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2011年6月

2011年6月29日 (水)

「JIN-仁-」(完結編) 第11回(最終回) 奇跡との闘い!

 ここ数日、当ブログの 「JIN」 の記事へのアクセスがやたら多く、しかもそのほとんどが第1部最終回の記事へのアクセス。 「JIN(仁)」「最終回」「ネタバレ」 という検索ワードを入力した場合、特にグーグル、ヤフーのウェブ項目でのファーストページに、当ブログの昔のその記事が閲覧されるようで、アクセスされたかたのまず全員が、完璧に肩透かしを食らった形となってしまっているはずであります。
 私のせいではないのですが、お詫び申し上げたいと存じます。 「なんだ昔の最終回のほうかよ」 と思われて 「もう来ない」 と思われたかたにはこの思いは届きませんが、今度はこの記事が先の検索サイトの上位に来るように、今からとりあえず頑張って記事を書こうかな、と思います(ま、肩肘張らず…)。

 ふと気付いたのですが、このドラマの最終的な落とし所は、この 「届く思い」 だった気がします。
 そしてこれこそが本当の正真正銘、「JIN-仁-」 というドラマの、当ブログにおける 「最終回」「ネタバレ」 記事となります。




 総論から申し上げれば、このドラマは見ながらさまざまなことを考えさせてくれた、という点で、続編に至るまでまさに傑作だった、ということです。

 もしかするとこれほどのドラマ、というのは10年に一度、くらいの割合でしか巡り合えないレベルかもしれません。

 確かに優れたドラマというものは、年間に1、2本は必ずある。

 けれどもここまで、自分の人生の意味を根本から考えさせるドラマ、というものは、そうそうあるものではない気がします。

 それはただ単に現時点での自分の人生を振り返らせるものではない。
 タイムスリップものが持つ荒唐無稽さから手を離れて、「時代」 という観点から、先祖から連綿と命を受け継いできた自分、というものを見つめ直す機会を与えてくれている、ということが、とても斬新なのであり、秀逸なのです。

 話は少し飛躍いたします。

 私は仏教的な循環する生命観(輪廻思想)の持ち主ですが、いずれの時代でも、「自分はこういう時代に生まれたい」 という意志を持ってすべての人間はその時代、その場所、に生まれくるものだと思っています(たぶん前世で日本人であった人は、やはり同じ日本に生まれたいと思う人が多い気がします)。

 たとえば私は1965年生まれで、私が生きている時代はテレビ文化が爛熟した末にパソコンなどによるソーシャルネットワークの開花、という流れを見据えています。
 私の親の世代は戦争をぎりぎり体験し、戦後のどん底から奇跡的な経済発展、という時代の流れを見据えている。
 私より下の世代は、ケータイもパソコンも当たり前の、これまでの時代とは全く異質のコミュニケーションの流れの、さらに先を見据えている。
 私はやはり、1965年という段階で生まれてきてよかったと、いまさらながら素直に思えるのです。

 おそらく戦争で亡くなったかたがたが多い時代であっても、そのかたがたはその時代に生まれたいと思って、生まれてきた。 モボモガを体験したいとか明治大正の文豪と同じ空気を吸いたいとか。

 戦争で悲惨な目に遭うのは、それは本意ではないから、おそらくそれは予測がつかない突発的な出来事なのでしょう。
 今回のような大震災で命を落としてしまうことも、これも本意なことではありません。
 だからただ単に、時代の空気をあの世から眺めながら、「ああこの時代はいいなあ」 と思ったからこそ、自分はこの時代のこの世、日本のこの場所に生まれてくるのだ、と思う。
 だからこそ、移ろいゆく世に、変わってしまう風景に、心を痛めたりもする。

 やや話がオカルト的に傾いている気がいたしますが、そんな、「この時代を生きたい」 と思う人々の、取るに足らぬように思えるちいさな生業が寄せ集まって、歴史は形成されていくものなんだ、という気が、このドラマを見ているととても強く感じるのです。

 そんな立場でこの世を見渡すと、取るに足らぬような一生、というものはあり得ない。

 自分の人生に無力感を抱くことはままあることです。

 けれども無意味な一生というものは、誰にとっても存在しないのです。

 それを無意味にするか意味のあるものにするかはやはり、自分の心ひとつにかかっている。

 誰もがもがきながら苦しみながら、時代に爪を立てて、何者かの足跡を残そうとします。

 その 「闘い」 こそが、歴史を形成していく、奇跡を生み出していく。

 結局、「JIN」 というドラマの、真のテーマは、そこにあったのではないか、そう思われてなりません。
 タイムパラドックスとか胎児形奇形腫とかすべての真相は、実はほんの瑣末なことに過ぎない。
 最終回ではそんな、なぞなぞの答えを知りたがる人々のために、作り手は山本耕史サンによる特別講座を開講までしました(笑)。
 実はこのスタイルをとることによって、このドラマの言わんとすべきことは、こんな 「謎がどうなったのか」、などという野次馬的な興味ではないことを、作り手ははからずも強調した。

 「○○との闘い!」 という題名を、当ブログのこのドラマでの記事では、執拗に繰り返してきました(途中くじけそ~になりましたけど…笑)。

 それは、いかな有名人であっても、市井のひとりひとりであっても、「闘っている」 という事実だけは一緒なのだ、という作り手の意志を、いちばん言わんとしていることを、つねに感じてきたからなのです。
 そのことを毎回感じることができたからこそ、このドラマは(すくなくとも私にとって)ほかの傑作ドラマとは決定的に違う、特別な傑作となり得たのだと思います(やっぱ肩肘張って論じとるな)。




 冒頭、咲(綾瀬はるかチャン)と野風(中谷美紀サン)が、南方(大沢たかおサン)の脳腫瘍を治す方法が、ひとつだけある、と話をしています。

 それは南方を未来(みらい)に送り返すことなのですが、当然ながらその方法の糸口すら分かりません。
 しかし咲はその方法すら分からないのに、南方が当然、未来に帰るものだと信じている部分がある。 「先生はもてるすべての医療技術をわたくしどもに教えようとしている。それだけでじゅうぶんでございます」 とここで野風に語っているところからも分かります。

 続編でとても顕著に思えたのは、咲が南方に対して、こうした一歩引いた立場を常に崩そうとしないところでした。

 最初それははるかチャンと大沢サンの仲を邪魔しようとする所属事務所の圧力だと思ったのですが(爆)、咲が南方とちょっぴり距離を置いていたのは、実は募る思いを必死に押し殺していたためだった、ということが、ラストで判明します。
 実際に事務所の圧力のなかで恋を秘めざるを得なかったのかもしれませんが(下世話だなあ…笑)、かえってそれがドラマにもよい効果をもたらしたのではないか、と…。

 まあそのラストの話は置いといて、時代は幕府軍と新政府軍との、最終的な戦いの局面にさしかかっています。 徳川慶喜はこのドラマに出てきませんでしたが、結局彼が勝手に謹慎してしまったため、彰義隊は退路を断たれて 「キューソネコカミ」 でバーサク状態(FF知らない人、すみません…笑)。
 恭太郎(小出恵介サン)は勝(小日向文世サン)からフランス行きを打診されるのですが、いっぽうで血気にはやる彰義隊からの誘いも受け、考え抜いた末に徳川家臣の旗本としての本分を全うしようと、彰義隊に合流することを決意するのです。

 そのなかで南方は松本良順(奥田達士サン)から自分に何かあれば医学所を指導していただきたい、と依頼を受けます。 「そんな非常時に、自分はいちばん間違っちゃう気がするんですけど」 と現代人ぽく二の足を踏む南方に、「ではその間違った道をお指図ください」 と良順は言い切る。 このシーンはのちに、彰義隊と新政府軍との戦闘の際に敵味方の別なく、また東洋西洋医学の別なく治療が行なわれることの、ひとつの布石となっています。
 新門辰五郎(中村敦夫サン…いやーほんのチョイ役だったぁ…)は 「しがらみによって誰もが行動しているが、でっけえ目で見ればそれが正しいかどうかは分からねえからなあ」 と喝破する。 南方の存在は、その別を超越していることを、辰五郎も見抜いています。

 そのとき彰義隊が官軍の錦の腕章を奪い取る事件が発生。 「おさまりのつかねえ彰義隊の連中がこうやって官軍に嫌がらせするのが流行っている」 と言う辰五郎に、「江戸時代も終わるんだなあ…」 という感慨を抱く南方。

 このときの南方の感慨って、よく考えてみると結構奇妙であります。

 なぜなら江戸時代の人々は、自分たちが江戸時代という時代を生きているとは思わなかったはずで(笑)、よくドラマとかで見かけるのは 「徳川の世」 という表現ですよね。
 江戸といえば当時の首都、ということなので、感覚的に言ってしまうと、今の時代を 「東京時代」 と言ってるよ~なもんかな?と…(笑)。
 同じように 「幕末」、なんて言いますけど、別に世紀末じゃあるまいし(笑)、龍馬も西郷も勝海舟も大村益次郎も、自分たちが幕末を駆け抜けてる、なんて自覚はしてなかったかと…(爆)。
 まあいずれにしたって、徳川幕府の執政が終わる、ということは重大問題に変わりはないです。 今でいえば国会解散、じゃなくって、国会そのものが消えてなくなる、くらいのインパクト…かな?(笑) 政党なんてものがなくなって、総理大臣は国民投票で決めて、くらいの感じかな?

 ともあれ、南方は結局、死に至る病にさいなまれながら、江戸時代に送り込まれた意味も分からないまま、「まあ、人生ってそんなものか…」 とひとりごとを漏らしています。

 人生って意味のないことの繰り返しのように、思える時があります。
 でもそれで、無力感を覚えていてはいけません。

 純朴な人々が笑い、行き交う江戸の町。
 そんな、その時代では当たり前の光景が、とてもいとおしく思えてくる南方。
 自分がここで出来る最後のことは、何なのか。
 南方は思いを巡らせます。

 南方の病状はさらに悪化していきます。
 手の震えがひどくなり、咲が作る揚げ出し豆腐の椀も落としてしまう始末。
 そのとき南方は咲の姿が、野風とダブっている幻覚を見ます。
 これってラストへの、ひとつの伏線だったのでしょうか。
 ちょっと、よく分かりません。

 南方は絶望的な自分の病状に直面しながらも、せめて笑って、このことを乗り切っていくつもりだ、と咲に決意を語ります。
 「こんなときに無理に笑わないでください!先生は、助かりたくはないのですか?」 と詰問する咲なのですが、「出来ないことを考えて嘆くより、出来ることをやって笑っていたい」、と南方は答えるのです。

 最終回前半を貫いたのは、この南方の笑顔でした。
 どんな時でも、彼は無理にでも、笑い続けた。 笑顔を作り続けた。
 龍馬(内野聖陽サン)が最後に残してくれた笑顔が、南方を照らし続けているように、です。
 それは時に無責任な笑いだったかもしれません。
 何の意味もない笑いだったかもしれません。
 でも、しかめっ面で生きていくよりは、ずっといい。

 近頃、車を運転していると、世のなか荒んできたような気がしています。
 ヤケにイライラしている車が多い。
 それは震災の影響から、ままならないことがあまりにも多いせいなのだと感じます。

 みんな、我慢しながら生きています。

 ちょっとの辛抱も積もり重なれば、世の中はどんより曇ってしまう。
 でも、しかめっ面しながら不幸を享受するより(文法間違っとる…)笑い飛ばしながら不幸を味わうのも一興かなあ。
 南方の笑いは、大災害に荒んだ自分の気持ちさえ、振り返らせる力を持っていました。

 南方は自分にできる最後のことを考え抜いた結果、自らを献体することを決意し、仁友堂の面々に語ります。
 自分が死んだあと、解剖をして後学のためにせよ、ということであります。

 このくだりは韓国ドラマ 「ホジュン」 で、主人公ホジュンの医術の師匠が、弟子ホジュンに託した遺言と重なります。
 韓国ドラマではそれこそ、感情出まくりの紅涙を絞るショッキングなシーンとして非常に強い印象を残したのですが、「JIN」 での描写は実に平静で日本的。
 動揺する仁友堂のメンバーのなかでひとり、咲は南方の笑顔の決心を自分に乗り移らせたような表情で優しく微笑み、「はい。 …はい…!」 と南方の決意を受け入れるのです。
 南方の余命を賭けた最後の闘いが、始まります。 南方は持てる限りの脳腫瘍に関する知識を、仁友堂の面々に魂を刻みつけるようにして教えていくのです。

 病状が悪化し倒れた南方のもとに、勝が見舞いにやってくる。
 恭太郎のフランス行きを決意させてやってくれ、という話です。
 けれども恭太郎は、すでに彰義隊に入る決意を固めている。
 栄(麻生祐未サン)との最後の晩餐に恭太郎は、「咲を橘にもう一度戻してやってほしい」、と栄に頼みます。
 栄は 「帰ってくるなと言った覚えはない。あの子が勝手に戻ってこないだけ」 と答えるのですが、「許すと言われなければ戻ってきづらいでしょう」 とそれとなく彼は母親を誘導します。

 許すという言葉を持たない武家の厳しさ。

 そこにひとつのかけ橋を与えている恭太郎の最後の覚悟というものが、見る側に伝わってくるのです。
 床で眠りにつく母親を見ながら、「行ってまいります」 と手をつき挨拶をする、恭太郎。

 翌朝彰義隊と新政府軍との戦闘が激化するなか、橘の家に辿り着いた南方、咲、佐分利(桐谷健太サン)。
 門の前で呆然とたたずむ栄に出くわします。
 その手のなかにあった恭太郎の書状には、龍馬を死に追いやったことへの深い後悔の念が刻まれており、取るに足らない自分が生きていくことの 「恥」 が綿々と記されている。

 咲は戦闘状態の上野へ向かおうとします。

 「行ってはなりませぬ!」
 厳しく咲を止めようとする栄。
 「徳川さまと一緒にという恭太郎の気持ちは、おまえにも分かるでしょう!」 と。
 ところが咲はきっぱりこう答えるのです。

 「兄上は生きねばなりませぬ。
 尊いお方を死に追いやったというならこそ、傷つこうと、泥にまみれようと、這いつくばって生きねばなりませぬ!」

 生きるということは、一面においては失敗の連続、恥かきの連続です。
 けれどもそれを乗り越えようとするのが、人生の本来の意味なのだ。
 いかに見苦しかろうとも。
 そんな見解を、私もこのブログでは幾度となく繰り返してきました。
 だからですが、咲のこの言葉はとても、わが意を得たり、という気がいたしました。
 どうも自分の感情とリンクしすぎるなぁ、このドラマ。

 栄は咲にすがりつき、絞り出すように懇願します。

 「行かないでおくれ、咲…!
 後生です…!
 いかないでおくれお前まで…!」

 栄の、母親としての気持ちは、恭太郎を行かせることなど、到底容認できないのです。
 なのに、武家のしきたりが、それを許すことをしない。
 だからこそ自分の娘までも、死地に赴かせることなど出来ない。

 世のなかの状況によって抑圧される感情、というものが存在します。
 けれども原始的な感情、というものは、どんな世であっても、止めることなど出来ない。
 それは親、としての感情、子、としての感情です。
 抑圧されつつも、それを突き破らざるを得ない、母親の愛情。
 それが描写され尽くしているから、もう、この場面、ただ泣ける。

 咲は必ず兄を連れて戻る、と力強く栄に約束します。
 そんな娘の手を握る、栄。
 咲の手はしかし、その上から母親の手を握り返すのです。
 今まで守ってもらってきた母を、今度は私が守るばん。
 このシーンは、そんな咲の気持ちの象徴であるかのようです。

 そして咲は、その場から駆け出す。
 佐分利が体の自由がままならない南方を制して、それを追いかけていく。

 「恥をさらそうが、生きることこそが善…
 …これからは、そのような世が、くるのでしょうか…?

 わたくしたちが信じてきた道は間違いだったのでしょうか…?」

 その場に残された栄は、涙を流しながら南方にそう訴えかけるのです。
 残念ながら 「死ぬことが誉である」 という生きかたは、このあと日本が壊滅的な敗戦を迎えるまで続くことになります。
 南方は栄の問いかけに、こう答えます。

 「そうは思いませんけど…恭太郎さんは、ひとつだけ大間違いをしていると思います…。
 恭太郎さんの誇るべきことは…」

 ここで南方が言いたかった 「誇り」 とは、何だったのでしょうか。
 そのあと南方は、再び出会った恭太郎に向かって、「あなたが守ろうとしたのは徳川じゃない、橘の家だったんだ」 と語っています。
 このとき南方は、言ってみればお家大事のその時代に合った納得のさせ方を、恭太郎にさせてるわけですよね。
 けれどもそれは単に武家制度の形式をただ借りているわけではない。
 母を思う心、妹を思う心があるからこそ、それを守ろうとすることに誇りが生まれるのです。 家族の絆を守ろうとしたことが、恭太郎の誇るべきことだったのだ、…私はそう感じます。 

 そして上野へとやってきた咲と佐分利。
 スンゴイ激戦状態。
 ムボーすぎ(笑)。
 あり得ねー(笑)。
 そこで咲たちは恭太郎と出くわすのですが、またこれがあり得ねー(笑)。
 その瞬間、流れ弾が咲の左腕に命中します。
 だからムボーだってゆーのに…(笑)。

 恭太郎は咲のもとに駆けつけます。
 「死ぬのなら南方先生に断ってからやろ!『助けてもろた命ですけど捨ててええですか』って!」
 恭太郎を関西弁で恫喝する佐分利(笑)。
 恭太郎は意を決し、咲をおぶって南方の待つ救護所へと向かうのです。

 ところが咲のこのくらいの鉄砲傷など、南方にかかればチョチョイのチョイだ、と当初は思われたのですが、傷口から菌が入り重篤な感染症へと発展してしまう。

 敵味方の区別もなく行なわれる南方たちの治療に文句をつけにやってくる勝。
 「医者は意の道を歩くのみ。
 収まらぬものを収めるのが、政の道であろう」
 そこにやってくる東洋医学側の多紀(相島一之サン)。 敵味方ばかりでなく、その救護所は西洋東洋の医学の区別なく、治療の行なわれる場となっていきます。
 それにしても多紀の、「収まらぬものを収めるのがまつりごと」、とはけだし名言であります。
 きょうび政治は 「収まるもんも収まらなくする」 繰り返し(爆)。

 「夢を見ているようでございます…」

 西洋医学と東洋医学の融合…。
 その光景を見ながら、咲は限りない感動を覚えていきます。
 これはのちのドラマで、変わってしまった現代の光景を生み出す、ひとつの契機となっている光景なのです。
 「互いに手と手を携えて生きていく」、という、咲の言わんとしていることに、深く感銘を受ける恭太郎。
 このことが恭太郎ののちの人生に、大きな影響を与えることになるのですが、それはまたのちの話。

 その間にも南方の病状は、やはり悪化していく。
 手が震えて咲の傷の執刀も出来ないありさまです。
 そんな自分の状態に絶望する南方。
 そのときいつもの頭痛と共に、南方の思考に語りかけてくるものがある。
 龍馬です。

 「口八丁、手八丁ぜよ、先生――。

 手ぇが動かんかったら、口を動かせばええ」

 南方は龍馬の教えに従って、現場で治療の口頭での指導に専念します。
 しかし、兵士たちは傷が治ると次々と戦線復帰していく。
 それでも南方は、「棄てに行くための命を延々と拾い続け」 るという、一見とても馬鹿馬鹿しく思えるような治療をし続けます。
 ほかの医師たちも、西洋東洋の区別なく、その作業をやめない。
 なぜなら、人の命を救うことが、医師の役目だから。
 「それが、おれたち医者の、誇りだったから――」。

 そんな必死の南方を見ながら、咲は自分の傷口が悪化していくことを、言い出せません。
 しかし自分も怪我人の治療に復帰し無理がたたったことでまた倒れ、その病状が南方の知るところとなる。
 化膿したその傷口は、緑色をしています。
 緑膿菌と呼ばれるその細菌、ペニシリンでは治療不能。
 南方はできうる限りのことをしようとはするのですが、かなり絶望的な状態であることは、認識せざるを得ないのです。
 治療にはホスミシンという薬が有効。 しかしこの薬を南方が作り出すことは不可能です。 ペニシリンの場合、未来(みき、中谷美紀サン、二役)と以前実験的に作ってみたことがあったから出来ただけでした。

 この 「ホスミシン」、という薬。

 この薬がこの物語を終息させる、大きなカギとなる薬となってきます。

 特効薬がないなりに進められる咲の治療ですが、病状は悪化の一途。
 南方の病状も進行しているせいで、物語のツートップが共に重病、という異常事態にドラマは直面していきます。

 そんななか山田(田口浩正サン)が橘家を訪れ、咲を見舞うよう恭太郎と栄に勧めます。
 栄はそれを拒絶。
 自分が見舞いに行けば咲は余命が短いことを悟る。 咲の気力を維持するためにも自分は見舞いに行かぬ、というわけです。

 「あの子にお伝え下さりませ。
 約束通り、おのれの足で戻ってきなさい、と…」

 最終回、栄の役割はとても大きなものに感じました。
 凜っ!凜っ!って感じで。
 やー麻生祐未サン、ええなぁ、この栄役。
 栄のスピンオフドラマが見たくなって…あ、いやいや(笑)。

 顔色が極端に悪くなっている咲。
 震える手で咲の脈を調べている、こちらも具合の悪そうな南方。
 眠りながらうなされ、やがて咲の表情は柔らかくなり、涙が頬をつたいます。
 呼びかける南方の声に驚いたように振り向く君に…じゃなかった(笑)、目を見開く咲。

 「夢を…見ておりまして…。

 熱に浮かされ、ふと、目が覚めると…
 先生が、どこにもおられぬのです…。

 わたくしは、仁友堂を探すのですけれど、
 先生は…どこにもおられず…
 それで、未来にお戻りになったんだと思って、
 ああ…よかったと…思ったところ…
 目覚めると…先生のお顔が見えて…」

 「よかった…?」

 「お戻りになれば、…先生の癌は、…治せるではないですか…」

 ああ~もう、ここ(笑)。

 いなくなったことを喜ぶ、なんて、なんていじらしい恋なんですかっ!
 つまりずっと一緒にいなきゃダメ、なんていう自分勝手な部分など、これっぽっちもないんですよ。 南方の命が助かることだけを願っている。

 この部分、もし南方が150年後に帰ってしまう、とすると、南方が現代から見た咲はもうすでに死んでいる、ということになります。 さらには老いさらばえた自分の姿を、南方は未来で知るかもしれない(これはその後現実となってしまうのですが)。 それってもし自分だったら、かなりイヤ。
 そういう思いさえ葬り去って、自分の思いをすべて犠牲にして、成り立っている 「南方への思い」。

 なんて健気なんだよっ!

 南方は、思わず咲を、抱きしめてしまうのです。

 それは完結編が始まってからずーっとモヤモヤしていた、南方と咲との遠かった距離が、一気に縮まった瞬間。
 触れたくても触れられなかった(手術前で手を殺菌消毒してなかった、とゆーこともありましたが…笑)咲と南方が、時代の壁を越えて、触れあえた瞬間。

 泣けました。

 なんとかしてくれぇ~~っ!(笑)

 抱き合いつつ南方は彰義隊のことを咲に話しながら、「かけがえのないものがなくなってしまったら、一緒に消えてしまうのも幸せなのかと」 と、彰義隊の人々と自分の気持ちをダブらせます。
 自分も、かけがえのない咲がいなくなったら、一緒に消えてくなくなりたい…。
 南方は咲の肉体的な質感を、まるで確かめるかのように、さらに固く咲を抱きしめます。
 咲もその南方の存在を確かめられた、という喜びなのか、目にいっぱい涙をためながら、南方を優しく叱咤するのです。

 「…医者が、…そのようなことを言って、…どうするのですか…」

 咲の手が、南方の背中を、伝っていきます。
 よかったねや~~っ(笑)。

 その瞬間。

 南方の脳裏に、タイムスリップ直前の光景がよみがえる。

 「あのとき、…!
 あのときの、ホスミシンだったんじゃ…?」

 南方は咲の感染症の特効薬である、あのホスミシンを、タイムスリップ直前に自分のポケットのなかに入れていたことを、思い出したのです。

 「咲さんっ!
 ちょっと待ってて下さい!
 すぐ!すぐ戻ってきます!
 絶対に治します…!」

 なにが起きたのか分からない表情の咲。
 「?…はい…」

 「じゃ、行ってきますね…」

 「はい…」

 ほどけていく手と手。

 思えばこれが、南方と咲との、永遠の別れになってしまったのです(また泣けてきた)。
 
 しかしその白いユニフォーム、いったいどこに行ったんだ?
 もうその時点でタイムスリップしてから6年もたっていたため、おそらくその白衣の行方は不明。
 橘家、仁友堂、関わりのある人間がみんな総出で、ホスミシンの小さな瓶を探しまくります(途方もない捜索作業…笑)。

 そしてそれを探し求めた末、恭太郎と共に、タイムスリップした場所へとやってきた南方。
 そこにまたもや、龍馬の声が響いてきます。
 「咲さんを助けたければ、戻るでよ、あん世界へ」。

 つまりですよ。

 私が考える限りでは、南方が江戸時代にタイムスリップした本当の意味って、「咲を助けるため」、だったんですよ。

 これは要するにニワトリとタマゴの論理。 その歪みというものがどこで発生したかを考え出すとキリがないのですが、とにかくタイムパラドックスという説明のつかないメビウスの論理をそのまま、ドラマ 「JIN」 の最大の謎の答えにあてはめた、という点で、なかなか 「やるなあ」 というレベルの解決の仕方だと、個人的には思われるのです。

 そしてそのガイド役を、胎児形腫瘍の形を借りて、坂本龍馬の命を南方の脳のただなかに転生させた、という、この解決方法。
 考えてみればおそらく第1部のころから、この答えはちゃんと用意されていたように、私には思えます。
 それが、話が詰め込まれ過ぎたのか局側の事情だったのか、第1部の最終回はとても不自然な場面が散見された。
 龍馬が川を下って酒池肉林の地に辿り着いた後(笑)に生還してきた、という話も不自然だったし、未来(みき)が大学みたいなところで教鞭をとっているシーンも、とても唐突の感があった。
 だいたい第1部最終回で1時間15分程度、なんてのも不自然なまとめ方でしたよねぇ。
 おそらく2時間くらいの枠はあったんじゃないでしょうかねぇ(また浅知恵だ)。

 「入口と出口は違う」。

 龍馬の声に導かれて、南方は現代への出口(錦糸堀付近)を発見。
 その穴に、意を決して飛び込む南方。
 彼は再び時空のひずみのなかに巻き込まれます。
 官軍の残党狩りを巻いてきた恭太郎がその場に辿り着くと、そこにはもう、南方の姿は見当たらないのです。

 これも龍馬が死んでいなければ、解決の糸口がなかった、ということになる。
 そして咲が危機に陥らなければ、南方が現代に帰るその必要性も生まれてこなかったことになる。
 物語的な辻褄は、一応合っているのです。

 バック・トゥ・ザ・フューチャー。
 南方は未来へと戻ってくるのですが、この描写の仕方が実に用意周到と言えるものであり。
 ほぼすべて第1部のVTRをそのまま流すことで成立しているんですよ。
 このことからも、作り手には最初(第1回目)から謎の答えが用意されていた、と思えてきますね。

 南方の顔面に相当の擦過傷があるというのは、現代に戻るタイムスリップのときにできた傷だったんですね、しかし。
 いずれにせよ着物姿のまま、錦糸町付近の公園で倒れていた南方は緊急搬送され、現代を生きているもうひとりの南方によって胎児形腫瘍も摘出されます。 それはあまりにも、あっけなく。 南方の脳腫瘍など、現代医療では軽い病気だったのです。

 その摘出の瞬間。

 傷だらけのほうの南方は、夢を見ます。

 「ほいたらのう、先生…」

 南方と談笑していた龍馬は、いきなり海に向かって一直線に歩き始める。

 極めて上機嫌な南方は、笑いながら 「龍馬さん、どこへ行くんですか?」 と尋ねます。
 これは、南方が龍馬から受け継いだ 「笑い」 という精神を、ことさら龍馬に感謝するための笑い、だったような気がします。

 ずんずん腰まで海水につかってしまった龍馬は、振り返ります。

 「先生はいつか、わしらのことを忘れるぜよ!

