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2011年3月11日 (金)

「四十九日のレシピ」 第4回(最終回) あの世から見守る人がいる

 泣けました。
 もう、ボロボロでした。
 涙腺が、ぶっ壊れました。
 思い返すと、また泣けてきます。

 この記事も、書き終わるまで丸2日を要しました。 おそらく当ブログ史上最長記事(オープニングの詩を除いては)であります。 前後編に分けようと思いましたが、非常に乱暴ですけどあえてひとまとめにしました。 読んで下さるかたのことを考えず、誠に申し訳ありません。

 この最終回、さまざまな伏線と布石が激しく交差した、世にも稀なる傑作となっていました。 まるで何度見ても色褪せない映画の濃密さであります。 今年見たドラマの中では、早くもダントツのナンバーワン、であります。
 そのすべてを書きたいという衝動に駆られて、ここまで長くなってしまいました。 重ね重ね、お詫びを申し上げます。




 百合子(和久井映見サン)が東京から持ち帰った、オッカ(乙美、風吹ジュンサン)からの絵手紙をもってしても、まだオッカの年表の空白は目立ったまま。 四十九日の前日になってしまいます。

 そんななか、オッカが遺したボーダイなレシピ、…ではなく、トイレットペーパー(笑)が物置から出てくる。 「トイレットペーパーがなくなるのが先か、良平(伊東四朗サン)が死ぬのが先か」(笑)というほどの量。
 その利用先を思いついたイモ(徳永えりチャン)、オッカがボランティアで働いていた 「リボンハウス」 の理事長、桐野聡美(吉行和子サン)を呼び寄せます。

 吉行サンは百合子に、自分たちはテイクオフボード(跳び箱の踏みきり板)だと乙美とよく話していた、と打ち明けます。

 「思いきり走ってきて、板を踏みきって、箱を飛び越えたら、もう過去は思い出さなくていい。
 私たちはあれなんです。

 親が子を支えるように、みんな誰かの踏みきり板になって、次の世代を、前に飛ばしていく…。

 私は独り身なんです。
 誰ともつながっていない人生、そう思う人もいるでしょう。
 でも私は信じているんです。
 私と関わったことを、テイクオフボードにして、きっと誰かが前に進んでいるって」

 これは最終回のこのドラマを感動に導くための水先案内のようなセリフのように思えます。 吉行サン、ちょっとしか出てこないのにかなり重要な役でした。

 誰かのためだけの人生。
 ちょっと考えると、なんか虚しいような気がします。
 「自分」、というものがそこにない気がする。

 でもそうじゃないんだ、と。

 吉行サンのその話を聞く百合子は、オッカの人生の意味をもう一度考える機会を得るのです。

 それでもオッカの年表の空白は埋まらない。

 けれども、それを手伝っているイモ、ブラジル人のハルミ(渡部豪太クン)のテンションはアゲアゲ。 窓掃除用のスプレーで次々と落書きしながら、良平の怖い印象を直すのに、語尾に 「ニャン」 とか 「だべ」 とかつけたらどうかと提案し、良平をうるさがらせます。
 ここでイモが書いていた落書きは、ハートのマークの中に、「ATUTA(熱田)IMOTO(井本)」。 ダーリン熱田と井本がラブラブだ、とはしゃいでいるのですが。
 実はこのなんてことないシーンが、最終回終盤で意味を持ってくることになるのです。

 そのハルミ、四十九日の大宴会を見ることなく、ブラジルへと帰ることとなります。

 お別れの晩餐にと百合子が奮発したすき焼き。
 「すき焼きスキ~大スキ~」 とめちゃくちゃな歌をイモと歌いながら晩餐を終えたハルミは、乙美のお骨に線香をあげお礼を言いながら、良平の前の妻、万里子の遺影のある仏壇へと向かい、「挨拶、いい?」 と百合子に尋ねます。
 「(え?関係ないでしょ?)」 みたいな、ちょっと意外なものを感じながらそれに応じる百合子。
 ところがハルミは、そこに供えられていた、万里子がお腹の中の産まれる子供(ハルミと名付けられるはずだった)のためにさすっていたお守りの白い石をそっと手のひらで包んで、万里江の遺影に向かって、こうつぶやくのです。

