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2011年9月 4日 (日)

「それでも、生きてゆく」 第9回 殺人者の幼稚性

おことわり 毎度毎度で申し訳ありませんが、この記事も、初出時より若干の加筆訂正を行ないました。



 文哉(風間俊介クン)を木製の椅子で殴打し、悲しみにのたうちまわる響子(大竹しのぶサン)のもとに、やっと駆けつけた由佳(村川絵梨サン)。

 「(この子があの)文哉なの…!
 三崎文哉なのっ…!」
 叫ぶ響子。

 「ねえ電話して、耕平(田中圭サン)…洋貴洋貴洋貴(瑛太クン)洋貴に電話してっ!」

 この場面、一瞬響子は由佳のダンナである耕平に連絡するよう思いつくのですが、文哉に対して自分とかなり感情がリンクしている兄の洋貴のほうに知らせたほうがいいと思い直し、慌てて何度も洋貴の名前を叫んだのだ、と思います。

 慌てる由佳。
 「はい…け、警察は…」

 「先に洋貴に電話してっ!」

 文哉がよろよろと立ちあがる。
 文哉にすがりつく響子。

 「ねえ、ねえ…教えてっ、教えて、ねえ。 ねえ。 どうして亜季だったの? ねえどうしてっ! どうして亜季だったのっ!!」

 響子を振りのける文哉。 尻もちをつく響子。

 「…たまたま、道で会ったから…」

 怒ったような、悔しいような、憐れむような、そんな表情で文哉を睨みつける響子。

 「別に誰でも(よかった)」

 頭を押さえたまま、その場から逃げる文哉。

 入口付近で、脱力したように、へたり込んだまま、声だけは振り絞る、響子。

 「逃げないで。
 逃げないでええっ!
 逃げないでええーーっ!!」

 そして。

 「ふたりだけででどこか誰も知らないところへ行きたい」 と口にした洋貴に、双葉(満島ひかりチャン)はこう反応します。

 「はい」。

 その 「はい」 というのは、額面通りの 「じゃあいっしょに行きましょう」 というものではない。
 以前にカラオケボックスで洋貴が 「この話はもうおしまい、シャンシャン」 という意味合いで放った 「はい」 と、同ベクトルの 「はい」 だと思われるのです。
 双葉は 「『死にたい』 なんて言ってごめんなさい」 と洋貴に謝ります。
 そこに(たぶん)由佳からかかってきた電話。 洋貴は双葉を乗せたまま、釣り船屋に急行することになる。
 ワンボックスのダッシュボードに刃物が入っているのを発見する双葉ですが、それは洋貴によって、勢いよく閉められます。

 洋貴のなかにある、双葉が触れることが出来ない、かなしい殺意。

 ついこないだ、このドラマが放送されているこの時期に、現実にも似たような事件が発生しました。

 犯人は少年時代に少女を金槌で殴るという事件を起こしており、おそらく彼にもこのドラマの三崎文哉と同じような更生教育が行なわれたんでしょう(処遇勧告とか、よく分かんないんですが)。 その甲斐なく、成人してからも殺人の欲望を押さえられなかった。
 その犯人の若者(23)の言い分もこう。

 「大勢の人を焼き殺そうと思った。 誰でもよかった。 死刑になりたかった」。

 そしてそのニュースに対するネットでの反応は、こうです。

 「フザケンナ」
 「一生刑務所に入ってろ」
 「いや、死刑にしろよ、俺らの税金使わせるなんてもったいない」
 「こいつはもう治んないよ、一生」
 「刑務所から出したら絶対またやる」

 ――。

 このドラマはいろんなケースによって起こる様々な問題点(少年法とか更生とか)をすべて解決できるものではないかもしれません。
 ただ、だからと言ってこのドラマが無意味であるなんてことは、あり得ない。
 先にあげたネットでの感想は、それはその人たちなりに辿り着いた結論ではあるのでしょうが、このドラマはもっと、さまざまな角度から物事というものはとらえるべきなのだ、という問題意識にあふれています。

 今回さらに浮き彫りになったのは、文哉という人間の、自己本位な性格です。

 被害者家族の怒りから逃げた文哉。
 その行動パターン中心に、ちょっと振り返ってみます。

 深見の釣り船屋から逃げた文哉が次にやってきたのは、遠山(三崎)家。
 隆美(風吹ジュンサン)と灯里(福田麻由子チャン)は当然驚きます。

 事件を起こして逃げ回っている文哉が、今まで忌避してきた実家に戻ってくることなど、普通に考えたらあり得ない。
 けれどもそれは、文哉が予想以上に自分の逃げ場というものがない、ひとつの証拠と言っていい気がします。

 彼は、自分と共通の痛みを抱えていると信じ込んでいる、双葉を自分側に取り戻そうとして遠山家に来ている。
 そこには彼が、遠山家が加害者家族としてどのような人生をその後送らなければならなかったのか、という視点が完全に抜けている。
 だからこそ、無防備にふらふらと、やってきてしまう部分もある。

 文哉は隆美に対して、自分の母親、という感情をそもそも抱いていません。
 「ただいま」 と言って入っては来るものの、とても他人行儀です。
 そしてちゃんとした面識がなかった灯里を見るなり、逃げようとする。
 隆美に 「あなたの妹」 と紹介されて文哉は上がってくるのですが、スリッパを履こうとしない。
 それは他人行儀に構えていた文哉の、示威的な行動のように思えます。
 普通他人行儀に構えていたら、スリッパも履くもんでしょう。
 逆なんですよ。
 「ここはオレんち」 みたいなことを、わざと面識のなかった妹に誇示しようとする。
 文哉の幼い、そして分裂気味の性格がここで表現されている気がしました。

 文哉はここで、隆美と灯里をこの家のなかに閉じ込めようとする意志表示をする。
 つまり人質要員、みたいな感じもするのですが、その後の展開を見ていると、駿輔(時任三郎サン)は結構すんなりと家のなかに入ってきてたし、人質取って立てこもって、みたいな計画性、というのもとてもいい加減であいまい。

 「警察はエラそうだし、捕まりたくないんです」 と話す文哉。
 感覚的には、他人の母親と他人の妹を軟禁状態、ということですかね。

 深見の釣り堀に戻ってきて響子から文哉の話を聞いた洋貴と双葉。
 そのあと洋貴は理科の実験室に置いてあった人体模型の話を、やおら話し出します。

 「昔、亜季が死んだあと、あの人体模型見ながらよく思ったんです。

 心は、どこにあるんだろうって。

 あの模型には、心臓も脳も肺も、腎臓とか肝臓とか全部あるけど、…
 心は、どこにもないじゃないですか。

 オレってこれと同じなのかなって思ってました。

 文哉もそうかもしれない。
 心がないのかもしれない。

 したら話なんかできないですよね」

 自分もあの事件で、心を喪った。
 文哉は心を喪っていたからこそ、あんな事件を起こした。

 心がないのに、反省なんて出来ない。
 心がないのに、償いなんて、出来るはずがない。

 でも洋貴は、そんな文哉に、同じ心がない者どうし、共感している。
 この気持ちが、のちに洋貴が文哉を追いかける展開になったとき、洋貴に刃物を持たせなかったんじゃないのかな、と感じます。

