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2011年9月17日 (土)

「それでも、生きてゆく」 第11回(最終回) 思いよ、届け

 双葉(満島ひかりチャン)の小学校時代。
 「少年Aの妹だって、コワーイ」 とまわりが自分のことを噂しています。
 下駄箱の自分の靴には、その事件の記事が載った新聞がクシャクシャに詰め込まれている。

 そして前回の続き。
 ありったけの力で、その少年Aだった自分の兄、文哉(風間俊介クン)を殴り続ける、双葉。

 かぶさるように再び小学校時代の双葉。
 時刻を知らせる時計塔のオルゴールが、「星に願いを」 を奏でるのを、じっと聞いています。

 たたみかけるように現在の双葉。
 狂ったようなわめき声をあげながら、洋貴(瑛太クン)に取り押さえられています。

 双葉が星に聞いてほしかった 「願い」 って、いったいなんだったのでしょうか?

 最終回のこのドラマ。
 正直な感想をいきなり申し上げますが、物足らない部分があった、と言えなくもない。
 どうして物足りないように見えてしまったのか、自分でちょっと考えてみたのですが。

 まず、文哉が逮捕され服役(?)してしまったことで、文哉に対する処遇が先送りにされてしまったように感じることが第1点。
 そして、洋貴たち被害者家族が、「逮捕されたからとりあえず問題解決」 と無理に納得しようとしているように感じてしまうことが、第2点。

 ここまでの怒涛の展開って、文哉を断罪することに、見る側がある種のカタルシスを感じている。
 大竹しのぶサンが母親の心境を赤裸々に文哉にぶつけ、椅子でぶん殴り、双葉が前後の見境もなく殴り続ける。
 これって見ている側が、幼女殺人犯とか少年法に守られている殺人犯とかに感じているいらだちを、文哉をスケープゴート(生贄)にして晴らしている気がするんですよ。
 それが最終回では、パッタリ断たれた。
 確かに物語は、希望のある方向へ、その方向へと流れていく。
 けれども結局文哉の行く末に関しても、希望的観測を見る側が抱かなければならない作りになっている。
 「反省もしない殺人犯なんて、もう死刑しかないでしょ」 という心情が、心のどこかに誰もが持っている気がするのですが、それを晴らせない引っかかりが、なんとなくドラマの見応えを自ら貶めてしまっているようにも思えるのです。

 あと個人的には、文哉が起こした2件の傷害・殺人事件の両方とも、直接的な描写が一切なかった、ということで、もしかして冤罪の可能性もあるのではないか?と思いながら見ていたことも、ちょっと肩透かしを食らった一因だったかも(まあ、前々回あたりからその可能性はほぼなくなった、と思いながら見てましたけど)。
 ただこの両方の事件を冤罪にしてしまうと、話が違う方向に行ってしまう。
 このドラマは、あくまで罪を犯した人間と、そのまわりの人たちを、真摯に見つめ続けたドラマだったのです。

 そしてもうひとつ告白してしまえば、最終回ではやっと、素直な涙が流せたな、という気がしています。
 このドラマでは大竹しのぶサンの演技をはじめとして、結構泣きそうになってしまうシーンがあったのですが、ドラマのなかで展開する話の重々しさに負けて、素直に涙が流せなかった。 涙が出てくる途中で、あまりの重さに気分が悪くなったこともありました(笑)。 とーぜん涙は引っ込みます(笑)。
 軽々しく、泣けない気がするんですよ。
 けれども洋貴と双葉の最終回でのやり取りは、なんかもう、泣けました、やっと素直に。
 泣くっていうのは、ある程度傍観者的でないと泣けないのかな。 入り込み過ぎちゃうと泣けないのかな。 ちょっと分かりません。
 でも考えてみると、それってちょっと突き放し気味に見ていたってことになるのかな。
 それが物足りなさのもうひとつの原因かもしれない。

 しかも、結構謎のシーンが多い。 これはのちほどかいつまんで述べることといたします。

 それと、やっぱりこれって、時間延長ありきの話だった気もしています。

 提供テロップの出てくるところで、五月(倉科カナチャン)が訪ねてくるシーンがある。
 その部分がなんとなく割愛されている感覚。
 こういうことされると興醒めするんだよなあ。
 どーでもいいシーンと言えばそうなんですが。
 隆美(風吹ジュンサン)と灯里(福田麻由子チャン)の描写も足りなかったよーな…。
 草間五郎(小野武彦サン)のセリフも、なんか必要最小限、という感じで。
 時間延長すれば、そんな細かい部分にまで気が利いた、厚みのある話になった気がするのですが、まあそれはそれとして。

 とりあえず本編に戻ります。

 「やっぱりあのとき(お兄ちゃんを)助けなきゃよかった…ごめんなさい…」 と、警察署の廊下と思われる場所で、双葉が洋貴にしゃべっています。 双葉は警官をぶっ飛ばしてましたけど(笑)こーむしっこうぼーがいにはならなかったようです(笑)。 その右手には、痛々しく包帯が巻かれている。

 洋貴は双葉にこう語りかけます。

 「ぼくはたぶん…もっかい同じことになっても、また同じことすると思います…。

 助けると思います…。

 …

 殺したら、…文哉と同じ人間になるじゃないっすか。

 ぼくは文哉のような人間になりたくないっす。
 遠山さんにもなってほしくないっす。

 これでよかったんです…」

 手錠をはめられた文哉。
 収監される、文哉。

 後日、深見の釣り船屋を、五月が訪ねてきます。
 どうやら文哉は、責任能力あり、と判断されたらしい。
 心神耗弱という隠れ蓑が認められなかったことを五月は安堵するのですが、洋貴は 「もう終わったんです」 とにべもない。

 これらのシーンから推測されるのは、洋貴は文哉が軽々しく死を選ぶことを、けっして許していない。
 この世で苦しみ、この世で自分の過ちに気付くことが、文哉にとってのいちばんの責務なのだ、と考えていると思われます。
 その点で、文哉が拘置所送りになったことは洋貴にとってかなりの意味でひと区切りであるようです。

 ただ双葉の贖罪は、続いている。

 どうも文哉の逮捕以降、彼女は草間五郎の娘真岐(佐藤江梨子チャン)の見舞いに足しげく通っている模様です。 双葉になついている、真岐の娘悠里チャン(原涼子チャン)。
 五郎の話によると、父駿輔(時任三郎サン)の被害者家族参りは、長く続かなかったらしい。 駿輔が無気力そうにぼんやりしている映像が、インサートされます。 どうも息子の拘置所入りに、気持ちが切れてしまっている様子です。

 真岐の様子を見下ろす五郎と双葉。 人工呼吸器を外し、亡くなるのは時間の問題だ、と語る五郎のそばで、双葉は閉じられたままの真岐の目から、涙が一筋流れていくのを発見するのです。
 それはまるで、無念の涙。
 自分の娘と別れなければならない涙です。
 凍りついてしまう、双葉。

 絶望かと思われた真岐の病状に、回復の一縷の望みがあるのではないか?と私が感じた一瞬ですが、双葉もそう思ったのではないでしょうか。 このシーンが、その後の双葉の決心の原点となっている気がします。

 亜季(信太真紀チャン)の墓参りに来た、響子(大竹しのぶサン)、洋貴、耕平(田中圭サン)。 そこに遠山家の駿輔を除く3人(隆美、双葉、灯里)が合流します。

 まず深見家の3人が墓参りをします。 「親父(柄本明サン)、亜季とデレデレしてんじゃないの」(洋貴)「ずるいねえ」(響子)と他愛のない会話のあと、手を合わせながら、涙ぐんでしまう、響子。
 私も亜季とデレデレしたいのに。
 終わったよ、亜季。
 そんな気持ちで手を合わせているのかと思ったのですが、響子は入れ替わりに手を合わせようとする遠山家の人々に、こう言うのです。

 「あのう。
 お願いがあります。

 亜季に、謝らないでください。

 私、今亜季に言いました。

 『あなたはちゃんと生きたのよ』 って。

 短かったけど、…すごく、短かったけど、あなたは幸せだったのよって。

 亜季の前では、謝罪も、罰も、後悔も要りません。

 7年の人生を全うした、亜季の冥福を、祈ってください」

 私も夭逝した子供たちを何人か知っているのですが、その子たちが短い人生だったからって、意味のない人生だったと思ったことがありません。
 その子はその子なりに、「一生懸命生きる」 とか 「何かのために生きる」 なんて高尚なことを考えていなくとも、その子がいたことで、まわりの人たちが癒されたり、笑わせてくれたり、何かの役に立っていた。 何の意味もない人生なんて、あり得ないのだ、と。
 それはその子が死んだことで悲しむ人がいる、というのが何よりの証拠です。
 たとえ短くても、人の存在というのは、なにものかの意味を持っている。 それがたとえ赤ちゃんであっても。 ほんの数日しか生きられなくても、人の命というのは、何かを私たちに教えてくれるのです。

 だから、「短い人生で残念だったね」 とか 「もっといろんなことを経験したかったろうに」 というのは、生き残っている者たちだけの感想で、却って夭逝した子たちにとっては心外なのかもしれません。 まあ虐待とかで亡くなってしまうとちょっと違う気もいたしますが。

 「この宇宙では、人に親切にすることが自分を助けることになる、ってメーテルが言ってた」 と、耕平はまたまたマンガ(「銀河鉄道999」)から学んだ哲学を披露し(笑)、響子は 「またマンガばっかり読んでるから」 みたいな反応をします。 洋貴も 「仕事してマンガ読んでクソして寝て」 みたいなこと言ってたし(笑)、この兄弟はマンガばっかり読んでたようです(笑)。

 ただこのドラマでは、出番の少ない耕平の、毎回序盤のちょっとした話が、その回の性格を決めているような気もする。 以前マンガの主人公と自分との年齢差を考えて幼さを実感する、と言った回でも、文哉の幼さが全開になっていた回だった気がするし、今回の 「情けは人のためならず」 という話も、その後の展開に影響を与えている気がするんですよ。

 響子は言います。

 「亜季も、喜んでた。 お父さんも、『よくやった』 って。
 お母さんも、感謝してる。
 加害者が反省してなくたって、もうじゅうぶんです。

 洋貴が後ろめたく思うことなんて、なんにもないんだから」

 「おつかれさま」 と耕平。

 このシーン。

 実は 「そんなことないんじゃない?」 というシーンです。 私にはそう思えます。

 亜季が喜んでいるとか、お父さんもよくやったって言ってるなんて、実は響子の思い込みですよね。
 つまり、そう思い込みたがっている。
 耕平も、シャンシャン、という感覚で、このセリフを言っている。
 つまりこれ以上何を望んでも無駄だから、ここで手打ちといたしましょう、という感覚です。

 ただこのシーンを、作り手は意図的に挿入している気もする。
 つまり現実でも、いつもお仕着せの満足ばかりが、被害者に要求されている。
 深見家の人々にとってみれば、ここまで犯人に言いたいことも言えたんだから、私たちは恵まれているほうだ、と感謝しなければならないみたいな感覚に陥ってると思うんですよ。 ほかの被害者家族に比べれば、という変な比較によって。

