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2011年5月

2011年5月29日 (日)

「おひさま」 第7週 その時代だからこそ

 1週遅れで申し訳ないですが、先々週(第7週)のレビューになります。

 昭和16年4月。 陽子(井上真央チャン)は母校での教師生活をスタートさせます。
 懐かしい夏子先生(伊藤歩サン)との再会もつかの間、教員室では完全戦争教育モードになっている教師たちばかり。 陽子は完全に面食らいます。
 現代と比べれば隔世の感があるのは、まず女性教師の地位の低さ。 お茶出しはもちろん教員室の掃除、宿直の寝床の用意とか、まるで女中並みの隷属のされ方です。
 でもそれが当たり前、の世界。
 あの男はどうだとか上にいるものが気に入らないとか、お菓子を食べながら文句を言ってるどこぞの姉妹がいかにリアリティがないか、これだけで判明します。
 加えて当時は日中戦争から戦時モードに突入しているから特に男尊女卑の度がひどい。
 地方であることもそれに加味している部分がある。
 だからピエール瀧サンが誤って陽子に竹刀を打ちつけてしまったときも、おそらくピエールさんは陽子に謝らないだろうな、というのは感じていました。 かえって怒り出すんじゃないかと。
 でもいちおう最初だけは謝ってましたね。
 たぶんこういうケースはまれだと思います。

 その、ピエール先生が(フランス人みたいだな)海軍体操をうまく出来ないミチオクンを竹刀で叩こうとしたのも時代を感じさせます…って、私が小学生だった昭和50年(1975年)ごろも体罰なんて当たり前でしたけどね。 実際やる先生はまれでしたけど。
 私の感覚から言うと、おそらく私が中学校くらいの時点で校内暴力が問題化するまで、教師の体罰って子供にも親にも結構常識的に受け止められてきた気がします。 生徒たちが暴れ出してから、急激に教師たちの威厳も崩壊していった。
 だから 「おひさま」 の時代背景である昭和16年ごろなどは、女性に対しても子供に対しても、男たちの差別意識というものはもう、何にもまして当たり前だった、そんな気がするんですよ。

 ましてや戦国時代においてをや。

 しかも、教師ともなると、女性でも尊敬される対象。
 家庭訪問をした先から、「うちの子供をどうぞよろしくお願いいたします」 と三つ指ついて頼み込まれる。 モンスターペアレント? いるワケないっしょ!(笑)

 家庭では父親がいちばん偉い、教師も偉い、おまわりさんはこのドラマには出てこないけどおまわりさんも偉い。
 つい3、40年くらい前までは普通にあった 「差別意識」 なのです。

 そして兵隊さんはもっと偉い、そしていちばん偉いのは天皇陛下。
 このドラマでも奉安殿、というのが出てきて大人も子供も全員が敬礼を余儀なくされていましたけど、この小さなお社みたいなところに入っているのは、天皇陛下と皇后陛下の御影。 御影って、写真のことです。 みなさん、昭和天皇ご夫妻の写真に、敬礼することが義務付けられていたんですよ。

 そしてこのドラマではその描写すらありませんが、教育勅語というものを生徒たちは全員強制的に覚えさせられた。 「朕思フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ル処…」 という文句は、昭和10年ごろ以前に生まれた人なら誰でもいまだに暗誦できるのではないでしょうか。 うちの亡くなったばあちゃんも覚えてました。
 要するにこういう漢文調の難しい呪文のような言葉を子供たちに覚えさせることで、道徳を叩き込ませ、そしてそれをつかさどる天皇尊崇への下地を作っていったわけです。 今風に言えばマインドコントロール。 道徳も入ってたから一方的に悪いってわけでもないんでしょうけどね。

 だから陽子のクラスの優等生、圭介クンが軍人だった父親の死に際して涙を流すことを 「ぼくは少国民失格です」 と言ってよしとしないのも、その教育のなせる技、と言っていいでしょう。
 教師の側も自分たちは 「歩兵」 を作ることが 「お国のためだ」 と確信してやまない。

 「二十四の瞳」 の高峰秀子センセイはやはり陽子センセイと同時代の教師でしたが、戦争賛美の当時の風潮に疑問を呈して問題視されます。 それはこの映画封切り時(昭和29年((1954年))、戦後の思想的揺り返しによる価値観逆転の風潮にあったからこそ世の中に受け入れられたのだと思うのですが、「おひさま」 が語られる平成の時代から考えると、このドラマは 「二十四の瞳」 よりもかなりリアリティを持っている気がします。
 陽子先生は竹刀で打たれるミチオクンをかばったりとか、「ものを大事にする」 という当時の国策を戦時教育という側面からではなくそのことでものの作り手に感謝する、という側面から子供たちに教えようとしたり、確かに画一的な戦時教育から逸脱している部分もあるのですが、やはり真珠湾攻撃のときはそのことを手放しで喜んでいるし、戦争教育に加担している、という一面があることは否定ができません。
 ただそのほうが、高峰秀子センセイのように声高に戦争に対して疑問を投げかけるよりも、とても自然な気はするのです。
 涙をこらえても出てきてしまう圭介クンに対し、陽子先生は抱きしめることしかできません。
 けれどもその子の悲しみを受け止めるには、それしか方法がない。
 そしてその時代に教師をしていることの恐ろしさを陽子は実感していくことになる。

 陽子は馴染みのアメ屋の前を通りかかると、「しばらくの間休業いたします」 という張り紙が貼られているのを見つけます。 斉木しげるサンと渡辺えりサン夫婦もいません。
 もぬけの殻のアメ屋。
 真知子(マイコサン)も育子(満島ひかりチャン)もいないその風景は、荒涼とした時代を一瞬で描き尽くしているような気がして、とても寂しく、とても印象的でした。
 そこに現れたのが樋口可奈子サン。 何かを企んでいるようです。

 それにしてもこの時代の、子供たちの屈託のなさ。

 これを現代の子供たちが演じていることに、ちょっと卒倒しそうな衝撃があります。

 すごいよ、これが演技だとしたら。

 牛が生まれたからと言って泣きじゃくるヒロシクン、貧乏だからと家庭訪問のときに蜂の仔が出せないと言って泣いていたハナチャン、そして腕白坊主でバケツをダメにしてしまい、泣きじゃくりながらそれを夜まで直そうとしていたカンタクン。

 みんな純粋すぎて、あまりにも健気で、ワケも分からずヤんなっちゃいます(笑)。
 いや、今どきの子供だってそういう純粋さでは負けてませんけども、なんか周りに毒されるモノが多過ぎる、と言いますか…。

 そんな子供たちが、自分の夢、という課題で陽子先生が 「みんなとおじいちゃんおばあちゃんになっても仲良くしていられたらいいなあ」 と言うのに 「先生、それは無理だと思います、ぼくたちはお国に命を捧げる覚悟だから、そんなに生きてはいないと思います」、と言うんですよ(さっきの圭介クン)。

 「私は、そのときのキラキラした目が忘れられない。

 とってもきれいな目だったわ」

 おばあちゃんになった陽子(若尾文子サン)は、そう回想しながら、自分がしてきた戦争教育に、大きな後悔をしていることを隠しません。

 「私はダメな先生だったわ。

 だって、なにも分かってないのよ、社会のことも、世界のこともなんにも知らずに、ただ、目の前を見ているだけ。

 …ダメな先生だったわね。

 私はねえ、生徒に、きれいな目をした生徒に、生きるためじゃなくて、国のために死ぬための教育をしていたんですもの。

 …」

 冒頭に書いたとおり毎度々々1週遅れになってしまいますが、いつかは追いつかなきゃな、と思っています、「おひさま」 のレビュー。
 特に先週分(第8週)はなんか、ナミダナミダでヤバソーな雰囲気…(笑)。

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「高校生レストラン」 第3回 感謝の気持ちを大事にしろ!

 開店2日目で早くも食中毒の疑いがまき起こった 「高校生レストラン」。
 けれどもそれは、病院に担ぎ込まれたその老人の狂言と判明します。
 このことがきっかけとなり、「高校生レストラン」 は老人向けメニューの開発に着手、週のうち一日を高齢者限定の日としてその名も 「まごの店」 として開店することになるのです…って、マイティ様、あなたの予想通りです(爆っ!)。

 あ~展開がそのまんまやがな…と思いながら見た今回のドラマですが(笑)、展開が分かっていてもドラマとしてきちんと深みを見せることには成功していたと思います。

 この仮病を使った老人を演じたのは織本順吉サン。 個人的には 「3年B組金八先生」 のいつぞやのシーズンで生徒たちからひどいことを言われその後亡くなってしまうという、3B生徒たちに大きなトラウマを残した役が印象的でした。
 それから一貫してこの人は社会におけるいろんな老人の役をこなしてきた気がするのですが、今回の老人の姿は金八先生のころと比べるとまたさらに現実味を帯びていて。

 このご老人は奥さんを数年前に亡くされていてそれ以来ひとり暮らし。 台所もきちんと片付けられず、娘も寄りつかない状況です。
 たまたま松岡昌宏クンの父親役、住職の原田芳雄サンの抱える檀家で、原田サンは食中毒騒ぎを聞いたそばから娘役の吹石一恵サンを伴って迅速に織本サンの家を訪ねるのですが、そのときはフランクにしゃべっていたけど役場の職員である伊藤英明サンが訪問すると、けんもほろろで 「食中毒のことなどワシャ知らん」。

 ひとむかし前までは 「気難しいお年寄り」 というくくりで描写されていたかに見えるこの老人像ですが、老人どうしの集いに嫌悪感を覚える人って、結構多い気がするんですよ。 かく言う私の父親もそんな感じで。 自分ももし高齢者になったらそうなるような気がします。 もし自分だったら、「年寄りどうしでチーチーパッパしやがって」 と思うな~。 ゲートボールなんか誰がやるか、みたいな感じで。 若い人と触れ合っていたほうがよほど気持ちも活性化される気がするんですよ。

 そんなお年寄りがいた、ということは生徒たちに知られるところとなるのですが、そのとき川島海荷チャンは 「もし仮病を使うお年寄りがうちの店のお客さんやったら、うちは気になる」 と言い出します。 彼らはその積極性でもって、先に掲げたような 「お年寄りのための企画」 を発案し大人たちにぶつけてくるのです。

 伊藤英明サンなどは、この 「高校生レストラン」 を町おこしの一環として考えたときから、「若者が根付く町、若者が帰ってくる町」 をイメージし、年寄りだけの町にしたらアカンと主張すらしていた。
 この考えについては全く正論なのですが、それゆえに高齢者の視点に欠けていた。
 伊藤サンは大型スーパーを誘致して路線バスを廃止し、結果的に高齢者の不便を増していった、というマイナス面に、自ら直面することになったのです。 この構図は面白い。

 途中経過は省きますが(笑)、松坂牛(ドラマでは 「まつざかぎゅう」、と言っていましたが、昔はこう言うのが一般的でしたよね。 最近ことに 「まつざかうし」、とよく耳にしますが、ブランドイメージとしてなんか統一がなされたのかな)のお茶漬けが高齢者向け新メニューとして開発、高齢者限定の 「まごの店」 もスタートします。
 ただ雨降りのせいもあってかその滑り出しは好調とは言えず、今回特に口をはさんでくる金田明夫サンのウザったさも最高潮(笑)。 「利益利益」 って、公務員がそれまでのお役所仕事を返上して妙に民間企業みたいなマネをすることで現れるステレオタイプの会社人間、みたいな感じでしたけどね。

 とにかく客入りが悪かったことで高校生たちはやはり、必要以上にショックを受けます。
 壁にぶつかり跳ね返された時も、緩衝材がなくってモロに落ち込むのって、…青春だなあ…(ホントしつこくてスミマセン)。

 ここで松岡クンは励ましの言葉を生徒たちにかけるのですが、この言葉をありきたりなものにするかその先を行かせるかがドラマのカギです。

 「『ごちそうさま』 っていうのはな、『ありがとう』 なんだ。

 『ごちそうさま』…。
 今日来てくれたお客さんで、これ言ってくれなかった人はひとりもいなかった。
 みんな、おまえたちに 『ありがとう』 って言ってたんだ。

 いいか、『いらっしゃいませ』 っていうのも、『ありがとう』 だ。

 確かに今日は、お客様の数は少なかったかもしれない、けど、おまえたちはみんな心の底から、『いらっしゃいませ』 って言えた。
 接客している者、厨房に立つ者、それぞれがみんな、『おいしく食べてもらいたい』 って頑張ってた。 それも 『ありがとう』 だ。

 感謝と感謝が行き交う店。

 それって理想の店だと思わないか?

 ああ、そうだ。 おまえたちがそういう店を作れたんだ。

 今日オレにとってこの店は、まさしく理想の店だった。
 自信がわいてきた。
 この自信は、明日につなげなきゃダメだ」

 深夜に入った牛丼屋(何の話だいきなり?…笑)。

 食べ終わって 「ごちそうさま」 と言い、料金を払っても元気のないマニュアル通りの受け答え。
 なんか食った満足さえそれで消えてしまうような気がします。
 彼らにしてみりゃワンコインでおつりがくる取るに足らないお客なんでしょうけどね。
 でもたとえ元気いっぱいに 「ありがとうございました、またお越しくださいませ」 と言われても、なんかマニュアル臭さが抜けないことは事実。

 感謝の気持ちは、出しても出しても減るもんじゃありません。
 かえって自分が 「ありがとうございます」 と言うことで、自分が元気になれる気がする。
 感謝の気持ちは、すべて自分の栄養になって帰ってくるんだと思うのです。
 予想通りの展開でかなりベタに思えた今回のドラマでしたが(笑)、そんな大事なことをあらためて考えさせてくれましたね、最後には。

 さてここから、話がどう広がっていくのかなあ?

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2011年5月28日 (土)

「江~姫たちの戦国~」 第19回 餅で落ちた茶々…

 今回の 「江」 は、茶々が初と京極高次との縁談を取りまとめるために秀吉に自分の身をゆだねたら、秀吉からなにもされず優しくされたために秀吉にシンパシーを感じるようになってしまった、という話(この文章、100字以内に収まったでしょうか?)。

 今回ラストで新しい側室にべったりとキスマークをつけられた秀吉を思わず平手打ちしてしまった茶々。
 泣き崩れる茶々に江はただならぬものを感じ、「何があったのですか?」 と問い質します。
 けれども茶々の答えは、このドラマ定番のセリフ、「私にも分からぬ」。
 ご本人も分からないようなので、私がご説明申し上げます。

 「それは嫉妬です」(笑)。

 今回の茶々の変心には、京極高次が姉龍子を秀吉に人質として差し出したのではなく、龍子はすでに秀吉の側室となっていて、彼女が明智に加担した高次の命乞いを秀吉にしたためだった、という 「世の定説」 を覆す真相の判明がベースにあります。
 そこで茶々は秀吉の心の広さを実感することとなった。

 そして初の縁談のために秀吉に自分の身をゆだねる、という茶々の覚悟には、秀吉が下心丸出しの下卑た男である、という大前提が重たく横たわっている。
 そんな男に身をゆだねたら何をされるのかは火を見るより明らか、
 …だったのに、

 秀吉はあくまでジェントルマン。

 ビンボー人時代、満月を見ながら餅を想像していたという話を、懐かしそうに語るのです。

 そこで茶々が 「三日月じゃダメですね」 という内容のことを言うと 「なあに、食いかけの餅を想像すればいいこと」 と気の利いたことを言うので、茶々は思わず笑ってしまいます。
 その笑い顔を見た秀吉は、「笑った顔はますますお美しい」 みたいなことを言って、茶々の気を引くことに完全に成功するのです。
 餅で落ちてしまった茶々…(笑)。

 なにもされなかったことにいたくカンドーした茶々の心のなかには、秀吉が既に小さく棲んでいます。
 だから新しい側室の下卑たキスマーク攻撃に、茶々は逆上してしまう。

 って、

 まあいいんですけど、

 なんかもうちょっと、ないもんですかねぇ…。

 それでも今回ちょっとほろりと来たのは、初が嫁ぐシーン。
 自分が嫁ぐときには初にヤなこと言われて結局出戻ってしまったから、自分は初にちゃんと心からのお祝いだけを言う、という江と、「私は江が嫁に行ったときに言った言葉と同じことを言うぞ」 と、自分はそなたの母であり家じゃぞ、という茶々。
 品性のかけらもなく生意気でとても感情移入できない2人を含む3姉妹でも、そんな語るに落ちる姉妹でも、お互いを思う情だけは、そのきずなの固さだけは、普通の姉妹以上なのです。

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2011年5月27日 (金)

「鈴木先生」 第5回 新参者ですが感想をひとつ…

 コメントを下さるかたのお勧めもあって見てみたテレビ東京月10ドラマ、「鈴木先生」。
 いきなり前知識全くなく第5回から見たというのはかなりのハンデに感じました。
 まず話の方向性が分からない。
 コメディなのか、シリアスものなのか。
 長谷川博己サン演じる鈴木先生の演技に、笑っていいのかシェイクスピアのオオゲサ劇を見たらいいのか。 長谷川サンの前作 「セカンドバージン」 でのイメージがあるために、なかなか彼がコメディをやってるように、見えてこないんですよ。
 開始10分である一定の結論に。
 「たぶん 『ケイゾク』 系のシュールドラマだ」。

 となるとかなり私には苦手な分野なのですが(爆)、ただこれまでのテレ東月10に漂っていたチープ感、というのはだいぶ、というかほとんど払拭されていて。

 私はこれまでテレ東のドラマを見ていて、いくら出演者や脚本が良くても、なんとなくチープ感が漂ってるなー、ということを感じていました。 それって演出のせいなのかなー、と。 製作費だってほかの民放に比べればないだろうし。
 
 ところがこのドラマ、確かに夕焼けのライティングとかチープ感はあることはあるのですが、それもコメディらしさを打ち出すための一環と思えば納得がいく。
 そのライティングといえば、このドラマ、なんか、やたら画面が暗いんですが、それがかえって映画的な雰囲気を醸し出して、独特の空間を演出している気がするのです。
 作り手の、ドラマの質感に対するこだわりが見えるんですよ。
 クレジットでも、今までの月10はどうだったか記憶にないのですが、最後の 「演出」 が 「監督」、になっている、ということからも作り手の自負が感じられます。 予算がなくても作り手のポリシーがはっきりしていれば、ここまでのものはできる、という感じです。

 ただシュールコメディ、とひとくくりにするにはためらいがある。
 鈴木先生の内面、生徒たちの思春期的発想など、かなりリアリティを感じるんですよ。

 今回鈴木先生は、生徒役の小川蘇美(そみ、土屋太鳳(たお)チャン)が自分に気があるのかないのかをめぐってかなりシュールに悩みまくるのですが(笑)、自分も中学生くらいのときは、気になる女の子の自分に対する一挙一動にあらんかぎりの妄想と憶測を駆使して(爆)そのコの真意を探ったものであります。 分かる分かる、という感じ。 訊きゃいいのに(爆)。 手っ取り早いっスよね、そのコと仲良くなるほうが。
 どうして積極的になれないのか、というと、自尊心が強すぎるせいなんですよね~、やっぱり。
 相手のほうから言い寄ってくれることを期待している。
 始まらんスよ、恋愛なんて、自分から積極的にいかなければ。
 だいたい相手は自分のことなんか、別に気にしちゃいないんですから。
 仲良くなっていくことで、好意なんかも生まれてくるもんなんだ。

 …かなり熱くなっておりますが、中学時代の自分にコンコンと言って聞かせたくて仕方ないもんで(爆)。
 くそー、あっちからかなりはっきりとしたアプローチを受けていたってのに(ククク悔…錯覚?…笑)。

 それはともかく(笑)もうひとつリアリティを感じたのは、蘇美を演じる土屋太鳳チャンが自分のことを、フツーにしているだけなのにヤケに白い目で見られる、だから他人の 「ここがいいな」 と思った部分を取り入れてきた、と告白する部分。
 私も中学時代、別にフツーにしているだけなのに 「あいつは態度が悪い」「ヤキ入れてやる」 みたいに先輩のトッポイ連中から目をつけられたことがあって。
 だからそんな彼女の内面の葛藤が、自分にはとても懐かしかった。

 このドラマのシュールさの大きな一翼を担っていると思われるのは、同僚の先生役の富田靖子チャン(どうも 「アイコ十六歳」 のときのイメージが抜けなくって困ります…笑)。 いかにも狭量の杓子定規の教師役で。 新任体育教師のセンセイもなんかよく分かんない性格(笑)。 鈴木先生と男同志抱き合うシーンでは笑ってしまいましたが、当方この時点でもまだ 「笑っていいのかなココ?」 という、「鈴木先生」 初心者の思考パターンのままでして…(笑)。

 「セカンドバージン」 の鈴木行がこの役をやっていると考えるとちょっと混乱いたしますが(笑)、この 「セカンドバージン」 と言い 「鈴木先生」 と言い、長谷川博己サンの仕事の選び方、出演ドラマの選び方には、ちょっと侮れないものを感じております。

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2011年5月26日 (木)

「リバウンド」 第5回 泣かないって決めたけど、泣きたいときもある

 まずいな、このドラマ。
 私の感覚がおかしいのかもしれませんが、この 「リバウンド」 第5回は、泣けました。 疲れてんのかなオレ(笑)。
 でも、このドラマを見て泣くとは思わなかった。
 面白うて、やがて悲しき…ですかね。

 太一(速水もこみちクン)に会社を辞めパリコレにも行けなくなったことを言えない隙を突かれ、研作(勝地涼クン)にゴーインにホテルに引っ張り込まれた信子(相武紗季チャン)。

 いっぽう有希(西山茉希サン)に言い寄られる太一、「こんな記事で自分をバカにされていいの?」 とばかり信子の書いた 「元デブ編集者のダイエット日記」 を突き付けられるのですが、この記事が抱腹絶倒もので(笑)。

 ほんの一瞬しか映らなかったのでストップモーションにしなければ分からないのですが、記事はホントにまともに書いてあるし、文章の上にはイラストが描かれていて実に、いかにも雑誌の記事にありそうな感じで感心しました。

 その西原理恵子ヘタウマ風イラストにはおデブにリバウンドした太一が描かれていて、ポテトチップを食べながら 「だってだってボク、ケーキもう作れないモン、店だってやめるモン、コック服着れないし昔からこんな体だったから戻っただけ」「太ったのは君のせいだからね~」 とブチブチ愚痴を言ってるのに信子がイラッとしている(笑)。

 でもその記事を見せられて腹を立てると思いきや、太一の反応は意外にも好意的なもの。
 おそらくそこに描かれている自分が過去の自分で、そんな弱い自分を乗り越えられたという自負があるうえに、信子が 「EDEN」 という一流女性誌にコラムを書いていることが誇らしいからでもある、そんな気がします。
 有希はそんな太一の気を引こうと仮病を使ってアンジュに泊りこむのですが、太一は信子一筋で有希に目もくれません。

 瞳(栗山千明サン)に真実を打ち明けようと部屋に戻ってくる信子でしたが、瞳は思うような絵が描けずテンパり最中(爆)。 「ギャアアア~~~~~っ! アアっっ! フゥゥっ! セイっ!」 と意味不明の叫び声をあげつづけているため(笑)近寄ることもできず(笑)。
 結局研作に用意してもらったホテルに戻ってきてしまいます。

 そんな状況下で繰り広げられる信子と太一のテレビ電話が、コレが抱腹絶倒もので(笑)。

 キャミソール姿の有希が画面に映ったのに慌てた太一、「ちょっと今のって、有希さん?」 と言う信子に 「あ~それはね、きっとうちの母親の霊なんだよ!ときどき出るんだよね~今でも!(天を仰ぎ)お願いだからさあ、(手をすり合わせて)消~え~て~お~か~あ~さ~ん~」(笑)。
 信子の画面にも研作が帰って来たところが映ってしまい、「誰だァそいつゥ!」 となじる太一に 「え?何?私には何も見えないけど?ここにも霊がいるのかもしれない?」 とごまかそうとする信子(笑)。
 けれども研作は信子の嘘を知ってますからその口裏をきちんと合わせ、さらに元カレだったこともバラしまくり、太一を挑発しまくります(笑)。

 このテレビ電話で、あらためてふたりは互いにリバウンドしないように誓い合うのですが、信子のほうは強い副作用の特効薬を研作ともみ合ううちにトイレに流してしまう。
 仕事を辞めたために新たにそのカプセルを買うお金もなく、研作のリバウンド工作(なんだソレ…笑)が信子を苦しめ始めます。

 信子は太一の様子を見に行くのですが、そこで見たのは、有希の誘惑にきっぱりとノーを突きつける太一の姿。 太一が自分を信じている気持ちを、信子は実感するのです。
 いっぽうの太一は瞳から、信子が会社を辞めたこと、パリコレにも行っていないことを聞き出します。 瞳は直接訊いたわけではなかったですが、信子のそんな気持ちをちゃんと知っていた。

 「あんたが、ブー子の仕事を続けたいって気持ちを分かってくれて、気持ちよくパリに送り出してくれたから、言えなくなったんじゃないの?
 …あの子、みんなが楽しくなったり、幸せになるためなら、自分を犠牲にしてでもなんでもやっちゃうところがあるからさ、昔から。
 ま、それがあの子のいいところでもあり、欠点でもあるんだけど」

 太一はあくまで、信子の嘘も受け入れて、彼女を信じて待つことにするのです。

 結局出版関係の仕事は見つからず、信子は本屋で働きだします。 出版から離れられないっていうのが泣かせますね。
 そこに研作が、鬼の編集長(若村麻由美サン)がパリから戻っている、契約を取り付けてご機嫌だから会社に戻してもらうように頼もう、と無理やり信子をEDEN編集部まで連れていく。

 ここで信子が編集部に復帰する話が、実にあり得ねー話で(爆)。

 独占取材契約を取り付けたフランスのファッションデザイナーが会見の場に用意されていた自分の大好物のケーキがあまりに大量すぎて、これが余ってしまうことに嫌悪を抱き、EDENの編集部でみんな食べてくれ、さもなくば契約はしない、とゴネ出すのです(なんじゃソリャ…笑)。
 要するにまあ、契約をしないことの嫌がらせも兼ねた無理難題なのですが、EDEN編集部はそれに果敢にチャレンジするが次々ノックダウン(マンガだ…笑)。 「ケーキを見ただけでじんましんが出る」 とまで言っていた鬼の編集長も、卒倒するほどにケーキを食いまくりますが(「ケーキ嫌い」 という設定って、このときのためにあったのかな?…笑)あえなくギブアップ。
 この場を救ったのが信子だったわけですが、結局社員ではないということで、契約は無効になった模様。

 あまりにも荒唐無稽なこの展開、コメディドラマだから許せるのですが、「どうしてここまで一生懸命になれるのか?」 と訊いた信子に、鬼の編集長はじんましんだらけの顔で(笑)、こう答えるのです。

 「EDENを売るためでしょ?

