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2011年7月27日 (水)

「胡桃の部屋」 第1回 置き忘れてきた価値観

 向田邦子サンの小説の、3回目のドラマ化、「胡桃の部屋」。

 向田サンに関しては私、まったくのドシロート。
 ドラマも全く見たことがないし、小説もちっとも読んだことがない。 エッセイはいくつか読んだ覚えがありますが、すでに記憶の彼方(笑)。 「寺内貫太郎一家」 もほんのチョイ見程度で。 ホームドラマというものに、中学生あたりの自分はあんまり興味がなかったのが原因です。

 それでも航空機事故で亡くなったことは当時とても衝撃的で、その追悼記事などを読むうちに、独特の存在感が自分のなかに残っていたものでした。
 あれからもう、30年。
 生きていらっしゃったら、80になります。
 お母様が100歳まで生きたということなので(ウィキによる)、おそらくあの事故がなければまだご存命だったかもしれません。

 過去に2回ドラマ化されたこの小説、1度目はいしだあゆみサン、そして2度目は竹下景子サンが、今回の主人公、三田村桃子を演じたらしい。
 その竹下景子サン、今回はその桃子(竹下サンで桃子、っていうと、見たことないですけどソープ嬢モモコを思い出してしまう…笑)の母親役。 そして桃子を、「ゲゲゲの女房」 で竹下サンと嫁姑の関係だった、松下奈緒サンが演じます。
 桃子の妹には 「鈴木先生」 で麻美チャンをやっていた臼田あさ美チャン、弟に 「仮面ライダーキバ」 の瀬戸康史クン、姉に井川遥サン(なんかもっとぷっくりしてた気がするんですが)。
 桃子の失踪してしまう父親に、蟹江敬三サン。 今回ものすごい存在感です。

 最初のうちは、「向田サンの30年前の作品が、現代でも視聴に耐えうるものなのか」、という興味で見ておりました。
 ドラマの時代的な設定は30年前そのもので、家庭の崩壊とかいろんなことが叫ばれていたけど、まだまだ古い価値観が根強く残っているような時代。 ジョン・レノンが殺された、とかやってましたから、1980年の年末が舞台であります(クリスマスセールとか商店街でやってた)。

 ただ時代設定は1980年でありますが、ところどころに小道具の甘さが散見されるような気もいたしました。 今書いたクリスマスセールののぼりが結構現代風だったり、通り過ぎていく電車がなんとなく今っぽかったり(鉄ちゃんではないけど気になった)。 ファッションとかにはとても気を遣っている感じで、全体的にはまあ許せるレベルではありますが(高飛車だなあ)。

 物語は前述の通りいきなり蟹江サンが失踪してしまうのですが、それが会社から突然の解雇通告を受けたから(今風に言えば、リストラであります)。
 リストラなんて言葉は当時なくて、要するにクビ、ということですが、当時は終身雇用制がほぼ確立していた時代。 リストラが当たり前に行なわれる現代と違って、そのショックはかなりのものがあるに違いありません。 蟹江サンが受けた屈辱は大きく、家にいたたまれなくなって、おでん屋の女(西田尚美サン)のところに転がり込む。 どうも感じから言って、浮気、というのとは違う感覚がします。

 会社で蟹江サンの部下だった男(原田泰三サン)に消息を訊く中で、松下奈緒サンは厳格だった父親がおでん屋のヒモになっている事実を突き止めていくのですが、父の失踪で動揺する家族、父が失踪先で 「肩揉んで~」 とかあらたに受けている屈辱、「オトコにはメンツがある、浮気は男の甲斐性、まあそのうちにもとのさやに収まるでしょう」 みたいな態度の原田泰三サン、そのすべてに、いかにも30年前の価値観が存在していて、展開が古臭く思える。

 展開も古臭いのですが、挿入される音楽も古臭い気がする。
 東南アジアの民族音楽みたいな音楽が、まるで効果音のように、四六時中鳴りまくってるんですよ。
 しつこいくらいに鳴っているその音楽。
 けれどもそれが、私にとっては 「昔のドラマ」 を想起させるひとつのエッセンスになっている。
 昔のドラマって、とにかくBGMがうるさい(笑)。
 ハッピーな時はこの音楽、悲しい時はこの音楽。 「俺たちの旅」 なんか見てると、登場人物が驚いたときにも共通の短い音楽がかかる(笑)。 「赤い疑惑」 なんか、同じメロディでハッピー編と悲痛編がある(笑)。
 同様にこのドラマのなかでも音楽が波状攻撃のように鳴り続けているんですが、その感覚が、最初は 「しつこいなあ」 と思っていたのに、いつの間にか懐かしさに包まれている。