 そして。

 洋貴の軽ワンボックスで自宅へ戻ってきた双葉。
 文哉を見るなり、「100番したの?」 と隆美に訊きます。
 つまり妹は、兄に対して心を開いていない。
 文哉はまるで巣の状況を確認しようとするエイリアンの幼虫のようなそぶりであたりを見回し、自分の寝るところを心配します。 そしてこの家のあまりの狭さに、まるで他人事のように呆れるのです。

 「狭い家だよな…なあ。 狭くないか?」

 「そうかな…」 つぶやく双葉。

 「前の家には、お兄ちゃんの部屋も双葉の部屋もあったろ?」

 「しょうがないと思う」

 「父さんちゃんと働いてんのか?」

 まるで親父がだらけているからこんなビンボーしてんじゃないのか?とでも言いたそうな口ぶりに、双葉はちょっといらつきながら、答えます。

 「クリーニングの配達してる。
 汗かいて頑張ってるっ」

 双葉の怒りをかわすように文哉は隆美に 「晩ごはん何?」 と話をはぐらかします。
 灯里に買い物に行かせようとする隆美に、文哉はその子が外でたら裏切るかもしれないからと 「あるもんでいいよ」 と突っぱねる。
 「あなたの妹よ(裏切るわけないじゃない)」 と言う隆美に 「だって僕が少年院に入れられているあいだに生まれた子でしょ?」 と妙な割り切りかたをする文哉に、双葉はとうとうブチ切れます。

 「何言ってんの?

 この15年間、みんなが、どういう思いで…」

 「お兄ちゃんのことずっと恨んでたんだろ?」

 文哉の肩を激しくこぶしでたたく双葉。

 「恨んでなんかいないよっ!
 恨んでいないから!家族恨めないから苦しかったんじゃないっ!!」

 いったん隆美に止められる双葉。 でも収まりません。

 「なんであんなことしたの?

 …私のせいなの…?

 だったら、あたし殺せばいいじゃないっ!!

 もう取り返しがつかないんだよ?!
 分かってんの?!
 お兄ちゃんがやったことはっ!
 お金とか!物とか奪ったことじゃないんだよっ?!

 …命だよ…!

 命奪ったら、もう償えないんだよ?! ねえっ?!

 ねえっ!」

 「命を奪うということは、償いとか反省とかなんか、いくらしても無駄な、取り返しのつかないこと」。
 ここで作り手の真意を垣間見る気がします。

 文哉はテーブルの上に置いてあった、文哉のいない遠山家の家族4人が笑っている写真を見つけ、そのそばにあったハサミを手に取ります。 慌てる周囲。
 おそらく文哉は笑顔の4人に嫉妬し、復讐しようとする感覚なのではないかと考察します。
 文哉は話し出します。

 「死んだ人はいいよ…。

 死んだ人は死んだらそこで終わりだけど。

 殺したほうは。

 殺したほうは生きてかなきゃいけないんだよっ!

 お兄ちゃん!

 お兄ちゃんかわいそうなんだよ!!」

 「(何がカワイソウだよっ!)」 という表情で、やりきれない涙を流す双葉。

 幼稚な警戒心と、状況変化への理解能力不足。
 そしてあくまで自分は悪くない。

 それが私が、文哉に対して感じた大きな精神的特徴です。
 自分があんな事件を起こしたから家族が困窮してるとか考えもしないし、ソフトに自分の家族を縛りつけようとしてるし。 そんなゆるやかな警戒だったらすきを突いて警察に通報とかされるだろ、とか、考えないんですよ。

 さらに彼には 「人間死んだらそれで終わりだ」 と深く信じているような面があります。
 つまり唯物論的な考えが、生きていく哲学の根底にある。
 彼に 「生命は流転する」 という考え方が備わっていたら、もっと生命に対して慈悲の心を持つことが出来る気がする。
 「ご先祖が見ている」 という感覚は、人にとって自己制御の大きな要因となる。
 人は死んだらそこですべて終わり、と考え出したら、そのご先祖の霊だってないことになり、自分という存在はご先祖からも肉親からも切り離された、極めて自分勝手な存在を許されてしまう傾向に陥っていく気は、どうしてもするのです。

 そして文哉を縛り付けている大きな外的心傷は、父親の駿輔が帰って来たときに、さらに明らかにされていきます。

 駿輔は帰ってきた文哉に対し、肩を掴んで 「お帰り」、と万感の思いで口にします。
 「あまり大きくなってない」 とか 「靴はいくつだ?」 とか、2度目の過ちを犯した自分の息子に対して責めることなど一切せず、ただ黙って、 「お帰り」 と言ってやれる家庭であろう、とただひたすら努めている。
 けれども文哉はそんな父親の思いに心を開くことがない。

 「あにがうちにいます」。

 双葉から洋貴に、メールが入ります。
 とって返す洋貴。

 その夜。

 晩ごはんの席。 本当に久しぶりの、遠山(三崎)家全員の食事。
 「自首しよう」 と駿輔が文哉に切り出します。

 「また僕を見棄てるんですか?」

 凍りつく家族。

 彼は出所後、駿輔と偶然会ったことに、気付いていました。 そしてそのとき、父親が自分のことを見て見ぬふりをしていたことに、気付いていたのです。

 「棄てたんだね、
 邪魔だから。
 邪魔だったから」

 いったんはかぶりを振る駿輔ですが、覚悟を決めたようにそれを肯定します。

 「…済まなかった」

 「そうやって母さんのことも見殺しにしたんだ」

 文哉は隆美や灯里に他人行儀な挨拶をして、食卓から去ろうとします。

 「どういうことだ? お父さんが見殺しにしたって?
 お前のお母さんは、ベランダで、洗濯物を取ろうとして」
 たまらず訊く駿輔に、息子はこう反駁します。

 「俺と双葉の目の前で、…母さんは飛び降りたんだ。

 (双葉に向かって)双葉も一緒に見たんだよ。
 双葉は赤ちゃんだったから覚えていないかもしれないけど。

 母さんがこっちを見ながら、夜の闇のなかに、落ちていくのを」

 かつて文哉が紗歩(安藤サクラサン)を置いていく、と言った、「夜のところ」。
 自分の母親が未だにそこにいる、という認識を、彼は持ち続けている。
 警察でも目撃証言でも、それは事故だったと主張する駿輔を、文哉は否定します。

 「あなたに絶望して、僕たちに疲れて、母さんは死んでいったんだ」

 ここで三崎文哉の心の底辺にある闇というものの正体を見る気がするのですが、私が問題にしたいのは、そのトラウマの正体じゃない。
 彼を支配している、被害者妄想というものが問題なのだと感じるのです。
 いくら親の出来が悪くても、年齢を重ねるごとに、「大人には大人の事情というものがあるんだ」「まっすぐな気持ちがくじけてしまうことは、人生生きてりゃあるものなんだ」 という寛容の気持ちが生まれます。
 それを受け入れられない、というのは、つまり自らが幼いまんまなんだ、ということの表れでもある。

