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2011年10月16日 (日)

「カーネーション」 第2週 自分という存在は自分の気力が作り上げる

 この朝ドラは、かなりの傑作の部類に入る、と開始早々断言したくなってまいりました。
 でもなあ。
 いままでいくらほめてる朝ドラでも、いろんな要因で途中で見なくなっちゃうことが多過ぎるので、いい加減な奴のタワゴトと話半分で受け取ってもらっても結構でございます。

 主人公が夢を持つ。
 そしてそれを親から反対される。
 けれどもその困難を主人公は乗り越え、親が聞きいれる。

 そんなお話をドラマでは腐るほど見てまいりましたが、このドラマの取った方向は、「そうしなければ父も娘も自分というものが保てない」、という厳然たる必然性を伴っているように思えてなりませんでした。 必然性のレベルが違う。 すごいなあと思うことしきりなのであります。

 女学生になった糸子(尾野真千子サン)の日常が、今週冒頭では描写されます。
 女学校にも裁縫の時間はあるけれど、裁縫好きの糸子はとっくにそのレベルを大きく超え、ほかの授業が時間の無駄に思えて仕方ない。

 そんな糸子が実家の呉服屋の集金の際に見つけたパッチ屋(モモヒキ屋、着物の修繕屋、みたいな感じですかね?)。
 そこにあったミシンに、糸子の目はくぎ付けになります。
 鼻を店の窓ガラスにこすりつけ、「ほぁ~~~」 と間抜けな声を上げる糸子(笑)。

 ペダルを踏み、車輪のようなリングが回転し、ダダダダダと猛スピードで生地を縫っていくその機械を見て、糸子は幼いころからの憧れだっただんじりを連想する。
 職人がこの、手動式ミシンを縫う様は、まさに魅惑的なパフォーマンス。 芸術性をも感じさせるほどの演出です。

 「走っちゃあた…。
 キレが走っちゃあた…。
 あの速さ…。
 あのコマ…。

 だんじりや…!

 見つけてしもた。 …だんじりや!

 あれはうちが乗れる、だんじりなんや!」

 ここで作り手は、画面で実際にミシンのだんじりを操る大工方の糸子を再現して見せた。
 この見せかたには、うなります。 糸子にとって舞踏会参加に続く、第2の衝撃的出来事です。

 それからというものの、糸子は自分が布を縫う速度の遅さに、ほとほと辟易するようになる(笑)。
 つまりこの時点で、糸子が好きなのは裁縫そのもの、ではなく、自分のイメージする洋服を作ることだ、という提示がされている。 自分の作りたいものを作る、というその速度に、手縫いが追い付いていない、のです。

 当然糸子はそのパッチ屋に足しげく通うようになる。
 そのうちにパッチ屋の主人(トミーズ雅サン)に見初められ、そのパッチ屋で職人さんたちの手伝いをするようになるのです。
 ここでどうしても指摘しておかなければならないことがあります。
 トミーズ雅サン、顔デカすぎ!(爆)
 なんか私この人久しぶりに見たんですが、以前より肥大化している気がする(笑)。

 そのパッチ屋の手伝いをするようになって、糸子は働くことの楽しさを実感するようになります。

 「働くっちゅうんは、なんてオモロイことなんでしょうか。

 うちがイッコ働いたら、まわりはイッコ喜ぶ。

 ほんで、そのたびにうちは、イッコ大人になれるような気ぃがします」

 家事を手伝うようになり、糸子はひとり満足していく。

 「どないしよう。 うちどんどん大人になってるやん」(笑)「うちはもう、ごっつい大人や…」。

 大人になりたい糸子の気持ちが、仕事をするということの喜びと合致した瞬間。
 現代のモラトリアム社会に対する強烈なパンチのような気もいたします。

 この糸子のパッチ屋通いは糸子の伯父によって善作に知れることとなるのですが、これを機に女学校をやめてパッチ屋で働きたい、と言い出した糸子の願いを、善作はかなり強い調子で反対します。 これは呉服屋の娘がパッチ屋で働く、ということもさることながら、自分が苦労して女学校へ行かせていることの誇りも傷つけられた格好であり、呉服屋が繁盛してないように言われることへの怒りもある。

