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2011年3月 5日 (土)

「江~姫たちの戦国~」 第8回 ああ、書きにくい…

 樹里ちゃんファン1様。
 思ったままを書くことをお許しください。

 このドラマの上では、秀吉(岸谷五朗サン)とのパワーバランス、そして横恋慕させ悔しがらせるために市(鈴木保奈美サン)が採った方策、それが柴田勝家(大地康雄サン)への輿入れ。
 そのことにいちばん狼狽していたのが当の勝家なのですが、勝家は 「御屋形様(信長)の妹とその娘たち」 という認識のもとに、ただひたすら滑稽なまでに彼女たちに対してへりくだり続けます。

 その卑屈の権化とも思える大地サンの演技は、江(上野樹里チャン)が一晩行方をくらませてしまったことに対して烈火の如く怒ることへの、いわば前フリだったのですが、ここで柴田勝家を別人の如く怒らせた原因は、江が馬を勝手に持ち出してしまったことで馬番の下人がその責を負わせられることを配慮せよ、というものでした。

 「(江に向かい)分かるか。 上に立つ者は常に下の者に心を配っておかねばならぬのじゃ。 (茶々、初のほうに向きなおり)そなたたちとて同じこと。 みなに支えられておること、断じて忘れてはならん!」

 大地サンのその不動明王のような演技にはシビレました。 この出来事をきっかけとして、それまで柴田勝家に対して反抗的だった茶々、初が、すっかり勝家に手なずけられた格好になるのもむべなるかな、という感じであります。 ドラマとして浅い展開ですけど。

 ただしそこに至るまでの柴田勝家が、ドラマ上 「下々の者に気を配っていたか」、ということには疑問の余地がある。

 いくら御屋形様の妹とその娘たちだからとはいえ、自らの家来衆の前で彼女たちに必要以上にへりくだり続け失態を繰り返してきた柴田勝家は、下の者からどう思われていたのかな、ということなんですよ。 呆れられてはいなかったのでしょうか。

 これは 「男が、武将が威厳を保つ」、ということに対して作り手があまり深く考えていないことの証左だ、と思われます。

 エライ女房に頭が上がらずに酒にむせたりオドオドして声が裏返っちゃったり、娘たちのジコチューぶりを受け流したりすることは、コミカルで見ていて楽しい。 大地サンのアタフタ演技を見ていて、伊丹映画を懐かしく思い出したりしました、確かに。 水川あさみサンが食べ物につられまくっているのも、結構笑えます(大河を見ている感覚の笑い、じゃないですけどね)。
 そうした軽い部分が連続することで、今回クライマックスでの大地サンの激怒演技がとても効果的になってくる。

 けど、あまりにそこに至るまでがコミカルすぎると、勝家自身が、周りで見ている家来に対して一国一城の主としての威厳が保てないだろう、という気にはなるんですよ。
 作り手は柴田勝家の 「豹変」 をどれだけ 「効果的に」 見せるのかに心を砕かれすぎて、どれだけ 「一貫性があり」「説得力を伴って」 見せるのか、という部分をなおざりにしてしまった。

 また前回も指摘したのですが、このドラマでどうにも消化不良に思えるのは、秀吉という人物の行動の説得力であります。

 今回ドラマ冒頭でおね(大竹しのぶサン)と信長の後継を巡ってつまらない会話(失礼)が続くのですが、おねはその揚句に、「言ってることがメチャクチャだ」 と感想を漏らしてしまう。
 「ワケが分からんのはこっちだ」 と言いたくなります。
 ドラマが浅いと、こういうセリフがとても逆効果になってしまうのです。

 結局天下が欲しいのであろう、ということだけは見ていて分かるのですが、そこに秀吉の不気味さが一切感じられないのはつらい。
 ドラマ的に軽ーい男が軽ーく天下取りを考えている、というようにしか見えんのです。

 これは秀吉をバックアップする人間がいないこと、いたとしても(黒田官兵衛など)その人物の重厚さが描かれていないことが原因であります。 どのくらいの軍勢を秀吉が持っているのか、という描写がないことも一因ですが、秀吉が孤立無援に見えてしまう、というのが、秀吉が大した人間に見えてこない、彼の行動にしたたかさが見えてこない最大の原因だと私は思う。

 結果的にとても空洞の大きな物語を見せられている気になってきます。
 コミカルでじゅうぶんお腹がいっぱいになればいいんですけどね。

 いや、このドラマを楽しむには、まずコミカルな部分に笑ってあげなきゃいかん、という気がしてきました。

 楽しみましょう!

