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2011年6月 8日 (水)

「鈴木先生」 第7回 恥ずかしいから…

 「普通」 でいるということに、どれだけの労力がいるか。
 「優等生」 なんて、言われたくてなってるわけじゃない。
 ただ自分のなかにある罪悪感に、勝てないでいるだけなのだ。
 逆に考えれば、それだけ強い罪悪感を育ててくれた者たち(親とか)に、感謝しなければならないのに、自分が 「いい子」 であることに、「優等生」 たちはいつも傷ついている。

 私もいわゆる 「問題児」 ではなかったので、今回の 「鈴木先生」 の話にはいたく共感しました。 まあ優等生ではないですけどね。

 でもごくフツーに生きていると、世をすねて問題児として生きていたほうが、楽なんじゃないかって、思える時がある。

 言いたいことを言って、自分のやりたいようにわがままにふるまって。

 我慢して自分を抑えつけているよりも、そっちのほうがよっぽど、人生を楽しめるんじゃないか、って。

 たしかに問題児にしたって劣等感であるとか、思うままにいかない苦しさを抱えています。
 でもそれと同じように、フツーもしくはそれ以上の子供たちは、正直に生きることに苦痛を感じている。
 「やってられっかよ」 と言いたくて仕方ない。
 どうしてバカ正直にこんなことをしなきゃならんのか、って。

 けれども、世の中っていうのは、バカ正直でまわっている。
 少しずつのバカ正直が合わさって合わさって、街はきれいなのだし、いろんなサービスは当然のように享受できるのだし。
 これが当事者たちが、「こんなことクソマジメにやってらんねーよ」 などと思ってしまったら、たちまち街はゴミだらけ、店はいつ開いてんのか分からんし、橋本はブログをいつ再開すんのか分からんし(笑)、まあ想像してみると逆に面白いものがあるけど(実際起きたら面白くもなんともないですが…)(ちょっと待て、橋本はバカ正直でこのブログをやっとるのか?)。

 新任教師時代に、今日の鈴木先生(長谷川博己サン)を形成したきっかけとなった女子生徒がいたのですが、その女子生徒は実にこの生真面目タイプ。 というか、拍子抜けするほどフツーの生徒。
 麻美(臼田あさ美サン)に請われて、鈴木先生は回想を始めます。
 彼女、丸山(滝澤 史チャン)は中学卒業後、突然死してしまうのですが、直接鈴木先生が彼女の死因に関係している、ということはない。 ただ彼女を突然死に至らしめたきっかけの何パーセントかは鈴木先生にあるのではないか?という設定になっている。

 丸山はクラスの掃除当番を、「バカ正直」 にやり続けます。
 問題児だらけの彼女の班は誰ひとりとしてまじめにやることがない。
 ハナから参加する気のない者、形だけ参加してもちっともまじめにやらない者。
 しかも鈴木先生の前でだけやってるフリをする要領のいい者。

 人間的にいちばん唾棄すべきなのは、この要領のいい者でしょうね。 結局いいとこだけを評価査定する側に分かってもらえりゃいい、っていうのは、社会に出てからも結構おりますな。 ずる賢く人生をするする泳いでいって、要領よく人生謳歌して。 功利主義から言うと何ら問題ないのかもしれませんが、「人として情けない」、とだけ言っておきます。

 彼女は掃除当番期間中、ついにサボることを決意します。
 どうしてふんぎれなかったのか、というと、彼女に 「大丈夫、帰ってもいいよ、サボっちゃいなよ」 と言ってくれる人がいなかったから。
 彼女は掃除用バケツの水に映り込んだ自分(この水が 「汚い」、ということも象徴的ファクターであります)から、「帰っていいよ」 と言われて帰ろうとするのですが、そのとき鈴木先生がやってきて彼女ひとりで掃除が行なわれていることに呆れ、一緒に掃除を手伝ってしまうことで、その機会を見失ってしまうのです。

 彼女は逃げようとしている自分が、鈴木先生が優しくしてくれることによって、許せなくなる。
 いつもはそばにいてくれないのに…。

 それ以来彼女は、それまで克明に書いてきた日記(それによって鈴木先生も彼女の心を知ることになったのですが)をぷつりと書かなくなり、鈴木先生によれば 「彼女はその日から、みょうに光りはじめた」。

 「積もり積もった悲痛な思いが、彼女をある種の 『悟り』 に導いてしまったんだ。

 …透き通った、あきらめの境地に――」。

 あまりにマジメすぎると、自分のやってることがバカバカしくて仕方なくなってきます。 それを克服するには自分も不真面目になってしまうか、どこかでガス抜きが必要なのですが、あきらめの境地に至ることで、不真面目な連中をどこかで変形的に蔑み、何事も問題がない、という居心地のいい空間を、自分のなかに強制的に作り出してしまう。

