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2011年3月 3日 (木)

「四十九日のレシピ」 第3回 キャッチボール

 のっけからナンですが、宅間孝行サンを見てると、大変申し訳ないですけど民主党の岡田幹事長みたいに見えて仕方のない、今日この頃(もちろん、宅間サンのほうがいい男なんですけど)。

 その宅間孝行サン、浮気相手に翻弄される情けないダンナ(浩行)を今回演じ切っておりました。
 けれども当方岡田幹事長の顔がチラチラちらついて、画面を正視できないこともしばしば(笑)。

 その浮気相手の女、亜由美がまた強烈なキャラであり。

 四十九日の大宴会に張り出すため、亡くなったオッカ(風吹ジュンサン)の空白だらけにしか見えない年表を埋めようと、オッカから来ていた膨大な絵葉書を取りに東京へ帰ってきた百合子(和久井映見サン)。 イモ(徳永えりチャン)も一緒です。

 公園で夫の浩行と話し合いをしていたところに、いきなり亜由美が現れます。

 百合子が直近まで住んでいた浩行との一軒家について、あの家の空気は澱んでる、私色にリフォームしろ、と傲慢に指図。
 自分が住んでいるマンションでも、小さな息子のカイトを差し置いて尊大な態度に終始。
 あげくの果てにカイトを家から閉め出しておいて、それを世話した百合子たちに逆ギレ。
 言うこと聞かなきゃおなかの赤ちゃんと一緒に死ぬ、と浩行に脅迫し、浩行の病弱の母親に 「出ていけ!恥知らず!」 とまで憤られる始末。

 見ているこちらの心を逆なでしまくる、とてつもない自分勝手なキャラなのであります。

 だからこそ、そんな女に翻弄されっぱなしの浩行に対して、「こいつは優しいけれどロクでもない馬鹿者だ」 と断じざるを得ない。
 浩行は今回、子供が出来ないで悩んでいる百合子に対して、励ますことに疲れたためにこの女に走った、などと実にもっともな言い訳をしていたのですが、亜由美という女があまりと言えばあまりなキャラなために、そこに説得力が生まれてこないんですよ。

 もうちょっと作り手は、この女に同情すべき点を与えられなかったのでしょうか(それとも次回最終回で、亜由美の同情すべき点を見せてくれるのでしょうか)。 このドラマ、これまでとてもいい流れであっただけに、ちょっと残念な気がいたしました。

 いずれにせよこの回、夫からの同情すべき本心を聞き出すことが出来、お互いに相手を気遣いすぎていたからこそお互いが負担になっていたことが分かった百合子だったのですが、結局彼女は夫のもとを去っていく決断をするのです。

 これは、ここまで夫がダメなやつだと分かってしまった以上、私も致し方ないな、と感じました。
 夫は百合子のことを心から考えているから、きっとこのふたりはよりを戻すだろう、と思っていたんですけどね(次回最終回、どうなるのか分かりませんけど)。
 でも夫の岡田幹事長、もとい(笑)浩行に言いたいですな。
 どちらかを切り捨てることのできない優しさなんて、本当の優しさじゃない。 残酷なだけだ、と。 子供手当を切り捨てるのも、愛情のうちだと(爆)。

 心が逆なでされ続けたこの回。
 そんなささくれ立った印象の中で埋もれてしまいそうになってしまうのですが、この回繰り返し強調されていたのは、「心のキャッチボール」。

 自宅に植えたミカンの木になった青いミカンを百合子に放り投げる浩行の、かつての姿。
 ハルミ(渡部豪太クン)にいきなりサッカーボールを投げつけられる良平(伊東四朗サン)。
 浩行も良平も、妻にきちんと向き合わなかったために、取り返しのつかない後悔の中で生きていく破目になっているのです。

 浩行と会うために公園で待っていた百合子に、イモは浩行の経営する塾の宣伝文句(「夢はかなう」「努力は報われる」)を見ながらこう言います。

 「あ~いやだいやだ。 そーゆう口当たりのいいこと言うからマジメな人は病んじゃうんだよ。
 うまくいかなかったときに、自分のことを責めちゃってさ。
 ホントのこと書いてほしいよ。
 『夢はかなわぬこともある。
 努力は報われぬこともある。
 正義は勝つとは限らない』。

