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2011年2月19日 (土)

「江~姫たちの戦国~」 第6回 「分からない」 の先にあるもの

 三日天下中の明智光秀(市村正親サン)に江(上野樹里チャン)が接見するとか、あいも変わらず超のつくあり得なさをさらけ出している 「江~姫たちの戦国~」。
 しかも江が光秀に会うまでのドラマ(野武士にわざと捕まって光秀のところへ連れていかせるなど)にも、リアリティが極度にない。
 歴史好きにもドラマ好きにも、スポイルされてしまった感のあるこのドラマ。
 「泣けた」「ハマりつつある」 と書いて四面楚歌に陥っている当ブログ筆者でありますが、確かに、どこをどうほめればいいんだ?という感じであります。 「天地人」 以下の展開を示しつつあるドラマだと、残念ながら認めざるを得ません。

 ただし何も感じないか、と言うとそうでもない。

 史実をないがしろにするという姿勢もさることながら、現代的な常識をあてはめて当時の人々の本心を描き出そう、とするスタンスは、確かに見ていて実にしらけます。
 けれども戦国時代の戦に慣れ切ってしまった人々にとっても、やはり倫理的人間としての情はあったのではないか、とする脚本家の心理も理解が出来るのです(そこが甘い、と言われても私はこの言を曲げません)。
 女たちは戦なんて嫌だったとか、信長にも平和を望んでいる気持ちがあったとか、そんなことは当たり前だろ、でもやってきたことはどーよ、と問われた時、このドラマはそれに応えうる深遠さに達していません。 思慮が足らない現代の女性が勝手にいいように解釈している、と取られても仕方のない内容であります。
 でも。

 「人として何が大切なのか」、という根本は、いつの時代も変わることがない、ノーテンキに私はそう考えたいと思うのです。

 このドラマは現代的な 「愛」 や 「平和」 を標榜していると考えるのですが、当の現代を生きる我々にとって、今の時代、愛だの平和だの言いだすと、なんかとても安っぽく聞こえる。

 いつからそうなってしまったんでしょう。

 愛とか平和をノンキに声高に表明しているだけではだめだ、という昨今の国際情勢が、そうさせてしまったのでしょうか。

 確かに愛と平和は、前世紀の(一見そう思われてしまうほどの)ノーテンキな無抵抗主義の遺物であります。

 それは、愛するものを守る、という現代の防衛発想とは、対極の位置に存在している。

 敵が攻めてきても、相手を殺すのも嫌だ、だから抵抗せず殺されてしまいましょう、という理屈なのですから。

 けれども私は、同じ 「愛するものを守る」 のであれば、攻めてきた相手を殺すのではなく、愛する者の上に覆いかぶさって、そして死んでいこう、と考えるのです。

 それは実にバカなことのように思える。

 けれども、殺す相手の側にも守るべき愛するものがある、と考えたとき、私は理屈を考えるひまもなく防衛のために相手を殺そう、とは、したくない。

 そんな理屈を言っているヒマがあれば自分たちが殺される前に敵を殺さなければ仕方がない、それがいちばん適切かつ理にかなった防衛なのだ、という理論が力を得ている現代に、私はちょっと異議を申し立てたい。
 愛と平和をノーテンキなカテゴリに入れるのは、ちょっと待ってもらいたい、と。

 愛と平和は、実は防衛をしようとすること以上に、覚悟がいることなのだと思うのです。

 そんなことを考えながらこのドラマを見ていても、このドラマで江が戦が嫌だ、みたいに言っていたり、信長が平和を望んでいた、などと軽々しく語るのは、やっぱりノーテンキなことにしか思えてこない。

 それは作り手の力量が不足しているためにそう思われてしまうのですが、私はちょっと、別の部分でその物足りなさを補完しているのです。

 それは、このドラマの登場人物が、よく 「分からない」 という言葉を連発すること。

 この説得力皆無のドラマのなかにあって、いったん見くびり出してこのドラマを見出してしまうと、この 「分からない」 というセリフが横行していること自体に、失望感が募ってくる。

 けれども登場人物たちは、ただ単に 「分からない」 とだけ言っているわけではない、と思うのです。

 たとえば徳川家康(北大路欣也サン)は伊賀越えの最中、江から 「なぜ光秀どのは信長さまを討ったのでしょう」 と訊かれ、「それは分かりませぬ。 おそらくほかのだれにも」 と答えます。

 ここでの家康の場合、本能寺の変が起きた直後のことなので、あの時代の情報伝達の遅さを考えれば、情勢が混沌とし、真相が分からなかったのはある意味当たり前、という解釈が可能です。
 「分からない」 のいちばん下辺にある理屈、と言っていい。

 そして江が光秀と接見したとき。
 光秀が江に 「なぜ謀反など起こしたのですか」 と訊かれ、やはり 「分かりませぬ。 今に至るも、分かりませぬ」 と答えます。

 ここで光秀は、後世にさまざまな解釈をもって迎えられることとなる謀反の原因をいちいちあげつらうのですが、そのどれもに本人自身がしっくりいかないものを感じている。

 江は 「信長さまは天下統一したあと太平をもたらすつもりだったのに、光秀どのはほかならぬ武力でそれを打ち砕いた」、と光秀に直訴します。

 これはいかにも底の浅い、小娘の理屈であります。

 じゃ信長は武力を使わなかったのか?という理屈であります。

 光秀はそれに対して、なんの反応も示さない。

 小娘の理屈だと分かっているからだと思われます。

 光秀は代わりに、「森蘭丸(瀬戸康史クン)から信長が光秀を買っていた、という本心を綴った手紙が先ほど届いたばかりだった」、と切り出します。
 この話の持っていきかたも、ドラマ的にはちょっと陳腐な気がする。
 「その信長さまの本心が分かっていたら謀反など起こさなかったのでは?」 とたたみかける江に、光秀はやはり、「分からない」 と答えます。