 雑誌は売れなきゃ意味がないの!

 伝えたいことがあっても、誰も聞いてくれないの!」

 実にその通りです。
 こうしてブログを書いていても、面白くなければ誰も訪問しようとはしないものです。 ちょっとでも休めばアクセスは右肩下がりになっていく(逆のパターンもあるんですけど…笑)。
 伝えたいことがあっても、聞いてくれる人がいなければ意味がない。
 あり得なさすぎるシチュエーションで、心にグッとくるつかみは忘れないものですねえ。 だから荒唐無稽が、スッ飛んじゃうんですよ(またどこぞのドラマを揶揄しとるなあ…笑)。

 そんな編集長に感動し復帰を頼み込む信子。 編集長は3日以内に 「愛は永遠なのか」 をテーマに記事を書きあげろ、と要求します。 そのときに編集長が信子からの辞表を保留にしていたことが発覚。 「ナニゲニ」 信子に期待してるってことを見せる演出も、荒唐無稽を和らげる働きをしています。

 しかしその原稿が、なかなか進まない。

 そのイライラのなか、ケーキを食いまくったことも併せて研作の差し入れも食べまくったことで、信子は急激にリバウンドしていきます。
 太一からの再びのテレビ電話ではカメラに近づいたり体の部分だけ遠ざけたりカメラを揺らしたりしてなんとかそのことを隠そうとするのですが(笑えたココ)、まだパリにいるという嘘をつき続ける信子を太一は見て見ぬふりをし、遠く離れてもふたりはいっしょ、というコンセプトでケーキを作ったら、という信子の提案に、うなずくのです。

 結局その3日を待たずして信子は完全に元の体型に(ウソ早すぎ)。
 半海一晃医師からも完全に見放されます(絶対に戻らないなんて、ショック…)。

 その信子、クリニックで太一と偶然出くわしてしまうのです。

 絶対にリバウンドしない、という約束が破られた太一は、それまで信子の嘘も我慢していたこともあって完全にキレてしまう。
 ここでの太一が間違ってるなーと思うのは、「オレはオマエの嘘もみんな 『我慢してやってんだ』」 という心情を持っていること。
 信じる、ということは、信じてやる、ということとは違うと思います。
 信子は信子で、太一が自分のことを信じて待っていたことを知っているから、いつもの赤ちゃん言葉でキレようとしても 「ウルセエ、オマエにキレる資格はねえ」 と太一から制されると、もはや何も言えなくなってしまうのです。

 だけどここからだった、泣けたのは。

 行き場のなくなった本音をどうしたらいいか分からずに、信子は有希を泊めたこと、あのカプセルを太一も使っていたことを弱々しく問い質すのですが、それだって太一に非があるわけではない。
 信子は自分の後ろ向きな部分をぶつけるしか、手段がなくなるのです。

 「あたしはね、太一がガッカリする顔を見たくなかったの!

 私だって、嘘なんかつきたくなかったわよ!

 でも、太一が一生懸命私のことを思って、パリに行けって言ってくれてる顔を見たら、ホントのことなんて、…言えないじゃない。

 こんな体になったのだってね、飲んでる薬をトイレに流しちゃったりだとか、編集長と、いろいろあってさーとか、説明したいけどさ! でも太一は、そんな言い訳しなくても、分かってくれるって信じてたから、…。

 …リバウンドなんてね、いちばんがっかりしてるのは、自分なの!

 別にブー子ブー子言われて、喜んでるわけじゃ…」

 信子は悲しそうな顔を一瞬見せて、涙が出そうになるのですが、太一への思いも振り切ったように自虐的な笑みを浮かべます。

 「悪かったわね(お腹をポンポンと叩き)これがホントの私なの。

 全方位外交で、無駄な抵抗ばあっかりして、人から暑苦しいって言われて、いっぱいいっぱいになったら赤ちゃん言葉になってキレちゃうし、ケーキ食べ出したら止まらなくて、こんなに太ってもう元の体には戻れないし。

 こんな女がイヤなんだったら(バッグから結婚指輪を取り出し)この指輪の、入る女と付き合えばいいじゃない!」

 これは信子が、本当の自分を太一が好きでいてくれるか?という賭けの混じった、思い切った最後の判断なのです。
 けれども太一の答えは、

 「ああ! 言われなくったってそうするよ!」。

 それを聞いた信子は、まるで払いのけられて落ちていくように、悲しく 「バカ!…」 と言って、その場を去っていくのです。
 その後ろ姿に追い打ちをかけるような、太一の罵声の言葉。

 「テメエ二度とうちの店に来んじゃねえ!」。

 罵り合いのケンカ別れ。
 けれどもその原因は、結局自分の弱さに勝てなかった自分。
 その結果、自分を信じていた太一のことも裏切ることになった。
 太一だって、なんとか体型を維持しようとあのカプセルを使って頑張っていたっていうのに。
 でも自分だって、本当に心許せる相手がほしかった。
 それはでも、研作じゃなくって、やっぱり運命を感じた太一だった。
 その太一から 「二度と来るな」 と言われた信子の気持ちを考えると、なんか泣けてきた~。

 「(何かの本に書いてあった。
 『愛は永遠に続かない。 必ず、失望に変わる』 って。
 
 そして、好きな人に、ガッカリされるくらい、悲しいことはない。

 でも、私は泣かない。

 うれしい時しか泣かないって決めたから…)」

 瞳との部屋に戻ってきた信子。
 リバウンドした信子を見ても、瞳はまったく無反応です。
 ウソをついていたことを謝っても、「別に…それがブー子なんだし」 と知らんぷり。
 そんな瞳に、信子は 「…ゴメーン、泣いてもいい?」 と確認します(笑)。
 「ええ~っ?」 といやそーな顔をする瞳(笑)。

 信子はその前に手帳に、「何があっても瞳は親友だ、と分かった日」 という記念日ニコチャンマークを張り付けてから、あらためて瞳にすがりついて泣くのです。

 ところが次回、その瞳が太一からプロポーズ?
 ますます 「太っていることの意味」 を問いかけるこのドラマ、友情も巻き込んで深遠な部分に到達しつつあるようです(笑)。

 蛇足なようですが、このドラマでたまに展開される、言葉の最初の部分を取り換える 「ムーミン言葉」。

 これって頭、つまり心と体がちぐはぐな人間の真理を表しているような気がしてきました。

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2011年5月24日 (火)

「JIN-仁-」(完結編) 第6回 坂本龍馬との闘い!

 いや、参りました、今回の 「JIN」。
 坂本龍馬の暗部を、ここまで正面切ってぶつけてくるとは。

 龍馬という男を現代の視点から振り返るときどうしても引っかかってしまうのは、彼が武器商人としての役割を果たしていたこと、幕府の長州討伐に長州側として参戦したこと。

 去年の 「龍馬伝」 でもこのくだりは丁寧に説明がなされていたと記憶しています。
 「龍馬伝」 での説明はまず、「大政奉還」 を実現させるための大義名分、という表面上の理屈を福山龍馬に語らせていました。
 「龍馬伝」 での福山龍馬は、もともと上士と下士との間でせめぎ合う階級制度のなかで人格が形成され、そこから 「同じ日本人同士がケンカをしている愚かさ」 を黒船騒動のなかから龍馬に発想させていた。
 だからこそ福山龍馬は平和平和と言い続けてきたのですが、「同じ日本人がケンカをしているうちに外国によって日本は植民地化される」、という危惧から、「日本を守る」 というより大きな大義名分に、その関心が移っていく。

 そこなんですよ、「龍馬伝」 での福山龍馬が、平和から戦争へと突き進んだ理由は。

 「日本全体を守る」 というように対象範囲が広がれば、小異を捨てて大同につく、みたいな感じである程度の犠牲もやむなし、という立場になっていくものです。
 龍馬が高杉晋作や奇兵隊に対して強い共感を抱いたのも、「何かを守ることの尊さ」 を龍馬が大事にしていたからこそだった。

 「龍馬伝」 においてはその龍馬の変節に対して、弥太郎という下手人を用意していました。

 いわく、「あいつは大嘘つきじゃ!」。

 弥太郎にこのように罵倒させることによって、龍馬の行動に納得できない現代人に対して、作り手はある種の説明責任を果たそうとしている。

 私は、龍馬のやったこの戦争協力は、弁証法的立場から(なんじゃソレ)当時の倫理的判断基準を鑑みて、「平和実現の手段としての戦争」 という段階以上の得策を龍馬が考えつかなかったゆえの行動だと考えています(異論反論歓迎します)。
 彼は外国の脅威に対抗するために政情を刷新しようと考え、幕府に対して牙を向けた。

 ただやはり、「龍馬伝」 に限った話ではないのですが、NHK大河ドラマにおいて主人公の暗部に正々堂々と切り込む、ということは主人公への視聴者の共感度を低下させるためか、ほとんど見たことがない。
 私がこれまで書いてきた福山龍馬の大義名分も、実に丁寧に説明がされていたにもかかわらず、なんか心に残ってないんですよ。
 それはやはり、主人公に自分のやったことに対する葛藤をさせていないことが大きな原因なんじゃないのかな、そう思うのです。
 暗部に対して、作り手が言い訳をしようとしてしまうからこそ、尻込みしてしまうからこそ、心に残ってこない。

 だからこそ今回の 「JIN」 のラストで内野龍馬に 「わしは道を間違うた」 と語らせるに至る、このドラマの作り手の力量がものすごく意義があるように思われるのです。
 もちろんそれは、フィクションだからこそできた。
 南方仁という現代人が幕末にいたからこそできた話なのです。

 今回冒頭、長崎に着いた南方(大沢たかおサン)は龍馬(内野聖陽サン)に出会うのですが、なんか龍馬の様子がよそよそしい。
 龍馬が連れてきたグラバーは、まぶたの下を斬りつけられて涙が止まらない状態。 かねてから南方がペニシリンの講義をしに来ていた長崎の精得館教頭ボードウィンは、南方の医師としての腕に疑念を抱いていたため南方にその手術を押しつけます。

 南方も眼科が専門でないために躊躇するのですが、なんとかその手術を決行する。
 前半のヤマ場はまさにこの手術シーン。
 相変わらずの見応えであります。

 手術は成功、ボードウィンは南方への偏見をあらためます。
 そしてその関係上グラバー邸までグラバーについてきた南方。 再び龍馬と出くわします。
 その龍馬、グラバーから銃を買い付けていた。
 南方に見られないように頑張る龍馬でしたが、南方はその銃が運び出されるのを目撃してしまう。
 ここで龍馬が南方に銃を見せないように頑張ったのは、なにも南方が未来の価値観を持つ平和主義者だからというわけではありません。 お尋ね者同然の龍馬が倒幕の準備に手を貸しているということが知られては、かなりヤバいからなのです。

 武器商人として暗躍する龍馬に釈然としないものを感じながらも、南方はここ長崎に来た本当の目的である、「龍馬に暗殺のことを伝える」 ことを実行しようとするのですが、またもや頭に激痛が走り、どうしても伝えられない。
 グラバーを助けるのもペニシリンを世界的に紹介しようとしているのも激痛なんか走らないのに、このことばかりは歴史に抗えない、というのはかなり傲慢な歴史のカミサマの意志を感じます。
 それに南方がしゃべった現代の健康保険制度も、問題ない模様。 なんなんだ(笑)。
 龍馬はその健康保険制度を江戸時代の 「講」 という組織になぞらえる、という頭の回転の速いところを、南方に見せつけます。

 それにしても南方が頭に激痛が走ったときに浮かんだ、タイムスリップしたときの記憶。
 現代の医療器具を過去に持ち運ぼうとしていた男が、南方であり龍馬である、という謎をまた提供してくれました。 あと4、5回で終わるであろうこのドラマのラストに向かうピースが、見る側を特別な感覚に誘います。

 南方は龍馬の変節を、「暗い時代なんだ」「歴史が大きく変わる前の混沌だ」 ととらえ、ペニシリンの製造拠点を拡大する目的も得て、龍馬と共に長州軍に合流するのです。

 ここで南方は、龍馬の師である勝麟太郎(小日向文世サン)と敵対してしまうことになるのはいいのか?と龍馬に尋ねます。 タイムスリップものでなければ訊けない質問だ(笑)。

 龍馬は、こう答えます。

 「この海をちっくと行ったところに、清ちゅう国があるがじゃ。 ウダウダしちゅううちに、列強の食いもんにされ、植民地のようになっちゅう。 このままでは、この国も同じ道を歩む。 そうならん道はただひとつ。 …徳川の時代を終わらせ、この国を建て直すことじゃ。

 …これはどういても必要な戦なんじゃ。

 勝先生も、分かってくれると思うがじゃ」

 「龍馬伝」 であれだけしつこく説明をし続けた龍馬の理屈が、ここに集結している(笑)。
 勝も幕府がフランスの意のままになろうとしていることに危惧を抱いていて、師弟の思うところが遠く離れていても合致しているのが、見ていて心地よい。
 龍馬が倒幕に向けた動きをしていることについて恭太郎(小出恵介サン)から訊かれ、勝はこう答えるのです。

 「たとえそうだとしても、おいらぁあいつを敵だと思ったことはいっぺんもねえよ。
 …敵じゃねえはずだ」

 ペニシリン製造の提案は長州の桂小五郎(山口馬木也サン)に丁重に断られましたが、そこで繰り広げられる幕府と長州の戦闘は、龍馬にも南方にも、違った受け止め方を持って受け入れられます。

 「時代の流れを感じるのう…。
 …
 長州兵が、あれらぁは、農民じゃあ…。
 武士だけが、こん国を支配する時代が終わる…わしには、そうも見えるがじゃ…」

 これはヒエラルキーに縛られていた龍馬が確実に感動する弁証法的段階を、余すところなく表現しているセリフのように思える。
 龍馬にとって身分の違いというのは、現代人が思うよりもはるかに確実に重い鎖なのです。 その鎖を引きちぎるのが、奇兵隊を中心としたこの戦闘なのです。
 だからこそ龍馬は、心から感動している。

 しかし南方が持っているのは、まさに現代的感覚です。
 南方は、目の前で繰り広げられる戦闘は、「殺し合い」 にしか見えない。

 戦闘のあと、移動する南方たちを幕軍の生き残りが襲いかけるのですが、あえなく長州軍の護衛に刺されてしまう。

 「これが、戦じゃあ…」

 戦になったら、人間というのは特殊な精神状態に突入します。 殺らなければ殺られる。 いくら戦争は嫌だ!と言っても、戦場ではそんな駄々が命取りです。
 ところが南方は、もし私たちがいきなり戦場に瞬間移動したら必ず考えるであろうヒューマニズムに、ただひたすらとらわれる。
 南方は、刺された幕軍の兵士の治療をしようとするのです。 それを制しようとする龍馬。

 「龍馬さん、やっぱり変わりましたよ。 前の龍馬さんなら、敵味方なく助けたと思います。 でも今は、薩摩と長州のことしか考えていない」

 「先生、それは違うぜ…」

 「やってることだって武器商人じゃないですか!

 人殺しで金稼ぎしてるだけじゃないですか!

 あの人たちだって、龍馬さんが売った銃で撃たれたのかも知れないんですよ!」

 「龍馬伝」 で遠い場所から弥太郎に断罪させていた龍馬の暗部を、ここではもう、モロにストレートに、龍馬に投げかけるのです。 すごい。
 龍馬は必死になって、それに反論しようとします。

 「わしゃあ、こん国を思うからこそやっちょるがじゃ!
 何べんも言うけんど、これはどういても必要な戦ながじゃ!」

 南方は怒りをこめてそれを遮ります。

 「戦だけがこの国をまとめる手段なんですか?!

 …そんな方法でまとめるしか能がないなら、…政権を取ったってうまく行くはずがない!

 うまく行かなくなったら、また戦を繰り返すだけなんです…!

 …暴力は、…暴力を生むだけなんです!」

 これはもっとも象徴的な、現代の尺度による戦争反対の理屈であります。
 南方には、日本がこの先太平洋戦争によって壊滅状態になる、ということも知識の前提として頭にあると思う。 それにおそらく、その後の世界の報復の連鎖、という事実さえも。
 しかし龍馬には、その悲惨すぎる現実など頭にない。 歴史による段階を踏まなければ、南方の考えなど理解できないのです。
 だからこそ龍馬は間髪入れず、南方に反駁します。

 「先に殺されたら!…それでしまいながじゃ…。

 わしゃあ、寺田屋で殺されたけ、思たがじゃ。 どんなええ考えを持っちょったち、バッサリやられてしもうたら、それでしまいながじゃ。

 まず相手を力で従わせんと、考えを述べることもできん!
 世を動かすことはできんがじゃ!」

 「…戦争する人は、みんなそういうことを言うんです」

 「先生は特別なお人じゃき! 綺麗ごとばあっかり言えるがじゃ!」

 南方は自分なりに日本を思って戦っているんだ、ということを龍馬に語り、龍馬と袂を分かつのです。

 幕軍の兵士を治療しようとする南方。 しかしあえなく、彼らは長州軍によって息の根を止められてしまう。
 無為に大勢の人が殺戮されていくのを見たうえに、自分が救おうとした人たちも容赦なく死なせてしまう 「神」 のやりかたに、南方はありったけの怒りをこめてぶちまけるのです。

 「…この人たちを生かしたら、何か歴史に問題が起こるんですか…?

 …なにが気に入らないんだよ…。

 …何でこんなことするんですかああっ!!」

 泣けました、ここ。
 運命を呪いたくなる時って、あるんだよなあ。
 「完結編」 で、初めて泣けた気がする。
 すごい。
 すごい、やっぱり、このドラマ。

 南方と別れてひとり沈思していた龍馬、南方がいた場所に取って返すのですが、血まみれの弾丸がそこに落ちているのを見つけただけ。 近くの小屋には、白い布が顔にかぶせられた幕軍の兵士たち。
 この、自分が調達したかもしれない武器によって、南方が死んだ…?
 龍馬は自分のしたことに、初めて戦慄を覚えるのです。

 南方は幕軍へとさまよいながら辿り着き、そこでけが人の治療をしながら長崎に戻ってきます。
 龍馬に暗殺の事実も告げられず、戦も止められなかった。
 歴史を変えることは、やはり不可能なのか?という無力感に再びさいなまれる南方のもとに、精得館で南方からペニシリンのことを学んでいた、田中久重(浅野和之サン)が現れます。

 この田中和重という人、番組提供の東芝の前身を作った人のひとりだそうで(番組HPによる)、この人に南方が電球を渡すことで東芝ができた、とか(笑)、なかなか洒落たことをやっとりましたね。 南方が田中に渡したのは、豆電球みたいな小ささだったから、LED電球なのかもしれません。 なにしろ電球を最初に作ったメーカーも、それを廃止してLEDに完全移行したのも、東芝が最初。

 それはともかくこの田中久重が、南方に対してとても重要なセリフを残して去っていくのです。

 彼はいろんなものを作ってみんながわっと喜ぶ姿を見て、ますますやる気を増していったことを語ります。
 南方も、やはり江戸時代に現代の医術を敢行することで皆から大明神とまであがめられた。 それも南方の、ひとつのモチベーションになっていたことは確かだと思うのです。

 それでも息子と孫が殺されてしまった自分の人生が、素晴らしいものだとは考えていない田中。
 その殺された経過はともかく、田中はそれを契機として、ある諦念が自分の中に芽生えるに至った。

 「時代の渦に、呑まれたのだと今では思っております。

 (指で渦を描きながら)今日の味方が、明日には敵になる。
 その逆もしかり。
 そのなかで、ぐるぐる回されていると、自分の立っている場所が分からなくなってしまう。

 どこを目指していたのかも、分からなくなる――」

 南方は龍馬を思い起こします。

 「私の友人も、その渦のなかにいます…私は、そこから彼を引っ張り出すことはできませんでした…」

 田中は南方に、こう語ります。

 「ともに渦に呑まれては、意味がない。

 友として先生がなすべきことは、そのかたの道しるべとなることではないでしょうか。

 暗い渦の中からでも、目的地を見失わぬよう、明るく輝く道しるべになるのです…」

 南方は、自分の出来ることは些細なことで、それも出来レースなのかもしれないけれど、小さな小さな光をともすことはできるんじゃないだろうか、そう考えます。

 同じころ、血まみれの銃弾を見ながら、龍馬は東(佐藤隆太サン)につぶやきます。

 「…ちっくと…道を間違うてしもうてのう…。

 …迷子に、なっちょったがじゃ…。

 …のう、センセイ…」

 それは東にも真意が伝わらぬ、ほんの些細なつぶやきだったかもしれません。
 それでもこのドラマのなかの龍馬は、「自分は間違ったことをしていた」 と反省をする機会を得たのです。

 あとから思い返し、「あれはまずかったなあ」「あれはいけないことをした」 と考えることは、人間にとってまことによくあることです。
 龍馬にだって、そんな瞬間はあったに違いない。
 それを 「こういう生い立ちからの背景があった」「こういう思想があった」「やむを得ない事情があった」 などと後世の人たちが勝手に言い訳を作るのは、実はとても罪深い作業なんじゃないでしょうか。
 今回のドラマを見ていてずっしりと見応えがあったのは、その部分において、であります。

 やはり、すごい。

 やはり、侮れません、このドラマは。

当ブログ 「JIN」 についてのほかの記事
第1部

第1回 荒唐無稽との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---1-e9ae.html
第2回 建前との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---2-f3b1.html
第3回 自分の病との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---3-3290.html
第4回 女としての闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/---4-542b.html
第5回 梅毒との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---5-9dba.html
第6回 リアルとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---6-25d6.html
第7回 明日のための闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---7-87b0.html
第8回 自分の器との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---8-e9a7.html
第9回 心意気どうしの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---9-8cf0.html
第10回 ああもう、どうなっちゃうの?との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---10-670a.html
第11回(最終回)続編あるかどうかとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---7290.html
番外 続編の可能性を、もう一度考えるhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---a138.html

完結編
第1回 いますべきこととの闘い!① http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-577a.html
第1回 いますべきこととの闘い!② http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-7d0d.html
第1回 いますべきこととの闘い!③ http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-c8e9.html
第1回 いますべきこととの闘い!④ http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-6f3f.html
第2回 自分の願いとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---2-4ed0.html
第3回 人を思う気持ちとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/05/jin---3-ab26.html
第4回 自分の血との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/05/jin---4-5d43.html
第5回 無力感との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/05/jin-5-f4e1.html

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2011年5月22日 (日)

「江~姫たちの戦国~」 第18回 より 「向井理と行く戦国~大河ドラマ 「江」 の世界~」 の感想を…

 初がのちの夫になる京極高次と出会ったくだりを描いた第18回 「恋しくて」。

 「恋しくて」 と言えばビギンですが(笑)、今回ばかりは途中で寝てしまいました。

 今回の話のキモは、初が高次のことを激辛批評したあとに本人に出くわしたら、超イケメンで一目惚れしてしまったという話の面白さ(?)、そして本人にインタビューしたら嫌いな食べ物が、初の大好物のお菓子であった、という間の悪い話の面白さ(?)。
 ちょっと待て、そこがキモかい!

