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2011年2月27日 (日)

「TAROの塔」 第1回 尋常ならざるもの

 岡本太郎生誕100年企画のNHK土曜ドラマ、「TAROの塔」。
 芸術家の岡本太郎氏の人生を描きます。

 岡本氏の人生においてのいちばんのピークと考えられるのは、言わずもがな1970年の大阪万国博覧会(通称万博)を通じた活動でしょう。
 第1回ではそのプロデューサー就任に至るまでの動きと、幼少時の様子が交互に描写される。

 私自身疲れ果てているためだったのかもしれませんが、ちょっと途中ウトウトしました。 もしかすると退屈だったのかもしれません。

 ただ如実に感じたのは、芸術の道を進もうとするものたちの、そのアブノーマルさ。

 壮年期の岡本太郎氏を演じる松尾スズキサンは、そっくりさん大会に出てくるレベルで風貌が瓜二つ。 岡本氏独特の身ぶり手ぶりなどもちゃんと真似ている。
 岡本氏は生前、テレビなどにも積極的に登場していただけあって、私も未だにその異様な雰囲気を覚えていますが、こういうメディアシンボルのような人物を演じることはかなり困難を伴う気がいたします。 あまりに似すぎると、ホントにものまね大賞みたいになってしまう。

 松尾スズキサンのそっくりさん演技は、岡本氏本人のエキセントリックさに比べれば幾分押さえた印象。 目を剥いた狂気さもそれで控えられてはいますが、反面、テレビに出るということで結構自己演出気味のように感じられた実物よりも、もっと内面的な部分に、却って迫っている気がします。

 その岡本氏のエキセントリックの源流は、やはり母親の岡本かの子氏と父親の岡本一平氏のアブノーマルぶりにあるのですが、両氏を演じた寺島しのぶサン、田辺誠一サンがやはり強烈。
 特に寺島しのぶサン、「龍馬伝」 での乙女姉やんから一転、ドギツイメイクで隈取りのごときアイライン、内面の狂気を前面に打ち出しています。

 ここで描写される岡本かの子氏は、自ら芸術の炎のなかに身を投じた誇り高き才女。
 かなり芸術かぶれの自意識過剰な人物として寺島サンは演じておられるのですが、それは自らに過酷な鞭を打つ所業であることも、同時にさりげなく表現されている。 ホントにすごい女優サンであります。

 芸術家というものは、他人の評価との限りなき死闘を宿命づけられる側面があります。 自らがいくらよしと思っても、世間から評価を受けなければ、その芸術作品は、ただのゴミ。 独りよがりの烙印を押され、初めからなにもなかったかの如く消え去る。
 寺島しのぶサンの演技は、その脅迫観念と虚しさを余すところなく表現していた気がします。
 この思考回路が、太郎氏に受け継がれていく様子が、ドラマを見ているとよく理解できる。

 岡本一平氏のほうもそれには負けますが破天荒であることに変わりはない。
 新聞の風刺漫画で稼いだ金をすべて飲んでしまうということはよくありそうな話ですが(でもないか)、妻の愛人(成宮寛貴クン)を容認し一緒に住んでくれなど、「よう分からん」(笑)。
 それはかの子の芸術にとってプラスになる、と踏んでいるためだと思われますが、「芸術家はフツーのことをしていてはイケナイ」、という意識も多分にある気がするのです。
 それはいかにして自分をアピールすることが出来るか、という必要に常に迫られている苦しい副作用、でもあります。
 一平は、太郎に 「芸術家とは、生きて地獄を見る人のことだ」 と教えます。

 尋常ならざる環境で育った太郎氏は、太陽をつかもうとするひとり遊びに興じ、さらに単語を繰り返す癖がもともと備わっている。
 その言葉は最初、自分をかまってくれない母親かの子を呼ぶ 「おかあさん」 というものだったのですが、父親から教わった 「いやだ」 というフランス語、「ノン」 という言葉を、そのうち太郎少年は頻繁に使うようになってくる。 世間の常識や固定観念に対して抗うことを、太郎少年は 「ノン」 という言葉で体現していくのです。

