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2011年8月28日 (日)

「それでも、生きてゆく」 第8回 嚥下出来ない痛み(続)

おことわり このレビュー、初出時より若干訂正加筆しました。

 真岐を呼びに行った草間五郎。 部屋で倒れている自分の娘を発見します。
 真岐は仰向けになったまま動きません。 五郎が抱き上げようとすると、首のあたりには血がべっとりついている。 この時点から、五郎はすでに、自分を見失う対応しか、取ることが出来なくなっている。 うろたえる五郎の代わりに救急車を呼ぶ駿輔。

 そこに紗歩(安藤サクラサン)が額を押さえながらやってくる。 どうやら文哉が持っていた金槌で殴られたのではなかったようで、かろうじて無事です。
 「あいつは? 三崎文哉だよ」 と文哉の本名を知っている紗歩に、駿輔は驚く。 「またやったんだよ。 痛ってぇ! あいつまたやったのっ!」。 駿輔は、呆然とします。

 思わぬことが矢継ぎ早に起こるショック。 そしてその混乱の中で、重大な事実(真岐の傷害についての真相)が分からないのに文哉の犯行が既成事実化していく過程を、この今回冒頭のシーンでは的確に追っている気がします。

 犯行?現場からいなくなっている文哉。
 彼は自転車を押しながら交番の前を通りかかるのですが、結局自分が名乗り出ることをしない。 「何を言ったって信じてもらえない」 というように文哉は思っているのではないか?と私が感じたくだりです。

 同じ夜、軽トラで草間ファームを目指している深見洋貴と弟の耕平(田中圭サン)。 耕平が洋貴に、マンガの登場人物たちの年齢を列挙して、兄貴のふがいなさを嘆いています。

 「兄ちゃんさぁ。 オレのこと冷たいと思ってる?
 オレだって加害者のこと憎い気持ちあんだよ。
 結婚してなかったらオレだって…。

 オレ来年穴子サンと同い年だしさ」

 「穴子サン?」

 「マスオサンの同僚。
 ちなみに兄ちゃんは銭形警部と同い年。
 ブラックジャックが28歳。
 星一徹が33歳。
 ラオウが30歳。
 30で 『わが生涯に一片の悔いなし』 だよ。
 兄ちゃんなんか悔いありまくりじゃんかよ」

 早い段階で結婚とか所帯を持たないと、リアルに感じる年齢、というものが、齟齬をきたしてしまうことの一端をこのセリフは示しているような気がするのですが、私も41歳を超えたころ、「バカボンパパと同い年か」 とミョーな感慨があったのを覚えています。 私より下の年代になると、「オレFF7のシドの年齢超えた」 とか考えるのかな~(笑)。 もっと下になると、「オレ、ルフィの歳超えちゃった」 とか? それってすぐか。

 バーチャルな物差しで測られる自分の精神年齢、という新しい基準。

 いずれにしても自分の親が自分と同い年のとき何をやっていたか、ということを想像すると、かなり自分が幼い、ということに気付く。 これは新種のモラトリアムのような気がします。

 そんな下らない話を弟がしているときに、洋貴は文哉を発見する。 彼はものすごい勢いで車を止め、ものすごい勢いで車を飛び出し駆け出していきます。
 包丁が、彼の懐から落ちます。
 結局見間違いだったと諦めるのですが、それは見間違いじゃなかった。 文哉はそのとき、自転車を乗り捨て、駅の階段を上っていたのです。

 ここでの洋貴の突発的なキレかたは、彼が尋常ならざる殺意を継続させていることを窺わせます。 この洋貴の思いは、今回ドラマ後半の響子(大竹しのぶサン)の衝動と繋がっている気がする。

 自分が落とした包丁を握りしめ、その形を見て、自分の殺意の形をそのままそこに見る、洋貴。 ちょっと自分のしようとしていることに自分でおののいているような感じに見えました。

 草間ファームにやってきた洋貴たちは、駿輔と合流します。 「文哉は?」 と訊く洋貴に、駿輔は大きく顔をこわばらせる。

 かたや駅のプラットホームでベンチに座る文哉は、いつぞやの因島のチラシを見て、因島に思いを馳せています。 その腕には、おそらく真岐ともみ合った際についたと思われる刺され傷。

 この傷が、真岐のつけたものであることはかなり確実だと思われるのですが、その状況というものがいかにして発生したのかは、この時点では分かりません。
 分かんないんですよ、つまり。
 分かんないのに、事態がどんどん推移していく。

 同じ夜、響子と和解した双葉が、晩ごはんを響子と一緒に食べています。
 双葉のケータイに、電話がかかってきます。
 その相手は、なんと文哉。
 響子は双葉がケータイにしゃべる話しぶりを聞いて、敏感に双葉の電話の相手を察知し、居ても立っても居られないというふうに、席から立ち上がってしまう。 そしてにわかに、顔を曇らせます。

 ここで文哉は 「人を殺した、双葉のせいだ」 ということを話したのですが、そのセリフはこの時点では、口パクで聞えません。 顔面から血の気の引く双葉。 公衆電話の受話器をガシャンと置く、文哉。 文哉の苛立ちが、そのキレかたが、かなり衝動を押さえきれぬ病的なものであることがこれで分かる。 文哉が双葉に電話をしたのも、その感覚的におかしい恨みが、見当違いに双葉に向かっていることの表れだと考えられます。

 双葉の電話が切れるとそこに今度は、響子のほうに耕平から電話が入る。
 響子がしゃべる 「病院」、というキーワードで、双葉は実際に兄がなにをしでかしたのかを、知ることになるのです。

 隆美(風吹ジュンサン)のもとには、駿輔から電話が入る。
 まだ事実関係は分からないが、もし文哉が再犯してしまった場合に備えて、灯里(福田麻由子チャン)を連れてすぐにそこから出る準備をして、と駿輔は隆美に指示します。 双葉とも連絡をとって、隆美に合流させるようにするから、と。
 のちの展開から考えて、ここで駿輔は、また押し寄せるであろう報道陣から家族を守ろうとしたんだ、ということが考えられます。

 そこを通りかかる洋貴と耕平。
 洋貴は駿輔の顔を、「また人の家族を不幸に陥れて。 またやっちまったじゃねーかよ」 という顔で睨みつけて通り過ぎていく。

 ここで洋貴も、「またか」 という思い込みに囚われているようです。 隆美への電話で 「まだ分からないけど」 と話していた駿輔でしたが、つまり駿輔は、事態を冷静に見極めようという判断力をまだ持っている。 けれどもそれに抗うことが出来ない、「またか」「おまえの息子がまたやったんだろう」 という、かつて自分が味わった世間の常軌を逸した反応に似た反応がまた始まるのかもしれないという、限りない不安を抱いていくのです。
 思い込みが真実を押し流してしまう危険性を、ここで読み取ることが出来る気がします。