 「オカアサン、帰ります…」

 いぶかしげにハルミを見る百合子。

 このシーンを見ていると、まるで百合子の弟として生まれるはずだったハルミが万里子の使いとして、あの世からやってきたかのような錯覚に陥ります。

 このドラマ、とてもリアリティを伴った体温の低い父娘を描きながら、このような実にあり得ないと思われがちな描写を執拗に繰り返している。

 でもそれは、生きている人なら少しは感じることのできるであろう、「亡くなった人たちの、残された家族に対する思い」、そのものなのです。

 それを可視化することによって多少のリアリティが損なわれる危険性もあるのですが、このドラマの作り手は、それを怖がっていない。

 残された父娘は、このドラマで、ことあるごとに亡くなった人と対話している。
 そのことを通じて亡くなった人に対する思いが重層的に描写されているがゆえに、違和感を抱かせることなく、見る側はその非現実的な話に没入することが出来るのです。

 「遠いんだろうなー、ブラジルは」

 酒に酔い潰れて寝たふりをしながら、良平はハルミに最後のお別れを言います。
 この 「ブラジル」、「あの世」 と置き換えてもいいような設定になっている気がする。

 「そうだね」

 「どれくらいかかるんだ?」

 「オトウサン来るなら、迎えにくるよ」

 「とても…行けないな」

 起き上って寂しそうな顔をする良平。

 「オトウサン、ハグ。 お別れ」

 照れくさがってぶっきらぼうに答える良平。

 「元気でな」

 「ちゃんと呼んで。 名前」

 「…元気でな。

 …ハルミ…」

 良平の声が、ちょっとうわずります。

 「サヨナラ、オトウサン」

 後ろから良平をハグするハルミ。
 冥界に息子を送り出すかのような悲痛さで軽く歪む良平の顔。

 まずここで、今回最初の 「泣けました」 です(笑)。
 あ~これが、まだまだ序の口であるとは…。

 黄色いボロのフォルクスワーゲンで帰っていこうとするハルミに、百合子が駆け寄って、謝礼を渡そうとします。 それを拒絶するハルミ。 ブラジルに帰るのにお金がない、と言っていたのに…。

 「引っ込んどれんかったのです」

 「えっどういう意味?もう一回言って」

 「ヤダ」

 ハルミはお金を百合子のポケットに押し込みます。

 「ずっと見てたよ」

 「えっ?」

 「七五三。 振袖。 白無垢。
 きれいな姉さん。
 いつもきれいな百合子」

 「オッカそんな写真も見せてたの?」

 「今もスキスキすき焼き~」

 「…変な歌」

 このやり取り。

 限りなく深読みが出来る、という点で、あり得そうな話でもあるし、あり得なさそうな話でもある。
 つまりオッカがかつて乗っていたフォルクスワーゲンがハルミの愛車、というのは、冥界からの乗物という比喩もできるし、「ずっと見ていた」 というのは、冥界から姉のことをずっと見守っていた、というようにもとれる。 「すき焼き」 に思いを託して、「きれいな姉さん」 を今も大好きだ、と打ち明けているようにも思える。 冥界から百合子の様子を見ていて、「引っ込んでいられなかった」、とこの世にあらわれた、という解釈もできる。

 「そうだったらいいのにな」、の世界なんですよ。
 はっきりと 「そうです!」 と描写してない。

 ハルミはダンナ(宅間孝行サン)の元に戻らないの?と百合子に尋ねます。
 それが死んだ弟の、唯一の心残りなんですね。
 百合子はもはや後戻りできないこと、ダンナの新しい家族の幸せを願っている、というようなことを言うのですが、ハルミは 「キレイゴト?」 と百合子の本当の気持ちを見透かしたように言うのです。
 そしてそんな姉のほほを、両手でそっと包むハルミ。

 「ハルちゃんの手は冷たいねえ…」

 このくだりも、ハルミが冥界の人間だから、という推測も成り立つ。

 「サムクナイ?」

 「寒くないよ」

 「よかった。 それじゃあ、サヨナラだ」

 足早に走り去っていく黄色いフォルクスワーゲン。

 するとなぜか、百合子は何かに気付いたように、それを追いかけてしまうのです。

 「待って!