 はじめ杓子定規のようなことしか教えない学校に行くことに対し、太郎少年はノンを突き付け、生活に困窮し川で死のうとする(その川が、かつてかの子が 「悠久の時」 と呼んでいた多摩川だったのかどうかは分からないのですが)母親に対してノンを突き付ける。 そして、母親を奪おうとする、その川に対しても。

 そんな少年時代を経た岡本太郎氏、万博が掲げた 「人類の進歩と調和」 というテーマに噛みつく。

 そのプロデューサー就任の席で、岡本氏はこうぶち上げるのです。

 「はじめに。

 私はこの万博のテーマに、反対である」

 どよめく会場。

 「『人類の進歩と調和』 なんてくそくらえだ。

 人類は進歩なんかしていない。

 確かに、宇宙へ行く科学技術は発達したが、肝心の宇宙を感じる精神が失われているじゃないか。

 それに、調和と言ったって、日本の常識と言えばお互いが譲り合うということだろう。

 少しだけ自分を殺して、譲り合うことで慣れ合うだけの調和なんて、卑しい!」

 それじゃどうしてプロデューサーなんか引き受けたんだ、という記者の質問。

 「危険だからだ!

 人間は生きる瞬間瞬間で、自分の進むべき道を選ぶ。
 そのとき私は、いつだって、まずいと判断するほう、危険なほうに賭けることにしている。
 極端な言い方をすれば、おのれを滅びに導く、…というより、自分を死に直面させる方法、黒い道を選ぶということだ。

 無難な道を選ぶくらいなら、私は、生きる死を選ぶ。

 それが私の生きかたの筋だ!」

 怒号の飛び交う会場。

 現代的な視点から見れば、この岡本氏の姿勢は 「そういう人もいるんだ」 という、「何でもありの世の中だから」、という観点から受け入れやすい傾向にある気がする。
 けれども1970年当時の日本は、今よりもずっとつつましやかな常識が支配していた時代。
 そんな時代にいくら学生運動などで反万博の空気が存在していたとは言え、頭の固い世間に向かって 「自分」 というものを堂々と宣言できることのできた岡本氏は、やはり巨人的な存在感を感じざるを得ない。
 現代だからこそ、この就任式での岡本氏のメッセージは、ストレートに見る側に伝わってくる気がするのです。

 それ以上に、岡本氏の掲げる芸術が、前衛である、ということも世間との壁を高くしている気がします。

 前衛というものは、究極的にそれを受け止める側をふるいにかけまくります。

 それは見る側に挑戦してくるものであるがゆえに、ある種の人々にとっては、不快感を撒き散らす以外の何物でもない。
 母親のかの子が感じていた世間の評価に対するギャップなどとは比較にならないほどの逆風が吹く可能性のほうが、はるかに高いのです。

 オノ・ヨーコを見てごらんなさい。
 彼女の芸術に対して嫌悪感をもっている人の、なんと多いことか(ジョン・レノンの名声と遺産を利用し食いつぶしているような印象をもっている人も多いが、お門違いも甚だしい。 彼女はもともと大金持ちで、前衛芸術家としての名声もあった)。

 前衛芸術というものは、人に不快感を与えてナンボのものだという側面が存在している。

 岡本太郎氏はたまたま、時代のアイコンになってしまったからいいものの(彼のタレント性も大きく寄与していることはあるのですが)、前衛芸術家が直面する風当たりというものは、並大抵の精神力では持ちこたえられんのです。

 その逆風に対峙し跳ね返すほどのバイタリティが、このドラマからは満ち溢れている。
 日本が元気がないとされる現代だからこそ、人生は強気でいかねばならない、と叱咤する、岡本氏のメッセージは重要な気がするのです。

「TARAの塔」 に関するこのブログほかの記事
第2回 自ら決めるべきものhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/03/taro-2-e7b4.html

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コメント

見逃しましたcrying

岡本かのこを寺島しのぶが演じるのって似合ってる気がします。

さらに、ご本人が亡くなる頃まで「なぜ養女?」と、
婚姻関係でないことが不思議だった秘書の敏子さんを常磐チャンが演じるのも面白い。

次回は絶対見ます!

