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2011年7月26日 (火)

「それでも、生きてゆく」 第3回 箱のなかに閉じ込めた思い

 「加害者の家族が被害者の家族に会いに行って、楽しそうにしゃべっているのは理解不能」 というコメントを当ブログもいただいたこのドラマですが、「どうして満島チャンは瑛太クンにしきりに会いたがるのか、なぜふたりはいっしょに行動したがるのか」、ということをあらためて考えながら見た、「それでも、生きてゆく」 の第3回目。

 やはりそのかたへのコメントに返信したように、ふたりは互いの傷を共有したがっている、と最初は考えたのですが、見終わってからの感想は、「どうしてこんなことになったのか、ふたりは今のところぼんやりとだが、互いに知りたがっている。 そしてそれをひとりで調べるより、同じ傷を共有している者同士で行動し解明したがっている」、ということでした。

 それは普通では、とてもあり得ないことです。
 互いに忌々しい記憶をまた心の底から引きずり出そう、なんて、誰も積極的に考えようとはしないからです。
 それに、やった側とやられた側と、とても分かりあえるとは、思えない。

 それでも。

 ドラマの存在意義として、とてもあり得ないであろうシチュエーションが、実際出来てしまったらどうなるのか?というシュミレーションへの興味、というものがあります。
 「もしもの世界」、を作り手も、見る側も想像したがる。
 この物語には、そんなシュミレーションの妙を堪能する意義と同時に、被害者も加害者も理解しあえる世界、というものへの作り手の大きな期待が込められている気がするのです。

 いずれにしてもドラマを見ていて思うのは、「当事者にしか分からないこともいっぱいあるというのに、そのことを無視して表面上の事実(報道も含め)だけを見て当事者たちへの憎悪を募らせる傍観者たちの愚」、であります。

 被害者家族とか、加害者家族とか、私たちはその家族が一方的に理想的家族であったとか、逆に家庭崩壊していた家族であったとか、極端な方向でとらえたがる。

 でも、どちらの側の家族であっても、家族どうしの愛情はあったり、時にはいがみ合ったりケンカしたりする、ネガティヴな部分とポジティヴな部分を併せ持った存在であったはずなのです。

 そのことを度外視して、報道は演出して報道したがるから、それを受け取る側の感情も、不当に歪められたものになっていく。

 瑛太クンの母親役の大竹しのぶサンが今回、その昔の傷を満島チャンに(彼女が加害者の妹だと知らずに)打ち明けるところは、そんな傍観者たちによってさらに傷つけられてきた被害者家族の心情を、とても的確に表現していたように思うのです。

 その大竹サン、予想通り満島チャン一家を苦しめる密告者でした。 夏祭りで偶然瑛太クンと一緒の満島チャンと出会った大竹サンでしたが、瑛太クンは巧みに、満島チャンが加害者の妹であることを隠しています。

 膝小僧を擦りむいた満島チャンの傷を手当てしながら、大竹サンは殺された娘の亜季チャンが、「座っても膝小僧が隠れない」 短いスカートをとても欲しがっていたことを思い出します。
 それは転んでも膝を擦りむかないための母親の配慮だったのですが、おかげで亜季チャンの膝は、いつもきれいだった、と言います。 膝をさわると、いつもくすぐったがって笑っていた亜季チャン。
 ある日大竹サンは根負けして、娘の願いを聞いてあげることにする。 亜季チャンは大はしゃぎで、買ったその場からその短いスカートをはいて、電車のなかで、何回も立ったり座ったりしていたらしい。 亜季チャンのうれしい様子が、思い浮かぶようです。 満島チャンも談笑しながら、そのときの様子を思い浮かべている感じ。

 そして殺された当日も、亜季チャンはそのスカートをはいていた。

 楽しい思い出を語っていた大竹サンは急によそよそしくなり、「バスまだかしらね?」 と話をはぐらかしながら、亜季チャンが死んだときのことを話し始めるのです。

 「霊安室の、白いシーツ剥がすと、…そこに亜季がいて――、小さい亜季が、短いスカートはいてました…。
 膝小僧さわっても、亜季はもう、くすぐったがったりしませんでした…」

