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2011年3月29日 (火)

「ダークエイジ・ロマン 大聖堂」 第8回(最終回) 前編 神とどう向き合うのか

 ものすごいスピードで駆け抜けた 「ダークエイジ・ロマン 大聖堂」、最終回はまるで映画を見ているような盛り上がりを見せました。

 ただしここで 「映画のような」 というのは、褒め言葉であると同時に、ちょっとした批判も隠されています。
 つまり怒涛のような盛り上がりで、細部に関する描写が吹っ飛んでしまった格好になっている、という点においてです。

 最終回、物語は10年後の1156年へと飛びます。

 ジャックはキングスブリッジ大聖堂建築の棟梁と呼べる立場になっているようです。 予算のないなかで彼が恐れているのは、戦争の再開。 どうやらスティーヴンとモードの戦いは、まだ続いている模様。

 老いたスティーヴン王(ジャックに比べるとホントに老けた…笑)は息子のユースタスに政治の実権を譲渡しようとしています。 見た感じで言うと、手始めに陳情を聞くことからやらせよう、という感じ。 自分は裏に回って院政を敷く、という魂胆でしょう。
 このスティーヴン王の息子と、モードの息子であるヘンリー(のちにヘンリー2世になる男、でしょう)については、前者が頼りなく、後者が血気盛ん、と比較する描写を、このドラマでは順を追ってさりげなくやっている。 おそらく政権はこれで安定しないだろう、という予想を、見ている側にも植え付けていくのです。

 そのユースタスのもとに陳情にやってきたのは、十字軍から帰ったリチャード。
 ユースタスはリチャードにあっさりと、爵位の回復を約束してしまうのです。
 脇で見ていたスティーヴンは 「お前の好きなようにやれ」 といったんは放任するのですが、そこに口を出したのは、大司教任命を解かれたのちにローマで法王のもとに仕え、枢機卿にまでに身分を回復していた、ウェイルラン(大司教と枢機卿って、どっちがえらいんでしょうね?)。
 爵位を持っているウィリアム・ハムレイの居城であるシャーリング城を攻め落とすのには軍隊がいるけれども、そんなものを貧しいリチャードが持っているはずがない。 けれどそれを国王が用立てする予算なんかないんだよ、ということなんですが。

 いっぽう、ジャックとアリエナの仲も、10年たって結構ぎくしゃくしています。

 その原因は、ジャックが大聖堂の建設にかかりっきりで家庭を顧みない、ということと、アルフレッドとの結婚がなかなか解かれない、ということにあるようです。 100年の恋も10年たてば変質するようであります(笑)。 ここらへん、ふたりは仲良く暮らしましたとさ、めでたしめでたし、になっていないところがいい(悪趣味…笑)。
 トムを連れてのピクニックにも、嵐になるとか言って、大聖堂が心配でそそくさと行ってしまうジャック。 「アルフレッドと結婚したのも、リチャードの爵位回復のために金が欲しかったんだろう」、という捨てゼリフをアリエナに残しながら。

 嵐のなか大聖堂に帰ってきたジャックは、天井から石がこすれた砂が落ちているのを発見する。 アルフレッドの弓状天井を克服するユークリッド幾何学をもってしても、やはり無理なものがあったのか…という感じです。

 それにしてもこの大聖堂。

 CGなんでしょうけど、めちゃくちゃデカイ(笑)。

 彼らがやり遂げようとしている事業の巨大さが、これで手に取るように分かるのです。

 いっぽう嵐のなかトムを連れて帰ってきたアリエナは、傷だらけでずぶ濡れのウィリアムの妻、エリザベスと出会います。
 母親のリーガンを殺して10年、ウィリアムは毎夜母親の亡霊に悩まされ続ける。
 そのとばっちりをもろに食らっていたのが、妻のエリザベスだったのです。

 ウェイルラン枢機卿のもとにある夜、彼を脅迫する文書が届けられます。

 「秘密が暴かれる時がきた。 証拠はある。 ジャック・シェルブールの亡霊より」

 結局これを出したのは、10年前の一件でキングスブリッジ院長の座を追われたレミジウスだったのですが、この過程が、よく分からない。
 レミジウスはジャックの父親でその昔ウェイルランらによって火あぶりにされたフランス人ジャック・シェルブールの手紙の所在を知っていたからこそこの脅迫に及んでいるんだと思うんですよ。
 だけど、脅迫の手紙を出してからエレンのところへ行って自分が同性愛者だったことをウェイルランにいいように利用されてウェイルランに服従しなければいけなかった、などと話しながら、自分にできることは脅迫だけだ、と打ち明けている。

