« 「美しい隣人」 第5回 傷つける言葉 | トップページ | 「あしたのジョー 本日公開!徹底解剖スペシャル!」 観に行かないけど、番組には泣けた… »

2011年2月10日 (木)

「江~姫たちの戦国~」 第5回 無神論者にはキツイ?本能寺

 大河ドラマで何百回となく繰り返されてきた(冗談)本能寺の変。
 今回の 「江」 では、結構オカルトチックなエピソードが目白押し。

 まず市(鈴木保奈美サン)が信長(豊川悦司サン)からもらっていた天下布武の印がカッ!という音とともに割れ、千宗易(石坂浩二サン)が手にした、信長が好んだという茶碗にひびが入る。
 信長は今際の際に江(上野樹里チャン)の生霊に遭遇、江は信長の死の瞬間がばっと跳ね起き目が覚める。
 極めつけは家康(北大路欣也サン)らと逃亡中(このこと自体もアリエナチックな話ですが)信長の霊のサポートを受けて、窮地を脱する。

 こういう話に引いてしまう人にとっては、なんとも拷問とも思える展開の(爆)本能寺の変、だったのでございます。 ではまた来週。

 …

 ところが私は、今回の話、結構感動いたしました(また歴史も知らんで、とバカにされそうだ…)。

 どうしてこれほどまでにオカルトチックな話に私が感動してしまうのか、と申しますと、やはり自らの体験が物を申しているのでございましょう。

 このブログを立ち上げて第2番目の記事でもすでに書いておるのですが、私はジョン・レノンが死ぬ数日前に予感がしたことと、死んだ瞬間にガバッと跳ね起きた体験をもっているのです。
 そのために、これらのエピソードについて全く違和感なく入り込めたのです。

 自分がのめり込みまくっている人物の死を、まるでテレパシーのように察知することって、確かにあるんだよなあ、という考えの持ち主であれば、今回の話にドン引きする術をもたなくなります。
 少なくとも自らに近しい人が亡くなったときに、そうした体験をした人ならば、今回の話には、人と人とのつながりが持つ人知を超えた 「想い」、というものに、心を動かされると思うのです。

 ただしそうした観点から見ても、ちょっと無理があるかなあ、と思うのは、今際の際に信長が江の生霊と出会うこと。
 でもこれって、大河ドラマの常套ですから(笑)。
 「天地人」 では、上杉謙信と会ってましたよね、信長(笑)。
 そのほかにも、確か武田信玄とも会ってたよーな気もするし、毛利元就とも、会ってませんでしたっけ?(笑)
 本能寺の信長さんは、火に巻かれながら、かくもいろんな人と会うのに忙しいのであります(爆)。
 会うワキャねーだろ!とツッコミを入れるのは、こと大河に関しては、見る側はしちゃいかんのです(笑)。
 こうすることで、その年の主役を引き立てるのが、大河ドラマのルール、お約束、なんですよ。
 本能寺、大爆発しなくてよかったですけど(あれは確か、「天…」…笑)。

 ドラマ的には、相変わらず江を含めた浅井三姉妹を年端もいかぬ小娘、として見なければ成立しない展開を示しております(しつこいですが家康も)。
 こと今回に限っては、その脳内補正は必要不可欠だった気がする。

 冒頭で馬の稽古をする江、そしてそれをちゃかす初(水川あさみサン)。
 ふたりとも幼女レベルのやり取りであります。 これは脳内補正が絶対不可欠のシーンであります。
 馬をウマく(笑)乗りこなせない江は、落馬して 「むぎゅ~…」(笑)。
 初にはやされて、「むきゃ~っ!」(笑)。
 私はここらへんの取るに足らない姉妹のやり取りを、「のだめ」 のスピンオフとゆーかパラレルワールド感覚で見ております。 そんな見方でもしないと、「なにをいい大人が学芸会をやっとるのだ」、という感想しかわいてこない(笑)。
 初が 「母上は江ばっかりひいきして!」 とプンプンするのも、末っ子を甘やかしてしまうことっていずこの時代も一緒かなあ、なんて考えてしまう。 