 そして、展開や音楽の使い方が古臭いからこそ、「当時の価値観っていったい何だったんだろう」、という興味が増していくのです。 これはちょっと自分でも、意外な感じがする。

 ドラマとしては、その当時の古臭い価値観が崩壊していく過程を描いているのですが、現代においてまったく崩壊し尽くしてしまったようにも思えるその古い価値観。
 父親が一家の大黒柱で、母親は良妻賢母が求められて、子供はそんな古い親の揺るがない権威に反発しながらも親を尊敬していて、それから、タバコが当たり前のように家のなかで吸われていて。
 「おひさま」 で展開している古い時代よりもなお、時代を感じさせるんですが、実は父も母も娘も息子も、家庭のなかでひとつの役割を演じていることに、かなり懐疑的になっている、本当の自分との間に乖離をかなり感じている、そんなことを強く感じるのです。
 そして自分が生きてきた過去の価値観を、自分自身が忘れていることに、気付かされるのです。

 松下奈緒サンは父親がおでん屋の女に世話になっていることを、話が深刻にならないようにと明るくさらっと家族のみんなにばらしてしまうのですが、そこから竹下景子サン演じる母親が取る行動が、いかにも予測不能。
 これまで通ってきた道なのに、昔の人たちの行動パターンなど読めているはずなのに、それが読めない。

 彼女はショックをまったく表に出さないまま①松下サンに父親の着替えを持たせ、②失踪中続けていた神社参りもやめることなく(「あんた(松下サン)がごちゃごちゃ言うからお賽銭をあげすぎちゃった!」 って、おつりをもらいに行くところは笑いました)、③和装できちんとお化粧をしたまま、おでん屋の彼女のアパートを、下から見上げている。
 この母親の行動に、古い価値観と新しい価値観が彼女のなかでドロドロにせめぎ合っている倒錯感を、私は感じるのです。 行動が予測できないぶん、不気味です。

 そして父親の蟹江サン。

 
 酔っぱらってお土産にお寿司を買ってきて、夜中だというのに子供たちを起こして 「どうだうまいだろう」 と食べさせる。 柱に子供たちの背の高さを几帳面に付け続ける。 子供の劣等感を叱る(このドラマでも松下サンは、背の高いことをネタにされています…笑)。

 ほかのところはどうか分かりませんが、自分の父も昔はこんな感じでした。 この点では 「おひさま」 の寺脇康文サンも一緒なのですが、とにかく昔の父親の存在感、というのはハンパなものではなかった。 オレが家族を支えている、という自負がみなぎっていた。
 だからこそクビになったときに、その価値観が全崩壊するのです。
 おでん屋の女の赤いブラジャーの混じった洗濯物を取り込み、その女の赤い飾りのついたサンダルをつっかけてネギとかジャガイモとかニンジンを買いに行く。
 その屈辱感たるや。
 けれども自分が打ちひしがれているから、そんな屈辱感に浸ることで、自分を慰めているのです(複雑なようだけど、そう私は考えます)。
 これらの演技を余すところなく表現し尽くしている蟹江サンには、つくづく脱帽します。
 原田芳雄サンは身罷ったけれども、まだ日本にはこんな役者さんがいる。 そう感じました。

 全6回。 ちょっと古臭さを感じながらも、当時の価値観を追体験する機会だと思って見続けてみます。

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コメント

このドラマがスタートする直前、
夜中に「阿修羅のごとく」を再放送してたんですよ。
79年。これはホンモノの時代モノですから
BGMがピンクレディにレインボー(リッチーブラックモアw)。
風吹ジュンがまだ20代!

同じように父親が外に家庭をもっていて
母親が父がカコってる女性の家をこっそり見に来る→それを娘が目撃w

「阿修羅〜」では、すごく印象に残るテーマ曲がトルコかどっかの民族音楽なんですよね。
「胡桃〜」もそれを踏襲してるんじゃないでしょうか。

「阿修羅〜」の濃厚さに比べれば「胡桃」は
何十倍にも薄めたかんじですが
蟹江さんの、価値観崩壊演技は素晴らしいです。

私も後ろを走る電車が現代のものなのは気になりましたが
ま、CGつかうのもアレですしOKっすw

投稿: マイティ | 2011年7月28日 (木) 12時57分

マイティ様
コメント下さり、ありがとうございます。 アップデートしたら設定が変わっちゃってどうも昨日から書きにくい状態が続いております。 従来通り届いておりますでしょうか。

「阿修羅のごとく」 もチラ見程度でしたが、今回のドラマもまさしくテイストとしては、あんな感じでしたね! 昔の 「ドラマ人間模様」 とか見てる感覚。 風吹ジュンサンも若かった、桃井かおりサンも若かった、美保純サンも若かった(みんな私のなかでは同じカテゴリーです)。