 秀吉になびく茶々の説得力もないし、初みたいなアイドルオタクに 「恋しくて」 とやられても、ただ滑稽なだけ。 どうやって感情移入せよというのでしょう。

 エグザイルの人に江が惹かれていくのだって、どうしてあんなヒップポップなオジサンに(失礼)13くらいの小娘が惹かれるんだ、という感じで。 あけすけなのがいいんでしょうけどね。
 でも江が誰を好きになろうが、もうどうでもいい感じ(「どうでもいい」 というのは、ドラマを見ている側にとっていちばん危機的状況です)。

 今回物語冒頭で 「豊臣」 の姓を賜ったということを石田三成が青筋立てて説明するのですが、それを聞いている江やおね、秀吉の家族たちはみんなシラケまくり。 道化ですよ、三成も。
 建前上は敬って本音の部分でシラケさせるのはいいんですが、仮にも天下を取ったほどの男をみんな侮蔑しまくりでそれをあけすけに行動に出すっていうのがマンガなんだよなあ。
 末期的症状だ。
 まともな感想が、書けない。
 もういいか、今回の感想は。

 で、前回あたりからエグザイルさんとか高次とか、イケメンが大挙して登場してきた感がするのですが、昨日はBSプレミアムについに向井理クンが登場。 1時間半の特別番組を編成するに至って、もはや、こう思わざるを得ません。

 「あ~あ、完璧にイケメン頼り、向井理クン頼りだ…」

 「向井理と行く戦国~大河ドラマ 「江」 の世界~」 と名付けられたこの特別番組。
 6月12日分から徳川秀忠として登場する向井理クンが、文字通り 「江」 の舞台となった場所をめぐり歩きます。

 ということに加えて、このドラマの最大の功労者(エライ皮肉だな)脚本の田渕サンが執筆中にもかかわらずミーハー丸出しで向井クンへのインタビューを熱望(ここまで過激に書いていーんでしょーか?…笑)、畳の間に椅子を持ちこんで(非常識)黒ストッキングの足を組んで、ナニサマみたいなインタビューもはさまれます(笑って読んでください、ホント…)。

 確か震災の影響で 「土曜スタジオパーク」 ご出演がならなかった田渕サンですが、どのツラ下げて(爆)テレビにご登場あそばされるのかと思いましたが(くれぐれも笑い話です、マトモに受け取らないでください)、ご本人はいたって世間の批判など意に介するご様子もなく。

 かえって歴史学者とかを伴って現地を取材する向井クンのほうが田渕サンより博学になってしまうのではないか?という危惧を抱きつつ、田渕サンの 「江」 における向井クンへの期待度に耳をすませます。

 田渕サン 「特に今回女性モノなので、江という女性にとっても秀忠というのはとても大切なんですよね。 ただ歴史的な存在としての秀忠ってだけじゃなくて、父(家康)と秀忠の関係がどういうふうに描かれていくか、ということもこれからの見どころだと思うんですけど。 家康という大きい父を持った秀忠の苦悩、投げやりな気持ち、それが江という女性にどうやって跳ね返るかっていうのが、今回のドラマの、すべての芯なんですよね」

 なるほど。 じゃ全部これからですネ(笑)。

 田渕サン 「今の世の中って男と女の関係がうまく行ってないと言うか、関係性が豊かじゃない気がするので、江と秀忠がどういうふうに人として男女としてお互いを認め合って成長していくかっていうのが今回の見どころのひとつになるので、なんだかとても作れないようなドラマが存在している可能性がしますね」

 そんな、今でもじゅうぶん作れてないのに、これ以上投げ出さないでください(くれぐれも笑い話です)。

 秀忠という人は分かりづらい人なんだなあと思う、と言う向井クンに、田渕サンは 「ご自分は多面的だなあと思いますか?」 とミーハーな(笑)質問。

 向井クン 「思いますね。 出してないだけで。 まあ出す必要もないと最近は思っているんで、仕事場では役になりきればいいんで、別にいちいちドロドロしたものを見せる必要はないですし。 見せないですけど、いろんなことを考えてはいますね」

 「俳優として強烈な意欲を見受けられない」 と向井クンを評する田渕サンですが(なんか悪意のある省略の仕方してるな…笑)、「ぼくもこの世界に小さいころから憧れて入ったというわけではないんで、はじめてからすごい面白い仕事だなと思ってのめり込んできているので、結構現実的に見てますね、ドライに」 と答える向井クン、なんか返答に困っているような感じ(笑)。 そんな向井クンのオーラを感じて脚本に取り込もうとしている蜘蛛女の田渕サンなのでした(ますます悪意に満ちてきた…笑)。

 そして安土城跡などを巡った向井クン。 素直な感想を述べます。

 「たぶん当時(戦国時代)は、戦うことに疲れ切っているんでしょうね、みんな。 いろんなところで戦が起こって、謀反だとか下剋上だとか、裏切りだったり人質だったり、自分もその流れに飲み込まれてますけど、そういうのが嫌だった時代だと思うんですよね、続きすぎて。
 実際秀忠も、信長の政治的部分を真似している部分も今言われているんで、信長に対するあこがれっていうのは秀忠(という役)を作るうえで、結構重要だったりすると感じましたね」

 田渕サンはこの信長が平和を希求していたと考え、その考えを江に受け継がせる話にしたかった、と語っていました。 う~ん、的が少々ずれてるよーな…(笑)。

 そしてこのドラマでは思いっきり愚弄しているかに見える秀吉についてなんですが、田渕サンは秀吉に関する見解を、こう述べていました。

 「秀吉はね、もう一言で、『男のオバサン』(笑)。
 あの人の感覚は、すごく女性的な気がするんですよね。 直感でぱっと動くところとか」

 向井クン 「失うモノがないところから出てきて、でも気付いたら失うモノが大き過ぎるって思っちゃうんですよね。 その瞬間、崩壊していく人間(というのが秀吉)…。
 人間的に面白い」

 田渕サン 「図々しいんだけど、ある種繊細。
 秀吉を書いてるとワクワクしましたね。
 可愛げがあって。
 おねさんの気持ちを考えながら書いてましたね、ずっと」

 そうなの?(笑)
 ちっともそう思えなかった(爆)。
 じゃ演じている役者サンがぶっ壊してるんだ、やっぱり(失礼、しまくりですねこの記事…)。

 向井クンがこの役に臨むにあたって心がけている姿勢というのも、垣間見ることができました。

 「戦争とか政略結婚が当たり前、というのがまず、根底にあるんですよね。

 だけど、今の人間と同じ感覚の部分もきっとあったと思うので、そこに対して苦しみとか悲しみとかも絶対抱いていたと思うんですけど、それ(その感情)を出すか出さないかっていうのは現代と過去との違いなだけで」

 向井クンの姿勢はおそらく、現代に通じる感情を出さなくても表情で表現したい、というスタンスなんだと感じます。
 でもこのドラマは、全部出しちゃいますからね(笑)。 これから役者としての彼のなかのせめぎあいが大変な気がします。

 向井クン 「家康ほど分からない人間はいないですね。 残虐性もあるんですけど。 タイミングを見計らう力というものは凄いですね。 ここっていうときにしか動かないし。 チャンスを見計らう嗅覚は凄いなと思いますね」

 田渕サン 「私も家康に対しては、(略)…ただ一点、『秀忠には弱かったんだろうな』 というのは最初からあったことなんですよね。 秀吉が秀頼を頼む頼むなんて言って亡くなっていく姿を笑いながら、でも、自分のなかにも似た感覚があるっていうことを分かっていて」

 家康へ田渕サンのこの考察、なんか今後に危ういものを感じてきます(もういいか別に…笑)。

 そして江と秀忠に対する田渕サンの思いとは。

 「江はたぶん、自分を生きたかった。
 自分らしく生きたいっていう気持ちがすごくはっきりした人で、秀忠は、自分を失くしてしまいたいと思っていた人のような気がするんですよね」

 向井クン 「同じなんですよね、結構」

 田渕サン 「おんなじなんです、だから似ていると言うか」

 向井クン 「似ているなと思いました。 思っていることは人間的なところを思っている、ただ江はそれを積極的に出すけど、秀忠はそれを、思っているけどあきらめてるっていうか、根底の部分は似ているんですけど、その根底もちょっと違うと言うか、すごい難しいんですけど」

 田渕サン 「流されるままに生きようと思っている秀忠と、覚悟を持って流れに身を任せようという、一見同じようですけど、深いところではまるで違うことを言っているふたりが、夫婦になって子供を作っていくっていうのも、面白いですよね。 徳川の人間のなかで頼れるのは夫だけなのに、まったくその人が頼れないんだっていうことを(江が)感じていく。 ものすごく面白いんですよ書いてて」

 そして関が原を訪れた向井クン。
 秀忠は結局この天下分け目の一戦に遅参して大きな負い目を背負っていくことになるのですが。

 「複雑だったでしょうね、父親に対しても。
 力になりたいっていう気持ちがあったにも関わらず遅れてきちゃって。
 遅れてきたどころか闘いが終わっちゃってますからね。

 政治的なやりかたも含めて、それに対する(家康の秀忠に対する)接し方はそのころから、思うところはあったんじゃないかなっていうのは思いますし、それを秀忠がそのまま感じたんであれば、現代と通じることもあるので。 日本人というか同じ人として、ここが似ているなってところで、距離感は縮まりましたね」

 田渕サンはカンペキに向井クンをイメージして秀忠像を構築している模様(…)。 「だからこうしてお会いしても 『あーこの人この人!この人だ、秀忠!』 って(笑)」。
 ん~まあ、いいですけどね、気持ちアゲアゲになっても(笑)。

 最後に田渕サン。
 「大河っていうのは魔物が住んでるなとか大河の神様がいるなって思うんですけど、ホームドラマとか恋愛モノを現代の(感覚)でやるような気持ちで」…ってやめてくれ!(笑)と言いたくなるような決意も飛び出しました(あ~あ…)。

 そして向井クン。

 「自分なりに出来ることって言ったらこういう経験とかを、自分のなかに持っていたりだとか、ほかのまわりの人に伝えることで何かが変わるかもしれないし、ホントに些細なことかもしれませんけど、そういうのの積み重ねで作品ってどんどん深くなっていくと思うので。
 秀忠が持っていたものを今回の旅で少しでも触れることができたので、ま、台本はト書きなので、その声の濃淡とか、気持ちを入れていくのはぼくらの仕事なので、それは、ただ読むだけではなく、しっかりとした意思を持っていきたいですね」

 今回のこの番宣の濃密さに負けないようなドラマが、後半戦で展開するんでしょうか。
 あんまり期待してませんけど(爆)、ひとりの苦悩人としての秀忠を予告映像で見た気がするので、その部分には期待したいと思います。

 向井クンが出演することで、視聴率もぐんとアップするんだろうな、いずれにしても。

 最後に、いろいろ揶揄しまくりましたが、田渕先生、頑張ってください! 応援しております(遅いかな、でも心が広そうでいらっしゃるので、許してくれるだろう…)。

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「高校生レストラン」 第3回 失敗して成長しろ!

 「高校生がやるレストラン」 という話題性を地元のマスコミが採り上げないわけがなく、村木(松岡昌宏クン)もその対応に追われます。 なかなか堂に入った受け答えをしているのですが、必要以上にあがったりもせず、かといってオドオド感も適度に出ていて、「リアルでいいなあ」 と感じます。
 ただこれは、取材自体から受け答えの仕方から、すべて役場の伊藤英明サンの働きによるもの。 いずれにせよ生徒たちは自分たちがテレビや新聞に出ることで、ちょっと浮かれた感じになります。 まあ都会の高校生ならもっと醒めてるでしょうけど。
 でも神木隆之介クンなどは、かえって注目されることでプレッシャーを募らせていく。 川島海荷チャンは 「普段通りにやってればできる、始まる前から弱音を吐いてどうするの」 と励まします。 青春だなあ…。

 まあそこはそれ、かれらも毎日の部活でそれなりに自信を持っていたのでしょうが、いざ開店してみると、予期しない失敗の連続。
 開店に向かうまでの描写がちょっと冗漫で退屈だったのですが、いざ開店してみると、こちらもばっちりお目めが冴えました(笑)。

 いちばんの予定外は、1日限定200食と決めていたのに、それ以上の客が押し寄せたこと。
 まあマスコミであおり続けたから当然と言えば当然ですが。

 混雑が凄いので、まずホールでの接客係が対応に追われ仲間同士の動きを把握できない。 結果ぶつかってしまうことの連続。 それによって出来上がったものをダメにしてしまうケースも発生してきます。
 また予想外の注文の多さに間違いが続出。 客は 「まあ高校生だから」 と寛大なのですが、自分がミスることで余計にパニック状態になってしまう、というのは高校生に限らず社会の新人(年配含む)にも顕著な特徴でして(笑)。 「落ち着け、あわてるな」 というのは、なかなか分かっていても出来るもんじゃありません。

 あわてることで普段通りの動きができなくなる、というのも失敗のスパイラルパターンであります。
 この心理的効果は周囲に波及する、という悪しき側面を持っています。
 お釣りで使う小銭の束をぶっ散らばすのは序の口で、これが厨房サイドにも伝播していく。
 まわりの失敗に気を取られて料理をダメにしてしまうんですよ。

 注文が多いから迅速にやらなければならないという気持ちばかりが先立ってしまって、あっちもこっちも、という複雑な動きに自分が対処できなくなってくる。 実家を手伝っている神木隆之介クンでさえ天ぷらの揚げがうまく出来ない。
 結果ホールで出来上がったものをダメにしてしまうことと相乗効果で、食材が予定よりだいぶ早く底をついてしまうのです。
 狼狽する松岡クン。 緊迫するBGM。
 見応え出てきましたぁ~(笑)。

 結局多くのお客さんに帰ってもらうことになり、松岡クンをはじめ全員が店の外に出て、平謝り。
 高校生たちの落ち込みようはハンパではありません。

 店の前で松岡クンに感想を聞かれた吉崎先生(板谷由夏サン)は 「生徒たちが緊張しすぎて連携がうまくいってないようだった」 と話します。 「流れ、っていうことですか…」 と言う松岡クンに、板谷サンは 「あなたは一流の料理人かもしれませんが、生徒たちにとってはひとりの教師です」 とアドバイスするのです。

 松岡クンは経営・運営の構造から今回の問題をとらえていたと思うんですが、ここでの板谷サンのアドバイスは、まずレストランの構成員であるのは、社会にこぎ出そうとしている若者たちなんだ、ということを松岡クンに気付かせたんじゃないでしょうか。

 生徒たちは、直面した現実に自信を失っています。
 まだ始まったばかりだし、という大人たちの慰めは、単なる気休めとしか映りません。
 「よくやったよ」「しょうがない」 というのは、彼らが最も嫌う言い訳なのです。
 かえって絶望的にならなければ、ホントにやる気があるとは言えない。
 「しょうがない」「また明日があるさ」 などと軽く考えるのは、やる気のない人間によくあるパターンです。

 でも、最初のつまずきで絶望的になる、というのは、若いことの裏返し。 失敗を重ねていくことで、それに対応する術を、人というのは身につけていくものなのです。

 若さがそれに対決するには、まず若さによってしかない。

 笑おう、笑顔で元気よく対応しよう、それが松岡クンの出した結論でした。

 「悪いのはオレだ。

 『ひとりひとりに集中しろ』『200人のお客様全員満足させろ』…オレの言葉ひとつで、そういう言葉のひとつひとつが、きっとお前たちを緊張させたんだと思う。

 お前たちがいつも通りできるように、オレができなかった。

 オレが流れを作ってやれなかった」

 それに伊藤英明サンが反応します。

 「それやったら、オレも悪かった。
 客呼ぶことしか考えんと、みんなの流れを壊してしもうた。

 みんな、ホンマにゴメン!」

 ここで謝ってくれる大人がいる、リーダーがいてくれるということは組織にとって大事だなあ。
 伊藤サンは200食にこだわらず、数を減らして対応できるようにしたら、と提案するのですが、生徒たちはそれをよしとしません。

 「先生、それは嫌です」
 「うちも今日の失敗を取り戻したい」
 「200食やらして下さい!」
 「お願いします!」

 頼み込む生徒たち。 青春だなあ…(こればっかしやがな)。

 そんな生徒たちに、松岡クンは今日のお客様の反応はどうだったか尋ねるのです。
 その反応のなかで生まれる笑いを、松岡クンは見逃さない。

 「その笑顔なんじゃないかなあ?

 オレも今日やってみて分かった。

 みんなもっと楽しもう。

 お前たちが楽しまなきゃ、お食事しているお客様が楽しめるわけないと思うんだ」

 「そや、みんなが笑顔でおったら、たいがいの事はうまくいくよ!」 と伊藤サン。

 「この店の最高のもてなしは、

 …お前たちひとりひとりの、笑顔だと思うよ。

 …この店は、

 お前たちのレストランだ。

 今までどおりでいい。

 きっと出来る。

 1日200食、頑張ろう!」

 「ハイっ!」

 青春だなあ(ひつこい)…。

 翌日、彼らは初日以上の力を、失敗しながらもなんとか出し切ります。
 一日の作業が終わり、泣いてしまう海荷チャン。
 こんなヒヨッコでも、一生懸命やればできる。
 松岡クンは 「すごいなあ。 力を合わせれば、1+1も3になる。 オレは今日みんなからそれを教わったぞ」 と、厨房の掃除を始めるのです。
 明日の闘いはすでに始まっている。

 しかしそんな安心もつかの間、「食中毒が出た」 という電話がその晩に松岡クンのもとに入ってくる。
 どうなる次回(予告ではあんまり深刻ではなさそうでしたが…)。

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2011年5月21日 (土)

「おひさま」 第6週 「思い込み」 が時代を引っ張っていた

 1週遅れですが女学校卒業前後を描いた先週の 「おひさま」 について。

 いや、さんざん泣かされました。 1週間分まとめて見るので、1週間分泣かされた(笑)。 つまり毎日のように泣かせる場面があるんですよ、困ったもんだ。 「ゲゲゲ」 でも1週間に1ぺんだった気がする(笑)。 見たあとはしばらく放心状態。 目が腫れぼったくて参った。

 教師になるため師範学校の受験を受け、帰ってきた陽子(井上真央チャン)を待っていたのは、育子(満島ひかりチャン)が本当は東京女子大の受験に落ちていた、ということ。 怒る陽子でしたが、これは受験に臨む陽子の気持ちをくじけさせないための真知子(マイコサン)との申し合わせだったのです。

 育子は陽子に告白するまで自分の悔し涙を封印し続けていました。
 育子は陽子が試験を無事に頑張れたことを確認します。

 「じゃあもういい?」

 うなずく陽子。

 「…あたし落ちた…! …落ちちゃった…!」

 それまで気丈にしていた育子でしたが、陽子にすがりついて泣き崩れてしまいます。 ダメだ、また泣けてきた…。

 でももし陽子が合格しても、私に気兼ねして喜ばないなんてダメだとくぎを刺す育子。

 「絶対よ。 絶対だからね。 『バンザーイ!』 ってね!」

 女学校に試験の合否通知が授業中やってきます。
 陽子は見事合格。
 その瞬間クラスはプリントの紙が舞い上がり、蜂の巣をつついたような騒ぎに。
 ここ、朝ドラの歴史に残る名シーンのような気がしました。
 そして陽子は育子との約束通り、全身で喜びを表現するのです。 まるで育子に贈るエールのように。 育子が嫌悪している 「つつましやかな女性」 という常識とまるで対決するかのように。

 「バンザーイ!」。

 クラスメイト全員も、オクトパス(近藤芳生サン)も、一緒に 「バンザーイ!」 です。

 そして茂樹(永山絢人サン)が予科練の二次試験のために旅立つ日。

 そこで受かればそのまま行ったきりになってしまうので、下手をするとこれが今生の別れになってしまう可能性がある。
 それが分かっているために、陽子も良一(寺脇康文サン)も悲しみを内に秘めながら、兵隊を出すことの名誉と涙はゲンが悪いとの思いもあるからか、努めて明るく見送ろうとします。 茂樹も家族を心配させないために、笑顔の自分を覚えておいてもらおうとするからか、ずっと過剰な笑顔のまま、旅立つのです。
 けれども感情を抑えきれず、陽子は雪交じりのぬかるみの中、一度別れた兄を追いかけてくる。

 「茂にいちゃーん! 茂にいちゃーん!」

 泣き顔のまま思いきり手を振る陽子。 敬礼をして、また満面の笑みで去っていく茂樹。
 ここも泣けた~。
 でもここで、その茂樹がその笑顔を忘れてしまうことになる、という若尾文子サンのナレーションが。 戦争の影が忍び寄ります。

 そして陽子の卒業式の日。

 式のあいだじゅう陽子が泣きっぱなしだったのをからかいながら、育子も真知子も 「白紙同盟」 の場所となった便所では本当に泣いてしまう。

 「私、一生忘れないわ。 3人で一緒だった時のこと。 絶対忘れない。 一生の宝物だわ」
 「私も忘れない。 ずぅーっと友達でいようね! ずっとだよ。 おばあちゃんになってもずっと!」
 「ええ、ずっとよ!」

 オクトパスから、「女性たちよ、よき人生を!」 という言葉を贈られる3人。 「女のくせに」 と言い続けたオクトパスでしたが、最後にいいとこ見せてくれました。 ずっこけてましたけど(笑)。

 育子は卒業を機に家出をし、東京へと旅立つ決意を陽子と真知子に語ります。
 「家を出る」 ということが当時、いかに大変なことだったか。
 しかも地方でしょ。
 東京行きの日。
 何度も後ろを振り返りながらその断ち切りがたい思いを振り切る育子。 育子の小さな弟と妹がもうかわいかったんで、ひょっとすると東京行きをあきらめるか?なんて思ったんですが。
 だからこそ育子の苦渋の選択が、こちらにもストレートに伝わってくるんですよ。
 駆けていくその足を止めて振り返った育子。
 アメ屋のある通い慣れた横町のむこうに向かって、叫びます。

 「陽子ーー! 真知子ーー! 行ってくるよーーー!

