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2011年8月 7日 (日)

「それでも、生きてゆく」 第5回 時間を、止まらせるもの(続)

 先の記事では、総論に落ち着いてしまった感があるのですが、やっぱり、ちょっとストーリーを追っかけながら、あらためて感想を再構築したいと思います。

 文哉(風間俊介クン)を探す洋貴(瑛太クン)を手伝おうとする五月(倉科カナチャン)。
 彼女も同じ被害者家族なのですが、彼女の場合、犯人はその場で自殺してしまっている。
 この五月のケースも、このドラマが 「被害者家族のやり場のない思い」 というものを立体的に表現できている要因だと感じます。

 いっぽうひと気のない暗がりに、自分の過去を知る紗歩(安藤サクラサン…この人、奥田瑛二サンと安藤和津サンの娘サンらしいですね)を連れていく文哉。
 文哉に対してあからさまな敵意と侮蔑の感情で嘲笑うように接してきた紗歩はその不気味さに、すっかり打ちのめされてしまいます。
 文哉は 「もし自分を昔の名前で呼んだら、夜のところに置いていくから」 と無表情に言い放つ。

 同時に展開していた看護師失踪との関連性で、もしや文哉が紗歩を殺すのではと思ったのですが、彼は自分の過去の汚名をかさに、恫喝をしたに過ぎなかった。
 しかし彼が言っていた 「夜のところ」。
 この暗闇は、彼を未だに呪縛しているかのようです。

 同じ夜、五月と話している洋貴のところにやってきた双葉(満島ひかりチャン)。
 その時点で彼女は、自分が母親(風吹ジュンサン)の本当の子供ではないことを知らされたばかり、野茂のモノマネをしてからの(笑)来訪です。
 みんなでそうめんを食べながらの会話中、双葉が加害者の妹であることはそれとなく五月に隠されるのですが、そうとも知らない五月はふたりが付き合ってるのか?と尋ねます。 同時にそうめんを吹いてしまうふたり(笑)。

 前も書きましたが、こういう、ちょっとした場所でこのドラマは、重苦しさを緩和してくれる。 双葉はショックのなかにいるはずなのに、野茂のものまねをして、そうめんを吹いて。
 彼女がそうすることでショックを受け流そうとするのが、見ていて健気なのです。

 その晩、洋貴の家に泊まる五月と双葉。
 「私もあなたと同じ気持ち」 と五月は、双葉につぶやきます。
 つまりこれって、どうも下世話ですけど、ふたりとも洋貴に心を寄せている、ということなんでしょうかね。 翌朝五月は、ネックレスを忘れて帰っていくのですが、これもそのことから考えると、わざとっぽい気がしてきます。

 同じころ、ふたりの靴が玄関先に並んでいるのを見る洋貴。
 きちんと揃えて置いてある五月の白い靴と、バラバラに置かれている双葉のスニーカー。
 ふたりの性格の違い、今まで暮らしてきた人生の違いがこの一瞬で如実に分かる。
 それを見て、ちょっとクスッと笑って、双葉のスニーカーを直す洋貴。
 幼なじみの双葉に対して、洋貴は兄のような感情を抱いていることが分かります。 そして洋貴は、そんな屈託ない時代に、出来ることなら戻りたがっている。 さらに洋貴は、共通の傷を負っている双葉に、連帯感を抱きつつある。
 それもまた、一瞬で分かる気がします。

 このドラマ、一瞬々々の情報量が多過ぎるんですよ。
 この時点で、ドラマ開始から、たった3分34秒。
 私がちゃんとしたレビューをメンド臭く思う原因が、ここにあります(爆)。

 翌朝、超朝寝坊をした双葉。 五月はとっくに帰ってしまっています。
 そりゃ自分が母親の本当の子供ではないことが分かって、頼ろうとした男に思いを寄せているもうひとりのライバルが出現、とあっては、眠れないのも道理かもしれません。
 そしてその場にやってきたのが、双葉の父親、駿輔(時任三郎サン)。 きちんと正装して、ちゃんとした謝罪をするのも兼ねているようです。

 お母さん(大竹しのぶサン)に謝罪したい。 日向夏という手がかりで、息子を必ず見つけ出し、うちに連れ帰って必ず償わせる、と話す駿輔。
 そんな文哉の父親に、文哉が少年院で描いた絵を見せる、洋貴。
 彼はまだ反省していない。
 その絵を持つ俊介の手が、かすかに震えます。

