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2011年8月27日 (土)

「胡桃の部屋」 第5回 けじめをつけようという意志

初めにお断り 文章をコンパクトにまとめられず、またしても長い記事になってしまいました。 申し訳ございません。


 母親の竹下景子サンが父親の蟹江敬三サンの失踪から立ち直って復活したことを喜び、恋人の原田泰造サンの家に近くの公衆電話から電話をかけた松下奈緒サン。
 今ならケータイで済ませられますが、当時は家族に内緒の話とか、都合の悪い話は公衆電話でかけるのが当たり前でした。 夜中じゅう恋人らしき人のところへ公衆電話で電話している若者なんか、よく見かけたものです。

 しかし電話に出てきたのは、原田サンと別居しているはずの女房。 大きなショックを受ける松下サンが電話ボックスから出てくると、竹下サンにけしかけられて(笑)夫の浮気現場に乗り込んだあとの松下サンの姉、井川遥サンとばったり出くわす。

 今回は 「裏切り」 というサブタイトルだったのですが、これは原田サンの裏切りのことかな?と思っていたけれど、実はラストで意外な展開。 こっちのほうが松下サンにとっては 「裏切り」 に見えたんでしょう。
 登場人物ひとりひとりの心のなかを細密に描写し、作り手がそのすべての人に対して平等な同情と共感を持つ深遠さを増していたので、私にとってもこのラストの展開は、「なんじゃこりゃあ」 ものでした。
 いずれにしてもこのドラマ、今回はタイトルの意味も判明し、実に奥の深い味わいのある回になっていた気がするのです。

 姉が帰ってきて、松下家は久しぶりに、父親抜きではありますが一家そろっての食事。

 その場では井川遥サンが浮気現場に乗り込んだあとどうしたのかとかいう話は出てこないのですが、三女の臼田あさ美サンが思わず 「ダンナまた浮気してんの?」 とか口走ってしまったために気まずい雰囲気に。 「浮気じゃなくって、上着?」 と下らんシャレでごまかそうとするあさ美サン(笑)。 「言い訳ばかりで見苦しいから愛想を尽かして帰ってきた、これで満足?」 と自虐的に告白する井川サンのわきで、竹下サンは何事もなかったかのようにたくあんをボリボリかじる。

 「うん、コレよく漬かってるわ」 そしてみんなでボリボリボリボリ(笑)。 なんか高橋留美子サンのマンガにありそーなシチュエーション(笑)。 なるほどー、はっはっは、そしてコマ割りいっぱいにぼりぼりぼりぼりの擬音文字(ありそうでしょ?)。

 その夜一緒に寝た松下サンに、井川サンはその浮気現場の様子を詳しく語ります。 「ルームサービスでも頼んでたんだろうね、(私がドアを開けたとき)バッカみたいにうれしそーな顔しちゃってさあ」 回想での、井川サンの夫、小林正寛サンの、ホントにバッカみたいな浮かれ顔(笑)。 その破顔一笑が見る間に深刻な顔になっていく。 見ているほうもかなり笑えました。 でも今回番組開始からコメディタッチで進行していたドラマは、ここでにわかに暗転します。

 「…行かなきゃよかった。

 …

 ホント悔しかった。

 悔しくて、…悲しくて、…さみしかった…。

 知りたくなかったよ…」

 井川サンは、泣いてしまうのです。

 回想に出てくる井川サンのダンナの浮気相手というのが、また取るに足らなそーな女性で。
 こんなとき現代女性であれば、男に対して当時よりずっと対等な立場に世間常識がなってるから、相手を罵倒したり・呆れかえったり・どう責任をとるのか実利的な考えに至ったり・する気がします。

 けれども当時の女性は、自分が妻として、こんなにも相手に認められていなかったのか、という屈辱感のほうが、よほど大きい(個人的な感想です)。
 女はこんなとき、陰で隠れて、しのび泣きをするしか、ないのです(演歌の世界)(決めつけてます)。

 「浮気現場に行かなきゃよかった」 というのは、「行ってらっしゃい」 と井川サンの背中を押した、母親の竹下サンに向けた恨み言葉でもある。 同時に 「浮気しても隠し通すことが愛情だ」 と言いのけた自分のダンナの言い分を、暗に認めているセリフでもある。 「知らなきゃよかった」、ということですからね。