 でもどこまで行っても、やっぱり釈然としない気持ちは残っていくだろうし、たとえ真顔で涙ながらに反省の弁を犯人から聞いたとしても、その気持ちは残っていくんじゃないか、と。
 だったらお仕着せの満足で我慢しなければいけない、というような構造。

 この最終回の話の運びかたを見ていて釈然としない思いって、結局は、そんな現実とダブる部分に対してだと思われるんですよ。

 その夜。

 喪服姿のままの双葉が、釣り船屋にいます。 隆美と灯里は、先に戻ったのでしょう。
 響子は耕平と共に耕平の実家に行った模様。
 釣り船屋には、洋貴と双葉だけです。

 「最近どうですか?」
 双葉がアバウトな質問をします(笑)。 ふたりはあの夜以来、会ってなかったようです。

 「最近?……あ、電球、取り替えました」
 「ああー」 と間延びした双葉の返事(笑)。

 「遠山さんは?最近」
 「…昨日ガム踏みました」
 双葉、相変わらずとぼけた味を出してます。

 「遠山さん、どうっスか?最近、他になんか、踏みました?」

 なんなんだか(笑)。 とにかく洋貴は、双葉と話をしたがっているようです。

 「どうかな…。 踏み系はそんなとこですね」(踏み系って…笑)

 「ホント言うと!あのう…最近、あの取り替えたりとかばっかりじゃなくって、最近…遠山さんのこととか考えてました…」

 洋貴は不器用なりに、自分の双葉に対する好意を、伝えたがっています。 ただそれに対する双葉のリアクションが、なんだかちょっと分かりづらい。 どうも自分から距離を置きたがっているような、そんな気持ちが、どこかに見え隠れするのです。 洋貴は息堰き切ったように、焦って話し続けます。

 「遠山さんの…遠山さんとのこれからのこととか…いやまあそれは難しいことで、過去的なこととかで、でもまあ、自分的にはそのう…。 未来的には、…大切なもので…守りたいもので…。

 思うんス。

 希望って、誰かのことを、思うときに感じるんじゃないかなって、希望って、
 …誰かに会いたくなることなんじゃないかなって」

 洋貴はいったん中座しますが、あらためてテーブルの椅子に座り、双葉も座るよう促します。 対座するふたり。

 「ずっと一緒にいられたらいいなって思って。

 遠山さんと一緒にいられたらなあって。

 どんな昨日とかじゃなくって、どんな明日を見てるかで、話が出来たらなあって。

 (照れたように)スイマセン、なに言ってるのか全然…」

 双葉はしばらく考えたあと、切り出します。

 「私も、そうなったらいいなあって思ってました。
 ずっと一緒にいられたらいいなあって思ってました」

 双葉の言葉が過去形なのが、気になります。

 「フフッ。 そう思ってる人にそう言われると、うれしいもんですね。

 でも。

 深見さんとお会いするのは今日で最後にしようと思ってます」

 「(えっ?)」 という表情の洋貴。

 彼女は、草間真岐の娘、悠里チャンの母親になろうと決めた、と言い出すのです。

 「えっ?い…い、いや、なんであなたが?」
 洋貴は、狼狽します。
 昼間、母親や弟から 「お疲れ」 とねぎらわれ、もうこの忌まわしい事件のことは忘れて明日を見つめよう、と思っていた洋貴ですから、なおさら、過去と向き合い続けようとする双葉の言い出したことが、信じられないのです。

 双葉は、真岐の延命をしてもらえることになったと話をし、10年でも20年でも、悠里チャンのそばにいるつもりだ、と話をします。 悠里チャンが大きくなって双葉が加害者の妹だと知って恨まれても、受け止める、と。

 「加害者はあなたじゃないでしょ文哉でしょ?

 遠山さんただの妹じゃないっスか。

 なんで、あなたが、背負うんですか?

 あなたが引き受ける理由ないでしょ?」

 洋貴のここでの言い分は、ちょっと違っている気がします。 ただの妹じゃないと思うし。
 洋貴はあのカープの定食屋の会話以来、もう文哉を 「処置なし人間」 として見切りをつけちゃっている。 もう関係ないや、あんな奴、と思っちゃってる。 だからみんな、文哉のことなんか忘れてしまいましょう、と思っている(あくまでこの時点での暫定的な心情として、ですが)。

 双葉は洋貴の問いに決然と答えます。

 「あります」

 そして相好を崩して、「フフッ。 変な理由でもいいですか?」
 と洋貴に訊くのです。

 「あっでも、本当の気持ちの理由です。

 …

 真面目に生きたいんです。

 真面目な人でいたいんです。

 甘えたくないんです」

 「そんなの理由になんないっス」

 「あたしにはなるんです」

 「…いつか忘れられるかもしんないじゃないっスか」

 「…亜季ちゃんが殺されたこともですか?」

 「…」

 洋貴は、考え込んでしまいます、が、まるで双葉に宣言するように、顔をもたげまっすぐ双葉を見つめ、こう言います。

 「…忘れられるかもしんないっス…」

 少し戸惑い、笑ったような失望したような、複雑な表情を見せる双葉。 目には涙がたまっています。

 「…忘れられるかどうか、想像してみました…。

 忘れられないと思いました。

 …忘れていいかどうか、考えてみました。

 忘れたらいけないって思いました」

 双葉を睨みつけたままの洋貴。
 それは翻って自分の甘い気持ちに対しての視線のような気がします。
 涙が知らずに、洋貴の目からこぼれます。
 忘れて次のステップに行こう、という姿勢も大事ですが、忘れてはいけないものというものもある。
 他人はどうかは分からない。
 でも、自分は、「忘れてはいけないもののために、生きていく」。 忘れてしまおうということに、双葉は無責任なものを感じているのだと思う。 それを双葉は 「真面目」 という言葉で表現しているのではないでしょうか。
 文哉が拘留されたから、責任はここまで、と考えたくない。
 そこで割り切ることのできない、不器用な人間だからこそ、まっすぐ生きたいと考えるのだと思うのです。
 洋貴はそんな双葉のまっすぐな姿勢を見て自分を恥じているから、双葉を睨みつけている。

 「ゴメンナサイ。 もう決めたことです。

 ゴメンナサイ。 それが、私の見てる、明日です」

 席を立つ双葉。 泣き笑いの表情で、洋貴に別れの言葉を告げます。

 「楽しかったです! 普通じゃないけど、楽しかった」

 深く一礼して、出ていく双葉。

 釣り船屋から立ち去っていく双葉を、洋貴が追いかけます。 そして別れたばかりの双葉に、こんな提案をするのです。

 「一日だけでいいです。 普通の人たちみたいに、どっか行ったりしませんか?」

 「あー。
 デート的なアレですか?」

 「デート的っていうか…デートです」

 「あっ。 はい」
 なんとなく、人を食ったような、双葉の返事。

 「あっ。 はい」
 それにつられてしまう、洋貴。

 このふたりのベクトルというものは、とても似通っている気がします。
 双葉も洋貴も、どことなく何を面白がったらいいのか分からないまま大人になり、とにかく意味不明のことを面白がる。
 ふたりとも抑圧された悲しみのなかにいたから、自分の感覚が世間ずれしている。
 そしてそのことにちょっと怖がりながらも、面白がっている傾向があるんですよ。
 で、世の中のたいていの人が面白がることに、あまり興味がない。
 人並みの幸せを享受しちゃいかん、というリミッターが、いつもかかっているからです。
 でもふたりとも、そんな人並みの幸せというものを、ちょっと経験してみたくて仕方ない。
 だから 「普通の人みたいにどっか行ったり」 という発想が生まれるんだと思うのです。

 そして人並みのことをしようとして、ふたりが行った最後のデートの行く先は、富士急ハイランド。
 なんだかこの遊園地で楽しむふたりの雰囲気は、まったく素のまんま、という気さえする、自然体の権化みたいな演技でした(笑)。

 そして、金の招き猫が鎮座まします(笑)お社のようなコーナーに、たくさんのこよりが巻きつけてあるのを、双葉は目撃します。 双葉はそれを見て、昔のことを思い出します。

 「神社でおみくじ結んである木あるじゃないですかー。 昔郵便ポストだと思ってたんです」
 ふたりはフリスビーで遊んでいます。

 「えっ誰が届けるんですか?」

 「なんか、そ、そういう届くシステムがあって、不思議な手紙の木、みたいな」

 「ハハハ」

 この 「不思議な手紙の木」、はラストの、ちょっとした布石となります。

 洋貴はあらためて双葉に翻意を促すのですが、双葉の決心は固い。

 いっぽう。

 駿輔が、文哉の面会に来ています。
 刑務官から自分の番号を呼ばれたことにちょっと意外な顔をする駿輔。
 おそらく面会がいつも実現するとは限らないようです。

 差し入れの話をするも、あまりに暗い文哉の顔に、ちょっと言葉を失ってしまう、駿輔。

 「…生まれたときは。

 なにも知らない、可愛い赤ちゃんだったんだ。

 …抱き上げて…。

 こいつが大きくなったら、一緒に山に登ろうと思って…」

 こみ上げてくる駿輔。 ガラス越しに、文哉の暗い顔が、ずっと父親を見つめています。
 涙をぬぐい、話をつづける駿輔。

 「文哉。

 お父さんだよ。

 ……深見亜季ちゃんを殺させたのも、草間真岐さんを、あんな目にあわせたのも…お父さんのせいだ。

 お父さんを恨んでくれ。

 …憎んでくれ…!

 お父さんが、お父さんが、お前をそんなところに行かせてしまった…!…

 お、お前を、壊してしまった…!」

 慟哭する駿輔。 文哉はまるで人形のように無表情です。
 けれども、自分の父親の慟哭するところを観察しようとしたのか、伏し目だった視線が、次第に上がっていきます。 駿輔は被害者家族への謝罪も出来ないほどの無気力に陥っていたショックを、吐き出すように続けます。

 「お父さん…お父さんもう、どうしていいのか分からない…!

 お、お前のことをなにも分からない…!」

 「父さん」

 文哉が反応します。

 「うん…?」

 文哉は接見の仕切りガラスに、自分の右手を押し当てます。
 恐る恐るその文哉の手に、すがりつきたい気持ちで自分の手を合わせようとする駿輔。
 けれどもそれを断ち切るかのように、文哉は話を始めます。

 「お母さんの顔が思い出せないんだ」

 「えっ…」 駿輔の伸ばしていた手が止まります。

 「どうやっても…お母さんの顔が思い出せなくて…

 なんで?

 ねえ、お父さんなんで?

