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2011年10月 8日 (土)

「カーネーション」 第1週 なんで女はそんなオモロないねん

 2回までの当ブログレビューコメント欄で、「なんかひねりがない」 みたいに書いていたこのドラマ、実はとんでもないドラマになる可能性がありそうな気がしてまいりました。

 最初私がこのドラマを見て感じたのは、「画面に高級感がある」、ということでした。 「龍馬伝」 に通じるような、映画みたいな画面。 そこに大正時代の岸和田を再現する、というNHKの受信料使いまくりの(笑)大道具小道具屋さんの本領見せつけ。

 そこに登場した主人公の小原糸子(子役時代、二宮星チャン)は、私に言わせれば、元気いっぱいの 「朝ドラによくあるパターン」 タイプの女の子。 ヘタレなくせして威張ってばかりいる父親(小林薫サン)の言い付けで、家業の呉服屋の集金にひとかたならぬ実力を発揮する(笑)。

 「まあよくある話だよな」、と思っていたのもつかの間、この物語は週の半ばで大転換をするのです。

 元気いっぱい糸子は、度重なる集金の成功でさらに調子に乗り始め、ダンゴ泥棒を懲らしめたお礼まいりをその子のアニキから受ける。

 「待ったらんかい! お前か、小原糸子っちゅうんは。 わいの弟が、えらい世話になったらしいな」
 「は? 知らんがな。 どれがオマエの弟やねん」
 「なめとったら承知せんど!」
 「あ?」
 「…顔、貸してもらおか」
 「すまんな。 うちは忙しいんや」
 「女やからて、大目には見んど」
 「あ~? 別に女やからて逃げるんちゃうわボケぇ! 上等や。 受けちゃらあ。 どこいなと案内しぃや」

 「あ?」 とか、どこのヤーサンやねんと思いましたが(爆)、清原サンでも出てきそーな岸和田の流儀か、とも…あ、いや、知りませんけど。

 ともかく売られたケンカは買うのが男、じゃなかった、見せてやりたい肝っ玉、じゃなかった、ガンと一発しびれる涙、じゃなかった(ひつこい)、糸子は女の子にも関わらずそのアニキと互角に渡り合い(笑)、ついに死闘は川のなかに突入(スゲ…)。
 そのタイマンの最中に、集金したお金が流されてしまい、糸子はケンカも忘れてそれを追っかける。 かなり危険な撮影に思えました。 とゆーより、この子たち役者根性ありすぎる。

 結局糸子はあこがれの大工方(だんじり祭りで巨大神輿の屋根に上って指揮を執る人です)、泰蔵(須賀貴匡サン)に助けられるのですが、父親善作(小林サン)にこっぴどく叱られるのです。

 「そんなしょうもないケンカ、なんで買うた?」
 「女…女やからて、なめられたなかった…」

 平手が飛ぶ。 すっ飛ぶ糸子。

 「分かったか! これが男の力じゃ! おまえに出せんのか! 出せへんやろが! おまえはどうあがいたかて女なんじゃ。 女が、男と張り合うてどないすんじゃい!」

 この場面、糸子はずぶ濡れにはなっていますが、泣いてない。
 却って泰造の弟で、いつも糸子のいじめ役の勘助(吉岡竜輝クン)のほうが泣いちゃってる(笑)。
 ここ、糸子が泣かないからこそ、糸子のショックが浮き彫りになる構造だと思ったんですよ。

 この日を境に、糸子は意気消沈します。

 ドラマ的に、「女のクセに」 とか 「女は黙って大人しくしてりゃいいんじゃ」 というエピソードは、ドラマ冒頭部分から事あるごとに挿入されていて、個人的に 「またこの論調か」「昔は女が虐げられていて、主人公がそれに反発して、あ~見飽きたパターンだ」 と感じていたんですが、この糸子の消沈ぶりは、それまで糸子の騒々しさに包まれていた画面が、一気に色を失うほどのインパクト。
 それが糸子の感じていた、「女に生まれた窮屈感」 をあらたに浮き彫りにしていく、という展開を示していくのです。
 私が感じていた、いちばん印象的だったその場面は、集金のご褒美のお菓子をほおばりながら、「お前が男だったらオレの商売も一緒にやれたのに」 と言う父親に、糸子がしゃべっていたセリフでした。

