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2011年10月19日 (水)

「江~姫たちの戦国~」 第40回 出し惜しみなのかもともとないのか

 江と竹千代との関係、家康と秀忠との関係、ふたつの親と子の話を中心に展開した、今回の 「江」。
 見終わって、「ダメなところもあったけど、いいところもあったかな?」 という、どっちつかずの感想を持ちました。
 良くも悪くも、このドラマの特徴が如実に出ていたような気がするのです。

 ダメなところと言えば、いかにもという感じで進行していく親と子のすれ違い。
 話に工夫がなさすぎるんですよ。
 竹千代が疱瘡にかかったことを福(春日局)に向かって責め立てる江。 「わが子だからこそ病気の時はそばについていてやりたい」 と言い出しても、言ってることは立派だけれども、じゃ実際に何か行動したのか、と言えば、ドラマではなにも描写してない。

 そして竹千代は、完璧に福の飼い犬状態。 何かというと 「福がいなきゃボクちゃん死んじゃう」 というひ弱さ。 デフォルメも大事だけれども、ここまでひどすぎると、福の養育責任というものが著しく問われて当然だと思えるのです。 けど、誰もそれをしようとしない。 放って置いた末に問題視、ということの間抜けさに、ドラマの登場人物のだれもが気付いていないことに、見ていてイライラしてくる。

 そのうちに次男の国松のほうが御世継ぎにはふさわしい、という話が家中に巻き起り始め、焦った福は家康のもとに直訴に。
 この、福の真意というものが、見ていていっこうに見えてこない、というのも、見ていてイライラする主因のひとつになっている(主因が複数あるというのも…)。 ただ竹千代の乳母であることのプライドがこのような越権行為とも呼べる直訴をさせてるんでしょうかね?

 ドラマ語りのうえでのひとつの手法に、「その当人の真意がどこにあるのかをその場で見せるのではなく、のちになって判明させる」、という 「出し惜しみ」 という引っ張りかたがあります。
 けれどもことこのドラマにおいてその手法は、逆効果も甚だしい。

 だけど。

 「その当人の真意」 って、この脚本家先生は用意してんのかな?という気にもなってくるから、見ていてますます混乱するのです。 私みたいに考えすぎるややこしい視聴者は、取り越し苦労をしているだけなのかな?という気にもなってくる。

 で、竹千代が自分の考えを出すことが出来ず退場したそのすぐあとで、聡明な国松が江のところにやってきて、江はその国松を猫かわいがり。 竹千代の気持ちは、ますます江から離れていきます。

 どうしてこういう分かりやすすぎることをするんでしょうかね?

 少なくとも竹千代は退場したばかりなのだから、江は国松に対してもっと神経を持って接しなくてはならないと思うんですよ。 まだそばにいるかもしれない、と考えるべきなんですよ。 そんな神経が江にないから、まるで竹千代に見せつけるがごとき国松の溺愛ぶりになってしまう。
 この場面以降でも、もっとあからさまに、竹千代は自分の母江の、国松への溺愛ぶりを目の当たりにすることになる。
 江は、自分に神経がなさすぎるのに、それに全く気付かず、竹千代にも母親であろうとする。 どうしてこういう浅い話を作ろうとするんでしょうね。
 私が見ていてがっかりするのは、やはり脚本家先生の目が、江中心でまわっていないことがとても見えること。
 お江与(江)が国松を溺愛、なんて、今までの大河で腐るほど見てきた気がするんですが、ことこのドラマの主役は江。
 どうして江の視点に立った、視聴者も納得できる、江のための言い訳を考えてやらず、定説通りに話を進めようとするんでしょう。

 また、家康と秀忠は、おおばの局の命を懸けた(笑)計略によって初めて酒の席を設けるのですが、ここで展開されるのも、結局は心を通わせることが叶いませんでした、という話。
 ここで私が気になったのは、家康が豊臣と徳川が並び立つことが世間的に通用する話ではない、という論理を展開しても、その根拠というものが見ている側にも伝わってこない、という部分。

 これも脚本家先生は、あとで家康の、その真意をご用意されているのかもしれないのですが、この部分はドラマ的に、秀忠との対峙の際に、出し惜しみせずもっと突っ込んだ議論がなされるべきだと考えるのです。
 そのさらなる高度な議論の末に、秀忠に 「やはりオヤジ殿とは意見が合わぬ」 と結論づけさせるほうが、ドラマ的に見ていてとてもしっくりくる気がする。

