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2011年2月27日 (日)

「江~姫たちの戦国~」 第7回 負のスパイラル

 このブログにあるまじきネガティヴな論調にならざるを得ない今年の大河ドラマ。
 これは10歳程度の娘なんだ、という脳内変換にも疲れてきました。
 でも結構、どこが悪いのかを考えるのは楽しいですな、意地悪みたいですけど。
 いいとこ見つけようと思うんですけどね。

 さて毎回歴史の大舞台にあらわれるタイムスクープハンター、江(上野樹里チャン)であります。
 今回は織田家の跡取りを決める清洲会議に潜入。

 …とにかくまあ、清洲会議に江を飛び入りさせることで、脚本家のかたが何を考えていらっしゃるのかをまず考えてみようかな、と。

 つまり、
 「なんで織田家の跡取りをあんた(秀吉)が決めなきゃならないの?」
 ということを江を使って訊き出したいということなのかな、と。

 ただそこに至るまでが、また説得力に欠ける。

 江がたまたま清洲にいたのはいいとして、この清洲会議、ドラマでは出席者がわずか4人。
 仮にも天下人だった人物の家督の後継者選びにしては少なすぎる気がします(蛇足ですが、織田家のふたりの後継候補、共に 「ギルティ 悪魔と契約した女」 で菅野美穂チャンに復讐されてしまう極悪人でしたよね…笑)。

 いや、そもそもなんで織田家の後継者をほかの諸大名が決めようとするのか、ということ自体が分からない。
 織田家のことは織田家が決めればいいでしょうに。
 ドラマではそこらへんの説明が希薄なように思えるのです。

 その清洲会議の場で、信長の長男の嫡男、三法師を担ぎ出そうと、秀吉は意気揚々とふすまを開けるのですが。
 …そこには聞き耳を立てていた江が。

 「れれっ? ゲゲッ、さ、三の姫様!」

 摩訶不思議な 「姫たちの戦国」 ワールドに突入であります。

 このシーンを振り返ると、脚本家のかたはそんな意外性からくる面白さを表現したくて仕方がないように思えてきます。

 もしも歴史のその場に、江姫がいたら。
 そりゃ面白いでしょうけど。

 まずそのことでずいぶんセキュリティが甘いなあ、と見る側に思わせてしまい、たった4人しかいないという設定も相俟って、会議自体の重みが消失する。
 次に、三法師が控えているのが次の次の間(正確には廊下)で、その間に江がいる、という間取り自体にも無理がある。

 あり得ない、という感想を視聴者に持たれてしまったら、途端にドラマ自体の説得力は、低下します。
 でもいくらリアリティがなくてあり得なくても、その人物の人間を描き切っていたりすれば、ドラマというものはその魅力を失うことがありません。

 このドラマは何べんも指摘しているように、10歳程度の江を子役を使わず24歳だかの樹里チャンに演じさせることで、見る側の無用な混乱を最大限に引き出してしまっている。
 まずそれが、このドラマ失敗の大前提にあります。
 だからまず、主役の江に感情移入がとてもしにくい。

 江が10歳そこそこで結婚だのいろんな経験を積んでしまうことから、子役を使わないというのは、ある意味仕方のない決断でもあります。
 でもそんなことを言い出したら、そもそも24歳だかの樹里チャンを江役に抜擢する、ということ自体に無理があるのです。 江の人生をトータルに考えたら、半年くらいは14歳くらいの子役を使い、残り半年は28歳くらいの女優を使う、という方法が適当な気がする(ほかの茶々、初に関しても同様)。 主役をひとりの役者、とこだわってしまうから、こんな根本的な失敗が生まれるんだと思うのです。

 主役に感情移入が出来なければ、ほかの人にその思いを託すことも可能なのですが、それが出来た信長役の豊川悦司サンが、ドラマから退場してしまった。

 またいっぽうで、そんな感情移入しにくい主人公であれば、極力表舞台に出さない、という手法もありえます。
 歴史上のこともある程度江自身の人格形成に寄与させながらも、幼少時のエピソードはいくらでも作れる気がするのです。

 けれどもこのドラマでは、歴史上の重要事に、あまりに江が関わりすぎる。
 10歳程度の小娘が何をしゃしゃり出ているのだ、という見る側の反感は、キャスティングの年齢の祖語という大前提があるからこそ、余計に生まれやすい。

