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2011年8月27日 (土)

「それでも、生きてゆく」 第8回 嚥下出来ない痛み(序)

 テレビを見ていて、ちょっとそのショックがしばらく続いてしまうことは、今まで何度かありましたが、今回のこのドラマも、その数少ない貴重な経験のひとつになる気がします。
 何しろ話が重たすぎて、ちょっとにわかにはきちんとしたことが書けないような感じなのですが、とりあえずレビューしてみます。

 今回のドラマを見ていて感じたのは、本当はこういうことまで被害者家族は加害者に対してしてもいいんだ、という作り手の強い意志です。
 実際に行なわれる司法的な諸々のこと。
 たとえば裁判の途中で被害者家族は、黙って加害者が裁かれるのを、聴いていなければいけない。
 しかも自分の家族が殺された場面を克明に裁判はなぞっていく。
 それは身を切られるよりも過酷なことであることは、疑いがない。

 でも実際にそいつが自分の家族を殺したことが明白になっているのなら、裁判だろうがなんだろうがそいつに向かって突進していって、自分の言いたいことを洗いざらいぶちまけて相手を罵倒して、殴りかかって首を絞めて、までしてもいい。

 自分の今書いていることは、実に理性を欠いています。 そんなの許されるわけがない。 実際にそんなことを裁判の途中でやろうとしたら、たちまち警備員に取り押さえられて退廷、ですよ。

 これは江戸時代だったら、仇討ちみたいなことが出来たかもしれないけれども、その江戸時代の仇討ちだって、喧嘩両成敗が原則だった。 カタキを討ったほうも、死ななければならなかった(「カムイ伝」 でそんな場面があった記憶があります)。

 でも心情的には 「目には目を、歯には歯を」 というのは、許されるのではないか、という気はどうしてもするのです。

 そうでもしなきゃ被害者家族の鬱憤なんか、晴らせるものではない。

 だけど。

 そのことで解決するのは、その鬱憤だけなんだ。
 そいつを殺して、その殺人者を自分の殺された家族と同じ冥界に送ってもいいのか?
 そいつが死んでも、反省などしなかったら殺し損ではないか。
 浮かばれない命をまたひとつ作ったって、残るのは虚しさだけなのではないか。

 今回作り手は、そのことも同時に強く訴えているような気がして、なりません。

 当事者たちはどちらの側も、悲しみを、痛みを、胸に抱えたまま、生きることを強いられる。
 死ぬまで、それは強いられる。
 いや、生きなければならない。
 安易に死など選んではならない。
 だからこその、「それでも、生きてゆく」 というドラマタイトルなんだ、と思うのです。

 ただ。

 どうもドラマを見ていて、殺人状況の因果関係がちっとも出てこない、というのは、個人的に相変わらず気になっています。
 三崎文哉(風間俊介クン)が亜季チャン(信太真妃チャン)を殺した、というのは、どうも状況的に見て確実になった気がしてはいるのですが、それでもまだ直截的な描写を見てないし、前回ラストで真岐(佐藤江梨子チャン)が重傷を負った、ということに関しても、見ることが出来た数少ない状況から考えると、包丁を持っていたのは真岐だし、髪を強く引っ張られた、という状況も、揉み合ってそうなってしまった可能性は否定しきれない。

 いずれにしても真岐が昏睡状態に陥ってしまったため、真相は闇に葬られてしまった感がある。
 このあと文哉が捕まっていくら弁解しようとも、その言が信用される確率は、とても低い気がしています。

 今回見ていて感じたのは、その乏しい現場状況にもかかわらず、まるで文哉が真岐を殺そうとしたことが、当事者たちの間で既成事実と化してしまっている部分。
 そしてそのことを文哉自身が、最初から弁明など無理、とあきらめてしまっている部分が見えるのも、気になります。
 文哉は妹の双葉(満島ひかりチャン)に電話をかけ、「お前がイヤだっていうからこんなことになったんだ。 双葉のせいで、また人殺した」 と話している。 この時点で文哉は真岐が死んだと思い込んでいます。 文哉を支配しているのは、自分が殺人の当事者ではない、という強い拒絶反応。 それを妹に責任転嫁することで、自分の存在を事件現場から消そうとしているのです。 そこに横たわっているのが、「どうせなにも聞き入れてもらえない」、という強い絶望なのではないか、私はそう考察します。

 そして事実関係が判然としないまま、事件を起こした若者たちを受け入れるというボランティア的なことをしている善良そうな草間五郎(小野武彦サン)までも、ハナから文哉を疑っている。 彼は自分が見た事件現場の状況からそう思い込んでいるんでしょうが、その場に居合わせた文哉の父親、駿輔(時任三郎サン)に対して平静を装おうとすることが、却って自らの判断力を低下させているということに、気付いていない。

 ドラマ中、誰も今回の事件の真相を知らないのに文哉が犯人だと、ほぼ全員が思い込んでいることを象徴する絶対的なキーワードが、洋貴(瑛太クン)からもたらされます。

 それは洋貴の父親(柄本明サン)が亡くなる少し前に話した言葉。

 「あいつ また やる」。

 ――。

 「あいつはまたやる」 という決めつけが、犯人への憎悪をいたずらにかきたたせ、真実を見えなくさせる。

 今回のドラマを支えていた大きな柱が、以上に述べたような点だった気がするのですが、前置きはここまでとして(ゲェ~、コレ前文かよ)物語に沿ってレビューを進めていきたいと存じます。

