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2011年2月25日 (金)

「四十九日のレシピ」 第2回 そうか、もう、いないのか…

 「オッカ。 もう一度話せるのなら、訊きたいことがあります。

 あなたは、幸せでしたか?」

 百合子(和久井映見サン)の生みの母であった万里子(笛木優子サン)が、百合子の弟になるはずだった子をお腹に宿していたとき、ヒールグッズのようにお腹をそれでさすっていた、白い石。
 その石を握りしめたまま、出戻りしてきた実家の2階の窓から外を眺め、3週間前に亡くなったばかりの継母、オッカ(風吹ジュンサン)を想う、百合子。
 そこにいきなり現れる、小麦色の陽気な青年。
 えっ? ここは2階…。

 「百合子ーーっ!」

 百合子は、いきなり抱きしめられます。

 「キャーーーッ!」

 思わずその青年を突き飛ばしてしまう百合子。
 青年は頭から(?)、落ちていきます…(チーン…笑)。

 しみじみモードからいきなりギャグタッチになる。 第1回目の逆を行くパターン。 してやられました。
 青年の名前はパウロ・ジ・アラウジョ・ドス・サントス。 日系ブラジル人、らしい。
 イモ(徳永えりチャン)が四十九日の宴会のために力仕事担当で助っ人を頼んだとのこと。
 「イケメンだし、いいでしょ、ユリッチ!」
 サントスにウィンクされて黒ネコのジジ君(「魔女の宅急便」)みたいにヒクッ!となってしまう百合子(笑)。
 まあオッカの知り合いだったら…ということで、良平(伊東四朗サン)もOKサインを出してしまうのです。
 実にあり得ない展開なのに、強引に見る側に飲み込ませてしまう。
 それなのに、どうしてこう、押しつけがましくないのか、ちょっと解析が出来てません。

 良平によってサントスの覚えにくい名前は 「ハルミ」 と命名されるのですが、その 「ハルミ」 という名前は、先ほどの万里子が身ごもっていた子供の名前だったようです。
 その回想シーンと現在の状況から、万里子はおそらくその子の出産でこの世を去り、その子も亡くなっているだろう、ということが推測されます。
 必要以上の説明をしない、つまり重要部分の説明ゼリフが一切ない。
 そんな粋な部分が、このドラマの大きな魅力となっているのですが。

 この回はハルミのサンバモードに触発されたように、良平も百合子も、なんか明るい雰囲気。 良平はオッカのレシピを見ながらはたきをかけて、「オーレ!」。 百合子はハルミにそそのかされて、試着室で 「これ似合う?」 状態。

 この父娘、根は暗いものがあると思うんですよ。 第1回の記事でも書きましたが、ふたりとも体温が低い、ごく普通の庶民。
 だからそんなふたりのギャグっぽいシーンは、実はなんとなく無理やりかな、という気もしながら見ていたんです。 ドラマを見る立場としては、ちょっと興醒めの危険性も感じさせる。

 でも、それは違ってた。

 ネクラなふたりだからこそ、はしゃぐシーンにはそこはかとないシラ~っとした空気がわずかながら漂います。
 けれども、ドラマを見終わってから思い返すと、それはオッカを亡くした悲しみを振り切るための、父娘のちょっとした反動だった、という気がしてくるのです。
 確かにネクラだからこそ、ちょっとふざけてみたい、という願望も、その底辺にはあるんでしょうけど。

 イモが持ってきた、オッカが壮大な構想で書いたと思われる 「自分史」 の分厚い原稿。
 期待に胸ふくらませて良平も百合子もそのページをめくるのですが、自分が生まれたことと良平と結婚したことのふたつしか書いてない(笑)。
 大いに失望した一同。 「しっかり書かんか」 とオッカの遺影に語りかける良平。 この間合い、伊東サンのコメディアンとしてのうまさを感じました。

 そんなことから、四十九日の宴会にオッカの一生を書いて展示しよう、という話になる。

 ところがオッカの歴史を語るのに、写真もなにもあまりにないことで、その企画は挫折しかけるのです。
 オッカの歴史の最後、「平成22年」 の項。
 「熱田乙美 没」
 と書きかけて、マジックペンの手が止まってしまう良平。
 結局 「没」 の字の 「又」 の部分だけが、書かれることなく放っておかれることになります。
 妻の死を認めることのできない気持ち。
 このシーンは見る側に、棘のように心に引っかかります。
 ここだけでもウルウルものなのですが。

