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2011年8月18日 (木)

「胡桃の部屋」 第4回 愛情の足し算、孤独の引き算

 このドラマのエンディング曲、阿部芙蓉美サンの 「町」 という曲。 全体的な感じが森田童子サンの一連の曲に似ているんですよ。 ピアノ主体としたアレンジや、その囁くような歌い方。
 それが30年前の時代の空気をじんわり蘇らせてくれるのですが、私もこのドラマを見ているときは、なんとなく現代的な、イケイケドンドンみたいな感覚が押さえつけられて大人しくなってしまうようなところがある。

 やっぱり30年前の人たちにも、それぞれの恋愛模様があって、それは不倫とか失踪とか、今じゃ当たり前とは言わないけれども罪悪感がぐっと減ったように思える出来事にも遭遇する(まあドラマですからそれが頻繁に起こってますけど)。 前回指摘したように、そういう場面に遭遇するごとに、30年前の人たちの感情は今よりずっとウェットに展開するのですが、それって自分が打ちのめされると、それを紛らわすはけ口というものが、ないことに起因している気がしてきます。

 たとえばケータイとかパソコンとか。

 24時間開いてるコンビニも(確かほとんど)ないし、ネットカフェだってマンガ喫茶だってない。 24時間レストランって、当時あったかなぁ? ともかく社会全体が、24時間稼働してないんですよ。

 そうすると、人が離れたりくっついたりするときに発生するエネルギーが、もろに精神状態を直撃してしまう。 寄り道のしようがないから、誰かを好きになればとてもうれしいし、誰かに裏切られれば、生きていく気力も失うほどに傷つく。 ノーガード状態です。
 愛情が自分の精神状態に、直接足し算されていくのに、孤独は逆に、倍加されて引き算されていく。

 今回冒頭で松下奈緒サンが、原田泰造サンに恋することで生きる気力がわいてくるという構造はまさにそんな感じなんですが、片方で成就されつつある恋がある、ということは、片方で傷ついていく出戻り女房、という存在も生む。 男が出戻り女房のほうになびけば、松下サンのほうが、傷ついていく。

 蟹江サンとおでん屋の女(西田尚美サン)の関係にしてもそうで、このふたりが幸せになれば、蟹江サンの女房の竹下景子サンが傷ついて、生きる気力を無くしていく。 蟹江サンが離れれば、おでん屋の女が傷つく。
 ただ蟹江サンは自分の幸せを願うような精神状態ではありませんので、いくらおでん屋から逃げていても、簡単に家に戻って幸せを取り戻すことが出来ないんですよ。 だから愛情の足し算引き算の公式からひとり外れて、彷徨するしかなくなる。

 彼らに共通しているのは、「家」 に対する郷愁です。
 つまり彼らは、「ただいま」 と言える場所を、追い求めている。
 そしてその 「ただいま」 に、「お帰り」 と言ってくれる人を、必要としている。

 「女房とは別れます」 なんて言ってそれを実行した男が皆無なように(爆)原田泰造サンも、その舌の根が乾かぬうちに、戻ってきた女房子供とじゃれあってるし。
 つまり 「お帰り」 という家族が待っていることに、何より弱いんですな。

 おでん屋の女も、「不器用ですから」(by高倉健サン) を地で行く蟹江サンが、「ただいま」 と言って戻ってくる部屋にいてくれることを、望んでいる。
 彼女は蟹江サンがいなくなって、大雨の降る中を、傘もささずに探し回り続けます。
 こーゆーシチュエーションになるともう、「さびしい自分」 というものに、酔ってしまう気もするのですが(笑)。
 とにかく彼女は歩道橋の下かなんかにうずくまっている蟹江サンを見つける(奇跡的?)。

 「…なにしてんのよー。

 ほら、帰ろう…。

 いいのよー分かってるから。

 うち来るわけにいかないと思ってんでしょ。

 私の気持ち、答えらんなくて、悪いと思ってんでしょ?