 実は 「江」 という物語は、序盤ではそんな幼い日の他愛もないやり取りに主眼を置いているんじゃないか…そんな気がしてきました。

 これから敵対関係へと突入していく茶々、それを取り持っていく初、そのふたりの姉との、他愛なく懐かしい日々。 それこそが作り手の主眼のような気がする。
 それを、現代の尺度で話を作ることに無理がある、と毛嫌いする人も、確かにおるのですが。

 そのうえで、やはり庶民と違って江たちには歴史上のことは深くかかわってきますから、どうしても必要最小限の史実は描かねばならない。 作り手はそこで、江と信長の精神的なつながりを描きたいと考えているようなのですが。
 そのバランスに脚本の田渕久美子サンは苦慮しなければならない。 難しい部分があると思います。

 私がふつう大河において嫌悪感を抱くのは、どちらかというと登場人物の負の部分を不当にきれいごとで済ませようとする部分や、逆に不当に特定の人物をワルモノにしようとする部分。
 でもそれにしたって、物語がそれで面白くなればよしとしちゃうことだってあるのです。

 今回、物語はテンポ良く、信長と明智光秀(市村正親サン)との確執を描いていき、本能寺へと突入していきます。
 信長が森蘭丸(仮面ラ…もとい瀬戸康史クン)になぜ光秀につらく当たるのか、と訊かれ、自分の後継者と思っているからだ、と答えるところは、なんかどこかで見たような感じでしたけど、その真意を光秀が曲解していく構図、そして右手の震えが信長討伐の考えがよぎった瞬間はたりと止まる光秀の描写、ここらへんには引きこまれるものがあります。
 いずれにせよ、
 「敵は、本能寺にあり」
 「是非に及ばず」
 「人間50年」
 この決まり文句が違和感なく繰り出される背景には、ふたりを演じた豊川悦司サンと市村正親サンの演技の凄味が大きく関与している。 正統なる大河ファンは、こういうところにシビレたりするのです。

 ところがこのドラマは、ひび割れの前兆というジャブを繰り出しながら、信長が最後のふすまを開けた瞬間、先にも示した通り、オカルトチックな話に突入していくのです。 正統なる大河ファンは、ここでがっくりきたことでありましょう(笑)。

 森蘭丸にすべてを託し(ここでの瀬戸クンの演技、迫真でした~)、最後のふすまを開けた瞬間、信長はそこに江が立っているのを見るのです。

 「江ではないか…。

 そうか…。

 別れを言いに来てくれたか…。

 江よ…。

 わしは思うまま、存分に生きたぞ…」

 江は光輝いたまま、信長を見て笑っているのみ。 信長が話しかけると、ほほ笑んだまま後ろを向いて、去ってしまうのです。

 「人間50年…。

 潮時かもしれんな…」

 ここ、やはり子役のほうがしっくりきます(しつこいな~いー加減…でも本心)。 大人の樹里チャンじゃ、「配下の裏切りという地獄の中にいる信長が純粋無垢な神々しい少女をそこに見る」 という必然性、その説得力が弱くなる。

 このシーン、江の歴史上の重要度を知っているかたがたからすれば、実に不必要なシーンと言っていいでしょう。
 ところがそれは、今回ラストのシーンと密接につながっている(そんなことはどーでもいい、という議論は置いときます…笑)。
 光秀の謀反を知った家康は、そこに居合わせていた江(ああ~、あり得ない…笑)を引き連れて逃亡を図るのですが、そのとき江は、馬に乗せられる。
 これで冒頭での馬の稽古とつながったわけですが、ここでぬかるみを越せない江を山賊が取り囲む。
 そのとき後ろから、江を呼ぶ声がするのです。
 信長です(ことここに至れば、もはやあり得ない、という話は聞く耳持ちません…笑)。

 「生きよ、江…!」

 振り返り、驚く江。

 「(伯父上…!)」

 「手綱をもて。 行くぞ」

 手綱をもつ江の手にそっと手を添える信長。 賊たちが、まるで何かの気に圧倒されたかのように、まわりから引いていきます。
 ぬかるみを軽々と飛び越える、江を乗せた馬。

