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2011年8月13日 (土)

「テンペスト」 第3-4回 孫寧温の方法論

 琉球王朝の財政を傾かせる主因となっていた、聞得大君加那志(きこえおおきみがなし、高岡早紀サン)の存在。 彼女は王宮の王族神で、王様の首里天加那志(しゅりてんがなし、高橋和也サン)の姉でもある。
 女でありながら宦官として王宮に入った孫寧温(仲間由紀恵サン)はその弱みをこの聞得大君に握られて、このドラマの第2回では、完全にその傀儡になり果てていました。

 そこで展開するドラマはまるで韓国時代劇を見ているような感覚で、聞得大君役の高岡サンはもう悪役そのもの。 ここまであからさまな悪役というのも 「水戸黄門」 以来見たことがない、というほどの徹底ぶりでした。
 それにいたぶられる仲間サンもものすごい屈辱感を容赦なく演出していて、それはそれで面白かったのですが、どうもレビューに起こしてしまうと物足りない構成のような気がしました。

 これが韓国時代劇なら聞得大君の悪辣ぶりが20回も30回も続くんでしょうが(イヤもっとか…笑)、このドラマは全10回。 そんなに悠長なことはやっていられません。

 確かに悪役の非道を引っ張って引っ張って、憎悪を最大限にまで膨らませる、という韓国ドラマの方法は見ていてとても引き込まれるのですが、見る側にも一定の高揚感、というものが必要なのです。 韓国ドラマにはそのパワーがある。

 これはファナティックになれるかなりきれぬか、という国民性の違いだ、と私は考えています。

 ドラマというものに一定の距離を置こうとする日本人は、そういう高揚感に包まれる途上で、我に返ってしまう、冷静になってしまう、という習性がある。
 日本人がドラマを構築する上で、悪役の非道ぶりをこれでもか、というほど描写しきれないのは、自分たちが仮想敵を作ることに長けていない現れなのではないか、と私は考えます(現在進行中の韓国や中国に対するネットにおけるあからさまなネガティヴイメージの増幅は、そのいっぽうで日本人が実は仮想敵国を求めている証拠のようにも思えるのですが)。
 そして悪者にも一分の理、というものを求めてしまうのも、全体の利益を総括的に考えてしまう、同国民の国民性のせいではないか、とも思える。

 だからこそ第2回の韓国ドラマ的な流れに対してレビューに起こすほどのパッションがわいてこない、話の組み立ての弱々しさが露呈していた気も、一面ではするのです。

 けれどもこのドラマ、第3回で、傀儡となり下がっていた孫寧温が、聞得大君に対して早くも反旗を翻す。
 私が驚いたのは、その方法論でした。

 寧温は聞得大君がキリシタンである、という驚天動地のでっちあげを行なって、彼女を王宮から追放するんですよ。
 唖然としました。
 ゴーインすぎ(笑)。
 だって相手は、琉球王国の王族神ですよ?
 言わば教祖様が本当はほかの宗教の信者だった、ってことなんですからね。
 これはつまり、方便だ、何かほかに寧温には真意があるに違いない、…そう思いながら見ていたら、まったくその気配がなし、首里天加那志(あ、ただの語呂合わせです…笑)。

 ここでの寧温の真意を探るとすれば、まず寧温は 「自分の信念のためなら、どんな手段を使ってもそれを押し通す」 という印象を、周囲に与えたがっている、ということになりましょうか。

 つまりこのことで聞得大君に対しても、自分に対する反撃の意欲を、壊滅的ほどではないにしろ、寧温は半減させたがっている。 相手は何をしてくるか分からない、という印象を敵に持たせることで、敵方の戦闘意欲を減退させるのです。
 これはこの壮大なでっち上げに加担させた王妃(若村麻由美サン)に対しても同様の圧迫感を与えるということになる。

 もうひとつ、このでっちあげをあまりに荒唐無稽なものにすることで、聞得大君の評定での申し開きを完全に封じ込めた、という側面もあります。
 聞得大君は案の定、評定の場で孫寧温が女であることを大々的にばらすのですが、彼女がキリシタンであるというでっちあげがあまりにも衝撃的なものであるがゆえに、彼女のその暴露が、まったくその場の人たちに耳を貸されない、という効果となって現れる。
 たぶん寧温の本当の目的はそこだったのでしょうが、結果的に周囲への自らの存在感も印象づけることとなった、そんな気がします。

