に頭が上がらなかったはずなのに、いったん敵対関係にあると分かると相手がカタギだからと途端に見下す。 見ていて非常にムカムカしました。 演技がすごいからそう思ってしまう。

 だからこそ晶が亡くなってしまう展開になって、自分も彦一と一緒にその憎悪が頂点に達するわけですが、結局乱闘シーンが流れることもなく、返り討ちにされちゃった、ということで、虚しさだけが残ってしまう。
 自分が抱いた 「憎悪」、というものに対して、ほかならぬ自分自身に嫌気がさしてしまうわけです。

 それでも。

 そんな虚しさに襲われながらも、このドラマはその先にあるものを見据えていた気がしてならないのです(そうでも思わなきゃやっとられん、つーか…笑)。

 話は前後しますが、死ぬ寸前に正気を取り戻した晶は、彦一に向かって 「幸せだ」、と話しかけます。
 結局それが最後の会話となってしまうのですが、彦一は葬儀の席で彼女に渡すはずだった婚約指輪を棺に置き、踵を返してお礼参りに行こうとする。
 いったんそれを止められた彦一は、人生最後の1%でも幸せならばそれもありなのかもしれない、とつぶやきます。
 彦一の下宿を世話していたシャッター街の老いたラーメン屋の北村総一朗サン、彼の店も北村有起哉サンの陰謀でハチャメチャにされ、その場にいたのですが、彼はそんな彦一の言葉を聞いて、強く反発するのです。

 「幸せなワケねえよ。
 こんな若えのに病気んなって、家庭や仕事を捨てて、小さいせがれ残して死んじまうなんて…幸せなワケねえよ。
 それでももしこの人が幸せだってあんたに言ったんならなあ…そりゃあな、あんたのしてきたことを覚えていたからだよ。
 毎日ゲーセン閉めて、施設へ通って、あんた必死になって、カタギになろうと努力したことを、この人は覚えていたからだ。
 な、だから幸せだって言えたんだよ。

 幸せなんてものはな、そうやって必死になって、ようやく分かるんだよ。

 死ぬ前に、ちょっとばかりいい思いしたからって、分かってたまっかよ…!」

 人生、最後さえ幸せならばすべては報われる、という話があります。 マザー・テレサの話もそんな意味なのかもしれない。 でもそれって、一部分だけ幸せだからいい、という話ではないように思えるのです。

 要するに、その1%の幸せでさえ、自分がつかみ取ろうとした末につかんだ幸せだからこそ、意味があるのではないか。 けっしてその1%の幸せは、タナボタの幸せを言っているのではない、と思えるのです。

 つまり、どんなに自分が表向き不幸でも、幸せに近づこうとする気力があることが、本当の幸せなのだ、と。

 努力もせず、必死にもならない、そんな生き方こそが、不幸なのだ、と。

 それでも復讐に行こうとする彦一を、北村サンは彼女の思いを無駄にするのか、と止めるのですが、彦一はそれも振り切ってしまう。

 「オレはオレで好きなように生きてなあっ、好きなようにくたばるだけだよ!!」

 これは表面上は自分勝手に生きてやる、というようにも取れるのですが、実は北村サンのお説教に呼応したセリフだと思うのです。
 必死になって生きていくことでしか、自分の気持ちに真っ正直に生きることでしか、いまのモヤモヤした気持ちをどうすることも出来ないんだ、という、彦一なりのねじ曲がった決意宣言だと、私は思うのです。

 またまた話はさかのぼりますが、北村総一朗サンの娘役で今回出演していたミムラサン、彼女は北村サンが孤独死をしてしまうのではないかと心配して店を明け渡すようにずっと主張していたのですが、そんなミムラサンに彦一は、こう言っていました。

 「望んでもいねえ奴に無理やり絆を押し付けて、ホントにそんなもの幸せなのか?

