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2011年10月18日 (火)

「南極大陸」 第1回 夢の力

 木村拓哉クン主演、TBS開局60年記念作品、「南極大陸」。
 スケールからなにから、力入れまくり、という感じですが、この話を最初に伝え聞いたときに感じたのは、「どうしてフジテレビが30年くらい前に手垢をつけた題材をやろうとするのか?」 ということでした。

 タロジロの物語と言えば、私どもの年代にはあまりにもスタンダードな、高倉健サン主演の映画、「南極物語」。
 別にそれが、たいしてヒットもしなかった映画だったら二番煎じも意味があると思う。
 けれどもこの映画、スンゴイ空前の大ヒット映画で。
 「北の国から」 の純クンも、この映画を見ながら童貞喪失したほどの作品(違ったっけな?…笑)(ちなみに 「北の国から」、第1シリーズBSフジで絶賛再放送中)。

 若い世代のかたにはピンと来ないかもしれませんが、おそらくその呪縛が、われわれ 「南極物語」 を見た世代にとってはドラマのあいだじゅうそこらを徘徊するような気がする。
 ただ個人的には、細部の話はちょっと記憶の彼方(相変わらずい~かげんだ)。

 この映画を見ていて当時そこはかとなく感じていたことは、高倉健サンが南極観測隊の隊員になっていることの 「場違いな雰囲気」 でした(メインの感想ではありません)。
 高倉健サンって、南極に行くような人かなあ?とか(笑)。
 もちろん健サンはゴルゴ13となって、砂漠をも歩き続けるような役もやってましたけど(笑)。

 このドラマを見始めていちばん最初に感じたのも、実はそのことで。

 なんか、「木村クンって、南極に行くような人かなあ?」 って感じたんですよ。

 もちろん木村クンは戦艦ヤマトに乗って銀河の彼方イスカンダルまで行ってしまうような冒険家ですから(笑)、別にこれは個人的な感想なんですが(ドラマ内でこの、「戦艦大和」 つながりがありましたね)。

 ただどうにも、木村クンだけが 「場違いなところにいる」、という気持ちが離れない。

 さまざまに検討を重ねてまいりました結果、それは彼が、カッコよすぎるというところからきているのではないか?という結論に達したのであります(美濃部サンか?…笑)。

 カッコよすぎるから、彼が子供たちに好かれている、というのもどうも嘘っぽく見えてくるし、だから子供たちが偽善者みたいに見えてくる(失礼)。
 カッコよすぎるから、彼が南極観測の国際会議で熱弁をふるっても、「若造がカッコつけて粋がってる」 ように見えてくる(失礼)。

 ドラマ的な効果を狙うのであれば、一見怖そうに思える人が子供たちに好かれていれば、視聴者たちはどうしてなのかと惹きつけられるし、貧相そうな顔の人が国際会議で熱弁を振るえば、敗戦国日本のみじめさが引き立つような気がする。
 木村クンを主役に据えることで、このドラマはそうした効果をあきらめているように、思えてくるのです。

 木村クンは使い方によって、とても効果を発揮する演じ手のような気がします。
 「MR. BRAIN」 とか、エンタテイメント性の濃いドラマではその力を存分に発揮する。
 けれども彼の演技の幅は、そんなに広くない。
 これは本人の意図的に、木村クンがその役である前に木村拓哉であろうとしていることの表れだ、と私は以前から何度もこのブログで指摘してまいったのですが、だからこそ 「キムタクは何をやってもキムタク」、と言われる危険性を、常に孕んでいる。

 ただその 「キムタクカラー」 は今回ずいぶん押さえられている気もしましたけどね。
 まわりの役者さんたちがすごすぎるので、自分色をあまり出せないのかもしれませんが。
 でもそれでも、彼は頑張って、自分らしさを出そうとしている。

 最初のほうではそんな木村クンの演技が気になったせいか、南極に行く必然性というものが、あまり説得力を持たないように思われました。
 けれども考え直してみたんですよ。
 必然性を感じないって、それは木村クンの演技のせいじゃなくって、自分が夢というものを失っているからなんじゃないかって。