 なんでお母さんの顔思い出せないの? なんで?!」

 係官が文哉を制します。 しかし文哉は止まりません。

 「ねえ! お父さんなんで?!」
 叫ぶ文哉。

 「面会中止!退室!」

 「ちょっと待ってください!」 駿輔が言いますが聞き入れられません。

 「助けて! お父さん助けて!助けて!助けて!」

 激しく閉められる扉。

 誰もいなくなった面会室で、今の今まで文哉が触っていた仕切りガラスに、自分の左手を当てる駿輔。
 文哉のぬくもり。
 駿輔の薬指には、結婚指輪がはまったままです。

 「…文哉…!」

 そんな悲惨極まりないシーンのあと、場面は洋貴と双葉の楽しそうな遊園地のシーンに逆戻りします。
 ジェットコースターで叫び声をあげるふたりの写真が、モニターに映っている。 記念写真にどうぞ、というやつですが、洋貴はそれを一瞥して、買わずに去っていきます。
 レストランで、シャンパンを飲むふたり。
 双葉は、文哉が出所したあとのことを話そうとします。
 洋貴は 「今日は普通のことだけしよう」 といったんはその話を拒絶するのですが、「自分は出所するまで文哉に何回も会いに行く」 と決意を語るのです。

 これが、「忘れてはいけない」 という双葉の姿勢に対して洋貴が出した答えでした。 自分と双葉の道は違っても、進む方向は同じだ、と思うことで、洋貴は自分の双葉への思いを納得しようとしたのです。

 「それって、すっごいうれしくないっスか」

 うつむく双葉。 レストランのピアニストが、「星に願いを」 のメロディを奏でます。
 小学校時代の自分を思い出す双葉。 そのとき感じていた 「願い」 のありかを見つけたように、しゃべり始めます。

 「あのとき。
 初めのとき。

 深見さんに会いに行ったこと、何回も後悔したんだけど、でも、…会いに行ってよかったです」

 双葉は、自分と同じ方向を見ている人と、巡り合いたかった。
 そんな人は、滅多にいないです。 加害者家族と同じ境遇の人なんて。
 でも、自分の思いもよらなかった、被害者家族が、まさに自分と同じ境遇に置かれた人たちだった。
 そして幼なじみだった男の子が、自分とおんなじ方向を向いて歩いてくれる人だった。

 レストランから出たふたり。 川べりで語らっています。 ふたりの2メートルくらい前にはブリキのバケツ(なんじゃコレ?)、ふたりは小石をそのバケツめがけてほうり投げています。 イミフです(笑)。
 話題は海外に行くとしたらどこか。 双葉はイースター島、モアイ像が見たいらしい。 洋貴はスペインの闘牛祭りみたいな祭りを見てみたい、と言います。 小さいころ何になりたかったのか。 双葉は動物園の飼育係になりたかったけど、コアラの鼻がリモコンみたいでいやだったとか。

 このふたりの会話には、「それってどこが面白いの?」 みたいな危うさが潜んでいる気がする。 まあ確かにコアラの鼻がリモコンとか面白いんですが、「フツーそんなふうには考えないだろう」 という、特殊で、場合によっては引かれてしまうような視点なのです。
 でもふたりは、互いにそんなことを話しても許されてしまう、居心地の良さを感じている。
 居心地がいい、ということは、何よりも重要なポイントですよね。

 「深見さんの話しましょうよ」 と振られて 「ぼくの話なんか面白くないっスよ」 と謙遜する洋貴に、「話は別に面白くないですけど」 とかなり言いにくいことをズバッと言いつつ、双葉はこう指摘するのです。

 「深見さんと話すのはだいぶ面白いです」。

 「だいぶバカにしてますね」

 「してませんよ。

 深見さんのいいところ、私いっぱい知ってますし。

 知ってるんですよ」

 洋貴は照れて別の話をしようとします。 バレンタインにチョコあげたことありますか?とか。 でも双葉はこれだけは言いたい、という感じで、自分の話を続けます。

 「普通に、やさしいとことか。

 すごいやさしいです。 なんか。

 深見さんの優しいとことか思い出すと、…

 ちょっと涙出てきます」

 双葉の声が、わずかに上ずります。 「それはどうも」 とお礼を言う洋貴。

 「アレ? なん(の話)でしたっけ?」 双葉が訊きます。

 「だから、バレンタインのチョコレートとか」

 「そういう…」

 「手作りしたりとか」

 双葉は、言い澱みます。 「そういう…」、夢見る少女みたいなことなんか、したことないのに。 もしそんなことが出来たのなら、ひょっとしてこの人にしたかったかもしれない。 …こんなこと考えるのが、なんだか無性に楽しい。 とゆー双葉の心の動きは私の想像ですが(笑)。

 「…なんだろ?
 …アレ?(笑い泣きしてしまう双葉)

 なんか、…楽しいんですよ?

 なんか…。

 ヤだなあ…。

 すいません、なんか…。
 楽しいだけなんですけど…。

 深見さんあのう。
 ちょっと。
 …あっち向いててください…」

 「はい」

 洋貴は素直に従います。 感極まって、泣いてしまう双葉。 洋貴は横を向いたまま、バケツに小石を投げいれようとします、が、すべてそれは大きく外れます。 小石の行方を見ようと、少し振り向いてしまいそうになる洋貴。

 「あのうこっち向かないでください…」

 双葉は、洋貴の背中を両手で押さえつけます。

 「行くの…やめませんか?」

 洋貴は後ろ向きのまま、双葉に再び訊きます。

 「やめません…。 …行きます」

 洋貴は話題を変えようとする。
 「遊園地の写真、ハハ、あれ買えばよかったですね」

 「1枚700円ですよ。 もったいないですよ。 あんまり可愛く写ってなかったし」

 「そうスか? …だいたいいつも、あれぐらいっスよ」 双葉の顔が、あれくらい?(笑)

 「ひどいこと言いますね」 笑う双葉。

 「…思い出になるし…」 つぶやく洋貴。

 「深見さんにはこれからいいこといっぱいありますよ。
 ミスユニバースと結婚できるかもしれないですよ?」

 「したくないっスよ(不機嫌に)」

 「何か、頭に乗せる王冠とか、見せてくれるかもしれないですよ」

 「(振り切るように)王冠興味ないんで。 王冠ないほうが。

 …遠山さんといるほうが、楽しいです」

 「…

 …

 …なんか、

 …モテてるみたいでうれしいなあ」

 「そうっスよ。(自分のまわり1メートルくらいをぐるぐる指さして)このへん界隈じゃ、すごい、モテてますよ」

 「(やはり自分の周囲だけを指しながら)深見さんもこのへん界隈じゃすごいモテてますよ」

 しばらくの沈黙。 何かを決意したように、洋貴が 「遠山さん」 と言うと、双葉は会話を一方的に打ち切ります。

 「終わります。 終わります。

 …
 (涙を振り払い)はい! 終わりました!」

 双葉は立ち上がります。 振り返る洋貴。

 「今日楽しかったです。 一生の思い出になりました。 ありがとうございました(一礼する)。 帰ります」

 その場で笑って手を振る双葉。
 洋貴はにこりともせず、ただ黙ったまま動きません。
 今度は真顔で手を振る、双葉。
 やはり洋貴は、黙ったままです。

 別れを言ってくれない洋貴。 双葉は困ったな、というように、泣きそうになりながらも笑ってこう言います。

 「あの。 手、振ってるんですけど」

 洋貴に近づき、振っていた手を洋貴の肩に押し当て、何度も叩く双葉。 今度は真剣に話します。

 「振ってるんですけど…!」

 洋貴は反応しません。
 双葉はとうとう、泣き声になってしまいます。
 洋貴の肩を心もち怒ったように叩きます。

 「黙っちゃって…。

 無視ですか?

 …手、振ってるんですけど…」

 洋貴の肩に手を押し当てたまま、うつむいて泣いてしまう双葉。
 また肩を叩き始めると、洋貴はそのとき、双葉を抱き寄せます。

 …

 「…深見さん…」

 「はい」

 「…ホント言うと、ずっとこうしてほしかったです…」

 「…はい…」

 「ホント言うと、ワタシ的にだいぶうれしいことです…」

 「…はい…」

 「あと」

 「はい」

 「フフフ。 足踏んでます」

 「あっ。 すいません…。(すいません…)(と小さく)」

 結構しつこくこのシーンを書きましたが、個人的にだいぶ、泣けました、ここのシーン。 そして最後にちょっぴり笑いました。

 「なんで(どうしても行くのか)」 と訊く洋貴に、 「加害者の妹だからです」 と答える双葉。

 そして深くお辞儀をし、決然とその場からスタスタと離れていく双葉。

 「行ってきます」

 また反応しない洋貴。 双葉は決意を込めてもう一度言います。

 「行ってきます!」

 ちょっと笑ってしまう洋貴。 つられて双葉も、笑ってしまいます。 洋貴は 「頑張れ」 というように両こぶしをあげ、手を振るのです。 そして双葉は、スローモーションで、そこから駆け出していく。 双葉の旅立ちです。 いつまでもその後ろ姿を見送る洋貴。

 そして。

 草間ファームにやってきた、双葉。
 真岐の病室を訪ねた双葉は、きちんと挨拶を済ませ、真岐の手を取り、「悠里ちゃんを、一生守ります」 と宣言する。
 この場面。
 スキンシップを率先して行なう双葉のやり方に、なんか一縷の望みを見たような気がしました。 ひょっとして絶望と思われた、真岐の意識は、回復するのかもしれない。 これって私の個人的な希望的観測ですが。

 洋貴は、拘置所そばにあった駿輔の仕事場を訪れ、駿輔から、一枚の封筒を託されます。 洋貴は駿輔に、親父の形見の時計を手渡す。 それは親父が駿輔から受けた屈辱を象徴する品だったのですが、それを洋貴は駿輔に手渡すことで、草間ファームへの謝罪も続けていくことが大切だ、と訴えたかったのかもしれません。

 洋貴は文哉に、面会します。

 「妹どうしてる?」

 「もうお前の妹じゃないよ、彼女は…」

 洋貴は文哉が、いまだに自分と同じ闇を抱えている存在として自分の妹を認識していることを、きっぱりと否定しにかかるのです。

 15分の面会時間の間、洋貴と文哉がなにを話したのかは分かりません。 最初の会話以降、ただ押し黙っていただけだったのかもしれない。
 面会時間が終わって文哉が退出しようとしたとき、文哉は 「オレのせいじゃない」 と、再び言い切ります。
 そのとき洋貴は駿輔から託された、封筒の中身を開けるのです。
 それは、一枚の写真。

 そこにはおそらく、赤ちゃんのころの文哉を抱きかかえた、文哉の実の母、雅美の姿が写っていました。

 この写真。

 私は隆美、すなわち風吹ジュンサンによく似てるな、と思ったんですが、皆さんはいかがだったでしょうか。

 ともかくその印象で書き進めます。

 文哉はこの写真を見て、泣き崩れます。
 それは、自分が長い間心を閉ざしてきた、継母の隆美に対して持っていた理由のないネガティヴな感情が、もともと自分の実の母親雅美に持っていた感情そのものだったことが、彼のなかで氷解したのではないか、と思われるのです。