 食堂で眠りこけてしまっている双葉。
 雰囲気を察して洋貴は、駿輔と双葉をその場に置いたまま、ゴミ出しへと出ていく。
 父親と娘の会話を聞いてしまう洋貴。
 あの距離では聞こえるはずもない気がするのですが、このドラマの登場人物は皆、察しがいい上に地獄耳(爆)。 本当の母親、という話は洋貴に筒抜けだったようです。
 結局父親に連れられて、家へと戻っていく双葉。
 洋貴は母親に駿輔の意向を伝えに、弟耕平(田中圭サン)一家のもとへやってくる。

 耕平は洋貴が裏で母親とコソコソ何かしようとすることが、気に入らなくて仕方ない様子です。
 響子は洋貴を自分の部屋に連れて来て、いきなり肩揉みを強要(笑)。 洋貴は肩を揉みながら、加害者の父親が母さんに会いたがっていると伝えます。
 「フフ、やればできるじゃないの」 という響子、それは息子の肩揉みに対する評価なのですが、同時に今までなにも行動を起こしてこなかった向こうの父親に対する評価でもある気がします。
 洋貴の話を聞いてなかったと言いながら、あらためて言おうとする洋貴を制して 「会いたくないわ」 とにべもなく答える響子。 聞えてたんですよね。 つまりこれは彼女が、息をひそめて暮らそうとしていた向こうの家族をどれだけ不愉快に思っていたか、ということのような気がします。

 会いたくないという母親に、会ったほうがいいんじゃないかという息子。

 「言いたいことがあるなら言ったほうがいいと思うし、もし殴りたいんなら殴ったほうがいいと思うし、会って話せば、何かきっかけになるかも知んないし」

 「な何のきっかけ?」

 「なんて言うか、もう1回母さんの時間を動かすってなんて言うかその」

 洋貴が加害者家族に頻繁に会う、という動機もここにある気がします。 言いたいことを言いたい。 腹が立ったのなら殴ったほうがいい。 何より、現在の司法制度ではまったく救済がなされていない、モヤモヤしたままの思い、あいまいなままに強要されてしまっている自分の心的外傷をなんとか解決できるきっかけになるかもしれない。
 それを洋貴は、「もう1回母さんの時間を動かす」 という表現で言おうとしている。 「オレは母さんに幸せになってほしいから」 と話す洋貴。

 そこに弟の耕平が入ってきて、兄をどつきます。
 彼は自分が母さんを幸せにしていると、思い込みたがってる。
 そんな彼にとって兄は、いっぽうで同じ家族としての情愛を持っていながら、過去の傷を蘇らせる疫病神みたいな感覚なのではないか、と私は思います。
 耕平にとって過去は、消し去りたい忌まわしい記憶。 それを忘れることこそが、母さんの幸せであると考えているのです。 さえない父親から受け継いだ釣り船屋をやって過去の思いに未だに翻弄されている兄が 「母さんの幸せを考えて」 などと言うのが、だから弟には我慢がならない。

 同じころ、文哉の描いた絵が忘れられず、ひとり物思いにふける駿輔。 やってきた隆美に、「オレたち別れたほうがいいのかも」 と切り出します。 駿輔はこれから文哉を探してうちにつれ戻すということが、どれだけ隆美にとって精神的苦痛なのかに、思いが至っている。
 隆美はそれに対して 「ずるいなあ」 と言いながら、自分は一度も後悔したことはないんだから、と駿輔の気持ちを笑い飛ばす。
 ただ双葉は自分の手を握ってくれたけれども、文哉は一度も私の手を握ってくれなかった、と。
 隆美のなかでは、やはり文哉に対して心を閉ざしている部分がある。 フタをしたいという気持ちがある。
 ただあらかじめネタばらししてしまいますが、この回ラストで、そんな隆美は、洋貴たちに会いに来るのです。
 隆美にとっても、止まった時間を動かしたい、という意志があるのかもしれません。

 日は変わって、文哉の少年院時代の看護師に会いにいった洋貴と五月(ひろきとさつきって、なんか演歌歌手みたいで語呂がいいっスね…笑)。 その帰りに洋貴は五月から、双葉の写真が入った大きな封筒を受け取ります。
 五月は双葉が誰なのかを、調べたのです。

