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2011年9月

2011年9月30日 (金)

「ドン★キホーテ」 最終回まで見て 感想だゴルァァ!

 松田翔太クンと高橋克実サンの人格交代ドラマ、「ドン★キホーテ」。

 結局彼らの人格は元通りになったのですが、それと入れ替わり立ち替わりのように、今度は兵頭(松重豊サン)と西やん(三宅弘城サン)の人格が交代(思いっきりしょっぱなからネタバレですわ…笑)。 「どうなっちゃうの?」「まあいーじゃねーか」 でドラマはオワリ。 結局ふたりの人格が入れ替わる際の黒雲の正体もその必然性も分からず、それがそのままこのドラマの 「この暑い季節、頭をからっぽにしてドラマを見よう」 という日テレ土曜9時の夏ドラマの確固たるポリシーをキョーレツに印象づける結果となったのでした(難しく考えすぎなんだっつーんだよゴルァ…イカン、毒されとる…)。

 実際のところ松田翔太クンにとってこの人格交代後のヤクザ 「鯖島」 役は、私がはじめて見た彼の当たり役だった気がしますね。 完璧なヤサ男のもともとの人格、城田のときよりもずっと、水を得た魚のように生き生きとしていた気がする。
 だからこそ人格がもとに戻ってしまったときの松田クンの演技は、鯖島の凄みも引きずってはいたんですが、「ああ惜しいなあ」 の感がぬぐえなかった。
 そしてこの兵頭と西やんのオチでしょ。
 なんかしっかり、続編やスピンオフを当て込んでいるよーな気がしたんですけど(笑)。

 いずれにしても、人格がもとに戻った鯖島は 「あれは真夏の夜の夢だった」 とばかりきれいさっぱり忘れているんですが、それでも自分が城田時代に大勢の子供を救った、という自負が彼をひと回り成長させているはずだし、城田にしても自分が鯖島時代に、「覚悟を決めるとはどういうことか」 ということを学んだ、と思うんですよ。 だから以前のように、ただフニャフニャな男ではなくなっているはず。
 このドラマの意味があったとすれば、たぶんその、主役ふたりの人間的な成長、だったと思うんですが、ドラマ自体はそんな堅苦しいことは拒絶している気がする。

 要するに、面白けりゃいいんですよ。 誤解を恐れず言えば。

 このドラマは児童相談所が舞台のために、子供や親が抱える問題を毎回いろんな切り口で見せてきたんですが、結局その解決方法は、「なんにも考えないこと」 によるものだった気がするんです。
 ウジウジ考えて、なにが楽しいのか。
 面白いと思ったなら、とことんそれを突き詰めろ。
 城田になり変わった鯖島の児童問題解決方法は、そのスタンスをけっして崩さない。
 彼は子供のことを心から考え心配したことなんか、一度もなかった気がします(私の記憶によれば)。
 ただ自分の思うところにあくまで正直で、自分の思うがままに行動しているだけ。
 それが結果的に児童問題を解決する方向に行ってしまうのは、彼が極道時代にくぐり抜けてきた試練が、命をかけたものばかりであったからなんだと思うのです。

 人間、命がけになって何かをすれば、道は開ける。

 たとえ極道であっても、ハンパな生き方をしていれば、必ずはじき出される。
 怖がっていては、生きていけないのです。

 ところがそのことをドラマが表現するのに、いちばんのネックは、やはりその 「極道」 の世界を描かなければならないこと。

 なんだか世知辛い世の中になってきたものだと思うんですよ、またまた誤解を恐れずに言えば。
 いまじゃやくざの世界を描くなんて、風当たりが強かろうと思われて仕方ない。
 昔はもっと、やくざの世界を描いた作品が世の中を闊歩していた気がするんですが。
 なんか最近じゃ、「極道の妻たち」 の映画もテレビでやらない気がしてます(気のせいかな)。

 当然だろうとは思いますよ、ボーリョク団の話なんか。
 ただ、もっと世の中、毒があっていい気はする(ますます誤解を招く話にズブズブ入りこんでる気がするなぁ…笑)。
 最終回に出てきた、無菌状態の中で生きてきた女の子。
 彼女の存在そのものが、いまの 「事なかれ主義」 の社会の象徴なのではないか、とさえ感じるんですよ。
 そして城田のもともとの性格も、そんなフニャフニャのきれいなぼっちゃんじょーちゃん状態の弱々しい人間の象徴だとも感じる。

 土曜の夜9時の番組なんかで極道の世界をまともに描くことなんか当然出来ないから、ドラマとしてはかなりカリカチュアライズを余儀なくされます。

 たとえば鯖島組は、クスリには手を出さない。
 しかも組長夫婦がサルサを踊るとか、変な趣味を持っている。
 彼らはいったいどーやって金を稼いでおるのだろう?というやくざ組織なんですよ、鯖島組って。

 でも最終回では、そこんところも結構踏み込んでいた気がする。
 ヒットマンが鯖島組を襲ったときに、兵頭と鯖島(まだ中身は城田のまま)が、日本刀を手にするのです。
 ドラマだから当然それはモノホンではないのですが、これは要するに、銃刀法違反。
 そのシリアスさを軽減する必要がどうしてもあるために、鯖島(中身城田)が振りおろそうとした日本刀は、組の天井のひさしに引っかかって抜けなくなることで笑いを誘い、兵頭はヒットマンの撃ってくる拳銃の弾丸を、その日本刀ではじき返すというマンガみたいなことをせざるを得ない。 「ルパン」 の石川五右衛門かよ、とゆーわけですよね。

 複数のやくざ組織の総長を決める、という方法にドラマが選んだのも、「極道ガルタ」(笑)。 (笑)って書きましたけど、笑ってもらわなきゃシャレにならんわけです。
 順当に考えれば、ここではサラシを巻いた匂うような女が現れて、「入ります…長か半か!」 みたいな、賭場みたいなことをしなきゃならないんですからね。

 とりあえずまあ、ドラマが目指した 「何も考えないで見られるドラマ」 の真逆を行ったレビューを起こしているワタシですが(爆)、「臭いものにはフタをする」 という風潮が世の中をますます軟弱化させている、という作り手の危惧?を勝手に読み取った、「ドン★キホーテ」 だったのでした(笑)。

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2011年9月29日 (木)

点鬼簿2011…まだ今年は途中ですが

 ここ最近、杉浦直樹サンとか、滝口順平サンとか、いろんな人の訃報を耳にしながら、ちょっとうっちゃっていた部分があって。
 通り一遍の追悼しかできないことが主な原因ですが、なんとなく一口コメントでもいいので書きたくなってきた。

 で、あらためてどんなかたがたが亡くなったのか、ウィキの 「訃報2011年」 という項目を見てみたのですが、世事に疎いことがあらためて浮き彫りになった、というか、「えっこの人亡くなってたんだ」 というのが次々分かって。

 とりあえず次から次から書いていきたいと存じます。

 中島徹サン。 マンガ家。 3月26日大腸がんで死去。 享年47。
 小学館 「ビッグコミック」 関連で 「玄人(プロ)のひとりごと」 とか、「五月原(セクハラ)課長のつぶやき」 とか、枚数の少ないページでギャグマンガをやってました。 相当笑わせてもらったなあ。 学年的に私のイッコ上だった、というのも驚きでしたが、亡くなられてたんですね…。 最近マンガ雑誌を、とんと読まなくなったもので、存じませんでした。

 出崎統サン。 アニメ監督。 4月17日肺がんで死去。 享年67。
 このかたが亡くなったときは、ちょっと記事にしようかと思ったのですが、私以上にこのかたを論じることのできる諸氏はおられるので書かずじまいでした。
 言わずと知れた 「あしたのジョー2」「ベルサイユのばら」「エースをねらえ!」 などのアニメ監督ですが、今ここにあげた3作品のアニメ版を思い起こすだけでも、「みんな顔が似てた、画風が一緒だった」 というのが分かる気がします。 「出崎顔」 と言ってもいい気がする。
 そのほかにも、この人の作品には出崎色がかなり強くて、ストップモーションとか光の写り込みの多用とか、登場人物のニヒルさが原作よりかなりアップするとか、独特の世界観を持っていた人でしたね。 個人的な好みでいうと、原作に思い入れのある作品については、「う~ん…」 という感じ。 ただ原作の持つ子供っぽさをクリアしていた点は、素直に評価できるように思えます。

 長門裕之サン。 俳優。 5月22日、77歳にて死去。
 このかたが亡くなったときに記事にしようかと思いましたが、気の利いたコメントがなかなか思いつけずリタイア。
 最後は結局奥様の南田洋子サンのあとを追うように、という感じだったですね。 南田サンの病状をテレビで公開したときも、いろいろ言われたけれど、それはそれでよかったんじゃないでしょうかね。 いまはいろんなことを言う人が、多過ぎる気がする。
 私にとっての長門サンは、なんと言っても 「池中玄太」 でしたね。 鬼の編集長、「楠公さん」 役。 「池中玄太」 は、松尾和子サン、三浦洋一サンがすでに鬼籍ですよね。 もうずいぶん昔のドラマになっちゃうんだなあ。
 そうそう、「赤い疑惑」 で友和クンの父親役、相良教授、というのもありました! 近年では 「篤姫」 の、島津の殿さま。 高橋秀樹サン演じる島津斉彬公の父親役だったと記憶してますが。 女を侍らせて、憎々しい演技。
 「ミュージックフェア」 の司会者おふたりが、もうこの世にいないんですね…。

 平田隆夫サン。 ミュージシャン。 6月12日、72歳にて没。
 「ハチのムサシは死んだのさ」 で有名でしたけど、私的には 「悪魔がにくい」 ですかね。 うちに叔父の買ったシングル盤があったんです。 NHKBSの歌番組で、近年も数回見た記憶があるので、ちょっと驚きました。

 中村とうようサン、音楽評論家。 7月21日、79歳。
 ちょっとこの訃報には驚きました。 しかも死因が自殺? 79歳というのも驚きでしたが、将来を悲観するには、天寿を全うされるべきお歳なのではなかったでしょうか。
 このかたの評論というのは、ほとんどまともに読んだためしがないのですが、それは私が興味のないミュージシャンばかり採り上げられていたから(笑)。
 実は私の人生で初めて自発的に買ったLP(アルバム)、ジョージ・ハリスンの 「オール・シングス・モスト・パス」 で、評論を書かれていて。
 この3枚組LPは 「ロック界の金字塔」 という称号が与えられていて、だからだったのか、当時を代表する音楽評論家のかたがたが4人も評論を載せていらっしゃった。
 福田一郎サン、糸居五郎サン(このかたはDJと言ったほうがいいかも)、木崎義二サン、そして中村サン。
 中村サンの書きっぷりは若々しかったけれど、ジョージより年上だった(笑)。
 近年では 「レコードコレクターズ」 で文章を見た記憶がありますが、やっぱり私の興味とは合わなくて読んでなかった。

 小松左京サン、7月26日没。 享年80。
 緻密なSFを書くかたでいらっしゃいましたね。 私が思春期を迎えたころ、SF小説ってNHKの少年ドラマシリーズでよく採り上げられていて、眉村卓サンの 「なぞの転校生」 とか、筒井康隆サンの 「時をかける少女」(テレビシリーズでは 「タイムトラベラー」)とかよく読んだものでしたが、小松左京サンのものは、それとは格段にグレードアップした読み物で。 設定の緻密さとか想像力のたくましさに、圧倒され続けました。
 特に 「復活の日」 は、読み倒しましたね。 「日本沈没」 のほうは、読んでないのですが。
 考えれば角川映画とタイアップで、当時はよく小説も読んだものだ。 「映画を見るのが先か、小説を読むのが先か」、なんて言葉に踊らされて(笑)。

 その角川映画 「人間の証明」 で主題歌を歌った、ジョー山中サンも、この世を去りました。 8月7日。 享年64。
 「人間の証明」 もものすごいインパクトでしたけど、私にとってジョー山中サンは、映画版の 「あしたのジョー2」 のエンディングテーマですね。 すごくテンポが遅い曲で、レコードの回転が遅いのかと思った(って言っても分かんない人が、今は多いんでしょうかね…)。 でもそれが却って、かなりの衝撃で。 テンポが遅いのにかぶせて、「あしたのジョー」 の原作での最終ページの、あの印象的な絵が、ゆっくりとゆっくりと、遠ざかっていくんですよ。 逆だったかな。 確かテレビ版と、ズームインするのかズームアウトするのか逆だった気がするんですが。
 そのアニメに携わっていたのが、出崎統サンでした。 アニメ版 「ジョー」 のこの両方の演出は、私も手放しで讃嘆いたします。

 ちょっと前後します。

 前田武彦サン。 司会者。 8月5日没。 享年82。
 「夜のヒットスタジオ」 の印象はあまりなくて、土曜日だったかなあ、夕方あたりからやってた番組の印象が強くて。 なんていったかなあ、番組名。
 いま調べたんですが、ウィキには項目だけで詳細が載ってなかったけれど、「前武のヤングアップ」、という番組だったみたいですね。 テレビ朝日の。 当時はまだNETテレビだったかな?
 「永六輔の土曜ワイド」 でもたびたび出てらっしゃってた気がしたのですが、生前最後のご出演も、この番組だったらしいですね。
 この人のLPも、叔父が持っていたやつがあって(笑)。
 「マエタケのおしゃべりジョッキー」 っていう題名(誰も知らんだろうなー…爆)。 この人がおしゃべりをして、東京キューバン・ボーイズが演奏をする。 うちの叔父には、ビートルズを教えてもらった多大なる恩があるのですが、こーゆーLPも買っていた、というのはなんつーか、…コメントを差し控えさせていただきます(爆)。 いま私が手元に持ってるんですけどね(笑)。 レコードプレイヤーがないからって、プレイヤー持ってる私に預けっきりで(笑)。

 プロ野球審判の平光サンも亡くなってたんですねぇ…。 8月9日、享年73。
 巨人が昔は大好きだったので、たぶん何度も後楽園球場で見たと思います。
 でも審判なんて、球場ではほとんど意識しませんけどね。 でも私の中では 「球審平光」 というのは、ほぼ決まり文句みたいなものでした。

 日吉ミミサン。 歌手。 8月10日。 享年64。
 この人はバラエティ番組に結構出ていた印象があって、ウィキで調べたら 「オレたちひょうきん族」 をはじめとして、「霊感ヤマカン第六感」「底抜け脱線ゲーム」 とかにもお出になっていたみたい。 懐かしいな、これらの番組。
 「男と女のお話」 は定番ですけど、この人の曲で思い入れがあるのは、中島みゆきサンが阿久悠サンと組んだ異色曲、「世迷い言」 ですかね。 「カタリと変わるデジタル時計」 とか、当時あったわあった、というアイテムも出てくる曲ですが、この曲の締めの部分、「世のなかバカなのよ」(上から読んでも下から読んでもこの文句です)って、今でもたまに思うことがある名文句で。

 竹脇無我サン。 8月21日。 享年67。
 この人が亡くなったとき、「もしや…」 と思ったのですが、天寿を全うされた形でした。
 それだけ竹脇サンが罹られたうつ病のインパクトが強くて。
 確か 「岸辺のアルバム」 で、八千草薫サンの浮気相手だったと記憶してるんですが。
 二枚目俳優というのは、なかなか生きづらいのかなあ、なんて考えたときもありました。

 そしてその 「岸辺のアルバム」 で、八千草サンに浮気をされてしまうダンナ役だったのが、杉浦直樹サン。
 一時期育毛剤のコマーシャルに出ていらっしゃいましたよね(笑)。 「プッシュプッシュプッシュ」 とか(だったかな?)。 髪の毛がいよいよになって、そのコマーシャルの効果なしと判断されたのか、いつの間にか降板してましたけど、それってこっちの単なる憶測か!(笑)
 杉浦サンがお出になっていた山田太一サンの 「鳥帰る」 という単発テレビドラマが、田中好子サンが亡くなったときに放映されていたんですよ。
 山田太一サンの世界を確実に体現できる、希有な役者サンだとあらためて感じていました。
 9月21日没。 享年79歳。

 また前後いたします。

 滝口順平サン。 声優。 8月29日、80歳にて没。
 「ぶらり途中下車の旅」 やドクロベエを筆頭として、もう数え切れないほどの出演作がある滝口サンであります。
 いま、これほどの個性のある声優さんって、誰かいるでしょうかね?
 昔の声優さんは、本当に個性のある声をしたかたが、おおぜいいらっしゃってた。
 私は、それは声優さんたちが出演される番組に、人間以外のものが多かったためなのではないか、と推測しています。
 そして特別に声色を使わなくとも、容易に判別できるだけの確固とした個性が、それぞれのかたに備わっていた。
 いま、そんな声優さんたちは、もう相当の高齢のかたばかりです。
 つまり 「個性のある声優」 さんはもうこの先、先細っていくばかりなのです。
 人間に個性がなくなり、世の中にパワーがなくなっていく。
 そんな因果関係を、滝口サンの訃報に際して私は強く感じました。

 大場啓二サン、私の住んでる世田谷区のもと区長サン(世田谷以外ではあまり有名じゃないか…)。 9月1日死去。 ものごころついたときから 「世田谷区長と言えば大場」 でしたからねー。 世田谷区民としては、特別な感慨があります。

 五十嵐喜芳サン。 声楽家。 「コメットさん」(大場久美子版) のお父さん役だった人です。
 なぜこの人のことを採り上げるか、というと、高校の頃、この人の公演か何かを、レクリエーションか何かで高校単位で見に行ったことがあって。
 当時の我々は、こうしたお仕着せの行事にとても投げやりな部分があって、この人が舞台に登場するなり 「コメットさーん」 だの野次を飛ばしまくり、五十嵐サンが歌っているのにいつまでも私語がやまないだの、もう失礼の極致をしまくりまして。
 私は表面上優等生でしたから(ハハ…)、そんな鑑賞態度にものすごく腹が立ったのですが、当然この鑑賞態度はその後高校あげての大反省会へと発展いたしまして。 全員が反省文を書かされました(高校生にもなってこんなことは、末代までの恥であります)。

 その節は大変失礼をいたしました。 心よりのご冥福をお祈り申し上げます。

 マータイサンも、亡くなってしまいましたね。 9月25日。 享年71。
 「モッタイナイ」 はなんか、毎日新聞が元ネタらしくて、件の新聞は一時期、やたらとこの言葉を喧伝してました。

 気付けば、どんどんと 「そして誰もいなくなった」 状態。 「パネルクイズ」 も児玉清サンがやってないし、原田芳雄サンの新作は見ることが出来ないし。

 それにしても亡くなられるかたがたの、年齢もさまざまなのですが、私の両親もその年齢に差し掛かっていることは、ちょっと私に暗い影を投げかけます。 まだかくしゃくとしてますけどね。 人間、いつどうなるかは分からない。
 かく言う私もそうですけどね。
 このところ、仕事がきついと、立ち直りがなかなかできない。
 意味不明の頭痛に襲われたりすると脳の病気とか、変に胃が痛いと癌とか、気になる歳になってまいりました。
 でもまあ、前だけ向いて、生きてくしかないですよね。

 追記 なお、単独記事で言及したかたがたの訃報については、割愛いたしました。

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2011年9月26日 (月)

「江~姫たちの戦国~」 第37回 疑心暗鬼の果てに…

 どうもこのドラマを見ていると、どこまでが史実でどこまでが本当なのか疑心暗鬼に陥ったあげく、自分がバカになってくるような感覚に襲われます。
 なんか 「これが真相だ!」 みたいな、オーソリティ感あふれる教養番組が見たくなる。
 それってこのダメドラマのもたらす、唯一の効能なのかもしれません(爆)。 ドラマを見たあと、ウィキを見たくて仕方なくなる(ハハ…)。 「実際どーだったのよ」、って。

 このドラマでもっとも根幹をなす理論が、「戦国時代とは、女が政治の道具として結婚させられ続ける、ひどい時代だった」 という、作り手だけが持つ 「思い込み」 にあることは明らかです。

 その理論に従って物語は進展していく。
 すると、江以外の登場人物が、すべて間違った常識によって行動している、というドラマが出来上がる。

 つまり、自分以外にはまったく理解不能な人々だらけが、それを常識として信じている、まるでパラレルワールドにいるような不安が(少なくとも私には)沸き起こってくるのです。

 この恐怖感は、ある意味心理サスペンスといってよい(笑)。

 今回の主役のひとり、千姫。

 幼いころの茶々を演じた、芦田愛菜チャンがドラマ再登場です。

 まずこの起用がおかしい。

 どうして茶々の子供時代の子役が江の娘役なのか。

 そして6、7歳と言えば、すでにこのドラマでは皆さん成人していらっしゃってた(爆)。

 まあそれはいいとして(不問に付している事項が多過ぎる…)。

 話が1年半ごとか3年後とか、ヤケにスッ飛びまくっていることはナレーションとかで分かるのですが、今までその影形すらなかったように思えた千姫が、今回いきなり6、7歳の子供として登場した、ということがドラマ的にとても唐突なのです。

 そもそも本編突入前の状況説明で、江には珠姫という娘もおり、その子も前田家にあっという間に嫁がせたとか、その回になって判明した事実も数知れず(笑)。

 ちょっとムチャクチャすぎませんかね?

 今回の話で泣かせどころが、江と千姫との別れにあったのだ、とすれば、この話のはしょりかたは致命的ですらある。
 いきなり何人もの姫の母親だ、と江を仕立て上げようとしたって、「どこがこの人母親よ?」 としか見る側は思えないからです。
 ドラマを作る能力が決定的に欠けている、としか考えられない(この意見は、田渕女史にはちょっと申し訳ないですが曲げられません)。

 そしてその芦田愛菜チャン。

 タイトルバックを注目して見ていたんですが、なんと6歳?にして、単独の出演者クレジット。
 ひっくり返りました(実際にひっくり返りはしてません…笑)。

 そんなにこの子は実力のある役者さんなんだ、もうすでに。

 そして芦田愛菜チャンの行く末に個人的にかねてから持っている、多大なる不安が頭をもたげるのです。

 この子、働かせすぎじゃないですかね?