 私は文哉がどうして、はたから見たら酷い母親としか思えない雅美に対して肯定的なんだろう、と思っていたのですが、もともと彼は、そんな雅美が嫌いだった(書き足しますが、本質的には好きだったけれども、母親の見せる嫌な部分に戸惑い、その部分を憎んでいた、ということです)。
 それを、雅美と同じような顔をした継母の隆美に、その嫌いな思いを投影してしまった。
 だからもともとあった雅美への思慕の思いだけが独立して、雅美に対して肯定的に感情を持つようになった。

 とすれば、これは文哉にとってコペルニクス的転回であります。
 彼が更生に向かう道は、大きく開かれたような気がしてなりません。

 その拘置所を洋貴が出たとき、大雨が降っていました。 そこに洋貴のナレーションがかぶさります。 体裁的には、双葉への手紙、という感じです。

 「遠山さん。
 今日ぼくはひどい夕立に降られました。
 友達だった奴の目から涙があふれ出るのを見ました。

 雨が上がって、洗い流された街が光るのを見ました」

 今度は、双葉から洋貴への手紙です。

 「深見さん。
 ここ、草間ファームでは、最近猫の親子が住みつき始めました。
 名前は、ナスカとモアイにしました。
 じゃれあうナスカとモアイを眺めながら、悠里ちゃんと指きりしました。
 『ずっと一緒にいるよ』 と約束しました」

 「遠山さん。
 この頃ぼくは毎朝5時半に起きて、枯れ草をほうきで集めます。
 一日ごとに季節が移り変わるのを感じます」

 「深見さん。
 図鑑を見ながら悠里ちゃんとお昼寝したら、ゾウの鼻で運ばれる夢を見ました。
 あと、父から手紙が届きました。
 少し長い返事を書いて並べてみると、私の字は父の字ととてもよく似ていました。
 あと、母が作った焼きうどんを思い出して、真似して作ったら、びっくりするくらいまずかったので、ひとりで食べました」

 「遠山さん。
 母は今でも時々泣いています。
 だけどさっき、『買い物したら、777円だったのよ』 と言って、笑ってました。

 たとえば、月曜日と木曜日に泣いたり、火曜日と金曜日は笑ったりして。
 そうやって続いていくのだと思います」

 「深見さん。
 悠里ちゃんと電車に乗って病院に行きました。
 お母さんの心臓の音を聞いて、帰りはショッピングセンターへ行きました」

 「遠山さん。
 朝日を見て、まぶしくて、遠山さんの今日一日を思います」

 「深見さん。
 こうして朝日を見てるとどうしてか、深見さんも同じ朝日を見ている気がします。

 いつもあなたを思っています。
 私が誰かとつないだ手のその先で、誰かがあなたの手をつなぎますように」

 「つないだ手に込めた思いが届きますように。

 ――悲しみの向こう側へ」

 「悲しみの向こう側へ」

 「進め」

 「進め」

 「進め」

 「進め」

 で、悲しみの向こう側にあったのは。

 15年延滞していた、洋貴のエロビデオの返却でした(爆)。

 「延滞料、いくらになりますかね?」

 エンドマーク。

 最後が爆笑になるとは。

 ところでこの手紙のやり取りのバックで、遠山家と深見家のその後が映されていたのですが、彼らは彼らなりのやり方で、笑える生きかたを探り当てたように見えます。
 そこには文哉の姿はなかったのですが、希望を持って考えるのが、感想の持ち方としては正しい方向かと思う。

 そしてこの手紙のやり取り。

 途中から、書いていた手紙を、洋貴も双葉も、自分の行動半径にあると思われる木に、こより状にくくりつけているのです。

 これっていったい、どういう意味なのか。

 最初は相手の手紙をくくりつけているのかとばかり思っていたのですが、双葉が主に書いていた黄色っぽい紙を、当の双葉が自分で木にくくりつけている。

 つまり、この手紙は、互いに相手に出されてない手紙だと思われるんですよ。

 最終回の前半で出てきた双葉の言葉を借りれば、その木は郵便ポストみたいなもので、相手に思いを届ける不思議な手紙の木、ということなのでしょう。

 そうして、届くはずのない自分の思いを、互いに届けようとしている。

 それは文哉に対して周囲の登場人物が思いを届けようとしていたことと通じる。

 つまりこのドラマの作り手は、「文哉にはなにを言ったってダメだ」 という結論を、このドラマで導き出していない、と感じられるのです。
 届かなければ、届くまで、進め、進め、進め。

 それが作り手の祈りにも似た感情のように、思えるのです。

 延滞料ですが、たぶん50万くらいかな?(爆)
 もうVHSビデオなんて取り扱ってないだろうし、このレンタルショップが良心的なお店であることを、私としては望みます(つーか、レンタルショップが15年以上経営を続けているなんて、それだけですごいと思うなー…笑)。

 あーこの、精力使い果たしのスペースバンパイアみたいなドラマも、よーやく終了いたしました。 この、最後まで無駄に、無駄に、無駄~~に長かったレビューをお読みくださったかたには、心より感謝申し上げます。

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コメント

初めてコメント致します。
このドラマは3回目くらいから見始めて、それからずっとリウさんのレビューを読ませて頂いてました。
私は最終回の「届かない手紙のやりとり」のくだりで涙が…、このドラマを見始めて初めての涙が出ました。そして初めて数日間、余韻に引きずられました。

このドラマを主人公二人の恋愛を見どころとしては見ていなかったのですが、(だから禁断の愛というフレーズを読むと違和感もあったし) 最終回の予告で明るい色の服を着て笑い合っている二人を見て、やっぱり期待してしまっていたんですよね。だから結末にしばらく落ち込みましたが、でも納得できる形ではあると思いました。

エンドマークでは私も爆笑したかったです(笑)
私は「洋貴の時間が再び動き出した」という風に
感じたので、爆笑するより先に「なるほど~」と思ってしまって^^;

初回は見ていませんが、お店の人の目を見て笑って話せるようになるのは、ずいぶんと変わりましたよね?洋貴(多分)

このドラマを見て良かったと思います。そしてドラマの感動を追体験できるような濃いレビューを最後まで書き上げて下さったリウさんに感謝致します。お疲れ様でした。本当にありがとうございました!

投稿: 杏 | 2011年9月17日 (土) 22時27分

 リウ様、レビュー、お疲れ様でした。私も最終回は見ました。私は静かで、少し希望のある終わり方で良かったと思います。

 私は文哉は変わるかもしれないと思います。実母に対する思いは、私は嫌いじゃなくて、愛しているのだと思います。晩年は育児放棄か虐待に近いことをして、事故か自殺で死んだお母さんだけど、愛していたと思います。助けてあげたかったし、お母さんを助けてほしかったのではないかと思います。多分、自分を優しく愛してくれた頃の思い出が、文哉の宝物だと思うのです。お母さんに死なれた事で彼の心は壊れたと思います。

 お母さんの顔を思い出せなくなった事、他の家族が忘れても、自分だけは忘れないはずだったのに、それは彼にとって、残酷な神様からの罰だったのではないでしょうか。幼い頃の記憶ってだんだんあやふやになってしまうから仕方ない事だけど。だから、お父さんから預かった洋貴が見せてくれた写真が、幸せそうに自分を抱いて微笑んでいるお母さん、彼が会いたかったお母さんの姿だったと思います。風吹さんに似ていたなんて気づかなかったので、浅はかな考えでごめんなさい。(虐待された子供でも、親が迎えに来て、一緒に暮らしてくれるのを望んでいると児童養護施設を見学した時に聞いていたので。)彼は洋貴の大事な妹の命を奪ったのに、洋貴は彼が自分の命より大事なお母さんの記憶を届けてくれた、すぐには、文哉の心を動かさなくても、届くまで進めの一歩なのではないでしょうか。でも私は全話みたわけじゃないので、リウ様の考察が正しいと思います。

 双葉と洋貴のぎこちないけどお互いを思い合う関係が不思議だけど、優しい気持ちにしてくれます。普通というのが、難しい。哀しいです。二人の出されない手紙がいつか届くといいです。リウ様レビューお疲れ様でした。

 

投稿: ささ | 2011年9月17日 (土) 23時15分

11話のレビュー待ってました〜〜。3点ばかしコメさせていただきます。
その1。文哉と実母の関係性については、どんなにひどい仕打ちを受けようが
(暴力とかはなしで、ネグレクトと言葉責め?)
文哉はお母さんが大好きだった、に一票。死の真相については推測するにやはり事故かなぁ。
「天国のハワイに行く」ってのは、文哉への言葉の虐め。
「あんたとっても悪い子だから。もう知らない。お母さんいなくなっちゃうから」→「やだやだ」
子供ダダ泣き…みたいな。
で、興奮していたのか惰性で作業していた為に誤って転落(ってドジ?まさみドジ系?)
大きな赤いエビにむしゃぶりつくお母さんのインパクトが強烈で
(お母さんに幻想を抱く男児にとっては、それって醜悪なイメージで恐怖すら覚えるかも)
そしてもちろん目の前で起きた転落のショックが大きすぎて致命的なトラウマに。
頭の中でお母さんの顔が赤いエビにすり替わってしまう位の…ってこれはナイかw
その2。響子さんの宣言については、自分的にはしっくりきました。2話の耕平のセリフ(byジンベイ)軽い口調ではあるんだけど、やはり真理というか…。ドラマの響子さんサイドの着地点としてはこれしかないというか…やはり…ウーン。
その3。双葉が星に聞いて欲しかった「願い」。自分と同じ方向を向いている人と
めぐり逢いたかった……そして幼なじみだった男の子が自分とおんなじ方向を向いて歩いてくれる人だった。
リウ様のフレーズにきゅんきゅんしました!
最終回でこの話の本質はラブストーリーだったんだと再認識です。
一説によれば坂元版ロミジュリだそうで。

有難うございました。またもや長々と書いちゃいました。スミマセンm(_ _)m

投稿: ふぉぐ | 2011年9月18日 (日) 03時23分

杏様
はじめまして! コメント下さり、ありがとうございます。

いやんなるほど長ったらしいレビューばかりでしたが、最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

最終回、こんなに解釈が分かれそうになるシーンばかりになるとは、正直思っていませんでした。
だから自分でも、書いてて相当不安で(笑)。

で、正直に書きますとやっぱり個人的にはちょっといきなりラヴストーリーになってしまったところが違和感があって。

前回まで、被害者家族や加害者家族、そして少年法、償いとか反省って何なのか、といった重いテーマに敢然と取り組んでいた作り手の姿勢が緩和されて、それまで深く潜行していたように思えた洋貴と双葉の恋愛感情が一気に噴き出た感じで。

このドラマを批判する人の論理に、「あり得ないことをするな」 という憤りが底辺に流れていた気がしていたので、まさにこのふたりの恋愛、というのは、その最たるもののような気がしていました。

で、大恋愛モードになってしまった最終回を、ワタシ的には今までの回とは違う感覚で見ていた、ということになるでしょうか。
社会派的な問題にはそれなりのケリは付けられていたのですが。