 文哉は再び、双葉を自分に取り込もうとする。 「一緒に母さんのところへ行こう」 と。
 双葉はかなりきっぱりと、かぶりを振ります。 自分の兄が見せる幼稚な被害者意識に、本能的に拒絶したのだ、と思うんですよ。

 そこにやってきた洋貴。
 ダッシュボードの刃物を取ることを、このとき洋貴は躊躇するのですが、それはこの時点では判別がつきません。

 家を出てきた文哉と、洋貴はばったりと出会います。
 片手をまるで機械のように、「(やあ)」 というように上げる文哉。 洋貴もつられて、同じ仕草を投げやり気味にしてしまいます。

 「文哉」 駿輔の呼ぶ声が合図のように、文哉はいきなりその場から逃げ出す。
 追う洋貴。
 駿輔も、それを追います。

 果樹園で力仕事をしていたと思われる文哉の基礎体力は、相当なものかと思われます。 釣り船屋の体力とは比べ物にならんはずですが(笑)、洋貴には妹を殺された、という怨恨がエネルギーとなっている。 彼は文哉に、追いつきます。

 しかし追いつかれた文哉はここで、洋貴に立ち向かっていく、という反応を見せるのです。
 どうやら文哉には、追いつめられるとパニック状態になってしまう、というぬぐい去りがたい性癖がある。
 釣り船屋は果樹園の労働者に、負けてしまいます。
 このあいだじゅう、ほとんど言葉は発せられない。
 「心のない者どうし、話し合いなんかできない」 とした洋貴の言葉が、ここで実践された気がする。
 後頭部を壁に打ちつけて、意識をなくしていく洋貴。
 再び逃げおおせた、文哉。
 駿輔に起こされたとき、洋貴はやり場のない怒りを、そのありったけの叫びで表現するしかありません。

 「ああああああーーーーーっ!!!」

 傷の手当てをする双葉と洋貴の間で、また滑稽なやり取りが繰り広げられます。
 氷の入ったビニール袋を頭に押し当てる洋貴、「眉毛がかゆいから掻いて」 と双葉に頼みます(笑)。
 「強弱的には?」
 「強で」(笑)。

 「何か食べたいものないですか?」 と訊く双葉に 「冷凍ミカン、作れないっスか」 と尋ねる洋貴。 「冷凍ミカンは料理じゃないです。 ほぼ素材です」(笑)。 馬鹿にしてんの?みたいな感じで軽く自尊心が傷ついている双葉(笑)。

 刃物を持っていかなかったことを後悔する洋貴。

 「よかったです。
 深見さんに人を殺してほしくないからです。
 深見さんにはそういうの似合わないと思います。
 深見さんにはナイフより冷凍ミカンのほうが合ってる気がします」。

 なにがいいんだよ?オレには冷凍ミカンがお似合いなのかよ?と今度は自分が双葉からバカにされたように感じてしまう洋貴。 声を荒げます。

 「またあんな思いしながら生きてけっていうんですか?」

 「あのときは未成年だったけど、今度は…」

 「責任能力がない!
 そう言って、また裁判されないまま、出てくんだよ。

 亜季のことも、あの家の人たち(草間家)のことも忘れて、平気な顔して、またどっかで暮らしてるんだ。
 そして…またおんなじこと…誰かに…。

 もういいです。
 次は(ナイフを)忘れないようにします」

 「殺しときゃよかった」、というのが、このときの洋貴の偽らざる感情だったと思います。
 それはネット世論にも通じる、純粋な義憤、という側面は、どうしてもある。
 でも洋貴は、後日五月(倉科カナチャン)との語らいのなかで、自分が事件を起こしたわけじゃないのに世間から過剰に批判される加害者家族が、かわいそうだという認識を示しています。
 五月はそんな洋貴たちを、「怒るのが下手な被害者家族」 ととらえ、遠山家の人たちを 「謝るのが下手な加害者家族」 という位置づけをしていましたが、実際のところ、「怒りかたが上手な人なんかいない」 ということでしょうし、「謝りかたが上手な人もいない」 ということなんだと思います。 その点で、ネットで自分の怒りを率直に表現する人たちも、このドラマの作り手は否定していない、そんな気もしてくるのです。

 五月はそんな不器用な深見家と遠山家が、互いに支え合っていると言う。
 「もし本当にあの人(双葉)のことを大事に思っているなら、復讐なんて考えやめたほうがいいと思います。
 あの人のことを、追いつめるだけだと思います」
 五月はここで、洋貴への思いを断ち切っているように見える。

 再び姿をくらました文哉を除いた遠山家では、家族がバラバラになって生きよう、という決断を下し、最後のご飯を食べています。
 それは仕出し?らしき(いやスーパーの弁当だな…笑…コンビニのじゃない)弁当と、隆美の作った味噌汁。
 疲れ果てている遠山家の様子が、これでとてもよく分かる。
 そしてもやしという、いちばん安価な食材で作られた味噌汁に、駿輔は 「うまい…」 と何度も感想を口にします。
 せつなすぎる。
 遠山家は、響子の密告の末に辿り着いたその粗末な家も、引き払うことになるのです。

 その夜逃げの準備中、双葉はテレビに出てきた草間五郎(小野武彦サン)の娘悠里チャンが抱いていたぬいぐるみが、ほころんでいるのを見つけ、ひとり五郎のところに、(おそらく次の日に)再び会いに行く。

 悠里チャンのぬいぐるみを縫う双葉に、悠里チャンはあどけない話ばかりします。
 悠里チャンには、ママ(佐藤江梨子サン)の本当の病状が、理解できてない。
 そのあどけなさに、双葉は泣けてきてしまいます。
 双葉のなかでそのとき、ある決心が、徐々に固まりつつある。

 五郎は文哉に対して復讐したい気持ちはあるが、この孫娘をひとりにするわけにいかないからそれが出来ない、と話す。
 いくら情状酌量の余地があろうとも、人殺しは人殺し。
 「理性的」 な法制度は、被害者の気持ちをけっして救ってはいない。
 このシーンを見ていると、そんなことをふと思うのです。

 双葉はレンタカーを奮発して、深見の釣り船屋に向かいます。
 双葉にとって決して安くはないレンタカーを頼む、という時点で、双葉が後戻りのできない決意を秘めていることがうすうす感じられてくるのですが、彼女は洋貴の乗っていたワンボックスに、冷凍ミカンをしのばせます。 そしてダッシュボードに入っていたナイフを、双葉は持ち出す。