 大竹サンの回想。

 膝小僧が見えている亜季チャンの遺体、膝には無数の傷と打撲の跡がついています。

 その記憶にあらためて打ちのめされたように、その場にうずくまってしまう大竹サン。
 「ダイジョブですか?」 と訊きながら、大竹サンに触れることができない、満島チャン。
 大竹サンはそれまでの落ち着いた話しぶりが一変し、魂が絞り出されるような悲痛な声で、こう呻きます。

 「怖かったの…。

 怖くて、警察にも訊けなかったの…」

 「何をですか?」

 思わず訊いてしまう満島チャン。

 でも、その問いに大竹サンは答えることをしません。
 クラクションを鳴らしてやってくるバス。
 やおら立ち上がり、財布をまさぐる大竹サン。
 
 「どうして短いスカートはかせちゃったんだろう…」

 上の空でつぶやく大竹サン。
 小銭が、バラバラと落ちます。
 満島チャンはそれを拾い集めるのですが、大竹サンは来たバスに、無表情のまま乗っていってしまう。
 まるで急に別世界の住人にでもなったように。

 どうして子供を、ほっぽったまま出てしまったのか。
 被害者家族、とりわけ母親が事件当時、そのことでどれだけ、世間から心ない中傷を受けたか。
 そのことで母親は心を閉ざし、自分のなかに、もうひとつの逃避場所を作ってしまった。
 だからいくら平静に談笑していても、ちょっとしたきっかけで、もうひとりの自分の精神状態が、露わになってしまう。

 「子供の命、守れなかった親は、生きてる資格なんてないの。
 亜季が死んだら、――母さんも死んだの。
 ――母さん…、死んだの」

 と息子の瑛太クンに話していた大竹サン。

 満島チャンは彼女が短いスカートをしきりに気にしていたことから、大竹サンが 「怖くて訊けなかった」 こととは 「亜季チャンが死の際に姦淫されたのかどうかだ」 と推測します。
 満島チャンに強く促され、事件当時のことを調べようとする瑛太クン。
 法律事務所で知り合った同じ被害者家族、藤村五月(倉科カナチャン)から、その手がかりのヒントをもらうのですが、そのカナチャンから 「15年たっても、悲しみは消えないのか?」 と訊かれた瑛太クンは、こう答える。

 「自分、…逃げてたんで。

 でも分かんないすけど、藤村さんみたいにちゃんと向き合えるっていうか、そういうふうにしていれば、消えはしないかもしれないけど、何か、箱のなかに閉じ込めちゃったりはできるんじゃないかなって…思います」

 検視報告書という手段を瑛太クンは見つけ、警察にも残っていない事件当時の資料を手に入れた瑛太クン、その事実を訊くことを頑強に拒絶しようとする大竹サンに、無理やり読み聞かせます。
 亜季チャンは、即死だった。
 そして姦淫の事実も、なかった。

 「母さんのせいじゃない。

 母さんのせいじゃないんだよ」

 初め逆光で表情がよく分からない大竹サン。
 涙があごを伝って落ちたのがキラリと光ったのが見えたときに、はじめて彼女が泣いていることが分かる、そんな撮りかたをしています。 この見せかたにはうなります。

 その涙は、大竹サンがそれまで箱のなかに閉じ込めていた思いが、優しく溶けていく瞬間のような気がしました。 泣けた。 逃避場所に隠していたもうひとりの、悲しく泣き叫んでいる自分。 その自分との、和解です。