 …けんど…悲しまんでえい。

 わしらはずうっと、先生と共におるぜよ!

 …見えんでも…

 …聞こえんでも…

 …おるぜよ。

 いつの日にも、先生と共に!」

 龍馬は、ピストルを打つまねをします。
 心臓を押さえる南方。
 龍馬は、満面の笑みで、再び海のほうへ振り返り、また前へと進んでいく。

 「龍馬さん!

 どこへ行くんですか!

 ちょっと龍馬さんっ!」

 なんか、泣けてきます。

 「いつかは自分は忘れ去られてしまうかもしれないが、そっちがいくら忘れていても、自分の志は、いつもお前たちと一緒にある」。
 これは言わば、龍馬という偶像を追い続けてきた私たちに対する、当の龍馬自身の心の声を、かなり代弁しているセリフのような気がする。
 そして龍馬だけでなく、すべての人々の先祖たちの、声でもある気がする。
 お前が今そこにいるのは、自分たちが命を受け継いできたからだ。
 それをお前がすっかり忘れていても、その肉体がある限り、それが確かな証拠なのだ。
 大事に生きろ。
 お前が生きていくことで、自分たちもともに生き続けていけるんだ。
 乗り越えていけ。

 そして南方のここでの狼狽は、まるで親たちから追い出される巣のなかのヒナのような、蜜月時代との決別を意味している気がします。
 私はこのドラマを見終わって、不思議と 「もっと見たかった」 という未練がなく、「ここまででじゅうぶん」 という気持ちが強いことを感じているのですが、それはこのドラマ全体から、「ここまではお膳立てをした。あとは自分たちの力で飛び立っていけ」、という作り手の強い意志を感じ取ったからにほかなりません。

 脳の腫瘍摘出手術を終えた南方は、ホスミシンと前回自分が現代から持ち出した医療器具を盗み出し、ホルマリン漬けになった龍馬の意志(胎児型奇形腫)を持ち出して、またあの入り口から過去に戻ろうとします。 すべては咲を助けるため、です。

 しかしそれに現代のほうの南方(表現が難しーなー…笑)が気付いてしまい、戻ろうとした自分ではなく、現代にもともといたほうの南方が、またもや過去に送られてしまう。

 こうなると、もう無限のループが同じことを繰り返す、という、手塚治虫氏の 「火の鳥」 異形編のような展開になってしまいます。
 絶望に打ちひしがれる南方。

 しかし。

 気がつくと、どうも南方がかつていたような現代とは、ちょっと違う現代になっています。
 病院内には 「東洋内科」 というセクションがあり、医療費はなんと全額免除になっている。 未来(みき)がいた病室も、別の人が入っている。
 何より胎児型奇形腫なんてものは初めから存在しなくなっているし、南方も着物ではなく普通の格好で公園に倒れていた、というのです。
 つまり現代にもともといたほうの南方が誤って過去に送り込まれてしまったときから、歴史の歯車が狂ってしまった、ということになる。

 南方は野口(山本耕史サン)に 「こういう小説を書こうと思ってるんだけど」 という話をして、タイムトラベルの理屈を探ろうとします。 野口がメンド臭そうに言うには、パラレルワールドの地層のなかでいったんループ状になってしまったその当事者(南方)が、Aの世界からBの世界へ、Bの世界からCの世界へ、無限に移動し続ける、ということらしい。
 頭のなかの胎児は、バニシングツインという、もともとふたつあった受精卵の子供がいつの間にか吸収され、ひとりのほうが消えてしまう、という現象によって説明ができるのではないか、と野口は考えます。 それを頭のなかに抱え込んだまま成長して、それが癌化した、という設定。
 龍馬の声が聞こえた、というのは、臓器移植をしたあとに、そのクランケがドナーと同じような性格や好みになるという現象と似たものではないか、と推測します。 つまり南方は龍馬の血を都合二度、浴びてしまったせいで、龍馬の性格がまるで入り込んでくるような感覚に陥ったのではないか、ということです。

 先にも述べたように、これは実に単純明快に謎解きのシーンなのですが、ここでの野口の推理は、単なる推理の域を出ていません。 
 パラレルワールドの理屈は結局、南方を無力感に追いやることになる。
 もし野口の説が真実であれば、自分はこの6年間、「この世界」 では何もしてこなかったことになるからです。
 南方は意を決して、あのあと咲がどうなったのか、調べることにします。

 すると、医学の歴史書には仁友堂の名前とペニシリンを先駆的に生み出していた業績などが確かに書かれてはいるのですが、そこに南方仁と咲の名が、いくら探しても出てこないのです。
 山田や佐分利のその後の姿を見ていっぽうでは喜び、ほっとする南方。
 けれども自分がそこにいない、ということは、やはりこの世界において自分は何も残していない。
 咲のその後が心配な南方は、自らの記憶をたどって、橘家のあった場所へと急ぐのです。

 すると、その場所には、なんと 「橘醫院」 の看板が。

 そしてそこに帰ってきたのは、なんと、未来(みき)。

 え?
 …んなんじゃこりゃあああっ!(またジーパン刑事化してます)

 まあネタバレブログなのでいまさら隠す必要はないですが(笑)、未来(みき)はこの世界では、どうやら野風とルロンの子供、安寿の子孫らしい。 野風とルロンはその後亡くなってしまったそうであり、安寿を咲が引き取って育てた、ということだったらしいのです。
 要するに咲は、あのあと助かっていた。
 それもホスミシンのおかげだったのですが、それは未来(みらい)から南方が持ってきたものではなく、恭太郎が単に拾った薬をたまたま処方したら助かった、というおとぎ話のような話に、すり変わっていました。

 咲はその後この地で女医として開業した。
 これはつまり、栄があのあと咲を橘の家に再び迎え入れた、ということなんですよね。
 彼女は小児科、産婦人科を中心として活動したのですが、医学書に載るほどのことでもなかったらしい。
 恭太郎は 「互いが助け合う」 という 「船中九策」 の坂本龍馬の思想に賛同し、健康保険制度の尽力に人生を捧げた。
 咲はその後、かなり長生きしたようです。

 それでもその話のなかでも、徹底的にその存在が過去から抹消されている南方仁。

 未来(みき)は結局、存在することになったけれども、彼女は医師をあきらめ、医学史の教師として予備校で教えている。 これで第1部ラストとの整合が図れたわけですが、南方とのつながりは、きれいさっぱり消えている。

 自分の思う人の命が助かることが、その人が天寿を全うできることが、このドラマのゴールである、とすれば、実にこの結末しかあり得ない、という展開です。
 咲がかつて語っていた、「この時代の人間が強い意志を持って、未来を変えたいと願ったことだとしたら、それはもはや、修正されるべき歴史ではなく、ただの歴史なのではないでしょうか」、という内容の理屈が、ここでひときわ輝きを増してくる気がする。
 その時代の人々によって変えられた歴史は、その時代の人たちのもの、なのです。
 ここではパラレルワールドの理屈が、一応否定されている気がします。
 咲の言葉を素直に受け止めれば、歴史は常に一本道、引き返すことは…じゃなかった(「篤姫」…笑)一本道である、ということじゃないのかな?

 このドラマにおいて、見えないもうひとりの主役が、厳然と絶えず南方に付きまとってきました。
 それは、「神」 の存在。
 歴史をつかさどる 「修正力」 として、南方はいつも彼に苦しめられてきた。
 でも南方がこうして目の当たりにしているのは、「その時代」 に生きてきた人々が、自ら変えようとしてきた、歴史の結果、なのです。

 しかしどうしても、嚥下出来ないさびしい思いが見る側にはわだかまる。
 作り手はそこに、思いもかけぬプレゼントを用意していました。
 咲からの、時空を超えた、150年後の南方への手紙、であります。

 それが未来(みき)から南方に手渡されるには、南方の好物だった揚げ出し豆腐が、どうしても言質として必要でした。
 別れ際に、いきなり 「揚げ出し豆腐はお好きですか?」 と南方に尋ねてくる未来。
 「はぁ?」 という感じですが、これがラストの扉を開くカギとなったのです。

 南方がその人だ、という確信をそれで得た未来(みき)。

 南方に、古ぼけた一通の書状を手渡します。

 「○○先生へ

 先生、お元気でいらっしゃいますでしょうか。

 可笑しな書き出しでございますこと、深くお詫び申し上げます。

 実は感染症から一命をとりとめたあと、どうしても先生の名が思い出せず、(仁友堂のほかの)先生方に確かめたところ、仁友堂にはそのような先生などおいでにならず、『ここは、わたくしたちが興した治療所だ』 と言われました。

 何かがおかしい…。

 そう思いながらも、わたくしもまた、次第にそのように思うようになりました。

 『夢でも見ていたのであろう』、と…。

 なれど、ある日のこと、見たこともない、奇妙な銅の丸い板を見つけたのでございます(象山から南方が託されたお守り袋に入った10円硬貨)。

 その板を見ているうちに、わたくしはおぼろげに、思い出しました…。

 ここには、『先生』 と呼ばれたお方がいたことを。

 そのお方は、揚げ出し豆腐がお好きであったこと。

 涙脆いお方であったこと。

 神のごとき手を持ち、なれど、けっして神などではなく、迷い傷つき、お心を砕かれ、ひたすら懸命に治療に当たられる、

 …『仁』 をお持ちの、人であったこと。

 わたくしはそのお方に、この世で、いちばん美しい夕陽をいただきましたこと、思い出しました。

 もう名も、お顔も、思い出せぬそのお方に、

 …恋をしておりましたことを。

 なれど、きっとこのままでは、わたくしは、いつかすべてを忘れてしまう。
 この涙のわけまで失ってしまう。

 なぜか耳に残っている、『修正力』 という言葉。

 わたくしは、この思い出を亡きものにされてしまう気がいたしました。

 ならば、と、筆を執った次第にございます。

 わたくしがこの出来事にあらがうすべはひとつ。

 この 『思い』 を記すことでございます。

 ○○先生…。

 あらためて、ここに書き留めさせていただきます。

 橘咲は、

 先生を、お慕い申しておりました

      橘咲」

 …。

 言わずもがなですが、ここは泣く場面であります(笑)。

 その昔には、「愛している」 という言葉がなかった、ということを、どこかで読んだ気がする。
 人々は相手が恋愛対象として好きだ、といった場合、「お慕いしている」「御大切に思う」 という言葉を使っていた、と。
 この言葉は咲にとって、全身全霊を賭けた、「思い」 の告白なのです。
 現代人の特徴としていみじくも咲から指摘された 「男のクセに涙脆い」 南方は(笑)涙にくれながら、咲の手紙に向かって、まるで咲がそこにいるかのような表情のまま、こう答えるのです。

 「私もですよ、…咲さん…。

 私も…

 お慕い申しておりました…」

 もどかしくも、あまりにも切ない、時空を超えたやり取り。

 手紙を書き終えた咲は、虚空に向かって微笑みかけます。

 その先には、南方が、やはりそれに応えようと、ひたすら笑顔を、作り続けるのです。

 この笑顔は、最終回前半で南方が無理に作ろうとした笑顔と、同質のものではあるのですが、そこにはかすかに、「思いが届いた」、という幸せの意味が、含まれている。
 南方は、あらためて独白します。

 「(この思いをいつまでも忘れまい、と思った。

 けれど、オレの記憶もまた、すべて、時の狭間に消えていくのかもしれない。

 歴史の修正力によって。

 …

 それでも、オレはもう忘れることはないだろう。

 この日の美しさを…。

 当たり前のこの世界は、誰もが闘い、もがき苦しみ、命を落とし、勝ち取ってきた、無数の奇跡で編みあげられていることを…。

 オレは忘れないだろう。

 そして、さらなる光を与えよう。

 今度は、オレが未来(みらい)のために…

 …この手で)」

 ラスト。

 未来(みき)が、南方の病院に搬送されてきます。
 脳幹部に食い込む厄介な脳腫瘍におかされている未来(みき)。
 南方が、その手術の執刀を、自ら名乗り出るのです。

 エンドマーク。

 「オレが未来(みらい)のために、さらなる光を与えよう」 という南方の独白は、ここで本当のダブルミーニングになっている。
 未来(みらい)であり、未来(みき)である。
 やられました、最後まで。
 ここから始まる物語があることは、容易に想像できるじゃないですか。




 最後の南方の独白に、自分のブログの 「JIN」 に関する記事の題名と奇妙なリンクを感じながら、ドラマは終わりました。
 総論を冒頭に書いてしまったのでいまさら書き足すことはなにもありませんが、正直なところこの完結編、最初のうちは第1部との表現方法の違いに、戸惑いを覚えることも多かった。
 でもあらためてトータルで思い返せば、卒倒するようなプロットの構築による壮大で巨大な城が、そこにはそびえていた。 「JIN」 という 「城」 が。

 作りすぎているがゆえに、それが実際に映像になるときには、「神の存在」 の強調し過ぎなど気になる点も生まれなかったわけではありません。
 けれども結局抹香臭くなることもかなり回避され、のぼりつめた頂上には、作り手の確かな主張が、生きるうえにおける大きなテーマが、厳然と存在していたのです。

 冒頭に書いたように、ここまでのドラマというのは、そんなにめったにお目にかかれるもんじゃない。
 アナログ放送で最後まで放送された最後の作品となった今クールのドラマたちですが(まあ私なんかはデジタルで見ていたわけですが)、まさにアナログ放送の最後を飾るにふさわしい作品だった気がします。
 今後も優れたドラマというのは出てくると思いますが、このドラマはあえて別格におきたいくらいの作品でした。
 このようなパフォーマンスを見ることができたことには、スタッフ出演者のかたがたすべてに、ひたすら感謝、であります(ほかに思いつきませんねぇ…)。

 そして最後に、この果てしなく続く記事をお読みくださった方々にも、ひたすら感謝申し上げます。

 …肩肘張らず、などと書いておきながら、張りまくりもいいとこだったな(笑)。

当ブログ 「JIN」 についてのほかの記事
第1部

第1回 荒唐無稽との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---1-e9ae.html
第2回 建前との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---2-f3b1.html
第3回 自分の病との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---3-3290.html
第4回 女としての闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/---4-542b.html
第5回 梅毒との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---5-9dba.html
第6回 リアルとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---6-25d6.html
第7回 明日のための闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---7-87b0.html
第8回 自分の器との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---8-e9a7.html
第9回 心意気どうしの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---9-8cf0.html
第10回 ああもう、どうなっちゃうの?との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---10-670a.html
第11回(最終回)続編あるかどうかとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---7290.html
番外 続編の可能性を、もう一度考えるhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---a138.html

完結編
第1回 いますべきこととの闘い!① http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-577a.html
第1回 いますべきこととの闘い!② http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-7d0d.html
第1回 いますべきこととの闘い!③ http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-c8e9.html
第1回 いますべきこととの闘い!④ http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-6f3f.html
第2回 自分の願いとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---2-4ed0.html
第3回 人を思う気持ちとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/05/jin---3-ab26.html
第4回 自分の血との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/05/jin---4-5d43.html
第5回 無力感との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/05/jin-5-f4e1.html
第6回 坂本龍馬との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/05/jin---6-619d.html
第7回 永遠に生きるための闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/06/jin---7-16d1.html
第8回 産みの苦しみとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/06/jin---8-b4b9.html
第9回 歴史の必然との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/06/jin---9-0cc9.html
第10回 闘い続けることの闘い!① http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/06/jin---10-8668.html
第10回 闘い続けることの闘い!② http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/06/jin---10-6c2a.html
第10回 闘い続けることの闘い!③ http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/06/jin---10-4d00.html

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2011年6月26日 (日)

「リバウンド」 第9回 最終回前に、必要以上に話が収束しすぎてる

 どうも信子(相武紗季チャン)と太一(速水もこみちクン)が結ばれる、ということが、あり得なくなってしまいました。
 最終回が目前だというのに、このドラマはまるでこの回が最終回のような展開。
 遊川サンは型通りのハッピーエンドという方法をとても回避したがる傾向の脚本家さんなので、彼のセオリーからいくと、もうこの第9回目が最終回、というカテゴリーに含まれてしまう気がするんですよ。
 それなのに、まだあと1回残っている。
 これってまたまた、変な(笑)どんでん返しが待っている、ということなのかな?

 この回、信子は結局雑誌 「EDEN」 を辞めてしまいます。
 つまり心筋梗塞で倒れた父親(石塚英彦サン)のあとを継ごうと、実家のとんかつ屋になる決心を固めたからです。

 彼女が決意を固めたのは、幸せが実は、幼いころから 「こんなところに生まれたからデブってみんなからバカにされるんだ」 と忌み嫌っていたはずの、このとんかつ屋の扉の向こうにあったんだ、ということに、気付いたから。
 彼女はおいしいものを作って店に来るお客さんを幸せにすることで、自分が笑えるんだ、ということに、いちばんの価値を置こうとしている。

 大人になるに従って、笑うということが極端に減っていく人間。
 自分の人生は、少なくとも笑い続けていたい。

 それは、研作(勝地涼クン)が入院先に押しかけることで完全に笑いを閉ざしてしまった石チャンの姿を見て、信子があらためて思い知ったことなのです。

 自分らしくあることは茨の道だ、ということは、今回の自分に降りかかった失恋や、編集長(若村麻由美サン)の姿を通じて、信子が痛いくらい学んだことです。
 それでも自分らしくあらねばならない、というのは、結局いろんなこまごまとしたこだわりを捨てて、何もかもかなぐり捨てたあとに残った、たったひとつの自分のプライドのためである。
  「EDEN」 を辞める際に編集長は、自分の後任に名前を間違えられても何ひとつ文句を言わなかった渋谷(しぶたに)さんを指名するのですが、これも名前を間違えて腹を立てるような下らないこだわりを渋谷さんが持っていなかった、ということを理由として挙げている。

 要するに、編集長は確信犯的に名前を間違えて呼んでいたんですよ。

 この編集長の判断って、一歩間違えるとかなりおマヌケになりかねない。
 自分の名前にこだわりがない、ということは、要するにどうでもいいっていうやる気のなさ、あきらめの早さと直結している可能性も捨て切れない。
 編集長がその部分のみを評価して渋谷さんを指名したのであればマヌケなんですが、なんだかんだ言いながら編集長は、日ごろのスタッフたちの仕事への打ち込み具合をかなり厳しく査定していたんでしょうね。

 編集長の更迭に伴って復帰した有希(西山茉希サン)も、思いあがりからわがままになっていくのですが、信子に諭されて、自ら 「EDEN」 の専属モデルを辞めてしまいます。
 彼女は信子にあらためて見せつけられた、自分の新人時代の写真を見て、自分がここにいることの恥ずかしさに気付くのです。
 確かに素人目からも、新人時代のグラビアが魅力的なことがよく分かる。
 そして最近の有希の仕事に向かうやる気が減退しているのも、すぐ分かる。
 ここらへんの演じ分けがされているのは、ちょっと感心いたします。

 検索してばかりの研作にストレートにものを言った信子。
 研作からの大上段なプロポーズを、完っ璧に拒絶するのです。

 「どんなにつらくても、悩んで苦しんで、自分で考えて自分で決めなきゃいけないんじゃないの?自分の生き方って!」

 自分らしさに傷つきながら、大切なもののために何かを捨てながら、それでも決断しなければならない。
 遊川サンの作品にときどき見られる、「なにかの犠牲の上に立っている人生」 という観点が、ここでも垣間見ることができます。

 入院先を親友の瞳(栗山千明サン)と一緒に訪ねてきた太一。
 人生の苦渋の決断に鬱々としていた信子に、太一の笑顔が、とても眩しく映ります。
 胸が潰れそうになったかのような信子の表情に、見ているこっちも思わずウルウルとしてしまいました。
 ここにも、幸せの扉がある。
 けれども信子は、もうかなりの部分で太一との仲をあきらめる踏ん切りが、つきかかっている。
 とんかつ屋を継げば、アンジュで一緒にケーキを作っていくことなんて、完全に不可能になるからです。

 あきらめなければならない、切ない思い。

 太一が持ってきた9つ目の新作、プリンには、信子との共同作業の証であるニコチャンマークがついていません。
 がっかりする信子。
 太一をあきらめているはずなのに、ガッカリしてしまう、この切なさ。
 ところがプリンの底の部分に、大きなニコチャンマークがカラメルで描かれているのです。
 瞳が信子との思い出をもとに発案していた、そのアイディア。
 瞳も太一との新作ケーキに自分の思いではなく、信子の力を借りなければ何もできないジレンマを、抱えているのです。

 参ったなあ、この構図。

 結局瞳もそんなジレンマに耐えきれず、太一と袂を分かつのですが、結局信子の最後のひと押しによって、太一は瞳を、さらいに来るのです。

 なんか話が、もう信子と太一はオシマイ、とたたみかけまくっている感じで、切なさが極まっていきます。

 信子が太一に対して最終的な決断を迫ったのは、自分との共同作業ではなく、あなたを産んだご両親の思い、というものに応えなければならない、という理屈によってでした。
 自分も両親の温かな笑いに包まれて育ってきたことの思いを、とんかつ屋を継ぐことで果たそうとしている。 だからあんたも、そうすべきなんだ、って。
 また共同作業でケーキを作りたい意向の太一に、信子はとても柔らかな彼女らしい笑顔でこう言うのです。

 「違ーうよー!

 これ、ぜぇーんぶ太一がひとりで作ったんだよ!

 あたしはー、食べてー、意見ゆっただけー」

 ここまで来るともう、太一も決断せざるを得ないじゃないですか。

 「瞳のこと、…離さないで」

 笑顔を作りながら、切ない表情でアンジュを去っていく信子。
 かなりウルウルしました。

 そしてとんかつ屋に戻ってきた信子。
 そこでは、なんと研作が下働きとして働き始めているのです。

 これってもう、こ~なるしかない、ってことでしょうねぇ~。
 いじりようがないですよ、もう、これ以上(笑)。
 ここからどうやって最終回を作っていくのか、といえば、もっともっとこれ以上こ~するしかない、というのを推し進めるか、かなり状況を破壊しまくって(爆)信子と太一を一緒にさせるか、どっちかしかない気がする。

 いずれにせよもう1回残っている、というのがかなり気になる、「リバウンド」 なのです。

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2011年6月25日 (土)

「鈴木先生」 第9回 感情と正義のあいだ

 なかなかの見応えであります、「鈴木先生」。

 夏休み中の登校日に行なわれたのは、出来ちゃった結婚をしてしまう鈴木先生(長谷川博己サン)を糾弾する裁判。

 これまでディベートでさまざまな問題をクリアしてきた鈴木先生が、その俎上に乗せられてしまう、という、このドラマの逆転の発想、というものが心地よい。

 立場を逆転させて、これまでの鈴木先生の展開してきた論理がどこまで生徒たちの血となり肉となっているのかを、ドラマを見る側に思い知らせる、まさにこのドラマでしかあり得ない 「フロシキのたたみかた」 を、どうやらこのドラマはするようです。 演劇的である、と言ってもいい。

 と同時に、このドラマの着地点、というものが、おぼろげながら見えてきた気がする。

 私が考えるこのドラマの着地点、というのは、鈴木先生が抱える2-Aのクラスの生徒の成長、ではありません。

 2-Bの生徒、神田マリ(工藤綾乃チャン)の救済であり、足子先生(富田靖子サン)の救済。

 もし私の推測が合っていれば、このドラマは2-Aを舞台としながら、別のクラスの生徒のために存在していた、と言っていい展開になる。
 これってど真ん中の直球を投げながらそれがものすごい変化球である、という、私がこのドラマに対して抱く印象を、地でいく結論のような気がするのです。

 今回鈴木先生がなぜ悪者になってしまったのか、というと、「大人の事情」 によって生徒たちを、いったんケムに巻こうとした、その 「まっすぐでない」 いやらしさに原因がある。
 そしてそれを許せない鈴木先生ラブの丹沢(馬淵有咲チャン)の一種暴走気味の 「感情」 によって、「裁判員裁判」 という名を借りた個人糾弾の場が作られてしまったことに、ドラマ的な面白さが潜んでいるのです。

 鈴木先生は自分が被告人であるこの裁判に臨むにあたって大きな不安を感じ、恐怖を感じるのですが、いっぽうで自分の発言なしで当初展開していくこの裁判に、「ワクワクしている」。
 それはこの裁判自体、自分の教育理論がどれだけ生徒に浸透したかの実験の成果が明確に分かる場であるからこそなのですが、自分の恥部が暴かれることで、自分の理論をほかならぬ自分にどこまで適用できるのかを、鈴木先生が楽しんでいる、というようにも見える。 この構図は外野から見ていても、楽しい。

 まずこの裁判、丹沢の感情的な態度に対して、一部の男子生徒たちが反発を強めます。
 議論をすることにおいて、その問題に対して自分がどれだけの興味を持っているか。
 まずそれが議論におけるいちばん最初の問題になることを、このドラマは確実についてくる。
 どーでもいいことなんか、クソマジメに議論する必要なんかない。
 それでも丹沢らは、自分たちの恋愛感情を棚に上げ、「鈴木先生には社会的規範を教えてきてもらって、自分はそれを尊敬していたのに、それを裏切られた」 という、単にみんなを従わせようとする意志のために目的意識を一段上に設定させようとするのです。
 この構図が、また興味深い。

 自分たちはたいてい、ごたいそうな大義名分に従って行動していません。
 ムカついただの許せないだのずるいだの、結構低級な感情によって行動を決定する傾向がある。
 それはでも、大勢を納得させる態度とは、到底言い難いのです。

 だから自分たちは、そこにたいそうご立派な目的をつけたがるのです。

 それは、「正義」。

 丹沢たちにとって好きだった鈴木先生に出来ちゃった結婚された、いやらしい、許せない、という低級(これを低級と言い切ってしまうことには躊躇がありますが)な感情は、ここで糾弾的な裁判をするうえでより高級な大義名分を必要とされる。
 それが、「正義」、なのです。

 感情と正義のあいだで中学生の彼らは、自ら議論できるテンションを、維持できなくなってきます。
 この混乱状態、実にあり得そうでひたすら舌を巻きました。

 そこを取りまとめようとしたのが、かつてクラスメイト達全員の目の前で壊れてしまうという醜態を演じた、竹地(藤原薫クン)。
 だいぶょうぶかよ、という声が、一部のクラスメイトたちに当然のように上がります。
 でもその発言は、この裁判自体をまじめに考えていない、という態度の表明に過ぎない。
 冷静に物事を考えられるのは竹地だけだ、という意見が自然にわき上がり、竹地がこの裁判の進行役になるのです。

 「ぼくは自分のことは冷静に考えられないが、他人の事なら冷静になれる自信がある」 と竹地は断言するのですが、鈴木先生は 「(どーゆー宣言だよ?)」 とツッコミ(笑)。
 ツッコミを入れられるほどに、この生徒たちのカオスを目の当たりにした鈴木先生は、自分の教育理論が結実する場面のコーフンに、酔いしれているかのようです。

 そしてその裁判を、自分のクラスじゃないからその場で見ることが叶わず、遠隔カメラで同性愛的な関係を持つ2-Aの入江(松本花菜チャン)に指示を出しながら、鈴木先生を窮地に陥れようとする、神田マリ。

 彼女は 「オトナなんかみんな汚い」 と言いながら、自分のしている汚さに、気がついていません。

 自分のことなんか、本当は誰も、的確に分かっていない。

 当の自分が他人にひどいことをしているのに、同じようなことを他人からされて、その他人にムカついている。

 そんな、大人のあいだにもある盲目を、神田マリという女の子は、とても象徴的に演じています。

 遠隔カメラによる映像を見ている彼女のもとにやってきたのは、なんと足子先生。 謹慎にも近い長期休養を斉木しげる校長から命令されているにもかかわらず、です。

 次回最終回、いずれにしても大注目であることは間違いがありません。

 なおBSジャパンで7月2日(土)午後10時から、このドラマの再放送が始まる模様。

 ちょっと見てなかった前半数回を、見てみたい気分になってきました。

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「江~姫たちの戦国~」 第23回 作り手と見る側との距離

 前回はなかなかよく出来てると感心した 「江」 でしたが、今回はまた、もとの黙阿弥。
 特に前半はかなり退屈で、半分寝てました、土曜の昼下がり(なんかだいぶ気温が下がってきたので寝やすくて…笑)。

 そのせいで見落としがあるかもございませんが、今回はヤケに秀吉と利休との関係が悪化。
 寝てない部分だけでとてもいーかげんにひも解いてしまいますが、どうもこのふたりの関係を悪化させるあおり役が、石田三成らしい。

 これまでこのドラマにおいて幇間(タイコモチ)の役割しか演じてこなかった三成が、いきなり利休に対して強硬派になっているのには、それなりの理由があるはずなのですが、寝てない部分だけで見る限り(スンゲーいい加減だなホントに…)家康とか有力大名と通じている、という他愛のないセリフひとつで説明されていた、気がします(断言はいたしません…笑)。

 利休が権力を手に入れたがっている、という疑惑の裏には、やはりそれなりの理由が少なくともドラマのなかでは説明されねばなりません。

 ただの茶立てですよ、この男。

 それも天下一の。

 そんな男が、どう政治と関わっていくってんです?