 「どうして、妹さんを殺した犯人の家族なんかと一緒にいるんですか?」

 洋貴はそれに答えることができません。
 その夜、洋貴の釣り船屋にまたもや双葉がやってくる。
 カメラは先ほど洋貴が直していたスニーカーを映し、双葉が来たことを知らせるのですが、今回のドラマではもう1回、靴の部分を映したショットがあった。 興味深い符合のような気がします。

 眠りこけている洋貴に、双葉はそっと手を伸ばします。
 指と指とが触れた瞬間、静電気でも走ったのか(笑)びくっと起きてしまう洋貴。

 これって、双葉が洋貴に対して、好意を持ち始めている、という証でしょうか。
 起きてしまった洋貴と、双葉はフランクな会話を続けます。
 この会話がすごく自然で、ふたりとも演技してない感じがいいんですよ。

 仕事の話から 「お金が入るのなら服を買ったほうがいい」 と提案される双葉。
 そのときようやく私も気付いたのですが、双葉の服って、すごくすごく地味(笑)。
 まるでおばあちゃんが着ているような服なのです。
 話題は 「じゃあ自分が変われるとしたらどう変わりたいか?」 という話に移っていく。

 洋貴は 「カラオケ行かない?」 といきなり言いだし、双葉を一瞬動揺させます。
 「とか、人に言ってみたいです」
 ちょっと肩透かしを食らったような双葉。 双葉は大風呂敷を広げておいて、「(自分は)スプーン曲げられるようになりたいです」 と答えます(笑)。
 「なんじゃソレ」 みたいな受け答えの洋貴にツッコミを入れたがる双葉。
 少し途切れた、そんなどことなくひょうきんな会話のあと、洋貴はぼそっと、こうつぶやきます。

 「そのうち、…うまく行きますよ」

 双葉は黙ってラーメンを食べ続けます。

 「さすがにスプーンは無理だと思いますけど…。

 つらいこと、いろいろあると思うけど。

 そのうち、…うまく行きますよ」

 思いついたように話す双葉。

 「アレ? …母とかの話とか、聞いてました?
 ああ…なんか、今日は優しいなあと思ってたら、…そうか…」

 彼女はやはり、被害者家族に許されることを、そしてさらに、洋貴に優しくされることを、望んでいるんだと感じました。
 ラーメンを弄びながら、そんな自分の気持ちがなんだか哀れになったのか、涙がこみ上げてきてしまう、双葉。

 「なんか、ラーメン久しぶりに食べるから」

 自分の気持ちをごまかそうとする双葉。

 「いつも、これぐらいっスよ」

 いつもラーメンくらいしか作ってない、という洋貴の言葉なんでしょうが(この前もそうめんだったし…笑)、「優しくしようなんて考えてない、いつも自分はこんな調子なんだ」 という気持ちも含まれている気がします。

 「いつもこれぐらいだったらいいな」

 「じゃあ、…いつも、…これぐらいの感じにしますね」

 なにがこれぐらいなんだか(笑)、ぎこちない会話がふいに途切れます。
 「もう一回言ってくれませんか?」
 と沈黙を破る双葉。
 洋貴は双葉の手に、自分の手を伸ばそうとします、が、その手は触れられることがない。

 「うまく行きますよ、遠山さん…。

 頑張ってるから」

 涙がぽろぽろ出てしまう双葉。

 「恐縮っス」

 「頑張っても頑張ってもうまくいかない、でも気付かないところで、誰かがきっと見てる」 という小田サンの歌が、ここで大きな作用を及ぼしている気がします。

 人は誰かに、「あなたはよくやってる、頑張ってるよ」 と言われたくて仕方ない。

 そんな励ましの言葉が、自分をまた、頑張らせる浮揚力になるのです。

 このドラマ、被害者家族と加害者家族が必要以上にくっつきたがってる、という思いにとらわれていては、このシーンでのふたりの心情に、共感することはできないのではないか?そう、私は思います。

 けれどもそんな思いの接近も、洋貴が五月から受け取っていた、あの大きな封筒を双葉が見てしまったせいで、また離れていくことになってしまうのです。
 「ありがとうございました。
 わたしは
 もう じゅうぶんです」
 という置手紙を残して。