 「お母さんのために調べてくれたの?」

 「…うん…」

 「(ありがとう)」

 声にならない声。 言ったかどうかも分からないかすかな声で、大竹サンはいったんこう言い、「ありがとう洋貴(瑛太クン)」 とあらためて言い直す。
 頑強に事実を拒絶していた過激な感情から、こんな静かな演技への劇的な変化。
 大竹サンの演技は、まるで舞台のそれのよう。
 そして 「もしも」 を演出するシュミレーションの妙、を大竹サンの演技から強く感じることができるのです。

 「…ごめん…」

 瑛太クンも、母親の箱のなかに閉じ込めた思いを見たせいなのか、自分自身の、箱に閉じ込めた思いを、吐露せずにはいられません。

 「おれが。

 オレが、…亜季を置いていったから…。

 亜季は死んで、
 亜季は死んで、

 ごめんなさい…。
 ごめん…」

 水道から蛇口をひねり、顔を無心に洗う瑛太クン。

 「ごめんなさい…!
 ごめんなさい…!」

 彼が箱のなかに閉じ込めた思いは、亜季に対して済まなかった、という思いと、悲しむ母親に対する、心からの謝罪だったのです。
 う~ん、ダメだなあ、泣ける。

 「違うよ洋貴。
 洋貴のせいじゃないよ。
 お母さん洋貴のせいだなんて思ってないよ」

 「謝っても、――
 謝っても、謝れない…」

 「そうじゃないよ。

 亜季はちゃんと分かってる。

 亜季にはちゃんと届いてる。

 お兄ちゃんでしょ。

 お兄ちゃんが泣いてたら、亜季が笑うよ…」

 大竹サンは満島チャン一家への復讐を、やめることにしたのです。

 このシーンに続いて、庭に水をやる、大竹サンのシーン。
 ここも泣けた。
 亜季チャンが 「あのね、お母さん。 ゴリラって、みんなB型なんだよ」 とか、仕入れたばかりの知識を、次々に母親の大竹サンに語っているシーン。 可愛いんだよ、この亜季チャン。 それだけで泣けてくる。

 ところがそれはいつしか大竹サンの回想を離れて、亜季チャンはこんなことをしゃべり出す。 娘の姿を思い出しながら微笑んでいた大竹サンの顔は、にわかにこわばっていく。

 「あのね、お母さん。
 じゃあなんで、亜季は殺されたの?」

 ぎょっとしました。

 「お母さんのせいじゃないでしょ。
 お兄ちゃんのせいじゃないでしょ。
 お父さんのせいじゃないでしょ。

 …じゃあなんで、亜季は殺されたの?」

 自分が閉じ込めていた感情の解決は見た。
 けれどもそれと同時に、「どうしてこうなったのか?」 という感情が、芽生え始める。
 まるで被害者家族の苦しみには、終わりがないのだ、というように。
 大竹サンの心には、どうして娘がこうなったのかを知るために、加害者や加害者家族のことをちゃんと知ろうという気持ちが台頭している。 おそらく息子の恋人だとばかり思っていた満島チャンが加害者家族であることも、大竹サンはこの先知ることになるはずです。

 そしてもうひとり。
 名前も変えて家族からも離れ農場で働いている事件の犯人、風間俊介クンのもとに、彼の過去の名前を知っている女性(安藤サクラサン)が働きにやってくる。
 彼女、風間クンを最初に見かけたとき、ねめ殺してやろうか、みたいな顔をしていた。
 彼に気があるボインボインの(笑)サトエリチャンはどうも初めからそのことに気付いたふうでしたが。

 先が、気になります。

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コメント

ふたりは「事件をきっかけに普通に生きてこられなかった存在」としても
共鳴しあってるんでしょうねえ
協力しあって互いの家族が少しでも救われるように努力していくのでしょう。

…とりあえず、ワン切り電話は治まる。


安藤サクラ、何者なんでしょうね。
彼女がこれからしでかすコトで
犯人本人の苦悩も描かれるでしょうか。

投稿: マイティ | 2011年7月26日 (火) 21時00分

マイティ様
コメント連投下さり、ありがとうございます。

満島チャンと瑛太クンが若者言葉の持つ特有の軽さで 「楽しそうに」 談笑するのは、そうでもしなければドラマが極鬱状態になってしまうこともありますけど(笑)、「いったい、どうしてこんなことが起きてしまったのか」、という自分がいちばん気にしていることを悟られたくないがための、恥ずかしさが混じった軽い言葉なんだと思うんですよ。