 …女性たちよ、
 よき人生を!!!」

 あ~もう、満島チャンには泣かされっぱなしだ。

 同じころ真知子は育子のその進取の気風に後押しされて、親が決めた結婚に必死に抵抗する(ちょっとクロスオーバーしまくりの場面だったので順序がワヤになっております)。
 真知子は陽子の家にやってきて陽子と共に便所に立てこもります。
 父親(平泉成サン)が戸をガンガン叩く中でふたりは、今頃汽車に乗っているであろう育子のことを思い出し、互いに自らの自由のためにエールを送る。

 「がんばれ、育子!」

 「育子さん、頑張って!」

 そのときに 「春樹兄さんもたぶんあなたが好き」 と真知子に伝える陽子。
 真知子は自分の初恋が叶った喜びに胸を熱くするのですが、彼女の抵抗はここで、無理やり収束を余儀なくされてしまう。 彼女は春樹の愛がほしかったのではない。 親に何でもかんでも自分の生き方を拘束されるということに、異議を表明したかっただけだったのです。
 もともと便所に立てこもり、なんてまったく先が見えている抵抗。
 現代じゃとても考えられないあっさりとした結末なのですが、この時代においてはこれがぎりぎりの妥協点だったのでしょう。
 だからこそこのシーンは、人の胸を打つのです。

 この一連の出来事のなかでまず浮き彫りにされるのは、この3人の友情がかなり強固なものであるということ。
 見返りを一切求めない、という意志を3人が積極的に行使することによって、逆風に遭うたびそのきずなを固くしていく性質のものである、ということ。

 この3人、深刻なケンカというものをしたことがありません。

 それは3人が、互いに相手の欠点を受け入れていることが大きいと思われます。
 だから相手の悲しみを自分の悲しみとして受け止めることができる。
 そんな度量が備わっているのです。

 翻って現代では、たとえ友人同士の間柄でも、ひとりひとりが互いの醒めた(そして時には辛辣な)批評者であるケースが多いような気がします。
 それは現代が、友情なんかより面白いことで氾濫しすぎているせいかもしれません。
 だから友情がとても流動的で、危うい気がする。
 ちょっとしたトラブルで仲が気まずくなってしまうことには、相手の欠点をウザいと考えて認めたり受け入れたり出来ないことがベースにある気がします。

 だから執拗に、互いの気持ちを確認したがる。
 メールというのはそんな現代人の希薄な友情を埋めるための道具になってしまっている気がしますね。

 昔はケータイもテレビもないから、友情を深めることくらいしか、やることがなかったかもしれません。 けれどもそれゆえに人にとって大切なものが、ちゃんと大切にされてきた。

 と同時に、世の中を達観できるような醒めた目を持ってしまった現代に比べて、昔の人ほど物事に熱くなる性質を有しているような気がします。 シラケとか三無主義とか、そんなものに時代が毒される前の人々です。

 そんな 「物事に熱くなる性質」、ファナティックな力が、時代を強い力で牽引していたということも、言えるかと思う。 真知子の父親もこういう政略結婚に何の疑問も抱いていない。 だからこそフライパンだろーが杵(きね)だろーがお構いなしに使って他人の家の便所を破壊しにかかる(笑)。 その躊躇のなさのパワーは、すごいです(笑)。 そしてちゃんと弁償しますと言って須藤家を出ていく(笑)。 須藤家に上がり込む時も散々ボーリョク的なことをしといて、ちゃんと靴を揃えて上がっていたし(爆)。

 そして陽子の手元に残ったのは、そのときに破壊された便所の取っ手(笑)。 真知子と半分こなのですが、真知子にとってもそれは、自分が自由のために戦った記念品。 ちょっとバッチイですが(笑)。 でも 「お便所同盟」 もとい 「白紙同盟」 の記念としては適当かな、と。 若尾サンも現代までちゃんととっていたみたいだし(笑)。

「おひさま」 に関する当ブログほかの記事

第1回 情緒に訴える形のドラマ
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/1-4227.html
第1週 まっとうに生きるということhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/1-f504.html
第2-4週 現代の価値観で昔を見ることの愚かさhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/05/2-4-b6a4.html
第5週 「深刻」 のスルーhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/05/5-e2b3.html

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2011年5月19日 (木)

「リバウンド」 第4回 自分の夢との闘い!って番組違うか…

 強い副作用で問題のカプセルに頼るというタイトロープを渡りながらも、痩せた信子(相武紗季チャン)と太一(速水もこみちクン)は前回ラストでベッドイン。
 めでたくハッピーエンドで物語は一応収束の方向に向かいます。

 けれども今回、性急に式まで事を進めようとする太一に信子はかなり戸惑う。 鬼の編集長(若村麻由美サン)からパリコレの話をもらい、仕事で大きなチャンスをつかんだからです。
 結婚か仕事か。 収束に向かった話はそんなちょっとした亀裂から、徐々にばらばらにほぐれて拡散していくのです。
 そこにふたりが以前付き合っていた相手(勝地涼クン、西山茉希サン)がよりを戻そうと再接近してくる。 西山サンのほうは痩せた太一が好きだという側面があるために大して問題なさそうに思えるのですが、勝地クンのほうは太った信子のときから好きだっただけあって、かなり厄介に感じます。 でもそんな勝地クンを乗り越えることが、このドラマのひとつの着地点のような気もしてきた。

 確かな愛をつかみ取った太一は、ゴーインモードが復活しながらも、太る体質がばれてしまったせいもあってか以前よりもかなりブッチャケモードが加わっています。 「カンフー係長危機一髪3D」 とかいう下らなそーな映画(次長課長が出てそーだ…笑)に信子を誘いジュースを残りの一滴までジュルジュル音を立てて飲むし(コレ自分も人がいないときは結構やります、マックシェイクとか…笑)、UFOキャッチャーでゴリラのぬいぐるみを取ろうとムキになるし。
 信子はそんなゴーインな太一に付き合わされて激しく疲労しながらも、それを呆れるでもなく受け入れている。
 これってふたりの間には 「互いに太っていた者同士」 理解しあえる部分がある、ということで結構カギのような気がします。 あとはふたりとも、「太っていることは罪悪」 という強迫観念をどこまで捨てられるのか。 魔法の鉄色カプセル過剰摂取気味のふたりには、その道はまだまだ遠い。

 鬼の編集長はふたりが幸せになるのがいたく気に入らない様子(笑)。 「幸せなんか長く続かないから面白いんでしょ、ハイ!早くふたりを不幸にしてっ!」(笑)「めでたく結婚してゴールルルルインなんてそーゆークッダラナイ話にしたら、連載打ち切り!だから」(笑)。
 若村サン、完全に楽しんでこの役演じてますよネ(笑)。 あ~ツボだなあ、この編集長。 ひょんなことから 「人はどうして結婚するのか?」 というテーマで原稿を書けば、パリコレに連れて行ってあげると信子に持ちかけるのです。

 パリコレの話をもらってYou TubeならぬWe Tubeを見ながら(細部まで笑かしてくれます)大学生、中学生、10歳、6歳の自分に 「23になったらこ~んなに痩せてパリコレに行けるのよぉぉ~~っ!」 と語りかける信子(笑)。 4人の歴代の信子が 「ええ~~~っ?!」(笑)。 この4人の信子、のちに現在の信子の決断に対して円卓会議を開きます(爆)。 好きだなあ、こーゆーギャグ。

 しかし太一は両親への話からウェディングケーキから式場予約から強引マイウェイで突っ走りまくり。 仕事だって別にいーじゃんそんなもの、という態度で信子をついにブチ切れさせます。

 「だぁ~~っ! そ~でちゅか。 ど~せ、悪いのはぜぇ~んぶあたちでちゅよ!」

 と、いつも本音を語ろうとする置物に向かってしゃべろうとする信子、いつものところにその置物がなくてわざわざそれを探してから、よーやっと本音を語り出すのです(細かい…笑)。

 「ったくなんで男ってヤツはいつまでたっても頭が固いのよねぇ~っ! 女は?結婚したら家庭に入るのが当たり前だとか思っちゃってさぁっ女だって、仕事を応援してほしい人がたっくさんいるってことが、どおおしてわっかんないかなぁぁっ!
 (太一のほうに向きなおり)あたしはねぇアンタのママじゃないんだよそれとも何か?あたしはアンタの面倒見るために結婚すんのか?アンタは家政婦がほしいのかそれとも店員がほしいのか~?

 …

 あたしが今欲しいのは、こんなケーキじゃない!」

 信子はまくしたてながら 「もっとこっちの気持ちを考えてくれって」 と言った途端、太一が信子のことを考えて作った象徴であるウェディングケーキを見て、太一の気持ちもじゅうぶん理解してしまうのです。
 でも自分が今欲しいのは、仕事の充実感であって、こんなケーキじゃない。
 悩む信子に瞳(栗山千明サン)は 「いつまでもみんなにいい顔して、全方位外交的なことやってないで、はっきりさせたら?恋愛も食事も仕事も。 あたしはブー子のそういうとこ、好きじゃない」 とはっきり話すのですが(こういう親友は大切です)、「人をちゃんと愛したことのない瞳に分かるわけないよ」 と信子は、瞳を心から傷つけてしまう言葉を軽い気持ちで言ってしまう。

 信子は再び意気消沈してしまった太一を見て、ある決心を固めます。 原稿に 「結婚とは、自分の大切なものを捨ててもいいと思う人とするものなんだ、きっと…」 と打ち込みます。
 退職願を書く信子。
 ここで4人の歴代信子の円卓会議が始まります(笑)。 でも、「もう決めたのっ!」 4人の信子 「ええ~~~っ?!」(さっきと同じ反応だというのがまた細かい…笑)。

 編集長に辞表届を出す信子。 会社に来ていた勝地クンがその場面を見てしまいます。 信子が会社の荷物を持って帰宅するところまでついてきてしまう勝地クン。 ツイッターで自分の行動を他人から決めてもらうのには笑ってしまいましたが、そこにやってきた太一が信子と瞳を連れて教会まで直行するところまで、勝地クンは結局行ってしまう。
 そこで結婚の誓いをする太一。 信子が誓いの言葉を口にしようとするとき、勝地クンが止めに入るのかと思いきや、それを制したのがほかならぬ太一。

 「お前さあ、それでホントに後悔しないのか?
 お前はホントにどーしたいんだよっ!
 このまま俺と結婚して、ホントーに後悔しないのか?
 本当は、仕事を辞めたくないんじゃないのかよっ!」

 太一は4つ目の新作ケーキ、モンブランを差し出して、「フランスへ行って来い」 と言うのですが、モンブランはフランスのケーキじゃなかった(笑)。 「これからは正直に本当のことを言え」 という太一に、信子は 「映画はつまんないしメールもしつこいしすぐいじけるしおだてりゃ調子に乗るし…でも、…大好き!」 と抱きつくのです。
 勝地クン、ダスティン・ホフマンになれなかったよ…(若い人はこの歌知らんか…)。

 ところが辞表を出したことを信子は言い出せず、そのままなし崩しに太一は空港まで信子を送ってしまう。 途方に暮れる信子の前に現れたのは、空港までついてきちゃってた勝地クン。 ヒマすぎるだろ…(笑)。

 今回のドラマを見ていて信子と太一を演じる紗季チャンもこみちクンの表情の豊かさと、かなり醒めている栗山千明サンの対比が面白いな、とあらためて思ったのですが、勝地クンのコメディ演技もかなりレベルが高いように感じました。 出演者のことごとくが脚本家の真意を汲み取り、のびのびと演技をしていることがすごく伝わってくるんですよ。 こういう雰囲気が、コメディドラマとしてのワザトラシさを解消していくんでしょうね。

 次回、紗季チャンはまた肉襦袢をまとうようです(笑)。
 この特殊メイク、どうも全身に施している、というのがかなりすごいと感じます。

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2011年5月18日 (水)

児玉清サン死去、から死後の世界の話

 また驚きました、児玉清サン逝去のニュース。 つい最近も、NHKBSにお出になっていたのをチラッと拝見していたのですが。 77歳ということで天寿をまっとうされた感もありますが、どうも癌の発見からのスピードが速かったようで、返す返すも残念です。

 児玉サンと言えば去年の 「龍馬伝」 の、龍馬の父親役がいちばん印象に残っておりますね。
 特に物語が始まった当初、泥にまみれて農民たちを指揮する若き龍馬の様子をそれとなく心配して見に来ていた場面、そして 「遥かなるニューヨーカ」 で、家族みんなを黒船に乗せて世界中を旅するんだ、という龍馬を目を細めて見ていた、亡くなる寸前の場面。

 児玉サンはNHK大河の常連でもあったので、その演技はつぶさに拝見してきたのですが、いつぞやの大河だったか、ヤケに演技に張りが見えない時期があって。
 「どうしたのかな」 と思っていたのですが、去年の 「龍馬伝」 の演技はその時期も乗り越えて、全盛期のような演技ができない歳になってもこういう演技が歳をとると出来るんだ、とまざまざと思い知らされました。 円熟味、というやつですね。

 そして忘れてはならないのが、「パネルクイズアタック25」 の司会。 ガキの頃はよく見ていましたが、最近はまったくと言っていいほど見てませんでした。 でもやっぱり最近お出になっていたのは、チラッと拝見していました。 だからすこぶる現役感があって。
 「アタック25」 の司会はマネされたりもしましたが、それを自らも面白がって博多華丸サンとツーショットで握りこぶしのポーズをしたり、茶目っ気も心の広さも強く印象に残りました。

 それにしてもなんかここ最近の訃報には、ちょっとかつてなく異種類のずっしりとしたダメージが自分に残る感じがいたします。 やはり大震災、というダメージを受け続けている上のニュースだからなのかな。
 と同時に、あちらの世界から呼ばれているようなオカルト的な感じもちょっとする。

 話はちょっと変わってしまいますが、学者のホーキング教授が 「死後の世界なんてない」 と言ったとか。
 私がとても意外だったのは、2ちゃんねらーを中心としてネットの世論が、ホーキング教授の論調にほぼ同調していること。 唯物論主義者が多いんですよ。
 でも生きていれば、何らかの形で亡くなった人たちの意志を感じることが多々あるって、私は思う。
 もちろん脳の働きイコール心の働きだ、という考えを否定はしませんけどね。
 死後の世界は生きている自らを律するための方便だ、という考え方があるのも理解できます。
 けれども自分が死んだらすべては無に帰する、という考えは、こりゃまったくの精神論ですがね、だったら生きていること自体が無駄だ、っていう考えと直結する気がしてならない。 だから自らの命を粗末にしようがカンケーない、自分の人生なんてオナニーみたいなもんだ、だから自分の人生が終わったら全部リセットしてくれ、という寒々しい考えに直結しかねない。
 死ねば全部済む、という考えは、とても危険だ。 なんかヤなことがあったら、死にゃいいんだから。 気に食わない奴がいる、じゃあ殺そう、そうすりゃ相手も幸せだ。

 だいたい死後の世界なんてなければ、墓参りだってする必要がないじゃないですか。
 死んだ人を見たことがありますか?
 そこには確実に、何かがない、という実感を人間であれば必ず抱くと思う。
 その何かとは、やっぱり魂だ、と思う。

 まあこの議論は置くとして、「あの世から呼ばれる」 とか 「涙雨を降らせる」 とか、そんな亡き人たちの意志を感じることによって、人というのは心豊かに暮らしていくことができる、そう思うんですよ。
 みんな誰だって、人に言えない秘密のひとつやふたつは持ってます。
 スンゴイ性癖とか(笑)。
 でもそんなの、別にフツーでしょ。
 ビンラディン氏の自宅から大量のAVが、って真偽はともかく(笑)、オトコとして当たり前じゃないですか(話があらぬ方向に行ってる気がする…笑)。
 あの世がどんな宗教によって蹂躙されているんだか、それは知りません。
 でも、亡くなった人がいい場所に行ってほしい、と考えるのは、人としての心の豊かさを指し示す指標のような気がします。

 児玉清サンも、やはりいい場所に行ってほしいと私は考えています。 冥福を祈る、というのは、冥界での福を祈る、ということじゃないでしょうか?

 謹んで、ご冥福をお祈りいたします。

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2011年5月17日 (火)

「JIN-仁-」(完結編) 第5回 無力感との闘い!

 前回お初(畠山彩奈チャン)の手術中に忽然と消えてしまった南方(大沢たかおサン)。
 南方はお初が生き延びたあとの世界を、まざまざと見ることになります。
 現代、南方仁は確かに存在している。
 けれどもそれは、「オレ、じゃない…?」。
 つまりお初が南方家へ嫁ぐと、今そこにいる南方仁は、存在しなくなってしまう、ということだったのです。
 南方がイカヒコーキを作っていなくても、お初はいずれ、何かのきっかけで死んでしまうことになっていた。
 お初が予期しない出血によって危篤状態になることで、南方は再び、オペの場に舞い戻ってきます。
 慌てて失血を止めようとする南方でしたが時すでに遅く、お初は、亡くなってしまいます。

 この幽体離脱体験で南方は、タイムスリップしてからずっと自分に付きまとっていた 「自分が何をしようが、結局歴史はそれを無に帰してしまうのだ」 という 「歴史の修正力」 に対する無力感を、かつてないほど強烈に味わってしまうのです。

 前回東(佐藤隆太サン)に斬りつけられたかに見えた龍馬(内野聖陽サン)でしたが、実はそれは龍馬を斬ろうとした者を東が斬った、ということで、こちらは私の予想通りでした。
 ただ東はかつて南方によって助けられている。
 ほかにだってペニシリン製造によって助かった命も数知れなくある。
 だいたい南方がタイムスリップしなければ恭太郎(小出恵介サン)も助からなかったし、咲(綾瀬はるかチャン)とも出会わなかった。
 ここまでくると、いったいどこまで、南方が歴史に対して反逆しているのか、ちょっと混乱してきます。

 その、龍馬が負傷した寺田屋事件を勝(小日向文世サン)から聞く南方。 龍馬暗殺に向けて歴史が否応なく動いていることをひしひしと感じ、自らの無力感に、ますます打ちのめされていく。

 南方はその無力感と対決するきっかけを与えられます。
 田之助(吉沢悠サン)から依頼された、兄弟子の 「大和屋」、坂東吉十郎(吹越満サン)の鉛中毒の治療です。
 かつてない無力感にさいなまれていた南方は、その症状のひどさと治療薬自体が存在していないことに初めから 「これは無理」 と尻込みしてしまう。
 けれどもここで田之助の一喝。

 「無理無理って、それでも医者なのかいっ!

 無理無理言うだけなら誰だって出来らぁ。
 無理ひとつ通さねぇでなにが医者先生様だ!

 そんだったらやめちまえっ!」

 その場をとりなす咲ですが、南方は意を決したように、仁友堂での治療を田之助に申し出るのです。 自分の無力感と対決し、歴史の修正力に抗おう、という決意です。

 現実問題、仕事をしていても、「これって無理」 と思うことが、たくさんあります。 「だってアレがああだしコレがこうだし」 と無理な理由はいくらでも思いつく。
 仕事自体を取り付けるのだって、コネみたいなものに簡単にすがりついてしまうのも、実はそっちのほうが楽だから。 いきなり徒手空拳で初めての会社に 「仕事をください」 と行ってもまずはねつけられるのが常であります。

 その無理を通すのが仕事っていうもの。

 「ガキの使いじゃないんだ」 というのはそんなときの言葉で、ダウンタウンの番組タイトルではありません(笑)。 通すのにどういう手段を使ってでも通す、という本気がなければ、人は動かないのです。
 「そんだったらやめちまえっ!」 とすごむ田之助、江戸時代だって 「ガキの使い」 で物事回っていかないのは、まったく一緒なのであります。

 咲も心配するほどの精魂を傾けて吉十郎の治療に打ち込む南方。 マウス実験、などという江戸時代にはその概念すらない方法も駆使しようとするのですが、劇的な改善を見せつつも、決定的な一打が生まれません。
 いらつく南方。 咲に、こう打ち明けます。

 「今回は完璧に治したいんです。

 ここで負けたら、私は認めるしかなくなるんです。
 『自分にできることはほんの少しの延命だけで、結局は何も変えることはできないんだ』 って…」

 そんな南方に、咲はこう疑問を呈します。

 「延命だけではいけないのですか?

 すべての医術は所詮、延命にしか過ぎぬのではございませんか?

 未来がいかに進んでいるかは存じませぬが、人はやはり、死ぬのでございましょう?」

 田之助ものちに 「命の値打ちっていうのは、長さだけなのかい?」 と南方に尋ねるのですが、ここで江戸時代の人から、ターミナルケア(終末医療)のコンセプトが飛び出すとは思いませんでした。 ってフィクションですけど(笑)。
 いずれにせよこの咲や田之助の言葉によって、生きる長さが重要なのではなく、生きているあいだに何を成し遂げたのか、そちらのほうにこそ価値があるのではないか、という発想の転換が、南方の心のなかで起こった気がします。

 「自分の気持ちに振り回されて患者をちゃんと見れていませんでした。
 長生きさせることばかりにとらわれて…」

 そんな南方に、咲はこう話します。

 「先生がここに送られてきた目的は、ひとりひとりの命を救うこととは、違うものなのではないでしょうか。
 もっと大きな、ひとりひとりの、世の営みを、越えたもののため、と言いますか…。 何とは言えぬのですが…」

 前作からくすぶっていた、南方を苦しめてきた無力感は、その瞬間に氷解した気がする。 これまで南方の江戸時代において展開される現代医術のあまりの面白さに目を奪われていた格好でしたが、患者を治すことにドラマの作り手がいちばんの価値を求めていないことが、これて判明しました。 このドラマが終結する大きな思想的方向が、ここで提示された気がします。

 そのいっぽう、病状が回復していくのをまったく喜んでいる様子がなかった、吉十郎の息子、与吉(大八木凱人クン)。
 実は与吉は、飲む打つ買うの歌舞伎者だった吉十郎に母親と共に追い出された息子だった。 母親が死んで、仕方なく吉十郎が引き取った格好だったのですが、吉十郎はそんな自分を与吉は憎んでいると思い込んでいました。
 けれども与吉は父親を思って、病状が悪化する舞台復帰を阻止しようとしていた。
 吉十郎は吉十郎で、自分の本気を息子に伝えようと、たった一度でいいから舞台復帰をしようとしていた。

 吹越サンの鬼気迫る演技には、思わず引き込まれました。 結局すんでのところで舞台には上がることができず、息子の前でひとり朝比奈を演じるのですが、与吉はそれを見て涙を流しながら、「大和屋!」 と叫ぶ。

 与吉にとってそれは、父親の最期の瞬間だということが理解できている。
 そしてそんな父親が、燃え尽きる最後の命を賭して自分に伝えようとしているもの。
 それはたとえ飲む打つ買うの自堕落な生活をして母親と息子を苦しめようとも、ひとりの男として、なにものにも代えがたかった、自分が生きたこの世での価値のあるものなのです。
 だからこそ息子は、そんな父親に向かって、「大和屋!」「日本一!」 という最大の賛辞を、贈らざるを得ないのです。
 見応えありました(相変わらずですけど)。

 そして南方も、それに限りなく感動していきます。

 「(つかの間の延命…。

 もしかしたら、延命にすらなっていないのかもしれない。
 こうしたことで、命を縮めた可能性すらある。
 だけど、この瞬間には、長さでは語れない命の意味がある。
 残された時間を輝かせる、という、医療の意味がある…)」

 父親の亡骸を前にして、与吉は田之助に向かって、役者を目指したいと決意を語ります。 父親の命を賭けた思いは、息子に継がれたのです。

 次回、咲の失敗が功を奏した形でペニシリンの粉末化のめどがついた南方は、それを持って龍馬のいる長崎へと向かいます。
 毎回最後に出てくる小さな映像。
 どうやらガラスの瓶に入った、あの胎児型奇形腫のようです。
 この謎をどうやら作り手は、しっかり解き明かす術を大事に隠し持っているようであります。

当ブログ 「JIN」 についてのほかの記事
第1部

第1回 荒唐無稽との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---1-e9ae.html
第2回 建前との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---2-f3b1.html
第3回 自分の病との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---3-3290.html
第4回 女としての闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/---4-542b.html
第5回 梅毒との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---5-9dba.html
第6回 リアルとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---6-25d6.html
第7回 明日のための闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---7-87b0.html
第8回 自分の器との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---8-e9a7.html
第9回 心意気どうしの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---9-8cf0.html
第10回 ああもう、どうなっちゃうの?との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---10-670a.html
第11回(最終回)続編あるかどうかとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---7290.html
番外 続編の可能性を、もう一度考えるhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---a138.html

完結編
第1回 いますべきこととの闘い!① http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-577a.html
第1回 いますべきこととの闘い!② http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-7d0d.html
第1回 いますべきこととの闘い!③ http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-c8e9.html
第1回 いますべきこととの闘い!④ http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-6f3f.html
第2回 自分の願いとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---2-4ed0.html
第3回 人を思う気持ちとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/05/jin---3-ab26.html
第4回 自分の血との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/05/jin---4-5d43.html

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2011年5月15日 (日)

「江~姫たちの戦国~」 第17回 半年の我慢

 のっけから結論を書いてしまいますが、茶々が父母の仇である秀吉にどうして心を許したのか、という原因、と言うかそのとっかかりを、作り手は 「半年の茶断ちと茶々断ちをしたからだ」 という話で見る側に納得させようとしている。 だが、これは無理です。