 双葉は家に居づらいのか、なかなか遠山家へ戻ってきません。 彼女は祖母が入っている老人ホームを頼ってくる。
 「双葉、なんか疲れちゃったよ…」
 表面上、彼女はショックを受けているようになかなか見えてきません。
 でも自分が母親の本当の子供でない、ということ、そして母親が文哉を拒絶しているということは、彼女にとって大きな心労となっているようです。

 いっぽう洋貴は、響子がいなくなったことを耕平の電話で知ります。
 警察に捜索願を出そうとした矢先、響子は帰ってきます。

 「お話したいことがあります」

 ここから大竹サン(響子)の長い独白が始まるのですが、先の記事で書き記したことを省略しながら書かせていただきます。

 事件現場での亜季の最後の足取りをたどってきた響子は、「この道は危ないからこっちを通りなさい」 と自分が娘に言っていた道との分かれ道にさしかかったとき、そこに自分の人生の落とし穴が見えた、と言います。
 自分がそっちの道を通りなさいと娘に言っていなければ、娘はその道で殺人犯に会うこともなかった。

 「あれから15年たって、今の私は人から見たら、ずいぶんと落ち着いているように見えるかもしれません。

 でも、ホントは違うんです。

 私、みんな、私と同じ目に遭えばいいのにと思って、ずっと、生きてきました。

 優しくされると、『あなたに何が分かるの?』 って、思いました(決まりの悪そうな段田サンの顔)。

 子供連れた母親見ると、疎ましく思いました(また、バツの悪そうな耕平の妻の顔)。

 『前向きに生きよう』 って言われると、死にたくなりました(ショックを受ける耕平)。

 ごめんなさい。
 私はずうっと、そういう人間です。

 『あーダメだダメだ、人、愛そう。 前向き、なろう』。

 そう思った5分後に、『みんな死ねばいいのに』 と思ってました。

 ごめんなさい。

 母親から子供取ったら、母親じゃなくなるんじゃなくて、人じゃなくなるのかもしれません…。

 森のなか歩きながら、『今日私はこのまま死ぬんだろう』 って、ひとごとみたいに思ってました。
 森の向こうで、地面が青く光っているのが見えて、

 『ああ、あれか。
 あれか。
 あそこで。

 あそこで亜季は』 って思ったら、

 …私走り出してました。

 『あーごめんね亜季。

 ごめんね亜季、ずっと来なくてごめんね。

 待ってたね、ずっと、たくさん、待ってたね』 って。

 そこで、亜季の夢を見たら、消えていこうって思いました…。

 でも夢に出てきたのは、…あの少年でした。

 私、『亜季がなにしたの?亜季がね、亜季が、どんな悪いことをしたの?』って、訊いたけど、少年はなにも答えてくれなくて、ただ私を見返してました…っ。

 …そのとき、気付きました。

 『ああ、この子、この子私と同じ人間だ』 って…。
 『人やめてしまった人だ』 って…。

 『ああ、目覚まさなくちゃ』 って思いました。
 このまま死んだら、亜季が悲しむ。亜季に嫌われる。

 そう思えたら、はじめて、生きようかなって思いました。
 亜季の分まで、生きようかなって」

 ここから先の記事であらかじめ書いていた 「私が言いたいことはただひとつ、『亜季を返して』 ってことだけ」 というくだりに突入していくのですが、大竹サンのこの卒倒するほどの長ゼリフ、これはもう、ただただ圧倒されるほかはない。 現在の日本で最も、最高レベルと評したいほどの女優の演技、でした。 それを目の当たりにしていた瑛太クンはまるでホントに泣いているかのようでしたし、段田サンは完全に生気を抜かれたような表情。

 そして結局響子は耕平の家を出て、洋貴の釣り船屋で洋貴と生活することになるのですが、そこに現れたのが、隆美。 最初にその靴を映してからの登場です。
 おそらく同じころ、老人ホームの祖母の部屋で眠っていた双葉のところにやってきたのは、なんと文哉。
 まるで双葉の見ている夢であるかのように、彼は妹に対して話しかけます。