 「亭主がバカやって、恥かくのは私なのよ! どうせだったら、もう少しマシな女を選んだらどうなの?」

 回想シーンで井川サンがダンナに向けて放ったこのセリフからも、妻としての役割を果たせなかった自分が恥ずかしい、という発想が貫かれている。 
 後日井川サンはダンナを見限って、娘と一緒に松下家へ本格的に出戻ってきます(便宜上松下家と書いております…笑)。

 松下サンは原田泰造サンに、決別の決意をこめた電話をかけます。
 でも泰造サンは、女房と別れる意志が未だに固いようであります。

 いっぽう。

 おでん屋の女西田尚美サンは蟹江サンに昔話。
 自分の息子と最後に別れたときに、笑顔のままの息子のイメージで終わらせたかったために、なにも言わずにそのまま別れてしまった、と悔やんでいる話をしています。

 「(息子に)頭下げて、ちゃあんと泣かれて、…怒られてくればよかった。

 …別れてから10年ずっとそう思ってるよ」

 それは、息子に泣かれて怒られることで、自分の気持ちに一区切りがつけられるから、おでん屋はそう後悔しているのです(要らん解説かな)。

 おでん屋は、けじめをつけたがっている。

 あいまいなままでずっともやもやとした気持ちを引きずるよりは、そのほうがきちんと過去を清算し、明日を見つめられるからです。

 そしてその話を聞く蟹江サンは、その言葉が自分に跳ね返ってくるのを、じっと感じている。 この構造はさすがです。

 いっぽう。

 松下サンの弟である仮面ライダーキバは、自分がオヤジみたいな男になりたかったのにこんな事態になって、まるでレールを外された気分になっていたことを、バイト先の女の子に打ち明けています(ごめん、えーと、キバじゃなくて瀬戸康史クンだ)。

 ここでも彼は、そんな自分の気持ちに踏ん切りをつけようともがいていることが読み取れる。

 このようにこのドラマにおいては、当時の1980年ごろの人々が、自分の身の振りかたについて今よりもずっと、何らかの一貫性を持たせようとする意志の強いことを物語っている気がします。
 当時の人々が囚われているのは、現代の日本人が失ってしまった、「けじめをとらなければならない」 という強迫観念のひとつなのではないでしょうか?
 今の日本は、なんでも先送り先送り。 責任を取らないことにあまり後ろめたさというものを感じない。
 まあ政治がそんなですからね。
 植木等サンの 「無責任」 というのがアンチテーゼのインパクトを持ったのは、やはり世の中全体がマジメだった当時だからこそ。 世の中全体が無責任になってしまった(意見には個人差があります)今となっては、このドラマの人々がどうしてこうけじめをつけたがるのか、不思議に思われる傾向が、あるかもしれません。

 話変わって。

 松下サンは原田サンと会い、別れる意向を明らかにしています。

 松下サン 「私も軽率でした。 もうお会いできません」

 原田サン 「きちんとけじめをつけたら連絡します。 それまで、待ってもらえますか」

 松下サン 「お約束できませんっ」

 ここでの松下サンの心情を考えると、相手がどうこう、というレベルで行動してない、という気がとてもする。
 相手に妻子がいるのに付き合おうだなんてあり得ない、という当時の世間常識がベースにはなっていると思うのですが、松下サンは自分がそういう男性に恋してしまった自らの行動規範を、自己総括している傾向がある。 自分のアイデンティティが、原田サンと恋愛を続けていくことを、許さないのです。
 それは確かに悲しみを潜伏させ増幅させる行為である。
 けれども 「不倫は文化だから」 とか 「世のなかなんでもありだから」 などと言って自己抑制のリミッターを外しがちな現代の、時代の雰囲気とは相反するものを、そこに感じるのです(あーもー話がどうしてもそっちに…)。

 まあありていに言えば、とてもつつましく見えるんですよ、ここでの松下サンが。
 そしてワキがしっかりしている感じが、とてもするんですよ。

 そしてある日、竹下サンはおでん屋の女の家に、いきなりやってくる。

 ホンチャンの女房が持つ強大なフォースに恐れを抱きながら 「あたしとアンタは住む世界が違うんだって威張りに来たのか」 と窮鼠猫を噛むみたいにおでん屋はにわかに先制攻撃を開始するのですが、「いいえ、三田村をよろしくと、頭を下げに来たんです」 と航空母艦は動じず波状攻撃を開始します(「ゲゲゲの女房」 の軍隊比喩みたいになってきた)。

 「馬鹿みたいに生真面目で融通が効かなくて、女房を喜ばせることがひとつも言えない不器用な人。
 威張っているくせに気が小さくて、頭を下げる勇気もない人。
 …でも優しい人なの。

 …どうか、支えになってやってください」

 「私がいちばんあの人を理解している」 みたいなものの言い方をされて、おでん屋はカチンときまくり我を忘れて迎撃します。

 「腹立ってんでしょ? 悔しくてたまんないんでしょ? アンタ言ってたじゃない、『婚姻届の紙切れが、鉄の板みたいに硬い』 って。

 罵ったらいいじゃない!