 「前に進め。

 そちは生きよ」

 「そちは、

 生きよ…」

 何かを悟ったように、江の表情が険しくなっていきます。

 それは信長が、自分の命を江にバトンタッチした瞬間。

 そこに追いついてくる家康。

 その瞬間、信長の姿は消えています。

 江をこれから見守る役目になっていく家康との、バトンタッチの瞬間でもあります。

 「伯父上は、亡くなりました…」

 「なんですって?」

 「今は前へ…。

 前へ進むのみにございます…!」

 泣きながら決意を叫ぶ江。

 ここ、わけもなく泣けました。

 シャーマンじゃあるまいし、そんなバカな話があってたまるか、と思われてしまったかたには、これで今年の大河とはオサラバ~、というシーンだったことでしょう(笑)。 あり得ない話の上に、「あなたの知らない世界」 がダメ押しの如く存在しているのですから。

 ただ私が泣けた理由を書かせていただくと、こういうアリエナシーンを史実という問題を真っ向から拒絶しながら作り手が繰り出した背景。

 誰かが亡くなると、夢枕にその人が立つ、という話は、よく聞く話であります。
 それは霊視的に言うと、その本人の霊魂がじっさいにそこに来ていることではない、という話らしい(オカルトチックな話で申し訳ない)。

 つまり、何らかのその人とのつながりが引き起こす、超常現象なのだと私は解釈しています。
 今回信長が見た江の生霊も、江が見た信長の魂も、「人を思う気持ち」、というものが発生源になっているのです。

 近しい人が亡くなるのは、実に悲しいことですが、その人の意志を風に感じながら、自分がバトンを受け継ぐように生きていく。 そんな悲壮さで、人生の一部分は動いていくものだと私は考えるのです。
 そのことがこのシーンには、如実に描写されていた気がする。
 私を泣かせるのは、そんな悲壮な決意を抱きながら生きていかねばならない、人の世の習わしに対して、だったんだと、ちょっと的外れかもしれませんがそんな解説をしたいと思うのです。

 これは精神的霊魂的な話を中心として史実などを全く無視した、歴史ドラマとしてはあるまじき暴挙ともとれる再構成、であります。
 こんなのは大河じゃない、そんな意見も重々理解できる。

 でも私は、今までに見慣れてきた大河とはまた別の角度で展開していくこのドラマに、ちょっとハマりつつあります。 橋本はまた下らないドラマを擁護している、と思われても仕方ない。 でも感動して泣けたんだから、仕方ないかなあ…。

 でもやはり子役でなければならない、という意見もいっぽうでは曲げられませんけどね。
 子役のほうが、「子供はユーレイを見やすい」 という話に信憑性が増す気がするんですよ。

 私の話は、以上です。

|

« 「美しい隣人」 第5回 傷つける言葉 | トップページ | 「あしたのジョー 本日公開!徹底解剖スペシャル!」 観に行かないけど、番組には泣けた… »

テレビ」カテゴリの記事

コメント

そうですか・・・ハマリつつありますか・・・。(苦笑)

リウ様は少女漫画をお読みになった事はありますか?
私はガッツリ読んでいた口ですが、多くの人が言っているように「江」はまんま少女漫画ですよ。それもあまり上質ではない・・・。
ですからリウ様が涙されたシーンを見ても、こんなのどっかの少女漫画で見たな~という感想しか浮かびません。

いえ、100歩譲って少女漫画大河でもいいんです。
今や日本のマンガやアニメは世界的にも人気があって、評価されているのです。新しい時代の大河ドラマとして、少女漫画大河というジャンルがあっても良いでしょう。

でも・・・・・・
現状ではドラマとしての質がかなり低い様に感じます。
再三リウ様もご指摘のように、子役を使わなかったという致命的な失敗。毎回の江と初の寒いコント、スベる秀吉、薄っぺらなストーリー、陳腐な演出・・・。
さまざまなマイナス要素が不協和音を奏でて、三流少女漫画に成り下がっているのはいただけません。
大河ドラマとして放送するのであれば、一流の少女漫画でなければならないと思います。

私は見始めて早々に「見所はトヨエツ信長だけだな」と思い、5話まで見た今もその考えは変わりませんので、ひとまずオサラバです。
もし気が向けば、江がもう少し大人になって徳川家に嫁ぐ辺りに覗いてみるかな~という感じです。

