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2011年8月14日 (日)

「江~姫たちの戦国~」 第31回 秀吉に翻弄されまくりだった江の人生

 前回の 「いとしき人よ」 ではレビューも書く気が失せて、たいしたこともなにも書かなかったのですが、コメントを下さるかたがたの怒りで(笑)記事としては、結局充実したものとなってしまいました。 本編よりコメントのほうを読んでいただきたいくらいであります。

 ただ、今回の 「姫たちの戦国」 は江が話の中心でなかったために、だいぶ持ち直した、という気がいたします。 物語の主人公が話の中心に居座ると途端に魅力がなくなってしまう、ということは、結構作り手は恥ずべきなのでは?と感じるのですが。

 前回の無理やりの権化みたいな話によってようやく夫婦になった江と秀忠なのですが、「互いに本音を言い、相手におもねらない」 という互いの共通項で、互いのシンパシーを結び付ける、という奇妙な関係を作り出した、という点は斬新さを感じました。 この奇妙な結びつきを演出するのに、あんな無理やりな火事などを使う必要はないと思うのですが。

 それにしてもいくら本当の夫婦になったからとはいえ、そこから秀忠との第1子が生まれるのがチョー早い(笑)。 なんだ、やるこたやってんじゃん、というのがなんとも…。
 そして生まれるのも早くて、生まれた子供が、千姫(つまりここでまた、1年くらいの月日がたってしまった、ということになる)。 秀忠は子煩悩なところを見せ、意外な側面でもって夫婦のきずなが深まった、と思う間もなく、千姫を秀頼の嫁にと、秀吉からブッキングされてしまう。 話がすごくピンポイントです。 どうにも江のことになると、話なんか全くない、というのが作り手の開き直りにも似た感情なのではないか、と思われてしまう。

 江を取り巻く話の杜撰さが今回もまたしても暗雲のように立ち込め始めたのを救ったのは、やはり江以外の登場人物によってでした。

 その筆頭が秀吉役の、岸谷五朗サンだったのですが、まず私の目を奪ったのは、死ぬ間際の大花見大会での、サブちゃんの 「風雪ながれ旅」 も真っ青な、圧倒的な桜吹雪。
 それを縁側で見上げる秀吉。 喀血します。
 その桜吹雪の淡い桃色と、喀血の赤のコントラスト。
 語るに落ちるドラマの中で、どうしてこういう、名作レベルの映像が流れてくるのか。
 不思議です。

 そして人事不省に陥った秀吉を、さまざまな人たちが見舞います。
 龍子の反応にしてもそうなのですが、死の間際に何もかもを清算していくこの演出方法は、それまでの物語のグダグダさを救ってあまりある。 今までの借金を棒引きにしてしまう効果を伴っている気がするのです。
 それでも淀(茶々)との最後の語らいに関しては、ちょっと消化不足。 あれほどまでに回数を費やした恋愛関係の清算としては、極めて不十分だった気がいたします。

 そして、瀕死の状態にもかかわらず、絶対に会おうとしなかった江が、秀吉に会いに来る。

 ここらへんは実際にはちょっとありえない感じだったのですが、もう史実なんかどーでもいいし(笑)。

 で、あり得るあり得ないの話はもう不問といたしまして、この江と秀吉との最後の対峙の場面が、このドラマの光と影を、如実に投影している、そう感じられたんですよ。

 「わしは、夢を見ておるのかのう…」 とつぶやく秀吉に、江はこう恨み言を並べ立てます。

 「夢など見させてたまるものですか。 人の夢を、次から次へと奪ってきたくせに…。

 …

 私から、浅井の父を奪い、大切な、母を奪い、柴田の父を奪い、そして、姉上(茶々)までをも奪い、最初の夫、一成さまとは無理やり離縁させ、秀勝さまを異国での戦に駆り出し、命を奪い、利休様を、殺し、秀次さまと、そのお身内を殺し、娘の完を奪い取り、千姫をも手にしようとしている…。

 この世に、これほど憎い相手はございませぬ」

 ここで展開される江の恨み言は、まさしくこのドラマを貫いてきた、江という人物の人生を一瞬で解明したセリフのように感じました。

 つまり、江の人生というのは、生まれたときからトータルで、秀吉という男に牛耳られてきた、という脚本家の見解、です。

 この見解を間違っているとは申しません。
 ただ、そういう見方をし出したら、江を主人公として、ドラマなど成り立たないではないか、ということは、申し上げたいのです。

 この見解に対して脚本家は、その戦国時代のしきたりにあらがう女性として、江を位置づけた。
 しかしそうしてしまうことで、江の人生は恨みつらみばかりの、きわめて不幸な人生と、ならざるを得なくなった。
 結局人生を呪い続ける女性の物語などに、視聴者が感情移入できるはずがないのです。