 …ハルミ…」

 黄色いワーゲンはそのまま、橋の向こうへと消えて行ってしまいます。

 ここで今回2度目の 「泣けました」。
 この百合子の最後の 「ハルミ…」 は、明らかに自分の弟に向けて言っている。
 百合子が見せたそのときの表情は、もう二度と会えない弟へ向けた、それのようでした。
 もう、知らずにこちらは涙が…。
 あ~これも、序二段程度です…(笑)。

 結局オッカの年表は空白の部分を大きく残したまま、四十九日当日を迎えることになってしまいます。
 その外見上の準備が整わないのは、百合も父の良平も、その心構え自体が整っていないことの表れでもある。

 実際に始まってしまった四十九日の大宴会。
 しかし大宴会、などというのは名ばかりで、集まってきた10人足らずの親戚たちは、その四十九日ぽくない雰囲気に、ただただ戸惑うばかり。
 良平もその場をうまく取り仕切ることが出来ずに、そそくさと 「なんか飲みましょう」 などと逃げてしまう始末。
 あげくの果てに出しゃばりオヨネ、じゃなかった(古い…笑)、姉の珠子(水谷八重子サン)からこの常識外れの四十九日についてまたしても歯に衣着せぬ物言いをされ、良平もこれまで姉に抱いてきた不満をぶつけてしまう。

 百合子も静かではありますが、伯母に 「子供が産めずに出戻りしてしまった自分ですが見守ってくれませんか」 と話します。 子供のいない幸せというものを、この家に帰ってきてオッカの生き方に触れて、あらためて感じることができた、とオッカを立てようともするのですが、やはり大宴会、には不似合いな話。 場は、ますますしらけてしまうのです。
 諭された格好の伯母は 「これが大宴会なの? あ~呆れた。 ここの衆は、常識がなさすぎる!」 と松岡外相の如く(これまた古い話で…笑)その場を蹴って退席。

 その険悪な場にやってきたのは、「リボンハウス」 でオッカに世話になった女の子、美佳ちゃん。
 オッカに教えてもらったコロッケサンドを持参し、このコロッケサンドの屋台を始めたい、という夢を語るのです。

 そのコロッケサンド。
 良平がオッカとの最後のやり取りで拒絶した、オッカの最後の弁当だったのですが、良平がまずそれを口にして感動してから、その場にいた親戚たちが 「懐かしいな」 と次々手を出して場がなごんでいく。
 つまりオッカはなにかと言うとそのコロッケサンドをみんなにふるまっていたんだな、というのがこれで分かります。
 良平が持ってきたのは、オッカが作りかけていた、美佳ちゃんの人生を写真とイラストで構成したスクラップブック。
 その絵を空白だらけのオッカの年表に張り出し、自分のことをこの年表に書いてもいいですか?と提案した美佳ちゃん。
 「そんならオレも書けるぞ」 と、我も我もと年表にオッカとの思い出を書き始める親戚たち。
 オッカの年表は、見る間に埋まっていくのです。

 良平や百合子の心構えのなさから失敗しかけたオッカの 「四十九日の大宴会」 は、こうしてオッカ自身の、平凡としか思えなかった人生がまわりの人たちに与えてくれた思い出によって、リボンハウスの人たちも参列し、徐々に盛り上がっていくのです。
 しまいには席を蹴った珠子がムームーで登場して(笑)フラダンスを強要する(笑)。
 出しゃばり珠子の本領発揮と申しましょうか(笑)、とてもミスマッチな雰囲気がその場を支配するのですが、「まあいいか、これも乙美さんへの供養だ」 と違和感を抱きながら、みなが気持ちを切り替えていく、その展開がまた私には共感できました。 「あるよなあ、こういう無理やりなテンションの切り替えって」 という感じ(笑)。