 「女かてできるで。 女かて、商売人になれる」
 「アホぬかせ。 女はな、ええとこ嫁に行って、婿はんにあんじょう仕える。 それが一番じゃい」

 「なんでや…?
 …なんで女はそんなオモロないねん」

 女が面白くない。
 女が虐げられる昔話はぎょうさん見てまいりましたが(アカンな、大阪弁になっとる…笑)、「女がオモロない」 というセリフは、印象的でしたね。

 そしてそのタイマンの前に、用意周到に挿入されていた、糸子が出会った異人たちのパーティが、意気消沈した糸子の前で、にわかにその光を増していくのです。

 糸子の母千代(麻生祐未サン)の家は裕福な家庭で、正月に糸子たちはそこにお年賀に行くのですが、糸子はそこで、外人たちが着飾ったパーティに遭遇していました。
 これが糸子の人生を大きく動かしていく出来事となっていくのですが、「女に生まれたことに敢然と立ち向かっていく」 のではなく、「女でも、いや、女だからこそできるものを見つけていく」、という生き方を、もうその時点で糸子は選んだことになる。
 この選択肢の自然さ。
 もし前者の生き方を主人公が選んだら、ドラマは一気に荒唐無稽の域に突入する、と思うんですよ。

 私がもうひとつ注目したのは、糸子の母親千代の描き方。
 彼女は金持ちの家の娘らしくとてもおっとりとしていて、しかも糸子たちが修身の時間に習う、昔の慣習のなかに染まりきった、自分というものがあまりない女性。
 作り手が彼女になまじ、「自分」 というものの存在をちらつかせないのが、見ていてとても興味があります。
 こういう場合、特に女性の脚本家などは、「こんな女性が虐げられていた時代でも、女には女の考えがあったのよ」 と言いたげに、その匂いをまとわせるのが常なのですが、千代の場合、その匂いすらまったくない。
 ただ妻として、嫁として、母としての役割を、ボケ気味ながらもこなしている。
 でも実は、「ただそうしている」 だけなのに、実家から呉服屋の運転資金を借りたりして、小原家の家計を成立させている張本人だったりする。

 糸子の精神の根底にあるのは、自分が見てきた父親と母親の、表面上とは全く逆のその役割だったのではないでしょうか。

 「われらの父は、一家の長として、家族を率い、外でいろいろな仕事をして働いています。
 母は、主婦として、うちにいて、父を助け、家を整え、われらの世話をしています。
 男子と女子が人の務めを全うすれば、家も栄え国も栄えます」

 修身の教科書に書いてあることを、糸子の父善作も、母千代も、表面上は取り繕っている。
 けれども父親は実際は商売下手で、母親が家計を本当は支えている。 女の自分も、集金に駆り出されて、本当は家の存続に大きな役割を果たしている。
 その建前と実際とのギャップを感じていたからこそ、糸子は 「女はこうあるべき」 という建前に本能的に嫌悪感を抱いていた、と思えるのです。

 糸子が先に述べた生き方を選ぶまで、ドラマでは 「だったら女はどうしたらいいか」、という問いを何度も投げかけていくのですが、その答えを登場人物たちに答えさせません。
 糸子は泰蔵の計らいもあってだんじりに乗せてもらうのですが、「気が済んだか」 という泰蔵の問いに、答えない。
 先に書いた修身の教科書を読まされて、教師から 「小原さんは女子の務めが出来そうですか?」 と訊かれたときも、やはり答えないのです。

 さらに糸子の友人?(笑)である奈津(高須瑠香チャン)のおばトメ子(西川かの子サン)が夫のDVで(大正時代にDVもへったくれもないですが)帰って来たときにも、「なんで仲よう出来ないのか?」 と訊く奈津に、トメ子はその答えが見つからない。

 こういう、 「答えの見つからない問い」 をたたみかけているからこそ、先に述べた糸子の選択が、ますますリアルさを増していく。

 このドラマの脚本家、渡辺あやサンは、「ジョゼと虎と魚たち」「火の魚」 でその実力は実証済み。 「火の魚」 で組んだ尾野真千子サンとは、再タッグです。

 ひょっとすると、大傑作になる可能性もある気が、してまいりました。

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NHK朝ドラ 「カーネーション」」カテゴリの記事

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コメント

リウさまのレポにひかれて見始めたのですが、
面白いですよ、このドラマ!
骨太感があります。

やっぱりNHK、「やればできる子」なんですよ・笑

マーシー様
コメント下さり、ありがとうございます。

記事にしてませんが、「神様の女房」 という松下幸之助氏とその女房のことを描いた土曜ドラマでも、NHKは底力を見せているようですよね。

どうも出来不出来の差が激し過ぎる…。

前作の「おひさま」かなり良かったですね。
「ゲゲゲの女房」と同等くらいだったかなあ?