 そんな状況に自分を置くと、物事を深く考えることをしなくてよくなってしまうのです。

 だから日記も、書く必要がなくなる。

 深く考えて葛藤すればするほど、傷ついていくばかりだからです。

 従順な人間、というのは、社会にとってまことに都合がいいから、そのことを教師たちが咎めるはずもない。 彼女は生真面目な仮面をかぶることで、精神的にますます圧力がかかっていったのではないか。
 あげく彼女は、死んでしまった。
 その死因はけっして自殺ではないものの、鈴木先生が彼女を 「自分の教師人生を変えるキーパーソンになった」 と考えるのは、その罪悪感あってのことなのです。

 この鈴木先生の回想には、とてつもない癒しが待っていました。
 この話を聞いた麻美チャンが、その特殊能力?で過去にさかのぼり、ひとりで掃除をしている丸山に 「帰っていいよ」 と優しく告げるのです。
 「帰っていいよ」 と言ってくれる人を待っていた丸山。 やっと安堵したように、微笑みます。

 泣けました、このシーン。

 人知れず努力をしている者は、「別に誰かにほめてもらうためにそのことをやっているわけじゃない」、そう思いたがります。
 でも本当は、孤独なのです。
 だからほめてもらえなくても、そのことを分かってもらえるだけで、ずいぶんと心が救われてしまうのです。
 麻美チャンのこういう能力って、よく分かりませんけど、要するにタイムスリップ能力?
 これがただ単に丸山の残留思念(「幻魔大戦」 的だ…)に語りかけるだけだったら、丸山の霊も浮かばれないってことになるんですが。

 ところで今回の冒頭。
 前回足子先生(富田靖子サン)によって中断させられた、公園での痴話ゲンカですが(笑)、自分の手腕によって事を収めようととりあえずその場を解散させようとする足子先生に生徒たちは異を唱え、結局鈴木先生の主導でディベートが展開されることとなる。

 足子先生の屈辱感たるや(笑)。
 中学生あたりだと、真実を探ろうとする欲求が高いわりに他人の立場、ということへの学習が疎かですから、このように 「足子先生じゃ話にならない、鈴木先生と真実を探るのがいい」 とストレートに表明してしまうものなんですよ。
 彼らは足子先生のプライドなんかどーだっていいですから(笑)、ズタズタに傷つけまくっても知らん顔。
 私の中学時代でも、そんなことが多々ありました。
 担任教師を蔑ろにしてほかの頼れる先生に相談に行ったりね。
 そすっと、蔑ろにされたほうの教師が、そのことに対する耐性がないんですよ。
 結局泣いたりわめいたり。
 子供ごころに 「ガキか」 と思いましたけど、まあ人には、立場ってもんがある、ということに、我々が気付いてあげられなかった、ということでもあるんですよね。
 中学生あたりじゃ無理か。
 いずれにしてもそのことはそれで、学習できたわけですが。

 ともかくそのディベートで鈴木先生は、人が人を好きになるのは(広く人と人が付き合うこと全般には)、いわゆる打算が大きく絡んでいることを生徒たちに気付かせ、それでも、そんな自分勝手な入り口でもまったく構わない、人を愛することで、自分よりも相手のことを思いやれる自分になれば、という 「学び」 へと導こうとします。

 ここで面白かったのは、「王子様に処女性は取っておきたい」 と語るメズール、じゃなかった(「仮面ライダーオーズ」 参照のこと…笑)中村(未来穂香チャン)に河辺(小野花梨チャン)が、「じゃあ経験をいっぱい積んだ私が竹地(藤原薫クン)にテクニックを駆使したのはいけないことなの?」 と反論し泣きじゃくる場面(しかし白昼堂々、すごいねこのコも…笑)。

 ここで鈴木先生はやおらチョークを取り出し(どこから出した、いつも持ってんのか?…笑)「体験」÷「学び」=「学習率」 という公式を地面に書いて、体験をどこまで自分のなかで咀嚼できるかが、人間性の成長にとって重要なことなのだ、という論理を展開します。

 「河辺、おまえはたくさんの教材を手に入れた。
 それを放っぽりっぱなしにして、生きていくうえでの邪魔な重荷と考えるか、あるいは、そこから多くを学び、人間性を磨く上での、糧にするか。
 …すべてはお前次第なんだ」

 わがままな自分中心の考え方に染まっていた河辺や、河辺の処女性を云々していた山際(千葉一磨クン)も、この課外授業で、自分を納得できる方向へと進んだようです。
 注目すべきなのは、鈴木先生自身が自分の理論を過信視していないところ。
 これで生徒たちが劇的に変わることを期待していないし、何か問題が起こればたちまちやり玉に挙がる方法だということも分かっている。
 要するに、本音と建前をどのように切り替えながら、自分が今後生きていくうえでの浮揚力にしていけばいいのか、ということに、鈴木先生の主眼は置かれているのです。
 前回私はこの鈴木先生の方法に 「理論に溺れてしまう危険性がある、詭弁に陥る危険性がある」 みたいなことを書いたのですが、自分の理論の脆弱性に気付いていることは、鈴木先生にとって何よりの武器だと思い直しました。

