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2011年9月25日 (日)

「全開ガール」 最終回まで見て、その方法論を考える

 新垣結衣チャンの初主演ドラマ、「全開ガール」。
 世界のトップクラスのセレブを夢見て弁護士事務所に勤める女の子が、場末の食堂でくすぶっているイクメンパパに恋してしまうけれども、意地っ張りなことやすれ違いで気持ちがかみ合わない、という、話的にはよくあるパターン。

 それでも、最終的なゴールは、やはり結衣チャン(若葉)がこのイクメンパパの錦戸亮クン(草太)と結ばれるのだろう、ということが、とてもよく見えていた気がします。

 理由はドラマ全体が良心的な匂いを強く漂わせていたこと。
 それを象徴していたのが、弁護士事務所のボスである薬師丸ひろ子サンの娘ひなたチャン(谷花音チャン、結衣チャンはこの子の世話係として雇われていた)と、錦戸クンの前の女房の連れ子だったビー太郎クン(高木星来クン、ビービー泣くからビー太郎)。
 このふたりが、ガッキー(結衣チャン)と錦戸クンを、くっつけたがって仕方がない。
 またこのふたりの演技が、泣かせるんですよ(「それでも、生きてゆく」 より正直泣いてました、ワタシ)(誤解を恐れて弁明いたしますが…笑、「それでも、生きてゆく」 は泣いて見てはいけない、しっかり向き合わなければいけない、という気持ちで見ておりました)。
 それが、「この子たちが望まないエンディングはあり得ない」 という気にさせてくれるのです。

 また、ガッキーのこのドラマでの性格自体も、「物事をはっきり決着がつくまで突き進む」 というタイプの女の子だったので、「思いは叶わなかったけれどそれでもふたりはいい方向に向かって歩いていきました」 的な、わけの分かったような分かんないようなあいまいな結末にはならないだろう、と。

 で、いったん 「このドラマはハッピーエンド」 という思い込みをしてしまうと、たいていの場合 「どーせガッキーと錦戸クンはくっつくんでしょ」 と見くびっちゃって、話を軽く見てしまいがちになるのですが、このドラマの作り手は毎回、それをいい形で裏切りまくってくれました。

 つまり、ラストに至るまでこれでもかこれでもか、というくらい障害を次々と作り上げ、ふたりのゆく手に超え難い壁をこしらえていく、という手法です。

 それって珍しくもないじゃん、と思われるかもしれないのですが、ちょっとこの障壁の作りかたが、一味違っていて。

 一例をあげると、弁護士事務所の時期エースと呼ばれる男新堂(平山浩行サン)とガッキーとの婚約。
 ガッキーはこの男と、借金まみれだった父親や貧しかった自分の素姓をひた隠しにして付き合い続けるのですが、これが彼のセレブな母親の調査でばれてしまう。
 フツーここで新堂もしくはその両親はガッキーに 「オマエはこの私にウソをついた、恥をかかせた」 と怒って見切りをつけるのがドラマ的によくあるパターンなのですが、却って新堂はガッキーに入れ込むファクターとして受け入れ、母親もそのことをよい方向にとらえる心を持ち合わせている。

 つまり安っぽいドラマのセオリーを、ここで逆転してしまうんですよ。

 新堂やその母親には、およそ地位も名誉もある人間にありがちな狭量さがなく、世間体とか自分のプライドとかよりも大事なものがある、という確固たるポリシーを持っている。 薄っぺらいワルモノにキャラを作り上げようとしてないところが、見る側に共感を強く促す作りになっているのです。

 またもう一例をあげると、錦戸クンに自分のもとダンナとの子供を押しつけていなくなっちゃった、錦戸クンの最初の押しかけ女房リリカ(浅見れいなサン)。
 このオンナが1年も行方不明のあといけしゃあしゃあと帰ってくるのですが、まあ自分勝手な女、といったん見る側に思わせといて、実はこのオンナも自分の覚悟とか他人を大事にする心の持ち主であり。

 彼女は錦戸クンとビー太郎クンと一緒に暮らそうと思って帰って来たのですが、錦戸クンがガッキーに惚れているところを見て、息子を錦戸クンに託し、自分から身を引く。 そして再び登場した彼女は、ガッキーと錦戸クンがもう修復不能の状態になっているのを見て、ビー太郎クンを取り戻すための訴訟を、なんと当事者のガッキーに依頼するのです。

 彼女の行為は当のビー太郎クンにとっては、かなりの傷を伴う暴挙であることは確実なのですが、それを正当化させるだけの理由が、ドラマ的にちゃんと提示されていた気がする。
 だから 「ドラマチックにするために、子供たちを道具に使うんじゃない」 という気に、見ている側があんまりなってこないのです。
 彼女には彼女なりの、きちんとした理由があって、そのうえであえて、ガッキーに親権訴訟の依頼を持ちかけている。 結局裁判沙汰にまではならなかったのですが、彼女はその結果、ビー太郎クンを連れてニューヨークへと渡ることになります。 これを彼女の強い意志、とも受け取ることが出来る作りに、ドラマはちゃんとなっている気がする。