 まずは、笑って見てあげましょう!

 秀吉はもう一度、角材につま先をぶつける必要があります(笑…)。

 さすれば、マジメな部分とのコントラストも、味わいが生まれてくるはずであります。
 私はそんな視聴方法が正しい、と感じます。

 …こんなことを書かねばならない情けなさを、ドラマのスタッフは感じてもらいたいものであります。
 このままでは樹里チャンやあさみサン、みんなかわいそうだ…。
 向井理クンが出てくるまで待て、ということなんですかね…。

 今回 「ドラマとしては」 という枕詞を乱発しました。
 もはや史実を云々しながら、見ておりません…。

 頑張れ、「江」!

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テレビ」カテゴリの記事

コメント

まずお詫びを。
私が変な足かせとなってしまい、ご迷惑をお掛けいたしました。申し訳ございません。

私は樹里ちゃんの演技を買っているだけで、大河の評価を上げて欲しいと思っているのではありませんので、どうぞ思いのままを綴ってくださいませ。

私は大河に対してはコテコテの王道を望むタイプです。もうすぐ50歳という年齢から想像してください。
したがって、今回はもはや大河として観ることを捨てております。そうでなければ腹が立って悲しくて情けなくてテレビを破壊しかねません。

すっぱり捨てることができたので、楽しめたのです。そして2回、役者たちの表情やありえなさの連続を楽しむために再生する気持ちになりました。

今までの価値観からの脱却を視聴者に強要するドラマでありますねぇ、つくづく。
役者さんたちが可哀想に思えてしまい、変な感情移入も迫られますです。

もうコメントを控えます。失礼いたしました。

樹里ちゃんファン1様
こちらこそ大変、樹里ちゃんファン1様の気持ちの負担となってしまうようなことを(冒頭に)書いてしまって、却って心苦しかったです。

でも、勝手な憶測で恐縮ですが、私とすごくよく似た感じ方でこのドラマをご覧になっているんだな、と感じました。 「もうコメントを控えます」 などとおっしゃらず、お気軽に参加していただけたらとてもうれしいです。

私も樹里チャンのファンであります。 けれども今回のドラマは、もう設定からして間違っていると思うんですよ。 これは彼女の責任ではありません。 NHKの責任であります。 そんな無理やり10歳、の設定の中で、彼女の努力を見ていると、つくづくかわいそうになってくる、、、ということなんです。 水川あさみサンも同様。

「大河として見ることを捨てている」、ホントに私も、そんな感じであります。 そのうえで軽い気持ちで見ると、とてもいとおしい気持ちになってくる。 そんな二律背反した、説明にちょっと困るようなハマりかたを、している感じなんですよ。

だからこのブログの筆者といたしましては、感想文を書きたくなるまでに至らぬドラマは、本来であれば記事にすらしないのですが、この 「江」 は違うんですよ。 苦言を呈しながら、何か書きたくなってくる。 それはどうにも説明し難いいとおしさに、私自身が陥っているせいなのです。

ひょっとしてテーマ曲にハマってるのかな?(笑)

でもホント、樹里ちゃんファン1様から頂いた今回のコメントには、「そうそう、自分もそう!」 と感じることしきりです。 たぶん今後も、このドラマについては書きたくなるかと思うので(たぶん辛辣な記事になってしまいますけど…)、よろしかったらご感想をお寄せいただきたいなーと、虫のいいお願いを再度させていただきたいと存じます。

はじめまして。昨年から時々お邪魔して、記事を読ませていただいています。去年の大河を楽しんだ私には今年はちょっときつい大河です。でも、お気軽で、さぼったり、ちょっと見てみるかと途中から見たりできる所が敷居が低くて好きです。私は本能寺で信長おじ様との二人乗りに大笑いしてしまい、しばらく遠ざかっていたのですが、たまたまちょっとチャンネルを変えて見たら、勝家パパががんばっておりまして、ちょっと感動したのです。その後すぐチャンネルを切り替えたのはこのドラマへの耐性がないせいです。樹理ちゃんはがんばっていると思います。お姉さん二人も。痛々しいくらいです。でも最初の結婚の頃から樹理ちゃんにしてくれた方が見る立場からすると楽です。舞台を見るみたいと心構えなくてすむので。コミカル部分が私は苦手でそこが楽しめない部分かも。秀吉は別にあれでもいいかなと。去年の弥太郎が秀吉的演技をさんざん熱演してくれたので、今年の秀吉に思うところが何もないのです。ひどいですね。今は江ちゃんにとって、人生の糧になるもの培っている時期でしょうから、3度の結婚で江ちゃんが本当のヒロインにのし上がっていく頃には、「女の戦は生きる事」のこのドラマのテーマのようなものがこちら側に響いてくるようになっているかもというか、樹理ちゃんのためにそうなって欲しいと思っています。そのための、今をときめく向井ダーリンの登場だと思うので。長々と失礼しました。