 孤独に理由なんかねえよ。

 孤独は選ぶもんだろ。

 …あんたのオヤジみたいに」

 北村有起哉サンが展開していた、アコギな老人電話サービスも、それに頼ろうとしている老人たちは、嘘んこの幸せにすがりついて生きようとしている。 それは実は、自分をごまかしているのと一緒だと私も思います。
 けれども、そんな生き方を選ぶのも、孤独死を選ぶのも、結局は自分の心ひとつなのだ。 自分がバーチャルな幸せの中でカンチガイしながら死んでいくのも、結局はその人の人生への姿勢、なのです。 そこから抜け出そうともがくのも人生だし、ひとりで死んでいくのを選ぶのも人生だ。 選ぶのはほかでもない、自分自身なのです。

 そしてその人が選んだ人生を、他人がかわいそうだとか言う義理もないし、助けてやろうなんてのもお節介のように思える。 ただ助けてほしいと思った時にその救済手段は、やはり必要だとは思いますけどね。

 彦一みたいなぎりぎりの生き方をしていないですけどね、私なんかも含めてたいていの人は。
 けれども生きるために、何らかの形で必死になっていることだけは、言えると思うのです。
 晶が死んでしまったように、ややもすれば虚しさに襲われてしまうような、出来事だらけですよ、人生って。 なかなか分かってもらえないことだらけだし、うまくいかないことだらけだし。
 でもその先を見据えて毎日毎日コツコツと頑張っていくことでしか、目の前のことに全力で取り組むことでしか、その虚しさを解消する方法はないのではないか…。

 このドラマを見て、そんな人生の現実を、あらためて突きつけられた気がして、ならないのです。

« 「江~姫たちの戦国」 第1回 繰り返される物語の中で | トップページ | 「美しい隣人」 第1回 勝手な先読み、という恐怖増幅の方法 »

テレビ」カテゴリの記事

コメント

>その人が選んだ人生を、他人がかわいそうだとか言う義理もないし、助けてやろうなんてのもお節介のように思える。

本当にそうですね。
ミムラが「絆」を強制するのはちょっとウザかったです。
老人たちはあそこの施設(タイヨウ)に入ったことで、死亡後に気づかれずに放置されることもなくなったわけで、
それだけで満足な人もいると思うんですよね。
交流会とかそういったものは面倒って人もいていい。

リコちゃん率いる六本木の人たちのジレンマも見どころだったと思います。
極道もつらいですね。
一体マツケン親分はどうしたかったのでしょう。

>前身ホータイだらけの彦一の姿。 彦一のかつての仲間も駆けつけたけど一緒にやられてしまったらしい。

思う存分、力一杯戦ったんですよ。
きっと相手側のダメージも大きいはず。そう信じたいです。

彦一が涼太を置いて行っちゃったのは、イマイチでしたね。
最後にゲーセンのぬいぐるみの中に石が入れてありましたが、あれって鮮やかなエンディングなんでしょうか?
よくわかりませんでした。

タイヨウの老人たちが仲良く交流するようになって、それで果たしてめでたしなんでしょうか?
そこも疑問でした。ご本人たちが楽しければ言うことないですけどね。

はじめまして。
私も、今回のスペシャルは期待していただけに不完全燃焼部分が多すぎてもやもやしてます。
2夜連続みたいにしてでももうちょっと分かりやすく終わって欲しかった。

彼女が亡くなって、死に損なったので、リョータを引き取ってカタギになって一緒に暮らして終わるのかな?と思っていましたが、ラストも石が入っていたって事は
彦一は最後まで完全なカタギにはなれない、そういう、嫌ないい方すれば
人を騙すような人間から変われなかったと言う事なのか?

また、そう考えると不完全燃焼。

全てがまるく収まる話しではないけど、分かる、分からないさじ加減が良いドラマでしたが、
今回のスペシャルはギリギリ分からない部分が多すぎましたね。

マイティ様
コメント、ありがとうございます。

うちのオヤジは今年で72歳の年男。 頭脳明晰で説教ばかり私に食らわせますが(笑)老人同士の集まりになど、全く行ったためしがありません(爆)。 完全拒絶、であります。 私も老人たちがよくやってるサークルみたいなやつを外野から見ていて、「オコチャマかよ」 と思うときがあります。 年輪を重ねたなりの、高度な知的サークルって、ないんですかね?(笑)