ホントに、このドラマ、止まったままの時間を、みんなが動かし始めた、というドラマだったんですね。 私もそーとー疲れましたがcoldsweats01、見てよかったな、と感じています。

投稿: リウ | 2011年9月18日 (日) 06時28分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

結構解釈が分かれてしまいますよね、やっぱり。 でもどう感じても、みんなそれでいいんだって思います。

私の考察については、「こう考えるのが正しい」、という観点で、けっして書いておりませんので、ご参考までしていただければな、と存じます。 「江」 ではかなり共感いただいている感じですがcoldsweats01。 なんかこういうブログでものを書いてて反響があると、エラソーな論調になってしまうのではないかと感じながら、常に自分を戒めております。

このドラマは、見る側が優しさを持って見ていないと、耐えがたい性質を持っている気がします。 受け手が優しさを持っているから、登場人物たちの悲痛なうめきにも、大きく心を動かされるのだ、と思います。

ちょっと言葉足らずだった気がしたのであらためて本文に書き足しましたが、私も根源的な部分では、文哉は前の母親に思慕の念があったと思っています。
ただ、それとは裏腹の態度を取られた、その恨みだけが、継母の隆美に向けられていったのではないか、と。
そしてそれを助長していたのが、雅美と隆美の顔が、よく似ていた、ということにあったのではないか、と思ったのです。
雅美のデビルな部分(デビル雅美…こーゆーところでも冗談を書いてしまうガキな私です)を隆美に投影した、みたいな。

手紙のやり取りに関しては、坂元サンの前作 「Mother」 での松雪泰子サンの、芦田愛菜チャンへの手紙を想起させました。 なんとなくベタな感覚なんですよね。 そして 「Mother」 でその追伸に、「クリームソーダは、飲み物ですよ」 と書いた松雪サンの姿勢が、瑛太クンの 「延滞料、いくらっスか」 と通じるものを感じるのです。 なんとなく、笑わせようとしていて、それが滑り気味になっている(笑)。

ラストを見ていて、私は 「ゲッ、マジメに生きるのはいいけど、いきなり何10万も請求されそうなことしに行くかよ」、と思ったので(笑)、この突き放しかたには、ちょっとヤラレました(笑)。

投稿: リウ | 2011年9月18日 (日) 06時55分

ふぉぐ様
コメント下さり、ありがとうございます。

ささ様の返信にも書いたのですが、ちょっと言葉足らずな部分があったと思ったので、本文中書き足させていただきました。 私も文哉が前の母親をもともと好きだった、という意見に一票ですcoldsweats01(詳細については先のコメントで言及しておりますのでご面倒ですがそちらを参照くださいませ)。
やはりどうも、自分の 「思いを届ける」、というのは、難しいものですね。

前の母親が赤いエビ…という個所では笑ってしまいましたhappy02。 水着を着ているロブスターをそーぞーしてしまいました(爆)。

確かに雅美の写真(ホントに、ほんの一瞬でしたが)を見てると、「心が病んでいる」、というようには見えませんでしたね。

ただ人って、どう変わっちゃうか分かんないし(ここらへんは、雅美チャンを信じているふぉぐ様と違って、私の性格の悪さが感想に出ちゃいますが)。
文哉の父親駿輔も話していましたが、やっぱり生まれたときは、誰だって幸せの頂点にいる気がします。 駿輔はそのときの思いを忘れて、仕事にかまけて尊大な感じになっていたと思われるし、雅美も家庭を顧みない夫や日々の子育てに忙殺されて、嫌味を言うような母親になっていったような気がします。

雅美の死亡原因がやっぱり事故だったのでは?とするふぉぐ様の感想は、やはりふぉぐ様ご自身の優しさがあふれる感想だ、と私は思うのです。

響子の宣言についてですが。

やっぱり自分に言葉足らずの部分があったかな、と感じています。
ただまあ、被害者家族のことを考えたとき、どんな解決がなされたとしても、けっして悲しみというものは消えないんだよなあ、という気がいたしたものですから、それが本分中の、奥歯にものがはさまったような感想になってしまったかもしれません。

あらためていろんな感じかたが出来る最終回だったな、という気がいたしておるのですが、最終回のラヴストーリー仕立てでは、それまでの胃が痛くなる展開より気持ちが温かくなる感じでした。 いいドラマでしたね。

投稿: リウ | 2011年9月18日 (日) 07時18分

リウさんお疲れ様です。

最終回、すでに3回ほど見ました。

もちろん視聴者は、二人のハッピーエンドを望んでいたんですが、叶いませんでしたね。

逆にこの結末を迎えたことによって、リウさんが指摘した、サトエリの回復とか、状況がひょっとしたら好転するかもを想像させることによって、このドラマは終わっても、見る側にとってはずっと続いていく気がします。

しかし最後のデートのシーンは本当に良かったですね。せつなくて涙が出ました。
洋貴はエリシャツ着て、靴をちゃんと履いて(黄土色の靴下は同じ(笑))、双葉はスカートに、スニーカーじゃなくてサンダルみたいなもの履いてる。やっと二人とも普通のデートが出来たんだなって。感動ですね。

最後、洋貴が双葉を抱きしめた時は、ついに二人がって...ものすごく感動しました。ぎこちない感じも良かった。チープなキスシーンもなくてよかった。でも結末はせつないですが...

最後の出さない手紙で相手を思う、二人はずっとつながっているみたいなところが、すごい素敵でした。せつなくてでも素敵過ぎて涙がとまりません。

いつか被害者の様態がよくなって双葉が戻ってこれますように。双葉が戻ってきた時に洋貴が、今度は『妹のことも過去もひっくるめて、全てのことを受け入れる』強い覚悟を言葉に出来て、強引に双葉を引き止めて欲しい。そんな希望を思いながら、このドラマは永遠に続いてく気がします。

投稿: ima♂ | 2011年9月18日 (日) 07時50分

ima♂様
コメント下さり、ありがとうございます。

すでに3回とは、ヘビーローテーションですねcoldsweats01

私は記事を書くためにもう一回見たきりなので、都合2回ですか。 でもちょっと理解力不足で、何度も見なおした部分もありました。

サトエリチャンの涙には、期待したいなーと感じました。 五郎のしゃべってることを、理解している、という感じでしたものね。

ラストで駿輔から現金書留が五郎のもとに届けられていましたが、延命を継続することを五郎が決めたのも、それはそれでかなりの金銭的覚悟がいることだと思うのです。 五郎は双葉をもっとこき使わなければ(ああーどうしてこう、品のない感想になってしまうのか…笑)。

最後のデートで双葉が着ていたのは黄色っぽい服装、そして拘置所に洋貴が着て行ったのも黄色っぽいTシャツ、双葉が洋貴に書いている手紙の色も黄色(すべてではありませんでしたが)、なんとなく統一がなされているような気は、いたしましたね。

このドラマを後味の良いものにするには、やはり受け手の優しい気持ちが必要不可欠なのだ、という気がしています。

私たちは、自らの 「心」 によってドラマを見ているんだ、という気が強くする、今回のドラマなのです。

投稿: リウ | 2011年9月18日 (日) 09時06分

最終回まで続けていただいて感謝感激です。

文哉のお父さんがサトエリちゃんの所へ行かなくなったのは、ただ息子の収監に打ちひしがれているわけではなくて

延命治療を拒否する決意の瞬間に立ち会ったことで逆に腹を括ったのじゃないかと思っています。
表面上の謝罪訪問を毎日続けたところで、当の息子に向き合ったこともない自分には
息子のしたことを、親として謝罪する資格もないのだ、と。

それまでの、どこか逃げ道を用意した(あいつは俺の息子だけど何を考えているかわからない、俺とは違う、etc)謝罪、人生ではなく

文哉は自分の息子なのだということをきちんと認識し受け入れて、理解してやろう。
謝罪はそこから始まる。と、そんな風に感じました。

双葉ちゃんも加害者の妹であることからただ卑屈に腰をかがめて逃げの人生を送ってきた自分に決別します。

亡くなった方は戻ってこない、被害者家族の苦しみは癒えることはない、としながらも
蓋をしていた沢山の後悔に光をあて、明日をみようと思えるまでになっていく。

皆の、あるがままを享受する姿勢は清々しく胸を打ちました。

あの手紙の木は、いつか大きな実を結ぶと素直に思えるいいラストでしたね。


リウさまの深く優しいお心から紡ぎ出されるレビューは、観る側と制作サイドを繋いでくれていたように思います。

最後まで書き上げてくださって本当にありがとうございました!!!

投稿: ちゃも | 2011年9月18日 (日) 09時35分

ちゃも様
コメント下さり、ありがとうございます。

なるほど、そういう考え方もありますね! 息子のしでかしたことに親として謝罪する資格がない、ですか。 そんな文哉の父親にも、腹をくくる瞬間があったんですね。 今回のレビューには 「自分はこう感じた」 というコメントが多くて、とても興味深いです。 当然私の記事も、感想のひとつですから、「これが正解だ」 ということはないです。 皆さんのご意見を、ドラマを深くかみしめる機会にしたいですね。

実際に加害者家族と被害者家族が交流する、という機会というのは、とても稀なのだと思います。

なぜなら加害者家族の側には、殺人犯を生み出しただけの要因が潜在的に備わっているはずだし、被害者家族のほうは、悲惨な現実と向き合うだけの踏ん切りというものがつかない気がするのです。

だから現実を受け入れるという覚悟が、どんなに大変なことか。 このドラマのなかでは、双葉がその扉を開けたのだ、という気がしています。 それがたとえ密告をやめさせようという意図から始まったにせよ。

何度か言及したのですが、ホントにこのドラマはブロガー泣かせでcoldsweats01。 PCでブログカレンダーを見ていただければおわかりになると存じますが、このドラマの記事にかまけている影響もあって、最近記事のアップがやたらと過疎化してます(笑)。

一時はホントにレビューを書くのがしんどくて、弱音を吐きまくっとったのですが(ハハ…)、ちゃも様から頂いた最初のコメントで生き返りました。 最後まで書くことが出来たのも、ちゃも様のおかげだと思っております。 あらためてお礼申し上げます。 ありがとうございました!