 つまり三成の利休への不審には、これまでと同じ幇間としての軽々しい嫉妬が混じっている、という程度の作り手の解釈でしかないのです。
 軽々しい、それゆえにこの理由づけは、ドラマにとって重大な落ち度であります(しかし全部見てない癖によくここまで断言できるね橋本は…)。

 それでも作り手の興味は三成の 「軽々しい」 不審なんかより、「どうして利休が秀吉に対してあからさまに不興を買うようなマネをし出したのか」、ということにあるようであります。

 ここで小道具となるのが、秀吉が嫌いな 「黒くてすべすべとした茶碗」。

 ドラマをちゃんと見ている人ならすぐ分かりますが(寝ながら見ている男が何を言っとるか)秀吉の権力が盤石になってから、利休の好みはそれまでのごつごつした武骨な茶碗から、静謐な黒のすべすべとした茶碗に変わっています。
 その茶碗を、秀吉はとても嫌うのです。
 その理由を秀吉は語りません。
 ドラマの作り手がそこんところに興味がおありにならないようなのでこちらで推測いたしますが、たぶん黒、というのが不吉、に秀吉には見えるんでしょう。
 そしておそらく、ごつごつとした茶碗というのは、秀吉が心酔していた信長の好みによるもの(だったっけな?)。
 すべすべとした茶碗は、その秀吉の思いを粉砕するものである。
 だからこそ秀吉はこの茶碗を忌み嫌うのだと推測いたします(私が寝ているあいだに秀吉は、このことを説明したかもしれません、もしそうでしたらご容赦願います)。

 その茶碗を、この回利休はあからさまに秀吉に出し続ける。

 まるでわざと怒らせているようです。

 天下一の 「おもてなし」 の名人が、どうしてここまでの嫌がらせをするのか?
 それは次回に明らかにされるみたいですが、この手の片手落ちドラマでは、謎を次回以降に引っ張るっていうのが、とても逆効果なんですよ。
 せめて1回完結で腑に落ちない点は解決してもらいたい。
 でなければ、秀忠も江とのよもやま話に巻き込まれて痴話ゲンカを始めてしまうこのドラマのていたらくのなかで、見る側がすっきりしてドラマを見続けることができなくなる。

 ただ救いなのは、秀吉がここ数回ですっかり人が変わってしまったことだけは、明瞭に分かる、という点です。
 ほとんどオチャラケる事がなくなった。
 でもそれで、「すて」 が生まれてからの秀吉の狂気を、見る側に納得させるほど描写しているわけでもない、というのが、中途半端なのです。

 中途半端といえば、すべてがあまりにも中途半端。

 秀忠だって、どうしていちいち同席した茶の席で秀勝と江との仲を子供みたいに憶測させるのか、といえば、秀忠はこの時点でまだ子供もいいところ、だからなのですが、このドラマはもう、江が子役でなくなった時点から、年齢設定など度を超えてハチャメチャですからね。 秀忠も同じなんですよ、外見は大人、中身は子供、というのは。

 今回北条を滅ぼしたのが一夜城を築いたから、というスンゲー雑な(爆)バトルシュミレーションも、そもそもドラマ第1回目からその中途半端ぶりは透徹してますし(清水紘治サン、生殺しだ…笑)。

 つまり、このドラマは見る側の 「見たい」 と思う興味を、ことごとくはぐらかし続けている、と思うんですよ。

 大河ドラマを見よう、と思う人たちの最初の興味は、まず史実をどこまで人間ドラマとして構築してくれるのか、という点だと思われます。
 このドラマはまず冒頭からその思いを粉砕している。

 で、史実がダメならドラマとして見ようとするわけですよ、見る側といたしましては。

 それがまた、このドラマはなってない(笑)。

 前回ちょっと持ち直したけれどもやはりその流れというものは、容易に変えられるものじゃないんだなー、というのは今回見ていて強く感じました。
 確かに重厚感というものは、前回から継続しています。
 けれどもそれは、石坂浩二サンや北大路欣也サン、そして遅れてやってきた岸谷五朗サンの演技がそれを下支えしているにすぎない。
 江は相変わらずのガキっぷりで、以前このブログのコメント欄にも書きましたが、脚本の田渕久美子サンは上野樹里チャンを嫌いなんじゃないかと思えて仕方ない。 主人公に対する愛情が、ひとかけらも感じられないのは、今回も継続中です。

 昨日NHKラジオで 「江」 の資料提供をしているかたがご出演されていましたが、「『このドラマはフィクションです』、と本当は流せればいい」 と話をし、聞き手のNHKアナウンサーが、これはドラマであって史実ではないんだ、みたいなことを強調されていた。

 けれどもおふたりのご意見のレベルなど、見る側はもうとうに、捨てているのです。

 「江」 に史実なんか、爪の先ほども期待していない。

 作り手の意識が史実云々にまだこだわっていること自体が、見る側との大きな距離、隔たりをあらためて感じさせることとなっているのです。

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2011年6月23日 (木)

「JIN-仁-」(完結編) 第10回 闘い続けることの闘い!③

 初めに、この③で最後までやっと決着つけました。 ドーモスミマセン。 なんとか最終回まで間に合った(笑)。



 南方の思いが凝縮された手術が始まります。

 田中久重(浅野和之サン)から送られた無尽灯がつく。 すべては南方がこの時代で行なってきたことの集大成になっていることを、ここで一瞬のうちに見る側は思い知ります。

 ちょっとおさらいも兼ねてこのドラマの第一部第1回目を見直したのですが(なんだかんだ言って余裕あるな…笑)、恭太郎の手術の際に現代から持っていったミニ懐中電灯の球が切れてしまい(この電球を南方は田中にあげたんですね、今頃納得…笑)、咲と栄(麻生祐未サン)がローソクで恭太郎の患部を照らしていました。 それに比べればこの明るさの進歩は凄い。

 つまりこのドラマ、恐るべきトータルパッケージがなされているんですよ。
 記憶力の悪い私には気付かないことが多いのですが、おそらくこの完結編でも、数々の第一部の場面との関連がなされているはずです。

 そしてきれいに頭を剃られた龍馬。
 これまでの龍馬のイメージを根本から覆すその姿に、やはり見る側はある種のショックを受けるのです。
 頭蓋骨のいくつかの部分に穴が開けられる。
 これも、南方が野風(中谷美紀サン)の雇い主だった六平直政サンの脳腫瘍手術で行なわれた術式を踏襲しています。
 当の龍馬の刀傷は、これまた恭太郎の症例と酷似している。
 恭太郎の術式のときは、南方は大工道具のノミとトンカチで(原始的…)頭蓋骨をかち割ったのですが、ここでの龍馬の手術は、そのときとは比べ物にならない進歩を遂げています。

 しかも術式に立ち会っているのが、タイムスリップ早々に邂逅した佐分利。
 彼は優秀な医師だったのですが、物語開始当初、それを鼻にかけて南方のスキルに最初は嫉妬を覚えていた。
 彼は龍馬のオペ中にまたもや激痛に襲われた南方を制して、ここで大きな助力を発揮するのです。
 やはりトータルパッケージングがすごい。
 その佐分利も、「脳が膨張を始める」、「切り取った頭がい骨を患者の体(大腿部)に保存する」、そんな南方の現代医療の巻き起こす出来事にまたあらためて驚き、学習を深めていきます。
 このドラマの真骨頂は、やはりそんな、江戸時代で行なわれる現代医療。
 やはりこの一点を外すことはできないのです。

 それにしても佐分利に助力を仰いだとはいえ、この 「龍馬の手術を許さない、坂本龍馬は死ななければならない」、とする神の存在は、ここではきれいさっぱり消えています。
 ここに見る側は、ある種のちいさな不安を抱くことになります。
 結局龍馬は仕組まれたとおりに、死んでしまうのかもしれない、と。

 このオペ中、龍馬の血液がまた南方の目を直撃します。
 これで都合2回、同じことがありましたよね。
 このことって、のちに幽体離脱した龍馬と南方が意識を疎通しあうことと、何か関連があるのでしょうか?
 それともあの胎児形奇形腫と、何か関連性があるのか、南方本人と龍馬の意識が一体化していたと考えられる、現代にやってきたあの男の成り立ちにつながっていくものなのか。
 現代に現れたその男は、「顔じゅう打撲傷で判別がつかないほどだった」、と第一部の南方先生は警察の事情聴取に応じていました。
 顔じゅう打撲傷になるって、どういうことなのかな~。
 すべては最終回、ですよね。

 手術はとりあえず成功。
 先ほど述べたような、ある種の小さな不安は残しつつも、見る側はある程度安心感を持ってこの経過を見守ることになります。
 なぜなら今回②でも説明いたしましたが、「南方がこの時代に送られた目的は、龍馬を救うことだ」 という理屈によってドラマを見ているからです。
 だから数日の間龍馬の意識が戻らない、という描写があっても、絶対龍馬は元気になる、と思い込んでしまっている。
 ここで前の回のレビューでちょっと触れた、「野風が龍馬に宛てて書いた手紙」 がまたその思い込みに拍車をかけるんですよ。
 「野風の手紙を龍馬はまだ読んでない、ということは、龍馬は生き延びてこの手紙を読むんだろう」 という見る側(少なくとも私)の浅~い憶測(笑)をうまく誘導するのです。

 野風からの手紙は、別になんのことはない、フツーの内容。
 しかしそこで龍馬に野風から初めての 「お誘い」 の内容が含まれていたため(笑)、龍馬は野風会いたさに(?)、自発呼吸を再開するのです(爆)。
 「それ見たことか」、ですよね(笑)。

 だからこそそのあとの展開が、どうしようもなく衝撃的で、切なさを倍加させてくる。

 自発呼吸を再開したものの、龍馬の意識は戻りません。
 南方は意識の戻らないままの龍馬に、現代のいろいろな事象を語って聞かせます。
 携帯電話によってどこにいても話ができる。
 メールによって文(ふみ)を一瞬にして届けることができる。
 新幹線、飛行機によって旅もずっと楽になる。

 ここで南方は、わざと自分に頭痛を起こさせるような話をしようとしている。
 これは 「自分は本当は脳に癌があるのではないか、神の意志など頭痛と関係ないのではないか」 ということを疑いにかけ、天秤にかけている状況だ、ということです。
 そして 「わざと頭痛を起こしたいのでございますか?」 といぶかる咲に、「だって、頭痛が起こったら、龍馬さんがまだ生きられるってことでしょう」 と答えています。 南方は頭痛が起こることの因果関係を、ここではオカルトではなく科学的に探ろうとしている。

 そのとき、龍馬の意識が、回復するのです。

 「…しぇんしぇい…

 …
 …妙なもんを、見よったぜよ…

 …
 …箱を連ねたような、巨大なヘビが這いまわり…
 …空には、巨大な鳥のようなもんが、…雲を連れ…
 みんなぁ、西洋人のようないでたちで…
 …こんまい箱に向こうて、ひとりごとをしゃべりよるんじゃ…。

 …ありゃ、…

 …しぇんしぇいの住んどった世界かえ?…」

 「…はい…!」 南方は、龍馬の意識をさらに覚醒させようとしてか、大きな声で返事をします。

 「…やっぱりのう…

 …

 …ええのう…。

 …わしも、しぇんしぇいのように、別の世界に行きたいねや…」

 この場面。

 なんかもう、泣けてきます。

 前も書きましたが、最初に見たときはこれほどぐっと来なかったんですよ。
 それが、龍馬がもうじき死ぬと分かってからこの場面を見ると、泣けてしょうがない。
 いろんなところに行きたかったんだろうな、龍馬…。
 もしかするとその願いを、胎児型奇形腫に託して現代によみがえったんじゃないのかな?…そんな気さえしてくるのです。
 やっぱり第一部も含めリピートして見ることを強要されてるな、このドラマ(笑)。
 トータルパッケージも含めて、何度も咀嚼しないと、このドラマの真の出来、巨大な全容というものは判明しないんじゃないか?…そんな気がするのです。

 「龍馬さん。
 未来に行ったら、どこに行きたいですか?」

 「…吉原ぁ…」

 「(間髪いれず)すいません、もうないんです」(笑えます、このやり取り)

 「…島原ぁ…」

 「(申し訳なさそうに)すいません…ほかには?」(島原ってにわかには分からなかったんですが、要するに京都の吉原、ですな)(吉原から離れんかい!龍馬!…笑)

 それを聞いて大いに落胆した龍馬(爆)。

 「…

 …ほうじゃ…。

 保険は…?」

 「ああ、民間の保険会社ならあります」

 南方、しっかりスポンサーヨイショしてます(笑)。

 龍馬は保険会社を作らにゃいかんと話してから、南方に尋ねます。

 「…先生には、この時代は、どう見えたのじゃ?…

 ハ…愚かなことも、…山ほどあったろうに…」

 もし自分が100年先の日本からやってきた、という人と会ったなら、やっぱりそう思いますね。
 100年後のほうが、今ある理不尽な縛りというものがどんどんなくなっているだろう、下らない政治など滅んでしまうだろう、そう考えるからです。
 いっぽうではやはりモラルというものがどこまで崩壊しているか、そんなことも夢想してしまう気はしますけど。
 南方は龍馬の問いに、実に深い答えをするのです。

 「…教わることだらけでした…。

 たとえば、…えっと…

 未来は、夜でも、そこらじゅうに明かりがついていて、昼みたいに歩けるんです。
 でもここでは、提灯を下げないと夜も歩くことができないし、
 …提灯の灯が消えたら、誰かにもらわなくちゃいけなくて…
 『ひとりで生きていける』 なんて、文明が作った幻想だなあ、とか…

 離れてしまったら、手紙しか頼る方法はないし、
 ちゃんと届いたかどうかも分からないし…。

 …人生って、…ホント、
 一期一会だなあとか…

 あ、あと、

 笑った人が多いです。

 …ここの人たちは、笑うのが上手です…」

 それを聞いた瞬間、龍馬は満面の笑みをたたえ、南方のほうに顔を傾けるのです。
 泣ける。

 ひるがえれば、現代人は笑うのがヘタクソだ、という批判が、そこには含まれています。
 日本人はともかく昔から、意味不明の笑いをするということで、外国人にも不思議がられてきた。
 でもそれは日本人が、他人と仲良く付き合っていこう、という精神の持ち主だからこそ生まれくる性癖なのです。
 外敵との闘争や侵略に明け暮れてきた外人には、そのことが不可解に思えてしまう。
 ところがなんでも便利になりすぎて、自分ひとりで生きられるという錯覚に目覚めてしまった現代の日本人は、とかく愛想をふりまかなくても生きていけることを、学習してしまっている。
 そしてバブルなんて、不相応に豊かすぎる時代を通り過ぎてしまってからは、精神的な身分の格差を無意識のうちに相手に強要してしまっている。
 コンビニでお金を払っておつりを受け取るとき、あなたは笑いますか?
 みんな無表情ですよ、だいたい。
 お金を払ってんだからとーぜん、という顔をしている。
 私は結構ニヤニヤしてますけど(ニヤニヤって…笑)、店員のほうが無表情で、なんかひとりで笑ってバカみたいに思えるときがあります(笑)。
 みんな無意識のうちに、精神的な士農工商の物差しで他人を見てるんじゃないでしょうかね?

 南方は、コロリの治療のとき、ペニシリン製造のときの龍馬の行動力に、大いに教わったことを話します。

 「龍馬さんは、…親友で…悪友で…私のヒーローでした…」

 「…『でした』 ち、わしゃぁ、まだ生きとるぜよ…

 …ところで…

 『ヒーロー』 ってなんじゃ?」

 笑わせたかと思う間もなく呼吸が荒くなり人事不省に陥る龍馬。
 飛び込んでくる咲と佐分利。
 「脈拍低下、血圧も低下してます!」 叫ぶ佐分利。
 南方に急かされ咲が持ってきた人工呼吸器。
 龍馬は、それを拒絶します。

 なんでだよ!

 「…しぇんしぇい…」

 呼吸困難になりながら、龍馬は南方を呼びます。

 「なんですか?! 龍馬さんっ!」

 「先生…
 わしゃあ…
 ちゃんと…
 先生の生まれて来る国…
 作れたかのう…?」

 言葉に詰まる南方。

 「…先生のように、…
 …優しゅうて…
 …バカ正直な人間が…
 …笑ろうて、…生きていける国を…」

 「…はいっ…!」

 「…ほうかえ…。

 …」

 「バカ正直者が生きられる国」…いいですよねぇ…。
 龍馬は感無量になりながら、にっこりと笑って、目を閉じていきます。

 「…まっこと…」

 あ~だめだ…。
 泣ける。

 「まっこと、よかったねや」…龍馬は、そう言いたかったのでしょう(断言してます)。

 「龍馬さん…?」

 南方は慌てて心肺マッサージに突入します。

 「龍馬さんっ!
 このあと、たしか、いろいろ大変なんですよ!
 いろんなとこで、反乱がおきたりして、城とかも、燃えてしまったりするんです!
 西郷さんとかも、大変なことになるんですよ!
 龍馬さんいなくなったら、そんなことになるんです!
 まだまだやらなきゃいけないことあるでしょうっ!
 …
 戻ってこい…!
 …
 龍馬さんっ!
 …
 戻ってこいっ!
 …
 戻ってこいっ!
 …
 坂本龍馬ああ~~っ!!」

 安らかの表情のままの龍馬。

 「なんで頭痛が怖いんだぁっ!」

 「もうやめるぜよ、先生」

 龍馬の声が、南方の頭上からしてきます。
 呆然となる南方。

 「ほれ、一緒に行くぜよ」

 視線を虚空にさまよわせながら、南方は龍馬に尋ねます。

 「…どこに…行くっていうんですか?」

 いぶかしげに南方を見る咲と佐分利。
 視線を目の前の龍馬に落とす南方。

 「どこに行くんですか、…龍馬さぁん…!」

 南方は、号泣してしまいます。 延命処置を、南方が諦めた瞬間です。

 雪が降ってきます。

 野風がその雪を見ながら、「雪になればどこへでも行けると思っていた…」 と赤子の安寿に向かって話をしています。

 「安寿、これが雪でありんすよ…」

 野風の手のひらに舞い落ち、すぐに溶けていく雪。
 まるで龍馬の思いのように。
 クソッ、なんとかしてくれ、このドラマ。
 後日咲から野風に渡された龍馬の形見の品は、雪の結晶が入ったかんざし。
 その魂は雪のように、この世を漂うことになるのです。

 手術台には、微笑んだままの龍馬が、眠ったように息絶えています。

 それから数日。

 南方は自分がこの時代に送り込まれた目的がまた分からなくなってしまっています。
 でもそんな自分よりも、咲のことを心配する。
 咲はここ数日のあいだ胸に閉じ込めていたものが南方のねぎらいの言葉で決壊してしまいます。
 「兄を…お許しください…!」
 南方はそんな咲の顔を見ながら、自分がここにいなければ、余計なことをしなければ、こんなことにはならなかった、とまたまた考えてしまう。
 その思いは仁友堂に帰ったときにますます強くなっていくのです。

 仁友堂は三隅(深水三章サン)の計略によって山田(田口浩正サン)が捕えられ、存亡の危機に陥ったのですが、結構簡単に真犯人は判明(そりゃ回数少ないですからねぇ…笑)、一見落着といった状況。 そんななか仁友堂へと帰ってきた南方は、山田のやつれよう(痩せてはなかったけど白髪がちらほら…笑)や落書きだらけの建物を見て、咲に感じていたことと同じ思いを抱いてしまう。

 仁友堂をたたもうと決心した南方、自分の脳に癌があることも、ここで告白します。
 南方のネガティヴな決断に直面した仁友堂のメンバーたち。
 てっきり青春ドラマ並みに激しく南方を責めるかと思いきや、皆さんの反応はちっとも感情的ではないのです。

 「私たちに、病人を置いて出て行けとおっしゃるのですか?」

 ここで口を開いたのは、牢獄で拷問に遭いながらも生還した山田。

 「そのようなお言葉に従っては、…緒方(洪庵…武田鉄矢サン)先生に向ける顔がございませぬ!」

 山田は南方を、仁友堂の社是?を書いた額の前に立たせます。

 「国の為
 道の為」

 佐分利は 「なんやけったいな人でも、出会ったことを一瞬たりとも後悔したことはございません!」 と宣言。
 咲は 「国のため、道のために、わたくしどもに持てるすべてをお教えくださいませ」 と懇願。
 南方はここで思い直すのですが、この回後半、龍馬が死んでからのこのドラマの流れは、「国の為」 ということがひとつの導きとなっている気がします。
 自分が動いていることは少しずつ、少しずつ、やがてはこの国を良くすることのためにつながっている。
 それはけっして、手を休めてはならない闘い、なのです。
 闘うことを続けることが、人生最大の意義といってもいい気がします。

 南方は頭痛にさいなまれながらも、後進の指導に力を入れていくことになるのですが、やはりそれも結果的に国のためになっている。
 それを政治レベルで実現させようとする動きの代表として作り手が考えたのが、江戸城無血開城。
 その席で勝(小日向文世サン)は 「オレが龍馬のマネをしてるんじゃない。 龍馬がオレのマネをしてんだ。 あいつとオレは一心同体なのさ」 と西郷に語り、「あいつはまだ終わっちゃいない」 つまり龍馬の国を思う志はまだ死んでいない、という解釈で、西郷の説得に成功するのです。
 ここらへんの流れは駆け足のように思えましたが、「国を思う」 ということにテーマの重点が置かれていることを、如実に感じさせる。

 南方は仁友堂の面々の施術に立ち会っていた際、龍馬からの声を再び聞きます。

 「ここぜよ、先生」

 南方が振り向くと、そこには胎児型奇形腫が。
 その奇形腫、第一部第1回と同じように、その目が開きます。
 その瞬間、南方をまた激しい頭痛が襲う。

 野風に雪の結晶のかんざしを渡しながら、咲は南方の病気をなおせる方法がひとつだけある、と打ち明けます。
 それは、おそらく南方を未来に送る、ということなんじゃないかな~と思います。
 ということはですよ。
 南方と咲は、やっぱり結ばれることはないんでしょうかね。
 いずれにしても、次回がとうとう最終回。
 あ~なんか、スピンオフの続編でも作ってほしいと思う今日この頃。

 最終回のレビューはどんだけ長くなるんだか、それともコンパクトにまとまってしまうのか、怖さ半分期待半分、でありんす。

 そして、この長ったらしいレビューに最後までお付き合いくださったかたには、心よりの感謝を申し上げたいと思います。

当ブログ 「JIN」 についてのほかの記事
第1部

第1回 荒唐無稽との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---1-e9ae.html
第2回 建前との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---2-f3b1.html
第3回 自分の病との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---3-3290.html
第4回 女としての闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/---4-542b.html
第5回 梅毒との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---5-9dba.html
第6回 リアルとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---6-25d6.html
第7回 明日のための闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---7-87b0.html
第8回 自分の器との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---8-e9a7.html
第9回 心意気どうしの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---9-8cf0.html
第10回 ああもう、どうなっちゃうの?との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---10-670a.html
第11回(最終回)続編あるかどうかとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---7290.html
番外 続編の可能性を、もう一度考えるhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---a138.html

完結編
第1回 いますべきこととの闘い!① http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-577a.html
第1回 いますべきこととの闘い!② http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-7d0d.html
第1回 いますべきこととの闘い!③ http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-c8e9.html
第1回 いますべきこととの闘い!④ http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-6f3f.html
第2回 自分の願いとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---2-4ed0.html
第3回 人を思う気持ちとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/05/jin---3-ab26.html
第4回 自分の血との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/05/jin---4-5d43.html
第5回 無力感との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/05/jin-5-f4e1.html
第6回 坂本龍馬との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/05/jin---6-619d.html
第7回 永遠に生きるための闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/06/jin---7-16d1.html
第8回 産みの苦しみとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/06/jin---8-b4b9.html
第9回 歴史の必然との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/06/jin---9-0cc9.html
第10回 闘い続けることの闘い!① http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/06/jin---10-8668.html
第10回 闘い続けることの闘い!② http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/06/jin---10-6c2a.html

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2011年6月22日 (水)

「JIN-仁-」(完結編) 第10回 闘い続けることの闘い!②

 ちょっとこのところ疲労困憊気味で記事のアップもままならないのですが、長~い目で見守って下さいまし。 結論から申しますが、今回のレビューも、最後までたどり着けませんでした…(まっっったく…笑)。



 前回記事では龍馬を斬った東の行動について考察を加えました。 今回はその部分以外の物語を追いながら、感想を書いていきたいと思います。

 それにしても、龍馬を失った喪失感というものは確かにあるのですが、そのことがこの物語を終わらす大きなきっかけになっているのは注目すべきです。
 だからこの回を見終わってしばらくあった喪失感というのが、日を追うごとに 「期待感」 に変わってきている。 ただ前回のラストを見たときも 「早く続きが見たい!」 と強く思ったものですが、そういった期待感とも違う。 「どうして東はそんなことするの?なんでなの?」 という感じではなく、「どうやってこのドラマの作り手はこの話をまとめるのだろう」 という期待感なのです。

 龍馬の額を斬った東は逃走。 南方は咲に 「佐分利さん(桐谷健太サン)を起こしてきて下さい!」 と頼むのですが、咲は腰が抜けたまま。 無理もありません、目の前で実の兄が龍馬を殺そうとし、別の人間が龍馬を斬ってしまい、南方は龍馬の返り血を顔面いっぱいに浴びているのですから。
 「咲さんっっ!!」 南方の渾身の叫び。 咲は、我に返って佐分利を呼びに行きます。
 龍馬の意識を確かめる南方に、龍馬は弱々しく答える。

 「…南方仁がおれば…坂本龍馬は…死なん…

 …ほうじゃろ?…」

 龍馬の血で真っ赤になった目から血の涙を流しながら、南方は力強く答えるのです。

 「…はい…! …助けます…!