 彼女は洋貴と初めて食事をしたレストランで、確かそのときと同じタンドリーチキンを頼むのですが(うろ覚え)、もうそのメニューの期間は終了している。 そこで彼女が頼んだのは、カラオケボックスで彼女が食べていた、ナポリタン。
 洋貴との思い出のメニューを頼む、ということで、彼女が洋貴と決別する、という覚悟が見てとれます。
 紙ナプキンに、「好きでした」 と記す双葉、まるでユーミンの 「海を見ていた午後」 みたいな古臭さですが(笑)、ちょっとした拍子に、彼女はそのナプキンで、口についたケチャップを拭いてしまう(笑)。 あーあ。 おっちょこちょいな、彼女らしいです。

 そんな彼女に、洋貴はなくなっているナイフに狼狽して電話をかけ続け、留守電に自分の思いを残します。

 「(人体模型の話)、あれから思ったんですけど。

 心は…。

 心って、大好きだった人からもらうものだと思うんです。

 僕は、亜季から心をもらいました。
 父から心をもらいました。
 母から心をもらいました。

 人を好きになると、その人から心をもらえるんですよね。

 それが、…心なんですよね。

 遠山さん。

 あなたからも、もらいました。

 ちゃんとあなたからもらったもの、今僕持ってます。

 だから。

 だからなんて言うか。

 復讐より大事なものがあるんじゃないかって思って。
 今思って。
 だから、

 …今からそっち行きます」

 そっちってどっちなんだ、と思いましたが(笑)、洋貴のこのセリフは、私の胸に染みました。

 「心は、もらうもの」。

 ひとりぼっちで生きていると、その心が、育っていきません。

 いろんな人と混じり合いながら、気持ちというものは形成されていきますが、自分の大切な心というものは、自分が大切に思う人から、もらっていくものなんだ。

 そして洋貴が双葉からもらった心。

 それはニコニコマークが描かれた、冷凍ミカンだったのです。

 双葉は、文哉が残した思いをもとに、因島へと向かいます。
 洋貴がずっと抱えていた、殺意を受け取って。

 あと2回なので、なんとかこのレビューも続けていこうと思いますが、ちょっとマジで精魂が尽き果てます。 この記事も、結構かかりました。 こういう、ほとんどのシーンが意味がある、というドラマは、なかなか省略できないのが難点です。 今回も、クタクタです。

 前回の記事から1週間もブログを休んで、その間コメントには返信し続けましたが、あらたな記事を書く気力が、どうしても湧かない状態。
 私のつたない記事を待っていて下さるかたには、大変申し訳なく思っております。

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コメント

このドラマはわたくしの中では2011年のドラマ大賞です。
そしてリウさまのレビューはブログ大賞です。一度しか観ていないドラマを、リウさまのレビューで音楽とともに確実に再現することができます。素晴らしいです。

どうぞゆっくりアップなさってください。

投稿: 薫子 | 2011年9月 4日 (日) 16時37分


リウ様、こんばんは。

クタクタになりながらのレビュー、本当にありがとうございます。

ドラマを見て泣き、リウ様の文章を読んでまた泣ける。そんなブログは、私の知るかぎりリウ様のブログだけです。

ご無理をなさいませんよう。

投稿: 希代加 | 2011年9月 5日 (月) 02時42分

本当に…先の皆様のコメントにうなづくばかりです。
リウさまの視点を加えた映像が蘇るような素晴らしいレビューに出会えた喜びをどう伝えればよいのかわからなくてもどかしい限りです。

無理はいけません。
心の内から溢れる想いだけを綴っていくのが一番だと思います。

どうぞリウさまのスタンスでこの素敵なブログを続けていってくださいね。
再びのupありがとうございました。

投稿: ちゃも | 2011年9月 5日 (月) 07時28分

薫子様
コメント下さり、ありがとうございます。

おほめの言葉をいただきましたが、やはりまだまだです。 今あらためて読み返してみて、テニオハはなってないし書き足りないことはあるしで、またまた加筆訂正をしまくってしまいました。

とにかく誠実を心がけて書いてまいりますので、よろしくお願いいたします。

投稿: リウ | 2011年9月 5日 (月) 07時30分

希代加様
コメント下さり、ありがとうございます。

記事を書いていくうえでいちばん神経を使っているのは、セリフの書き方についてです。 山田太一サンや倉本總サンの脚本を以前読み倒していたとき、ドラマ以上の感動がもたらされたことが幾度もありました。

それに倣って書いているのですが、臨場感が再現出来ていれば幸いです。

投稿: リウ | 2011年9月 5日 (月) 07時34分

ちゃも様
コメント下さり、ありがとうございます。

6日間もブログを休んだのは(コメント返信してましたけど)初めてで、それだけこのドラマに生気を抜かれているんでしょうね(ハハ…)。

正直見ていて疲れるドラマですし、記事を書いてもこんなに疲れるドラマというのは初めてです。

たぶん人が人を殺す世の中が、本当になくなってほしい、という思いが強すぎるんでしょうね。

投稿: リウ | 2011年9月 5日 (月) 07時37分

 このドラマは本当に重いです。でも、救いがあります。双葉を見て思いました。

 殺人事件の被害者家族と加害者家族が交流するのは現実では無理でしょう。どんなに償ってもらっても、死んだ人は帰ってきません。被害者側からしたら、加害者側からの行為は苦しみでしかないでしょう。でも双葉ちゃんのように、一生懸命、まごころを尽くしてくれたら、赦すとは言えなくても、憎しみの言葉を飲み込む事ができると思います。

 私が救いがあると思うのは、殺人事件のその後の運命に苦しみ、もがき、戦って、償いつづけて、家族もバラバラになって、傷ついても、彼女が優しさとユーモアを持ち続けていて、それが、相手に伝わっているところです。彼女は多分、反省していない、兄のところに向かうのだろうとおもいますが、それが、辛い選択なのに、前向きに向合おうとして車を走らせました。絶望に向かっていくのではないと思います。結果はどうあれ。
リウ様の渾身のレビューに対して、大変つたない感想で申し訳ないのですが、あと数話、がんばって下さい。

投稿: ささ | 2011年9月 5日 (月) 08時18分

お疲れ様です。

文哉が遠山家に戻ってきてからの展開は秀逸でした。「お兄ちゃん、かわいそうなんだよ」と話す文哉が
怖くて、背筋がぞっとしました。それから文哉の
“走りっぷり”も見ものでしたね。

ただ、「命を奪うことは、お金や物を奪うことと違うんだよ」と双葉が兄を戒める台詞には、すんなり共感できません。お金を盗んでも、返せば済むのかもしれません。しかし実際、お金や物を盗まない人間は、本能的に殺人も犯さないような気がします。これは私の持論です。ありふれていますが、徹底した「道徳教育」が犯罪防止に有効だと考えています。

「それでも、生きてゆく」はフィクションでありながら同時に、少年院の更生プログラムや精神鑑定の実態、「死刑制度」など、現実の問題についても、いろいろ考えさせてくれるドラマですね。脚本の坂元さんは警察を信用していないのかな。ひたむきに働いている、警官の従兄がいるので、ちょっと不満です(笑)。

死んでも奪われた命は戻らないという人権派の意見もあるようですが、「死刑制度」は少なくとも、凶悪事件を抑制する力はあると思います。被害者家族も心の整理がつく場合もあるかと・・・。

8話での、事件の当事者になるとお風呂に入ることも忘れてしまうというくだりには、リアリティを感じました。リンゼイさんの母親は2年間お風呂に入れなかったそうですね。これは、気持ちの余裕がないというより、また違った理由があったみたいですが。

投稿: レイ | 2011年9月 5日 (月) 11時15分

(`・ω・´) 冷凍ミカン。
この顔文字は眉毛がりりしいので
何か決意を感じます。
因島を目指す双葉の心意気です。
ヒロキとあっちで合流できるようですから、きっと大丈夫!