投稿: リウ | 2011年9月18日 (日) 12時50分

はじめまして。

コメントは初めてですが、ここ数カ月、このドラマそして「胡桃の部屋」とともにリウさんのレビューをとても楽しく拝見しておりました。

リウさんの心深いレビューにより、自分の好きなドラマの心の機微がより深く味わえ、いろんな見方ができるな~と新たな発見につながり、充実した時間が過ごせます。ありがとうございます。


さて、最終回ですが、2回見て2回とも気持ちよいくらい泣けました。泣けたシーンは、やはり洋貴と双葉の石投げのやりとりと二人の思いの手紙やりとり朗読シーンです。
私も今まで悲しいのにこのドラマで涙がでなかったのです、やはりある程度の光がさすと存分に涙がでるような気がしました。


私が最終回で一番思ったのは、「文哉のような人間もいれば、双葉のような人間もいる。だから、世の中いろんなこともあるしいろんな人もいるけど、それでも世の中捨てたものではないんだよ。」ということでした。

文哉(いろいろな要因はあるかも知れないし簡単な善悪ではないが、結果として周りに迷惑をかけ傷つける人の象徴)との対比の対象として双葉にあそこまで「真面目」に生きさせたのではないかと。
心許す洋貴がいうところの「もっと楽に生きていい」に流されない「真面目」な双葉の姿勢に泣けます。その姿勢が、洋貴や周りの人にもきっと良い方向で波及していき人はつながっていきます。

こんな人もいるのだから、世の中も捨てたものではないと思わせてくれるのです。それが、このドラマの希望なのだな~と私は受け止めました。

「希望の色=黄色(私の思い込みですが)」が最終回ではアクセントになっていましたね。

ほんとに見る側の優しさに訴えるドラマでしたよね。各人の見方で感想も異なりますよね。

これからもリウさんのレビュー期待しております。応援しています。

投稿: サユ | 2011年9月18日 (日) 14時50分

サユ様
こちらこそはじめまして! コメント下さり、ありがとうございます。

ゲッ、「胡桃の部屋」 の記事もお読みでしたか…coldsweats01。 じゃあ最終回の記事だけ、書いてませんけど、お待ちでしょうか? いいかげんで申し訳ないです…。

サユ様も2回見直したのですか。 皆さん何度も見てらっしゃるんですねー。 個人的な感想ですが、私もこの最終回、やはり1度見たくらいではよく分からない部分が多いような気がしてます。

それと、やはりちょっと重すぎると、泣けないですよね。

自分の場合はなんとなく、「ここで泣いてしまうと、この人たちに同情してるような感覚になってしまう」 と感じて、泣けなかった場合が結構ありました。 向き合わなきゃいかん、みたいな。

「世の中捨てたもんじゃない」、ですか。 そういう感じ方も、あるんですね。 どんなに苦しくたって、明日がある、明日に向かって進め、進め、ですよね。

「私が誰かとつないだ手のその先で、誰かがあなたの手をつなぎますように」 と手紙に書いていた双葉の気持ちが、ちょっと胸に痛いのですがweep、その手が巡り巡って、双葉になってほしい、って思います。 双葉の真面目が、洋貴の真面目と、もう一度つながりますように。

「幸せの黄色いハンカチ」、なんて言いますもんね。 黄色が希望の色、というサユ様のご指摘は、ストンと胸に落ちるものがあります。

サユ様のご期待に添えるような記事を書けるよう精進してまいります。 ありがとうございます。

投稿: リウ | 2011年9月18日 (日) 17時32分

コメント返し有難うございます。米ツキバッタのように超深々と一礼!
まさみの死、については文哉の壊れっぷりからして自殺の方がストンと落ちるのですが
(14才までの文哉はむしろ早熟な子供だったかと思うので、文哉が語ったままの状況が事実の可能性も捨てきれない)
物語的には放置されてしまった姑の役割も気になるし、まさみのノイローゼは相当深刻だったかもしれない。
ただ、現場検証で事故と判定されている点から、
何処にでもある家庭の一幕がちょっとした歯車のズレでなし崩し的に不幸な状況を引き起こすいたたまれなさ…みたいな物が
脚本家が意地悪く忍ばせたカリカチュア的趣向なのかな、と考えたりもして。
もちろん、決して、文哉は不幸な偶然の連鎖が生み出した可哀相な殺人者なんて代物にはあらず、なので
文哉エピENDの描き方については十人十色の捉え方があると思いますが、取りあえず自分としては、
記憶の奥底に沈んだ母親の笑顔に再会した文哉の激烈な反応に希望の兆しを見た洋貴のモノローグ、
雨の描写からみえる洋貴の心の豊さみたいなものにぐっときたという…。
つくづく坂元さんに踊らされてる、と思いましたw
PS.双葉の黄色いワンピは洋貴との超控えめなペアルック狙ってるパターンですよね?ホッコリ…

投稿: ふぉぐ | 2011年9月18日 (日) 18時10分

ふぉぐ様
再コメント下さり、ありがとうございます。

そう言えば遠山(三崎)家の姑とか、一切出てまいりませんでしたよねー。 物語的に完全無視されてますねー。

文哉が前の自宅を 「自分の部屋も双葉の部屋もあった」 と言っていて、時計会社で羽振りが良かった、としていた駿輔の状況から言っても、その昔は駿輔の両親と同居していた、という可能性もじゅうぶん考えられますよね。

ドラマに出てきた部分だけで推測しなければならないのは、雅美の因島の両親が、自分の娘に対して 「勝手に出てって勝手に死んだ」 と忌避している部分のみ、ですかね。 ひょっとすると雅美には、思い込みが激しく扱いにくい性癖があったのかもしれない、なんて想像してます。

このドラマに出てくる人たちは、みんな、ちょっと考えて、「イヤだなあ」 と思うことから目をそらさず、自分の人生の時間を止まらせているものに挑んでいった。 文哉もようやく、そのスタートラインに立った、と思いたいですね。

そう言えば、あの招き猫も考えようによっては黄色、ですか…。 黄色い洋貴のソックスが、すべてに伝播している…。

投稿: リウ | 2011年9月18日 (日) 21時58分

リウさん、渾身のレビュー、ホントにお疲れ様でした。実はなんの手違いか録画を消去してしまい(今まで最低三回は見直していた)リアルタイムでの視聴しかしてなくて。マジか!と暫しリモコンを手に呆然自失。なので、リウさんのレビューを心待ちにしてました。リウさんが途中であまりの疲労にレビューを続けられない、みたいなことおっしゃっていたので催促もできないし。アップした記事を見て感謝でいっぱいです。で、レビュー読みながら追体験しました。ありがとうございます。

私…リアルタイムの時、ひとつだけどうしても釈然としない感情に(それまでは感じなかった)違和感がありそれを確認したかったのです。
それは双葉が選択した「お母さんになる」と言った言葉についてです。
何故そこで『お母さん』?
お母さんという響きにはなんとも言えない、感情が湧いてくるのです。安易に、お母さんって言わないで!と…人一人のお母さんになるには双葉は若すぎ、またそれって自己満足では?と、つい批判的に思ってしまったのです。確かに加害者の妹として真面目に生きたい、だから自分なりの贖罪のやり方がゆりちゃんを守っていく、イコールお母さんになるってフレーズになったのだと思うのですが…
そこで昨年のmotherの初回で「私あなたのお母さんになろうと思う」と虐待されてた教え子を誘拐してしまう行為に最後まで??ながらどこかにその答えがあるかと、見続けて結局理解ができなかったなぁと…

子育ては長い長い時間をかけて母子共に成長していくことだと思います。世の中には母性神話があり母親に対して過剰な押し付けがあると、実際自分は感じてます。でも一方でその神話にすがり「お母さん」としてどうあるべきかとそのモデルを探し、自分を当てはめて安堵する矛盾もあるんですが。雅美が陥ったのもそんな母性神話だったのかな〜と。「あ〜嫌だ嫌だ」と思いながら幼い文哉と生まれたばかりの双葉のお母さんを必死でやってて、でも誰にも頼れずどんどん追い込まれて自分だけ死に逃げ込んでしまった。それによって文哉の心が壊れ殺すボクが生まれた。責任はお母さんという責務から逃げた雅美にある。という構図がなんとも息苦しいのです。

文哉が父から心からの謝罪を聞き「助けて!」と本心を叫んだ時、それは母親からの呪縛(生まなきゃ良かった)という暗い押し入れからやっと指先だけ差し出した瞬間だったのかなと思いました。
そして、やっと母親の写真を目にし、あ〜自分は愛されていた、と自覚できた時押し入れから出てこられた?

う〜ん。また何が言いたいのかイマイチ纏まらなくなってきちゃいました。すいません。
ホッとはしてるんですよ。文哉が人の心をほんとはちゃんと持っていたんだって。洋貴の渾身の説得や双葉の飛びげり&パンチも無駄ではなかったことがわかったから。それでも、結局は母親の愛が総てを溶解させる源だという母性神話はここでも健在で…
それを若い双葉が負うことの怖さ知らず加減がどうも自分は引っ掛かってしまったようです。
ゆりちゃんが成長していくにあたり、またまたその母性がどんな歪みを招じさせてしまうのか…そんなことも考えてしまいました。

とはいえ、洋貴と双葉の悲恋は泣けました。素直に泣きました。
不器用ながらお互いを思いやり届くはずの無い手紙には嗚咽を堪えませんでした。
そして「希望」のくだりと「進め!進め!」と二人の声が重なるところはどんなに辛くとも『それでも、生きてゆく』強いメッセージと勇気をもらった。とてもいいドラマだったです。リウさん、素敵なレビューをありがとうございました。
また気になる記事があったらお邪魔させてください。

投稿: みち | 2011年9月19日 (月) 02時41分

リウ様 さすがです。

>このドラマを後味の良いものにするには、やはり
>受け手の優しい気持ちが必要不可欠なのだ、という気がしています。

>私たちは、自らの 「心」 によってドラマを見てい
>るんだ、という気が強くする、今回のドラマなのです。

なるほど納得です。そういうドラマがやはり人の心を動かすのかもしれませんね。

投稿: ima♂ | 2011年9月19日 (月) 07時28分

みち様
コメント下さり、ありがとうございます。

みち様もリピート派ですか…。
特に最終回は、ちょっと噛みしめたい内容ですし、消されてしまったのは残念でしたね。 私の主観的なブログじゃお役に立てないかと危惧しております。

双葉の 「悠里ちゃんのお母さんになる」 という決意の言葉ですが。

確かに母親の大変さ、ましてやこれから悠里チャンが大人になっていくに従って、いやおうなしに直面しなければならないことを考えると、とても軽々しくは宣言できないことのように思えます。

でも、背負い込むものに関しては、まず赤ん坊から育てるわけではない、というのは大きなアドバンテージかと、まあ私は男ですが感じます。

赤ちゃんはまさに、24時間体制ですからね。 夜泣きはするし、排便もランダムだし。
悠里チャンの場合それがないし、大きいなと思うのは、人見知りがない点。

けれどもやはり、悠里チャンが大きくなれば、「このお姉ちゃんっていったい誰?」 ってどうしても考えると思うし、悠里チャンの自我にとって双葉は、大きな障害物となる可能性はとても大きい気がします。

「Mother」 の松雪サンにしても状況的には同じで、芦田愛菜チャンはもう小学生で、しかも人見知りをしない子だった。

私がこのドラマを見ていてちょっと感じていた違和感は、出てくる年端もいかない子供たちが、みんな素直なんですよ。 亜季チャンにしても、祭りの会場で花火をしていた子供たちにしても。
みんな無垢の象徴、みたいな存在。

子供ってデモーニッシュ(悪魔的)なところもあると思うし、ただ殺されたらどこまでも 「かわいそう」 な存在じゃない気がする。

母親にとってみれば、もし子供が殺されたとき、心のなかに1パーセントでもそれ以下でも、「いなくなってほっとした」「あの子には結構傷つけられたことがある」 などと考える部分も、あるのではないか、と私などは思うのです。