 善蔵の反対のしようは暴力むき出し。

 けれども顔に傷をつけられながらも、足蹴にされながらも、糸子はあきらめない。

 「怖かった。

 けど言えました。

 一回ゆえたら、二回ゆえる。

 二回ゆえたら、三回ゆえる」

 一度足を踏み出せば、あとは野となれ山となれだ。 あとは惰性で、どうとでもなる(笑)。
 これも現代に向けての強烈なメッセージのような気がする。

 いっぽう、その糸子の父善作は、岸和田の大地主、神宮司源蔵(石田太郎サン)との大商いに、自分の呉服屋の命運を賭けています。
 源蔵の息子が洋式の結婚式をすることでいったん商売の機会を逃してしまっていた善作でしたが、源蔵の娘が結婚、ということになって、その衣装を任されることになるのです。

 大地主の源蔵は吉田屋から、善作の商いについての悪評を聞き及んでいます。 それでも昔のよしみや、娘4人も養わねばならない事情を察し、善作に大商いをさせてやろうと考えている。
 この源蔵の心遣いが見ていて癒される。
 善作は、その源蔵の意気に触れ、男泣きしてなんとしてでもこの仕事を全うしようと考えます。

 しかし質のいい反物は、現金払いでなければ出来ない、仕入れ先から言われ、善作は窮します(chie様、ご指摘ありがとうございます。 訂正削除させていただきました)。

 ここでは善作の商売があまり評判のいいものではない、という事情も裏に隠されている気がする。
 善作の呉服屋が繁盛していて、信用もあるのならば、仕入れ先はいくら不景気でもその信用に免じて現金払いなどということも言い出さないんじゃないのかな。
 しかも顧客が大地主だと知れば、そのことだけでも仕入れ先の信用は増すだろうに、善作は顧客が誰なのかも仕入れ先に言わない。
 善作の商売が下手くそなことが、ここからもうかがえるのです。

 結局善作は、いつもの手段として女房の千代(麻生祐未サン)を裕福な実家へ金借りに出させるのですが、先方の千代の父親清三郎(宝田明サン)は善作に直接来させろ、という。

 善作は千代には精一杯粋がるのですが、糸子をワンクッション役として同行させることにする。
 そして内心ビクビクながらも娘の前では威厳を保とうとしたまま、善作は妻の実家に足を踏み入れる。

 「金は…貸せん。

 なんでか分かるか?」

 「これまでの、借金のことでしたら…」

 清三郎は、馬鹿にしたような、自分の娘の掠奪者に復讐するような笑い声を上げます。

 「せやからオマエは、小物やっちゅうねん」

 清三郎はもう呉服屋の時代やない、オマエんとこみたいな商売しとったら、もって5年や。 うちの工場に人手がいるから、オマエひとりで行け。 オマエにはもう、任せられん、と実に冷静な、善作がぐうの音も出ない話をするのです。

 話が進むたびに、生気を抜かれていくような表情になっていく善作。

 清三郎の妻貞子(十朱幸代サン)が 「千代らぁをここに住まわせい事ですか。 そらぁ、楽しなりそうやなあ…」 と千代の母親らしいおっとりぶりで、善作の気持ちをますます疎外しにかかります。

 糸子たちと鬼遊びに興じる清三郎。 それを見てのんきそうに笑い続ける貞子。
 善作は、ふぬけになったようにそれを眺めます。

 ここの描写。

 精一杯自分では頑張った気になって、ひとかどの店も持ち、大家族も養っている。
 そんな自分が、実は虚像だったということを、善作が思い知らされている場面だと私は受け取りました。
 いっぱしの存在である自分だからこそ、女房にも娘にも、母親にも大きな顔をすることが出来ていた。 威張ることが出来ていた。
 そんな自分が、実は見栄が作り上げた虚構だった。