 メディアがこの子を持ちあげれば持ち上げるほど、この子の未来は歪んでいく気がする。

 こう言っては大変失礼ですが、親がこの子を使って金儲けをして、それが家庭を崩壊させてしまわぬことを、切に願っています。
 実際この子のご両親を拝見したことがありませんので、これはまことに憶測だけの感想であることはお断りせねばならないのですが。

 さて本編。

 冒頭江が、いなくなった珠姫を探す悪夢に見舞われます。
 「たま、たま」 って、ネコでも探してるのかと思った(爆)。
 これで珠姫を失った悲しみを表現しようとしているのですから、唐突かつやっつけかつ感情移入のしようがない。

 そして千姫と江の、初の(あ、いや、姉の初ではなくて)語らい(笑)。 ホントに初顔合わせっぽい、母娘とは思えぬ雰囲気が画面を支配します。

 その間家康が征夷大将軍になったことを淀とか大野治長から詰問されるシーンなどがあり(このシーンはちょっと見ごたえありました)、淀の政治的な駆け引きの稚拙さをドラマは描いていきます。
 淀は家康を警戒しながらも、かつてお目通りで出会った秀忠が豊臣に忠誠を尽くす、政治的に裏表のない未熟者だったことを思い起こし(ドラマではそんなふうに描写してませんでしたが、淀と秀忠に共通する政治に不向きな素直さに、淀が希望を見い出した、という構図と私は受けとりました)、秀頼と千との婚約を承諾する。

 決まった千の輿入れ。

 ここで江は、身重にも関わらず、千について大坂まで行く、と秀忠に頼みこむのです。

 ちょっとあっけにとられました。 えーと、史実では…(笑…知りません…笑)。

 当時は乳幼児等の死亡率も高く、妊娠中の女性が江戸から大坂まで輿に揺られて旅をするなんて、ほとんどありえなかったのではないのかな~、なんて(も~ど~でもい~です、ヘラヘラヘラヘラ…爆)。

 そして江は、伏見まで来てしまったというのに、千に 「そなた、本当に嫁に行ってもよいのか?イヤならここから連れて戻る、今すぐに」 と持ちかけるのです。 「そのようなこと、今頃お訊きになるのですか?」 と千から突っ込まれていましたが、ガキ(失礼)にも分かるジョーシキが、江にはない(爆)。

 千は自分の覚悟と決意を母親に語るのですが、子供のほーがよっぽどしっかりしている(また田渕の主役いじめが始まった…笑)。 ここで母娘はひしと抱き合い、見る側の涙を誘いま………せんってば!(爆)

 江は家康に接見。
 豊臣をないがしろにして天下を取るおつもりなのでは?と、まあいいにくいことをズケズケまた言っている、という構図を作りたいのでしょうが、言ったところでどうなるってもんでもないでしょう。

 このドラマで田渕女史が、江の性格を 「言いたいことをずけずけ言う」「思いのままに生きる」 ということを表現したがっているのは分かる。
 けれどもそのことが、政治的に何の影響も及ぼしていない、というのが、見ていてとてもよく伝わってくるのです。
 結局江はただの傍観者。 現状についてブチブチ文句をたれているだけ、というしょーもない主人公像が出来上がるのです。

 ここで江が聞き出すことが出来たのは、家康が豊臣の世を、もう現状とはそぐわないものとして認識している、ということ。
 それを家康は 「淀殿はまだ夢を見ていらっしゃる」 という言葉で表現するのです。

 そして数日後、三姉妹は大阪城で久しぶりの再会。 そしてこれが、姉妹が出会った最後となった、とお市の方がナレーションで話してましたけど、えーと、史実によれば…(笑…知りません…笑)。

 ただこの再会シーンを見ていて、田渕女史は、この三姉妹をどうしても、戦国の世に咲いた麗しい姉妹愛に仕立て上げたいんだなあ、というのは、伝わってまいりました。

 そしてそこで(その場でじゃないですが)江は産気づき、またもや姫を生むことになるのですが、江はこの子を政争の道具としたくないと思い込み、夫秀忠の頭を通り越して、この生まれたばかりの姫を初にくれてやるのです(悪意のある書き方だなあ…笑)。 まあ事後承諾みたいな感じで、秀忠には文を送ったってドラマでは言ってましたけどね(えー、史実では…笑…知りません…笑)。

 こーゆー夫をないがしろにする決断を、よくできたもんだと思いましたけど。

 その結果、今回のこのドラマを見終わったあと、私の頭の中は不安だらけになり、「何が史実なんだろう?」 という強迫観念に取り憑かれたのでございます(爆)。

 でも、ここまで書いといてナンですが、

 …あ~、面白いパラレルワールドだった…(ハハ…)。

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2011年9月25日 (日)

「全開ガール」 最終回まで見て、その方法論を考える

 新垣結衣チャンの初主演ドラマ、「全開ガール」。
 世界のトップクラスのセレブを夢見て弁護士事務所に勤める女の子が、場末の食堂でくすぶっているイクメンパパに恋してしまうけれども、意地っ張りなことやすれ違いで気持ちがかみ合わない、という、話的にはよくあるパターン。

 それでも、最終的なゴールは、やはり結衣チャン(若葉)がこのイクメンパパの錦戸亮クン(草太)と結ばれるのだろう、ということが、とてもよく見えていた気がします。

 理由はドラマ全体が良心的な匂いを強く漂わせていたこと。
 それを象徴していたのが、弁護士事務所のボスである薬師丸ひろ子サンの娘ひなたチャン(谷花音チャン、結衣チャンはこの子の世話係として雇われていた)と、錦戸クンの前の女房の連れ子だったビー太郎クン(高木星来クン、ビービー泣くからビー太郎)。
 このふたりが、ガッキー(結衣チャン)と錦戸クンを、くっつけたがって仕方がない。
 またこのふたりの演技が、泣かせるんですよ(「それでも、生きてゆく」 より正直泣いてました、ワタシ)(誤解を恐れて弁明いたしますが…笑、「それでも、生きてゆく」 は泣いて見てはいけない、しっかり向き合わなければいけない、という気持ちで見ておりました)。
 それが、「この子たちが望まないエンディングはあり得ない」 という気にさせてくれるのです。

 また、ガッキーのこのドラマでの性格自体も、「物事をはっきり決着がつくまで突き進む」 というタイプの女の子だったので、「思いは叶わなかったけれどそれでもふたりはいい方向に向かって歩いていきました」 的な、わけの分かったような分かんないようなあいまいな結末にはならないだろう、と。

 で、いったん 「このドラマはハッピーエンド」 という思い込みをしてしまうと、たいていの場合 「どーせガッキーと錦戸クンはくっつくんでしょ」 と見くびっちゃって、話を軽く見てしまいがちになるのですが、このドラマの作り手は毎回、それをいい形で裏切りまくってくれました。

 つまり、ラストに至るまでこれでもかこれでもか、というくらい障害を次々と作り上げ、ふたりのゆく手に超え難い壁をこしらえていく、という手法です。

 それって珍しくもないじゃん、と思われるかもしれないのですが、ちょっとこの障壁の作りかたが、一味違っていて。

 一例をあげると、弁護士事務所の時期エースと呼ばれる男新堂(平山浩行サン)とガッキーとの婚約。
 ガッキーはこの男と、借金まみれだった父親や貧しかった自分の素姓をひた隠しにして付き合い続けるのですが、これが彼のセレブな母親の調査でばれてしまう。
 フツーここで新堂もしくはその両親はガッキーに 「オマエはこの私にウソをついた、恥をかかせた」 と怒って見切りをつけるのがドラマ的によくあるパターンなのですが、却って新堂はガッキーに入れ込むファクターとして受け入れ、母親もそのことをよい方向にとらえる心を持ち合わせている。

 つまり安っぽいドラマのセオリーを、ここで逆転してしまうんですよ。

 新堂やその母親には、およそ地位も名誉もある人間にありがちな狭量さがなく、世間体とか自分のプライドとかよりも大事なものがある、という確固たるポリシーを持っている。 薄っぺらいワルモノにキャラを作り上げようとしてないところが、見る側に共感を強く促す作りになっているのです。

 またもう一例をあげると、錦戸クンに自分のもとダンナとの子供を押しつけていなくなっちゃった、錦戸クンの最初の押しかけ女房リリカ(浅見れいなサン)。
 このオンナが1年も行方不明のあといけしゃあしゃあと帰ってくるのですが、まあ自分勝手な女、といったん見る側に思わせといて、実はこのオンナも自分の覚悟とか他人を大事にする心の持ち主であり。

 彼女は錦戸クンとビー太郎クンと一緒に暮らそうと思って帰って来たのですが、錦戸クンがガッキーに惚れているところを見て、息子を錦戸クンに託し、自分から身を引く。 そして再び登場した彼女は、ガッキーと錦戸クンがもう修復不能の状態になっているのを見て、ビー太郎クンを取り戻すための訴訟を、なんと当事者のガッキーに依頼するのです。

 彼女の行為は当のビー太郎クンにとっては、かなりの傷を伴う暴挙であることは確実なのですが、それを正当化させるだけの理由が、ドラマ的にちゃんと提示されていた気がする。
 だから 「ドラマチックにするために、子供たちを道具に使うんじゃない」 という気に、見ている側があんまりなってこないのです。
 彼女には彼女なりの、きちんとした理由があって、そのうえであえて、ガッキーに親権訴訟の依頼を持ちかけている。 結局裁判沙汰にまではならなかったのですが、彼女はその結果、ビー太郎クンを連れてニューヨークへと渡ることになります。 これを彼女の強い意志、とも受け取ることが出来る作りに、ドラマはちゃんとなっている気がする。

 このドラマの大きな特徴として、「やっつけ仕事的なありがちな性格設定」 というものが極力排除されている、ということがあろうかと思います。 人物のひとりひとりには、見る側が共感できる事情が隠されている。

 そのことで、見る側が想像する 「これってガッキーと錦戸クンが結びつく大きなきっかけとなるだろう」 と考えていることが、結局ことごとく裏切られていくんですよ。 こうした裏切られかたで、とてもドラマへの吸引力を高められる気がする。

 けれどもこうした場合、あまりふたりの間にぶ厚い壁を張り巡らせすぎると、最後にふたりが一緒になるのに、とても無理やりな出来事によってふたりをくっつけるしか手段がなくなっていく。

 そうなると見ている側はとても興醒めするし、結局あとから考えても、「あのラストって、いったい何だったんだろう?」 という気にもなっていく、印象の薄い結末になってしまうものです。

 ところがこのドラマの作り手は、それを完全に逆手に取る方法で、ふたりを結び付けたのです。

 ネタバレブログにはあるまじきことですが、その経過は細かくここでは語りません。
 ただ感じたのは、「なんかアメリカの恋愛ドラマによくある感じがする」、ということ。
 このドラマの作り手は、そういう映画をとても見ていらっしゃる気がするんですよ。
 それを作り手なりに咀嚼して、作り手はこの 「はっきりと見えるゴール」 を構築している。

 険しい山のような障害を突き崩す方法として、作り手は見る側に対してサプライズを仕掛けることで、結末の無理やりさ、あり得なさを克服しようとした。
 作り手がこの物語を、とても楽しそうに構築しているのが見えるのです。

 そのためにいちばん作り手が武器にしたもの。

 それは、このドラマに出てくる子供ふたり(ひなたチャンとビー太郎クン)が、どんな大人よりも限りなく人格者である、という点である、と私は感じます。

 「公衆の面前で」 とか、ひなたチャンはとてもおとなっぽいしゃべりかたをするのですが、それは彼女の性格にしても同様なことが言える。
 彼女は忙しい母親の立場を尊重し、若葉の本当の気持ちに忠実であれと願い、ビー太郎クンへの思いを必死でこらえようとする。 見ていてとても、健気で泣けてくるほどなのです。

 いっぽうビー太郎クンはひなたチャンよりもかなり子供らしいとはいえ、やはり考えていることはかなり大人。
 ビー太郎クンが見た目ゴーマン女の若葉をどうしておとう(草太)とくっつかせたがるのか、という理由づけはちょっと希薄だった気がするのですが、おそらく彼は、おとうの本当の気持ちを分かりすぎるくらい分かっていたからだ、という理由が成り立ちます。 自分が実の母親とおとうと一緒に暮らす、ということよりも、そっちが優先されている。 うーん、大人だ。
 リリカが親権訴訟を起こしかけた?時に、草太はビー太郎クンを自分から突き放そうと、「お前が邪魔になった」 とわざと冷たいことを言うのですが、ビー太郎クンはおとうのその言葉を、ハナからまともに受け取らない。 おとうの愛情がそう簡単に崩れるものではないからです。 そしておとうがわざとそうせざるを得ない事情を、自分なりに飲み込んでいる。

 なんて大人なんだ。 大人すぎる。 ビー太郎クンにも、さんざん泣かされました。

 ひなたチャンとビー太郎クンがかように大人でなければ、このドラマは成立しなかった、と言っていいほどだと私は思います。

 登場人物をつぶさに見ていくと、やはりその設定に神経がいきわたっている、というのが見てとれます。

 ガッキーが勤める法律事務所のボス薬師丸ひろ子サンは、かなりのやり手にもかかわらず、娘のひなたチャンに対しておざなりな母親でない。 確かにガッキーを世話係としてつかせるのですが、彼女は子供を育てるうえでなにが肝要なのかをちゃんと見極められるキャパを持っている。
 しかも若葉にとって幸運だったのは、彼女が若葉と同じ、苦労してここまで這い上がった人物であったことです。 だから彼女は表向きクールながらも若葉に対して共感を持って接し、若葉のゆく手に意図的に塞がることがない。

 そしてその薬師丸サンに学生時代恋していた、という、ビー太郎クンたちの保育園園長、竹内力サン。
 ただのコワモテ園長かと思ったら、現代の育児事情にも一家言ありそうな、繊細な役どころ。 その問題点を声高に論じてないのが、かなり神経を使った設定のように思えるのです。

 若葉の父親役だった、神戸浩サン。 「てっぱん」 でも印象的な画家の役をしてましたが、ここでもかなり印象的な、お人好しですぐ利用されるダメ父親の役をこなしてました。
 神戸サンは平成の左卜全、みたいに私は感じてます。 この父親も、秋田から上京して若葉の事務所に行ったとき、自分が若葉の父親であることが分かるとまずい、ということを敏感に察知するところも、フツーのドラマの展開と違う、と私が感じたところでした。

 そして保育園仲間の父親のひとりが勤めるおもちゃ工場のおもちゃ、カバの食べタロー(声・彦摩呂サン)に至るまで、神経が行き届いているように見えたこのドラマ、まったくと言っていいほど神経が行ってなかった(笑)のが、草太がシェフを務める 「ル・佐藤」 の主人、菅登未男サン。
 この人、ほぼセリフなし(笑)。
 持病に苦しめられて、時々叫び声をあげるのみ(爆)。
 しかしそれが、人物設定に神経を遣いすぎている作り手の息抜きみたいな感じで、却ってその設定の妙に感心してしまう。 すごいよな。
 そう言えば薬師丸サンとの共同経営弁護士である鮫川、というオジイサン?。 この人も空気みたいだったなー。 最終回にちょろっと見た程度だったよーな…。

 ビジネス的な設定においても、若葉が第1回で就職を蹴った(いや、初出勤の日に見限った、か…笑)、スミス&クラーク法律事務所を、薬師丸サンが自らの窮地を救うために最終的に合併をしてしまった、というのも、とても計算されている気がするし、なんか表面的に見るとそんなでもないのに、裏で考え尽くされている、というのは、とてもさりげなくすごい点だと感じるのです。

 そんななかで、もっとも考えられてなかったように思うのは(笑)、草太が若葉に恋する理由。

 確かに若葉の、最後まで責任を持ってやり遂げる、という姿勢を好きになった、という理由づけはなされていたのですが、もうちょっと小さいころの思い出がそうさせたとか、深くてもよかった気がするんですよ。
 草太は若葉の弁護士事務所の同僚、そよ子(連佛美沙子サン)からも言い寄られるのですが、そよ子と若葉を比較したとき、「どうしても若葉でなければ」、という理由が見当たらない。 これは、「恋しちゃったんだからどーしょーもない」、と思うしかないのかな? 分かるかたがいらっしゃいましたら、教えてくださいまし。

 いずれにしてもかなりよく練り込まれたドラマであることは感じました。 毎回気兼ねなく泣けましたし。 錦戸クンの演技パターンは、2クール連続して見てまいりましたが、彼のキャラクターが十二分に生かされた設定だった気がします。 もうちょっと別の役も、見たくなってまいりました。

 ただまあ、ラストのガッキーとのキスシーンは、のーこーすぎる気はいたしましたが(爆)。

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2011年9月24日 (土)

今週は、大変でした…

 5日もブログを休んでいるので、どうにかなったのかこの男は?と思われているかたもいらっしゃるかと思って書くのですが、今週はずーっと仕事が大変でした。 3連休が2回、などというのは世の中で最も恵まれていらっしゃるかたの話で。

 仕事の内容については頑なに表明いたしませんが(爆)この時期この業界は特に忙しい。
 おまけにこの台風。
 水曜だったか木曜だったかもう記憶の彼方なんですが、台風が関東を通過した、今週のいちばん大変な時にちょうど出勤時間。
 首都圏の電車は軒並みストップしたため、246は大渋滞。 2時間くらい待ってりゃ回復するってのに、仕事が終わるとどうしても早く帰りたいかたが多くていらっしゃるらしくて(スンゴイ忸怩たる思いを秘めながら慇懃無礼な物言いに徹しますが…笑)、「おかげで」 仕事に行くのにいつもの2倍半の時間がかかり。
 飛んできたものが車の下にもぐっちゃうわ(取り出すのにスゲー苦労した)どこかの車のバンパーはセンターラインのガードレールに突っ込んでるわ(つまり事故)、木が倒れてタクシーが犠牲になってるわ(道玄坂の話ではございません)、自分の車は風にあおられて吹っ飛びそうになるわ、

 滅多にできない経験をさせていただきました(笑)。 そんな時代もあったねと笑って話しております(ハハ…)。

 当然帰ってくると丸太のように眠る連続で(この比喩はビートルズの…ま、い~か…笑)、いただいたコメントに返信するのが精一杯。

 結局いつもの週より倍働いた感覚。 も~これは仕事じゃない、隷属さぎょーだ(笑)オレはどれーだ(笑)と思いながら仕事をし続けました。

 疲れが取れるのがいつかは分かりませんが、しばらくブログ記事の過疎状態が続くかもしれません。 もしくはテンションハイになり、記事が続くかもしれません。 いーかげんな執筆状態が続くと存じますが、何卒ご了承頂きたい、…と思うのですが、オマエのブログなんかどーでもいいでしょーかね、やっぱり(ハハ…)。

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2011年9月18日 (日)

「江~姫たちの戦国~」 第36回 よかったよかった、ハハ…

 なんの印象もなく、あっさり終わってしまった 「関ヶ原」。 ホント 「幻」 みたいでした。 サブタイトルのつけ方、間違いじゃなかった稀な例で(笑)。

 で、その直後。
 登場人物がのっけから 「関ヶ原」「関ヶ原」 とうるさい。
 いったい当時、どれほどその地名が、「天下分け目の大いくさ」 のアイコン(代名詞)になってたのか?なんて考えつつ、それに遅参した秀忠のことを聞き及んだ江の反応が、また視聴者の大反感を呼ぶタイプのものであり。

 「クックックッ…あっはっは、あっはっは!」

 「何が可笑しゅうございまするか!」 とおおばの局。

 「可笑しいではないか!4万の大軍を任されながら、こともあろうに関ヶ原に遅れるなんて」

 「若様は、御大将にございまするぞ!」

 「いかにも。 秀忠様らしいではないか、のう?」
 乳母に合意を求める江。 「あ、はぁ…。 あはははははははははは」 とバカ笑いをする乳母。 おおばの局に睨まれて、笑うのをやめます。

 このシーン。

 「あっはっは」 とは、とても姫様の笑い声とは思えませぬ(あ、お方様か)。 しかも無理して笑っている感ありありで。
 そしてこのシーンの問題点は、江に、その 「4万の大軍」 に対する思いがかなり欠如している点であります。
 その点と、「無理して面白がろうとしている」 という江の姿勢が相俟って、見る側の反感を買いやすい構造になっている。
 また、樹里チャンのセリフの言い方で問題があると思われるのが、「いかにも。 秀忠様らしいではないか」 と、いったん文節を切ってしまっている箇所。 「いかにも、秀忠様らしい」 のか、おおばの局の言い分をいったん認めて、「いかにも。 秀忠様らしい」 のか、判然としないのです。
 ダメ押しが、「のう?」 とそれを乳母に振る、江の姿勢。 どうして自分のはしたないのとか常識のないのとかを、他人に同意を求めるのか?

 江という主人公に見る側が感情移入できないすべての要因が、ここに凝縮されている気がいたしました。

 そして視聴者が反感を持ったが早いが(笑)、江はまた 「うっ…」 とつわりのポーズ。
 「うっ…」 イコール、「つわり」、ですからね、このドラマ(笑)。
 面白いなあ。

 で、その後も不愉快なシーンが続くわけですが(爆)、もうこっちもお下品になるだけなのでやめにいたしまして(笑)、落ちぶれた三成のシーンをインサートして、今度は家康が初に、初の夫の京極高次の戦功を評価して石高を上げる、と持ちかけたシーン。
 初の反応は、怒ったような口調で

 「それくらいのこと、当然にございまする」。

 うーん。

 このナマイキ女を受け入れる家康の懐の大きさばかりがクローズアップされ、「やはり浅井の三姉妹は強うござるのう…」 と真摯な顔で断言されるから、ますます浅井の三姉妹の株が下がっていく。

 ただし、クサして面白がるのは、今回はここまでです(だいたいです)。

 その場に到着した、秀忠。 家康は3日間、面会を拒絶します。
 3日後目通りかなった秀忠に、家康はいったん厳しい言葉を投げかけるが、ホントは戦に勝ったから、遅参なんか結果オーライでどーでもよろしい、というスタンスなのです。
 それでも表向き厳しい態度をとったのは、周囲への示しがつかないから、という理屈。
 ここらへんの裏表の構造は素直に面白い。
 そして秀忠は、自分の不手際で多くの者を死なせたことの葛藤を父親に告白する(ここらへんの意識が江にもあれば)(一方的にこれでは秀忠ばかりがカッコイイではないですか)。
 そして自分は、これが戦の真実ならば、戦なんかまっぴらごめんだ、と大激怒する。

 そんな秀忠も後日とらわれ引き出された三成と面会するとき、忸怩たる思いを秘めながら家康のあとにくっついて、三成と面会する。
 家康とのやり取りの後、秀忠はひとり残り、三成と語らうのですが、ここでの秀忠も、ただひたすらこれらの出来事を自分の成長の糧にしている部分が見受けられるのです。

 これらはいかにも浅い論調もまま見受けられるのですが、総じてこのドラマの作り手は、秀忠に対して熱いまなざしを抱いていることが分かる。

 そして江は、三成の最期を聞かされ、「豊臣を盛りたてるために、自分の財産もなげうった、三成とはそういう男じゃ」 と感想を述べます。
 ここらへん、おやっ?と感じました。
 いつから江は、相手のことをおもんばかれる心の広さを持ったのか?、と。

 三成が戦を起こした原因の主柱に淀がいた、という話の持って行きかたはなんともこのドラマらしい展開ですが、家康が裏に一物あるにせよかなりの人格者として描かれていること、そして淀も政治的な思惑などに興味がないように描かれている性格上、家康と淀との対峙に緊張感が望めない、というようなことは以前にも書きました。 今回はそこに秀忠を絡ませ、秀忠と家康の考え方の違いを、その人生経験値からあぶり出そう、という手法は、なかなか面白かったです。

 そして江の周辺でも、なかという女性が秀忠の子を宿し、結局その後嫡子が誕生してしまう、という事件が起こるのですが、江はそのことがショックで、寝込んでしまいます。
 この、江の反応も今までにはない、しおらしい展開で。
 江は戻ってきた秀忠にそのことを問いただすと、秀忠はあっさりそのことを認めてしまう。
 あ、そう?ずいぶんあっさりしてんのね(笑)、と思いましたが、江はなかの子供に徳川の嫡男の証である 「竹千代」 を名乗らせないでほしい、そして今度生まれる子が男子でなかったら、自分を離縁してほしい、と懇願します。

 このことで江は、またもや悩む。

 ここんところ、今までの江にない感じなんですよ。 今回の出だしはともかくとして、どうしてこういう性格に、江を仕立て上げてやらなかったんだろう、という気は強くしましたね。 ただこうすることで、また性格の一貫性というのは崩れていくわけですが。

 それを乳母は、「秀忠様のことが好きだからでしょう」 と指摘し、江は自分の秀忠への愛情に、いまさらながら気づく。

 結局生まれた子供は、またも女の子。 そのこに 「かつ」 という名前をつけ、自分自身がおのれの思いに勝ちたい、という気持ちを込めた、江。 なんか、いじらしいではないですか。
 しかし自分の言い出したことは言い出したこと。
 江はあらためて離縁を申し出るのですが、秀忠は 「なつと子供は城から出した」 と言い、もう側室は持たぬと宣言し、離縁の申し出を断ります。
 秀忠の思いが通じた江。
 「なぜ私のような者を…」 と謙遜する江。 どうしてこういう謙遜が、今まで出来なかったのでしょう?
 秀忠に抱かれる江。

 よかったよかった、めでたしめでたし。

 前半の神経逆なでされる展開から、こういう日本人の美徳を感じさせる話になろうとは、思いもしませんでした。 不肖橋本、ほめるときはほめます。

 ただ(あ~また)、おおばの局がずいぶん遅れて登場して、「今度も女子であったか」 とか言うのは、ずいぶんあなたも気にしてるわりに情報が入るのが遅いのね、と思いましたが(笑)。

 でもこれで秀忠と江がラブラブになったのもつかの間…とゆー話がお好きですなあ、田渕女史は。

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2011年9月17日 (土)

「それでも、生きてゆく」 第11回(最終回) 思いよ、届け

 双葉(満島ひかりチャン)の小学校時代。
 「少年Aの妹だって、コワーイ」 とまわりが自分のことを噂しています。
 下駄箱の自分の靴には、その事件の記事が載った新聞がクシャクシャに詰め込まれている。

 そして前回の続き。
 ありったけの力で、その少年Aだった自分の兄、文哉(風間俊介クン)を殴り続ける、双葉。

 かぶさるように再び小学校時代の双葉。
 時刻を知らせる時計塔のオルゴールが、「星に願いを」 を奏でるのを、じっと聞いています。

 たたみかけるように現在の双葉。
 狂ったようなわめき声をあげながら、洋貴(瑛太クン)に取り押さえられています。

 双葉が星に聞いてほしかった 「願い」 って、いったいなんだったのでしょうか?

