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2011年3月 6日 (日)

「TAROの塔」 第2回 自らが決めるべきもの

 第2回目の 「TAROの塔」 。
 岡本太郎氏(松尾スズキサン)の激烈な青年時代(濱田岳クン)を描きながら、「太陽の塔」 をめぐる建築家の丹下健三氏(小日向文世サン)との見応えあるせめぎ合いが展開していきます。

 太郎氏の青年時代を演じる濱田岳クン、「金八先生」 に出てました。 給食費滞納の話の男の子。 卒業式の答辞も読んでましたっけ。 火野正平サン似の好青年に成長しました。 好演です。

 その青年時代の太郎氏、両親(田辺誠一サン、寺島しのぶサン)についてパリへと渡航、両親と別れてパリでの生活を開始します。 だいたいハタチくらいだろうから、年代的には1930年代。
 パリはそのうちにナチスドイツに占領される、という状況へと突入していくのですが、その前夜の様子の中で、太郎青年がいかにして自らの芸術を自覚するに至ったのかを、ドラマの作り手は簡潔かつ印象的に見せていくのです。

 そこでは創作において自分らしさと世間の評価、というものに直面した者であれば必ずブチ当たるであろう行き詰まりとジレンマが、重苦しく展開していく。
 パリで自分の描く絵にフランス人たちが冷たい視線を投げかける中、行動を共にしていた日本人画家グループの訳知りふうな諦観に、太郎青年は限りない違和感を抱いていく。

 彼らはパリに住んでいるにもかかわらず、日本食をやめることがない。
 何のためにパリにいるのだ?と疑問を投げかける太郎に、「パリには日本人の居場所などないのだ」 と決めつける画学生たち。 「そのなかに入っていけばいいじゃないか」 と言う太郎に 「君はホントに世間知らずのお坊ちゃんなんだな」 と自分たちの絶望を押しつける。

 彼らにとっても、自分の才能を世間に問うて跳ね返された苦い経験則から太郎に向かって忠告していることは確かなのですが、挫折してから自分がどう立ち直るか、どう自分が立ち向かっていくのかが、実は最も大事なことなのです。 人生と同じだ。
 絵を描くことが好きな人はおしなべて、小さいころから 「お前は絵がうまい」 と褒められて絵を描いてきた。
 けれどもそれだけではどうしても越えられない一線というものがあるのです。
 自らが画家として、どういう位置でいたいのかによって、そのハードルの高さは変わってくるのですが、こと世間の最大多数の人に認めてもらいたい、などと考え出すと、努力だけではどうしようもない壁が、最大限に分厚くなってくる。

 太郎は数年パリで暮らすうちに、パリの人々に認められるための処世術みたいなものを身につけます。
 久々に太郎に会いに来た母親のかの子、寺島しのぶサンはそんな太郎を見て感心してしまうのですが、太郎はそんな処世術が、実はパリジャンに 「変わった日本人」 として認識されているにすぎないということを、誰よりも痛感している。
 本当にやりたいことが定まらず、自分をごまかしながら何とかなるとかの子にうそぶく太郎なのですが、ここで太郎がパリジャンの心をつかむ術を会得していた、ということに、ちょっと私は注目しました。
 つまりこれって、後年日本のメディアに登場する際の太郎のタレントとしての才能の原点になっている気がするんですよ。

 変わったものを人は揶揄しながら、注目したがる。

 沢尻エリカチャンみたいなもんかな? ノン! ノン! 限りなく違うか…(笑)。

 とにかく、厚化粧でますますピエロみたいだと太郎に揶揄されたかの子は、太郎の中途半端さを敏感に察知し、太郎に向かって厳しい言葉を投げかけるのです。

 「2、3年であなたの絵がどうにかなるとでも? 太郎! そんな覚悟では、描きたい絵など見つかるわけないわよ!
 ここで生きる人間になって、ここで生きる苦しみや喜びを抱けなければ、…誰の心も打てやしないわよ!」

 フランス人は排他的だと決めつける太郎。 かの子は実にはっきり断言します。

 「それはあなたの絵に魅力がないからよ」

 太郎は自分の苦悩を、かの子にぶつけます。 あなたの息子はこんな絵しか描けない! 誰がこんな絵を評価する?
 ぶちまけられた数枚のキャンパス。 そこには、まるでユトリロ風、まるで○○風、実にうまく描けているけれども平凡な作風の絵が悲しそうに描かれている。