 実際冷静になって考えてみれば、善作は女房の実家からその時点まで逃げ続け、集金も 「苦手やから」 という理由で糸子に押しつけ続け、資金繰りに困れば女房に頼りきりで、いやなことからことごとく逃げ回っている。
 しかもそのくせ、パッチ屋で働きたいという糸子に対して、店先にもかかわらず茶碗を投げつけたり、自分の呉服屋のイメージが悪くなるとか、一切考えてないフシがある。
 これでは商売もたちいかなくなる、というのは自明の理なような気がします。

 そんな自分の小ささを、清三郎は一刀両断に切り捨てたのです。
 善作にとっては、自らの存在意義が粉砕されたも同然です。

 だんじりの山車を見ながら、善作は自分もいずれはこのだんじりのてっぺんに登ってみたかった、と泰蔵(須賀貴匡サン)に話し、 「自分には、根性が足らんかったのう…」 とつぶやく。
 善作の心のなかを、善作の人生全体を、むなしく風が吹き抜けていることが分かるシーンです。

 善作は大地主の源蔵に、花嫁衣装を断念したことを告げに行きます。
 源蔵は善作に、それでも親身になって忠告する。

 「そらぁ分かる…。 けどなあ。
 やめるんやったら、早いうちやでぇ。
 商売つうんはいったんつまづいたらどん底まで、あっちゅう間や。
 手ぇつけられんとこまで落ちたら、遅いで」

 このドラマ、怖い。

 いっぽう、糸子はパッチ屋に勤められない鬱憤がたまったまま、幼なじみの勘助(尾上寛之サン)がいじめられているのを助けようとし、逆にコテンパンにやっつけられてしまう。
 勘助はヘタレですが、糸子が腹を蹴られて動けなくなってしまったところを見て逆上し、自分をいじめていた連中に逆襲し、追っ払う。

 第1週で幼かったころの糸子が、勘助の友達のアニキとケンカして、対等に渡り合ったこととの、ものすごい対比がここにはある。
 糸子には、それがかなりのショックなのです。
 その幼い日に善作に張り倒されても泣かなかった糸子が、勘助に連れられて傷だらけのまま家に帰って来たときに、思いっきりおばあちゃん(正司照枝サン)にそのショックを吐き出すのです。

 「(腹を蹴られて)そんなに痛いんけ?」

 「痛ない。 …悔しいんや…!」

 「はぁ?」

 「勘助に助けられてしもうた…」

 「それがなにが悔しい?」

 「勘助に助けられるようになったらもうしまいや…!」

 「あほか。 なにがしまいやねん」

 「あんなヘタレかて、男やっちゅうだけで、うちより強なってまいよった」

 「ヘタレが強うなったんや。 結構なこっちゃないか?」

 「結構なことない。 なんも結構なことないわ!

 知らん間に、男だけがどんどん強うなっていきよって、うちおいてけぼりや…」

 階段の影から、いつの間にか善作が、糸子の泣くのを覗いています。

 「あんたは女子や。 女子には女子のやることがあるらしの。 あんたはほれ! 裁縫。 裁縫したらええわい!」

 「お父ちゃんがアカンちゅうんじゃ! アッパッパ縫うたらアカンち…!」

 突っ伏して泣いてしまう糸子。

 「ほなら、ほかのもん縫うたらええやん…」

 「イヤや…!!

 うちアッパッパが縫いたいんや…!!

 桝谷パッチ店で働きたいんや…!!