 そんな珠子の気遣いに、オッカの見えない力を感じたのか、万感極まった表情でフラダンスを踊る百合子。
 それを笑顔で見守りながら、大宴会が終わればここともお別れしなければならない、という寂しさが、イモの表情を曇らせていきます。

 大宴会が終わったあと、父娘はオッカの年表に空白が消えていることに呆然とします。

 参加者たちの思い出が、オッカの人生を彩っていたのです。

 珠子も良平の生まれた年の欄に、書き込みをしていました。
 あっという間に画面から消えたのでここでちょっと書いてみます。

 「(1941年の欄に)良平 誕生
 今では想像できないくらい可愛い。
 今日は、呼んでくれて
 ありがとう
 珠子」

 「ありがとう…私も」

 年表の書き込みをいとおしく触りながら、イモがつぶやきます。

 「何も知らなかったし、分からなかったし、『人生最低。カッタルイ』 って思ってたけど、料理に掃除に洗濯物のたたみ方…、乙美先生のレシピが増えていったら、『すごいじゃん。こんなこともできる。あんなことも知ってる、私』 って…。

 今は…。

 前より少し、…自分が好き」

 百合子はテイクオフボードにオッカがなっていたことを実感し、オッカの年表に、額をのせます。

 「これが、オッカの人生…。

 私の…お母さんの人生…」

 またウルウルです。 ああ、十両に突入ですかね…。

 話は前後しますが、その大宴会のさなかに百合子の夫の浩行が来ていました。
 百合子に気付かれずその場を離れた良平。 喪服の浩行は雨に濡れた川辺のコンクリートに額をこすりつけて土下座します。
 前の女とは別れた、経営する塾も失うことになるが、慰謝料もそれで全部まかなう、ゼロからだけれど百合子には戻ってきてほしいと必死の懇願です。

 まあいまさら何だっていう話なので良平も形のうえでは追い返したのですが、大宴会がなんとか成功裏に終わったあと、良平は娘に対して、「お前の好きにしろ」 と突き放し、こう話します。

 「お前の寂しい気持ちはようく分かる。
 でもな、それは、誰も埋められないんだ。
 お前が動かなきゃ、埋められないんだよ」

 それでもかぶりを振る百合子。
 けれども娘が、残された父親のことを気遣っていることが分かったとき、父親は毅然とこう言い放つのです。

 「行け!

 なりふり構わず、追いかけろ!

 俺のことなんか振り向くな。
 振り向いちゃ駄目だ!

 人生は短いぞ。

 今なら間に合う。 イモ、タクシー呼んで。

 行きなさい。

 ここはもう、おまえの家じゃない。

 …父さんは、幸せだ。

 母さんのおかげでこの四十九日間、お前と一緒に…いや、家族と一緒に楽しい時を過ごすことが出来た。
 それだけでじゅうぶん幸せだ」

 「お父さん…。

 ごめんなさい…」

 「なんで謝る? 謝ることなんか、ひとつもないぞ!」

 「…
 …
 どならないでよ!…」

 「怒鳴ってもいないし、怒ってもいない。

 …ホントだぞ」

 泣き笑いしてしまう、百合子。
 娘を安心させようと、笑う父親。

 あ~も~だめだぁ~~っ(笑)。 幕内だぁ~~っ!(笑)

 そしてイモとの別れ。 互いにお礼を言って頭をぶつけてしまいながら、「こんな家族なら私も欲しいって思ったよ」 と笑うイモ。
 家から出てきた良平は、オッカの分厚いレシピを百合子に手渡します。 オッカは良平の分と百合子の分と、2冊のレシピを用意していたのです。
 良平に、「オッカの遺してくれたレシピ、レシピって、処方箋って意味もあったよね」 と語る百合子。

