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2011年9月10日 (土)

「それでも、生きてゆく」 第10回 届く思い、届かぬ願い

 はじめに
 この回の途中、ゴミ箱に捨てられた写真週刊誌の表紙に、「JAP18」 と書かれた記事名があったらしい。 18というのは一説によると、韓国語で侮蔑を意味する言葉に通ずるらしいのですが、これに対する私の見解を書きます。

 こういうものを探すほうも探すほうだが、入れるほうも入れるほうだ。 なぜわざわざJAPなどと、誤解を生みやすい文句を画面のほぼ誰も気づかぬ部分にしのばせるのか。
 このことでこのドラマに対する私の評価は微塵も変わらないが、残念だというほかはありません。

 気を取り直して。

 冒頭。

 釣り船屋のトイレに入っていく洋貴(瑛太クン)。
 ふと何かに気付いたように、横の窓を開けます。
 朝の光。
 スズメがチュンチュン泣いている。

 このなんてことないシーンが今回後半、大きな意味を持ちかけてくることになるのですが、結局やはりなんてことがなかった、という展開を示していく。

 ここで大きな徒労感を、見る側は感じることになるのですが、実はその徒労感こそが、ドラマの力を過信したり錯覚している受け手の姿勢の表れとなっている気が、どうしても私にはする。
 作り手は私たちが物語にのめり込んでいるよりずっと、冷徹な目でこのドラマを見ていると思われるのです。

 実際のところ、人を諭そうしても、スーッと受け入れられる場合もあれば、なかなか理解がなされない場合があります。
 ましてや文哉(風間俊介クン)のように通り一遍の 「ゴメンナサイ」 を口にされても、本人は言やあいいもんだと思ってたり、まったく届かない場合がある。
 洋貴の渾身の説得が意味をなさなかったのも、人の痛みを分かるのなんて、そんなに簡単なことじゃないんだよ、という作り手の声が聞こえてくる気がして、ならないのです。
 だからこそ予定調和に安易におもねらない作り手の真摯な姿勢、というものを感じることも確かなのですが。

 バラバラになってしまった遠山(三崎)家。

 洋貴は駿輔(時任三郎サン)の越した先に来ています。 そこは前以上に手狭な、粗末な家のようです。 暑さを紛らわそうとしても、扇風機さえもなく、ただ窓を開けるだけ。

 互いの情報から、文哉が因島に向かったのではないか、そして双葉(満島ひかりチャン)がそれを追いかけているのではないか、と洋貴は推測します。
 新幹線に乗る洋貴。
 新幹線なんて彼にしては奮発しているように見えるけれども服装は、いつもの変なライフジャケットみたいな格好。
 洋貴はブレない(笑)。

 いっぽうレンタカーを因島ゆき?フェリーの船着き場に停める双葉。 そのヘタクソな停め方から、彼女がペーパードライバーであると同時に、心ここにあらず、の心情も表わしているように見える(こういうつまらん解説をするからレビューが長くなるんだろうなぁ…)。 双葉はあらためて、洋貴の軽ワンボックスから持ち出した刃物を手にとります。

 そして。
 文哉との揉み合いからだいぶたつだろうというのに、そのショックからまだ抜け出せず呆然としたようなままの響子(大竹しのぶサン)。 耕平(田中圭サン)が釣り船屋を訪ねてきています。
 耕平は自分が上っ面の励まししか母親にしてこなかったことに対する後悔を、母親に打ち明ける。

 「…俺さ。

 母さんに頑張れって言いすぎたかな?」

 「うん?」

 「…高校とか大学のころさ、みんなとカラオケ行くでしょ」

 「うん」

 「歌詞に出てくんだよね。 『希望』 とか 『光』 とか。
 まあ俺も歌うんだけどさ。
 歌ってながら、俺、
 …『で何?』 って思ってた。

 …『希望』 って何?
 …『光』 って何?って」

 「うん」

 「でもそんなんで俺。
 …そんなノリのまんまで俺…。

 母さんに頑張ろうよって言ってた」

 ここで 「うん」 しか言わなかった大竹サンは 「でも励ましてくれた」 と耕平を慰めます。 でも耕平はその慰めを素直に受け入れられない。

 「カラオケで歌う希望しか知らねえ奴に励ます資格ないでしょ」

 「…そんなこと。

 誰にも分からないのよ」

 ここで響子が言った 「そんなこと」 とは何なのでしょう。
 私は複数の意味が含まれているセリフのように感じました。

 額面通りに受け取れば、「希望や光の本当の意味を知ってる人なんて、誰もいない」 というように理解できます。 その後の耕平が 「兄ちゃんは知ってるのかな」 という話をしていたことから、そう推測される。

 でも、「励ます資格があるかどうか、誰にもそんなことの判断なんかつかない」、という意味にも取れる。

 そうなったことのない人に、なにが分かるっていうのか。
 知ったようなことを、誰が言う資格があるのか。

 続くシーンで、響子が視線を落とした写真週刊誌(冒頭でお話したものです)に、隆美(風吹ジュンサン)が険しい表情で何かを叫び、その後ろで、無表情の灯里(福田麻由子チャン)が歩いている場面を撮った写真が写っている。 ふたりの目の部分には黒い線が引っ張られています。

 この写真の印象だけで考えてしまうと、加害者家族がメーワクそーに取材を妨害しようとしている、そして犯人の母親には娘までいるっていうのにそいつはふてぶてしい。

 つまり真実が写っているとばかり考えられる写真、という媒体が、実は我々のような傍観者たちの恣意的な悪感情を培養する手助けをしている、という側面を、この一瞬は表しているのです。
 そしていっぽうで事件の隠蔽されている部分が、すでに世間に漏れ始めていることを、この一瞬は教えてくれる。 世の中は、三日月湖の犯人と今回の傷害事件を、結び付け始めているのです。

 因島に着いた双葉。
 雨模様の天気のなか、海に面した公衆電話ボックスに入り、電話帳を見て、しらみつぶしに文哉の行方を探そうとしている。 洋貴からの伝言メッセージも拒絶したまま。

 駿輔はというと、草間五郎(小野武彦サン)の農場に正装で、謝りに来ている。
 怒りを含んだように、駿輔の前をただ通り過ぎていく、五郎の軽トラ。
 自宅に戻ってきた五郎は昏睡状態のままの娘、真岐(佐藤江梨子チャン)の延命治療拒否についての同意書をクシャクシャにしてゴミ箱に投げ棄てる。 土地を売却してでも、真岐を延命させる莫大な費用を払おう、と決意したのでしょうか。

 ああ~この時点でまだドラマ開始から11分20秒。 読んでくださっているかたも、長期戦を覚悟して下さいまし。

 そしてここもまた、粗末なアパートに越してきた、隆美と灯里。
 灯里の態度が、やけに素っ気ない。
 彼女は響子がさっき視線を落としていた同じ写真週刊誌を、買ってきていたのです。

 「加害者家族は謝罪もなしにすでに夜逃げ済み」。 記事の文言です。

 灯里にとって、加害者家族として生きることは生まれたときからの定めだったと思われますが、これまで実際灯里の身に降りかかってくるのは、響子の密告による、居住先を転々とせざるを得ない状況のみだった。
 それが文哉の第一の犯行当時のような狂騒状況が迫りくることに、灯里はおののいているのです。

 電話ボックスで汗だくになり、ちょっとエコノミー症候群みたいになっている(笑)双葉。
 ぶしつけにガラスを叩く音がします。
 洋貴です。
 洋貴は電話ボックスの扉を開けようとする。
 双葉はとっさに、必死で押さえます。
 開けるのをあきらめた洋貴。
 ここからまた、例のコミカルなやり取りが始まります。

 「海、いいっスねぇ…」

 「そっすか」

 「そんなかすごく暑くないっスか」

 「まあ…暑いと言えば暑いパターンですけど」(笑いました、ここ)

 隙を見て双葉のバッグをボックスの下の隙間から取ろうとする洋貴。 自分が隠し持っていたナイフを取り戻そうというのです。
 押し問答の末、暑さにギブアップした双葉はボックスを出てきます(笑)。 しばらく両者の意地の張り合いが続く。

 「あなた(双葉)に出来るわけないでしょ」 と決めつける洋貴。

 「深見さんには出来るんですか?