 『だけど、やってみなきゃ分からない。
 さあ、頑張ろう!』」

 いかにも頭が悪そうに思える(失礼)イモのこの言葉、実に真理を突いた言葉に思えます。
 肝心なのは、うまくいかなかったときに、焦らず腐らず落ち込まず、前に一歩踏み出すこと。
 まるで自分の人生の行く先を照らされたような気になった百合子は、思わずイモのことを、オッカみたいだ、と表現するのです。

 いっぽうの良平。

 姉の珠子(水谷八重子サン)に相変わらず痛いところを責め立てられます。

 「あんたがしゃきっとしないから、あんたの世話を言い訳に百合ちゃんここに居座るんだよ。
 百合ちゃんにいてほしいんだろ?
 ひとりになるのが怖いから。
 女房に先立たれた男ってのは悲惨だからねえ。
 おんなじ顔してるよ、万里子さん亡くしたときと。

 死んだ人間への後悔ってのがいちばんたちが悪い。
 男なんてみんな馬鹿だね。
 亡くしてみなきゃ分からないんだから。

 あんた乙美さんに一度でも感謝の言葉かけてあげたことがあったかい?

 『ありがとう』。

 たった5文字のこの言葉どうして生きている間に言ってあげらんなかったのさ?

 その一言でどれほど女が救われるか」

 言葉の暴力だ(笑)。
 いや、言葉のバズーカ砲、というか(笑)。
 このドラマ自体が、この珠子の文句を中心動機として動いているような気さえしてきた(笑)。

 自宅前の川のほとりに座る良平。
 向こう岸に、亡くなった自分のふたりの女房が歩いていく幻覚を見るのです。

 この向こう岸、という感覚。

 仏教的には彼岸と此岸という、あの世とこの世の象徴的なイメージとして多用されるものですが、この短いドラマの舞台も、まさしくあの世とこの世との対話によって構成されている気がする。
 その最大の象徴でありパスポートなのが、オッカの遺したレシピなんだ、そんな気がするのです。

 その向こう岸のオッカ、良平との最後の瞬間に手渡した、ソースのしみのついた弁当箱を差し出し、悲しそうな顔でそれを引っ込め、去って行ってしまう。
 「お、おい、待ってくれ…」
 川に向かって歩き出す良平。
 第1回目で娘の百合子がしたのと同じ行動を、父もとってしまうのです。
 良平のただならぬ気配に気付きあわてて止めようとするハルミ。

 ハルミも、良平にとっては 「万里子との間にできた、生まれてくるはずだった息子」、の象徴でもある。 人と人との因果を感じさせる、仏教的な摂理が構造的にドラマの中に存在している気がします。
 すべてのものは関連し、つながっている。

 カイト、いい大人になれるかな?とつぶやいたイモ、自分もカイトと同じく、親に冷たくされてきた子供だったことを百合子に打ち明けます。 家出して男や風俗を転々としてオッカと出会って、出来ることは増えたけれど、いまだに家族っていうものが分からない、と唇をかみしめるイモ。

 眠り込んでしまったハルミに、酔った勢いで説教する良平。
 珠子に言われたことをそのまま繰り返し、「ありがとう」 が言えなかったばかりに後悔する自分自身を、「バカだ」 と蔑むのです。

 「こんな大バカ野郎は、寂しくて当たり前だ。
 百合子もお前も、オレんところなんていることないんだぞ。
 家族だっていつかは別れる時が来るんだ。
 大事な人はなあ。
 一緒にいる間に大事にしなくちゃいけないんだぞ!」。

 いつの間にか目を開けて、背を向けながらそれを聞いているハルミ。
 彼もお金がないから、ブラジルに帰れない、という思いでいる、「家族の一員」 なのです。

 夫の思いを感じ取りながら、別れる決意をあらためて固めた百合子、東京からオッカの膨大な絵手紙を持って実家に戻ってきます。

 その絵手紙、これでもか、というほど、自分の夫良平のことばかりが書いてある。
 番組HPにその一部?が掲載されています。 コチラ→ http://www.nhk.or.jp/drama/49nichi/recipe/index.html