 ミシンはうちのだんじりなんや…!」

 「なんや、うちのだんじりて…?」

 「うちは、だんじりにも乗られへん…。
 ドレスも着られへん…。
 ミシンも使えんで…勘助にまで負けてしもうたんや…!
 もうしまいや…」

 泣きじゃくる糸子。

 おばあちゃんが、糸子の頬を両手で触り、糸子を慰めます。

 いたたまれない表情の善作。

 この三者三様の描写が、すごすぎる。

 糸子にとっての存在意義が次々抹消されていくなかで、糸子は初めて、あたり憚らず泣いてしまう。
 それを見た父親の善作は、同じく自分の存在意義を、見失っている。
 この父娘共通の境涯が、見ている側にとてつもなく共感を強いてくるのです。
 そしてその底辺に、特別孫を可愛がってるわけではない、ただの普通のおばあちゃんが、孫のかなしみの受け皿になっている。
 この構造。
 泣ける、というよりも、凄みを感じるのです。

 そして善作は、糸子のパッチ屋勤めを容認する。

 このドラマを1週間分1時間半通して見て感じたのは、善作が先週の糸子同様、週の半ばで一気に意気消沈してしまう場面のダイナミズム。
 それまで威勢のよかった善作がすっかり気力を無くして、布団にくるまってしまうことが、「自分を見失ったとき」 をよくあらわしているな、ということでした。

 自分という存在は、自分の気力が作り上げるものなんだ。
 糸子にとってその原動力は、ドレスが作りたい、という衝動であり、善作にとってそれは、一家の大黒柱であり続けること。
 いくらそれが有名無実化しても、見栄に彩られた空っぽの自分だとしても、自分というものを見失えば、人は自分の置かれた環境のなかでの自分の役割の意味も失い、社会的に生きることが出来なくなる。
 そしていったん自分が無気力になってしまえば、どん底にまで行きつくのは、あっという間なのだ。

 善作が糸子の希望を聞き入れることに、これだけの必然性が伴っていることに、私はちょっと、感動してしまいました。
 まだ先は長いですが、なんか頑張ってみようという気が起きてきた、「カーネーション」 なのです。

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コメント

時間の都合でリアルタイムで見ることができないので、録画予約することにしました。

そこまでして見たい!と思った朝ドラ、初めてです。
「ゲゲゲ」以上と思うのは、この主人公と、それを取り巻くエネルギーの強さ!

「ゲゲゲ」で気の毒だと思ったのは、主人公のふみえさん、実は一生懸命内職して働いて、そのお金をご主人が横取りして使ってしまった…という部分を、全く省かれてしまったこと。

その事情を知らない視聴者は、「お金がないなら、奥さんが働けばいいじゃないの」と言っていました。

専業主婦と働く夫、という構図にしたかったのでしょうが、この年代の女性たち、家庭にいてもすごく働いたんですよ。
私的には、それが不満でした。

が、
今回はそれもなく、
素直にドラマの世界に引きずり込まれそうです。

マーシー様
コメント下さり、ありがとうございます。

「ゲゲゲ」 以上ですか。 確かに 「ゲゲゲ」 を超えようとするNHK大阪局の気概というものを感じますね。

ただ 「ゲゲゲ」 でも布美枝サン、結構ダンナの無神経さに翻弄されてましたけどね(笑)。

私がこのドラマに気迫を感じるのは、やはり脚本家の渡辺あやサンの力によるものがとても大きい。
構成力、ひとりひとりの人物に向けた神経の細やかさ、主人公たちの動機の作りかた、どれをとっても一筋縄でいかない部分を感じます。

そのなかで極めておざなりになっているのは、吉田奈津(栗山千明サン)の存在でしょうか。
彼女はその高慢さで、女学校内にひとりも友達がいない。
しかも彼女を唯一かまってくれる糸子にも冷たい。
でも奈津には奈津のアイデンティティが存在していることを、このドラマでは暗に匂わせている気がするのです。 おそらく作り手は、奈津をこのままにはするはずがない。

先が楽しみなドラマですね。

すみません、リウ様、一言だけ・・・。

仕入れ先の呉服屋は「上物は掛売りできません」つまり、現金じゃないと商売出来ないって言いませんでしたか?
じゃないと、理屈に合わないというか、神戸にお金を借りに行く必要がないと思うのですが・・・。
私の聞き間違いだったら、ゴメンナサイ。