「カーネーション」小原糸子の両親の雰囲気もいいですし、主人公の女の子も上手いですよね。脚本は「火の魚」をかかれた方だったんですね。連ドラなので、今後、どんな風に展開されていくのか楽しみですね。

「神様の女房」もなかなか面白いですね〜。松下幸之助さんの一代記、こんなだったんだなあなんて見てます。松下夫妻の掛け合いも面白いですし。脚本がジェームス三木さんだから当然といえば当然かな?

rabi様
コメント連投下さり、ありがとうございます。 rabi様のコメント熱、上がってますよねwink私も精進したいと存じます。

「おひさま」 をリタイアしてしまった私には語る資格がありませんが、1週間分をまとめて見る私の視聴方法だと、結構中ダレすることが多くて、「これは15分ずつ見るタイプのドラマだ」 とは感じましたです。

その点で 「カーネーション」 は、1週間分まとめて見るとかなりメリハリが効いていて、レビューが書きやすい気がしています。 脚本の渡辺あやサンは結構寡作な脚本家サンなので、朝ドラというボリュームのあるものをやること自体に今回は驚いています。

「神様の女房」 は実はリアルタイムで視聴中お客さんが入り、それ以来録画したものもうっちゃったままなのですが、最初の30分を見る限り面白いドラマだと感じています。 そのうちにレビューをアップするかもしれません。

再見は1週間レンタルまで、ちょっと間が開きましたので大石静サンの「ふたりっ子」(1996年)を合間に観てみました。三姉妹編の参考程度の気持ちだったのですが、大阪NHKが地元舞台という事で90年代作品の中でも相当、力を入れているのが解り、「カーネーション」の前身と思えてきました。

プロ棋士の道を歩む香子のサクセスストーリーと並行して、華やかな世界に憧れながら最後はささやかな家庭を持つ麗子の人生を描いているのが画期的。糸子一人の生涯を通して両面を描ききった「カーネーション」の方が完成度は高いと思いますが、「カーネーション」と他の朝ドラを比較しても仕方が無い(笑。

特に目に付くのが「カーネーション」前半との類似点。双子が両親を前にピンクレディの真似事をしてますが、これは糸子が始めてアッパッパを縫った時に「春よ来い」を皆の前で歌う場面にそのまま流用されてます。この歌は終盤、糸子が危篤状態に陥る場面で再使用され主人公が天に帰る日が来た事を示す伏線になっているのが単なるパクリやオマージュとは一線を画する所。後は母親の実家が神戸の豪邸で駆け落ちしていきているとか(笑。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

この自分のレビューを再び読んでみたんですが、この第1週からすでに、「調子に乗りすぎること」 への重大な警鐘が打ち鳴らされていたことに、ちょっと愕然としました。

私は 「ふたりっ子」 放送時はかなり忙しくて、このドラマのことをちゃんと知らないのですが、大石静サンのドラマはこの時期、結構よく見てました。 最近の大石サンの仕事を見てると、ちょっとあの頃が懐かしく思えたりします。

いずれにせよ、この 「カーネーション」 第1週のレビュー。

あとから考えて、「第1週というのは助走の段階だった」、と思っておったのですが、その話のすごさの片鱗は、もうすでに見え隠れしている。

「なんか傑作なような気がしてまいりました」 とワクワクしながら書いているあの頃の私に、もう一度戻ってみたい気がいたします。

つーわけで再放送が始まった訳ですが、
今回で感心したのは糸やんをはり倒した
善ちゃんが陰でオタオタしていたカット。
これ後の晩年編で優子が
「なんで(里香は)あんなになってしもうたんや」
と嘆いている場面とそっくり。

