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2011年11月

2011年11月29日 (火)

「江~姫たちの戦国~」 第46回(最終回) こっちが本題だろっ?

 嗚呼。

 最後まで、グダグダでした…。

 やはり大坂の陣終了後、3回ですべてをやろうとすると、こうなってしまうのでしょう。

 上野樹里チャンには、心より同情申し上げます。

 以上。










 正直、レビューを書く気にもならない最終回だったのですが。









 とりあえずここまで付き合ったので、書かせていただきます。









 この、「早く書き終わって海外旅行に行くのじゃっ!」 という気満々の、脚本家のやっつけ仕事の権化みたいな最終回を見終わって感じたのは、「江の一生をやるのなら、この最終回のダイジェスト版みたいな話が本題だろう!」 ということでした。

 うーん。

 それ以外に感想が出てこない(困った…)。

 最終回の途中でもやっていたのですが、「江の仕事はこれからじゃ」 とか、「いよいよそなたの出番じゃ」 とか、脚本家がなにを考えてるのか完全に理解不能。
 その大仕事を描くのが、このドラマのそもそもの役目じゃないのでしょうか?
 「私の人生はこれからです」 みたいなこと(どんなセリフだったかなぁ?)、ラストで江に言わせてどうするんだ。
 江の人生を描いてこなかった途方もない金額のツケを、このラストで一気に支払おうなんて、どんな御大名商売の飲み屋でも許しませんよ(例えがヘンだ、例えが…)。

 いちいち例をあげて論破していけば、このブログにも一定の役割も生じるのでしょうが、その気さえ起きない。

 返す返すも、上野樹里チャンにご同情申し上げます。
 彼女にこのドラマのグダグダを感じる気持ちがあったら、の話ですが。
 個人的には、本当に彼女がかわいそうでなりません。
 彼女にしてみれば、要らぬお節介かもしれませんが。

 気を取り直して、この最終回をおさらいしたいと思います。
 まず時間延長をしたはいいものの、どうにも物語全体の覇気がない。
 それはとりもなおさず、江に元気がなさすぎる点にある。
 こっちもこのところ疲れ切っている事情もございますが、あまりの静かな進行に、途中うつらうつらいたしました。

 しかも序盤の話の主題は、秀忠のご落胤の話。
 前にもあったけど、要するに性懲りもなく同じことを秀忠がやっていた、ということでしょう? これまでドラマ上築いてきた秀忠の堅固な人間像が、一気に瓦解するエピソードなわけじゃないですか。

 このドラマにおける大きな特徴が、ここにはあります。

 「エラソーなことを言ってても、結局人間ってダメな部分もあるのよ」、ということなんでしょうが。
 ただそれを、この脚本家の場合、見下して描こうとするから、見る側の共感を得られないのです。

 またしてはならない比較をしてしまいますが、「カーネーション」 で主人公の父親は、やっぱり 「エラソーなことを言ってても実はダメな部分もある」 人間です。
 それでも脚本家がその父親に向ける目には、限りない同情、慈愛が満ちている。
 要するに、「江」 の脚本家、田渕久美子氏の考えは、このドラマを見ている限り、「エラソーなことを言ってても、結局人間ってダメな部分もあるのよ、あ~情けない」 というように感じられてならないのですが、「カーネーション」 の脚本家、渡辺あやサンの場合は 「エラソーなことを言ってても、人間にはいい部分も悪い部分もある、だから人間とは愛おしい存在なのだ」 という共感がまず前提としてある。
 その違いなんだ、と思うんですよ。

 で、懲りない秀忠に 「許しませぬ」 とか江も怒るのですが、「じゃあどうすればいいのだ」 と秀忠が居直ると、「知りません」。
 出ました、「知りません」(ハハ…)。
 とにかく江は、表面上怒ったそぶりをしているのですが、その様子があまりに静かなので、怒っているふうに見えてこない。
 ドラマとしてのメリハリが、これで全くつかなくなってしまうのです。
 だから見ていて退屈。
 あくびが出まくりました。

 そこに折りよくかつての夫佐治一成が現れ(ホントに 「ためにする脚本」 だ…)、「思うがままに生きるのがあなたの本筋でしょう」 みたいなことを言われて、そのご落胤をわざわざ江戸城に呼んでボードゲームに興じる。
 そこで江は、のちの大奥に通じる自らの発想を秀忠に打ち明ける、といった趣向だったのですが、このご落胤騒動が、大奥のきっかけになった、という原因付けとしか機能していない。 じゃあどうやって江は大奥を形成したのか。
 先ほども書いたように、ここらへんの江の尽力をつぶさに追っていくのが、「江」 という表題のついたドラマの真の役割ではないか、と思われて仕方ないのです。 それをナレーションひとつで済ませる。 つくづくお手軽すぎる。

 顧みれば、「思うがままに生きる」 というのはこのドラマの序盤における、江の生き方の真骨頂だった気がするのですが、豊臣滅亡の序章が始まったころから、完全にその傾向は抹殺されていた。

 それは脚本家がねつ造しようとしていたドラマとは食い違いを見せていく、実際に秀忠が行なった施政に対して、江が最後まで夫をただすことが出来なかった、というこの最終回の結論で、それは結ばれていったのです。

 結局江の存在価値は、「浅井三姉妹の中でいちばん権勢を誇った人生を送ることが出来た」 という点に集約される。
 脚本家が江に対して下した人物評価は、実にそこに落ち着いたわけです。

 平たく言えば、「江がいちばん恵まれてるじゃないの、いや~ねえ」 ということでしょうかね(爆)。

 福(春日局)の幸せも、つまりはセレブに落ち着く、といったところに帰着しているし。

 あ~、も~、薄っぺらすぎて泣けてくる(大泣き)。

 このドラマの唾棄すべき薄っぺらな結論のひとつ。
 それは、「太平の世を望むなら、まずはおのれの心が平安であらねばならない」 という、江の述懐です。

 脚本家としては 「なんていいまとめの言葉を思いついたのでしょう!」 といったところでしょうが、背景もなにもないそのセリフは、ただの思いつき。

 この壮大なカンチガイドラマのラスト、脚本家は江をまともに死なせてやることも放棄しました。
 秀忠を伴ってふたりで馬に乗り、遠出をした先でのこと。
 江は秀忠に対して感謝の言葉を述べ、前述した次のようなセリフを言って、ひとりまた、馬に乗り、秀忠のもとを去っていくのです。

 「思うまま、あるがままに生きる――。

 今日をその最初の日といたします――」。

 じゃあ今までそう生きてこなかったのかよ、つーことですよネ(ハハ…)。

 ラストで一気に、見る側の徒労感を極大にまで引き上げるこのセリフ。

 恐れ入りましてございます。

 さよ~なら~。

 とわに…。

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2011年11月27日 (日)

談志が死んだ

 落語家の立川談志サンが亡くなったそうです。
 「談志が死んだ」、なんて、回文みたいですが。
 その戒名に至るまで冗談みたいな人生を貫き通した感があります。
 いわく、「自分の人生なんてロクなもんじゃない」 と強く自嘲する感覚。
 NHKのラジオのニュースで、このじょーだんみたいな(じょーだんですけど本気)戒名をアナウンサーがしゃべったときには、ちょっとひっくり返りました(って、実際ひっくり返ったわけじゃない)。 「ウンコクサイ」 とか、NHKのニュースで言わんでもよかろう(爆)。

 談志サンを取り巻く空気、というものはいつも異様で、インタビュアーとかに取り囲まれている談志サンは常に過激でなにを言い出すか分からない危険性に満ちていた。
 こういう芸能人、というのは昔は多かった気がします。
 多かないか。
 勝新太郎サンくらいしかおらんか(笑)。 横山やすしサンとか。
 今存命中なのは、もはや内田裕也サンくらいか。

 言ってることがメチャクチャなので、これらの人々の言動には、必ず不快感をあらわにする人が出てきます。
 でも人間、常識を持ってることが必ずしも美徳とは限らない。
 この手の人たちは得てして扱いにくく、さらに過激で見ていて飽きないため、遠巻きに見て面白がられる。
 でも非常識的で過激なその人たちの言動には、必ず何か、人生における真理というものが隠されている場合が多い、と私は考えています。
 その人たちは振幅の大きい人生を送りながら、人が常識人ぶって表に出そうとしない本音を、世の中に対して吐き続ける。

 人というのはさまざまであるから、時には自分の理解できないアウトローな人と付き合わねばならない場合もあります。
 そんなときに、どこまでその人を理解して付き合っていけるか。
 それは、人生における醍醐味のひとつだと私は思うなあ。
 理解不能な人と付き合えるキャパシティを自らのなかに持つ、というのは。
 今はやたらと、自分の理解できない人を排除する傾向が強すぎますよ。
 人間、てめえと同じような人間ばかりじゃねえんだ。
 つまらんですよ、自分と同じ意見のヤツばっかりだったら。

 談志サン、そう言えば今年に入ってほとんど目にする機会がなかった。
 声帯を切ってらしたんですね。
 「そう言えばいねえなあ」 という人生って、談志サンが自ら望んでいたことのような気がする。
 「そういやあ昔談志っていうつまらねえ落語家がいたなあ」、という人生。
 落語家には二つのタイプがあるような気がしますね。
 ひとつは自堕落な与太者みたいな破天荒な人生を送りたがるタイプ。
 もうひとつは何事も洒脱を旨として粋に生きたがるタイプ。
 歌丸サンや圓生サンは後者のタイプ。
 志ん生サンや談志サンは前者のタイプ。
 談志サンは、落語に対して大きな不信感を抱きながら、その落語家であろうとしていた気がする。
 つまらないものであろうとしたからこそ、自分の人生に対しても懐疑的で。
 つまり不条理を、自ら買って出てるんですよ。
 だから世間に対して攻撃的でいることが出来る。
 自らが自らの存在意義に対して疑義を呈しているわけだから、世間一般の事象に対しても、「おかしいものをおかしいと言って何が悪い」、と言い切れるんですよ。

 同時に 「過激な毒舌者」 は、心優しい人間だったりする。
 ラジオとかで談志死去のニュースをやるたびにリスナーから届くのは、「談志サンからこういう言葉をかけてもらった」「優しくしてもらった」、という声。 やたらと多いです。
 つまり見ず知らずの人にこの人は、かなり声をかけまくっていたみたいに思えるのです。
 これは世の中を疎んじながら、その世の中の人に対して常に優しくあろうとした、「不条理の一環」 という見方もできる。 要するに外見だけで中身が空っぽな世の中に絶望しながら、きちんと生きている人に対しては限りなく愛情を感じている。

 自らが不条理の中に生きたように思われる談志サン。
 今頃地獄の一丁目あたりで、鬼たちを見物してせせら笑っているのかもしれない。
 それとも 「畜生め、こんなところに来るつもりなんかさらさらなかったんでぇ」 と、極楽の景色に苦虫を噛み潰しているかもしれません。 「小さんだ円楽だって、ここはロクなところじゃねえな」 とか(笑)。

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「カーネーション」 第8週 結婚の耐えられる軽さ

 先週、糸子(尾野真千子サン)の前から忽然と姿を消した父善作(小林薫サン)たち。
 小原呉服屋はもぬけの殻、看板も外されて、家にいたのはハルおばあちゃん(正司照枝サン)だけ。 どゆこと?
 その続きから、今週の話は始まります。

 この話が、また号泣もので。
 冒頭から泣かされるとは思いませんでした。

 玄関先に置かれた、白い大きな包み。
 その前に、糸子とハルおばあちゃんは立っています。

 糸子がその白い布をゆっくりとめくる。
 最初、糸子の影に隠れて 「小原…店」 の、…の文字が読めません。
 糸子がどくことで、「小原洋裁店」 の文字が、視聴者にようやく判明する。

 「これが、おとうちゃんのけじめのつけかたや。

 黙って受けちゃり」

 ハルおばあちゃんの声にゆっくりかがみ込み、その看板の文字をまじまじと見つめる糸子。

 「どこ行ったん? おとうちゃん…」

 おばあちゃんによると、善作は隣町で質屋をやることになったらしい。 神宮司さんのつて、ということは、あの石田太郎サン演じた大地主ですな。
 おかあちゃんの千代(麻生祐未サン)らも一緒にそこで暮らすことになって、おばあちゃんだけが糸子のもとに残ったと。 糸子は家族全員を養う必要が、なくなったのです。
 糸子は家族がバラバラになったことを嫌がります。

 「分かっちゃりて。
 おとうちゃんかてな、しんどかったんやし。

 あんたの稼ぎで食わしてもらうのが、ずぅっとな」

 なにも言わずに、糸子の前から消えた善作。
 その父親の心の痛みを、がらんとした呉服屋の冷たい空気から感じ取るかのような糸子の表情。
 ドラマはここまで表現できるんだ。
 そんな感動もそこそこに、語り手はそんな心の寒さもなんとなく可笑しみをもって表現していきます。

 「(急にがらんとしてしもうた家は、寂しいし心細いし、ただの雪まで、なにか知らん、怖い…)」

 玄関の戸締りをしたそばから、戸を恐ろしげに叩く音(笑)。 「い~~と~~こ~~」(爆)。 真冬にユーレイか?(爆×2)。

 「糸子ぉぉ~~開け~~てぇぇ~~っ」(ワロタ…)。

 糸子が玄関を再び開けると、そこには雪にまみれたおかあちゃんが。
 糸子のことを心配する善作に無理強いされて、途中迷子になりながらひとり、隣町からやってきた、というのです。
 がっくりと玄関先に腰を下ろすと、そこには 「小原洋裁店」 の看板が(笑)。
 とても申し訳なさそうにしながらも、それを見るなり、あのおっとりとした調子で、「はぁぁ~~! まぁぁ~~ええ~~なぁぁ~~!」 と喜びます。
 そんなのんきそうなおかあちゃんの様子に、糸子はさっきまでの寂しさや緊張の糸が切れたように、おかあちゃんに話しかけます。

 「なんや…。
 …おかあちゃんの顔見たら、…やっとこの看板、喜んでもええ気ぃなってきたわ…」

 「喜びいな! あんた、なんぼでも!
 あんたの看板や!

 とうとう、小原洋裁店が出来るんやで」

 おかあちゃんの言葉はしっかりしてても、やっぱりそこにはとても楽観的なものを感じる。
 裕福な家に育ったおっとりさ加減が、雪模様の寒い日に心をさびしがらせる糸子の心を、溶かしていくかのようです。
 糸子はうれしそうな顔をしながら、表情を崩していきます。

 「そやけどな…。

 うちのせいで、家族がバラバラになってしもたんや…」

 気持ちが高ぶっていく糸子。

 「おとうちゃんが、ずうーっとしんどかったんやて思たらな……!」

 泣き出してしまう糸子。
 おかあちゃんがおっとりとした調子で、糸子を慰めます。

 「あれあれあれあれ…」

 「うちは…なんちゅうこと、してしもたんやろ……!