 このドラマの大きな特徴として、「やっつけ仕事的なありがちな性格設定」 というものが極力排除されている、ということがあろうかと思います。 人物のひとりひとりには、見る側が共感できる事情が隠されている。

 そのことで、見る側が想像する 「これってガッキーと錦戸クンが結びつく大きなきっかけとなるだろう」 と考えていることが、結局ことごとく裏切られていくんですよ。 こうした裏切られかたで、とてもドラマへの吸引力を高められる気がする。

 けれどもこうした場合、あまりふたりの間にぶ厚い壁を張り巡らせすぎると、最後にふたりが一緒になるのに、とても無理やりな出来事によってふたりをくっつけるしか手段がなくなっていく。

 そうなると見ている側はとても興醒めするし、結局あとから考えても、「あのラストって、いったい何だったんだろう?」 という気にもなっていく、印象の薄い結末になってしまうものです。

 ところがこのドラマの作り手は、それを完全に逆手に取る方法で、ふたりを結び付けたのです。

 ネタバレブログにはあるまじきことですが、その経過は細かくここでは語りません。
 ただ感じたのは、「なんかアメリカの恋愛ドラマによくある感じがする」、ということ。
 このドラマの作り手は、そういう映画をとても見ていらっしゃる気がするんですよ。
 それを作り手なりに咀嚼して、作り手はこの 「はっきりと見えるゴール」 を構築している。

 険しい山のような障害を突き崩す方法として、作り手は見る側に対してサプライズを仕掛けることで、結末の無理やりさ、あり得なさを克服しようとした。
 作り手がこの物語を、とても楽しそうに構築しているのが見えるのです。

 そのためにいちばん作り手が武器にしたもの。

 それは、このドラマに出てくる子供ふたり(ひなたチャンとビー太郎クン)が、どんな大人よりも限りなく人格者である、という点である、と私は感じます。

 「公衆の面前で」 とか、ひなたチャンはとてもおとなっぽいしゃべりかたをするのですが、それは彼女の性格にしても同様なことが言える。
 彼女は忙しい母親の立場を尊重し、若葉の本当の気持ちに忠実であれと願い、ビー太郎クンへの思いを必死でこらえようとする。 見ていてとても、健気で泣けてくるほどなのです。

 いっぽうビー太郎クンはひなたチャンよりもかなり子供らしいとはいえ、やはり考えていることはかなり大人。
 ビー太郎クンが見た目ゴーマン女の若葉をどうしておとう(草太)とくっつかせたがるのか、という理由づけはちょっと希薄だった気がするのですが、おそらく彼は、おとうの本当の気持ちを分かりすぎるくらい分かっていたからだ、という理由が成り立ちます。 自分が実の母親とおとうと一緒に暮らす、ということよりも、そっちが優先されている。 うーん、大人だ。
 リリカが親権訴訟を起こしかけた?時に、草太はビー太郎クンを自分から突き放そうと、「お前が邪魔になった」 とわざと冷たいことを言うのですが、ビー太郎クンはおとうのその言葉を、ハナからまともに受け取らない。 おとうの愛情がそう簡単に崩れるものではないからです。 そしておとうがわざとそうせざるを得ない事情を、自分なりに飲み込んでいる。

 なんて大人なんだ。 大人すぎる。 ビー太郎クンにも、さんざん泣かされました。

 ひなたチャンとビー太郎クンがかように大人でなければ、このドラマは成立しなかった、と言っていいほどだと私は思います。

 登場人物をつぶさに見ていくと、やはりその設定に神経がいきわたっている、というのが見てとれます。

 ガッキーが勤める法律事務所のボス薬師丸ひろ子サンは、かなりのやり手にもかかわらず、娘のひなたチャンに対しておざなりな母親でない。 確かにガッキーを世話係としてつかせるのですが、彼女は子供を育てるうえでなにが肝要なのかをちゃんと見極められるキャパを持っている。
 しかも若葉にとって幸運だったのは、彼女が若葉と同じ、苦労してここまで這い上がった人物であったことです。 だから彼女は表向きクールながらも若葉に対して共感を持って接し、若葉のゆく手に意図的に塞がることがない。

 そしてその薬師丸サンに学生時代恋していた、という、ビー太郎クンたちの保育園園長、竹内力サン。
 ただのコワモテ園長かと思ったら、現代の育児事情にも一家言ありそうな、繊細な役どころ。 その問題点を声高に論じてないのが、かなり神経を使った設定のように思えるのです。