 最終回のこのドラマ。
 正直な感想をいきなり申し上げますが、物足らない部分があった、と言えなくもない。
 どうして物足りないように見えてしまったのか、自分でちょっと考えてみたのですが。

 まず、文哉が逮捕され服役(?)してしまったことで、文哉に対する処遇が先送りにされてしまったように感じることが第1点。
 そして、洋貴たち被害者家族が、「逮捕されたからとりあえず問題解決」 と無理に納得しようとしているように感じてしまうことが、第2点。

 ここまでの怒涛の展開って、文哉を断罪することに、見る側がある種のカタルシスを感じている。
 大竹しのぶサンが母親の心境を赤裸々に文哉にぶつけ、椅子でぶん殴り、双葉が前後の見境もなく殴り続ける。
 これって見ている側が、幼女殺人犯とか少年法に守られている殺人犯とかに感じているいらだちを、文哉をスケープゴート(生贄)にして晴らしている気がするんですよ。
 それが最終回では、パッタリ断たれた。
 確かに物語は、希望のある方向へ、その方向へと流れていく。
 けれども結局文哉の行く末に関しても、希望的観測を見る側が抱かなければならない作りになっている。
 「反省もしない殺人犯なんて、もう死刑しかないでしょ」 という心情が、心のどこかに誰もが持っている気がするのですが、それを晴らせない引っかかりが、なんとなくドラマの見応えを自ら貶めてしまっているようにも思えるのです。

 あと個人的には、文哉が起こした2件の傷害・殺人事件の両方とも、直接的な描写が一切なかった、ということで、もしかして冤罪の可能性もあるのではないか?と思いながら見ていたことも、ちょっと肩透かしを食らった一因だったかも(まあ、前々回あたりからその可能性はほぼなくなった、と思いながら見てましたけど)。
 ただこの両方の事件を冤罪にしてしまうと、話が違う方向に行ってしまう。
 このドラマは、あくまで罪を犯した人間と、そのまわりの人たちを、真摯に見つめ続けたドラマだったのです。

 そしてもうひとつ告白してしまえば、最終回ではやっと、素直な涙が流せたな、という気がしています。
 このドラマでは大竹しのぶサンの演技をはじめとして、結構泣きそうになってしまうシーンがあったのですが、ドラマのなかで展開する話の重々しさに負けて、素直に涙が流せなかった。 涙が出てくる途中で、あまりの重さに気分が悪くなったこともありました(笑)。 とーぜん涙は引っ込みます(笑)。
 軽々しく、泣けない気がするんですよ。
 けれども洋貴と双葉の最終回でのやり取りは、なんかもう、泣けました、やっと素直に。
 泣くっていうのは、ある程度傍観者的でないと泣けないのかな。 入り込み過ぎちゃうと泣けないのかな。 ちょっと分かりません。
 でも考えてみると、それってちょっと突き放し気味に見ていたってことになるのかな。
 それが物足りなさのもうひとつの原因かもしれない。

 しかも、結構謎のシーンが多い。 これはのちほどかいつまんで述べることといたします。

 それと、やっぱりこれって、時間延長ありきの話だった気もしています。

 提供テロップの出てくるところで、五月(倉科カナチャン)が訪ねてくるシーンがある。
 その部分がなんとなく割愛されている感覚。
 こういうことされると興醒めするんだよなあ。
 どーでもいいシーンと言えばそうなんですが。
 隆美(風吹ジュンサン)と灯里(福田麻由子チャン)の描写も足りなかったよーな…。
 草間五郎(小野武彦サン)のセリフも、なんか必要最小限、という感じで。
 時間延長すれば、そんな細かい部分にまで気が利いた、厚みのある話になった気がするのですが、まあそれはそれとして。

 とりあえず本編に戻ります。

 「やっぱりあのとき(お兄ちゃんを)助けなきゃよかった…ごめんなさい…」 と、警察署の廊下と思われる場所で、双葉が洋貴にしゃべっています。 双葉は警官をぶっ飛ばしてましたけど(笑)こーむしっこうぼーがいにはならなかったようです(笑)。 その右手には、痛々しく包帯が巻かれている。

 洋貴は双葉にこう語りかけます。

 「ぼくはたぶん…もっかい同じことになっても、また同じことすると思います…。

 助けると思います…。

 …

 殺したら、…文哉と同じ人間になるじゃないっすか。

 ぼくは文哉のような人間になりたくないっす。
 遠山さんにもなってほしくないっす。

 これでよかったんです…」

 手錠をはめられた文哉。
 収監される、文哉。

 後日、深見の釣り船屋を、五月が訪ねてきます。
 どうやら文哉は、責任能力あり、と判断されたらしい。
 心神耗弱という隠れ蓑が認められなかったことを五月は安堵するのですが、洋貴は 「もう終わったんです」 とにべもない。

 これらのシーンから推測されるのは、洋貴は文哉が軽々しく死を選ぶことを、けっして許していない。
 この世で苦しみ、この世で自分の過ちに気付くことが、文哉にとってのいちばんの責務なのだ、と考えていると思われます。
 その点で、文哉が拘置所送りになったことは洋貴にとってかなりの意味でひと区切りであるようです。

 ただ双葉の贖罪は、続いている。

 どうも文哉の逮捕以降、彼女は草間五郎の娘真岐(佐藤江梨子チャン)の見舞いに足しげく通っている模様です。 双葉になついている、真岐の娘悠里チャン(原涼子チャン)。
 五郎の話によると、父駿輔(時任三郎サン)の被害者家族参りは、長く続かなかったらしい。 駿輔が無気力そうにぼんやりしている映像が、インサートされます。 どうも息子の拘置所入りに、気持ちが切れてしまっている様子です。

 真岐の様子を見下ろす五郎と双葉。 人工呼吸器を外し、亡くなるのは時間の問題だ、と語る五郎のそばで、双葉は閉じられたままの真岐の目から、涙が一筋流れていくのを発見するのです。
 それはまるで、無念の涙。
 自分の娘と別れなければならない涙です。
 凍りついてしまう、双葉。

 絶望かと思われた真岐の病状に、回復の一縷の望みがあるのではないか?と私が感じた一瞬ですが、双葉もそう思ったのではないでしょうか。 このシーンが、その後の双葉の決心の原点となっている気がします。

 亜季(信太真紀チャン)の墓参りに来た、響子(大竹しのぶサン)、洋貴、耕平(田中圭サン)。 そこに遠山家の駿輔を除く3人(隆美、双葉、灯里)が合流します。

 まず深見家の3人が墓参りをします。 「親父(柄本明サン)、亜季とデレデレしてんじゃないの」(洋貴)「ずるいねえ」(響子)と他愛のない会話のあと、手を合わせながら、涙ぐんでしまう、響子。
 私も亜季とデレデレしたいのに。
 終わったよ、亜季。
 そんな気持ちで手を合わせているのかと思ったのですが、響子は入れ替わりに手を合わせようとする遠山家の人々に、こう言うのです。

 「あのう。
 お願いがあります。

 亜季に、謝らないでください。

 私、今亜季に言いました。

 『あなたはちゃんと生きたのよ』 って。

 短かったけど、…すごく、短かったけど、あなたは幸せだったのよって。

 亜季の前では、謝罪も、罰も、後悔も要りません。

 7年の人生を全うした、亜季の冥福を、祈ってください」

 私も夭逝した子供たちを何人か知っているのですが、その子たちが短い人生だったからって、意味のない人生だったと思ったことがありません。
 その子はその子なりに、「一生懸命生きる」 とか 「何かのために生きる」 なんて高尚なことを考えていなくとも、その子がいたことで、まわりの人たちが癒されたり、笑わせてくれたり、何かの役に立っていた。 何の意味もない人生なんて、あり得ないのだ、と。
 それはその子が死んだことで悲しむ人がいる、というのが何よりの証拠です。
 たとえ短くても、人の存在というのは、なにものかの意味を持っている。 それがたとえ赤ちゃんであっても。 ほんの数日しか生きられなくても、人の命というのは、何かを私たちに教えてくれるのです。

 だから、「短い人生で残念だったね」 とか 「もっといろんなことを経験したかったろうに」 というのは、生き残っている者たちだけの感想で、却って夭逝した子たちにとっては心外なのかもしれません。 まあ虐待とかで亡くなってしまうとちょっと違う気もいたしますが。

 「この宇宙では、人に親切にすることが自分を助けることになる、ってメーテルが言ってた」 と、耕平はまたまたマンガ(「銀河鉄道999」)から学んだ哲学を披露し(笑)、響子は 「またマンガばっかり読んでるから」 みたいな反応をします。 洋貴も 「仕事してマンガ読んでクソして寝て」 みたいなこと言ってたし(笑)、この兄弟はマンガばっかり読んでたようです(笑)。

 ただこのドラマでは、出番の少ない耕平の、毎回序盤のちょっとした話が、その回の性格を決めているような気もする。 以前マンガの主人公と自分との年齢差を考えて幼さを実感する、と言った回でも、文哉の幼さが全開になっていた回だった気がするし、今回の 「情けは人のためならず」 という話も、その後の展開に影響を与えている気がするんですよ。

 響子は言います。

 「亜季も、喜んでた。 お父さんも、『よくやった』 って。
 お母さんも、感謝してる。
 加害者が反省してなくたって、もうじゅうぶんです。

 洋貴が後ろめたく思うことなんて、なんにもないんだから」

 「おつかれさま」 と耕平。

 このシーン。

 実は 「そんなことないんじゃない?」 というシーンです。 私にはそう思えます。

 亜季が喜んでいるとか、お父さんもよくやったって言ってるなんて、実は響子の思い込みですよね。
 つまり、そう思い込みたがっている。
 耕平も、シャンシャン、という感覚で、このセリフを言っている。
 つまりこれ以上何を望んでも無駄だから、ここで手打ちといたしましょう、という感覚です。

 ただこのシーンを、作り手は意図的に挿入している気もする。
 つまり現実でも、いつもお仕着せの満足ばかりが、被害者に要求されている。
 深見家の人々にとってみれば、ここまで犯人に言いたいことも言えたんだから、私たちは恵まれているほうだ、と感謝しなければならないみたいな感覚に陥ってると思うんですよ。 ほかの被害者家族に比べれば、という変な比較によって。

 でもどこまで行っても、やっぱり釈然としない気持ちは残っていくだろうし、たとえ真顔で涙ながらに反省の弁を犯人から聞いたとしても、その気持ちは残っていくんじゃないか、と。
 だったらお仕着せの満足で我慢しなければいけない、というような構造。

 この最終回の話の運びかたを見ていて釈然としない思いって、結局は、そんな現実とダブる部分に対してだと思われるんですよ。

 その夜。

 喪服姿のままの双葉が、釣り船屋にいます。 隆美と灯里は、先に戻ったのでしょう。
 響子は耕平と共に耕平の実家に行った模様。
 釣り船屋には、洋貴と双葉だけです。

 「最近どうですか?」
 双葉がアバウトな質問をします(笑)。 ふたりはあの夜以来、会ってなかったようです。

 「最近?……あ、電球、取り替えました」
 「ああー」 と間延びした双葉の返事(笑)。

 「遠山さんは?最近」
 「…昨日ガム踏みました」
 双葉、相変わらずとぼけた味を出してます。

 「遠山さん、どうっスか?最近、他になんか、踏みました?」

 なんなんだか(笑)。 とにかく洋貴は、双葉と話をしたがっているようです。

 「どうかな…。 踏み系はそんなとこですね」(踏み系って…笑)

 「ホント言うと!あのう…最近、あの取り替えたりとかばっかりじゃなくって、最近…遠山さんのこととか考えてました…」

 洋貴は不器用なりに、自分の双葉に対する好意を、伝えたがっています。 ただそれに対する双葉のリアクションが、なんだかちょっと分かりづらい。 どうも自分から距離を置きたがっているような、そんな気持ちが、どこかに見え隠れするのです。 洋貴は息堰き切ったように、焦って話し続けます。

 「遠山さんの…遠山さんとのこれからのこととか…いやまあそれは難しいことで、過去的なこととかで、でもまあ、自分的にはそのう…。 未来的には、…大切なもので…守りたいもので…。

 思うんス。

 希望って、誰かのことを、思うときに感じるんじゃないかなって、希望って、
 …誰かに会いたくなることなんじゃないかなって」

 洋貴はいったん中座しますが、あらためてテーブルの椅子に座り、双葉も座るよう促します。 対座するふたり。

 「ずっと一緒にいられたらいいなって思って。

 遠山さんと一緒にいられたらなあって。

 どんな昨日とかじゃなくって、どんな明日を見てるかで、話が出来たらなあって。

 (照れたように)スイマセン、なに言ってるのか全然…」

 双葉はしばらく考えたあと、切り出します。

 「私も、そうなったらいいなあって思ってました。
 ずっと一緒にいられたらいいなあって思ってました」

 双葉の言葉が過去形なのが、気になります。

 「フフッ。 そう思ってる人にそう言われると、うれしいもんですね。

 でも。

 深見さんとお会いするのは今日で最後にしようと思ってます」

 「(えっ?)」 という表情の洋貴。

 彼女は、草間真岐の娘、悠里チャンの母親になろうと決めた、と言い出すのです。

 「えっ?い…い、いや、なんであなたが?」
 洋貴は、狼狽します。
 昼間、母親や弟から 「お疲れ」 とねぎらわれ、もうこの忌まわしい事件のことは忘れて明日を見つめよう、と思っていた洋貴ですから、なおさら、過去と向き合い続けようとする双葉の言い出したことが、信じられないのです。

 双葉は、真岐の延命をしてもらえることになったと話をし、10年でも20年でも、悠里チャンのそばにいるつもりだ、と話をします。 悠里チャンが大きくなって双葉が加害者の妹だと知って恨まれても、受け止める、と。

 「加害者はあなたじゃないでしょ文哉でしょ?

 遠山さんただの妹じゃないっスか。

 なんで、あなたが、背負うんですか?

 あなたが引き受ける理由ないでしょ?」

 洋貴のここでの言い分は、ちょっと違っている気がします。 ただの妹じゃないと思うし。
 洋貴はあのカープの定食屋の会話以来、もう文哉を 「処置なし人間」 として見切りをつけちゃっている。 もう関係ないや、あんな奴、と思っちゃってる。 だからみんな、文哉のことなんか忘れてしまいましょう、と思っている(あくまでこの時点での暫定的な心情として、ですが)。

 双葉は洋貴の問いに決然と答えます。

 「あります」

 そして相好を崩して、「フフッ。 変な理由でもいいですか?」
 と洋貴に訊くのです。

 「あっでも、本当の気持ちの理由です。

 …

 真面目に生きたいんです。

 真面目な人でいたいんです。

 甘えたくないんです」

 「そんなの理由になんないっス」

 「あたしにはなるんです」

 「…いつか忘れられるかもしんないじゃないっスか」

 「…亜季ちゃんが殺されたこともですか?」

 「…」

 洋貴は、考え込んでしまいます、が、まるで双葉に宣言するように、顔をもたげまっすぐ双葉を見つめ、こう言います。

 「…忘れられるかもしんないっス…」

 少し戸惑い、笑ったような失望したような、複雑な表情を見せる双葉。 目には涙がたまっています。

 「…忘れられるかどうか、想像してみました…。

 忘れられないと思いました。

 …忘れていいかどうか、考えてみました。

 忘れたらいけないって思いました」

 双葉を睨みつけたままの洋貴。
 それは翻って自分の甘い気持ちに対しての視線のような気がします。
 涙が知らずに、洋貴の目からこぼれます。
 忘れて次のステップに行こう、という姿勢も大事ですが、忘れてはいけないものというものもある。
 他人はどうかは分からない。
 でも、自分は、「忘れてはいけないもののために、生きていく」。 忘れてしまおうということに、双葉は無責任なものを感じているのだと思う。 それを双葉は 「真面目」 という言葉で表現しているのではないでしょうか。
 文哉が拘留されたから、責任はここまで、と考えたくない。
 そこで割り切ることのできない、不器用な人間だからこそ、まっすぐ生きたいと考えるのだと思うのです。
 洋貴はそんな双葉のまっすぐな姿勢を見て自分を恥じているから、双葉を睨みつけている。

 「ゴメンナサイ。 もう決めたことです。

 ゴメンナサイ。 それが、私の見てる、明日です」

 席を立つ双葉。 泣き笑いの表情で、洋貴に別れの言葉を告げます。

 「楽しかったです! 普通じゃないけど、楽しかった」

 深く一礼して、出ていく双葉。

 釣り船屋から立ち去っていく双葉を、洋貴が追いかけます。 そして別れたばかりの双葉に、こんな提案をするのです。

 「一日だけでいいです。 普通の人たちみたいに、どっか行ったりしませんか?」

 「あー。
 デート的なアレですか?」

 「デート的っていうか…デートです」

 「あっ。 はい」
 なんとなく、人を食ったような、双葉の返事。

 「あっ。 はい」
 それにつられてしまう、洋貴。

 このふたりのベクトルというものは、とても似通っている気がします。
 双葉も洋貴も、どことなく何を面白がったらいいのか分からないまま大人になり、とにかく意味不明のことを面白がる。
 ふたりとも抑圧された悲しみのなかにいたから、自分の感覚が世間ずれしている。
 そしてそのことにちょっと怖がりながらも、面白がっている傾向があるんですよ。
 で、世の中のたいていの人が面白がることに、あまり興味がない。
 人並みの幸せを享受しちゃいかん、というリミッターが、いつもかかっているからです。
 でもふたりとも、そんな人並みの幸せというものを、ちょっと経験してみたくて仕方ない。
 だから 「普通の人みたいにどっか行ったり」 という発想が生まれるんだと思うのです。

 そして人並みのことをしようとして、ふたりが行った最後のデートの行く先は、富士急ハイランド。
 なんだかこの遊園地で楽しむふたりの雰囲気は、まったく素のまんま、という気さえする、自然体の権化みたいな演技でした(笑)。

 そして、金の招き猫が鎮座まします(笑)お社のようなコーナーに、たくさんのこよりが巻きつけてあるのを、双葉は目撃します。 双葉はそれを見て、昔のことを思い出します。

 「神社でおみくじ結んである木あるじゃないですかー。 昔郵便ポストだと思ってたんです」
 ふたりはフリスビーで遊んでいます。

 「えっ誰が届けるんですか?」

 「なんか、そ、そういう届くシステムがあって、不思議な手紙の木、みたいな」

 「ハハハ」

 この 「不思議な手紙の木」、はラストの、ちょっとした布石となります。

 洋貴はあらためて双葉に翻意を促すのですが、双葉の決心は固い。

 いっぽう。

 駿輔が、文哉の面会に来ています。
 刑務官から自分の番号を呼ばれたことにちょっと意外な顔をする駿輔。
 おそらく面会がいつも実現するとは限らないようです。

 差し入れの話をするも、あまりに暗い文哉の顔に、ちょっと言葉を失ってしまう、駿輔。

 「…生まれたときは。

 なにも知らない、可愛い赤ちゃんだったんだ。

 …抱き上げて…。

 こいつが大きくなったら、一緒に山に登ろうと思って…」

 こみ上げてくる駿輔。 ガラス越しに、文哉の暗い顔が、ずっと父親を見つめています。
 涙をぬぐい、話をつづける駿輔。

 「文哉。

 お父さんだよ。

 ……深見亜季ちゃんを殺させたのも、草間真岐さんを、あんな目にあわせたのも…お父さんのせいだ。

 お父さんを恨んでくれ。

 …憎んでくれ…!

 お父さんが、お父さんが、お前をそんなところに行かせてしまった…!…

 お、お前を、壊してしまった…!」

 慟哭する駿輔。 文哉はまるで人形のように無表情です。
 けれども、自分の父親の慟哭するところを観察しようとしたのか、伏し目だった視線が、次第に上がっていきます。 駿輔は被害者家族への謝罪も出来ないほどの無気力に陥っていたショックを、吐き出すように続けます。

 「お父さん…お父さんもう、どうしていいのか分からない…!

 お、お前のことをなにも分からない…!」

 「父さん」

 文哉が反応します。

 「うん…?」

 文哉は接見の仕切りガラスに、自分の右手を押し当てます。
 恐る恐るその文哉の手に、すがりつきたい気持ちで自分の手を合わせようとする駿輔。
 けれどもそれを断ち切るかのように、文哉は話を始めます。

 「お母さんの顔が思い出せないんだ」

 「えっ…」 駿輔の伸ばしていた手が止まります。

 「どうやっても…お母さんの顔が思い出せなくて…

 なんで?

 ねえ、お父さんなんで?