だからそんな複雑なものが一切ない、子供たちが純真無垢な世界の住人である、このドラマのなかでは、松雪サンも満島ひかりチャンも 「軽々しく母親になることを引き受けてしまう」、というように感じられてしまう面もあるのでは、とみち様のコメントを読みながら考えました。

ただやはり、どんな世界に飛び込もうとしている人たちも、みーんな同じ気もします。

たとえば就職するのでも、面接で 「自分はこの仕事に関してやる気は誰にも負けません!」 みたいなことを言っても、面接官たちは 「やったこともないくせによくゆーよ」という感覚でしょ?(笑)

誰もがその場に入ってみないことには実感できない大変さ、というものは、やっぱりあると思うのです。

子育てに関して、「こうしなければ世の中の荒波に耐える人間にはなれない」、という細かくて論理的なマニュアルというものは存在しない気がします。

ただし、「こう育てるのが正しい」、という正解は、ある気がする。

それは、愛情を持って接していくことです。

それはその子を溺愛することではない。

その愛情とは、その子を一人前の人間にしよう、とする覚悟のことだと思う。

だからその子が悪いことをすれば、感情的にならず心から怒れる。 その子がよいことをすれば、必要以上に甘やかすことなく、ほめることが出来る。

子供は親のおもちゃじゃありません。

親は子供のために生きようとするし、自分の生きる元気のもとになる。
子供は親の姿を見ながら大人になっていく。

最終回で駿輔は、文哉が収監されたことでいったんは気力を無くします。

けれども駿輔は、そのどうしようもない自分の思いを文哉にぶつけることで、自分が文哉とそれまで正面から向き合ってこなかったことに、はじめて向き合ったのだ、と私は考えています。

親が本気を出して子供と向き合えば、子供は心を開いていく。

この駿輔と文哉の接見シーンは、そんなことを作り手が訴えているような気がしてなりませんでした。

双葉にしても、彼女には本気を出して悠里チャンと向き合おう、という覚悟が備わっている気がする。
確かに行く手には、確実に暗雲が広がっていますが、おそらく雨が降ったあと、そのあとの景色は光り輝くに違いないと、私は思うのです。

投稿: リウ | 2011年9月19日 (月) 07時51分

ima♂様
再コメント下さり、ありがとうございます。

「ドラマの感想は、自分の心を投影している」 というのは、まあいわば持論でしてcoldsweats01

ただ、やはりドラマの出来不出来によって論じなければならない部分もあるか、とも思います。

たかがドラマ、されどドラマ。
論じるだけのなにものかがあるドラマというものは、人に物事の本質を気付かせるなにものかを持っているような気がいたします(出来不出来に関わらず)。

投稿: リウ | 2011年9月19日 (月) 08時20分

大変おつかれさまです。
またまたコメ欄が盛り上がってますねー!!

皆様、複数回の視聴の上、深いコメントをされていて素晴らしいです。
私の友人も最低2回は見ると言ってましたし
そういう質のドラマなんですよね。

私ももう一話多いか、最終話が15分だけでも拡大しててくれれば、より細かいところが描けたのに、と残念に思います。
ちょっと駆け足でしたよね。

駿輔と文哉がちゃんと向き合えるようになったこと、良かったです。
過去にヒロキは2人に対して「逃げるな」と言ってましたものね。

そして
双葉の真面目さ、気持ちいいほどですね。
(ただし、私もユリちゃんのお母さんになるというのは意外&疑問でした。身の回りで手助けしたい、奉仕したいって気持ちなら理解できますがね。それでも相当な覚悟はあったのだと思います。)

双葉は過去にフィアンセ(たぶん)もいたので、
バレンタインを普通に過ごしたこともあったでしょう。
しかし殺人犯の家族であるという生き辛さを常に抱えていると、
フツーに育った男性とは違和感というか、居心地の悪さがあったんだと思います。
10年後、20年後、いつかヒロキと寄り添える日が来るといいです。

坂元脚本のキモは「手紙」ですねぃ!
おみくじ風にしたのは効果的でした。
ヤられた、と思いました。
その反面、ビデオの延滞料は「え、そこ?」って、ちょっと残念な感じでしたけどね。
(レンタル屋さんにVHSは、少ないですが置いてありますよーw ブルーレイとDVD、三つ巴です。)


電球とかガムとか。双葉とヒロキのヘンテコなセリフの応酬が見られなくなるのは寂しいです。
満島チャンとエイタが夫婦役(たぶん)の映画『一命』観ようかなーw

投稿: マイティ | 2011年9月19日 (月) 14時04分

すみません。1話につき3回もお邪魔しちゃいました。しかも横レス…
>けれども駿輔はそのどうしようもない自分の思いを文哉にぶつけることで〜
ここ、(゚Д゚)ハッとさせられました!
文哉との面会シーンでカウンセラーがNGワード認定しそうなセリフをかましていて、エエエエエ−−−−−!!と思いましたが
そうか。以前の駿輔なら有識者推奨の腫れ物に触るような対応をしたに違いない。
でも、この場面の駿輔は人知れず裸になってとにかく体の芯から湧き上がる気持ちをほとんど愚痴のようにぶつけた。
「(前略)父さん、もうどうしたらいいか解らない」
あの時、駿輔と文哉はある意味対等だった。
>親が本気を出して子供と向きあえば、子供は心を開いていく
ソレダ!>あの場面に作り手が込めたメッセージ
いつか、文哉がそんな駿輔の本気に応えて、どうしたらいいか解らないもの同士、心のザイルパートナー(臭ッ)になる日がやってきそうな気がしてきたぞ!
って大変お邪魔致しました。そーいや米ツキバッタは深々とお辞儀しませんよね。失礼しました。
ヘコヘコ。

投稿: ふぉぐ | 2011年9月19日 (月) 17時15分

マイティ様
コメント下さり、ありがとうございます。 返信が遅れて申し訳ありません。

参りますです…。

皆さんドラマの完全なるリピーターで、私なんかより何度も吟味してご覧になってるから、1回見たときの感想だけを薄っぺらく書いている自分としては、もうタジタジでありますwobbly。 セリフの文字おこしをするためだけにリピートして、「あ、こんときこ~思った」 とか思いながら書いてるだけですからね、自分coldsweats01

この最終回、少なくとも洋貴と駿輔が、この回の中だけで、心を変化させているように思えます。 こういうのはやはりじっくりその心境の変化を追わないと、見ている側が登場人物の心の変化についていけない気がする。 そうしたことも考えると、時間延長が必要だった気もします。

このドラマ、逃げるな、ということを前面に洋貴が主張していて、それは安易に自殺をするな、死刑なんかで逃げたつもりになるな、というかなり厳しい姿勢のように私には感じられます。

双葉の決心については、彼女なりの不器用な生き方の表れじゃないのかな、という気もしています。

双葉も洋貴も、かなり不器用な人間だと思う。 灯里とか、耕平とか、まだ適応能力に長けている気がするのですが、このふたりは気持ちがまっすぐすぎるんですよ。 だから惹かれ合うんだと思うのですが。

双葉にフィアンセって、ゲゲッ!見落としていた…(爆)。 それを匂わせるくだりがあったんですねぇ…。 やはり何回も見ている人には敵わない…。

「Mother」 の松雪サンにしてもそうでしたが、坂元サンのドラマに出てくる手紙って、みんな手書きですよね。 うちらみたいにキーボード(ケータイのボタン?)パチャパチャやってるわけじゃない。

そして双葉は、自分の字と父親の字が似ていることに気付いたり。

気持ちが伝わるのは、やはり肉筆がベストだ、という坂元サンのこだわりも見えてくる気がいたします。

VHSビデオ、まだレンタルショップにあるんですか! じゃあ洋貴も、こつこつと延滞料を払っていかねばならない可能性大、ですね。
でもたとえ何十万になろうとも、それを完済することが洋貴にとって、止まった時間を動かし、未来を見つめるための覚悟になっていくんでしょうね。

瑛太クンと満島チャンのコンビは、ようございましたよね。 個人的には満島チャンがもう既婚だとゆーのは、実に惜しい(笑)。 宮崎あおいチャンにしても、どーして素敵な女性が早婚なのか、甚だ理解に苦しむ今日この頃であります(爆)。

投稿: リウ | 2011年9月20日 (火) 07時59分

ふぉぐ様
再々コメント下さり、ありがとうございます。

コメント欄も逐一チェックしていらっしゃるんですね、おみそれいたしました…。

私もコメント返信しているうちに、記事本文中では書くのを忘れていたりした部分とか、もっと深く掘り下げたりとかもするので、コメント欄も大切な場になっていますね。

しかもやっぱり、モチベーションが上がるんですよ! また頑張ろう、という気が起こってまいります。

ひとつのドラマについてここまで深く議論できると、なんか心の中の大切なものを探り当てたような気にもなってくるから不思議です。

コメツキバッタを、「これがそれだ!」 と思いながら私は見たことがないのですが(爆)、お辞儀をするのもお礼を言うのも全力でやると、たいていの人は悪い気はしないもんです(笑)。 通り一遍の 「コメント下さり、ありがとうございます」 じゃ、私もダメだなぁ~…。

投稿: リウ | 2011年9月20日 (火) 08時12分

リウさん。お忙しいところ再度しつこくコメすいません。

もう一週間たったというのにまだ余韻から覚めやらずで…

録画を消去してしまったので最終回を見返しての感想ではないのですが、俊輔が過去を知る傍観者に詰られるところがありましたよね?
その時はスルーしてしまったのですがフト思い出したことがあります。

20年ほど前、中1の時の音楽の教師の息子が殺人事件をおこしたことがありました。
小さな町で殺人事件だなんて、かなり衝撃的で、しかも自分自身音楽を習ったことがある先生の息子!が犯人!
金銭面のトラブルだと聞きました。たまたま旦那の実家が、その家から5軒先にあり中学を卒業した後に道ですれ違うこともありました。

所謂、加害者家族が身近にいたのです。

その当時、よるとさわるとご近所では、かの家のことを噂していました。いわく「夫婦共に先生やってご立派なのに…」いわく「あそこの家、変わってんのよ。お高いのか、町内の行事にも出てこないしね」いわく「なんか息子、手がつけらんない悪だったしね」等々…
私は先生に対しては良い印象も悪い印象もなく、ましてや私生活のことなどたかだか中1では知るよしもなく。
それでも姑には「学校ではどんな先生だったのか」根掘り葉掘り聞かれうんざりしたことがありました。

世間の悪意を感じました。どこかで、ザマアミロ!と嘲っている悪意。見て見て!あの親の息子が殺人者だってさ…
ヒソヒソヒソヒソ…
いつも部屋のカーテンはしまったままでした。
姿もめっきり見なくなりました。誰も知らないうちに出ていったんだと思います。
追われるように…家出して勝手に犯罪者になった息子のせいで