呉服屋は・・・・というより、昔の日本の商売の仕方がそうなのでしょうが、問屋からは品物を預かってくるような商売の方法です。

いまでも一流の呉服店だと、お客が反物を買っても、即現金とかカード払いの決算はしません。
「(お支払いは)いつでもけっこうですよ」と、笑顔でお店から言われるわけですね。
で、カード払いは敬遠されます。

お客に店に来てもらう=新しく入った品物を見てもらう=また買ってもらう
なので、あえて借金を残させるんですね。

いつお金が入ってくるか、わからない。どういうお金のまわり方をしているかわからない。業界全体で、こういう商売の仕方をしているから、アブナイんです。

今のように、社会全体が体力がなくなってくると、こういう商売でいつまで続くのかなと思いますが、いま銀座や日本橋でお店を張っている一流店は、自社ビル持っている店だけですね。

というわけで、
仕入れ先の問屋が、
「現金でないと売らない」というのはよほどのことで、それだけ信用がなくなっていたわけでしょう。

そういえば、どこかの先生が、呉服屋の借金2千万とかで大騒ぎしていましたけど、いまどき、どんな一流店でお買いものしても、2千万の着物や帯なんて、ありえるわけがない・苦笑

話が横にそれましたが、

今の時代だからこそ、「カーネーション」がいいんだと思います。
世の中全体、閉塞感に満ちていて、どこかに元気を求めたいから。

いま「ゲゲゲ」だったら、貧乏時代の話で、窒息してしまいます・苦笑
ドラマって、時代に左右されることも大きいんですね。

chie様
ご指摘、ありがとうございました。 結局現金がすぐ必要だということに関してだけは自分の理解は正しかったように思いますが、掛け売りできる出来ないに関しては全くの聞き間違い(大汗)。 穴があったら入りたいです…。 さっそく訂正、そしてワケの分かんない部分は削除いたしました
間違いに関してご指摘くださると、ヘタレな筆者としては非常に助かります…。 もし何かあれば遠慮なくコメントをくださいませ。

マーシー様
再コメント及び呉服屋事情をお教えくださり、感謝申し上げます。

呉服屋なんて、全く入ったこともないし、門外漢も甚だしいので、マーシー様のご説明にはなるほどの連続でした。

あのシーン、問屋さん?は 「景気が悪いから」 とか話していた気がするのですが、昭和の大恐慌はまだ先の話だろうし、なんかそれは口実のような気がしてました。
おそらく善作の呉服屋がそこまで信用を落としていた、ということなんでしょうね。

「ゲゲゲの女房」 の肩を持つわけではないですが、あのドラマが放送されていた時期も、結構リーマンショック以降で不景気だった気はするんですけどね…。 あのドラマは、いくら貧していても、なんとかなーわね!と笑い飛ばして楽観主義でいこう、というスタンスのドラマだったと思います。 まああまりにもビンボー時代の描写が長くて、その時期は結構見るのもきつかったですが。

「カーネーション」 は夢に向かって突進していく、だんじりのような威勢の良さが画面からあふれていて、元気が出ますね。

今日の放送はひと眠りしたあと目が覚めたときにやっていたのでさっき見てしまったんですが(笑)、あんなにやさしかった職人さんたちがいきなりあそこまでヤな人間ばかりだと、「一日で辞表提出」 しちゃいそうですよね、もし現代っ子だったら(笑)。

マーシー様からの2件のコメントに対して1回の返信で済ませてしまいました。 大変申し訳ありません。。

初コメです。
朝ドラは、前作、前々作と、残念なカンジでしたので、ゲゲゲ以来の感触に朝が来るのが楽しみになりました。
リウさんのレビューも続きそうですね。こちらのブログも一緒に楽しみたいと思っています。

小さなことですが、
糸ちゃんが泣きながらお婆ちゃんに訴えるセリフで。
「あんなに誰かて、男やっちゅうだけで・・・」
ではなく、
「あんなヘタレかて、男やっちゅうだけで・・・」
だったと思います。