投稿: のっぽの通行人 | 2011年2月11日 (金) 16時42分

のっぽの通行人様
コメント、ありがとうございます。

ハハ、呆れられてしまいました…。
私だって少女マンガには精通して…と言いたいところですが、通して読んだのは 「ベルばら」「トーマの心臓」 のみかな…coldsweats01
ですから信長の霊が江を助けるシーンも、免疫なく感動出来たのかもしれません。 そんなのばっかりなんですか?最近の少女マンガって。

それはそれとして、私も結構大河歴は長いですが、「江」 は大河を通じたレベルからして確かにかなり見劣りするとは、感じていますです。 それを承知のうえで見ているからか、ずいぶん分水嶺の低い場所で泣いちゃったりしてるなーと、自分でも感じています。

江と初の寒いコントは、子役でなければ見てられんですよねっ(笑)。
でもこんな下らんじゃれ合いをしていながら、嫉妬心むき出しの初がそのうち江と茶々の仲を取り持っていく、という役割を担っていく悲しさ、というものを、私は感じています。

駄々をこねて畳の上を高速ブレイクダンスをする秀吉は、まあ狙ってるんだろうなー、と…(笑)。
岸谷サンはSETの一員でしたが、SETのギャグがすべるときに似たものを感じてます(笑)。 滑りっぱなしの秀吉、っていうのも、面白いじゃないですか(笑)。

大河ドラマに一流を求めるのっぽの通行人様のお気持ちは、私もじゅうぶん理解出来ます。 私もかつてはそうでした。
大河ドラマ、というのは、要するに日本を代表する作品でなければならない。
その基準というものは至高で、つまらんものを出してきたらばケチョンケチョンにけなしてやる!
それが大河ドラマを作る者に課せられた十字架なのだ!くらいの感覚で見ておりました。

それがいつからか、私の頭の中のハードルはずいぶん低くなっていった気がします。
かつての自分の基準からいけば、近年では評判のよかった 「風林火山」 ですら話が薄っぺらでしかない。
やはり 「天地人」 で批評眼が相当トーフ並みにやらかくされたのかなー(爆)。

私が感じているのは、この序盤はこれからの物語の準備期間なのではないか、ということ。
江と茶々の敵対関係、そして徳川秀忠との夫婦関係、春日局との関係をメインに見据えながらの準備期間であるがゆえに、話があっさりしていていろんな史実をないがしろにしている、そんな気がするのです。

確かに底の浅いドラマなのは認めます。 でももう少し長い目で私は見たいと思っています。

長い返信になり、誠に失礼いたしました。

投稿: リウ | 2011年2月12日 (土) 06時33分

再び失礼いたします。

リウ様が、どこか良い所を見つけていこうというお優しいスタンスでいらっしゃる事も、「江」のレベルが低いのをご承知の上である事も十分理解しています。

私は、前々から書いているように単なるミーハー視聴者で、元々そこまで高尚なものを大河に求めているわけではありません。
「一流」というのは大河としてではなくマンガレベルで「一流」という意味で(本来、大河とマンガは別物だと思うので)、好みの問題は別にして、元々私のハードルはそんなに高くはありません。
ですが、さすがにモノには限度というものがあるという感じなのです。(笑)

序盤が物語の準備期間というのは、どのお話でもたいてそうなのでは?(違うかな?)
でも、普通はもう少し物語の世界に誘われる感覚がある様な気がするのですがこれは・・・。  初の事にしても、寒いコントから未来に思いを馳せるのは凡人には至難の業です。
何より、5話まで見てもヒロインの江に全く魅力を感じないので(色々な無理がたたってるせいでしょうね)、この先の成長にも興味が沸かないのが痛い。だから、姫らしく少しは魅力的に成長した頃を見計らってまた覗けばいいか、となってしまうんです。

噂によると、江が十代後半になって徳川家に嫁ぐのは6月からという事なのですが事実なのでしょうか?(笑)
それまでまだまだ中学生以下の子供演技が延々続くなんて・・・どんな拷問ですか?!(笑)