 …人殺しキツイですよ」

 「全然分かってないっスね。
 自分が人殺しになるより、遠山さんがなるほうがきついっス。 って言うか、正直、ものすごい怒ってます。 不満です! ひとりで勝手こんな。

 ここ! そういう信頼ない感じだったんスか?!

 そんなもんだったんスか?」

 「私だっておんなじです。
 自分がなるより深見さんがなるほうがキツイです」

 この場面。

 「犯人をこの手で殺したい」 という被害者家族のかたが時々いらっしゃいます。
 その気持ちを私は全く否定するものではありませんが、実際あなたが人殺しをしたら、それを悲しむ人間は、あなたの周りにたくさんいる。
 そんな作り手の思いがここに込められている気がします。

 「自分もあなたと同じ気持ち」。 そこまで言い切った双葉は、洋貴が静かに自分のバッグを取り、そこから刃物を取り返しても、なんの抵抗も示さなくなります。
 じゃあ文哉を一緒に探そう、ということになったふたり。
 洋貴は、双葉が相手の名前も知らないまま、あまりにもアバウトに母方の実家を調べようとしていたことを知って、ちょっと呆れます(笑)。 

 その、自分を産んだ母親の実家に、文哉は来ています。

 そこで文哉は、自分の産みの親の写真を、必死になって探している。
 表向き、文哉は真岐を昏睡状態にした犯人だということが世間的に伏せられてますから、産みの親の両親(織本順吉サン、大森暁美サン)は彼が 「三崎文哉だ」 と名乗っても、色めき立ったりしません。
 しかもこの御両親、三崎という名前で、目の前の若者が、娘の雅美(名前だけで該当する演技者はいません)が駆け落ち同然で一緒になった男と設けた子供である、という認識まではしたと考えられるのですが、文哉が未成年時代に殺人を犯したことも知らないような感じ。 当時から名前はあくまで伏せられているのですから、その可能性はじゅうぶんあり得る。

 その御両親に、文哉は自分の母親が自殺するまでの話を、まるでお伽噺でもするように、機械的に始めるのです。

 「僕の家には、お母さんと僕と赤ちゃんがいました。 赤ちゃんが泣くと、『あーイヤだ。 もうイヤだ』。 お母さんはそう言います。 お父さんは帰ってきません。

 僕は押し入れのところにいました。 押し入れのところは夜のところみたいでした。

 お母さんはお父さんとハワイに行った話を何度もしました。 水着のままで赤い大きなエビを食べたお話をしました。 『あんたたちが生まれてこなければ何回もハワイに行けた。 産まなければ何回もハワイに行けた』、言いました。

 お母さんはお洗濯ものを持ってベランダのところに行きました。
 『お母さんどこ行くの? どこ行くの?』
 『天国よ』 と言いました。
 『天国のハワイに行く』 と言いました」

 尋常ならざるものを感じたのか、祖父は祖母に目配せして、その場を立ち去らせます。
 そして祖父は、「雅美は勝手に嫁行って勝手に死んだ。うちとはもう関係ない」 と暗に、文哉を拒絶する姿勢を見せるのです。

 文哉の昔話から主観という部分を差し引いても、雅美という女性はかなり身勝手な部分が大きい女性のように感じられます。
 そして同時に、精神的にかなり病んでいた部分も感じられる。

 おそらく駿輔は、雅美の死をこの両親に知らせたとき、「自殺だった」 と話はしていないはずです。 それなのに、ここまでこの両親は、雅美という娘を絶縁したがっている。

 そしてより問題に思えるのは、そんな病んだようにしか思えない死んだ母親を、文哉が未だに慕っているように見える、という点です。

 これは推測にすぎないのですが、文哉は死んだ母親の病理を、自分の父親である駿輔にすべて転嫁しようとしている。
 だからはたから聞いていると酷い母親としか思えない、文哉のその昔話も、文哉はまるでお伽噺みたいにとらえており、昔の幼かったころのオアシスみたいに、酷い話をいい話へと錯覚を、したがっている。
 心を夜のところに、幼いころのまま置き去りにしたままなのだというように、私は感じるのです。

 「お父さんと新しいお母さんと双葉を殺す夢を何度も見ました。
 『ああ。 僕みんな殺してしまう。 殺してしまう』 と思って、死のうと思って。

 三日月湖の柵を壊そうと思って。
 金槌を持って行って。

 でもそうしたら、…洋貴の妹が歩いてて。

 (文哉の回想。 亜季が、「ネロは生まれてこないほうがよかったんじゃない?悲しいことばかりなのに、なんで生まれてきたの?」 と尋ねている)

 『お母さん助けて。 お母さん助けて』 って思ったけど、お母さんの顔が思い出せなくて。 思い出せなくて。

 夜のところでは赤い大きなエビが見えて。

 目が覚めたら洋貴の妹、三日月湖に浮いてました」

 「お前、…子供殺したんか?」 と訊く祖父。

 「大丈夫です。 次はちゃんと自分を殺します」

 「赤い大きなエビ」 が、文哉の過去の記憶を価値転換させる、大きなアイテムとなっていることがここで感じられます。

 文哉は自分が一緒に行ったこともないハワイに行き、一緒に食べたこともない大きな赤いエビを食べた気になっている。
 そう自分が思いたがることで、母親個人の楽しかった思い出を無理に共有しようとしているように、私には思えます。

 そしてその赤い大きなエビは、文哉の心の闇(「夜のところ」)に居心地良く居座り続けている。 死んだ母親の象徴かもしれない。
 しかし彼が亜季を殺すときに、「母さん助けて」 と言っても何も返事がなかったように、そのエビは文哉の大いなる錯覚、幻覚なのです。

 このような殺人動機は、ちょっと特殊な感じもしないわけでもない。

 たいていの殺人者は、「人を殺すことにあこがれている」。
 殺したらどうなるのか、という猟奇的な興味に囚われている。
 あまりに人間は心によって出来ているから、単なるモノとしてとらえたくなる。

 文哉の場合、その単純な殺意を文学的に美しく都合のいいように解釈しようとしているのではないでしょうか。 そしてその精神的なベーシックの部分に、幼かったころのまま成長しようとしない、文哉自身の心がある。

 だから今度は自分を殺す、つまり自殺することで、単純に自分の欲望も充足するし償いもできる、と軽く考えている。

 これは個人的な解釈なので、さらっと読み流してくださいませ(笑)。

 で。

 日向夏を見かけた洋貴、双葉に 「(文哉の居場所は)ここなんじゃないか?」 と話しかけます。 果たしてそれは当たっていたようです。 祖母が駐在さんを急かしていくのを、洋貴と双葉は目撃する。
 文哉の死んだ母親の実家が、日向夏の栽培農家だった、というのは結構外せないポイントに思えます。
 文哉は死んだ母親との接点を求めて、草間ファームに自分の意志で住み込み働いた、という推測が成り立つからです。
 雅美の両親と駐在さんの会話を聞き、洋貴と双葉はそこで、文哉が祭りのある場所に向かい、自殺するみたいだ、という情報を得るのです。

 いっぽう隆美と灯里のアパート。

 写真週刊誌がもたらす不安で娘は 「学校行ったって!(酷い目に遭うだけ)」 と声を荒げ、母は 「ごめん、ごめん…」 と娘にすがりついています。 そんな取り込み中のところに、ノックが響く。 加害者家族バッシングの始まりかとおののく母娘。
 でもその意外な訪問者は、響子でした。