ここのシーンは、何度も観て一緒に泣いたので、ちょっと気になりました。スイマセン。。。

ちい様
コメント及びご指摘くださり、感謝いたします。 却って恐縮させてしまってゴメンナサイ。

本文中には記載いたしませんでしたが、この場を借りてお礼申し上げます。 直させていただきました。 どうもこの記事、間違いだらけだ…

実はこのドラマ、聞き書きにすごく限界を感じていたんですよ。 すごいネイティヴな岸和田弁っぽいし

次回からは字幕付きの録画モードに変更し、正確を期してまいります。

第2週。コメント残してなかったのでここで。

第26週の初コメントでも少し述べましたが着物リフォーム会を戦時中のモンペ教室と比較するレビューは多いものの、私はここで示された善作の立脚点に対する総括という印象の方がやはり強いです。

>糸子たちと鬼遊びに興じる清三郎。 
>それを見てのんきそうに笑い続ける貞子。
>善作は、ふぬけになったようにそれを眺めます。
この場面。糸子は洋服を着た祖父や従兄弟と陽射しの中で戯れ、貞子は縁側から夫や孫に声援を送り、善作は部屋の陰に居る。先刻、清三郎氏が述べた時代の流れの中での各自の立ち位置が明確に示されています。作劇的には善作が糸子の頭を押さえつけているように見えながら大局的には全く逆(糸子が北条政子なら、善作は平清盛)。糸子が光り輝いていくほど善作は陰となっていく。
糸子視点で善作を見ると「洋服嫌いで壁になる頑固親父」という側面で捉えてしまいますが、本質はむしろ「着物を愛する昔気質な男」。商売下手なのに呉服屋をやっているのは着物が好きだからだし、糸子を鍛えて身代を譲る事を視野に入れながら中々、踏ん切りがつけられなかったのは要するに呉服屋の意地。晩年の糸子がオーダーメイド職人の意地を語っていましたがベクトルとしては全く同じです。

しかし意地とは要は痩せ我慢な訳で置かれた環境が劣悪なほど代償も大きい。今回、同伴した勇の友人が最後の親子喧嘩となった第7週に再登場します。これは清三郎が予見した善作の負け試合が糸子の手で決定的事実になった事を示しており、善作は敗戦処理投手としてマウンドに立ち続けたようなもの。
第21週で糸子は年齢を理由に自分と善作を同一視しようとしていますが、勝利投手の権利を持ってイキのいい若手にリリーフを任せ、しかも試合には出ていたいからとベンチではなく外野に回るというものですから立ち位置が根本的に異なる。ここに親子揃ってエエカッコしいという認識が加わる事で「ええなぁ、お父ちゃんは」等という見当ハズレの発言が出てくる訳ですねぇ(笑。
その意味でも、ここから第24週にかけての展開(=期待していた救援が無くなり逆転を許す)は糸子が善作という人間をより理解する上で避けて通れぬプロセス。ここから辛うじて延長戦に持ち込み、ぶっ倒れるまでマウンドに立ち続ける事で糸子は限りなく善作の心境に近づいていく。

神戸からの帰りの列車の中で隣に座る
「キラキラを剥がされて40男の本性を剥き出しにした」
父の事を何も解っていなかった糸子。
77年かけて、ここまで来たのだなー。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

ここだけコメントしてなかったのでしょうか? また最初から始まるのかと思いました(笑)。

私はこの第2週目ではなくて、第1週目でちょっと気になることがあるのですがいいですか?

それは、ちび糸チャンが神戸で体験した、舞踏会のことです。

アレってオリジナルのストーリーだとどこかで読んだ覚えがあるのですが、あの話って、縦横無尽に伏線が張ってあるこのドラマの中では、結構浮いているエピソードのような気がするんですよ。

つまり、後年糸子がサエのイブニングドレスを作る際にも、あんなにも子供にとって印象深い出来事だったのに、「あれやな、アレ!」 というように容易に話が行かないし、神戸箱のことは話によく出るのに、舞踏会のことはまるで忘れちゃってるような感覚。