 なんでお母さんの顔思い出せないの? なんで?!」

 係官が文哉を制します。 しかし文哉は止まりません。

 「ねえ! お父さんなんで?!」
 叫ぶ文哉。

 「面会中止!退室!」

 「ちょっと待ってください!」 駿輔が言いますが聞き入れられません。

 「助けて! お父さん助けて!助けて!助けて!」

 激しく閉められる扉。

 誰もいなくなった面会室で、今の今まで文哉が触っていた仕切りガラスに、自分の左手を当てる駿輔。
 文哉のぬくもり。
 駿輔の薬指には、結婚指輪がはまったままです。

 「…文哉…!」

 そんな悲惨極まりないシーンのあと、場面は洋貴と双葉の楽しそうな遊園地のシーンに逆戻りします。
 ジェットコースターで叫び声をあげるふたりの写真が、モニターに映っている。 記念写真にどうぞ、というやつですが、洋貴はそれを一瞥して、買わずに去っていきます。
 レストランで、シャンパンを飲むふたり。
 双葉は、文哉が出所したあとのことを話そうとします。
 洋貴は 「今日は普通のことだけしよう」 といったんはその話を拒絶するのですが、「自分は出所するまで文哉に何回も会いに行く」 と決意を語るのです。

 これが、「忘れてはいけない」 という双葉の姿勢に対して洋貴が出した答えでした。 自分と双葉の道は違っても、進む方向は同じだ、と思うことで、洋貴は自分の双葉への思いを納得しようとしたのです。

 「それって、すっごいうれしくないっスか」

 うつむく双葉。 レストランのピアニストが、「星に願いを」 のメロディを奏でます。
 小学校時代の自分を思い出す双葉。 そのとき感じていた 「願い」 のありかを見つけたように、しゃべり始めます。

 「あのとき。
 初めのとき。

 深見さんに会いに行ったこと、何回も後悔したんだけど、でも、…会いに行ってよかったです」

 双葉は、自分と同じ方向を見ている人と、巡り合いたかった。
 そんな人は、滅多にいないです。 加害者家族と同じ境遇の人なんて。
 でも、自分の思いもよらなかった、被害者家族が、まさに自分と同じ境遇に置かれた人たちだった。
 そして幼なじみだった男の子が、自分とおんなじ方向を向いて歩いてくれる人だった。

 レストランから出たふたり。 川べりで語らっています。 ふたりの2メートルくらい前にはブリキのバケツ(なんじゃコレ?)、ふたりは小石をそのバケツめがけてほうり投げています。 イミフです(笑)。
 話題は海外に行くとしたらどこか。 双葉はイースター島、モアイ像が見たいらしい。 洋貴はスペインの闘牛祭りみたいな祭りを見てみたい、と言います。 小さいころ何になりたかったのか。 双葉は動物園の飼育係になりたかったけど、コアラの鼻がリモコンみたいでいやだったとか。

 このふたりの会話には、「それってどこが面白いの?」 みたいな危うさが潜んでいる気がする。 まあ確かにコアラの鼻がリモコンとか面白いんですが、「フツーそんなふうには考えないだろう」 という、特殊で、場合によっては引かれてしまうような視点なのです。
 でもふたりは、互いにそんなことを話しても許されてしまう、居心地の良さを感じている。
 居心地がいい、ということは、何よりも重要なポイントですよね。

 「深見さんの話しましょうよ」 と振られて 「ぼくの話なんか面白くないっスよ」 と謙遜する洋貴に、「話は別に面白くないですけど」 とかなり言いにくいことをズバッと言いつつ、双葉はこう指摘するのです。

 「深見さんと話すのはだいぶ面白いです」。

 「だいぶバカにしてますね」

 「してませんよ。

 深見さんのいいところ、私いっぱい知ってますし。

 知ってるんですよ」

 洋貴は照れて別の話をしようとします。 バレンタインにチョコあげたことありますか?とか。 でも双葉はこれだけは言いたい、という感じで、自分の話を続けます。

 「普通に、やさしいとことか。

 すごいやさしいです。 なんか。

 深見さんの優しいとことか思い出すと、…

 ちょっと涙出てきます」

 双葉の声が、わずかに上ずります。 「それはどうも」 とお礼を言う洋貴。

 「アレ? なん(の話)でしたっけ?」 双葉が訊きます。

 「だから、バレンタインのチョコレートとか」

 「そういう…」

 「手作りしたりとか」

 双葉は、言い澱みます。 「そういう…」、夢見る少女みたいなことなんか、したことないのに。 もしそんなことが出来たのなら、ひょっとしてこの人にしたかったかもしれない。 …こんなこと考えるのが、なんだか無性に楽しい。 とゆー双葉の心の動きは私の想像ですが(笑)。

 「…なんだろ?
 …アレ?(笑い泣きしてしまう双葉)

 なんか、…楽しいんですよ?

 なんか…。

 ヤだなあ…。

 すいません、なんか…。
 楽しいだけなんですけど…。

 深見さんあのう。
 ちょっと。
 …あっち向いててください…」

 「はい」

 洋貴は素直に従います。 感極まって、泣いてしまう双葉。 洋貴は横を向いたまま、バケツに小石を投げいれようとします、が、すべてそれは大きく外れます。 小石の行方を見ようと、少し振り向いてしまいそうになる洋貴。

 「あのうこっち向かないでください…」

 双葉は、洋貴の背中を両手で押さえつけます。

 「行くの…やめませんか?」

 洋貴は後ろ向きのまま、双葉に再び訊きます。

 「やめません…。 …行きます」

 洋貴は話題を変えようとする。
 「遊園地の写真、ハハ、あれ買えばよかったですね」

 「1枚700円ですよ。 もったいないですよ。 あんまり可愛く写ってなかったし」

 「そうスか? …だいたいいつも、あれぐらいっスよ」 双葉の顔が、あれくらい?(笑)

 「ひどいこと言いますね」 笑う双葉。

 「…思い出になるし…」 つぶやく洋貴。

 「深見さんにはこれからいいこといっぱいありますよ。
 ミスユニバースと結婚できるかもしれないですよ?」

 「したくないっスよ(不機嫌に)」

 「何か、頭に乗せる王冠とか、見せてくれるかもしれないですよ」

 「(振り切るように)王冠興味ないんで。 王冠ないほうが。

 …遠山さんといるほうが、楽しいです」

 「…

 …

 …なんか、

 …モテてるみたいでうれしいなあ」

 「そうっスよ。(自分のまわり1メートルくらいをぐるぐる指さして)このへん界隈じゃ、すごい、モテてますよ」

 「(やはり自分の周囲だけを指しながら)深見さんもこのへん界隈じゃすごいモテてますよ」

 しばらくの沈黙。 何かを決意したように、洋貴が 「遠山さん」 と言うと、双葉は会話を一方的に打ち切ります。

 「終わります。 終わります。

 …
 (涙を振り払い)はい! 終わりました!」

 双葉は立ち上がります。 振り返る洋貴。

 「今日楽しかったです。 一生の思い出になりました。 ありがとうございました(一礼する)。 帰ります」

 その場で笑って手を振る双葉。
 洋貴はにこりともせず、ただ黙ったまま動きません。
 今度は真顔で手を振る、双葉。
 やはり洋貴は、黙ったままです。

 別れを言ってくれない洋貴。 双葉は困ったな、というように、泣きそうになりながらも笑ってこう言います。

 「あの。 手、振ってるんですけど」

 洋貴に近づき、振っていた手を洋貴の肩に押し当て、何度も叩く双葉。 今度は真剣に話します。

 「振ってるんですけど…!」

 洋貴は反応しません。
 双葉はとうとう、泣き声になってしまいます。
 洋貴の肩を心もち怒ったように叩きます。

 「黙っちゃって…。

 無視ですか?

 …手、振ってるんですけど…」

 洋貴の肩に手を押し当てたまま、うつむいて泣いてしまう双葉。
 また肩を叩き始めると、洋貴はそのとき、双葉を抱き寄せます。

 …

 「…深見さん…」

 「はい」

 「…ホント言うと、ずっとこうしてほしかったです…」

 「…はい…」

 「ホント言うと、ワタシ的にだいぶうれしいことです…」

 「…はい…」

 「あと」

 「はい」

 「フフフ。 足踏んでます」

 「あっ。 すいません…。(すいません…)(と小さく)」

 結構しつこくこのシーンを書きましたが、個人的にだいぶ、泣けました、ここのシーン。 そして最後にちょっぴり笑いました。

 「なんで(どうしても行くのか)」 と訊く洋貴に、 「加害者の妹だからです」 と答える双葉。

 そして深くお辞儀をし、決然とその場からスタスタと離れていく双葉。

 「行ってきます」

 また反応しない洋貴。 双葉は決意を込めてもう一度言います。

 「行ってきます!」

 ちょっと笑ってしまう洋貴。 つられて双葉も、笑ってしまいます。 洋貴は 「頑張れ」 というように両こぶしをあげ、手を振るのです。 そして双葉は、スローモーションで、そこから駆け出していく。 双葉の旅立ちです。 いつまでもその後ろ姿を見送る洋貴。

 そして。

 草間ファームにやってきた、双葉。
 真岐の病室を訪ねた双葉は、きちんと挨拶を済ませ、真岐の手を取り、「悠里ちゃんを、一生守ります」 と宣言する。
 この場面。
 スキンシップを率先して行なう双葉のやり方に、なんか一縷の望みを見たような気がしました。 ひょっとして絶望と思われた、真岐の意識は、回復するのかもしれない。 これって私の個人的な希望的観測ですが。

 洋貴は、拘置所そばにあった駿輔の仕事場を訪れ、駿輔から、一枚の封筒を託されます。 洋貴は駿輔に、親父の形見の時計を手渡す。 それは親父が駿輔から受けた屈辱を象徴する品だったのですが、それを洋貴は駿輔に手渡すことで、草間ファームへの謝罪も続けていくことが大切だ、と訴えたかったのかもしれません。

 洋貴は文哉に、面会します。

 「妹どうしてる?」

 「もうお前の妹じゃないよ、彼女は…」

 洋貴は文哉が、いまだに自分と同じ闇を抱えている存在として自分の妹を認識していることを、きっぱりと否定しにかかるのです。

 15分の面会時間の間、洋貴と文哉がなにを話したのかは分かりません。 最初の会話以降、ただ押し黙っていただけだったのかもしれない。
 面会時間が終わって文哉が退出しようとしたとき、文哉は 「オレのせいじゃない」 と、再び言い切ります。
 そのとき洋貴は駿輔から託された、封筒の中身を開けるのです。
 それは、一枚の写真。

 そこにはおそらく、赤ちゃんのころの文哉を抱きかかえた、文哉の実の母、雅美の姿が写っていました。

 この写真。

 私は隆美、すなわち風吹ジュンサンによく似てるな、と思ったんですが、皆さんはいかがだったでしょうか。

 ともかくその印象で書き進めます。

 文哉はこの写真を見て、泣き崩れます。
 それは、自分が長い間心を閉ざしてきた、継母の隆美に対して持っていた理由のないネガティヴな感情が、もともと自分の実の母親雅美に持っていた感情そのものだったことが、彼のなかで氷解したのではないか、と思われるのです。

 私は文哉がどうして、はたから見たら酷い母親としか思えない雅美に対して肯定的なんだろう、と思っていたのですが、もともと彼は、そんな雅美が嫌いだった(書き足しますが、本質的には好きだったけれども、母親の見せる嫌な部分に戸惑い、その部分を憎んでいた、ということです)。
 それを、雅美と同じような顔をした継母の隆美に、その嫌いな思いを投影してしまった。
 だからもともとあった雅美への思慕の思いだけが独立して、雅美に対して肯定的に感情を持つようになった。

 とすれば、これは文哉にとってコペルニクス的転回であります。
 彼が更生に向かう道は、大きく開かれたような気がしてなりません。

 その拘置所を洋貴が出たとき、大雨が降っていました。 そこに洋貴のナレーションがかぶさります。 体裁的には、双葉への手紙、という感じです。

 「遠山さん。
 今日ぼくはひどい夕立に降られました。
 友達だった奴の目から涙があふれ出るのを見ました。

 雨が上がって、洗い流された街が光るのを見ました」

 今度は、双葉から洋貴への手紙です。

 「深見さん。
 ここ、草間ファームでは、最近猫の親子が住みつき始めました。
 名前は、ナスカとモアイにしました。
 じゃれあうナスカとモアイを眺めながら、悠里ちゃんと指きりしました。
 『ずっと一緒にいるよ』 と約束しました」

 「遠山さん。
 この頃ぼくは毎朝5時半に起きて、枯れ草をほうきで集めます。
 一日ごとに季節が移り変わるのを感じます」

 「深見さん。
 図鑑を見ながら悠里ちゃんとお昼寝したら、ゾウの鼻で運ばれる夢を見ました。
 あと、父から手紙が届きました。
 少し長い返事を書いて並べてみると、私の字は父の字ととてもよく似ていました。
 あと、母が作った焼きうどんを思い出して、真似して作ったら、びっくりするくらいまずかったので、ひとりで食べました」

 「遠山さん。
 母は今でも時々泣いています。
 だけどさっき、『買い物したら、777円だったのよ』 と言って、笑ってました。

 たとえば、月曜日と木曜日に泣いたり、火曜日と金曜日は笑ったりして。
 そうやって続いていくのだと思います」

 「深見さん。
 悠里ちゃんと電車に乗って病院に行きました。
 お母さんの心臓の音を聞いて、帰りはショッピングセンターへ行きました」

 「遠山さん。
 朝日を見て、まぶしくて、遠山さんの今日一日を思います」

 「深見さん。
 こうして朝日を見てるとどうしてか、深見さんも同じ朝日を見ている気がします。

 いつもあなたを思っています。
 私が誰かとつないだ手のその先で、誰かがあなたの手をつなぎますように」

 「つないだ手に込めた思いが届きますように。

 ――悲しみの向こう側へ」

 「悲しみの向こう側へ」

 「進め」

 「進め」

 「進め」

 「進め」

 で、悲しみの向こう側にあったのは。

 15年延滞していた、洋貴のエロビデオの返却でした(爆)。

 「延滞料、いくらになりますかね?」

 エンドマーク。

 最後が爆笑になるとは。

 ところでこの手紙のやり取りのバックで、遠山家と深見家のその後が映されていたのですが、彼らは彼らなりのやり方で、笑える生きかたを探り当てたように見えます。
 そこには文哉の姿はなかったのですが、希望を持って考えるのが、感想の持ち方としては正しい方向かと思う。

 そしてこの手紙のやり取り。

 途中から、書いていた手紙を、洋貴も双葉も、自分の行動半径にあると思われる木に、こより状にくくりつけているのです。

 これっていったい、どういう意味なのか。

 最初は相手の手紙をくくりつけているのかとばかり思っていたのですが、双葉が主に書いていた黄色っぽい紙を、当の双葉が自分で木にくくりつけている。

 つまり、この手紙は、互いに相手に出されてない手紙だと思われるんですよ。

 最終回の前半で出てきた双葉の言葉を借りれば、その木は郵便ポストみたいなもので、相手に思いを届ける不思議な手紙の木、ということなのでしょう。

 そうして、届くはずのない自分の思いを、互いに届けようとしている。

 それは文哉に対して周囲の登場人物が思いを届けようとしていたことと通じる。

 つまりこのドラマの作り手は、「文哉にはなにを言ったってダメだ」 という結論を、このドラマで導き出していない、と感じられるのです。
 届かなければ、届くまで、進め、進め、進め。

 それが作り手の祈りにも似た感情のように、思えるのです。

 延滞料ですが、たぶん50万くらいかな?(爆)
 もうVHSビデオなんて取り扱ってないだろうし、このレンタルショップが良心的なお店であることを、私としては望みます(つーか、レンタルショップが15年以上経営を続けているなんて、それだけですごいと思うなー…笑)。

 あーこの、精力使い果たしのスペースバンパイアみたいなドラマも、よーやく終了いたしました。 この、最後まで無駄に、無駄に、無駄~~に長かったレビューをお読みくださったかたには、心より感謝申し上げます。

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2011年9月15日 (木)

「ラストマネー~愛の値段~」 第1回 まずは約款を分かりやすくしろ

 NHKのドラマ10、前作 「胡桃の部屋」 最終回のレビューもまだだというのに、新シリーズ 「ラストマネー」 のレビューであります(いいかげんでスミマセン)(なんか需要がないみたいなので、気が向いたら 「胡桃の部屋」 に関しては書こうかなと思います)。

 ドラマ10ではあまり男性が主人公になることが少ないのですが、今回の主役は伊藤英明サン。 生命保険会社に勤めていて、彼の役割は保険金査定人。
 生命保険が適正に支払われるかどうかの査定をしています。

 その性格はとても冷たくて、杓子定規。 笑うことがなく、極度の野菜嫌い。 まずお友達には出来ないタイプの冷徹な人間です。
 そんな彼にもなんか過去に傷がある。
 その傷が、彼を冷徹にしてしまったんだろう、というのは、まあよくあるパターンですが、このドラマの第1回目の主眼は、あくまで 「生命保険に群がる人間の醜さ」。

 ここで提示されるのは、「自動車の転落事故で一家4人(だったかな)が死亡」、というケース。
 同乗していた妻の母親(市毛良枝サン)がひとり、助かっています。

 この場合、保険金(6000万円)の受取人が誰になっているか、というパターンによって違ってくるかと思いますが、たぶんこのパターンは、夫が生命保険をかけていて、妻が受取人だったのでしょう(なんか話がややこしくて瞬時に理解できてないのですが)。
 でも一家全員が死亡、ですから、こうした場合夫の親とか妻の親とか、そっちに保険金が支払われるようなのですが(よく分かんない…笑)、このドラマで初めて知ったのは、「一家全員が"同時に"亡くなった場合、妻方の親にだけ保険金が支払われる」 らしいということ。 知らなかった。 いや、ホントによく分かんないもんで(笑)。 しかしその理屈、よく分かんないな、妻方の親にだけなんて。

 で、したがって夫方の親は黙っちゃいない。

 ここで 「生命保険に群がる人間の醜さ」 を演出するために、この夫方の親(蛍雪次朗サン、木野花サン)を、ドラマではすごく悪く描写するわけです。

 つまり、この両親は息子の結婚に反対で、絶縁状態だった。
 しかも自分とこはお金に困っている。
 で、絶縁した息子をいまさら息子だと主張して息子の保険金を当てにする。

 そこでこの夫方の両親が突っ込みだしたのは、「一家全員同時じゃなく、夫がいちばん最後で生きていたことが証明されれば、こっちにも受け取りの権利が生じるんだろう」 という理屈。

 それは警察では証明できないそうで、その証明を伊藤英明サンが任されるわけです。

 伊藤サンは相棒の査定コンサルタント会社の松重豊サンを引き連れて、事件現場の状況を詳しく探り出します。 そこに随行するのは、同じ生命保険会社の新人社員、中丸雄一クン。 伊藤サンの冷たさにブチブチ文句を言いながら、生命保険とは何たるや、を学んでいく。

 この組み合わせを見て、「なんかサスペンスドラマによくありがちなパターンだよな」 と思うのは私だけでしょうかね。 事件推理ものみたいな感覚なんですよね。

 伊藤サンが着目したのは、事件のただひとりの生き残りである市毛良枝サンの動向だった。 彼女は結局嘘をついていたわけですが、そのことによって結局夫方の業突く張りな両親に、保険金は支払われることとなる(細かい経緯は省略いたします…笑)。

 ここで見ていて感じたのは、話を二転三転させようとして、結局市毛サンがどうしたかったのか、最終的にぼやけてしまったかな、という点。

 市毛サンが事件現場で、火に包まれた妻子を助け出そうとした夫を引き留め、その惨劇を見せないように目隠しをしたその判断は、とっさのことでの混乱もあるのでしょうが、そのことで市毛サン自身の後悔も生み、彼女を苦しめつづけた。
 けれどもそれと、夫が最後まで生きていたことを隠した、という動機とが、うまく合致していかない、というか。

 つまり、市毛サンのダンナであるでんでんサンは、そりゃ向こうの両親が自分勝手で都合がよくて業突く張りだから、そのことに腹を立てている。 でんでんサンがウソをつくんなら、とてもよーく分かるんですが。

 でも市毛サンを見ていると、相手の業突く張りなふたりにそこまで腹を立てているようにも思えないし、ドラマはどんどん種明かしで進行していくし、結局事件現場での彼女自身の後悔ばかりがクローズアップされて、結果的に視点がぼけてしまったように思えたのです(個人的な感想ですのであしからず)。

 で、でんでんサンはこの血も涙も情もない話につくづく嫌気がさし、「そんなもの要らねえよ!そんなに欲しけりゃ全額くれてやる!」 と、保険金受け取りを拒絶(カッコイイ…)。

 中丸クンはこの顛末に、至極納得がいかない。
 中丸クンは見ている私たちの気持ちの、いわば代弁者でした。

 「なんでですか? オレには分かりません! 最初からほっとけばよかったじゃないですか! そうすれば金子さん(でんでんサンと市毛サン)に全部払われたのに。 なのに金子さんにウソまでついて本当のことをしゃべらして、これでよかったんですか? オレには全然分かりません。
 保険は、亡くなった人が愛する人に残す最後のプレゼントじゃないんですか?」

 あんな業突く張りの両親に全額払われるのは確かにおかしい。
 結局向こうの両親は、最後になんとも自分たちが情けないような顔してましたけど、内心はほっとしてますよ。 心の底では、「バンザーイバンザーイ」 なんじゃないですかね?

 ドラマ的な誇張はあったかと思うのですが、見ていてつくづく、人間の醜さが嫌になりました。
 そして杓子定規に情のかけらもなく、真実だけを追求し続ける伊藤サンの姿勢にも。

 彼自身の冷たい心には、これからドラマ上では転換がはかられていくのでしょうが、私が見ていて嫌になるのは、たぶん伊藤サン本人に対してじゃない。
 実際の生命保険会社が本質的に持っているように思われるんですよ、伊藤サンと同じ冷徹さを。 そこが嫌になるんです。

 ドラマの冒頭では、生命保険会社のロビーに映し出された、その会社のCMが流されていました。
 いかにも生保のCMにありそうな、人の情に訴えたCM。
 けれども実際やってることって、「この条件が満たされてないからお支払いできません」 とか、いちいち細かい条件を引っ張り出して来て支払いを渋ろうとすること。 そりゃ良心的な生保のかたがたはたくさんいらっしゃいますが、私がこれまで生きてきたなかでも、若干見られるんですよ、契約条項を盾に取った 「払い渋り」 の実態が。
 その人の健康状態チェックでも、結構いい加減に契約のときは進行していくのに、いざ死亡して支払い、となるとああだこうだって、じゃ口頭だけじゃなくて、もっと厳しく健康チェックせいっての、と思うこともある。

 ドラマ冒頭で、確か契約締結から2年?だかたたないと、自殺した人に保険金は支払われない、という条項を引っ張り出して来て、伊藤サンは保険金の支払いを拒絶していました。 あと2週間ばかり足りなかったからって。
 そりゃ分るんですけどね。
 けれどもどうにかできるよーな気もする。
 不正を働く、っていうレベルまでしなくとも。
 だから中丸クンのようなシロート目線の 「情」 重視の姿勢のほうが正しい、と思われてしまうんですよ。 まあ結局商売ですからね、生保も。

 ただ私が思う、生命保険のウサン臭さの中心にあるのが、あの分かりにくい約款。
 細かいこといろいろ書いてありますけど、あれをまともに読もう、という人って、皆無なんじゃないか、と。
 いちいち複雑にしなきゃならない理由って、なんなんですかね?
 死んだらもらえる、でいいよーな気がしますが(そんな単純すぎてもイカンか…笑)。
 アレを生保の側も、まともに読ませようとしてないし、契約するほうも、まともに読もうとしていない。
 伊藤サンは頑張ってるけど、実はそっちのほうがよっぽど大問題じゃないのかな?