 「いちばん近くにいる人のことを、毎日ちゃんと見てたんだね」

 夫が優しかったのに、自分はそれに気付けなかった。 今頃気付いても遅いね。 私がダメだったの。 そんな娘に父はこう言います。

 「そんなことはないぞ。

 お前だけがダメだったなんて、
 そんなことは、ない!」

 微笑み続けるオッカの遺影。

 みんな、ダメなところを抱えながら生きているんだ。
 だけど、そのことで落ち込まず、焦らず腐らず、前を向いて生きていくしかない。
 「やってみなきゃ分からない。
 さあ、頑張ろう!」。

 ああ、もう次回が最終回です。

 短すぎ。

 死者の思いやりに浸っていたいけど、そんなぬるま湯にいてはダメだ、だから明日を見据えて頑張ろう!ということでしょうか。

「四十九日のレシピ」 に関する当ブログほかの記事

第1回 川へ行きなさい
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/02/1-4162.html
第2回 そうか、もう、いないのか… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/02/2-1710.html

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コメント

>『夢はかなわぬこともある。
 努力は報われぬこともある。
 正義は勝つとは限らない』。
 『だけど、やってみなきゃ分からない。
 さあ、頑張ろう!』

私、この言葉にはかなりシンパシーを覚えました。
イモちゃん、わかってるぅ!って。


愛人を演じた野波麻帆チャンは、オンナを演じさせると抜群です。
ごらんにならなかったでしょうが、『モテキ』での熱演も素晴らしかった。
あの愛人は、とにかく養われたいのですねw
そこそこの水準の安定した暮らしをゲットするためなら、複数の男性にもアタックするんですよ。
お腹のコ、誰のコなんだろう?

宅間さん演じたダンナは、本当にだらしないんだけれども
不妊で悩んでいて張りつめた空気の家庭というのもキツかったんでしょうなあ。。。

和久井さんの、目の前で繰り広げられる騒動(愛人宅の玄関で)に翻弄されながら
じっと静止したまま受け止める芝居も良かったです。
ユリっちポイです。
イモちゃんが付いて来てくれて良かったですなぁ


ホント、せめて全5回でお願いしますよぉ
あっという間に終わっちゃいますね

投稿: マイティ | 2011年3月 3日 (木) 12時28分

マイティ様
コメント、ありがとうございます。

先の返信でもお知らせいたしましたが、この文章、これでもかなり亜由美と浩行の部分を割愛いたしました。 実を言うとこの悪キャラに、感動する部分が霞んでしまったくらいの印象でした。 ホントにお腹の子だって、分かったもんじゃないし。

ただこうやって新たに書いてみると、メッセージ自体はきちんと感動的に用意されていました。 あのままアップさせなくてよかったかな~。

でも男の側からこの夫を見れば、ここまでひどい自分勝手女に翻弄されるのは、とても許せないんですよ。 いくら女房が不妊で気を遣いまくっていたからって。

でもだからこそ、言葉のキャッチボールは必要なんだよ、って訴えられている気もして。

こういう落ち着いた、心の温かくなるドラマがすぐに終わってしまうのは、ホント残念です。 最終回もまた新たに吉行和子サンとか出てくるみたいだし、もうちょっと長めにやっていただいてもいい気がいたします。

投稿: リウ | 2011年3月 3日 (木) 14時49分

こんにちは

亜由美のお腹の子、ホントに誰の子なんでしょうね?
亜由美にとっては誰の子でも構わないんでしょうね。とにかく、紙の上での父親ができれば。

今回、私はカイト君の演技に泣かされました。
あのアメリカンドック、お腹いっぱい食べたかっただろうに、ママに邪魔され・・・、ママが一暴れして帰る時にカイト君に手を差し出して手を繋ぐんですが、そのときの表情がまた・・・。
どんな親でも、子供にとって親は親なんだと思いました。
いま、子供への虐待が沢山報道されてますが、結局子供って何されても、親に対して無償の愛なんだなって。