 …オレが…この手で…!」

 ここのシーンを今見返したのですが、あらためて泣けてきます。
 最初に見たときは、「自分はこのときのために未来から送り込まれたのだ」 という南方の独白を聞きながら、龍馬は助かる、このドラマでは助かる…!と感じて特に泣けはしなかったのですが。

 考えてみれば南方がここで 「自分はこのために未来から来たのだ」 と考えるのは、ちょっと逆のような気もする。
 南方はこれまで、歴史の神という見えない存在に対して、無力感を覚えながらも絶えず抗ってきました。
 だから 「ここで全力を尽くすことが、その神の意向を根本から破ることだ」 と考えるのが自然なような気もする。
 しかし南方は逆説的に 「実は自分はこのためにここに来たのではないか」 と考えてしまうのです。
 それは南方の願望によるところが大きい。
 坂本龍馬を暗殺から救うことをそのまま神の意向であると変換してしまうことで、すべてを納得させてしまおうという、不安の裏返しから来ている思考だと、私は考えるのです。
 そして南方は、「自分は龍馬を助けるために未来から来た」 と思い込むことで、自らを鼓舞し、それを大きな自信へとつなげている。

 それからここで南方がそう思い込む裏には、自分をたびたび襲っていた激しい頭痛の原因を、彼がおぼろげながら理解し始めてきたことも大きい気がします。

 ネタばらしを先にしてしまいますが、この頭痛は神の怒りでもなんでもなかった。

 南方の脳に、癌ができていたためなのです(前回レビューでの右脳左脳の話は、お忘れください…笑)。

 それにしちゃ龍馬に暗殺のことを話そうとするたびに激痛が走る非常に頭のいい癌細胞なよーな気もするのですが(笑)、とにかくこれは神の意向なのだと南方が感じなくなったことで、自分が何のためにこの時代に送り込まれたのかを南方なりに納得することが(その時点では)出来たのだと思うのです。
 南方がここで佐分利を呼んだのは、手術中にその神の怒りが爆発することを恐れているためではない。 確かに佐分利を連れて江戸を出立したときには、神の意向が怖かったんだと思うのですが。 ここで佐分利を呼んでいるのは、手術中に自分の脳の癌が暴れることを危惧してのことだと思います。
 そして南方は、全力でこの使命を全うしようとする。
 坂本龍馬という歴史上最高の人間的魅力を持った男を、全力で治そうと自らを奮い立たせるのです。

 そして龍馬。
 「南方仁がおればわしは死なん」 という言葉は、第1部から繰り返され、そのたびに龍馬が確信を深めてきた言葉です。
 龍馬は南方の決意を聞くと、すべてを安心しきったように満面で笑い、そして意識を失っていく。
 このふたりの間に流れる、全力の信頼感。
 龍馬が結局助からなかった、という結末を見てからこのシーンを見返すと、涙が止まらない。

 ちょっと待ってください。

 まだ始まってから3分でありんす(爆)。

 もうすでに、疲れました(オイオイ…)。 この続きはまた次回にいたしとう存じます…。

 早いとこ書かないと、最終回がやってきてしまう…(爆っ!)。

 皆様、コメントを差し控えてくださって、ありがとうございます(ゼエゼエ…)。

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2011年6月20日 (月)

「JIN-仁-」(完結編) 第10回 闘い続けることの闘い!①

 最終回目前の 「JIN」 を今見終わったのですが、結構、徒労感が自分のなかを支配しています。
 のっけからネタバレご容赦ですが、それは結局、坂本龍馬(内野聖陽サン)の命を救えなかったことが大きな原因であります。
 ドラマではしかしそのことをきちんと意味のあるものに仕立て上げていたのですが、やはりあのものすごい牽引力のある男がこの世を去ってしまう、ということの喪失感、というものは、あまりに大きい。

 「龍馬伝」 の最終回以降にも同じような喪失感に見舞われたのですが、「JIN」 ではこの男の魅力を大河ドラマ並みの長期間で描写してこなかったにもかかわらず、それと同じ、もしくはそれ以上の喪失感を見る側に強要してくる。 ここに作り手の実力も強く感じることができるのです。
 やはり龍馬という男は、人を魅了してやまない魅力にあふれている。
 それはどんな荒唐無稽のドラマであっても、そのことは変わらない。
 いやしかし、ちゃんとその魅力を残すことができた作り手の手腕を、やはり褒め称えるべきでしょう。

 だから 「徒労感」、といってもそれは否定的な意味ではないのです。

 かなりの見応えを感じるからこそ、生まれくる徒労感、なのです。

 まず前回大きな謎を呼んだ東(佐藤隆太サン)の行動ですが、「あんまり見る側が考えすぎると、かえって肩透かしを食らうかもしれない」 という危惧は、木っ端微塵に粉砕されました(笑)。
 このドラマが 「JIN」 であることを忘れていました、ワタシ(笑)。
 そう、「JIN」 というドラマは、登場人物の動機付けを、これでもか、これでもかと執拗に繰り返す手法をこれまでもとってきていたのです。

 冒頭、「あなたは私の兄の仇で、初めからそのつもりで近づいた」 と告白する東に 「ほいたらどういてわしをここまで守った、これもわしを守るためじゃろうが」 と龍馬はうめきながら東の真意を見透かします。
 東はその場から逃げ去っていくのですが、その後遺書を残し、自刃し果てる。
 その直前に東は自分が助かった禁門の変での緊急救護所を訪れ、「拾ってはいけない命だったのかもしれませんね、坂本さん…」 とつぶやきます。
 このシーンとかぶさるようにして、龍馬が回復の兆しを見せるシーンが続いたので、「それって龍馬の命?」 とも思ったのですが、この 「拾ってはいけない命」 というのは、やはり東自身の命だととらえるべきでしょうね。

 いずれにしても最後まで真意をひた隠しにする東という男、とてももののふらしさというものを感じたのですが、その口数少ない言動から東の真意を引き出すには、脚本上これがぎりぎりだった気がします。 ただ感心…。

 そしてその東の遺書の内容が、大久保(眞島秀和サン)によってつまびらかにされるのですが、「誰かに仇を討たれる前に自分が本懐を遂げた」 というその内容に、それを聞いていた西郷(藤本隆宏サン)は、「東さぁは、坂本さぁの作ったもんを守ったのかもしれん」 と感想を漏らします。
 つまり大政奉還を陰で支えた坂本を、恭太郎(小出恵介サン)に 「殺せ」 と命じたのが徳川だったことが公になれば、大政奉還が徳川の本意ではなかったことになる。 となると、坂本の成し遂げた仕事が水の泡になる、という理屈です。
 これは東がその混乱した場面で一瞬にしてそこまでのことを考えたのか?という意味で結構考えすぎ、の域にまで到達している理屈であります。
 しかし冒頭で龍馬が 「これもわしを守るためじゃろうが」 ということを言っていたと考えれば、ことこのドラマとしての体裁上、そこまでの意味づけは、けっして 「考えすぎ」 ということはない、私はそう考えるのです(あ~分かりにくい文章)。

 「じゃっどん、ただの仇討ちじゃれば、だいも文句は言えん。

 …ただの、推量じゃっどん…」

 西郷はここで、「これは推測にすぎない」 ということを明確に語っています。
 だからこそ、ドラマが生きてくる。
 さらに西郷は 「あげな生きかたは、坂本さぁしかできん、おいは、おいのやり方しか知らん」 と坂本の生き方とは別の生き方を自分は選ぶ、とここで決意を語っている。
 これが今回後半での西郷の行動へとつながっていくわけですが、いちいちどのシーンも濃密に絡みまくってますなあ。 濃密すぎて何回も見ることを強要されているようであります(笑)。

 そしてダメ押し、「これもわしを守るためじゃろうが」 という龍馬の言葉について南方が思いを巡らし、咲(綾瀬はるかチャン)と語り合うことで、さらにドラマの作り手は東の真意を推しはかろうとするのです。

 「龍馬さんに重傷を負わせれば、恭太郎さんたちは去る。
 そのあと、私が治すことを(東さんは)願ってたのかな?って…」

 そんな南方に、咲はこう答えます。

 「かようなお考えなら、あそこまでの傷を負わすことはなかったのではないでしょうか?

 東さまのお守りしようとしたのは、坂本さまの、生きかたのようなものだったのではないかと…」

 前回のレビューにいただいたコメント返信での私の考えと南方の考えは、だいたい一緒のようです(笑)。
 しかし咲も、西郷と同じように 「東はそうすることでしか、坂本を守れなかった」、というまるで逆説のようなことを話すのです。
 これは武家の間にある共通した思想なんでしょうかね。
 いずれにせよ、後追いで推測、という形でしか表現できなかった 「東の真意」、なのでありますが、ここまでしつこくやっていただければ(笑)見る側としてはじゅうぶん納得なのであります。
 やっぱり 「JIN」 は 「JIN」 だった。

 以上前回ラストの謎について書き進めましたが、実際のところもっともっと感動した場面はほかにあるので、また日をあらためて物語を追っていきたいと思います。 ちょっと今日は、疲れました…。

当ブログ 「JIN」 についてのほかの記事
第1部

第1回 荒唐無稽との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---1-e9ae.html
第2回 建前との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---2-f3b1.html
第3回 自分の病との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---3-3290.html
第4回 女としての闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/---4-542b.html
第5回 梅毒との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---5-9dba.html
第6回 リアルとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---6-25d6.html
第7回 明日のための闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---7-87b0.html
第8回 自分の器との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---8-e9a7.html
第9回 心意気どうしの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---9-8cf0.html
第10回 ああもう、どうなっちゃうの?との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---10-670a.html
第11回(最終回)続編あるかどうかとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---7290.html
番外 続編の可能性を、もう一度考えるhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---a138.html

完結編
第1回 いますべきこととの闘い!① http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-577a.html
第1回 いますべきこととの闘い!② http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-7d0d.html
第1回 いますべきこととの闘い!③ http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-c8e9.html
第1回 いますべきこととの闘い!④ http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-6f3f.html
第2回 自分の願いとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---2-4ed0.html
第3回 人を思う気持ちとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/05/jin---3-ab26.html
第4回 自分の血との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/05/jin---4-5d43.html
第5回 無力感との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/05/jin-5-f4e1.html
第6回 坂本龍馬との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/05/jin---6-619d.html
第7回 永遠に生きるための闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/06/jin---7-16d1.html
第8回 産みの苦しみとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/06/jin---8-b4b9.html
第9回 歴史の必然との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/06/jin---9-0cc9.html

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2011年6月18日 (土)

「リバウンド」 第8回 「自分らしさ」 に傷つきながら生きてゆく

 前回友情と愛情の連鎖崩壊を起こしてしまったこのドラマ、今回信子(相武紗季チャン)瞳(栗山千明サン)太一(速水もこみちクン)は崩壊後の常として、本来の自分を見失うカオス(混沌)の時期を通り過ぎるのですが、そんななかでどうするのがいちばんいいことなのか、互いに模索をしていきます。

 鬼の編集長(若村麻由美サン)の動向も併せて、今回どことなく話が滞り気味で展開に求心力を失ったかに見えた 「リバウンド」 でしたが、悩む主人公たちのああでもないこうでもない、という姿を見ていくうちに、個人的にはなんかとても切なさが募っていきました。

 さんざん自分を変えようと努力した結果、信子は結局、「自分らしいこと」 がいちばんなのだ、という結論に至るのですが。

 「自分らしくあること」。

 別にドラマでいちいち大げさに悩まなくたって、そうするのがいちばんいいって、フツー簡単に考えてしまいがちですよね。

 でも。

 信子にとってそれは、全方位外交でみんなにいい顔をしようとし、その場を取り繕おうと見苦しく(暑苦しく?)動き回り、ガニ股で歩く(笑)ことなのです。

 そして究極的には、「太ったままの自分でいること」。

 太一と付き合っていったんリバウンドしていたのは、「本当の自分」 に戻っていただけなんだ、という認識に、信子は至ります。
 今回終盤、信子はほかのケーキ屋でケーキを大量に買い込み、泣きながらそれをむさぼるように食べ続けます。
 なぜなら 「自分らしく太一にも素直に愛を告白しよう」 と考えてアンジュに行ったのに、「瞳から告白されてしまった」 という太一を前にして、全方位外交的に瞳に太一を譲るような格好で、太一との仲を今度は本当にあきらめてしまったからです。
 それが、切ない。

 「自分らしくあること」。

 ここでは信子にとってそれは、「傷つきながら生きていく」、ということと、同義になっています。
 自分らしく太っていることで、全方位外交であることで、まわりから暑がられて蔑まれて悪口も言われて。
 その結果恋をあきらめ友情を優先してしまうし。

 でも誰もが、自分らしく生きることで、それがかえって自分を傷つけている。

 瞳にしても絵を描くことが自分らしく生きることなんですが、そのことでヤラシイオッサンに 「個展を出してあげる」 と言い寄られ、断ると 「お前の絵なんか誰が認めるっていうんだ」 みたいなひどいことまで言われるし。
 自分らしく生きるということは、どうしてこうも残酷なんでしょう。

 だからこそ瞳の絵を心からいいと言ってくれる太一に、頑なな瞳の心がほぐれてしまうのが、またこれが切ない。
 瞳が太一に自分の思いを告白するシーン、ひたすら泣けました。
 ケンカ別れしている最中だけど、自分の親友が好きな相手。
 しかもふたりが相思相愛だということも分かっている。
 それでもなお、自分の才能を認めてくれる、たったひとりの男性。
 そんな男に、「私、やっぱりあんたのこと好きだわ」 と言わずにいられない、この恋の切なさ。

 どうしてこんなに恋って、切ないんだろう。
 泣けますよ。
 瞳にとって、正直に太一に告白してしまうことは、やっぱり自分も親友も傷つけてしまう行為なのです。

 自分らしくあることで、ほかならぬ自分が傷ついていく。

 編集長が創刊以来重用してきたモデルの有希(西山茉希サン)を降板させることで、編集部内での求心力も失い、周囲の反感も募らせ、果ては上層部から 「会社の方針に従わなければ辞めろ」 とまで言われているのも、「自分らしさを追求することで自分が傷ついていく」、という構図ですよね。
 私は編集長をめぐる今回の話、「いったい信子は編集長とどうしたいのかな?」「有希を復帰させたいのか編集長の思う通りにさせたいのか」 と考えていたのですが、作り手が考えていたのは、「編集長が自分のしたいことをどれだけやりとおすことができるのか」、ということだったようですね。 有希を再び採用するか別のモデルを使うか、ということに話の重点はなかったみたい。

 信子はケーキ嫌いな編集長のために(ケーキが嫌いな理由は、編集長がもともと太っていた、という理由ではなかったですね)(そっちの理由で太っている特殊メイクの若村サン、見てみたかった~…笑)「ケーキが嫌いな人でも食べれるケーキを作って」、と太一に依頼するのですが、太一はそれにこたえて 「EDEN」 の名前の由来になったリンゴを素材にしたアップルパイを完成させ、編集長に食べさせて、編集長にまたデスクに戻ってもらう決意の後押しをします。
 ここらへんの話もよかったなあ。

 つまり 「自分らしさ」 を貫くことの大変さというテーマで、今回のドラマは統一されているのです。 そこから 「切なさ」 というものも引き出している遊川サンの実力には、ただただ脱帽であります。
 ただのおデブドラマが、ここまで深遠なテーマに肉薄することになろうとは。
 うれしい誤算なのであります。

 ところでラスト、別のケーキ屋さんで買ったケーキを泣きながら大量に食べている信子のそばで、「パパ(石塚英彦サン)が仮病でなくて本当に倒れてしまった」、と狼狽しながらかけてくる、信子の母親(伊藤かずえサン)の留守電が、むなしく鳴り響きます。
 それは信子が 「自分らしい」 自分のダメな部分を治そうとしていたとき、「その場を取り繕」 わずストレートにパパにキツイ本音の話をしてしまったことが、遠因としてあるのです。

 もろもろも併せ、どうなってしまうのでしょうか。

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「江~姫たちの戦国~」 第22回 秀吉の怒りで一気に引き締まったドラマ

 向井理クンが初登場する回ということでちょっぴり期待しながら見た、今回の 「姫たちの戦国」。
 いやいやどうして、向井クンが登場したのはラストのほんのワンシーンだったのですが、それ以前から、結構見ごたえがありました。 ひょっとして向井クンを迎え入れようと脚本家のかたがこれまでになく飛ばしたのかも?などとつまらぬ詮索までしたくなるような出来だった気がします。 不肖橋本、いかなダメドラマでも、ほめるときはほめます。 まあ見くびって見てるとたま~にいいことがある好例の気もしますが…(笑)。

 今回このダメドラマを一気に引き締めたのが、これまでオチャラケバカ殿モードで突っ走り、ここ数回の大恋愛ドラマへの大転換にまったく失敗していたように思える、岸谷五朗サン演じる秀吉であります(やっと演者の名前をレビュー中に書ける…)(お気づきのかたもいらっしゃるかもしれませんが、私はこのブログの 「江」 の記事本編でここ数回、演者の名前を一切書いておりません。大変失礼なことを書きまくっているからであります)。

 「茶々の子が秀吉の子ではない」 という噂を立てられた秀吉が逆上、罪もない人々を殺しまくった、という話を、「姫たちの戦国」 なりに咀嚼していたのですが、その料理の仕方がこのドラマでなければ成立しない、という的確さで。

 つまりなんでも首を突っ込んでギャーギャー文句を言ってるだけの江、という、およそこのドラマでしか見られない江の性格を利用し、この虐殺事件に対して最も歯に衣着せぬ文句を、江をして秀吉に問い詰めさせるのです。

 それに対して岸谷サンは最初能面のような顔でそれを聞いています。
 しかし 「バチが当たる」 と言い募る江に、「こやつ…縁起でもないことを…」 と徐々に怒りをあらわにさせる。
 そして、「そのようなこと(縁起でもないこと)をなさったのは秀吉様ではありませぬか!」 とさらになじる江に、秀吉は信長の亡霊を見てひるむかと思いきや、それまで顔を引っかかれたり噛みつかれたりと 「愚にもつかぬ」 さまざまな 「姫」 のなさりようにもオーバーリアクションで受け流すだけだった秀吉が、江に詰め寄って怒りをあらわにするのです。

 「ならばそちは平気かーっ!

 茶々の腹の子が!馬鹿にされたのじゃぞーっ!」

 文句娘の江も負けてはいません。

 「だからと言って、人をあやめてもよいのですか!」

 秀吉は言下にその文句を一蹴する。

 「うるさいいっ!!」

 江をねめ殺してやろうか、とも思えるほどの秀吉の形相。
 信長の霊なんかブッ飛ぶほどのこの剣幕に、さすがの江もいささかひるみ、「お子に何かあれば、秀吉さまのせいですからね」 と捨てゼリフを残して去るしかない。
 この江の言葉は、この子 「すて」 がその後すぐに夭逝してしまうことの 「このドラマにありがち」 なつまらん布石(笑)なのですが、秀吉は江がそそくさと去る後ろ姿を見ながらも、江さえもひっとらえて鼻を削ぎ落し磔けにしそうな形相を崩しません。

 このシーンが極めて効果的であるのは、秀吉がいかにわが子のことで盲目になっていたのかをここで一瞬で見る側に理解させ、江が秀吉の茶々への愛情を、それまでのどんな出来事よりも強烈に思い知る契機となっているからです。
 そして先にもふれたように、このドラマのなかで一貫して、信長の残影を見ながら江に気後れしていた秀吉が、この瞬間に信長の亡霊から解き放たれたことを意味している。
 だからそれまでだらけていたように見えたドラマとしての体裁も、ここで一気に意味を持つものとなり、ドラマ全体が引き締まるのです。

 しかしここに至るまでが、限りない失望の連続でした。 こういうシーンはもっと早い段階でするべきであった、とも思われます。

 今回の 「姫たちの戦国」 はそれに加え、茶々がおのこ(男子)を産むことにこだわり続けるエピソードを挿入します。 この重層的な話のたたみかけが、いかにも大河らしい。
 茶々は 「おのこを産んだら頼みがある」 と秀吉に約束させていったん話を引っ張るのですが、今回終盤でその頼みというのが、豊臣にとって仇敵である自分の父母、浅井長政と市の追善供養だったということが判明します。
 いかにも大恋愛に陥っていた秀吉と茶々との関係、そこには説得力を感じませんでしたが、自分はそのことのほうに茶々が秀吉に接近したより大きな説得力を感じましたね。

 ただ追善供養の際に描かれた父母の肖像画、おしまいの 「江紀行」 であらためて見た現物とは似ても似つかぬ代物で(笑)、カンペキに時任三郎サンの似顔絵になっちゃってたとこなんかは、まあいかにもこのドラマらしいご愛嬌だな、とは感じましたが(笑)。

 「すて」 が生まれる間際、そんな反目し合っていた秀吉と江は、いかにもこのドラマらしいスラップスティック風なやり取りで心をひとつにします。
 あんなに 「殺してやろうか」 という勢いだった秀吉が、その江に頭を下げて 「この子を頼む」 みたいなただのパパになってしまうんですよ。

 この効果もすごい。

 やっとこのドラマがどうしてオチャラケモードで進行していたのかが腑に落ちるシーンだった気がしてなりません。 こういうことは、このドラマでしかできない(しっかし遅すぎるよなあ…笑)(半年も引っ張るなっつーの…笑)。

 さらに江はその後、夫の京極高次と共にやってきた姉の初のイチャイチャぶりも併せて、その孤独感を募らせていくのですが、ここでおね(大竹しのぶサン)に愚痴を言い続ける秀次(北村有起哉サン)と江を口ゲンカをさせることで、秀次と江の置かれた孤独感を同化させていく。

 北村有起哉サンのしわがれ声は、亡きお父上の北村和夫サンを彷彿とさせる感じがして、別の感慨も抱いたのですが、この人はつくづくうまい役者さんだと感じます。
 それにしても今回、エピソードのひとつひとつが互いによく絡んでいる。
 前回までとは別のドラマのようです。

 そのドラマの画面を引き締めて下支えしていたのが、このドラマの唯一唯二の引き立て役、家康(北大路欣也サン)と利休(石坂浩二サン)の 「かつての大河ドラマ主役そろい踏み」 コンビ。
 天下一の茶を飲ませることで大名衆を籠絡にかかる秀吉の手腕に感心する家康。
 茶碗の好みが黒くてすべすべしたものに変わりつつあることを自覚し、秀吉との気持ちのずれに気付き始めている利休の、「近いがゆえに、もっとも遠い――」 という言葉。
 なんてことはないシーンでしたが、このおふたりが演じると画面に重厚さが増します。

 なんなんだよ、今回のこの出来のよさ。

 そしてラスト、ようやく登場した向井理クン。

 父親のこれまでの人生のありように、一種の冷笑を向けながらそれを隠そうともしない、のちの江の夫です。

 今回の出来のよさはすべてこのためのお膳立てだったのかな?と冒頭で述べたような気もしてくる、満を持しての登場なのです。

 今回感心したのは、前回までとは全く違う方向で出来がよくなったわけではなく、今までのダメドラマの方法を踏襲しながら出来をよく見せていた、という点においてであります。
 まさにこういう方法でしか、このドラマはよくならない。
 確かに所々甘い点はありましたが、我慢して見続けてよかったなー、という気はしておるのであります。

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2011年6月16日 (木)

「いきものがかり吉岡聖恵のオールナイトニッポン」 一夜限り、とは言わず完全復活を!

 去年いっぱいまでやっていた 「いきものがかり吉岡聖恵のオールナイトニッポン」。 スペシャルウィークという聴取率調査名目の目玉みたいな感じで、一夜限りの復活です。

 いきなり冒頭から、なつかしい 「ぶってんじゃねーよ」 のコーナーで始まり、「キョンバンワ」 といういつものあいさつで始まった番組、ちょっぴり 「テンション高田」 の聖恵チャンが飛ばす飛ばす。 コーナーの募集とかやってたかどうかわからなかったので、「ホトケのきよえ」 様も出てこないんだろうなーと思っていたら例によって2時台に登場。 番組知らない人には何のことやらチンプンカンプンでしょうが、「ホトケのきよえ」 様がお出あそばしたときは、なんかもう、こちらも感無量になってしまいました。

 だというのに 「特別ゲスト」 のいきものがかりのほかの男性メンバーふたりはただひたすらテンション低いまんまで、こっちの感無量を破壊しにかかります(笑)。 「重大発表」 とか言っといて、実はリーダー水野クンが人間ドックに入るということだったり(水野クンのほうだったよなあ?)(ほかのおふたりには全く興味なし…笑)、「すわ、いきものがかり解散か?」 などと思わせといてこのはぐらかしぶりには、ちょっとばかりムカムカしたのであります(笑)。

 ここでムカムカしている自分に、「ひょっとしてオレは聖恵チャンが大好きになっちゃってるのではなかろーか?」 とあらためて気付かされました。
 なんか彼女って、とてもウラオモテがない明るさを持ってる気がするんですよ。
 明るい女の子ってそれだけで好きなのですが、ふざけるのが大好きな明るさ、というのは特に自分と波長が合ってる気がする。 彼女の別人格の 「ホトケのきよえ」 様に対して思い入れがすごくあるのは、自分もこんなおふざけが大好きだというところからきている。 だから 「ホトケのきよえ」 様にほかのメンバーがちゃちを入れるとムカムカする。

 そんな彼女も去年の放送終了以降、グループとしての活動も休止状態で曲作りとかメンバーとの打ち合わせとかばかりやってきたらしいのですが、そのさなかに3.11の大震災に直面し、大いに自分の無力さに打ちのめされたようであります。
 そんななかで出来た新曲がこの7月に発売されるそうで(本当の重大発表はそれだった)、「笑ってたいんだ」 というその曲はリーダーによれば震災前から着手していたらしいのですが、震災後の気持ちからどうしてもそっちの方向に曲のニュアンスが流れていきそうになりながら、それとは関係なく元気のある曲を作っていこう、という趣旨のもとで完成させた曲だそうです。 アップテンポでとても、元気の出る曲です。

 「テンション高田」 のコーナーも復活し、もうなんかうれしいの連続だったのですが、番組終了のときには 「一夜限り」 ということが強調され、「まったねー、バイバーイ!」 といういつもの終わりかた。 「一夜限り」 などと言わず完全復活してほしい!とラジオに向かって叫んでました思わず(笑)。

 番組が終わってから、もう半年もたっちゃってたんだなーと、あらためてその長さに驚かされたのですが、チャンキヨはちっとも変わってなかった。 ニューヨークに行った話とかを自慢げにしながら、それを自虐ネタにしてしまう。 彼女の体温というものが、とても好きなのです。

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「鈴木先生」 第8回 夏休みなんてキライだ…

 ずいぶん遅れてこのドラマを見始めて、毎回々々過激な激白シーンがあるので、今回の展開はちょっと穏やかに感じました。 物語が夏休みに突入するために、生徒も先生もどこか浮かれ気味。 毎回水も漏らさぬ論理を繰り広げる主人公鈴木先生(長谷川博己サン)も中学校の屋上でノンアルコールビールで乾杯、なんだかんだで夏休みも忙しいと恋人の麻美チャン(臼田あさ美サン)に言いながら気分はオフモードであります。

 しかしそのなかで仕事一筋の足子先生(富田靖子サン)のストレスはたまるいっぽう。 教師たちの 「早く帰ろう運動」 も 「帰りたい人はどうぞ」 と意に介する様子がない。 教師も生徒たちも夏だ!祭りだ!アバンチュールぜよ!(あ番組違うか)とばかり夏ひらく青春(百恵チャン)を謳歌しているというのに、彼女に優しくしてくれる岡田先生(山中聡サン)は同僚の先生と付き合っていたためにはかなく恋やぶれ、はた目にはニコニコしてるけど目が笑ってない、目が(笑)。

 足子先生の膨張していくフーセンのごときストレスが、今回の穏やか~なドラマのひとつの導火線となっていることは容易に分かるのですが、もうひとつ鈴木先生ラブの丹沢(馬淵有咲チャン)という生徒の動向が、なんとなく気になる。 今回序盤で彼女との会話のなかで、鈴木先生が 「丹沢」 と意味もないのに彼女の名前を呼ぶことから、このコは話の中心に来そうな気がしてました(また可愛げのないドラマの見かたしてますな)。

 案の定丹沢は今回ラストで、夏祭りに来ていた麻美チャンがつわりのために気分が悪くなったのを鈴木先生が介抱している場面に遭遇してしまい、「道徳だなんだと偉そうなことを言っておきながら自分はなんなんだ」 と完全にまっぷたつのハートマークの残骸を踏みつけながら(笑)「鈴木先生憎し」 の足子先生にすがりついて恨みの涙を流すのであった…オワリ(笑)。

 や、終わんないって(笑)。

 今回笑っちゃう場面が多かったです。 特に富田靖子チャン。
 岡田先生に優しくされてそれまで鉛の足取りだったのがルンルル~ンってなっちゃうし(BGMが 「ヤーッホーホトランランラン」 って爆!)、淡い恋が破れた、というお決まりのパターンをまさにこれぞ王道、という感じで演じるし(笑)、なにしろ顔が笑ってて目が笑ってない、という精神乖離の演技が可笑しくてしょうがない。 「江」 で春日局をやるという噂が立っておりますが、このエキセントリックな芝居を完璧にこなせる演技力を、あのドタバタラブコメ時代劇(辛辣…)で大いに生かさない手はない、と強く感じます。

 さらに喫煙室でくつろぐ先生方を 「恥を知れ 禁煙できない ダメ教師」(笑)という標語で柔らか~く首締めにかかったり(笑)、「フザケンナヨ」 と小声で通り過ぎたり(笑)。
 そんな足子先生の究極の一発が、夏祭りのパトロールに駆り出されて 「すいませんお忙しいのに来ていただいて」 と恐縮する鈴木先生に 「本当は来てほしくなかったんじゃ?」 と軽ーいジャブで鈴木先生を硬直状態にさせておいて(笑)、満面の笑みをたたえながらとても優しく言い放った一言。

 「…アンタなんか、…死ね♡」

 鈴木先生は緊張のあまり泡を吹いて(なかったか…)その場に気絶してしまうのです(あ~マンガだ、マンガ原作だけど…笑)。 笑いました、ココ。

 そして鈴木先生の恋人孕ませ話を暴露しすがりついて泣きじゃくる丹沢を慰めながら、丹沢の背中でニタァ~っ!と笑う足子先生。 鈴木先生、麻美チャンの妊娠を確認しながら 「(なんてこった!夏休み始まって早々にブチかましたのは、このオレだったあっ!)」 花火がど~ん。 爆笑です。

 そのほかにも、小川(土屋太鳳チャン)が 「金魚に、うちに来て下さいって語りかける」 とやたらと金魚がすくえるとか(鈴木先生 「(どんだけ金魚すくってんだ小川!)」)いうのも笑えましたし、なんかこちらも知らないあいだに夏休みモードになってしまう、そんな回だった気がします。

 でもそのなかで、自分が子供のころ夏休みに抱いていた感情も、ちょっと思い出しました。

 ドラマのなかで先生たちが危惧を抱いているように、夏休みになると、群れから放たれた動物のように、いきなり変わってしまう友人がいる。 まあそんなに極端ではないですが、学期中同じクラスのなかで、その箱のなかでおとなしくしていたクラスメイト達が、一様にはしゃいで浮かれだす。
 鈴木先生のA組ではない2年B組の神田マリ(工藤綾乃チャン)は、ことあるごとに裏からみんなを焚きつけるネガティヴ思考の女の子なんですが、彼女が少々倒錯っぽい関係の女友達、入江紗季(松本花菜チャン)に、こう話します。

 「私、夏って嫌い。

 みんなヘラヘラ浮かれてさ、バッカみたい。

 …

 どうにかして、懲らしめられる方法ないかな?