「彼を支配している、被害者妄想というもの」
そうですねえ。まさにそう。
たぶん、「アンタなんか産まなきゃよかった」的な発言があって、その後、母が死亡。
そこで心が折れたんですな。
でもオトナにならなくちゃ。
五郎さんの農園で黙々と働いている彼は、
ストイックで達観してるように見えてましたが
そこが裏切られたのが一番のギャップですね。
サトエリもそこに騙されたんですわな(爆)

投稿: マイティ | 2011年9月 5日 (月) 12時29分

リウ様

大変お疲れ様です。このブログを読んで、ドラマの意味とか再度振り返るのに、勝手ながら利用させてもらっています。


二人の気持ちがぐっと前に出てきて、特に面白くなってきましたね。

洋貴が敢えて、藤村五月じゃなくて、双葉をわざわざ選んでることになってる点で、この脇役の存在は重要ですよね。

”冷凍みかん”と”こころ”のくだりでバックに流れる『花水木の咲く頃』『東京の空』のシーンに感動してしまいました。恋愛ドラマとして見てもかなり面白いと思いですね。

あと家族を想う二人の真摯な行動・感情の動きに涙なくして見れません。ダッシュで文弥を追いかけるシーンとか慟哭とか。現実に適合してうまく生きている弟耕平との対比でさらに感情のピュア差が伝わってくるんですよね。

しかしスニーカーの描写とか、表現が細かいですね(流れ星では、ストラップだったり自転車でしたけど)。本当に細部まで見逃せませんね。


投稿: ima♂ | 2011年9月 5日 (月) 12時35分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

「江」 の記事より力が入りまくりでスミマセンcoldsweats01。 「江」 はセリフのひとつひとつを書こうという気にもならないし細部まで分析しようとも思わない。 いっぺんこのドラマの脚本家である坂元サンに大河を任せてみたい気持ちもあるのですが、ん~、浅はかな考えか…。

双葉のユーモアに救いの点が見られるというご意見はとても言えてますよね。
ただこのドラマに批判的なかたは、双葉が事件の重要性を軽く考えている、なんて見方をされるようで、つくづく人の気持ちを分かるってことは難しい、と感じます。

彼女のユーモアって、一種の苦痛回避の方法なんですよね。

オチャラケたふうにふるまってないと、あまりに自分の人生、重すぎて折れてしまう。

彼女は洋貴のナイフを持ち出しましたが、普通に考えればそれで洋貴の復讐の思いを代行してしまうのかな、なんて想像してしまう。
でもそれで兄を刺殺してしまう、なんていう短絡的な激情のままに動いてしまわない、彼女のユーモアに、ちょっと期待しています。

ほんとうに、もし加害者に謝罪の意志がとても強くても、被害者家族にとっては、それは事件の悲しみを思い出させるだけにすぎない、ということって、ありそうだよなって思います。

謝罪っていうのは、本人がどこまでその気持ちがあるかどうか、なんですよ、やっぱり。

でもそれってなかなか伝わることがない。

人に思いを伝えること、人の思いを受け取ることのむずかしさを、感じてしまいます。

投稿: リウ | 2011年9月 5日 (月) 13時12分

レイ様
コメント下さり、ありがとうございます。

道徳教育の必要性は、私も強く感じます。
ただ、やはり道徳を教え込む、と言った場合、その質って大切になってきますよね。
戦前の道徳教育がある一定の日本人としての規範を形成していた面は私も認めますが、そのいっぽうでそれが形骸化していた面も見逃せない気がします。
私が小学校時代にも道徳の時間ってあって、おそらく今の小学生たちよりきちんとした形で学んでいたと思うのですが、それでもそれって、教育テレビの道徳向け番組を見てその感想を書いて、とか、教材のお話を読んでどう自分が感じたのかその感想を書くとか、その程度で結構苦痛だった記憶があります。

それって、やはり教材の質が悪かったことが原因じゃないかって、今にして思えば感じる。
ただのお話なんですよね、やっぱり。
私が情操的に成長を促されたのは、やはり質のいい小説とか、マンガとか、衝撃的なテレビ番組とかからだった気がしてなりません。
そういうのにいっぱい触れることが、やはり想像力を養う最良の機会なんじゃないかな、って思います。
上から都合のいいつまらない話を与えられても、苦痛なだけ。 道徳教育の限界って、そんなところにありそうな気がいたします。

死刑制度が犯罪抑止力につながっている、という議論も、理解できます。
ただそこで恥じなくてはならない、という気は、私にはしてします。
それが人間が出来る限界だ、ということを。
今はそうするよりほか仕方ないのだ、ということを。
この話を始めるとかなり今以上に頭が疲労してしまうので、ちょっと避けさせていただきます。 いつか本当にきちんとした形で、死刑制度に対する自分の考えを述べなければならない、という気はしているのですが。

ただ一言申し上げたいのは、死刑を執行するなら被害者家族にボタンを押させるべきだ、ということですね(ああかなり過激…)。

リンゼイさんの母親が2年もお風呂に入らなかったというお話。
シャワーくらいは浴びないと、臭くて誰も寄りつかない気はするのですが…(なんか軽い話でごまかしているよーな気がする…)。

投稿: リウ | 2011年9月 5日 (月) 14時00分

マイティ様
コメント連投下さり、ありがとうございます。

眉毛の様子まで描写が回らなかった…orz(ああこの絵文字使ってヒまったよ…)。

文哉の精神が更生していないまま、果樹園で働いていたのは、考えてみればぞっとする話で。
問題を起こした若者を引き取って働かせている五郎も、考えてみれば現在の保護監察制度の犠牲者みたいな面がありますネ。

サトエリチャンはボインボインで、それが今にして思えばワイドショー程度の知識で自分の感情を左右される思慮の浅い人(うっまた炎上のキーワード…)の象徴だった気がするんですよ。 あからさまに性的魅力を発散させているところが俗っぽくて。

投稿: リウ | 2011年9月 5日 (月) 14時29分

ima♂様
コメント下さり、ありがとうございます。

ホントにこのドラマ、大竹サンがいいとこぜーんぶ持ってっちゃうという感じですからね(爆)。
久々に瑛太クンと満島チャンの感情の深い部分を見ることが出来た気がします。

私も個人的な好みでいうと爆乳の(あっいや)倉科カナチャンのほうがいーんですが、洋貴にはなんか、双葉が幼かった時から、どことなく相性の合うものを感じていた気がするのです。

