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2011年2月20日 (日)

「ダークエイジ・ロマン 大聖堂」 第3回 利用される神々

 まず前回の訂正から。

 石工職人トムが捨てた息子を拾った元泥棒の聖職者をウィキではフランシス、と書いたのですが、それは原作の話で、今回彼は、ブラザー・ジョニーと呼ばれていました。 フィリップの弟、という原作の設定もないようです。

 それと、アリエナの弟リチャードは耳を切り取られた、と書いたのですが、今回なぜか元通りになっていたような…。 生えてくるわけないし(笑)。 私の勘違いだったのでしょう。

 それにしても、この猛スピードで飛ばしまくるドラマ、第3回目で幾分小康状態になったせいか、なんとかついていけるようになったのですが、これだけ細部にこだわっているのにこの速さで駆け抜けるのは、どうしてももったいない気がして仕方がありません。
 これだけお金がかかってそうなんだからもうちょっとゆっくりやっても、なんて、…やっぱりビンボー症だからそう考えてしまうんでしょうかね。



 第3回のあらすじを追っていきます。

 国王ヘンリー一世の娘であるモードに加担したとして謀反人の罪を着せられ、ウィンチェスター城で処刑されるバーソロミュー元伯爵。
 まずここでの処刑がまるでお祭りの縁日の一行事のように行なわれていくことに、中世の常識の現代の倫理観とのあまりの違いに、卒倒しそうになります。

 バーソロミュー処刑の言わば前座として泥棒をした男が両手を切り落とされるのを面白がって見る群衆。
 怒って野次を飛ばす者、ゲラゲラ嗤う者。
 手が切り落とされ、飛び散る血しぶきに 「血がかかっちゃったよ」 と顔をしかめながら鬱憤が晴れたような人々。
 そしてバーソロミューが現れると、その下品な反応は最高潮に達するのです。

 これは当時、処刑というものが見世物感覚で、民衆の不満のはけ口だったことを一瞬で表わしています。
 その群集のただなかにいたバーソロミューの娘アリエナ、息子のリチャード。
 「早くやっちまえ」 の野次が飛び交う中、アリエナは毅然と、主催者であるスティーヴン国王に慈悲を請うのです。
 静まり返る群衆。

 アリエナは結局、仇であるスティーヴン王の軍に弟を騎士として迎え入れてもらうことにする。 かつて自分の領地だったシャイリングを再び取り戻すため、断頭台の父親と目と目で心を通わせながらの、苦渋の決断です。
 それを見届け、断頭台の露と消える、父親のバーソロミュー。

 馬と鎧を用意したら軍隊に入れるかどうか判断してやる、とスティーヴン国王が言い渡したことで、アリエナたちは資金が必要となるのですが、バーソロミューが金貨50枚を託した、と話していた教会の神父は、自分だけうまい飯にありつきながら、そのうちの40枚をすでに浪費。 それだけじゃ足りないので、アリエナは羊毛の売買をすることで、少しずつお金を貯めようとするのです。

 ただここでアリエナが皮算用していた利益の生み出し方法なんですが、ちょっと諸費用の計算が抜けてるような気がしました(笑)。 市場へ行くまでの食事代とかどうするの?みたいな。

 いっぽうキングスブリッジのフィリップ院長の大聖堂建設を阻止しようとするワルモノ司教・ウェイルランは、ヘンリー一世の出てくる悪夢にうなされるスティーヴン王に取り入り、シャイリング領の石切り場をフィリップたちに使えなくするのです。
 その石切り場を取り仕切っていたのが、ハムリー家の長男、ウィリアム。
 ジャックが手っ取り早くその権利を得ようと、ウィリアムの雇っていた用心棒と決闘するのですが、あえなく敗北。
 フィリップは労働のときに歌われる聖歌に目をつけ、夜明け前に石切り場へ労働者と聖職者を大挙ひきつれて採石を強行。 止めようとするウィリアムの前に十字架を突き付けます。
 のぼってきた朝日にその十字架は光り輝き、まるで奇蹟のようにウィリアムを圧倒していく。
 ドラキュラか、と思いましたけど(笑)。
 いずれにせよそれは、フィリップの巧みな奇蹟の演出です。
 ひざまずき、神の奇蹟に人々がひれ伏していきます。

 ウェイルランとハムリー家の策謀にもかかわらず、国王が大聖堂の建設現場を視察に来る、という日までに、その建設が順調に進んでいることをアピールすることに成功したフィリップたち。
 ジャックが決闘で骨折した左手の傷を押しながら完成させた聖アドルファスの像の前で、スティーヴン国王は悪夢でヘンリー前国王からさんざん脅され聞かされていた予言が目の前で繰り広げられる幻覚に襲われ、錯乱し口から泡を吹いて倒れます。