 「双葉。
 お兄ちゃんと一緒に行こうか」

 当事者たちの時間を止めてしまうのは、マスメディアによって必要以上に拡大されたさまざまな人々の渦巻く思いと、それに翻弄されることによってなのですが、その止まった時間を、当事者たちが再び、動かそうとしている。
 それが当事者たちにとって、生きていく、ということに他ならないから。
 それははたから見ればウサン臭いのかもしれません。 ドラマ的に、禁断の愛とかレッテルを張ることで、その思いを貶めることもできる。
 だが、そんなことじゃないのです。
 人は人の身になって、何かを考えることができる。
 そのことをこのドラマは、あらためて訴えようとしてるんじゃないか、
 私にはそう思えてならないのです。

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テレビ」カテゴリの記事

コメント

リウ様、こんばんは。また来ました。

今回は、洋貴くんの双葉への気持ちの変化が大きく感じられた回でした。
2話目で双葉の落とした口紅を見て、洋貴は「加害者家族が化粧なんかするんすか?」って刺々しく言ってました。でも、今回は双葉がお給料を貰ったら、「服でも買ったらどうすか?」って...

洋貴くんの心が、癒えて来てるんだろうなあと思いました。恋愛感情とかではなく、普通の人間らしい気持ちが戻って来てるんだろうなあと。

双葉ちゃんの手を握ろうとしたのも、恋愛感情というよりは、本当に励まそうとしてるんだと思いました。なんか、妹みたいに思い始めたのかなあ...

また、今回大竹さんの独白を見ての感想ですが。

mixiのあるページで、先日の震災で、すべてを失ったお兄さんを励ました弟さんが、兄に言われたことを綴っていました。

「お前は同情してくれるけど、正直、お前も同じ目にあえばいいと思ってるよ。東京の連中がやれ支援だなんだ言ってるけど、東京にも津波が来てたくさん死ねばいいと思ってるよ。ボランティアの連中が来ていろいろしてくれるけど、お前らには帰る家があるんだろって恨んでるよ。お前らは何も失ってないだろ。俺は全部失ったんだよ。全部返してくれよ。じゃなきゃ何してもらっても、仕方ないんだよ」

というようなことをお兄様に言われた、と書かれていました。

読んですごくショックを受けました。
被災地の方々は、「復興に向けて頑張ろう」「応援ありがとう」的なことをカメラを向けられれば言うでしょうが、内心はこのお兄さんと同じ気持ちだろうなあと思って...
それが当然というか、そんなにすぐ前向きになれないだろうし、一生こういう思いを抱いて生きる人もいるだろうなと思いました。

身の回りが落ち着いて、少しずつ元気になって、笑顔も取り戻して、また時間を動かすことができる方もたくさんいるのかもしれませんが。

口では「大丈夫です。ありがとう」って言いながら、心の中ですごい負の感情を持て余しながら生きているのかな。そうやって生きる事は、とても苦しそう。

自分の身に不幸が襲ったら、同じ様にどす黒い感情の渦に支配されると思います。

大竹さん演じるお母さんは、吐き出す事ができて良かったです。ほんの少しだけ救われたんじゃないでしょうか。

それを受け止めてあげるのが家族かな...

などと思いました。

今回弟の耕平君は、少し悪役っぽい?描かれ方でしたが。彼も彼なりに苦しんできた筈。解放されて、楽になってほしいなと思いました。

来週は、文哉君も現れ、急展開ですね。

ところで文哉君の描いた絵ですが、あれは亜季ちゃんじゃないのでは、などと思っています。文哉と双葉の過去に関係あるのではないかと。

どうなるんでしょうねえ~。

ぜんぜんまとまり無く、好き勝手なことを書いてしまい失礼しました。もし不愉快な箇所がありましたら、申し訳ありません。
最近また暑いので、お体を大切にしてください。

投稿: レイラ | 2011年8月 7日 (日) 22時54分

レイラ様
コメント下さり、ありがとうございます。

正続合わせてヤタラメッタラ長い記事を書いてしまいました。 お付き合い下さり、痛み入ります。

瑛太クンが満島チャンの手に触れようとしたのは、オトコの私から見た見解ですが、彼女に対してかなりの一体感を感じたからだと思われます(意見には個人差がございますが)。