ここはひとつ、巨炎様のリンク機能で、どこにあの舞踏会の記憶が後年実を結ぶのか、ちょっとお教え願えたらな、という気がいたします。

無理に、とは申しませんが

で、善作についてですが。

彼についてはプロデュース能力とか、職人気質の面がクローズアップされているような気がいたしますが、私にとっては、やはり 「どこかヘタレなオヤジ」 ですね。

でも、いくらヘタレだと言っても、巨炎様のご指摘のような褒められるところもたくさんあったのであり。

子供に対しては、いつも自分が上、という立場をとっていたい男だと思うんですよ、善作は。

でも自分は、それだけの立派な父親なのか。

善作のなかにはそんな劣等感というものが常にあり、何かの拍子に、暴力だろうが意地っ張りだろうが、そんなもので糸子を抑えつけにかかってしまう。

私なんかが見ていると、とてもフツーの分からず屋オヤジ、という感じですね。

でも、いくら市井の平凡な男でも、糸子にとって頭が上がらない、ひとかどの不器用な愛情、というものを有していた。

分からず屋でも憎めないのは、糸子が一生頭が上がらないのは、善作に、子供に対する愛情があったからだ、と思うんですよ。

結局子供は、親に対していつまでも張り合いながら、その愛情に死ぬまで勝てない。

…別コメントで書いた結論に、またなってしまいました(笑)。

>あの舞踏会の記憶が後年実を結ぶのか
後の展開に生きたという事はないと思うのですが、
糸子にとって原点である事は示されています。
切欠となる勇と部屋で遊んでいた時に見つけた
ドレス姿で踊る人形を晩年に改装された
1階の調度品の中に見る事が出来ます。
松阪家から譲ってもらったのかレプリカを
後年になって購入したかは不明ですが…。

>「どこかヘタレなオヤジ」
実際その通りでして(笑。
そして、そんな自分から目を背けていた。木岡とつるんで「着物は日本人の魂や!」と息巻く場面、これは第147回の糸子の
「群れたり虚勢を張ったりだましだましつないでいくもんなんや」
というアホボン達への激に符号します。

>でも自分は、それだけの立派な父親なのか。
だからこそ、ここで己の実像と向き合った事が大切だと思うのです。本作は終盤「人生は後半戦が本当の勝負」
的な事が示されていますが序盤で展開される善作のドラマが、その原典。糸子に押し付けていた集金を自分で行うようになったり娘のために影で骨を折ったりする一方で、つまらない意地や打算の言動もまだまだ見られる。エエカッコしいのヘタレオヤジが試行錯誤の上で無私の領域に至るまでを第2週から第7週までかけて描いた。これも第146回の
「欲深な人間やからこそ、散々痛い目を見て辿り着く」
という糸子自身の人生経験にも符号します。序盤の展開を読み解いていくと第146回&147回の糸子の言動の数々は善作という人間を今までより深く理解できるようになった事を示しているのが解ります。

なお駆け落ちオヤジのドラマを並行して描いた朝ドラは
「ふたりっ子」(1996年)や「あすか」(1999年)が前例。
「ふたりっ子」の光一は失踪して演歌歌手のマネージャー(段田安則氏のスケジュール調整が原因なのですが)になっちゃう善作以上のヘタレ。
「あすか」の禄太郎はライダー1号なのでカッコ良すぎて最後まで父娘のW主人公体制になってしまいました。


巨炎様
私の厚かましい質問にお答えくださり、誠にありがとうございます。

ドレス姿で踊る人形…。

まあ当然ですが、ちーとも気付きませんでした(笑)。 いや、ものすごいリンク機能です、巨炎様、やはり

この第2週の、ミシンのだんじりに乗っかるオノマチの演出には、「うなった」 と本文には書きましたが、少々不安が生じたのも、打ち明ければ事実でして。 始まってからホント間もないですからね。 こういうドラマなのか?みたいな(笑)。

