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2011年9月 8日 (木)

「江~姫たちの戦国~」 第34回 崩壊後にさらに崩壊を続けるドラマ

 三成が蟄居状態から家康の上杉討伐に乗じて反旗を翻す、という状況設定であった、今回の「江」。
 その背景のもとに秀忠は家康に命じられ、戦場に駆り出される、ということが、今回の話の、メインだったのですが、前回に引き続き、どうにもこうにも、見ていて、…眠くて…(グウグウ…笑)。

 その眠気をかろうじて救ってくれたのが、秀忠が 「実は私も戦がキライだ」 と、江に急に弱音を吐き始めた部分(笑)。
 あんなにエエカッコシイだったのに、いざ戦場に駆り出されるという段になって、「ホントは怖いのボクちゃん」 ですからね。 すごい話だ。 目が覚めました(爆)。

 要するにこの秀忠の態度って、文句ばっかりイッチョマエで実はたいしたことが出来ないじゃないのあんたらって、行動に移せないじゃないのあんたらってwwwwwww、という、ネット依存ヒッキー(ひきこもり)に向けた、田渕女史の凄いネガティヴメッセージなのではないか…というスゲー穿った見方をしてしまったんですが、まあ感想には大変な個人差があります。 ご了承頂きたい。

 ともあれ、ここでめでたく、江と秀忠の思想的な価値観が固く結ばれた(うおっ…)。
 戦国時代に実を結んだ、なんとも奇妙な共感関係であります。

 「もともと戦が好きではない」 という思想の出発点から、作り手は秀忠のニヒリズムを解析しようとしている。 その戦を利用してのし上がっていく父親の姿が、だからこそ疎ましい。 だから何も考えないようにした。 なんか碇シンジを見てるようだなあ。

 そんな夫に江は百万の味方を得たような心持ちになり、「今から家康のところへ行って総大将なんかとんでもない、夫は戦には参りませんとお断りしてきます」 とその場を離れようとします。
 実に出過ぎたマネだ。
 そんなこと許されると思ってるんでしょうか?

 「戦をやめてどうする?」 と訊いてくる秀忠。
 江は 「百姓にでもなったらいい」 ときっぱり断言する(うおっ…×2)。

 ここでインサートされる、百姓姿の江と秀忠。
 笑いました、ここ。
 似合ってるでねが(爆)。

 秀忠はそのあまりの荒唐無稽さに、江と話をすること自体がバカバカしくなり、冷静さを取り戻す。

 はぁぁ…。

 コレ、マジメにやってるかたがたが、とてもかわいそうでした(シミジミ)。

 浅薄な論理による戦争反対を唱えるのは別にかまいませんけど、コミカルなシーンを入れてしまうと、余計に滑稽になってしまいます。

 で。

 江の百姓生活プランを忌避した(笑)秀忠は結局出陣することになるのですが、そのときの江との会話も、もう突っ込みたくはないけど突っ込まなければならないことだらけで。

 なんか火事の際にどこに行ったのか不明だった信長の、割れた天下布武の印を、「お守りだ」 と言って江は秀忠に差し出すのですが、もうここまで書いて2、3か所突っ込みどころがある(爆)。
 1、火事のときに秀忠が命がけで取り戻した品のなかにこの印はなかった、まあ江が肌身離さず持っていた、ということでこれは不問といたします
 2、「お守り」 にしちゃ、割れたものなんて縁起が悪くないか
 3、信長に対して必ずしもいい印象を持っていないはずであろう秀忠に、その信長のものをやろうというのか

 3、に関しては、作り手は秀忠を、「実は自分も信長に心酔していたんだ、あ~はっは」 という禁じ手を使って、ますます江と秀忠の絆は深まりました、チャンチャン、という…。

 …もうこれらに関して突っ込むのはやめといたしまして(笑)、今回のエピソードに出てきた、細川ガラシャの最期に関しても、どうも見ていて、のめり込めない。

 上っ面でアンリアルな状況だけを羅列しているから、事態の推移に感情が、スッと入っていかないんですよ。 感情移入感情移入って、もう言い飽きました。 いきなり出てきた、でっかい十字架のある集会所みたいなところは何?とか。 あんなに大っぴらに十字架とか見せびらかしていいの?とか。 枝葉末節が気になって、感動の邪魔を果てしなくさせる構造。