 それでも同時に、このシーンでは、まだこのドラマが完全に死んではいないことを、指し示していたようにも思える。
 つまり、そんな恨みつらみばかりの対象である秀吉に対して、江は 「死んでもらっては困る」 という反応を示すんですよ。
 つまり江にとって、秀吉というのは、自分が生きていくうえでの意欲を持続させるカタキだった、ということが、ドラマ的に興味深い解釈だと思えてくるのです。 まあその意欲って、とてもネガティヴな感情なんですが。

 そんな江に、秀吉は 「そなたのおかげで、面白かったぞ」 と力なく答える。
 「そんな言葉に騙されません」 とまた憎まれ口を叩きながら、江は秀吉の存在が自分にとっていかなるものかを悟ったように、涙をぽろぽろ流します。 それを見られまいと、顔を秀吉からそむけ、立ち去ろうとする江。

 その江に、秀吉は 「こたびこそは、徳川の家で、幸せになってくれ」 と、泣かせるセリフを言うんですよ。 これしきじゃこっちも泣きませんが(ハハ…)。
 でもこの構図は、要するに江にとっては身を切られるよりもつらい仕打ちを受けてきた一連のことが、実は幸せになってもらいたい、という秀吉の一念から発生したものであった、という、逆転を表現しようとしていることは明白です(こざかしい…笑)。

 「…これにて、さらばじゃ、…江」

 これまでの人生で、ヒステリー女の江をからかうことで面白かった、とする側面と、なんだかんだあったけど、おまえを不幸にするつもりでやっていたわけではない、という側面を如実に表した、江と秀吉との最後の対峙だった、そう感じるんですよ。

 そして圧巻だったのが、こと切れる秀吉を抱きよせながらの、北政所(おね、大竹しのぶサン)の演技。

 「お前さまと一緒になって、どれくらいになりますか…」

 「…さてのう…」

 「思い出しますねえ。 土間に、むしろ一枚敷いての婚礼…。
 思い思われて、一緒になったのに、お前さまは、すぐにどこかに行ってしまわれて…。

 あれから、一日たりとて、心の休まるときはありませんでした…」

 若き日の秀吉とおねの後ろ姿。

 秀吉が、こと切れます。
 秀吉が死んだことに気付くおね。

 「…大きな口ばっかり叩いて…!…

 でもいつも本当のことにして…。

 お前さま…。

 お前さま…あ…」

 倒れこんでいく秀吉。
 号泣する、おね。

 こんなどうしようもないドラマを、どうしてここまで昇華できるのか、大竹しのぶサンには、もうなんつーか、讃える言葉が見つかりません(ほめてるんですよ、コレ)。 「それでも、生きてゆく」 に引き続いて、今年の我が国のドラマのMVPは、もうこの人に決定、という感じであります。

 秀吉の死を知らされた、江。

 「猿が…死んでしもうた…」

 あくまで江は秀吉のこと 「猿」 ですけど(笑)、ここでの 「猿」 には、これまでの侮蔑のニュアンスが含まれていない。 自分のヒステリーに付き合ってくれた、「同志」 としてのニュアンス、そんな気がするのです。 つまり 「猿」 は、自分でもあった、という自虐もそこはかとなく感じる。

 どうしてここまで深いドラマが作れるのに、前回のような下らない設定などするんだろう、という気もいたしますが、それはそれ、やはりこの脚本家が、江に対して愛情を抱いていない、という証左なのでありましょう。

 江の人生をミスリードしてきた(笑)「猿」 という存在、まさに自分自身の一部とも言える人物がなくなって、この先どういう話を創作してくるのか、また興味がわいてきた橋本なのであります(どぉ~もカワイクナイ書き方だ)。

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コメント

 リウ様、早々のレビューお疲れ様です。

 私も桜吹雪と喀血と死と現実の狭間にいる秀吉の映像、とっても印象的でした。やればできるじゃありませんか。これまで、頑張ってくれた、岸谷秀吉へのご褒美でしょうか。

 大竹さんの演技、素晴らしかったです。ねね様に看取られて亡くなる秀吉で良かったです。ずっと連れ添った夫婦の愛情を演技から感じることができました。

 江ちゃんが主役の話より脇役の方が面白い。どうしてなんでしょう。戦国のしきたりとあらがう女性かもしれないけど、私には自分の人生を切り開いて行く姿勢が見えないから、共感できないし、応援したいと思えないのです。先生のヒロインは茶々さんで、江ちゃんは道化師の役回りの主人公なのでしょう。