 響子は、15年前週刊誌で、灯里をお腹に宿している隆美の姿を見た、と話を切り出します。
 それを見たときから、響子は隆美のことを憎むようになった、と。

 これは先ほど述べた、写真週刊誌の恣意的な情報操作がもたらすもうひとつの例、と言っていい気がします。 さらにそれは、こと少年犯罪となると、極端なまでに被害者家族に情報が入ってこないこの国の現状も、描写している気がする。

 「あなたも、…そうじゃありませんか?」

 あなたも私たちを憎んでいたんじゃないか?と、響子は意外な話をし出します。
 密告をしているのが被害者家族だって気付いていたはずだ。
 そんな私たちに負けまいと対抗するために、意地を見せるために、あなたは家族と離れなかったんじゃないのか?と言い出すのです。 激しくかぶりを振る隆美。
 そんな隆美を響子はじっと見つめ、こう言うのです。

 「…私、…あなたと話したくて来たんです」

 覚悟を決めたように話し出す、隆美。

 「…はい…。 憎んでました…。

 15年間、あなたのことを考えて生きてきました。

 事件のあと、…お腹の子を連れて死ぬことも考えました。

 だけど以前、あのパッチワーク教室で会ったあなたの顔を思い出したんです。

 『あの人には、…同情する人がいる。 私には死ねという人がいる。 何の違いがあるのか』 と思いました。

 娘が殺されたこと。

 息子が、人を殺したこと。

 苦しみに。

 この苦しみに何の違いがあるのかと思いました(表情が崩れていく隆美)。

 あなたのことを憎んで。

 あなたのことを憎んで今日まで生きてきました…っ…!

 私は………身勝手な、人でなしです」

 隆美の告白のあいだ、鏡台に映った響子の顔に、カメラはパンしていきます。
 その響子は、無表情のまま、こうつぶやきます。

 「ほっとしました。

 あなたが、この15年…苦しんできたことを知って。

 いま、…ほっとしたんです。

 私も、…人でなしです…。

 あなたたち、許せる日が来るとは、今も、…思えません。

 ただ、けさ、この写真(ゴミ箱に捨てられた写真週刊誌)見ても、もう昔のような気持ちには、なりませんでした。

 不思議な感情。 んんたぶん息子が、洋貴が、双葉ちゃんと会ったときと、同じ気持ちです。

 あのふたりと、同じです。

 私たちは、被害者家族と、加害者家族だけど、

 同じ乗り物に乗っていて、一生、降りることはできない。

 じゃあ、

 行き先は、

 …一緒に考えないと……」

 微笑みを見せつつ、険しい表情を保とうとする響子。 隆美は、そんなぎりぎりの、被害者家族の決断に、何かがプツンと切れてしまったように、大粒の涙を流すのです。

 「やめてください…言わないでください…私は…あなたのことを憎んで…憎むことで今日まで生きてきたのに…!………そんなこと言われたら………そんなこと言われたら………!」

 ここに解説を加えることは無粋になってしまいますが、隆美が駿輔と離婚しなかった原因がここで明らかにされたし、事件によって傷つくのは、どちらの側も一緒なんだ、という強いメッセージが透徹している。
 人を憎む、ということも、ある種の牽引力となって生きていくことはできる。
 でもそれには、限界がありはしないか。
 憎しみというのは、自らの世界を狭めます。
 自分、自分、自分。
 そうするよりは、相手を許すことに、より多大なエネルギーを使うべきではないのか。
 たいていの人は、事件の重大性に、事件そのものを忌避し忘れようとする。
 けれども生きている限り、苦しみが続くのであれば、憎しみにエネルギーを使うより、許すことにエネルギーを使えないだろうか。
 なぜなら憎しみの思いよりも、許そうとする思いのほうが、相手に届くから。
 憎しみは憎しみを生む、なんてまるでお決まりのように言われますが、これって憎しみという感情が、相手には反発を持ってしか受け入れられないんだ、ということの証左なような気がするのです。

 いっぽう。

 草間五郎は、駿輔を真岐の病室へと招き入れます。 眠ったままの真岐。 謝ろうとする駿輔。 「あんた!これで生きていると言えんのかっ!」。

 彼は駿輔の目の前で、クシャクシャにしていた延命中止の同意書を広げ、娘の顔を見ながら、それにサインをするのです。
 これは言わば、加害者に対する五郎の復讐、でもある。
 駿輔は身を引きちぎられるような苦悶の表情で、苦しそうに喘ぎます。

 祭り会場にやってきた洋貴と双葉。

 どこかのプールで、手足に養生テープを巻きつける、文哉。

 「あああ、 お腹すいたな…」

 と言ったと思うとかがんだ姿勢のまま、後ろ向きに落ちていく文哉。 あの世で赤い大きなエビでも食べようと、考えたのでしょうか。

 ボシャーン、
 
 という小さな音。

 「深見さん」

 文哉を探し続ける洋貴に、双葉が話しかけます。

 「このまま。
 このまま、放っておいたら、兄が自殺して、復讐しなくてよくなるかもしれませんよね」

 「そんなこと…」

 「だってそしたら、深見さんが罪を犯さなくて済むし、あの果樹園のお父さんたちだって喜んでくれるだろうし。

 深見さんのご家族も、私の家族だってみんな、…楽…。 楽になれるだろうし…」

 ちょっと困ったような表情の洋貴。 ふと見ると、日向夏がプールの入口に置いてある。
 ここで、日向夏で自分の居場所を知らせようとしたように見える、文哉の真意とは何だったんでしょうか。
 プールに突進する洋貴。

 「○×△ああ?!」

 叫び声とも金切り声ともつかぬ声をあげる双葉。

 プールの底に沈んだままの文哉。

 プールに飛び込み、洋貴は文哉を抱きかかえてプールから上げます。

 ぐったりして動かない文哉。

 「お兄ちゃん!!お兄ちゃん!!お兄ちゃん!!お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん!!
 いやーだあああーっお兄ちゃああーんっ!!
 お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん!
 やだやだやだやだっ!!お兄ちゃんお兄ちゃん!!ねえお兄ちゃん!!やああーだああーっ!」

 慟哭し、兄を叩き続ける双葉。

 「どいて!!どいて!!」

 洋貴はあのナイフを手にします。
 しかしそのナイフは、文哉を殺すためのナイフでは、もはやなくなっている。
 そのナイフで文哉のぐるぐる巻きに縛った養生テープを引き裂き、洋貴は心肺マッサージを始めるのです。

 よく考えれば、釣り船屋をやっていることで、洋貴が心肺マッサージを緊急の場合に備えてマスターしていた、ということは、じゅうぶん考えられます。 釣り船屋、という必然性が、ここにあったのか…。

 「文哉…文哉…!文哉あああーっ!

 おい…逃げんなぁああっ!!おいっ!文哉?!逃げんなああっ!!」

 洋貴は文哉の口に自分の口を当て、空気を送り込む。
 ゴブッ、とお腹のものを出す文哉。
 意識が戻ったのです。

 ここでCM。 ふうう…。 ああまだ、今回の最大のヤマ場が残っている…。

 ここで洋貴の持っていたナイフの役割が、劇的に変わった瞬間は、まさにドラマというものの真骨頂だった気がします。
 ここで死んじゃえばま~るく収まりまっせ、と言ってた(ニカクサンかよ)双葉も、やっぱり実際に兄の死に立ち会ったら、こうせざるを得ないですね、本能的に。
 人が死ぬのなんて、もうイヤなのです、って江がここで言ったら、すごい説得力なのになあ(ツマラン話で緊張をほぐしたいのでご了承ください)。
 冗談はさておき、やはりどんな悪感情を持っていても、家族として同じ時間を過ごした人ならば、その人が死んでしまうのには、とても拒絶反応がある、っていうことなんだと思うのです。 理屈じゃない。