 確かに親子の間の会話など、話半分で終わって誤解を招く場合が結構ある。
 けれどもこの場面は、単に家康の真意が分からなくて結局親子が分かりあえなかった、という話とは違う気がする。
 家康の真意がつかめなければ、見ている側は話を先に進められないのです。
 家康はこれから、かなり言いがかりとも言える方法で豊臣を追い詰めていく。
 それを 「何考えてんだこの人は」 という印象のまま見せ続け、ドラマを進行させていくことは、得策ではないように感じるのです。

 家康は福の直訴がきっかけで、大々的に 「次の世継ぎは竹千代」 と宣言します。
 表向き、家中の動揺を鎮めるため、と言いながら、家康にそれ以上の思惑がうかがわれてこない。 見ていてとても、消化不良が残る。

 結論的に江と竹千代、家康と秀忠との擦れ違いを描写するうえで、このドラマはとても工夫が感じられなさすぎる、というように、私には思えるのです。

 しかしいっぽうで、この回はよかった点もある。

 おおばの局が病に倒れ、それを家康、江、秀忠の3人が入れ替わり立ち替わり見舞いをする場面です。

 おおばの局はこの回、福を媒介とした江と竹千代の関係が悪化していくことに、心を痛めていた。 でも彼女は、それをなかなか言い出さなかった。
 またツマラン話の引き延ばしをしているのかと思ったのですが、いきなり倒れることで(笑)見ている側のモヤモヤした気持ちは一気に解消に。

 つまり、なぜ自分が竹千代と江(秀忠含む)の関係悪化を今まで忠告もせずに来たか、ということについて、ほかならぬ自分も、家康と秀忠の関係悪化を形成した張本人だったからだ、と打ち明けるのです。

 なるほどな、と思いました。

 ここでおおばの局は江に、「親だったら自分の子をあきらめてはなりませぬ」 と引退前の最期の忠告をするのです。
 ここらへんは見ていて心を動かされました(感動、と書かないところが自分でも意地悪だなーと感じます…笑)。

 同時にここでは、おおばの局が事態を傍観していたことの真意が、きちんと用意されていたのです。

 いったいこの脚本家先生、出し惜しみをしてるのかもともとなにも用意してないのか(爆)。

 まあおおばの局の最後の願いも、家康と秀忠との酒の席では破綻し、江と竹千代も、結局仲良くなることはできず。

 とりあえずいいところと悪いところがタペストリーのように(笑)展開した、今回の 「江」。
 あと何回ですか?
 まだ大阪夏冬の陣が残ってるけど、大丈夫ですかね?
 豊臣滅亡したら、一気に最終回かな?(笑)

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コメント

 途中眠くなったりしながら、なんとか見ました。多分先生は何も用意されてないと思います。お兄様が秀頼との対面の部分とか、お助けしたのではないかと思われますが。今回アシストをうかがわせるシーンってあったかしら?

 親子のすれ違い。実母と乳母。おおば様が立派だったのが際立っただけでした。竹千代へのデリカシーの無さは、ひどいです。秀忠は自分が父とわかりあえないで、偉大な父に認められず?苦労しているくせに、武芸が苦手の息子が、勇気を振り絞って父に相手をしてもらいに行ったのに、「か弱いな。」ですから。そこはがんばった勇気を認めてあげないと。苦手に挑戦しようとしたのだから。竹千代と家族の次のふれあいが遠のくばかりです。江ちゃんは国松溺愛だし。しかも露骨。下の子は親の取り入るのがうまいのは世の常なのに。国松の「母上がやさしいから」で慰められて馬鹿親だな。呆れます。

 しかし、お世継ぎ問題は、従来どおりの展開。春日局も江ちゃんと同じで、盗み聞きと直談判の使い手でした。家康に何か含むところがあるのかないのか。あったとしてもそこは北大路さんにお任せで、先生逃げるのじゃないかしら。

 おおば様の最後の忠告は心に染みました。それと、わざと苦しむふりをして、家康と秀忠を話し合せようとする小芝居も、加賀さんの茶目っけがうまく作用していたと思います。秀忠がおおば様は「生みの母以上に母だった」と言った言葉は、竹千代と春日局にもあてはまるはず。生みの母の江ちゃんも、「自分の子をあきらめてはいけない。」と忠告してもらったわけだけど、竹千代との関わり方は下手くそすぎです。ぎこちなくかみあわない親子というのを演出しているのでしょうが、繊細な息子に対して、配慮がなさすぎだと思います。「べたべたしてくる弟ばかり可愛がっているくせに、急に自分にちょかいださないでよ、聡明な弟の方が好きなんでしょ、お母さん。大事にしてくれる福にも気を使わなきゃいけないんだよ、僕は。」(私が竹千代だったら嘆きます。)家康から自分が後継ぎに指名された時、当惑していたように見えた竹千代の方が私には聡明に見えました。