 浮かれてる、バカどもをさ」

 ここまで極端ではありませんが、縛りつけとかないと勝手気ままに青春を謳歌しまくってしまう友人がいることに、ちょっと私もあんまりいい感情を持っていませんでした。 「自由だ、何をやっても許される」 という開放感をそのまま受け入れてしまうことに、少々抵抗があったのです、自分の場合も。 だから青春を謳歌できる友人たちを、どこか醒めた目で見ていた。 かえって自由という時間と空間を与えられたことが、不安だった。 それに慣れっこになってしまったときに、2学期が始まるんですからね。 こういう生活のペースの変化って、あまり好きじゃないんですよ、私(まあ連休からまた仕事、というのも未だに嫌ですけどね)。

 私の場合水泳もあんまり得意じゃなくって(体育の科目として)、その点でも夏は嫌いだったなあ。 小1のとき溺れかけて、あの塩素臭のきつい水を鼻でしこたま飲んでしまったのがトラウマで。 学校のプールって、特に塩素臭かったなあ。 アレが大嫌いで。 今ってどうなんでしょうね。 私が小学生くらいのときは、公害のピーク時でしたからね。 今は改善されてんだろうなあ。

 しかしこういう、夏休みに対するネガティヴな感情を描いている学校ドラマって、なんか記憶にないですね(私の記憶も最近あやふやですが…笑)。 おそらく神田と同じような感情を夏に抱いているであろう足子先生、次回どのような逆襲を仕掛けてくるんでしょうか。

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2011年6月14日 (火)

「JIN-仁-」(完結編) 第9回 歴史の必然との闘い!

 「坂本龍馬(内野聖陽サン)暗殺」 の事実を、この時代の人たちに伝えようとするときまって南方(大沢たかおサン)の右脳を襲う、謎の激痛。

 「南方はなんでいつも頭の右側(南方から見て)を押さえてんのかなー」 などと思ってネットで調べてみました(ヒマ…)。
 右脳は想像力、イメージをつかさどる働きをしているそうで、左脳は論理的思考をつかさどるらしい。
 左脳に何ら支障がない、ということは、要するにこのドラマでしつこく出てくる 「神」 が、しっかりとした論理的思考を南方に残したまま、「歴史は変えられぬ」 ということを思い知らせようとしている証左なのかもしれません(ま~た深読みしすぎだ…笑)。

 もっと深読みしてしまえば、「じゃあ南方はすでにペニシリンで歴史を大きく変えているのに、坂本龍馬の暗殺はそれ以上のインパクトを歴史に与えてしまうのか?」 な~んて考えてしまうのですが、そこはタイムスリップもののパラドックス、と考えてあえて見過ごしたい気にもなります。

 しかし、こちらが 「まあタイムパラドックスだから」 などと看過していることに、実は大きな落とし穴があるのではないか?という気になってくる、今回の龍馬暗殺の 「史実との乖離」 の仕方なのであります。
 もしかして、南方がタイムスリップ早々命を救った橘恭太郎(小出恵介クン)の存在そのものから、史実は大きくねじれてしまっていて、それがかなりこのドラマのなかにおいて辻褄を求められている、…そんな気がしてくるのです。 ペニシリンもなにも、その点では全部意味のあることなのではないか?と。

 昨日(正確には今日)深夜の 「大宮エリーのオールナイトニッポン」 に野風・未来役の中谷美紀サンがゲスト出演されていたのですが、全部聞いたわけじゃないけど、「JIN」 に関する話はホントにごくわずか(まあ他局ですから)。 「花魁言葉で知り合いからよく話しかけられる」 などと話していましたがその程度だったか、と…。
 それで気付いたんですが、この 「JIN」 に関してはヒット作だというのもありますが、出演者からあーだったこーだった、という宣伝めいた裏話みたいな言動が、まず伝わってこない。
 そんなチャラチャラしたことをしなくても出来上がった作品だけを見てもらえばいい、という正々堂々さ、というものを感じるんですよ。 かん口令が敷かれているのかもしれませんけどね。 役者さんひとりひとりがただ作品に没入していることが伝わってくる。 作品の風格が、ますます上がっている気がします。

 そして今回ラストで展開された、「ねじれた龍馬暗殺」。

 正直言って謎だらけです。

 ネットではこのラストの出来事についてあらんかぎりの憶測が渦巻いています。 だから当ブログではなにがあったのかの深~い考察はあえていたしません。
 あえて言わせていただければ、

 「なんじゃこりゃあ!」(byジーパン刑事)(笑)。

 早よ先見せてっ!(笑)




 「龍馬暗殺は神に定められた歴史の必然なのか?」 という見る側の疑問を翻弄するかのように、南方が伝えようとしたそのことに、今回冒頭、咲(綾瀬はるかチャン)が鋭く気付いてしまいます。
 「未来人が歴史を変えようとすることはできないが、その時代の人が歴史を変えようとすることはできる」、という理屈が、このドラマでは展開している。 だから 「龍馬暗殺」 の史実を咲が知っても、咲が激しい頭痛に襲われることがありません。
 しかしいったい、咲がそのことを知ってしまって、どのようなねじれがこの先生じてくるのか?…見ている側はタイムパラドックスのうねりのなかに、否応なく突入していくのです。

 「もし龍馬が負傷したときに自分が治療できない場合」 を想定して、南方は佐分利(桐谷健太サン)を龍馬がいるはずの京への旅に同行させます。 もちろん咲も一緒。

 そこに 「龍馬暗殺」 の密命を帯びた恭太郎が、ぴったりと追尾することになります。

 それは恭太郎にとって、自分の妹も命の恩人も裏切る行為。
 死を覚悟しての、追跡となります。
 旅立ちの前、母栄(麻生祐未サン)に見せる笑顔が、悲しい。 恭太郎は最後まで、徳川家臣としての道を全うしようとするのです。

 咲も旅立つ前、野風から、龍馬にあてた書状を受け取ります。
 これって龍馬、読めるのかなあ?
 おそらくこの書状は、龍馬が次回以降生き延びることの、ひとつの布石な気がします。
 今回後半で南方一行は龍馬に会えたけど、咲はこの書状を龍馬に渡してませんよね?

 南方は、「自分がこの時代に送られた意味は、龍馬が死なない歴史を作るためなのだ」、とただひたすら信じ、京に向かいます。
 その途中、同行する者たちに促され、南方たちの様子を直接探りに接近する恭太郎。
 恭太郎は咲に、「橘の家に戻ってこないか」 と持ちかけ、南方に 「咲を末永くお願いします」 と頼みます。
 そのただならぬ様子にすぐさま気付く咲。 勘当同然の家に戻ってこいなんて、当時は考えられないことだったのかもしれません。 どういうつもりなのか。 けれども兄が何をしようとしているのか、咲には全く見当がつかないのです。

 いっぽう龍馬が薩摩に見せているのは、「新政府綱領八策」。
 先の 「船中八策」 同様、このドラマでは9つ目の 「保険制度」 の項目が加えられ 「新政府綱領 「九」 策」 になっています。

 「船中八策」 についてはその真偽が不明なのですが、「新政府綱領」 のほうは現物があるらしいですね。 それにもあるように、ドラマでも 「首相(関白)」 の欄を○○○と原本と同じく伏せ字にしてある。 今回のドラマ後半に京で邂逅した南方に龍馬が語るように、龍馬にとって南方が自分の行く先案内人だった、とすれば、この3つの○には 「南方仁」 と想定がなされていたのかもしれません。
 ただ 「八策」 と違って○○○は史実的に南方と会う前から○○○ですから、それはまあご愛嬌というか(笑)。
 ドラマでも南方仁の含みは持たせながら、徳川慶喜という一般的な解釈をあてはめていましたね。
 ただしこの考えに薩摩の大久保(眞島秀和サン)は激怒、龍馬暗殺の陰謀に火を注ぐような役割を果たし、これも龍馬暗殺の一般的な説のひとつに準じている。

 「ほいじゃ、あとは、まかせたぜよ」 と席を立つ龍馬、彼の視野には日本の政治など、すでに入っていません。 彼の視野にあるのは、世界中のイイ女たち(爆)。 って、このドラマでは龍馬、お龍の影があまりちらつきませんなあ。

 「新政府に入らなくていいのか?」 と訊く東(佐藤隆太サン)に、ションベンを終えた龍馬はこう答えます。

 「わしゃあもともとええ加減でのう。
 尊王やら攘夷やら、流行りもんに飛びついたようなところもあったがじゃ。
 …けんど、そんなかで、山のような 『死』 に出会うた。

 …

 身ぃを守るためとはいえ、この手ぇで殺めてしもうた役人や、…長州藩士もおった…」

 目を伏せる東。
 ひょっとするとその長州藩士とは…?

 「そいつらぁが、もっぺん生まれてきたいと思う国にするがが、生き残ったもんの役割じゃち、今日まで走ってきたがやけんど、

 …小便もゆっくりできんような暮らしは、もうこりごりぜよ」

 「おまんは今後どうするがか」 と訊かれ、龍馬の護衛をやり続ける、と答える東。
 「やり残したことがひとつあると言うちょったが」 といぶかる龍馬に、東は 「自分の兄も志士で、志半ばに倒れたのだが、坂本さんの大政奉還の建白を読んだときに、もうよいのではないかと思ったのです」 と答えます。

 「この国にもう一度生まれてきたい…兄は今、きっとそう思ってます」

 「よし!
 東!
 おまんも世界中の女と、アバンチュールぜよ!」

 龍馬の言葉に、破顔一笑する東。 「はいっ!」

 東のはじめて見せた笑い顔に、「ほんーな顔をしちょったがかえ、おまんは…」
 龍馬はあっけにとられた顔をしたあと笑い、東と肩を組むのです。

 この場面をしつこくここで書いているのは、今回ラストで東のとった行動を考えるうえでのヒントとなっている気がするからです。
 たぶん東は、坂本に対してもはや殺意など抱いていない。
 そんな気がします。

 南方らがやってきたのは、「やはり」 というかなんというか、「寺田屋」。 「龍馬伝」 の草刈民代サンと打って変わってブチ明るい(笑)室井滋サンが、寺田屋の女将をやってます。
 南方が京に来て直面したのは、「ションベンもままならない」 龍馬が、亀山社中の連中ともども、霞のように消えてしまっていること。 そして幕府擁護の見廻組がいきり立っている事実。 龍馬暗殺に見回組が関与している、という現実が、巧みにドラマに絡んでいます(新選組、土佐藩などは出てまいりませんが)。

 ただそのわりに中岡慎太郎(市川亀治郎サン)ともども、大声あげて不用心なのは 「龍馬伝」 と一緒なのですが(笑)、どうなんでしょう? 龍馬たちがどこまで用心していたのか、というのは、やはり今の感覚から言うと、だいぶ手ぬるかったような気もしてきます。

 南方たちはとうとう龍馬を見つけられないまま、暗殺当日を迎えてしまうのですが、東と偶然出会い、距離を置きながらあとをついていくことで、龍馬の居場所まで行きつくことになります。
 それをやはり追いかける、恭太郎。

 東がやってきたのは、史実では龍馬暗殺の場所とされる、近江屋。
 しかしそこには、龍馬の姿はありません。
 既に歴史が、ねじ曲がり始めている感覚が、見る側を襲ってきます。
 ここからは、完全にフィクションである。
 どうなるか全く見当がつかない。
 そんな緊張感であります。

 結局そこに現れた龍馬。
 南方は全身で喜びを表現し、必死の形相で、「京を出ましょう!」 と訴えます。
 そこに 「龍馬ー!」 とあたり憚らぬ大声でやって来る中岡(笑)。
 だから危険なんだって…(笑)。

 中岡は薩摩に新政府綱領を提出したことに、いたくご立腹であります。
 「すまんけど、今日これから、京を出ることになったがじゃ」
 「今日、京を出る?」
 この期に及んで下らないダジャレを言い合うふたり(爆)。
 我に帰ってまた龍馬を怒りだす中岡。 このふたりの意見が食い違い始めていた、という史実にもまた忠実な展開、なのですが、怒りだす中岡のお腹がキュゥ~~っと鳴って、寺田屋で軍鶏を食おう、という話になってしまう。
 近江屋撤収、です。
 史実がねじれていく…。

 見廻組が近江屋を急襲すると、そこに龍馬たちはいない。
 いっぽう寺田屋では、軍鶏鍋を前にやっぱり帰ってしまう中岡。
 「明日(あいた)、また来るぜよ」
 「ほうか。
 …また、あいたのう!」
 「ああ!」

 この龍馬のセリフは、第1部最終回で龍馬が南方に言ったセリフです。
 また来るはずの明日(あいた)。
 中岡はその帰路、黒頭巾の一派に襲われ、絶命します。

 「おまっさんの言う通り、食って出ればよかったぜよ…龍馬…」

 いったい中岡を襲ったのは誰なのか?
 いずれにせよ、歴史は多少の誤差をものともせず、突き進んでいくのです。

 ベロンベロンの龍馬と佐分利をよそに 「表を見張ってくる」 という東。
 南方の焦燥感はピークに達していきます。
 寺田屋を外から見上げる恭太郎の姿に気付いた東。

 ここで恭太郎、いったい何をしてたんでしょうね?
 私の推測では、龍馬を斬るためじゃなくって、恭太郎に同行していたふたりやそのほかに龍馬を斬ろうとする人間から守ろうと、外を見張っていたんじゃないでしょうか?
 というより、咲と南方を守ろうとしていたのかも。

 ただここで東が恭太郎に気付いて斬りかかったことでことが大きくなり、同行していた仲間への体面上、東と戦わなければならなくなってしまった。 違うかなぁ~?

 南方は寺の鐘が鳴って日が変わった(零時を過ぎた)ことを知り、大いに安堵します。
 けれども中岡も変則的にやられているし、「日が変わった」 程度で歴史の神様が許してくれるのか?という不安は付きまといます。

 龍馬はほっとして胸をなでおろしている南方を見て、咲を人払いします。

 「しぇんしぇい…。

 わしゃ昨日、…殺されるはずやったがかえ?」

 龍馬もいい加減気づくでしょうが、龍馬でさえ自分の殺されることを知ってしまった、というのは、かなりこの物語においては大きな出来事のような気がします。 だって今まで、どーうしても龍馬に、南方は暗殺の事実を教えられなかったんですからね。

 「まっこと先生は…、ねやぁ…」

 相好を崩す南方を、いとおしく見つめる龍馬。
 彼は自分が日本の政治より大きいものに興味が移っている、というさっきの東への言葉を、繰り返すのです。

 「なんで、私にそんなことを…?」

 「先生は、わしの…道しるべやったきにねや。

 …はじめて先生と会うたころ、わしゃよう分からんまんまに、攘夷派の志士を気取っちゃったがじゃ。
 これは正しいじゃろうかと疑うちょったけんど、ほかに何をしていいか分からんまんまに流されちょった。
 けんど、先生がたったひとりで、コロリの治療をやりゆうがを見て、わしも恐れずに、自分が正しいと思うことをやろうと思うたがじゃ!

 長州の戦のときもほうじゃ。

 『この戦は、必要な戦じゃ、これしかない』 ち、無理におのれに言い聞かせちょったところもあったがじゃ。

 (「暴力は暴力を生むだけなんです!」 と)先生に怒られ、わしゃもっぺん考えてみようと思うたがじゃ。

 …先生はわしにとって、夜の海に光る道しるべじゃ。

 わしゃあ、ただそこ目指して進んじょっただけのような気がする…。

 (懐から短銃を取り出し)けんど、もうこんなもんを持ち歩く暮らしはこりごりじゃし、ほかに、やりたいこともあるし、
 …ここらぁで、手を引こうと思うとるがじゃ」

 短銃をその場に置いてしまう龍馬。
 このことが後々、取り返しのつかない事態を導いてしまう。

 ともあれ、南方はその龍馬の言葉を、別れの言葉のように受け取ります。
 龍馬が政治と関わることをやめたら、南方とのつながりもなくなってしまうような気がしたためだ、とここで南方は独白しています。
 つまり南方は、龍馬がこの世に生き続けて、日本の政治に関わることによって、日本のありかたを大きく変えることに、自分がこの時代に送られた意義を見い出しているのです。
 その意義を語ろうとする南方の右脳を、またもや激痛が襲う。

 いっぽう東と恭太郎の闘いも佳境に。
 「私にはもう、これしかないのだ…」 と東にぶちまける恭太郎。
 咲を探しに階下に降りてきた龍馬は、その場面に出くわしてしまう。
 激痛でほとんど自由が利かなくなってしまう南方。
 ああやはり、そうなるしかないのか…?

 短銃を取り出そうとするも、あれは畳の上に置きっぱなし。
 東と斬り合っているのが恭太郎だと分かり、愕然とする龍馬。
 切っ先を向けられ、「咲さんと栄さんを、人質にとられたかえ…?」 とうめく龍馬。
 南方を担いで階下に降りてきた咲。
 兄の姿を見て、腰が抜けてしまいます。

 「わしを斬ったら、死ぬつもりかえ…?」

 どうやら図星のようです。
 這いつくばってその場に辿り着こうとする南方。

 「まっこと、それよりほかに、道はないがかえ!」

 「恭太郎さんっ…やめろおおおおーーーっ!!」

 歴史に抗うかのような声を振り絞る南方。

 「御免えええーーーんっ!!」

 振り上げられる刀。

 「やめろおおおーーっ!!」

 叫ぶ南方。

 「坂本さぁーーんっ!」

 その場に駆けつける東。
 恭太郎の刃を叩きつけます。

 そこに襲いかかる、恭太郎に同行していた男のうちのひとり。

 「ぬぁああーーっ!!」

 目をつぶり、横一文字に龍馬の額を斬った者。

 なんと、東です。

 飛び散る鮮血。

 その血が南方の目を直撃し、南方は一時的に目が見えない状態になってしまう。

 龍馬は前のめりに、その場に倒れ込みます。

 「龍馬さん…?

 龍馬さぁぁーーんっ!」

 南方の絶叫。





 冒頭にも話しましたが、正直何が起こったのか、わけが分かりません。
 しかし結局龍馬の刺客となってしまったのは、南方が命を救った恭太郎。
 そして実際に龍馬を斬ってしまったのは、これまた南方が治療をした東。
 つまるところ南方が恭太郎の命を救ったこの物語のとっかかりの部分から、こうなることが仕組まれていた、ということになってくる。
 頭がこんがらがってくるのはタイムスリップものの常ですが、話が壮大すぎて、こんがらがったうえにめまいがしてきます(笑)。
 出演した役者さんたちも一様に黙らせるこのドラマ、クライマックスが、すべての謎が解かれる日が、近づいてきています。

当ブログ 「JIN」 についてのほかの記事
第1部

第1回 荒唐無稽との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---1-e9ae.html
第2回 建前との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---2-f3b1.html
第3回 自分の病との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---3-3290.html
第4回 女としての闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/---4-542b.html
第5回 梅毒との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---5-9dba.html
第6回 リアルとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---6-25d6.html
第7回 明日のための闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---7-87b0.html
第8回 自分の器との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---8-e9a7.html
第9回 心意気どうしの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---9-8cf0.html
第10回 ああもう、どうなっちゃうの?との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---10-670a.html
第11回(最終回)続編あるかどうかとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---7290.html
番外 続編の可能性を、もう一度考えるhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---a138.html

完結編
第1回 いますべきこととの闘い!① http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-577a.html
第1回 いますべきこととの闘い!② http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-7d0d.html
第1回 いますべきこととの闘い!③ http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-c8e9.html
第1回 いますべきこととの闘い!④ http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-6f3f.html
第2回 自分の願いとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---2-4ed0.html
第3回 人を思う気持ちとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/05/jin---3-ab26.html
第4回 自分の血との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/05/jin---4-5d43.html
第5回 無力感との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/05/jin-5-f4e1.html
第6回 坂本龍馬との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/05/jin---6-619d.html
第7回 永遠に生きるための闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/06/jin---7-16d1.html
第8回 産みの苦しみとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/06/jin---8-b4b9.html

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2011年6月12日 (日)

「犬を飼うということ~スカイと我が家の180日~」 最終回まで見て

 「てっぱん」(脚本協力) の寺田敏雄サン脚本のこのドラマ、最終回まで一応すべて見ました。
 たとえば主人公の犬スカイツリー略してスカイ(ポメラニアン)の元の飼い主の話とか、動物病院の杉本哲太サンの介入の仕方とか、悪役連中のあまりのベタさとか、細部にわたってすごく話がいい加減で、フツーだったらこういう設定の甘いドラマというのは途中でリタイアするのが常なんですが(でも 「江」 も見てるしな…笑)、なんか最後まで見ちゃった。

 それはひとえにスカイがカワイかった、ということが最大の要因ですが、今どきそれだけじゃ引っ張れない。
 私が見ていて興味を惹かれたのは、スカイを拾った錦戸亮クンファミリーのなかに漂う、得も言われぬ 「危なっかしさ」、「不安定感」 だった気がします。

 この4人家族はチョーがつくほどの貧乏家族で、絶えず雇用の不安にさらされている。 妻の水川あさみサンと共働きでもまったく追いつかないというのに、そのうえスカイのような高級犬を抱え、さらにその犬が病気だったために、お先はかなり真っ暗。
 物語中盤まで錦戸クンは会社のリストラ係で、相当暗い。 水川あさみサンは物語中盤でまたまた子を授かってしまい、不自然なまでにお腹が膨れていく(結局双子だったのですが…笑)。

 そして長男はいじめグループのパシリをやらされていて、ビンボー人には買えないカードをせしめている。
 そのなかでひとり、長女の女の子だけが同級生のいじめにも負けずに頑張っているのです。
 この女の子、巷の噂によると最初芦田愛菜チャンにオファーが来ていたが、彼女が 「マルモのおきて」 のほうに行ってしまって蹴られたため、この女の子に決まったとか。
 深夜枠でもあり物語のところどころに破綻があることからも、愛菜チャンのブレーンがこっちの話を蹴ったんだと想像されるのですが、なんとなくそんなところからも、どことなくドラマ自体が 「かわいそう」 なポジションに置かれてしまっている感じがしてしまう。

 錦戸クンの演技も私は初めて見たのですが、正直なところうまいのか下手なのかは判然としません。 ただ言えるのは、この境地を意識して作り出しているのであれば、役者としてのカンはものすごいものがある、ということです。 とても、「素」 のままだということを感じさせるんですよ。 役を作ってない感じ。

 物語のもつもともとの性質と、周辺のさまざまなこれらの事情が積み重なって、この4人家族のなかに独特の 「危なっかしさ」「不安定感」 が存在している気がする。

 そして話は、錦戸クンがリストラ勧告した泉谷しげるサンを伴って、お手盛りの方向に展開していく。 泉谷サンと杉本サンは過剰にこの家族に絡み始め、結局そのことで 「貧乏なのに犬の治療代にカネがかけられる」 という方向が切り開かれる。
 これがお手盛りのように思えてしまうのですが、「一生懸命に生きていれば浮かぶ瀬もある」 という作り手の主張も、実はそこには見えるのです。

 錦戸クンは泉谷サンをクビに追いやったけれども、誠心誠意、彼や組合の人たちと向き合ってきた。 会社を辞めてからも、ガテン系の仕事を汗水たらして頑張ってきた。 水川サンも経済苦という事実を乗り越えようと、必死になって生きている。 そんななかで、いつの間にか道は開け、もともとふたりは駆け落ちしたために親の影すらドラマには出てこなかったのに、いつの間にか泉谷サンがジイジの役割を果たしている。

 錦戸クンはガテン系の仕事をするようになった物語中盤から、いきなり逞しくなっていきます。 それまでウジウジしていたのがまるで嘘のように頼れる一家の大黒柱になっていく。 そんななかで長男はいじめの片棒を担いでいたことを恥じて改心する。
 長男は自分が生まれたことでうちは貧乏なのだ、という負い目を背負いながら生きてきたのですが、それを錦戸パパは 「ママが好きだから一緒になっただけだ」 と言い切ります。 おそらくリストラ係をやり続けていたら、錦戸パパにそんな力強さはないままだったでしょう。 長男の男の子は錦戸パパにビンタを食らって、パパに抱きついて泣きじゃくってしまうのです。

 さらに、古くからの友人だった田口淳之介クンからお金を都合され、そのお金を貯めたお金だと偽り 「ミュージシャンになる夢を叶えて欲しい」、と錦戸クンに渡した水川サンに、錦戸クンは 「どんなに大変な時でも、ママはお金がないから、と言ってきたのに、こんなことのためにお金を出せるんだね」 と自分のくすぶっている夢を 「こんなこと」 呼ばわりして水川ママの嘘を見抜きます。
 水川サンは田口クンからお金を借りるとか屈辱的なことをあえてしながらだったので、錦戸クンの話のあいだじゅう涙がぽろぽろ止まらない。
 そんな水川サンを、錦戸クンは 「ばあか」 と、まるでおちょくるかのように軽い口ぶりでバカにするのです。
 この 「ばあか」 には錦戸クンの演技力のカンを見たような気がしましたね。 ぶっきらぼう過ぎれば罵倒しているようになり、弱々しく言ってしまえば頼りがいがなくなってしまう。 愛情がこもった 「ばあか」 だから、水川サンもそれをきちんと受け止めることができる。

 そんな頼りがいの生まれてきた錦戸ファミリーに、泉谷サンも杉本サンも吸い寄せられるように集ってくるのですが、「牛丼風」 すき焼きパーティが行なわれた夜、あまりにも楽しい食事のあとのだんらんに、水川あさみサンは笑いながらも、泣いてしまうのです。

 駆け落ちしたために親など来たこともないこのうちに、まるでジイジと伯父さんでも来たようなにぎやかさ。 貧乏だからすき焼きなんか何年ぶりみたいな感じでもあったのでしょう。
 あまりにも幸せすぎて、水川サンは泣いてしまうのです。
 話のアラが見えまくりのドラマでも、私はここで、泣いてしまいました。
 泣けるか泣けないかは、ドラマの質など関係ない。
 ところどころおかしくても、話の中心にある主張がしっかりしていれば、泣けるものなんだ、そう思いましたね。

 そんな家族を見守ってきたスカイ。

 死んでしまうその日に、家族みんなを玄関で見送ったあと、錦戸家のなかを隅から隅まで歩きまわります。
 その場所場所で起きてきた出来事を思い出すスカイ。
 そして最後に、自分の名前の由来となった東京スカイツリーを、ずっと見上げ続けるのです。
 もう、涙が止まりませんでした。
 思えばこのドラマ全体が、東京スカイツリーに見守られながら進行していた気がします。
 どんな場所にも、建設中のスカイツリーが見えているような感覚。
 もしかすると、平成の世に展開される貧困をテーマに、「三丁目の夕日」 スカイツリー版を作ろう、という意図があったのかもしれません。

 最終回、すき焼きパーティで起きたちょっとした出来事で、またスカイのことを思い出してしんみりしてしまう家族たち。
 そのとき錦戸パパは、「気を紛らわせるとかじゃなくてどんどんスカイのことを思い出して話していこう」 と家族に提案するのです。
 「拾われたのはスカイじゃなくって、自分たちのほうがスカイに拾われたんだ」 と話す錦戸クン。
 このドラマは単なる犬が主役の話じゃなくって、家族の再生の話でした。
 何度もしつこいですが、話的には変なところがいっぱいあった。
 けれども無造作にちりばめられた不幸話のいちいちが、最後にはきちんとハッピーエンドになっていました。
 そしてその物語の向こうに、愛らしい顔のスカイが見える。

 話の辻褄が合わないとか説得力がないとかリアリティがないとか、結構このブログでも問題にしているドラマの見方なのですが、ドラマってそれがすべてなの?って問われているような、そんな作品だった気がするのです。

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2011年6月11日 (土)

「江~姫たちの戦国~」 第21回 置いてかれ感…

 今回、茶々と江がわだかまりを抱きつつもふたり抱き合って号泣し仲直りをするラストシーンを見ていて、限りない 「置いてかれ感」 を抱きました。

 茶々の心が完全に秀吉サイドになってしまった最大の要因が、どうもこのドラマでは子供を宿したことにあるらしい。
 茶々に泣きつかれてふたりを取り持つためにやってきた初も、その事実でいっぺんに 「しかたあるまい」 と茶々容認派に鞍替えします。 初は要するに、秀吉のおかげで京極高次と一緒になれたことで、完全に骨抜き状態になっているから、秀吉に対してもはや悪感情などさらさら抱いていないことになります。

 しかし問題なのは、茶々がどうして親のカタキになびいてしまったか、なのであって、どうして子供など作ってしまったのか、ということではないのです、少なくとも江にとって。 出来ちゃったから許してよ、って話なのかなあ?