 (号泣しつつ)みんなに、どないして謝ったらええんやろと思たらな……!」

 「アホやなぁぁ…。
 そんなこと、思わんでええ…。

 あんたはただ、頑張ったんやし。
 おとうちゃんかて静子らかて、あんたが悪いなんてちっとも思てへん!」

 あくまでおっとりとしつつ、糸子を包み込むような千代の言葉に、糸子は母親の胸に顔をうずめて、号泣し続けます。

 泣けた…。

 そこにやってきたハルおばあちゃん。

 「(千代に)アレ? 来ちゃったんけ?
 (糸子に)アレ? どないしてん糸子?」

 「おばあちゃんあっち行ってて!」
 せっかく自分の店を許してもらって大人としての大きな一歩を踏み出したというのに、子供みたいに泣きじゃくっているところを見られたくない、という思いで、糸子はおばあちゃんに怒ったように言うのです。

 「なんや、泣いてんけ?」
 「あっち行ってて言うてるやろ!」

 そして春になったころ、小原洋裁店が、開業します。
 開店祝いに酒を持ってきた善作。
 糸子は父親に何か話しかけようとするのですが、善作は 「おまえ、肥えたやろ?」 と話をはぐらかします。
 糸子が号泣した晩から、このふたりは会ってなかったのかな、と考えるのは楽しい。
 私はこの時のふたりの話しぶりからして、一度も会ってなかったとは思えないんですが。
 でもまともな話は、一度もしてなかった。
 それは善作の照れだと思うし、糸子の気遣いだったと思う。
 親子の関係なんてものは、いつでも不格好で不器用なものです。
 そんな 「言葉を交わさなくても伝わる」 以心伝心の微妙な関係を、ここでは表現し尽くしていた気がするのです。

 開業した小原洋裁店は、最初のうちは客もチョボチョボで、思ったように客足が伸びません。

 それでもなんとかしのいでいたある日。

 糸子は神戸の伯父の正一(田中隆三サン)から、かつて糸子が勤めていたテーラー店の川本勝(駿河太郎サン)を引きあわされる。






 今週は糸子(尾野真千子サン)が 「小原洋裁店」 を開業、結婚、出産と、人生の大事業を次々と成し遂げる話(ってちょっと待て、今までの部分は導入かい!)。
 ところが、これが見ていてちっともめまぐるしくない。
 逆にテンポが最大限に早められることで、かえって作り手がそこになにを込めているのかが、見えてくる気がしました。

 いわく、「結婚って、そんなに大したことじゃない」。

 ここで繰り広げられていた結婚の話は、周囲(特に親族親戚関係)の怒涛のパワーによってなし崩しに決定されていく類のもの。 「これはいい話だから」 の一点張りで話が進行し、糸子のためと言いながら、本人の気持ちをあまり考慮していない(笑)。
 そして糸子も不快感を催しながらも、周囲に押し切られる形で結局結婚してしまう。

 冷静になって糸子の判断材料を探っていけば、まず小原家が娘ばかりであったことが挙げられます。 そこに長男でありながら婿に来てくれる、という川本の存在はありがたい。
 この論理は正一が善作に繰り広げてましたけど、糸子の頭にもあった、と思うのです。

 さらにこの縁談が持ち上がったときに出てきた、「勝君が紳士服をやり、糸子が婦人服をやる」 という組み合わせが、小原洋裁店にとっての、利潤追求の思惑と合致したこと。

 そして糸子が仕事一辺倒で、恋愛にまったくと言っていいほど興味がない状態であったことも大きい。
 これまでの話を見ていて、糸子が異性に対して恋愛感情を抱いていたのは、21年の生涯を通じて大工方の安岡泰蔵(須賀貴匡サン)だけ。 それにしたってあこがれの領域を出ていません。
 彼女はもう、洋裁を自分の天職とかなり早い段階から割り切っていて、ほかのことに構っている気持ちがあまりない。

 そんな彼女がいとも簡単に結婚を強いられてしまう、というドラマを見ていてまず感じたのは、「結婚って大ごとみたいにばかり思っていたけど、相手がいないとか、あんまり細かいことにこだわってするもんじゃないんだ」、ということ。

 いまの世の中、結婚したくてもできない、という人に限って、いろんなことを考えすぎています。 収入がどうだとか、性格がどうだとか、価値観が合うとか。

 でも、収入のことなんか考え出したら結婚なんて出来ゃしませんよ。
 性格だって、たいがいの人はどこかしら問題があるんじゃないですか? 問題ない性格の人なんか、個人的にはあんまり出会ったことがない(笑)。

 価値観が合う、というのは重要ですけど、なにからなにまで価値判断が合致するなんてのもまれだし。 要は、許容できるかどうか、共有できるかどうかじゃないですか。 違う価値観というものを楽しむくらいの余裕って必要。

 それに顔がイヤだ、相手に恋愛感情がない、って言っても、だいたい自分が贅沢言えるような顔してないし(爆)。
 だいたいなんか、相手に求めすぎるんですよね。 勝手にハードル高くして、結婚しない人間が増えているような気がする。
 そんなんじゃないんだと。
 結婚なんか、大したことじゃないんだと。

 ドラマを見ていて、この糸子と川本のムリヤリな結婚を見る側に納得させるファクターというのは、確かにそこかしこにありました。

 まず、なんと言っても親の思い。

 結婚すれば、親は喜びます。
 子供が自立した、という何よりの証拠ですし、これで子孫を残せる機会が出来た、ということで、親はご先祖たちにも顔向けができる。

 まず語り手は、その外壁を、喜劇的な要素で埋めていきます。
 顔合わせしたはいいものの、あせって 「わしは小原さんと(結婚したい)」 と言い出す川本を制して 「あかん! 急いたらアカン! ものには順序とゆーもんが…ゴニョゴニョ」(笑)とストップをかける正一。 正一は善作をまず説得にかかり、その気になった善作が大の苦手の千代の父、清三郎(宝田明サン)を伴って、糸子を説得にかかるのです。
 この意外な取り合わせに、糸子は目を白黒。
 「誰か病気なんか?」 と尋ねると、善作は 「なんじゃらほい?」(笑)。

 「うちまだ結婚する気なんかこれっぽっちもないねん…商売かて始めたばかりやし」
 「おまえにのうても、向こうにはごっつうあんねん!」(なんじゃソレ…笑)
 「向こうにあったかてうちには…」
 ハルおばあちゃんが横レスします(笑)。 「なあ、嫌いなんか?」
 「いや、嫌いやないけど…」
 善作は川本がいいヤツであることをハルおばあちゃんに力説(笑)。
 「(糸子に)そやろ?」
 「まあ、ええ人はええ人やけど」
 さらに横レスしてくる清三郎(笑)。 「なに、ほかに好きな相手でもおるんか?」
 「そんなもんいてへんけど…」

 「(善作、ハルおばあちゃん、清三郎の三人、合唱して)ならええやないかあ~~!」

 笑い転げました(転げはないか…笑)。 そして糸子のことはほっといて、その場で盛り上がりまくるこの3人(爆)。
 結婚が本人の意志とは別に、親族の怒涛のパワーで決まってしまう好例ですな。
 私は善作が千代を妻にした際、小原家と神戸のあいだにはぬぐい難い軋轢が生じたのではないか、と考えておったのですが、ことこのシーンを見ている限りでは、ハルおばあちゃんと清三郎との会話にもまったくなにもわだかまりが感じられなかった。 これにはちょっと推測が間違っていたかな?などと感じもしたのですが、もしかするとそれが結婚話のパワーを物語っていたのかもしれません。
 
 ところで非常に蛇足ですが、川本が小原洋裁店の開業祝いに持ってきたのが、真っ赤なカーネーションの花束(ですよね?)(花には疎いもんで)でした。 なぜにカーネーション?(笑)。

 今週繰り広げられた 「糸子の結婚(噂)話に喜ぶ心情」 について、はっきり言ってしまえば喜ぶ人たちには何の根拠もない、と私には思えます。

 「結婚というのはめでたい」、という、言わば世間的に思い込まされている価値判断によって、周囲はこれを喜んでいるわけです。

 糸子はそれを直観するがゆえに、理由もなくただ 「結婚というのがめでたい」 という思い込みだけで騒ぐ人たちを嫌悪する。
 糸子はこの話を周囲に言いふらしまわっている勘助(尾上寛之サン)を見つけ、草履を投げつけて追っかけまわします(笑)。

 「この、しゃべりがっ! このボケぇ! 人の話どんだけしゃべりまくっとるんじゃっ! 待てぇっ!」

 それでも結果的に、「結婚というのはめでたい」 ということに、なっちゃってるもんだ。

 それを裏付けていたのが、泰蔵と結婚した八重子(田丸麻紀サン)の打ち明け話でした。

 「けど、うちもそんなやったでぇ。

 うちも美容師になりたかったさかい、まだまだ嫁には行きたないから、そんなことばぁっかりゆうちゃったら、親が勝手に結婚決めてしもたんや。

 『ここはほら、家が髪結い屋やし、嫁が美容師やりたがったところで、旦那も文句は言えへんはずや、こんなええ話はない』 ちゅうて、どんどん話が進められて、気が付いたら、祝言の日ぃまで決まっちゃって。

 そやから、祝言の日に初めて泰蔵さんの顔見たんやでーうち。

 けど、今思たら、親のゆう通りやっと。

 おかげさんで毎日好きな仕事もさしてもろてるし、泰蔵さんにも、文句いっぺんもゆわれたことないしなぁ。
 …確かに、こんなええ話はなかったわ。

 無理やりにでも結婚さしてもろて、ほんまに有り難かった思てる――」

 そして、あのおっとりとしたおかあちゃんがまたすっかり勘違いして、「間違いないわあの人やったら…おめでとう…!…おかあちゃんうれしいわあ…!」 と泣きながら糸子にすがりつくに至って、糸子はそないにうれしそうに言われたらもう抗う術はない、というように、「うん…おおきに…」 と返してしまう。

 親の喜ぶ顔が見たい、ということが、個人の幸せよりもまさっていた時代。

 今じゃ自分が気に入らなかったら、いくらでも拒絶していい、って時代ですからね。
 自分の人生を自分が決めないでどうする。 そんな時代ですからね。

 この全く今と逆の価値観が、かえって新鮮に思える。
 で、自分に合った人、なんて、考えて考えて、結局晩婚化して、それ以上に結婚できない人が増えて。
 幸せっていうものは、考えすぎると、中身が空っぽになってしまうんじゃないでしょうかね。
 理想の結婚なんて、考えれば考えるほど、机上の空論になってしまう。

 そして祝言の日取りはあっちゅー間に決まっていきます。 祝宴の場は、奈津(栗山千明サン)が営む吉田屋。
 今週は駒子(宮嶋麻衣サン)が言い出した、「糸ちゃんと若女将は仲がいいのか悪いのか?」 という疑問にも、ドラマはある一定の見解を表明しています。

 日取りも決まって、周囲の糸子に向かう好奇の目はますますひどくなるばかり。
 喜ぶ人々にお礼を返さない糸子に、ハルおばあちゃんは 「みんな喜んでくれてんやし、ありがとう思わんけ!」 と怒り出す始末。

 そんななか、300坪のテントを作らなければならないという、切羽詰まった緊急の仕事が入ります。 デレデレニヤニヤした顔ばかり見ていた糸子は、この仕事を頼んできた男の必死な形相を見て感動(笑)、祝言の日にちが近いのに、それを引き受けてしまいます。
 洋裁店でもそんなことやるんですなあ。
 けれどもなにしろその仕事、厚手のテントを縫うもんだから、ペダルをこぐ足に力入れなきゃならないし、針はすぐに折れてしまうしで、かなりの重労働。 膝に負担がかかったせいで、糸子は歩けんようになってしまいます。
 慌てるハルおばあちゃん。
 履物屋の木岡(上杉祥三サン)に担がれてやってきた病院で糸子はまたまた商売っ気を出して、看護婦たちの制服の仕事を取ってきてしまう。 呆れかえるハルおばあちゃん。

 御祝儀代わりの仕事が増えてきたところに来て、看護婦の制服。
 ここで明らかになるのは、糸子のワーカホリック(仕事中毒)ぶりです。
 以前も膨大な仕事をこなしていた糸子が描写されていましたが、そりゃヒマな時もあるでしょうが、糸子がこの膨大な量の仕事をこなす時の態度は、とても精力的。
 これは単に若さゆえ、という側面もありますが、怖いもの知らずという以外にも、いったん仕事をし始めるとなかなか止まらない、という糸子の業務傾向。 本当のこのコは、仕事が好きなんだな、というのが伝わってくるのです。

 だからこそ結婚なんか、二の次三の次。
 結局糸子は、祝言の日まで仕事をし続け、祝宴に大幅に遅れることになります。
 善作の意向で、糸子がいないにもかかわらず、酒宴だけは開始(善作らしい…笑)。
 奈津はこのていたらくに激怒(笑)「引きずってでも連れてきちゃる」 と吉田屋をあとにします。

 小原洋裁店に辿り着いた奈津は呆然。
 糸子は、歩けなくなっていたのです。
 近所の戸を叩きまくって助けを呼びに出る奈津。 しかしみーんな吉田屋に行ってんらし(笑)。 仕方なく奈津は、糸子をおぶって吉田屋までだんじりのごとく爆走(笑)。
 「悪いなァ…なんや、重たないか?」
 「重たいわっ! どんだけ肥えてんよっ!」
 「最近おかわりしてへんさかい痩せたはずやけどな」
 「この貸しは倍にして返してもらうよってな」
 「しゃべりすぎたら息切れんで」
 「うるさいわっ!」(笑)。

 奈津に背負われ吉田屋に辿り着いた糸子。
 「はああ~~~っ…! この…ブタっ!」
 出てくるハルおばあちゃん、憤ってます(笑)。 「ほんまにアンタ、何考えてんやっ!」
 殺気立つ現場に糸子は当事者意識まるでゼロで(笑)「なんやみんな怖いなあ…」 ときまりの悪そうな顔。
 すると今度は、「花嫁衣装どうしたん?」 という話! 「忘れた」 て、頼むでホンマ(すっかり関西弁モードだ…笑)。
 すると奈津が、「もう面倒見切れん」 とばかり、自分が着るはずだった花嫁衣装を持ってくるのです。

 父親の死で、祝言をあげることなく籍だけ入れていたために着ることのなかった、自分の花嫁衣装。

 わざわざ神戸のおばあちゃん(十朱幸代サン)が用立てた豪華な花嫁衣装は結局キャンセルされ、糸子は奈津の花嫁衣装を着て、祝宴の席に向かおうとします。
 着付けの様子をどことなくうれしそうに見ていた奈津は、「馬子にも衣装。 ブタにも晴れ着!」 と散々憎まれ口を叩くのですが、その間に勘助に余興をやるよう指示している。 こうすることで、糸子をいつの間にか席につかそう、という意図のようです。
 祝宴の場につこうとする糸子に奈津は 「猿にも化粧」 ともう一度嫌味を言う。 これも糸子を怒らせて自力で歩かせようとする以外に、大勢の目に触れるこの場に向かう意気込みを与える起爆剤を与えたように思えます。

 奈津の機転によって、糸子が遅れたことは問わずになりながら、祝宴は盛況になっていきます。

 「(あんがい、うちの着物がちゃうことには誰も気づいてへんようでした。

 …いや、ほんまは気ぃ付いちゃったかもしれません。

 せやけど、そのことにも、うちが遅れてしもたことにも、誰も何もゆわんと、ただただ今日の日ぃを喜んでくれるだけでした)」

 神戸のおばあちゃんだって、自分が選んだ赤が基調の花嫁衣装と、奈津から借りた純白の花嫁衣装が違うことなど、すぐに分かっていたはずです。 「自分が花嫁衣装を選ばなかったら、なんのために自分は生まれてきたのか」 とまで話していた貞子おばあちゃんですよ(笑)。 でも涙を流して喜んでいる。
 そのほかにも、同席した商店街の人々、知人友人たちの結婚を寿ぐその顔、顔、顔から、糸子はみんなに祝福される喜びを、一身に感じていくのです。
 これは言わば、それまで自分がホトホト嫌になるほど好奇の目にさらされてきたことの、クライマックスとも言える行事。
 こういうセレブレーションが、ありがたいなあ、と思えることで、結婚にも一定の意義を見い出していく。 この描きかた。 新鮮です。

 さっきまであんなに怒っていたハルおばあちゃんの、うれしそうな顔。
 涙を浮かべながら微笑む、おかあちゃんの顔。
 きまりの悪そうな、本心を顔には出すまいと必死にこらえて仏頂面している、おとうちゃんの顔。

 「――うちは、果報者(もん)です」

 他人の思いによって生かされている自分を自覚するとき、糸子の目からは一筋の涙がこぼれるのです。

 そして。

 翌朝、勝がいることにあらためて驚いてしまう、糸子。
 違和感というものがぬぐえない糸子は、なんでも屈託なく笑う勝に 「足の爪いっこで、ようあんだけ笑えんな」 とほっこり気分になったりするのですが、やはり実利的な便利さで一緒に暮らしている気分が抜けません。
 そんな糸子にハルおばあちゃんがある日とうとう、キツーイ一言。