 そして極めつけは、この上杉への戦を、家康が息子秀忠を鍛えるために仕掛けた、という位置付けに落とし込んでしまったところ。

 ん~、まあ、ねえ…。

 話はとっくに崩壊している気が私にはするのですが、崩壊後にますます手のつけられない状態になっていく混沌、というものを、とても今回は感じました。 逆に言えば、すごいものを見せてもらっている気がするのです。 崩壊したあとにさらに崩壊を続けるドラマ。 我々は、歴史的な瞬間に立ち会っているのかもしれない。

 ただしそれって、話が静かな序盤の時点では、退屈でしかたがない、という副作用も潜んでいるのですが。

 ここまで書いていいんでしょうか。
 気分を害されたかたには、心よりお詫びを申し上げます。 ゴメンナサイ!

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コメント

作者は、「戦国時代なんてもう飽き飽き。当分戦国時代を舞台にした大河をやろうなんて思わないようにめちゃめちゃにしてやるわ!」とか、もしかして思っているのかもしれない、とふと感じてしまうほど、前回よりもさらに破壊されたドラマだったように思います。
秀忠が信長ファンだったとか初耳。江より6つも年下の秀忠、本能寺の変の時においくつよ、と。(調べてみたら3才でした。)そしてまた「信長さまの姪をツマにできてオレ誇らしい」とか言われて、鼻高々になる姫・・・。戦はいやだから百姓やるとか、ただのコスプレくらいにしか思ってないというのが、なんとも・・・これは、まあ姫だから仕方ないか。
あ、今回唯一というか、久しぶりに面白いな、と思ったのは、秀忠の出陣直前、「そなたが愛おしく思えてきたわ・・・」との言葉に、「それはいけません。相当気が弱っています」と返した江。今まで意地を張りあうようにして暮らしてきた二人の関係が出ていてちょっと良いな、と思いました。この二言だけ。

 前回よりは、突っ込み入れたい所が多かったでしょ?私なんか、先生は秀忠には随分思い入れがあるのだなと思いました。江ちゃんよりずっと秀忠にお熱なんだなと。

 秀忠は戦好きじゃないのは、わかってましたが、弱音を吐くとは。夫婦になって、共通の価値観を持てて良かったです。と思ってあげれたらいいけど、総大将やめて、徳川出て、百姓するから断る?江ちゃん、いくら旦那さんより年上だからって、できるわけないでしょう。徳川の面目丸つぶれですよ。それに嫁ぐ時に徳川に行ったら徳川の為に生きると言ってましたが、自分の為だけじゃないですか。百姓ってそんなに簡単じゃないし。(実家が農家なもので、とってもむかつきました)妄想のコミカルなシーンは「百姓を馬鹿にするな!」と年甲斐もなく抗議してやろうかと思いました。そんな自分に笑いました。あの二人の扮装も似合っていましたけどね。

 信長の印をお守りに渡すくだりは、秀忠が信長に憧れていたとか、信長の姪の江ちゃんを嫁さんにできて幸せだったとか、先生の都合よく無理やりまとまって?いました。もういい加減信長を成仏させてほしいというか、トヨエツが気の毒に思えて。

 後、ガラシャさんは、突然忠興が謝罪したり、悲劇がすぐそこになのですが、主役じゃないから、あんなものなのかな?十字架があったのは、集会所?細川邸?その辺は適当に作ってありましたね。百合の花やロザリオはキリスト教をイメージするものだったのでしょう。燭台とかは、魔法陣のようにも見えましたが。ただ、私としては、妻を愛する忠興さんに、「三成に呼び出された時は自害してくれ」と言ってほしかったです。光秀に味方しなかった事を謝るより。「後を頼む」とはそういう事だったのでしょうが、苛烈な夫婦の愛を演じてほしかったです。でもこれは江ちゃんなので、無理ですよね。

 崩壊の後に続く崩壊の混沌。すごいですね。どんなドロドロかと思いきや、ドラマの中身はスカスカだけど。着地点は見えないけど、みんないい人だったか、思うように生きた人生だったか、めでたしめでたしか、「とんだ御無礼を」かじゃないでしょうか。期待してません。江ちゃんがんばって!先生は最終回書きあげたそうです。リウ様、後2カ月です。がんばってレビューして下さい。