 子供たちが少ないこずかいを持ち寄って、南極観測への寄付に詰めかけ、大の大人たちも観測船 「宗谷」 の完成に自分の仕事そっちのけ?で駆けつけ、技術者たちが当時の最先端の技術を提供する。

 その演出方法には、ちょっとクサイという印象もありましたが(「華麗なる一族」 を連想させるシーンもあった)自分のなかには、当時の人々のように、「冒険に夢を馳せる」 という気持ちが果たしてあるのか?と感じたんですよ。

 確かに 「はやぶさ」 とか現代でも夢のある話は存在しているのですが、少なくとも自分は、やけに傍観者的。
 それに寄付金を出そうとか、仕事をほっぽり出して何かをしようとなんて、けっして思わない。
 なぜならほかの人がやってくれるから、なんですよ。

 その構図は、今年の東北東関東の大震災によって崩れつつありますけど、それは 「紛れもない自分たちが当事者なのだ」 という気持ちが、募金もさせるしボランティアもさせるんだと思う。
 翻って国民が熱狂するような夢は、現在あまりにも冷笑されすぎてはいないか。

 おそらく南極観測隊の活動が国民から脚光を浴びていたのは、その初期だけだったようにも思われます。
 私が物心ついたとき(1970年代前半)は、もうすでに熱狂も醒めて、「紅白歌合戦」 のときにメッセージをくれる人たち、 程度の認識だった気がします。
 出来てしまうと、もうそれが当たり前になってしまう。
 困難を伴うからこそ、人々は熱狂する。
 夢が持つ力に、人々は突き動かされる。

 この物語は、戦後のどん底の時代からなんとか這い上がろうとした人々の気概を描いている。
 それは自分の傍観者的な態度、冷笑主義にあらためて突きつけられたものであると同時に、このドラマを見るということは、自己確認の作業でもあるような気がするのです。

 そんな夢のために駆り出された、南極観測隊の移動のためのそりを引く犬たち。
 ドラマではその犬たちがいろんな場所から提供され、訓練に励みます。
 犬たちが思うように動かなくなったときに、リキという犬がそれをリードしようと群れに向かって突進する。
 それに反応して走りだす犬たち。

 私はそれを見ていて、なぜか知らないあいだに、涙がこぼれて仕方ありませんでした。

 「南極物語」 の映画を見ているから、私にはこの犬たちが、タロ、ジロを除いてみんな死ぬことが分かっている。 だから泣けたのだと思うのですが、「人々の夢のために死んでいく犬」、なんて構図って、現代じゃ許されるのかな?みたいにも思う。 たぶん犬たちを見棄てて帰ってきたら、非難轟々ですよ、いまじゃ。

 でもその当時はまだ、そりゃ非難も隊員たちの苦悩もあったと思うのですが、「誰かのため、何かために命を捨てる」 ということへの美徳が、まだ日本人に存在していたように思う。
 爆弾三勇士の話をはじめとして、玉砕という言葉に人々が心を奪われたのは、「どう生きることが価値があるのか」、という考えに、現代との間に大きな違いがあったことの表れなような気がする。 「どう死ぬのか」 ということにまだ考えの重点があった。

 私が泣けたのは、人間の思惑によって翻弄されている犬たちの、あまりの健気さに対してだった気がします。

 人間のためにそりを曳き続け、やむをえない事情があったにせよ、人間のために死んでゆく。

 そしてそのなかで生きていた犬を奇跡と称して、人間たちは感動する。

 感動さえも道具にしてしまうことに対しての嫌悪。

 犬たちは精一杯生きたんだ、という擁護の言葉にも、私は偽善的なものを感じるのです。
 納得しようとしているのは、人間だけ。

 でもそんな話を見ていくうちに、精一杯生きねばならない、という気になってくるのも、確かなのです。
 精一杯生きる。 自分の不幸を嘆かずに。

 心ならずも死んでいった犬たちは、やはり最後まで精一杯生きたということに、偽りはない。
 その、精一杯生きた瞬間瞬間が、もっとも価値があるのだ。
 一生懸命になっている人や、犬たちの姿を見て、自分の生き方をもう一度問い直す。
 このドラマの真の姿は、そこに存在しているのだと思います。
 そして木村クンも、その輪のなかに、確かに存在している。
 誰もかれもが一生懸命だ。
 そのことを傍観者的な態度であげつらうことは、間違っている。
 まずは自分の人生を見つめよ。