 次のシーン。
 洋貴と耕平、そしてそれについてきた駿輔が見たのは、病院で五郎が真岐の容体について医師から説明を受けているところ。
 五郎は娘のパジャマとかシャンプーとか、見当違いの反応ばかり示して、自分の娘の危険な状態を受け入れることが出来ません。

 「娘さんには髪の毛を強く引っ張られた痕跡がある。 事件扱いするので警察に連絡しました」 と語る医師。
 娘のパジャマがなくて困ったと、気が動転し続けている五郎を見かねて、駿輔はその場を立ち去ります。
 「どこ行くんスか?」 とそれについていく洋貴。
 駿輔が逃げる、と思ったのでしょうか。

 いっぽう双葉の様子に事態を呑み込んだ響子、双葉にお風呂を勧めています。

 「亜季が死んだときも、お風呂に結局入らなくて、事件後そのままお風呂のことなんか忘れてしまって、体が臭くなって、あなたもそうだったでしょ?」 と話す響子。 双葉はコクリとうなづきます。

 妙な共感。

 そんなつまらないことで、被害者家族も加害者家族も、共通の経験を共有するのです。

 「ご飯とお風呂は、済ませられるうちに済ましたほうが、いいのよ」
 それが響子が習得した、特殊な体験の際の知恵なのです。

 でもその言葉は、やさしい言葉ではない。 双葉を心から思いやっている言葉ではない。
 どことなく厳しさが漂っている。

 それは響子の心のどこかに、さっき洋貴が示した反応のような、加害者家族を責めるようなニュアンスが、とても微量ではあるけれど含まれているからだと思うんですよ。
 そして微量だからこそ双葉は、いたたまれなくてそれを拒絶する気持ちに至らず、響子の勧めに従ってお風呂に入る。

 場面変わって、駿輔と洋貴は、ショッピングセンターのようなところでパジャマを見つくろっています。
 駿輔は、その場から逃げようとしたわけではなかったのです。

 真岐の子供のこととかを話しながら、その言葉の端々に棘がある、洋貴の言動。 駿輔の胸は、小さく傷ついていきます。
 そこで洋貴からもたらされたのが、「序」 で私が指摘した 「あいつはまたやる」、という洋貴の父親の言葉だったのですが、この感情に支配されながら、その後のドラマは展開していくことになる。

 自分が買ったパジャマなどを、直接五郎に渡すのを躊躇した駿輔は、洋貴と耕平にそれを手渡します。 そしてそれを五郎に持って行った洋貴と耕平は、そこでやっと初めましてのあいさつをする。 事件の混乱であいさつが遅れていたのです。

 真岐の娘、悠里チャンが駿輔と遊びたがる。
 その場から消え入りたいのに、という気持ちで、気まずさの頂点にいる駿輔。
 五郎はそのとき洋貴たちに対して、駿輔にもそれとなく聞えるような感じで、「まさか、…まさかオレが雇ったやつが…」 と話をする。

 それは五郎の認識の甘さを露呈する言動ではあるのですが、いっぽうで五郎のような、犯人擁護の立場をとる人全体の認識の甘さを暗に表現している気もする。 犯人が本当に改悛しているかなんて、誰にも分からないじゃないか、と。

 話は飛びますが、このあと、病院に、謝罪のため駆けつけた双葉を見て、五郎はいきなり駿輔に対して激高します。

 それまで押さえていたものが、駿輔にも娘がいるのか、と分かった瞬間爆発してしまった、という構造なのですが、つまり自分が被害者の立場に立たないと、本当に分からないものがあるんだ、ということです。 そして五郎が犯人擁護に動いている気持ちには、どこか性善説を信じているお人好しな部分がある、それは否定できない、ということです。
 これを五郎の認識の甘さ、と言い切ってしまうととても酷なのですが、彼の心情を考えると、そこには日本の司法制度、社会復帰制度を信用している側面もある。 だから五郎のような人たちを責めることはできない。

 話は戻ります。

 五郎と深見兄弟の初対面の場に医師が再び現れる。 医師は五郎に告げます。
 真岐の意識が回復することは非常に困難になった。
 つまり昏睡状態。 生きてはいるけど死んだも同然状態、ということです。

 五郎はトンチンカンな受け答えに終始するのですが、事態を飲み込んだ瞬間、慟哭してその場に座り込んでしまいます。 じいじの泣き声が、待合室に響く。 じいじを心配して駆け寄る、孫の悠里チャン。

 それを見て、洋貴は駿輔のほうを恐る恐る見てしまいます。
 駿輔に、同情しようと思う心。
 しかし洋貴はそれをふっ切るかのように、再び五郎のほうに向きなおるのです。

 真岐の意識がもう戻らなくなった、という事実は響子のもとにも電話されます。

 「またあいつがやってしまった。 もうやりきれない」 という感じで受話器を置き、顔を手で覆う響子。
 洗い髪がまだ乾いていない状態の双葉はその様子を見て、謝罪のために病院へ向かう決心をします。

 そして同じ電話は、隆美のもとにも届く。
 隆美は不安がる灯里に、自らの決心を告げるのです。

 「絶対邪魔させない。 灯里はどこにでもいる普通の15歳の女の子として生きるの。
 …誰が何を言おうと、母さん絶対守るからっ!」

 崩れ落ちそうな隆美を、灯里が後ろから抱き締めます。

 「大丈夫…大丈夫…」
 隆美は自分に言い聞かせるように、娘を気遣うのです。
 隆美にしても、文哉が前の事件を起こしたときの世間の反応に傷つき切っているから、 「守る」 ということが何よりも先に念頭に来てしまう。

 それは駿輔も同じ。

 事件のあった翌日。

 草間ファームに捜査員が実況検分にやってくる事態になるなかで、駿輔はひとり、病院前の駐車場で、前の事件のときの報道陣の殺到する様を思い起こしています。

 洋貴と耕平も、まんじりともせず朝を迎えたようです。
 そこに簡単な食事の差し入れを持ってくる五郎。

 駿輔の分もあるのですが、五郎にしてみればこんな些細なことでも、加害者家族に対して最大限の気配りをしている 「つもり」 なのです。 こういうことを負担に思う心がどこかにあるからこそ、さっき指摘したように爆発してしまうんだと思う。