さり様
コメント下さり、ありがとうございます。

まともに批評することすら拒絶するこのドラマ。 私には田渕女史の声が 「そんなに肩肘張ってドラマ見てどーすんのよ、バカじゃないの」 と聞えます。 「大河自体をメチャクチャにしてやる!」 って、もしかして女性の生理的な問題ですか? オトコにはそういう嗜虐的な性向はない気がします(爆)。

「いきなり信長ファン」 という秀忠の告白に、「やはりそうだったか…」 と見る側に思わせる布石やら伏線やら(布石も伏線も全く用をなしていないのがこのドラマの大きな特徴ですが)がまったくないから、このセリフが行き当たりばったりの都合のいいセリフに聞える。 視聴者を完全になめきってますな。 ツ○ボ桟敷を相手に三文芝居をしているようなもんだ(かなり過激に書いてます)。

一事が万事この調子だから、話がクライマックスの関ヶ原に向かうというのに、役者がみんなやる気をなくしている。

そんな印象が強くした、今回の話でした。

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

ツッコミを入れたくなる、というより、ツッコミたくなる気も失せる、破壊した建物をさらに壊しているような感じの回でした。

どこかでこれと似たようなグダグダ感を見たことがある、とずっと考えていたのですが、映画 「アマデウス」 で、確か 「ドン・ジョバンニ」 の初演だったか、モーツァルトの精神的不安定が舞台をもめちゃくちゃにしていく、という場面に、感覚が酷似している。

つまり役者たちは作り手の真意を推し量ることが出来ず、迷走を続けていくうちに、やる気自体を喪っていく。

きちんとした吟味もなされず見切り発車のように舞台は上演され、作り手の主張は虚しく劇場に響くだけ。

そのうちに舞台装置までそのグダグダに影響されたかのように、ハリボテの舞台裏を晒していく。

これはつまり、話の思想的な、精神的な支柱の構築を怠り面白可笑しく見せることに神経を遣いすぎたために、主人公たちが薄っぺらな哲学のもとでしか行動することが出来ず、その制約が物語のクライマックスに向けて、さらにさらに大きな手かせ足かせとなっていく、そんな構造である、と私は考えるのです。

今回、関ヶ原に向けて事態が悪化していくことを、浅井の三姉妹がかわるがわる登場して、不安な面持ちをしている場面が流れましたが、ここにこのドラマのチープ感が結実している気がいたしました。

ちっとも悲壮感が漂ってこないんですよ。

初なんか、ここ数回か?急にマジメに政治に口出しするようになってる感じだし(それまでアイドルフェチとかお菓子食べまくりとかやり過ぎだからこの変節が見る側に受け入れられないのです)、淀は野心など持ってない話にしちゃってるから、ただおろおろしているだけにしか見えない。
そして肝心の江は、自分中心で世界が回っているから、関ヶ原もなにも、「もうウンザリ」 と感じているようにしか見えない。

そんな、これまでに怠ってきたことのつけをクライマックスにきて一気に支払うことが出来ず、ただ流れのままに、ただ演じているだけ、なんですよ、全員が。

この構図は、重ねて書きますが、すごい。

 多分去年の大河のスタッフさんの方が遣り甲斐はあったと思います。美術にしても、照明にしても。衣装は今年の方がきれいなのを着ているのですが、お姫さま達は着せ替えのようで、馴染んでいない気がします。江ちゃんのスタッフさんもちょっと処置なしに感じる時があります。去年の「見にくい」という反省(私は映画のようで、暗い画面も埃っぽい色彩も好きでしたが)から、今年の画面は明るく、煌びやか。内容もお姫さまで、拷問とか投獄とかないし、時代の暗部じゃなくて、セレブなところにしたのはいいのですが、急に「戦争嫌よ」と言われても、上っ面だけなので、農民のように畑を荒されるとか、戦火に焼きだされるとかない人にきれいなお着物着て言われても、アントワネットじゃないんだからねと言いたくなります。江ちゃんに慟哭がないからです。「娘たちがいて幸せ」と言われても、ほとんど子育てしていないし、おおば様に文句言われながらも娘達を守って育てたりとかしてないし、完ちゃんも豊臣にいるから心配と言われても、完ちゃんの事ほとんど放置だったし、せいぜい秀勝を亡くした時ぐらいしか、戦争の憂き目にあっていない、後は、言いたい放題でセレブに生きているので、人物像が魅力的じゃないです。今になっても魅力がでない主人公じゃやってる方はきついでしょうね。