 さてまた舞台のようなセリフ回しで登場した良平の姉、珠子(水谷八重子サン)。
 百合子に歯に衣着せぬ小言をまたまた言いまくります。
 この、「舞台のようなセリフ回し」、というのが、憎々しさをさらに引き立てるエッセンスになっている。 実にうまい。
 そんな珠子、良平とオッカの馴れ初めに力を貸した、と自慢げに話すのです。
 そこで珠子の口から、良平がオッカとの再婚話に乗り気ではなかったことが語られ、良平が当時、亡くなった妻の万里子のことをいつまでも忘れられなかった、という強い愛情を、ここで強烈に見る側に印象づけさせる。
 だからこそいま、亡くなったオッカに対しても、同じ気持ちを良平は抱くだろう、という、いわば布石の役割です。

 「旦那は葬儀の日に涙も流さない。
 娘は娘で四十九日の前に出戻って帰ってくる。
 これじゃあ乙美さん、浮かばれないよ」

 そんな珠子の小言が心に深く突き刺さった父娘。

 あの白い石を持ったまま川辺にたたずむ百合子のもとに、良平がやってきます。

 「小学校に上がってからも、これを握ってないと眠れなかった。
 …すぐそばにオッカがいたのにね。

 オッカはそんな私を見て、どう思ったんだろう?」

 「乙美はいつもここに来て、花束流して、手を合わせてたよ。
 川はあの世とこの世の境目だと言って。
 お前の成長をそうやって、万里子に報告していた、らしい…」

 ここでオッカがそれをしているシーンが流されます。
 川の向こうには、身ごもったままの万里子の姿。
 母親というものが分からない、と人知れず悩んでいた、オッカ。

 「真っ白だったね、オッカの年表。

 …子供を産まなかった女の人の人生は、生んだ人より余白が多いのかな?

 そんなことないよね?

 オッカは幸せだったんだよね?」

 それに答えない父。
 不幸なわけない。
 そう答えられない悲しさ。

 悲しい沈黙が、流れていきます。

 そして川を眺める、万里子とオッカ、そして百合子のショット。
 これは、百合子の心象風景なのでしょうか?

 百合子が自分に会いに来た夫(宅間孝行サン)にきっぱりと別れを告げたその晩。
 良平が乙美との思い出の品であるシンデレラの絵を百合子に見せます。

 ここから良平の回想です。

 33年前、珠子の言いつけで夏祭りの夜、乙美の豚まんじゅうの屋台に呼ばれた良平。
 相変わらず伊東サンの扮装ぶりには笑えるのですが。
 珠子の手前もあってか良平はその豚まんを実においしそうにほおばります。
 子供の百合子も、一緒にほおばる。

 しばらくして、良平の家にやってきた乙美。
 自分との見合い話を良平が断った理由を訊きたかったらしいのですが。
 そんな自分に嫌気がさしたのか、シンデレラの絵を娘さんに、とだけ差し出して、その場を後にしようとします。 なぜか気になって、それを追いかける良平。

 乙美はあのお祭りの日、どうやら良平に食べさせるために(?)肉まんの屋台を出したようなのですが、夏祭りに肉まんなんておかしかった、と反省します。 「あとの祭りだ」 と食えないギャグをぼそっと言う良平(笑)。

 「珠子さんからお見合いの話をいただいたとき、天にも昇る心地がしました。 『あ~、豚まんの君だ!』 って」

 豚という言葉に気分を害する良平。 慌てて謝る乙美。

 「あの、ポニーテールの可愛いお嬢さん。
 自分が子供が産めなくても、母親になれたら、どんなにうれしいだろうって。

 こんな私ですけど、夢があるんです。

 私がこしらえたものを、おいしそーうに食べてくれる人。
 そんな人と家族になれたら、私は一生、幸せなんです。

 熱田さんはあのとき、私が作った豚まんを、『おいしい』 って言って食べてくれました。
 その記憶だけで、一生幸せで、一生信じて、ついていけるって」

 夜のバス停。
 停留所に座る良平と乙美。
 ボンネットバスが、向こうからやってきます。

 なんだかネコバス(「となりのトトロ」)でも出てきそうな雰囲気で、ハッとしました。

 さっきのハルミのウィンクに百合子がヒクッ!となったときも、「なんかオソノさんのウィンクにヒクッとなったジジみたいだ」 と感じたのですが、これって宮崎アニメのオマージュなのかな?なんて。

 とにかくバスが来て、乗り込んでいく乙美を見送りながらそのシンデレラの絵のなかに、「ふろく」 と書かれたシンデレラの着せ替えの切り抜き絵を見た瞬間、良平は電流が走ったように決断するのです。

 「今度娘と動物園行かないか?」

 閉まるバスの扉。
 振り返る乙美。
 走り出すバスを、良平は追いかけます。

 「だから、動物園だ!