 そこで真岐が眠っているICUに、事件性があるからと入れない五郎と、操作のためにすぐさま入れてしまう捜査員たちの対比が描かれます。

 それに対して食ってかかる洋貴。

 「どうして家族が入れなくて警察ならいいんだ」 という作り手の疑問が、ここで展開している気がする。

 司法がどうかとか、捜査がどうだとか法律がどうだとか、は分からない。

 けれども家族なんかより捜査のほうが大事なのか。 人間として、人として、それはどうなのか。

 作り手の目は、常にそこに向けられているような気がして、なりません。

 五郎の差し入れを駿輔の車へと持っていく洋貴。
 でも駿輔はそこにいません。
 不安がよぎる洋貴。

 同じころ、駿輔は幹線道路を、ふらふらとさまよい歩いています。
 道の真ん中に行こうとするかのような蛇行ぶりに、何台もの車からクラクションが鳴らされる。
 それはかつて自分が浴びた世間の非難のように、駿輔に襲いかかる。 立ち止まる駿輔。
 それを救ったのは洋貴でした。
 道のはじまでタックルされて倒れ込み、ようやく我に帰ったような顔の駿輔。
 やりきれない気持ちをなんとか表わそうと、身ぶりを加えて話そうとする駿輔。

 「…このまま、…このまま…!

 このまま生きてて、…!…償えるんでしょうか?…!…

 償いきれるんでしょうか?…!…

 …!じ!15年たっても!…

 15年たっても償いきれないのに…!…」

 膝を叩き、号泣する駿輔。

 洋貴は慰めるでもなく、五郎が買ってきた差し入れを駿輔の前に置きます。
 娘があんな目に遭っても、こうしてあなたのことを考えてくれる人がいる。 それを忘れちゃいけない、というふうに。

 洋貴はタックルの際に駿輔が落とした財布を拾います。
 そこには、駿輔の家族4人が写っている写真が入っている。

 笑い顔の駿輔。

 そして突っ伏したままの駿輔。

 洋貴はこのときに何を考えたのか。
 それはのちに、双葉との会話の中で、明らかにされた気がします。

 そして。

 耕平の妻由佳(村川絵梨サン)が深見の釣り船屋に向かうバスを降りています。
 ここからの展開が、実は少々不可解。
 偶然なのか、由佳に深見の釣り堀への道を尋ねてきたのは、文哉。

 どうして文哉は、わざわざ深見の釣り船屋までやってきたんでしょう。
 表向きそれは、双葉を迎えに来たということだったらしいのですが、状況が状況でしょ。
 洋貴とだって、響子とだって、ニアミスする可能性は、じゅうぶん考えられるし。

 私の考えでは、文哉にかなり、想像力が欠如していることのこれは表れなのではないか、ということです。

 行けばこうなる、という展開を想像する力にしてもそうなんですが、そもそも自分が悪いことを深見に対してしたと思ってないから、ふらふらと自分の妹を取り戻しに行こうとしてしまう。 家族の苦しみとか怒りに接してないから、別に深見と再会してもたいしたことない、と、考えすらもしない、というところでしょうか。

 客のフリを装って由佳と共に深見の釣り船屋にシレッとやってきた文哉。

 響子は気づかぬふりをしていったん奥に引き上げますが、引き上げてくるなりかなりの動悸を押さえきれない。

 悲しみと怒りが完全に同化した、まるで今にも心臓が止まってしまうかのようなこの演技。
 大竹サンの怒涛の演技が、ここからまた始まるのです。

 とはいえ、ここでいったんお断りしなければならないのですが、私はなにも大竹サンの演技がすごいからこのドラマを支持しているとか、リアリティがあるからこのドラマがすごいとか言ってるわけでは、一切ない、ということです。

 あまりに演者の演技がすごすぎると、見ている側の一部には必ず引いてしまう人がいらっしゃいます。 そして演技のすごさに気をとられて、ドラマの本質より先にその部分で、傍観者的立場に陥ってしまう。

 役者はあくまで、作り手の意志を表現する傀儡(操り人形)なのです。
 そして役者が傀儡以上の力を発揮するとき、ドラマはさらなる深遠性を持たせるきっかけをつかむ。 それを忘れてはならない。
 そういうことだと私は考えます。

 大竹サンの演技のその前に、先ほどちょっと話をした、双葉が病院にやってくるシーンがはさまれます。

 捜査員に連れられて、病院を出ようとする五郎、悠里チャン、駿輔、洋貴、耕平。
 悠里チャンが落としたものを拾ってあげる駿輔に五郎はお礼を言うなど気配りのあるところを見せるのですが、現れた双葉を見て、駿輔にも自分と同じように娘がいることを知った五郎は、突然豹変するのです。

 「あんたのー、…娘か。

 そうか。 娘か…(頭を下げる双葉)。

 …娘がいるのかぁ……?……!

 (駿輔に突進する五郎)返してくれっ!

 オレの娘返してくれっ!!
 娘返してくれ!!
 娘返してくれよ!!(駿輔をどつく五郎)

 娘返せ! 返せ! 返せっ!」

 捜査員になだめられ、車に乗り込んでいく五郎。

 先ほど書いたように、ここまでのことになってしまったのは、酷ですが五郎自身の認識の甘さにも責任の一端はあります。
 でも、それを誰が責められるでしょうか。
 責める人がいる。
 だから償いをする。
 その構図は、いかなる場合にも発生します。
 このドラマは、責める人たちを、否定もしていないし、償おうとする人たちも、さらに否定してない。
 このドラマが問いかけているものは、償おうとする人の心がどうあるべきなのか、ということなのではないでしょうか。

 「償おうとする人の心がどうあるべきなのか」。

 それは次のシーンで、さらに強く見る側に問いかけられることになります。

 釣り船の利用者名簿になにごともないにように名前を書き入れる文哉。
 雨宮建二。
 文哉の偽名です。
 洋貴にメールをしようとする響子。
 文哉が抱いていた由佳の赤ちゃんがお漏らししてしまい、由佳は赤ちゃんを抱いて奥に引っ込んでしまいます。
 ここでもまた不可解な点がひとつ。
 このあと繰り広げられる修羅場に、由佳が全く出てこないんですよ(笑)。 あんだけのことが展開してるのに。

 普通どおりに竿を探したりしていると、そこに刃物を見つけ、それとなく隠そうとする響子。
 それに気付く文哉。

 「文哉くん…」

 「はい…」
 覚悟を決めたような文哉。

 妹を迎えに来たと話す文哉。
 響子は昨日の事件について、真岐が昏睡状態であることを文哉に告げます。 とりあえず死んでなかった、ということで、文哉は安堵したのでしょうか?