 若葉の父親役だった、神戸浩サン。 「てっぱん」 でも印象的な画家の役をしてましたが、ここでもかなり印象的な、お人好しですぐ利用されるダメ父親の役をこなしてました。
 神戸サンは平成の左卜全、みたいに私は感じてます。 この父親も、秋田から上京して若葉の事務所に行ったとき、自分が若葉の父親であることが分かるとまずい、ということを敏感に察知するところも、フツーのドラマの展開と違う、と私が感じたところでした。

 そして保育園仲間の父親のひとりが勤めるおもちゃ工場のおもちゃ、カバの食べタロー(声・彦摩呂サン)に至るまで、神経が行き届いているように見えたこのドラマ、まったくと言っていいほど神経が行ってなかった(笑)のが、草太がシェフを務める 「ル・佐藤」 の主人、菅登未男サン。
 この人、ほぼセリフなし(笑)。
 持病に苦しめられて、時々叫び声をあげるのみ(爆)。
 しかしそれが、人物設定に神経を遣いすぎている作り手の息抜きみたいな感じで、却ってその設定の妙に感心してしまう。 すごいよな。
 そう言えば薬師丸サンとの共同経営弁護士である鮫川、というオジイサン?。 この人も空気みたいだったなー。 最終回にちょろっと見た程度だったよーな…。

 ビジネス的な設定においても、若葉が第1回で就職を蹴った(いや、初出勤の日に見限った、か…笑)、スミス&クラーク法律事務所を、薬師丸サンが自らの窮地を救うために最終的に合併をしてしまった、というのも、とても計算されている気がするし、なんか表面的に見るとそんなでもないのに、裏で考え尽くされている、というのは、とてもさりげなくすごい点だと感じるのです。

 そんななかで、もっとも考えられてなかったように思うのは(笑)、草太が若葉に恋する理由。

 確かに若葉の、最後まで責任を持ってやり遂げる、という姿勢を好きになった、という理由づけはなされていたのですが、もうちょっと小さいころの思い出がそうさせたとか、深くてもよかった気がするんですよ。
 草太は若葉の弁護士事務所の同僚、そよ子(連佛美沙子サン)からも言い寄られるのですが、そよ子と若葉を比較したとき、「どうしても若葉でなければ」、という理由が見当たらない。 これは、「恋しちゃったんだからどーしょーもない」、と思うしかないのかな? 分かるかたがいらっしゃいましたら、教えてくださいまし。

 いずれにしてもかなりよく練り込まれたドラマであることは感じました。 毎回気兼ねなく泣けましたし。 錦戸クンの演技パターンは、2クール連続して見てまいりましたが、彼のキャラクターが十二分に生かされた設定だった気がします。 もうちょっと別の役も、見たくなってまいりました。

 ただまあ、ラストのガッキーとのキスシーンは、のーこーすぎる気はいたしましたが(爆)。

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コメント

こんにちは。
初めは、このドラマ見るつもりはなかったのですが、中3の娘が「見なきゃなりません」と言うので、付き合って見てました。
もう、ガッキーの意地っ張りが可愛くて可愛くて・・・(母親目線です)
錦戸君は良い感じでしたね。
私は、DV彼氏の役以来久しぶりに錦戸君の演技を見たのですが、「人の良さそう」な役の方が似合ってると思いました。
「ちょんまげぷりん」でも良い評価なので、見なきゃと思ってマス。
ひなたちゃんとビー太郎、この子達の貢献度は大きいと、私も思います。
マルモでもそうでしたが、今や子役ってドラマには欠かせないですよね。

すごく考えさせられたり、ツッコミどころ満載のドラマもいいですが、何も考えず楽しんで安心して見られるドラマも必要ではないかと思います。

chie様
コメント下さり、感謝申し上げます。

中3の娘さんが見るには、とても上質のよく出来たドラマだったと思います。 ジャニーズの人が出るドラマって、結構くさされることが多い気がするのですが、登場人物の心理状態を深く考え抜いていたドラマだった、と私は評価したいです。

その割には、毎回巻き起こるイベント(笑)がベタな気はしたのですが。
でも侮りそうになってもきちんと感情移入状態に引き戻してくれる妙が、このドラマにはあった気がします。

それは同時期に自分が見ていた 「華和家の四姉妹」 と比較してしまう、という傾向があったことは否めません。 ドラマ的にありがちな安っぽい心理展開、それを採用するかしないか、という違いであります。 「華和家」 では、「人間ダメな部分もあるんだよ」 とそれを容認してしまっていた。 「全開ガール」 では、「どんなに表面上ダメダメでも、その人なりの理由ってものがある」、というスタンスだった気がするのです。

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