彼らは事件の最深部を探しあぐねていると同時に、自分たちらしい、本当の話し言葉も、探しあぐねている。

おそらくそれは、風間俊介クン側もそうだと思うのですが、安藤サンが彼の沈殿している思いも、底をかっさらうように巻き上げるのだと思います。

紅いひなげしの花、黄色い柑橘系果物(スイマセン、知識ないのでなんというミカンなのか分かんない…笑)。

風間クンのまわりには、色彩が広がっていますよね(サトエリのボインは眼中にないようだ…笑)。

投稿: リウ | 2011年7月27日 (水) 07時40分

満島さんご自身の金属的な声がどうも気になるし、内容は暗いし、ですが引き込まれるドラマです。
観ながら、ここはリウさんがどんなふうに解釈なさるかしらと、考えながら観ています。これはこちらのブログをお訪ねするようになってからずっと心にあることでして、ドラマ鑑賞の楽しみのひとつとなっています。

投稿: 薫子 | 2011年7月27日 (水) 14時46分

薫子様
コメント下さり、ありがとうございます。

満島チャンの評価、すごく極端に分かれている気がします。 私はどちらかというと擁護派ですが、彼女の演技が鼻につく、というかたのご意見も分かる気がする。 なにしろ 「ウルトラマン」 シリーズでロボットやってた頃から見てるから(笑)、ちゃんと演技できている彼女に 「よかったね」 と思いたがっているんでしょうが(笑)。

薫子様のご期待に添えるようなレビューが書けているかどうか不安ですが、精進いたします。 このところレビューが遅れ遅れで申し訳ないです。 ちょっと睡眠不足でワヤなもんですから(笑)。

投稿: リウ | 2011年7月27日 (水) 16時30分

初めまして。レイラと申します。

googleから検索して来ました。
「海容」も見てました。「mother」も...

脚本家の坂元さんって、昔は織田裕二さんとトレンディちっくなドラマやってましたよね。だから、mother も今回のドラマも、あまり信用してなかったというか、変にあざといんじゃないかと心配したりして...

でも、見初めて見ると、「太陽と海の教室」とか「ラストクリスマス」と同じ脚本家さんとは思えないです。なので、素直な気持ちで見ています。(リウさんがこれらのドラマ好きだったらごめんなさい)

うちの旦那は、「それでも、生きていく」のあらすじを言っただけで「絶対に見ない!」と言います。あまりにもテーマが重いと。うちには小学生の息子と、幼稚園の娘がいるので、こんな話絶対に見たくもないし、考えたくもないと。縁起でもないと。拒絶反応でした。そういう視聴者たくさんいそうですよね...

正直、なぜこのドラマを今出してきたのか、分からないです。脚本家の方も、被害者家族や加害者家族の気持ちが本当に分かるわけでもないだろうし、ある意味下世話なテーマかなと思うわけです。これを見たから、被害者家族と加害者家族の気持ちに寄り添うこともできないと思うし。そんな軽いものではないと思うし。

でも私は、第一回を見てしまい、不覚にも引き込まれてしまいました。最後まで見るつもりです。どうか、チープな展開にはなってほしくないと願うばかりです。

今回、大竹さんが亜季ちゃんが最後に何をされたかを心配するシーン、娘の母として、同じ恐怖を感じました。そして姦淫が無かった事に、本当にほっとしました。母として、またこのドラマを愛する視聴者として。