 ほっぺたのひとつやふたつ、ひっぱたいたらいいじゃないよ!」

 これはおでん屋が息子にしてほしいことと繋がっている感情です。 おでん屋は、裁かれたがっている(おことわり 西田サンを 「おでん屋」 と呼ぶことを継続中)。
 航空母艦は悠然と左舷後方に展開中(なんなんだ)。

 「あの日、あなたは訊いたわよね。 『主人が浮気でもしたらどうするのか』って。

 …

 殺したいほど憎いわよ。

 …!

 相手の女も、一緒に死んでくれればいいって、何度も思うの。

 …

 でも結局最後に思うのはね、どこにいてもいいから元気でいてほしい、幸せに暮らしてほしい。

 きれいごとなんかじゃなくて、心の底からホントにそう思うのよ」

 おでん屋は航空母艦に対し、蟹江サンがこの部屋にもどってくるとき、「ただいま」 と言ったことがない、と言って嘆きます。 だから自分は、あの人がいきなりまたいなくなるんじゃないかという不安から離れられないのだ、と。
 それに対して航空母艦はこう言い放ちます。

 「そう…。

 それじゃあなたのほうがふしあわせね。

 私はもう、誰の帰りも待たずに生きていけるから」

 これは竹下サンが竹下サンなりに辿り着いた、彼女の決意なのです。

 夫を待ち、「お帰り」 と言わなければならない妻という責務からの解放。

 いったん相手を見限ると、女性というのはかなり冷たい、と私などは感じるのですが(笑)、そこにはやはりその人なりの身を切られるような苦しみが存在すると考えたい。
 んー、ないのかな、かなり冷たくされたことありますからね、「もう自分の心のなかにはあなたはいない」 みたいな(なにを告白しとる)。 いいですよね、女性は引きずらなくて(個人差はあると思いたいですが)。

 一戦終えて、おでん屋の女のアパートを出てきた航空母艦いや竹下サン、偶然蟹江サンと出くわします。

 確か蟹江サンが家を出てから初めての邂逅。

 竹下サンの心が、一瞬揺らぎます。

 しかしそこに立っていたのは、買い物かごを下げて女もののサンダルをはいた、自分が知っていると思い込んでいたはずの亭主ではない、ヒモ男。
 竹下サンは見切ったような悟ったような表情になり、覚悟を決めたように一礼すると、まるで復讐するかのごとき無表情で、完全無視したまま、「元亭主」 のそばを通り過ぎていく。 蟹江サンのドテラに、かすかに竹下サンの和服のショールが触れていきます。

 それは竹下サンの、旅立ち。

 振り返ってかつての女房の後ろ姿を見送る蟹江サン。

 脱力したように、買い物かごが手から滑り落ち、膝からがくんと崩れ落ちて、苦悶の表情を浮かべたままその場に突っ伏します。

 いや、すごいシーンでした。 これが向田ドラマか。

 これは要するに、女房からの三下り半。
 「どうぞご勝手に、もう重荷は背負わなくていいんですよ、さようなら」 みたいなもんですからね。 あーあ、コエ~、女って(じょーだんです)。

 そして。

 原田サンは松下サンに再び会いに来ます。
 松下サンはあらためて原田サンを拒絶するのですが、そこでまた、原田サンを信じているいないの問題ではない、という態度を明確にします。 松下サンの判断基準に、相手はやっぱりいない。 自分がどうあるべきか、が優先されているように思える。
 そんな松下サンに、原田サンはイライラをぶつけます。

 「なんでそんな冷静でいられるんです?
 怒ってもいいし、責めてもいい。 でもこのままこんなふうに終わられるのだけは僕は嫌だ。
 女房が意志表示をしてくれて、僕は却ってよかったと思っている。
 きちんと話し合って必ず早いうちにけじめをつけます。
 だから…」