ささ様
こちらこそはじめまして! コメント下さり、ありがとうございます。

いろんな感じ方があるんだよなあ~と思いながらコメント拝見いたしました。 あまり秀吉にはこだわってないんですね。 信長オジサマとのタンデムにはカンドーしてしまったクチでした、私…。 でも全体的に評価が低い、というのは見解が一致いたしますよね。

いずれにしても 「龍馬伝」 どころか、 「天地人」 にも劣ってしまうほどの出来だと残念ながら思わざるを得ないのですが、うーん仕方ないかなーなんて思ってます。

今回も、勝家がお市に 「自分を愛して、あ、いやいや、失礼をば」 みたいなことを言ってお市を反省させる部分とか、う~ん…と考えてしまったのですが、いったん否定的に見出しているから気になるのかな?なんて考えたり。

コミカル部分でいちばんスベっているように見えるのが、私の場合秀吉役の岸谷サンなんですよ。 ここまで大げさにしてやろう、と考える余地が岸谷サンに生まれてしまうのは、脚本に隙がありすぎるからだ、私はそんな見方をしています。 樹里チャンやあさみチャンのコミカルさは、そのまんま「のだめ」 なので受け入れられる、と言いますか…。

ホント、最初の結婚あたりまで子役のほうがいい感じがしますよね。 現在のだめ状態の樹里チャンの演技が変わっていくことを、ちょっと(いや、だいぶ)期待しています。

向井クンの家忠と春日局(まだ配役が決まっていないようですが)との絡み合いがメインになってくるんだろうなー、という感じで、今のところは見ております。

第9回がお気軽なんて言ってられないくらい非難ごうごうで、ちゃんと見ていない私はびっくりです。土曜日の再放送を怖いもの見たさで見てみようかと思います。が見逃しても多分後悔しないとも思います。倉本聰さんが「勝海舟」の脚本を途中で降りたらしいですが、田渕さんも篤姫に傷がつかないうちに降りた方がいいのじゃないでしょうか。倉本さんは今もバリバリですし。それとも天地人を再放送した方がましかも。妻夫木くんのきれいな涙で江ちゃんの世界を浄化してもらった方がいいと思います。向井くんが出てくるまで大河ファンは我慢できるかしら。土曜日は気合いれて見ようと思います。ちゃんと見てもたいして感想は変わらないと思いますが。天地人の方がまだましって事です。秀吉も注目してみます。

ささ様
再コメント、ありがとうございます。 返信が遅れまして大変失礼いたしました。

そうなんですか~第9回。 「戦は嫌だ」 とか 「父は戦はせぬ」 とか予告でやってましたからね。

でもいったん否定的な目で見出すと、アラがだんだん見えてくるのかなーなんて、考えたりもします。 私もなんか、周囲の批判に翻弄されながら見ちゃう側面があるのかもしれません。

ほかのかたへの返信にも書いたのですが、このドラマには、私が記事を(それがたとえ批判的な記事でも)書きたくなる何かが、存在しています。
それは 「こうしたらもっといいのに…」 ということを書きたくなる、ということなのかもしれません。
出ている俳優さんたちが好きだから、というのもあるかもしれません。

いずれにしても、大河50作目、という歴史的な重み、というものを考え出すと、否定的にならざるを得ないのですが、スイーツドラマと思って見れば角も立ちません。

再放送を見ました。
確かに我慢して見続けていても、一向に良くならないドラマになってしまっているような気がします。出ている俳優さんたちは、それぞれ力量がある方なのに、脚本や演出でこうも出来が悪い作品になってしまうものなのですね。

私が思うに、大河ドラマとしての重厚さと軽いノリのコミカルな部分の割合がミスマッチというか、我慢ならない感じですね。徳川家康の北大路さんや、信長の豊川さん、等々は大河的な趣きなのに、なぜか秀吉だけはあんな感じで、岸谷さんは苦労されてるのじゃないでしょうか。