今後、風間君の動機とか明かされていくのかな。お涙頂戴な話にはして欲しくないけど、風間君が精神異常だった、みたいな簡単な解決にもしてほしくない。

久しぶりに楽しみなドラマです。重いけど。

投稿: レイラ | 2011年7月28日 (木) 23時42分

レイラ様
こちらこそはじめまして。 コメント下さり、ありがとうございます。

坂元サンのドラマって、以前はほとんど見たためしがなかったのですが(トレンディドラマ、という時点で食指が動かない)、「Mother」 あたりから凄みに急加速がかかっている気がします。 人物のひとりひとりに対してかなりの性格設定を施しており、またドラマを全体的に引き締める小道具の役割、というものを最大限に活用している。 レイラ様と同じように、私も 「坂元サンってこんな脚本家だったかな?」 と思うばかりです。
テーマの選択にも容赦がなくって、「児童虐待」 や 「家族の崩壊」 のような重いテーマを、好んで採用したがる。

「Mother」 においてはそんな重苦しいテーマを、虐待される子役の芦田愛菜チャンが大きく救ってくれたのですが、このドラマでは満島チャンと瑛太クンの若者らしい軽い感覚に、その癒しを求めている気がします。
けれどもそれって、結構視聴者にアピールしなかったりする。
このドラマがおおかたの視聴者に敬遠されるのは、深刻さ、重さを和らげる要因が少ないせいだと思われます。

被害者、加害者のことについても、いまさら見たくない、という視聴者も多い。
それは 「JIN」 のように、荒唐無稽な世界で繰り広げられる、言わばワンクッション置いたものではなく、ストレートに自分の今に斬り込んでくるものであるがゆえに、余計に敬遠される。

でも、もし殺人事件をニュースでちょっとかじった程度でその加害者、被害者に対してひとかどのご意見を持ったことのある人であれば、「当事者の身になって考える」、ということの絶好の機会になると思うのです、このドラマは。

身近に起こり得ることだからこのドラマを見ろ、とかいうんじゃなくて、ニュースやワイドショーでやってる程度で被害者のことも加害者のことも分かったような気になっている、そんな人たちこそこのドラマを見る必要があると私は考えるのです。

そして、「自分の判断ってホントに正しいのか?」 と考える機会が必要だ、と私は考えるのです。

投稿: リウ | 2011年7月29日 (金) 07時17分

リウ様、お返事ありがとうございます。

そうですね...
ドラマの中でたまに出てくる、傍観者というか、部外者の描かれ方が、物語っているのかな。昨日の放送の、喫茶店で会ったそろばんのおばちゃんとか。

私たちは無力だけど、「当事者の身になって考える」それだけで何かが少しだけ変わるのかもしれませんね。

すごく悲しいお話で、「なんでこんな話テレビでやるんだろ」なんて思っちゃいそうなんですが、「考える機会を与えてくれるドラマ」と思えば、救われる気がします。ありがとうございます。

「それでも、生きてゆく」は家族が寝たあと一人で見てるんですが、見終わった後、いろいろ考えちゃってしばらく寝れません。

またレビュー楽しみにしてます。

投稿: レイラ | 2011年7月29日 (金) 15時05分

レイラ様
再コメント下さり、ありがとうございます。

「それでも、生きてゆく」 にしてもそうなんですが、最近どうも視聴者の、ドラマに対して冷たい反応が多過ぎるような気がしています(私がよくのぞくヤフーの 「テレビ」 の、「みんなの感想」 欄だけを見ている限りで申しておりますが)。

なんとなく震災後の後遺症が徐々にマイナス思考的な感じで噴出している感じがするのです。

そりゃ政府も東電も、はたから見ているだけでムカムカしてきますけど(笑)、テレビドラマも同様に、ちょっとでも気に食わないところがあるとボロクソにけなしたがる、もしくは徹底して拒絶したがる。

そういうかたがたは、「人の気持ちになって考えるなんてもうたくさん」、というスパイラルに陥っている気がするんですよ。

優しい気持ちで、ドラマも見ていきたいものです。

投稿: リウ | 2011年7月30日 (土) 07時12分

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