 「太郎…。
 あなたには才能がある…。
 それは私かあげたんだから!」

 「あなたから何も貰ってない!
 貰ったのは孤独だけだ!」

 「それを持ってない人間のほうがよっぽど悲劇だわ!」

 孤独を知らない人間に、何が分かるのか!。
 苦悩しない人間に、いったい何が分かるっていうのか!。

 かの子の言葉は、私の胸をも貫きました。
 すごい。
 極限の、母子の激突です。
 さらにかの子は、芸術に携わる者すべてのためであるかのような言葉を、言い放つのです。

 「…太郎…。

 おまえの絵を最初に認めるのは、おまえしかないんだよ。

 人の評価に自分を委ねてはだめ…!

 …太郎…。

 不遇を恐れてはいけないわ…。

 孤独を恐れては、ほんとうにほしいものに手が届かない」

 かの子は太郎に、おまえはやはり絵に専念すべきだ、と諭すのです。

 「はじめからあてのないことをしてるのだから。

 迷うことを恐れず。

 ひたすら手を動かしながら。

 考えることよ。

 …太郎…」

 そんなかの子、太郎とパリの駅で別れるときに、まるで子供のように太郎の手をいつまでも握って離しません。
 自分には母親はいなかった、と後年回想する太郎。
 そう、かの子は太郎にとって母親ではなく、恋人であり、同じ芸術の戦場の中で戦う同志であったのです。
 後年、秘書であった平野敏子(常盤貴子サン)が、太郎の著作を書くゴーストライターなのでは?とした疑問に、一体化しているのだからそんな指摘に意味はない、と一笑に付す場面がありましたが、夫一平の書いたものを自分の物として考えるかの子と、まるで同じ血が通っているかのような演出がされていました。 秀逸であります。

 そして太郎はパリの教会で、ピカソの絵に衝撃を受け、自分の絵がいかなるものであるべきかを、自ら決定するのです。
 ふらふらと教会の中に入っていく太郎。
 まったく同じアングルで、まるではじかれたように、教会から出てくる太郎。
 この描写にはシビレました。

 そんななか、かの子は、執筆中に仰向けにもんどり返り、亡くなります。

 パリでその知らせを受け取り、ショックのあまり橋から川へと身を投げてしまう、太郎。
 川底から浮き上がっていく太郎の様は、まるで新たな生命の誕生の比喩のような感覚を覚えました。
 折しも太郎に影響を与えていたナチスドイツへの反対組織指導者であったジョルジュ・バタイユが、「生命とは暗闇から生まれ暗闇に帰る」 と指摘していたことのイメージの連鎖でもある。
 太郎が水底から見た、パリの街の灯。
 「江」 のスタッフの人、ちょっと見習って下さいまし(笑)。

 「白いバラより赤いバラ」、とパリで歌われていたシャンソンに自らの情熱を語り表現していたかの子。
 太郎の幼い日に、赤い絵の具を自らの顔に塗ったくっていたかの子。
 太郎も同じように、自らの顔面に赤い絵の具を塗ったくっていきます。
 まるで母親への、レクイエムのように。
 一平はかの子の棺に、赤い花びらを敷き詰めていきます。
 それはちょっと現実離れした風景でしたが、この回を統合的に締めくくる、重要なシーンでもあった気がするのです。 深いです。

 そしていっぽう。

 独特な内面性を有しながらも何食わぬ顔をしている丹下健三氏。
 その水面下でものすごい対抗意識を燃やす人物を、小日向文世サンは見事なまでに演じ切っておられました。 えらいハマリ役な気がする。

 万博のメイン会場の天井をぶち抜き、そこに太陽の塔という、「ベラボーな」 代物を立てようとするプランを持ちこむ岡本太郎氏。
 安全設計上の問題みたいな 「建前」 を一応振りかざしておいて、そんな岡本氏の 「挑戦状」 を受けて立とう、と頭の中を激しく回転させる丹下氏。
 黒電話で互いに連絡を取り合い、とても穏やかなやり取りを互いに交わしながら、建築家と芸術家が互いを食おうとする、見えない火花が交差していく…、この構図がとてつもない。 壮年編も青年時代編に、全く引けを取りません。