 ホームドラマなら、家族の為に慣れない土地で必死に明るくがんばるとか、豊臣との戦争だって、千姫の許婚が秀頼なのだから、千姫の未来をまず心配するのが母親だと思いますが、江ちゃんはまず自分。秀忠は子煩悩なのだからそっちの方が心動くのじゃないかしら、わけわかりません。

 初ちゃんと龍子さんがまともだと戸惑う自分がいたりします。本来そうあるべきなのだけど、このドラマでは、お二人はコメディ担当で、今更真面目になられてもと思ってしまいます。慣れって怖いです。初ちゃん、和議の時はお菓子をいっぱい持って説得に出かけてほしいです。こうなったら。でも下手に大河にしようと思わずに、先生の野望に沿って、崩壊に突き進むのも一興ですよね。大河が崩壊、壊滅する証人に私たちはなるのでしょうか。

 もう来年の収録始まっているし、NHKもとっとと、終わりたいというのが、この頃のやる気のなさの本音じゃないでしょうか。でも見るのをやめるといいながら、9ヶ月もつきあっている自分をほめたいです。忍耐力を培うためのドラマです。眠いでしょうが、リウ様、力を抜いてがんばってください。

ささ様
再コメント下さり、ありがとうございます。

ここ数回のグダグダ感は、ちょっとひどすぎるような気がしてます。

確か 「私はもうイヤなのです!」 と江が秀忠に向けて戦への嫌悪をあらためて金切り声で表明した今回の場面。

あそこ、ちょっとドキッとしました。

「私はもうこんなドラマがイヤなのです!」「もうやめちゃいたい!」 と言っているように聞こえたからです。

「もうやめちゃって百姓になろう」、ということで樹里チャンと江の心情がリンクしたかと。

ただしこの話の持ってきかたも、ご実家が農家でいらっしゃるささ様のご不興を買ったりする。
百姓をバカにするな、と。

ああ言えばこう反発され、こう言っても誰も賛同しない。

四面楚歌すぎて、すごく哀れになってくる。 脚本家に踊らされている人全員が。

田渕センセイも一生懸命やってるんでしょうから、それに対してブログという媒体を使ってここまで批判を連ねる、というのも、なんかちょっと気が引ける部分もあります。

この責任をどこに求めるのが妥当か、と考えたとき、それはこのドラマ自体を企画したNHKスタッフにあろう、ということは自明であります。

個人的に情けなさを加速させているのは、このドラマが、大河50作目の大きな節目にある、という事実です。 情けなさは加速する。 だれも追いつけない。 つーか(by小林サン)。

まあ別にこんな思い入れなどどうでもいいんですが。

こんなグダグダなまま、「幻の関ヶ原」 って次回タイトル、ひょっとして関が原なんてなかった、って話じゃないだろうな?(爆)なんて変な危惧を抱いている橋本でございます。

割り込み失礼します。
大河ドラマ一話につき6000万円の費用が
かかっているという噂も聞きましたので、
受信料を払っている人は叱咤激励を込めて、
番組に対する意見をブログで発信しても
いいと思いますよ(笑)。

「私は平面的に台本を書くだけだけど、演出をするのは男だから、見ると駄目なものになってしまわないか
心配だ」と、脚本家の女性がラジオ出演時に語った
そうですが・・・。

来年の大河ドラマの宣伝動画を公式ホームページで
見ました。何とも言えない違和感と同時に、胸騒ぎがしました。

私が百姓になる発言に腹がたつのは、その背景がなくて、落ちぶれて、戦争にいきたくないから百姓になればいいという感じだからです。江ちゃんは今まで土に憧れてたり、農民の暮らしの慎ましさに憧れたりしてないでしょう。今は原発で、放射能汚染の為に耕す土地を奪われて、よその土地に行かなきゃいけなくなった農家の人達がいるのに、能天気です。お姫様の発言だから、唐突で軽いのは仕方ないし、本心じゃないとわかっていますが、江ちゃんじゃないけど嫌なんですよ。先生のセレブ感からくる、上から目線が。大人げないですけど。

 50作目、そうでしたね。始まる前は正統派の作品(演出も脚本も)と思っていました。こうまで、奇想天外になるとは予想だにしませんでした。51作目からは更地からのスタートという事でいいのじゃないでしょうか。NHKは安易に篤姫の成功にすがった責任をこれからとってほしいと思います。多分、脚本を任せる上で、これから反映されるのじゃないでしょうか。それと、深い内容のある作品を1年通じて書ける人を抜擢する機会を田渕先生は作ってくれたと思います。