励ます、という気持ちよりも、男って結構、性的衝動にかられる瞬間がある(軽度の、ですよ…笑)。

もしかしてこのドラマのなかでの瑛太クンは、草食系男子なのかもしれませんが、だとすればレイラ様のお考えのように、純粋に励まそうとしたものであると思われます。

ああこの子は、自分と同じ傷を持ちながら頑張って生きている、普通の幸せを望んでいる…、そう考えたとき、瑛太クンの心のなかには、まるで満島チャンと一身同体であるかのような感情が芽生えた、だから手をにぎろうとした、そう私には思えるのです(あくまで個人の感想です)。

そしてそれを躊躇してしまった、瑛太クンの感情にも、ちょっと注目しています。

「みんな死ねばいい」 というのは、まさに当事者でなければ吐けない言葉。
優しくされても、「あんたに何が分かるの」 と思ってしまうことは、常識から考えれば、どうして感謝もできないのか、そういう考え方はおかしいのではないか、としたり顔で批判されてしまうような態度であります。 もしブログやツイッターで、「あんたに何が分かるの」 なんて反応したら、炎上確実っス(笑)。

でも、当事者は、「自分だけがかわいそう」 という気持ちに、入り込んでいるのです。

「なんで自分ばかりがこんな目に」 という気持ちに、入り込み過ぎているのです。

それって、他人がしたり顔で批判できるようなことでしょうかね?

もし自分がその立場に立ったらどうしよう。
その想像をたくましくはたらかせることが、当事者に接する人たちの責務なのではないか、そんな気がします。 レイラ様は、「もし自分がその立場だったら」 と深くお考えのご様子ですね。

もし私が、被害者家族だったら。

殺したいほど憎んでいたら、司法が裁判がなんだろうと構わない。
そいつの首を絞めてやります。

けれどもそれで相手が危ない状態になったら、いきなり我に返ってしまうと思うんですよ。

それほど人を殺す、ということには、見境ない殺意が必要なのです。

耕平が 「自分が母親を幸せにしている」 と思いたがっているのは、やはり 「忘れることが最善」、という結論に、彼が至ったからでしょうね。 そこに至るまでの彼の苦悩。 そして実際忘れようとしても、呪縛に憑かれたように事件の影が、振り払っても振り払っても付きまとう。 捜索願を出そうとしていたときの田中圭サンの演技は、亜季や殺人者の幻影を、激しく拒絶しているかのような熱のこもった演技でした。

私は文哉の描いた青い絵、それを見て瑛太クンも時任サンも、「彼はまだ反省してない」 と思ってしまう構造が、ちょっとまだよく分かりません。
「反省してないんじゃなくて、まだその殺人現場の美しさに魅了され続けているんじゃないのか」 と考察しています。

とすると、本当に文哉が亜季を殺したのか、なんだかどうも、とてもモヤモヤしてくるのです。

投稿: リウ | 2011年8月 8日 (月) 07時52分

文哉のいう「夜」は
本当の母親絡みで
双葉といっしょに味わった暗黒なのでしょう。
(子供が森を歩いてるシーンがありましたよね)
それと文哉の描いた絵は関係あるのかな…?

投稿: マイティ | 2011年8月 8日 (月) 16時16分

マイティ様
コメント連投下さり、ありがとうございます。 返信遅れたことに対して、あらためてお詫び申し上げます。

文哉は父親の駿輔(時任サン)に対しても、複雑な感情があるみたいですよね。 いずれにしても家族絡みかな、と思います。

双葉の問いに対して、駿輔は 「母親は死んだ」 と話していましたが、それも真実なのか、よしんば真実として、どうして亡くなったのか。

そこらへんもこの先いろいろ出てくるかも、知れませんね。

投稿: リウ | 2011年8月 9日 (火) 09時58分

リウさま

「続」UPありがとうございました。
またまた、長い記事でしたが、前回の部分だけだと、やはり足りない部分が多かったので、モヤモヤ感が解消されましたよ〜。

来週は文哉と双葉を中心に展開するのでしょうか?

文哉と双葉を道連れに、彼らの母親が心中しようとしたのでは?なあんて推測しちゃったりしてるのですが、どうなんでしょう?