 岡本氏は訪ねてきた丹下事務所の青年社員に太陽の塔を見せ、「なんですかこれは…?」 という言葉を引き出す。

 「それだよ!
 それでいいんだよ!
 誰もが、『なんだこれは?』 と驚く。
 感動するものでなければならない!」

 「感動はしていません!」

 「でも驚いたじゃないか」

 「驚きましたが…ただ、これは何か、と思って…」

 「これを芸術だと思うかい?」

 「…ぼくには分かりません…」

 「それでいいんだよ。
 『これは芸術だから』 という分かりかたがいちばんいやらしいんだ。
 芸術に頭を下げるなんて、滑稽なことだよ。
 真の芸術は、芸術であっては、ならない」

 「それでは、真の芸術家は、芸術家であってはならないんですか?」

 「当たり前だ!

 真の人間でなければ、ならない」

 憤った先から、いたずらっぽくにっこり笑う、岡本氏。

 「なんだこれは?」 という衝撃については、私も生前の岡本氏がことあるごとにしゃべっていたのを記憶しています。
 常識をぶち壊す力。
 その力に、丹下健三氏は気圧されながらも、それとがっぷり四つに組もうとするのです。
 今日的な視点から見れば、それは実に前衛的なコラボレーション、と言うことが出来るでしょう。
 ただし時代は40年前。
 「未来とはどうあるべきなのか」、という視点が、成熟し切ってしまった現代よりももっとアグレッシヴであった時代に、ひとりの巨大な芸術家とひとりの巨大な建築家が、ぶつかり合っている、というこの構図に、果てしなく見る者を惹きつけてやまぬ力を感じるのです。

 「壊すんじゃない。
 調和だよ。
 君のモダニズムとぼくのベラボーがぶつかり合うことでお互いが生きてくるんだ。
 引き裂かれる力が強ければ強いほど、逆にお互いが、強く輝くんだよ」

 いったんはそれを拒絶した丹下氏、事務所の青年社員が破棄した設計図を漁って、それを仕上げるように彼に言い渡すのです。

 「私が、ゴミ箱を漁るのは、君たちが棄てたものの中に、大いなる可能性が埋まっているかもしれないからだ。
 …それに気付けなくなるようであれば、私自身に可能性がない、ということだ」

 この貪欲さ。
 アヴァンギャルド、というのは常識的な世間に対する挑戦なのですが、少なくとも当時の世の中には、それを何とか理解しようとする気概があった。
 何でも自由に発想することが出来るように思える現代のほうが、柔軟性においては当時よりも全く不自由である。
 そんなことを強く感じながら、丹下氏と岡本氏の 「食うか食われるか」 の電話のやり取りを見ていました。
 ドラマとしてもかなり深遠な 「人間」 を描くことに成功しています。

 大河ドラマにこのドラマの10分の1でも、爪の垢を煎じて飲ませたいくらいであります。

「TARAの塔」 に関するこのブログほかの記事

第1回 尋常ならざるもの
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/02/taro-1-d164.html

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コメント

ああいう家庭に産まれたことが運命だったんでしょうね。
クラシック音楽家の英才教育はまた別なんですが、
通常は平凡な家庭への幼稚な反発で
芸術を目指したりするもんスw


太郎氏、母の影響だけでなく
人種差別やナチズム、戦争に触れたことで
人間の根源的なパワーやシャーマニズムなどに傾倒していくでしょうか。
本質的な驚きや感動を追求するのは正しい道ですね。
まさに求道者。

投稿: マイティ | 2011年3月 8日 (火) 16時41分

マイティ様
コメント、ありがとうございます。 返信が遅れまして大変失礼いたしました。

親がエキセントリックだと、子供は醒めた人間になってしまうよーな気もするのですが…(笑)。 たとえて言えばさんまサンの娘のIMALUチャンみたいに。 「あんたバカぁ?」 なんて。 太郎氏の場合はかの子氏がすごすぎたんでしょうか。