 なぜなら秀吉の半年の我慢を、全く表現できていないから。

 今回の話にひとかどの説得力を持たせるために作り手が仕組んだのは、秀吉がメチャクチャな方法でたてた茶を、千宗易(利休)が意外にも 「おみそれしました」 と感服する場面。
 彼は秀吉のたてた茶に、上り坂にある者の勢いを感じていた。
 この場面、秀吉は利休の茶を飲んでいます。
 ここから物語は秀吉の妹旭と母親の大政所の徳川家康への献上という史実をテンポ良く見せていくのですが、テンポがいいことが災いして、終盤の 「茶々と茶断ちの解禁」 まで半年が経っていることを感じさせない。
 だから利休に 「茶と茶々断ちですな」 とダジャレ混じりの話をいきなりされても、見ている側は 「はぁ?」 という感じ。
 だからそれに茶々がことさら感動してしまうのも、「おいおい」 という感じ。

 私が実際の秀吉という男に下している評価は、「天下を取ったあとは見苦しいの坂を転げ落ちまくり」。 まあ異論はございましょうが。

 旭と大政所の家康への差し出し、という話も実にその通りで、家康が秀吉に謁見する際に因果を含ませた、という今回の話も、これまで何度となく大河で見てきましたが、「やっとられんのうこの男」 という感想は、いつも同じでした。
 秀吉が実際に死ぬ寸前に家康その他諸大名(だったかな)に書いた書状も、いや実に平身低頭で、いかに自分の築いた地位と身分が砂上の楼閣なのか、といことを熟知していたように感じられてならないのです。

 ただそうした貧しい私の知識でも、秀吉がいかに家族への情愛を大事にしていたかは、感じ取ることができるのです。
 実際の旭様が、どのような容姿だったかは分かりませんが、だいたいドラマに出てくる旭様は、あまり器量がよろしくない。 しかも40を超えていたとなると、それを正室として家康に認めさせることは、限りなく暴挙に近い気がする(笑)。 しかもさらに自分の母親、でしょ。 そのあまりにも見え透いた主従関係の強要を家康が容認してしまうことで、かえって家康のほうが格上、という世間もしくは諸大名への印象は強くなるのではないでしょうか。

 私は天下を取るまでの秀吉は、それこそたぐいまれなる行動力と知性で意外性を自ら強引に作りだしてきた男、と考えているのですが、ドラマの作り手はその天下取りまでの凄い武将である秀吉を、あまりにも貶めさせすぎた。
 茶々が秀吉になびいたのも、伯父である信長の仇を誰よりも先に、あまりにもありえないスピードでもって成し遂げた男、という評価が彼女のなかにあったからなんじゃないのかな、そんな気がしています。 ほかの家臣が自分の戦に汲々として、明智を討てなかったのに秀吉はそれをやっちゃったんですからね。
 それに浅井も柴田も確かに秀吉が先陣を切って滅ぼしたわけですけど、それも戦国の世の習わし、というスッゴイ説得力のある理由が、あるんじゃないでしょうかね。
 そんななかでいちばん現代に通じる説得力があるとすれば、秀吉が家族思いの人間であったことなんじゃないのかな~。 歴代のドラマでも幾度となく、旭と大政所の差し出しには心を痛めている秀吉が描かれていましたし。
 秀長とか結構厳しいこともしてますけど、それもそれなりに理由もありますし。

 それとやはり、長いものには巻かれろ、みたいな感情も、茶々のなかにはあったのかな。 徳川家康のじらし作戦というものに嫌悪を抱いた、という要因も考えられますね。
 茶々が秀吉の子を宿すためには、そんなさまざまな感情が背景として、あるんじゃないでしょうかね。
 でもまあ、家族への愛情の深さに茶々がほだされた、とするのが、「江」 というドラマにいちばん相応な、現代的な解釈としては妥当なんじゃないか、と。

 まあ、知識が浅いのを私もさらけ出しまくっている気もしますけど(笑)、今回の茶々が秀吉にほだされたきっかけの作り話を見ていると、う~ん、浅いなあ、とやっぱり感じてしまうんですよ。

 それにしても江、まったく脇役ですよね、ここんところ。

 まあ12、3の小娘が脇役なのはしょうがないですが、もっと江を中心とした後世の話に、早く持っていったほうがいいと思うんですが。
 だってもう、物語も半分ですよ(…)。

 半年の我慢を、こっちにも強いるんですかね、このまんま…。

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2011年5月14日 (土)

「高校生レストラン」 第2回 チャンスに乗り遅れるな!

 役所から持ち込まれた、「高校生御膳」 の試案。
 税金を使っての町おこしの一環、という立場上、メニューがとろろうどんとダシ巻き卵だけでは話にならないし、予定がガチガチでオープンの日にちも変更できない。
 そんな 「お役所仕事」 の融通の利かなさに加え、このレストラン自体がもともとクラブ活動、という名目で開始しているのに、いきなり和気あいあいとやってたところにプロの料理人(松岡昌宏クン)がやってきて本格的な基礎訓練。
 そんな 「大人の論理」 に嫌気がさして、第2回冒頭でも部員がさらにふたり、憤然と厨房を出ていきます。

 このレストランを取り巻く周りの状況、というのも厳しい。
 街では同業者から 「客を取られる」 と敵視されているし、教師のなかには板谷由夏サンのように否定的な向きもある。
 板谷由夏サンの理屈は 「厨房と接客とで格差が生まれ、落ちこぼれが生まれる」「金を取ってやるなら部活ではなくバイトと同じ」、ということ。 至極その通りです。
 そこに部員の減少で、レストランの切り盛り自体のめどが立たなくなってくる。 まさに四面楚歌です。

 最終的に前回も含め、辞めた生徒たち全員がこのレストランに戻ってくるのですが、今回のドラマのキモはやはり、このレストランを率いる松岡昌宏クンも含めて、「なぜ自分たちはこのレストランをやりたいのか」、ということの確認だった気がします。
 さてストーリー(いきなりラストをばらしてしまいましたが…笑)。

 松岡クンが破り捨てた 「高校生御膳」 の試案。
 これを川島海荷チャンが拾って 「なんとかこれ出来やんかな」 とほかの部員たちに持ちかけます。

 海荷チャンの気持ちとしては、「うちらのレストランなんやに」、ということ。

 前回私は海荷チャンのモチベーションについて、高校生どうしの仲間意識程度、みたいな否定的な感想を書きました。
 けれども彼女の場合、仲間意識が強いがゆえに、最初来た早々厳しくする松岡クンに反発したのだ、ということだったんですね。 同様に、仲間意識が強いからこそ 「これは自分たちのレストランなんだ」 という思い込みが激しいし、だからこそほかの辞めていった部員たちのようにモチベーションが途切れずにいる。

 生徒たちは自分たちでその高校生御膳を作り、松岡クンに直談判に踏み切ります。
 ここで注目なのは、まず無理だろう、ということを彼らがいちばん認識している、という点。
 自分たちが試作したそれがイケてないことも分かってるし、松岡クンはあまりに厳しいから、こんなこと許してくれない、というのも分かっている。

 それでも彼らは、頼むのです。

 ここらへんは、高校生たちの無謀さをほめたたえてあげたい気分でした。 社会に出ても、「自分はこれがやりたいんだ!」 というプレゼンは、常に無謀と隣り合わせ。 チャレンジャー精神がないと、なかなか会社って、まわっていかないんですよね。 私もいつの間にか常識に縛られて仕事してんなーと、反省させられます。

 「まだ無理だ」 と言う松岡クンに言い寄る海荷チャン。

 「やってもみやんと諦めるのイヤなんです!
 先生はプロやけど、うちらはプロじゃありません! 成功の経験も少ないけど、失敗の経験も少ないんです!
 ですから、やらして下さい! やってみたいんです!」

 そして神木隆之介クン。

 「ぼくらにチャンスください!
 ここで勉強したこと生かしたいんです!
 店を継ぐ者(もん)、店持ちたい者、それに、就職する者。
 みんなここで経験したことを生かしたがっとるんです!
 俺らにとって、このレストランは、チャンスをくれる場やと思ってます!」

 松岡クンは彼らの熱意に、目の前の御膳に箸をつけます。 「…もう一度作ってみろ。 ただし次は醤油と砂糖の量ちょっと増やせ」。
 「はい!」
 全員が喜々として厨房に散っていきます。
 う~ん、青春だ…。 久々に青春ドラマを見た感じだ。
 蛇足ですが、彼らが醤油と砂糖の量を控えめにした、という部分、なんとか薄味の高級料亭っぽい味にして松岡クンの舌に合わせようとした点が透けて見える。

 しかしやはり、その試案に出されているメニューに、彼らの力量は追い付いていない。
 松岡クンを連れ戻そうと銀座からはるばるやってきた高橋克実板長も、出来上がったものを一瞥してかろうじてモノになっているダシ巻き卵だけを鋭く見つけ、それだけを食べて一応生徒たちをほめるのですが、松岡クンとふたりの会話では 「あんなのじゃダメだ」 とはっきりと言い渡す(この一連の演技、やっぱりうまいなあ、高橋サン。 シビレました)。

 その高橋克実サンによって、松岡クンがどうして銀座の店を辞めたのかが判明するのですが、客に 「お前の料理には心がこもってない」 と言われ、「客を取るのか自分の腕を取るのか」 と言われて、結局自分の腕を取っちゃった、ということだったらしいです。
 しかし辞めながらも、彼はそのお客のところに行って土下座をしたらしい。
 松岡クンはお客あっての料理屋なのだ、ということを、ここで心肝に染めたんですね。
 だからこそお客さんにいい加減なものは出せない、という気持ちが、さらに強くなっているのでしょう。

 高橋サンから 「すぐにどうこう出来ねえとは思うが、早いとこ見切りをつけて戻ってこい」 と言われ悩んだあげく、松岡クンは高校生御膳を生徒たちにも作れるように改良しようと吹石一恵チャンと伊藤英明サンを巻き込んで試作づくりに励みます。

 つまりこれって、やはり 「早いとこ見切りをつけたい」 ということなんでしょうかね。 それとも生徒たちの熱意に、自分が料理人として何が大切なのかを見極めたい、と思ったがゆえのことなんでしょうかね。

 いずれにしても出来上がったその試作品に生徒は大喜び。 自分たちのレストランで本格的にお客サンを呼んで勝負ができる!という彼らの気分は最高潮に達します。
 それを見ていたのが、辞めていった生徒たち。
 記事冒頭にばらしてしまった通り(笑)、ある日彼らは、全員がレストランに戻ってくるのです。

 残った部員たちの楽しそうな様子に惹かれたり、卒業までにちょっとでも有意義な時間を選びたかったり、その理由はさまざまでしたが、彼らに共通していた動機は、「自分たちにとってこの部活の場は、将来に向けてジャンプアップするための、大きなチャンスの場なんだ」、ということなように感じます。

 目の前に与えられているチャンスに食いつかないで、どうするんだ。
 乗り遅れるな!
 ウジウジしているあいだに、みんな先にどんどん行ってしまうぞ!

 将来どんな人間に自分がなるのか分かりませんが、やはり目の前のことにぶつかっていくことが、若さの特権だろうと思います。 「成功した経験も少ないが、失敗した経験も少ない」。 だから失敗もいくらだってできるのです。

 年取ると、失敗自体が許されなくなってくるなんて世間ではよく言うんですけどねー(笑)。
 でもですね、するんですよ、いくら年取っても、失敗だけは(笑)。
 失敗の連続で人生ってのは形成されてますな。
 失敗にめげないことが肝要だし、いくらそこで終わり、っていう失敗をしても、別の生き方なんかいくらだってある(贅沢言ってたらいかんですけどね)。

 なにしろ、忘れていたものを思い出させてくれる、という点で、このドラマは私のようなオッサンが見る価値も、じゅうぶんあると言えそうです。

 次回、いよいよ開店です。

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2011年5月12日 (木)

「リバウンド」 第3回 魔法の小さな鉄色カプセル

 デブを揶揄している危惧がぬぐい切れず、「なにが言いたいのか?」 と思わざるを得なかったこのドラマ。
 だいたい作り手が考えそうなことは、「デブだヤセだって、人間って外見が大事なの?中身が大事なの?」 ということだと思うのですが、それってありがちな気がするんですよね。
 だからその先にあるものを、勘ぐってしまう。

 けれどもこのドラマは、「外見か中味か」 という使い古されたテーマをさらに突き詰めて結論を導き出そうとしている。 ギャグのキレもよくなってきた気がするし、今クール最大の掘り出し物っぽくなってまいりました。

 太一(速水もこみちサン)が今度は太ってしまって、信子(相武紗季チャン)はいきなり 「外見か中味か」 という問題に正面衝突します(笑)。
 彼女もおおかたの人が考えるように、「そんなの関係ないよ」 と冷静ぶって言いたいのですが、やはりいざ直面してみるとなかなかそう考えられない自分もいる。
 太一はもともと子供のころからデブだったらしく、今回は要するに、リバウンド。
 彼のオレ様的な言動は、子供のころから卑屈に抑圧されてきたことから解放されたがゆえの傲慢さだったのです。
 いざリバウンドしてしまった太一の様子からは、その抑圧され差別され続けてきたことへの鬱憤がとてもよく表現されていました。
 太一太ったバージョンの特徴は、とにかくいちいち何事も気にしすぎる。
 そして物事をネガティヴにとらえ過ぎる。
 「どうせ自分なんか」 と、必要以上に自分を卑下しすぎる。
 そしてその根底には、自分が他人からどう見られているのか?が気になって仕方がない、という性癖が潜んでいるのです。
 思春期あたりは誰しもその傾向にあるんですが、こと自分が太っていることで抑圧されまくってるから、普通以上に気にしすぎになってしまう。

 それを端的に表わしていたのが、ストーカー的な信子へのメール攻撃(笑)。
 内容もエラク卑屈(笑)。

 >ごめん、今、大丈夫?

 >あ、メールだからこんなこと聞く必要ないか。

 >あの、お暇な時に連絡いただければ幸いです。

 >太一

 ちゅど~ん(笑)。
 この文字が弾丸のように画面いっぱいに映し出されるのは、笑えると同時にとても快感。

 その卑屈メールを信子が見ていたとき、編集部に信子の元カレ、勝地涼クンが新しい担当としてやってきます。
 信子をブー子だと気づかない勝地クンに、信子は自分の正体を早々に明かしてしまう。
 信じられないながらもそれを理解する勝地クン。
 理解はできていても、すっごく美人の信子を前にしどろもどろになってしまう勝地クンにはもう、大笑いしました。

 それにしても信子と信子のブタ人格である佐藤チヨコをまったく別人と思いこんでいる太一のほうが鈍いのか(笑)。
 この設定がドラマを面白くする強力なエッセンスになっていたのですが、第3回で作り手はそれを強引に破壊してしまいます。

 佐藤チヨコになりすますために、信子は半海一晃サン演じる担当医から肉襦袢、じゃなかった(笑)ファットスーツを1日1万5千円のレンタルで借り(笑)太一に会いに行ったはいいのですが、あまりにウジウジとしている太一に腹を立て、その場でファットスーツを脱ぎ棄てて 「自分が信子だ」 と宣言してしまうのです。

 ここでの信子の 「あ~そ~でちゅか」 攻撃はこのドラマにおける 「曲げられない女」 同様の主人公のブチ切れシーンであると同時に、作り手のいちばん言いたいことが凝縮された部分でもある。
 でも今まで、私はこのシーンに共感をあまり覚えませんでした。
 それは信子が 「太っていることは罪悪」 という視点から物を申していたからだったのですが、今回は違った。

 「(そばにあった置物に向かって)あたしさ、あいつが太ってからずーっと悩んでたんだけどさ、やーっと分かったよ、あたしは、デブのあいつが嫌なんじゃないんだ、卑屈なあいつが嫌なんだよ、イジイジイジイジ自分の殻に引きこもってさ、人の顔色ばぁーっかりうかがってさぁ、

 もう!

 (太一のほうに向きなおり)なんでもかんでもデブのせいにしてんじゃないわよ!

 …うちのパパはね、推定130キロあるけど、自分がデブだってことぜーんぜん恥じてない!ど~んな時だってニッコニコ笑ってニーッポンイチうまいトンカツ揚げて、ママのことめいーっぱい愛してんだよーっ。
 あたしも、いつかふたりみたいなカップルになりたいって思ってたけどさあ。
 ずーっとデブだったから、そんなの無理だって、あきらめてた。
 でも、あんたに会って、…もしかしたらって思ってたのに。

 あたしさあ、ほとんど経験ないから!

 教えてよ!

 誰かと両思いになるとか、付き合うって、相手の顔色ばっかりうかがって、嫌われないように、必死になることなの?!

 会いたいときに会えないからって、嫉妬したり、束縛したりしようとすることなの?!

 ちょっとうまくいかないからって、相手のせいにして逃げることなの?!

 だったら別にいいわよ!
 両思いになんかならなくても!」

 そのあと信子はおおいに後悔し、親友の栗山千明サンに 「暑苦しい落ち込みかた」 をさらけ出しまくるのですが(笑)、「自分もデブだったくせにあんなエラソーなこと言って…」 と自己嫌悪に陥る信子に、私は少々感情移入しつつあるのです。
 要するに、信子が太一を罵倒する言葉は、すべて自分に帰ってくる性格のものであるからです。
 そしてそのダイエット体験記の記事に「ぜい肉は体を大きくする代わりに、心を小さくしてしまうのかな?」 という一文を打ち込む。
 痩せても心にやさしさを残しているのがいいんですよね。

 太った彼氏に痩せた彼女が三下り半を突き付けるというその展開に大いに食いつく鬼の編集長(笑)。
 この編集長を演じる若村麻由美サン、完全なSキャラで私のツボであります(笑)。
 近年にない当たり役のよーな気がする(笑)。
 この編集長も、もしかして太っていた過去があったりして…(ケーキとかものすごく嫌悪してますよね…笑)。

 その編集長が 「三角関係にしたらもっと面白いかも」 という見下げ果てた興味で(笑)信子と勝地涼クンのデートを強要してくる(笑)。 「大丈夫彼の会社の経費で落ちるから」(笑)。

 フレンチレストランでの勝地涼クン(研作)の話には、結構引き込まれました。

 「ねえ、なんで研作は、私がデブでも付き合ってくれたの?」

 「だってそれがお前だろ?」

 …素のままのお前が好きになった、ただそれだけ。
 カッコよすぎませんかね?

 初めての合コンのときに、みんなが残したものをうれしそうに片っ端から食べていた信子。
 誰にも相手にされないのに盛り上げ役をしていたり、注文取り役を引き受けたり。 自分の太っているのを自虐ネタにして笑い飛ばしたり。

 「オレ、なんか、そんなブー子を見てたらさ、…カワイイなって思って…。
 考えてみたら、いろんな女と付き合ってきたけど、お前といるときが、いちばんほっとしたと思う。 ほんとの、自分でいれたし」

 信子もこの人といたほうがホントの自分でいられるのかも、と考えてしまう。
 けれどもそこに、デザートのケーキが運ばれてきます。
 そのケーキは、太一が作った新作のチョコレートケーキ。
 ケーキを食べた瞬間、信子の頭の幸せの鐘は、くわ~んくわ~ん鳴り響きます(笑)。

 「信子が忘れてったファットスーツを太一が届けに来て、ケーキも一緒に持ってきた」 と、そのとき栗山千明サンから電話が入る。
 「信子もチヨコも両方ひっくるめて、ぜーんぶ好きってことじゃないの?」
 なるほど、だからチョコケーキか…ってそうなのかな?(笑)
 次の瞬間信子の頭から研作は遠い宇宙の彼方…(笑)。

 「(人は人の何を好きになるのか、理由なんかない!
 あたしは、あなたに運命を感じただけ!)」

 太一を探しにレストランを飛び出した信子の前に、また出会ったときの痩せた太一が立っています。
 ふたりは抱き合い、熱いキス(すると思わなかった…笑)。
 そして物語は大団円。
 エンドマーク…。

 って、違うって!(笑)
 や、実際にドラマでは、そこまでのボケツッコミをしてたんですが(笑)。

 ところがこのふたりの痩せた状態には、半海センセイがホラー映画に出てくるカリガリ博士のような顔で口を酸っぱくして警告し続けた、「飲みすぎると確実に副作用のあらわれる」 まるで鉄のような不気味な色をしたカプセルが大きな役割を及ぼしていたのです。

 いやいや、ホントに、面白くなってまいりました。

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日本を覆っている見えない闇

 上原美優サンが亡くなったそうですね。 未確認なんですが、どうも自殺だと。
 彼女は 「貧乏ネタ」 を売り物にしているタレントさんで、私の場合特に 「さんま御殿」 とか 「から騒ぎ」 にゲストで来ていたときをよく覚えています。 「このコ意外と恋愛のネタ持ってる、から騒ぎのメンバーよりもよほど面白いんじゃないか?」 と思った記憶がある(そのときの記事はこちらhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/post-03df.html)。
 最近はバラエティもとんと見なくなったので 「貧乏キャラ」 からどう脱却しようとしていたのか存じませんが、ビンボー以外の大きな可能性があったことは言える気がします。
 憶測で大変申し訳ないのですが、恋愛でものすごい精神的なダメージがあったのかな…。
 私の場合も上原サンと同じ24歳あたりで大失恋をして、冗談ではなく死にたいと考えた時期がありますので。
 精神的に参っているところに、ここ数日のどんより雨模様でしょ。 天気も彼女の鬱状態に拍車をかけたんじゃないのかな。 ニュースで小耳にはさんだブログの内容とかを聞くと、そんな気がします。
 でも、憶測ばかりでものを言ってはいけないですね。

 しかし人生は、晴れたり曇ったり土砂降りだったりです。
 いい時もあれば悪い時もある。
 生きてりゃ何とかなります。
 面白いことに、生きてりゃそのうち何とかなるんですよ。 まずここまでひどいことはないだろう、とうちのめされても、何かしら面白いことはその先に待っている。

 同時に神奈川県の茶葉から規定値以上の放射能が、というニュースが。
 東京とかを飛び越して、というのは考えにくいですよね。
 規定値、というものにどれだけの危険が潜んでいるのかは分かりませんが、特に壊れた原発のある東日本全域に関しては、蓄積されていくものって、計り知れないんじゃないかって思えてくる。
 政府にしたってその危険性がどれほどのものであるか、まったく把握できてない感じですしね。
 よく彼らは 「未曾有の大災害」 とか言う。
 「未曾有」 が免罪符にでもなってる感じだ。
 民主党政権にとっては、「今まで自民党主導で行なわれていた政治によって原発が推し進められてきたっていうのに、なんでオレたちがその尻拭いをしなきゃいかんのだ」 という感じなんでしょうけど。
 東電の社長とかも 「なんでよりによってオレが社長のときにこんなことになるんだ」 みたいな感じ。
 いずれにしたって責任感が、まるで上の空なんですよ。
 出会いがしらの事故としか考えてない。

 ここ数日降っている雨も、台風がもたらした雲によるものだから原発とは関係がないのかもしれませんが、どんだけ放射能が含まれてんだろうなーなどと、ぼんやりと考えたりします。 チェルノブイリの時なんか、ガキどもはそんな噂話を好んでしていたものです。 頭ハゲるぞーとか。
 それと同じ目に見えない恐怖が、今の日本を覆っている。

 テレビでよく知っているタレントさんの自殺、なんていうのも、結構見えない精神的なダメージを、知らない間に国民は受けていくものです。
 私の場合はキャンディーズのスーちゃんでしたが、彼女の場合病魔のせいですから彼女に責任はないとはいえ、やはりそのニュースを受け止めるこちら側としては、かなりまいりました。 大震災からこちら、こんなニュースばかりですからね。

 やはり私たちひとりひとりが、今は精神的に支え合っていかなければならないんだ、そう感じます。
 ひとりが折れてしまったら、ほかの複数の人の気持ちまで、折れてしまう。
 しっかりと生き続けていくことも、ほかの人々に対する自分の責任だと思うんですよ。
 どんな人間だって、完璧に世間から孤立した、たったひとりの人間じゃないんですから。

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2011年5月11日 (水)

「JIN-仁-」(完結編) 第4回 自分の血との闘い!