と同時に、幼かったころの双葉が、自分が生きる道を踏み外してしまったあの事件前の、懐かしい日々の象徴である気もするんですよ。

耕平は耕平で、普通の人生を選んだ時点で、また自らも、目をそらしてはならない現実から目をそらしてしまった、という苦しみは、あるんだと思います。 マンガの主人公に合わせて兄の生き方をあれこれ言うのも、兄が自分の出来なかったことをやって兄自身の人生を犠牲にしていることに、後ろめたさがあるせいなのかな、なんて考えてます。

投稿: リウ | 2011年9月 5日 (月) 14時45分

アスペルガーの人に道徳を施しても無駄ですよ。 小さな頃に衝撃を受けておかしくなった脳が他人に痛みや苦しみがあるということを理解しないのですから。 あの絵を見れば精神に異常があることが明白で、罪を問えない可能性が非常に大ですし、未成年の頃に医療刑務所にいたという事実があれば実名報道なども現実にはあり得ないことです。 ドラマを進める上での設定で必要なカットはあくまでもフィクションたるゆえのもので、現代レベルの精神鑑定がきちんと行えていればこのドラマのような展開は実際には起らないでしょうね。 事実をほとんど知らない上に、週刊誌の見出し的な情報だけを齧った無責任な多数のネット上の世論というのは、クズ情報に過ぎません。 このドラマについては私は好きです。 よくできた作品だと思います。 もっと多くの人に見てもらい考えてもらいたい内容というかテーマですね。

投稿: 2017 | 2011年9月 9日 (金) 12時38分

2017様
はじめまして。 コメント下さり、ありがとうございます。

アスペルガーという人の特徴を私は不勉強であまり存じ上げないのですが、道徳を施しても、無駄なんでしょうか。 かなしいですね。

私は個人的に、このドラマの本質は、罪を犯した人が心から反省し謝罪し、償うとはどういうことなのか、というものを追及している点にある、と考えています。 法制度や精神鑑定などでは解決の出来ない、人としてのあり方を問いかけているドラマなのではないか、と思っています。

もし文哉に更生する余地がない、病気なんだから、という視点でこのドラマを見てしまうと、なんかとても救いのないドラマになってしまう気がいたします。

実際救いなんてないのかもしれませんけどね。

現代レベルの精神鑑定って、私はあまりよく分からないのですが、それで解決できれば、あまり再犯なんてことも起きない気がするのですが。

投稿: リウ | 2011年9月 9日 (金) 13時28分

いろいろと考えさせられるドラマです。とても内容が重いですが良く描かれていると思います。被害者側と加害者側の家族の悲しみ苦しみ、回が進むごとに明らかになってくる文哉、双葉の生い立ち‥洋貴、双葉の今後の生き方も気になります。いろんな人に見てもらいたいドラマです。

投稿: 蓮花 | 2011年9月 9日 (金) 19時38分

蓮花様
はじめまして。 コメント下さり、ありがとうございます。

人間の本来穢れた部分を洗い流すために、一見澄んだ水でさえ、大きくかき混ぜなければならない、という考え方があります。 かき混ぜることで底にたまっていた汚れが舞い上がり、しばらく汚くなったように見えるが、底の汚れを取るにはその方法しかない。

このドラマはそんな、かき混ぜタイプのドラマ(笑)のような気がします。

心の中を強引に引っ掻き回されて、皆さん心を乱されて、自分のなかにある判断基準というものを、見つめ直す機会にしていく。

なにも考えない、考えようとしたくない人より、考えたくなくても考えてしまう、というほうが、ずっといい気がいたします。
考える機会、というものは、いずれにせよ必要なのです。

投稿: リウ | 2011年9月10日 (土) 08時15分

リウさん、お久しぶりですcoldsweats01
「冬ごもり」から脱出出来そうな葵です。
ずっと前の記事だけど、タイトルの「殺人者の幼稚性」という所にずっと引っかかりがあって。だけど何かリウさんに喧嘩吹っ掛ける様な気がしてずっと下書きのままでした。でも、勇気を出して私の考えを書いてみますね。

「それでも生きてゆく」第1回放送は見逃してしまったし、第4回までは毎回見ていたんですけど…
私はこれまで1度も経験したことなかったことばかりの内容で、(何かの事件で誰かの加害者になったり・被害者になったり…加害者の家族になったり・被害者の家族になったり…

そういう想像を絶するような経験を何十年も過ごしてきた経験がないので、どうしても理解出来ない部分がありすぎて・無知な自分も確かにいます。)
こんな気持ちがずっと重くのしかかってきて、5回以降は見れなかったです…
経験していないとはいえ、内容が重くて重くて
(役者さんたちのリアリティ溢れる演技もドラマの内容を本当に深くしていたと思います。脚本のセリフも一言一言に何かを私達に確実に伝えるような気がしてきて…

見る度に胸の奥に重い鉛がずうううう~~んと、落ちてきてすごく苦しくなるので見るのをリタイアしていたんですけど…頑張ってみてみました。

一番心に残った第8回~第9回の内容について自分なりに考えたことを書いてみたいと思います。

このドラマの中で、私が一番興味を惹かれたことは、「人を殺すという最後の一線を超えてしまう人間が存在するけれど、そこに至るまでの理由が何かあるはずだ…」ということです。この中では、文弥君がそれにあたります。

文弥君は、ここで少年院から出所しお世話になっていた草間ファームの娘さんに重傷を負わせ「殺人」までは至りませんでしたが、結果として二度と意識が戻らない「植物人間」に彼女追い込みます。

これまでに放送された印象的なシーンが、入れ替わった立場の登場人物と一緒に私の頭の中に再現されてきました。

①意識不明の娘さんのために半分常軌を逸して行った草間さんでしたが、病院に現れた双葉をみて駿輔にも自分と同じように娘がいることを知り、突然、豹変します。

「あんたの-…娘か。そうか。娘か……娘がいるのか返してくれ!!娘返してくれ!!娘返せ!!返せ!!・・・」
・・・このセリフ聞いていて辛かったですね。

15年前、最愛の娘さんを殺された饗子さんの、目の前にもし文弥くんがいたら彼女もきっとこの言葉を投げつけていたのではないかと思いました。

②このシーンではなぜか饗子さんと双葉さんの停留所で語らう昔のシーンが蘇ってきました。

双葉さんがテレビに出てきた草間さんの娘悠里ちゃんが抱いていたぬいぐるみが、ほころんでいるのを見つけ、ひとり五郎さんのところに再び会いに行くシーンです。

悠里ちゃんのぬいぐるみを縫う双葉さんに、悠里ちゃんはあどけない話ばかりします。悠里ちゃんには、ママ(佐藤江梨子さん)の本当の病状が、理解できてないみたいです。
この時、悠里ちゃんは短いスカートを穿いて膝小僧を怪我していましたね。