「幻の関が原」関が原が無い事になれば画期的です。前衛というべきかしら。それって、来週じゃなくて再来週に関が原をやるって事じゃないですよね。さぎちゃんがよく飛んでるので、警戒してしまいます!期待しないで見ましょう。

 田渕先生は一生懸命やってくださったと思います。篤姫の成功がプレッシャーとしてあったから、大変だと思います。前作の評価が良すぎて。でも篤姫は、先生は面白くないでしょうが、原作が形だけとはいえあったことが大きいと思います。オリジナルは自由に書けますが、その分負担も大きいし、どうも作品の世界観をつくりあげないうちに、脚本で仕上げてしまっていると思います。時間的制約もあるでしょうが、「江」は背景や、人物像の厚みがみられません。演出で補えたらいいのでしょうが、どうも違うし。演技で補えるのは大竹さんや北村さんやベテランの方々でないと。リウ様はお優しいと思います。言葉を選んでいらっしゃるし。褒める時もおありじゃありませんか。江ちゃんの事けなしている私ですが、それでも篤姫よりずっと見続けています。篤姫にない面白さが江ちゃんにあると思います。篤姫は原作が面白かったです。「江」にまたリウ様が褒めたくなるような回がある事を願っています。完ちゃんに感動しただけの私が言っても、有難みがないでしょうね。

レイ様
コメント下さり、ありがとうございます。

まあ責任の所在、という観点からすると、脚本家先生に批難の矛先を向けるのはあまり適当ではないのではないか、という思いですので、1本当たり6000万円の使い道を考えろ、というのはやはり、NHK本体に対して向かうのが順当な批難か、と。

テレビを見ていて私たちがムカツク主な原因は、大した奴でもないのにテレビに出ていれば報酬はそこそこもらえるしオピニオンリーダーを気取ることが出来るし、という構造に対してなのだ、と考えるんですよ。 世の中にはもっと適当なコメントが言えるヤツがいっぱいいるんだ(たとえば自分、とか…笑)もっと面白いバラエティ、もっと優れたドラマを作れるやつがいっぱいいるんだ、と。

だから脚本家先生も、持ち上げられてのぼせあがっている、と見ている側が考え出すと、途端にバッシングの対象たりえてくる。

文句ひとつ言うのにも、やはりブログっていうのは全世界に開かれてますから、それなりの責任は伴う、と考えているワタシです(まあ私なんか、たいしたもんじゃないですけどね…)。

ささ様
再コメント下さり、ありがとうございます。 ささ様から頂いた2件のコメントに一括して返信いたしますので、ご了承ください。

なんででしょうか、私もこのドラマは 「篤姫」 よりも結構間を置かずに見ている気がします。 「篤姫」 は 「江」 より格段によく出来た話だったのに、録画したものがたまることが時々あった気がします(当時放送期間中はブログでドラマのことなど書いておりませんでしたので、わざわざすぐ見る必要もなかったのですが)(ただ最終回のすぐあとには、このブログ始まって以来初の、ドラマに関する感想を書いたのですが)。

NHKの立場も考えてしまうワタシですが(笑)、「篤姫」 であんなにいいドラマを作れたんだから無条件で田渕センセイに任せよう、と考えたのも、むべなるかな、とは思います。

ただしこれ、無条件すぎた。 そこが大失敗の最大の要因でしょうね。

そして出来上がったものに対してダメ出しをする気骨のある者が、NHKスタッフ及び役者に皆無であった。 そこは作り手全員の責任かと存じます。

これはいいものを作ろう、という気概が、自分の生活のためにやってますという弱みに、作り手全員が完全に負けている最大の証拠であると申し上げたい。

私どもも仕事をしていて、完全に得意先の言いなりになってますよ、ここ数年は顕著なまでに。 そうでもしないと仕事がないんですからね。
限りなくこちらの労働力をダンピングされて、おまけにデカイ面されて。