 いいのよー。 分かってる。 それでもいいの。

 お腹、すいたでしょ。

 タマゴ、取ってあるよ。

 うち帰って食べよう」

 タマゴというのは、「こうやって食べるとおいしい」 と言って、おでんの具のなかのタマゴをおでんつゆにかき混ぜて食べていた、彼女の方法。 彼女を捨てた前の亭主がその食べ方に渋い顔をし、前の亭主とのあいだにいた息子が、その食べ方が好きだった。
 言わばそれは、彼女の 「家」 の、「家庭の味」 なのです。
 そんな家庭というものを捨てた自分にも、許される撹拌タマゴがある。
 そう考えたとき、蟹江サンは、号泣するのです。

 そして同じころ、「女房とは別れる」、という言葉のままに、その土砂降りの雨を避けて入ったホテルで、松下サンは原田サンに抱かれます。
 自分の弱い部分をさらけ出してきた相手に抱かれるのですから、それは松下サンにとって、見栄なんかに縛られない、等身大の恋であるはずです。
 それが成就した充足感のなか(結局それはその直後、破れてしまうことになるのですが)、自宅へ戻ってくる松下サン、玄関先でちょっと気を引き締めるような、幸せな表情を隠そうとするようなそぶりをします。
 つまりそれは、抜け殻になったような母親の前で、きちんと自分の役割を演じていこう、という決意の表れ。
 ところが帰ってみると、竹下景子サンはいつもの母親に戻っている。 台所の様子で、それがすぐさま分かります。
 竹下サンも、母親としての役割を全うしよう、と決意したのです。
 その舞台が台所、というのが、やはり女の戦場、という昔の気質を示している気がするのですが、娘の帰って来たのに気付いた母親は、笑って娘にさりげなく言うのです。

 「お帰り」。

 松下サンはさまざまな気持ちがこもったように、「ただいま、。…お母さん」 とつぶやきます。

 このシーン、別に泣かせようとしているシーンではない気がするのですが、なんかホロっと来ました。
 それぞれの家族が、それぞれの役割を担いながら、生きている。
 そして帰って来たときに 「ただいま」「お帰り」 と言える状況を、自分の小さな努力で作っている。
 仲たがいもすることがあるかもしれないけれど、みんな、帰ってくる場所が必要なのです(そう言えば今回は、「寺内貫太郎一家」 も真っ青な三姉妹の大ゲンカがありました)(それを止めたのが、母親の竹下サン。 バケツの水を三人にぶっかけるという荒療治で、あのあと畳干さなきゃならなかったのでは?と心配に…)。

 その母親を無気力から救ったのは、松下サンの上にいる姉の井川遥サンへのアドバイスだった気がします。
 夫に浮気されている井川サン。
 浮気現場のホテル前で、乗り込もうとしたけれど足がすくんで動けない。
 妹の松下サンにアドバイスを受けようと自宅に電話したけれど、出てきたのは母親の竹下サンだったのです。

 「行きなさい…。

 あきらめちゃダメよ。
 行って、ちゃんと話しあってきなさい。
 アンタはまだ遅くないんだから。 しっかり目を見て、気持ちをぶつけなさい。

 その代わり終わったら、必ずうちに来なさいよ。
 何時になってもいいから、アンタひとりでもいいし必ず顔見せに来て。
 うちでごはん食べなさい。
 待ってるから」

 こういうことを言ってくれる母親というのは、実にありがたいものです。
 竹下サンはこの時点で、「家を守る母親」 というものを再度自覚した、と思われるのですが、ここまではっきりと応援してくれるわけではないにしろ、実際の母親は、普段からいくつもの小さな応援を、家族に対して送っているのです。
 それが届く届かないは問題じゃない。
 「そこにいけば、自分を待っていてくれる人がいる」。
 そんなことが、いかに自分の人生にとって、大きな励みとなるか。
 母親は、存在しているだけで、有り難い。
 母は偉大です(ベタですが)。

 愛情の足し算や、孤独の引き算も、何もかも受け入れてくれるのが家族。
 お互いにその関係は、奇妙に映るときもあるのですが、支え合って生きていることだけは、確かなようです。

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  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

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     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ記事より抜粋)。 この上巻ではビートルズの祖先から遡ってリバプールで人気に火が付き始めたところまでが書いてあります。

  • ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白

    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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