文哉が描いた絵にかかれていたのは、亜季ちゃんではなく、母親だったのではと思ったりしてます(考え過ぎ?)。

先の展開が読めないということは、次回への期待感が高まるということにつながりますよね。(やはり脚本がいいんですよね)

暑さが続いていますので、リウ様も体調に気をつけてくださいね。


投稿: rabi | 2011年8月10日 (水) 00時29分

rabi様
こちらのほうにもコメント下さり、ありがとうございます。

ちょっと内情をばらしてしまいますが、このレビューを書いている途中、2回ほど我が家の電気のブレーカーが上がってしまうという憂き目に遭い(みんなビンボ、いや、暑さが悪いんや…笑)(←元ネタご存知かなぁ?)その都度それまでの苦労がパァ。 かなり書く気を削がれながらのレビューとなってしまいました。

それにしても前回記事だけではモヤモヤしてしまったとのこと、大変失礼いたしました。 私もモヤモヤしていたのですが、いざ書こうなると、これくらいのボリュームにはどうしてもなるだろうと思って二の足を踏んで、結局前回のような、書きたいところに的を絞ったものとなってしまいました。

登場人物がちょっとしたヒントですぐに真実を察してしまうのが坂元サンのドラマの方法論なんですが、それを逆手にとって、ちょっとしたヒントしか見せないものをあとで逆転する、という方法を、坂元サンという脚本家はよく取る気がしています。
ですのでrabi様の推測もじゅうぶん成立してしまう余地がある、ということだけは言えるんじゃないかな、なんて感じます。

投稿: リウ | 2011年8月10日 (水) 07時08分

こんにちは。
私はもうずっと見逃しまくりなので、リウ様の記事で見たつもりになっています。
皆様のコメもすばらしくて、これはどうしても見なきゃならないなあと思っている次第です。

ところで、リウ様は「おひさま」の記事はもうお書きにはならないのでしょうか?
「おひさま」にも満島ひかりちゃんが出ていますが、来週は何と!安藤サクラちゃんも出るんですよ。
「おひさま」には、嫌な人が誰一人出てきません。そんなこと普通はないはずなのですが、それが判ってから毎朝安心して見ています。(おしんと逆ですね)

これからも、記事楽しみにしています。

投稿: chie | 2011年8月11日 (木) 13時35分

>ちょっと内情をばらしてしまいますが、このレビューを書いている途中、2回ほど我が家の電気のブレーカーが上がってしまうという憂き目に遭い(みんなビンボ、いや、暑さが悪いんや…笑)(←元ネタご存知かなぁ?)その都度それまでの苦労がパァ。 かなり書く気を削がれながらのレビューとなってしまいました。

ひえ〜っ!!
それはそれは大変な作業でしたね。
私なんか絶対、投げ出して「や〜めたっ!」ってなっちゃいますから。

リウ様の根性にビックリです。
「大聖堂」の時もかなり複雑な状況を書き上げていたリウ様ならではの忍耐力ですね!
(「大聖堂」アンコール放送をBSでやってますね。やはり総合では、内容が過激すぎて無理なのかも?)

でも内情をばらされないと、だ〜れもリウ様の苦労はわからないですから、こうやって、返信の中に、さりげな〜く入れて下さると、皆様にも伝わるのではないでしょうか?

これだけの長文をまとめあげる能力って
ほんとに「凄い!」の一語につきます。

これからもかげながら?応援してま〜す。

投稿: | 2011年8月11日 (木) 14時24分

chie様
コメント下さり、ありがとうございます。 レスが大変、遅れました。 ゴメンナサイ。

「おひさま」 に限った話ではないんですが、いつも1週間分をまとめて見る、という形態で朝ドラは見ているので、かなりの集中力がないとフォローできません。 だからいつもリタイアばかりしています。 「ゲゲゲ」 はだから、かなりの傑作だったのでしょう。

オクトパスが戦争中に敵性語だからと英語教師をやめさせられて、陽子たちに励まされて善人になっちゃった、というところまでは見たんですが、その先の見てない録画はたまるいっぽうで、現在 「どうすんべ…」 と考えております(ハハ…)。

この脚本家のかたは基本的に、「人を信じる」、というタイプの人なんだろうな、ということはいつも感じます。 その安心感で見てしまうと、1週間分1時間半、というのは、結構まったりとしてしまう感じ、なのかなぁ?