 その処方箋によって、癒されたものがある。
 父娘は明日へと続く道を、再び歩き始めたのです(クサいなあ~…だけどそれがよいのです)。

 イモが呼んだタクシーが到着し、娘を軽くハグする父親。 ハルミのことが頭をよぎったのでしょうか。

 「頑張れ」。

 自分に不似合いなことをしてしまった後悔をちょっとだけのぞかせながら、娘になんとか励ましの言葉を送ろうとする父親。
 でも 「頑張れ」 という言葉は、なんとなく重そうに思える。
 良平は、こう続けます。

 「頑張れよ。

 …

 頑張れ…

 ニャン」

 …もう、泣きながら笑ってしまいました。 こーゆー泣かせ方をしてもいいのか! ルール違反だっ!(笑) …まだまだこれでも中入り、であります。
 百合子も負けじと、照れながら自分の決意を表明します。

 「頑張る…

 ニャン」

 百合子を見送った良平とイモ。

 オッカの人形(ひとがた)と良平の人形を乗せた笹舟を川に流して、私の四十九日のお手伝いは終了、と言うイモ。
 「なんで俺のまで流すんだ、縁起が悪い」 と言う良平にイモは気後れすることなく、ふたりは互いの笹舟を流すのですが、乙美の船はそのまま流れていくのに、良平の船はすぐに沈んでしまいます。

 「おい! サーファー熱田号、いきなり沈んだぞ!」

 そんな良平をじっと見つめるイモ。

 「…ありがとう、良平さん…」

 「うん?」

 振り返る良平。

 そこには、もうイモの姿はありません。
 うう、もうダバダバです。 ようやく 「これより三役」、か?
 
 「イモ?

 井本?

 イモちゃ~~ん!

 お~~い!」

 きょろきょろあたりを見回す良平。 彼岸から、乙美がそれを見つめています。 それに気付く良平。
 なんなんだよ、もう。
 これ以上泣かすな。

 ここで、沈んでしまった良平の船はこの世に残されたものの比喩であると思うのですが、いったいイモは、オッカの化身だったのでしょうか?

 イモが話していた幼いころの思い出や、「人生最低。カッタルイ」 などと考えていたイモがオッカの化身であるとは、あまり考えにくいような気がします。
 でもこのドラマは、限りなくそのことを匂わせている。
 オッカが良平と出会うまでの人生が、なんか謎に包まれているせいであります。

 良平は戻ってきた自分の家で、呆然としたまま乙美の幻影に向かって、しゃべり続けます。 乙美は長ネギを切っている。

 「なあ、変なこと考えちまったよ…」

 「変なこと?」

 「うん。 お前がな、若い姉ちゃんに姿を変えて、帰ってくるんだ。

 四十九日の手伝いをするとか何とか言ってな」

 「そう」

 「ハルミまで来たな。

 懐かしい車に乗って。

 姉の百合子のピンチに黙っていられなかったんだろう」

 「そう…」

 「そんなわけないよな。 変な夢だよ」

 このシーン、回想の場面を除けば、このドラマで初めて壮年期の良平と乙美が語り合うシーンだったと思うんですが。
 ひょっとして良平は、こんな素直な会話なんか、乙美が生きている間はしたことがなかったのかもしれない。

 「あっ、…お前には言っておかなきゃならんことがあった。

 コロッケサンド。 塩バターラーメン。 カボチャの煮物。 あさりの炊き込みごはん。 ちらし寿司…。

 いつだって最高にうまかった。

 ホントだぞ。

 本当に、ありが…」

 居ずまいを正しかけた良平は、乙美の姿がないことに気付きます。

 「おい! 待ってくれ!

 俺はもう掃除もできるし飯も作れる。 洗濯も覚えた。

 今度はきっと楽しくやれる…。

 …

 何度も、俺だけ、置いてかんでくれ!