投稿: のっぽの通行人 | 2011年2月12日 (土) 18時39分

のっぽの通行人様
再コメント、ありがとうございます。

確かに準備期間、長すぎますよねぇ…(笑)。 いつまでこんなおぼこ娘の演技を見せられるのだ?という気は、私もします(笑)。 そうか、江は最初の結婚からして早かったですからねー、それで子役を使わず上野樹里チャンを出し続けるしかないのか…と今、ひとりで勝手に得心しております(笑)。

それにしても大人の女性が幼女の演技とは、さすがに感情移入は、しにくいですよね。 ああ~早く、大人になってくれ、江…(6月ですか、まだまだ先だ…確かに拷問だ…笑)。

こうなってくると、江を大河の主人公にすること自体が間違っているような気がしてまいりました、私…。 子役で半年は、やっとられんですもんね(ダブルキャスト、という方法もありそうですが…)。

勝手にのっぽの通行人様が一流を求めている、などと解釈してしまって、申し訳ありませんです。
私自身は以前のハードルの高さが 「天地人」 によって突き崩された反動で、今はのっぽの通行人様よりもっと、ハードルが低くなっているのかもしれません…。 ミーハー以下、ですよね、私…。

とりあえずよい部分を見つけながら、どこかで爆発するかもしれませんが(笑)、書こうと思ったことは書いていくつもりですので、よろしかったらまた厳しいご意見をお待ち申し上げております。

投稿: リウ | 2011年2月12日 (土) 20時10分

 いつもブログをのぞいていただきありがとうございます。今日も15時過ぎに来てくださいましたか?
最近はリウ様はいろいろあってお疲れの由、ご自愛ください。

 リウ様がご自身のドラマの見方に疑問をお持ちとのこと、まちがいなく私の記事をお読みくださったからでしょう。こちらでは切り刻みまくっていますから。
 リウ様とわたしとの違いは、極論ですが、いわゆる“ベタ”にはまることを好むか、逆に離れてリアリティを追求するか、の違いと思われます。その、フィクションの流れのよさを見るのがリウ様の良さで、どうしても辛い評価になりがちなこちらの正に脳内補正をするにはぴったりのブログを見つけたと感じてコメントを寄せたのが去年のことでした。間違いなく、橋本リウ詩集はいいところです。

 ひとつ、江の予知夢についていえば、むかし学研が販売していた書籍の付録の記事を思い出しました。パブロ・ピカソをテレビで見た少女が彼の死を数日以内に起こると予言したというもの。だからリウ様のレノンについてのことはありえると思います。ただ、ドラマの場合、江が知識がありすぎて小賢しすぎる。だから子役を配し、次元のちがうところを見る目をさせ、言葉をはずす演技をさせるほうが説得力があるとおもいます。
 もうひとつ、合理主義者とおもわれる信長が、その死後、江の背中に寄り添ってはまずい。だからうちのブログに“信長、オカルト”なんて検索が入るわけで。
 とくに今回の大河チームはなんでもかんでも知恵が回り理解ができる21世紀人の考え方を戦国時代の脳に移し変えているつくりをしている。そしていわゆるベタ優先につくっている。これお好きな人ははまるのですが、お嫌いな人は寸時に遠ざかる。この大河を嫌いな人が増えるのは仕方がないと思います。

 私にとって、こちらのようにコメントをいただけるブログにするのは大きな目標です。ただ、リウ様のように毎日訪問していただく人が数人います。先日は名前の知らない沖縄の方が1日に60アクセスしその後毎日寄っている方もいます。最近はアメブロの中で訪問するひとが約50人来るようになりました。それでアクセスが飛躍的に増えることはなく(前月より若干減っています)、コメントもいただけませんが、孤独は感じなくなりました。今は、そんなコミュニティの村長気分で、一人勝手に責任を持って書いています。リウ様が孤独を感じることはないです。フォースに囲まれていらっしゃるじゃないですか。

 ただ、私のブログのアクセスが増えることは厳しいと思っています。無理を承知で脳みそをしぼり、疲れと戦いながら書いています。まあ、リウ様ほど過酷じゃないですが。
 いいブログは、文章が短く、写真が載る、もっと言えば芸能人なら手っ取り早く人気になる。でも、あえていいブログの条件に目をそむけ、どこに載せても恥ずかしくない文章を目指して書いています。そして、お越しいただく方のためにプロのはしくれ気分で書いています。
 技術的にいえば、