ご期待に添うことができず、申し訳ありません…。

投稿: リウ | 2011年8月12日 (金) 07時51分

??様
コメント下さり、ありがとうございます。 名無しのゴンベイサンはたいていご批判が多いのですが、とても好意的なコメントなのにレスが大変遅れ、失礼いたしました。

ブレーカーが落ちたときは私もさすがにその都度めげまして、気力復旧まで3~6時間を要したのですが、書きなおすたびにパッションが失われていく感じで(笑)、やけに平坦な文章に今回はなってしまったのではないか、と危惧しております。

ここまで来ると、「ど~してここまで頑張るんだ?」 という気持ちになってしまうのですが、その反動でしょうか、ここ4日ばかり、記事を書く気力がわいてまいりません。 というよりあまりに暑くて書く気がしない、といったほうが合ってるかな?coldsweats01

「大聖堂」 に関しては、再放送と同時に、また当ブログにも多数のアクセスをいただいているようです。 あの時も今から思えば、「ど~してここまで頑張るんだ?」 という感じでしたが(笑)。

たぶん頑張った先には、何かある、と思うんでしょうね、きっと。

陰ながらの応援でも、とても心強いです。 やはりこのような反応をいただくことも、モチベーションのひとつなんだと思うのです。

投稿: リウ | 2011年8月12日 (金) 08時01分

リウ様

ごめんさ〜い!
??はrabiでした。
名前書き忘れてたんですね。さっき気づきました(汗)
お忙しいのに返信ありがとうございました。

投稿: rabi | 2011年8月12日 (金) 23時00分

rabi様
rabi様でしたか~。 お知らせくださり、ありがとうございます。 私もこのところアップデートしたらパソコンの設定が変わってしまって、すごく書きにくくて仕方ない状態が続いております。 コメント設定もリセットされてて、先のコメントも最初、自分も名なしのゴンベイサンになってましたcoldsweats01

投稿: リウ | 2011年8月13日 (土) 05時05分

今回このドラマについて、さかのぼりながら読ませていただいています。
なので、コメントが前後してしまっています。


>私は文哉の描いた青い絵、それを見て瑛太クンも時任サンも、「彼はまだ反省してない」 と思ってしまう構造が、ちょっとまだよく分かりません。
「反省してないんじゃなくて、まだその殺人現場の美しさに魅了され続けているんじゃないのか」 と考察しています。


今週の大竹・母との対峙シーンで、文哉は湖に浮かんだ亜季ちゃんは美しかった、と言いました。
彼にとって事件は「反省」すべき出来事として認識されていないのだと思いました。
悪いことをしたわけではない、と文哉の中では思っている。
「殺すことは悪いこと」と口では言うけれど、それは医療少年院で教えられたままを繰り返しているなぞりごとにすぎず
彼の中で実になって育っている感情ではありえない、と思いました。
殺人現場を美しいと感じ、それを絵にあらわす、ということをできてしまう文哉は
やはり「反省」はしていない。
自分のしてしまったことが、いわゆる「悪い」ことであり、他人を深く深く傷つけてしまったことであることが理解できない限り、反省という気持ちには至らないし、ましてや「償う」ことなんてできないのだと思うのです。
文哉にはそういう感情が育っていないのではないでしょうか。。。

投稿: あおぞら | 2011年8月28日 (日) 01時37分

あおぞら様
コメント連投下さり、ありがとうございます。

あおぞら様がお考えのようなことを、今回(第8回)放送分を見ながら私も考えておりました。

つまるところ現在の司法、社会復帰制度じゃ解決なんかちっとも出来ないんだ、ということですよね。

「反省するなら猿でもできる」 と申しますが(笑)、猿だって反省はできない。 怒られりゃシュンとするだけです。

まるでおためごかしのような 「反省しました」 で許される部分があるとすれば、それもかなりおかしい。 「反省って何なんだよ」「償うって何なんだよ」、つまりそこに本当の気持ちが入ってなければ、みんな上っ面なんだよ、という作り手の声。

作り手の意図の果てには、そんなことがある。

それを感じることで自らの問題意識をずっと深遠化することが出来る、と私は考えます。 人としてレベルアップが出来るのです。

もちろん自分のために見ているのではありません。

他人の悲しみを感じ、他人の心の救済を求めているから、そんな人だけがこのドラマを見る必然性が生じるのだと思うのです。

投稿: リウ | 2011年8月28日 (日) 12時14分

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