 秀吉が死んだら、大物は家康だけです。まだ3ヶ月残ってますが、大丈夫かしら。でも今日は大竹さん、岸谷さんの演技で救われた回でしたね。

 

投稿: ささ | 2011年8月14日 (日) 23時53分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。 ささ様こそ、当ブログ 「江」 の記事に対して細かくフォローしていただき、大変恐縮であります。

結局江の人生の指針を織田信長に求めてしまっていることが、このドラマの根源的な失敗なのではないか、と思います。 江の人生と信長の人生を比較すれば、江が信長の何を継承しようとしていたのかなんてまったく分からないし、共通項を見い出すことがナンセンスと思えるからです。

思うがままに生きようとした信長と、政略的なことに翻弄されまくっている江。 だのに、江のなかには、「自分は信長の姪」 というプライドだけが渦巻いている。

ドラマとしての前提で失敗しているから、江が態度だけは信長譲りの傲慢さで実際には何もしていない、という齟齬を起こしてしまう。

もう頼れる人物がほぼいなくなってしまったようですが、次回はなんか、加賀まりこサンが秀忠の乳母として登場する模様。 江の足りなさを補う人物によって、最後まで番組を見せようとしているみたいであります(笑)。

投稿: リウ | 2011年8月15日 (月) 01時20分

 私が江ちゃんの秀吉への認識がずれていると思うのは、まず浅井家を滅ぼした敵というのが、ずれていると思います。滅ぼしたのは信長おじ様です。ついでにいうと、戦になったのは、浅井家が信長との同盟を裏切ったから。お家の事情で。なのに、おじ様大好きの彼女はそこを、命令されて、攻撃してきた秀吉のせいにしている。そういうすりかえが、作者の現実逃避にしか思えません。都合のいいすりかえというべきかしら。

 この前茶々さんが、「信長を裏切ったから、辛い思いをしてきた」とか言ってましたが、「江はおだんご食べて初ちゃんとけんかしてただけじゃないか」と言い返したくなります。そして、このお話は全て、突き詰められなくなると「わからない」で逃げる。作者さんが、このお話に責任を持っていないのが透けて見えるのです。答を提示されないので、こちらは、江ちゃんが主役である意味を作者自身がわかっていないのではないかと邪推してしまうのです。盆なのに朝から毒づいてすいません。

 でも秀吉との最後に会いにきた場面の江ちゃんの演技は良かったと思います。秀吉は彼なりに江ちゃんを大事に思っていたのが通じたようでしたから。「徳川で幸せになってくれ」という秀吉の言葉は、彼が、彼の願いである秀頼の世が来ない事をわかって言っているのではないかと思わせてくれました。岸谷さん、秀吉お疲れ様!

 大竹さんの演技はこのドラマの枠を完全に飛び越えているので、正直もっと、秀吉と二人のしみじみした場面を見たかったというのが、本音です。大竹さんが前面に出てくると、他の人がいる意味がなくなるし、江ちゃん自体いらなくなるので、仕方ないですね。

 今回は持ち直したけど、来週は加賀さんに期待するしかないですか?江ちゃんに喝を入れてもらいましょう。

  
 

投稿: ささ | 2011年8月15日 (月) 09時48分

ささ様
再コメント下さり、ありがとうございます。

さすがにささ様、私なんかよりずっとこのドラマの構造的な欠陥を見抜いていらっしゃいます。 なるほど、浅井を滅ぼしたのは結局信長なんですから、秀吉に怒りの矛先を向けるというのは、筋違いってものですよね。

ドラマでは浅井滅亡の際に江が赤ん坊だった、ということから、ドラマ当初から三姉妹のあいだの信長に対する認識の違いを鮮明にしておりましたが、その話の作り方もおかしかった、ということになりましょうか。

なぜならいくら自分がその当時赤ん坊でも、「信長は敵じゃ」 と姉たちから幼少のころから吹き込まれれば、単純にそれを信じてしまうだろう、と考えられますもんね。

「おのれの思うがままに生きよ」 とした信長は、天下取りというスケールでそれを実行したにもかかわらず、その思想を受け継いだ江の 「おのれの思うがままに生きる」 というのは、結局コップの中の嵐。