 「かわいそうに…。 お子さんもいるみたいなのに…。

 無念だったと思うわ。 あなたもそう思わない?」

 「分かりません」

 この部分、文哉の想像力の欠如を如実に物語っている気がします。

 「どうして分からない?」
 再び問い直す響子。

 「分かりません」

 「分からなくないでしょ」
 声が上ずり始める響子。

 「わ…分かりません」
 分からないことが分からないことに動揺していく文哉。 その場から逃げようとします。
 追いかける響子。

 「分からないはずないでしょ、あなたがやったんだから…!
 あなたがやったんだから!」
 文哉を引き留める響子。

 「忘れました」

 たぶん文哉は、忘れたと思いたがっている。

 「忘れたんなら、思い出しなさいよ!」

 「無理です。 病気なんです。 そういう病気なんです。 病気って、自分じゃどうしようも出来ないから…」

 ここで文哉が陥ってしまっているのは、病理医学のカウンセリングで自分が根源的な部分で治りようもない病にかかっちゃってる、という思い込みを刷り込まれてしまっている、という落とし穴です。
 そんな文哉の、現実を直視しようとしない姿勢に、響子は思いのたけを込めた、強烈な張り手を、文哉の頬に見舞います。 かなりマジです。
 響子は息も荒く、文哉の手を引っ張り、無理やり自分のお腹に当てさせます。

 「ここよ!

 ここに亜季がいたの!

 アタシのお腹のなかに、亜季が10カ月いたの!」

 文哉をそのまま跪かせる響子。

 「そのあいだに、母親がなにを思うと思う?!

 ひとつだけよ!

 健康に生まれますように!
 健康に生まれますようにって、毎日毎日10ヵ月間、それだけを思うの!!

 亜季はね、女の子なのに生まれたとき3360グラムもあって、『大きくなるね、あなた大きくなるね』 って話しかけてたのっ!

 つかまり立ちできるようになって!台所の!家のね!台所の横の柱に背中付けて!背測って!並んだ傷見ながら、『あー今年はこんなにのびたね、ごはんいっぱい食べたからだね』 って、笑ってたのっ!

 小学校行って、最初は、大きいランドセルが、だんだん小さく見え始めて!『亜季はきっと中学になったら、お母さんの背超しちゃうんじゃない?』 って言ってたの!
 言ってた頃にね!あなたに殺されたのっ!!分かる?!」

 文哉の顔を憎しみで思い切りつかむ響子。 もがきそれを振り払う文哉。 再び逃げようとします。 追いかける響子。

 「分かる?! ああーーっ! あなたが殺したの!!」

 文哉を捕まえ、正面から文哉の顔を見ようとする響子。 文哉は目をそらしたままです。

 「あなたが亜季殺したの!!!

 私、あなたが中学生だったとしても、あなたが心失ったんだとしても、アタシはアンタ許さないっ!!」

 このとき文哉は完全に、常軌を逸してしまいます。

 「うわああーっ!あああーっ!ああーっ!」

 叫ぶ文哉。
 文哉は響子に襲いかかり、首を締め始める。

 書いてても少々きつい…。

 「うううーっ!うううーっ!」
 叫びながら響子の首を絞め続ける文哉。

 「殺しなさい!

 殺せるもんなら殺しなさいっ!

 アタシは死なないからっ!

 あなたが死ぬまで、絶対に死なないからあっ!!」

 泣き出してしまう文哉。
 激しい動きが、止まります。

 そして文哉は、自分が優位に立ついい方法が見つかった、というように、突然むっくりと身を起こして、虚空を見ながらぼそぼそしゃべり始める。

 「…亜季ちゃん、きれいだった…」

 呆然とする響子。

 まるで自分が凌辱されたような表情のまま、固まってしまいます。

 「三日月湖に浮かぶ亜季ちゃん、きれいだった…。

 …それだけはよく覚えているんです…」

 怒りに震える響子の唇。
 フザケンナッ!

 「だからオバサン、…そんな落ち込まないで」

 ここでの文哉の反応は、まるで被害者家族の気持ちを逆なでにした、過去に実際にあった事件をなぞるかのようです。
 犯人への憎しみが沸点を超えてしまうこの心なさ。
 衝動的に、響子はそばにあった木製の椅子を文哉の頭部に振り下ろす。

 鈍い音。

 倒れる文哉。

 「亜季…。 亜季…。

 あああ…」

 うめくような響子の声が、いつまでも耳から離れません。

 この場面、私は涙を流しながらは見ていたんですが、途中からその涙さえも止まってしまうような気持ちの悪さを感じました。 気分が悪い。

 この場面を見てなお、このドラマがいい加減であるとか考える人を、私はあまり信用できない気がいたします。
 つまりここまで気分の悪くなるものを見せなければ、本当に被害者だの加害者だの、殺人事件はどうだの、司法制度がどうだの、なにが悪いだのかにが悪いだの、言う資格なんかないのだ、と。
 それを言う資格を得たいのなら、ちゃんとこのドラマにも目をそらさず向き合うべきだし、全部知ったうえで話をしなければならない。

 まあ私も見ると決めた以上付き合わねばならないのですが。 正直レビューを続けるのもしんどいです。 仕事がなきゃもっとのめり込んで書くのですが(って、もうじゅうぶんのめり込んでますからっ)。

 五郎に罵倒されたあと 「家に戻って」 と駿輔から言い渡された双葉は、洋貴の軽トラに乗っています。
 双葉は兄から 「おまえのせいだ」 と言われて、自分の責任を深く感じている。

 「深見さん、この前言ってたじゃないですか。
 『いつか、心の底からやったー!ってなれる日が、来るんじゃないか』 って。

 なかなか来ないですね。

 来る感じないですね。

 …死にたい…」

 洋貴はしばらく考え、車を急停車させます。

 「別に。

 …別に死ぬのは結構ですけど。

 …

 遠山さんが死んだら、…オレも死ぬと思います」

 「え…。
 なに言ってるんですか。
 私と深見さんは、加害者と…」

 「そんなのもうどうでもいいだろっ!!」

 いきなりキレる洋貴。

 「死ぬとか言うなよっ!!」

 ありったけの思いで双葉を怒鳴りつけるのです。

 「アンタにそんなこと言われたら…オレは…。

 …オレは…」

 ハンドルにもたれかかってしまう洋貴。

 「出来るもんなら、何もかも忘れて。
 出来るもんなら、何もかも投げ出して。

 どこかずっと遠くの。

 誰も知らない。

 僕らのことも、誰も知らないところに、…行きたい…。

 …ふたりだけで…」

 このシーンを単なる告白の場面ととってしまうと、とても感想が浅くなってしまう気がします。
 「双葉が死んだら自分も死ぬ」 というのは、「自分の存在まで無になってしまう」 ということだと思うし、「ふたりでどこかに行ってしまいたい」 というのも、自分たちの存在が許される場所を渇望している表れだと思う。