 そして登校拒否をしてきた竹地は、この課外授業を機にして再登校してくる。

 鈴木先生と一緒にいる竹地に、クラスメイトが何事もなく 「おはよう!」 と挨拶していきます。
 彼らにわだかまりが残っていないのは、彼らが 「人間には弱い部分もあるんだ」 ということをかなり確信する学習を経た、という証拠です。
 竹地は鈴木先生に向かって、「ぼく、恥ずかしいんだ」 と打ち明けます。

 「安心しろ。 学級会議のことだったら…」

 「違うよ。 そのときのことが恥ずかしいんじゃない。

 そのあと、河辺とあれをしたことが…。

 やましいとかじゃなくって、…ただ恥ずかしいんだ」

 たとえば掃除当番をバカ正直にマジメにやることも、自分の罪悪感に勝てないことの証左だったりします。
 けれどもそれを逃げずにしてしまうのは、なにも自分の意志が弱いからではない。
 従順になることが結局楽だから、でもない。

 決められたことをしようとしないのは、

 ただ、「恥ずかしい」、という理由から、だけなのです。

 今の日本人は、「恥」 を忘れた人間が多過ぎる。

 子供たちが恥を感じる機会を、大人たちは摘み取ってはいかんのです。

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コメント

冒頭、生徒たちを納得させたのはすごかったですね。
でも足子先生は怨念の固まりになったことでしょう。

「ぼく、恥ずかしいんだ」という竹地にむかって
「その気持ち、俺にもわかるぜ!」と言った、
ついさっきまで頬を紅潮させていた鈴木先生。
おまえ、麻美ちゃんに対して責任とれよ!
…と思ったのでしたw

丸山さんのエピソードは、ちょっとした小説でも読んだあとのような充実感でした。
あの、アテクシは中学デビューでして
親は厳しいものの、やや奔放な中学生でした。
デビューするまでは対人恐怖でどうしようもない子供でした(爆)
不良としてふるまうのも、対人恐怖も自意識過剰だからですな!
ああ恥ずかしい。

マイティ様
コメント下さり、ありがとうございます。

大事な感動した部分を書き忘れてしまいました。

麻美チャンが特殊能力?で丸山がひとり掃除をしている過去に飛んで、「帰ってもいいよ」 と言い渡す場面。 のちほど本編部分に書き足します(今はただ、ひたすらに眠い…笑)。

マイティサンが奔放だった、というのは僭越ながらなんとなく理解できます(笑)。
でもハッチャケるまでは対人恐怖症とは…。 そういう、いったん自分の殻を破ったら人が変わってしまった、という人って、すっごく興味あるんですけど(爆)。 自分がかなり、性格的に変化の乏しい人間だからかな~。

個人的に、このドラマをご紹介くださって、お礼を申し上げたいです(他人行儀かな~)。

え〜と、マジメな生徒ではありませんでしたが掃除はさぼってません(笑)
あと、中途半端に学問が好きでしたので
モノホンのヤンキーのコからは不評でしたw


麻美チャン…。人の妄想が見えるだけじゃなくて過去にも行けるんですね。
過去じゃなくて丸山さんの残した想いに入り込んだのかしら?

マイティ様
再コメント、ありがとうございます。

麻美チャンが過去にさかのぼった部分に関しては、記事本文中に新たに付け加えました。 私なりの見解も書きましたので、大変シチメンド臭いのですがボーダイな本文のなかから探してお読みください(スッゲー上から目線…)(まあおヒマでしたら…)。

掃除は、やっぱ基本ですから(笑)。 思えば掃除をどうして生徒がやるのか、という意味って、「誰かがやらねば汚くなる」「やりたくなくてもやらねば仕方のないこともこの世にはあるのだ」 という学習のためだったよーな気がします。

>これがただ単に丸山の残留思念に語りかけるだけだったら、丸山の霊も浮かばれないってことになるんですが。

いや、わかってくれた人がいるってことで
きっと供養になりますよ。

昭和末期に勤めていたデザイン事務所では、女子が早く行って掃除してましたね。
それが今では、そこそこの規模の会社は清掃業者が入っている。
社員は暮れの大掃除くらいしかしませんなぁ。
なので昭和末期〜平成生まれのコは、職場を掃除するって概念はゼロだと思います。

…さて部屋をかたづけよう。
バタバタで着物を縫ってると、もう、雪崩のようにすさまじく崩壊してますw

マイティ様
再コメント下さり、ありがとうございます。

ボーダイな本文を、またまたお読みくださったんですね! お手数をおかけしてしまい大変申し訳ないです(しかも 「追記」 とか分かりやすく書いてもいないというのに…)。

私の会社は超微粒子会社なので(笑)業者などとても頼みません。 ですので陽子たちの職員室掃除などは…アレ?「おひさま」 の話じゃなかった(爆)。 いずれにしても会社のレベルによって、常識ってスンゴイかけ離れてますよね。 いったん恵まれてしまうと、何様だ?というくらい世話されるのが当たり前のことだらけになっていく。

あ~いやだいやだ(なんか話が、すごくずれてしまいました)。

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  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
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