江という女性をそのような観点から描こう、とした時点で、もう破綻は決まっていた、ということなのでしょうか。

江と秀吉の最後の対峙も、マボロシ設定じゃなくてよかったですね(笑)。

江も、自分の嫌味や文句で秀吉を怒らせ、彼を生きながらえさせよう、という意志が見えましたしね。

最後の 「猿」 とあらためて江が言ったのも、そんな感情が込められたもので、見ていて 「この期に及んでまだ猿、かよ」 とは思わなかったです。

まあ、秀忠の乳母が、江が輿入れしてから2年以上?出てこなかった、というのも不自然な気がいたしますが、とりあえずワガママ江をいじめていただきたいと存じます(笑)。

投稿: リウ | 2011年8月15日 (月) 11時07分

 「思うまま生きる」=「傲慢な物言いででしゃばる」子供の頃は恐れ知らずもいいかもですが、どこか違うと思います。勝家や利休とのふれあいがあったのにもかかわらず、うまく江ちゃんの内面を磨く役にたっていない、信長の姪のプライドだけで大人になった感じ、このお話の江ちゃんは悪く言うとそんな風に見えるのです。おばさんの僻みですけど。

 思うままに生きるより、戦国時代の運命に翻弄されながらも、自分と家族を守り浅井の血を残す為に必死に生き抜いた、そしたら、天皇家まで血を伝える事が出来たじゃ、まずいのかしら?まずいですよね。

 つらつら今更の事を書いてしまいました。樹理ちゃんの演技も、もう少し、深みがあれば江も魅力的かもしれませんが、これは脚本と演出の責任の方が重いと思うのです。大竹さんのように、演技だけで、全てを凌駕する役者はそうそういませんから。

 視聴率が今回お盆のため13%台だったそうで、そろそろ「清盛」くんも収録がはじまるし。
 江ちゃんもラストスパート頑張ってほしいです。ちょっと投げやりですみません。

投稿: ささ | 2011年8月15日 (月) 17時11分

初めまして。
「大聖堂」で検索して、こちらにたどり着きました。
「江」は最初の1、2回で脱落してしまい、あとはろくに見ていないのですが、時代劇を現代の感覚で図ろうとしたところに、脚本家の無理があったと思います。

たとえば政略結婚に関しては、作家の永井路子さんなどは、「泣く泣く、無理やり結婚させられたと思うのは現代人の感覚。当時は実家のために働くという使命を帯びた、いわば外交官というような存在」とおっしゃっておられます。
史実でも、信長は頭のいいお市は、あえて立場の難しい浅井家に嫁がせているけれど、平凡な娘は家中の侍と結婚させているとか、ありますし。

海外の映画やドラマは、史実を踏まえたうえで大胆にフィクションしてしまっていますが、この作品にはそれだけの力強さもないんですね。
基本的に勉強不足。

「天地人」の時にも思いましたが、雑な脚本や演出でも頑張らなければいけない役者さんたち、本当に気の毒です。

最近CSで放映した昔の大河のアーカイブ、ご覧になりましたでしょうか。
「義経記」の最後の衣川の合戦シーンなんて、凄い迫力でした。考えてみたら、戦争に行ってきた人たちも、スタッフにいたんじゃないか、と。
その人たちが作っていたら、「戦争、もとい、殺し合いってのはこういうもんだ」っていうのがあったでしょうし。
「大聖堂」のコメントにもつながりますが、いまこれだけの迫力で作ったら、抗議が殺到するでしょう。

それを考えると、「竜馬伝」の暗殺シーンは、なかなかだったんだなと、改めて思いました。

初投稿で長々と語ってしまいました。
これからも楽しみに拝見させていただきます。

投稿: マーシー | 2011年8月16日 (火) 04時39分

ささ様
再コメント下さり、ありがとうございます。

たぶん脚本家のかたは、3度も無理やり政略結婚させられてかわいそう、という視点からこの江の本音を引き出そうとしたのではないでしょうか。

でもその心からの同情には、戦国の世の習わし、その時代の価値観、という視点が、すっぽり抜けている。

だからただ単にかわいそう、という視点から江のキャラを構築してしまうと、その出来上がったキャラの江は、「とてもみじめな人生を私は送っている」、と自分で考えるしかなくなってしまうんですよ。

だからそれが愚痴や文句や恨みごとになってしまう。

不思議なのは、ささ様のおっしゃるように、そんな自分かわいそうキャラの江に利休とか秀次とか、いろんな成長の薬となる出会いが投与されているのに、それを当の江が、一切受け付けないこと。