 「こうすればもっとよくなる」、なんて指摘しなければならないのは、なんか情けないものがあるのですが。 どうもキャスティングからなにから、すべてが負の連鎖に陥っている気がしてならないんですよ、このドラマ。

 とにかく三法師を担ぎあげる秀吉に、江はこう言い放ちます。

 「なぜそのような大事、そなたが決めるのじゃ!」

 それまで江にビビりまくっていた秀吉でしたが、ここは江のその詰問に動じることなく、「それがしではない。 御屋形様(信長)の御遺志と思うがゆえにございます」 と開き直る。

 このシーンを荒唐無稽にしないためか、作り手は今回、三法師とそれを世話するおね(大竹しのぶサン)、なか(奈良岡朋子サン)と江をあらかじめいったん引き合わせます。
 そしてその場に入ってくる秀吉が、信長の姪御である江に恐れをなす様を見せ、「御屋形様の御威光で年端の行かぬ江に頭が上がらない秀吉」、の構図を見せておく。 これで江が秀吉になあなあの口を聞いてもいい下地が出来ます。

 そのうえでこの清洲会議で、江の詰問に対して 「年端の行かぬ小娘のことなど聞いとりゃしませんよ」、とする秀吉のしたたかさを強調し、さらに小娘の詰問くらいでは動じない歴史の重みを表現しようとしている。

 ここで脚本家のかたは、「どうして秀吉が織田家の跡取りを決めなきゃいけないのか?」 という自分の疑問点をあえて江に託し、そのうえで、「そんな疑問など為政者たちにとってはとるに足らぬことなのだ」、という思いも、少しではあるが込めているような気がする。

 ところで私が江以上に見ていてしっくりこないものを感じるのは、岸谷五朗サンが味付けしている、秀吉の造形。
 信長亡き後、ドラマを引っ張っていかなければならない役どころのような気がするのですが。

 千宗易(石坂浩二サン)がいみじくも指摘したように、このドラマでの秀吉は笑っていたと思ったらいきなり泣き出したり、コロッコロ気持ちが変わっていきます。

 それを強調して表現しようとするのはいいのですが、オチャラケモードからマジメモードに豹変するときのチェンジの仕方がどうも、しっくりいっていない気がする。
 マジメモードのときの秀吉が、なんかまだ人を小馬鹿にしているような軽さがあるんですよ。
 それが秀吉のしたたかさを見る側にアピールできない主たる原因のひとつかもしれません。
 マジメなときはもっとマジメに、何を考えているか分からない不気味さを演じられれば、もっとよくなる気はするのですが(また 「こうすればもっとよくなる」、か…)。

 ともあれこういう中途半端なカリカチュアを見せられることで、「あり得ない」 のスパイラルに陥っている視聴者は、ますます嫌悪感を募らせてしまうのです。

 今年の秀吉は 「天地人」 の笹野高史サンが演じた秀吉と 「悪役チック」、という立場において似通ったものを感じるのですが、笹野サンの場合はオチャラケモードとマジメモードの境目が、まだきちんとしていた気がする。 そちらのほうが効果的だと思うんですよ。

 リアリティが感じられない登場人物たちのなかでひとり異彩を放っていたのは、秀吉の母なかを演じた、奈良岡朋子サンでした。

 百姓がきれいなべべを着せられてそれに嫌気がさしている、という構図はこれまでの大河で幾度となく表現されてきたなかの姿なのですが、このスタンダードさがかえって新鮮に感じる。
 このドラマの意図を読み取れる役者さんの演技だな、と感心いたしました。
 私が感情移入できたのは、この奈良岡朋子サンくらいでした。

 そしてもうひとつ。

 今回の話のメインは、清洲会議で秀吉に敗れた柴田勝家(大地康雄サン)のもとに、市(鈴木保奈美サン)が嫁ぐことを決める、という話。

 「なんで好きでもない人のもとに嫁ぐのか?」 と市に詰問する江の気持ちは、個人的には理解できます。
 いくら戦国時代であろうと、政略結婚に対して納得できない思いは10歳程度の娘ならある、とする脚本の方向性は分かるのです。
 けれども演じているのは、24歳の樹里チャン。
 またまた脳内変換、しなければならぬのですが、「当時の常識も弁えないでなにを言っとるか」、と見る側に思われてしまう危険性は拭い去れるものではありません。
 演じている役者さんたちは大変だろうな~と、つまらぬ部分で同情してしまう。