このレベルのまま、ドラマが進んでいくと、きっと向井くんが出てくるまでもたないんじゃないかなあと思ってます。

今まで、一番良かった俳優は奈良岡さんかな?大地さんも頑張ってらっしゃいますけど・・・

rabi様
コメント、ありがとうございます。 「大聖堂」 のレビュー遅れております。 申し訳ないです。 先週放送分はその前の回に感じた物足りなさが補足されたよくできた回になっておりました。 書かなければならないレビューが山積しております…。

さて 「江」 ですが、ネットで周辺から漏れてくる情報から私が感じるのは、脚本や演出よりも、NHK自体の下らん意向が絡んでいる可能性があるのではないか、ということです。 田渕サンの原作は思ったよりもよくできている、などという話も聞きますし、演出の伊勢田サンなんかは、私が初めてハマりまくった大河 「山河燃ゆ」 の演出も手掛けておいででした。 変に面白く改変しようとする動きがあるとすれば由々しきことですが、何しろ噂に過ぎません。

私が意外に思うのは、大竹しのぶサンって、こんな内容でもあまり無批判でお出になってしまうんだな、という点。 北大路欣也サンの場合、欣也サンの出演している部分だけはまともに思える。 なのに今回の大竹サンの 「言ってることがメチャクチャだ」 のシーンは、見ているほうが嫌になってくるくらいの支離滅裂さでした。

俳優さんがホンに楯突くとか制作サイドに楯突くとか、そんな時代じゃないんでしょうかね…。

リウ様

私は大竹さんは一番かっている女優さんです。その演技力はすさまじいというレベルだと思っています。
TV番組などでも、役を演じているというより、あちらの世界へいく、あるいはアスリートのように試合に参加するといった感じなんだそうです。8時間の舞台が終わっても疲れた感じはしない、爽快な感じとおっしゃる辺り、天性の俳優だなと思っています。

今回の「言ってることがメチャクチャだ」 のシーンーこれは私もなんとなく違和感を感じたシーンでした。大竹さんらしくないというか?

大竹さんが大河ドラマに出演されたのは、多分、奈良岡さんが出演されたからではないでしょうか?大竹さんは奈良岡さんをとても尊敬されてるというお話でしたので。

>俳優さんがホンに楯突くとか制作サイドに楯突くとか、そんな時代じゃないんでしょうかね…。
確かに、そう思えますね。時代は変わっていってるのでしょうね。

「大聖堂」
内容が盛り沢山なので、書くのは大変だと思います。パワーのあるときにお書きになって下さいませ。お待ちしてます。

rabi様
コメント、ありがとうございます。 返信しようとした矢先にあの地震、対応に追われて返信が大変遅れました。 お詫び申し上げるとともに、お見舞い申し上げます。 そちらはいかがですか?

こんなときに語る内容ではありませんが、あえて返信させていただきます。

私も大竹サンがそれほど役にのめり込む女優さんであることを認識しておるのですが、そのために大竹サンが今回このホンで出ようと思った経緯が分からなかったのです。 rabi様のおっしゃるように奈良岡サン絡みですかね。 「大竹しのぶのオールナイトニッポン」 では水川あさみサンがゲスト出演して、大竹サンが水川サンの屈託のなさを大好きなのは伝わってきたのですが…。

役者が集まると演技論とかで白熱する、とかいうイメージが、私の場合は門外漢ですけどついて回っています。 ですので下らない脚本、下らない演出方針に一家言を持つ、ということは当然だと思うのですが、そんな 「役者魂」 というものは廃れてしまって、ドラマを作る主体として自分を認識するのではなく、サラリーマンのようにただ言われたままに演技する、という風潮になっているのかもしれません。

上野樹里チャンは自らの信念に沿って 「自分はこう演じたい」 という主張をする女優さんであることを人づてに聞き及んでおります。 今回の 「江」 でもそんな姿勢だと。

でもそうだとすると、なんとなくですけど、「それって独りよがり?」 と感じることが多いです。

つまり自分より格上の役者さんたちと、役者論、演技論を戦わせるという機会に、まだ巡り合ってないんじゃないのかな、そんな感じです。

こんな状況下でのんきにドラマレビューなど書いている場合ではないのかもしれません。 テレビ感想文を書き進めるかどうか、ちょっと迷っております。

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BOOKS

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

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  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

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    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

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    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

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    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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