 これってよく分からない。

 それにエレンはその手紙を、いとも簡単に入手したのですが、どうもそこが気になる。

 もともとエレンはその手紙を、隠してたんでしょうかね。 ドラマのなかでそんなことをエレンが匂わせていたことって、あったかなあ(録画消しちゃってて分からない)。 よしんば隠していたとして、どうしてエレンがそのときまで手紙を隠していたのかが、分からないんですよ。
 まずここが、「ちょっと気になる」 第1点。

 リチャードが、爵位回復の吉報を持って、キングスブリッジに帰ってきます。 姉のアリエナと喜び合う弟。
 え?回復したの?と思いました。
 そしたら 「それにはシャイリング城を攻め落とさねばならない」、という条件がついている、と。
 じゃ、まだじゃん、という感じですが(笑)、アリエナには強力な助っ人がついていた。
 エリザベスです。
 もう爵位を手にしたも同然だと確信したアリエナは、ジャックに勝ち誇ったように 「弟が爵位を回復したわ」 と冷たく言うのです。
 自分がアリエナにひどいことを言っていたと反省するジャック。
 フィリップ神父はそんなジャックに、こう諭すのです。

 「トム(アルフレッドの父親のほう)は夢を描き、それを信じる男だったが君は違う。
 特別の才能を持っている。
 君のなかにあるのはただ信じる心ではなく決意だ。
 しかし信じる心も、必要だ。
 信じれば神は助けてくれる。
 アリエナは君のことを信じている。
 君はどうかな?」

 この部分も先週に引き続いて、このドラマのキモとなる部分のような気がするのですが、やはり膨大な話に重要性が流されてしまっている。

 なにものかを信じようとするとき、それは強い力を発揮します。
 けれどもそれを信じつづけようとすることには、強い精神力が必要だ。
 それをこのドラマでは、「決意」 という言葉を使って表現しようとしている。
 「信じつづけようとする意志」 と 「果報」、つまり 「願いが叶う」 ということは、互いを浮揚させようとする、風とグライダーの関係のようなものなんじゃないか、私にはそう思えるのです。

 さてエリザベスはリチャードたちを引き連れてウィリアム不在のシャイリング城に難なく白昼堂々(ドロボーみたいですがな…笑)入城。
 ウィリアムの片腕の男がひとり抵抗してリチャードと一対一の決闘をするのですが、ここでリチャードはその男の片耳を切り落とし(投げ捨てた耳を犬が食うシーンはR指定です)、自分の耳を半分切り落とした男への復讐を遂げ、そのうえで殺す。 これってそのうち、総合テレビでも放送されるんでしょうかね? ちょっと心配になってきた。 過激すぎる。

 妻に裏切られたウィリアムはウェイルランに泣きつきます。
 ウィリアムが母親のリーガンを殺したことなどとっくにお見通しのウェイルラン。
 ウィリアムにしたり顔で行説教するのです。

 「犬を蹴りあげると、いずれ噛みつかれるものだ。 お前の母はそれに気付かず、地獄の炎に堕ちた。
 …」

 「どうして報われないんだ!」

 「そーう。 確かにな。
 報われることの少ないこの世の中に悪がのさばり、我々と悪魔の戦いはいま拮抗している」

 フィリップの説教と対照的に、ウェイルランは 「不幸の原因」「悪いことが起こる原因」 をほかに求め、それを悪魔と断定してそれを滅ぼそうと考える。

 実は世の宗教者が陥りやすいドグマは、ここから発生している、そう私は考えるのです。

 自らのなかに厳然としてある 「悪い心」 を 「悪魔」 という、自分とは違うものだとしてしまうと、結局自分は悪くない、悪魔が悪いのだ、という判断に直結してしまう。

 悪いのは自分であって、悪魔、ではないのです。

 それを自分以外の他のものに求めてしまうことによって、人は異端者や異教者を滅ぼそうとしてしまう。

 ウェイルランの倒錯はここから始まっている。
 自分に鞭打ち痛めつけても、悪は自分の心のただなかにある、という認識をしないがために、彼の願いは真の意味で満たされることはない。
 彼と神との関係は主従的なもので、ウェイルランはひたすら神にへつらうことで願いをかなえようとしている。
 けれどもそこに、神を信じる、という気持ちは、あるんでしょうか。
 私はウェイルランが神を信じているようには、到底見えない。
 信仰というものは、超越的な存在を意識することによって、自らを振り返り、省みる機会を与えてくれるものでもある、と私は思っています。
 それを 「自分の罪を消滅させ願いをなんでも叶えてくれるウチデの小槌」 みたいなとらえ方をするから、宗教のあり方自体が、歪んでゆく。