 「あんたなあ。
 新しい職人雇たとちゃうんやで。
 勝さんは、あんたの旦那さんなんやで。

 …

 一回ちゃあんと、夫婦で話しい!」

 ふたりはようやく、同じ部屋で寝ることになります。

 そのとき糸子は自分の素直な気持ちを、そのまま勝に伝えようとします。

 「あんな。

 うちな。

 仕事好きなんや」

 「そらぁ、見ちゃったら分かるよ」

 「そやから…。
 この先…。

 うちの店が、どんだけ繁盛したかて、もう働かんでもええちゅうほど儲けたかて、…うちは働くと思う。

 勝さんが、なんでうちと結婚しようと思てくれたんか分かれへんけど、…うちはそんなんや…。

 普通の、うちの奥さんみたいに、こまごまとした家族の世話やら、…死ぬまで出来へんかもしれん。
 …
 (勝のほうを向き)…寝てんか?」

 「…寝てへん。 聞いてるわ」

 「…
 そんなんやけど、ええか…?」

 「…かめへん。

 ロイヤルで、あんたが働いてるとこ見て、ええなあ思たんや。

 愚痴言わへん。
 手ぇ抜けへん。
 周りにどんだけいびられようが、好きなよおーにやって結果出す。
 コイツの仕事っぷり、ほれぼれすんなぁ、思ちゃったんやし。

 あんたは思うように働いたらええよ…」

 意義なんかは、後付けでいい。
 結婚なんて、そんなものなんじゃないのか。
 そんな作り手の声が、聞こえてくるかのようです。
 そして糸子が 「結婚してよかった」、と思った瞬間、物語は一気に2年後(昭和12年)にスッ飛ぶのです。

 スゲ。 早え(笑)。 相変わらずだんじりのよ~な強引さだ。

 外装が気に食わなかった小原洋裁店を、糸子は大幅にリニューアルしています。 看板も 「オハラ洋装店」 に変え、縫い子さんも入れて、静子(柳生ゆいチャン)も下働きしているようです。 しかも糸子のコレは、コレになってます(分からんて…笑)。 つまり妊娠中。

 なんだこの話のはしょりかたは(笑)。
 はしょりすぎだ(爆)。
 いいと思ってんのか(笑)。
 すごいよなこのブツ切りかた。

 訪ねてきた善作は、もう今からお腹の中の子が気になる様子です。
 千代は糸子のお腹をさすって、「ああ~動いてやる~! はよ出てきいなぁぁ。 みんな待ってるよってなぁぁ」 と、相変わらずのおっとりした口調でお腹の子に語りかけます。

 ここですよぉ。
 いかに家族がつながっているか。
 家族の絆、なんてよく簡単に言うけど、要するにみんな、出会いたいから出会っている。
 どうしてこうも、簡潔に絆を表現できるかなあ。

 糸子はまたまた、子供が生まれることをうっとおしがっている。 とっとと産んで現場復帰するつもりでいる。

 ところが。

 「思い上がりもええとこでした」。

 うーんうーんと唸り続ける糸子を見ながら、産婆さんもハルおばあちゃんも千代も、大福でも食べながら、そりゃののんきなものです。 「まだまだ、もっと気ばらなあかんで」「ハハハ…」。
 なんじゃこの平和な 「スゲーあたりまえそーな出産シーン」(笑)。
 次の瞬間には赤ちゃん産まれてるし。

 でもこの 「日常的な風景」 っぷりがかえってリアリティを感じるのです。
 あんなにのんきに構えていたハルおばあちゃんや千代は、赤ん坊が無事に生まれたのを見て、「よかったなあ…」「ほんまによかった…」 と大泣きします。
 ギャップが大きかった分、「出産というのは当時珍しくもなんともなかったが、無事に生まれることはそんなことより何より重要だったんだ」 ということを、見る側に思い知らせてくれます。 乳児死亡率、おそらく高かったでしょうからね。
 そしてかつて大仕事を終わらせた時のように、爆睡しちゃると糸子が思ったのもつかの間、生まれたばかりの赤ん坊はその日から、夜泣きを始めるのです。

 「(けど、いちばん思いも寄らんかったんは、とにかくこの、赤ん坊の可愛さです)」

 糸子が見つめていると、睡りながら時折ヒクッと痙攣する赤子。
 確かに可愛い。
 この可愛さぶりに完全に骨抜きになってしもうたのが、おじいちゃんになった、善作(笑)。
 「優子」 と名付けられたこの赤子の面倒をみると言って聞きません(笑)。
 「(せやから)はよわしに貸せ。 はよ! はよ! あ~はよ! はよ!」
 足をバタバタさせる善作(爆)。 どっちが赤ん坊じゃ(笑)。
 「明日からな、善ちゃんが世話しちゃるよってな~」(笑)。
 善ちゃんて誰やねん(爆)。

 「(忙しい一日が終わって、優子をおぶって歩く。
 この時間が、うちはしみじみと好きでした。
 せやけど、なんでか知らん、優子とおると、うちは自分が弱なった気がします。

 こんなふにゃふにゃした子が、しっかり大きなるまで、何事も起こらんでくれるやろか。
 世の中は、平和であってくれるやろか。

 そんなことばあっかし思います)」

 いきなり出てきた、「平和」 という言葉。

 それまでまったく画面からにじみ出ることさえなかった戦争の影が、糸子を弱気にしているような気がします。
 普通、子供が出来ると自分が強くなろう、という自覚が芽生えるはずです。
 子供のために一生懸命になって働く。
 なのに自分の想像を超える憎悪が世界を覆い始めている、という不安が、そんな親の自覚を粉砕していく。

 いつもはノーテンキな勘助が、沈鬱な顔をして 「赤紙が来た」 と糸子に打ち明けます。
 だんじりが角を曲がるように、物語は再び、大きな曲がり角に差し掛かったようであります。

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2011年11月21日 (月)

「江~姫たちの戦国~」 第45回 してはならない比較ですが…

 このところ当ブログに於いて、目下のところNHK朝ドラ史上最高傑作と(個人的に)思われる 「カーネーション」 との交互のレビューが続いている、「NHK大河史上最低駄作」 のこのドラマ。

 「史上最低駄作」 などという、このドラマ制作に携わっているすべてのかたがた(約1名除く)の名誉を傷つけるような表現は、甚だ本意ではありません。
 それに朝ドラ史上大河史上って言っても、すべて見ているわけではけっしてございませんし。

 ただこのような心ない表現をしてしまう裏には、「大河ドラマとはかくあるべし」 という感情があることを、そしてなにより、「怒り」 というものがあることを、理解していただきたい。

 特にこのドラマで同情されるべきは、なにを差し置いても主役の江を演じた上野樹里チャンであり、その乳母を演じた宮地雅子サン(お名前を明かしてしまうこと平にご容赦願います)であることは明白である、そう思われるのです。
 まあ、ご本人たちが自らの役の、このドラマにおける道化を、どういうお気持ちで演じていらっしゃったかによって、こちらの同情などは要らぬお世話にもなるのですが。

 ところでこのドラマ、ここ数回(でもないか)その語り口の手法に於いて、件の 「カーネーション」 とダブる部分が散見されるような気がする。

 それは、

 ・先の読める展開をわざと作って視聴者をじらす

 ・必要最小限のセリフによってその裏にあるものを視聴者に読ませようとする

 という点です。

 たとえば 「カーネーション」 で、娘に自分の呉服屋を継がせようとした父親が、商店街の人々を呼んでその披露をするのに、その肝心な部分がすっぽり抜けたまま、父親はそんな自分の思いがどんなことであるか、ほぼ全く語ることなく、ある日忽然と娘の前から姿を消す(って、失踪したわけじゃないんですが…笑)。

 かたや 「江」 では、乳母の教育によって歪んだ人生を歩むこととなった息子が、母親への思慕を募らせて自ら化粧し、それを見た母親との間の誤解をさらに広げていく。

 どちらもこうした問題はだいたい先が読めるもので、「カーネーション」 の場合 「たぶん父親は娘に店を継がせたのだろう」 と思わせ、「江」 の場合 「たぶんこの母と息子は互いに理解しあえる日が来るのだろう」 と思わせる。
 どちらも見る側をじらしながら、自らの心情をあまり善作(「カーネーション」 の父親)や江(化粧する息子の母親)に語らせることなく、ドラマは進行していきます。

 が、いっぽうでこの効果は絶大であり、いっぽうでこの手法は見る側を限りなく苛立たせる。

 これはなにが原因なのか、と言えば、だいたい火を見るより明らかなのですが、「人物描写がなっているかなっていないか」 の一点に集約されます。

 たとえば善作は、娘に対して気に入らなきゃ罵倒する、殴る。
 けれども自分の店を譲る、という決意を語らせる場合、自分の母親に 「言うな」「自分の決めたことだから好きなようにさせてくれ」、としか言わせない。
 善作が自分の娘に対してつらく当たるのは、平たく言えば娘のことを買っているからなのですが、そこには自分の情けなさとか、いろんな要素があることを、ドラマの語り部はきちんと描いているのです。
 だから何も彼が言わなくても、見る側は彼に感情移入しながらドラマに没頭できる。 彼の心情に涙できる。

 けれども江の場合。

 今回もなんだかんだとありながら、結局化粧をしていた自分の息子を受け入れることが出来ず、「やはり世継ぎは(次男の)国松じゃのう」 などと簡単に言わせてしまう。

 のちのち竹千代と心を通じ合うことが見る側に分かっていても、江がきちんと自分の息子たちに対して向き合っていないことが、その時点でとても見えてしまうのです。

 だから 「どうしてのちの和解に向けた、ためにする心ない言葉を、江にしゃべらせてしまうのか」、と見る側は嫌悪感を抱いてしまう。
 そして江の心情をそれ以上にドラマで表現しないために、見る側の気持ちはますます苛立ってくる。

 江の乳母に関しても同様で、彼女はもう、オーラス2回だというのに、相変わらず道化を演じている。
 いつまでやってるのか。
 一度決めたスタイルだから崩すことなく最後までやり遂げよう、ここんところ乳母にはズッコケさせてなかったから、久々に笑わせて懐かしがらせよう、という意図なのであれば、それは脚本家の大きな勘違いと言ってよい。
 だいたい最初から、乳母のギャグには視聴者の誰もが(主観で~す)ドッチラケてるのです。
 本当にこの期に及んで、ますます苛立たせてくれます、この乳母(爆)。

 また同様に。

 春日局(福)ですが。

 今回、ようやくその一端が見えたのですが、彼女が竹千代をどういう育て方をしているのかが、まったく描写されてこなかった。

 そして作り手は、そんな福をあくまで出しゃばり女、憎たらしい女としてしか描いてこなかった。

 それも最終回に向けて和解していくのだろうと思っていたのですが、実際その通りになって。

 なんというか、こういう予定調和のために、登場人物たちを不当に貶めることだらけで、実に腹立たしくなってくる。

 「カーネーション」 と手法が同じなのにここまで天と地ほどの、月とスッポンくらいの話に堕してしまうとは。
 すべては作り手の、人間に対する愛情の目、人間観察の能力の欠如に帰している。
 脚本家の名誉を傷つけることをあえて書いてしまうのは、こちらとしても心苦しい。
 ただし私のこの思いには、「怒り」 というものが裏にあることを、あらためてご理解いただきたい、と思うのです。

 すごく蛇足になってしまいますが、話のダメダメさが極まっていく今回の話のなかで、脚本家が唯一力を入れていたように思われる、家康と秀忠との和解。 家康の最期。

 よくできていましたが、その他の話があまりにもダメダメすぎて、どうにも感情移入すらままならなかったことを白状させていただきます。
 いや、この和解にしたって無理やりとってつけたような話だった…。
 嗚呼…。

 いずれにしても来週は、ついにこの史上最悪大河も最終回。

 寂しさがあるとすれば、それは気軽にクサせない寂しさであります(笑)。

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2011年11月19日 (土)

「カーネーション」 第7週 芽吹く花、しおれゆく花

 だめだこりゃ。

 このドラマ。

 傑作すぎる。

 言葉を失うとはこのことです。

 1週間分を一気に土曜日に見ている私は、前にも書きましたけど、ホントに毎週映画を1本見たような、ずっしりと重たいものを感じています。

 おそらくこのドラマ、毎回朝ドラだと26週なのですが、大震災関連で遅れて始まったために25週で終わるものと思われます。
 つまり25作分の映画の脚本を、作者の渡辺あやサンは書いていることになる。
 完全に降伏であります。
 こんなの、死ぬよフツー。 オレだったら絶対死ぬ(笑)。 レビューだけでも死ぬとゆーのに(笑)。
 信じられないクオリティのドラマだ。
 褒め言葉がほかに見つからない。

 今週のサブタイトル、ワレモコウの花言葉、「移りゆく日々」。
 そのタイトルどおりに、ドラマはこれから花咲こうとする若々しい才能の勢いと、しおれてゆく花のように身をかがめていく世代との対比を鮮やかに描いている。
 そしてドラマの語り部は、その両方に限りない愛情のまなざしを注ぎ、見る者の心を根こそぎ揺るがしにかかるのです。
 今週ばかりは、さすがに私も涙が止まりませんでした。
 けれども決してそれは、ドラマ的に泣かされている、という感覚でなく、なんというか、魂の部分で震えて感じている、という感覚でした。




 今週の話の口火を切るのは、父親を亡くした吉田奈津(栗山千明サン)の後ろ姿。 糸子(尾野真千子サン)はその通夜に行くのを嫌がります。 「奈津は糸やんに弱いとこ見られるのを嫌がる」 という勘助(尾上寛之サン)の言葉を気にしてのことです。
 けれども行かないわけにもいかず、通夜の席で申し訳なさそうに頭を下げる糸子。 奈津は糸子を、キッと睨みつけたままです。

 糸子は駒子(宮嶋麻衣サン)から、奈津は気落ちした母親の代わりに頑張ってる、こんな状態だから籍だけ入れといて、早く婿殿の男手が欲しいのとちゃうか、という情報を仕入れます。
 しかし相変わらずツンケンしてズケズケものを言ってる、と奈津の様子を聞く糸子は、腑に落ちない様子です。

 「(元気? 奈津のアホ。 なに強がってんよ。

 なにをひとりで我慢してんよ。

 泣かなあかん。
 こらえたあかん。

 うちが泣かしちゃる。
 ケンカでもなんでも吹っ掛けて、泣かしちゃるよって)」

 また今年も通り過ぎていくだんじりを、ひとりで寂しく見ながら、糸子は物思いにふけります。
 このだんじり。
 糸子が歳を重ねていくたびに、その巨大な山車が通り過ぎるのを、糸子はいろんな気持ちで見ている。
 歳を取るごとに、ただ無邪気に大騒ぎで見ていた昔とは違い、降り積もっていく気持ちと共に、だんじりが通り過ぎるのを見ている。
 ここの見せかたもとてもうまい。

 そしてそのだんじり祭りが終わるころ、泰蔵(須賀貴匡サン)の妻八重子(田丸麻紀サン)が、息子の太郎がいなくなったと駆けずり回ります。 太郎を探す糸子たち。

 その太郎、たまたま離れを通りかかった奈津に保護されるのですが、そこに駆けつけた泰蔵との会話で、泰蔵が自分のことをきちんと認識していたことを、初めて奈津は知らされるのです。

 かつて糸子との会話で、「あんたがどない思いを寄せても、向こうはあんたのことなんかちっとも意識してへんやろ」 と言われその通りだと思っていた奈津には、この事実は衝撃的でした。