饗子さんから、あきちゃんの小さかった頃の様子を聞いてた時の双葉さんとはもう違って、この時の双葉さんは、長いパンツを穿き、もうかわいい膝小僧を見せてたあの頃とは違っていました。

あの時は、饗子さんが双葉さんのひざ小僧のけがを丁寧に手当してくれました。そして饗子さんは、あきちゃんの小さな小さな思い出を沢山素直に双葉さんに話していたのです。

あの時の立場が今は全く反対になってしまったみたいでした。
どういう気持ちで双葉さんは、悠里ちゃんのお母さんへの小さな小さな思い出ばなしを聞いていたのでしょう?
「母親」はこんなにも「我が子」のことを思い、どんな小さな出来事も心の片隅にずっと残し続けている。
「子供」も「自分の母親」に対してはどんな小さなことも大切な気持ちを持っている。

あの時、饗子さんが双葉さんの膝小僧の傷を大切に手当してくれたこと…
今、双葉さんが心をこめて1針1針悠里ちゃんのぬいぐるみの傷を大切に手当してあげたこと…

こうやって人は人との繋がりの中で、相手の心の痛みを知り、自分の心の痛みも手当して貰える様になっていくのかもしれないと…そんな事をふと考えました。

さて、本題に入りたいと思います。
私が今回一番考えてしまったことは、何故文弥くんはこんなふうになってしまったかという事です。
文弥くんが、お父さんと直接会話をする中で新しくわかったことか沢山ありました。
それは文弥くんの「産みのお母さん」に付いての悲しいまでの過去でした。

それが例え、客観的な事実とは違うかもしれなくても、少なくとも幼なかった文弥くんにとっては、自分の見ている目の前で、自分を産んだお母さんが「暗闇の中」へたった1人で落ちていってしまったのです。
多分この時から、文弥くんの心ももおかあさんといっしょに「心の中の暗闇」に落ちていってしまったのかもしれません。

2度目のお母さんにすぐなつけと言ってもそれは無理なことではなかったでしょうか…
双葉ちゃんはまだ赤ちゃんだったから、すんなり次のお母さんになつくことは、出来たかもしれません。
けれど、自分の「大切な母親」が目の前から失って行った子供に「2番目の母親」とすぐに仲良くせよと言っても、それは大人の勝手でしょう

吹雪@ママが話してましたよね。
「双葉はまだ小さい赤ちゃんだったけれど、私の指をギュ~~ッと握り締めてくれて、ああ…この子を大切に育てていかなければ…そう思ったの。だけど、文弥はそういう事も何もなく…」

・・・これだけを考えれば、文弥&双葉の母親が亡くなってから殆ど時間をおかず、駿輔は再婚したものと思われます。

文弥くんが新しい母親に懐かず心を開けなかったのは、この言葉からもわかります。
「美味しかったですよ。貴方の料理はこれまでも上手だなと思っていましたから。」
今でも、文弥くんの母親はやっぱり彼を産んだ「暗闇の中に1人で去っていた彼女」だけだんだろうと思います。

少し冷たい言い方かもしれませんが、文弥くんの父親はもう少し子供の心を慮り・・・母親を自殺かもしれないと思わせてしまった責任…
そういうものをもっともっと考えていて欲しかったと思います。

この回で、とても心にのこる印象的な言葉があります。

『あれから思ったんですけど。心は…。
心って、大好きだった人からもらうものだと思うんです。
僕は、亜季から心をもらいました。父から心をもらいました。母から心をもらいました。
人を好きになると、その人から心をもらえるんですよね。
それが、…心なんですよね。
遠山さん。あなたからも、もらいました。ちゃんとあなたからもらったもの、今僕持ってます』 

文弥くんも本当は大切な人から、安心して大好きな人からいっぱい心を貰って、心の暗闇に暖かな水で満ち溢れ、いつしか愛情の水が溢れ出て行くように育てられていたら…

子供は親を選べません。そして、全く無力の子供にとって「親」は例えそれがどんな親であろうとも、その親に頼るしか「生きる術」がないのです。
「その親」に見捨てられたら「無力な子供」は、体が死ぬか心が死ぬか…本当にぎりぎりのところで、生きていくしかないのです。

私が昔、仕事をしていた頃、時に反社会的な行動をわざと起こして親の愛情を得ようと必死になっている子供たちを何人も見たことがあります。

本当は親に認めて貰って、親に褒めて貰って、親に愛して貰って…そうやって子供は「心のコップ」を「愛情」で満たし心に安定感を得て行きます。

けれどそれが出来ない場合、子供はわざと親に叱られること・他人を困らせることをやってしまいます。
「叱られること」さえ子供にとっては、それは親が自分を注目してくれる事・・・
「一つの愛情」になり生きていく上で必要なことと錯覚してしまうのです。

私たち大人は、子供のそういう表面上の出来事だけをみて、子供を叱ったり愛したりしています。
けれど親が本当にしなければならないことは、そういう表面上に現れる子供の行為だけを見て、「子供の本音」を見過ごしてはならないということです。
物事の「結果」には必ず「原因」があるという事。
悪い結果だけをみて物事に対処していても、それでは本当の解決にはならないということです。

人と関わり生きていく上本当にで大切なことを・・・そんなに沢山のことでなくてもいい…。
このひろき君のような言葉をいえるように成れていたら…
もしかしたら、文弥くんはここまで追い詰められなくてもよかったのではないかと私には思われてなりません。

文弥くんの日記に綴られた言葉は余りにも悲しくて無残です。

「また頭の中の井戸を覗き込んでみた。 
水は入っていなかった。 
渇いている。 水を入れたい。 すごく困る。 死にたい人間は悲しい。」

「どうして生まれたのか分からないまま生まれてきて、
どうして生きてるのか分からないまま生きて、
なにも分からないまま、
なにも分からないまま死んでいく。

「殺す僕がいる。
殺す僕は、僕の子供を殺すだろう。
僕は見ているだけ。
殺す僕を。僕の子供を殺すのを見ているだけ。
それでも僕は生きている」

「死んだ人はいいよ…。死んだ人は死んだらそこで終わりだけど。殺したほうは。殺したほうは生きてかなきゃいけないんだよっ!お兄ちゃん!お兄ちゃんかわいそうなんだよ!!」

…一見、(殺人を犯してしまった)文弥くんにとっては本当に都合のいい言い訳にしか感じれない部分も多くあると思います。こういう気持ちになれば、殺人が許されるのか???そんなふうに感じる人が当たり前の感覚なのかもしれません。

…でも私には、こんなふうに吐き出した言葉は、今まで文弥くんが心の底に飲み込み続け、決して表に出すことの出来なかった、文弥くんの心の悲鳴のように私には聞こえました。

 「お兄ちゃんのことずっと恨んでたんだろ?」

唯一の家族だと信頼している双葉に対して、その愛情を確かめるかのように問いただす文弥…
その文弥に対して感情を爆発させる双葉

「恨んでなんかいないよっ!恨んでいないから!家族恨めないから苦しかったんじゃないっ!!なんであんなことしたの?…私のせいなの…?だったら、あたし殺せばいいじゃないっ!!もう取り返しがつかないんだよ?!分かってんの?!お兄ちゃんがやったことはっ! お金とか!物とか奪ったことじゃないんだよっ?! …命だよ…!命奪ったら、もう償えないんだよ?! ねえっ?!ねえっ!」

……同じ兄弟であり、同じ時に産みの母親と死にわかれ、新しい家族を持ち同じように育ってきたはずなのに、何故双葉にはこのような言葉を兄に向かって発することが出来たのでしょうか?