 そして洋貴は、駿輔が自殺にも等しい行為をしていたのを止めたときも、「死ぬなよ!」 と思った気がするのです。
 笑っていた、写真のなかの駿輔。
 その笑顔が本当のときになるまで、あきらめちゃいけないんだ、と。
 私にはそう感じられるのです。
 洋貴の告白で、今回はエンドマークです。

 ああグッタリだ。

 なんか次回以降、どんだけになるのかと思うと、ますます書く気がしなくなる。

 最後までこの出来の悪いレビューを読んで下さったかたには感謝申し上げます。 「序」 も含めて全部で、10時間近くかかったかな?書きあげるのに。
 もうやんなった。
 ここまで書いといてナンですが、書く気がしなくなりました。
 重すぎます。
 きっと自己満でしょう。
 下らない自己満足に付き合って下さって、ありがとうございました。

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コメント

はじめまして。『それでも〜』が取り上げられてから毎回読ませていただいておりました。
これまでこの稀有で秀逸なドラマを、深く感じとり丁寧にレビューをおこしてくださった事に感謝しています。
毎週ドラマを観る度に入り込んで辛くなり、あれこれ思いに耽るのですが…この ドラマに心が揺さぶられると誰かと共有したくなる、一人では抱えられない、そんな気持ちになりレビューを手掛けていらっしゃる沢山の方の文章を読みました。
そんな中リウさんの言葉に出会い、共感し、ドラマから受けたいくつもの衝撃や感動をもう一度咀嚼して飲み込むことができる唯一の場所になりました。リウさんのレビューは…素敵です。
もう無理だ、とのこと。
そのお気持ちわかります。
悲しくつらい気持ちがどんどん膨らんで、しのぶお母さんのギリギリの血の噴き出るような慟哭に動けなくなった後のラストシーン、そんなのもうどうでもいいだろ!?死ぬとか言うなよ!!と洋貴が叫ぶ、あの叫びに私の中の何かもプチンと弾けて号泣してしまって。リウさんに縋りつきたい気持ちで(ごめんなさい(笑))今回のレビューを待っていました(^-^;

もう無理だと思われても無理もないと…。
ただリウさんに頼り切っていたので、とても…寂しいです。だけど本当にリウさんのレビューが好きでした。一言御礼をと思ったのですが、とんでもない長文になってしまった事をお詫びします。ありがとうございました。(^-^)

投稿: ちゃも | 2011年8月28日 (日) 14時57分

ちゃも様
こちらこそはじめまして。 コメント下さり、ありがとうございます。

まずはこの拙文をおほめいただき、重ねてお礼申し上げます。 やっぱり駄文です。 いま読み返してみて、分かりにくいったらありゃしない(笑)。 ちゃも様をはじめこの文章を読んでくださったかたには申し訳ないのですが、また大幅に添削しなければならないと感じております。 10時間もかけて何をやっとったんだという徒労感が、ドラマを見たショックと相俟っている状態です(ここまでドラマに気分を左右されるとは我ながら情けない…笑)。

特にこのレビューの最後の部分。

ここまで書いといて何を無責任な、という感じでありますネ。

もうやんなった、なんて。

偽らざる気持ちを書いたつもりで、「あ、そう?じゃやめれば?」 と言われりゃ返す言葉もないいい加減さに、またまた自己嫌悪に陥っております。

いまだ、次回のレビューを書こうか書くまいか、思案中でありますが、たぶん書くような気もいたします(どこまでもいい加減でゴメンナサイ)。

なぜならここまで首を突っ込んでしまった以上、やっぱり自己満を貫きたいから。

もしレビューをアップしたら、「こいつチョーいい加減」 と嗤いながら、下らぬ自己満足にお付き合いいただけたら、この上ない幸甚であります。 もしなかったら…いや、ちゃも様にここまで書いてしまった以上、後戻りできぬ…coldsweats01

自分でもやんなりますネ、自分のいい加減さに。

投稿: リウ | 2011年8月29日 (月) 10時59分

本当ですかっ?!

嬉しいです!とてもとても嬉しいです(≧∀≦)

初コメでいきなり、やめないでくださいとはずうずうしくて言えなかったのです(〃▽〃)

お待ちしております!

リウさんのレビューがとても好きです。
優しいお心が読みとられて毎回私の心もリウさんの言葉と共に癒されていきます。

どうか続けてください。お願いします( ´艸`)

投稿: ちゃも | 2011年8月29日 (月) 12時02分

お疲れ様でした。

しかし、これだけ見た後に、余韻含めていろいろなものが重く乗っかってくるドラマは珍しいですね。

役者の演技力、映像、音楽、脚本、とにかく全部すごい。

大竹しのぶの演技、迫真でしたね

投稿: ima♂ | 2011年8月29日 (月) 12時33分

ちゃも様
再レス下さり、ありがとうございます。 返信にも書いたとおり、ちょっとどうしようもなかった今回のレビューを、書きなおさせていただきました。 だいぶ読みやすくなったかな~。

どうもひとり相撲をとっているようで甚だ恥ずかしいのですが、ちゃも様のようなかたがいらっしゃると思いながら、最後まで投げ出さずにやっていこうかな、と思います。 かなりしんどいですが。 人間、楽なほうがいいですからねーcoldsweats01

投稿: リウ | 2011年8月29日 (月) 14時13分

ima♂様
コメント下さり、ありがとうございます。

ひとりひとりが考える、ということをかなり強烈に強要してくるドラマだと思います。

おかげでレビューもヘトヘトです。

これが 「流れ星」 のような恋愛ドラマなら、レビューも書いてて楽しいんでしょうが…。

投稿: リウ | 2011年8月29日 (月) 14時16分

リウさまのレヴューは一人相撲などではないです。一人で観ているわたしはこちらをお訪ねするたびに一緒に感想を述べ合う相方がいるような気分になっています。

加害者にも人権が、などという甘っちょろい世論には真っ向から反対しますが、子どもが犯罪を犯して刑務所に入り出所したときは、家の扉を開けて招きいれ、お風呂と温かいご飯を食べさせるのが親の務めとも思います。登場人物の誰かにとくべつに感情移入できないまま、そういう矛盾した思いを抱きながら毎週興味深く観ているドラマです。

リウさまや、こちらにコメントをお寄せの皆さんはどんなふうにお感じなのだろうかと考えながら観ています。

投稿: 薫子 | 2011年8月29日 (月) 14時44分

「序」「続」UP有り難うございました。
さすがのリウさまも、このドラマにはグッタリですね。

毎回、重たい中身ですが、今回は「凄まじさ」を感じました。大竹さんによる力が大きいと改めて思いましたね。
確かに役者さんは作家の傀儡であるべきだと思いますが、作品の出来の善し悪しを決める要素にもなっていると思います。
(大竹さん以外の人が、この役をやっていたらどんな雰囲気になっていたのかなあ?)