 「大変やったな。 おやっさん」

 「……うちのこと、……知っちゃったん?」

 「…吉田屋の、奈っちゃんやろ?」

 うれしそうになるのを必死で押さえて、「…ほな…」 と踵を返す奈津。

 「ほんま、(太郎のこと)おおきにな」

 息子のことでお礼を言う泰蔵に、振り返って、少女のようにペコリと頭を下げる奈津。
 でももう、奈津は婚約を控えている身なのです。
 かなり、切ない。
 奈津は後ろ姿のまま、画面から遠ざかっていきます。
 奈津の表情を映さない、という手法がまたうならせます。

 いっぽうサエ(黒谷友香サン)のドレスが評判を呼び、糸子は踊り子たちのドレスの注文に追われるようになります。

 発注に製作が追い付かず、糸子は苦肉の策として、直接生地を注文者の体に当てて裁断していく、という方法を編み出します。 これがのちに、糸子の行く末に大きな光を当てて行くことになるのですが、それはまたのちのお話。

 糸子は仕事を自分の家(小原呉服店)にまで持ち込んでドレスを製作し続けます。
 「オモチャ」 などと職人にバカにされながら、テーラーロイヤル店主(団時朗サン)のあからさまな商売人根性に辟易しながら。 

 サエもテーラー店主のことがキライらしく、小原呉服店に立ち寄っては 「独立して開業すれば直接糸ちゃんに頼める」、と糸子に独立を勧めるようになる。
 ふたりが会話しているところに、善作(小林薫サン)が帰ってきます。
 このとき、べつだん 「何しに来た」 というようなそぶりもしないで、普通に善作はサエにあいさつをするのですが、糸子はもうそわそわしっぱなしです。
 そんな糸子を尻目に、サエは店にシャンプーが置いてあるのを見つけて、これ幸いと買っていく。

 ここは言わば今週のクライマックスへの導入とも呼べる部分。
 糸子が父親に遠慮せず仕事が出来るようになることと、父親の商売がもう呉服屋やらなんやら分からなくなっていることの導火線なのです。

 糸子は稼いだお金で、扇風機(ドラマでは 「電気扇」 と言うてました)を木之元電キ店から4掛けで買い、これ見よがしに父親の前に置いておくのですが、自分のほうを向いている電気扇に善作は手酌しながら 「…なんや気ぃ悪いのう。 …あっちゃ向いとけ」 とそっぽを向かせる。 扇風機に自分のことをじろじろ見られて恥ずかしかったのでしょう(笑)。 まあ父親にしてみれば、子供が便利なものを親に頼らず自分の金で買ったというのは、けったくそ悪いもんであります(笑)。 それのお世話になって 「あ~涼しい」 っていうのが(笑)。 なに親孝行のつもりでおるんじゃいと言うか。

 糸子はサエから言われてやる気満々になっていた、「小原洋裁店」 の開業を善作に持ちかけます。 とっくりの残りが少ない、割らんようにしといてやと言うハルおばあちゃん(正司照枝サン)の事前の通達が可笑しい。 でも糸子は 「そら分からん」 と聞く耳持ちません(笑)。

 酔っぱらっている善作は、案の定糸子の話を 「ほ~ん」 とおちゃらかして最初は聞いています。
 しかし 「小原洋裁店」 という屋号を聞いた途端、色をなして訊き返してくるのです。

 「小原、洋裁店…。

 お前なに勝手に看板変えてんねん」

 善作は酩酊しながらも、お前がやってることはただの職人ごっこや、商売人として成長することが重要なのだ、と、ほぼ屁理屈に近い理論を振りかざします。
 どないしたらうちを認めてくれるのか、と訊いてくる糸子に、「せやなぁ~~、もう一軒やなあ~~、もう一軒繁盛さしたら認めてやらんこともない」 と、なんかもったいつけたようなエラソーなセリフ(笑)。

 「(クッソォォォ~~~、このヨッパライがあっ!)」

 ここは笑いどころですが、実際その通りになりつつあるのがちょっと笑えない部分もある。
 善作の仕事が現在どうなっているのか、ということをシビアに考えれば、先週のレビューでのコメントに書いたのですが、かなり小原呉服店の経営状態は悪化の一途をたどっている、と思われる。 そのいっぽうで糸子と妹の静子(柳生みゆチャン)の収入に頼りっきり、という面もあるかとは思うのですが、いくら糸子が一生懸命仕事をしても、テーラーロイヤルの店主のがめつさを考えると、歩合制みたいな 「やればやっただけ収入がアップする」 ということは考えにくい。 ロイヤリティがロイヤルの店主に入らない(シャレか)ことを考えれば、サエの勧めていた独立という方法は小原呉服店にとっても願ったり叶ったりの状態だと考えられるのです。

 それを善作は頑として認めようとしない。
 おそらく自分が飲み歩いている金も、ほとんど娘たちの捻出によるものなのでしょうが、そのことを恥じる気持ちはもたにゃならん、と私は思うのです。
 ただ善作は、だらしなく酔っ払いながら、「自分の引き際」 を考えている。

 つまり善作は、自分を貶めることで、娘のジャンプアップの土台を踏み固めているのではなかろうか。
 自分が頼りないところを見せれば、ますます娘はなにくそと頑張るだろう。
 これはていのいい言い方をすれば、「わが子を千尋の谷に突き落とす親ライオン」 みたいな構図ですが、実際のところそんなに立派な性格を伴っていない。
 いろんなことをやってきたのにすべて尻すぼみになってしまっている自分の、堕落と引き換えの置き土産なのです。

 「それでもお父ちゃんがそないゆうかぎり、うちは従うしかありません」。

 ブンむくれる糸子ですが、この時すでに、子は親を超えつつある(「巨人の星」 か?)。
 ところがやはり、糸子の自信が確かなものになっていくには、もう一軒の就職先が必要なわけです。 でなければ天狗になってしまう恐れがある。
 ここで糸子はテーラーロイヤルを辞め、板尾創路サンの生地店に再就職することになります。 相変わらずのスピード再就職です。 「辞める?…どういうこっちゃ!」 と狼狽しまくる帰ってきたウルトラマン。 「こっちが訊きたい」 とボケとも本音ともつかぬ返事を返す糸子(笑)。

 糸子がウルトラマンから怒鳴られているころ、安岡髪結ひ店に、奈津がやってきます。

 この場面。

 玉枝(濱田マリサン)は午後の陽ざしの中で、うつらうつらしている。
 小鳥のさえずる音だけが聞こえる。
 ウルトラマンの怒鳴り声から一転、とても印象的な話の始まりを告げる、しずかな導入部分です。

 「丸髷に結うて」

 と、決意したように言う奈津。 「明日…入籍するんやし」。
 玉枝は驚きつつ、「そら、…おめでとうさん」 と返します。

 「大変やったなあ、お父ちゃん…」
 奈津の髪を梳きながらそう言う玉枝に、「こないだ泰蔵兄ちゃんから、同じこと言われた」 と、うれしそうに、そして寂しそうに話す奈津。

 「あの人、うちの名前知っちゃってんな。 びっくりしたわ」 玉枝には話しやすいのか、ちょっと素直に告白する奈津です。

 「そらぁ知ってるやろ。 吉田屋の奈っちゃん言うたら、ここいらで有名な別嬪さんやんか。
 なぁ。
 こないして髪おろしたら、奈っちゃんまだ女学生みたいやな」

 おっとりしている玉枝の話しぶりに、奈津の鼻の先が、見る間に赤くなっていきます。

 「…おばちゃん」

 「ん?」

 「…うちな…。

 …ちびのころ…。

 あのお兄ちゃんのこと…。

 …

 …好きやってん」

 驚く玉枝。

 「あ…。 そうか…」

 「うん」

 うつ向く奈津。 涙がこぼれてしまいます。

 「…ずっとな。

 好きやってん…」

 ただ黙ったまま、奈津の泣くのを後ろから見守っている玉枝。
 そこに、泰蔵の妻八重子と、子供達の声が遠くから聞こえてくる。
 玉枝はそそくさとその場を立って、玄関のほうに向かいます。

 玉枝は小声で、八重子にこう告げる。

 「ちょっとあんた、散歩しちょいで」

 八重子はわけが分からず、「けど今散歩から帰って来たばかりやさかい」 と普通の声で言うのですが、「ええから! もう一回いっちょいで!」 と小声で玉枝はたしなめるように言い、店の看板まで仕舞って、戸を閉め、奈津のもとに戻ってきます。

 「…泣き! 奈っちゃん」

 このとき玉枝の言葉が奈津のなかの何かを決壊させ、奈津は堰を切ったように、号泣するのです。

 おそらくそれは、長い間片思いに苦しんできた、そして泰蔵が八重子と結婚してからもずっと続いてきた、奈津のなかの思いです。
 そして父親が死んでから気落ちする母親を支えながら気丈に振る舞ってきた、思いです。
 ドラマが始まって以来初めて見る、奈津のあまりにも、あまりにも悲痛な泣き顔。
 泣けました。
 ただただ泣けました。
 書きながらまた泣いてます(恥ずかし…)。

 玉枝はそんな奈津の髪を、再び梳き始める。

 この場面、午後の光と、しずかな音と八重子のしゃべり声との対比も鮮やかな、まさに映像の芸術とも言えるシーンでした。
 すごすぎる。

 奈津の丸髷が、仕上がっていきます。
 八重子は 「もうちょい散歩にいこか」 と気を利かせる。
 そこに来たのは、勘助にちょっかいを出しながら、「ヒヒヒ、ヒヒヒ」 と品なく笑っている糸子。
 丸髷の奈津が、髪結ひ店から出てきます。
 出てきた奈津は、もういつもの奈津。 勘助のほおをつねって毒づきます。
 その後糸子と勘助は、玉枝から事情を聞くのです。

 「よかったなあ奈津…泣けてよかったで」

 「そやな」

 糸子の言葉に、玉枝が優しく返します。 糸子は玉枝の不思議な雰囲気に、奈津も気を許したのだろうと考える。

 さて糸子の再就職した、板尾創路サンの生地店。

 糸子のナレーションによってその店がまた善作の見立てであること、そして給金が前のところよりもいい、という事実が明らかにされるのですが、そのことからいろんなことがやはり推測される。
 なんだかんだと言いながら、やはり善作は糸子を頼っているのです。
 でなければこんなにあっさり就職させないし、しかも前より給金がいいところなんか掘り当てない。

 この板尾サンの店で糸子がいいつかった仕事は、セーラー服の単なる縫製。
 ここでどのように店を繁盛させる方策を考えつくかは、実に難儀である、と言っていいでしょう。 そのことを善作が前もって見越していたかどうかは分かりませんが、おそらく仕事内容を板尾サンから聞いて、自分も 「こりゃどうしたらこの店をもうけさせることが出来るのか」 と考えた、と思うんですよ。
 で、自分にも分かんないことを、糸子に押し付けた(笑)。
 構造的にはそんな感じなのかな~。

 そこの職場の縫い子さんたちは、みな職業意識が低く、お菓子を食べながら仕事をするような、まったりとした雰囲気。 糸子は流されそうになりつつも、「自分はこの店を繁盛させなあかんのや、ボケーっとお菓子なんか食うてる場合やないど」 と自分を叱咤激励する。

 なあなあの職場っていうのは一見楽そうでいいのですが、実は非常に会社にとっては危険な状態であることが多い。 逆に厳し過ぎてもイカン。 などと経営者のはしくれでもある私はここでいろいろ考えてしまったのですが(笑)それはともかく、糸子はセーラー服の仕事はうちでノルマを片付けるから、昼間は店子として売り上げを上げさせてもらいたい、と板尾サンに頼みます。 板尾サンとしては別にノルマさえ達成してりゃ腹も痛まないので、それを受け入れる。

 糸子はゴーインな売り込みをしたりするのですが、なかなかうまくいかない(ヒマそ~なネコとじゃれあったりしていた糸子ですが、このネコ、今週のちょっとしたアクセントになってた気がしますね、事あるごとに 「にゃ~」 と出てきて)。

 そんなとき、店主の留守の間に来たお客(中村美律子サン)の 「洋服を作りたい」 という要望にこたえたことで、一気に消費者層のニーズが拡大していくのです。

 糸子はそれをかなり簡便な方法で実現することに成功します。
 それは糸子がテーラー店でドレスを量産するのに編み出していた、「客の体に実際に生地を当てて直接裁断してしまう」、という方法。
 ナレーションでも解説していたと思うのですが、当時岸和田にも洋服を着たい、という需要の波が押し寄せていたことは確実です。
 ところが先週やっていたように、自分の体に合った服をあつらえてもらうにはお金がかかるし思い通りに仕上がらないことが多い。
 そこで型紙さえあれば自分で作ってしまおう、という機運が高まっていた。
 今じゃ考えられませんけどね。
 やっぱり当時は、なんでも自分で作る、という社会の成熟段階でしたから。
 と、簡単な経済知識でも解説したくなるところなのですが、ドラマでいちばん強調していたのは、「おばちゃんパワー」(笑)。 オバチャン同士の横のネットワークと、オバチャンたちの家族を巻き込んだ縦のネットワーク。 大阪のオバチャンは、やはり凄い。

 同時に解説されていたのは、糸子の持つ人間的魅力です。

 川原(鶴瓶サンの息子)が用もないのに顔を見に来た、ということで(千代役の麻生祐未サンの反応が、また笑えました)糸子に話すには、テーラーロイヤルで糸子のあとに雇った女性洋裁師が、腕はそこそこだけど客の反応が糸子の時と全然違うというのです。
 糸子が応対していたときのほうが喜んでたしうれしそうだった、と。
 実際オバチャンたちに接する糸子を見ていると、「この人になら任せられる」 というものを、糸子は持っている。
 一見手抜きのように見える 「直接裁断法」 なのに、それを手抜きに見せないだけの腕を糸子は持っているし、何よりお客の顔と合った生地を吟味する気迫というものがある。 おべっかで仕事をしてないから、信頼が自然とついていく。
 糸子の才能は一気に開花し、板尾サンの店は、見る間に行列のできる店となっていくのです。

 ところがその代償として、糸子はかなり睡眠不足気味になっていきます。

 「そやけど、ここが踏ん張りどころなんや。

 小原洋裁店を開くまで、負けるわけにはいけへん」

 糸子の頑張りは、こちらを元気づける何かを持っている。
 だから縫い子のオバチャンたちも、糸子を自然と応援するようになっていく。
 私もやはり、ここが踏ん張りどころだと思いながら仕事をしています。
 どうもそんなところにも、糸子に共感してしまう。

 糸子の仕事は、デザイン画を描くことで一気に視覚的な分かりやすさも加わり、店は満員札止め状態になってくる。
 ここでデザイン画を糸子に教えた根岸先生(財前直見サン)の存在が、陰ながらまたきらりと光る。 出てこないのに。 粋な演出だ。

 「(あかん。

 今や)」

 糸子はとうとう、決心をするのです。

 クリスマスケーキを買って帰ってきた糸子。
 妹たちは大喜び、ハルおばあちゃんもちゃっかりローソクの火を吹き消して大はしゃぎです。
 それを見ている糸子は、重大な決意を胸に秘めていることもあって、あまりパッとした顔をしません。

 そして。

 そこに酔っぱらって帰ってきた、善作。 「お~い、今帰ったぞ~っ」。
 「また酔っぱらってる」。 苦虫を噛み潰したようなおばあちゃんの声。
 それまでにぎやかだった一家の雰囲気は、一気に消沈します。

 この場面。

 善作が酔っぱらっているのがうざったい、という雰囲気以上に、家族全員が善作の行状に半ば嫌気がさしている空気が演出されている。

 「お~い、おまえら、お父ちゃんが帰って来たんや、ちゃんと迎えにこんかい」「あ?なんじゃそりゃ?」「(クリスマスケーキやら)要らんそんなもん」。

 ここから察することが出来るのは、すでに経済的主柱たり得ていない父親に対する軽蔑のまなざしであり、それを自覚しつつも威厳だけは保とうとする父親の断末魔とも言えるあがきです。

 「お父ちゃん」

 糸子が口火を切ります。

 「なんや」

 「うち、年明けたら洋裁屋始める」

 「あ?」
 ご機嫌だった善作の顔色が変わります。

 「今の仕事は今年いっぱいで辞めて、ここで、…小原洋裁店始める」

 「誰がそんなこと許した。
 おまえ!
 誰の許しを得てそんな勝手なことゆうてんや」

 善作は精一杯ドスを効かせるのですが、糸子は動じません。

 「誰の許しももうてへん。
 けどうちは、…もう許しなんか要らん!