 幸い私が付き合ってる生保の人は良心的ですがね。

 まあこのように、伊藤サンみたいに重箱の隅つつくようなことをして、不正でも見つかればそりゃ手柄ですが、今回の市毛サンみたいなケースでも杓子定規で任務を遂行していく伊藤サンの姿勢には、ちょっと共感できません。

 その伊藤サンのかたくなな心を溶かすきっかけになるのでは、と思わせるのは、先輩の田中哲司サン。 いきなりドラマのいちばん最初で自殺してしまったのですが、だから田中サンの出てくるシーンはすべて過去軸の話になっています。
 彼が言い寄っていた女が、高島礼子サン。 色気ムンムンです、相変わらず。
 その彼女、田中哲司サンに、「私と付き合いたいんなら保険に入ってよ」 と物騒なことを言ってました。
 彼の死が伊藤サンに今後どのように絡んでいくか、まあ別にあまり興味がないんですが(はっきり書くなあ…)。
 伊藤サンの相棒、松重豊サンは、なかなかとぼけた味わいで好きですね。 「ドン★キホーテ」 にしてもそうなのですが、この人はご自分の立ち位置が、とてもよく把握できるかたのような気がします。 この人中心のドラマのほうが見たい気がする(なんじゃそりゃ)。

 何にせよ、見ていてちょっと、人の醜さ、生保の冷たさに嫌になってしまうドラマです(良心的な生保のかたを非難するものではありませんので、くれぐれもご了承ください)。

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2011年9月12日 (月)

「江~姫たちの戦国~」 第35回 えいっ!やあっ!たぁ~~っ!

 秀忠が戦に駆り出されて、「いつも戦のたびにお城は静かになる」 という感慨にふける、江と乳母。

 ところがその静寂を破って、おおばの局さんが女衆を引き連れてお城を練り歩きます。 「えいっ!やあっ!たぁ~~っ!」 となぎなたを振り回しながら自衛訓練兼火の用心。 マッチ一本火事のもと。

 「すごいのう…」
 「すごいです」
 そしてタイトルバック。

 大タメイキ(笑)。 また今回も下らん話が始まるのか、と思ったのですが、今回の話のメインは、京極高次と初、そして秀忠と真田。 話が江を離れると途端に引き締まってくる、「『江』 の法則」 がまた証明された格好です。

 ただしまあ、見ていてグダグダなのはもう戻りようがなくて。 あれよあれよという間に関ヶ原。 まるで天下分け目の一戦、という緊迫感がない。 名だたる戦国武将が、ことごとく字幕扱いだから、話のスケール感が、まったく伝わってこないのです。 こんなに軽ーい関ヶ原を見るのは初めてだ。

 そのなかで最もクローズアップされるのが、その関ヶ原に遅参する、秀忠の心の動き。

 いっぽうでクローズアップされていた、京極高次の豊臣か徳川か、という葛藤のほうがサマになっていたため、この秀忠の葛藤というものが、とてもチープに思えてくるのですが、そのチープ感を下支えしているのが、秀忠が回想する、江の言い分なのです。

 いわく、「総大将など、あなた様に務まるのですか」。

 「自分は戦に向いてない」、とした秀忠の思い込みに、この 「下げまん」 女房のしたり顔の指摘が手かせ足かせとなって、戦場での秀忠の判断能力を著しく失墜させる、という構図を、このドラマは採用するのです。

 すげえな。

 話の矢面に立たなくとも、じゅうぶんに男の生きざまに悪影響を及ぼす。
 なんて女だ(笑)。

 関ヶ原遅参の大きな原因となった真田攻め。
 そこで多くの自軍の兵士が犠牲となり、自らの判断が大きく人の命を左右することに、秀忠はおののきます。
 ここらへんの描写は、戦慣れしていない人間がいきなり総大将になった戸惑いを、じゅうぶんに描写していると感じました。
 ただそこに江の訳知りの指摘が関与しているのかと思うと、ちょっと情けなくなってくる(笑)。

 判断の取り間違いで大きく出遅れた秀忠。
 馬上でうつらうつらして、落馬してしまいます。
 そして、完全に出遅れた、と悟った秀忠は、地面にへたりこんだまま、自虐的に笑ってしまうのです。

 ここ。

 奇しくもこれと似たような場面を、今放送中の傑作ドラマ 「それでも、生きてゆく」 で見たばかりだったので、その自虐的な笑いの悲壮感の、あまりの雲泥の差には、ちょっと複雑な気持ちになりました。

 つまり、ここで秀忠は、どうして完全に出遅れた、と悟ってしまったのか、という説明が、完全に抜けている。
 だからフツーに見ていると、「なんだ簡単にあきらめるもんだなあ」 と見えてしまうのです。
 このドラマは万事がこの調子。
 京極高次の決意に従う初の演技は、今回見ものだったのですが、感動的な演技をしていると感じるいっぽうで、やはりずいぶん最近真面目だよなあこの人、という印象がついてまわってしまう。 それまでな~ンも考えてないお姫さまとして、作り手が描きすぎたせいです。

 そしてこの回のラストを締めくくるのは、冒頭の 「えいっ!やあっ!たぁ~~っ!」 を、江も乳母も一緒にやっているシーン。
 統一感を持たせたつもりなんでしょうが、「ああ江って、戦争反対とか言ってる癖に、結局な~ンもしてないのね」、という感想を、見る側が抱いてしまいやすくなるのです。 平和だなあ…。 えいっ! やあっ! たぁぁ~~っ! 脚本斬りっ!

 いずれにしても江が出てくるシーン以外は、結構見ごたえがあった気がします。
 どうしてこうも作り手から虐げられるんでしょうね、上野樹里チャン…。

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2011年9月10日 (土)

「それでも、生きてゆく」 第10回 届く思い、届かぬ願い

 はじめに
 この回の途中、ゴミ箱に捨てられた写真週刊誌の表紙に、「JAP18」 と書かれた記事名があったらしい。 18というのは一説によると、韓国語で侮蔑を意味する言葉に通ずるらしいのですが、これに対する私の見解を書きます。

 こういうものを探すほうも探すほうだが、入れるほうも入れるほうだ。 なぜわざわざJAPなどと、誤解を生みやすい文句を画面のほぼ誰も気づかぬ部分にしのばせるのか。
 このことでこのドラマに対する私の評価は微塵も変わらないが、残念だというほかはありません。

 気を取り直して。

 冒頭。

 釣り船屋のトイレに入っていく洋貴(瑛太クン)。
 ふと何かに気付いたように、横の窓を開けます。
 朝の光。
 スズメがチュンチュン泣いている。

 このなんてことないシーンが今回後半、大きな意味を持ちかけてくることになるのですが、結局やはりなんてことがなかった、という展開を示していく。

 ここで大きな徒労感を、見る側は感じることになるのですが、実はその徒労感こそが、ドラマの力を過信したり錯覚している受け手の姿勢の表れとなっている気が、どうしても私にはする。
 作り手は私たちが物語にのめり込んでいるよりずっと、冷徹な目でこのドラマを見ていると思われるのです。

 実際のところ、人を諭そうしても、スーッと受け入れられる場合もあれば、なかなか理解がなされない場合があります。
 ましてや文哉(風間俊介クン)のように通り一遍の 「ゴメンナサイ」 を口にされても、本人は言やあいいもんだと思ってたり、まったく届かない場合がある。
 洋貴の渾身の説得が意味をなさなかったのも、人の痛みを分かるのなんて、そんなに簡単なことじゃないんだよ、という作り手の声が聞こえてくる気がして、ならないのです。
 だからこそ予定調和に安易におもねらない作り手の真摯な姿勢、というものを感じることも確かなのですが。

 バラバラになってしまった遠山(三崎)家。

 洋貴は駿輔(時任三郎サン)の越した先に来ています。 そこは前以上に手狭な、粗末な家のようです。 暑さを紛らわそうとしても、扇風機さえもなく、ただ窓を開けるだけ。

 互いの情報から、文哉が因島に向かったのではないか、そして双葉(満島ひかりチャン)がそれを追いかけているのではないか、と洋貴は推測します。
 新幹線に乗る洋貴。
 新幹線なんて彼にしては奮発しているように見えるけれども服装は、いつもの変なライフジャケットみたいな格好。
 洋貴はブレない(笑)。

 いっぽうレンタカーを因島ゆき?フェリーの船着き場に停める双葉。 そのヘタクソな停め方から、彼女がペーパードライバーであると同時に、心ここにあらず、の心情も表わしているように見える(こういうつまらん解説をするからレビューが長くなるんだろうなぁ…)。 双葉はあらためて、洋貴の軽ワンボックスから持ち出した刃物を手にとります。

 そして。
 文哉との揉み合いからだいぶたつだろうというのに、そのショックからまだ抜け出せず呆然としたようなままの響子(大竹しのぶサン)。 耕平(田中圭サン)が釣り船屋を訪ねてきています。
 耕平は自分が上っ面の励まししか母親にしてこなかったことに対する後悔を、母親に打ち明ける。

 「…俺さ。

 母さんに頑張れって言いすぎたかな?」

 「うん?」

 「…高校とか大学のころさ、みんなとカラオケ行くでしょ」

 「うん」

 「歌詞に出てくんだよね。 『希望』 とか 『光』 とか。
 まあ俺も歌うんだけどさ。
 歌ってながら、俺、
 …『で何?』 って思ってた。

 …『希望』 って何?
 …『光』 って何?って」

 「うん」

 「でもそんなんで俺。
 …そんなノリのまんまで俺…。

 母さんに頑張ろうよって言ってた」

 ここで 「うん」 しか言わなかった大竹サンは 「でも励ましてくれた」 と耕平を慰めます。 でも耕平はその慰めを素直に受け入れられない。

 「カラオケで歌う希望しか知らねえ奴に励ます資格ないでしょ」

 「…そんなこと。

 誰にも分からないのよ」

 ここで響子が言った 「そんなこと」 とは何なのでしょう。
 私は複数の意味が含まれているセリフのように感じました。

 額面通りに受け取れば、「希望や光の本当の意味を知ってる人なんて、誰もいない」 というように理解できます。 その後の耕平が 「兄ちゃんは知ってるのかな」 という話をしていたことから、そう推測される。

 でも、「励ます資格があるかどうか、誰にもそんなことの判断なんかつかない」、という意味にも取れる。

 そうなったことのない人に、なにが分かるっていうのか。
 知ったようなことを、誰が言う資格があるのか。

 続くシーンで、響子が視線を落とした写真週刊誌(冒頭でお話したものです)に、隆美(風吹ジュンサン)が険しい表情で何かを叫び、その後ろで、無表情の灯里(福田麻由子チャン)が歩いている場面を撮った写真が写っている。 ふたりの目の部分には黒い線が引っ張られています。

 この写真の印象だけで考えてしまうと、加害者家族がメーワクそーに取材を妨害しようとしている、そして犯人の母親には娘までいるっていうのにそいつはふてぶてしい。

 つまり真実が写っているとばかり考えられる写真、という媒体が、実は我々のような傍観者たちの恣意的な悪感情を培養する手助けをしている、という側面を、この一瞬は表しているのです。
 そしていっぽうで事件の隠蔽されている部分が、すでに世間に漏れ始めていることを、この一瞬は教えてくれる。 世の中は、三日月湖の犯人と今回の傷害事件を、結び付け始めているのです。

 因島に着いた双葉。
 雨模様の天気のなか、海に面した公衆電話ボックスに入り、電話帳を見て、しらみつぶしに文哉の行方を探そうとしている。 洋貴からの伝言メッセージも拒絶したまま。

 駿輔はというと、草間五郎(小野武彦サン)の農場に正装で、謝りに来ている。
 怒りを含んだように、駿輔の前をただ通り過ぎていく、五郎の軽トラ。
 自宅に戻ってきた五郎は昏睡状態のままの娘、真岐(佐藤江梨子チャン)の延命治療拒否についての同意書をクシャクシャにしてゴミ箱に投げ棄てる。 土地を売却してでも、真岐を延命させる莫大な費用を払おう、と決意したのでしょうか。

 ああ~この時点でまだドラマ開始から11分20秒。 読んでくださっているかたも、長期戦を覚悟して下さいまし。

 そしてここもまた、粗末なアパートに越してきた、隆美と灯里。
 灯里の態度が、やけに素っ気ない。
 彼女は響子がさっき視線を落としていた同じ写真週刊誌を、買ってきていたのです。

 「加害者家族は謝罪もなしにすでに夜逃げ済み」。 記事の文言です。

 灯里にとって、加害者家族として生きることは生まれたときからの定めだったと思われますが、これまで実際灯里の身に降りかかってくるのは、響子の密告による、居住先を転々とせざるを得ない状況のみだった。
 それが文哉の第一の犯行当時のような狂騒状況が迫りくることに、灯里はおののいているのです。

 電話ボックスで汗だくになり、ちょっとエコノミー症候群みたいになっている(笑)双葉。
 ぶしつけにガラスを叩く音がします。
 洋貴です。
 洋貴は電話ボックスの扉を開けようとする。
 双葉はとっさに、必死で押さえます。
 開けるのをあきらめた洋貴。
 ここからまた、例のコミカルなやり取りが始まります。

 「海、いいっスねぇ…」

 「そっすか」

 「そんなかすごく暑くないっスか」

 「まあ…暑いと言えば暑いパターンですけど」(笑いました、ここ)

 隙を見て双葉のバッグをボックスの下の隙間から取ろうとする洋貴。 自分が隠し持っていたナイフを取り戻そうというのです。
 押し問答の末、暑さにギブアップした双葉はボックスを出てきます(笑)。 しばらく両者の意地の張り合いが続く。

 「あなた(双葉)に出来るわけないでしょ」 と決めつける洋貴。

 「深見さんには出来るんですか?

 …人殺しキツイですよ」

 「全然分かってないっスね。
 自分が人殺しになるより、遠山さんがなるほうがきついっス。 って言うか、正直、ものすごい怒ってます。 不満です! ひとりで勝手こんな。

 ここ! そういう信頼ない感じだったんスか?!

 そんなもんだったんスか?」

 「私だっておんなじです。
 自分がなるより深見さんがなるほうがキツイです」

 この場面。

 「犯人をこの手で殺したい」 という被害者家族のかたが時々いらっしゃいます。
 その気持ちを私は全く否定するものではありませんが、実際あなたが人殺しをしたら、それを悲しむ人間は、あなたの周りにたくさんいる。
 そんな作り手の思いがここに込められている気がします。

 「自分もあなたと同じ気持ち」。 そこまで言い切った双葉は、洋貴が静かに自分のバッグを取り、そこから刃物を取り返しても、なんの抵抗も示さなくなります。
 じゃあ文哉を一緒に探そう、ということになったふたり。
 洋貴は、双葉が相手の名前も知らないまま、あまりにもアバウトに母方の実家を調べようとしていたことを知って、ちょっと呆れます(笑)。 

 その、自分を産んだ母親の実家に、文哉は来ています。

 そこで文哉は、自分の産みの親の写真を、必死になって探している。
 表向き、文哉は真岐を昏睡状態にした犯人だということが世間的に伏せられてますから、産みの親の両親(織本順吉サン、大森暁美サン)は彼が 「三崎文哉だ」 と名乗っても、色めき立ったりしません。
 しかもこの御両親、三崎という名前で、目の前の若者が、娘の雅美(名前だけで該当する演技者はいません)が駆け落ち同然で一緒になった男と設けた子供である、という認識まではしたと考えられるのですが、文哉が未成年時代に殺人を犯したことも知らないような感じ。 当時から名前はあくまで伏せられているのですから、その可能性はじゅうぶんあり得る。

 その御両親に、文哉は自分の母親が自殺するまでの話を、まるでお伽噺でもするように、機械的に始めるのです。

 「僕の家には、お母さんと僕と赤ちゃんがいました。 赤ちゃんが泣くと、『あーイヤだ。 もうイヤだ』。 お母さんはそう言います。 お父さんは帰ってきません。

 僕は押し入れのところにいました。 押し入れのところは夜のところみたいでした。

 お母さんはお父さんとハワイに行った話を何度もしました。 水着のままで赤い大きなエビを食べたお話をしました。 『あんたたちが生まれてこなければ何回もハワイに行けた。 産まなければ何回もハワイに行けた』、言いました。

 お母さんはお洗濯ものを持ってベランダのところに行きました。
 『お母さんどこ行くの? どこ行くの?』
 『天国よ』 と言いました。
 『天国のハワイに行く』 と言いました」

 尋常ならざるものを感じたのか、祖父は祖母に目配せして、その場を立ち去らせます。
 そして祖父は、「雅美は勝手に嫁行って勝手に死んだ。うちとはもう関係ない」 と暗に、文哉を拒絶する姿勢を見せるのです。

 文哉の昔話から主観という部分を差し引いても、雅美という女性はかなり身勝手な部分が大きい女性のように感じられます。
 そして同時に、精神的にかなり病んでいた部分も感じられる。

 おそらく駿輔は、雅美の死をこの両親に知らせたとき、「自殺だった」 と話はしていないはずです。 それなのに、ここまでこの両親は、雅美という娘を絶縁したがっている。

 そしてより問題に思えるのは、そんな病んだようにしか思えない死んだ母親を、文哉が未だに慕っているように見える、という点です。

 これは推測にすぎないのですが、文哉は死んだ母親の病理を、自分の父親である駿輔にすべて転嫁しようとしている。
 だからはたから聞いていると酷い母親としか思えない、文哉のその昔話も、文哉はまるでお伽噺みたいにとらえており、昔の幼かったころのオアシスみたいに、酷い話をいい話へと錯覚を、したがっている。
 心を夜のところに、幼いころのまま置き去りにしたままなのだというように、私は感じるのです。

 「お父さんと新しいお母さんと双葉を殺す夢を何度も見ました。
 『ああ。 僕みんな殺してしまう。 殺してしまう』 と思って、死のうと思って。

 三日月湖の柵を壊そうと思って。
 金槌を持って行って。

 でもそうしたら、…洋貴の妹が歩いてて。

 (文哉の回想。 亜季が、「ネロは生まれてこないほうがよかったんじゃない?悲しいことばかりなのに、なんで生まれてきたの?」 と尋ねている)

 『お母さん助けて。 お母さん助けて』 って思ったけど、お母さんの顔が思い出せなくて。 思い出せなくて。

 夜のところでは赤い大きなエビが見えて。

 目が覚めたら洋貴の妹、三日月湖に浮いてました」

 「お前、…子供殺したんか?」 と訊く祖父。

 「大丈夫です。 次はちゃんと自分を殺します」

 「赤い大きなエビ」 が、文哉の過去の記憶を価値転換させる、大きなアイテムとなっていることがここで感じられます。

 文哉は自分が一緒に行ったこともないハワイに行き、一緒に食べたこともない大きな赤いエビを食べた気になっている。
 そう自分が思いたがることで、母親個人の楽しかった思い出を無理に共有しようとしているように、私には思えます。

 そしてその赤い大きなエビは、文哉の心の闇(「夜のところ」)に居心地良く居座り続けている。 死んだ母親の象徴かもしれない。
 しかし彼が亜季を殺すときに、「母さん助けて」 と言っても何も返事がなかったように、そのエビは文哉の大いなる錯覚、幻覚なのです。

 このような殺人動機は、ちょっと特殊な感じもしないわけでもない。

 たいていの殺人者は、「人を殺すことにあこがれている」。
 殺したらどうなるのか、という猟奇的な興味に囚われている。
 あまりに人間は心によって出来ているから、単なるモノとしてとらえたくなる。

 文哉の場合、その単純な殺意を文学的に美しく都合のいいように解釈しようとしているのではないでしょうか。 そしてその精神的なベーシックの部分に、幼かったころのまま成長しようとしない、文哉自身の心がある。

 だから今度は自分を殺す、つまり自殺することで、単純に自分の欲望も充足するし償いもできる、と軽く考えている。

 これは個人的な解釈なので、さらっと読み流してくださいませ(笑)。

 で。

 日向夏を見かけた洋貴、双葉に 「(文哉の居場所は)ここなんじゃないか?」 と話しかけます。 果たしてそれは当たっていたようです。 祖母が駐在さんを急かしていくのを、洋貴と双葉は目撃する。
 文哉の死んだ母親の実家が、日向夏の栽培農家だった、というのは結構外せないポイントに思えます。
 文哉は死んだ母親との接点を求めて、草間ファームに自分の意志で住み込み働いた、という推測が成り立つからです。
 雅美の両親と駐在さんの会話を聞き、洋貴と双葉はそこで、文哉が祭りのある場所に向かい、自殺するみたいだ、という情報を得るのです。

 いっぽう隆美と灯里のアパート。

 写真週刊誌がもたらす不安で娘は 「学校行ったって!(酷い目に遭うだけ)」 と声を荒げ、母は 「ごめん、ごめん…」 と娘にすがりついています。 そんな取り込み中のところに、ノックが響く。 加害者家族バッシングの始まりかとおののく母娘。
 でもその意外な訪問者は、響子でした。

 響子は、15年前週刊誌で、灯里をお腹に宿している隆美の姿を見た、と話を切り出します。
 それを見たときから、響子は隆美のことを憎むようになった、と。

 これは先ほど述べた、写真週刊誌の恣意的な情報操作がもたらすもうひとつの例、と言っていい気がします。 さらにそれは、こと少年犯罪となると、極端なまでに被害者家族に情報が入ってこないこの国の現状も、描写している気がする。

 「あなたも、…そうじゃありませんか?」

 あなたも私たちを憎んでいたんじゃないか?と、響子は意外な話をし出します。
 密告をしているのが被害者家族だって気付いていたはずだ。
 そんな私たちに負けまいと対抗するために、意地を見せるために、あなたは家族と離れなかったんじゃないのか?と言い出すのです。 激しくかぶりを振る隆美。
 そんな隆美を響子はじっと見つめ、こう言うのです。

 「…私、…あなたと話したくて来たんです」

 覚悟を決めたように話し出す、隆美。

 「…はい…。 憎んでました…。

 15年間、あなたのことを考えて生きてきました。

 事件のあと、…お腹の子を連れて死ぬことも考えました。

 だけど以前、あのパッチワーク教室で会ったあなたの顔を思い出したんです。

 『あの人には、…同情する人がいる。 私には死ねという人がいる。 何の違いがあるのか』 と思いました。

 娘が殺されたこと。

 息子が、人を殺したこと。

 苦しみに。

 この苦しみに何の違いがあるのかと思いました(表情が崩れていく隆美)。

 あなたのことを憎んで。

 あなたのことを憎んで今日まで生きてきました…っ…!