大竹さんは演技を超越して、現実を見せている気がします。殺人現場をそこで再現しているような恐ろしさを感じるのではないでしょうか?
テーマだけでなく、このドラマに引き込まれてしまうひとつの要因ではないでしょうか。
(役者の演技を観たくてドラマを視聴している人たちは少なからずいますし、そうしてドラマの内容を伝えていくというアプローチも邪道かもしれませんがあり得ますよね)

三崎文哉の実母との別れ?がどんなものだったかが、鍵になっているような気もしていますが、回を追うごとに内容の濃さはどんどん重みをましていき、最後の終着点はどこへいきつくのでしょうか?

こんな、あんな、どんな状態にあっても生きていく・・・という大きなテーマだと思うのですが、なんとなく暗いまま終わりそうな予感もしています。

*ちゃも様
リウさまは、時々、弱音?(本心?)を見せることがおありですが、コメントが寄せられる限り、UPされるはずですよ〜。
あの「大聖堂」も全部、UPされてますからね〜。
このドラマは中身が重たいので、なかなかコメントしにくいですけれど、皆様、がんばりましょうね。

投稿: rabi | 2011年8月29日 (月) 15時06分

薫子様
お久しぶりです。 コメント下さり、ありがとうございます。

温かいコメントを下さり、とても励みになります。 「ひとり相撲」 と申したのは、書くか書かぬか勝手に迷ってることを恥じたのでありまして…coldsweats01

遠山(三崎)家ではどうだったんでしょうね、文哉が出所したとき。
おそらく文哉のほうが拒絶したんではないかと思うのですが。

私は家族の情愛ってある、と信じているほうですが、家族は他人の始まり、ということにもなんとなく共感できます。
だからいくら家族でも一定の距離を置きたがるこのドラマの人たちにも、「なんとなく共感」 できる。

望むと望まぬとに関わらず、家族というものはそれぞれが支え合って生きています。 そのうちの誰かが 「死にたい」 なんて考えたら、すべてのバランスが崩れていく。

なんとなく、ですけど、そんな家族のありかたも、このドラマでは見せてもらっている気はするのです。

投稿: リウ | 2011年8月30日 (火) 07時06分

rabi様
コメント下さり、ありがとうございます。

見透かされとる…coldsweats01

しかし結構、覚悟を決めてこの記事の最後の部分は書いたんですよ(キリッ)。 も~やだ、も~やーめたって。

ちょっと別記事の返信にも書いたんですが、このドラマのレビューをアップすると、きまってエロサイトとかのトラックバックが大量にくっつこうとするんですよ。 サイバー攻撃だと私は思っています。 ネガティヴコメントに対してもそうなのですが、私はこーゆーのには、からきし弱い。 言論弾圧の輩には限りない嫌悪を感じますが、「そこまでして書かなきゃならんか?しかも毎回ヘトヘトだし」 と、今回ばかりはさすがに思いました。

つくづく戦時中に 「非国民」 のそしりを受けながら戦争反対を貫いた人々に、限りない羨望を感じる今日この頃です。 人は基本的に、腰抜けだ。 長いものに巻かれろ、だ。

「傀儡」 と書いたのは、ちょっと表現がキツすぎましたね。 つまりあまり演技が上手だと、作り手の意図を逸脱してさらに演技に熱がこもってしまう演技者に対しての警告、みたいな感覚だったのですが、まあそんなにオーゲサなもんじゃないか。 大竹サンのことを指しているわけではありません、念のため。 ほとんどの演者たちは、基礎的な 「傀儡」 の状態を脱することで、ドラマをドラマたらしめていく、というのが、私の意図するところです。

そんな 「演じすぎる」 ギリギリのところで人の心を根こそぎ揺さぶり続ける大竹サンの演技に対して、そりゃ好ききらいはありますが、批判的にとらえる人たちに向けて、「大竹サンの演技がすごいから私はこのドラマを支持するんじゃない、リアリティを金科玉条ととらえてるわけでも毛頭ない」、と宣言したかったのです。 少なくとも大竹サンは、最大多数の人たちに向けて、被害者家族の心情を、吐き気がするような修羅や地獄を、表現し尽くしている。

実際、吐き気がするようなことですよ、殺人事件の被害者家族、加害者家族になることって。

その感覚を味わないで(ん?日本語おかしい?…笑)、知ったようなことなんか言えるはずがない。

そんなことが言いたくて仕方なくなってくる。

…どうも仮想敵に向けてレビューを書いてしまう癖が、私にはあるようです。 ヤフーのテレビ感想欄の読み過ぎだ…。

ほかのかたの返信にも書いたのですが、私もやはりrabi様と同じように、このドラマの結末は、けっしてスッキリしたものにはならないだろうと感じています。 あと3回くらいなのかな? ゴーモンのようなレビューになりそうですが、私もrabi様はじめ皆さんのコメに支えられながら、「それでも、書いてゆく」、のかなぁ(まだ迷っとる…)think

投稿: リウ | 2011年8月30日 (火) 07時34分

>このドラマのレビューをアップすると、きまってエロサイトとかのトラックバックが大量にくっつこうとする

どうしてなんでしょうね。他の番組のコメントにはくっつかないんですよね。こういうのを防ぐ方法って、いろいろあるのでしょうけれど、私はからきしなので・・・
こういうトラックバックがついちゃうと、書くのも面倒になっちゃいますよね。

「傀儡」という言葉に私も過敏に反応しすぎちゃったかも?ごめんなさい。リウさまの言わんとしているところは解ってるつもりなので、あまり深刻にとらえないで下さいね。

>「それでも、書いてゆく」、のかなぁ(まだ迷っとる…)

コメントをupできない多くの読者の方たちのためにも、迷わないで、是非是非最後まで〜、よろしくお・ね・が・い申し上げまするぅ。(笑)