強面しすぎたかで悩むのは善作と三姉妹編の糸子。
娘の気持ちが解らず悩むのは善作と晩年編の優子。
善作に鍛えられ善作の強さしか見ていない糸子、
善作に可愛がられて優しさしか知らない優子の対比。

比べることで糸子は娘の立場に立って考えようという意識が希薄だった事がよくわかる。「子供なんて鍛えておけば勝手に育つ」みたいな感じ。まー、あながち間違いじゃないのですが、それで優子本人に確認も取らずに引退の根回しを進めて自爆すれば世話は無い。

父の弱さを見てこなかった糸子は、そこから20年かけてツケを払ったわけです。引退を迫られた場面と50年前の善作をぶった切った場面を見比べてみると、
画面右側の糸子を起点にして
善作の位置に優子。
夫の伴侶として共に歩いてきた千代さんの位置に、
姉のライバルとして切磋琢磨してきた直子。
年長者として三者を観察できるハルさんの位置に、
年少者の立場から三者を見ている里香という按排。

優子を介しての糸子に対する善作の復讐劇というか
孫を介して娘に人の弱さを教えていくお爺ちゃん。
これって死せるマリさんが娘を介して生けるビルフランを
動かした「ペリーヌ物語」の逆パターンでは…。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

もうね、椎名林檎サンのテーマ曲を聞いたときからね、涙がダバーッと…(笑)。 「久しぶりよのうおぬし、元気にしておったか?」 とめ以子ばりにテレビ画面に問いかけたくなりました(「ごちそうさん」 はリタイアしたのにな)(このとってつけたような時代劇言葉も嫌いだったな…笑)。

ただちゃあんと見てません、この再放送(笑)。 前にも書きましたけど、「字幕付き状態でブルーレイでコンプリート」 というのが録画の目的ですので(笑)。 時刻テロップが少々邪魔だけど…(笑)。

ただ、この第1週はレビューのセリフ部分を正確に直すために、4回目くらいまでは真面目に見ました。 おかげで糸子の大ゲンカのときのセリフとかきちんと直すことができました。 かなり間違えて記録してた(笑)。

「ペリーヌ物語」 との比較まで飛び出すとは思ってなかったな(笑)。 巨炎様の 「カーネ」 論は相変わらず俯瞰から見ていてスケールが大きい。 私はあまり優子を重視して見てないので、巨炎様の議論にはいつもちょっとした新鮮な驚きがあります。
「カーネーション」 序説みたいなものまで書けるかもしれませんよ?(これマジです)。

第1週の4回目まであらためて見て、奈津の存在がちょっこし気になったりしました。

>あまり優子を重視して見てない
まー、結局は前半からどれだけ善作の視点で
物語を追っているかという事になるでしょうか。

以前にも少し書きましたが糸子は度胸と機転に
「お父ちゃん(善作)より商売に向いとる」と
太鼓判を押されて、その通りだったのに対して
「絵が上手い」と褒められた優子は直子の台頭で
その才能は二流の烙印を押されてしまう。
そして直子の生まれる直前の善作のセリフ、
「今度こそ男や。小原の跡取りや!」。
これは彼が糸子が自らの意思で背負った重荷を
孫娘に負わせる気が全く無いことを示しています。
ところが糸子はそこそこの才能しか無い優子に
そこそこ以上の生き方を要求し、優子は抗う気概も
持てずに母の跡目を継ぐ以外の選択肢を持てない。

優等生云々などは優子のキャラの上っ面。
糸子の影という立ち位置、才気溢れる怖いお母ちゃんと
ゴツイ妹に挟まれ長女のプライドを守ろうと背伸びする凡人。
正に松坂家と糸子の間で家長の威厳を保とうとあがきながら
娘の影になっていった善作(今週の第11回参照)の後継者。

三姉妹編の序盤と終盤で優子が泣いている場所や光加減で彼女の成長が示された事を書きましたが、直後の糸子が玉枝さんに泣きついている安岡家は部屋の外の暗がりまで移り画面全体が少し薄暗い。
これは優子が糸子の影から抜け出て光の側に立ち糸子を自分の影に追いやりだした事まで示されています。・・・で、ここから上記で述べた引退勧告の場面まで続くと。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