 大丈夫です。このお話の先生のヒロインは淀ですから、淀が死んだら残りわずかです。リウ様の予想に近いじゃないでしょうか。戦国の姫のお話ですので。

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

兄上がアシストした部分は、たぶんタペストリーのように…(笑)。
この回はテーマがはっきりしているのに、内容的に散漫(笑)。 こういうときは、虫食いのようにお兄様がアッチャコッチャ作ってるんでしょうね(邪推です…笑)。

私は男だからか、江の母親的役割の放棄よりも、竹千代の養育責任を一手に引き受けている福の責任の大きさのほうに目が行きました。 息子目線だなあ…。

この乳母、なにをやっとるんでしょーか(笑)。
どういう教育をしてるのか、まるでブラックボックスなんですよ、このドラマ。
見ていてとても、その部分がイライラする。 イヤ、「が」 じゃなくって 「も」 だ(…)。

結局福の人間性に関しても、まったく脚本家先生は無視。 イヤな女、としか描いてない。 しかも乳母としての能力は皆無。 これもあとからその真意が明らかに…、いや、ささ様のご指摘の通り、脚本家先生はなにもお考えになっていないのかも。

樹里チャンの国松への溺愛ぶりは、ん~、露骨とも言えない気もするんですよ。 どっちかというと無神経すぎ、とゆーか(おんなじか…爆)。

ただ樹里チャンの秀吉が亡くなってからの演技は、とても大人チックになってきたように、個人的には感じてます。
はち切れそうなおてんばぶりを披露する相手がいなくなっちゃった、ということの表れなんですけどね。

でもそれが、「江、どこか具合が悪いの?」 みたいに見えてしまうのは、樹里チャンが役作りで江をいくら大人にしようと頑張っても、脚本のなかの江が、いっこうに大人にならないことの表れだ、と個人的には考えています。

このまま江チャンが子供のままで終わるのか…思えば7歳児から、ずっと同じだった…(笑)。

 7歳児から、ずっと同じだったなんて、きっと江ちゃんはお兄様の担当外だったのでしょうね。可哀想。

 福さんは、乳母としてはどうなのという感じですよね。正直、江ちゃんじゃなく草刈さんとかが、「まずい」と家康に手紙を書いたら罷免されるのじゃないかしら。実母だけじゃなく乳母にも恵まれない竹千代が不憫ですね。親子のすれ違いとか、先生はあまり書きたくないのじゃないかしら。茶々と千姫の方が書きたいのでしょう。しかし、千姫にあんなセリフ言わせる先生の神経がわかりません。先生は直接的表現が好きですよね。慎みがないのです。

 竹千代への福さんの教育方針を先生は考えてないでしょう。福さんは江ちゃんの敵役でしかないと思います。子供に対して先生はあまり思い入れがないみたいです。家光や忠長なんてどうでもいいのじゃないかしら。江戸時代に行く気はないのだし。樹理ちゃんゴールまでがんばれ。

 

 

ささ様
再コメント下さり、ありがとうございます。

樹里チャンを7歳児からやらせたのは、江がずっと成長しないことのフラグだったのかな~。 子役にやらせると、話の最初だけすごく成長したように見えてしまうから。

実際竹千代クンはゲイになる予定らしいですから(爆)、福の乳母としての腕もこんなもんだったのでしょうが…(笑)。
でも以前の大河だと、竹千代が変わり者だ、ということにおいて、苦悩とか開き直りとか、竹千代自身の葛藤をちゃんと描いていた。
それが全くないのが、「息子的視点」 から言うととてもイライラ…まあこんなもんさと思いながらいつも見てるんですけどね。 ささ様のおっしゃられるように、子供なんてどーでもいいんでしょうね。 だって何人も娘を産んどいて、ほぼ母親的描写がありませんもん。

千姫のセリフって、あのことですねdespair

まああからさまなのが、今年の大河の大きな特徴でしょうね。
というより、この脚本家先生は幼少の時分より性的にあけすけな人生を送られてきたんじゃないかなって、感じますね。