こういうのを見てると、わざとヤな女として、それこそ悪女として江を描こうとしているのかな、なんて勘ぐってしまう。

当の樹里チャンが、ふてくされながら演じているような気も、してくるのです。

投稿: リウ | 2011年8月16日 (火) 07時18分

マーシー様
こちらこそはじめまして。 コメント下さり、ありがとうございます。

つまりこの脚本家サンは、自分の現代的感覚だけで物語を書いてしまっている、ということになるでしょうか。 ただ同一人物が書いたとされる(意地悪な書き方で申し訳ないです)原作本に関しては、そんなに悪評が伝わってまいりません。 つまり脚本に洗い直す段階で、相当思想的な重厚さを削ぎ落してしまっている、ということなのかな、なんて自分は考えたりしてます。 さらに憶測を重ねれば、それは局側の意向なのかも、ということも。

でもまあ、みんな憶測にすぎません。

ただ作品本位でこのドラマを欠かさず見ている(あまりにあまりな場合は途中で爆睡したりします…笑)立場で申し上げさせていただくと、茶々中心の話が何話も何話も続いたり、全体的な話の配分が、江を中心にまったく回っていない。 周囲の登場人物たちの物語に、江がくっついているだけにしか、見えないのです。 資料がないから書けない、という脚本家の態度を、私はここでとても感じます。

それはマーシー様のおっしゃる通り、事前の勉強が、かなり不足していることから起こっている現象だと思います。

戦国時代のことをかなり真剣に勉強すれば、たとえ江の資料が少なくとも、江は生き生きと、作り手の頭の中で動き始めるはずです。

昔のドラマで戦争や戦を題材にしたものは、やはり戦争体験者がスタッフにも役者にもいた、ということが、マーシー様のご指摘の通り大きい部分がある、と感じます。

「天地人」 はまだ戦闘シーンが出てきていましたが、「江」 はまず、戦闘シーンというものが出てきません。 1パーセント未満じゃないかな~。

浮世離れした話になるはずです。

投稿: リウ | 2011年8月16日 (火) 07時45分

 戦闘シーンはエキストラの人件費にお金がかかりますから、なかなか難しいようです。しかもこの内容ではCGで十分とスタッフは思っているでしょうね。「天地人」の使い回しでいいと思っているかもしれませんよ。天地人はどうだったかしら?

 ただ、私も一時期、戦争のシーンや人が殺されるシーンをあまり見たくない時期がありました。大袈裟に言いますと命が奪われて行くのを見世物として見ている嫌悪感みたいなものがありました。だから、迫力ある合戦シーンを描くより、人物をより描くというのも理解できます。お姫様は、合戦で戦うわけじゃないだろうし。

 3度の結婚でも、相手に愛されて迎えられるというのも、江ちゃんへの先生の愛かもしれません。でも江ちゃんは秀吉に利用されて、政略結婚してかわいそうという所はそのままなので、微妙なのです。NHKは3姉妹のお話と当初、脚本家達に提示していたようですから、江ちゃん単独じゃなくて、茶々さん、初ちゃんもずっと出ていて、それが、江ちゃんのお話がいまいち散漫でつまらない原因かもしれません。これから、徳川の嫁としての修行をして、江ちゃんも変わるかもしれません。期待薄ですけど、加賀さんとバトルしてもらいたいものです。

投稿: ささ | 2011年8月16日 (火) 11時40分

ささ様
再コメント下さり、ありがとうございます。

まあ、戦国時代を描くのに人殺しのシーンを一切いれない、というのも、クリープを入れないコーヒーみたいですけど(もっと過激な比喩をしたくなりますが…笑)。

つまり男たちに血の匂いがしないと、どうして彼らがそういう反応や、そういう生き方を選ぶのか、理解が出来なくなってくるんですよ。

領地やその地位を脅かされる生と死の狭間にいるからこそ、政略結婚も意味のあるものになっていくし、自分が守ろうとしているものへの執着にも理解がいく。

まあ、説得力を増すために戦闘シーンを入れよ、というわけでもありませんが、戦闘シーンがないことで、このドラマに出てくる女たちは、自分勝手なことを言ってもかなり許される、という構図はあると思います。

男たちが生死を賭けた戦いをしていると思ったら、「戦は嫌じゃ」 とかずけずけと言えなくなるんじゃないかなあ。
まずはぐっとこらえて、それから態度ににじませますよ。 「戦など本当は嫌なのです」 と。
でもイヤだなんて言ってたらこっちがやられる、という世の中ですからね。