 私は………身勝手な、人でなしです」

 隆美の告白のあいだ、鏡台に映った響子の顔に、カメラはパンしていきます。
 その響子は、無表情のまま、こうつぶやきます。

 「ほっとしました。

 あなたが、この15年…苦しんできたことを知って。

 いま、…ほっとしたんです。

 私も、…人でなしです…。

 あなたたち、許せる日が来るとは、今も、…思えません。

 ただ、けさ、この写真(ゴミ箱に捨てられた写真週刊誌)見ても、もう昔のような気持ちには、なりませんでした。

 不思議な感情。 んんたぶん息子が、洋貴が、双葉ちゃんと会ったときと、同じ気持ちです。

 あのふたりと、同じです。

 私たちは、被害者家族と、加害者家族だけど、

 同じ乗り物に乗っていて、一生、降りることはできない。

 じゃあ、

 行き先は、

 …一緒に考えないと……」

 微笑みを見せつつ、険しい表情を保とうとする響子。 隆美は、そんなぎりぎりの、被害者家族の決断に、何かがプツンと切れてしまったように、大粒の涙を流すのです。

 「やめてください…言わないでください…私は…あなたのことを憎んで…憎むことで今日まで生きてきたのに…!………そんなこと言われたら………そんなこと言われたら………!」

 ここに解説を加えることは無粋になってしまいますが、隆美が駿輔と離婚しなかった原因がここで明らかにされたし、事件によって傷つくのは、どちらの側も一緒なんだ、という強いメッセージが透徹している。
 人を憎む、ということも、ある種の牽引力となって生きていくことはできる。
 でもそれには、限界がありはしないか。
 憎しみというのは、自らの世界を狭めます。
 自分、自分、自分。
 そうするよりは、相手を許すことに、より多大なエネルギーを使うべきではないのか。
 たいていの人は、事件の重大性に、事件そのものを忌避し忘れようとする。
 けれども生きている限り、苦しみが続くのであれば、憎しみにエネルギーを使うより、許すことにエネルギーを使えないだろうか。
 なぜなら憎しみの思いよりも、許そうとする思いのほうが、相手に届くから。
 憎しみは憎しみを生む、なんてまるでお決まりのように言われますが、これって憎しみという感情が、相手には反発を持ってしか受け入れられないんだ、ということの証左なような気がするのです。

 いっぽう。

 草間五郎は、駿輔を真岐の病室へと招き入れます。 眠ったままの真岐。 謝ろうとする駿輔。 「あんた!これで生きていると言えんのかっ!」。

 彼は駿輔の目の前で、クシャクシャにしていた延命中止の同意書を広げ、娘の顔を見ながら、それにサインをするのです。
 これは言わば、加害者に対する五郎の復讐、でもある。
 駿輔は身を引きちぎられるような苦悶の表情で、苦しそうに喘ぎます。

 祭り会場にやってきた洋貴と双葉。

 どこかのプールで、手足に養生テープを巻きつける、文哉。

 「あああ、 お腹すいたな…」

 と言ったと思うとかがんだ姿勢のまま、後ろ向きに落ちていく文哉。 あの世で赤い大きなエビでも食べようと、考えたのでしょうか。

 ボシャーン、
 
 という小さな音。

 「深見さん」

 文哉を探し続ける洋貴に、双葉が話しかけます。

 「このまま。
 このまま、放っておいたら、兄が自殺して、復讐しなくてよくなるかもしれませんよね」

 「そんなこと…」

 「だってそしたら、深見さんが罪を犯さなくて済むし、あの果樹園のお父さんたちだって喜んでくれるだろうし。

 深見さんのご家族も、私の家族だってみんな、…楽…。 楽になれるだろうし…」

 ちょっと困ったような表情の洋貴。 ふと見ると、日向夏がプールの入口に置いてある。
 ここで、日向夏で自分の居場所を知らせようとしたように見える、文哉の真意とは何だったんでしょうか。
 プールに突進する洋貴。

 「○×△ああ?!」

 叫び声とも金切り声ともつかぬ声をあげる双葉。

 プールの底に沈んだままの文哉。

 プールに飛び込み、洋貴は文哉を抱きかかえてプールから上げます。

 ぐったりして動かない文哉。

 「お兄ちゃん!!お兄ちゃん!!お兄ちゃん!!お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん!!
 いやーだあああーっお兄ちゃああーんっ!!
 お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん!
 やだやだやだやだっ!!お兄ちゃんお兄ちゃん!!ねえお兄ちゃん!!やああーだああーっ!」

 慟哭し、兄を叩き続ける双葉。

 「どいて!!どいて!!」

 洋貴はあのナイフを手にします。
 しかしそのナイフは、文哉を殺すためのナイフでは、もはやなくなっている。
 そのナイフで文哉のぐるぐる巻きに縛った養生テープを引き裂き、洋貴は心肺マッサージを始めるのです。

 よく考えれば、釣り船屋をやっていることで、洋貴が心肺マッサージを緊急の場合に備えてマスターしていた、ということは、じゅうぶん考えられます。 釣り船屋、という必然性が、ここにあったのか…。

 「文哉…文哉…!文哉あああーっ!

 おい…逃げんなぁああっ!!おいっ!文哉?!逃げんなああっ!!」

 洋貴は文哉の口に自分の口を当て、空気を送り込む。
 ゴブッ、とお腹のものを出す文哉。
 意識が戻ったのです。

 ここでCM。 ふうう…。 ああまだ、今回の最大のヤマ場が残っている…。

 ここで洋貴の持っていたナイフの役割が、劇的に変わった瞬間は、まさにドラマというものの真骨頂だった気がします。
 ここで死んじゃえばま~るく収まりまっせ、と言ってた(ニカクサンかよ)双葉も、やっぱり実際に兄の死に立ち会ったら、こうせざるを得ないですね、本能的に。
 人が死ぬのなんて、もうイヤなのです、って江がここで言ったら、すごい説得力なのになあ(ツマラン話で緊張をほぐしたいのでご了承ください)。
 冗談はさておき、やはりどんな悪感情を持っていても、家族として同じ時間を過ごした人ならば、その人が死んでしまうのには、とても拒絶反応がある、っていうことなんだと思うのです。 理屈じゃない。

 3人は定食屋にやってきます。
 定食屋の主人はカープファン。
 ずぶ濡れの文哉を見ても、祭りで盛り上がったんだろうとまったく疑問を持たないのが笑えます。

 オムライスを頼み、おもむろに立ち上がる文哉。
 洋貴は文哉が逃げ出すことを警戒しています。
 緊迫した状況に一瞬なるのですが、定食屋の主人は野球に釘づけのフリでその場を離れる。 君子危うきに近寄らず、という酔っぱらいの客さばきに慣れてるのかな。
 結局3人ともオムライスを頼み、主人の勧めでポテトサラダもひとつ追加する(どーでもいいですけど)(でもさっきまで死のうとしていた文哉が子供の食べ物みたいなオムライスを頼み、ほかのふたりもそれに追従する構図は見逃せない気がします)。

 文哉がトイレに立っているあいだ、双葉は 「どうして助けたのか」 と洋貴にツッコミを入れてます。 洋貴も負けじと、「自分だって(兄貴が死んだらうちも楽になるって)」 と応戦しますが、一応とりあえず、「文哉のことを信じてみよう」 という気になったようです。

 トイレから帰ってきた文哉。

 「お兄ちゃん。

 深見さんが助けてくれたんだよ」

 「うん」

 「深見さんが助けなかったら死んでたんだよ」

 「うん」

 「うん」 の繰り返しは、さっきの大竹サンみたいですが、ここでの単調な返事は、心のメーターが振りきれてしまったあとの呆然とした感覚において共通している感じです。

 「自殺しようとしてたんだよね」

 「いいよ。 またするから」

 洋貴が割り込む。

 「じゃあまた助ける。 何回死のうとしても助ける。 逃がさない」

 それが文哉、お前がこの世で受けなければならない罰なんだ、というような、洋貴の言いかた。
 洋貴はそれまで自分が知ったいろんなことを文哉に話します。 「そんな下らないことで(亜季)殺したんだ」 と言った瞬間、テーブルを激しく叩く洋貴。 文哉は 「(オムライス)まだかな」 と話をはぐらかす。 性向的に、以前とまったく変化が見られません。 無表情だけれど、何かに失望したような、双葉の顔。

 「俺さ。 ずっとお前のこと探してたんだよ。
 (ナイフを取り出し)これで殺そうと思って、しばらく持ち歩いてたんだ。
 たぶんあのとき(保護観察司の葬儀の際)、この人(双葉)に止められなかったら、お前のこと刺して、殺して、今頃刑務所に入ってて、ってなってたと思う。

 で俺は、まあ、なにも感じないまま、そういう運命かって普通に受け止めてたと思う。

 でもそうじゃなくなった。

 この人に止められて、この人と知り合って、俺たぶん…俺変わったんだと思う。

 いろいろあったんだよ…あれからいろいろ」

 文哉は紙ナプキンを一枚とって、手持無沙汰にいじくり回し出します。
 明らかに洋貴の話の長さに辟易し始め、説教じみてきたことへの嫌気を見せ始めている。
 洋貴は釣り船屋らしく、いろんなことがあって混乱した様子を、釣り糸がお祭りしてしまったことに例えながら、その心の痛みを文哉に訴え続けます。
 洋貴とのいろんなことを思い出したのか、涙ぐんできてしまう、双葉。

 洋貴はでも、決意したように、こうきっぱり言うのです。

 「どうしたいのか分かんないんだけど、……もうお前を殺そうなんて思えないんだ」

 黙ったままの文哉。

 「亜季がさ…『なんのために悲しいお話があるのか』 って訊いてきたことがあった。
 『なんで人間はわざわざ悲しいお話を作るんだろう』 って。

 亜季が殺されて、友達が犯人でバラバラになった家族があって、兄貴の無実信じながら苦しんで信じながら生きた人がいて、…悲しい話ばかりで、逃げたくなる。

 だけど逃げたら、…悲しみは残る。

 死んだら。 殺したら。 悲しみは増える。
 増やしたくなかったら、…悲しいお話の続きを、書き足すしかないんだ。

 いつかお前が、人間らしい心を取り戻して、初めからやり直して、償いを………いや…」

 話がいたずらに潔い健全な方向に行っていることを、ここで洋貴は本能的に感じた気がします。

 「いや…違うか。

 そんな話どうでもいいんだ。

 どうでもいいや、どうでもいい…。

 いまの話全部忘れていいよ。

 ただ…。

 たださ。

 けさ、朝日を見たんだ。

 夕べずっと眠れなくて、朝方トイレ行って。

 トイレ便所臭くて。

 窓開けたら朝日見えて。

 便所臭いトイレの窓から朝日見えて…。

 そんなこと、あそこに住んで一度も感じたことなかったんだけど。

 また今日が始まるんだなって。

 楽しくてもつらくても。
 幸せでも、むなしくても。

 生きることに、価値があっても、なくても。

 今日が始まるんだなって。

 あの…便所の窓からは、この15年間毎日、今日が始まるのが見えてたんだなって

 …
 …
 …」

 洋貴はやおら文哉の手を握りしめます。
 無表情のままうつむく文哉。

 「うまく言えないけど、文哉さ…。

 俺お前と一緒に朝日を見たい。

 一緒に見に行きたい。

 もうそれだけでいい」

 文哉はしかし。

 それまで何もなかったかのように、店主のほうをぼんやり向いて、なんの心もそこにないかのように、つぶやくのです。

 「ご飯まだかな」

 文哉の手が、洋貴の手からするりと抜けます。

 「お兄ちゃんお腹すいてんだよ」

 「(もうこの人には、なにを言っても気持ちが伝わることはない)」 という表情で、顔の下半分を手で押さえ慟哭を押さえようとする、双葉。

 「自首すればいいんだろ。 謝ればいいのか。

 ごめんな洋貴。

 双葉。 ごめんな」

 このシーンで長々とつづいた洋貴のセリフは、実に不器用で、確かに伝わりにくい点もあったかと思います。
 でも不器用だろうがなんだろうが、洋貴は自分の偽らざる気持ちを、すべて解き放った。
 途中で説教臭いことに自分で気付き、どうでもいいんだ、という部分から再び始めた朝日の話は、過去に囚われてばかりではなく、今、これからを生きよう、という決意に満ちた、人間宣言のような性格さえ帯びている。

 けれども文哉は、そんな不器用な決意など、本能的に嫌悪したがるのだと思うのです。
 そんなのウソだろ?
 いくらまともなフリをしたって、そんなの続かないよ。
 また説教。
 手を握って、臭いんだよ。 わざとらしい。 やめてくれ。 笑っちゃうよ。

 結局理科実験室の人体標本のように、文哉には心がない、と判断してしまった洋貴。

 彼はオムライスを食べながら、かなしいほど自虐的に、笑い続けるのです。
 こんなに悲しい笑い声を、私はついぞドラマで聞いたことがないくらいでした。

 もういいや。 勝手にしてくれ。 もう恨まないから。 無関係だから。 バカみたいだなオレ。 やってらんねえや。 こんなヤツになに熱くなってたんだろう。

 そんな悲しい、笑い。

 警察に自首する文哉。 オムライス代を払おうとします。 洋貴は杓子定規に、釣銭を払おうとする。 もう完全に他人行儀、ということの表れです。 ただその釣銭を、文哉は受け取ろうとしない。

 ここで私は、釣銭を拒絶する文哉が何かを消極的に言いたかったような気がしたのですが、思いすごしでしょうかね。

 スタスタと警察署のほうに歩いていく文哉。
 そんなとき。

 双葉が突然それを追いかけ、背中から飛び蹴りを食らわせます。
 前のめりに倒れる文哉。

 「ううああああああああーーーっ!」

 倒れた兄を、こぶしで思いっきり殴りつける双葉。
 洋貴が止めに入りますが、双葉は収まりません。
 無表情で妹に殴られ続ける、文哉。
 止めに入った洋貴もブッ飛ばし(笑)、全体重をこぶしに乗せて(笑)、双葉は文哉を殴り続けます。 警察署のまん前です(笑)。 とーぜん警官が 「何やっとるんだ!」 と言って駆けつけてきます、が、双葉はそれもブッ飛ばす(うわわ…)。 こーむしっこうぼーがいだ(笑)。

 まあ、ちょっとオチャラケて書かないと、こっちの神経も参ってしまうのでそういたしました。 大変失礼いたしました。

 警官ふたりと洋貴に取り押さえられ、双葉は断末魔をあげる。
 いきなり画面はブラックアウト。 今回終了です。

 もう後半は、ただドラマの描写ばかりで、自分の考察を入れるのさえ忘れてしまうような展開。
 ドラマ全体が、「やり場のない怒り」 に満ちている。
 駿輔の前で、怒りに震えて延命停止同意書にサインをする草間五郎。
 自分を嗤い続ける、悲惨な洋貴。
 あまりに無感覚、無感動、無自覚、無慈悲な兄に、どうやったら分かってもらえるのか考えた末に、思考回路が壊れ、ただひたすらに兄を殴り続ける妹。

 これは文哉の犯した罪を狭義的にする所業ではない気がします。 むしろ犯人への表現不可能な憎しみを喚起させる、という点で、かなり普遍的に 「罪に対する人としての怒り」 を打ち出せている、かなり稀な成功例、と言っていい気がする。

 ただここ数回の文哉の言動は、文哉が恣意的に自分を心のない人間として自己演出している気が、しないでもない。 彼はなにかを、訴えかけているのかもしれません。 自殺しようとした場所に日向夏という目印を置き、オムライスの釣銭をもらわなかった文哉の真意が、とても気になるのです。

 振り返れば今回、響子の思いは隆美に伝わり、洋貴の思いは文哉に伝わらなかった(?)。

 このきわめて重たい問題提起に満ち満ちたドラマも、来週がようやく最終回。 早く解放させてください(笑)。 レビュー、死にます(爆)。 ほかの記事がなかなかできないっ。
 (視聴率が悪いせいか、時間延長はない模様です。)

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2011年9月 8日 (木)

「江~姫たちの戦国~」 第34回 崩壊後にさらに崩壊を続けるドラマ

 三成が蟄居状態から家康の上杉討伐に乗じて反旗を翻す、という状況設定であった、今回の「江」。
 その背景のもとに秀忠は家康に命じられ、戦場に駆り出される、ということが、今回の話の、メインだったのですが、前回に引き続き、どうにもこうにも、見ていて、…眠くて…(グウグウ…笑)。

 その眠気をかろうじて救ってくれたのが、秀忠が 「実は私も戦がキライだ」 と、江に急に弱音を吐き始めた部分(笑)。
 あんなにエエカッコシイだったのに、いざ戦場に駆り出されるという段になって、「ホントは怖いのボクちゃん」 ですからね。 すごい話だ。 目が覚めました(爆)。

 要するにこの秀忠の態度って、文句ばっかりイッチョマエで実はたいしたことが出来ないじゃないのあんたらって、行動に移せないじゃないのあんたらってwwwwwww、という、ネット依存ヒッキー(ひきこもり)に向けた、田渕女史の凄いネガティヴメッセージなのではないか…というスゲー穿った見方をしてしまったんですが、まあ感想には大変な個人差があります。 ご了承頂きたい。

 ともあれ、ここでめでたく、江と秀忠の思想的な価値観が固く結ばれた(うおっ…)。
 戦国時代に実を結んだ、なんとも奇妙な共感関係であります。

 「もともと戦が好きではない」 という思想の出発点から、作り手は秀忠のニヒリズムを解析しようとしている。 その戦を利用してのし上がっていく父親の姿が、だからこそ疎ましい。 だから何も考えないようにした。 なんか碇シンジを見てるようだなあ。

 そんな夫に江は百万の味方を得たような心持ちになり、「今から家康のところへ行って総大将なんかとんでもない、夫は戦には参りませんとお断りしてきます」 とその場を離れようとします。
 実に出過ぎたマネだ。
 そんなこと許されると思ってるんでしょうか?

 「戦をやめてどうする?」 と訊いてくる秀忠。
 江は 「百姓にでもなったらいい」 ときっぱり断言する(うおっ…×2)。

 ここでインサートされる、百姓姿の江と秀忠。
 笑いました、ここ。
 似合ってるでねが(爆)。

 秀忠はそのあまりの荒唐無稽さに、江と話をすること自体がバカバカしくなり、冷静さを取り戻す。

 はぁぁ…。

 コレ、マジメにやってるかたがたが、とてもかわいそうでした(シミジミ)。

 浅薄な論理による戦争反対を唱えるのは別にかまいませんけど、コミカルなシーンを入れてしまうと、余計に滑稽になってしまいます。

 で。

 江の百姓生活プランを忌避した(笑)秀忠は結局出陣することになるのですが、そのときの江との会話も、もう突っ込みたくはないけど突っ込まなければならないことだらけで。

 なんか火事の際にどこに行ったのか不明だった信長の、割れた天下布武の印を、「お守りだ」 と言って江は秀忠に差し出すのですが、もうここまで書いて2、3か所突っ込みどころがある(爆)。
 1、火事のときに秀忠が命がけで取り戻した品のなかにこの印はなかった、まあ江が肌身離さず持っていた、ということでこれは不問といたします
 2、「お守り」 にしちゃ、割れたものなんて縁起が悪くないか
 3、信長に対して必ずしもいい印象を持っていないはずであろう秀忠に、その信長のものをやろうというのか

 3、に関しては、作り手は秀忠を、「実は自分も信長に心酔していたんだ、あ~はっは」 という禁じ手を使って、ますます江と秀忠の絆は深まりました、チャンチャン、という…。

 …もうこれらに関して突っ込むのはやめといたしまして(笑)、今回のエピソードに出てきた、細川ガラシャの最期に関しても、どうも見ていて、のめり込めない。

 上っ面でアンリアルな状況だけを羅列しているから、事態の推移に感情が、スッと入っていかないんですよ。 感情移入感情移入って、もう言い飽きました。 いきなり出てきた、でっかい十字架のある集会所みたいなところは何?とか。 あんなに大っぴらに十字架とか見せびらかしていいの?とか。 枝葉末節が気になって、感動の邪魔を果てしなくさせる構造。

 そして極めつけは、この上杉への戦を、家康が息子秀忠を鍛えるために仕掛けた、という位置付けに落とし込んでしまったところ。

 ん~、まあ、ねえ…。

 話はとっくに崩壊している気が私にはするのですが、崩壊後にますます手のつけられない状態になっていく混沌、というものを、とても今回は感じました。 逆に言えば、すごいものを見せてもらっている気がするのです。 崩壊したあとにさらに崩壊を続けるドラマ。 我々は、歴史的な瞬間に立ち会っているのかもしれない。

 ただしそれって、話が静かな序盤の時点では、退屈でしかたがない、という副作用も潜んでいるのですが。

 ここまで書いていいんでしょうか。
 気分を害されたかたには、心よりお詫びを申し上げます。 ゴメンナサイ!