私も下品なほうですけどcoldsweats01。 だからこのドラマのそんな表現に、気付かないことが多い(ハハ…)。

ともかく、ゴールはそこまで見えてます。 「史上最も笑える」 大河としてのゴールが(タメイキ…)。

 母親として見ると、江ちゃんを差し置いて、わざわざ迎えた乳母がこのていたらくだと、江ちゃんの乳母が育てたのとたいして変わらないと思ってしまいます。かえっておおらかに育つかも。

 このドラマでは竹千代が福に育てられて、母から離されている事への竹千代のリアクションが描かれない。先生はお子様は嫌いなのかも。お子様な江ちゃんも嫌いだし。(断定しちゃった)以前の大河で描かれた事は先生はやりたくないんでしょうね。比べられたら見劣りするからじゃなくて、新しくないから、おしゃれじゃないからかな?間違っても橋田先生の「春日局」と比べられるのは御免被りたいのでは?あれは春日局がいつも立派でしたから。主役だから当然ですが。

 史上最も笑える大河、きっと見終わったら、少ない同士と健闘を讃えあう大河、終わってもないのに考えている時点でこの大河の不憫さが。

 「天地人」、「龍馬伝」、「江」は「坂の上の雲」の前座ですから。「龍馬伝」でスタッフが思いっきり弾けたおかげで、江はつらい立場だったのかも。コーンスターチが懐かしいです。でも「江」も終わるとちょっと寂しいですよ。ダメの子のままで見送るのかなって哀愁が。大河の黒歴史にならなきゃいいけど。(もう殿堂入り確実!)海賊王にはこのドラマのぐだぐださは微塵もないと信じています。見かけ倒しにならない事を祈っています。多分、あんまり見ないけど。


 

 

ささ様
再コメント下さり、ありがとうございます。

つまりこのドラマは、民部卿局→江、おおばの局→秀忠、春日局→家光、という、三代そろって大バカ者の乳母によって織りなされたストーリー、ということになりますか(爆)。 おおばの局は最後の最後で持ち直しましたが、民部卿局も春日局も、最後の最後で持ち直すのでしょうか。
しかしこの無様なストーリーは、みんなこの3人の乳母のせいだ、という論調が隠されていたとは。

「田渕女史が誰かのマネを回避しようとしている」、という傾向は、私も感じます。
でも、オリジナルの部分はハチャメチャ(これが結構笑えるのですが)。
そして見ごたえがあるなあ、と思う部分は、やはり先人たちの作ったものの受け売りだったりする。

「龍馬伝」 は、「坂の上の雲」 の前座じゃなかったですよー。
私は今となっては、内野聖陽サンの龍馬より、福山クンの龍馬のほうが、懐かしかったりする。
内野サンみたいな龍馬だったら、かなりうざったく感じますけど(爆)、福山龍馬なら、お友達になりたいなぁ、と思います(ついでに申し上げれば、「竜馬がゆく」 の北大路欣也サンは、なんか近寄りがたい印象)。

「江」 は個人的には、もうすでに、黒歴史の殿堂入りしてますけど(爆)これも懐かしくなったりするのかな。

それともこの先、「『江』 はまだいいほうだった…」 などという大河が…ブルブルッ(爆)。

そんな大河が陸続としないように祈るばかりです。

 いやいや底はまだあるかもしれません。「天地人」がひどいと言われてたのに、もっと凄い「江」ですから。「絶対はない」のが人の世です。

 「龍馬伝」は私にとっては最高の大河ドラマです。龍馬も福山龍馬の方が好きです。でも「天地人」からの3作は「坂の上の雲」というNHKのとってもお金をかけた3年越しの特別ドラマのおかげで、放送回数をはじめいろいろしわ寄せがあったのだろうと思います。「坂の上の雲」が悪いわけじゃありませんが、通常の大河の作り方が出来なかったというのは、脚本を書いた方々や制作サイドにも苦労があったのではないかと推察します。

 乳母に育てられても、実母に育てられても、お馬鹿さんはお馬鹿さんです。ついでに淀の乳母様もいましたね。淀様も愚かな女になるのでしょうね。持ち直すのはおおば様だけでしょう。秀忠大好きの先生ですから。「江は3人もイケメンの主人を持って幸せだった。」という終わり方はやめてほしいと心配しながら祈っています。先生ならやるかも?そこまで馬鹿じゃないでしょうけど。