 ……(笑)
 
 本田△

 アリエナチック

 イミフのダンナ

 こうした語句はいっさい使わない文章を作ることを課しています。ブロガーさんや携帯文字に慣れた方には非常に読みにくいのが私のブログです。これでアクセスが増えるわけが無い。でもこれを変えずに戦っていこうと思っています。
 実は最近のリウ様の記事、読むのはつらいものがありました。

 橋本はまた下らないドラマを擁護している、と思われても仕方ない。でも、感動して泣けたんだから、仕方ないかなあ…。

 こういう文を読むと、自信がなくて媚びているように読めるんですよ。もっとストレートに、自信をもってお書きになればいいですよ。私とちがう意見であっても。それにこの前の記事、おっしゃることは正論ですが、フザケンナ、とか、怒りに満ちた文を書くのは読むに耐えないです。そんなときこそ冷静に書くと、かえって静かな怒りが伝わると思います。

 文章は怖いです。詩人であるリウ様ならきっとわかっていただけるとおもい、僭越なコメントを寄せましたこと、お詫びいたします。

 2月に入り他のブログでも、記事を書くことを停止するものが増えました。1月を気張って書いてきたものの、2月にはいってみな疲れが出たようです。インフルエンザにかかったようなものでしょう。ま、春になればみんな元気になりましょう。4月になれば『JINー仁』も始まります。ま、のんびりいきましょう。こちらもはいずってがんばります。

投稿: リーン | 2011年2月13日 (日) 20時32分

リーン様
読み応えのかなりあるコメント、ありがとうございます。
こちらもそれ以上に長いコメント返信となってしまいます。 大変申し訳ありません。

ドラマに対する自分の鑑識眼がずいぶん世間とずれている、と感じてしまった原因ですが、確かにリーン様のブログを読んだことも大きな原因ですが(笑…あ、←この表現はお許しください)、私がよく訪れるヤフーの 「みんなの感想」 でもほぼ90%以上が今回の本能寺を批判している、ということも大きいです。

確かに史実とはかけ離れているし、私が重視している 「ドラマとしての深み」 にも到達していません。 ここでも再三書いていますが、そのことを私はじゅうぶん認識しています。

そのうえで 「いいとこ探し」 をしている、という姿勢で書いている、ということも、ほかの記事にですが書きました。

私は、ドラマを見ていて 「許せる範囲」 と 「許せない範囲」 というものは、人によってだいぶ隔たりがある、ということを、今回身にしみて感じております。

よくできたドラマ、というものは、有無を言わせない気迫に満ちています。

けれども隙のあるドラマは、見る側の判断基準(難しいところでは 「知識欲」、簡単なレベルでは 「好き嫌い」)に大きく作用してしまう。

大河ドラマを 「まあ史実は大事だけれども、ドラマとして深ければある程度の改編は認める」 と考えてご覧になっているかたは、まずこのドラマの内容的な浅さにがっかりし、その原因をいろんなところに求めようとする、そう私は考えています。 つまりそんなことを考えさせてしまう隙が、このドラマにはありすぎる。

大河ドラマに史実を求めているかたにとっては、それ以前に失格のドラマであります。 浅井三姉妹のほかに息子もいたことを完全無視しているし、築山事件も極めて消化不良、家康の 「伊賀越え」 に江が同行していた、という創作。
これらの数々に見る側の知識欲は大きく失望し、逆に嫌悪をもって迎え入れられることとなります。

そういうことを承知の上にもかかわらず、私がなぜこのドラマに味方するのか(「今のところは」、というお断りの上での話ですが)。

泣けちゃった、というのが最大の理由であります(失望せず、この先をお読みください…笑)。

では、どうして泣けたのか。

まず大前提として、私は 「江は子供である」、という目には見えないフィルターを自分の脳にかけて、このドラマを見ています。

これはなかなか難しいことであります。 いかに自分に言い聞かせていても、樹里チャンの演技を見ているうちに、自分の 「幼女」 に対して持っているイメージとのギャップに、頭がついていかない場合もある。