 子供ができる、ということは、すなわちいたしてしまった、ということ。
 いたしてしまって子供ができたからもう仕方ないだろう、という論理など、少なくとも私は容認できないのです。

 どうして私が江の気持ちをここまで考えるのか、というと、やはりこのドラマにおいては、秀吉はサルでしかないからです。
 秀吉がこんな下卑た男としてこれまで描かれ続けてなかったら、まだ甘ったるい茶々との大恋愛巨編にも付き合っていられた。
 秀吉がもっとちゃんとしておれば、茶々が秀吉になびくのにも一定の理解ができた。

 ここ数回秀吉はほとんどシリアスモードなのですが、私に言わせれば、もはや遅すぎる。
 江が秀吉のことを 「サルサル」 と言って憚らないのも、この下卑た秀吉が大前提だからこそ成立しているものだと考えます。 そんな猿がいきなり純情男になってしまって茶々を手篭めにした、となっては、もはや江は 「自分は信長の姪」 モードで見下していたのにいきなりハシゴを外されたも同然なのです。

 というわけで今回私は、このハシゴを外されて孤独感に陥る江に少々同情気味なのでありますが、その江も最後には、「秀吉とのことは許せないが、自分の姪か甥ができることは喜びたい」 と無理に自分を納得させながら姉と仲直りをするのです。

 せっかく面白くなりかけたのに、仲直りなんかするなよなー(笑)。

 で、江と泣きながら抱き合う茶々は、もうただひたすら、「すまぬ、すまぬ…」 と江に謝るしかすべがないのです。
 この気持ちも分からぬではありませんが、どうしてもっと、作り手のかたは具体的な言質を茶々から引き出せないんでしょうか?
 カタキなのに、秀吉を好きになってしまった罪悪感。
 その秀吉と、いたしてしまったことの自分のいたらなさ、はしたなさに対する謝罪。
 母親の秀吉への書状を裏切ってしまったことに対してもひと言あるべきだし、同じような書状を前の輿入れのときに秀吉に書きつけた江にも、しかるべきことを言ってから謝るべきなのではないでしょうか。
 それができずにただ 「すまぬすまぬ」 で奥ゆかしく話を収めようとするから、話がますます薄っぺらくなるんじゃないかと、

 …不躾ながらそう作り手のかたにはご意見差し上げたいのです。

 はたから見ているだけの者がここまでのことを書くこと、誠に申し訳ございません。

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「新選組血風録」 第4回 光と影の交差

 芹沢鴨(豊原功補サン)の粛清の回(第3回)、自分の耳の悪いせいなのか肝心な場面のセリフがほとんど聞き取れなかったため、その後どうしても続きを見る気になれなかった 「新選組血風録」。
 久しぶりにためておいた録画を見たのですが、やはりドラマとして、とても優れていることは確かだ、そう感じました。

 まず今回のところは第4回の 「長州の間者」(4月24日放送分…かなり前だ…笑)。

 新選組のなかに長州の間者がいると確信した土方(永井大サン)。 沖田(辻本祐樹クン)は新入りの深町(金子貴俊サン)に目星をつけるのですが、この深町、実は長州が新選組の目を引き付けるだけの目的で送り込んだ、いわば 「捨て駒」。
 本物の間者は、松永(豊嶋稔サン)という男だったのですが、沖田の読みも浅かったのかと思いきや、ある日沖田は深町を誘い、裏切り者の松永を斬る、と持ちかけるのです。

 ここで暗躍するのが、薬屋を装いながら隊の密偵を務めている山崎(加藤虎ノ介サン)。
 「新選組!」 ではこのような立場の人は、私の記憶が確かならば出てこなかったはずですが(コメントをいただいて、記憶違いであったことが判明いたしました。 私の記憶もたいしたことないです、ハハ…)、こういう人が出てくることで、やみくもに新選組という組織を美化しようとしない姿勢が見てとれるところが、いいのです。 正々堂々としてないところが、かえってリアリティがあっていい。

 そしてその密偵の推理によってドラマが進行していく、犯人探しの面白さもドラマに備わっている。 沖田の一見浅い推理も、いわば見る側を欺くひとつのファクターなのです。
 そのなかで浮き彫りになっていくのは、「捨て駒」 深町の焦燥感。
 「自分は本当は長州に体よくあしらわれているだけ」、という疑念が抜けない深町は、四六時中眉間にしわを寄せて難しい顔をしている。
 そして、沖田に誘われ松永の粛清を知らされたときに、沖田から自分の正体もとっくにばれていることを知らされる。 ここでひょうひょうとした美男子である沖田のキャラクターが、不気味さをかなり増幅しているのもいい。
 結局沖田に促されるまま、深町は松永を挟み撃ちにしようとポーンと放り出される。
 ここで深町は、松永に自分の正体を明かして一緒に逃走することもできたはずなのですが、深町はそれまでの焦燥感と、実は長州の本命の間者だった松永に対する嫉妬で、松永に斬りかかるのです。
 深町と松永の対決。
 物語途中でこのふたりは手合わせをしていたのですが、そのとき深町は、松永に負けている。
 「剣には相性というものがある」、というキーワードが、ここで語られていたために、深町は松永にこの真剣勝負の時も負けてしまうのではないか、と思われるのですが、深町の怨念のこもった剣のほうが、このときは勝ってしまうのです。 深町が松永に勝った手は、この回の冒頭で深町が沖田にいいところまで行った手合わせと同じ手段。
 「どうせお前もすぐに消されるだろう…」 という捨てゼリフと共に絶命する松永。
 その言葉通り、深町はその一部始終を見ていた沖田によって、あえなく倒される。

 無情に斬り捨てられてしまった深町にも、彼なりの生業があった。 それを象徴していたのが、彼が昵懇にしていたその(三倉佳奈チャン)が作った、鮒の煮物。 この回のラストカットは、もう来るはずのない深町に食べられるのを待っている、その鮒のアップなのです。 ひとりひとりの人物を、きちんと描くことを、このドラマは怠っていない。

 40分あまりの話のなかで、すべての出来事は深く関わり続け、クライマックスでひとつに結実する。 ドラマの醍醐味が、凝縮されているのです。

 そしてその話からこぼれるような形で、密偵の山崎がもたらした情報によって、土方は自分を命の恩人と慕う美代(前田亜季サン)と再会するのですが、そこで 「長州は都を焼き尽くそうと画策しているから成敗するのだ」 という理屈を、美代に語るのです。
 確かにのちのち(だよなあ?)禁門の変の際に京は焼き尽くされてしまうのですが、美代がそのことを桂小五郎(野村宏伸サン)に訊くと、「そうならないように奔走している」 と答える。
 つまり、新選組は新選組で、京の都を守ろう、幕府の威光を守ろう、という目的のために動いており、長州は長州で、古い体制を打破するために動いている。 どちらにも立派な名分はあるのですが、その裏では密偵とかいるし、捨て駒とかいるし、つまりどちらにも、光の部分もあれば影の部分もある、ということをこのドラマはきちんと描き出している。 それがいいんですよ。

 どうしてこのドラマのほうが大河になり得なかったのか、というと、「新選組!」 とだいぶかぶるし同ドラマからまだ間が浅いし、原作がやはりオムニバス形式で40話以上ももたないからなんでしょう。
 けれども 「江」 の体たらくを見ていると、つくづく残念に思えてなりません。

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2011年6月10日 (金)

AKB総選挙に思う

 まさかスポーツ紙の一面に、AKB総選挙の記事が来るとは夢にも思わなかったです。 しかも7ページ建てとかゆーのもあるし。

 彼女たちに対して云々はいたしませんが、AKB総選挙の投票方法を見ていると、日本における政治家の選挙に対する、個人的な忸怩たる思いととてもかぶるところがある。

 もちろん投票方法は全く違いますよ。

 彼女たちのCDを買うと投票用紙?がついてきてひとり何口でも投票できるから、金にあかせてCDを何枚も買えるファンはいくらでも投票できる。 政治家の選挙とは全く別です。

 でもだからこそ、「こんなのは本当の人気投票じゃない」、という釈然としない気持ちと、「民意が反映された選挙とは言い難い」 と実際の議員たちを見ていて感じる釈然としない気持ちというのが、一緒だ、というのです(人気投票、っつーわけでもないのかな?)。
 逆に考えると、この選挙を企てた秋元康氏の意図に、現在の政治に対する強烈な皮肉が含まれているような気さえする(スンゲー妄想かな?)。 まあこのような投票方法にすることで、秋元氏はまたまたガッポガッポと儲けているわけですが。

 日本の政治の選挙とかぶる、と私が考えるのは、投票する人たちが、とても限定されている、という点においてもです。
 国会議員から地方の議員に至るまで、日本の選挙において投票率というのは極めて低い。
 だいたい投票率が高かったと言って、だいたい60パーセント台だし(記憶違いが入っていたら誠に申し訳ないです)、ひどい時は30パーセント台。
 要するに日本のなかでも子供なんかは含まれない、有権者だけに限ってこの数字ですから、国民全体の総意からすると、もっと低くなる、ということになる。
 まあ確かに小学生が政治の選挙に参加するっていうのは常識はずれな考えですが、もしかすると小学生に政治的選挙に参加できる権限ができたら、政治家も滅多やたらなことができなくなる気がする(重ねて申し上げますが、これは常識はずれな話であります)。

 いずれにせよ、つまり、政治家って、国民の半分以上から支持を受けて議員になる、っていうことが極めてまれだ、ということです。

 今回AKB総選挙の期間中、彼女たちの露出度の高さは、頂点を極めた気がします。 雑誌(マンガ雑誌含む)には彼女たちのグラビアが連日のように何件も登場し、彼女たちを見ない日がなくなった。 日本中のあらゆるジャンルのマスコミが、この選挙に浮かれている。
 けれども彼女たちを本当に冷静に分析し、その人気の本質に迫る記事が、いったいいくらあったでしょうか。
 政治の選挙番組も同じ。
 つまらぬ側面ばかりを取り上げて人情話に仕立てたり、話題の人物ばかりを取り上げたり(あれって法律違反じゃないのかな?)。
 そんな 「はじめに演出意図ありき」 の選挙特番には、吐き気がする。
 国民にとって本当に重要なのは、その人物がどれだけ国民のために身銭を切って、犠牲になって行動できるのか、そしてそれが選挙当選後に至るまでしっかりとチェックされ報道され続けていくということではないのか。

 今回1位を奪還した前田敦子チャンは、「私を嫌いでもAKBのことを嫌いにならないで」 と発言したらしい。 彼女の本性なんか私は知りませんけど、いくら投票方法に不公平感が蔓延している選挙でも、なんとか選挙で上位に辿り着こうという、彼女たちの向上心のほうが、政治家なんかよりよっぽどましなような気がするのです。

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「リバウンド」 第7回 友情のゲシュタルト崩壊

 瞳(栗山千明サン)が太一(速水もこみちクン)の胸で泣いている現場を目撃してしまった信子(相武紗季チャン)。 その場から逃げ出してしまいます。
 今回冒頭では三者三様に 「いやコレはそーじゃなくって」 の乱れ打ちでゲラゲラ笑わせる。
 そこで過剰なほどコミカルに繰り広げられる言い訳合戦の根底には、建前と本音が激しく交差しています。

 いっぽうで大切にされる建前と、いっぽうで抑圧されていく本音。

 今回ラストではそのコミカルに思えた緊張状態が、これでもかというくらいの勢いで決壊していきます。
 「ぶち壊し屋」 遊川サンの本領発揮。
 ここまで来ると、もう見る側はボー然とするしかない。

 なんか今クールは、すごいドラマばかりで毎日のように感動しまくってる気がする。
 こういうドラマの数々をタダで見られることにただひたすら感謝であります。



 たがいの言い訳によってとりあえず取り繕われた信子と瞳の友情ですが、信子のなかからは疑心暗鬼がどうしても消えない。
 しかも、再び三たび?痩せた体型に戻った信子を待っているのは、「元デブ日記」 好調による周囲からの嫉妬の嵐。 更年期障害なのか(笑…失礼)ますます暴走を始める鬼の編集長(若村麻由美サン)のイライラが募る中、編集長派の(と思われている)信子への風当たりは、ますます強くなっていくのです。

 それにしてもこの編集長。
 今回いきなり周囲から反感を買うほどのイライラぶり。 編集スタッフの名前もこれまでになく間違いまくってます(笑)。
 これってなんか原因がほかにあるのかな?
 発情期とか?(なんじゃソレ…ってひとりボケツッコミ)。
 編集長のサイドストーリーが見てみたいっス、個人的に(笑)。
 それほどまでに、イラツキまくる編集長は、ただひたすら美しい…(どーゆー目をしとるんだ…笑)。

 でともかく、もともと太鼓持ちみたいな立ち位置で、周囲を和ませる性癖が染みついている信子の精神的なストレスは、たまるいっぽうなのです。
 
 研作(勝地涼クン)の強引な誘いでレストランに入っても、まわりのふたり連れがすべて瞳と太一に見えてしまう(笑)。 …この信子のほんの数秒の妄想のために相当、もこみちクンと栗山サンは着替えをとっかえひっかえやってますよね。 手が込んでる、というより、楽しんでやってるよなーというのがすごく伝わってくる。

 自分を捨てた母親(朝加真由美サン)から誕生日も忘れられた瞳も、太一から優しくされて、自分の気持ちにかなりぐらつきが生じている。
 でも彼女をそうさせまいとしているのは、「今まで信子と好きな人がかぶったことがない」 という自負。

 けれどもそれは、違っていた。

 高校生のころから、本当はかぶりまくっていたのです。
 そのたびに友情を最優先して、瞳は好きな人からのデートの誘いも断り続けてきたのです。
 これらの回想シーンは制服姿の彼女が見られて、「GOGO夕張復活か?」 みたいな感じでうれしかったなー。 まああんな過激なことはしませんでしたけど(当たり前だって)。

 そして信子の側も、今回瞳の母親に街中で偶然遭うことで、瞳への友情だけは絶対に壊さないでおこう、と心に固く決意している。

 「私、なにがあっても瞳と離れませんから!
 瞳は…自分に自信がなくて、いつも人の顔色ばあっかりうかがってた私にとって、はじめて出来た親友なんです!
 ちょっとぶっきらぼうだけど、どんなに私が暑苦しくしても許してくれるし、悲しい時とかつらい時は、いつも…話を聞いてくれるんです。
 考えたら私、…そんな瞳にずうっと甘えてばっかりで…。
 …だから私、瞳のこと、絶対ひとりにはしませんから…!」

 ここで朝加サンと出会ったことが、もともと自分の幸せよりも他人の幸せのほうを優先して考えてしまう信子の、一種倒錯した思いやりを暴走させるきっかけになっている気がします。

 こうして今回ラストへの、ふたりの友情の崩壊への序曲が展開していくのです。
 物語の構築の仕方が、緻密すぎる。

 ここで注目なのは、太一がなんだかんだ言いながら、信子への愛を貫いていることです。
 一歩間違えると、本音と建前が交差する話のなかで、太一だけがいい子ちゃんのように見えてしまう。
 けれども物語の作り手は、そのオレ様的性格を引きずらせることで、見る側を納得させることができるのです。
 なにしろ太一の、ひとりの女性しか愛せない不器用な部分は、彼がかつておデブだったことが深く起因している。 エラソーな口を聞きながら、太一も本当は、臆病なのです。

 そんな太一への思いが募っていくなかで、自分たちの友情がぐらつき始めているのを強く自覚するがゆえに、信子も瞳も、「自分よりも相手のことを思う」 ということに、精神的に没入していく。
 そこでどうしても犠牲になっていくのは、「自分のため」「自分の幸せ」 という側面なのです。

 それはお互いが、お互いのことを、とても大切にしているがゆえ。
 ふたりの大ゲンカに深く感情移入してしまえるのは、そんな構図がとてもよく描写されていたからです。
 信子と瞳は、「女の友情は崩れやすい」 という現実に初めて直面し、「友情」 だけをひたすら見つめ続ける。
 そうすることによって、本来の友情とはどういうものなのかが、見えなくなってしまうのです。
 たとえば 「あ」 という字ばかりをじーっと見ていると、それが本当に 「あ」 なのか、本来の 「あ」 とはどういう字だったのか、分からなくなってしまう。
 心理学でいうところの、「ゲシュタルト崩壊」 です。
 それが信子と瞳のあいだに、起きてしまっている。

 「私をケーキで表現して」 と言われ悩む太一に、瞳は昔話を思い出してロールケーキがいいんじゃないか?と太一に提案します。 そして信子が太一にプレゼントするはずだったニコチャンマークのクッキーを太一に手渡す。
 太一はそれをヒントに、一見するとただの太巻き、けれども中身を切るとニコチャンマークが金太郎飴のように出てくるロールケーキを創作するのです。
 無邪気に信子への愛を語り、アンジュの店(くしくも 「JIN」 の野風の子供もアンジュ…天使)のデザインを頼み込んでくる太一の横顔を、思わずスケッチしてしまう瞳。

 スゲー悲しすぎる。 なんかそれだけでウルウルしてきます。
 自分のことなんかちっとも目もくれないのに、そんな自分の気持ちにとても鈍感で、自分の作ったロゴマークに感動して、なんの裏心もなく自分の手を握ってくる太一。 罪作りです。
 親友を心から愛しているそんな男を、ただ横顔で追うしかない。
 なんか書いてて、ホントにウルウルしてきた(笑)。
 しかも両親の愛を完全に失った飢餓状態でしょ。
 瞳、カワイソウすぎる。

 信子は瞳のスケッチブックを見て、彼女が太一を好きなことに、心から打ちのめされるのです。
 その信子の気持ち。
 やはり、ウルウルものです。

 信子は意を決して、太一の新作ロールケーキをクサしまくり、自分をワガママ女に徹底的に仕立てあげて、つきあうのをやめようと一方的にまくしたてまくります。

 「はぁ?
 本気で言ってんのかオマエ…?
 オマエなに言ってんだ…」

 「なんで気がつかないのよ!!
 瞳は、アンタのことが好きなの!!」

 店を出ていく信子。
 雨が降ってきます。
 プロポーズまでしようと準備万端だった太一は、ただ茫然とその場に立ち尽くします。
 ガニ股状態の(笑)信子が、傘もなしに街を走っていく。

 ずぶ濡れで帰ってきた信子に、瞳が詰め寄ります。

 「なんで別れるなんて言ったの、太一に?
 さっき電話があって、パニクってたよアイツ。
 もしかして、あたしのために身引いたわけ?
 …バカじゃないのアンタ」

 「…そっちこそ、太一のことが好きなら、…なんで私に遠慮なんかするわけ?
 私は瞳のためなら、どーなったってぜーんぜんへーきだし、親友だから、幸せになってほしいの瞳には」

 「あーもう!ブー子のそういうとこ、…ウンザリなんだよね!
 人のこと幸せにしたい幸せにしたいって、ぶりっ子っていうか偽善者みたいなことばっかり!
 アンタの正直な気持ちはなんなわけ?
 いつもいつも周囲に気いつかって、取り繕って、いったいアンタは何がしたいわけ?!」

 「だからそれは」

 「親友親友っていうけど、アンタ、あたしの絵けなしたこと一度だってないじゃない!」

 「だって」

 「あたしは、耳が痛いことも言ってくれるのが、本当の親友だと思う!
 だいたい甘ったれてんのよブー子、あんな素敵な両親もいて、好きな仕事も出来て、愛してくれる男だっているのに、いつまでも太ったとか痩せたとか下らないことでグダグダグダグダ、
 …この際だから言わせてもらうけど、一年365日記念日にしたいとか言ってんのも気持ち悪いしね、こんなもの(「ごめんね」 Tシャツ)を着て仲直りしようとしているセンスも信じらんないし!
 (信子が瞳の誕生日祝いにプレゼントした禁煙の本を持ってきて)こんなもんもらっても、大きなお世話っていうか、…(本を叩きつけ)迷惑なのっこっちは!!」

 今まで見たことがない瞳の剣幕。 最初は言葉を選びながら相手の気持ちを思いやるかのような感じなのですが、だんだんヒートアップしてきて我を忘れてくる。 信子はあっけにとられたあげく、赤ちゃん言葉(ブチ切れ)モードになります。

 「あ~そ~でちゅか」

 「何、逆ギレ…」

 「どうせ、いくら食べても太んないアンタに、あたしたちの苦労なんて、一生分かんないわよねえっ!
 こっちが必死の思いでダイエットしてんのに、なんで励ましてくれないわけ?
 いーつもいっつもバカにしたようにこっちのこと見ちゃってさああたしは、」

 「あたしは別にそんな!」

 「アンタはあたしのこと心のどこかで見下してんのよっ!

 親友なんだったら、『あたしの男をとる気はない』 とかいって、同情みたいなことしないでよっっ!
 そっちの悩みとか不安だって、今まで一度も相談してくれたことないじゃない!
 あたしを頼りにしてくれたことだって、今まで、一度もないじゃない!
 そんなのが親友だって言えるわけ?
 あたしのこと、偽善者だとかぶりっ子~とか言ってるけど、いつまでも自分の殻に閉じこもってんのはそっちじゃない!いつまでも親に捨てられた被害者みたいな顔をしてないで、逢いたくなったら、逢いに行けばいいじゃない太一にだって、ホントに好きなんだったら、なんで自分の気持ちを素直にぶつけないのよ!
 なぁ~んだかんだ言ってるけど瞳はね、自分の大事な人に、愛されないのが怖いだけなのよっっ!!」

 瞳はやはり、今まで信子にそこまで言われたことがなかったために、無理やり自分を押し殺して、自虐的に笑いながら、冷たく吐き捨てます。

 「フ…そうかもね…」

 瞳は荷物をまとめ始めます。
 あわてて 「あ~ゴメン!今のはちょっと言い過ぎたってゆーか」 と取り繕いに入る信子ですが、瞳は、「そうやって、こんな時まで穏便に済まそうとするのやめたらっもう?!」 とにべもない。

 玄関まで追いかけてきた信子に、瞳はこう言い放ちます。

 「最後にひとつだけ言わしてもらうけど、…私は、昔のアンタのほうが好きだった。

 太ってたけど、そんなの全然気にしなくて、…転校して強がってたけど、ホントは心細かったあたしに、はじめて声をかけてくれた、ブー子のほうが…。
 …あたし…今のアンタ見てても、…全然幸せになれない…」

 怒ったように閉まる玄関のドア。
 その場に立ち尽くす信子。
 手前には、「ごめんね」 Tシャツの絵の女の子が、泣いています。

 なんなんだ、このクオリティ。

 そこにやってきたのが、いつもアンジュに来ているちょっと太った女の子と、痩せた信子にあこがれていた青年。 「『とにかく食べて』 って、太一さんから渡された」 と、太巻きチックな新作ロールケーキを持ってくるのです。

 信子がそれを切ると、先ほども述べたように、ニコチャンマークがサプライズのように断面に現れます。 さっきの泣いてる女の子のイラストと、対をなしている。 ハァ~もう、ただただすごい。 それを泣きながら食べる信子。 幸せの鐘が、かつてなく寂しげに、鳴り響くのです。

 このドラマすごいよ。 泣けた。

 前半の過剰な言い訳合戦でゲラゲラ笑わせといて、後半こんな形で落としてくるとは。
 単なるおデブドラマだと見くびってると、痛い目に遭う。
 ドラマを見る幸せをあらためて感じます。

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2011年6月 8日 (水)

「鈴木先生」 第7回 恥ずかしいから…

 「普通」 でいるということに、どれだけの労力がいるか。
 「優等生」 なんて、言われたくてなってるわけじゃない。
 ただ自分のなかにある罪悪感に、勝てないでいるだけなのだ。
 逆に考えれば、それだけ強い罪悪感を育ててくれた者たち(親とか)に、感謝しなければならないのに、自分が 「いい子」 であることに、「優等生」 たちはいつも傷ついている。

 私もいわゆる 「問題児」 ではなかったので、今回の 「鈴木先生」 の話にはいたく共感しました。 まあ優等生ではないですけどね。

 でもごくフツーに生きていると、世をすねて問題児として生きていたほうが、楽なんじゃないかって、思える時がある。

 言いたいことを言って、自分のやりたいようにわがままにふるまって。

 我慢して自分を抑えつけているよりも、そっちのほうがよっぽど、人生を楽しめるんじゃないか、って。

 たしかに問題児にしたって劣等感であるとか、思うままにいかない苦しさを抱えています。
 でもそれと同じように、フツーもしくはそれ以上の子供たちは、正直に生きることに苦痛を感じている。
 「やってられっかよ」 と言いたくて仕方ない。
 どうしてバカ正直にこんなことをしなきゃならんのか、って。

 けれども、世の中っていうのは、バカ正直でまわっている。
 少しずつのバカ正直が合わさって合わさって、街はきれいなのだし、いろんなサービスは当然のように享受できるのだし。
 これが当事者たちが、「こんなことクソマジメにやってらんねーよ」 などと思ってしまったら、たちまち街はゴミだらけ、店はいつ開いてんのか分からんし、橋本はブログをいつ再開すんのか分からんし(笑)、まあ想像してみると逆に面白いものがあるけど(実際起きたら面白くもなんともないですが…)(ちょっと待て、橋本はバカ正直でこのブログをやっとるのか?)。

 新任教師時代に、今日の鈴木先生(長谷川博己サン)を形成したきっかけとなった女子生徒がいたのですが、その女子生徒は実にこの生真面目タイプ。 というか、拍子抜けするほどフツーの生徒。
 麻美(臼田あさ美サン)に請われて、鈴木先生は回想を始めます。
 彼女、丸山(滝澤 史チャン)は中学卒業後、突然死してしまうのですが、直接鈴木先生が彼女の死因に関係している、ということはない。 ただ彼女を突然死に至らしめたきっかけの何パーセントかは鈴木先生にあるのではないか?という設定になっている。