音楽、やっぱりそうだったんですね。 なんか昔のドラマで一味違うものによく流れていたような感じ。 高飛車に揚げ足取ったりしましたが(笑)ここまで昭和55年を表現していたことには感服します。

話が古臭い感じで、それがかえって新鮮。 現代のドラマロジックに染まっていたせいか、竹下サンの行動は予測がつきませんでした。

松下奈緒サンは、昭和の女が似合ってますよね。

投稿: リウ | 2011年7月28日 (木) 16時59分

 私の年齢では向田さんの作品はリアルタイムで見ていました。 彼女の脚本が好きで小説も随分と読みました。 あの時代の日本のちょっと中流(?)家庭をリアルに描写していてとても好きでした。

 「阿修羅のごとく」も当時見たときにあのテーマ曲がもの凄く印象的でマイテイ様の仰る通りトルコの軍隊の曲か何かだったと覚えています。もの凄く効果的ですよね。

 「胡桃の~」の中で父親が夜遅く酔って寿司折を買ってきて寝ている子供達を起こして食べさせるシーンは私の父親を見ているようでした。私の父もよく飲んで帰って来る時にお寿司(十文字に紐がかけてある)を買ってきました。 母がもう寝ているからと言っても構わずに皆を起こして「さあ、食べろ」とご機嫌だったのです。昔の父親はそれこそ「自分が家族を養っているんだ」という自負が強かったのでしょうね。半分眠りながらお寿司を食べてうつらうつらしている私を父が布団へ運んでくれたのを今でも憶えているので
す。普段はもの凄く無口な父でした。

 そう言う意味で向田作品はとても懐かしく古い本もまた読みたくなりました。 たいてい次女がしっかり物で、お父さん子です。 これは向田さんのイメージと重なります。

投稿: ゆみ | 2011年7月29日 (金) 15時56分

ゆみ様
コメント下さり、ありがとうございます。

私ももう3、4歳くらい年がいってれば、向田サンのドラマ世界に興味を持ったかもしれません。 ガキだと親の浮気とか、どうも敬遠しちゃうんですよ(「岸辺のアルバム」 はそれでも、自分の住んでいる至近距離の物語だったので、ワケ分からないなりに見ておりましたが)。

同じような体験を、ゆみ様もされていらっしゃいましたか! いったん寝たのにまた起きて寿司を食う、という、なんか健康に悪そうな行為をしながらも(笑)、「自分だけうまいものを食って悪い」 と思ったのか、「子供にもこんなうまいものを食わせてやろう」 と思ったのか、「おまえも頑張ってこれくらいのものを食えるような大人になれ」、と言いたかったのか、ともかくいろんなことを考えながら、オヤジのクダ巻きにつき合ったものであります(笑)。 寿司なんか当時は、当然回転寿司なんかありませんでしたし、高級な食べ物、という認識でおりました。

昔、などと言って思い出すのは、幼かりし頃のことばかりだったんですが、この年になってくると、もう中学高校時代も、とっくにはるか遠い昔になっているんですよね。

投稿: リウ | 2011年7月30日 (土) 07時26分

リウさま

はじめまして。いつも楽しみに読んでいます。答え合わせのように笑
セレクトされているドラマが、私の好みのものが多くて…更新されていないとイライラしてしまいます笑

私はアラフォーとよばれる世代ですが、阿修羅のごとくがすごく印象に残っています。
あの音楽とともに。
あの音楽のイメージが強すぎて、先日の再放送を見たとき、
あれ、こんなに軽いタッチだったの?
とびっくりしまして…しかも、話も全然記憶にないもので、子供時代はどんな気持ちで見ていたのだろう?と、そこがとても気になったという…
お母さんがのぞきに来る、というのは向田さんのお話では大事な要素なんでしょうか。
その心理も気になります。

それにしても、昭和のドラマは、昭和につくったもののほうが、やっぱりしっくりきますね。
どうしても今のものは軽い。
映像も、空気も、すべてが。
フィルムとデジカメの違いにも似ているのかもしれませんが、
阿修羅~を見たあとというのもあるかもしれませんが、その点がすごく気になってしまいます。
とかなんとか言いながら、最後まで見ることになりそうです。

投稿: rin | 2011年7月31日 (日) 22時37分

rin様
こちらこそはじめまして。 コメント下さり、ありがとうございます。

最近なかなか直ちにレビューができなくて、申し訳ありませんです。 ちょっとヘロヘロなもので…(笑)。 見るドラマの趣向が同じというかたからコメントをいただき、私も正直うれしいです。