 本編の内容をほとんど書かず、話がきわめて抽象的になってしまいましたが、このドラマを見た感想だけを書いてしまいました。

 ただプロジェクト立ち上げから出航までも苦難の道のりでしたが、南極観測の本当の修羅場はこれから。

 民放の意地を賭けた 「民放の大河ドラマ」 に、期待したいと思います。

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テレビ」カテゴリの記事

コメント

リウさま

はじめまして。
こちらのブログ、確か「八日目の蝉」「Mother」の頃からいつも楽しみに拝読しております。
リウ様の深い考察&的確なご指摘にドラマを見る楽しみが数倍に膨れて、感謝感謝です(「江」も家族が見るので、一応、根性で見続けてます)。

今回の前半、私もリウ様と同じ違和感を感じ、物語に入り込めずにおりました。キムタクさんは(失礼ですけど)東大の先生&南極に行く方に見えず、エリートだからでしょうが、汚れた子供たちに比べてきれいすぎるし、昭和30年のにおいがしない、髪型も違うんじゃない、と。
でも、後半になって、犬ぞりが走った辺りから、
だんだん物語りに引き込まれていきました。

さらに、リウ様の「傍観者的」とのご指摘を読んで、自分が恥ずかしくなりました。
「精一杯生きる」、来週からこのドラマを見る心もちが変わりそうです。

「南極物語」は、小学生の頃に見て、子供ながらに感動し、親に映画のパンフレットも買ってもらいました。戦後日本人の気概、というのは子供には全く分からず、今も覚えているのは、渡瀬恒彦さんと夏目雅子さんのシーン、荻野目慶子さんや、犬たちが死んで行くところ、タロジロ再開のシーンなどです。
高倉健さんは、主演されていたことも覚えてなかった!! 記憶って適当・・・。先ほど、Wikiで見ると、ドッグトレーナーが映画と今回と同じ方でびっくりしました。

あと、芦田愛奈ちゃんが、お兄ちゃんの台詞を後から繰り返す事が殆どだったのは、台詞覚える時間がないのを承知でど無理やり出演してもらうための配慮だったのでしょうか。
愛奈ちゃん、顔色悪く見えて心配でしたが、そういったおかげか視聴率も良かったようですね。

TBSの意地が伝わるこのドラマ、私も真剣に
見続けるつもりです。
リウ様、お仕事も大変でしょうが、感想、これからも楽しみにしています。

「夢の力」。今の日本に必要なものかもしれないですね〜。

私も後半になるにつれ、涙があふれていました。全国から「宗谷」の改修工事に駆けつけた職人さんたち。

昔はお金をもらえなくても、そういう困った人のために何か自分ができることをしてあげるという人が多かったですよね。(バブルの頃からなのか?いつからなのか拝金主義がはびこってしまったような気がします。)
ああ、こういう人たちが昔はたくさんいたよね、今の日本では失われてしまった精神だなあなんて思って涙しました。

私自身は、「南極物語」を見た記憶があまりありません。ただ、すごくブームになったのは覚えています。

>一生懸命になっている人や、犬たちの姿を見て、自分の生き方をもう一度問い直す。
 このドラマの真の姿は、そこに存在しているのだと思います。
 そして木村クンも、その輪のなかに、確かに存在している。

リウ様のおっしゃるとおりだと思います。そして、今の日本に不足している「夢に向かって生きる力」。夢が実現しそうになくても、それに向かって努力しようとすること。それを訴えているドラマのような気がしています。