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2011年9月 7日 (水)

「ザ・ヒットメーカー~アイドル伝説 作詞家 千家和也」 ここではないどこか

 NHKBSプレミアムで放送された、「ザ・ヒットメーカー」。 千家和也サンが取り上げられました。 案内役は渡邊あゆみサン、ゲストコメンテーターに鳥越俊太郎サン。 千家サンもスタジオに招かれました。

 私にとって千家サンは、なんと言っても山口百恵チャンの歌手活動前期の作詞家サン。 その話はのちほどじっくりとすることにいたします。

 最近のJ-POPからは失われつつある叙情性ですが、千家サンの作る歌詞は、その対極にあると言っていい。 番組では麻丘めぐみサンが 「私小説」 と表現されていましたが、まさしく千家サンの作るヒット曲の歌詞の特徴を言い得ている気がいたしました。

 その 「私小説」 の源流に位置していると思われるのが、千家サンが作詞家を志したきっかけとなった曲、菅原洋一サンの 「今日でお別れ」。
 この曲の作詞をしているなかにし礼サンに果敢に自分の詞を持ちこみ、千家サンはデビューを果たしたと言います。

 この 「今日でお別れ」 の歌詞で千家サンが心を打たれたのが、特に2番の歌詞だったらしい。
 「最後の煙草に火をつけましょう 曲ったネクタイ直させてね」。
 感情だけを歌っている1番に比べて、別れの情景が目に浮かんでくる構造です。

 千家サンの作る歌詞にも、なかにしサンの 「情景写実」 の手法は色濃く影響がなされている。

 たとえば奥村チヨサンの 「終着駅」。
 千家サンの作詞方法は曲が先というパターンらしいのですが、はじめ浜圭介サンの作った傑作メロディを聞いたとき、千家サンは終着駅を歩いていく女の肩に、落ち葉が舞い散るという情景を連想したそうです。

 この曲は当時の歌謡曲が到達した最も深遠なる傑作だと私は考えているのですが、曲もすごければ歌詞もすごい。
 「落ち葉の舞い散る停車場は悲しい女の吹きだまり だから今日もひとり 明日もひとり 涙を捨てに来る」 という歌詞は、実は歌い手本人の心情を歌っているものではありません。
 この歌の主人公は、とても客観的にこの場面を俯瞰している。
 けれどもリフレインの歌詞で、一気にそれは自ら内省的な後悔の内容を帯びてくる。

 「一度離したら 二度とつかめない 愛という名の温かい心の鍵は」

 これも一般論を歌っているようでいながら、愛を 「温かい心の鍵」 と表現することで一転、かろうじて歌い手の心の寒さを描写するのです。 ここだけなんですよ、この歌のなかで歌い手の心が描写されているのは。
 けれどもこのワンフレーズだけで、歌詞全体が自分のことを歌っている、という別ステージへと、この歌は転回するのです。 「よく似た悲しい女」 というのは、実は自分なのだ、というような。

 今回の番組を見ていて私が感じたのは、いま述べたような、千家サンの作る歌詞が持つ 「別ステージへの跳躍」、という特徴でした。

 「終着駅」 をはじめとして、千家サンの作る歌詞には、「駅」 とか 「バス停」 とかが頻出する気がする(まあ全体の割合から見ればさほどではないですが)。
 麻生よう子サンの 「逃避行」、平浩二サンの 「バス・ストップ」。
 百恵チャンの 「ささやかな欲望」 も、バスに乗って去っていく女性が主人公です。

 それは作り手つまり千家サンが、「ここではないどこか」 に辿り着きたがっている象徴のような気がする。
 麻丘めぐみサンの 「私の彼は左きき」 という歌も、キャンディーズの 「年下の男の子」 も、既存のカレシのイメージから逸脱しようという気概が見られます。
 番組内で鳥越俊太郎サンが千家サンに 「どうしてそういう思いもつかないイメージチェンジに到達したのか、いきさつを知りたい」 という内容の疑問をぶつけ、千家サンも 「書けてしまったんだから」 と言い澱んでいたときに、案内役の渡邊あゆみサンがいみじくもその本質をずばりと解明されていました。
 「どれも今までにはないパターンだった」 と。

 ここらへんのやりとりは、テレビ番組の刺激的な部分を堪能したのですが、とにかく左利きというのも社会的にはマイノリティだし(かく言う私も左利きですが)、「年下の男の子」 も、当時としては女性は年上と付き合うもの、みたいな縛りが結構あった気がします。 「姉さん女房」 なんて、ちょっと侮蔑が入り混じっていた印象がある。 千家サンの発想は、その逆を行っている。

 まあ 「みんなが考えないようなところを考える」 のがこういうお仕事だとは思うんですが(笑)、そんな部分を究極まで押し広げたのが、千家サンにとっての 「山口百恵」 という実験場だった気がするのです。

 千家サンが百恵チャンと最初に出会ったのは、デビュー前。

 「『こういう子がいるから見てくれ』 って言うんで。
 僕は基本的に相手のかたとは会って、この子はどういう子か、あるいはどういう人なのかを見てからでないと書かないんですよ。
 でそのときに行きましたらば、スタジオの隅に、セーラー服着て、カバン持った女の子が、ちょこんと座ってたんですよね。
 山口百恵さんも僕のこと知らないし、僕も知りませんから、『あ、これは関係者のお子さんかなんかがスタジオ見学かなんかで待ってるんだろうな』 って思った。
 そしたら、約束の時間遅れて、プロダクションとか、製作者の人たちがバタバタと入ってきて、『千家さんゴメンナサイゴメンナサイ、遅れました、あ、この子なんです、いい子でしょう』 って言うから、お互いに、『あ、どうも』。
 それまでずっと10何分間いたわけですけど」

 そんなオーラも全くなさそうな女の子を、千家サンは 「とってもいい子」 だと感じ、そのイメージのまま、デビュー曲の 「としごろ」 は作られたそうです。

 「ですからデビュー曲というのは彼女そのものを書いた歌だったんです」。

 「としごろ」 はその後の百恵チャンの路線を考えるとまったく別物の、恋に恋する純粋な、はち切れそうな若さ爆発、といった趣の曲なんですが、実際レコードジャケットの彼女も、顔がパンパンで(爆)。
 ただ今回、ずいぶん久しぶりに、あらためてこのシングルのジャケット写真を見たのですが、彼女が右手を添えているのが、ミニスカートから見えるむき出しの膝小僧なんですよ。 今まであんまり注目したことがなかったけど。
 つまりただ健康的、じゃなくって、健康的なお色気、を目指していた次回作以降の路線変更の萌芽を、ちょっと感じたんです(ツマラン分析だ)。

 ともあれこの曲はその後の、その路線変更により、彼女にとって極めて特殊な曲になった気がしています。
 基本的に山口百恵という人は、マイナー(短調)の曲を歌う人、というイメージが強いのですが、このデビュー曲 「としごろ」 はメジャー(長調)。 その後メジャーの明るい曲調の曲が彼女のシングルとして登場するのは、「夢先案内人」 を待たねばなりません。 つまりデビューの次から2年もの間マイナーのシングル曲を、我々は聞かされ続けていたわけです。

 「(「としごろ」)これは曲が先だったと思いますね。
 僕のなかで初恋の女の子がいて、その子が描く世界はこんなんじゃないかと思って、書いたものを山口百恵サンと合わせてみた」

 そんなデビュー曲は、正直なところまったく売れず。
 私は 「スター誕生」 を見てましたので、彼女がデビュー時ミニスカートで客席からこの曲を歌うところも見ていました。 その後も頻繁にデビュー曲を歌う場面を見ていた記憶があります。
 だからあんまりこの曲が売れなかった、という印象がない。

 けれどもチャート的には伸びなかったらしいので、レコード会社側としては2曲目で早くも路線変更。
 「青い果実」 です。

 番組ではお決まりのスポニチ映像が登場しました。
 そこに出てくる百恵チャン。
 千家サンの言っていたと思われる?セーラー服姿で、笑顔を振りまいています。

 今回この映像を見ていたら、な~んか誰かに似てるなあ、と思われてなりませんでした。
 誰かと思ったら、笑い顔が武井咲(えみ)チャンによく似てる。 咲チャン来年の大河ドラマにお出になるらしいですけど。
 それはさておき、この曲の歌詞をあらためて番組では検証していきます。

 「あなたが望むなら私何をされてもいいわ いけない娘だと噂されてもいい」

 鳥越サンは 「今だって、自分の娘がこんなこと言ったらバカヤローって言いますよ」 と反応していましたが(笑)、正直この曲は我々の世代にとっては、百恵チャンの最初のヒット曲、というアイコンでイメージが固定化していて当たり前みたいに感じていたのですが、ここでこうしてあらためて詞だけを吟味すると、「今のJ-POPでもここまであからさまなことは歌わないんじゃないか」 という気さえします。 まるで娼婦宣言みたいにも聞こえる。

 ここで渡邊あゆみサンが百恵チャンの引退前の著書 「蒼い時」 を朗読、この曲を始めてもらったときの百恵チャン自身の衝撃をあらためて紹介していましたが、この曲をあらためて考察すると、詞のドロドロさとは逆に、全体的に曲調がとても明るいことに気付きます。
 この曲が出来たいきさつを、千家サンは番組でこう語っていました。

 「あの当時中3トリオっていうのがいて、桜田淳子さん、可愛いですよね、で、歌の上手な森昌子さんがいて、でもうひとり、歌はそんなに上手でもないし、…百恵さんもしかして聞いてたら怒るだろうけど、可愛さも比べたらちょっと劣ってしまう女の子がいて、なおかつ 『としごろ』 は、その当時ヒットしなかったんですよね。 で悔しいわけですよ。

 これ(「青い果実」)も曲先なんですけどもね、曲聴いたら明るいんですよコレ。

 あの、ロシアのコサックみたいなもんです、ターンタ・ターンタ・タタタタタッ、タタタ・タタタ・タタタタタタタ、ヘイ!(笑)なんて、そういうメロディなんですよね。
 だから、その、都倉(俊一)さんのピアノ終わって譜面見てたら、こういう詞が、それこそ万年筆から出てきちゃったんですよ。 だから意図してどうだとか、この歳の女の子にこういう歌を歌わしていいかどうかっていうの、まったく考えてませんでした」

 この曲がロシア民謡みたいだという千家サンの視点は今回目からウロコだったんですが(なるほどそうだよなー)、曲の明るさに引きずられて、センセーショナルな歌詞がポンと出てしまった、という調子良さみたいなものが、この曲のイメージをいやらしいものから救っている。
 これは 「ひと夏の経験」 の 「あなたに女の子のいちばん大切なものをあげるわ」 という衝撃的な歌詞にしても同じ。
 これを歌っている百恵チャンを番組では、よく見かける紅白歌合戦バージョンであらためて流していましたが、そこでの百恵チャンは、まずこのAパートではシリアスな顔をしながら歌い、「愛する人に捧げるため守ってきたのよ」 というBパートでは一転して微笑みながら歌う。 そしてサビの 「誰でも一度だけ経験するのよ」 の部分ではその微笑みの度合いを潜ませながらも、振付を加えてくる。
 この3段階の演出効果、というものを百恵チャン自身が考案したのかどうかは分からないのですが、こうすることで歌詞の内容についての下卑た批評を封じ込める効果が得られている気がするのです。

 鳥越サンはこのVTRを見て 「ベタベタ歌ってなくて、わりと正統派に、普通にきちっと歌っている。 だからあんまりいやらしく聞こえてこない」 と評し、千家サンは 「明るく歌えるんだよね。 これを思いを込めて歌われたら困りますよね」 と感想を述べている。

 そして番組で取り上げた百恵チャンの次の曲は、「冬の色」。

 この曲はねー。
 私の中では1、2を争う曲ですね。 シングル曲と言えば。
 それはたぶん刷り込みのせいでもあるんですけどね。
 当時 「おはよう!こどもショー」 だったと思うんですが、確かウィークデーじゃなかったと記憶してますけど、歌手の人がゲストで出る曜日があったんですよ。 そこに出てきた百恵チャンが 「『冬の色』 がいちばん好きな歌」 ということをしゃべってたんです。 「そうか、百恵チャンは 『冬の色』 がいちばん好きなのか、じゃあ自分もおんなじだ」 というガキの思い込みといーますか(笑)、それ以来特別な曲ですね、自分にとっても。

 というより、やはりそれまでのいたずらに刺激的な路線とは違って、彼女の生真面目さが投影されたような歌詞がやはりいいんですよ。

 「おんなじ路線って、『ひと夏の経験』 で、『(もう)いいわ』 っていう、気持ちの中ではありまして。

 僕好きですよ、自分でも。 百恵サンも、(曲を)渡したときに、『早く歌いたい、早く歌いたい』 って言われたことを覚えてます」

 「冬の色」 を歌っている百恵チャンのVってなくて、私も当時の映像って、当時以来見た記憶がない気がするのですが、この曲が流れているのを聞きながら、千家サンが述べた感想。

 「うまいなあと思いますね。 歌い方が変わってますよね、それまでより。 それまでは音を、歌ってたんですよね、『あなた』 でも 『あ』 っていう音と 『な』 っていう音と 『た』 っていう音、それは、『あなたから許された』…『あなた』 っていう歌い方が出来ている。 好きだからこう歌えるんでしょうね」

 この番組の山口百恵パートの最初に出てきたVTRは、「夏ひらく青春」 だったのですが、それは 「ひと夏の経験」 のおそらく1年後の、紅白歌合戦の映像。 1年前と比べて、格段に大人になった印象です。 メイクが 「白い約束」 のころだよなあ、と思いながら見てました(かなりマニアックな見方…笑)。
 そのバックでは紅組のメンバーたちがスクラムを組んで百恵チャンを応援していたのですが、そのなかのひとりに、キャンディーズのスーちゃんがいました。 「夏ひらく青春」 をそらでちゃんと歌えていたみたい。 当時はヒット曲をみんなで歌えた、いい時代だった気がします。 それでも多忙なキャンディーズも、百恵チャンの曲をちゃんとチェックして歌えていた、というのは、ちょっと驚きのような気もします。

 そんなキャンディーズにも、千家サンは曲を提供していたのですが、それは彼女たちのブレイクするきっかけとなった曲、「年下の男の子」。
 実はその前の曲、「なみだの季節」 から千家サンはキャンディーズのシングル曲に携わっていたのですが、そっちのほうの言及は番組ではなし。 とーぜんか、売れませんでしたからねえ(笑)。

 でも番組で取り上げられなかった 「なみだの季節」 は当時、自分的にはとても好きな曲で(売れようが売れまいが、ガキどもは 「全員集合」 で彼女たちのシングル曲は全部覚えてましたからね)。
 結局スーちゃんセンターのシングル曲の、いちばん最後の曲となってしまったのですが、この曲もそれまでのキャンディーズのシングル曲にはなかった、マイナー調の曲でした。
 つまりキャンディーズの新たな方向性を、この曲は模索している、そんな気概が感じられるのです。
 これから書くことは、おそらく千家サンは 「なみだの季節」 のころの話も混じってると思うのですが、番組的には 「年下の男の子」 誕生秘話のほうが見てくれがいいから、そんな感じで番組で流れてました。

 「人気はあるんだそこそこ。 かわいいんだ。 だけど歌が売れないんでなんとかしてくれ(と言われて)。
 年下っていうと17とかですよね。
 (この曲では)『あいつ』 っていうのがキャッチになったと思うんですよね。
 『あの子はあの子はかわいい年下の男の子』 っていうんだったらたいしたことなかったと思うんですよ。
 この曲も時間がかからなかったと思いますね。 この子たちそのものを書けばいいんだと思ってましたからね。
 しかも3人ですから、『あいつ』 って歌わせても、むしろ抵抗がなくなっちゃうんじゃないかと思う。 ひとりの女の子がこれ歌って 『あいつはあいつは』 って言ったらば、キツすぎるんじゃないかなって思うんですよね」

 鳥越サンは千家サンの歌詞の特徴を、「時代に楯突いて、斜に構えている」 と表現していましたが、私はやはり、「普通の視点で物事を見ていてはダメだ、そこから次のステップにあがらないと」、という気概を感じましたね。 それが先に述べた 「駅」 とか 「バス停」 のイメージと重なるようなところがある。

 番組ではこの後、千家サンの書いたヒット曲を次から次から流していったのですが、西川峰子サンの 「あなたにあげる」 を聞いていて、「これって 『ひと夏の経験』 をそのまま演歌バージョンにしてるな」 っていまさらながら気づきました(笑)。
 「逃避行」 を歌う麻生よう子サンを見て、田中美佐子サンを初めてテレビで見たときに、「誰かに似てるなー」 と感じた長年のモヤモヤが解消しました(爆)。 似てるんですよ、このふたり(どーでもいい話だなあ)。
 殿様キングスの 「なみだの操」 は、千家サンの書いた歌のなかでも最大級のヒットだったらしいのですが、「パチンコ屋や、都会の雑踏の中で流れているようなイメージ」 で歌ってくれと言われた、という宮路オサムサンの話は、興味深かったなー。 まさにそんな感覚ですよね、この歌。 西のぴんからトリオの 「女のみち」 に対抗して東の 「なみだの操」、という位置づけも、すごくよく分かる話で。 当時はこんな女唄を男が歌う、という、もうバタ臭いの極致みたいな歌が多かったですよね。 今はないよなあ。 「全員集合」 で加トチャンが、「わ~た~し~んがあああ~ささ~あ~げ~ったあ~」 って歌って自転車こいでましたよね、牛乳ビン底メガネで警官姿で。 オヤジの典型的なイメージたったんですが(爆)。 「昭和枯れすすき」 なんてのもありましたよねえ(これは千家サンのではありませんが)。 「貧しさに負けた~このまま死のうか~」 なんて、今じゃ自殺推進の歌として放送禁止ですよ、このインパクト。 時代にパワーがあったよなあ。

 私もカラオケで、ダミ声でこれらの歌を歌いたくなってきました(爆)。

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2011年9月 4日 (日)

「仮面ライダーフォーゼ」 ブッ飛びまくり…(笑)

 自分でも見るテレビの幅の広さに卒倒しそうになってしまいますが、「平成仮面ライダー」 の新シリーズについてであります。

 最初にこの新ライダーの変身フォームを見たときの失望といったらなかったんですが(爆)。
 トンガリ頭っていうのがヒーロー的にまずあり得ない(笑)。
 あれはロケットを模したものなんでしょうね。
 でも却ってそこから、カッコイイ、という概念を根底から覆そうとしている作り手の気構え、というのも垣間見えるのです。

 振り返ってみれば自分が物心ついたときから見ているヒーローものって、「カッコイイ」 というのは基本だったのですが、今にして考えれば、「ジャイアントロボ」 も 「ウルトラマン」 も 「マグマ大使」 も 「マジンガーZ」 も 「仮面ライダー」 さえも、カッコイイという概念から遠く離れている気がする。

 本当に自分が 「このキャラはカッコイイなあ」 と思ったのは、ウルトラマンシリーズではウルトラマンタロウが最初だったし、仮面ライダーではアマゾンが最初だった。
 ロボットものでも 「ゲッターロボ」 は合体ものとして刺激的でしたけど、フォルムとしてはイマイチな感じがしたし、マジンガーZの発展形であるグレートマジンガーも、マジンガーZが少々カッコよくなった程度、という印象でしかなかった。 フォルムがイカしてる(イカとはカンケーありません)と思った最初は、「ライディーン」(昭和51、2年ごろのもの)でしたね。

 ただフォルムがカッコイイシリーズものって、たいていは話がグダグダで(笑)。 つまんないんですよ話が。

 おっとオッサンの昔話は止まりません(笑)。

 今回のフォーゼですが、まあメタモルフォーゼのフォーゼと、仮面ライダー40年のフォーゼロとを兼ねたネーミングなんでしょうが、話の設定が学園モノ、ということもブッ飛びます。
 この学園の制服が、またブッ飛んでいて(笑)、街なかでこれを着てたら絶対コスプレとカンチガイされるよーなチープな作り(爆)。
 そして主人公がジョジョの奇妙な冒険にでも出てきそーなリーゼント頭のトッポイにーちゃん(ああ…笑)。
 そのにーちゃんがただひとり学ランなのですが、その学ラン、上着の丈がヤケに短い(なんなんだ…笑)。
 彼がこの学園に転向するなり、学園全員と友達になる!というでっかい目標を掲げている(はっはっは…)。
 けれども最初に出会ったやつがチョーいけ好かなくて、そしたらそいつが、悪と戦うトランスフォーマー(頭がクラクラしてきた…笑)。
 トランスフォーマーのほうが絶対に仮面ライダーより強そーなのですが(爆)、どうもそのトランスフォーマー野郎が隠し持っている変身ベルトが、「仮面ライダーフォーゼ」 になる変身ベルトらしい。
 それをとっぽいにーちゃんが奪い取って仮面ライダーに変身する、というわけですが、この仮面ライダー、変身する当事者の精神的な葛藤、というものが、基本的に欠如しています(笑)。 「エヴァ」 並みに悩んだりしない。
 今回もかなりいー加減なのには変わりないのですが、その演出がかなりイケイケドンドンに意図的になっているような感じ。 お祭りだ~お祭りだ~、みたいな(笑)。

 で、ベルトにはいろんなボタンが付いていて、それが今回はかなりゴテゴテしている印象。
 戦闘のときにスッゲー邪魔な感覚なのですが(笑)、そのボタンを押すと、さっきのトランスフォーマー的な感覚で、いろんな武器がどこからか現れて(お約束といーますか)とっぽいにーちゃんはのっけからそれを使ってトランス状態(だからトランスフォーマーか…違うって)。

 なにしろ見ていてあまり頭を使わなくていいし、爽快感がある。
 で結局、ライダーのトンガリ頭のカッコ悪さが、いつの間にか埋没しちゃってる、…という感覚ですか(すごい問題解消の方法…笑)。

 このお軽い話の疾走感が停滞すると、途端にフォルムのカッコ悪さも登場人物のあまりのありえなさぶりにも辟易してくると思うのですが、初回を見る限りでは 「あり得ねー」 と言いながら失笑の連続、いや~、笑わせていただきました、という感じです。
 しかしこれ、1年間も続けるんでしょうかね、このノリで(だいぶ不安…)。

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「江~姫たちの戦国~」 第33回 素材の面白さを殺すもの

 「秀吉亡きあと」 という話って、基本的に面白い。
 徳川家康があからさまな政治の主導権を握り始め、それを石田三成はこころよく思わず、さらに豊臣の内部でも、淀君が勢力を得ていく。

 このドラマはそんな題材を取り扱っているために、今回の話でもある程度の面白さというものは演出出来ている気がします。
 ただ個人的なことを白状してしまいますと、今回のドラマも、途中で寝てしまいました。

 この面白い題材を作り手がどのような手法で、こっちが寝てしまうような話にしてしまうのか、ちょっと考えてみたんですが、まず家康に、憎々しさというものがない。
 このドラマにはおよそ悪い人は登場しないのですが、あえていちばん悪い人間を探すとすれは、それは江(爆)。
 家康に憎々しさが欠けているから、見ていてなんか、物足りない。

 それは石田三成にしても同様で、彼は今回諸大名から突き上げを食らって徳川方へ逃げ込むのですが、どうして彼がそれほどまでに突き上げを食らうのかが伝わってこない。
 なぜならやはり、三成をいい人として描いちゃってるから。

 作り手の今回における真の興味というものは、「どうして三成は徳川方に助けを求めたのか」、という一点に絞られている気がいたしますが(途中で寝てる癖によく言うよ)、その話に収束させる、見る側の興味を喚起する題材というものが、これまた決定的に不足している。

 話の屋台骨がぐらぐらだから、見ていてのめり込めず、結果私は寝てしまうのでありました。
 こっちは仕事で疲れ切ってんだから、もうちょっと飽きさせない作りであってほしいのですが(勝手ないーぶん)。

 そしてますます見る気が削がれるのが、相変わらずの江と乳母。
 「とんだご無礼」 はもう、なんか、なんですが(なんなんだ)、「歯に衣着せぬ」 江がおおばサマ(加賀まりこサン)と丁々発止のやりあいをしながら、ある程度の理解もしていく、という話には、ちょっと見た時点でもう、なんかもういーや、という感覚。

 そこで江に対して厳格であらねばならないおおばサマの描き方、というものにも大いに不満。
 ただ単に理不尽な物言いをするババア、という描き方(どうも気乗りがしないと体言止めの文章が頻発する)。
 おそらくこれも本心があとで分かってくる、という構造なんでしょうが、最初に感情移入させない極端な描き方をしておいてあとでそれを逆転させる、という手法、ことこのドラマに関しては、もう見飽きました。

 さらにこのドラマが面白い素材をぶち壊していると考えられる部分は、淀がおねに対して、あくまでいい人である、という設定。
 実際は確かにどうだったか分からないですよ。
 でも淀が権勢をふるって傲慢になっていく、という 「お話」 は、見る側を強く引き付ける、昔からの 「お約束」 なのです。
 だから伏見を離れるおねに向かって淀が限りない惜別の意を表する、というのも、見ていてとても浅いなあ、と感じてしまうのです。 ほんとだったら、そんな無責任に 「豊臣は秀吉で終わり」 みたいな割り切りかたをするおねに対して、淀も何かあってしかるべきなのに、それをしようともしないために、ドラマへの吸引力がわざわざ低下されていく。