 ウェイルランはウィリアムに、エレンを罠にかけることに協力しろ、とまた悪だくみを強要するのです。

 いっぽうエレンも、ジャック・シェルブールの手紙を入手し、ウェイルランを罠にかける、と息子のジャックに話すのです。
 つまり罠のかけ合い、です。
 いったいどっちの罠が成功するのか、ドラマ的な期待が膨らんでいきます。

 まーた長くなりそうなので、今日はこの辺にしとうございます。

「ダークエイジ・ロマン 大聖堂」 に関する当ブログほかの記事

第1回 圧倒的な徹底ぶり
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/02/1-237d.html
第2回 骨のあるドラマとはこういうものかhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/02/2-4477.html
第3回 利用される神々http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/02/3-537a.html
第4回 むせかえる死臭のなかでhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/03/4-34e0.html
第5回 永遠の一部たるべきものhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/03/5-a7e7.html
第6回 神の意志はあるかhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/03/6-69bf.html
第7回 信仰の本質とは、どこにあるのかhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/03/7-1f00.html
第8回(最終回)前編 神とどう向き合うのかhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/03/8-46ec.html
第8回(最終回)後編 神になるのか、神を敬うのかhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/03/8-1065.html

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コメント

リウ様

UP有り難うございます!

>「信じつづけようとする意志」 と 「果報」、つまり 「願いが叶う」 ということは、互いを浮揚させようとする、風とグライダーの関係のようなものなんじゃないか、私にはそう思えるのです。
とても的確な比喩ですね。非常に分かりやすい表現で、す〜っと胸に収まりました。

>自らのなかに厳然としてある 「悪い心」 を 「悪魔」 という、自分とは違うものだとしてしまうと、結局自分は悪くない、悪魔が悪いのだ、という判断に直結してしまう。
悪いのは自分であって、悪魔、ではないのです。

ほんとにそうだと思います。悪いとは到底思っていないのでしょうね。神を信じて(と当人は思っている?)、神の下僕となって行っている自分の行為は全て正しいと思うことで自分自身の行動を正当化していると思えます。彼には形式しか見えていないのでしょう。

リウ様の考察いつもながら奥が深いです。後編も楽しみにしてます。

rabi様
コメント、ありがとうございます。

宗教や信仰に対して言及する、というのは、実は結構勇気の要ることです。 「さわらぬ神にたたりなし」、ですからね。
ただ、なんか批判的なことを言うとバチが当たる、天罰が下る、というのは、実は宗教者の自己正当化のための防衛策でしかない、と私は考えています。

宗教者が陥りやすいのが、rabi様もご指摘された 「形式化」 という傾向ではないかと感じます。
やたらと 「儀式」 が多い(笑)。
なんかワケの分からんことをやっとればみんなありがたがる、みたいな(笑)。
それなりに動作のいちいちに意味があるんでしょうが、ここには儀式を行なう人間の恣意的な部分をいくらでも入れることが出来る、という大きな副作用がある。

結局形式化した宗教は、形骸化して人の心の生業から離れていく。

ウェイルランはまさに、それを体現した存在である、と私は考えるのです。

はじめまして

大聖堂の検索をしていてこちらにたどり着きました。全8回、毎週楽しみで、まだまだ終わってほしくなかったです

ラストの詰め込み感があっただけに、もうあと2回位あれば・・・・と

小説では続編があるみたいなので、是非ドラマも続編が見たいものです

なお様
こちらこそはじめまして! コメント下さり、ありがとうございます。

ホント、ちょっと詰め込み過ぎ、短すぎ、という感じでしたよね
個人的には、「ロード・オブ・ザ・リング」 の3部作を1時間ごとに区切って見ているような感覚で見てました。

ただ小説とドラマとでは、重大な部分が改変されていて(ウェイルラン、死んでないんですよ)、それを考えるとこの話の続編ってどうなのかな~。 まったく違う話の続編(原作で)も、あるようなのですが。

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