 3人は定食屋にやってきます。
 定食屋の主人はカープファン。
 ずぶ濡れの文哉を見ても、祭りで盛り上がったんだろうとまったく疑問を持たないのが笑えます。

 オムライスを頼み、おもむろに立ち上がる文哉。
 洋貴は文哉が逃げ出すことを警戒しています。
 緊迫した状況に一瞬なるのですが、定食屋の主人は野球に釘づけのフリでその場を離れる。 君子危うきに近寄らず、という酔っぱらいの客さばきに慣れてるのかな。
 結局3人ともオムライスを頼み、主人の勧めでポテトサラダもひとつ追加する(どーでもいいですけど)(でもさっきまで死のうとしていた文哉が子供の食べ物みたいなオムライスを頼み、ほかのふたりもそれに追従する構図は見逃せない気がします)。

 文哉がトイレに立っているあいだ、双葉は 「どうして助けたのか」 と洋貴にツッコミを入れてます。 洋貴も負けじと、「自分だって(兄貴が死んだらうちも楽になるって)」 と応戦しますが、一応とりあえず、「文哉のことを信じてみよう」 という気になったようです。

 トイレから帰ってきた文哉。

 「お兄ちゃん。

 深見さんが助けてくれたんだよ」

 「うん」

 「深見さんが助けなかったら死んでたんだよ」

 「うん」

 「うん」 の繰り返しは、さっきの大竹サンみたいですが、ここでの単調な返事は、心のメーターが振りきれてしまったあとの呆然とした感覚において共通している感じです。

 「自殺しようとしてたんだよね」

 「いいよ。 またするから」

 洋貴が割り込む。

 「じゃあまた助ける。 何回死のうとしても助ける。 逃がさない」

 それが文哉、お前がこの世で受けなければならない罰なんだ、というような、洋貴の言いかた。
 洋貴はそれまで自分が知ったいろんなことを文哉に話します。 「そんな下らないことで(亜季)殺したんだ」 と言った瞬間、テーブルを激しく叩く洋貴。 文哉は 「(オムライス)まだかな」 と話をはぐらかす。 性向的に、以前とまったく変化が見られません。 無表情だけれど、何かに失望したような、双葉の顔。

 「俺さ。 ずっとお前のこと探してたんだよ。
 (ナイフを取り出し)これで殺そうと思って、しばらく持ち歩いてたんだ。
 たぶんあのとき(保護観察司の葬儀の際)、この人(双葉)に止められなかったら、お前のこと刺して、殺して、今頃刑務所に入ってて、ってなってたと思う。

 で俺は、まあ、なにも感じないまま、そういう運命かって普通に受け止めてたと思う。

 でもそうじゃなくなった。

 この人に止められて、この人と知り合って、俺たぶん…俺変わったんだと思う。

 いろいろあったんだよ…あれからいろいろ」

 文哉は紙ナプキンを一枚とって、手持無沙汰にいじくり回し出します。
 明らかに洋貴の話の長さに辟易し始め、説教じみてきたことへの嫌気を見せ始めている。
 洋貴は釣り船屋らしく、いろんなことがあって混乱した様子を、釣り糸がお祭りしてしまったことに例えながら、その心の痛みを文哉に訴え続けます。
 洋貴とのいろんなことを思い出したのか、涙ぐんできてしまう、双葉。

 洋貴はでも、決意したように、こうきっぱり言うのです。

 「どうしたいのか分かんないんだけど、……もうお前を殺そうなんて思えないんだ」

 黙ったままの文哉。

 「亜季がさ…『なんのために悲しいお話があるのか』 って訊いてきたことがあった。
 『なんで人間はわざわざ悲しいお話を作るんだろう』 って。

 亜季が殺されて、友達が犯人でバラバラになった家族があって、兄貴の無実信じながら苦しんで信じながら生きた人がいて、…悲しい話ばかりで、逃げたくなる。

 だけど逃げたら、…悲しみは残る。

 死んだら。 殺したら。 悲しみは増える。
 増やしたくなかったら、…悲しいお話の続きを、書き足すしかないんだ。

 いつかお前が、人間らしい心を取り戻して、初めからやり直して、償いを………いや…」

 話がいたずらに潔い健全な方向に行っていることを、ここで洋貴は本能的に感じた気がします。

 「いや…違うか。

 そんな話どうでもいいんだ。

 どうでもいいや、どうでもいい…。

 いまの話全部忘れていいよ。

 ただ…。

 たださ。

 けさ、朝日を見たんだ。

 夕べずっと眠れなくて、朝方トイレ行って。

 トイレ便所臭くて。

 窓開けたら朝日見えて。

 便所臭いトイレの窓から朝日見えて…。

 そんなこと、あそこに住んで一度も感じたことなかったんだけど。

 また今日が始まるんだなって。

 楽しくてもつらくても。
 幸せでも、むなしくても。

 生きることに、価値があっても、なくても。

 今日が始まるんだなって。

 あの…便所の窓からは、この15年間毎日、今日が始まるのが見えてたんだなって

 …
 …
 …」

 洋貴はやおら文哉の手を握りしめます。
 無表情のままうつむく文哉。

 「うまく言えないけど、文哉さ…。

 俺お前と一緒に朝日を見たい。

 一緒に見に行きたい。

 もうそれだけでいい」

 文哉はしかし。

 それまで何もなかったかのように、店主のほうをぼんやり向いて、なんの心もそこにないかのように、つぶやくのです。

 「ご飯まだかな」

 文哉の手が、洋貴の手からするりと抜けます。

 「お兄ちゃんお腹すいてんだよ」

 「(もうこの人には、なにを言っても気持ちが伝わることはない)」 という表情で、顔の下半分を手で押さえ慟哭を押さえようとする、双葉。

 「自首すればいいんだろ。 謝ればいいのか。

 ごめんな洋貴。

 双葉。 ごめんな」

 このシーンで長々とつづいた洋貴のセリフは、実に不器用で、確かに伝わりにくい点もあったかと思います。
 でも不器用だろうがなんだろうが、洋貴は自分の偽らざる気持ちを、すべて解き放った。
 途中で説教臭いことに自分で気付き、どうでもいいんだ、という部分から再び始めた朝日の話は、過去に囚われてばかりではなく、今、これからを生きよう、という決意に満ちた、人間宣言のような性格さえ帯びている。

 けれども文哉は、そんな不器用な決意など、本能的に嫌悪したがるのだと思うのです。
 そんなのウソだろ?
 いくらまともなフリをしたって、そんなの続かないよ。
 また説教。
 手を握って、臭いんだよ。 わざとらしい。 やめてくれ。 笑っちゃうよ。

 結局理科実験室の人体標本のように、文哉には心がない、と判断してしまった洋貴。

 彼はオムライスを食べながら、かなしいほど自虐的に、笑い続けるのです。
 こんなに悲しい笑い声を、私はついぞドラマで聞いたことがないくらいでした。

 もういいや。 勝手にしてくれ。 もう恨まないから。 無関係だから。 バカみたいだなオレ。 やってらんねえや。 こんなヤツになに熱くなってたんだろう。

 そんな悲しい、笑い。

 警察に自首する文哉。 オムライス代を払おうとします。 洋貴は杓子定規に、釣銭を払おうとする。 もう完全に他人行儀、ということの表れです。 ただその釣銭を、文哉は受け取ろうとしない。

 ここで私は、釣銭を拒絶する文哉が何かを消極的に言いたかったような気がしたのですが、思いすごしでしょうかね。

 スタスタと警察署のほうに歩いていく文哉。
 そんなとき。

 双葉が突然それを追いかけ、背中から飛び蹴りを食らわせます。
 前のめりに倒れる文哉。

 「ううああああああああーーーっ!」

 倒れた兄を、こぶしで思いっきり殴りつける双葉。
 洋貴が止めに入りますが、双葉は収まりません。
 無表情で妹に殴られ続ける、文哉。
 止めに入った洋貴もブッ飛ばし(笑)、全体重をこぶしに乗せて(笑)、双葉は文哉を殴り続けます。 警察署のまん前です(笑)。 とーぜん警官が 「何やっとるんだ!」 と言って駆けつけてきます、が、双葉はそれもブッ飛ばす(うわわ…)。 こーむしっこうぼーがいだ(笑)。