投稿: マイティ | 2011年2月27日 (日) 20時32分

マイティ様
コメント連投、ありがとうございます。 眠気に勝てなくて、前コメントから時間差の返信になってしまいました。 失礼いたします。

私はこのドラマの裏でやっていた藤原竜也クンの 「遺恨あり」 のほうを、見逃してしまいました。 どうもドラマ好きのアンテナの調子が悪い(笑)。

このドラマ、さすがにNHKの土曜ドラマだけあって、中身が濃いです(濃いけどウトウトしました…coldsweats01)。
次の回では早くも太郎氏の青年時代。 養女サンは御存命なのかな? だとすれば常磐チャンも切り込んだ描写が出来ないと思いますが(1回目を見る限りナニモンだか分かりませんでした…笑)、ただの伝記には仕上がっていませんです。 寺島かの子の演技は一見の価値ありかと。

投稿: リウ | 2011年2月28日 (月) 12時43分

敏子さん、お亡くなりになったはずです。
お元気だった頃に「やりたいことを精一杯やってバタッと事切れたい」と明るくおっしゃっていたのが印象に残ってます。

養女なのは…遺産のためですかね?

投稿: マイティ | 2011年2月28日 (月) 23時37分

マイティ様
返信くださり、ありがとうございます。

そう言えば第1回目での常磐チャンは太郎が絵を描くところを生足をニュッと見せながら 「そこは黄色がいい」 とかしゃべってました。 ちょっとドキッとしました~。 やっぱり性的なものを匂わせていたようにも思えます。

投稿: リウ | 2011年3月 1日 (火) 07時01分

土曜に二話まで録画しまして
さきほど1話目を見終わりました。
岡本かの子、似てるじゃありませんかー!

ああいう家庭で育ったのは
影響を受けるというよりトラウマかも。
愛人を住まわせたとかパリへ行ったとか
ちょっと精神的にヤバいというのは知ってましたが。

70年代からのテレビでの印象で、「この人だいじょうぶー?」というかんじだった太郎さんですが
芸術についての著作を読むと、縄文土器の原始的エネルギーについて語っていたり
相当マトモで意外でしたw
実際に書いてるのは敏子さんかもしれませんがね。

私、ビートルズについては詳しくはありませんが、オノヨーコさんの芸術にジョンが憧れて近づいたのは存じております。
東洋の雰囲気にもヤられたんでしょうねw

さて、前衛アートですが…
もともと美大(笑)に通っていた頃は
60年代ポップアートなど、コンセプチュアルアートにメッチャ傾倒してたんですけどね、
年齢を経て、すっかり螺鈿細工の美しさなど
工芸ファンになってしまいました。
骨董はよくわかりませんが、古美術ばかり見るようになりました。

投稿: マイティ | 2011年3月 7日 (月) 00時05分

マイティ様
ご視聴後のコメント、ありがとうございます。 無事録画なさったんですね。

さてさて、マイティサンが美大出身者とは! 美大まで進まれたかたに芸術の話をするのは釈迦に説法と申しましょうか…。

自分などは小さいころからウルトラマンの絵ばかり描いていたおかげで絵がうまくなり(爆)高校時代は美術部にまで入って卓球ばかりしていたのですが(なんじゃソレ?)、さすがに美大には、進もうと思いませんでした。

なぜなら絵描きで食えるとは、さらさら思っていなかったため。 今にして思えば、たった一度きりの人生、芸術に身を投じてもよかったのでは…と思うことしきりであります。

岡本太郎氏は独特のオーラを放ってましたよねー。 思えば昔は、そんなものすごい 「気」 を感じる人物が多かった。 このドラマのエンディングを歌っている美輪明宏サンなんかもそのひとりではありますが…。

前衛美術ですが、以前試みたことがありまして。
ところが私の従来描いていた絵は写実主義。
かなりのブーイングを食らいまして、やりたかったのに挫折しました。
その経験から、「前衛をやるにはかなりの精神力が必要だ」 という持論に達しまして…(笑)。 批判に対してヒヨってしまうのは、いまだ相変わらずであります…。

投稿: リウ | 2011年3月 7日 (月) 07時28分

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