 ほら、パンダを見ないか、パンダ!…いや…パンダはいないけども!

 お~~い、聞こえるか!?

 動物園だ! 動物園!

 返事待ってるぞーっ!」

 あまりにおかしくて見ていて笑っちゃったのですが、なんかじわじわと、ウルウルしてしまうのです。


 そんな良平の思い出話にしんみりしてしまう、百合子とイモ。

 「母さんが幸せだったかどうか、俺には分からん…。

 だが、子供を産まなかったからと言って、母さんの人生が真っ白だったなんてことが、あるか?

 …そんなことはない。

 そんなことは絶対ないぞ、百合子。

 父さんは、そう思う」

 これは子供が産めなくて体外受精までした百合子にとっても、とても身につまされる父親の言葉なのです。

 その直後、百合子はイモから、駅のホームに置き去りにされていたミカンが入った紙袋を手渡されます。
 夫との先ほどの別れの話、百合子は駅のホームにたたずむ夫を遠巻きに見ながら、ケータイで話し合ったのですが、その現場をイモが見ていたのです(イモ、ストーカーチック…笑)。 そしてその紙袋のミカンは、結婚当初から百合子と夫が育ててきたミカンの木になったもの。 ようやく甘いミカンが出来た、という夫の報告だったのでしょうか。 このふたり、よりを戻す可能性が限りなく大きい気がします。

 同じころ。

 「又」 の字だけ書けなかった 「没」 の字を、良平が書いています。

 そこに落ちる、一粒の涙。

 「私の作ったものを、おいしそうに食べてくれる人となら、一生私は幸せだ」 と話していた、乙美。
 夏祭りの日に豚まんじゅうなんて一生懸命作ってしまう、おっちょこちょいの乙美。
 シンデレラの絵や白い石で、乙美の在りし日の姿がまた、走馬灯のように思い出されたんだと思うのです。

 「そっか…。

 死んじまったか…。

 そうかー…」

 その場に突っ伏して、号泣してしまう良平。
 葬儀の時も泣けなかったのは、この日のための涙だったのでしょう。
 泣けました。
 かなりひどく、泣けました。
 あ~書きながら、また泣いてます(笑)。
 …ずいぶん久しぶりだなー、この状態。

 突っ伏したまま寝込んでしまった良平。
 よそいき姿の百合子に起こされます。
 オッカとの大事な品を取りに行こうと、東京へいったん戻ることにしたのです。

 「おい、上着は持ったか? 夜は冷えるからな!」

 ぶっきらぼうな父の言葉。
 娘を気遣いながら、そんな不機嫌な調子でしか言えない家族の屈折した思いが、また一瞬で表現される。

 このドラマ、全4回ということは、これでもう半分ですか~。

 こういう良質のドラマは、もうちょっと長くやってほしいものです。

「四十九日のレシピ」 に関する当ブログほかの記事

第1回 川へ行きなさいhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/02/1-4162.html

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コメント

リウさん、こんにちは。

もう「美しい隣人」がどっかに行っちゃうほど、このドラマにハマってしまいました。
実はTVを地デジに変えてから、予算の関係で録画を諦めたのです。
なので、どちらかしか見られず、結局こっちになってしまいました。
今回は、たまたま中2の娘も一緒に見てたので、1回目の説明をしながらでした。
ユリッチが変身するシーンでは、娘が「あ、このオバちゃんホントはキレイじゃん」と(笑)。
お父さんが、号泣するシーンでは娘も一緒に泣いていました。
「ママ、このドラマ面白いわ、次も見る」って。
反抗期真っ盛りの娘ですが、「ママが先に死んだら、パパはどうするかな?」って言ったり、親子の会話のきっかけの一つとなりました。
あと2回で終わるんですか?
来週は、浮気相手が暴れるとかの予告があったのですが、いっそのこと、子供をユリッチが引き取って育てるとか・・・。
どうなるんでしょう?楽しみです。

投稿: chie | 2011年2月25日 (金) 14時25分

chie様
コメント、ありがとうございます。 14時25分、ということは、私がこの記事をアップしてからすぐにコメントを下さったんですね。 返信が大変遅れました。 大変申し訳ありません。 このところ仕事がたてこんでまして、疲労の極みなもんで…(言い訳だbearing)。

そんな疲労困憊の身にもじわーっと沁み込んでくるようなこのドラマ、あと2回だなんて短かすぎます。 今クールのほかのドラマをすべて凌駕してしまった、というのに…。
でも、確かに 「美しい隣人」 よりも私も好きですが、「美しい隣人」 もこのところヒートアップしてますよ。 どうして良質のドラマが同じ時間帯でかちあってるんでしょう。 両方見られないのはとても残念な気がいたします。