交流会なんてものはかようにその人がそれまで積み重ねてきた年輪を、プライドをないがしろにするもんなんじゃないかって、あくまで外野からの見方ですけど、そう思います。

(このあと孤独死についてかなり書いたのですが、過激なので削除いたしました…)。

殴り込みのところは、やはり描き切ってほしかったですね~。 あいつがぶん殴られるところを見ないと、溜飲が下がらない(あ~過激だ…)(「仁義なき戦い」 の見すぎかな?…笑)。

マツケン親分のやりたいことって、本編でも最後まで理解に苦しんだんですけど、結局何だったのか覚えてないし(当ブログの過去記事にたぶん書いたと思うので引っ張り出しゃ分かるかと思うんですが…)、今回のスペシャル版でもよく分からなかったなあ…。 ヤーサンの大親分のクセして、ヤケに奇麗事を並べすぎる気がするんですよ。

彦一が涼太を置き去りにするラストは、記事中にも書きましたが、母親(晶)が自分(彦一)のせいで死んだのかもしれないのに、どうして息子の面倒を見ないんだ、という観点からモヤモヤしております。 もともと彦一は涼太のことをウザったがりまくってましたから(何かというとほっぺたつまんでカリメロ状態…笑)、晶が死んだことで涼太を見れば晶を思い出す、なんていう理由で涼太のもとを去っていったんだとは思うのですが、…う~ん…。

ややっ、ダラダラと書きすぎました! ゴメンナサイ! それでははいちゃー

あみ様
こちらこそはじめまして。 コメント、ありがとうございます。

一昨年のレギュラー版でも、「任侠ヘルパー」 というドラマは、なんか予定調和して、ありきたりなところに着地しない、そんなもどかしさがいつもついて回っていたような気がいたします。 今回のスペシャル版でも、その姿勢が貫かれていた、という点では、よくできていたかもしれません。 実際かなり涙を誘うシーンが連続してましたし、「泣けたよこのドラマ」 という点では、かなりの出来だったとは思うのです。

けれども見終えてモヤモヤするのは、このドラマの作り手が、結局あみ様のお感じになったように、「カタギになったってそう簡単にヤーサン的思考が変わるものではない」「やくざってのはフツーの幸せを望んじゃいけない」 という思想をもってこのドラマを制作しているのではないか、ということを、私も感じるからなのです。

だから夏川結衣サンは死ななければいけないし、草彅クンは殴り込みに行って半殺しの目に会わなきゃいけない。 そして草彅クンは、加藤清史郎クンのもとを去らなければならない。

平穏に暮らさせてあげればよかったんですけどねー。

うちの両親はリウさんのお宅よりもっと年いってます。
地方にひっこんでツガイでなんとか健康に生きてますが
首都圏での人間関係をポイッと放り出して田舎に引っ込んだ父、やはり会社以外に何も「絆」は築けてなかったということでしょうか。現役のうちから土地だけは買っていたのです。
母は行きたがりませんでした。かなり抵抗しとりました。
父は囲碁のクラブみたいのには行ってますよ。
あと、○○見学会みたいなのに参加したり。


孤独死については、ひとりで自宅で仕事してる者にとっては、マジでリアルな問題でして
仕事をお願いしていたイラストレーターさんが知らないうちに亡くなっていたり(当時50代/病死)、これまでにもいろいろありました。

それを最小限に抑えられる方法を考え、
商売にしようかと考えたりしてましたが
「暴」関係の人が参入してるとなると…
ドシロウトでは怖いですなぁ

マイティ様
再コメント、ありがとうございます。

新しい土地で老後を暮らす、というのは、地域とのかかわりが密接だった母親のほうが、それが希薄だった父親よりも苦痛になるのはいずこも同じでしょうか。 しかも田舎、というのは、景色や空気がいい、という面はあるのですが、都会と比べると、結構人間関係も密でなければならず、そのうえかなりウェット。 いったんネガティヴな印象をもたれると村八分みたいな方向に行ってしまう傾向にあると聞き及びます。 今はそうでもないのかな。 地域によっては違うでしょうし。

ただどんな場所で生きていようが、人間関係を密にしていなければならない、というのは、やはり感じるんですよ。

ここでマイティサンへの最初の返信で削除した 「孤独死」 についての過激な話を展開しなければならないのですが(ちょっとソフトにして展開いたしますが)、自分の遺体が腐敗しようがミイラ化しようが構わない、というのなら、別に自分ひとりで生きてきゃいいと思うんですよ(やっぱり過激だ…笑)。 自分はそんなことは耐えられないので、やっぱり他人とは、密に繋がっていたいですね。