 うちが決めたら、…そんでええ!」

 糸子を睨みつけて聞いていた善作。 ちゃぶ台を激しく叩きます。 クリスマスケーキと取り皿が大きな音を立てる。

 「なめとんのかおんどれはぁ!」

 止めに入る千代とハルおばあちゃん。 「やめり!やめり!」 ちゃぶ台の上には、平和なクリスマスケーキ。 仁王立ちする善作。

 「わがが決めたらそんでええ!?

 はぁぁ~~!

 偉うなったもんやのう!」

 糸子も負けじと立ち上がり、父親ににじり寄ります。

 「そうや。 偉なったわ!

 おとうちゃん毎晩毎晩酒ばっかり食ろうて、酔っ払ってるあいだにうちは偉なったんや!
 悪かったな!」

 善作は砕けたように座り込んでいきます。

 「毎日朝から晩まで働いて、洋服屋と生地屋繁盛させた。
 賃金ぜんぶ家入れて、電気扇かて買うた。
 今日かてクリスマスやさかい、妹らにケーキ買うて帰っちゃったんや!

 悪いけどな。
 お父ちゃんより、今はうちのが、よっぽどこの家支えとるんや!」

 座り込んでいた善作、糸子のあまりに言いように、怒りの形相で再び立ち上がります。

 「なんやとおおっ!」

 「殴りたいんなら殴ったらええ!
 けど商売は!
 商売だけはうちがしたいようにさしてもらう!!」

 「このガキがあっ!」

 糸子を殴る善作。
 家族の悲鳴。

 善作はちゃぶ台の上に置かれた家族のだんらんの象徴、クリスマスケーキを持ち上げ、裏返しにして思い切り元の場所に叩きつけます。

 「こんなもんがなんぼのもんじゃい!!」

 クリームがあたりに飛散し、ケーキは半分に崩れる。
 悲痛な妹たちの悲鳴。

 「半人前がなめんなよ!」

 泣き出してしまう妹たち。
 その場を憤然と出ていく善作。
 糸子は。

 善作に思い切り殴られ、以前なら吹っ飛んでいたでしょう。 頬にはこぶしの痕。
 でも糸子はその場に立ったまま、じっと痛みをこらえている。
 この力関係が、父親の力の衰えが、また悲しみを助長させる。

 そしてぺちゃんこになってしまった、クリスマスケーキ。

 ケーキというもの自体が、パティシエ達の 「万人に幸せになってもらいたい、笑顔になってもらいたい」 という気持ちの結晶だ、と私は考えているのですが、その思いがむなしく粉々にされたことへの悲しみが、「モッタイナイ」 という気持ち以上に、激しく私の心を傷つけるのです。

 ところがあまりの出来事に狼狽しながら、ここでハルおばあちゃんが取った行動。

 ハルおばあちゃんはその潰れたケーキをひっくり返し、汚いとかそんな気持ちはわきに置いといて、それを取り分けて妹たちに食べさせようとするのです。

 泣けた。

 ひたすら、泣けた。

 マジで泣けた。

 あーもうダメだ。

 「ハハハ! 食べれる! 食べれるて!

 はははは!

 だいじょぶや、だいじょぶ!
 ちょっとへちゃがっただけや!

 味変わってへん」

 泣き続ける妹たち。

 「ほれ! ほら! 味変わってへんて!

 な!

 箸、皿に入れて。

 大丈夫。 食べれる。 な。

 …」

 「へちゃがった」 ケーキを皿に取り、おかあちゃんが糸子に差し出します。

 「ほれ!

 あんたがいちばんにお食べ! な!」

 ダメだ。

 なんとかしてくれ。

 震える手で箸を持ち、ケーキを口に運ぶ糸子。
 それを見て、おばあちゃんが糸子に向かって、こう言うのです。

 「なあ…。

 よう…よう買うて来てくれたなあ!

 ハハ…。

 おおきにな、…糸子!」

 おばあちゃんも、とうとう泣いてしまいます。
 千代も泣きながら、糸子に 「おおきにな…」 と言うのです。

 それまで我慢していた糸子も、とうとう声をあげて、泣いてしまう。

 「糸子…おおきにな…」

 「…もう嫌や…」

 二階に上がってしまう糸子。
 しばらくして、糸子は着物を持って降りてきます。

 「かんにん…。

 しばらく、お父ちゃんと、顔合わせたない…。
 神戸のおじいちゃんとこいさしてもらう…」

 家を出ていく糸子。
 泣きぬれる千代。

 しかし。

 頼った先の神戸で糸子が見たものは。

 すっかり世代交代して羽振りのいい、従兄弟の勇の父親と母親、そして対照的に、気が抜けてしまったようなおじいちゃん(宝田明サン)とおばあちゃん(十朱幸代サン)の姿。

 「ココア飲もう」 

 好きだったココアを糸子が持ってきても、気のない返事の貞子。 いたたまれなくなって 「仕事ほっぽり出してきてるのが気になるからもう帰るわ」 と糸子がしゃべっても、貞子は以前のように無理に引きとめません。 おじいちゃんは籐椅子に持たれたまんま、眠ったまんまです。

 「(この人らは、うちを守ってくれる人らやのうて、
 …うちが守っちゃらならなあかん人らになったんや…。

 …ここはもう、うちが甘えられる場所やない…)」

 この容赦ない展開。

 悲しくて、寂しくて、寂寞、というのはこういうことを言うのだろうと思うのです。

 そしてもうひとり、世代交代をしようとしている人物がまたひとり。

 たったひとりだけ残っていた謡の教室の生徒サン(ただしその後ろ姿は、善作よりだいぶ年上と思われます)に、教室をやめることを言い渡した善作。
 「謡やめて、なんかやるんか?」 と訊くその年配の生徒サンに、善作はこう答えます。

 「いやもう…きれえさっぱり…千秋楽や…」

 善作は商店街の人々を集めて、吉田屋でおそらくその決意を皆に語って聞かせている。
 電気屋や履物屋の主人が持っていた白い大きな包みは、おそらく 「小原洋裁店」 の看板であるはずです。 善作はおそらく、小原呉服店をたたむ、という決意を語っているに違いないのです。

 しかし。

 その様子が気になる吉田奈津の視点で、話は急に動き出す。

 吉田屋の婿に来た男は、見てくれはいいけれどもどうも気構えがなっとらんような雰囲気の男。 その夫に苛立ちながら、奈津は善作の催した会合にやってきた泰蔵と顔を合わせて、またどことなくときめいたりしている。
 結局なんだかんだと応対に追われているうちに、奈津は結局なにが披露されたのかが分からぬまま、商店街の集まりはどんちゃん騒ぎになり、白い包みも何なのか、分からない。
 そしてそのまま、物語は進行していくのです。

 この構成はうなります。

 見る側にはおおよそ分かり切っていることなのに、やけに急にはぐらかされるような展開。
 翌日、いつものように学校や仕事に出かけていく小原家の娘たち。 糸子も結局、すぐに神戸から帰って、いつも通り仕事をしています。 2か月の間、どうも話は先送り状態のようです。
 昨晩の酒が残っているような善作、やはり時期的に2月くらいだと思うのですが、結構粗末な布団で風邪をひくのではないか、というような状態で寝転がり、糸子が出かける様子をうかがっています。
 その様子は静かにカメラが移動していく状態で、四方八方から、善作の様子を映し出す。 色彩はまるで、すべての情熱が過ぎ去った時のように、淡い色彩です。
 そこにやってきたハルおばあちゃん。

 「朝や」

 おばあちゃんは、息子を毅然と起こしにかかります。

 「今日やろ?」

 「ああ…」

 「そやけどなぁアンタ」

 「言うな」

 言うなて、自分の母親に(笑)。

 「わしが決めたことや…好きなようにさしてくれ」

 店先に張ってあった商品宣伝の紙を剥がしていく善作。
 ずいぶん風雪に耐えたであろうその紙は、バリバリと固そうな音を立ててはがれていきます。

 そして小原呉服店の看板を、ただずっと見上げて立ちつくす、善作。

 千代がその様子を見ながら、涙を浮かべています。

 吉田屋の集まりで披露していたように、22年が小原呉服店の営業期間だった、ということを考えると、そんなに長期間ではないように思える。
 二十歳そこそこであろうと思われる糸子も、おそらく開業のすぐあとに生まれている。
 呉服屋自体たぶん善作が一代で起こしたのでしょうから、そんなに歴史のない呉服屋、ということになると思うのですが、ここでの日々は、やはり善作にとって、千代にとって、家族そのものの歴史であるのです。

 その晩仕事から帰ってきた糸子。
 様子がおかしい木之元を不審がりながら、小原呉服店が廃墟のようになっていることに驚きます。
 あまりにもしんとして、不気味な店のなか。
 なにも残っていません。
 そこに揚げものを揚げる音がしてくる。

 「おばあちゃん!」

 「なんや、かえっちゃったんか。 ああびっくりした」

 矢継ぎ早にどういうことなのかを尋ねる糸子。

 「なにがあったん?」

 「あんなあ…今日から、うちとアンタの、ふたりっきりや!」

 つづく。

 えっ?

 どういうことなのか?

 だいたい分かるけど?(笑)

 たぶんおばあちゃんは糸子の世話役としてここに残ったのでしょう。
 煮物ばかり作っていた印象しかないおばあちゃんが、揚げ物をしているということは、たぶん根岸先生との思い出の品、なのでしょう。
 つまりそれは、糸子の新しいスタートを祝う、「勝(カツ)」 レツであるはずだ、とは考えられないでしょうか?
 いや、すべては憶測にすぎませんが…。

 しかし今週、奈津の号泣の場面とか、最後の静けさのなかの揚げ物の音とか、音が重要な役割を演じることが多かったような気がしてなりません。
 そしてそこに絡まる午後の陽ざし、朝の冷え冷えとした色彩を失った世界。
 それが作品自体に上品さをまとわせることに成功し、芸術的な至高にまで達している。
 だから映画的だ、と思うのです。

 そしてそこで展開される、糸子の若々しいエネルギーの爆発と、善作や神戸の、しおれていく花のような寂寞とした描写が、鮮やかなコントラストを物語に添えている。

 ここまで芸術品のようなドラマって、少なくとも私の記憶にはございません。

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2011年11月15日 (火)

「江~姫たちの戦国~」 第44回 じらすのもたいがいにせよ

 ラスト3回のおしまい、つまり次回予告で、ようやく、と言うかとうとう、と言うか、このドラマの全容、つまり体裁が、やっと見えてきました。

 このドラマ、結局は浅井、信長、柴田、そして豊臣の滅亡を描き、戦国の悲劇をメインに見据えたものであった、ということ。

 なんだか今回が終わってもう2回、だというのに、来週は家康の最期がメインとなるようです。
 つまりここで、奇妙な親子関係によって結ばれていた家康と秀忠との関係に、あるひとつの見る側を納得させる結論、というものを作り手は考えている様子、であります。

 そしてどうも江をめぐる話のシメとして、作り手は家光(竹千代)の三代将軍就任を最終回のメインストーリーに考えているように思えてきた。 違うかな? 次回家康の死と共に、竹千代を将軍にさせちゃうかな?
 でもまあ、「江」 と銘打ちながら、江の人生を最後までつぶさに俯瞰する、という意図が、結局なかった、と思われても仕方ないですよね、ここまで来ると。

 こんな主役ないがしろってありますかね?
 まあ豊臣滅亡でクライマックスを迎えているから、もう大奥のこととかやらないのは目に見えてましたけど。

 振り返って今回の話。

 メインと思われるのは、秀忠が前回豊臣滅亡のとどめを刺したことへの心情的な説明。
 ということはここ数回、話の主導権を握る主役は、秀忠ということになる。 その彼の逡巡、ということになる。

 江はそれに、ただ振り回されているだけ。
 振り回されてただ無理に姉上の死を納得させられて、人の悲しみというものを学んだのかと思えば、子供に対して相変わらずダメ親だし。 初に諭されるのですが、初もこの程度の役割で終わるのか、と思うととてもカワイソウな気がします。
 しかも初に諭されて江が竹千代と話し合おうとしたら、竹千代がゲイになってしまったところを発見!ですからね。
 こうやっていったん誤解させて話をややこしくさせといて、結局春日局とも竹千代とも和解するんでしょうが、主役を下世話に翻弄させる話しか思いつかないのか、と情けなくなる。

 いっぽうでは秀忠の心情に関してはつぶさに説明。 だいたい分かりましたけどね、豊臣を滅ぼした原因。 平たく言えばこれで平和になるから、ということなんですが、その決断をすることによって自分の中の何かが死んだ、そして悲しみを背負わねばならなくなった、という悲劇を演出していました。
 厳しい建前を言いながらも、顔はひきつっていかにも心の奥で苦しそうな秀忠。
 確かにこうするとカッコイイのですが、これでは秀忠がカッコイイばかりで、ツマラン下世話な話に翻弄されている江が、刺身のつまみたいな感じに見えてくる(だから妻なのか)。

 この成り行きを見ていて、先に挙げた 「名だたる戦国大名たちの滅亡」 を描くと同時に、作り手の主眼は完全に秀忠に移行し、「万世のために太平の世を開かんと欲した」 秀忠の名誉回復の話にすり替えを行なっている、そんなことを感じました。

 で。

 個人的には、「いつまでこんな話をやっとるんだ」 という心境で見てますから、実は今回、見ていてとてもイライラして。

 つまり、江と秀忠が、なかなか会わないんですよ、豊臣滅亡後。

 とっとと会って修羅場でも展開せい、と思っているので、このじらされかたには本当にイライラしました(だって毎度詐欺的ですけどサブタイトルが江戸城騒乱、ですし)。

 結局すぐに会わないのにはそれなりの理由があったことはあった。

 間隔を置くことによって江に淀からの手紙を見せたりなんだりして、江に考える時間を与えた、ということですから。
 江はすっかり冷静になって、夫に会ったらギャーギャー言ってやろうという気持ちがほぼ消滅してしまう。
 夫はだから、やっとこさ江と会ったときに江があまりにも物静かなので、「恨むならおれを恨め」 としどろもどろになってしまう。 そして夫婦は互いにままならぬ建前の世界に心を痛め、互いに抱き合って泣く。

 いいんですけど、ラスト3回でやってることか、なんて考えてしまうんですよ、かなしいことに、こっちも。

 で、もう一つイライラするのが、春日局(福)。

 豊臣滅亡を祝って竹千代を前面に押し出してどんちゃん騒ぎの段階からもうこっちはムカムカしてるんですが(いくら豊臣憎しとはいえ竹千代の母親の姉が亡くなったことをまるで考えていないこのバカ女)、竹千代が次期将軍が危ういとまたぞろ大御所に何のかんのと直訴し、家康に自語相違を軽くいなされてギャフンとなってしまうところなど、別にギャフンとなるところじゃなかろうとも思ってここもイライラするし、あげくの果てに将軍お抱えの儒学者を丸めこんで次期将軍候補の竹千代を推薦とか、





 …



 やってることが、




 …



 幼稚すぎるッッッッッ!(笑)

 どうしてこういう情けない作り話しかできないのか、この脚本家。

 とにかくこんな女でも残り2回で改心するんでしょうが、もう、話を先送りにしてじらすのもいい加減にしてもらいたいもんです(最後に来て、ちょっとこっちのイライラが爆発してしまいました…)。

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2011年11月13日 (日)