マイティサンの場合は親への幼稚な反発なんですか? そこまで反発力がないと、芸術の道に進もうという勇気は、なかなかわいてくるものではないのかもしれません。

私は岡本かの子氏にしても太郎氏にしても、芸術に対する絶大な信頼が存在している気がしますね。 男子(女子)一生の仕事とするに足る何かを感じていたからこそ、その道に邁進することが出来た。

私も高校時代は、芸術が世の中を変える、みたいな信頼が存在していた気がします。

投稿: リウ | 2011年3月 9日 (水) 13時34分

>マイティサンの場合は親への幼稚な反発なんですか? そこまで反発力がないと、芸術の道に進もうという勇気は、なかなかわいてくるものではないのかもしれません。

いや〜なんというか
勇気もなにも…ミーハーなもんで。
カタカナ職業への憧れでしょうかね
「クリエイティブな仕事、かっこいい!」みたいな。(頭わるすぎ)
広告ギョーカイは景気良かったし。


はぁぁ ここまで落ちぶれるとは…w
デザイナーなんかいなくても人は死にませんからw
それでも心をこめて制作いたします。

投稿: マイティ | 2011年3月 9日 (水) 19時12分

マイティ様
再コメント、ありがとうございます。

ああ、デザイン関係だったんですか~。 自分の場合は油絵で食っていくなんてとてもとても…と考えていたので、とてつもない勇気が要るなんて勘違いしてしまいました。 デザイナーのかたとはやはり違うのかな~。 あの頃はバブル全盛期で、広告業界なんか花形でしたもんね~。 私もあこがれました~。 とんねるずと浅野温子サンがドラマなんかやってましたよね、見ませんでしたけど(笑)。

でも最近の世の中って、何でもかんでもコストカットがまかり通って、華やかさとか面白みがない気がするんですよ。 無用の用、と言いますかね…。 クリエイティヴデザイナーというのは、世の中を潤してくれる存在なんじゃないか、って思います。 陰ながら応援しております。

投稿: リウ | 2011年3月10日 (木) 06時41分

ファインアートのほうに進まれた人たちは、景気のいい頃もアルバイトをしてた人が多いと思いますよ。
油絵や日本画の人たちには受験予備校の講師がもっともポピュラーな仕事。
あと、友人数人は中学高校の美術教師です。
小樽でガラス工房やってる先輩もいます。

広告華やかかりし頃、サントリーのビールのPR誌があまりにも遊びがあって素晴らしく
「スポンサーの金でこんな楽しい仕事ができるなんて!」と思ってしまったのです…

60代の先駆者には「産まれてくるのが遅かったわねえ。70〜80年代は最高だったわ」と言われます(涙)

いやもう金の計算ばっかりしてて
クリエイティブのクの字も…。いかんですな!

投稿: マイティ | 2011年3月11日 (金) 02時28分

マイティ様
またのコメント、ありがとうございます。 美術畑のかたとこうしてやり取りが出来る、というのは私にとって新鮮な喜びです。

なにしろ私ときたら、高校時代の美術部は先にも書いたように卓球クラブみたいな感じ(笑)。
それよりなにより、「ビートルズ好き」繋がりだった、という奇跡的な側面があったのです。 みんな美術命、じゃなかった。 どうも自分は、絵のすごくうまい連中と切磋琢磨する、という感覚が嫌だったんでしょうね。

大学に入って美術のサークルに入ろうとしたのですが、もう見るからに美術オタクの集団みたいな感じでやめました。 連中はまさに今回のこのドラマの中で出てきたパリの日本人画学生、みたいな感じ。 だから太郎の嫌悪感にもすっごく共感したんですが。

ですから美大に進んだ人とこうして語り合っているのが、とても不思議な感覚なのです。 今までの人生で、ちょっと避けていた部分もあるのかもしれません。 自分が進めなかった道に進んだ人たち、という羨望の感覚かな。

けれども美術の教師、なんて進路を聞くと、やはり自分にはそんな人生もあったんじゃないかな、って思ってしまいます。 まあ、今やっている仕事が、自分ぽくないという感覚からくるものですが。

とりとめもなく、長々と自分の話ばかりしてしまいました。 どうも自分の中に押さえこんでいるものが大き過ぎるようであります(笑)。

投稿: リウ | 2011年3月11日 (金) 05時58分

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