4回目の放送で、ちょっとでもいいから亜由美に対して共感できる部分があるといいなあ、と思いました。今回は、逆撫でされまくりで気分悪くなっちゃいましたから。

中2の娘が「この女、誰とでもHしてるのかよ!」って突っ込んで、母として色んな意味で複雑な気持ちになりながら一緒に見てました。
娘は、イモちゃんが大好きなようです。そのファッションも(笑)

ユリッチと旦那とお父さんについて・・・コメは他にも書きたかったのですが、ここらへんで。

投稿: chie | 2011年3月 4日 (金) 11時47分

chie様
コメント、ありがとうございます。 娘さんも亜由美にキレてましたか(笑)。

まあ逆に申しますと、そこまでの演技を見せてくれた野波真帆サンがすごい、ということなんでしょう。 「し・っ・か・り」 お顔を覚えさせていただきました(笑)。

カイトクン、あらぬ粗相までしてしまって、大変な役どころでしたよね。 だからこそあのホットドッグ、これっておうちで作れるのか!って感動が、百合子の温かさと共に衝撃的なまでに伝わった、と思うんですよ。 程度の差はあれ、虐待される子供を見るのはたとえドラマでも心が痛みます。 亜由美にも 「一分の理」、があればいくらか救われるのですが。
イモもそんな自分の母親についていくしかなかったことを打ち明けていましたけど、すべての親は、自分だけがつらいんじゃないと自覚すべきだ、と強く感じました。

娘さん、イモのファッションにご執心とは、穏やかではありません(笑)。 私の姪御にも、高校に入ってドハデになってしまった娘がおりますが、姿は変われど心は変わっていない、けれども外見に惑わされてしまう、そんな忸怩たる思いを私もしております。

若い時ってそのままが、いちばん輝いて見えるんですけどねぇ…。

投稿: リウ | 2011年3月 4日 (金) 13時44分

リウ様

書き始めては消して、やっぱり書いて消して。
ドラマの本筋から外れてしまったけれど
やっぱり書いてしまいました。ご迷惑かけます。


ドラマになる母子の関係はどうしても「なさぬ仲」を取り上げることがおおく、これについては考える事もおおく、また見方の違いで一人の中にもYESだったりNOだったりで
ムツカシイ。

でも、子のできぬ夫婦の途上が浮気というのが実は嘘臭い。
って、ま、行き過ぎて思い込みすぎる妻から逃げたいのも心理か。。。。

これ言うと、68%の既婚妻を敵に廻すが、実は浮気容認派なの、私。なぜって「浮気」を離婚の条件から外すと離婚の理由がなくなるので、HAPPYに終末までむかえるるような気がしてる。。
どうせなら
「お妾さんの子どももウチの子として育てますわ。」
って花登筺さんのドラマのような妻になってみたい。
(昭和懐古趣味)
(リウ様「お妾さん」は表現が不適切って言われると思います。苦情が来たら?来る前に削除しちゃってください。)

投稿: みり | 2011年3月 5日 (土) 14時31分

みり様
逡巡の末コメントをお寄せ下さり、ありがとうございます。

みり様も断っていらしたように、浮気についてはケースバイケース、という感じはしますよね。 ただ 「浮気してもいいけどばれないでやってほしい」 と考える女性のかたが多いのも、事実なようです。 潔癖なんてありえない、という柔軟な考え方が台頭してきているのでしょうか。

このドラマのケースでは、百合子が不妊症に関してあまりにも痛々しく気に病んでいたんだと感じます。 百合子の思考のクセを見ていると、結構ダウナー。 浩行もホトホトいやんなっちゃったのでしょう(浮気相手の性格は置いといて)。 それがオッカの死によって、オッカの楽天的な真意を理解するような思考回路に、百合子は変化しつつある。

お互いのいいところも悪いところも受け入れていくのが、本当の夫婦関係なんじゃないのかな~(ウワ、難しそう…笑)。

あ、それと、「不適切な言葉」 ですけど、そういう言葉で傷つく人がいらっしゃるというのも理解できますし、本来蔑む気持ちがその言葉に込められている、というのも理解できるのですが、その 「蔑む気持ち」 という人間の負の部分だけが置き去りにされて、言葉だけをことさら廃絶していこう、とする動きには、私は疑問を感じております。

投稿: リウ | 2011年3月 5日 (土) 15時07分

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