でもこの週後半の、善作のしおれようというのは、見ていてとても共感でき、自らも省みるようなシーンでありました。

善作は自分の娘が大きくなっていくことによって、絶えず自分の器の大きさと向き合う、という生き方を強いられたような気がします。

自分と向き合い、自分の小ささを自覚していく。

大やけどを負ったときに、傷痍軍人を見て感じた自分の小ささ。

自分の弱さを自覚したものは、やはり普通の人より強いのだ、と感じます。

そして善作は、自分なりの人生を、生き切ったのでしょう。

千代がいちばん最後に、善作の姿を見た、というのも、千代がそこまできちんと生き切った、という証のような気がする。 生き切った者だけがたどり着けた、いわゆる境地みたいなものなんだと思う。

146回と147回の巨炎様の考察も深いです(146回と147回になにがあったか私はまず覚えてませんが…笑)。

そう言えば、「カーネ」 の番組HP、消えちゃいましたね。

どうしていつまでもHPを残していかないのか、はなはだ不満です。 著作権の問題とかあるのかもしれないけれど、なんとかならないのかな。

で、来年後半の朝ドラも決まったみたいですけど。

「JIN」 の脚本家サンなので、ちょっとこれも期待できそうです(主役は杏サンとか)。

リウ様が多忙となる中、来春に今度こそ「カーネーション」の再放送が決まったようです。運命とは残酷。

ところで引退劇に関するリウ様のレビュー及びそれに対する私のツッコミというのは実は糸子の性格及び主人公自身がナレを務める作り手の仕掛けに起因しています。

>自分が苦労して女学校へ行かせていることの誇りも傷つけられた格好であり、
>呉服屋が繁盛してないように言われることへの怒りもある。
これに関する親子のやり取り。
善作「ワシがどないな思いして女学校行かせちゃってる思うてるんや!」
糸子「わかっとる。わかっとるさけ頼みます」
本当に分ってますか糸子?
⇒許可が貰えると舞い上がる。
⇒「勉強やで」を100回言われても馬耳東風
⇒社会の洗礼を浴びる
⇒不況による解雇。で、その後のやり取り
善作「ワシが何でパッチ屋行かせたったか分るか?」
糸子「ウチが本気やったから」
善作「ちゃう!金が無いからや~」

よくよく見ると糸子は正真正銘のアホです。自分のプライドを押し殺して娘の就業を許可した父の気持ちを家計の事情を知らされていなかった糸子が分らないのはまだいい。問題は分っていない事を分ったつもりになっている内に自分の考えで自己完結してしまう所。若い頃の糸子と善作の気持ちのズレの積み重ねがン十年後の三姉妹編終盤の大コケにまで影響していく…。

一方、優子は美大受験を反対された時も自分が親の代になって里香を持て余した時も分らない事は分らないって言ってる。独立の際にも親の気持ちを踏みにじっている事を自覚して泣いています。確かにデキがいい娘だ(笑。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

名目上お休みしていることになっているので(笑)細かいコメントは避けたいと存じますが(笑)、再放送が来春、ということは、今年の4月から、ということじゃなくなったんですか? なんかブルーレイも用意しなきゃとか考えていたんで、再放送の開始が延びるのは歓迎ですが、でも来年の4月からじゃ遠過ぎるしなァ。

おせっかいで書き込みます(巨炎さますみません)。
本年4月7日からとNHK「再放送予定」に出ております。「来年度」であることは間違いありませんが。これは保存版を作らないと損ですよぉ(笑)。(今のところ「あま」以降だけですが、「カーネ」もブルーレイを発売してもらいたい(すべき)とおもいます(笑)。)

巨炎様の投稿が既にありましたね。失礼いたしました。

Fクルーラー様
書き込み下さりありがとうございます。 早くブルーレイディスクを注文しとかないと、4月からは消費税上がるし大変だ(笑)。 やはり字幕付きで録画したいもんで。

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  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 上

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 上
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ記事より抜粋)。 この上巻ではビートルズの祖先から遡ってリバプールで人気に火が付き始めたところまでが書いてあります。

  • ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白

    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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