同じ時間を同じ家族として、共有してきたのに何故文弥にはこれだけの感情が育ってこなかったのでしょうか?

そう考えると(小さかったから真実を知らなかったとはいえ)双葉は吹雪@母も含めて自分の家族が本当に大好きだったのだと思います。

「人間にとって大切な心」を双葉は、「大好きな家族たち」からいっぱい貰って成長し、「奪った生命は決して償うことが出来ない」ということが真に理解出来る人間になれたのだなと思います。

「ここよ!ここに亜季がいたの!アタシのお腹のなかに、亜季が10カ月いたの!」そのあいだに、母親がなにを思うと思う?! ひとつだけよ!
健康に生まれますように!健康に生まれますようにって、毎日毎日10ヵ月間、それだけを思うの!!
亜季はね、女の子なのに生まれたとき3360グラムもあって、『大きくなるね、あなた大きくなるね』 って話しかけてたのっ!
つかまり立ちできるようになって!台所の!家のね!台所の横の柱に背中付けて!背測って!並んだ傷見ながら、『あー今年はこんなにのびたね、ごはんいっぱい食べたからだね』 って、笑ってたのっ!
小学校行って、最初は、大きいランドセルが、だんだん小さ言ってた頃にね!『亜季はきっと中学になったら、お母さんの背超しちゃうんじゃない?』 って言ってたの!!分かる?!」

饗子が半狂乱になって文弥くんに懸命にぶつけた言葉も、聞いていてとても切なかったです。

文弥くんがもし、本当のお母さんが生きていて、事あるごとにこのような言葉を文弥くんに話してくれていたら…?
自分の大好きなお母さんから、「貴方のことがこんなに大事だったのよ…」と「親が自分のことを大切に思う心」をしっかり貰っていたら…
もしかしたら文弥くんはもっと違う人生を生きることが出来ていたのではないかと思います。

すみません・・・すごく昔のドラマの事で。でも思い切って自分の考えをお話出来て、それは私にはホントに良かった事。読んでくれてありがとうございますhappy01

投稿: 勇気を | 2012年4月20日 (金) 00時18分

ああ、ごめんなさい。
何か名前が変になっちゃった(笑)

葵@勇気を出して・・・と書いたつもりだったけど。

勇気をさんになってしまったcoldsweats01
「冬ごもり」し過ぎでしたね(笑)

投稿: 葵@勇気を出して | 2012年4月20日 (金) 00時25分

葵様
お久しぶりでありんす(ということにしておきましょうか…って、余計なことは書かないほうが…笑)。

ちょっと! 葵サンっ!(笑)

コメント、長すぎですって!(爆)

返信するのに、少々お時間をくださいまし。

ずいぶん前の(でもないか)ドラマなので思い出すのにも時間がかかるし…。

お元気になったのは大変喜ばしい限りですが、あんまり無理をしないでくださいましね。

投稿: リウ | 2012年4月20日 (金) 08時39分

葵様
…気を取り直して、あらためて返信いたします。

葵サンのコメントに対して感じたことを率直に書かせていただきます。

葵サンが文哉の幼いころに負った傷に焦点を当てて、「殺人に至るには相当の理由があるのでは」、とお考えになるのは、葵サンの心の優しさをとても感じます。 不用心にとんでもないことを書いてしまいますが、私は葵サンのそういうところが好きなのです。

ただ、だからといって文哉、人殺し、というのは、ちょっと違うと思うんですよね。

いくらいかなる事情があろうとも、人殺しというのは、してはならないことだと思う。

人殺しをしていいケースって、どういうのが考えられますか?

病気の身内がいて、長年闘病していて、看護する家族のほうも疲れ切ってしまって、「このまま苦しみながら生きたくない。 殺して」 と頼まれた場合。

そんな場合には情状酌量の余地も出るかと思います。

でもそれだって、当事者たちにとっては死ぬよりもつらい決断だと感じます。

あと考えられるのは、そいつが極悪人で、死刑が当然だ、と思われるようなケース。

けれどもそいつを死刑にするのって、裁判官とか法務大臣とか国民じゃない。 死刑にするのは 「死刑執行人」 なんですよ。 そいつの首に縄をくくりつけて、ボタンを押すひと。

私は、極論と思われるかもしれませんが、そいつを死刑だと思う人全員が、そいつをなぶり殺しにすればいいと思っています。

それで、「ああ死んじゃったよ、ザマアミロだ、自業自得だ、これで被害者も浮かばれるだろう」 と満足すればいいと思っている。

他人に殺すのを委託しておいて、何が死刑だ、と思う。

殺せばいいのだ、みんなしてそいつを。

人を殺すのって、それくらい野蛮な行為なんだと、自覚する必要があると思う。

法治国家だから理性的に罰を与えるのだとか何とか、おためごかしに過ぎない、と考えています。

私は結局、死刑廃止論者ということになってしまいますが、単なる死刑廃止論の立場をとっていません。
死刑よりもつらい刑罰を与えるべきだと考えている。

それは、生きることなのです。

罪を背負いながら。 そのことによって苦痛を受けたすべての家族の苦しみを背負いながら。 刑務所で死ぬまで強制労働させればいいと思っている。 それでその労賃を損害賠償させればいいと思っている。

文哉が幼稚だ、というのは、これらのことに思いが至っていないことが最大の要因です。

人を殺すことを、たいしたことじゃないと考えている。

それどころか、自分はこの子を天国に送ってやったんだと、まるでいいことをしたように認識している。

そして自分がしたことで、自分の家族も相手の家族もどういう状態になったのかから、あくまで目をそむけようとしている。 反省することからも、逃げている。

私が 「幼稚だ」、と考えるのは、そこです。

このドラマにおいて、私は途中まで、文哉が何らかの形で 「反省」 をしていることを期待していました。

でもその思いは、回を追うごとに裏切られ続けていった。

私が彼から受ける印象は、「目を背けたくなることに無理して目を合わせる必要なんかないや」 という、 「逃げ」 の姿勢ばかりでした。

そしてそれを、自分の過去のトラウマのせいにしたがっている。

文哉が幼いころに傷ついたことには同情いたしますが、でもその結果やってしまったこと(殺人)とのあいだには、整合性が著しく欠如しているのです。

私がこのレビューのタイトルを 「殺人者の幼稚性」 とした意味が、ご理解いただけたかなーと、いただけたらいいなーと、思っております。

ではでは。 またの機会に…catface

投稿: リウ | 2012年4月20日 (金) 13時11分

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