 まあ、ちょっとオチャラケて書かないと、こっちの神経も参ってしまうのでそういたしました。 大変失礼いたしました。

 警官ふたりと洋貴に取り押さえられ、双葉は断末魔をあげる。
 いきなり画面はブラックアウト。 今回終了です。

 もう後半は、ただドラマの描写ばかりで、自分の考察を入れるのさえ忘れてしまうような展開。
 ドラマ全体が、「やり場のない怒り」 に満ちている。
 駿輔の前で、怒りに震えて延命停止同意書にサインをする草間五郎。
 自分を嗤い続ける、悲惨な洋貴。
 あまりに無感覚、無感動、無自覚、無慈悲な兄に、どうやったら分かってもらえるのか考えた末に、思考回路が壊れ、ただひたすらに兄を殴り続ける妹。

 これは文哉の犯した罪を狭義的にする所業ではない気がします。 むしろ犯人への表現不可能な憎しみを喚起させる、という点で、かなり普遍的に 「罪に対する人としての怒り」 を打ち出せている、かなり稀な成功例、と言っていい気がする。

 ただここ数回の文哉の言動は、文哉が恣意的に自分を心のない人間として自己演出している気が、しないでもない。 彼はなにかを、訴えかけているのかもしれません。 自殺しようとした場所に日向夏という目印を置き、オムライスの釣銭をもらわなかった文哉の真意が、とても気になるのです。

 振り返れば今回、響子の思いは隆美に伝わり、洋貴の思いは文哉に伝わらなかった(?)。

 このきわめて重たい問題提起に満ち満ちたドラマも、来週がようやく最終回。 早く解放させてください(笑)。 レビュー、死にます(爆)。 ほかの記事がなかなかできないっ。
 (視聴率が悪いせいか、時間延長はない模様です。)

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コメント

 素晴らしいレビューです。ドストエフスキーやトルストイを読んでいるようです。冒頭の雑誌の事ですが、ドラマの秀逸さとは関係ないし、意図的なものではないでしょう。勘繰ればいろいろあり不愉快かもしれません。でも、リウ様にこれだけ素晴らしいレビューを書かせるドラマなのです。小道具まで気が回らなかったと思いたいです。リウ様お疲れさまでした。最終回、がんばってください。

ありがとうございました。

観終わった後しばらく動けなかったあの感じが、リウさまの言葉でやっと喉元を流れていったような気がします。

あの定食屋で、魂の全てともいえる告白を文哉にかわされ、もうダメだ、何を言っても伝わることはないんだ、と
やりきれない思いでオムライスを口に運ぶシーン。
大抵のドラマはそこで場面が変わります。
だけどドラマじゃなく現実は、気まずい時も情けなく恥ずかしい時もカットの声はかからずCMも入ることはない。
続いていくのです。
『その後どうしたんだよ!?』と不満に思うことがよくありました。
あの自嘲じみた悲しく苦しい笑い、食べ続けるオムライス。まさにこのシーンは『それでも、生きていく』というタイトル通り、生きることを真っ向から見据えていると感じました。
先週までは哀しくて震えていましたが、リウさまのレビューを読み、コメントを書くうちになんだか肝がすわってまいりました(笑)
最終回しっかりと観ようと思います。
レビュー宜しくお願いしますね(ちゃっかり(笑))

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

とりあえず自分のレビューは、ドラマを描写してそこで感じたことを書いているだけですので、他人任せの風任せです。 そんなに大したことはない、と結構マジで謙遜させてくださいcoldsweats01

写真週刊誌の件は、どうにも後味が悪いですね。 18に関してはこじつけとも思えるけど、JAPはね…。 外人さんは、思った以上に軽ーくこの言葉を考えていて、侮蔑とかの感情ってあまりない、なんて話を聞いたりしますが、当の日本人が嫌悪感を抱くんですからね。

それにしてもよく見つけるもんだと思います(笑)。

ちゃも様
コメント下さり、ありがとうございます。

定食屋での洋貴の話、不器用だったけどただひとつ、このドラマの根幹を占める、いちばん重要な謎解きがなされた気がするんですよ。

それは、亜季の 「なんで人間は悲しい物語をわざわざ作るのか」、という疑問に対する、洋貴の見解。

つまり、悲しい物語の続きを考え、逃げずに 「それでも、生きてゆく」 ことをしなければ、悲しみというのは増えるばかりなんだ、と。

そんな、ドラマで作り手がいちばん訴えたかったことを登場人物にしゃべらせておいて、それが伝わらない、というすごいことを、作り手はここでとてもわざと遂行している。 自分の言いたいことが伝わらない、なんてドラマを作るなんて、やっぱりすごいと思う。

本当に、実際に生きている人は、編集もカットもせずに、人生は継続して流れていくわけですからね。 ちゃも様のおっしゃる通りです。

人生は基本的に悲しみや苦しみの連続ですから、なんだ、だったらそれがフツーなんだと発想を転換しながら生きていきたいものです。 それが生きていくうえでの、強い力になっていく気がいたします。

今回のは実はまだ観ていないのですが、リウさまのレヴューを拝読したら、もう観なくてもいいわ・・・という感じです。ドストエフスキーやトルストイですから。
ありがとうございます。
「それでも、生きてゆく」というタイトル、これをつけた人はすごいです。今更ながら感じます。

すごいドラマですね・・・そしてリウ様のレビューも、素晴らしい。
観終わったあともなお、色んな思いが渦巻いてなかなか感想が言葉になって出てきません。
ここ数回は観終わったあと、テレビを消して、他の音や文字、映像という情報を取り入れられないような状態になりました。
重くて、暗くて、辛い、けれども深くて強い素晴らしいドラマなだけに小道具の件は残念ですね。
(騒ぎを知ってからドラマを観ましたが、どの場面に映っていたかわかりませんでした。)

はじめまして。最近このドラマにはまり、リウ様のレビューを拝見し、とても考えさせられました。
いきなしの長文お許し下さい。
“ここ数回の文哉の言動は、文哉が恣意的に自分を心のない人間として〜”
そうですねー。そうかも。自分は特別な存在、「モンスター」だっていう14才的な矜持と、その裏腹の強烈な怯え?
雨宮健二風擬態もやめて、夜のところの住人もやめて、素で(14才の精神性)己の所業と向き合ったりしようものなら…。でも、それは、罪を罪として意識し始めているっていう…。
釣銭の件も同感です。あそこ、洋貴の熱弁に対する無意識的なメッセージのように見えました。
もちろん、酒井看護師の(不埒な)献身も、大竹ママのマッスルすぐる泣訴も、なーーんも響かない、純血のサイコパスオチもありだとは思いますがー。

はじめまして。『それでも、生きてゆく』に魂をもってかれた一人です。ドラマを見た後、誰かと共有したい感情をもてあましサイトをさ迷っていてリウさんのブログを見つけました。「そうそう!そうなのよ」「そうか!そういう意味だったのか」など解釈や伏線の指摘になかなか言葉にならないもどかしさをストンと腹におとしてくださるレビューには感謝でいっぱいです。

今回はやはり文哉に真正面から向き合った洋貴の心とそれに対しての文哉のがらんどうな心の対決が一番考えさせられました。言葉が伝わるってほんとは無理なことなんじやないか?伝わったと思ってもそれは自分の主観であって違うんじゃないか?自分もそれなりに生きてきて何度そんな虚しさに打ちのめされたかしれません。実際心を言葉にするのって、発する側のボールの大きさと受け止める側のミットの大きさによってはちぐはぐになってしまいます。
でも発していかなきゃ受け止めていかなきゃ、と思っています。

いろんな角度で発せられるメッセージをちゃんと受け止められてるか自信なくなってきました(泣)

このドラマはとにかく『考える』ことを強制するでもなく声高に訴えるでもなくいつの間にかこちらがしてしまう稀有なドラマだと思います。リウさんの渾身のレビューも残すところ後一回ですが楽しみにしています。長文で尚且つ拙い文章で大変失礼致しました。