「土曜スタジオパーク」 小林薫サン登場

 「カーネーション」 昨日アップ分のレビューを執筆中、「土曜スタジオパーク」 に善作役の小林薫サンが出演されると知って、見てみました。

 小林サンは登場時から、顔は笑っているけどかなりイヤそーな感じで(爆)、こういうバラエティものにお出になるのは嫌いなんだろうな、というのがすぐ分かる。 ここらへん、気難しいおとうちゃんを彷彿とさせる感じでしたが、司会進行のビビる大木クンを意地悪そうに牽制し、「ホントに分かっててうなづいてんの?」 みたいに大木クンを芸名通りびびらせまくる(笑)。

 「カーネーション」 、今年5月から撮影が開始され、ご自分のクランクアップはもう終えたらしいのですが、その話を振る大木クンに 「これが知られたら善作が死んじゃうことが視聴者にばれちゃうけどいいの?」 という内容の脅しをさらにかける(笑)。

 番組では、「カーネーション」 で小林サンが演じていらっしゃる、主人公の父親善作の性格分析へと進行していきますが、「娘思いのクセにボーリョクをふるう」「仕事に厳しい癖にズボラ」「威張っているのに小心者」(だったっけな) などという矛盾しまくりの性格を、ご本人も分かんないなりに 「自分だって矛盾した性格だから」 と楽しんで演じていた様子が伝わってきました。

 ここで脚本の渡辺あやサンからのメールが紹介されたのですが、実在の人物である善作のモデルとなった人も、脚本を書いててまったく自分も理解が出来なかった、おそらく小林サンならなんとかしてくれるだろうと、そのまま丸投げしたらしい(笑)。

 でも、「人間というのは本来矛盾してるし見る人によって印象だって違うもんだから」 と、この矛盾点を受け入れて小林サンが演技したことで、善作という人のリアリティというものはかなり増しているように私は感じます。

 その後、ご自分の過去の、NHK出演作VTRを見るというコーナーでも、かなりイヤがって。

 この人は、今自分がしていることに全力を傾けるタイプで、もうできてしまったものを振り返る、ということはしたくないんだろうな。 だから 「ふぞろいの林檎たち」 のファースト・シーズンで中井貴一サンの兄役としてあんなに印象的な演技をなさったのに、続編にお出にならなかったのかな、なんて考えました。
 それにしても 「イキのいい奴」 のVTRは懐かしかった。 ハマりましたですよ、当時。 続編も作られたのですが、もっと続編を続けてほしかった。 「ふぞろい」 と同様、続編には難色を示すタイプなのかな。
 いま続編をやってる 「深夜食堂」 というのはその点、ご自分が前面に出ていらっしゃらないし、もしかするとライフワーク的な作品にしようとしているのかもしれませんね。

 「カーネーション」 撮影中のこぼれ話もいくつか。

 泰蔵と八重子の結婚式のとき、小林サンは謡を一節うなるのですが、ここの場面は善蔵が謡の先生をやっている、という設定もあって、かなり粘って撮り直しをしていました。
 小林サンの、「今の仕事に全力を傾ける」、という姿勢を垣間見た気がします。

 さらに妻の千代役をやってらっしゃる麻生祐未サンのお話。
 神戸に千代がお金を借りに行ってダメだったとき、きれいな櫛を土産にもらってきたのを喜々として髪に差そうとした瞬間、怒った善作がそれを取り上げて2階から外に投げ捨ててしまう、というシーン。

 そのきれいな櫛は見事に割れてしまって、かなり動揺した、と(笑)。

 画面では後ろ姿で千代を怒鳴り続けるのですが、顔が引きつってた、とか(笑)。

 いずれにしても小林薫サン、ニコニコしてるけど結構厳しさが漂っていて、木之元電キ店の店主をやってる甲本サンの話だと、辛辣なことをポロっと言う、とか。

 大昔はテレビのバラエティ的な番組に出ても、気難しくて司会者泣かせの役者さんが大勢いた気がするのですが、小林サンは顔じゃ笑っているけどその系統を強く継ぐお人柄のようにお見受けいたしました。

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2011年11月12日 (土)

「カレ、夫、男友達」 第2回 落差がありすぎる、このドラマ

 第1回の感想が、ほとんど内容を書かないいい加減なもので終わってしまった 「カレ、夫、男友達」。
 なぜかと言えば、ユースケ・サンタマリアサンが演じるDV夫のあまりのインパクトぶりに感想を根こそぎ持っていかれてしまったせいであります。
 なんたってアータ(笑)、このダンナ、妻の木村多江サンのやることが気に食わず(ほとんど言いがかりレベル)頭からマヨネーズをぶっかけまくるんですからね。

 木村多江サンはそんな夫に怯えまくり、髪の毛をマヨネーズだらけにしながら、顔半分もマヨネーズまみれ。
 そこに追い打ちをかけるように夫のボーリョクが展開する。
 ただひたすら謝りながら顔をゆがめる木村サン。
 その表情は女性から見ればまことに悲惨極まりないと思われるのですが、男性の私から見ると妙にエロチック。 コーフンしないわけにはまいりません(申し訳ない…)。 このマヨネーズ、木村多江サンは太い星型ノズルでドバドバかけられていたのですが、個人的には細いほうのノズルでお好み焼きみたいにかけてほしかった(あのなぁ…なんじゃソレ)。

 当然の成り行きとして、当ブログ前回のレビューはほとんどこの話で終わってしまいました。 まったく深い内容なし(たまにはこういう内容のないものもいいと思いますが…文章が長すぎるんだよな、最近の自分のブログ)。

 けれどもその反面、じっさいの話、このドラマはそれ以外の話があまり面白くないんですよ。

 このドラマの主軸となるべき部分は、木村多江サンを長女として、真木よう子サンの次女(この人が主役)、夏帆サンの三女の三姉妹が持つ、それぞれの恋愛観における傾向と問題点。
 そこにこの三姉妹の別れた両親(高畑淳子サン、長塚京三サン)の事情を絡めながら物語が進行していくわけですが、まず主軸となる三姉妹の恋愛観の描写がとてもまどろっこしい。 他局のドラマじゃないですが、「私がまともな恋愛を出来ない理由」、みたいな。

 つまり恋愛に直面する時期を過ぎたオッサンの私にとっては、どーでもよすぎる話題なわけですよ。

 主役の真木よう子サンの恋愛に対する認識は非常にオープンで自由奔放。 チュートリアルの徳井クン(役名くまちゃん)を好きなくせに、彼の長期不在期間中に心もちガタイのいい平岳大サンと 「1回だけならい~よ」 と一夜を共にする。

 つまり自分の性欲にとても忠実。
 そして相手とのウェットな関係を望んでいない。

 男はその点ダメですよ。 一夜を共にしてしまったら相手はもうオレのモノ、みたいな感覚になっちゃいますからね。 つまり情事まで至ってしまうと、なかなか一夜限りのことなんて、割り切れなくなってしまう。 引きずってしまうんですよ、男とは、そういう生き物なのです。 表現は下品ですが、要するにカラダが相手を忘れられなくなる。

 当然、最初さわやかチックだった平岳大サンも事後に往生際が途端に悪くなり、真木よう子サンにしつこく付きまとうようになる。
 男の自分が見てると、もうなんか、男の性(サガ)が全開なんですね、平岳大サン。 だから見てるだけで拒絶反応を覚えてしまう。
 なんと言うか、原作者の江國香織サン、脚本の浅野妙子サン、その両方に目ざとく見透かされているような感覚。 あーやだやだ。 男っていやだ(笑)。

 ただやはりこのドラマを私がつまらない、と感じる原因に、この、世の一般男性に関する描写がかなりステレオタイプだ、ということもかなり関わっているように思えます。

 平岳大サンと同様に、真木よう子サンの本命と思われるチュートの徳井クンも、いそいそと結婚指輪なんて用意して、なかなか話を切り出せない。 これって断られることに憶病な男性心理を確かに突いてますけど、どうもお決まりのパターンすぎてつまらない。

 つまり、男とはこういうもの、みたいに安易に断定されて、男の自分としては面白くないところに来て、話があまりにも定型通りに進んでいくことが結びついて、「スッゴク」 つまんなく見えてしまう。
 ほかにも、まあモテない男の代表みたいな形で柄本時生クン(「おひさま」 でもずいぶんな役をやらされてました)がちょこっとだけ出てくるのですが、これもすごくステレオタイプなモテない男で。
 「そりゃ男って、大概こうだけどさ、もうちょっと複雑なんだよ」 って言いたくなる。

 第2回冒頭で、マヨネーズをかけまくったユースケサンは、散々ボーリョクをふるったあげく木村多江サンの首まで締めはじめる。 まずいでしょ、コレ。
 だのに、その異常さに自分で気付いて手を離し、ひとりで勝手に傷ついてオイオイ寝床で泣いてしまう。
 なんなんだよコイツ。
 まあDV夫ってこんなものなのかもしれませんが、それにしてもこれも定型っぽい。

 さらに真木サンの仕事にもひと言。
 彼女、イベントディレクターみたいなことをしているのですが、この仕事ぶりもなんとなく上滑りみたいに感じる。 新作ビールのプロモーションみたいなことをやってるんですけど、やはりどう頑張ってもドラマの中の新作発表会でしかない。 こういうのも見ていて白けるんですな(どうも止まらなくなってきた、このドラマに対する不満が…)(じゃここで論調を変えよう)。

 ところがです(ハハ…)。

 スゲーつまんないドラマだ、もう2倍速で見るか、それともこのまま見るのをやめるか、と思った矢先(矢先、でもないけど)(けっこーガマンして長いこと見てました…)、このドラマはまたしても突然過激な方向に走り出すのです。

 まずとっかかりは、さっきの、徳井クンが渡せないでいた婚約指輪。
 真木サンが抱きついた拍子にそれがポケットからポロリと落ちて、徳井クンは覚悟を決めて真木サンに 「結婚しよう」 と告白。 真木サンは 「ありがとう!」 と大喜びでふたりはめでたく…と思った矢先のこと。

 「じゃまずは親に君のことを紹介しないと」 と言い出す徳井クンに、「なんで?」 と言い出す真木サン。 え? なんだなんだ?
 真木サンの言うことには。

 「ありがとうはありがとうだよ。 くまちゃんがあたしと結婚したいと思ってくれたことはすごくうれしい。(略)でもそれと、くまちゃんと結婚したいかどうかっていうのは別」

 はぁ?(笑)

 チュートの徳井クンも首ひねりまくってます(ハハ…)。

 「くまちゃんのことは好きだよ。
 大好き、すごい好き、一緒にいて楽しいし。

 …だったら、どうしてこのまんまじゃいけないの?

 いまのまんまでじゅうぶん幸せなのに、そのうえに余計なもの乗っけるなんてなくない?」

 要するに結婚という形態に対して懐疑的なんですよ、真木サン。 これには高畑サンと長塚サン、つまり真木サンの両親がどういう形かは判然としないけど別れちゃった、ということが、彼女のその奇妙な結婚観に深く関わっているであろうことは、だいたい予測がつきます。

 しかしここでチュートの徳井クンは一気に水をぶっかけられた格好になるわけです。 「こんなにラブラブなのになんだよ」、という感覚ですね。
 こうなるといままで自分がふたり分の食事をみんな作っていたこととか、部屋を片付け掃除をしまくっていたことが途端にアホらしくなってくる。 「なんでここまでお前のためにせにゃならんのだ」、というやつですな。

 この徳井クンの心情もよく分かるのですが、これもいかにもありがちな男性心理なんだよなあ。

 男は女性を自分の所有物にしようと思っている。

 だから結婚という名目で女性を縛るまで、自分を抑制して猫なで声でエサを与え続け、懐柔しようとする。

 けれどもそれが叶わないと分かると、途端に手のひらを返したように恩着せがましく当たり散らす。

 確かにそーですよ、あ~そ~ですそ~です、男って(ヨタってます…笑)。 女性が 「別れる」 なんて言い出そうものなら、「じゃ今までオレがやったプレゼント全部返せ」 とか言っちゃうヤツだっておーぜいいますよ、そりゃあ(爆)。 男はみみっちいんです(嗚呼…爆)。

 けどねえ。

 あそこまで卑屈に 「あれやったのもこれやったのも、僕デス!」 って、同性として情けなさすぎるぞ(爆)。

 しかしここで、徳井クンは情けないブチ切れ方をしながらも、怒って出ていってしまうのです。

 これにはスカッとしました(そこかよ…笑)。
 よーするに女性にひどい目にあったことのある男なら、ここはスカッとするはずです(ばらしてどーする…笑)。

 途端にこのドラマに対して再び気持ちが食いついてきました(ひどい食いつきかただ…)。

 意気消沈する真木サン(ザマーミロ…不適切な表現があったことを深くお詫びいたします…笑)。

 そこに姉の木村多江サンから、切羽詰まった声で電話がかかってくる。

 「この前あなたにあげたサリンジャーの本(「ライ麦畑でつかまえて」)を、返してくれ」、というのです。
 ウワ、やばい。
 ますますこっちは目が離せなくなってきます。

 これにはかなり長い説明が必要なのですが、なんかカッタルイなあ(笑)。 とりあえず説明いたします(面倒くさがってどーする)。

 夫は妻にボーリョクをふるうと、反省して妻の好きだと思われる本を買ってくるのです。
 しかしその本って、もうすでにある本ばかり。
 でもそのことを言い出すとまた夫はブチ切れてボーリョクをふるうから、妻はそれとなく本棚にある元あった本を処分して、夫が買ってきた本とすり替えていたのです。
 しかしこのサリンジャーの本に関しては、妻が間違えて元あった本ではなく夫が新たに買ってきたほうの本を、妹にあげてしまっていた(蛇足ですがこの本をユースケサンが買ってきたとき、「君はサリンジャーが好きだろう」 と言って木村多江サンに手渡したのですが、サリンジャーって言ったら 「ライ麦畑でつかまえて」 だろー、持ってないわけないだろー、と画面に軽い気持ちでツッコミ入れてました)。
 夫は自分が買ってきたほうの本に 「多江へ」 と(役名忘れた)書いていたのでそれが自分が買ってきた本ではないことに気付き、またまたボーリョクをふるいまくる。 そのあげくに妻は妹のもとへ、電話をよこしたのです(あ~長い説明だった…)。

 妹の真木サンは電話のただならぬ様子にサンタマリア家に直行(役名が…笑)。
 すると中から、物が壊れる音や悲鳴が聞こえる。
 家の中では前回以上に夫の暴力(カタカナで書いてる場合ではない)がエスカレート。 でも外からではそれがどういう性格のものなのか、妹の真木サンに分かるはずがありません。
 こりゃ大変だ、と真木サンは庭にあった椅子を持ってきて玄関を叩き壊す…ところで画面転換。

 いや、後半は画面に目が釘付けになりました。

 このドラマ、つまんないところとつまるところ(笑)の落差が激し過ぎる。

 つまりつまらんと思って視聴者が見くびって見ることを、見越しているような作りになっている、ということです(これは私だけの感覚かなあ)。
 つまらんと思っていればいるほど、その後の意表を突いた展開に目が離せなくなる。

 とにかくセンセーショナルな方向で話を引っ張ろうとすることは間違いないと思うのですが、男たちにもう少し複雑さ、というものが欲しい、と思うオトコの私なのであります。

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「カーネーション」 第6週 意気に感じる、ということ

(おことわり この記事事実誤認があったため一部削除、及び重要なオチを書いてなかったため書き足しました。 スミマセン…)

 相変わらずこのドラマ、なにものも恐れていない思い切りの良さを感じることが多いです。

 この週、糸子は父親善作(小林薫サン)の口利きで紳士服店に勤め出すことになるのですが、ここの描写がスッゴク荒っぽい。
 あっという間でしたよね。
 まるでだんじりがかどっこを曲がるような大胆な場面転換だと感じました。

 そして毎週のように、その週を象徴するゲストがとっかえひっかえ忙しい。
 先週の心斎橋百貨店支配人の國村準サンは影も形もなく、なんや遠い昔の話みたいに思えてくる(はや関西弁)。
 話のダイナミズムがすごい。