アラフォーということは私よりいくつか年下かと推察いたしますが、「阿修羅のごとく」 をリアルタイムでご覧になっていたとは驚きです。

第1回を見てからだいぶ日がたちますが、ますます 「昔のドラマっぽかったよなあ」 という気がいたしております。

そのなかでひとり異彩を放っていたのが、松下奈緒サンだと思うのです。

彼女は確かに昭和が似合うのですが、ひさしに頭をぶつけそうになるくらいの巨大な女性って(笑…っちゃいけないか)、ドラマに出てくる以前に女優としては致命的欠点ではないか、と思われるのです(これは当時の芸能界の常識から見たお話ですので、誤解のなきよう)。

そんな、昭和55年あたりのドラマではけっして出てこなかったような女性が主役を張っている、ということが、なんとなくrin様の感じる違和感にもつながっているのかもしれない…などと考えてみましたcatface

空気が違う、とrin様がお感じになるのは、おそらく昔のほうが、人の情念というものが今よりずっと深かったから、という気がいたします。
それだけみんな、何かを我慢しながら生きていた気がするんですよ。
それがバブルあたりから、「どうして我慢する必要があるのか?」 という精神的な開放があって、今じゃ結構、ドロドロした考え方って、敬遠されがちですよね。

竹下景子サン演じる母親も、何かを我慢しながら生きている。 蟹江敬三サン演じる父親も、何かを我慢ながら生きている。

それは当時の時代にまだ色濃く残っていた因習がもたらす、情念だった気がするんですよ。

向田サンのドラマは、そんな情念を解放するためのひとつのきっかけだったのかもしれませんね。

投稿: リウ | 2011年8月 1日 (月) 07時32分

私はこのドラマの年代にちょうど生まれたくらいの年齢です。
なのでドラマを観始めたころは、いわゆる「トレンディドラマ」全盛期でした。
このドラマの古臭さが、なんだか新鮮です。

ただ、父が「昭和生まれの明治男」と言われるくらいの、厳格なこわーい父だったので、また母もそれを享受していたところがあってまさに亭主関白、な家庭でした。

夜中に酔っぱらって帰ってきて叩き起こされてお土産を食べさせられた(我が家はたこ焼きでした)ことや、食事の仕方でビシビシ怒られたこと、家事なんて全くしなかったことなどを思い出しながら観ていました。

蟹江さんが洗濯物を入れようと下着に触れ、それが乾いているかどうかを確かめるためにぐっとつかんだ感じに、生活感というか、何とも切ない感情を味わいました。桃子さんの気持ちが分かってしまったというか。(もし、父がそんなことになったら、と想像して)
ああ、取り乱すよね・・・と。

今まで信じきっていた「お父さん」を失踪されてもなお信じたい桃子さんと、家庭を持っているだけに(?)動じていないお姉さん、多少の反発はあるもののあくまでマイペースな妹、末っ子だけど長男で同じ男性なだけに怒り心頭、の弟。そして何を考えているかわからないお母さん・・・

これから先それぞれがどう崩壊して、立ち直っていくのか、楽しみでもあります。

投稿: さり | 2011年8月 1日 (月) 21時27分

さり様
コメント下さり、ありがとうございます。

さり様も同じようなお父様でいらしたんですか。 何だかこのブログにコメントを寄こしてくださるかたがたって、お父様が厳格なかたが多いような気がします。
そして私の父親も。 私は子供のころ、当時流行っていた 「巨人の星」 の星一徹そのものだ、と自分の父親を評していました(笑)。

今ではそれが、偏屈なジイサンと化しておりますが(笑)、当時は父親が怖くて仕方なかった。

イクメンとか、今みたいにオトコが必要以上にひ弱になっている時代と違って、当時の解雇通告は、オトコにとってアイデンティティの崩壊そのもの。 ヒモに成り下がって赤いブラジャーの洗濯ものを取り込むなんて、つまり自分に対する刑罰みたいな感覚なんだと思うんですよ。 そして自分をあえて痛めつけることで、自分を慰めようとしている。
当時のオトコの、なんと悲壮なことか。

そのオトコのアイデンティティを崩壊させた張本人のひとりが、ドラマ中にも話題になっていた、ジョン・レノンであります(ビートルズ狂の話にしばらくお付き合いください…笑)。

彼が晩年、息子のショーン君が生まれたときから音楽活動を完全停止し、子育てと家事に専念したのは、当時としては驚天動地の価値観の逆転だった気がします。 「主夫」、なんて言葉に初めて出会ったのが、ジョンの語る 「ハウス・ハズバンド」 の邦訳だった気がするのです。

松下サンの弟も、昔ながらのオトコ観に染まってますから、失踪したオヤジが許せない。

現代だったら、リストラ?あ~普通普通、オヤジが浮気?まあ浮気は文化だから…(笑)などとなってしまうんでしょうが、

果たしてどちらの価値観のほうが暮らしやすいでしょうね?

投稿: リウ | 2011年8月 2日 (火) 07時47分

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