薫子様
コメント下さり、ありがとうございます。

ぴゃっcoldsweats02、ドラマを見る前にこの記事読んじゃったんですか。 あまりお勧めできませんけども…coldsweats01。 とりあえず基本、ドラマ見てからのほうがいいと思いますです。

「それでも、生きてゆく」 って題名、最初、おそらく苦しくても悲しくても生きていくんだ、というメッセージだろうと思ったんですが、インパクトに欠ける気がしました。 でも大震災を経て、このメッセージは畑は違えども共通のものを感じます。

さり様
コメント下さり、ありがとうございます。

週刊誌の出ているシーンですが、最初田中圭サンと大竹しのぶサンがしゃべっているシーンでは見えませんでしたが、大竹サンが風吹ジュンサンを訪ねているところで、ゴミ箱に入っている週刊誌の表紙から、その文字が確認できます。

よく見つけたもんだと感心しましたが、そういう人たちって、スッゴクよくフジテレビを穴のあくほど見てるんでしょうね。 本編よりも、そうした小道具専門で(ヒマだなぁ…)。 そうしたヒマな人たちに向けた、小道具屋さんのわざとのメッセージのような気もします。

ふぉぐ様
こちらこそはじめまして。 コメント下さり、ありがとうございます。

文哉が罪を罪として認めようとする裏腹に、わざとそれを回避しようとしている、というふぉぐ様の見かたは、なるほどですねっ(「ドン★キホーテ」…見てないかな…coldsweats01)。

文哉が反省しないまま、というのは、やっぱり虚しいですね。
ただ反省、って言って、どうすることが反省なのか。
大竹サンに母親のお腹に10カ月いたの!と怒鳴られ、椅子で頭をぶん殴られ、瑛太クンに心の底から失望され、満島チャンに体重を思いっきり乗せてぶん殴られ、なにも感じないんじゃ、なんか虚しくて仕方ないんですが。

でも文哉が、心の底から反省する、という道を、スッゴク消極的ながらもたどっている期待も、ちょっとはあるのです。 最後の一縷の望みみたいな結末を期待してます。

みち様
こちらこそはじめまして。 コメント下さり、ありがとうございます。

実は自分で書いてても、もっと違う見方もできるのかな?なんて考えながら書いてます。

たとえば記事中、文哉の死んだ母親の両親について考察した部分。

文哉の異常な様子を見て祖父役の織本順吉サンが、祖母役の大森暁美サンに目配せして、警察を呼ぶシーン。

なんで警察を呼んだのかなーと考えるんですよ、いまさらながら。

そりゃいきなりやってきた、絶縁した娘の息子が、部屋を荒らしまくって変なおとぎ話みたいな話をしてるんですから、不審に思うのも無理からぬのですが。

もしかしてそれとなく、勝手に嫁に行った先の娘の息子がなにをやったのか(つまり未成年殺人者となったことを)、はっきりとではなくおぼろげに、感づいていたのかもしれないなあって。

「おまえ、人殺したんか?」 と祖父が文哉に訊いたのは、もしかするとそれまでの疑念をそのまま訊いたのかな?っていうようにも感じるのです。

文哉って、人を傷つけたい、という欲求や衝動から、逃れられない、という側面がある気がします。 理屈で分かってる 「つもり」 でいるけど、何かを壊してしまいたい、という気持ちが頭から去ることがない。

なんか解体工事とか物をぶっ壊す仕事をすれば解消する気もいたしますが(なんかいきなりオチャラケましたけど、結構そう感じます)。 そんなんじゃダメなのかなー。 人を殺す快感なんて、取り憑かれたくないものですよね。

リウ様

リウ様には申し訳ないのですが、文哉には伝わらない(反省はしない)のでは?
、と私は思っています。

文哉は、私たちとは異なる世界にいる人のような気がします。湖に浮かんだ少女の絵が美しいと感じる人なので、こういう世界に住む人に、いわゆる私たち世間一般の常識というものを理解させるのは非常に困難ではないかと考えています。

もちろん、更生プログラムによって、他人や社会への対応の方法は学ぶことは可能かもしれませんが・・・

むしろ彼の世界観からすると、夜のところへ自ら旅立つという方が、彼の望みに近づくのではと感じています。


社会の中にはさまざまな人がいて、お互いに関わって生きているけれど、互いを理解しようとしているか、そして理解することができているか。
ただ関わって生きていても、理解ということすら思い浮かばない人もいるのが今の現実社会なのかもしれません。

そういう現実の社会の中で、毎日、陽はのぼり・・・・・・

> また今日が始まるんだなって。
> 楽しくてもつらくても。
> 幸せでも、むなしくても。

> 生きることに、価値があっても、なくても。

> 今日が始まるんだなって。

このドラマが伝えようとしていることは、とてつもなく深遠な内容だと思っています。
(どうして視聴率が悪いのでしょうね。こういうテーマを真摯に追究し、番組を制作されているスタッフの方々に拍手をおくりたいですね)

もちろん、リウさまの素晴らしいレビューにも、われんばかりの拍手を!!

返信ありがとうございますsign01ブログなるものをやってみたい気もするのですが、なにぶん小心者でコメントするのも正直おそるおそるという感じでしたので暖かいコメントにまた再度お邪魔してしまいました。

文哉の祖父が警察を呼んでこいと祖母に目配せする箇所は何だか数年前の自分を見てるようでした。父が前後不覚になり包丁を持ち出して暴れたことがあり、あわや、という時やはり怖くて怖くて思わず警察に!とダイヤルしそうになりましたから。幸い騒ぎを聞き付けた近所の方が止めに入って事なきを得たことがありました。

双葉があまりの絶望に凄まじい蹴りを入れましたが、あの気持ちほんとよくわかります。洋貴に『自分の家族のことなんで家族で決着つける』みたいなこと言ってましたね。それも当時思い悩んだことでした。

一歩間違えれは、自分だって犯罪者になる可能性があるんだ。と

すいません。とりとめなくなってきました。

後、響子が隆美に会いにきて『話をしにきました』ときりだし本音を語り合う場面では、またまた自分に置き換えて『赦せるものなら赦したい』って思ってたんじやないかなと感じました。憎み続けることで生きる力になることは実際あるでしょう。ですがずっと同じテンションで憎み続けるってなかなかできない。ほんとは赦してしまいたい。その方がきっと楽に生きられる。でも…
最終回ではこの二家族の大団円は望むべくもないですが何かしらの救いがあることをと思っています
『それでも、生きてゆく』ために

蛇足ですが文哉に関して、山田宗樹の『聖者は海に還る』という小説で催眠療法で異常人格を矯正するという話があります。(最終的には失敗するんですが)心が無い、と定義されてしまった人間にはそんなフィクション的な治療しかないのかなとフト思いました。
でも一方で諦めないで働きかけたいものだなあとも思うのです。小説もそんな終わり方でした。