それでは私も、奈津の行動についてちょっと(笑)。

糸子と悪ガキ共の川ん中決戦、「猿どもが…」 と涼しい顔で見ている、奈津。 最終回に、糸子の人生を朝ドラで見物しようとする奈津に、なんとなくダブった気がしました。

そして泰蔵兄ちゃんへのほのかな恋。 気持ちの伝え方が分からないばかりに、不幸になっていく奈津の人生の方向性が、この時点から出ていたことにちょっと思いをいたしました(思いを致した程度ですが…笑)。

奈津というのは架空の人物でしたが、女であるがゆえに糸子とは対照的な人生を歩んでいきましたよね。 パンパンになったりラサール石井サンにもらわれていったり。 すべてが 「女」 という縛りで人生が展開している。

善作-糸子-優子というのが仕事のうえでの問題を孕んでいるとすれば、そこには 「女」 が入っていく余地がない。 奈津というのは実に、糸子が 「オモロない」 と断言した女の生き方をドラマの中で象徴した存在だったのではないか、という気がします。

>泰蔵兄ちゃんへのほのかな恋。 
>糸子が 「オモロない」 と断言した女の生き方
そういえば「ウチがチビ(←14歳には見えませんが)やのうて、もっと綺麗になれば」と言ってましたね。欲しいモノがあるのなら自分から掴みにいかんで、どーするというのが糸子の信条。糸子が「ぺっぴんさんやったさかい男は寄ってくる」と評した千代さんも善作と駆け落ちして「悔いなき青春」だったわけで。

晩年の糸子で表現された「内面に宿る善作」や再会した奈津との対照性を見ると夏木マリさんのキャスティングはBS朝日でちょくちょく放映されている「鬼龍院花子の生涯」(原作は「篤姫」の宮尾サン」が影響してるのかなーと。

タイトルとは裏腹に仲代サンが演じた花子の父である鬼政と花子が生まれる前に養女となった故・夏目雅子サンの物語。この鬼政って任侠オヤジなんですが格上の大親分にヘコヘコしたり、ちょっと善ちゃんっぽい。そして夏目サンは義父と生き方を巡って何度も対立しながら最後は「やはり自分は鬼政の娘なのだ」と実感する。逆に父に溺愛された花子は最後に恋を覚え父を拒絶するも父の掌の外で生きる術を知らず、鬼政が獄中死して間もなく野垂死にしてしまう。

夏木さんは当時、30歳で敵側の極道女を演じておりました。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

スイマセン、時間がなくなってしまいました、またあらためて返信いたします。
m(_ _)m

巨炎様
あらためて返信いたします。

いやはや、「鬼龍院花子」 まで出てくるとは、巨炎様のアーカイヴは底なしですね。 って私もまだ夏目サンがご存命のころ見ましたけど、それっきりで。 そうか~、夏目サンが鬼龍院花子じゃなかったんだ~(笑)。 仲代サンがちょっとヘタレだったのは覚えてる(笑)。 いずれにせよ内容が遠い記憶の彼方です。

結局役が交代したのって、糸子と奈津だけなんですよね。 晩年の奈津を演じた江波杏子サン、極妻にも出てたし若い頃ヌードにもなったりしてたし、イメージ的に夏木サンとダブるところが多い。 糸子だけがトシを食って娘3人が結構老け演技をアップアップでやっていたことに比べると、この 「2人だけの配役交代」 というのはしっくりいってたし、なんとなくですが作り手の意図も感じる。

究極的には死後の糸子まで出して、彼岸と此岸、というテーマを貫いていたように思えるこのドラマ(遺影がまるでものを言っているように見えるドラマでもあった)。 最後に辿り着いたのが、奈津の女の一生だった、というのは何かを感じさせます。

>作り手の意図
そうですね。三姉妹編終盤の頃には尾野さんも無理が感じられたのが晩年編前半では丁度良い按排になったのに後半は逆になった。人間的成熟度の問題?