 いきなり出てきてやっぱりあっという間に死んでしまう前田利家にも 「えっもう?」 みたいでしたけど(笑)。 まあもういいですけど。

 いっぽうでやたらと重たすぎるドラマ(「それでも、生きてゆく」)を見ているために、「江」 では気楽に笑わせてほしいのですが、今回は中途半端に話が錯綜していたために、結果おねむタイムとなってしまいました。 残念です。

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「それでも、生きてゆく」 第9回 殺人者の幼稚性

おことわり 毎度毎度で申し訳ありませんが、この記事も、初出時より若干の加筆訂正を行ないました。



 文哉(風間俊介クン)を木製の椅子で殴打し、悲しみにのたうちまわる響子(大竹しのぶサン)のもとに、やっと駆けつけた由佳(村川絵梨サン)。

 「(この子があの)文哉なの…!
 三崎文哉なのっ…!」
 叫ぶ響子。

 「ねえ電話して、耕平(田中圭サン)…洋貴洋貴洋貴(瑛太クン)洋貴に電話してっ!」

 この場面、一瞬響子は由佳のダンナである耕平に連絡するよう思いつくのですが、文哉に対して自分とかなり感情がリンクしている兄の洋貴のほうに知らせたほうがいいと思い直し、慌てて何度も洋貴の名前を叫んだのだ、と思います。

 慌てる由佳。
 「はい…け、警察は…」

 「先に洋貴に電話してっ!」

 文哉がよろよろと立ちあがる。
 文哉にすがりつく響子。

 「ねえ、ねえ…教えてっ、教えて、ねえ。 ねえ。 どうして亜季だったの? ねえどうしてっ! どうして亜季だったのっ!!」

 響子を振りのける文哉。 尻もちをつく響子。

 「…たまたま、道で会ったから…」

 怒ったような、悔しいような、憐れむような、そんな表情で文哉を睨みつける響子。

 「別に誰でも(よかった)」

 頭を押さえたまま、その場から逃げる文哉。

 入口付近で、脱力したように、へたり込んだまま、声だけは振り絞る、響子。

 「逃げないで。
 逃げないでええっ!
 逃げないでええーーっ!!」

 そして。

 「ふたりだけででどこか誰も知らないところへ行きたい」 と口にした洋貴に、双葉(満島ひかりチャン)はこう反応します。

 「はい」。

 その 「はい」 というのは、額面通りの 「じゃあいっしょに行きましょう」 というものではない。
 以前にカラオケボックスで洋貴が 「この話はもうおしまい、シャンシャン」 という意味合いで放った 「はい」 と、同ベクトルの 「はい」 だと思われるのです。
 双葉は 「『死にたい』 なんて言ってごめんなさい」 と洋貴に謝ります。
 そこに(たぶん)由佳からかかってきた電話。 洋貴は双葉を乗せたまま、釣り船屋に急行することになる。
 ワンボックスのダッシュボードに刃物が入っているのを発見する双葉ですが、それは洋貴によって、勢いよく閉められます。

 洋貴のなかにある、双葉が触れることが出来ない、かなしい殺意。

 ついこないだ、このドラマが放送されているこの時期に、現実にも似たような事件が発生しました。

 犯人は少年時代に少女を金槌で殴るという事件を起こしており、おそらく彼にもこのドラマの三崎文哉と同じような更生教育が行なわれたんでしょう(処遇勧告とか、よく分かんないんですが)。 その甲斐なく、成人してからも殺人の欲望を押さえられなかった。
 その犯人の若者(23)の言い分もこう。

 「大勢の人を焼き殺そうと思った。 誰でもよかった。 死刑になりたかった」。

 そしてそのニュースに対するネットでの反応は、こうです。

 「フザケンナ」
 「一生刑務所に入ってろ」
 「いや、死刑にしろよ、俺らの税金使わせるなんてもったいない」
 「こいつはもう治んないよ、一生」
 「刑務所から出したら絶対またやる」

 ――。

 このドラマはいろんなケースによって起こる様々な問題点(少年法とか更生とか)をすべて解決できるものではないかもしれません。
 ただ、だからと言ってこのドラマが無意味であるなんてことは、あり得ない。
 先にあげたネットでの感想は、それはその人たちなりに辿り着いた結論ではあるのでしょうが、このドラマはもっと、さまざまな角度から物事というものはとらえるべきなのだ、という問題意識にあふれています。

 今回さらに浮き彫りになったのは、文哉という人間の、自己本位な性格です。

 被害者家族の怒りから逃げた文哉。
 その行動パターン中心に、ちょっと振り返ってみます。

 深見の釣り船屋から逃げた文哉が次にやってきたのは、遠山(三崎)家。
 隆美(風吹ジュンサン)と灯里(福田麻由子チャン)は当然驚きます。

 事件を起こして逃げ回っている文哉が、今まで忌避してきた実家に戻ってくることなど、普通に考えたらあり得ない。
 けれどもそれは、文哉が予想以上に自分の逃げ場というものがない、ひとつの証拠と言っていい気がします。

 彼は、自分と共通の痛みを抱えていると信じ込んでいる、双葉を自分側に取り戻そうとして遠山家に来ている。
 そこには彼が、遠山家が加害者家族としてどのような人生をその後送らなければならなかったのか、という視点が完全に抜けている。
 だからこそ、無防備にふらふらと、やってきてしまう部分もある。

 文哉は隆美に対して、自分の母親、という感情をそもそも抱いていません。
 「ただいま」 と言って入っては来るものの、とても他人行儀です。
 そしてちゃんとした面識がなかった灯里を見るなり、逃げようとする。
 隆美に 「あなたの妹」 と紹介されて文哉は上がってくるのですが、スリッパを履こうとしない。
 それは他人行儀に構えていた文哉の、示威的な行動のように思えます。
 普通他人行儀に構えていたら、スリッパも履くもんでしょう。
 逆なんですよ。
 「ここはオレんち」 みたいなことを、わざと面識のなかった妹に誇示しようとする。
 文哉の幼い、そして分裂気味の性格がここで表現されている気がしました。

 文哉はここで、隆美と灯里をこの家のなかに閉じ込めようとする意志表示をする。
 つまり人質要員、みたいな感じもするのですが、その後の展開を見ていると、駿輔(時任三郎サン)は結構すんなりと家のなかに入ってきてたし、人質取って立てこもって、みたいな計画性、というのもとてもいい加減であいまい。

 「警察はエラそうだし、捕まりたくないんです」 と話す文哉。
 感覚的には、他人の母親と他人の妹を軟禁状態、ということですかね。

 深見の釣り堀に戻ってきて響子から文哉の話を聞いた洋貴と双葉。
 そのあと洋貴は理科の実験室に置いてあった人体模型の話を、やおら話し出します。

 「昔、亜季が死んだあと、あの人体模型見ながらよく思ったんです。

 心は、どこにあるんだろうって。

 あの模型には、心臓も脳も肺も、腎臓とか肝臓とか全部あるけど、…
 心は、どこにもないじゃないですか。

 オレってこれと同じなのかなって思ってました。

 文哉もそうかもしれない。
 心がないのかもしれない。

 したら話なんかできないですよね」

 自分もあの事件で、心を喪った。
 文哉は心を喪っていたからこそ、あんな事件を起こした。

 心がないのに、反省なんて出来ない。
 心がないのに、償いなんて、出来るはずがない。

 でも洋貴は、そんな文哉に、同じ心がない者どうし、共感している。
 この気持ちが、のちに洋貴が文哉を追いかける展開になったとき、洋貴に刃物を持たせなかったんじゃないのかな、と感じます。

 そして。

 洋貴の軽ワンボックスで自宅へ戻ってきた双葉。
 文哉を見るなり、「100番したの?」 と隆美に訊きます。
 つまり妹は、兄に対して心を開いていない。
 文哉はまるで巣の状況を確認しようとするエイリアンの幼虫のようなそぶりであたりを見回し、自分の寝るところを心配します。 そしてこの家のあまりの狭さに、まるで他人事のように呆れるのです。

 「狭い家だよな…なあ。 狭くないか?」

 「そうかな…」 つぶやく双葉。

 「前の家には、お兄ちゃんの部屋も双葉の部屋もあったろ?」

 「しょうがないと思う」

 「父さんちゃんと働いてんのか?」

 まるで親父がだらけているからこんなビンボーしてんじゃないのか?とでも言いたそうな口ぶりに、双葉はちょっといらつきながら、答えます。

 「クリーニングの配達してる。
 汗かいて頑張ってるっ」

 双葉の怒りをかわすように文哉は隆美に 「晩ごはん何?」 と話をはぐらかします。
 灯里に買い物に行かせようとする隆美に、文哉はその子が外でたら裏切るかもしれないからと 「あるもんでいいよ」 と突っぱねる。
 「あなたの妹よ(裏切るわけないじゃない)」 と言う隆美に 「だって僕が少年院に入れられているあいだに生まれた子でしょ?」 と妙な割り切りかたをする文哉に、双葉はとうとうブチ切れます。

 「何言ってんの?

 この15年間、みんなが、どういう思いで…」

 「お兄ちゃんのことずっと恨んでたんだろ?」

 文哉の肩を激しくこぶしでたたく双葉。

 「恨んでなんかいないよっ!
 恨んでいないから!家族恨めないから苦しかったんじゃないっ!!」

 いったん隆美に止められる双葉。 でも収まりません。

 「なんであんなことしたの?

 …私のせいなの…?

 だったら、あたし殺せばいいじゃないっ!!

 もう取り返しがつかないんだよ?!
 分かってんの?!
 お兄ちゃんがやったことはっ!
 お金とか!物とか奪ったことじゃないんだよっ?!

 …命だよ…!

 命奪ったら、もう償えないんだよ?! ねえっ?!

 ねえっ!」

 「命を奪うということは、償いとか反省とかなんか、いくらしても無駄な、取り返しのつかないこと」。
 ここで作り手の真意を垣間見る気がします。

 文哉はテーブルの上に置いてあった、文哉のいない遠山家の家族4人が笑っている写真を見つけ、そのそばにあったハサミを手に取ります。 慌てる周囲。
 おそらく文哉は笑顔の4人に嫉妬し、復讐しようとする感覚なのではないかと考察します。
 文哉は話し出します。

 「死んだ人はいいよ…。

 死んだ人は死んだらそこで終わりだけど。

 殺したほうは。

 殺したほうは生きてかなきゃいけないんだよっ!

 お兄ちゃん!

 お兄ちゃんかわいそうなんだよ!!」

 「(何がカワイソウだよっ!)」 という表情で、やりきれない涙を流す双葉。

 幼稚な警戒心と、状況変化への理解能力不足。
 そしてあくまで自分は悪くない。

 それが私が、文哉に対して感じた大きな精神的特徴です。
 自分があんな事件を起こしたから家族が困窮してるとか考えもしないし、ソフトに自分の家族を縛りつけようとしてるし。 そんなゆるやかな警戒だったらすきを突いて警察に通報とかされるだろ、とか、考えないんですよ。

 さらに彼には 「人間死んだらそれで終わりだ」 と深く信じているような面があります。
 つまり唯物論的な考えが、生きていく哲学の根底にある。
 彼に 「生命は流転する」 という考え方が備わっていたら、もっと生命に対して慈悲の心を持つことが出来る気がする。
 「ご先祖が見ている」 という感覚は、人にとって自己制御の大きな要因となる。
 人は死んだらそこですべて終わり、と考え出したら、そのご先祖の霊だってないことになり、自分という存在はご先祖からも肉親からも切り離された、極めて自分勝手な存在を許されてしまう傾向に陥っていく気は、どうしてもするのです。

 そして文哉を縛り付けている大きな外的心傷は、父親の駿輔が帰って来たときに、さらに明らかにされていきます。

 駿輔は帰ってきた文哉に対し、肩を掴んで 「お帰り」、と万感の思いで口にします。
 「あまり大きくなってない」 とか 「靴はいくつだ?」 とか、2度目の過ちを犯した自分の息子に対して責めることなど一切せず、ただ黙って、 「お帰り」 と言ってやれる家庭であろう、とただひたすら努めている。
 けれども文哉はそんな父親の思いに心を開くことがない。

 「あにがうちにいます」。

 双葉から洋貴に、メールが入ります。
 とって返す洋貴。

 その夜。

 晩ごはんの席。 本当に久しぶりの、遠山(三崎)家全員の食事。
 「自首しよう」 と駿輔が文哉に切り出します。

 「また僕を見棄てるんですか?」

 凍りつく家族。

 彼は出所後、駿輔と偶然会ったことに、気付いていました。 そしてそのとき、父親が自分のことを見て見ぬふりをしていたことに、気付いていたのです。

 「棄てたんだね、
 邪魔だから。
 邪魔だったから」

 いったんはかぶりを振る駿輔ですが、覚悟を決めたようにそれを肯定します。

 「…済まなかった」

 「そうやって母さんのことも見殺しにしたんだ」

 文哉は隆美や灯里に他人行儀な挨拶をして、食卓から去ろうとします。

 「どういうことだ? お父さんが見殺しにしたって?
 お前のお母さんは、ベランダで、洗濯物を取ろうとして」
 たまらず訊く駿輔に、息子はこう反駁します。

 「俺と双葉の目の前で、…母さんは飛び降りたんだ。

 (双葉に向かって)双葉も一緒に見たんだよ。
 双葉は赤ちゃんだったから覚えていないかもしれないけど。

 母さんがこっちを見ながら、夜の闇のなかに、落ちていくのを」

 かつて文哉が紗歩(安藤サクラサン)を置いていく、と言った、「夜のところ」。
 自分の母親が未だにそこにいる、という認識を、彼は持ち続けている。
 警察でも目撃証言でも、それは事故だったと主張する駿輔を、文哉は否定します。

 「あなたに絶望して、僕たちに疲れて、母さんは死んでいったんだ」

 ここで三崎文哉の心の底辺にある闇というものの正体を見る気がするのですが、私が問題にしたいのは、そのトラウマの正体じゃない。
 彼を支配している、被害者妄想というものが問題なのだと感じるのです。
 いくら親の出来が悪くても、年齢を重ねるごとに、「大人には大人の事情というものがあるんだ」「まっすぐな気持ちがくじけてしまうことは、人生生きてりゃあるものなんだ」 という寛容の気持ちが生まれます。
 それを受け入れられない、というのは、つまり自らが幼いまんまなんだ、ということの表れでもある。

 文哉は再び、双葉を自分に取り込もうとする。 「一緒に母さんのところへ行こう」 と。
 双葉はかなりきっぱりと、かぶりを振ります。 自分の兄が見せる幼稚な被害者意識に、本能的に拒絶したのだ、と思うんですよ。

 そこにやってきた洋貴。
 ダッシュボードの刃物を取ることを、このとき洋貴は躊躇するのですが、それはこの時点では判別がつきません。

 家を出てきた文哉と、洋貴はばったりと出会います。
 片手をまるで機械のように、「(やあ)」 というように上げる文哉。 洋貴もつられて、同じ仕草を投げやり気味にしてしまいます。

 「文哉」 駿輔の呼ぶ声が合図のように、文哉はいきなりその場から逃げ出す。
 追う洋貴。
 駿輔も、それを追います。

 果樹園で力仕事をしていたと思われる文哉の基礎体力は、相当なものかと思われます。 釣り船屋の体力とは比べ物にならんはずですが(笑)、洋貴には妹を殺された、という怨恨がエネルギーとなっている。 彼は文哉に、追いつきます。

 しかし追いつかれた文哉はここで、洋貴に立ち向かっていく、という反応を見せるのです。
 どうやら文哉には、追いつめられるとパニック状態になってしまう、というぬぐい去りがたい性癖がある。
 釣り船屋は果樹園の労働者に、負けてしまいます。
 このあいだじゅう、ほとんど言葉は発せられない。
 「心のない者どうし、話し合いなんかできない」 とした洋貴の言葉が、ここで実践された気がする。
 後頭部を壁に打ちつけて、意識をなくしていく洋貴。
 再び逃げおおせた、文哉。
 駿輔に起こされたとき、洋貴はやり場のない怒りを、そのありったけの叫びで表現するしかありません。

 「ああああああーーーーーっ!!!」

 傷の手当てをする双葉と洋貴の間で、また滑稽なやり取りが繰り広げられます。
 氷の入ったビニール袋を頭に押し当てる洋貴、「眉毛がかゆいから掻いて」 と双葉に頼みます(笑)。
 「強弱的には?」
 「強で」(笑)。

 「何か食べたいものないですか?」 と訊く双葉に 「冷凍ミカン、作れないっスか」 と尋ねる洋貴。 「冷凍ミカンは料理じゃないです。 ほぼ素材です」(笑)。 馬鹿にしてんの?みたいな感じで軽く自尊心が傷ついている双葉(笑)。

 刃物を持っていかなかったことを後悔する洋貴。

 「よかったです。
 深見さんに人を殺してほしくないからです。
 深見さんにはそういうの似合わないと思います。
 深見さんにはナイフより冷凍ミカンのほうが合ってる気がします」。

 なにがいいんだよ?オレには冷凍ミカンがお似合いなのかよ?と今度は自分が双葉からバカにされたように感じてしまう洋貴。 声を荒げます。

 「またあんな思いしながら生きてけっていうんですか?」

 「あのときは未成年だったけど、今度は…」

 「責任能力がない!
 そう言って、また裁判されないまま、出てくんだよ。

 亜季のことも、あの家の人たち(草間家)のことも忘れて、平気な顔して、またどっかで暮らしてるんだ。
 そして…またおんなじこと…誰かに…。

 もういいです。
 次は(ナイフを)忘れないようにします」

 「殺しときゃよかった」、というのが、このときの洋貴の偽らざる感情だったと思います。
 それはネット世論にも通じる、純粋な義憤、という側面は、どうしてもある。
 でも洋貴は、後日五月(倉科カナチャン)との語らいのなかで、自分が事件を起こしたわけじゃないのに世間から過剰に批判される加害者家族が、かわいそうだという認識を示しています。
 五月はそんな洋貴たちを、「怒るのが下手な被害者家族」 ととらえ、遠山家の人たちを 「謝るのが下手な加害者家族」 という位置づけをしていましたが、実際のところ、「怒りかたが上手な人なんかいない」 ということでしょうし、「謝りかたが上手な人もいない」 ということなんだと思います。 その点で、ネットで自分の怒りを率直に表現する人たちも、このドラマの作り手は否定していない、そんな気もしてくるのです。

 五月はそんな不器用な深見家と遠山家が、互いに支え合っていると言う。
 「もし本当にあの人(双葉)のことを大事に思っているなら、復讐なんて考えやめたほうがいいと思います。
 あの人のことを、追いつめるだけだと思います」
 五月はここで、洋貴への思いを断ち切っているように見える。

 再び姿をくらました文哉を除いた遠山家では、家族がバラバラになって生きよう、という決断を下し、最後のご飯を食べています。
 それは仕出し?らしき(いやスーパーの弁当だな…笑…コンビニのじゃない)弁当と、隆美の作った味噌汁。
 疲れ果てている遠山家の様子が、これでとてもよく分かる。
 そしてもやしという、いちばん安価な食材で作られた味噌汁に、駿輔は 「うまい…」 と何度も感想を口にします。
 せつなすぎる。
 遠山家は、響子の密告の末に辿り着いたその粗末な家も、引き払うことになるのです。

 その夜逃げの準備中、双葉はテレビに出てきた草間五郎(小野武彦サン)の娘悠里チャンが抱いていたぬいぐるみが、ほころんでいるのを見つけ、ひとり五郎のところに、(おそらく次の日に)再び会いに行く。

 悠里チャンのぬいぐるみを縫う双葉に、悠里チャンはあどけない話ばかりします。
 悠里チャンには、ママ(佐藤江梨子サン)の本当の病状が、理解できてない。
 そのあどけなさに、双葉は泣けてきてしまいます。
 双葉のなかでそのとき、ある決心が、徐々に固まりつつある。

 五郎は文哉に対して復讐したい気持ちはあるが、この孫娘をひとりにするわけにいかないからそれが出来ない、と話す。
 いくら情状酌量の余地があろうとも、人殺しは人殺し。
 「理性的」 な法制度は、被害者の気持ちをけっして救ってはいない。
 このシーンを見ていると、そんなことをふと思うのです。

 双葉はレンタカーを奮発して、深見の釣り船屋に向かいます。
 双葉にとって決して安くはないレンタカーを頼む、という時点で、双葉が後戻りのできない決意を秘めていることがうすうす感じられてくるのですが、彼女は洋貴の乗っていたワンボックスに、冷凍ミカンをしのばせます。 そしてダッシュボードに入っていたナイフを、双葉は持ち出す。

 彼女は洋貴と初めて食事をしたレストランで、確かそのときと同じタンドリーチキンを頼むのですが(うろ覚え)、もうそのメニューの期間は終了している。 そこで彼女が頼んだのは、カラオケボックスで彼女が食べていた、ナポリタン。
 洋貴との思い出のメニューを頼む、ということで、彼女が洋貴と決別する、という覚悟が見てとれます。
 紙ナプキンに、「好きでした」 と記す双葉、まるでユーミンの 「海を見ていた午後」 みたいな古臭さですが(笑)、ちょっとした拍子に、彼女はそのナプキンで、口についたケチャップを拭いてしまう(笑)。 あーあ。 おっちょこちょいな、彼女らしいです。

 そんな彼女に、洋貴はなくなっているナイフに狼狽して電話をかけ続け、留守電に自分の思いを残します。

 「(人体模型の話)、あれから思ったんですけど。

 心は…。

 心って、大好きだった人からもらうものだと思うんです。

 僕は、亜季から心をもらいました。
 父から心をもらいました。
 母から心をもらいました。

 人を好きになると、その人から心をもらえるんですよね。

 それが、…心なんですよね。

 遠山さん。

 あなたからも、もらいました。

 ちゃんとあなたからもらったもの、今僕持ってます。

 だから。

 だからなんて言うか。

 復讐より大事なものがあるんじゃないかって思って。
 今思って。
 だから、

 …今からそっち行きます」

 そっちってどっちなんだ、と思いましたが(笑)、洋貴のこのセリフは、私の胸に染みました。

 「心は、もらうもの」。

 ひとりぼっちで生きていると、その心が、育っていきません。

 いろんな人と混じり合いながら、気持ちというものは形成されていきますが、自分の大切な心というものは、自分が大切に思う人から、もらっていくものなんだ。

 そして洋貴が双葉からもらった心。

 それはニコニコマークが描かれた、冷凍ミカンだったのです。

 双葉は、文哉が残した思いをもとに、因島へと向かいます。
 洋貴がずっと抱えていた、殺意を受け取って。

 あと2回なので、なんとかこのレビューも続けていこうと思いますが、ちょっとマジで精魂が尽き果てます。 この記事も、結構かかりました。 こういう、ほとんどのシーンが意味がある、というドラマは、なかなか省略できないのが難点です。 今回も、クタクタです。

 前回の記事から1週間もブログを休んで、その間コメントには返信し続けましたが、あらたな記事を書く気力が、どうしても湧かない状態。
 私のつたない記事を待っていて下さるかたには、大変申し訳なく思っております。

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