死が見世物のように見えてしまうのは、やはり作り手の側に、人が死ぬとはどういうことか、という認識が足りないせいなのだと感じます。

死を扱うのは、やはり難しいんですよ。 このスタッフでは、戦国で散った多くの人々の霊を慰めるようなドラマは、たぶん無理だと思います。 だからこのままでいいのかな。

投稿: リウ | 2011年8月16日 (火) 14時49分

 武士は戦で功をたてるのがお仕事ですから、戦争に出て行かないというのは戦国時代では、失業しているようなものです。戦が嫌なら、隠遁するか、武士を廃業するかです。武家に生まれ武家に嫁ぐ江ちゃんの場合、生まれた時から戦場だったはず。江ちゃんの内面を豊かにするのに、戦のシーンも必要でしょうけど、多分、田渕先生は恋愛シーンを無駄に増やすことはあっても、戦闘シーンは説明ですます気がします。天地人の使いまわしで。勝手に使うと天地人が怒るかもですが。(ひどい想像です。)

 男の方が好む戦闘シーンや政治の駆け引きなど、硬派なお話は、少女漫画の趣味の先生には無理!(私も10代の頃は少女漫画大好きでしたけど。先生と一緒にしたら、漫画に失礼かもですが。)だって、豊臣も徳川も中小企業の社長のお家のように人が少ないのですから。前田や加藤や伊達や福島など同業者もほとんど出てこないし。

 戦が嫌だというのなら、旦那が戦に行くのを止めるより、戦にならないようにみんなが仲良く暮らせる国をつくるべく努力しなきゃいけないのですが、それで、これから将軍を産み、天皇家に娘を嫁がせるのね。太平の世をつくるために。(ふざけてごめんなさい)ただ上から目線で文句たれている主人公でここまできて、奇跡の逆転ホームランは難しいでしょう。関ヶ原、大阪の陣、多分3姉妹の動きがメインで、秀忠の遅参とかはピクニックのようにすませる気がします。真田は出るのかしら?ピクニックじゃあんまりですよね。

投稿: ささ | 2011年8月16日 (火) 18時16分

今週も「江の人生ダイジェスト!」という感じで、火事からあっというまにお子ができ、あっというまに出産して(十月十日お腹にいたのよね?)、あっというまに千姫の縁組・・・。
相変わらずその子を愛おしむ描写が少ないので、死ぬ間際の秀吉に対しての「今度は千姫まで・・・」というセリフが軽く感じました。
いっそホームドラマならホームドラマで家族との絆とか母としての愛情や母性とか、恋愛ドラマなら恋愛ドラマで秀忠との愛情をどう育んでいくか、とか、そういう描き方でドラマ(大河ドラマとなるかは別として)の魅力は出てくるだろうと思うのですが、それすらも求めることは厳しいのでしょうね。
これからの人生、秀吉という仇を亡くした江は、これから誰に文句を言いながら生きていくのか、気になるところです(皮肉)

投稿: さり | 2011年8月16日 (火) 22時11分

ささ様

再コメント下さり、ありがとうございます。

ほかの武将が一切出てこないのは、予算削減というよりも、作り手が書きたいことを絞りに絞っているせいだと思います。 作り手は、豊臣と徳川の身内にしか興味がない。 前田だの真田だの、話に加えたら複雑になって分かりづらい、と考えている。 ドラマでは北条の様子をちょこっと出しましたが、出したらすぐ滅ぼしてるし(笑)。

なんだかんだと理由は付けられますが、これって結局、群像ドラマを書く能力がない、ということだと私は考えます。

このドラマの全体的な性格を考えれば、戦闘シーンというのが馴染まない、というのは、見ていて分かります。 登場人物たちは、お城の中で何かやっていれば、それで事足りるのです。

なぜなら 「姫たち」 にとって、自分の人生というのはほぼお城のなか、なんですからね。

そんな姫たちの日常から見た戦国を書こう、というタイトルそのものの性格の時点で、この話が狭量な視野のもとに動きの少ないものになることは、目に見えているのです。

それでも、そんなドラマでも、見る側を感動させることが出来る。

それを今回、私は大竹しのぶサンの演技を見て、つくづく思い知りました。

願わくば樹里チャンが、そんな起死回生のことが、役者というのはできるんだ、ということに、気付いてくれることを。 やけっぱちで江の人生を、終わらせてしまわぬことを。

投稿: リウ | 2011年8月17日 (水) 07時29分

さり様
再コメント下さり、ありがとうございます。

このドラマでいろんなことを削ぎ落していった末に、いちばん削ぎ落されているのが、江の人生なような気がします。 ホントにピンポイントで、話が1年後、十月十日後にスッ飛んでいく。 さり様のおっしゃるように、江に関する描写が少なすぎるので、江のセリフに重みが伴ってこなくなる。 どこに時間をかけ過ぎているのかなぁ? 