 すごい駆け足での説明でしたが、ドラマ自体がすごい駆け足なのでご了承いただきたい(笑)。

 この回で大きくクローズアップされていたように思うのは、聖職者たちの抱える闇、だった気がします。

 バーソロミューの金貨50枚をネコババした神父。

 預かっていたはずだと主張するアリエナたちに、「嘘だ。 謀反人の言うことなど誰が信用するか」 と言ってきかない。 逆上したアリエナたちに鼻を削ぎ落とすと剣を突き付けられ、「聖職者を傷つけるのは罪だぞ!」 と護身に走る。

 スティーヴン国王の悪夢を利用しようとするウェイルラン。

 モード一派が自分に反抗しているのに滅ぶことがない、神はどうして自分に味方しないのだ、と詰問するスティーヴンに、「神はあなた以外の誰かに怒っておられるのではないでしょうか」 と、フィリップの大聖堂建設に国王の目を向けさせる。

 自分が神に仕える身だと自覚しているならば、金になど目がくらむはずがありません。
 また、神の御宣託を伝えるべき立場の聖職者が、自らの都合によって勝手に神の名を拝借することは、あってはならないのは自明です。

 これは当時の教会が、権力に結びつくことで必然的に陥っていた腐敗の一端なのだということを、比較的分かりやすく表現しています。

 けれどもそれ以上に私が問題だと感じたのは、フィリップが神の奇蹟を自己演出して、石切り場の利用を可能にさせた、というくだり。

 これは大聖堂を建てる、という公益的な立場から方便として採られた、言わば 「よい嘘」、であります。

 けれども結果的によいことをしているのは理解できますが、それが演出によるものだとしたら、それでも果たして 「よい」 のでしょうか?

 神のような超越的な存在は、目に見えない存在です。

 信仰は言わば、その見えないものを信じる、という点で共通している。

 宗教の陥るドグマは、実はそんな不確実なものを起源としているがゆえに発生するメカニズムを有している。

 人が宗教を信じる、信仰をする、という姿勢自体は、自然発生的なものであると私も考えます。

 けれどもそれをつかさどる、いわゆる僧侶、聖職者、と敬られる立場の人間が、もしその人々の純粋な信仰心というものを利用しているのだとしたら、どうなのか。

 今回のフィリップのように、目に見える奇跡を、人々は期待している側面があります。

 なぜならいくら信仰をしても、なかなかその成果は目に見えてこないからです。 スティーヴン王がそのことで苦悶していましたよね。

 個人的な宗教観を持ち出して大変恐縮ですが、私は信仰というものは、人としてのありようを提示し自覚させてもらうものであって、神仏に望みをかなえてもらうことも確かに大事ですが、それが本道ではないんじゃないか、そう考えています。

 そんな立場から今回の話を考えると、いくら良いことのためとはいえ、公益性が最も求められる場合とはいえ、そのために神々を利用するフィリップの姿勢には、疑問を感じます。
 これでは人々を思い通りにするための道具みたいじゃないですか、神々が。
 神ってそんな実利的な存在でいいのかな、と思うのです。

 いずれにしても、そんなことまで考えさせてくれるこのドラマは、やはり奥が深いと思われます。

 ネコババ神父やウェイルランレベルの 「聖職者の堕落」 はよくお話で目にする気がするのですが、フィリップのような賛否が分かれそうな信仰の実利的利用をしている聖職者、という存在は、あまり見たことがない。

 それは我々が、信仰心について真剣に考える機会というものを避けているゆえに、なかなか正面切って取り上げられない、ひとつの表れでもあるような気が、するのです。

「ダークエイジ・ロマン 大聖堂」 に関する当ブログほかの記事

第1回 圧倒的な徹底ぶり
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/02/1-237d.html
第2回 骨のあるドラマとはこういうものかhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/02/2-4477.html
第3回 利用される神々http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/02/3-537a.html
第4回 むせかえる死臭のなかでhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/03/4-34e0.html
第5回 永遠の一部たるべきものhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/03/5-a7e7.html
第6回 神の意志はあるかhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/03/6-69bf.html
第7回 信仰の本質とは、どこにあるのかhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/03/7-1f00.html
第8回(最終回)前編 神とどう向き合うのかhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/03/8-46ec.html
第8回(最終回)後編 神になるのか、神を敬うのかhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/03/8-1065.html