 第4回は、5分拡大版。
 内容的には完結編第2部開始、といった趣なので、時間延長も自然なもののように感じますが、長年ドラマを見てますけど、最終回目前とかじゃないのに時間拡大なんて、なんか記憶にありません。
 これって、憶測ですけど、やはり内容が濃すぎて時間内に収まらないからなんじゃないか、と。
 裏を返せばそれは、「詰め込みすぎ」 ということのひとつの現れのような気もする。

 「JIN」 完結編を見ていて感じるのは、やはり拙速感。
 何度も指摘して耳タコでしょうけど(笑)、第2部では第1部に比べて、細かい心理描写よりも物語のうねり、怒涛のスピードで見せていく手法を作り手は取っているように思えます。
 ここ数回はそんな作りに少々消化不良気味だったのですが、第4回はタイムスリップの謎も絡んだダイナミズムによってぐいぐい見せていただきました。 やはり凄いなこのドラマ、という思いであります。

 その拙速感のなか第4回目でさらにさらに浮き彫りになっていくのは、咲(綾瀬はるかチャン)が南方(大沢たかおサン)に寄せる思い、なのです。 この完結編は、龍馬(内野聖陽サン)が直面する時代の大転換期と、咲が募らせていく思いで劇的に前進している、と言える気がします。

 和宮(黒川智花チャン)の治療の功で南方と咲は将軍家よりお礼の品を下賜され、橘家も名誉回復。 南方らは遠心分離機の発明によって血液型判定の方法を江戸時代に実現することに成功し、「輸血」 という現代では常識的なことも可能になってくるのです。
 ただしこれはあくまで初歩的な技術であるためか、緊急の場合のみと南方は初めから決めています。
 これらの出来事が、今回の話を引っ張っていくカギになってくる。

 いっぽう龍馬も亀山社中の設立、西郷(藤本隆宏サン)との交わりを経て、時代は確実に龍馬暗殺の運命の日に向かって突き進んでいます。
 ここで面白かったのは、龍馬と共に暗殺されてしまう中岡慎太郎を、「龍馬伝」 ではふたりともバッサバッサと殺ってしまった市川亀治郎サンが演じていること。 「なんだ今度は逆の立場か」 って(笑)。 なんとなくTBSの悪ふざけとゆー気もする。
 いずれにせよここで、南方が施術した西郷の腹の手術跡を龍馬が見せてもらうことで、今回後半の展開に大きな影響が及ぼされることとなるのです。

 そして物語はアンドーナツ事件から2年後。
 ずいぶん駆け足です。
 そのなかで南方は、咲との関係に、ちょっとしたモヤモヤ感を抱きながら暮らしている。
 求婚を断ってからの咲は、それまで以上に南方に笑顔で接するようになるのですが、南方はその笑顔が、何か遠いもののように思えている。
 つまり咲は、南方との間に完全な一線を引いているのです。
 健全なATフィールドみたいな(「エヴァ」 をご存知ないかたには、失礼いたします…笑)。

 ATフィールドって、「自閉」 の暗喩みたいなところがあるじゃないですか。
 ところが咲のATフィールドは、自分と南方との間に一線を引くことによって自分の恋愛感情をシャットアウトし、「仁友堂」 を残すことで自分の存在も南方の心のなかで確かなものにしておきたい、という前向きな建設的方向の 「自閉」 なんですよ。
 (蛇足ですが、今回はからずも南方と咲が同じ部屋で寝泊まりしなければならなくなったとき、ふたりの間にはそんなATフィールドよろしく、屏風が立てられていました。 その壁を、咲は江戸と130~40年後の現代を分け隔てする壁だと認識していた)

 けれどもそのATフィールド展開のために、咲の溢れかえらざるを得ない恋愛感情は、激しく消耗し犠牲になっているのです。
 咲の表情には、笑いながらもどこか寂しさが含まれていて、しかもそこには悲壮さも見え隠れしている。
 南方はどこかで、それも江戸時代の女性のつつましさなのかな、という感覚で考えているフシがあります。
 タイムスリップしてから4年。
 南方は 「面をあげよ」 を一回で言うこと聞いちゃうこともしなくなり(笑)、先に述べたように、旅先で奥方でもない女性(咲)と同じ部屋で泊ることを頑強に拒もうとしたり、彼には江戸時代の清廉な常識というものが備わりつつあります。
 ところがそれが、咲の本当の思いを理解することの障害となってしまっている。

 今回後半で咲に 「私に構わず自分の好きな人と結婚して下さい」 と咲に言ってしまうのも、そんな微妙な女心が、江戸時代も現代も変わらず脈打っていることに南方が気付かなかった、という一面もある気がするのです(このことについてはまた後ほど)。

 南方は多紀(相島一之サン)から、川越藩主の妻恵姫(緒川たまきサン)のこぶを治療してほしい、という依頼を受けます。
 恵姫は徳川家康の直系でもあることから、その血筋を絶やすことは一大事だ、という認識を、南方は多紀から聞かされます。
 そのことで南方が抱えたのは、「この時代にも自分に血がつながっている先祖がいるはずだ」 という思い。
 ドラマでは川越藩への旅の途中で南方と咲が出会ったお初(畠山彩奈チャン)という少女が、実は南方の遠いご先祖なのではないか、と見る側に提示されます。
 そしてお初の瀕死の重傷によって物語は、タイムスリップの謎と絡みながら、今回の衝撃的なラストに向かって、うねり始めるのです。

 いっぽう龍馬の護衛についたのが、龍馬が禁門の変の際に助け出した長州藩士、東(佐藤隆太サン)。
 この東、龍馬が命の恩人であるにもかかわらず、龍馬の商人的な部分を嫌悪しているようだし、何より薩長同盟に乗り気でない様子。 いったい何を考えているんでしょう?
 龍馬は疑心暗鬼の東に向かって、「薩長が結び付くのは、倒幕という義理が必要じゃ」 とぶち上げる。
 ここで龍馬の脳裏に浮かんでいるのが、ペニシリンを自分だけのものにせずすべての医師に開放することによって、医学の垣根をなくそうとしていた南方の姿。
 このドラマのなかだけの言語によって、龍馬の薩長同盟に賭ける大義名分をかなり具体的なものにすることに、このドラマは成功しています。
 これってやっぱり、SFチック。
 でも、だからこそ、この荒唐無稽なドラマにひとかどのリアリティが生まれてくるんだ、と思うのです。

 南方の川越への旅に強引についていくと決めた咲。 そんな強引な自分がうれしそうです。
 そして旅で出会ったお初と紙ヒコーキを飛ばす南方を見ながら、その姿を目に焼きつけようとする咲。
 彼女の思いが、こちらにも強く伝わってくるのです。
 そんな南方は、「ヒコーキ」 などというものを作ってしまった自分のうかつさを気にしながら、手に触れた時に電気のような衝撃が走ったお初を、「自分のご先祖なのではないか?」 といぶかっています。

 そして先ほど述べた、屏風を隔てた夜の語らい。
 南方は恵姫が子供子供と急き立てられてかわいそう、という現代的な感想を述べるのですが、咲は 「武家のおなごはお家のために子を産むのが使命であり、幸せであると育てられます」 と当然のように答えます。
 「それは咲さんも同じですよね?」 と問い返す南方に、咲は何も答えない。
 南方は咲が、もう寝入ってしまったと考える。

 武家のしきたりなんか、ホントに幸せなんだと思っているおなごなんていない。
 そのことをこのシーンでは、あまりに当たり前のように活写していました。
 あ~あ、どうしてこういう簡単なことが、出来ないのかな、NHKさん。

  咲はしばらくして、こうつぶやきます。

 「わたくしの子は、仁友堂でございます、先生…」

 自分の溢れかえりそうな思いは、すべて仁友堂に託している。
 なんとも泣ける、咲の覚悟です。

 恵姫との謁見。

 姫は南方の治療を、にべもなく断ります。
 その凛とした様子は、栄(麻生祐未サン)を彷彿とさせる。
 咲は恵姫に直接談判し、その言を翻させるのですが、それもすべて仁友堂のため、という覚悟があってのこと。 咲のこの大胆な行動には、覚悟をもった人間がどれほど怖いもの知らずか、ということをうかがわせて興味深い。 この年月の間の、咲の成長も如実に感じさせるのです。

 南方は視診、触診によって恵姫のこぶが良性のものであると判断し、同時に貧血気味の診断もしたために、輸血が必要になる可能性を指摘します。

 この輸血、という方法。

 恵姫はもちろんのこと、同族の一同も驚天動地の概念であり。

 つまり 「血筋」 という言葉からも分かるように、当時血というものは神聖にして犯すべからざるものだという認識で一致していたんだと思うのです。 そしてそれは、 「家」 の思想とも密接に結びついていたのではないでしょうか。
 「けがらわしい!」「血を混ぜるなど、おぞましい!」 と声を荒げる一族。
 そこに現れたのが、恵姫。
 こぶを取ったら自分は殿との間に子を作りたいと切り出します。

 「この血はその子にも継がれるであろう。
 ならばそれは、一滴残らずわが一族のものであってほしい。
 それはみなも同じかと思い、南方殿にお願いした次第であったが、
 …無念じゃ」

 恵姫は自分と同じ血液型の咲から血を分けてもらう、と吐き捨てその場を去ろうとするのですが、ばあや(浅茅陽子サン)がひとり、名乗り出る。

 いや~浅茅サンだとは気付きませんでした。
 なんか中谷美紀サンに似てるよーな感じがして。
 もしや特殊メイクか?
 未来(ミキ)や野風と、何か関係が?…って、花魁と藩主の一族って、接点ありませんって!(笑)
 でもそんなことを考えてしまいました。

 そして術式開始。

 やはり見応えあります。
 術後の出血をいち早く発見した咲にも感服。
 これで西洋と東洋の医術の懸け橋となることを咲は期待するのですが、そのことで南方は、龍馬のことを思い出す。

 場面かわって薩長同盟の大詰めの調整段階。
 互いにメンツにこだわって、「向こうから言ってくるのが筋」 みたいに考えている両藩に業を煮やした龍馬。
 黙として動かない西郷に、龍馬は詰め寄ります。

 「長州が哀れじゃち思わんがかえ!

 …

 あいつらはおまんらにメッタメタにやられた身ぃじゃ。
 言い出せるわけがないろう!

 …

 腹を見せんがかえ西郷!」

 って、実際に西郷のお腹を見ようとする龍馬(笑)。 そのハラかよ!(笑)

 「この腹には、南方仁に助けられた傷があるろう…!

 死にそうになっちょった時に、みんなぁが腹を切る手術ゅに反対し、おんしはいっぺんは、手術は要らんちゅうて、はねつけとらんかった。 ほいじゃろう?

 そん時に、南方仁は何をした?

 ああ?!

 お願いだから! おまんを助けさせてくれち! 土下座をしたがじゃろう!

 ほうじゃき、みんなぁの前で、その手ぇにすがることができたち、そう言うたではないがやないかえ!

 そのおんしが、どういて長州の気持ちを、汲んでやれんがじゃあ!」

 いや、なんか、「龍馬伝」 で福山龍馬がどうやって薩長同盟を成し遂げたんだか、もう記憶のかなたに飛んでしまうような、「完全フィクション」 による説得でした(笑)。

 そして川越からの帰り道。

 どうやって恵姫を説得したのか?と訊く南方に、咲は将軍から下賜された櫛を見せた、と打ち明けます。 葵の御紋と天皇家の菊の御紋のセットですからね、和宮の櫛は。 「ひぇ~っ」、でありますね。
 それと併せて、咲は自分の南方への思いを説得の材料にしたらしい。

 「実は、私にも、お慕いしているかたがございました。
 けっして一緒になることはできませぬが。

 私が、意地を張ってしまったからでございます。

 人として、張らねばならぬ意地でございました。

 悔いはございませぬ。

 けれど、時折、ふと、思い浮かべてしまうのでございます。

 そのかたと、そのかたによく似た子と、一緒に暮らす姿を。

 …奥方様。

 意地を張っては、ろくなことがございませぬ」

 意地を張って後悔する自分を見せることで、恵姫に手術を決意させる。
 お初に折ってあげた折り紙の紙を大事そうにする咲を見て、南方は前述したとおり、咲に自分以外の人との結婚を勧めるのです。

 「咲さん。
 私に気兼ねしないでくださいね。
 医者になることと、女性としての幸せは、両立できないものではないし、これという縁があれば、私のことは気にせず、結婚を…」

 咲は毅然として、怒ったような口調で答えます。

 「よく…よくそのようなことをおっしゃいますね。

 わたくしの幸せを、勝手にお決めにならないでくださいませ!

 先生にだけは、おっしゃってほしくないのでございます!」

 自分はあなたへの思いを苦しみながら断ち切っているのに、どうしてそんな残酷なことが言えるのか?という問いかけですよね。
 南方はおそらく、そこまで咲が激高するとは思っていなかったのでしょう。
 けれども南方のほうにも、もやもやとした思いは、ずっとすくぶっていたのです。

 「じゃあ、なんであのとき、私は断られたんですか?

 私がいつか、…いなくなるからですか?」

 南方が未来にいつか帰るのではないか、という可能性は、ふたりの間に重たく横たわっています。
 でも、人は必ず死ぬのも同じこと。
 いつかいなくなる日のことを考えてばかりいては、そんな日を怖がっていては、人は誰とも付き合うことができません。
 咲さんはそんな日を恐れて、逃げているんじゃないのか?というのが、南方の問いなのです。

 「わたくしとて…」

 やり場のないイライラを南方にぶつけようとする咲。
 そのとき、お初が重症の状態で運ばれてくる。
 南方が折ってあげた紙ヒコーキを追いかけて、土手から転げ落ちたのです。
 体には、萱のようなものも突き刺さっている。

 そしてお初の手術中、南方に例の激しい頭痛が襲う。
 南方は自分の体が手の部分から消えていくのを見て、驚愕します。
 「いつかいなくなる日」 が今、来たのだ、と咲は刮目し狼狽する。
 咲の目の前から、南方は完全に、姿を消します。

 これってどういうことなのか。

 お初に紙ヒコーキを与えたのは、南方です。
 だから紙ヒコーキを追いかけてお初が重傷を負ってしまう、というのは、もともとありえなかった筋書きなのです。
 だからお初を助け出そうとすると南方が消えてしまう、というのはおかしい。 手術はうまくいきかけていました。 南方が消えてしまうとすれば、お初が助からない場合しかあり得ない気がするのですが。

 しかしここでの大前提、「お初が南方のご先祖様」 ということも疑ってかかる必要がある気がします。 これって南方に電気がビビビって来たことで、勝手にこっちがそう思い込んでいることですからね。

 う~む、次回を待たねばなりません。

 そしてその出来事と同時に、寺田屋事件が勃発。
 応戦しながら手首に例の重傷を負ってしまう龍馬ですが、その背後から、東の目線が龍馬を蹂躙する。
 龍馬はそのまま討たれてしまうのか?
 って、これはないでしょう(たぶん)。
 龍馬が危ういところを東が助けるために刀を振りかざしたんだと思いますよ(どーかなあ…)。

 見応えあるなあ、やっぱり…。
 次回南方は、現代に戻ってしまうんでしょうか? 「オレの生まれた日」 とか言ってませんでしたか?
 現代に戻るったって、そこじゃないってば…(笑)。

 それにしても毎回毎回、いちばん最後に出てくるちっちゃ~な映像。
 ズームしたけど分からない(笑)。
 なんなんですかね、アレ?

当ブログ 「JIN」 についてのほかの記事
第1部

第1回 荒唐無稽との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---1-e9ae.html
第2回 建前との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---2-f3b1.html
第3回 自分の病との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---3-3290.html
第4回 女としての闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/---4-542b.html
第5回 梅毒との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---5-9dba.html
第6回 リアルとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---6-25d6.html
第7回 明日のための闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---7-87b0.html
第8回 自分の器との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---8-e9a7.html
第9回 心意気どうしの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---9-8cf0.html
第10回 ああもう、どうなっちゃうの?との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---10-670a.html
第11回(最終回)続編あるかどうかとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---7290.html
番外 続編の可能性を、もう一度考えるhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---a138.html

完結編
第1回 いますべきこととの闘い!① http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-577a.html
第1回 いますべきこととの闘い!② http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-7d0d.html
第1回 いますべきこととの闘い!③ http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-c8e9.html
第1回 いますべきこととの闘い!④ http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-6f3f.html
第2回 自分の願いとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---2-4ed0.html
第3回 人を思う気持ちとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/05/jin---3-ab26.html

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2011年5月 8日 (日)

ポール・マッカートニー再々婚について(祝…)

 元ビートルズのポール・マッカートニーさん(68)がこのほど再々婚をなさったらしくて。
 ビートルズファンを自称するならば一応祝福の記事を書かねばなりません。

 とはいえファンとしては少々複雑。
 先のなんとかとかいう女との結婚で莫大な慰謝料を払って、みたいなことをしたばかりだというのに、いや~お元気というか懲りないというか。 そのバイタリティには敬意を表したい。
 まあ、今度のお相手はもともと裕福らしいので、我々ファンがバカ女のために慰謝料を間接的に支払うみたいなふざけたことにはならないとは思いますが(かなり辛辣)。

 いずれにせよ、我々ファンとしては、やはり最初の夫人であったリンダさんへのシンパシーがいまだに根強いということは言えると思います。 ポールなんかよりよほど強いのかな。
 いや、それはやはりファンとしての勝手な思い入れでしょう。
 リンダさんは、ポールの音楽に深く関わりすぎた。
 だからこそ我々ファンの記憶のなかに確かな形として残り、自分たちの思い出と強力に結びついているリンダさんにも親しみが大きいのです。

 ポールがプライベートな幸せを手に入れるのは、確かに祝福すべきことです。 リンダさんがいない寂しさというのは、別に四六時中一緒にいるわけでもなかった我々ファンと比べれば、ご本人のほうがよほど強いに決まっているのですから。
 そんなさびしんぼうのポールが、今度はきちんとした女性と巡り合ったのだとしたら、とても喜ばしいこと、なんですよね。

 ポールは去年から、自分のビートルズ以降のソロ作品をアーカイヴ・コレクションとして再発売し始めています。
 私もビンボー人のクセして第1弾の 「バンド・オン・ザ・ラン」 のスーパーデラックス盤1万円也を購入いたしまして、アマゾンにレビューも出させていただきました。http://www.amazon.co.jp/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B3-%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%E5%AE%8C%E5%85%A8%E9%99%90%E5%AE%9A%E7%94%9F%E7%94%A3%E7%9B%A4-%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%BC-%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%B9/dp/B0041IPDKY/ref=pd_sim_m_8

 アドレス長ゲェ…(笑)。

 来たる6月には、その第2弾として 「マッカートニー」「マッカートニーⅡ」 の再発も予定されています。 買わずばなるまい。
 このことからも分かるように、ポールは今までの自分の人生を、総括しにかかっている。
 そんな彼が人生をどのように謳歌しようとも、ファンの立場としてはそれを思い切り応援していくしかない、個人的にはそう考えておる次第です。

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2011年5月 7日 (土)

「高校生レストラン」 第1回 思ったよりみんなやる気がある

 三重県に実際にある高校生たちのレストラン、「まごの店」 をモデルとしたドラマ、「高校生レストラン」。 最近の日テレ土曜9時枠ドラマではコメディタッチが続いていたので、その手の 「○○ボーイズ」「××ガールズ」 みたいな話なのかな、と思っていたのですが、タッチはあくまで徹底してシリアス。 ちょっと笑える場面があったほうが息抜きになった気もします。 なにしろ見ているあいだ、緊張感がずっと継続していたように思える。

 町おこしの一環として、そしておそらく受験生誘致の目的もあるのでしょう、この高校生たちによるレストランは役所や高校側の思惑が絡んだ、いい加減なものではないプロジェクトとして成立している。
 そこに赴任してきたのが、銀座の一流の店の板前をしていた、TOKIOの松岡昌宏クン。
 銀座の一流店を辞めた原因は、第1回では明らかにされていません。 彼は教員免許もとりあえず持っていて、この高校生レストランを主宰している高校に教師として赴任するとともに、料理指導主任として抜擢され、故郷の三重県に帰ってくるのです。

 彼のキャラクターはあくまで硬派。 実家で住職をしているオヤジさん(原田芳雄サン)(私がこのドラマを見ようと思ったきっかけが原田サンであります)に 「一人前の料理人になるまで帰ってこない」 と啖呵を切ってしまったために、とても顔を合わせづらい。
 ということはですよ。
 松岡クンは銀座の一流店にいた、とはいうものの、まだまだ一流の腕前には達していない、ということなんでしょうかね。

 彼を呼び寄せたのが役所職員で松岡クンの幼馴染、伊藤英明サン。 うーん、なんか熱血で、結構松岡クンとのぶつかり合いが期待できそうであります。 「海猿」 で名をあげたために、役所職員、という役どころが何となく物足りない気もするのですが。

 で、着任早々文化祭のノリの高校生たちを松岡クンは一喝、まずは厨房の掃除を強要する。
 これは、商売としてやろうとしている以上、実に当然の判断なのですが、ハンパな気分で遊び半分でやっている生徒たちは松岡クンに反発、即刻辞めてしまう。

 ところが残った生徒たちは実にやる気満々で。

 そのなかで神木隆之介クンは実家が定食屋をやっていることもあって腕もよく、左利きだったことを松岡クンに問題視されるのにもかかわらずそれを矯正しようと努力したり、残った生徒たちを牽引する役割を果たしています。
 残った生徒たちはおしなべて、プロ意識の片りんを抱えている、と言っていい。
 そのなかで神木クンに好意を持つ川島海荷チャンだけが、高校生じみた仲間意識にとらわれている。
 でもそんな仲間意識は、一度世間に対して商売として勝負をかけよう、と決めた以上は、邪魔なものでしかないのです。

 生徒たちがこのように、最初ふるいにかけられたとはいえ、厳しい松岡クンについていく姿勢を示すことで、このドラマは 「スクール・ウォーズ」 や 「ROOKIES」 みたいな(私両方ともマジメに見たことないんですが)学園熱血モノへと一気に変貌します。
 キュウリを切り刻み続けることを課せられた彼らは、不満を抱きながらもそれを粛々として行なう。
 関係者を集めて行なわれたシュミレーションでも、それに取り組む姿はすでに覚悟が座っていて、まったく甘えた部分を見せようとしないのです。

 ところが、その彼らの気負いが悪い方向に作用してしまう。
 基本を叩き込ませる、と松岡クンが考えたダシ取りに、松岡クンが不要と切り捨てたサバ節を、「もっと味を良くするために」「自分たちの味を出すために」 彼らのリーダーである部長が入れてしまうのです。
 ほんの少しだけ入れた、というサバの臭みを松岡クンは瞬時に嗅ぎ取り、サバ節を入れた部長を責めるのですが、そのシュミレーションに参加していた関係者たちが 「高校生にしてはよくやった」 と言うのを聞いて、たまらずその場を飛び出してしまう。

 松岡クンにしてみれば、「高校生だから」 という中途半端さがどうしても我慢できなかったのと同時に、そんなアドバンテージを周囲に勝手に作ってもらっちゃってる彼ら高校生たちを本気で指導する覚悟がそもそも自分にあったのか?ということに嫌気がさし、彼らの指導を降りようとするのです。
 そんな松岡クンをいったんは慰留しようとするのですが、松岡クンの中途半端な覚悟を知った伊藤サンは、「じゃあ辞めろ、辞めてくれ!」 と慰留をやめるのです。
 熱血だなあ。

 こういう、ハンパな覚悟を何より嫌う、という空気、やっぱり 「スクール・ウォーズ」 だなあ。 (遅れてきた)青春ドラマだなあ。

 そこに、高校生たちがちゃんとしたダシを作った、という報せが届く。 松岡クンはあらためて高校生たちの料理指導を開始するのです。

 思ったより硬派な作りに、私みたいなちゃらんぽらんな人間はちょっとはじき飛ばされてしまいそうなんですが、とりあえず来週も見てみます。 なんとなく個人的に、物語にどうやって広がりをもたせるんだろうな、という興味はありますので。

 それにしても役所の職員として登場していた金田明夫サン。 「金八ファイナル」 に出ていたんでしょうけど未見なので、去年の 「鉄の骨」 以来だったんですが、あれから1年たってないのに、なんかエラク痩せましたね。 ご病気でなければ、相当ダイエットをしたんじゃないかな~なんて思いながら見ておりました。