ささ様
再レス下さり、ありがとうございます。

「天地人」 のときは 「史上最悪だった…」 と(「山河燃ゆ」からのヒヨッコですが…)と感じたのですが、1年置いてそれ以上のオコチャマ大河ですからね。 考えてみると、大河ドラマの脆弱化は、ある程度NHKの脚本家への過度な期待が原因のように思われます。 「武蔵MUSASHI」 も、鎌田敏夫サンへの丸投げが失敗を招いた気がするし。

でも逆に、NHKが過度な介入をしてきて話をぶち壊すケースもありえるかも。 ん~、どっちなんでしょうね。 門外漢には分かりません。

いずれにしても脚本家と製作サイドとの意志の疎通とでもいうか、一丸となっている印象が伝わってこない。

「龍馬伝」 や 「坂の上の雲」 からは、そうした一体感がうかがえるのですが。

いずれにしても、力量不足の脚本家が手掛けるには、あまりにもスタンダードな時代すぎましたよね、信長、秀吉、家康、なんて。

そんな時代に竹槍一本で立ち向かっていくためには、イケメン重視、馬鹿丸出しで突っ込んでいくしかなかったのかな、と思うと、結構悲壮だなあ…。

 先生がご自分の力量を自覚されていないのが、問題なのかも。お兄さんとの合わせ技で、篤姫で成功したのに、全部ご自分の手柄にしてしまった。なのに、オリジナル。戦国時代は3傑以外でも、男女のスターがいっぱい、なんとかなるわが、先生のわがままでお兄様に途中逃げられ、どうにもならなくなったのではないでしょうか。秀頼をあれだけ男前に描けるのなら、柴田パパだって、優しいだけのパパじゃなく強い武将に描けたでしょうに。光秀だって、三成だって。

 戦国時代なら視聴率も少々脚本が悪くても取れるという、NHKの下心が、視聴者にくつがえされた、貴重な大河です。「姫たちの戦国、視聴者たちの反乱。」制作サイドがこの大河に先生と一丸となってやっているとはとても思えません。去年のチーフプロデューサーさんはとにかく、宣伝に努めてましたし、龍馬伝はスタッフの熱い心がひしひしと感じるドラマでしたが、江ちゃんにはそんな、ドラマへの熱気や愛が制作側から伝わってきません。脚本だって去年も叩かれたけど、それも制作側と役者さん達の熱気ではじき返していたと思うのですが。この脚本じゃ熱気や愛情を持てないといわれればそれまでだけど。こんな年もあるさと言う事かしら。「山河燃ゆ」懐かしいですね。賛否両論の大河でしたね。「樅の木は残った」から見てますが、江ちゃん最下位は今のところ不動だと思います。

 

ささ様
再コメント下さり、ありがとうございます。 ちょっと返信が遅れ気味で申し訳ありません。

兄上には逃げられちゃったんですか。 まあ、おふたりの共同作業、というのは 「脚本協力」 というクレジットで分かるのですが、そのおふたりが顔を突き合わせてやってない、というのは、すごく見ていて分かりますよね。 そのキャラが前にやったことを忘れちゃってるし、性格に一貫性がないし。

戦国時代と幕末では、もうやることが残ってない、という気はするんですが、そのうえでさらに、信長秀吉家康、ですからね。 王道中の王道。
ささ様のおっしゃるように、NHKが安全牌を選びすぎたんでしょうね。
主役なんてなかった江を主役にすれば、ちょっとは変化があるだろう、なんて。

「山河燃ゆ」 に関してはハマりました。
確かに賛否両論だったかもしれませんね。
でも、放送当時の日本は、まだこのドラマを受け入れる素養が残っていたと思います。
日本が狭量な品性のない国に、将来なりませんように。

もうなってるかな。

関係ない話になってしまいました(言いたいことが山積みだ…)(どうしてネトウヨに気を遣わねばならないんだ)。

 今日の放送を見て、先生とこの作品の家康が乳母に対して、ベビーシッタ―くらいにしか考えていない事がわかりました。だからおおば様以外どの乳母も出来が悪いし扱いが軽いのです。あの転んだりして寒いギャグをとっていた事が「そういう事ね」って納得いきました。卿がつこうと局になろうとベビーシッタ―でしかない。先生は馬鹿にしていたんだなとわかりました。優しい人は、そうはとらないでしょうけど。

ささ様
再コメント下さり、ありがとうございます。

私はまだ今週分未見ですが、ささ様の怒りがふつふつと感じられるようなコメントと受け取りましたcoldsweats01
「南極大陸」 とどっちを先に見ようかなぁ…。
この頃毎日のようにブログ記事を書いてますけど、やはり1日1本が限界なので…。

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  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

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    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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