 「もうやめてください!」

 もうこれ以上掻き回さないで、と怒りをぶつけその場を離れようとする松下サンを、原田サンは抱きしめる。

 「もっとそういうことを言えばいいんだ…!
 もっと僕に気持ちをぶつけてください…!
 なんでひとりで苦しもうとするんですか?
 人間なんてみんな弱いんだから…!」

 松下サンの手が、心の迷いを一瞬示すのですが、その思いを松下サンは振り切ります。
 逃げるように自宅へ戻ってきた松下サン。
 井川サンと小林サンが、玄関先で痴話ゲンカをしています(笑)。
 平謝りのダンナに、井川サンは取りつく島もない。
 あ~あ、あっちもこっちも…(笑)。
 トリプル浮気話だ(や、性格は若干統一性を欠いていますが)。

 原田サンのうちには相変わらず奥さんが居座っています。
 そりゃ1年も家を開けたのはこの奥さんの落ち度です。
 けれどもこの奥さんも、結局居場所がなくて、ダンナのもとに戻ってきている。
 同情すべき人物です。
 こうなるともう、男としてはメンド臭い松下サンより、出戻り女房にアドバンテージを感じながら暮らすほうがいいのではないか、という打算が生じてくる気がいたします(笑)。
 そして父親と母親の仲たがいを敏感に感じた娘が、原田サンと奥さんの手を、つなぎ合わせます。
 まさに子はかすがいの黒飴(どうもオチャラケてるなあ)(大目に見てください)。

 さて。

 おでん屋との決闘を終えた竹下サンが自宅に戻って、買ってきた胡桃を開けています。

 胡桃割りの道具を不器用に使う弟の仕草ににぎわう家族。 竹下サンは 「今日お父さんに会ってきた」 とやおら切り出します。 夫の姿に幻滅したような口ぶりの竹下サン、「使わぬ部屋の、扉を開けたのねえ…お父さんは」 とつぶやく。

 「『胡桃割る 胡桃のなかに 使わぬ部屋』。

 …

 胡桃のなかには、実がぎっしり詰まってると思ってたけど、割ってみたら、空っぽの部分があった。
 人の心の中にも、自分でさえ知らない、部屋があるのかもしれない…」

 この部分、急に説明的な感じがしたんですが、昔のドラマ化のときはいしだあゆみサン(今回松下サンが演じている桃子)がこの俳句をつぶやき、その解釈など説明は一切入らなかったらしい。

 今回のこの場面。

 「胡桃を割る」、ということは現在以上に、当時でもあまりすることがなかった、非日常の光景です。
 そんな非日常のなかで、母親が急に、人生の本質を見つめたかのようなシビアな言葉を発する。
 そのこと自体が、「使わぬ部屋」 の重層的なイメージを喚起する、という点で秀逸だったように思えます。

 竹下サンは夫がいなくても、子供たちが自分のことを考えてくれるだけで、それだけで幸せなんだ、という割り切りかたをしようとしています。

 「あんたたちも、一生懸命生きて、幸せになんなさいよ」。

 普段気恥かしくて言えないようなことが、この使わぬ部屋の中で、素直に発せられる。
 まるでそれは、30年前の別世界から届けられた、肉親のメッセージのような気さえしてくるのです。
 一生懸命生きて家庭を作ったら、自分のように子供から大切に思われるような幸せをつかむことが出来るのよ――。

 涙ぐむ、松下サン。

 後日、松下サンの目の前に、父親の蟹江サンが現れます。
 その姿はこざっぱりとしていて、表情もどことなくふっ切ったような感じ。
 父親は娘に、「家を出て死ぬつもりだった」 と打ち明けます。 松下サンはもう一度一緒に暮らそうと翻意を促すのですが、父親の決意は固い。

 「やっちまったことを、なかったことには出来ん」。

 ここでもけじめをつけたがる人がひとり。
 でも蟹江サンは、それまでの生活が荷が重かったことを告白し、一生懸命のステージから、降りようとしている。 けじめ、というものが半ば形式化している感じに見える。

 松下サンはそんな父親に対して、決別の言葉を口にするのです。

 「お父さんは、ホントに使わぬ部屋を開けたんだね。
 その部屋には、私たちはいないんだね。

 弱虫…!