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テレビ」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。初めてお邪魔します。 ある本に書いてあったのですが、そもそもローマ皇帝がキリスト教を初めてローマ国教に認めたのは、キリスト教つまり一神教を『支配の道具』として利用するためであったとありました。やっぱりそうかと思ったものです。そう思うとキリスト教と絡んで権力を絶対的なものにするのは簡単ですよね。神の名を口にすればいいのですから。だからリウさんがおっしゃる通り「人々を思い通りにするための道具」というのはその通りなんですよ。それに一神教の性質から、キリスト教は当初から同じ宗教内でも教義が違えば争いになりました。異端、異教は処刑の対象。当時は日常茶飯事に処刑が行われていたのです。今で言うエンターテイメントでした。当時の娯楽は残酷なんです。現代の感覚では理解できませんね。中世に関係する本を最近読みまくっている私にはビジュアルで見られる「大聖堂」は文字が具体化されて、毎回感心しながら見ています。例えば中世の裾の長い服引きずって歩いたら、泥だらけになるじゃないと思っていたらドラマでほんとに泥だらけだったのでやっぱりかなんて見てました。これからも楽しみですし、リウさんの感想文もとても楽しみにしています。
追伸:第一話で病気の司教さんが血を太い針で抜かれている場面がありましたが、それについて一言。当時は、病気は血が悪いので病気になるのだと信じられていたのであーやって血を抜いていたそうです。それしか治療が無かったのかと思うほどですが、事実です。あれは治療風景だったんですよ。

中世メンタリズムの花 様
こちらこそはじめまして! コメントくださり、ありがとうございます。

私は学校でも日本史ばかり習ってきたので、西洋史にはホントに疎いのですが、ローマ皇帝がキリスト教をいわゆる民衆を束ねて統率するために利用した、というのは、日本史では奈良時代に、名前はど忘れしましたが、ある天皇(聖武天皇だったかな?)が仏教を同じような意図で保護した、というのと、からくりが似ていますよね。
政治家にしろ聖職者にしろ、偉くなりすぎるとロクなことがない、というのは、いずこも同じようですね…。

公開処刑というのが行なわれていたことは知識としては知ってはいましたが、こんな縁日感覚だったとは思いませんでした。

野蛮、と言えばその通りなのですが、どうなんでしょう。 このことについてはちょっと話が違う方向に行ってしまうのでここではいたしませんが…。

長い袖が泥だらけ…、そんなところまできちんとこだわって作られているんですね、このドラマ。 ますますすごい、と思わざるを得ません。
血を抜く治療にしても、へぇ~そうなんだ、60へぇ、いや70へぇ…(笑)…貴重なトリビアをありがとうございます。
ただしその場面、あまり覚えてないんですがcoldsweats01。 でも、確かにあったような気もします。
ドラマがあまりに詰め込み過ぎているので、記憶のかなたに飛んで行ってしまっている感じなんですよね(申し訳ないです…)。

このような拙い感想文を楽しみにしていただいて、誠に恐縮の至りです。
また何かあれば、トリビアをご披露いただきたいな、などと思っております。

リウ様

アリエナの弟、リチャードが耳を切られたのは確かだったと思います。ただ耳の上半分?3分の一?くらいだったので、傷が癒えた状態だったのかなって、私は思いました。

今回も過激なというか、私たちの感覚とはかけはなれた、処刑=ストレス解消のイベントというシーンにはびっくりでした。でも、日本でも河原とかで罪人等を処刑した時代は、こんな感じだったのかもしれませんね。

 フィリップ院長も、最初に登場した頃は純粋な聖職者というイメージでしたが、前回辺りから、自分?あるいは教会建設?にとって有利な裏取引きをするようになっちゃってましたね。今回はさらに、彼が経済的な感覚に優れていて、交渉能力も高いという部分が描かれていました。また、日の出の時刻まで計算し尽くしての奇跡の演出も・・・

 当時の聖職者というのは、単に宗教的な役割だけでなく、民の動向を探り、その方向性を政治的に操作するような役目も負っていたのかなと思いました。

 リウ様の云われる様に、こういう聖職者が居ていいのかどうか疑問ですが、フィリップ院長が教会建設という目的のために行っているとすれば、それは純粋な行為といえるのかもしれません。ウエィルラン司教のように、自分の?利益のために行動している人に比べればの話ですが・・・
(フィリップ院長は、よかれと思って城に隠れていたアリエナ、リチャードの存在をリーガンに伝えてましたよね。そういう面をみても彼は自分のためより、人のことを考えているという風に思えました)

予告では、次回、フィリップ院長はウエィルラン司教によって処刑されしまいそうですが・・、大聖堂の建設はどうなってしまうのでしょうね。

 大聖堂が作られた背景を、歴史を通してさまざまな視点から描いているために、出演者も、場面展開も多くてついて行くのが大変ですが、今後も見ていきたい作品ですね。

中世メンタリズムの花様
貴重なトリビア?有り難うございました。
初回で、そういう場面あったと思います。いったい、この場面はどういう意味???と思った記憶がよみがえってきました。あれが治療だったとは!