と、いつも読ませていただくだけのrabiでした。(書き上げるのはほんと大変ですよね。特にこういうメンタルな部分に響いてくる番組だと・・)


投稿: rabi | 2011年8月30日 (火) 15時20分

こんにちは。
「それでも、生きてゆく」を1話から見なかったことがますます悔やまれます。伏線や、ちょっとした小道具が暗示するダブルミーニングを読み解きながら、物語を堪能したかったです。
それにしても響子と文哉の場面は凄まじくて、大竹さんは役が憑依しているみたいでした。こんな場面を演じ終えた後は、大竹さんも放心状態になって、夢から覚めたような気分になるのでしょうか?現実ではなくて「芝居」でよかったと、ホッとするとか。

8話までの流れの中で、「犯罪報道」というテーマに焦点が当てられていたのか、気になりました。
2004年に起きた「奈良小一女児殺害事件」だったと記憶していますが、犯人が被害者の携帯電話を使って、被害者の家族にメールを送ったことが報道されていました。この犯人の行動から、「犯人は強い恨みを持っている」と、犯罪心理学者らしき人が自身の見解を昼のワイドショーで述べていました。ワイドショーは職場の食堂にあるテレビから流れていたのですが、同僚の何人かはその犯罪心理学者の意見になんとなく納得したような感じでした。私は、犯人が捕まらないうちに怨恨だと決めつけられた被害者の家族が気の毒に思えました。犯人は検挙され、「恨み」ではない事実が明らかになりましたが。

昔、シンガーソングライターの来生たかおさんが雑誌の対談で次のようなことを語っていました。「殺人者は普通に生きる僕達の代わりに、そのような行為を犯してくれているのかもしれない。だから、僕は殺人事件の記事をスクラップしている」
これだけを抜粋すると、来生さんがちょっと変わった人のように誤解されてしまうかな。雑誌名は忘れたけれど、しごく真面目な内容の対談でした。

ところで小田和正が監督・脚本を手掛けた「いつか どこかで」という映画で、時任三郎が主演を務めていますね。時任さんは、小田さん自身が投影された建築家を演じていています。映画のビデオを持っていても、デッキが壊れていて観れません。

投稿: レイ | 2011年8月30日 (火) 16時17分

リウさま(皆様にならって私も神妙に(笑))
本当に大変なこととお察しします。
次回放送分を観て、もしも書きたくなったら…upしてくださいね。心のままに、書きたいと思うことをリウさまの主観で書いていってほしいと思います。
期待しています(〃▽〃)
そしてrabi様
こっそり心強い後押しをありがとうございます(笑)
リウさまの文章に惹かれてこちらにいらっしゃる皆様はさすがにお心の細やかな方ばかりですね。
あんなに気持ちを切り裂かれるドラマは初めてで…もう観るのが辛いとさえ(泣)
次回upしていただけたらまたお邪魔するかもです。泣きながら走ってくるかもしれませんが(笑)

投稿: ちゃも | 2011年8月30日 (火) 22時03分

rabi様
再コメント下さり、ありがとうございます。

最初は 「フジテレビボイコット運動」 の一環なのかな、と思ったのですが、「全開ガール」 のレビューにはこういう現象が起きないので、たぶんこのドラマに批判的なかたの仕業なのでは、と感じています。

おそらくそんなかたがたは、こういうシリアスなものをドラマ 「なんか」 で取り扱うべきではない、という考えがあるのだと思います。 しかもどうしたって瑛太クンと満島チャンの被害者家族と加害者家族との愛、などという下らん見方もされるわけで。 こんなデリケートな問題を、単なる1ケースとして見せてしまうドラマ、というもののあり方自体を、問題視しているように思えます。 テレビドラマという表現手法を軽視している傾向も感じられます。

「リアリティがすごいとか大竹サンの演技に打ちのめされたとか、はたから聞いてりゃ、だからこのドラマを支持するって何だよ?」って、そんなかたがたは思うのかもしれない。

事件の問題提起よりそちらが優先されてしまうことに危惧を抱いてしまう、という心情になるのだと感じるのです。

エロトラの(略すなっ)攻撃はほとんどスパム処理されますが、間隙を縫って堂々承認されてしまうものもあるので、それらを駆逐するのに神経使いっぱなしの橋本であります。

投稿: リウ | 2011年8月31日 (水) 07時09分

レイ様
コメント下さり、ありがとうございます。

私はVHSビデオデッキ、2年くらい前に壊れたので新しいのを買ったのですが、もうそのときにはこのデッキが地デジ対応でないことでものすごく安かった(確か1万切ってた)。

「これは将来自分が今までため込んだアーカイヴを見るのだけに使おう」、というだけの目的として買って、アーカイヴをDVDにダビング完了したら、もうまったく使ってません(爆)。 でも新品同様のデッキがある、ということは、内心心強いです(使ってなきゃやっぱりガタが来るかな?)。

殺人者の心理、というものを考え出すと、そりゃさまざまなケースがあるかと思いますが、異常な犯行性格には、やはり異常な犯行動機というものが潜んでいる気がいたします。 この点を的確に考察しようとするとまさしく、そのひとつひとつのケースを丹念に全部調べあげなければ、滅多な診断など下せないのです。

だから残忍で不可解な殺人事件がひとたび起こると、いろんな人がテレビであーだこーだ言ったりしますが、「よく知りもしないでよくゆーよ」 と、自分の場合確か三浦和義サンのロス疑惑の時代から(いつだよ)テレビに突っ込んでいた気がします。 自分はそのころからすでに、「目の前で起こる事実と、そこに含まれる真実は違う」、と考えるこまっしゃくれたガキであったことは確実であります(爆)。

いずれにしても殺人者に共通しているのは、理性がブッ飛んで想像力、なんて考える余裕すらないこと。 憎しみとかフェチとか、全部それが理性に勝っちゃうんですね。

投稿: リウ | 2011年8月31日 (水) 07時36分

ちゃも様
再びレス下さり、ありがとうございます。

このブログはコメントを投稿するとすぐさま世間に出てしまうシステムなので、皆さんだいぶ躊躇なさるかたも多いのではないか、と思います。

ただそのせいか、皆さんとても細やかな心配りでコメントをお寄せくださるので、こちらとしてもそれに全力で返信しよう、という心構えではおります。 できるだけ同じくらいの長さで返信しよう、とか。