 私、一生お父さんのこと許さないよ。 ずっと憎むよ。 一生恨み続けるよ!」

 「…すまん…」

 「…
 …
 …
 さよなら、…お父さん」

 娘から絶縁を言い渡された父親。

 その情けなさを想像すると、胸が潰れそうになりますが、自分だったら回避行動をとりたくもなる気もします。
 蟹江サンにとってそれは、新しいおでん屋との生活。
 おでん屋の女の部屋に、蟹江サンは初めて、「ただいま」 と言って戻ってくるのです。

 このことは一種、娘に見放された屈辱を、ニュートラルな自分でいられることの喜びで、ごまかそうとしている部分が垣間見える。
 実際昔の蒸発した男どもは、そうして自分を慰めていたのではないか、という妙なリアリティを、そこに感じることが出来るのです。

 松下サンは原田泰造サンに対して、「父のように家族を置いて、自分だけ新しい部屋の扉を開けるわけにはいかない、その部屋は、あなたにも開けられたくない」 とあらためて拒絶し、ふたりの思い出の品であるお守りを、原田サンに返す。
 原田サンの表情からは、さっき私が書いたような打算が見え隠れしているような気がしました。 なんとなく、松下サンに拒絶されても控えがあるか~みたいな。 松下サンがその場から去り、深いため息をつく原田サン。 う~ん、原田サン、うまいな、演技。

 そして、半年後。

 松下家の人々はそれぞれ新しい道に向かって、歩き始めています。
 ありゃ、この回で最終回か?と思った次の瞬間、意外な展開が。

 化粧を着て着飾った竹下サンが、別れたはずの蟹江サンと、つれこみ旅館(ラブホテルじゃなかったっスね)に入るところを、松下サンは目撃してしまいます。
 これをドラマによくある偶然と解釈しなければ、ふたりはスンゴイ頻度で、逢瀬を重ねていたことになる(爆)。

 どうなるんだ次回。
 最終回です。

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コメント

向田さんの原作が優れているのはもちろんですが、それはドラマ化するうえでは、あくまで素材に過ぎない。

それを生かすも殺すも、脚本家、演出家の腕ということで、本気のドラマつくりをした結果でしょうね。

投稿: マーシー | 2011年8月28日 (日) 10時10分

マーシー様
コメント下さり、ありがとうございます。

ここまでNHKは質のいいドラマが作れるのに、大河はどうだ…ということになっちゃう感じですか(笑)。

「篤姫」 のときはさすがに素材の良さを引き出してはいたんですが(どうも 「江」 の話にシフトしてしまいますね…笑)。

投稿: リウ | 2011年8月28日 (日) 12時19分

リウさま、こんにちは。

私も、ラストの展開「はぁ~?」ってなっちゃいました。
コレって、どうなんでしょう?
もし私が竹下さんの立場だったら・・・う~ん、ちょっとあり得ない。
でも、男と女のことは当事者にしかわからない。
なので、次回に期待なのですが(笑)

80年といえば、ちょうど私は高校生。
このドラマですが、やっぱり時代考証ヘンです。
もう10年ぐらい古い(70年代)ような気がします。
松下さんの来ている服が変。
あの頃は、ハマトラ・ニュートラが流行っていたし、サーファースタイルも流行ってました。
ちょっと違うよ~って、ツッコミながら見ています。

こんな、北陸の片田舎でも、ラブホはあったし、えーっ!連れ込み旅館??ってなりました。
設定が都会だから尚更なんでしょうか?

投稿: chie | 2011年8月29日 (月) 10時09分

chie様
コメント下さり、ありがとうございます。

まさか離婚調停を連れ込み旅館でやるとも限らず…coldsweats01
向田作品にそこはかとなく漂う、エロチシズムの一端なのかもしれんな~と(まったく部外漢ですが)感じてしまった次第です。

ハマトラ、ニューカジ、響きは懐かしいけど実際にはなんのことやら?のファッション音痴の私ですが(爆)、聖子ちゃんカットが流行っていたことだけは分かります(ハハ…)。 妹役の臼田あさ美チャンあたりがやっててもおかしくない気がいたしますが、この三田村家というのは、当時からしても、かなり古風な設定である、と私はとらえています。 10年、とは言わないまでも、少なくとも5年くらい古臭い感じ。 「赤い疑惑」 の大島家を彷彿とさせる感じ。 いや、「寺内貫太郎一家」 のオマージュかもしれませんね。

うちが古臭いから、この両親も、連れ込み旅館なんでしょうねcatface

投稿: リウ | 2011年8月29日 (月) 11時58分

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