 丸山はクラスの掃除当番を、「バカ正直」 にやり続けます。
 問題児だらけの彼女の班は誰ひとりとしてまじめにやることがない。
 ハナから参加する気のない者、形だけ参加してもちっともまじめにやらない者。
 しかも鈴木先生の前でだけやってるフリをする要領のいい者。

 人間的にいちばん唾棄すべきなのは、この要領のいい者でしょうね。 結局いいとこだけを評価査定する側に分かってもらえりゃいい、っていうのは、社会に出てからも結構おりますな。 ずる賢く人生をするする泳いでいって、要領よく人生謳歌して。 功利主義から言うと何ら問題ないのかもしれませんが、「人として情けない」、とだけ言っておきます。

 彼女は掃除当番期間中、ついにサボることを決意します。
 どうしてふんぎれなかったのか、というと、彼女に 「大丈夫、帰ってもいいよ、サボっちゃいなよ」 と言ってくれる人がいなかったから。
 彼女は掃除用バケツの水に映り込んだ自分(この水が 「汚い」、ということも象徴的ファクターであります)から、「帰っていいよ」 と言われて帰ろうとするのですが、そのとき鈴木先生がやってきて彼女ひとりで掃除が行なわれていることに呆れ、一緒に掃除を手伝ってしまうことで、その機会を見失ってしまうのです。

 彼女は逃げようとしている自分が、鈴木先生が優しくしてくれることによって、許せなくなる。
 いつもはそばにいてくれないのに…。

 それ以来彼女は、それまで克明に書いてきた日記(それによって鈴木先生も彼女の心を知ることになったのですが)をぷつりと書かなくなり、鈴木先生によれば 「彼女はその日から、みょうに光りはじめた」。

 「積もり積もった悲痛な思いが、彼女をある種の 『悟り』 に導いてしまったんだ。

 …透き通った、あきらめの境地に――」。

 あまりにマジメすぎると、自分のやってることがバカバカしくて仕方なくなってきます。 それを克服するには自分も不真面目になってしまうか、どこかでガス抜きが必要なのですが、あきらめの境地に至ることで、不真面目な連中をどこかで変形的に蔑み、何事も問題がない、という居心地のいい空間を、自分のなかに強制的に作り出してしまう。

 そんな状況に自分を置くと、物事を深く考えることをしなくてよくなってしまうのです。

 だから日記も、書く必要がなくなる。

 深く考えて葛藤すればするほど、傷ついていくばかりだからです。

 従順な人間、というのは、社会にとってまことに都合がいいから、そのことを教師たちが咎めるはずもない。 彼女は生真面目な仮面をかぶることで、精神的にますます圧力がかかっていったのではないか。
 あげく彼女は、死んでしまった。
 その死因はけっして自殺ではないものの、鈴木先生が彼女を 「自分の教師人生を変えるキーパーソンになった」 と考えるのは、その罪悪感あってのことなのです。

 この鈴木先生の回想には、とてつもない癒しが待っていました。
 この話を聞いた麻美チャンが、その特殊能力?で過去にさかのぼり、ひとりで掃除をしている丸山に 「帰っていいよ」 と優しく告げるのです。
 「帰っていいよ」 と言ってくれる人を待っていた丸山。 やっと安堵したように、微笑みます。

 泣けました、このシーン。

 人知れず努力をしている者は、「別に誰かにほめてもらうためにそのことをやっているわけじゃない」、そう思いたがります。
 でも本当は、孤独なのです。
 だからほめてもらえなくても、そのことを分かってもらえるだけで、ずいぶんと心が救われてしまうのです。
 麻美チャンのこういう能力って、よく分かりませんけど、要するにタイムスリップ能力?
 これがただ単に丸山の残留思念(「幻魔大戦」 的だ…)に語りかけるだけだったら、丸山の霊も浮かばれないってことになるんですが。

 ところで今回の冒頭。
 前回足子先生(富田靖子サン)によって中断させられた、公園での痴話ゲンカですが(笑)、自分の手腕によって事を収めようととりあえずその場を解散させようとする足子先生に生徒たちは異を唱え、結局鈴木先生の主導でディベートが展開されることとなる。

 足子先生の屈辱感たるや(笑)。
 中学生あたりだと、真実を探ろうとする欲求が高いわりに他人の立場、ということへの学習が疎かですから、このように 「足子先生じゃ話にならない、鈴木先生と真実を探るのがいい」 とストレートに表明してしまうものなんですよ。
 彼らは足子先生のプライドなんかどーだっていいですから(笑)、ズタズタに傷つけまくっても知らん顔。
 私の中学時代でも、そんなことが多々ありました。
 担任教師を蔑ろにしてほかの頼れる先生に相談に行ったりね。
 そすっと、蔑ろにされたほうの教師が、そのことに対する耐性がないんですよ。
 結局泣いたりわめいたり。
 子供ごころに 「ガキか」 と思いましたけど、まあ人には、立場ってもんがある、ということに、我々が気付いてあげられなかった、ということでもあるんですよね。
 中学生あたりじゃ無理か。
 いずれにしてもそのことはそれで、学習できたわけですが。

 ともかくそのディベートで鈴木先生は、人が人を好きになるのは(広く人と人が付き合うこと全般には)、いわゆる打算が大きく絡んでいることを生徒たちに気付かせ、それでも、そんな自分勝手な入り口でもまったく構わない、人を愛することで、自分よりも相手のことを思いやれる自分になれば、という 「学び」 へと導こうとします。

 ここで面白かったのは、「王子様に処女性は取っておきたい」 と語るメズール、じゃなかった(「仮面ライダーオーズ」 参照のこと…笑)中村(未来穂香チャン)に河辺(小野花梨チャン)が、「じゃあ経験をいっぱい積んだ私が竹地(藤原薫クン)にテクニックを駆使したのはいけないことなの?」 と反論し泣きじゃくる場面(しかし白昼堂々、すごいねこのコも…笑)。

 ここで鈴木先生はやおらチョークを取り出し(どこから出した、いつも持ってんのか?…笑)「体験」÷「学び」=「学習率」 という公式を地面に書いて、体験をどこまで自分のなかで咀嚼できるかが、人間性の成長にとって重要なことなのだ、という論理を展開します。

 「河辺、おまえはたくさんの教材を手に入れた。
 それを放っぽりっぱなしにして、生きていくうえでの邪魔な重荷と考えるか、あるいは、そこから多くを学び、人間性を磨く上での、糧にするか。
 …すべてはお前次第なんだ」

 わがままな自分中心の考え方に染まっていた河辺や、河辺の処女性を云々していた山際(千葉一磨クン)も、この課外授業で、自分を納得できる方向へと進んだようです。
 注目すべきなのは、鈴木先生自身が自分の理論を過信視していないところ。
 これで生徒たちが劇的に変わることを期待していないし、何か問題が起こればたちまちやり玉に挙がる方法だということも分かっている。
 要するに、本音と建前をどのように切り替えながら、自分が今後生きていくうえでの浮揚力にしていけばいいのか、ということに、鈴木先生の主眼は置かれているのです。
 前回私はこの鈴木先生の方法に 「理論に溺れてしまう危険性がある、詭弁に陥る危険性がある」 みたいなことを書いたのですが、自分の理論の脆弱性に気付いていることは、鈴木先生にとって何よりの武器だと思い直しました。

 そして登校拒否をしてきた竹地は、この課外授業を機にして再登校してくる。

 鈴木先生と一緒にいる竹地に、クラスメイトが何事もなく 「おはよう!」 と挨拶していきます。
 彼らにわだかまりが残っていないのは、彼らが 「人間には弱い部分もあるんだ」 ということをかなり確信する学習を経た、という証拠です。
 竹地は鈴木先生に向かって、「ぼく、恥ずかしいんだ」 と打ち明けます。

 「安心しろ。 学級会議のことだったら…」

 「違うよ。 そのときのことが恥ずかしいんじゃない。

 そのあと、河辺とあれをしたことが…。

 やましいとかじゃなくって、…ただ恥ずかしいんだ」

 たとえば掃除当番をバカ正直にマジメにやることも、自分の罪悪感に勝てないことの証左だったりします。
 けれどもそれを逃げずにしてしまうのは、なにも自分の意志が弱いからではない。
 従順になることが結局楽だから、でもない。

 決められたことをしようとしないのは、

 ただ、「恥ずかしい」、という理由から、だけなのです。

 今の日本人は、「恥」 を忘れた人間が多過ぎる。

 子供たちが恥を感じる機会を、大人たちは摘み取ってはいかんのです。

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2011年6月 7日 (火)

「JIN-仁-」(完結編) 第8回 産みの苦しみとの闘い!

 今回冒頭、大政奉還についての龍馬(内野聖陽サン)の込み入った説明がなされます。 昨日(正確には今日)の深夜に、「ジャングル」(TBSラジオ)で伊集院光サンが 「『JIN』 を見たけど大政奉還とか分かんなくって」、なんてしゃべってましたが、まあ天子様とか土佐とか薩摩とか、にわかには分かんないだろうなー、と。
 確かにここでの大政奉還の説明は、私自身、去年 「龍馬伝」 で見てきたからスッと頭に入るのですが、このドラマはまず、そんな前知識を見る側に強要している部分も、ないわけではない。

 しかも同時に、龍馬がのちの日本を大きく予見する提言を取りまとめた船中八策の場面も冒頭で描写されていたのですが、そこに映し出されていたのは、「九、」 の文字。

 「八」 策になっとらんのですよ。 つまり9つ目の策は、この物語のオリジナル。

 これも前知識がなければ、「どうして9つなんだ」 という変な嚥下不良感を抱いたまま、今回のドラマを見ることがない。 何の疑問も持たず今回ラストを見てしまうことになる。

 ところが今回の 「JIN」 はそんなことなど瑣末なことに過ぎぬとばかり、怒涛のような野風(中谷美紀サン)の出産シーンを、こちらに見せつけたのです。
 もう、泣きまくりました。
 中谷美紀サンの渾身の演技に引きずられるように、南方役の大沢たかおサン、咲役の綾瀬はるかサンの演技もヒートアップ。
 ある意味でこのドラマのクライマックスとも呼べる回だったのではないでしょうか。
 時間延長じゃなかったから、ちょっと油断してました。
 あ~泣けた。
 しかもですよ、…いや、このことは後述いたします(引っ張るなあ…)。

 野風の出産を控えている南方たち。 「ノイロシート」 という黒糸をつけた脱脂綿みたいなものを作っています。 ネットで調べたら、「神経組織の保護、液の吸収、又は止血のために手術中に用いるコットンまたは合成繊維等のパッド」 らしい。 つまり今回後半で繰り広げられる野風の出血に対するひとつのフリなわけですな。
 佐分利(桐谷健太サン)らは 「呪いのシート」 などと言っては南方にきつく訂正されるのですが、ここから南方が野風の出産に対して限りない不安を抱いていることが見てとれます。

 しかも出産も間近になって胎児が逆子状態であることが分かる。 野風の癌は小康状態なのですが、不安材料が次々に積もっていく感覚です。
 要するに、野風の死亡フラッグが立ちまくっとるわけですよ。
 どんなに南方が頑張っても、子供を抱くくらいはあるかもしれないが、野風はきっと、この出産で、死んでしまう。
 見る側の気持ちは、そんな鬱々とした方向に流されていくのです。

 そんななかで、南方は奥医師の推薦の話を松本良順(奥田達士サン)から聞かされる。 龍馬という対立分子と近しいためにここは話を受けたほうがよかろう、ということになるのですが、ここで南方はアンドーナツ事件の黒幕、三隅(深水三章サン)と再会します。
 なんとも不気味な、三隅の存在。
 残り少なくなったドラマのなかで、どんな悪だくみを仕掛けてくるんでしょう。

 さて野風が子供を産む、ということの意味。

 これは未来(みき、中谷美紀サン、二役)を再びこの世に蘇らせるための頼みの綱、ということを、咲も野風もじゅうぶんに認識しています。
 野風が見受けするはずだった男との破談をきっかけに消えてしまっている、未来(みき)の写真。
 それがルロンとの結婚、出産を契機として、復活するチャンスが再び生まれた。
 ふたりはそれぞれに、南方への思いから、南方をいちばん大事だと思うからこそ、南方の幸せをいちばんに願っている。 それが、南方の思い人の復活なのです。
 このふたりの、切ない思いが、出産シーンには結実します。

 いっぽう、大政奉還という思惑を実行に移し始めた龍馬。
 さっそく薩摩から詰問を受けます。
 幕府が帝に政権を返してしまえば、薩摩は江戸城攻撃の大義名分を失う。
 大政奉還が南方の 「戦は新たな戦を呼ぶ」 という考え方から龍馬の心肝に根付いている、というこのドラマの方法論は、タイムスリップものの醍醐味です。

 どーせ幕府には政権返還の意志などないだろーから、この大政奉還論は要するに茶番じゃ、といきり立つ薩摩を交わす龍馬に、自分たちは官軍の勅許をもらったからこれから挙兵しまーすと言い出す西郷(藤本隆宏サン)。 それに慌てふためく龍馬に、「茶番でごわす」 と返す西郷。 西郷は、龍馬の本心をそれで暴き出すのです。
 何なんだ、このカマの掛け合いの面白さは。
 昔の大河ドラマって、こんな虚々実々の駆け引きが結構あった気がします。

 追い詰められた龍馬は、「まことの『理』、はなんたるか!」 と激高する薩摩藩士たちに訴えるのですが、西郷は 「人は!『理』 だけで生きるわけではごわはん! 人には、『情』 ちゅうもんがごわす。 おのれの裏をかいたものを、信じるこつはできもはん!」 とはねつけます。

 この 「理」 と 「情」 の反目も、まるで坂本と西郷の行動規範を象徴しているようで、いちいち深いんですよ。
 すごいすごい(すごいの大安売りです)。

 野風の陣痛が始まります。

 そのなかで咲は前述の通り、野風の思いを知っていくわけですが、咲を 「真っ白だ」 と評する野風に、「自分は真っ黒だ」 と否定するのです。 見返りを求めない野風と違って、自分は見返りを求めてしまう、と。
 見返りというのは、おそらく南方の愛情なのでしょう。
 超然とするよりも、そっちのほうが人間らしくていいのではないでしょうか。

 しかし逆子状態の胎児はマッサージの結果真横状態になってしまい、手の部分から出てきてしまう、という最悪の状況に。
 野風を診断した南方は、笑いながら 「大丈夫です。 テはあります」 と話すのですが、野風の子が逆子であることが分かったときに福田(佐藤二朗サン)が 「切羽詰まった顔はよしましょう」 と言ったことが、ここで生きている。 南方は母体のほうだけを助ける、という苦渋の決断を佐分利たちに説明します。

 ここで佐分利や咲の脳裏に浮かんでくるのは、江戸時代にその技術すらなかった帝王切開、という方法。 そんな夢のような話を南方から聞かされていたがゆえに、なんとかそれができないのか?と思ってしまうのですが、麻酔が胎児に与える影響が大き過ぎる、ということに加え、南方の判断には、自分が帝王切開をしたことがほとんどない、という気後れも大きな要因としてあるのです。

 手術室に運ばれる野風。
 不安の色が増していきます。
 南方はニコニコしながら、野風にその決断を知らせぬまま、「痛みを止めるための手術をする」 と告げるのですが、野風は南方のその不自然な笑顔と、離れたスキの南方の厳しい顔を、咲の不安な表情を、見逃さない。
 このくだりはシビレます。
 そのかすかな表情を見逃さない、というのが、子供を守ろうとする親の執念を、痛いほど感じるんですよ。
 野風はそれを察した瞬間、動物的な荒々しい目つきになって、息も絶え絶えに、南方に詰め寄るのです。

 「は…嘘が、下手でおざんすなあ…」

 野風は術式道具を床にぶちまけます。

 「腹を切っておくんなんし!

 このまま腹を裂き、…子を取り出しておくんなんし…!」

 麻酔に子供が耐えられないと訴える南方。

 「ならば!

 このまま切ってくんなんし!」

 麻酔をせずに切ればショック状態になって死んでしまう可能性も高まる。

 「…あちきは、…廓のなかの、籠の鳥でござんした…。

 行きたいところに行けず…逢いたいお方にも逢えず…。

 …けんど、この子は違いんす…。

 …野山を駆けまわることも…いとしき方と、肩を並べ歩くことも…なんだって出来んしょう…。

 天駆ける、鳥のごとく、生きていけんしょう…」

 野風は声を振り絞って叫びます。

 「…どうかあちきの夢を奪わないでくんなんし!…」

 あーダメだ、また泣けてきた。

 咲が意を決して南方を促します。

 「…帝王切開をいたしましょう!

 大丈夫です!

 おなごは子を守るためなら、どんな痛みにも耐えられまする!」

 咲の思いつめたような勢いに、野風は涙で顔じゅうグシャグシャになりながらも、笑ってそれを制します。

 「あちきは、死にんせん…」

 そして南方を見つめ、ありったけの覚悟で宣言するのです。

 「この子を抱くまでは!…けっして死にんせん…」

 その思いに気圧された南方。 南方は一同に告げます。

 「帝王切開の準備を!」

 あ~も~だめだぁ…(笑)。
 ドラマチックすぎる。
 ドラマですけど。

 ほとんどしたことのない帝王切開手術に、手が震える南方。
 咲は 「未来さんが守ってくれるはずだ」 と南方を励まします。
 「未来サンは、たとえおのれが消えようとも、先生の幸せを、願っておられるはずだからでございます」。

 ここで咲は、手術用ゴム手袋をはめた南方の手を握ろうとしながら、けっして南方の手に触れようとしません。

 これってどういう意味なんでしょうね?

 「気」 を送ろうとした?(笑)

 (コメントをいただいて、ただ単に 「手術前の、南方の手袋の清潔性を保つため」 ということに気付かせていただいたんですが、あえて)私の考えでは、咲が自分と南方との間に、けっして触れることのできない壁が存在している、と自覚するがゆえの行動だったんじゃないか、と思うのです。
 咲にとってこの帝王切開は、未来(みき)を蘇らせるためのひとつの手段。 南方に思いを寄せている自分を犠牲にしながら、南方への思いを最大限に尊重しようとしている。
 そしてそのうえで、南方先生、未来(みらい)を変えることのできる人は、あなただけなんですよ、と言おうとしたのかもしれない。
 わたくしにはそれを止めることなど出来ない。 未来を、切り開いてください!という気持ちが、咲が南方の手を握ろうとすることを躊躇させたんじゃないか、と。

 麻酔もなく腹を切り開く、という、想像を絶する野風の帝王切開手術が始まります。

 いや、想像を絶するからこそ、ドラマなのです。
 ドラマの存在意義というど真ん中に、このドラマは切り込んでいる。
 それは 「JIN」 において今までだってそうだったのかもしれないですが、野風の思い、先の思い、南方の思いが凝結しているからこそ、それを描き切ってきたからこそ、この手術シーンには目をそむけることができません。
 しかも野風はどのような形であれ、死んでしまうだろう、という予測のもとに見ている。

 そこに作り手は、龍馬がひとり酒を飲みながら、南方と一緒に野風と初めて会ったときのことを、思い出しているシーンを挿入する。

 「野風と酒を飲んで待っちょったら、ゴリゴリゴリゴリ頭に穴をあける音がしたのう…」

 そして蘇った患者を見て、死にかけている者の気持ちを知っている南方のことを思い、そして死にかけているこの国に、思いを巡らせていく龍馬。

 死のイメージがたたみこむように画面を占領していくなか、野風の悲鳴が幾度も幾度も手術室に響き渡ります。

 私も目の手術をしている途中で麻酔が切れて、一種ショック状態になったことがあるのですが、痛みが直接骨を伝ってくる感じでもう地獄の責め苦です。 暴れた記憶がある(笑)。
 でもそんなものとは比べ物にならないほどの野風の痛み。
 江戸時代の女性のほうが、よほどこらえ性があるようです。
 でもショック死、という危険性がますます増大していることだけは、間違いがない。
 ついに断末魔のような絶望的な野風の金切り声が…。

 頭が出てきた胎児を見て、南方は最後のスタートダッシュを開始します。 佐分利や咲に指示を出し、腹部を上のほうから押しつけて、胎児を押し出すようにする南方。 動きが慌ただしくなる術式。

 「もうちょっとです! もう少し…!」

 野風を励ます咲。 あらんかぎりの力で胎児を取り出そうとする南方。 もうこっちもショック死しそうになってきた(笑)。

 「生まれました!野風さん!生まれて…」

 野風に話しかけようとした咲は、ハッと気づきます。

 血まみれの胎児。 ようやくこの世にとりだされた赤ちゃんでしたが、呼吸をしていない。
 泣かないのです。

 「そんな…」

 絶望が支配し凍りつく手術室。

 その時、咲は赤ん坊の両足を持ってさかさまにし、お尻を思いっきり叩くのです。
 赤ん坊が泣かないのは、羊水が口から出ていかないため。
 咲のとっさにとった行動は、理にかなっているのです。

 実は、です。

 さっき引っ張った話なんですが、私がこの世に生まれたときも、これと全く同じだったんですよ(帝王切開じゃないですが)。

 生まれたはいいけど、うんともすんとも言わない。
 医者は私のことをこのように逆さ吊りにして、ケツをひっぱたきまくったそうです。
 母親から何度も聞かされたその話を、まさかこのドラマで完全再現されるとは…。
 なんかもう、かなり、ひとごとじゃないです、この話(爆)。

 「泣きなさい!…

 泣いて!

 泣きなさい!

 泣いて!

 …泣け!」

 お尻をひっぱたく音が手術室にこだまし、やがて赤ん坊の大きな泣き声が、響き渡ります(私の場合は、ゲッ、ゲッ、だったらしいんですが…笑)(ゲゲゲのゲーまでは言わなかった…笑)。

 しかし今度は、野風の反応がなくなる。
 お初ちゃんの時と同じ、出血が始まったのです。
 同時に激痛が、南方を襲う。
 このドラマ、一服する時間を見る側に与えません。
 そしてずっと引きずっていた嫌な予感がまた、見る側に蘇ってくるのです。
 野風はやっぱり、死んでしまうのか?

 激痛を引きずりながら、野風の心臓マッサージを敢行する南方。
 土気色になっていく野風。

 「子供を抱くんじゃなかったんですかぁっ!

 歩くのを見るんじゃなかったんですかぁっ!

 声を聞くんじゃなかったんですかぁっ!

 …絶対に死なないって、…そう言ったじゃないですかぁっ!」

 南方は行き場のない怒りを思い切り吐き出します。

 「神は乗り越えられる試練しか与えないんじゃないのかぁあああっ!」

 野風がかすかに反応します。
 息が、戻ったのです。

 はぁぁ~…。

 もう、こっちが死にました(爆)。
 何なんだよもう、このドラマ。
 やってらんねーぞっ! ふざけんなっ!(もちろんほめ言葉です)。

 「あなたはね、わたくしの、恋敵をお作りになるかたなんですよ。

 わたくしとしたことが、大変なかたを取り上げてしまいました。

 あなたに、ひとつだけ、お願いがあるのでございます。

 どうか、南方仁というかたに、
 傷つくことが多いあのかたに、
 誰よりも幸せな、今度は、誰よりも幸せな未来を、与えて差し上げて下さい…」

 安寿と名付けられたその赤ん坊を抱きながら、語りかける咲。 咲が南方の手に触れなかった理由が、この部分に隠されている気がしました。

 次回ドラマは龍馬の暗殺に向けて、さらにさらにヒートアップしそうな雰囲気。
 今回以上にヒートアップしたら、いったいどーなってしまうのでしょうか?

 おっと、冒頭で書いた船中八策の9つ目の項目を書くのを忘れておりました。
 南方から聞いた、「国民皆保険制度」 の構想でした。
 なかなか洒落たフロシキのたたみかた、であります。

当ブログ 「JIN」 についてのほかの記事
第1部

第1回 荒唐無稽との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---1-e9ae.html
第2回 建前との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---2-f3b1.html
第3回 自分の病との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---3-3290.html
第4回 女としての闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/---4-542b.html
第5回 梅毒との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---5-9dba.html
第6回 リアルとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---6-25d6.html
第7回 明日のための闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---7-87b0.html
第8回 自分の器との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---8-e9a7.html
第9回 心意気どうしの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---9-8cf0.html
第10回 ああもう、どうなっちゃうの?との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---10-670a.html
第11回(最終回)続編あるかどうかとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---7290.html
番外 続編の可能性を、もう一度考えるhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---a138.html

完結編
第1回 いますべきこととの闘い!① http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-577a.html
第1回 いますべきこととの闘い!② http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-7d0d.html
第1回 いますべきこととの闘い!③ http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-c8e9.html
第1回 いますべきこととの闘い!④ http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-6f3f.html
第2回 自分の願いとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---2-4ed0.html
第3回 人を思う気持ちとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/05/jin---3-ab26.html
第4回 自分の血との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/05/jin---4-5d43.html
第5回 無力感との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/05/jin-5-f4e1.html
第6回 坂本龍馬との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/05/jin---6-619d.html
第7回 永遠に生きるための闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/06/jin---7-16d1.html

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2011年6月 5日 (日)

「リバウンド」 第6回 干物女の悲しみ

 太一(速水もこみちクン)にフラれたショックで信子(相武紗季チャン)は、鉄色のカプセルなしにもかかわらず食欲が大幅に減退していきます。 「そんな下らないことのためにやる気をなくすから女はなめられるのっ!」 と鬼の編集長(若村麻由美サン)に尻を叩かれながら、太った写真をEDENに載せる羽目に(笑)。 編集長、「また1週間後には痩せなさい」 と限りない無理難題(笑)。 Sモード全開で完全に面白がってます。

元気のない信子をなんとかさせようという目的と、太一の作ったケーキを今までまともに食べたことがないから食べに来た、という理由で瞳(栗山千明サン)は太一のケーキ屋を訪れます。 このことが今回、波紋を広げていくわけですが。

 瞳はどうして信子と付き合ってるんだ?という太一に、瞳は 「あたしには絶対出来ないことをするからかな」 としゃべります。 「まあ、ほとんど無駄な努力だけどね」(笑)。
 これまでドラマで展開されてきた部分も含めて、信子は常に限界以上の力を出して、あり得ないシチュエーションを次々乗り越えてきました。 この瞳の説明は、これまでのドラマを一種総括しながら、実は瞳自身が持っている劣等感をあぶり出す側面も兼ねています。
 瞳はその後も太一と会っていろんな話をしていくのですが、一連の会話のなかで彼女は両親が別れ別れになって全く自分のことを顧みなかったことを告白していきます。 彼女が世間を冷めた目で俯瞰している原因がこれで分かる。

 そしてその両親が全く認めようとしない、瞳のイラストレーターとしての才能。 太一は瞳のスケッチブックを見て素直にその画才をほめ、瞳を驚かせます。 信子もほめるけれどもそこには気遣いが含まれている。 太一のまっすぐさが瞳にとって、とても新鮮に映った瞬間。 瞳の世間をすね続けてきた顔が、途端に光がさしたようになる。
 ここらへんの表情の変化、やはり 「キル・ビル」 の国際女優だな、という気がとてもしました。 今まで恋愛にまったく興味なしの干物女に見えた栗山サンが、いきなり森林浴でも浴びたようなみずみずしさをまとうと、急に男の私でもドキッとする。

 そんな瞳、両親に対する敵意を見せた瞬間、両親を失っている太一は激しく怒るのです。 どんな親でも親は親、生きてるんなら会いに行け、と。
 瞳はその言葉のまっすぐさにまたまた衝撃を受けて、それぞれの場所にいる両親に会いに行きます。 ドラマに出てきたのは母方の朝加真由美サンでしたが(おっとオギワラの母親だ)、そのときも父親と同じく、なんとも言いようのない複雑な表情を見せる。
 そんな実の親に対して、瞳は心から落胆した表情で、もう来ない、と宣言し、「今日は何の日だったっけ?」 と母親に恐る恐る尋ねます。
 まったく心当たりがないという顔の母親を見て、瞳の絶望は頂点に達する。
 おそらくその日は瞳の誕生日なんだろうな、というのは容易に察しがついたのですが、親に誕生日を忘れられた子供ほど、悲しいものはありません。
 瞳はそこで、自分は本当のみなし児になった、という表情をして、去っていくのです。
 栗山サン、うますぎる。

 そんな瞳を待っていたのが、太一が作ったフルーツタルト。 太一は瞳のためにそこにロウソクを一本立て、瞳の誕生日を祝うのです(太一が瞳の誕生日をなぜ知ったか、というのは、信子が忘れていった手帳を太一が見てしまったから)。
 瞳はそれまでためていた悲しみが急に氷解したため、泣きながら太一の胸に顔を埋めてしまいます。
 ここ、ウルウルでした。

 ところがそこには、急激な食欲減退によってまた痩せた姿に戻った信子が隠れていたのです。
 ショックでその場からあたふたと逃げてしまう信子。 真っ赤な靴が、まるでシンデレラのガラスの靴にように片方だけ、現場に残されます。

 今回瞳の描写に多くの時間が費やされてはいたのですが、信子に関する描写が甘かったわけではまったくない。

 今回の話のエッセンスとして信子の両親(石塚英彦サン、伊藤かずえサン)の他愛ないケンカ、という話が挿入されていたのですが、それを見ながら本当の幸せって何なんだろう?ということを信子は悩んでいきます。
 さっきの手帳を置き忘れた原因となった、太一との再会場面でも大ゲンカ。 「もう恋なんてしない…なんて言わない…とは言わない…」 と完全に思考停止状態(笑)。 自分と同じくデブだからフラれた女の子を励ましても 「あんたに言われたくない!」 と言われて自暴自棄状態だし。
 そんな最悪な状態のなか展開され続ける両親のケンカに、いつもの赤ちゃん言葉ブチ切れバージョンが炸裂(笑)両親を呼び捨てにしながら(爆)「アンタタチみたいな夫婦になりたいってずうっと憧れてたんだ!」「もう自分も一生結婚なんかしない、幸せになんかならなくてもいいっ!」 と叫び、ブウブウ、じゃなくってゼイゼイ言いながら(笑…でもブウブウ言ってたな…笑)その場にブタ折れて…じゃなかった、ぶっ倒れてしまいます。

 まったく食欲がなかったことがたたって入院にまで発展してしまった信子の体調。
 結局これが最後の引き金となったのでしょう、先に述べたように信子は痩せていたときの体格に戻ります。 半海一晃ドクターは鉄色カプセルの使用を経たあとでの絶望的なリバウンドを超えた信子の 「驚異の回復力」 に唖然(笑)。 「幸せとは何だろう?」 とそれでも悩み続ける信子の 「やっぱり奥様を愛するとか…」 という問いに、「わ私は、女なんて下らない生き物を愛するつもりは二度となぁ~いっ!」 とキレまくり(笑)。 …壊れた(笑)。 なんかあったんでしょーね。 たぶん。

 結局両親は信子のブチ切れで我に返り、「信子が自分たちの娘でよかった」 という言葉を残して岐阜に戻っていきます。 信子はそんななかで幸せの意味をだんだんつかんでいく。

 「幸せって、なりたいなりたいと思うものじゃなくて、
 一日一日精一杯頑張って、気がついたら、
 いつの間にか、なっているものかもしれない…」

 そんな確信が固まっていく中で研作(勝地涼クン)との関係にも見切りをつけ、太一に会おうとアンジュにやってきた信子だったのですが。

 目撃してしまったのは、さっきの太一と瞳のシーン。

 太一が瞳の誕生日を信子の手帳で知った、ということは、それ以上に信子の自分に対する思いを太一は思い知ったはずであります(もし隅から隅まで読むデリカシーのなさが太一にあるのなら…笑)。 ということは太一が瞳になびいている、ということは考えにくいのですが、誤解は誤解を生むように、ドラマというものはできているものなのです(笑)。

 今回栗山千明サンの演技によってドラマとしての奥行きがぐっと増したように感じたこのドラマ。 ジェットコースターのような落差の激しい感情の起伏に翻弄されながら、信子は瞳との友情を、太一への愛情を、しっかりと抱きしめ続けることができるんでしょうか?