勿論殺人を犯した息子は断罪されるべきです。が…罪の重さ、というフィールドでは心ない世間も相当罪深い。20年前の事件を今更ながら思いだしたのは自分もそんな世間の一員なのだ、と突きつけられたように感じたからです。坂元さんが意図するメッセージではなかったかもしれませんが、どんな事件にもその裏側には当事者の他に家族がいて苦しんで苦しんで生きているんだということを私達は知らなくてはいけない、若しくは思いを致すことがあってもいいんじゃないか…そんな風に強く感じたのはやっぱりこのドラマを見たからだと思うのです。

それにしても、これほど色々考えさせられるドラマってやっぱり凄いと思います。なかなか出会えない秀作だったなぁと感じ入りました。

長々すいませんでした。

捕捉
DVDでたら多分買います。初めて欲しいと思った。最終回を消去してしまったのはこの為か?(笑)

投稿: みち | 2011年9月22日 (木) 18時09分

みち様
またのお運び、そして毎度読みごたえのあるコメント、ありがとうございます。

私にはそういう経験がないのですが、結構ガキの頃から、どうしてなんかの犯人の家族をみんなしていじめたがるんだろう、という気はしておりました。 やってんのは犯人でしょ、みたいな。

ヒ素入りカレー事件でも、犯人と目される人の自宅には大きく落書きがされ、住めんようになった、とか。
なんか怒りの矛先が、ずれている感覚がするのです。

これは、日本人の島国根性がもたらす、「村八分」 感覚に似ている、と私は考えています。
日本に昔からある、仲間意識を根源とする、ルール逸脱者に対する異様なまでの偏執的な憎悪の連鎖。

ひとたび事件を起こしたならば、その一族郎党に至るまで責任を取らされ、罵声を浴びせられる。

俗に罪を憎んで人を憎まず、と申しますが、日本人は特性的に人しか憎めない。 その根源的な罪の原因にまで思いが至らないのだ、と私は思う。

このドラマはそこを問うている。

人として何が必要なのか。

それはその事件を起こした本人を憎むということではない。

その罪の根源的な部分を見つめ、事件を起こした犯人の心の奥にまで踏み込み、そいつに心からの反省をさせるために仕向けることなんだ、と私は思うのです。

スンゲー難しそうですけどcoldsweats01、「人としてまずどうあるべきか」 を各自が考えれば、おのずから答えは出る気がする。

そしてその事件について、聞きかじりの知識で知ったつもりにならないこと。

どんなに克明にその事件を追ったルポルタージュに接しても、実際その当人に会ってみないことには分からない。 その被害加害両方の家族に会ってみなければ、分からない。

そしてそれを、その他人の立場に立って自分自身が考えないと、その犯人を憎むこともそれに関わった人々を非難することもできない気がしてならないのです。

これを 「非難できる資格」、などと言ってしまうと角が立つのですが、まさに 「自分はその事件を語る 『資格』 というものがあるのだろうか?」 という観点は、常に我々に突きつけられるべき課題である、と私は思います。

投稿: リウ | 2011年9月23日 (金) 07時24分

私は録っておいたドラマのほとんどを家事をしながら、家事の合間に観るのですが、このドラマだけは一瞬も目を離せない、一言も聞き逃せないので、こうして休日の朝、オットの寝ている間に観ていました。なぜか朝の光の中でこのドラマを観ました。
私には心休まるというか、何だかほっとする最終回でした。
誰かに対して憎しみとか怒りの感情を持つことって、その感情そのものが当人を蝕むし、疲れさせるし、何よりつらい。だから、今回響子も耕平も洋貴も、お墓の中のお父さんも、ひと区切りついた、と思えたことはこれからの未来に向けて、良かったな、と。娘を、妹を奪われた母も父も兄も、笑って暮らしてもいいのだと、ずっと加害者を憎んだり恨んだりしなくてもいいのだとそんなことを感じました。悲しみは消えないけれど、笑って暮らしていてもいい。そういう救いを感じました。
洋貴と双葉のやりとりは、毎回すごく面白くて、ああ、いいな~、こういうくだらないことを延々としゃべれそうな相手っていいな~と思って観ていました。ああいう会話ができる人といることは、楽しいし、嬉しい。傷をなめあうような、被害者の兄と加害者の妹だからこそ成り立つ恋愛ではなく、二人の感性がそもそも惹かれあうものだった、というように感じて何だかうれしかったです。洋貴が双葉を(ようやく)抱きしめたとき、ものすごくそっと抱きしめたことに、きゅーんときましたね。
その後の手紙のくだりは、涙ボロボロでした。離れていても、おしゃべりしている感じが温かくて切なくて、大変でした・・・。
文哉は母の死の呪縛から解放されて、自分のせいじゃない、自分じゃない誰かのせいだ、として逃げるのをやめて自分と向き合っていくだろうし、真岐は回復するかもしれない、そういう希望の余地を残した最終回だったと思います。願わくば、もうあと1回か、あと15分、なんなら文哉の再生(更生)と真岐の回復と洋貴と双葉のハッピーエンドまであと数回(笑)観ていたかったですが、想像して補うくらいでちょうど良かったのかもしれないとも思っています。

投稿: さり | 2011年9月23日 (金) 08時56分

(o・ω・)ノ))
リウさまのレビューをワードファイルにコピーして1回から最終回まで読ませていただきました。場面の一つ一つ、科白の細部に至るまで克明に記されたレビューのおかげで何点か気づいたことがあります。その一つですが、

第2回の
 「ぼくら…」
 「『ぼくら』…?」
 「このさき、ああいうのって、あるんすか  ね?」
 「『ああいうの』?」
 「『やった!』 って思って、…こう…、ガッツポーズしたり…」

最終回、去っていく満島チャンに瑛太クン君が不器用に両手を上げて・・・。
あれって、ガッツポーズだったんですね。

投稿: 虎児 | 2011年9月23日 (金) 13時31分

(^-^;連投ご無礼致します。
リウ様のレビューで気づいたことその2

このドラマでは場面場面で出てくる食べ物が結構大事なアイテムのような気がします。

① ナポリタン
② カレーライス
③ オムライス
④ そうめん
⑤ インスタントラーメン
⑥ チャーハン
⑦ 餃子

このチープで月並みな料理の羅列は、登場人物達がおいしいものを食べるという行為からすら疎外されていたこととともに、文哉、双葉、洋貴の「幼児性」を象徴しているのではないでしょうか。最後に、双葉は被害者の娘の母親になることを選択し、洋貴はアダルトビデオを返却することでそれぞれの幼児期を脱したのでしょう。

このドラマは「幼児期」を抜け出せないでもがいている、文哉、双葉、洋貴の三角関係
を基底としたギリシャ悲劇とみえなくもありません。かくも神話的・重層的なドラマを視た記憶は私にはありません。

投稿: 虎児 | 2011年9月23日 (金) 14時14分

さり様
返信が大変遅れました。 丸1日も申し訳ありません。 ずっと出かけて、そのまま仕事、ちょっときちんと寝てないのですが、返信いたします。

洋貴と双葉の 「届かない手紙のやり取り」 のなかで、洋貴は自分の母親がまだ時々泣いている、と書いていました。

お墓参りのとき、響子が洋貴に 「加害者が反省してなくたって、もうこれでじゅうぶんです」 と話していたことに対して私が感じていた違和感の答えが、ここにありました。 そしてそれは、さり様がお感じになったこととかなり重複する気がいたします。

つまり、「悲しみは消えないけれども、笑って暮らしていていい」。 おつりが777円だったからラッキー、と笑ってもいいんですよね。
心からハチャメチャに笑うことなんか、ないのかもしれないけれど、同じ時間を生きるのなら、落ち込むよりも笑っていたほうがいい。

洋貴と双葉の会話について。

男女が付き合うときにいちばんのポイントとなるのは、「話が合うか合わないか」、なんじゃないかな~と感じます。

その点で洋貴と双葉は気が合ってる。

下らないことを、下らないって笑い合えるのがいいですよね。 下らない、興味がない、ウザイ、って、白い目で見られたら、もうアウト(爆)。 「こんなことを言ったら馬鹿にされるんじゃないか」 とのせめぎ合いですからね、特に男は(笑)。 女性は結構自分のペースで好きなことばかりしゃべるように見えますけど…。

よりよい結末は自分の想像力で…、というのは当たってますね。

洋貴と双葉がうまくいっちゃったり、文哉が更生しちゃったりするところまで見せたら、余韻が残らないような気がします。
ギリギリのところで見せてますよね、サトエリチャンの涙とかも。
つまり、サトエリチャンにまだ意識がある、ということを示唆して、そこで寸止めしてる。
双葉と洋貴の関係も、サトエリチャンの意識次第ですから、サトエリチャンの涙、というのは、想像以上に重要なアイテムのような気がするんですよ。

私が物足りないなーと思ったのは、草間五郎とか、隆美と灯里の出番がもうちょっとあってもよかったかな、と思うところ。 五月の気持ちにも、ちょっと深入りしてほしかった気がします。

でも、想像していたよりもずぅ~~~~~っと、…明るいエンディングでしたhappy01>
救われます。

投稿: リウ | 2011年9月24日 (土) 08時35分

虎児様
はじめまして! 濃いい~コメントを下さり、ありがとうございます。 返信がだいぶ遅れてしまいました。 申し訳ありません。 連投していただいたものに対して、1回にまとめて返信させていただきます。 ご了承くださいませ。

なるほどー、あれは、ガッツポーズだったんですねっ! 自分も気付きませんでしたcoldsweats01ゞ。 いや~、細かいとこに気付いてくださって、感激です。 こうなるともう、このドラマ、あらゆるものが点と線で結びついている、という感じがしてまいりますね! ひとつの学問にまでなっちゃいそうな…(オーゲサ?)。

食事のシーンについても、幼児性の現れであるという虎児様のご指摘は、ただもう、鋭いの一言に尽きます! そこからギリシャ神話にまで考えが及んでしまうとは…。 脱帽であります。

私の場合 「洋貴っていつもソーメンとかラーメンとか、手っ取り早くできるものばかり作って、あれじゃビョーキになるぞ」 くらいしか考えていませんでした(爆)。
加えて言わせていただければ、若葉の頼んだレストランメニューの 「タンドリーチキン」 も、なんか子供が好きそーな感じですよね(?)。

それでは私が考えた、うんちく崩れのお話もご披露いたしましょう(わわっ、物を投げないでください!)。

「深見」 という名前には、なんか湖の深いところに沈んだものを連想させますし、「三崎」 から 「遠山」 に名字を変えたのは、もともと岬にいた人間が山の奥深くに分け入ってしまった、ということを連想させます(かなりムリヤリなお話で失礼いたしました…笑)。 いずれにしても、「深見」「遠山」 という名前には、人のいるところから離れた被害者・加害者両家族の社会的立場が反映されているような気が、ちょっとだけしています(ちょっとだけです…笑)。

いずれにしても私のブログ記事をワードファイルで通して御覧になっているなんて、まことに面映ゆい話で恐縮です。 重ね重ね、お礼申し上げます。

投稿: リウ | 2011年9月24日 (土) 08時57分

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