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「江~姫たちの戦国~」 第16回 無理を通せば道理が通らぬ

 秀吉の天下から大阪城の興亡を描くうえで、作り手がいちばん重要視しているのは 「いかにして茶々は秀吉にシンパシーを抱くようになっていったのか」、という一点に尽きている…、今回の話を見ていてつくづくそう思いました。

 史実を見る上で、それは確かに不可解な一点ではあります。
 秀吉は茶々の肉親を次々と葬り去った不倶戴天の敵であるはずなのに、茶々はそんな秀吉の子供を産んでいる。 まあ誰の子かは諸説ありますが。

 このドラマで作り手は、この不可解な史実をピュアな恋愛物語に仕立てあげようとしているところが見える。
 その第一歩に、作り手は秀吉をイケイケドンドンの押しの一手のゴーイン極まりない男、として打ち出し、彼のすべての行動のモチベーション(動機)を 「茶々の愛を勝ち取るため」 という一点に収束させている。

 これって相当ランボーな設定、だと思います…(笑)。
 この設定によって、秀吉が関白になったのも、茶々に気に入られたいがため、というスンゴイ解釈になってくるからです。

 茶々と秀吉の感情の動きに重きを置くあまり、この物語の主人公であるはずの江は、ここ数回、狂言回しという役回りに格下げされています。 今回も秀吉が茶々の気を引くために自分は将軍になると言い出すのですが、それに呆れて江が軽口をたたくと 「そりゃ名案だ」 ということになり、結果江の軽口が関白になる土台となった、という 「子供の軽口で政治が動いていく」 もっとも唾棄すべき展開を示していく。
 それもこれも、すべては茶々のため、なのです。

 そして 「そんなガキみたいなことを秀吉に進言したのは誰だ」 という話になるたびに、言い出しっぺの江が肩身を狭くする。
 このギャグを見せたくて作り手はこういう話を作っているんだと思っちゃうんですけどね。
 いずれにしたって江は茶々を秀吉の魔の手から守ろう、という自分の決意とは裏腹に、秀吉をますます勢いづかせてしまうばかりになってしまう。
 そんな逆効果も作り手は意図している気もする。

 そしてドラマのキモを千宗易が持っていってしまう、という構図からも脱却できない。

 宗易は秀吉のあくなき出世欲に 「そりゃ無理だ」 と呆れかえるおねや江たちを前にして、「無理というものは、人の心が作りだすもの」 という珠玉の言葉をここでも繰り出すわけですが、そのひと言を宗易がしゃべるシーンを見たら、もう他はすべて無意味なシーンの連続、となりかねない危うさに、このドラマは満ちている(かなり辛辣に書いて申し訳ないです)。

 そしてドラマを限りなく薄っぺらくしているのが、秀吉のモチベーションをすべて茶々へ帰着させる、その使用言語にある。

 今回の 「江」 を見ていて作り手の要求にこたえられる力量を備えているのが、意外なことに足利義昭を演じた和泉元彌サンだった気がします。
 力量、というとちょっと語弊があるかな。 脚本の持つコメディタッチにひとかどの味わいを持たせる 「相性」 がある、と申しますか。

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「おひさま」 第5週 「深刻」 のスルー

 「おひさま」 第5週のメインは週ごとの副題の通り陽子(井上真央チャン)の失恋話なのですが、それと同時に家族や、女学校時代の結びつきがほどけていく、新しい世界への扉が見え始めた週でもありました。

 その先鞭を切ったのが幼馴染のユキ(橋本真実サン)との再会。 陽子もユキもふたりとも幼い日の面影が全くないのですが(笑)陽子が教科書が新しくなるたびにそれを書き写してユキに送り続けていた、というくだりから、このふたりの固く結ばれた友情は 「白紙同盟」 のふたりとはまた異質の長い歳月を感じます。
 だから再会を喜び合うふたりが幼い時と別人でも(笑)何の違和感もなく感情移入して、泣けてしまう。 物語がとても自然であるからこそ、泣けてしまうのだと思うのです。

 ユキは陽子が書き写してきた教科書を勉強したことによって奉公先で認められ、正社員として神戸で働くことになったのです。 よかったよかった。
 そして幼い時からのこの地道な友情の踏み固めが、「ユキにとって陽子は先生も同じ」 という構図を作り出している。
 そこにおばあさま(渡辺美佐子サン)から自分の母親(原田知世サン)が教師になりたがっていた、ということを聞いていたことも併せて、「自分は教師になろう」 という決意が陽子に芽生えるのです。
 陽子の生きる道を決める要因が、さまざまな事象から形成されているのが、なんかとても自然で感心します。
 しかも現在の陽子(若尾文子サン)は、激しくもったいぶりながら(笑)ユキとの関係がこの先復活するであろうことを匂わせている。
 布石を置きまくっている、という感がとてもするのです。

 「おひさま」 現代編の大いなる特徴は、房子(斉藤由貴サン)のウザいテンションもさることながら(笑)物語に布石を置きまくる、という役割もいっぽうでは果たしているように感じます。

 そのひとつが、昭和編の登場人物たちのその後の消息。
 タケオクン(柄本時生クン)のその後に犬塚弘サンを配し(このふたりあまりにも似てるので大笑いしました)いまだに陽子を思っているタケオクン、という構図を作り出していたし、今週は育子がガラパゴス諸島を旅している、というブッ飛び老女ぶりも披露されました。
 気になるのは真知子(マイコサン)のその後。
 なんか薄幸そうな気がする。

 陽子が失恋をしてしまう初恋の相手、川原(金子ノブアキサン)も、結婚を宣言した相手のタエ(中村ゆりサン)を満州で失ってしまうことになるらしい。
 今週前半の話は、目の前でその結婚の申し込みを見せられてしまった陽子の決壊しそうになる思いが繊細に描かれていて、秀逸でした。

 まず陽子の兄茂樹(永山絢人サン)が陽子の川原への思いに気付いてしまい、それを父良平(寺脇康文サン)兄春樹(田中圭サン)に打ち明ける。
 そのことで大いに狼狽する3人のニブさ、見当違いの気の回しかた、もうすべてが可笑しくて笑いまくったのですが、実はそれが陽子に与えられたショックを効果的に見せるためのいわばお膳立てであったのです。
 そして自らの家族に話しても全く取り合ってもらえなかったことから、川原は須藤家のこの4人に対して、「自分はタエさんと一緒になって満州へ行きたい」「このことを祝福して下さい」、と切り出します。
 陽子の思いを知っている須藤家の男3人は、川原の、家庭の事情から須藤家を頼ってきた思いにもこたえなければならないのですが、いかんせん陽子の川原への思いに気付いてしまっている。 判断に迷う気まずい沈黙が流れます。
 その沈黙を破ったのが陽子。
 失恋の涙を 「話を聞いて感動してしまった」 という涙へとごまかして、自ら率先して、川原とタエの仲を祝福するのです。
 陽子がどんな思いでこの行動に出ているのかがじゅうぶん分かっている父親と兄ふたり。 陽子に促される格好で、川原たちを祝福します。
 いいですなあ。 この、「相手を思う気持ち」 の交差しまくりの構図は。

 陽子がタエと会話をし出すとすぐに、見る側はタエが結構方言出しまくりの女性であることに気付くと思います。
 案の定、その夜陽子の部屋で休むことになったタエから、陽子は彼女が幸薄い境遇であったことを聞かされるのです。

 「川原さん、『君が、ぼくにとって必要な人なんだ』 って言ってくれて。
 あたし、生まれてから、ずっとじゃまにされてて。
 『オメエなんか預かりたくなかった』 とか、『食わせる飯はねえ』 とか言われて育ったし、いろんな仕事したんだけど、どこでも、『お前の代わりなんかいっくらでもいるんだぞ』 って言われてて。

 生まれて初めてだったから…。
 『必要なんだ』 って言われたの。

 うれしくてうれしくて。

 だから、ちいとでも一緒にいたいなと思って。
 『お前が必要なんだ』 って言われる女でいたいなって、それだけでいいって思ったの」

 そんな会話をつづけるふたりの耳に、川原の吹く 「月の砂漠」 のハーモニカの音が流れてきます。
 陽子にとってそれは、川原とのとても大切な思い出の曲。
 うう、泣ける。

 この人は、川原さんに愛される資格のある人なんだ――。
 陽子にとってそう思わなければならないのは、つらいことです。
 陽子は川原とタエを須藤家の玄関先で見送るまで、気丈に過ごします。
 見送ったあと、父親と兄ふたりは、陽子の頭を優しくポンポンとなでる。
 陽子は彼らが陽子の本当の気持ちを知っていることに、たぶん気付いていません。
 でも父と兄たちの 「よく取り乱さずに頑張ったな」、という思いがそこには凝縮されている。

 けれども陽子は緊張の糸が途切れたのか、そのあと数日、寝込んでしまいます。
 しばらくして女学校に登校してきた陽子。
 授業中だったにもかかわらず、真知子と育子(満島ひかりチャン)の顔を見た途端、今までたまりにたまっていた思いが、決壊してしまう。

 父も兄もじゅうぶん優しいにもかかわらず、やはり自分の本当の気持ちを打ち明けられるのは、家にいる男どもではなく、親友なのです。
 ここは泣けた~。
 英語の教師(近藤芳生サン)が 「だから女は」 と苦虫を噛み潰すのに 「シャラップ!」 とくぎを刺す育子にも拍手。

 馴染みのアメ屋で陽子を慰める真知子と育子。

 「大変だったね」
 「よく頑張った」

 「ウン…私よく頑張った」

 「エライよ」

 「ウン…えらい」

 泣きじゃくりながら自分をほめる陽子に、こっちももらい泣きしながら笑ってしまうのですが、このドラマの特異な点はここにあると思う。
 本当に深刻な方向に、ドラマが流れていかないんですよ。
 心から同情しながらも、育子は 「でも、目の前で求婚を見せられるなんて、なんだか笑っちゃう」 と陽子の一世一代の失恋を笑い始めてしまうのです。
 まさにそれは、木っ端微塵の失恋(笑)。
 それを笑い飛ばすことで、3人とも落ち込んでしまうというネガティヴなベクトルを、ドラマは拒絶するのです。

 現代編の斉藤由貴サンの役割も、部分的にはそんなところにもあると思う。
 なんかウザいなーと思いながら、見る側は深刻さから救われているのです。

 そして物語は、女学校後、に向けて歩き出します。
 まずは茂樹の予科練合格、そして育子のトンジョ合格(こっちには裏があるみたいですが)。
 個人的な話ですが、来週もおとなしく、1週間分1時間半を、見られますでしょうか。
 乞うご期待、であります。

「おひさま」 に関する当ブログほかの記事

第1回 情緒に訴える形のドラマ
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/1-4227.html
第1週 まっとうに生きるということhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/1-f504.html
第2-4週 現代の価値観で昔を見ることの愚かさhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/05/2-4-b6a4.html

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2011年5月 6日 (金)

「マインド・ゲームス」 の自虐性

 ジョン・レノンが1973年に発表したアルバム、「マインド・ゲームス」。 世間的にはあまり評価の高くないアルバムである。
 かく言う私も、このアルバムのジョンは、いかにも中途半端だな、そう思う。

 ジョンがこの時期中途半端だった、というのにはヨーコとの関係がぎくしゃくし出したことが主たる原因だと一般的には解釈されている。
 その蜜月の終わりにジョンがいかに自分を見失いつつあったのかが見えて、このアルバムは逆に興味深い。

 まずタイトル曲の 「マインド・ゲームス」 の全体的な質感が、とても軽い。
 曲自体のイメージはとても壮大で、朗々と歌い上げるタイプの曲であると個人的には思われるのだが、それに合致するアレンジは、やはりベースを中心とした低音部分を強調するものにするのが適当ではないだろうか。
 けれどもこの曲のベースはヤケに抜けた音になっていて、その反面ストリングスを模したようなスライドギターの音量がとても強調されているように感じる。 まるでこの曲のアレンジの生命線は、そこにしかない、とジョンが思い込んでいるかのようだ。
 その結果この曲の持つ壮大性は大きくなりをひそめ、まるでロード・ムービーでも見ているかのような、毎日をあるがままに生きているジョンの姿だけが浮き彫りにされてくるような印象を強く受けるのだ。
 「まるで 『イマジン』 の小型版みたいだ」 という評価が73年の発売当初から言われていたのには、そんな理由があると個人的には思っている。 「イマジン」 には低音部分が強調された 「どっしり感」 があるが、この曲にはそれがない。
 楽曲が優れていることには論を待たないのだが。

 この曲にはジョン独特のヨーコへの思い、またはあてつけみたいなものが含まれているのではないだろうか。
 個人的な妄想で誠に申し訳ないのだが、この曲のタイトルは、空耳的に日本語のある卑猥な単語をダブルミーニングにしているように感じられてならないのだ。 曲途中に出てくる 「マインド・ゲリラ」 にしても同じ。 小学生レベルの話で恐縮だが。
 ただジョンはこの時期すでにそこまでの日本語の知識を身につけている、ということは考えられる。 このタイトルに乗せてジョンは、「君のからだが恋しい」 という思いを託し、同時に 「なんだ冷たくしやがって、このアマ」 という感情もぶつけているように感じる。
 実に妄想ですな。

 ただこのアルバム全体に流れる空気には、「君が恋しい」「冷たくしやがって」 という相反した感情が横溢している、個人的にはそう感じる。

 「あいすません」 は日本語に乗せてヨーコへの謝罪を展開しているし、「ワン・デイ」 は 「ユー・アー・マイ・サンシャイン」 のジョン・レノン版とでも呼べる大っぴらなヨーコ讃辞になっている。
 だいたいがヨーコに対する思慕の念で埋め尽くされているように感じるのだが、そこには同時にジョンの苛立ちも垣間見えるのだ。
 その感情をジョンは自分のルーツであるロックンロールに委ねることで、なんとか解決をはかろうとしているようにも思える。 「タイトA$」「ミート・シティ」 だ。
 それまでのジョンのソロ作品にもロックンロール基調の曲がなかったわけではない。 だがそれは自分の表現方法のひとつとして確立したスタンスでロックンロールを用いていたのに対して、このアルバムでのジョンは、ロックンロールを自分の原点回帰の道具として見做しているように感じられてならない。 見失いつつある自分を取り戻す道具としてロックンロールをとらえ、ロックンロールの激しさに自分の行き場のない鬱憤をぶつけている気がしてしまうのだ。
 ヨーコに面と向かって文句が言えないほどに憔悴しているジョンを、かえってそこに感じたりする。

 このアルバムでの白眉の一曲 「アウト・ザ・ブルー」 にしても、彼が当時UFOに傾倒していたことは理解できるのだが、なにも歌詞の一部に入れることはなかろう、と思っていた(笑)。 私がこのアルバムをはじめて聴いたのがピンク・レディが活躍していた時期だったから余計にそう思ったのかもしれないが(笑)。
 ポール・マッカートニーだったら、イントロでこれだけアコースティックギターの傑作なピッキングを聞かせたらそれを曲の終わりまで引っ張るだろう、と感じるのだが、ジョンはここでもアコギの傑作スコアがなんだ、ぶっ壊してやる、とばかりにその静寂を破壊しにかかる。 これはこれでアリなのだが。 まことにジョンらしくもあるが、ジョンの自暴自棄になりかかっている自虐的な精神状態も、同時に感じてしまう。

 そして 「オンリー・ピープル」「アイ・ノウ」「ユー・アー・ヒア」 の3曲。 そのまま聴き流してしまうと、実に退屈な曲に思える。
 実際この曲を弾き語りで弾いても、途中で嫌になったり眠くなったり…これは自分だけの感覚なので何卒ご理解を。 ただ最後まで弾き語りするのには結構精神力が要る、と申しますか…(笑)。 あまりに仕掛けがなさすぎるんですよ、ジョンの曲にしては。
 ただレコードを注意深く聴いていると、実に新しいアプローチがなされていることは分かるのですが。

 このアルバムで顕著なのは、実はその 「音楽的な新しいアプローチがいろいろなされている」、という点。
 そのもっとも特筆すべきものはレゲエ・リズムの導入、なのだが、ジョンも参加ミュージシャンたちにそれを説明するのには骨が折れた、と語っているように、実際アルバムを聴いてレゲエが咀嚼されているか、と言われれば、「どこが?」 というレベルのものでしかない。 ジョン自身ヨーコとうまくいっていないことと併せて、自分の頭のなかにあるイメージが具現化しないことに対するイライラも相当あったのではないか、と感じられるのだ。

 70年代前半のジョンの音楽的なアプローチを見ていて思うのは、ゴスペルとかレゲエとか南国風とかディスコとか、広範囲にアンテナを伸ばして貪欲に自分のものにしようとしていたところ。 でもそのことに対してジョン自身が情熱を失いつつあることも、なんとなく感じる。
 「マインド・ゲームス」 というアルバムはそんなジョンの、自分を見失いつつある要因が降り積もっていく様が見てとれるアルバムなのだ。

 ジョンがヨーコに見捨てられる、と感じたときに、いったい彼は何を感じただろう。
 それまで自分が絶対に正しい、と思っていたヨーコとの活動を自ら振り返り、そのあまりの常軌の逸しぶりに、自分を見失った有名人かぶれの愚行を感じたかもしれない。 そんな愚行の揺り戻し的な自虐性が、アルバム 「マインド・ゲームス」 には溢れている。

 次回作 「心の壁、愛の橋」 になるとその精神的な迷いがほとんど感じられない。
 確かにこのアルバムはヨーコを失った完全なる自暴自棄の時期(シャレか)に作ったアルバムなのであるが、その分音楽を作り込もうとするベクトルに気持ちが向いている、ある種の潔さが感じられるのだ。
 たしかにそこには、自分を虚飾して悲しみを隠そうとするジョンの痛々しい姿も感じることができる。
 ただし 「マインド・ゲームス」 全体にかかっている行き場のない霧を、そこに見ることはない。

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2011年5月 5日 (木)

閑話休題(連休が、終わります…)

 2日前の閑話休題で 「たまったドラマを見倒してレビューを書き倒して…」 みたいなことを書きましたが、どうも暇になるとやる気が失せる、というパターンに陥ったまま、私にとっての連休が、あと数時間で終わります(これから夜勤なもので)。

 確かにHDDにたまったものは見倒したのですが、別に普段からレビューを書くまでに至らない番組ばかりで。
 そのうち 「よみがえる大河ドラマ デジタルリマスター版」 もやはり途中まで。 緒形拳サンが弁慶の仁王立ちをする 「源義経」 はなかなかおもしろかったのですが、幕末を描いた 「三姉妹」 は歴史上の人物が大挙して登場するのに頭がついていかず、やはり途中でリタイア。 「竜馬がゆく」 は北大路欣也サンの龍馬と水谷良江サンの乙女が注目だったのですが、演出を担当した鬼才・和田勉サンの演出方法なのか、登場人物がまるで早口言葉のようにセリフをまくしたて、何を言ってるのかほとんど分からず(笑)。 「樅の木は残った」 も総集編のため異常に長くて見る気がせず。 この 「樅の木」、放送当日は私が去年書いたテレ朝の田村正和版の記事にアクセスが集中。 いかに原田甲斐や伊達騒動についての関心が高いのかを如実に示しているなあ、と思っていたのですが、4時間以上の話に付き合えませんでした、結局。

 したがって 「金八ファイナル」 の長丁場にも食指が伸びず、「TAROの塔」 にとどめをさすことも叶わず、昨日リアルタイムで見た 「リバウンド」 でようやく記事を書く気になり、1時間かからずに書きあげてしまったのですが、時間を置いて読み返したら論旨がかなり過激で。

 別に批判的なことを書こうとしたわけではないのですが、読みようによってはけなしているようにも思える。 ここで弁明いたしますが、別に他意は全くありません。 太っている人をけなしているわけでもないし、ドラマの作り手をけなしているわけでもありません。 しかしながら過激な部分は書き直しを迫られました。

 今回HDDのたまったものを見倒したことで、HDDの容量がかなり回復いたしました。 それくらいでしたでしょうか、私の連休の成果は。
 結局何もできなかった虚しさにさいなまれております。
 かえって毎日仕事しながらの執筆のほうが、文章も引き締まるものなのかな~なんて、考えております。

 連休なんて要らないから、6月に旗日を作ってほしいものであります。 月に2回くらいは欲しいです。 週休2日が常態化しているかたには、どうでもいいお話なんでしょうけどね。

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2011年5月 4日 (水)

「リバウンド」 第2回 なにが言いたいんだ、このドラマ?

 衝撃の展開(笑)。

 もともとネタバレしまくりのこのブログなんでのっけからばらしまくりますが、今度は速水もこみちクンまで太っちゃって。
 要するに今回の話をざっくりと申し上げますと、再び太ってしまった大場信子(相武紗季チャン)が4週間にわたる過酷なダイエットの結果また痩せたのですが、信子に食べさせるための新作シュークリームを作っているうちに、おそらくそれの試食を自分ひとりでやったため、今度は今井太一(もこみちクン)のほうが太ってしまった、ということなのです。

 もともとわざとらしさが付きまとう特殊な笑わせ方をしているために、第1回目ではおそらく視聴者を思い切りふるいにかけた格好となっているはず。
 そのハードルを乗り越えて第2回目を見た私のような視聴者にとって、初回ほどの嚥下不良感はなくなり、ゲラゲラ笑わせていただいたのですが、見終わったあとにずっしり来るものが、あまりない。 ストーリーをざっくりと語らせてその内容の大部分を言い表わせてしまえる、ということからも、ほとんど中身のないギャグに神経が注ぎ込まれている証左だと言ってもいい(批判しているわけではないので念のため)。

 これって私にとって、とても不可解なのです。

 今回のドラマのキモ、と思われる部分でも、前回と同じように信子の太一に対する 「○○でちゅねーボクちゃん」 というキレたセリフから始まるのですが、そのセリフに、深みがあまり感じられないんですよ。
 これは同じ遊川和彦サンの前作 「曲げられない女」 と同じような 「主人公の逆ギレによって主題を浮き彫りにする」、という手法を、遊川サン本人が自ら否定しているのも同然だ、と思われるのですが。

 でもそれって、遊川サンがこのドラマ全体に仕掛けているものを分からなくするため、わざとはぐらかしているように見えて仕方ないんですよ。

 これだけ笑わせてもらって2回目ラストでは衝撃の展開まで用意されていて、それで終わり。
 遊川サンのようなかたがそれで終わり、のドラマを作るはずがない、と私は思うのです。

 だいたいこのような 「太っていること」 をテーマとしたドラマを作ろう、と作り手が考えた場合、考えられるテーマは 「太っていることって、そんなにいけないことなのか?」 ということじゃないかなって思うんです。
 このドラマの登場人物たちは、信子、太一、そして鬼の編集長(若村麻由美サン)を中心として、「太っていることは罪悪」 という固定観念でガチガチに固まっています。 周囲の人々も、信子の友人の栗山千明サンや信子の両親の石塚英彦サン、伊藤かずえサンを除いて、太っている人に対して比較的否定的。
 そんな 「太っていることは罪悪」 と何の考えもなく決めつけている主要登場人物たちが、この先自分のその先入観を改めていくのが、このドラマの主眼になってくるのではないか、普通だとそう思われるのです。
 だからラストでは、信子は相武紗季に戻ることなく、太ったまんまでもこみちクンとハッピーエンドを迎えるのではないか、そう考えられる。

 けれどもこのドラマで野ブタに戻った信子を見ていて私が感じていたのは、「信子の相武紗季時代が懐かしい、早く戻んないかな相武紗季に」 ということでした、正直なところ。

 これって自分だけの感覚だと思うんですが。

 相武紗季(要するに信子が痩せた状態のこと)がカワイイのは当然でありますが、私が見ていていいな、と思うのは、そんな相武紗季が相武紗季のまんま(敬称略しまくりで失礼いたします)、太っていたころの信子のおおらかでテキトーな性格を引き継いでいる、ということなのです。
 相武紗季になった信子って、私が見る限り、「やせた私って魅力的でしょう、ツンツン」 という高飛車なところが全く見受けられない。 つまりそこがいいんですよ。
 かえってリバウンドしてしまった信子を見ていると、自分の食欲に負けただらしなさを体全体で表現している気がして、なんとなく引いて見てしまう。 信子の元恋人、勝地涼クンは信子のそんな太っているときのプニプニ感とそれに伴う母性的なところにイカレてしまっていたみたいなんですが。