 つづく。

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コメント

こんにちは。
「大聖堂」のときにちょこっとおじゃまさせていただいたあおぞらです。
どうしても「母親」の立場で見てしまうこのドラマ、すっかり引き込まれています。

あまりクローズアップされない加害者・母役の風吹ジュンさんの役柄が今一つ、理解できません。
彼女は少女を殺してしまった長男・文哉の実母ではないことが明らかになりましたが、
ある意味、自分も被害者というような意識をもっていたりするのでしょうか?
風吹さんが大竹さんに会いに行った時や、その他のシーンにしても、今一つ、被害者家族に対しての申し訳なさ感が弱いと感じるんです。弱いというのは言い方が変ですが、ちょっと第三者的というか、当事者ではない立場にいるひとのような、そんなイメージです。
自分の子供が殺めてしまった少女の母親に対峙するなら、もっともっと我が事のように必死さが出ると自分では思うのですが(意見には個人差がありますが(゚ー゚;)
彼女にはどこか、自分の産んだ子供ではないという距離があるように感じてしまいます。
彼女の子供に対する必死の感情があらわになったのは、今回文哉が二度目の事件を起こしたと聞き、自分の実子であるあかりに対して
あなただけは守る、普通の女の子としての生き方をさせてみせる、と言うシーン。
彼女にとって、文哉、双葉、そして夫という家族はどういう位置づけをされているのか?
実子であるあかりに対する愛情は普通に表現されていて、それならば最初の事件のあと、彼女が生まれた時に、「加害者の家族である」ことから逃げることも彼女には選択できたはずだと思うのです。
けれどそうすることなく、加害者家族の一員としてあかりを育ててきた。
彼女には夫に対する愛情があることが視聴者にわかるシーンがあるにはあったのですが、わたしにはどうしても、あかりに対する愛情と、文哉と双葉に対する愛情はけして同じとは思えず(そのことを悪いと言っているのではなく)、それなのに事件によってもたらされた加害者家族としての生き方を、あかりに強いている母としての選択は理解できないのです。
けして風吹・母がそうだったから、文哉の事件が起こったとか言うつもりではありません。
事件が起きた時、あかりはまだ生まれてはいなかったのだし。
でも確かに、彼女は家族でありながら距離がある他人にも見えます。
来週、文哉が帰ってくるようです。
その時の風吹・母との展開がどうなるのか、すごく気になります。


父親・時任さんが文哉を探しに行くと決めた時の風吹さんとの会話。
あなたはあの子の父親だから、顔を見たら治っているのかどうか、わかるでしょ、わかるわよね?と言う風吹母。
ああ、と肯定の返事をする時任父。
え?そう?そんなこと聞くの?
親だからって顔を見たらわかるなんてありえない。
そんなことわかってるくらいなら、最初の事件は起こらなかったはず。
ましてや事件の後何年も離れて暮らしていた親と子。
そんなことを言えるくらい風吹さんは、娘のことを「理解」しているというのでしょうか?
わたしも子の親ではありますが、正直、子供のすべてを理解しているなんて思えないのです。

他の登場人物の話の流れをそっちのけで、まとまりのない気持ちを書き綴ってしまい申し訳ありません。

リウ様は風吹さん演じる加害者母をどのように見られているか、よろしければご感想をお伺いしたいです。

あおぞら様
ズシリと重たいコメントを下さり、ありがとうございます。

複数の子供に対して、それぞれの愛情に区別はない、というかたにはご理解できない親がこの世には、いるものです。 この子はかわいいけれど、この子にはあまり愛情がわいてこない、とか。

それは自分になついているかなつかないか、みたいな判断基準から、その子が優秀かそうでないか、という差別、相性がいい悪いの差別。

そしてやはり、家族のなかでも温度差、というものはある、と考えます。

被害者家族に対して風吹サンがあまり積極的に見えない、というのも、実はその温度差の表れなのではないでしょうか。

もともと継母の風吹サンには、自分になつく双葉と違って、文哉がなにを考えているのか、いまいち理解できていない。 それは前の母親が死ぬ前に何かがあったからなのか、今のところ判然といたしませんが、とにかく文哉には、何かが成長しないまま、心の一部が壊れたままの状態であることは確実に言える気がする。
それを受け入れるか受け入れないか、という選択を迫られたとき、風吹サンは後者の側に寄り添うような感覚になってしまったのではないかなーと思います。

だから自分も被害者、という感覚は、風吹サンの心のどこかには存在している、そんな気がするんですよ。

だから自分も夫に協力する、という態度を表面上は繕ってはいるのですが、いざというときに、その覚悟の差が、はっきりと出てしまう。

あおぞら様がご自分のお子さんに対してもそうお考えなのかと思いますが、顔を見ただけじゃ分からない、というのは、確かに当たってます。
でも風吹サンには、顔を見るくらいで父親には分かってほしい、という焦りのようなものがそこにある、と考えることはできないでしょうか?
覚悟が浅いからこそ、簡単にスーパーマン的対応を夫に求めてしまう。
私の解釈は、そんなところです。

「理解できるか出来ないか」、という基準でドラマというものを見てしまうと、なかなか登場人物の不可解な動きに対処できません。
登場人物が不可解な動きをするとき、それは作り手や演出家の力量不足という場合もまま見受けられますが、ことこのドラマに関しては、「作り手はその部分まで考えている」 というのが、見えてきます。

話がすごく重たくて書いていくのもしんどいですが、とりあえず最後まで見届けないと、という気はしています。

このドラマ、おそらく最終回を迎えても、釈然となる結末にはならない、と思うんですよ。

それはすなわち、このドラマが明快な解答のない題材を取り扱っているからだ、ということになる気がいたします。

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  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

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    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
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