結局秀吉と茶々の恋愛話に、時間を割きすぎた、つーことでしょうかね、やっぱり(あれってサイドエピソードも含めると、20回くらい?やってた気がします…笑)。

江はこれから、文句を言われる人生だと思います(笑)。 加賀まりこサン演じる秀忠の乳母、富田靖子サン演じる春日局…。

投稿: リウ | 2011年8月17日 (水) 07時46分

レベル低いドラマの割には、コメントが盛り上がりますね・苦笑
それだけ大河にかける期待は大きいということなのでしょうか。

私は時代劇にはうるさいのですが、三姉妹をテーマにしたものでは、昔TBSだったと思いますが、水上勉氏の「湖笛」があり、主役の江は佐久間良子さん、茶々は小山明子さんで、素晴らしい出来でした。
テープが残っていたら、ぜひ再放送してほしいと思います(あ、NHKへの嫌味にとれるかな?・苦笑)。
佐久間良子さんの傑作では、永井路子原作の「北条政子」もありましたね(これも民放)。

CSの時代劇チャンネルでは、時代劇全盛時代のスタッフが、「これからの時代劇は形を変えたものになっていくだろう」と語っていて、その傑作が「仁」だったのだと思います。
ただこの手法は、どの時代劇にもとれるわけでもありません。

「水戸黄門」が終了決定、お正月の12時間時代劇も規模を縮小しました。「大河」という形で、ほぼ1年間時代劇を制作すること自体が、もう無理なのかも、と思います。

蛇足ですが、永井路子、黒岩重吾、山本周五郎などの作家が歴史ものの傑作を書いていますが。これは戦中派の彼らが、自分たちが受けてきた歴史教育が間違っていたことにショックを受け、「歴史は勝者が書き換えてしまうもの」という視点から、古文書を自ら読み解いて、自説を打ち立てた結果です。
それが歴史学者たちからも支持を受けたということが、どれだけレベルの高い仕事をしていたか、わかると思います。

ここをロムしているお若い方たちに、そのことをわかっていただきたいために、あえて書かせていただきました。

この作者にその気概を持て、というのも無理な話なんでしょう。合戦シ-ンがなくても、「反戦」を訴えることはできるはずです。作者にそれだけの思いがあれば。力量がないだけではなく、その「思い」がないんですね、この作者には。

投稿: マーシー | 2011年8月17日 (水) 08時24分

マーシー様
再コメント下さり、ありがとうございます。

私自身、登場人物に感情移入が出来ない、などと申しておりながら、その役者さんご本人には感情移入しているからこそ、このドラマを視聴し続け、そしてどこが悪いのかを指摘したくなってくるのかな、と思います。 そしてそれ以上に、皆さん大河ドラマに対してひとかどの愛情があるからこそ、何かものを言いたくなる。 このドラマのコメント欄にみなさんから熱いメッセージをいただくのも、そんなためなのだろうという気がいたしております。

このドラマのセリフを、今回のように文章にしてレビューの中に挿入することがございますが、感動した場面のものをピックアップしているつもりなのに、読み返してみると、意外に平易で奥行きのないセリフだったんだ、と気付かされることが多い(特に今回の大竹しのぶサンのセリフなど)。

これはすなわち、演出する人と役者さんの器量によるものなんでしょうね。 脚本に思想の肉付けがないから、まわりで肉付けしてあげなければいけなくなる。

でもその浅いと思われるセリフでも、骨格の部分では、このドラマの脚本家なりの思い入れが詰まっていることは、感じられるのです(それでもそれも、勉強不足で確かに甘っちょろいんですが)。 大竹サンの演技は、そのことも教えてくれている気がするのです。

構造的な不況の波がテレビ局も覆う時代になって、確かにもう、一から何もかも作りださなければならない時代劇、というものは少なくとも民放からは駆逐されてしまう時代になってしまったのかもしれませんが、NHKは受信料で賄われているのだから、最後の牙城となりえるはずじゃないかな~、と感じます。