リーン様が江を 「小賢しい」 とお感じになってしまうのも、僭越ながらおそらくそんなギャップに 「こんな難しいことを10歳くらいの子供が考えるはずがない」、という判断をされてしまうからなのではないでしょうか。 私の思い違いだったら平にご容赦願います。

私は、「10歳くらいの小娘であるからこそ小賢しい」、と考えています。

そして、「10歳くらいの小娘であるからこそ、当時の礼儀作法の常識もわきまえず、後先考えずにエライ人間にも怖いもの知らずでズケズケものを言うのだ」、と考えています。

そして江がここまで出しゃばりなのは、「大河ドラマの主役だから仕方がない」、とは考えず、「末っ子の持つ特性なのだ」、と考えています。

要するに甘やかされて育ってきたからこそ、江はここまで自由奔放に生きている。 当時の上流階級であったからこそ、小賢しい理屈を身につけている。

このドラマでは、信長はそんな江の奔放さに、自分を許しています。

そんなふたりのつながりを、作り手は執拗に描いている気がします。

当時の世の中の因習に絡め捕られたエイトスに対して、このふたりは 「自らを由とする生き方」 を貫こうとしている。
それは当時の世の中の習わしに対する意見表明であり、常識から真っ向に対立することであるがゆえに、風当たりも強い。

それに対して自分を表現し生き切ったのが信長であり、「自分は己の人生を生き切った」 という、末期の信長のセリフにそれが集約されている。

その思いを、たとえオカルトチックな展開にせよ、江はそのタスキを受け取ったのです。

自分がこれでよいと思えることに向かって、ただひたすらに生きていくことに対して、それがどんなにつらいことなのかを熟知していた信長(「憎まれ恨まれるものは、自分ひとりでよい」 というセリフからそれが窺えます)が、江にその思いを託した、というこの話の流れに、私は涙するのです。

自分の考えを曲げない、ということが、どれだけ悲壮感に満ちているか。

自由奔放に生きることに、どれだけのリスクが伴っていくのか。
(この場合の自由奔放、というのは、けっして自堕落な意味ではないことをお断りしておきます)

そして江は自分と同じ尺度をもった同志である信長の死を悟り、「今はただ前を向いて生きていくのみ」 と泣きながら宣言する。

人間は心の裏側で泣きべそをかきながら、ただひたすら前を向いて生きていくものなのだ、と私は考えています。

そして一生懸命であればこそ、その先には本当の悲しみもあれば喜びもある。

自堕落な人生を送っていては、自分が何かに心から感動する術をもたなくなる、私はそう確信しています。

そんな思いを強く持ちながら生きているために、その泣き顔を臆することなくさらしながら馬を駆っていく幼い江に、私は泣けるのです。

「泣けちゃったんだから仕方がない」 みたいに書いてしまったのは、リーン様のご指摘の通り、他人に媚を売るような表現の仕方であります。 自分に自信がないことの表れでしょう、確かに。

この場で自分が感動してしまった事の原因をあらためて深く追求させていただいて、リーン様のコメントには深く感謝いたします。

話は変わりますが、私が行なっている 「アリエナチック」 とか 「イミフのダンナ」 とかいう表現、そして 「フザケンナ」(この下り、書いて2、3日で削除したのですが)という言葉についてです。

私の精神年齢が低いことによってこのような表現をしてしまうことで、ご不快を感じられたことに対しては、深くお詫びいたします。

ただ私は、言葉を操るものとして(傲慢な書き方で申し訳ありません)対象物に対してちょっとした睥睨するような表現を使いたいとき、そしてそうすることで笑い飛ばしたいとき、それを不快感を表面に出さずに言い表したいとき、このような表現をいたします。

それでまたご不快を感じられたとなれば、これはもう平謝りするしかないのですが、そんな思いが裏に込められていることは心の片隅にでも留めていただけたら幸甚であります。

そしてもうひとつ。
「詩人」 というものがどんなものであるか、私は語る資格がございませんが、自分の考えている詩人は、人が持っているより数倍殺傷力の高い残酷なナイフを言葉のうちに隠しています。 人の心の奥底にインパクトを与えるために、詩人は自分のナイフを常日頃研いで磨いている、と言っていい気がします(大いなるカンチガイかもしれません)。