だいたいの流れがわかってしまっている「南極物語」ですが、初回、高視聴率をたたき出していますね。力の入ったドラマなので、今後も見続けていきたいと思っています。

リウ様の考察や感想も楽しみにしてますので、適度にchick頑張ってくださいませ。happy01

pipi様
こちらこそはじめまして! コメントを下さり、ありがとうございます。 ほめられるとスカイツリーに登る男、ですので(爆)、何よりもpipi様のメッセージには励まされました。

「八日目の蝉」 あたりからお付き合いなされているとの由、大変にありがたいなあ、と感じております。 このブログはコメントを書くとすぐ反映されてしまうので、さぞかしお寄せづらかっただろうと申し訳なく感じております。

本文にも書いたとおり、木村クンは自分を出したいタイプの演じ手だと私は考えているので、ドラマ全体が木村クンのためにお膳立てされてしまうような傾向になってしまうのは、否めないのではないかと感じています。
まあ髪形のことを言えば、柴田恭兵サンも当時としてはあり得ない長髪でしたが(笑)。

「傍観者的」 というのは、自戒を込めた言葉なので、pipi様を反省させてしまって恐縮ですbearing

「南極物語」 にもお出になっていた渡瀬恒彦サン、今回は木村クンの父親役でしたね。 そして亡くなった木村クンの妻役で、仲間由紀恵サン。 カンッペキに写真出演だけでしたが(笑)、いずれは回想シーンでお出になるのだと感じます。 仲間サンの妹が、綾瀬はるかサン、ということになるでしょうか。 「JIN」 の完結編でもかなり出しゃばらない感じがしましたが、今回は輪をかけて、出しゃばらない役のようですね。

芦田愛菜チャンはさすがに私も、疲れてるかな~と感じました。 こう何でもかんでもでは、児童虐待だと思う。 こうなると親の責任だ、と思われてまいります。

役者さんたちのことに関してこのブログ記事ではまったく触れていなかった(木村クンを除いて)のですが、「木村クンを引き立てるためのドラマ」 というテレビ局のスタンスが、どうしても見えてしまうと思うんですよ、ちゃんとした役者さんであればあるほど。

そこで、自分がどう演技をしていくか。

木村クンがどうせなにやってもメインだから、と手を抜いた演技をするのか、木村クンを食ってやろう、と考えるのか、平和的に事なかれ主義で淡々と自分に与えられた役をこなすのか。

木村クン以外の役者さんすべて、には無理ですが(笑)どのように演技するのか、ちょっとチェックを入れながら見ていきたいとも思います。

rabi様
コメントを下さり、ありがとうございます。 適度に頑張ってまいります…って、いま本編読み返したら、変換ミスはあるわ散々だ!(爆)。 相変わらずrabi様にはこちらの体調まで、バレバレですね…(ハハ…)。

私は職人さんが大挙押し寄せたシーンを見ていて、「おおっ、『華麗なる一族』 みたいじゃねーか!」 …じゃなくって(笑)「ボンネット付きトラックがピカピカじゃねーか!」とは感じました(どこ見てんだ、どこを…笑)。

現代日本は、仕事があまりにも細分化専門化されすぎているんじゃないのかな、というようにも感じます。

だから他人が仕事で行き詰っていても、なんの力にもなれないとハナから考えてしまう。
たとえば 「宗谷」 の溶接作業でも、「船には船の溶接のやり方があるのではないか」、なんて考え始めたら、もう手助けに行けなくなっちゃうわけですよ。
これはたとえなので実際は 「どんな溶接だろーが一緒」 ということなのかもしれませんが。
でも 「自分が行っても足手まとい」 と考えてしまう裏には、仕事がヤケに細分化されていることが原因としてあるような気がする。

でも、そんなのは心意気ひとつで、なんとかなるもんなんですよね。

「あれがあるからダメだ、こういう原因があるからダメだ」 なんていうのは、臆病者の結論です。

どんな事情があろうともそれを突破することのできる力こそが、「夢の力」、だと思うんですよ。

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    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

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    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

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    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
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    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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