いー加減で口の軽い私ではありますが、いつも悪気 「だけ」 はホントにないので(爆)、ご興味の続く限りお付き合いくださったらな、と思っております。

投稿: リウ | 2011年8月31日 (水) 07時50分

再び失礼します。久しぶりにVHSビデオデッキを作動してみたら、ちゃんと観られました。テープが原因だったのかな。
「ロス疑惑」が騒がれていた頃、うちはソニーのベータ方式の録画機器を使っていました。そのベータ方式より普及したVHSビデオも、今ではDVDなどに移行してしまいましたね。
三浦サンは『サンジャポファミリー』の一員になった時、「花見の季節になると、府中刑務所では桜餅を食べます」と、刑務所前でリポートしていました。刑務所は風流なことをするんだなと妙に感心しましたが、情操教育の一環なのかもしれませんね。

投稿: レイ | 2011年8月31日 (水) 16時55分

レイ様
再レス下さり、ありがとうございます。

ベータを使っていらっしゃったかたは、品質のいいものが分かっていらっしゃる。 そんな認識を私は持っているのですが、世の中は必ずしも、品質がいちばんいい、というものが、残っていかない。 汎用仕様になるには、品質が必ずしも重要ではない、というのは、なんか世情に通じるものを感じますネ。

三浦サンは結局、よく分からない亡くなりかたをされましたが、「ロス疑惑」 というのは、私にとってマスコミとか世間の評価とかに疑念を抱く、とても大きなエポックだったと感じています。 ア、ビデオデッキの話とリンクした(笑)。 当てにならないものって、多いんだなー。

投稿: リウ | 2011年9月 1日 (木) 06時56分

出遅れました。happy02
第8回の最後の格闘シーンはドラマ史に残りますね。
頭がしびれるほど緊張感をもって見、
最後に椅子で殴り倒したところで「やってやったっ!!」と爽快感まで覚えました。(恥)

文哉の「分かりません」は、本当に脳に回路が無いのですよ
実母との関係がきっかけだと思うのですが…

15年かけても償えない時任さんの絶望も
今まで兄を信じていた双葉ちゃんの失望も
風吹さんと娘の不安も…。
ホントに、加害者家族って救われません。

通常は被害者家族と加害者家族がこんなに交流をもつことは無いでしょうから
それだけに、加害者家族の苦悩(しかも再犯で、自分の経験したことのリフレイン)を身近で見てしまった洋貴はキツいでしょうね…

投稿: マイティ | 2011年9月 5日 (月) 12時08分

マイティ様
コメント下さり、ありがとうございます。 なんかお久しぶりです。 お元気ですかぁ~?(井上陽水のノリ…笑)。

「アイシテル」 の再放送を何回か見たのですが、やはりこのドラマと比べるとセンセーショナル第一、という感は否めない。 「もしこうなったら自分ならどうするか」、という想像力は働かされてはいるのですが、それをドラマという一作品にまで、咀嚼できていない気がしました。
少年犯罪、という題材を取り扱う以上、生半可な気持ちでは出来ない、ということをつくづく感じます。

響子が文哉の頭を椅子で殴打した瞬間に感じるカタルシス、というものは、誰でも持っている気はするんですよ。

憎しみは暴力の衝動を生む。

私もムシャクシャすると壁をけっぽったり乱暴な運転をしたりしますが(過激…)、やっぱりそのあとに来るのは自己嫌悪。 自分に蹴られて、壁も痛かっただろうとか(なんじゃソリャ)。 マイティサンが恥を感じるのも、とても健全な反応だと思います。

反省を感じるもなにも、その思考回路が欠落している…。

そんな反省しないサル以下の人間に、救いってあるんでしょうかね…。

投稿: リウ | 2011年9月 5日 (月) 14時18分

もうこのドラマについてネチネチ語るのはお疲れでしょうが
私もハマってしまっていて、最低2回ずつ見ちゃうんですよぉ


>反省を感じるもなにも、その思考回路が欠落している…。

子供を亡くした母の悲しみっていうのは、母になってみなければわかりませんわな。
でも、現実に目の前で大竹しのぶが泣いてるじゃないですかねえ。
そして、自分の家族が転々と引っ越さなければならなかったり、仕事を辞めなくちゃならない現実を知っていたら
回路が無くて「申し訳ない」と感じられないまでも
「自分がこの人たちに迷惑をかけてるんだな」と理解しなければ。ねえ。
なんだろうなあ、究極のところ、甘えたいんでしょうかね?


「アイシテル」のほうは、あくまでも「母親たち」(稲森、板谷、田中美佐子)が主人公なんで、視点が違う気もします。
被害者家族の前で土下座するようなシーンもありましたが
「それ生き」を見ちゃうと、かなり軽く感じてしまいますね。
どっちにしても被害者がパパラッチに悩まされるのは疑問です。
卒業アルバムの写真とかニュースに出されたくないから(爆)ヘタに死ねません!

投稿: マイティ | 2011年9月 7日 (水) 00時37分

マイティ様
再コメント下さり、ありがとうございます。

ゲェ~…こんな重いドラマ、2回も見てるんですか…(ゲンナリ)…って自分もレビューのために、2回以上見てるって! やんなるはずだ…(爆)。

いやー、でも文哉の場合、ここまで被害者家族が感情を露わにするのを見たのは、はじめてだったんじゃないでしょうかねー。 これって 「理性的な」 日本の裁判ではけっして展開しないお話ですからね。 裁判でも被害者家族が心境を述べることがありますけど、少年犯罪の場合はそれってあるのかなー。 ましてやここまで感情的に恨みつらみをぶつけてくる、なんてことは、裁判じゃ絶対ないでしょうし。

だからそんな被害者家族の激情に触れて、文哉もようやく 「物事の理解」 の第一歩を踏み出すんじゃないのかな、なんて思うのです。

それが、裁判から収監、出所後まで厳重に少年を保護することで、犯人がそれを感じる機会を、日本の司法制度は奪っているんじゃないか、という側面もある気がします。

「アイシテル」 はなんか、「こうなったら自分だったらどうするか」 という課題の作文を見ているような感覚でした。 山本太郎サンみたいに自分本位になっちゃうだろうとかいうのも、なんかもうひとひねり、感情のねじれが欲しかったり。 まあ殺しちゃった人が年端もいかない男の子、という要因もありますが。

「それ生き」 って略すなっ(爆)…はいいといたしまして(笑)、「それ生き」 のほうはやはり、こうしたデリケートな問題を取り扱うにはここまで考え抜かないと…という製作者の姿勢が、すごく見えるんですよ。 「アイシテル」 をあとで見ちゃったのは失敗でした。

投稿: リウ | 2011年9月 7日 (水) 07時44分

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