中2の娘さんも泣いておいででしたか。 伊東サンが号泣するシーンでは、私も 「Mother」 以来の大号泣でした。 この記事の文章がそれを伝えきれてなくて、なんか悔しい。

「ホントはきれいじゃん」、ってcoldsweats01、そう言えば和久井サンが髪を少女のようにするのを見たのは、私も久しぶりでした。 ハッとしましたね。 「ちりとてちん」 とか 「不毛地帯」 とかの、良妻賢母のイメージが強いんですよ、最近の和久井サンって。

「もし家族の誰かが死んだら…」 って考えることって、実は家族の一員として家族のありがたみなんかを感じる、いちばんのきっかけとなる気がします。 大丈夫です、いくら今が反抗期でも、娘さんはきっとしっかり成長されると私は思いますよ!

このドラマを見ながら、私も家族のありがたみを、痛いほど実感しているのですから。

投稿: リウ | 2011年2月26日 (土) 09時37分

イモちゃんが小さいオッカみたいで
彼女(とハルミ)が舞い込んでこなかったら
父と娘は、それはそれは暗い毎日をぶっきらぼうな会話で過ごしていたことでしょう。

いろんなコたちの面倒をみてきたオッカのことを水谷八重子さんが「酔狂な人」と言ったのが、妙に説得力があります。

私はオッカのことを絵本作家かイラストレーターなんだと思っていたけれど(あまりにも上手いので。ま、プロが描いてますがw)
純粋に主婦業がしたい人だったんですね

すでにこの世にいない人が残された人たちにすごい影響を与える。
オッカの人物像と人生を描くとともに
妻を亡くしてしまった夫と、
結婚生活がダメになった百合子が
挫折から再生していくお話でもあるんですね。

投稿: マイティ | 2011年2月27日 (日) 20時25分

マイティ様
コメント、ありがとうございます。 20時25分に投稿いただいた、ということは、大河ドラマの時間ですよネ(笑)。 脱落しましたか(笑)。

イモがオッカの代わり…、なるほどです。
「あなたの夫はきちんとあなたのことを考えている」、ということをしっかり百合子に伝えたい…、そんなイモの心は、オッカの心のようでもありますね。

四十九日が過ぎればイモも熱田家とお別れするんでしょうけど、そのときを勝手に想像すると、寂しくてたまらなくなります。
まるでホントにイモが、「死んだ人が四十九日まではその家にいる」、ということを現身で体現しているような気、さえしてきます。

陽気なブラジル青年ハルミも良平にとっては、死んだはずの息子の身代わりであり、彼とのひとときは、まるで死者との対話をしているかのごとき、「異人とのひととき」、なのかもしれません。

たぶん父娘とも、ドラマが終わるころには精神的にも立ち直って、また明日を生きていこう、という姿勢に変わっていくのだろうと思います。

そのときのことを考えると、やはり寂しい。

死者との本当の別れ、というものに直面したくないから、そう感じるんでしょうね。

投稿: リウ | 2011年2月28日 (月) 07時11分

リウ様

陽気なブラジル人、じゃないかも。
彼もおっかに助けられたひとで、
自分の名前を変えてしまおうとする人なので。
彼にも、悲しい思い出があってもおかしくないかもです。

だのに、陽気に振る舞って。。。。でまた泣かされるんですよ。(泣かされることにうれし泣き!)

投稿: みり | 2011年2月28日 (月) 15時37分

みり様
コメント、ありがとうございます。 出勤前なので取り急ぎ返信いたします。

ハルミが陽気なブラジル人じゃない、とは全く思いもよらなかったです。 そう言えば、名前だってパウロ、でいいわけですもんね(もしくはサントス)。
良平の昔話のときはすやすや寝入っていたハルミでしたが、まるで子供みたいでした。 彼に悲しい過去があるとすると、私もウルウルになってしまいます!

投稿: リウ | 2011年2月28日 (月) 17時00分

リウ様
た、大河は…
音だけ聞いてましたよ!
柴田利家と家族になったのは気がついてますよ!

投稿: マイティ | 2011年2月28日 (月) 23時40分

柴田勝家の間違いでしたよhappy02

投稿: マイティ | 2011年2月28日 (月) 23時42分

マイティ様
音だけ、ですか…(笑)。 まあ音だけでも理解できそーですけど、今年の大河はcoldsweats01。 大河をまじめにご覧になっているかたには、却って腹が立たなくていいかもしれないです、その視聴方法。

ドラマでは前田勝家だろうが柴田利家だろうがどーでもいい感じですけどね、もっと言えば(かなり辛辣…)。

投稿: リウ | 2011年3月 1日 (火) 07時10分

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