このブログも、もしいきなりずーっとストップしてしまったら、あああいつは死んだんだな、と思っていただければ結構なんですが(自虐的ですな)。

現実問題、もし一人で死ぬような局面になったとしても、すぐに自分の遺体は見つけて欲しいものです。 そのために他人との繋がりは大事にしていたいです。

こんにちは、お邪魔します。興味深く読ませて頂きました。

彦一が涼太の元を去ったのは、やっぱり現段階の彦一が完全な「カタギ」ではないからでしょうね。そもそも、涼太が身寄りないわけではないし・・・(実父と同居しているわけだし)。それでも、涼太のところに「戻る」可能性を示したことから、極道の方に再度行くことはないと思うんですが。ただ、今の「完全なカタギ」ではない自分が、涼太の傍にいるのは良くない、という判断だと思います。でも、ゲーセンの人形の中に石が入っている物は、涼太と一緒にイカサマの種を作った思い出の品だし、そういう自分を思い出させる物を残して行った、次に会う可能性を残したというのは、私はむしろ「救いのある終わりだったなぁ」と思いました。

一方で、殴り込みを見せなかったのは、彦一が曲がりなりにも「カタギ」の人間だからだと思います。リウさんの仰る「やくざってのはフツーの幸せを望んじゃいけない」思想と言うのは、あると思いますね。ただ、私個人としては、「ヤクザがヤクザである以上、幸せになれない」ってことなんじゃないかなぁ、と。彼らが変化できないという思想なら、五郎や六車という人物が存在しなかったと思うんですよ(今回、彼らは一般社会に溶け込み過ぎなくらいだし)。で、彦一がとにもかくにもカタギである以上は、現実に乱闘させるわけにはいかなかったんでしょうね(メタ的な意味で)。乱闘するシーンを描いた方がスッキリした話になるのは承知で、価値観優先したなー、と思います(乱闘場面見たら、スッキリするとは思うんですけどね。ただ、私は、どちらかと言うと心ではなく脳みそで話眺めちゃう方なんで、割と納得出来るのかもしれません)。

鷹山会長の思惑は・・・ヤクザの親分として見るとワケわかりませんが、立ち位置としては、疑似親なんだろうなぁ、と思っています。むしろ、全員をカタギに戻したいんじゃないかなぁ・・・なんて見えちゃいますね。ただ、孤独についての描き方と同じですが、「自分で選べ」ってことなんでしょう。

双子星様
はじめまして。 コメント、ありがとうございます。

双子星様の考察で、なんか相当胸のつかえがとれたような気がいたします。 かなりの部分の疑問点が氷解しました。 感謝申し上げます

双子星様に比べれば、私なんかはずいぶん感情的な部分でドラマを見ている気がします。 討ち入りの場面を流さなかったことに対する不満も実にそこから来ていて、たとえ一方的に負け戦であってもいい、アンニャロ~に一発だけでもお見舞いしてくれれば溜飲は下がるのに、などと考えてしまう。 かなり野蛮な人間であります。

それに、晶が死んでしまったことが、どうにもやるせない。
彦一との距離が近ければ近いほど、こんな(頭を強打するなんていう)不測の事態に遭遇する可能性が高まる、という残酷さに、悲しみばかりが湧いてくるのです。

ゲーセンでUFOキャッチャーの景品に石を仕込む、なんていう冒頭の時点で、彦一はハナからこの商売捨ててんな、という気はしましたけどね(笑)。 そのからくりを子供たちに見せてわざとばらしてしまう(小石を仕込んだままの景品をサービスだと言って子供たちに渡してしまいましたよね)、というのも、実は子供たちに 「カネもないのにこんなイカサマゲーセンで遊ぶんじゃねえ」 という一種の屈折したやさしさだと考えたのですが、
…う~ん、複雑すぎてその解釈でよかったのかどうか…(爆)。
なんか、やってることがいちいち屈折していて、にわかに理解出来ないことばかりなんですよね、彦一って(笑)。