 乙美…!」

 乙美の姿を探して立ち上がった良平は、そのまま縁側のあたりで、へたり込んでしまいます。
 もう、涙腺、ぶっ壊れました。
 書きながら泣いてます(お恥ずかしい…)。 結びの一番かなあ…。

 すると、ふと良平が見上げた縁側のガラス戸に、イモがガラス掃除用のスプレーで以前に落書きした、ハートマークが書かれているのです。

 そのハートマークの中には、「IMOTO」 の文字。

 しかし良平のほうからそれを見ると、「OTOM I」 になっていたのです。

 ここで以前イモが書いていた落書きを思い出してみますと、「ATUTA  IMOTO」 と書いてあった。
 逆さからこれを読むと、「OTOM I  ATUTA」。
 ああ、そういうことか…。
 ちょっとしたなぞ解きをしながら、崩れ落ちそうになる良平の気持ちを、乙美が救ってくれているかのような、イタズラな落書きです。

 「ありがとな、O・TO・MI」

 同じころ駅のホームでオッカのレシピを見ていた百合子。
 「スキスキすき焼き」 の歌を、幼いころの百合子が歌っていたことが、そこに描かれています。 ひとつまた、謎が解けた。
 旦那さまと幸せに、という願いのこもった絵を見ていくうちに、涙ぐんでくる百合子。
 そのうちに百合子は、キリンを見て笑う百合子の幼い日の絵を、レシピの中から見つけます。

 それは、オッカとの初対面の時、オッカの作ってくれた手作りの弁当をダメにしてしまったあとの出来事を絵にしたものでした。

 初めてオッカの前で、幼い百合子が笑った瞬間。

 オッカはそのときの喜びを、ずっと大切にしていたのです。

 「(オッカ。

 そのときの記憶はもうあいまいだけれど、今なら、そのときのオッカの気持ちなら、分かります。

 今なら、オッカが伝えたかったことが、分かります。

 オッカ。

 あなたは、幸せだったのでしょう?

 私たち家族は、幸せだったのでしょう)」

 涙のダメ押しだ。 朝青龍だ。 反則だ。 ここまで泣かすか。

 電車がきます。

 進行方向のほうを向いて、まっすぐ前を向いて生きよう、という決意の見える、百合子の表情。

 3カ月後。

 自分で作ったコロッケサンドをほおばりながら、釣りをしている良平。

 「お~~い!
 俺はそこそこ楽しくやってるぞ~~っ!」

 魚が釣れます。

 「ほらっ! ホントだぞぉ~~っ!」

 「ホントだぞ」 というのは、良平の口癖のようでありますね。

 そして自宅を個人塾にした浩行のもとで、子供たちと一緒にはしゃぐ百合子。

 「(オッカのレシピは、ささやかな幸せの瞬間で、いっぱいだったから。
 私もそんな、幸せの瞬間を、たくさん見つけていけたら…。

 オッカ。

 …ありがとう)」

 こんな白鵬の怒涛の寄りのような形で寄り切られ、朝青龍のごときダメ押しまで食らうドラマになろうとは、思ってもみませんでした。

 ほとほと、疲れました。
 泣き疲れました。

 けれどもその涙は、「明日を見据えて今日を生きていこう!」 という元気をもらった涙でもあるのです。

 ただしもうこんな、ドラマ好きの精魂を絞り尽くすようなドラマは、しばらくいいような気がいたします(うっ、「JIN」 が控えている…)。
 おしまいに、こんなダラダラと長ったらしい記事を最後までお読みくださったかたには、心より感謝申し上げます。
 今後は、もっともっとコンパクトにまとめないと、…

 正直言って身がもちません(笑)。

「四十九日のレシピ」 に関する当ブログほかの記事

第1回 川へ行きなさい
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/02/1-4162.html
第2回 そうか、もう、いないのか… http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/02/2-1710.html
第3回 キャッチボールhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/03/3-e995.html

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コメント

ご無事ですか。
被災後にかきこんでおります。
のんきですみません。
部屋はメチャクチャになり、ガスも止まってますが適当にかたづけまして
ネット情報をチェックしてます。
キーボードの上にたくさん物が落下したので作動確認もかねてネットしてますが、大丈夫です。

さて、このドラマ、
ファンタジー要素もうまく取り入れ、素晴らしい出来でございました。
オ〜イオイ声をあげて泣き、顔が腫れました。

ハルミやイモは実在しないんだろうか?