「フザケンナ」 などという言葉は、その点ではまだ、笑い飛ばしたいときの表現の域を出ておりません。 ですからこの言葉も、読んで笑い飛ばしてほしいな、などと考える類のものであったりするのです。

ただこのブログでは、そうした感情的な言葉は極力排そうとしておりますので、数日考えた末にその言葉は削除いたしました。

物言えば唇寒し、ではありませんが、ちょっとした言葉で炎上してしまうのが、今の世の中、ネットの世界であります。

人様より残酷な言葉のナイフを持っている意識がある私などは、「炎上上等、いつでも来いや~!」 てな気分にもなったりしますが(笑)、面倒なことは避けたがるのが世の常であります(根性ないなー)。 コメントに対して全力で返信してしまうので、炎上に対抗するパワー自体がない、と申しますか…。

ただ私の場合、そんな残酷なナイフと共に、「ふざけたがり」 という悪癖があるんですよ、困ったことに。

実に精神年齢が低いのです。

中学の時から変わってない気がする(笑)。
もうすぐ46だっていうのに(笑)。

そんなおふざけを、楽しんでいただけたら本望なのですが、やはりリーン様のように読んでてつらい、と思われてしまうと、…う~ん、どうなんでしょうかね~。 やっぱり自分のスタイルなので、笑い飛ばしながらお楽しみください、と言うほかはないです。 トーフ並みに頭をやらかくせよ、と強要しているようで甚だ心苦しいのですが…。


最後に同じブロガーとしてのエールです。

立ち上げて2か月ほどでしょうか?リーン様のブログ。
そんなに急にアクセスは来たりしませんです(笑)。 やり方にもよるんでしょうが。

私の場合は半年でようやく1日30~50件程度(私はビンボー人なので無料プランでやっているためケータイからのアクセス数は不明です)、一年でようやく100件いくかどうか、2年目で300くらい来るようになって、最近では1800件くらいになりました。 ケータイからのアクセスを含めたらもっとなると思うのですが、やはり波というものは存在しています。 やはり動員力の大きなほかのブログ様に紹介していただいたりすると、飛躍的に伸びるようです。 グーグルとかで若いページに載ったりするとまた大きい。 私の場合トラックバックとかまったく分からないのでただ書き殴っているだけで、アクセスを効率的に増やすことを一切しておりません。 それでも継続していれば、ここまでアクセス数は伸びると思われます。

それと、私の場合コメントをすぐに公開、という設定にしておりますので、ここにコメントを寄せていただく人の大きな壁になっているのでは?と考えることもありますが、それが却って悪意のあるコメントをいただかないファイヤウォールになっているかな、という気はいたします。

それでも初期のころは先ほど書きました自分の性癖が悪く作用して、悪意のあるコメントをいただいたことがたびたびありました。
精神的にこれは、かなりきつかったです。
初期のころは残酷なナイフでもって過激な文章も書いていたのですが、そんな経過もあって、感情的なフレーズは極力避けよう、と思うようになりました。

ともあれ、書き続けることによって何かしら、自分の一部分も成長していくような気がするブログであります。

お互いに頑張ってまいりましょう!

あまりにも長い返信、大変失礼いたしました。
アメブロだと500字以内なので、こうはいきませんね…(笑)。

投稿: リウ | 2011年2月14日 (月) 12時39分

テレパシー 宗 で 検索中です。
テレパシーは 恐ろしいですね

投稿: 村石太ザード&ジョージ&リバー | 2013年5月25日 (土) 16時13分

村石太ザード&ジョージ&リバー様

村石太マンさんですよね?(笑) グレードアップしたのでしょうか?(笑)

このレビュー、「江」 の擁護に躍起になってた時代もあったんだなぁ…と(しみじみ…笑)。

投稿: リウ | 2013年5月25日 (土) 20時35分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/521783/50831255

この記事へのトラックバック一覧です: 「江~姫たちの戦国~」 第5回 無神論者にはキツイ?本能寺:

« 「美しい隣人」 第5回 傷つける言葉 | トップページ | 「あしたのジョー 本日公開!徹底解剖スペシャル!」 観に行かないけど、番組には泣けた… »