 実のところ私も女性はガリガリよりもある程度肉がついていたほうがいいと感じている立場なのですが、でも太っている信子にあまり魅力を感じない。
 これってドラマのなかでキモとなる信子の真剣な本音部分で説得力の弱さが露呈してしまうことで、太った信子に対する感情移入を妨げている、という結果なのではないか、と考えられる。

 とすると、フツーこうした 「おデブドラマ」 にありがちな、「太っていることは悪いことじゃない」 という結末に、ドラマが向かっているように思えてこなくなる、ということなんですよ(分かりにくい論理でスミマセン)。 考え過ぎですけどね。

 で、結局このドラマはどこを終着点にしているんだろう?って、個人的にちょっと分かんなくなっているわけです。

 なにも考えずに笑って見てりゃいいと思うんですが、作り手はこの先、なんか爆弾をもって待ちかまえている気がする。
 あまりにすんなり笑って、あとに何も残らないドラマを見せられて、「これで終わるはずがない」 と買いかぶっている気もするんですが。

 なにしろ 「江」 のドラマにしたって、「そのうちになんかあるだろう」 と思いながら見ていて、なかなかその何かが出てきませんからねぇ…(笑)。

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2011年5月 3日 (火)

閑話休題(福島のこと、キャンディーズ、大橋照アメのこと)

 連休が始まったんですが、なに~もすることなくて。
 テレビ三昧でレビューでも書き続けようかな~。

 本当は福島に里帰りして墓参りでもしようと思ってたんですけどね。 春の彼岸のときに行けなかったから。
 それが先月一身上の都合によりお金を使い果たしまして。 帰省資金がなくなってしまいました。 結構カネがかかりますからね、帰省って。
 私の故郷はお墓が三春、祖母の家がかつてあった場所が田村市という具合にまたがっていて、かろうじて避難区域から外れておりますが、市民会館には避難民のかたがたがあふれ、原発被害の影響をもろに受けていると伝え聞きます。

 そんな故郷の親戚から、今年も春先の自然の恵みである大量のウドが 「送らさって」(たぶん方言ですコレ…笑)来ました。
 それでもその親戚の叔母さんは 「送っていいものか…」 と今年はあまり積極的ではない。
 放射能に汚染されてるかもしれないからって、遠慮しているんですよ。
 「そんな心配など無用なのに福島県民はなんて健気なんだ、政府はこんな人々の気持ちが分かっているのか」 とうちのオヤジはどっかの国の首相にご立腹の様子であります。

 確かに風評被害で壊滅的ダメージ、などと決まり文句のようにテレビでは連呼されていますけどね。 実際のところはそんな言葉だけでは収まらないほどの悲惨な影響がある。

 「被災地の経済を回復させよう」 と被災地産の野菜などを売ろうとするスーパーなんかもあるみたいですが、その裏では容赦ないダンピング、値切りが行なわれているとも聞き及びます。 「どうせ売れないものを引き取ってやるんだ」 と二束三文で買い取って、さも偽善者面して 「被災地復興」 だのとのたまう。
 ほかにも、避難している子供たちに 「放射能がうつる」 とか言っていじめが行なわれていたり、引っ越し業者が放射能を恐れて当該地域の引っ越しに二の足を踏んだり。

 それと言うのも政府がきちんとした放射能に対する健康被害の基準を定めずにただ何ミリシーベルトだの情報を垂れ流し続けているからですよ。
 健康な人が1年間膨大にその食べ物だけを食べ続けて…とか、荒唐無稽な喩(たと)えをするんじゃない、ってことです。 その食べ物だけ食べるわけがないし、いろんな要因が蓄積されていくわけですからね。
 頭の中だけで考えてるから、そんな頭の悪い喩えしか思いつかない。

 復興計画とかいう発想も確かに重要。 でも避難民の生活など今そこにある問題をスッ飛ばして頭の中だけで考えてるから、そんなことに血道を上げようとするわけであり。 目の前にある問題から完全に確実にこなしていかねばならないのに、国会ではあ~だこ~だ。 国会中継を見ていてホントに、「こいつら雁首そろえて国費の無駄遣いだ」 と感じること多々あり。
 で結局、電気料金値上げだ税金値上げだって、政府も東電も、あ~どうしてこう、頭が悪すぎるのか。 どうして自分たちから粛清しなければならないという危機感を持たないのか。
 自己保身、自己保身。

 送ら去ってきたウド、食べますよ、大量にね。 こんなの1年以上続くわけがないんですからね。
 おひたし炒め物。
 あ~なんてうまいんだ。 大人の味。 ふるさとの味。




 文化放送で先週土曜日にキャンディーズのスーちゃんの追悼特番があったらしくて、くぅ~っ聴き逃した。 断腸の思いです。

 「キャンディーズはTBSと共にあった」、とこないだブログ記事でも申し上げましたが、それはテレビでのことで、ラジオでは文化放送と共にあった、という印象が強いのです。
 それはとりもなおさず彼女たちのレギュラー番組、「GO!GO!キャンディーズ」 があったからで。
 毎週日曜の確か午後12時半からの30分番組だったと思います。
 明るい彼女たちの面目躍如の場、でしたね。
 そのアーカイヴが、文化放送には大量に残されていることだったんでしょう。 特番でもう一度、それに触れたかった。

 吉田照美アナを初めて知ったのも、確かこの番組だった気がします。 照美サン 「桂竜也の夕焼けワイド」 で夕焼けトピッカーをしていたらしいんですが、その番組も聴いてたけどあまり印象がない。 私にとって吉田照美サンは、「GO!キャン」 での宛先音頭がいちばん最初の記憶です。 「ゆ、うびんば、んごうホニャラララ」 とかいう感じだったと思うんですが、文化放送の住所を音頭ふうにして告知するという内容で(笑)。 今よりずっと甲高い声だったと記憶してます。 そりゃ若かったですからねー。

 「頑張って」 という言葉を 「ガバテ~」 と置き換えていたキャンディーズの内々での流行り言葉もこないだのTBS特番で実に久しぶりに見ましたが、「GO!キャン」 ではそんな彼女たちの内々話が満載で、そりゃ楽しかったです。 確か 「ガバテ~」 はだんだん変化していって、その発展形として 「ガビシェ~」 なる言葉もあったと思います(笑)。 「ガバテ~ガビシェ~」、とか(笑)。 いかにも若い女の子たちの発想ですよね。 「ミキ!ガバルのよ!」「うん、…私、…負けない!」 とかね(笑)。

 内々話といえば当時ラジオ短波の大橋照子アナと彼女たちはとても仲が良くて、「餃子の会」「焼き肉の会」 という内々の会を勝手に発足させ(笑)、盛り上がってましたねー。
 大橋照子アナはだから、キャンディーズ解散後も彼女たちとの精神的なつながりを持っていたい、という思いから、「大橋照子のラジオはアメリカン」(TBSラジオ)という番組を、日曜深夜だったにもかかわらず熱心に聴き続けたものです。
 「鳥取県の歌」 とかね(笑)。
 リスナーからカセットテープを募集して、それを番組でかけていくんですけどね。
 「与作」 の替え歌で、「鳥取県にはなにもない~」 という抱腹絶倒の歌なんですよ。
 話が大きくずれ始めた…って、今日はつれづれに書いているから別にいいんですが(笑)。
 ナムコが提供でしたその番組。 当時確かゲーセンでのテレビゲーム主体のメーカーのひとつにすぎなくて。 「ゼビウス」 とか 「パックマン」 とかのね。
 そのナムコに入社したい、という若者がおりまして、番組で熱心に宣言したら、ナムコの社長だったかな?に入社が認められて(笑)。
 かなりイージーでしたね、その時代(笑)。
 その後のテレビゲームの隆盛でナムコは一大産業へと発展していくわけですが、「大橋照アメ」 で入社した青年は、その後どうしたんだろうと、今でも考えたりします。 すごくラッキーだった気がするんですが。 会社入ってからも、人っていろいろありますからね。 ナムコで偉くなっていたとすれば、そりゃ武勇伝になってしまいますが。

 話を大きく戻しますが、それにしてもキャンディーズはホントに、元気だった、楽しかった。 そんな彼女たちが、大好きだった。

 さてとどうしますかね。 ちゃらんぽらんな性格なので、「たまっていたテレビドラマを見倒してレビューを書こう!」 などという決意は、いとも簡単に折れてしまうんですが、私の場合(笑)。

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2011年5月 2日 (月)

「JIN-仁-」(完結編) 第3回 人を思う気持ちとの闘い!

 「JIN-仁-」 完結編は、やはり前作からその特徴を大きく転換しているように思えます。
 その表現手法が違うために見る側には、ちょっとした戸惑いが生じることになる。

 完結編で顕著なのは、物語の展開が速いこと。
 そのため、前作で評価の高かった、南方(大沢たかおサン)をはじめとする登場人物たちの微細な心理描写と、くどいくらいの動機づけ、そしてそれが現実問題と鮮やかに合致していた構成の妙が、今回は少しばかりなりをひそめているのです。
 物語はどんどん進行し、ちょっと見ただけでは理解できない部分も、それによって生じてくる。

 これはどうしてか、と受け手が考えるとき、原作のマンガとの兼ね合いに原因があるのではないか、と結論づけたくなってくる。
 今回の完結編では、前作で原作本が到達していた部分の3倍くらいの量を詰め込まなければ終わらない計算になるらしいです。 だからいろんなことを矢継ぎ早にこなしていかなければならないんじゃないか、と。

 もしそうだとすれば脚本家のかたには、原作にあえて忠実である必要なんかありませんよ、ドラマではオリジナルの部分も加えているわけだし、そこがこのドラマのいいところなんだから、と助言してあげたくもなってきます。 お節介ですけどね。

 でも 「続編では前作の表現方法を転換した」、と見る側が気持ちを切り替えれば、そのスピーディさのなかで南方や咲(綾瀬はるかチャン)、龍馬(内野聖陽サン)がどのように時代を見据え、幕末という混乱の時代をいかに生きていくのかに心を奪われるのではないか、そう感じます。

 そしてなにより、南方は現代に戻れるのか――。

 その成否はドラマにとって、大きなカギを握っていると思われるのです。

 ここで重要なのは、この続編が、きっちり前作から2年後、という時点から始まっていることだと思います。
 2年という月日は、南方にとって 「もう元の世界に戻るのは無理だ」 とあきらめざるを得ない過程だった、とは言えないでしょうか。
 2年もそのままだったらなあ。

 そして橘から勘当状態になり、南方のもとに身を寄せている咲は、この2年を、どう受け止めてきたのか。

 それは南方とは全く逆で、「この人はいずれは元の世界に戻ってしまう」、という漠然とした、でも確信に満ちた思いを募らせた過程があったのではないでしょうか。

 前回で大牢に繋がれてしまった南方は、だからこそ自分が死ぬかもしれない、という絶体絶命の状況のなかで、もはや不確定な未来(ミライ)よりも、咲の行く末を見よう、という選択をしたんだと思うのです。
 なにしろ自分が江戸時代で活躍していくことによって、未来(ミキ、中谷美紀サン)の未来(ミライ)を翻弄し続けているんですからね。 もうここまで来ちゃうと、あれこれ悩んでもしょーがねえや~という気分になるもんじゃ、ないでしょうか。

 だったらいま自分が生きている時代を生き抜くことのほうが重要だ。

 だからこそ、南方は咲に求婚をしたんだと思うんですよ。
 牢獄でリンチに遭い、拷問を受けて瀕死状態になったからこそ、南方はそのとき、今の自分にとっていちばん大切な人と一緒になりたい、と感じたと思うんですよ。

 その後押しに一役買っているのは、牢獄での 「つる」 と呼ばれる賄賂を自分が見受けすることで用立てた野風(中谷美紀サン、二役)の言葉。

 「あちきはこれより、おなごの幸せはすべて手に入れるつもりでありんす。
 先生は、我が身のお幸せだけを、お考えくだされ」

 2年も南方の前に姿を現さなかった野風でしたが、前作では南方に、ほのかな思いも寄せていました。 それをあらためて振り切ったうえでの、この野風の決別の言葉には、悲しい決意が秘められています。 その秘めた思いを沈め、牢獄から生還した南方に、野風は 「これより先のご心配は御無用でありんす」 と、冷たく言い放つのです。

 牢獄から戻って再び未来(ミキ)の写真を確認した南方は、相変わらず写真が復活していないことを見届ける。
 南方は消えてしまった未来(ミキ)の写真に向かって、「ごめんな、ミキ…」 と謝ります。
 そして南方は、咲に求婚する。

 けれども咲は南方からの求婚を、きっぱり断ります。

 それは咲が先ほども申した通り(同音異義語ばかりで混乱いたします…笑)「南方先生はいずれは元の世界に戻る」 という確信を持っているからこその拒絶なのです。
 咲は未来(ミキ)の存在が、南方にとって自分なんかよりよっぽど影響力があるという無力感を抱いています。 その思いが原動力となって、「南方先生は南方先生の元いた時代に戻ることが、いちばんの幸せなのだ」 という思いに至っている。

 「お断り申し上げます。

 わたくしの幸せは、先生と一緒になることではございません。
 わたくしの幸せは、のちの世に、仁友堂を残すことでございます。

 わたくしは、先生が、いつかお戻りなるようなことを考えていらっしゃるのが、情けなく感じる時がございました。
 それはなにゆえかと、心に問うてみますれば、先生がお戻りになる未来に、わたくしがいないからなのでございます。

 ならば、残せばよいと思いました。

 わたくしが…わたくしたちが、つかの間、先生と生きた日々を…」

 「戻らないかもしれませんよ…」

 「いいえ。

 きっと、お戻りになります」

 自分はいついなくなるか分からないような人と夫婦になることはできない、と咲は南方を振り切りその場を去るのですが、兄の恭太郎(小出恵介サン)に出くわした咲は、募らせた思いが一気にあふれ出てしまう。

 「わたくしだけ…わたくしだけ幸せになど、なれるわけがないではごさいませぬか…」

 咲は兄の肩に顔をうずめ、さめざめと泣くのです。

 咲は 「南方とお幸せに」 と言って去っていった野風の、南方への思いも気付いている。 そんなに簡単に、割り切れるわけがないですよね。 そんな咲の思い。

 牢獄での悲惨さから南方の求婚と咲の拒絶に至るまで、これを1回でやってしまうことには、確かに性急さも感じないことはないです。
 何しろ話は、江戸と京都の間を往ったり来たりしている。
 それも考慮に入れれば、また 「どこでもドア」 が出現か?と揚げ足をとりたくもなってきます。

 でも物語に没入すれば、そんなことは仔細なことなのだと思えてきます。
 振り返って考えれば、くどいくらいの動機付けはなされているし、そこから 「前だけを見据えて生きていこう」 という力強いメッセージも感じることが出来るはず。
 話がめまぐるしすぎ、などと考えずにそのスピードに没入することがベストなのではないか?と思われてなりません。

当ブログ 「JIN」 についてのほかの記事
第1部
第1回 荒唐無稽との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---1-e9ae.html
第2回 建前との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---2-f3b1.html
第3回 自分の病との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---3-3290.html
第4回 女としての闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/---4-542b.html
第5回 梅毒との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---5-9dba.html
第6回 リアルとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---6-25d6.html
第7回 明日のための闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---7-87b0.html
第8回 自分の器との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---8-e9a7.html
第9回 心意気どうしの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---9-8cf0.html
第10回 ああもう、どうなっちゃうの?との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---10-670a.html
第11回(最終回)続編あるかどうかとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---7290.html
番外 続編の可能性を、もう一度考えるhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---a138.html

完結編
第1回 いますべきこととの闘い!① http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-577a.html
第1回 いますべきこととの闘い!② http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-7d0d.html
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2011年5月 1日 (日)

「おひさま」 第2-4週 現代の価値観で昔を見ることの愚かさ

 ここ数週レビューをさぼっていた 「おひさま」。
 実際に見ておりませんでしたが、連休前半の飛び石休みを利用して3週分、4時間半の長丁場を、…やっと、見ました…(ゼエゼエ…笑)。

 なぜ見なかったか、と申しますと、なんかまったり感が漂うドラマの作りに、1週分の1時間半お付き合いするのが、ちょっとかったるかったため。 しかも現代編の斉藤由貴サンはうざったいし(笑)。

 斉藤サン、昔結構ファンだったので、こういうのを見るのはちょっとつらい。
 しかも第1週に引き続いて、2週目も3週目も4週目もウザったいテンションが継続中(笑)。
 ついに4週目のラスト(つまり毎日の放送のうち、昨日の放送分)では、満島ひかりチャンの感動のシーンを激しくぶち壊しにかかるし(笑)。

 けれども見ていて、この斉藤サンのシーンには大きな意味が存在しているのではないか、という気が、どんどん私のなかでは大きくなっているのです。

 昭和13年、女学校に通う陽子(井上真央チャン)には、ふたりの親友が存在しています。
 お嬢様育ちの真知子(マイコサン)、時代の最先端を行きたがる不良ぶりっ子の育子(満島ひかりチャン)。
 女性蔑視の教師(近藤芳生サン)に抗議してテスト答案を白紙で出した縁で3人は親友としての誓いを立てるのですが、3人を取り巻く時代の空気というのは、良妻賢母が求められるとても窮屈な性格のものです。

 この3人、授業中でもこの3人しかおしゃべりをしていないことから分かるように、当時の規範からはかなり逸脱している印象を受ける。 「白紙同盟」 のきっかけになった 「答案を白紙で出そう」 という取り決めでも、この3人を除いてクラスメイトの全員がその過激性についていけなかったことからも分かる。

 それでもこの3人は学校の帰りに水あめ屋に寄り道したりするのに決死の覚悟で店に入ろうとしていたりしています。
 それに、3人それぞれに真知子は許婚がすでに決められていることを表面上は素直に受け入れようとしているし、育子はしたこともない恋愛話をして不良を 「演じて」 いるし、陽子に至っては、映画館で見知らぬ男(千原せいじサン)に手を握られ、「死にたい」 というほどのショックを受けるし。
 現代の感覚で言うと、「どうしてそんなに卑屈でなきゃならないの?」 というほどのつつましさなのであります。

 けれどもそれは、「良識による精神的縛り」 が顕著だった当時の時代でも、女の子たちは毎日が楽しく、青春を謳歌していたし、規制が厳しかったからこそその禁を破ることの喜びが大きかった、という逆説的な真実が内包されている。

 翻って現代では、斉藤サンのように感情を最大限に露わにすることが可能です。
 うら若い女性が酔っぱらってバカみたいに大きな声でゲハゲハ笑いながら街なかを歩いても、呆れられるけど深刻で重大なことには至らない。
 つまり女性にとっても、もはや 「なんでもあり」 の時代(精神的な面では)。
 そんな 「すべてが許される時代」、リミッターが取れちゃった現代若者女性の母親世代として、ある意味で彼女らの牽引者である象徴として、斉藤サンが配されているような気がするのです。

 その斉藤サンがいきなり登場して昭和編の感動をぶち壊すのは、ドラマのなかで展開される昭和初期のつつましさに、視聴者が包まれているがゆえのことだと思う。
 斉藤サンは、「なんでもあり」 の現代の世の中に、視聴者が感じていることの象徴なのです。 作り手の真意って、そこにあるような気がしています。
 でも作り手は、その先に何か、現代編で用意している…、そんな周到さも見え隠れしている。

 陽子の兄ふたり、春樹(田中圭サン)茂樹(永山絢人サン)、そして父親の良一(寺脇康文サン)に関する描写も、いかにも整然としたつつましさが存在しています。
 突然現れた母方の祖母、富士子(渡辺美佐子サン)に、必死の思いで弟の養子入りをやめるよう懇願した春樹、そして母親の最後の言葉を胸に、予科練を受け軍人になろうとする茂樹。
 もちろんふたりともガチガチに固い人間として描かれることはないのですが、それでもやはり、現代と比べれば格段にそれは謙虚なものに収まっています。

 私が見ていて意外だったのは、予科練を受けようとする茂樹に対して、父親の良一も、兄の春樹も陽子も誰も 「戦は嫌じゃ」 と反対すらしないこと。

 これは当時の価値観をはかるうえで、当たり前のことかと考えられます。

 これに楯突いている近年の大河ドラマに対して大いなる違和感を抱いているからこそ、そのことがとても重要なことのように思われてくるのですが、やっぱりこれって、当たり前。

 そんななかで陽子は、戦闘機がうまく操縦できずに苦しんでいる夢を見てうなされる兄に助け船を出しながら、「我が家から軍人を出す」 ということがどのようなことなのかをあらためて感じ、かすかな不安を抱いていく。

 そんなことなんですよ。 要するに。

 とりたててラヴ&ピースなどと肩肘張らなくとも、現代の価値観に通じる戦争反対の思想をドラマにしのばせることは、可能なんですよ。 とりたてて難しいことじゃないと思うんですけどね。
 現代の価値観を当時にはめ込むなんて、かなりウサン臭い。
 当時の価値観で戦争や軍隊に対する思いを描くことで、どのような価値観の変遷が日本人にとってもたらされてきたのかを知ることができる。
 そうすることでより一層、戦争反対という立場は深いものになっていくと思われるのです。

 真知子は許されない恋を陽子の兄春樹に募らせます。
 春樹も同様で、言わば相思相愛。
 けれども真知子には、決められた許嫁がいる。
 悩んだ陽子は、ふたりが相思相愛だとふたりに話すべきか、育子に相談します。

 「それはダメだと思う陽子。 ぜったいに。 絶対に、ダメ」

 「お節介っていうこと?」

 「うん…。 あのね、どんなに良かれと思っても、人の運命を変えるかもしれないということを、勝手にしてはいけないと思う。
 …あたしはそう思う」

 そんな育子、東京に行くと宣言して父ちゃんと大ゲンカし、怪我をしていたのですが、はじめ片意地を張りながら陽子にそのことを打ち明けます。

 「お父ちゃんあたしのこと殴ったりしないよ。
 『どんなに反対しても、あたしは大学に行く』 って言ったら、えらい怒っちゃって父ちゃん。 ちゃぶ台を蹴っ飛ばしたんだよ。 『ふざけるなー!』 って。 そしたら、お茶わん壁にぶつかって割れて、それで、あたしに当たった。

 父ちゃん、たまげてた。

 自分がいちばんたまげて、泣きそうな顔して」

 育子は、涙ぐんできます。

 「悲しそうな顔して…。

 あたしが、家出したりしたら、もっと悲しい顔するのかなーと思って…。

 あたし…」

 育子の目から、涙がぽろぽろとこぼれます。

 「…もっと、イヤな親だったらいいのに…!

 サイッテーでダイッキライな親だったらいいのに…!

 そしたら、平気で家なんか飛び出しちゃうのになー…」

 育子は、号泣しながらも、照れ笑いを浮かべるのです。

 「でも、…でもどうしても行きたい…!

 わたしはどうしても行きたい…!

 …どうしたらいい陽子…?」

 陽子も泣きながら、たまらず育子を抱きしめます。
 あ~泣ける。
 すごいな満島チャンの演技。

 育子は他人の人生をいくら親友でも勝手に変えられないと考えています。
 でもここで、育子は陽子に助言を求めている。
 それはけっして、答えを求めているというわけではない、と思うんですよ。
 慰めてほしい。
 一緒に泣いて、肩を抱いてほしい。
 陽子はその気持ちに気付いたからこそ、育子と一緒に泣き、そしてしっかりと受け止めるのです。
 時代がやさぐれてないからこそ、親とのつながりがきちんとしているからこそ、親を大事に思う気持ちに、自分の夢が勝てないでいる。
 そんな時代にもがいている女性を、ここで育子の姿から強烈に感じ取ることが出来るのです。

 ところがここで、現代に場面は強引に切り替わり、斉藤サンの号泣シーン(笑)。
 つくづく思いますねー。 斉藤サン、リスクのある役すぎだって(笑)。

 でもここまでするからには、何か意味がある。
 現代編での大いなる物語の転回に、私はちょっと期待しているのです。

「おひさま」 に関する当ブログほかの記事

第1回 情緒に訴える形のドラマ
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/1-4227.html
第1週 まっとうに生きるということhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/1-f504.html

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