 

rabi様
このようなコメントしづらい記事にコメントくださり、ありがとうございます。

そう言えばリチャードの耳は、完全に切り取られた、という感じではありませんでしたよね。 なんかリチャードの耳が気になってアリエナと国王との交渉シーンに没入できなかった気が…(笑)。

公開処刑、というのは見せしめの意味もあったのだと思われるので、同じ打ち首でも日本の江戸時代なんかの場合は、中世西洋の人々に比べればまだそれを見守る民衆の反応はウェットだった気がします。 向こうは完全にお祭り気分みたいですが(笑)。

さて、コメントしづらいと思われる宗教観についてですがcoldsweats01、私はやはり、よい目的なのだから手段を選ばずともよい、ということと同じような気がいたします。

ただ、やはり人々を納得させるためには、神を可視化する必要がどうしても生じてくる。 神の像を作ったり宗教画を描いたりすることは、言わば宗教にとって、避けることのできない人心掌握術のひとつだと考えられるのです。
そしてそこには、芸術と呼ばれるものが副次的に生み出されていくこととなる。 それは人類にとっても、大いなる財産となっていることは、確かです。

ただ私は、宗教というものが人類にとってどの部分においてもっとも有用であるか、ということを考えた場合、やはり行動規範、そして生きる力を得ていくためのもの、という側面を最も重要視するのです。

聖職者によって歪められた宗教は、もはや人の心を拘束し、戦争や紛争の道具としかなりえない気がする。

「よいことのために奇蹟を具現化し演出する」、というフィリップの姿勢は、実はそんな道につながっている第一歩のような気がするのです。
それを純粋な行為なのだから仕方がない、ととらえるか、結局は民衆の純粋な信仰心を欺いている、と考えるのか。
そこんところかな~、なんて感じます。

そしてその精神的なコントロールは、とても難しい。
聖アドルファスの遺骨をねつ造しようとするフィリップの道徳的な葛藤の推移に、私は注目しています。

かなり、難しい話をしてしまいました。
大変申し訳ありません。

でも、本文にも書きましたが、信仰心について真剣に議論するって、こういうことかな、なんて思います。 かなり恐縮の至りなのですが、このような議論をさせていただき、rabi様には心より感謝いたします。 お詫びかたがた、お礼を申し上げます。

リウ様

信仰心について真剣に議論できるリウさまは凄いです。
私何ぞは無神論者でありながら、時には神頼みという、ちゃらんぽらんの権化です。

それはさておき、週末は旅行しており、第4回の大聖堂を見損ねてしまいました。
「冬のサクラ」はUPしていただいたのを拝見して、第7回をしっかり見た気になっています。
[大聖堂」をUPするのは大変かと思いますが、首を長くして待っておりますので、よろしくお願い致します。

rabi様
再コメント、ありがとうございます。 ご旅行、さぞお疲れのことと思います。 そんななか、かくも拙い記事にご期待くださり、恐縮であります。

宗教観に関して深い議論が出来る、というのは、個人的な経験が大きな理由かと考えています。 坊主の存在意義を疑問視する機会に恵まれた(?)と言いますかcoldsweats01

「大聖堂」 第4回の記事、遅れていること大変心苦しく存じます。 なにしろ先週のこの日は、午後8時から桑田佳祐サンの復活ドキュメント(これもホントは記事にしたい…)、9時からは岡本太郎氏題材の新しい土曜ドラマ、そして10時から 「大聖堂」、と、と立て続けにNHK漬けになってしまい、しかも「江」 のネガティヴ記事(批判記事を書くのは普段以上に推敲しまくる必要があるのです)を書きながらでしたので、書く機会を逸したままになってしまいました。 そのうえこのところ仕事でクタクタなこともあり、ご希望に直ちに沿えないでおります。 心苦しい限りです(書きたい記事が、たまっていくぅぅ~~…笑)。

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  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

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  • ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白

    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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