マツケン親分の思惑は、まさしく双子星様のおっしゃる通りだと思います。 なんかそんな気もしていたのですが、どうもそうとは言い切れないかも…などと、こちらもやはり、やることが屈折しすぎていて、にわかに理解しがたい人物のようでありますネ。

こんばんは。お邪魔します。
2012/11/17に映画「任侠ヘルパー」が公開されるとのことで検索していたら、昨年1月にSPが放送されていたことを知り(今頃かよって感じですが)、先程見終え、こちらに辿り着きました。

ドラマとは関係の無い話ですが・・・
私(41)には付き合って6年になる彼(40)がいます。元極道です。
若かりし頃、色々あってその道へ入ることとなり、約4年で組を抜けましたが、今でもその筋の人たちとの付き合いは何かしらあります。(実の弟は893で組長代理)

彼が元いた組を畳むという話になった4年前、彼にも話が来て、刺青を彫るよう強要されました。
桜ではないですけど、彦一と同じように胸の上~肘上の範囲で視線を合わせない龍と鳳凰が・・・。

繋がりを切るべく必死になっている彼の根性を買い、手助けをしてくれる方(全くの堅気の方)もいらっしゃるのですが、私が思うに893との繋がりは切れないと思います。

私は彼を一生支えてゆきますが、彼自身が過去生きてきた中で出来た繋がりですから、私ではどうしようもないところがあります。

現在パチ屋の釘師で雇われてますが、手助けしてくれてる方の計らいで他の仕事も並行してやってるところです。
結婚は厳しいですね、両親親戚に迷惑かかるような事態も無いともいえないですし。

SPの話になりますが、彦一が涼太と暮らさなかったのは「ドラマらしい終わり方」だからじゃないでしょうか。
映画も作る方向だったのなら、その方が都合いいでしょうしね。

長々失礼しました。

mayu様
はじめまして。 コメント下さり、ありがとうございます。

普通の組員ならば、足を洗おうと思ってもなかなかできるものではない、と私も感じます。

例えば今回のドラマのように、松平健サンみたいな、他の組にも影響力の大きいと思われる親分が陰でフォローでもしてくれたら、表向きはカタギとして暮らしていける、とは思うのですが、実の弟さんが幹部、ということになれば、そうそう昔のしがらみからは抜け出せないのではないか、とお察し申し上げます。

ただ、この記事本文でも書いたのですが、前向きに生きていくことをそれで諦めてはいけない、と思います。 境遇がどうだとか環境がどうだとか、たとえやくざでなくとも、人はそんなネガティヴなことに縛られてしまう傾向がある。

彫り物を入れたことで、ご結婚にも支障が出来るでしょうし、肌を露出するような場所も遠慮したくなる、そんな制約が出来たことは事実だと思います。

ただ、mayu様の彼は前向きに生きていこうとしていらっしゃる。 しがらみが切れようが切れなかろうが、その姿勢そのものが尊い、と私は思うのです。

人生なんて、後悔の連続ですが、そこから何を学べたのかが、もっとも重要だ、と私は思います。

後悔するために生きているのではないのですから。

失敗したら、それを糧にすればいいだけの話です。

いまの世の中、一度でも失敗すると、ヤイノヤイノいう連中が多すぎますけどね。

そんなものじゃないと思う。

とても抽象的な話で恐縮ですが、腐らないことだ、と感じます。 頑張ってください!

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「任侠ヘルパーSP」 むなしさの先を見据えること:

» 任侠ヘルパーSP [The 近況報告!~今度は多摩川のほとりから]
前も書いてしまったのですが、私の清史郎くんLove{%ハート2webry%}度がぐぐっと 深まったのは、実は「天地人」ではなく、「任侠ヘルパー」だった のでした。 [続きを読む]

« 「江~姫たちの戦国」 第1回 繰り返される物語の中で | トップページ | 「美しい隣人」 第1回 勝手な先読み、という恐怖増幅の方法 »

2019年8月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

BOOKS

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 上

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 上
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ記事より抜粋)。 この上巻ではビートルズの祖先から遡ってリバプールで人気に火が付き始めたところまでが書いてあります。

  • ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白

    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

無料ブログはココログ