長々すいません。推敲さえしていないのでまた焦点がぶれているようで恥ずかしいです

>反省って、言って、どうすることが反省なのか
難しい…ですよね。何をどうしようが決してカケラも償う事が出来ない、取り返しのつかない所業。
幼いながらに、素直な心で世界の在りようを見つめていたあきちゃんの未来を奪い、
己を慕ってくれていたゆりちゃんの大好きな大好きなママを奪い…
自分の痛みにだけ異様にセンシティブで、傷に触れられると、ブラックアウトして禍々しい暴力を振るうモンスターのような文哉。
彼が、他人の痛みに気付くことができて、噛み締めて、檻の中で慟哭…したとして、
それが、響子さんや小野じいじにとってほんの僅かばかりの救いになるのだろうか…?
寧ろ絶対悪のまま死んでいなくなるほうがマシかもしれない…解らない…
ただ、定食屋で洋貴は、被害者遺族ではなく、旧友としての言葉を文哉に投げかけた
(それは勿論、双葉の存在が、お兄ちゃんを想う双葉との心の繋がりがあってそういう心境に到ったんだろう)
その洋貴(と双葉)の思いに応える事はできるような…気が…する
とりとめの無い長文でスミマセンsweat01本当にsweat01

rabi様
コメント下さり、ありがとうございます。

rabi様はそうお考えですか。
脳科学的に言って、人の痛みや悲しみを考える脳の部分が未発達な人たちに対しては、そうなのかもしれませんね。

難しい問題ですが、そうなると魂が、救われない気がするんですよ、自殺しちゃうとか。
それって洋貴も言ってたように、「逃げ」 だ、と感じてしまう。

逃げんな、と。

逃げたら悲しみや憎しみだけが、ますます大きくなる、と。

死んでもそれはついてくる。
自分が逃げたことは、あの世に行ってもついていくし、敗北の人生を送ったら、死後の世界だって敗北だ、と思われるのです。

そしてもし生まれ変わるときが来たとしても、その魂は最初っから敗北の性癖を残したまま生まれてくる。
前世の記憶は消えても、性癖っていうのは残っていくように思えます。 仏教的な考えですが。

だから死刑とか保護監察制度とか、それってそいつの魂に対して、根本的な解決策を提示していない、という気は、どうしてもするのです。

だからこそ、真の意味での告悔が必要なのだと思う。 今度はキリスト教的ですが。 通り一遍の反省でなくて、です。

いかなる人でも、その真の意味での反省が出来る、と望みは持っていたい。

ドラマの落とし所は、そこにしかない気がするんですよね。 反省しませんでした、それが文哉にとっての生きかたでした、じゃ、なんかなー。

まあ、ここまでしつこくレビューさせといて、絶望的な結論など見たくないという個人的感情がありまくりなんですけど(笑)。

みち様
再コメント下さり、ありがとうございます。

お話にくいことまで書いてくださり、なんだか申し訳なく思います。 重ねて感謝申し上げます。

私の家族も、怒るときは怒りまくる、というのが基本ですので(笑)、壮大な家族ゲンカ、というものは何度かありますね。

そういう御経験のないかたには分からないだろうけど、近親者だからこそ必要以上に自分をさらけ出してしまうし、「メンド臭い」 だの 「アンタがやってよ」 だの、自分勝手を家族に押しつけたがる傾向にある(それは一種の甘え、であるとも感じます)。

だからケンカも、もう修羅場でbearing

この感情がこじれにこじれてしまうと、家族間での人殺し、なんかにつながってしまうんだろうな、ということを感じたこともあります。 近親者だから余計に憎悪が増していく、という傾向も、なんか理解が出来る気がします。

だから少なくとも、私にも、「人殺しに通じる道」 がない、と断言できない部分がある。

家族以外にだって、そうです。
たとえば運転していて、スンゲー傍若無人なことをほかの車にされたりすると、頭に血がのぼったりする。

街なかで、夜中に子供を連れて盛り場をうろうろしているヤンキー親なんかを見かけると、いわれのない怒りがこみ上げてくる。

政治家とかお前らの勝手で世の中動いてるんじゃねーぞ、なんて腹が立ったりすることもある。

それは心のどこかで、「まあ他人だししょうがないか」「こっちの生活に影響がないからいいか」 で赦しているからこそ、傷つけたり殺人にまで結び付かないのです。

憎むパワーより、許すパワー。

人間、暗く生きていても、闇に囚われていても、洋貴のように朝日を見て感動していたいし、生きてて良かったな、と思うときが、一瞬でもいいから欲しい。

死を選ぶ、ということに、美学はあろうとも、魂の救済はそこにはない、と思いたい。

救済がある、と自殺しようとしている人が考えているなら、それは大いなる幻覚だ、と申し上げたいのです。

自殺したら、死んだあとも、敗北の人生ですよ。

人生って使いかたはおかしいかな?

敗北の死後、だと思いますよ。 見たことないですけどね。 でも記憶がなくても、たぶん私も死後の世界からやってきたと思うので。

リウさま、こんにちは。
リコメするのもお疲れだろうに、コメ増やしちゃいました。
このドラマをみて、心の中で色んな事を思うのに、言葉にするのが難しくて、うまく作文ができなくてコメするのを躊躇してしまいます。

私も、rabiさまのコメに同感です。
文哉のように違う世界に生きていて、人の痛みや命の大切さが理解出来ない人って、実際にいますよね。
その様な人間は、まず治らないし反省もしないような気がします。
便宜上「ゴメンナサイ」が言えても、本当は何が悪いのかわかっていないんです。
だから、少年犯罪の犯人が大人になって再犯なんてことが起こるのだと思います。

ドラマは最後に救いのようなものを残してくれるはずと期待はしているのですが、最終回どうなるんでしょう。

それから・・・文哉の母親に対してのツッコミですが、ハワイなんてお金とヒマと気力があれば、赤ん坊連れでも行けます。
要するに、ハワイに行けないことが問題ではなく、子育てを含め自分の生活やあらゆることが嫌だったんでしょうね。

ふぉぐ様
再コメント下さり、ありがとうございます。

心から反省しようにも、その心がないんだったら、死を持って償わせるのが、残念だけれども最良の判断だ、とても残念だけれども。

という考えかた。

つまるところ、「それしか方法がない」、と結論づけるには、もっといろんなことを私たちは考える必要がある、そう私には思えてなりません。

まあ、非現実的な話ですけどね。

でも、考えることは必要。

その機会を、このドラマはすごく重たくcoldsweats01与えてくれている気がします。

届かぬ願いを、どうやって届かせることが出来るのか。

誰もがそのことを最重要なポイントとして、考えていくことこそが、通り一遍の償いとか反省とか断罪とかを防いでいく方法なのではないでしょうか。

chie様
コメント下さり、ありがとうございます。

確かにコメント返信も全力ですがcoldsweats01、いー加減なことは申せないと思いつつ返信しております。

私たちは殺人犯なんかを死刑にすることがいちばんの道だという結論で、どうしても落ち着いてしまうところがあります。

けれどもそうせざるを得ない状況を作ったのも、紛れもない私たち自身なのだ、という自覚も必要じゃないのかな、と考えるのです。

だったら子供の情操教育のころからきちんとチェックしながら、人間形成をするプログラムを確立すべきだし、子供たちに希望のあるこの世、というものをもっともっと提示していかなければならない。 心の発達不全に陥った人間に対しては、あらためて教育をし直す。 効果がない、というのなら、効果のある方法を考える。

結局死刑やむなし、と考えてしまう心のどこかには、そこで憎しみも打ち止めにしたい、という願望が含まれている気がします。

けれども人ひとり、殺すんですよ。 合法的に。

本人が死にたがってるなら殺してやりゃいいじゃないか、ということを、少なくともこのドラマは主張していない気がします。

だから洋貴は、文哉を助けた。

そしてその洋貴の願いが届かないことを提示して、心のない(もしくはそういうふりをしたがる)殺人者に対してのむなしさ、というものも、ドラマでは打ち出している。

死んだら。 殺したら。 悲しみは増える。
増やしたくなかったら、…悲しいお話の続きを、書き足すしかないんだ。

という洋貴のセリフにこそ、このドラマの心肝があると感じます。

コメ欄盛り上がってますねー!happy01

それにホント、脚本みたいっスよ、セリフの再現。
正確です。(私も二度見てるんで、さらに文字で刷り込まれるぅw)

この回も、
加害者&被害者側の母親どうしの語り合いと
オムライスのシーンと
最後のドロップキック&パンチ。
名シーンの数々。
くだらない小道具のいたずら(このドラマスタッフ、ネットで判明されちゃってますね)でミソがついてしまいましたが
すごいドラマです。