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「今夜も生でさだまさし」 福島編 ままどおる食いてぇ…

 福島地域では後日昼の時間帯に再放送するとのことで問題になるような話はできない、などと話しておきながら、柏屋だとかままどおるとか、企業名商品名を言いまくりだった 「今夜も生さだ」(笑)。 とりあえず具体的な名前を言えないことのご説明まで丁寧にしておいででしたが、福島銘菓というのは福島が故郷である私にはかなりツボでした。

 柏屋も和菓子屋なのですが、薄皮饅頭がいちばんメジャーですかねhttp://www.usukawa.co.jp/products/usukawa/usukawa.html。 薄皮、というくらいでそのまんじゅうのほとんどはあんこによって形成されています。 薄茶色の生地が、申し訳なさそうにそれをまとっているだけ。
 私もあんこは嫌いなほうではないのですが、この比率には一見ちょっと引いてしまいます。
 けれどもこれが存外にうまい。
 おそらく甘みが最小限に抑えられているから甘さにむせることなく食べられるのだと思います。 それにその薄っぺらい生地もしっとりしていておいしい。 普通の温泉まんじゅうなんかはこの薄皮饅頭なんかよりよほど生地が分厚いのですが、その生地をうまいと思ったことって、あまりない。 薄皮饅頭の薄皮は、うまい。

 この薄皮饅頭をですね、お茶と一緒にいただくのがいちばんオーソドックスなのですが、個人的にオススメなのは、牛乳と一緒にいただくこと。 乳製品とあんこの相性というのはかなりのものがあります。 ひょっとすると、生クリームをまとった薄皮饅頭、というのもいいかもしれない。 柏屋さん、考えてくれませんかね?
 ヤバイ、無性に食いたくなってきた。

 そしてままどおる。 五万石というところが作ってますhttp://www.chuokai-fukushima.or.jp/ksk/mamador/(ただし現在HP閉鎖中のようです)。 これは洋菓子風な感じで、バターとか牛乳をふんだんに使った感じの餡をこれまたしっとりとした薄めの生地にまとったお菓子。
 感覚的にはひよ子とかぽんぽことかの洋風饅頭、なんですが、餡の感じはもっと乳製品寄り。 まとった生地もフニャフニャな感じでおいしい。 これも牛乳と一緒に、というのがいいですねー。 ああダメだ、これも食べたくなってきた。

 そして番組では言及されませんでしたが、私の生まれた場所である三春の 「かんのや」http://www.kannoya.co.jp/products/p_cate01.html
 ゆべしという和菓子がイチ押し。
 あんこを餅生地で三角形に包んでます。
 この表面に、粟の粒が少々かかっているのですが、この香ばしさが、強烈なアクセントになっています。
 かんのやのアンテナショップにはそば茶も売っているのですが、このそば茶が結構ハマります。 うますぎる。

 みなさん、福島銘菓はかなりのセン行ってると思います。 幼いころから食べ付けた、というのもあるかもしれませんけど、他県と比べてもそのレベルは勝っているように思えます。 どうぞお求めください!

 番組レビューを、すっかり忘れております(笑)。

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2011年6月 4日 (土)

「江~姫たちの戦国~」 第20回 向井クン登場まで、あと2回、もつかな?(笑)

 今回の話を50字以内に要約いたしますと、「『私が好きなら、押して押して押しまくれ!』 と言う茶々に、いったん諦めた秀吉はついに完全なる戦闘モード」。 そういう話でございました。
 どんどん書くことがなくなってまいります。

 まあ、茶々がどうして秀吉の子供秀頼を生んだのか?という話を、純愛を契機にしようとした時点から、この物語はこうならざるを得ない気がしますが。 茶々の気持ちが分かる分からないで相変わらず話が推移しているし、秀吉はマジメのつらをかぶってるとしか思えないし。
 イヤそれにしても、大大恋愛長編だ。
 江が完全に脇役…とはいっても、今までの大河でも主役そっちのけで話が進むことなんか、多々ありましたし。

 今回のドラマを見ていて、復興に向けて山積する問題そっちのけで意味のない内閣不信任ごっこをやってる今の政治家たちを、かえって連想してしまいました。

 あと2回。

 早く出てきて、向井クン!

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「鈴木先生」 第6回 問題は、そこじゃない

 ナマでやるべきか、つけてやるべきか…。
 問題はそこにはない(笑)。
 って、ナニ書いてるんでしょーか?
 だから、ナニのことだって…(笑)。

 スパム記事にされてしまう可能性が非常に高いのですが、あえて触れさせていただくと、今回の 「鈴木先生」 のテーマは、「セックス」。
 中学生のセックスを取り扱ったドラマといえば私どもの世代ではなんと言っても 「金八先生(第1シーズン)」 が孤高を保っているわけですが、今どきのドラマはその10歩も20歩も先を行っている感覚です。
 なにしろ登校拒否になってしまった竹地(藤原薫クン)にプリントを届けに行った河辺(小野花梨チャン)という、あんまり美人とは言い難い(失礼)女子生徒が、いきなり翌日首筋にバンソーコだらけで登校してくる(笑)。
 「まさかねえ…」 と思っていたら、やっぱりキスマーク隠しだった(笑)。
 しかも竹地の母親(濱田マリサン)から電話が鈴木先生(長谷川博己サン)にかかってきて、「息子がナマでいたしてしまった」 というのだから鈴木先生でなくともめまいがしてきます(笑)。
 だいたい後追いで知ったんですけど、竹地が登校拒否になったのは小川(土屋太鳳チャン)が好きなことに端を発してたわけでしょ?
 なんでそーなる?(笑)

 それにしてもこの河辺という女の子。
 岬(西井幸人クン)という同じクラスの元カレから1年先輩の山際(千葉一磨クン)に乗り換え、山際がランボーなセックスをするために竹地に乗り換えた、という、なんとも(この手の美人とは言い難い女の子によくあるパターンではありますが)、性に対してかなりあけすけ。
 しかしながら男にとってはそんな開放的な性認識の女の子は、顔がさほどパッとしなくても性交渉の対象になってしまうわけであり。 竹地が川辺とセックスに及んだ気持ちは、たぶんそんな軽い部分が動機なのでしょう。
 そしてその手の女の子はこの先、「性というものを武器にすれば男が自分に優しくしてくれる」、という認識をスタートとして、歪んだ人生の道を、おそらく歩んでいくことになるのです。
 嘆かわしや…。
 まあ、気持ちいいんなら、いいんじゃないでしょーか?(投げやり…笑)。
 彼女の気持ちには、「優しくしてくれること」 が価値観の中心に居座っている。 だから自分が間違ってるなどと、夢にも思っていないのです。
 「ちゃんと優しくしてくれなかったくせに! なんでいまさらまとわりついて邪魔するの?! もうイヤだ! もうっ!」
 今回ラストでこの痴情のもつれはクライマックスを迎え(爆)、河辺は当事者全員の前で山際に対してブチ切れまくるのですが、ここでも彼女の頭のなかには 「私は悪くない」 という考えが支配しまくっている。

 話は前後しますが、鈴木先生は竹地の家を訪問し、避妊教育というものの欺瞞を暴き出して、結果的に竹地の覚悟のなさを引きずり出すことに成功します。
 ここがこのドラマのフツーでない部分。
 視点が、子供の側に立ってないんですよ。
 大人の問題を子供たちに率直に提示して、そこから子供たちに、建前とは何なのか、本音とは何なのか、という問題を自ら考えさせていく。

 「竹地。 おまえは河辺を深く愛しているのか?」

 竹地はもちろん本当に好きだ、と言い張ります。
 けれどもそれは、ただ単に 「言い張っている」 に過ぎない。 子供っぽい意地です。

 「そうか。

 ところで進路の話だが、おまえは今後の進学や将来就きたい仕事、どんなビジョンを立ててる?」

 それとこれとは話が違う、という濱田マリサンを鈴木先生は制して、「セックスを避妊もせずにするということは、子供を産むという覚悟のうえに、自分が将来ずっとそれを背負っていく覚悟がある、ということだ」 という理論を展開します。
 もちろんそんな覚悟なんて竹地にはない。
 中学生のセックスなんつーものは、興味本位とかやりたいからするとか気持ちいいからするとか、そのてーどのものでしかありゃせんのです(笑)。

 これはこーゆー話だ、と要約すれば、とてもありきたりなように思えてしまうのですが、このドラマは鈴木先生に立て板に水でその理論をしゃべらせまくるために、「どこかで見たよーな話」 と視聴者が感じるスキを駆逐していく。

 例えばこんな感じです。

 「もしそうなった(子供ができた)場合、おまえは何よりもまず、自分の人生を子供中心に切り替えなければならない。 しかも運命を呪いながらでなく、喜びに満ちた気持ちで、生き生きとだ。 それからお前が戦う相手は、自分自身の夢への未練だけじゃない。 親や世間に対して、おまえは生き生きと苦難を乗り越える姿を見せ続けなければならない。 自分たちの決意が本物であるということを信じさせられるようにな。 体を合わせるということは、それができるということだ。 分かるな?」

 「運命を呪いながらでなく喜びに満ちた気持ちで」 とか 「世間や親に対して本物の覚悟を見せづづけなければならない」 とか、作り手は常に見る側の気持ちの一歩先まで頭を回転させながら、セリフを形成している。

 そしてさらに避妊教育について、鈴木先生は子供の前で臆すことなく母親に持論をぶつける。

 「避妊とはそもそも、セックスから、本来の目的である 『子供を作る』 という部分を切り取り、快楽だけを楽しむための技術に過ぎません。
 つければいいという安易な避妊指導は、セックスが、単なる娯楽になりえるという事実を、子供たちに教えてしまっているような気がするんです。
 子供たちはすでに、気付いているんです。
 この社会が、セックスを娯楽に貶めることに慣れ切ってしまい、そこになんの痛みも感じていないことを。
 しかし子供たちが、セックスの本来持つ崇高さを深く理解したとき、おのずと、彼らのなかに覚悟が芽生えてくるはずです。
 そして、その覚悟を真の意味で手に入れた者には、もはや望まない妊娠や、それに伴う不幸などはあり得ません。
 本当に子供たちの幸福を願うのであれば、有無を言わせぬ避妊指導よりも、セックスの神秘性と精神性を時間をかけて説いていくほうが、望む結果にはよほど近道だと思うんです」

 ここで鈴木先生の持論の奥底には、「自分はナマでセックスする主義だ」 というこだわりが潜んでいます(笑…わないでください…笑)。 つまりセックスをする以上、それ相応の愛情の深まりと、その後に起こりうることへの覚悟が必要だからだ、ということです。 その主義を彼は生徒と母親に話しているにすぎない。
 でもだからこそ、その話は生徒にダイレクトに伝わっていくのです。

 私はこの鈴木先生、自分の教育理論(鈴木メソッド)にこだわり過ぎて、なんか生徒たちを道具みたいに結果的にとらえてしまっているようなところが見えるし、詭弁に陥ってしまう危険性も常に抱えているような気がしています。
 けれども物語の作り手は、そんな頭だけの理論など通用しないことが常に起こりうるのが現実世界なのだ、という設定を、常に鈴木先生に課しているような気がする。
 今回ラストで足子先生(富田靖子サン)が河辺ブチ切れまくりの場に割って入った鈴木先生の指導のあいだに乱入、話を引っ掻き混ぜてしまうのもその端的な例です。

 このブチ切れ現場に向かうエレベーターのなかで、鈴木先生は竹地に向かって、こう言っていました。

 「いいか、つけてすればOKなんじゃない。
 ただ、許されているだけだ」。

 大人たちが取り決めた理不尽な決まりごとには、理由があるということを、子供はそこから、学んでいくのです。

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2011年6月 3日 (金)

「松田聖子のオールナイトニッポンGOLD」 娘さん(神田沙也加チャン)との関係

 たま~に放送される、松田聖子サンの 「オールナイトニッポンGOLD」。
 今回は大竹しのぶサンの枠をお借りしての登場です(個人的には金曜日の吉田ヒサノリとかゆーヤツ…笑…のオールナイトを潰してほしかった…笑)(つまんねーぞ金曜日!)(何しゃべってるのかまったく分からん!)(失礼いたしました…)。

 今回は娘さんの神田沙也加サンがゲストで。
 よくふたりは共演しているらしいのですが、ワタシ的には初めて聞きました。

 もうふたりとも、声から話しぶりから、まるきりそっくりで、ニッポン放送の垣花正アナが間に立ってやってたのですがそれがなかったら、全く区別がつかなかったことでしょう。
 まるで双子。
 空恐ろしいくらい似ている。

 私はその昔、松田聖子という人にはあまり興味がなくて(楽曲だけは聞いてました)ラジオ番組も聞いていた記憶が全くないのですが、それでも 「ザ・ベストテン」 とかでそのパーソナリティを発揮していた印象があるのか、彼女の思考パターンというのをなんとなく体得しているような部分があるのです。
 まあ、メディアに出ずっぱりの人でしたからね。

 その体得している松田聖子の思考パターンというのは、とにかくあけすけ。
 ぶりっ子などという形容詞が初期の彼女にはついてまわっていたものですが、それも確信犯的に演じている部分が、とてもよく透けて見えていた気がするのです。
 だから笑う時も手を叩きながら 「ブァッハハハ!」 みたいな感じでとても無防備。
 すごく世間知らずで、というより世間に対してネガティヴな決めつけをしないし感情を抱いてない、そんな気がするんですよ。

 その思考パターンが、娘にも引き継がれている気が昨日はスッゴクしました。
 このふたり、互いに互いのものまねをするのがキモらしくて(笑)、別にものまねをせんでもじゅうぶんすぎるほど似とるんですが(笑)、それをお互いが互いに不機嫌そ~にダメ出ししている(笑)。

 そしてお互いがお互いのことを、とても尊敬している。
 沙也加チャンは純粋にアイドルとして君臨し続ける表現者としての母親に尊敬のまなざしを向けていることは当たり前なんですが。
 聖子サンは娘が昔から物を書く才能があった、と沙也加チャンの作詞能力をべた褒め。 これって単なる親バカか、と短絡的に思いがちなんですが、それ以上に尊敬している、という感情が見てとれる。 デビュー10周年の娘のライブを演出しようとしているのもそんな尊敬の念を窺えるのです。

 つまりふたりは親子である以上に、ライバルなのです。
 ふたりは互いに相手の動きを牽制しながら、同時に互いの活動をサポートしようと助け合い、お互いの精神的実質的利益に結び付けようとしている。
 こういう親子関係って、やはり特殊なように感じます。 たまに取り沙汰される親子間の確執は、そんなところから発生しているのかもしれない。
 でも昨日のラジオ番組を聞く限り、沙也加チャンは、「松田聖子の娘として生まれよう!」 という意志のもとにこの世に生まれてきた気さえする。 とても強い絆を感じるのです。

 それにしてもさっきの、「松田聖子的思考パターン」。

 デビューして30年以上になるのに、まったく当時から破綻してないっていうのがすごいです。
 つまり素のまま、彼女は芸能界を泳いできた。
 30年前の(もちろん沙也加チャンが生まれるずっと前)のオールナイト特番の模様が昨日の番組でも流れていましたが、30年前の彼女は今よりずっと若々しくてハッチャケまくってましたが(笑)、思考パターンが変わってない。
 貴重な存在です。

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「JIN-仁-」(完結編) 第7回 永遠に生きるための闘い!

 4、5日ぶりにテレビでちゃんとドラマを見たんですが、いやードラマって、やっぱりいいもんですねー。 このところ生活に潤いがない気がしておりました。 テレビドラマって、知らないところで人の気持ちを豊かにしてるんだな、とあらためて感じます。 それがたとえどうでもいいドラマでも。
 この 「JIN」 はどうでもいいドラマではないですよね。 ドラマ好きの渇仰したのどに沁み渡りました。

 今回は前回の龍馬(内野聖陽サン)との長崎編と打って変わって、野風(中谷美紀サン)と、咲(綾瀬はるかサン)の思いが交差した、横浜編。 物語のゴールがそろそろ見え始め、タイムスリップによってねじれた自分たちの物語に、登場人物たちが果敢に挑み、生き抜いていく姿が活写されていました。

 長崎から戻った南方(大沢たかおサン)のもとに野風から結婚式への招待状が届きます。 かねてから身を寄せていたフランス人ルロンとの結婚です。
 咲はその吉報を複雑な思いで受け止めます。
 今回の咲、「龍馬を監視せよ」 という密命を受けた恭太郎(小出恵介サン)の不審なそぶりを敏感に察知したり、野風が南方のことを未来(みらい)から来たと知っていた、と推測したり、なにしろものの察しがよかったですね(野風からも 「くわばらくわばら」 と恐れられるほど…笑)。 このとき野風の婚礼に顔を曇らせるのも、野風の思いを理解しているからこその反応なのです。

 なんたって、ものの察しがよすぎるから、咲は南方に対しても一歩も百歩も引いた場所に立ってしまう。

 招待された結婚式前の内々の晩餐でも、南方がコーヒーやシャンパンを懐かしがって飲むところを野風がまったく不思議がらないのを見て、咲は前述した推測に至るわけですが、そこで野風から 「おふたりはいつ夫婦になられるので?」 と訊かれて正直に答えようとする(笑)南方を制してシャンパンとワインのチャンポンがぶ飲み大会を敢行(爆)、ベロンベロンに酔っぱらってその場をごまかそうとするのです。

 このときの咲の大トラぶりには、ちょっと萌えました(ハハ…)。

 南方に肩を担がれて(笑)倒れこんでしまう咲、まるで繁華街でよく見かける現代女性並みのはしたなさでありんす(爆)。 そのときのタガを外した咲の言葉が、また深い。

 「野風サンは、まことに幸せなのでございましょうか? お芝居なのではございませんかねぇぇっ?(南方 「あ、ちょっと咲サン、声が大きいっ!」…笑)野風さん、嘘がお上手ですし。 じゃあ、よいのでございましょうか、わたくしも…。 酔う(よい?)のでございましょうか、幸せになりましても(南方 「咲サン?何言ってるんですか?」…笑)。

 (すわった目で南方を見て)わたくし、…おばばになってしまいますよ…。

 ふ、ふふ、…もともと、おばばでございますけどね…(その場に寝てしまう咲…笑)」

 翌朝大幅寝坊して 「記憶がない」 と恐縮しまくる咲に、野風がまたカマをかけまくるかけまくる(爆)。
 「先生、いつ結婚してくれるんだと大声で叫んでた」 って(笑)。
 血の気が顔から失せていく咲に 「戯れでありんす」(笑)。
 安堵しようとする咲に 「というのは戯れでありんす」(笑)。
 咲 「(立ち上がって)どっちなのでございますか!」(爆)。

 いや、笑いました、ここ。 野風も結構、人の心を弄ぶのが好きなようです(花魁時代のクセか?…笑)。

 その野風、以前南方に治療してもらった乳がんが、再発していることに気付いています。 南方を招待したのも、実はその診察も兼ねてのこと(話は 「戯れ」 から前後します)。 同時に野風は、お腹にルロンの子供を宿していることを南方に打ち明けます。
 南方は触診してリンパ節の癌がかなりの広範囲に転移していることに気付き、子供を産むことには否定的なのですが、野風は癌が子供に影響しないことを聞き、そして自分の余命をあと2年と聞くに及んで、心から幸せそうな顔をするのです。
 それは野風が、どうあろうと自分の子供を産むのだ、という覚悟のなせるわざ。

 「(涙ぐみ)2年も(生きられるのですか)…。

 それなら、この子を(涙がこぼれ)、抱けんすなぁ…。

 …笑い顔を見ることも、

 …声を聞くことも、

 出来んすなぁ…。

 …手をつなぎ、

 歩くことも、

 出来るやもしれんせん…」

 泣きながら、笑ってしまう野風。

 ひたすら、泣けました、この場面は。
 野風にとっては、自分の命を延ばすことよりも、この世に自分の生きたあかしを残すことこそが、本望なのです。

 「先生…この子は、あちきの夢なのでありんすよ。

 あちきはこの先、そう長くは生きられんせんけんど、この子は、何十年も生きていけんしょう。
 この子が子を持てば、それこそ、100年、200年、のちの世までも、あちきの血は流れ続けるでありんしょう。
 その営みのなかで、あちきはとわに生き続け、その子の血となり肉となり、目となり、見ることができんしょう」

 このやり取りのあとなんですよ、さっきの 「戯れ」 シーン。
 そんな壮大な夢を南方に語りながら、未来への希望を胸に秘めながら、咲の幸せを後押ししようと戯言を言う。 なんなんだ、この精神的な広さ、というか、強靭さというか。

 咲は野風の覚悟を知り、野風はやはり南方が思いを寄せている女性が自分の子孫だということを知っている、と確信します。 咲は南方になんとか母体も安全に出産出来ないのか訊くのですが、帝王切開という方法はあるがそれはこの時代の麻酔では出来ない、と南方は答えます。
 どうもこれが、次回の物語のカギになっていくようです。

 そして教会での結婚式。 野風を雇っていた六平直政サンも久々の登場。 ヴァージンロードを歩く野風を見ながら、野風が最後に行なった花魁道中の堂々たる姿を思い出す、と重要なセリフを言います。

 このヴァージンロードは言わば、野風の人生を彩る最後の花道、なのかもしれません。
 この先に野風には、自分の夢を託した、あまりにもつらい苦しみが待っている。
 花魁道中が自分の存在を世間に知らしめる顔見世興行なのであれば、このヴァージンロードは自分の人生の闘いに向かうための、出征の花道なのかもしれません。
 いちいち深いんですよ、ドラマが。

 この美しい人に、オレはどれほどの愛情をもらってきたんだろう――。

 南方はそんな野風の夢も叶えてやれないのか、と自分を責めます。
 咲はそんな南方の思いを察したかのように(ますます鋭い…)こうつぶやきます。

 「野風さんの夢は、叶うのではないでしょうか…。

 未来の人間である先生が歴史を変えることに対して、歴史は、修正を加えようとするのかもしれません。

 けれど、もし、これは野風さんが、この時代の人間が、強い意志を持って未来を変えたいと願ったことだとしたら、それはもはや、修正されるべき歴史ではなく、ただの歴史なのではないでしょうか…」

 咲は野風が命がけで、南方の思い人を後の世に作ろうとしているのではないでしょうか、と語ります。 そして自分が、野風の子供を取り出したい、と南方に切り出すのです。

 ここでは、このドラマが抱えてきたタイムパラドックスに対して一定の結論を出しているように私には思われます。
 ひとりひとりの 「思い」 によって、歴史というものは作られていく。
 託されたそんな無数の 「思い」 が、今生きているすべての人を生かしているのです。

 花嫁(野風)のブーケは、咲に託されました。
 次回、野風の出産のなかで、いったい人として大切なものとは何なのか、どういう話のうえに展開していくのでしょうか。

当ブログ 「JIN」 についてのほかの記事
第1部

第1回 荒唐無稽との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---1-e9ae.html
第2回 建前との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---2-f3b1.html
第3回 自分の病との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/10/jin---3-3290.html
第4回 女としての闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/---4-542b.html
第5回 梅毒との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---5-9dba.html
第6回 リアルとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---6-25d6.html
第7回 明日のための闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---7-87b0.html
第8回 自分の器との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/11/jin---8-e9a7.html
第9回 心意気どうしの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---9-8cf0.html
第10回 ああもう、どうなっちゃうの?との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---10-670a.html
第11回(最終回)続編あるかどうかとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---7290.html
番外 続編の可能性を、もう一度考えるhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/12/jin---a138.html

完結編
第1回 いますべきこととの闘い!① http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-577a.html
第1回 いますべきこととの闘い!② http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-7d0d.html
第1回 いますべきこととの闘い!③ http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-c8e9.html
第1回 いますべきこととの闘い!④ http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---1-6f3f.html
第2回 自分の願いとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/jin---2-4ed0.html
第3回 人を思う気持ちとの闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/05/jin---3-ab26.html
第4回 自分の血との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/05/jin---4-5d43.html
第5回 無力感との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/05/jin-5-f4e1.html
第6回 坂本龍馬との闘い!http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/05/jin---6-619d.html

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2011年6月 1日 (水)

新しい記事アップできずにおります。m(__)m

 このところ忙しく新しい記事をアップできずにおります。 お待たせしてしまい申し訳ありません(待ってる人なんかいないかな…とんだ思いあがりであります)。
 ただコメントに返信する余力は当方(じゅうぶんすぎるほど)残っておりますので(笑)、コメントに関してはひきつづきお受けいたします。
 ここ3日ばかりテレビを見ておりません。 世の中どうなっちゃってるんでしょーか?(爆)

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