 そしてその寧温が今回目を付けた、財政の問題点。
 それは琉球が、清国から薩摩への、アヘンの輸入の中継となっていることによる問題なのです。

 寧温は王宮の帳簿を閲覧するという越権行為をわざと演出してみせ、その現場にやってきて横槍を入れる人物によって渦中の人物を特定する。
 そして料理場を調べる、という名目を触れまわることで、大勢頭部(おおせとべ、かたせ梨乃サン)の表情の変化を見逃さない。
 捜査が進展する中で、寧温は一緒にそれを探っていた同僚の喜舎場朝薫(塚本高史サン)とともに評定所筆者(要するに高級官僚、というところかな)の職を追われるのですが、それは首里天加那志の策略のひとつでした。
 この首里天加那志、王様としてはすぐれもので、姉の追放にも容赦がなかったうえに今回のこのフェイント攻撃。 なかなか頼もしい。
 それはともかく、評定所筆者を追われる身となった寧温は、あまりすごすごと引き下がらないんですよ。
 自分の首を切った上の連中にも、自分の言いたいことを言わねば気が収まらない、というところを見せるんですよ。

 「教えてください。
 役人は人に何を与えられますか。
 百姓は食べ物を与え、商人は人々の暮らしを豊かにする品々を与えます。
 役人は人に何を与えられますか?

 それは、道しかありません。

 役人は、人々に道を示すことでしか何かを与えることはできないのです。
 琉球王朝500年の歩みは、そういう役人の道の上に成り立っています!

 この人事が、その道ですか?
 ご自分の歩む道と、胸を張って言えますか?」

 左遷先でふさぎ込む朝薫に対しても、「あきらめたら何も変わらない。 本当の道は、あきらめたときに断たれるんだ」 とまったくめげたところを見せない。
 そして王様の命をあらためて受けた寧温は、徐丁垓(GACKTサン)の証言も得て、阿片密売の黒幕を突きとめていくのです。

 ところで話は変わりますが、ちょっと気になったのは、その寧温の調査中に、薩摩の役人朝倉雅博(谷原章介サン)がアヘンのことを 「腫瘍の痛みを鎮静化し、不眠も頭痛も治す万能薬として売られている」 と話していた部分。
 その常習性中毒性に関しては当時も周知されていたのでしょうが、やはりその万能薬としての効能のほうを、当時は重用されていた部分もあるのではないか?と感じました。
 日本の戦後でも、たとえば芸能人なんかはヒロポンを打って舞台に出ていたとか、よく聞き及びます。 私が好きなビートルズだって、クスリとは縁が切れない関係でした。
 それがいいとは申しませんが、やはり麻薬の問題性が大きくクローズアップされたのは、歴史的に見て極めて最近だ、と言っていい気がします。
 その視点から寧温のやっていることを俯瞰してみると、極めて狭量な正義でもって、悪く言えば杓子定規みたいな正義感を振りかざしているように、見えてこなくもない。
 寧温の行動がヒーロー(ヒロイン?)チックに見えてくるのも、現代的な視点からこのドラマを見ているからなんだろうな、という気は、したのです。

 黒幕の目星がついた寧温たちは、王様によって王宮に糾明奉行として呼び戻され、大勢頭部をわざと襲わせて大勢頭部の口を割らせます。
 この一連の寧温の行動も、実に有無を言わせぬ強引なやり口。 真実究明のためなら嘘も辞さない、という強引さ、です。

 結果ワルモノたちは全員捕縛。 主導者が 「おのれ寧温、末代まで呪ってやる」 とか言うのですが、「宦官は子孫が出来ませんから」 と一蹴され、「ぐぬぬ…」 となる。 流れが速すぎる気もしますが、やはり見ていて爽快でしたね。

 ここで注目だったのは、この大勢頭部役のかたせ梨乃サンが、裏金はすべて下働きの女官たちに配っていた、というくだり。
 第4回では彼女が若い女の子が里帰りするときにお金を持たせてあげていた、というシーンをドラマ中にそっと描写していたのですが、それってかたせサンが下働きの女の子たちを自由に操る策略のひとつ?なんて考えてたら、実は本当に、その裏金で面倒を見ていた、ということだったのです。
 盗人にも一分の理、という日本ドラマの方法論が、ここで生きてくる。
 こうすることで、ドラマに数倍の厚みが生まれるのです。

 さらにダメ押しが、大勢頭部が流刑になった場所が、彼女の生まれ故郷だった、という点。
 「ずいぶん甘い裁きだ」 と感想を述べる彼女に、寧温は、それが王妃の助言によるものであったことを告白。
 王妃は暇を申し出る大勢頭部に向かって、「私は記憶力が弱いのでお前のことはもう忘れた」 と言っていた矢先だったので、この話がとても効果的にたたみこまれる感じになる。
 彼女は王妃の慈悲に、涙するのです。

 なかなか見せます、このドラマ。

「テンペスト」 に関する当ブログ記事

第1回 「琉球ドラマ」 というカテゴリー 
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/07/1-18f9.html
第3-4回 孫寧温の方法論 http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/08/3-4-c00d.html
第5回 GACKTサンの演技が見られることの喜び? http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/08/5-gackt-707d.html
最終回まで見て 感想さぁ~ http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2011/10/post-ebca.html

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