オムライスの食堂でフミヤが無反応にしてるのは
妹がヤケにヒロキと親しくしてる(ヒロキ側の存在になってる)のがおもしろくない、
という子供っぽい反抗もあるんだと思いました。
二度目の犯行以降は幼児返りしたのかと思うくらい幼く
「俺だけを見ろ!お兄ちゃんは可哀相なんだぞ!」って態度ですからね。

関係ないけど
食堂の空気読めない店主が面白かったです。


双葉はヒロキの言葉が全然響かない(もしくは響かないふりをしてる)フミヤに対し
本当〜〜〜〜に怒りを感じたでしょうね
でもあきらめたり捨てたりしてない。
そんな彼女を少しでも救うのは
やっぱりフミヤが罪の自覚をして悔いることなんだろうなあ…

どんなエンディングが用意されてても
それでも、生きていくんですなぁ


いま、「おひさま」でも満島ひかりちゃんは
警官への暴力(故意にやったわけではない)で檻の中に入っとります。w


マイティ様
コメント下さり、ありがとうございます。 一週間のご無沙汰でした(玉置宏?)。

「おひさま」、すでにリタイアでございますbearing。 たまりにたまっていた録画も、容量不足に陥るので、消しちゃいました(モッタイナイ…)。 満島チャン、そんなことになってるんですか! うーん、…総集編で見ようかな。

それにしてもシナリオ本を読み倒していたことが、ここで生かされてる気がしますです。 倉本總先生だったら、「――(間)――」 などと書かれるのでしょうが、私は 「……」 で表現してますcoldsweats01。 どこで何が役に立つか、人生って分からないですね。

妹と洋貴が仲良くしてるのが気に入らない、ん~、なるほどですねっ(しつこい…)。 近親相姦的な感情なのかな~。 文哉にそうした性欲が、まったくない描かれかたをしてますが、その部分ってこのドラマで私が感じるちょっとした違和感です。

ただし、オッパイ星人だったサトエリチャンの胸強調って、そうした成人女性の色気に嫌悪感を抱く文哉の演出を狙ったものであるようにも感じるのです。

定食屋の主人、ケッサクでしたね。 でも何事もないようにふるまうのが、やっぱり客どうしのトラブルをあしらういちばんの方法だと悟ってらっしゃるのではないでしょーか、このご主人(笑)。

>近親相姦的な感情なのかな~。
いやいや、同じお母さんから産まれた、いっしょに「夜のところ」を経験した存在ですから。

>成人女性の色気に嫌悪感を抱く文哉の演出
でしょうね。
かといって「幼女萌え」でもないんですけどねw
一応ナースの彼女がいたわけだし(女のほうの押し売りでしたが)。
本人、ひたすら子供でいたいのかなー
子供時代を健全にやりなおしたいのかなー


「おひさま」リタイアなら安心して書きますが
本日、育子さん無事出所いたしました。happy01

余談ですが
映画『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』で共演した安藤サクラさんと柄本佑(兄。ゲゲゲのスガちゃん)の恋愛関係が報道されてますな。
この映画では(最近観ました)高良クンとサクラちゃんのベッドシーンなどあり
「おひさま」見てる関係上、頭が混乱します。
サクラちゃんは柄本・弟と夫婦役ですし〜w
また、満島チャンはエイタ弟と相思相愛ですし…w
田中圭クンも両方に出てるしw

『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』は若者の、驚愕するほど閉鎖的な日常からの逃避(できない)を描いた暗い映画でしたが
その後、劇場でみた『大鹿村騒動記』はオトナのおおらかな生活を描いた人情コメディでした。
そのギャップに驚きます(って、作品として全然ジャンルが違いますからね)。
大鹿村は原田芳雄さんの最後の映画です。
岸部一徳さんがボケ役で楽しませてくださいました。
年齢を重ねるのっていいな、と思いました。

マイティ様
再コメント下さり、ありがとうございます。

相変わらず積極的に人生を謳歌していらっしゃいますね! 私、映画なんて、「ポニョ」 を見てから行ってません(爆)。 ライヴだって、2002年にポール・マッカートニーのを見たっきり…。

それにしてもご覧になる映画やドラマで、登場人物が錯綜している感じですね。 なんだか私も、結構これって狙ってる?みたいなキャスティングをそこかしこで見る気がいたします。 このふたり、今回はこういう関係だったけど、前じゃ全然違ってたよなあ?とか。

「大鹿村」 はぜひ見たい映画ですね。 早くテレビでやってくれ~(やっぱり金払って見るべきでしょうか…)。 ビンボーヒマなし、ブログ書きの時間あり、つーか。

「おひさま」、マイティサンから育子チャンがタイーホだと知って、お昼の再放送見ましたよ。 なんか、泣けました。 「バーカ」 の応酬。 それでカンドーしてヤフーの感想欄を読んだら、んもークソミソでbearing。 ちゃんと見てないとドラマのダメさ加減も分かんないし、滅多なことは書けませんが、そこまでクサすんなら見る必要ないと思いましたです(まあ自分も、「江」 ではクサしてますけどね、これは楽しみながらクサしている、と自己弁護)。

「それ生き」 ですが(私も略してしまった…)、一応文哉にも性欲自体はあるんですよね、性的魅力があまりない(失礼)酒井若菜サンには。
だからかな、ここ数回の文哉の 「私には心がありません」 的自己演出が気になるのは。

延長ないんですね。とっても残念。

今回は少し前回からトーンダウンしてしまった気がします。

流れ星も八話がピークでしたし(^_^;)。

逆に最終回どう盛り上げてくれるのか楽しみですね。

先日はコメント下さり有り難うございました。今夜 いよいよ最終回ですね〜 なんかどきどきしますよ。内容が内容だけにみんな幸せにとはいきませんが‥ これから生きていく中で、ほんの少しでも光が見えるといいですねアスぺルガsign04症候群〜文哉もある意味、被害者なのかも知れませんもっと幼少の頃に認定され治療し教育されていれば もしかしたらあんな悲惨な犯罪を生まなかったのかも知れなかったかと思うと少し不憫な気もします。肝心な実母が目の前で亡くなってしまっていますものね。残酷以外なにものでもありませんよ‥。あ〜暗い話になりすぎましたね。ごめんなさい(>_<) とにかく最終話、早く見たいです。
蓮 花

ima♂様
コメント下さり、ありがとうございます。

ドラマ的には、大竹しのぶサンが突出してしまってる、という感じなので、彼女の激情あふれる演技が見れないと、物足りなさがあるかもしれません。

ただ皆さん、やはり熱演されていますよね。 大竹サンの演技が起爆剤となって、いい意味での競争原理が働いている気がいたします。

蓮花様
コメント下さり、ありがとうございます。

こうした問題を語るときは、どうしたって重くなってしまいます。
だからこそ、誰もがこの問題を深く考えたがらない。
その結果、「死刑が今のところ考えうる最善の方法なのではないか」 という結論に陥ってしまう。
ビョーキの人間は、生かしておいたって仕方ない、という観点です。
死んじゃえばそいつだって本望だろうとか。
まったく治る見込みがない、と他人が判断を下すのは、いかなる場合でも早計なのではないか、と私は考えています。
曲がりなりにも文哉の場合、人間生活をしているのですから。

精神鑑定が必要だ、とかいう話をニュースで聞くたびに、「だから精神鑑定でクロだから、なんだっていうの?」 という気が、私の場合はいつもしています。
精神的におかしいから、殺しちゃったもんはしょーがない、という理屈ですよね、これって。
いかなる時でも、どんな人間でも、責任というものはついてまわる。
法律がそのことの範を示さないで、責任能力の有無などとあいまいなことをやっているから、逆に死刑だってあいまいなままで片付けてしまおう、という姿勢で共通する。

難しい理屈を述べてしまいましたが、「どんなにつらくても、それでも生きていかねばならない」 ということを、当の文哉にこそかみしめてもらいたいと思う、最終回なのです。

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  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 上

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 上
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ記事より抜粋)。 この上巻ではビートルズの祖先から遡ってリバプールで人気に火が付き始めたところまでが書いてあります。

  • ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白

    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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