 このドラマでいちばんその難しい部分に苦慮しているように見えてしまうのは、初役の水川あさみサン。

 今回ドラマ冒頭でも、光秀を擁護する江に 「伯父上の仇なのじゃぞ!」 と憤ってしまうシーンがあったのですが、なぜ信長を仇だとしていたのに信長の肩をもってしまうのか、という性格上一貫していない部分が感じられてしまう。 それを聞いていた市も、「そなたにも伯父上を気遣う気持ちがあったのじゃな」 と意外そうな感想を漏らすのですが、あり得なさに辟易している視聴者は、「やれやれまた性格破綻か」 というように見てしまうのです。

 けれどもこのシーン、茶々(宮沢りえサン)と違って、「信長が父浅井長政の仇である」 とする認識が、初の場合ちょっと又聞きの世界、という要因が絡んでいる、そう私は考えるんですよ。

 だからこそこのくらいの年齢の娘なら、状況によって判断も変質してくるだろう、と思われる。
 けれども演じているのは、27歳のあさみサン。
 却って開き直って演じているかに見える37歳の宮沢りえサンのほうが潔い気さえしてくる(女性の歳を羅列して申し訳ないです)。
 演じる側としては、難しいだろうな、とつくづく思ってしまうのです。

 ともあれ、そんな江に 「政略結婚とは女の生き方。 女も武将の気持ちでそれに臨んでいるのだ」 という心構えを説いた市。 10歳程度の江は、それを今回学んだことになります。 凛とした市の姿は、清々しくさえある。

 ところがそのパワーバランスの場に引きずり出された柴田勝家、市と会うなりしどろもどろ。 吃音の連続です。

 こうすることで分かりやすいし面白い、という意図は、こと物語的にリアリティの欠如した大河ドラマにおいては禁則ではないか、と思われます。 血みどろの闘争を繰り広げてきた戦国武将の重みを、真っ向から否定する所業であるからです。 勝家のしどろもどろの表現は、必要最小限でよい。

 これは次回、江に対して毅然たる態度をとるであろう勝家との対比を狙ったものであろうかと思われますが、やはり威厳は大事だ。
 こんなしどろもどろの男が、なぜたった4人の清洲会議に出席していたのか、というドラマ自体の説得力にも関わってくるからです。

 ただ私がこのドラマを楽しんでいるのは、大方のかたがたが嫌悪感を抱くであろう、このドラマ全体に流れるスイーツ感。
 スイーツドラマってものを、あんまり見たことがないので新鮮なのかもしれません(笑)。
 「のだめ戦国時代」、みたいな感覚で見ている。
 樹里チャンも、もっとはっちゃければいいなと思いながら見ています。

 …すっごくおかしなハマりかただな、という自覚は、しております(笑)。

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コメント

細かい分析と愛情あふれる解説にいつも感心しながら拝読している読者でございます。はじめまして。

樹里ちゃんの持つ演技の幅なら、必ずや今に目をむく展開になるはず!と期待しながら(今まではあれれぇぇぇ~と奈落の底に落ちることもしばしば…)、「江」を観ております。

この次の「初めての父」でやっと私は録画を2度観る気持ちになりました。
もちろん問題もあるとは思いますが、この「江」ならではの面白さが出てきたように思いました。次回をご期待ください(と私が書くのもなんですが…)。
この号のご感想をアップされるのを楽しみにしております♪

樹里ちゃんファン1様
こちらこそはじめまして! かようなネガティヴ記事に温かいコメントを下さり、ありがとうございます。

ただ、この記事の主眼は、「このドラマはどうしてこう、みんなから批判されるのか?」 ということを、極力筋立てて解析していこう、という意図のもとに作成してます。

実のところ、私はこのドラマ、ホントは楽しんでます。 「しょーがねぇなぁ~~」 と苦笑してしまう部分もありますけど、まあここまで開き直られると 「こういうパラレルワールドもアリかな」、という気分になってきます。

「見ていて退屈でしょうがない」、というのならともかく、毎回のテーマは割合はっきり打ち出されていますし、まあ現代的な視点でお付き合いしても、今回はいいかな、と(それって一面では見くびりながらの視聴、ということになってしまいますが)思いながら軽い気持ちで見ております。

最近ではその見くびりが度を超えてきて、土曜日の再放送を見てから感想は書けばいいや、などと考えているため、次回の記事のアップはたぶん今週の土曜日以降となってしまいます。 気長にお待ちいただけたら幸いです。

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  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

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    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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