 さて小原呉服店の名を借りて洋裁を本格的に開始した今週の糸子の前には、ふたりの顧客が現れます。 そのふたりの顧客をめぐって、ドラマは 「プロとは何か」「商売とは何か」ということを浮き彫りにしようとしていた気がする。

 最初の客は、吉田奈津(栗山千明サン)の料亭に出入りする芸妓(げいこ)、駒子(宮嶋麻衣サン)。

 駒子は注文の段階から、ちょっと浮かない顔をしています。 というのも以前、心斎橋で洋服をあつらえてもらった際にかなり失望したらしい。 どうやらその洋服は駒子のコンプレックスを助長するような作りだったようです。 そんな駒子に、糸子は自分がこれだ、と思ったイチ押しのスタイルを勧めます。 「うち、ほんまこういうかいらしいのが好きやねん」 と心を開く駒子。

 もうこの時点でこのふたりは友達のような雰囲気に。
 「お客さんがごっつうれしそうに笑てくれたよって、ほんまに、必ず、必ず、似合うように作っちゃろと思いました」
 糸子のモチベーションも全開の模様です。

 糸子は善作から、生地代2円50銭を無理言って前借りし(そもそもそのお金、どうやら糸子が独力で成し遂げたこないだのパッチ代みたいでしたが)、生地を買おうとするけどどうもどれが 「顔が明るく映えるようになるか」 が分からない。 今で言う 「商品サンプルカタログ」 みたいなもの?を店屋から借りて駒子のもとに行き、合わせようとすると駒子がおしろいを塗ってて分からない。 「あかんわ…全然分からへん…」。 笑いました。

 同時にここで進行していくのは、吉田奈津の父親が病気で寝込んでしまった、という話。

 それを駒子から聞いた糸子は、勘助の働く和菓子屋に出向き、奈津に見舞いを差し入れしようと饅頭を物色します。
 勘助は 「奈津は昔から糸やんとごっつ張り合うてるから見舞いなんか持ってったら余計落ち込むで」 となかなか的確なことを指摘します。 「ほんならあんたが持ってって」 と糸子は勘助に頼んで、饅頭1個分の代金だけ払ってはいちゃーしていく(笑)。

 このドラマを見ている限り、糸子は奈津に対してあまり対抗意識というものを抱いていません。
 いじるとオモロイ、程度の認識しかない。
 だから奈津の性格の悪いのも、糸子は全く気にせず奈津と付き合うことが出来る。 そして結局、奈津のまわりに気心の知れた同級生の友達は、糸子しかいてない、ということに、結果的になっている。

 この構造は見ていて面白いなあ、と感じます。

 この糸子の奈津に対する意識の低さは、勘助によってあらためて糸子も気づかされることになるのですが、そんな勘助も、こと自分に関しては冷静な判断が出来ない。

 その話は置いといて。

 駒子と糸子はますます親密度を深めていき、「糸ちゃん」「駒ちゃん」 の間柄に(笑)。
 糸子は親しい友のために仕事に全力を傾けます。

 そして出来上がった洋服。
 駒子は糸子の想像以上に、感激しまくるのです。

 「おおきに。 …ほんま、…おおきにな…」

 涙ぐんでくる駒子。

 「駒ちゃん…そんな、泣かんかて…」

 「うん…けどな、ほんまにうれしいねん。
 糸ちゃんには分からへんやろかもしれへんけどな。

 うちは芸妓やろ。
 器量の良し悪しでぜんぶ値打ちきめられてしまうよってな。
 どんだけ芸磨こうが、本読んで勉強しようが、べっぴんやなかったら、馬鹿にされても文句言われへん。
 そうゆう仕事やさかい。

 …そやから…。

 こんなべっぴんに見える洋服作ってくれたんが、…(泣きだす)…ほんまにうれしいねん!」

 その言葉に感激した糸子は、駒子をその格好のまま外の商店街に無理やり連れ出します。
 初めは戸惑っていた駒子。
 けれども道行く人から口々に 「きれいやぁ」 と言われると、うつむきがちだった姿勢が、自然としゃんとしてくる。

 コンプレックスを持っているからこそ、外見が変わるだけでも、自分の人生すら変えていく。
 世の中が違って見えるとき、人生というものの醍醐味を味わうことが出来る。
 しかもそれまでつらい目にあった場合にこそ、それは最大限に享受できるのだと思うのです。

 自分の仕事が、そんなとてつもない価値を生むことが出来た。
 そんな感激に浸った糸子は、駒子からその洋服の代金を受け取ることを、拒否してしままいます。

 それはビジネスの観点から考えると、いわばあいさつ代わりで、今後ますます注文を取りつけるためのサービス、という意味合いを持っているものとも思われるのですが、これが父善作の逆鱗に触れてしまう。

 その場面は映しませんでしたが、糸子は左目の下の部分を激しく殴られた模様。
 その場ではちょっとだけ赤くなっていましたが、夜になってその部分がますます赤くなっている、という芸の細かい見せかたをする。

 「お前どんだけアホなんじゃ、慈善事業でもやってるつもりか! 情けない情けない情けない!」

 善作の怒りは情けなさを伴う性格のもので、糸子はみんなが寝付いたあと善作が妻の千代(麻生祐未サン)にすがりついて泣いているのを見てしまいます。

 「半人前が、…やっと、…モノになったと思たら…このザマや…うっうっ…情けないぃ~…」

 糸子はかなりのショックです。 「泣くて…」。 糸子は暗がりで絶句します。

 「(『金は要らん。喜んでくれたらそんでええ』。 なかなか言えんことを言うて、うちは自分を立派やと思いました。
 けどよう考えたら、なんでそれがなかなか言えんことかゆうたら…。

 …そんなもん、商売とちゃうからでした)」

 「お前が商売すんのは100年早い、もういっぺんよその店で一から修業して来い」 と、善作は隣町の紳士服店に糸子を追いやります。

 さっきも言いましたが、話の転換が早い…。

 ここの店主(団時朗サン)はおそらくヅラ(笑)、それはともかくとても性格が悪い。
 従業員もひとりを除いてはほぼいけ好かない奴ばかり。 そのひとりも、どことなく下心見え見え、みたいな(んー、ちょっと判断に迷うけど登場時はそんな感じでした)。
 「(名前、なんやったかな、この人? たしか、むぅ~~…村田?)」「オイ川本」「(あっ、川本や…)」(笑)。

 けれども糸子はあんまり店の雰囲気が悪くてもそのことでめげたりしない。 ブスっとはしますけど。 これってたぶん桝谷パッチ店の厳しさにさらされていたからだと感じます。 だてに冷たくあしらわれていたわけじゃなかった。

 そんなとき、糸子は勘助が家に給料も入れんとどこかに入り浸っているのではないか、という話を勘助の母親(濱田マリサン)から聞き、勘助を探し当てます。

 その場所は 「カンカンホール」 というダンスフロア。 そこにいる踊り子のサエ(黒谷友香サン)に熱を上げ、勘助は入り浸っていたのです。
 「お前どこまでアホやねん。 初めからお前に資格なんかないんじゃ! お前はまず、(和菓子屋の)おっちゃんに義理果たす。 おばちゃん(母親)に孝行する。 それが何より先なんじゃ!」
 それでもまだ往生際の悪い勘助を、糸子はどつきます。

 「このボケナス!」
 糸子は勘助を張っ倒します。
 
 「腑抜けんのもええ加減にせえっ!
 どの頭が!そこまで腐っとうねん! 見せてみ! 見せてみ! ほら!見せてみ!」
 暴れまくる糸子。

 ふたりはその店の、まんまその筋と分かる支配人のオッチャンの前に連れて来られます。 そこで糸子は 「こいつがここで踊るんは、100年早いですわ」 と捨てゼリフを言うのですが、それって糸子が善作に言われたこととまるで一緒。
 いや、さっきの勘助を罵倒するセリフが、まんま善作の糸子への罵倒の言葉と重なるのです。

 つまり糸子は勘助に自分の姿をそのまま透かして見てしまうからこそ、なおさらイライラしてしまうのです。
 勘助は結構、自分のことも冷静に判断しているつもりでいる。
 自分がダンスホールの踊り子にトチ狂っている、というのが分かっている。
 だからこそ余計に物事の本質が見えなくなっている。 深いです。
 勘助は結局、カンカンホール出入り禁止の憂き目に。

 しかしこのことがきっかけで、糸子は今週、2人目の顧客を得ることになるのです。
 それがその、ダンスホールのサエ。

 彼女は、糸子にイブニングドレスを注文します。
 この2人目の顧客は相当わがまま。 糸子のモチベーションは駒子の時と打って変わって最悪なのですが、「商売のため」 この実入りのいい仕事を割り切って遂行していきます。

 しかしこのサエ、わがままではあるとはいえ、ドレスを作りたい、という動機には、駒子と同様のコンプレックスが潜んでいる。
 サエは自分が気になっている上客に馬鹿にされ、それを見返してやりたい一心で、糸子にドレスを注文しているからです。
 糸子が神戸を訪ねたり千代のアドバイスを受けたりしてとりあえず作った見本の状態のドレスを、サエは 「これでいい」 ととっとと持って帰ろうとします。 反駁する糸子。

 「ごちゃごちゃ言わんとこれで売りよ!」

 「いやや」

 「はぁ?」

 「あんた最初に、なんぼかかってもええからええもん作ってちゅうたんちゃうか?」

 「そやから誰も安うせえとは言うてへんやんか!
 これで高売ったらええやろ!」

 「こんな安物高うなんか売れるかいな!
 うちの仕事はな、詐欺師ちゃうんや、洋裁師や!」

 「はぁぁ~~?!
 強情やなあぁぁー!」

 止めに入るテーラー店主。 しかしふたりのあいだに入れる隙間はーありま~せ~ん~(分かる人だけ笑ってください)。

 「…あんな。
 あんたかて玄人やろ?」 と糸子。

 「は?」

 「玄人の踊り子なんやろ?

 うちは玄人の洋裁師や。
 あんたがダンスホールの真ん中で踊ったときに、いっちばんよう映えてきれいに見える。 そういうドレスを作らなあかんやん。 分かるやろ?」

 せせら笑うサエ。

 「アホか。 めでたいなあアンタ。

 あんなとこで踊てる踊り子が、そんな立派な玄人なわけないやろ?

 男とくっついて適当に踊って金もらう。 そんだけや」

 そんなサエに、糸子は 「ほな帰り」 ときっぱり言うのです。

 「…そんな女が着るドレス、うちは作りたない。

 うちは本気で作るんや。

 本気で着てもらわなイヤや!

 …あんたになんか作れへん。 …さっさと着替えて帰って」

 威勢のいい啖呵を切ったものの、大金の入る仕事を断ってしまった糸子。
 当然帰ってきたウルトラマン、じゃなかった(笑…なんかこのギャグ、「不毛地帯」 のときもやったよーな…)テーラー店主(今回役名がないんですね、団サン…)は口角飛ばして糸子をどやしまくります。
 しかし善作の理不尽なまでの躾に慣れまくっている糸子は全く動じずケロッとしたもんです(爆)。
 糸子を心配したむぅぅー村田、じゃなかった、川本(駿河太郎サン…駿河、と聞いて駿河学、すなわち鶴瓶サンの息子じゃあるまいな、と思ってウィキで調べたら、当たりでした…笑)(ゲッ、鶴瓶サンの息子かっ)にかき氷をおごられながら、糸子はしかし、反省するのです。

 「う~ん…そやけど、うちの悪い癖なんですわ。

 …すぐ儲けっちゅうもんが、頭から飛んでしまう。

 うっとこのおとうちゃんにも、それで散々しばかれてんのに、またやってもうた」

 糸子は駒子のときもサエのときも、自分の意気に感じて仕事をしています。 そのスタンスは全く変わらない。 しかしそれでは商売にならないことを、自覚している。 ここで糸子は、自分が成長するためのステップを一歩、踏んでいるような気がするのです。

 そして次の日の夜、雨の降るなか、糸子のもとに、サエが再びやってくる。

 「言うとくけど、昨日言うたことは取り消さへんで。
 どっちにしたかて、うちは場末のダンスホールの踊り子や。

 けどひとりだけ…。

 『あんたの踊りは、ほかの子とちゃう』 てゆうてくれたお客さんがいてたんや。

 …そのへんの男とちゃうで。

 それなりの道で大成してる、立派な玄人の人や。

 その人がうちに、『あんたには踊りのカンちゅうもんがある。 ちゃんと修行積んだら、もっとええとこまで行けんで』 って、ゆうてくれたんや。

 そやのにうちはなんもせえへんかった。

 『そんなもん。 うちに修行なんかつめるかいな』 思て。

 毎日おんなしように、適当にダンスホールで男の相手だけしちゃった。

 そしたらその人…だんだんうちを指名してくれへんようになってしもたんや…」

 サエは、イブニングドレスを着たくらいではなにも変わらないけれど…と自嘲します。
 そんなサエに、糸子は再び、きっぱりと言い放つのです。

 「変わるわ。

 …人は着るもんで変わるんや。

 …

 分かった。

 よう分かった。

 あんたみたいなアホほど、うちはやる気出るっちゅうねん。
 うちが、ほんまの本気で、ドレス作っちゃる。

 ごっつい上物の、一流のドレスや。

 あんたはとにかくそれ着い。

 毎日着て、毎日踊って、ちょっとずつでも、うちのドレスに釣り合うだけの踊り子になり!」

 落雷。

 テーラーは停電になります。

 そこで握手する、糸子とサエ。

 今週糸子のもとにやって来た2人の顧客は、それぞれ身長が大きく違います。

 駒子は糸子より背が低く、サエは糸子より、かなり大きい。

 けれども2人に対する糸子の気持ちは、心意気に感じる、という点で、まったく変わらないのです。

 そして逆に、糸子の仕事に対する心構えは、駒子よりサエが大きくなっているのと同様に、かなりの成長を遂げている。

 この、「糸子をはさんだ2人の顧客の身長差」、というものには、そんな意味を感じてしまいました。

 ところでこの週、イブニングドレスの調査をするために向かった神戸行きで、糸子は夏風邪をひいている貞子(十朱幸代サン)の姿を見たことをきっかけに、時の移り変わりを生まれて初めて実感することになります。

 「『ただの風邪や』 ておばあちゃんは言うてたけど、今日は、あんだけ好きなお菓子も、あんまし食べんと、あんまししゃべりもしませんでした。

 (岸和田商店街を歩く糸子)あっこのおじいちゃんかて、ちょっと前は、あっこまで年寄りちゃうかった。

 あっこのおねえちゃんは、よう見たら、…もうおばちゃんや。

 …うちらが大人になった分だけ、

 大人も歳とっていくんやな…」

 こういう経年表現というのは、テレビドラマであんまり見たことがない気がします。

 人は、誰もが避けられず、歳を取っていく。

 「2人の顧客」、という大テーマを扱いながら、こうした時の流れをさりげなく入れるこのドラマの手法に、私はますます感心の度を深めています。
 今は大河ドラマをやっても、誰ーも簡単に歳を取っていかない。
 昔は特殊メイクまでして、歳を取らせたもんですよ(「独眼竜正宗」 を見よ)。
 今は役者が嫌がるのか、白髪にする程度で終わってしまう。

 アンチエイジングが主流すぎて、人は歳を取ることの美徳を忘れている。

 そして精神的にもますます子供の 「こども老人」 というのが、今後は珍しくなくなるのだ、という気がしています。

 流れていく時の象徴のように、今週ラストで、吉田奈津の父親が、亡くなります。




 重要なオチを書くのを忘れていた…(大汗)。

 サエがイブニングドレスを着て颯爽と立ったダンスホール。
 誇らしげな彼女に近づいてきた 「それなりにその道で大成した玄人」 とは…。

 や~な予感がしたのですが、やはりあの人でした(ハハ…)。

 中村春太郎(小泉孝太郎サン)…。
 サエに強く促されてその場にいてた糸子は、激しく落胆するのでした(爆)。

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2011年11月 7日 (月)