 「すべては天が決める。 私はそれに従っただけなのやもしれませぬ」

 成り行きでそうなっちゃった、みたいな言い分であります。
 それが運命だったんだから仕方ない、みたいな。

 けれども。

 さまざまな要因が積もり重なった末にそれを決断し、実行に移しても、実は全くお門違いだったりする場合がある。
 自分なりの大義名分をしっかりお膳立てしてそのことに及んだのに、まったく誰の賛同も得られない。
 いったん四面楚歌に陥ってしまうと、もうこれって、どんなに自分が考えても無駄なんだな、って思えてしまうのです。
 そうなると、もうすべては運を天に任せるより仕方ないのかな、なんて投げやりになっちゃったりするのではないでしょうか。

 光秀のこのセリフの奥低には、そんな思いが込められている気がするのです。

 それにしてもこのドラマ、江のセリフのひとつひとつをまともに取っていると、実に底が浅く思えてくる。
 そしてその小娘につきあおうとする戦国の諸大名が、実に愚かしく思えてくる。
 このドラマはそんな構造を見る側に提示してしまうため、見ている側のテンションをスパイラル的に低下させる構造を有している。
 結果、とても残念なドラマ、という評価を下さざるを得なくなってくる。

 そのスパイラルを助長するのが、今回の最後の 「分からない」。

 命からがら母親のお市(鈴木保奈美サン)らと再会を果たした江。
 愛する伯父上を討った相手なのに、光秀を憎むことが出来ない、という江に、市は 「憎むべきは人ではない。 戦じゃ。 戦をもたらす世のありようなのじゃ」 と言って聞かせます。 このセリフも背景もなしにいきなり出てくる感が否めず、安っぽく聞こえる。
 それに対して江はやはり 「私には、難しいことは分かりません」 と答える。

 光秀に対して難しいことを言っていたのにこのくらいのことも分からんのか、という点において、この脚本は破綻をきたしています。
 ただここは、母親のもとに戻ってようやく甘えることが出来た江の気持ちの一端を、私は感じたいと思います。 無理やりですけどね。

 「でも…。

 …

 もう私は、どなたにも死んでほしくありません…!」

 母親のもとで緊張感から解放され、「分からない」 と甘えながらも、本心を言わなければおさまらない、江の気持ち。
 「人が死ぬのは嫌だ」 というそのセリフがまた浅いものであるがゆえに、見る側にそんな江の気持ちが、届いてこない。
 このドラマの構造的欠陥を露呈する象徴のごとき、最後の 「分からない」 のセリフなのです。
 気持ちは分かる。
 「人が死ぬのは嫌だ」 という人の根本的な感情を表明しているのも分かる。
 けれどもそれがこちらの胸を打つまでに伝わってこないのは、ドラマの構造的な浅さがそうさせている。
 そんな気がするのです。

 私がそれでもウルウルしてしまったのは、江と初(水川あさみサン)との再会シーン。

 初は城から逃げだすとき、江の持ち物を選んで持っていこうとしていた茶々(宮沢りえサン)に、「私の嫌いなものを選べばいいんだ」 と憎まれ口を叩いてその選択を買って出ていました。
 そんな初が、帰って来た江に向かって、「私への土産はどうした」 と責め立てながら、江に抱きついていちばん顕著な喜びの表現をするのです。
 ウルウルきました。

 けれどもそのそばから、下女たちが帰ってきてなんだかんだとつまらない作り話(ドラマのなかでは作り話じゃないんですが、もともと江が家康に同行していたなどという作り話を創作していたために却ってその事情説明が余計鼻につくのです)をするために、感動が台無し。

 このドラマ、視聴する側である自分のなかで取捨選択しなければならない事象が多すぎて、感動する場所を見つけるのがとても難しい。

 評判が悪いのもうなづけるのですが、私はまだまだ、つきあっていく気力があります(笑)。

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コメント

はじめまして~~。江を検索していたらここにたどり着きました。夫婦で「篤姫」にはまった経歴から、「江」も期待をしていたのですが、第二話から、失望の数々、今後見続けようか、迷っておりました。夫は完全に見限っております。余りにも史実と違う脚色は江ご本人様にも失礼に当たるのではないかと思うのですが。皆さんはこれを面白いと思って見ているのかな~と思っていた所私と同じ感想の人が見つかり、やっぱり悪評なんですね。納得です。篤姫は毎回夫婦で笑い、涙していたので大ファンでしたが、あのような傑作はそう簡単には出来ないのだということが良く分かりました。

ビーグルビーグル様
こちらこそはじめまして! コメントくださり、ありがとうございます。

ネットの評判も家族内での評判も、おしなべて悪いですね、私の周囲では(笑)。

私もこのドラマはあまり質がよろしくない、という認識の上で見ていますが、見ていれば心に残る場面も感心する構成の部分も、ちょっと涙腺を刺激される場面もあるんですよ。 そんないいところを指摘したいなー、という姿勢で、この感想文を書いております。

そんな姿勢で先週までは当ブログでも、結構ほめてたんですよ、実は(笑)。

ところが否定的なご意見を頂戴いたしまして。 私ももともとあまりいい出来ではないと思っていただけに、ちょっと方向転換を強いられました(ヒヨっているんですけどただ単に…笑)。

いずれにしても当ブログの筆者は、作り手の真意を探りながら、いいとこ探しを続けていく所存です。
さらにどこがダメなのか、という分析も、一方では行なっていきたいと存じます。 よろしければ今後ともご贔屓のほど。

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  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

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    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

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  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

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  • The Beatles -

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    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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