49日にあれだけ来客がある、オトミさんの生き様は素晴らしいです。
見習いたいです。
ユリッチが夫の元に帰る気になったのだけが
ちょっとと意外でしたw

OTOMI IMOTOの件にかんしても
事前に窓ガラスの掃除をしたりして、伏線があるわけで。やるなあ。
あのとき全員がボーダーのシャツを着ていたのも微笑ましいですね。

あ〜 まだ揺れてる…

皆様にお見舞い申し上げます
お怪我などないといいのですが。

投稿: マイティ | 2011年3月11日 (金) 17時04分

 そちらは大丈夫ですか?倒壊、渋滞、どうですか?こちらはまったく大丈夫です。

投稿: リーン | 2011年3月12日 (土) 08時41分

マイティ様
被害の大きさが分かっていくに従って、とんでもない地震だったということが判明していくのは、阪神淡路大震災の時と同じであります。 心よりのお見舞いを申し上げます。

わが街世田谷もかなり揺れました。 かつて経験したことのない揺れでしたが、棚の上のものが落ちる程度でなんとか済みました。 余震もかなりしつこいです。 今度は長野や新潟で地震、と聞きますと、日本はいったいどうしてしまったのか?という不安が募ります。

この記事、その地震の5分前にアップしたものであります。 出来上がった記事をチェックし、皆様からのコメントに返信しようとしたとき、地震に遭いました。 それからはそちらの対応に追われ、返信もこんな時間になってしまいました。 記事自体は結果的に、こんな状況下でうわついたものになってしまった感は否めません。
そんななかでこの記事にコメントを寄せていただいたマイティサンには、とても感謝してもし足りません。

被災に遭われたすべてのかたがたに、いま一度心よりお見舞い申し上げます。

投稿: リウ | 2011年3月12日 (土) 13時01分

リーン様
こちらからコメント差し上げようと思っていた矢先に安否をお報せ下さり、誠に恐縮です。 こちらは全く平気なのですが、昨夜の夜勤は交通が全く麻痺してかなり大変でした。 今朝がた大幅に遅れて帰宅のときには、246の深刻な渋滞も改善していたみたいですが。

そちらのブログにもお邪魔してお見舞いをさせていただきたいと存じます。

投稿: リウ | 2011年3月12日 (土) 13時06分

初めまして。

「四十九日のレシピ」で検索してこちらに辿り着きました。


東京にお住まいなのですね。
この度の大震災、心よりお見舞い申し上げます。
私も妹や友人が東京在住なので、連絡取れるまで気をもみました。

被災地の惨状や原発事故の報道にはつい目をそらしたくなるのですが、現実をしっかり受け止め自分なりに被災された方々の支援や再建の手助けをしていかなくてはと思っているところです。

さて、『四十九日のレシピ』観想読ませていただきました。
私もブログで書きましたが、なにせ舌足らずな拙文のため、言い尽くせない・・・書き尽くせないことだらけで消化不良状態でした。
しかし、こちらに伺って「喉の奥に刺さった小骨」が取れたようにスッキリしました^^
私との共通点は「ありそうでなさそう、なさそうでありそうなお話」ってところと、「あったらいいな!」というところです^^

久々に鼻の奥がツ~ンとするドラマに出会えました。感謝です。

投稿: 陽花 | 2011年3月16日 (水) 15時26分

陽花 様
こちらこそはじめまして! コメント下さり、ありがとうございます。 返信遅れました。 大変申し訳ありません。

このたびの震災では、直接的ではなくて間接的な被害が、とても大きいです。 停電やガソリンなどモノ不足で、仕事自体がマヒ状態に陥っております。 お気遣いいただき、かたじけなく存じます。