三姉妹編終了時では、商売人として30年看板背負ってきた糸子をこれから背負う優子が超えているとは言えない。(だから、まだ頼りない一面も描いた)ただ直子の店を立て直す等、優子に勢いがある事から「殆ど無い」程度の差で、こうなると他の点での違いが出てきます。

糸子が「カッコいい引退」的自意識を優先させて娘に確認も取らず昌子達の反対も押し切って話を進めたのに対して、優子は直子と真剣に向き合って(かつて糸子に問われた)決意を固め周囲の人々全員の立場を考慮して自分が外に出た。引退時の善作の本質を体現しているのは明らかに優子の側です。
この時期の糸子は親の器量において善作に、社会人の器量において優子に敗れている。理由は糸子が生来の強者だから。洋裁屋の夢に一直線、長女が長女として君臨するのも当たり前な糸子には善作が拘った呉服屋の意地も優子が守ろうとした姉のプライドも無意味。それ故に「己の弱さと真剣に向き合う事で得られる強さ」が理解できなかった。

この発端となる描写は序盤に既にあり勘助がヘタレの意地を見せて苛めっ子を追い返したのに対して糸子は彼に感謝するでも見直すでもなく己の屈辱感を露呈する。このスタンスが前半生で全く変化しなかったので、
「おばちゃ~ん!北村と優子がウチを苛めるんや~!」
…と苛めっ子が苛められた時の行動パターンの典型を取る事になるわけで(笑。

この場面が薄暗い事は前にも書きましたが、母を傷つけた事を自分の痛みのように受け止める優子に比べ、自分本位な負け惜しみトークの糸子の視野が狭い事も示しています。「優子の方が老けて見える」という意見がありましたが制作側は意図的にそれを強調し『どっちが親やねん!!!』と突っ込んでください、だったのではないかと。

実際、糸子が己の弱さと向き合うには、まだまだ負け足りていなかった。このため優子を介した善作の復讐劇は20年に及びますが、これが完遂する事で糸子の中で善作の強さと弱さが完全に一つになった(優子は基本が弱者で直子を介して糸子の強さが付加された形で丁度、逆パターン)。善作が残してくれた補助パワーがここから機能しはじめます。

ラスト2周は優子も脇に回り完成期に入った糸子の独壇場でしたし。この時期の糸子に完全に拮抗しうる存在となるとハルさんぐらいじゃないでしょうか。奈津ですら辛うじて対抗馬といった所。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

ん~、かなり学術論文みたいなレベルになってきましたね(笑)。 「朝ドラのモデルになった人を原則的に傷つけてはならない」 という不文律みたいなものはNHKの側にあって、おそらく渡辺あやサンもそのところは承知してたんだと思うのですが、その圧倒的な才能でもって、小篠綾子サンの本質的な問題点というものを、図らずも描き切ってしまったように思えます。

そしてやはり、コシノジュンコサンのいつも後塵を拝しているようなイメージのあるコシノヒロコサンの本質も、このドラマでは描き切っているように思える。 経営者としての資質とか、愛情のバランス感覚がいい、みたいなものですね。

それに比べてコシノジュンコサンは怪獣ですからね(笑)。 いちばんスポットが当たっていいはずなのに、どちらかというと劣等感みたいなものをいつも抱いている弱さみたいなものがドラマでは表現されていたようにも思うのです。 だからこそ、ジュンコサンはそれを起爆剤にしてジャンプアップする。

ただそれって、時代の追い風が吹いていたようなこともあると思うんですよ。

小篠綾子サンの時代では、まだまだ女性が会社のトップとして活躍するには、いま以上にがめついエネルギーが必要だった。 繊維組合に集っていた女社長たちのパワーを思い出します。

小篠綾子サンがおとうちゃんの呉服屋を継ぐとき、洋装店としてリボーンしたのは、そりゃ小篠綾子サンの才覚が呉服店より洋服作りにあったことが原因ですが、まがりなりにもオヤジの店をただ受け継いだわけやない、というのは、小篠綾子サンにとっては大きなプライドのひとつであったようにも思えます。

それに対して、娘たちは完全に、小篠綾子サンと同じ土俵で戦うわけですから。

その戦いをちょっとはぐらかしているのはコシノミチコサンで。 イギリスに渡っちゃったわけですから。 でもそう考えると、娘たちはお母ちゃんと同じ土俵で戦いたくないがために、コシノ洋装店の跡継ぎより世界を選んだのかもしれない。 それはもしかすると、一種の逃避だったのかもしれない(勇壮な逃避ですが)。

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BOOKS

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

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  • ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白

    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

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    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

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  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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