実際にBSでは 「新選組血風録」「テンペスト」 などの優れた時代劇をNHKは作り出している。 これはもう、大河ドラマの制作にあたって、とんでもないアホーがのさばっている証拠だと感じます(笑)。 良心ある制作陣が駆逐されて、「篤姫」 が当たったから、じゃ同じ脚本家、とか、「のだめ」 で人気だからこの女優、とか、クッダラナイ基準で大河を作ろうとしているバカどもが、のさばっている証拠だと思う(かなり過激ですが、いちばんの本音を書いてしまいました)。 そして良心ある制作陣が、BSで細々と、傑作を作り続けているのです。

投稿: リウ | 2011年8月17日 (水) 10時59分

 リウ様、暑い日が続いてます。難儀ですね。

 絞りに絞ったら、肝心の江ちゃんの人生が欠落したのね。なるほど。今回、前半の千姫誕生までのはしょり具合は悪くなかったです。千姫ネーミングの小芝居も、おめでたい事だから、微笑ましかったし。朝ドラのノリでしたね。

 秀吉の死がメインで、江ちゃんとしては、敵との別れ。憎んで、憎みぬいていた男のはずなのに、相手の死を喜べない、むしろ、庇護者を失うような寂しさが心に迫ってくる、憎くてたまらないはずなのに。江ちゃんのお芝居もよかったです。

 今回は大竹さんの演技が主役の回でした。ねねと秀吉の最後の思い出語り、彼女がどれだけ、秀吉を愛していたかが、セリフなんて関係ない、亡くなっていく夫を優しく包み込む、素晴らしい演技でした。ねねさんに死に水とらせたのは大正解でした。あんなに恋愛した茶々との日々も霞む、ねねさんの思い出語りでした。でもこれは、大竹さんの素晴らしい演技力のおかげ。

 樹理ちゃんの演技は、のだめをまだ越えられないと思います。私はのだめは好きじゃなかったのですが、10歳年上のつれあいは楽しんでいました。(再放送を録画してあります。)演出も脚本ものだめの樹理ちゃんをそれ以上にする気はないようですし。彼女の今後を考えると、江の1年は停滞期になりそうです。江を1年やり遂げて、私たちに違う印象を与えてくれたらうれしいです。脚本を演技と存在で、大竹さんのように突き抜けて、江の人生を昇華させてくれたら、素晴らしい女優さんになっているでしょうね。もう少し放送はあるので、期待します。ほんの少しだけ。

 

 

投稿: ささ | 2011年8月17日 (水) 16時24分

ささ様
またのコメント下さり、ありがとうございます。

確かに、暑いですsun。 夏の日本は、なんか、人間の住むとこじゃなくなってきたような気さえいたします。 暑さで人が死ぬなんて、どう考えても異常です。 ささ様も、くれぐれもご自愛ください。

この記事自体は結構好意的な部類だったのに、コメントの応酬をしているあいだに、このドラマの構造的欠陥についてかなり突っ込んだ議論が展開されてしまいました。

確かに樹里チャンの演技も単純に猿憎しのものでなかったし、大竹サンの演技はすべてをぶっ飛ばす気迫に満ちていたし。

私はのだめ、かなり入れ込んで見てましたよ~。 マンガの世界をここまで忠実に違和感なく見せる、というのは、すごく驚異的に思ったものです。 しかもクラシックの聴きどころをこれほど魅力的に分かりやすく解説してくれるドラマも、「のだめ」 しかないと断言していい気がします。

ただ樹里チャンは 「江」 のなかで、そのマンガの世界からちょっと、抜け出てない部分が感じられる。 だから 「なにをやってものだめだ」 とかいう批判を受けてしまうんでしょうね。

彼女にとってこの大河は、作品の出来の悪さという点で、ひとつの闘いだと思うのです。 どこまでこのひどい状況で、自分を育てていくことが出来るか。

間違っても、後年このドラマを回想して 「触れてほしくない作品」 とか、そんなカテゴリーに入れてしまわぬよう、自らを磨いていく場にしてほしいと、オッサンは要らぬお節介を焼きたくなってしまうのです。

投稿: リウ | 2011年8月18日 (木) 07時12分

 江ちゃん、今日見ました。お話については、リウ様がご覧になった時に、楽しく?レビューして下さい。急に涼しくなって、身体がついていけないです。リウ様もご自愛ください。

投稿: ささ | 2011年8月21日 (日) 22時28分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

リアルタイムで見てしまうと、次の回を今週末に見なければならないので、レビューが2週間あいてしまうことになりますよね。 とりあえずどの時間帯でもレビューが書けるように、昨日の放送は予約録画いたしました。

涼しいのはいいけど、涼し過ぎですよね。 ちょっと風邪気味であります。

投稿: リウ | 2011年8月22日 (月) 06時52分

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