「四十九日のレシピ」 は、今にして思えば 「人が亡くなるのは悲しい。 けれどもそれをテイクオフボードにして、前向きに生きていこう」、というメッセージが込められていた気がいたします。

このドラマを見たのは平和な日本の最後のひと時でしたが、大震災を経てなお、いや、悲しみを得たからこそさらに、ストレートに訴えかけるものがあるんじゃないでしょうか。

投稿: リウ | 2011年3月17日 (木) 09時42分

はじめまして。ググってきたものです。

実は、このドラマの4回目(最終話)が、なぜか気になっていて。「OTOMI=IMOTO」は、しばらくして気づいたのですが、「ATUTA=ATUTA」だったのですね(笑)。

そして、一部、見損なったので、「ハルミ」はわからかくって、なぜ、最後の方で、オヤジさんが「ハルミも来たぞ。姉さんのピンチがどうしても気になったんだろう」と呟く意味がわかりませんでした。
#ただの陽気な日系ブラジル人のにいちゃんだと思ってたので。

これで、全てすっきりしました。そして、改めて、泣かせてもらいました(笑)。

ありがとうございました(_ _)。

事後承諾ながら、mixiの私のつなたい日記にURLを引用させていただきました。

投稿: アルジャーノン | 2011年3月24日 (木) 02時53分

アルジャーノン様
こちらこそはじめまして! コメント下さり、ありがとうございます。

URLの件、了解いたしました。 わざわざご丁寧にお報せ下さり、ありがとうございます。

「ATUTA」 って、普通「ATSUTA」 って綴りますもんね。
「ハルミ」 という名前も、もともとの名前はヤケに長ったらしかったけれど、「サントス」 とかちゃんと読みやすい部分があるのに、わざわざ死産した(たぶん)百合子の弟の名前をつけてますし。 それは、やはり弟の生まれ変わり、という考え方から来てるんでしょうね。

アルジャーノン様からコメントをいただいて自分の記事をあらためて読み、ドラマを思い出してまた泣いてしまいました(ハハ…)「序の口とか幕内とか、要らねえな~」 と思いながらですがcoldsweats01

投稿: リウ | 2011年3月24日 (木) 10時40分

すっごい遅いコメで申し訳ありません。
地震の後、思うところがあって言動を自粛していました。
先日「四十九日のレシピ」原作を読みました。
ドラマとほとんど同じでした。
最終回に亜由美が出てこなかったので(見逃したか?と思いつつ)、どうしてもそれだけが納得できなくて、原作にはあるのかなと思い、読みました。
ここでぶっちゃけていいのかわかりませんが、亜由美の子供は浩行の子供ではなかったんですね。

イモの言った「夢はかなわぬこともある・・・・・・だけどやってみなきゃわからない。さぁ、がんばろう」
これは私の座右の銘になりました。
ホントに、心が温かくなるようなドラマでした。

NHKには今後もこんなドラマを期待したいと思います。

投稿: chie | 2011年3月31日 (木) 10時18分

chie様
いえいえ、ご無事が分かってこちらも安心いたしました。 コメント下さり、ありがとうございます。

私もしばらくブログの内容について自粛したのですが、やはり 「いつも通りがいちばんいい」、という結論に達しまして、地震後1週間たたずにドラマレビューを再開しました。

亜由美って、原作ではそうだったんですかー。 彼女の存在だけが、このドラマで浮いてしまっていたのが残念です。 「串についた食べ物をケントに食べさせないで!」、という部分だけが、母親らしいなーと思った部分でしたが。

ホント、夢は叶わないこともあるけど、だからって最初からあきらめてちゃ、なんにもできないですもんね。
夢を叶えるために努力することに、喜びを感じられればいいんだ、って思います。 その喜びで、人生回っていくんでしょうね。

投稿: リウ | 2011年3月31日 (木) 13時11分

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