でもドラマくらい、「こんなのやってられっかよ」 と言ってくれる人に出会いたい。

以前にも書きましたけどね、勝新サンとか極端な例を引いて(笑)。

篤姫の実際のダンナサンみたいな真似をすれば干されてしまういまの芸能界、これじゃ風雲児なんか、生まれっこないですよね。

 風雲児はそうそう出現しないでしょうが、これから現れるのを期待しましょう。きっとテレビの小さな世界からはみだすような才能が、現れてくれると思います。韓流とフジTV批判で今干されている形になっている俳優さんも、才能があれば、いくらでも浮かび上がれると思います。テレビの世界だけが、演劇やパフォーマンスの場ではありません。むしろ干した連中から三顧の礼で将来迎えられるくらい精進して欲しいものです。本物の役者、アーティストとして。

 江ちゃんや田渕先生にひどい事を言っていますが、このドラマの浅さやコメディタッチなところも好ましいと思っている方もいると思います。バブルの幻影も。あの頃は浮かれていたけど楽しかったという方もおられるでしょう。去年「龍馬伝」が視聴率の低下と共に叩かれて可哀想だなと思っていたのを、忘れていたかもしれません。

 今年の江について、NHKのスタッフがどう思っているかわかりませんが、「震災で傷ついた世の中を明るくしたい」くらいは思っていてほしいです。

 この回で一番好きだったのは、さり様がおっしゃっているように、秀忠の「そなたが愛おしく思えてきた」と江ちゃんの「それはいけません。相当気が弱くなっています。」家康が江ちゃんに期待したのは、こういうところと先生は言いたいのではないでしょうか。

ささ様
コメント連投下さり、ありがとうございます。

勝新サンの話をもうちょっと…。 豪放磊落な生きかたを、当時のマスコミや世間も大目に見ていた、っていう心の広さというものはありましたよね、当時は。 度量、というものが。

確かに三顧の礼をさせるには、それだけの演技力、人気など、それに見合うものがなければ不可能ですよね。 その実力もないのに不用意なことを言うから仕事が来なくなる。 ろくな仕事をしないのに言うことだけはイッチョマエでは、私どもも仕事をいただけませんです(笑)。

なんか私も、田渕女史に対しては結構口さがないことを申しておりますが、「この人がもし亡くなっちゃったりなんかしたら、結構後味悪いかな」 という縁起でもないところまで先回りして考えたりするものですから…(面倒な性格ですね、私も)。

ただまあ、エラソーな人にはやはり、一家言持ちたくなってくるのも人情です。

漏れ伝え聞くところによると、田渕女史はもっと脚本家の地位を向上させろという立場の人物らしいですね(「篤姫」 で原作者より自分の名前をタイトルクレジットで先に出すようNHKに要望したことは事実らしいです)。
彼女のエラソーな態度が虐げられた自分たちの立場を改善させるためのやり方だとすれば、それが誤解を持って受け入れられてしまうこともあり得ます。 ネットという公器で人のことを叩く、っていうのは、結構神経のいる作業なのかもしれません。

ただ作品本位で見てると、田渕サンもたいしたことないか、という結論にはどうしても達してしまう。

確かにいい場面もあるのですが、ここまで来るともう、出来の悪い場面に気圧されて一緒に崩落している感覚ですね

ご無沙汰しております。

>原作者より自分の名前を
この「原作者」って、宮尾登美子先生ですよね?
田淵さんには、ご自身の実力を冷静に推し量る客観性が必要かと思います。
でないと、脚本家の地位向上というより、ご自身を大切に扱えってことのように見えてしまいますから。

マーシー様
コメント下さり、ありがとうございます。

この情報のソースは週刊文春ですが、文春の記者?が田渕女史に質問した数々の疑惑のなかで、この部分だけは田渕女史も認めていらっしゃった。

ただ、やはりご本人がどのような思惑でそういうことをされているのかは、直接ご本人と会わないと分からない部分はあるかと存じます。

事実をそのまま書いても、真実というものは見えない場合が多い。 先に大臣を辞任した人も、記者から 「その服に放射能がついたまんまなのか」 みたいな質問をされて、あの返しをしたらこんな大ごとになっている、という話も聞こえてきます。 結局記者とのやり取りなんて、どこまで真実なのかって分からないことが多い。 その場の雰囲気とか記者と当事者との感情の良しあしとか。

ですのでその 「事実」 に対しては、あまりあれこれ言えないなーと、個人的には思いますです。

まあ自分の実力考えてモノを言いなさいよ、とゆーのは、確かにありますよね

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BOOKS

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    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

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    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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