「江~姫たちの戦国~」 第43回 秀忠の変心を裏付ける説得力…なし

 見返す気力がないので記憶の糸をたどりながらの話になってしまうのですが。

 まず今回の、秀頼、淀の自刃に至るまでのお話、淀の行く末に母お市の方と父浅井長政の思いを絡ませリンクさせた、という点に於いてはよく出来た話だったように思えます。
 いよいよ、という段になって、大坂城を退去する初が見た姉の最後の姿が、母お市の方との今生の別れの時と同じような、扉が閉じられる場面。
 そして淀の自刃の際、繰り広げられる母親の記憶。
 「琵琶の湖を秀頼にも見せてやりたかった…」 と語る淀のセリフには、幼かったころのあの妹たちとの他愛ないじゃれあいをしていた時代を懐かしむ切ない感情と、秀頼を大坂城からほとんど外に出すことのなかった母親の後悔の念が同居していて、泣かせました(泣かなかったけど…ヤ~な奴ですね、自分も)。

 まあ淀が自分の腹に刀を突き刺した作法についてもちょっと…という点はございますが、その思いは淀が手にした父親の形見、その脇差しに凝縮されております。 切腹をしなければおさまらない感情、というものを鑑みなければならない気がします。

 それに、母親の思いに殉じるのであれば、「生きよ!」 と叫んだ母親の思いにこそ耳を傾けねばならない気がするのですが、まあドラマですから(ハハ…)。 もともと脚本家先生はなにもお考えになってないようですし。

 けれどもそんな役者さんたちのがんばりも吹っ飛んでしまうような思いにさいなまれながらこの回を見終わることになろうとは、ちょっと予想外でした。

 まあ個人的にですけどね。

 その、どうしても引っかかる点というのは、最終的に大坂城に火をかけ鉄砲を撃ち込むことを命令したのが、秀忠だった、という展開です。

 どうしてこ~なる?と言いながら終わってました、今回(笑)。

 つまり、それまでこの夏の陣の陣頭指揮は、家康がやっとったわけですよ。
 秀忠は青臭い理論を振りかざして、豊臣滅亡を必死で食い止めようとする役どころ。
 家康はその秀忠の話に 「この期に及んでまだそんな甘っちょろいことを言っとんのか!そんな奴は要らん要らん、あ~もう帰りなさい」(だいぶ記憶がメチャクチャだ…爆)とまで激怒してるのに、

 いざ最終的な局面に事態が及ぶに至って、いきなり総大将の権限を秀忠へと移行する。

 ここですね。

 家康は孫の千の思いとかも視野に入れながら、悪者はすべて自分、というように仕向けているのかと考えながら見てたんですよ。
 で、最後の引導を渡すときに、秀忠流のお情けを期待して、秀忠に総大将の権限を譲ったのか、と。

 しかしですよ。

 秀忠は女房の思いも初の思いも淀の思いもすべて無視して、大坂城に火をかける。 淀と秀頼の居場所に鉄砲を打ち込めと命令する。

 なんなんだ、いったい。

 ここでよすがとなるのは、この回おね(なんとか院…)との会見の際、おねが秀忠に 「この世にはどうしても必要な戦というものがある…」 と話していたこと(ホント記憶があいまいだ…)。
 太平の世を開くために必要な戦がある、ということは、家康もそれまでに口を酸っぱくして言っていた記憶があるのですが(どうも記憶に頼ろーとするのには説得力に欠ける私…)、なんとか院の話で秀忠は、考え込んでしまうのです。

 そして秀忠にとってこれが大きいと考えられるのは、前回秀頼との 「あり得ねー会見」 で秀頼がもはやあなたとは敵同士だとか話していたこと。 つまり秀忠は、豊臣がもはや天下にとって害をなす存在になっていることをここで悟った、とも思えるのですが、ん~、分かりません。

 さらに考えられるのは、秀忠の関ヶ原遅参の原因を作った真田幸村との絡み。 しかしこの秀忠の個人的怨恨は、大坂城に火をかけ豊臣滅亡させる原因にはなりえないでしょう。

 つまりその時点で展開されている、秀忠の心変わりに関する背景に、説得力が見られないんですよ。

 だから 「どーしていきなり秀忠は今までかばってきた豊臣を根こそぎ滅亡させようとするのか?」 というのが見ていてピンとこない。

 もしこれを、次回以降で謎解きしていく、というのであれば(すんのかな?)、それは見ている側を大きく愚弄する行為である気がしてならない(オーゲサに出たな…)。
 秀忠の苦悩の謎解きをきちんとして初めて、豊臣滅亡の必然性が浮き彫りになるし、ドラマ的に盛り上がっていくものなんじゃないですか?

 「どーして秀忠は城に火をかけるんだぁぁ」 …、と考えているあいだに大野治長は鉄砲で撃たれてあえなく戦死、淀の乳母さんは頸動脈に刃を当て、秀頼と淀は自刃していき、大坂城炎上をおね(なんとか院)が遠くから眺め、写経している江は書き損じた箇所の 「滅」 の部分に目が釘付けになる。

 まあ私がバカだから秀忠の心変わりの原因が分からないだけかもしれませんが。

 とりあえず今回も江は空気役。 誰かに促されて(秀忠だったかな~?)淀に文を書くのですが、その内容も、概要を淀にチョコっと語らせただけで相変わらず脚本家は江の存在感をないがしろにしまくってます。 そのあと江はただひたすら写経。 大坂城に行って姉上を直接説得いたします、とか言うのが精一杯で、結局秀忠の暴走を止めることに何の影響もなかったし。 空気どころか完全に邪魔者扱い。 よくここまで主役をコケにできるもんだ。

 などと書いている途中でネットニュース(「リアルライブ」…笑)で、「上野樹里、最後まで言いたい放題、やりたい放題」 なんてニュースが飛び込んできて、思わず読んでしまいましたが(笑)、女優ならそれくらい当然でしょ。 なんか周囲のほうが勘違いしてませんかね? あんな脚本で我慢してやれってほうがどだい無理な話ですよ!

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2011年11月 5日 (土)

「カーネーション」 第5週 「私」 を見てもらいたい人々

 このドラマ、つまらない小細工を拒絶しているような気がします。

 百貨店火災を契機とした和服から洋服への切り替えが新聞で叫ばれるなか、小原糸子(尾野真千子サン)は心斎橋百貨店へ出向き、制服を作らせて下さい、と頼みこむ。
 そしてそれを任され、時間との闘いの中それを仕上げる。

 これが今週のおおかたのストーリーなのですが、おそらく普通の脚本家であれば、この話でまるまる1週間食いつなぐはずです。 そして週の終わり最後の5分程度で次週につなげる話を持ってくる、そんな構成にしたがる。

 さらに百貨店の制服が出来るまでに、普通の脚本家であれば、さまざまなアクシデントを盛り込むはずです。

 しかしこのドラマは、その両方を、拒絶している。

 この話、1週間(月-土)6回の話のなかで、5回(金曜放送分)の頭あたりで、終わっちゃうんですよ。 で、話はもう、次に行っちゃう。 ちょっと見ていて、個人的には意外でした。

 そして制服が出来上がるまでに、さまざまなアクシデントを盛り込まない、という点。
 ドラマでは普通、作り手は主人公の前に次々とハードルをこしらえて、面白くさせようとします。
 けれどもそういうのって、いかにも無理やり、という傾向に陥りやすい。

 たとえば、制服を縫っている途中でいかにも危なっかしそうだった母親の千代(麻生祐未サン)が間違ったまま生地を裁断してしまって、反物を大部分ダメにしてしまうとか、ミシンが使い過ぎで何らかの形で故障してしまうとか。 フツー考えそうですよね。

 私はドラマの使用言語として、そんな場面が今週、いくつか出てくるのではないか、と思って見ていたのですが、見事にまったくなかった。
 なのにここまで 「見せる」 力にあふれている。
 おみそれいたしました。
 ドラマのセオリーを使わなくとも、小細工なんか使わなくても、ここまで人を惹きつけるものはできるんだ、という心意気を感じましたね。
 
 構造的に考察してみると、起承転結の 「起」 の部分から 「結」 に至るのに 「転」 の部分をあえて避けて通っている。
 「承」 の部分をたたみかけることで、事態は力強く進展していき、やがて 「結」 に至るという方式を採っている。

 けれども制服制作の話は金曜の頭に終わって、「結」 は 「結」 たりえず、それ以上の問題に小原家は直面していくのです。
 ただそこで巻き起こる話って、制服制作と、ちょっと似たような話。
 でも同じような話でありながら、その中身が全然違う。
 こんな、同じような話を繰り返すことの意味とは。
 その話はまた後ほど。

 で、今週のあらすじです(あ~また、長くなりそうだ…)。

 昭和7年(1932年)12月。
 心斎橋百貨店(日本橋高島屋の東別館らしいです)に出向いた糸子、さっそく入り口付近の女子店員(和装)にアタックです。
 ここ、糸子があまりにも積極果敢なために、却ってこれが功を奏して、いきなり支配人のところまで案内されてしまう、というのが興味深い(さすがに社長は無理でしたが)。
 アポなしで通されてしまうことには 「時代だなあ」 というのも感じるのですが、女子店員がこういう場合どうするべきか、というマニュアルみたいなものを持っていない。 女性が置かれてたポジションのキャリア軽視の傾向、というものもさりげなくここで表現されている気がする(こんな重箱の隅をつつくような解説をしとったら、なかなか先に進みませんがな)。 おそらくこの女子店員は、社長がおったら社長まで通してしまった、と思われるんですよ。

 で、案内された支配人の花村。

 國村準サンが演じていたのですが、ボソボソっとしたようなしゃべりのキャラクターで、これがいかにも國村サンらしくて、そこでまず笑ってしまう。 糸子との会話はまるでこんにゃく問答みたいで、ビジネスの深刻さが大きく軽減されている。

 糸子は 「うちは東京の根岸良子先生(財前直見サン)の指導を受けて、腕には自信がある」 と自分を売り込むのですが、花村にとっては 「根岸先生言うたかて、誰やら分かりません」 って感じでしょうね(笑)。 でも糸子は自分を売り込むためなら、どんなことをしてでも信用させないといけない、という姿勢なのです。 この、竹槍持って突進、というバイタリティには見習うべき点がありすぎる。 仕事を頼む、というのは、実にこういうことだからです。

 けれどもそんな糸子の姿勢も、相手にとっては子供だましのレベルでしかない。 花村はにべもなく糸子の申し出を断る。 「百貨店の制服というのはその店の顔やから、それを変えるということはその店の顔を変えるということ。 ポッと出の娘さんに任せるなんて出来ない」 ということですが、いったん引き下がったに見えた糸子は、その新しい顔に必要なものとは何かを花村に訊いてくる。 デザインやろね、と軽~く言いはる花村はん(笑)。

 花村の言ってることは、当然すぎること。 いわば糸子をこの時点で完全に無視、「もう来るな」 というのと同じ応対の仕方なのです。
 しかし糸子のほうは、まったくこれで終わったと考えていない。 簡単に諦めとったら、仕事なんかもらえないのは自明の理なのです。

 糸子は早速泰蔵(須賀貴匡サン)の妻八重子(田丸麻紀サン)のもとに急行。 制服のデザインをあれこれと考え、勘助(尾上寛之サン)の意外な鑑識眼で見つけたファッション雑誌の写真の一枚をもとに、数枚のデザイン画を作り上げる。
 ここ、勘助の意外な才能、という点でひょっとしていけるかも、という気を見る側に起こさせるのですが、もともとファッション雑誌を参考にした、オリジナリティに欠けるもの。 やはり他人のデザイン、というのは訴える力を持っていない、と私は思うんですよ。

 夜なべしてデザイン画を描く糸子を、父の善作(小林薫サン)がそっとふすまを開けてのぞき込みます。
 ここ、善作の表情が暗がりでよく分からない。
 「ゲゲゲの女房」 だったら、布美枝(松下奈緒サン)の表情を的確に追っていただろうな、とこのとき思いました。 つまんないところの感想ですが(あ~ますます長くなりそうだ…まだ開始10分だ)。

 翌日また心斎橋百貨店に出向く糸子。 けれども、「あのあと支配人に怒られた」 と同じ女子店員さんに言われ、仕方なく待ち伏せ(笑)。
 そして花村を捕まえた糸子、得々とそのデザイン画を見せるのですが、「あきませんな」 の一言で一蹴。 どこが悪いのかと食い下がる糸子に 「そこを考えるのがあなたの仕事やろ」 と言いつつ、「ようは、普通なんや」 と解説する。 「そう悪いもんでもないのかもしれん。 けどええかゆうたら、けしてええことはない。 仮に洋裁屋10人集めても、9人まではこれくらい描いてくる。 その程度のものは、要らんとゆうことや…はぁぁ~、スッキリした」(笑)。

 「おおきに!」 とうれしそうに答える糸子。 「あのな、断ったんやで。 もう持ってきたらアカンよ」 と完全シャットアウトを決め込む花村に、糸子はちっともめげません。 カーネーションのように、簡単にしおれません。

 「(そんなんまともに聞くうちやありません)…見とれぇぇ~…」。

 この心意気が、見ていてとても励まされます。 もしこれを見てから仕事に行ったら、意気揚々と仕事できるだろうなぁ。

 しかしやっと月曜日分終了かよ。 やっとられんなあもう。 もう次回から、一回ずつのレビューにしようかな(爆)。 いや、そんなヒマはない(笑)。

 「普通ではダメ」 というコンセプトでデザインを考え出すと、どうしても奇抜、という方向に向かってしまう。 振袖付きとか(爆)。 糸子は煮詰まってしまいます。
 「この人から買いたいとかいう服があるんとちゃうかな」 という八重子の話に、実際の店員たちの服装を思い出し、ときめきがなかったと感じる糸子。

 「そやけど、あれが、もっとうれしなるような、…ええとこに連れてってもらえそうな後ろ姿…。

 そうや!

 どないしたら気に入られるやろうて考えてたから、しんどかったんです。

 うちが、うれしなる服を描こう。
 見てるだけで楽しなって、話しかけたなる。 ついていきたなる。 そんな服を描こう!」

 白々と明けていく夜。

 妹たちが寝付く中、糸子はデザイン画を完成させるのですが、そこに善作が入ってきます。 「見せてみい、だあって(黙って)見せんかい!」 と小声ながら凄みを利かせる善作(笑)。
 「おまえ、わしに洋服は分からん思てるやろ、へへへ、それが分かるんじゃ。 おんなじ、糸のもんやさかいにな」
 と頼りがいのあることを言って一瞥し、こう言うのです。

 「しかしなんや、かったるいもんやな。
 さっさと見本作ったったらええやないけ。
 こんなちょろちょろした絵見せられるより、現物をやな、これですっちゅうてバーンと見せられたほうが、よっぽどオモロイで」

 食いつく糸子(笑)。

 「うん。 ほんまやな! ば~んとな! ああ…。 そっちのほうがオモロイわ」

 「せやろ~?」

 「いや。 けど。 ちょっと待って。
 作んにはな、まず生地代がかかるしな。 時間もかかって、…アカンかったら、丸損やで」

 「うん。 そらまあそうやな」(いいかげんじゃのう…笑)

 「(考え込む糸子)…そら賭けやな…」

 「けど、そっちのほうがオモロイで」

 「ふん…」 と半分ほくそ笑むように笑う糸子。 「お父ちゃん………生地代ある?」

 「………ない!」

 言うと思った(爆)。

 この夜明けの父娘の会話。

 今で言うたら 「プレゼンにはインパクトが何よりだいじじゃ!」 ということでしょう(笑)。 この父親の発想が糸子にとってどれだけの援護射撃となったことか。
 そして親子ふたりして、商売っ気のあるところを見せる。 これがみんな寝静まった夜明けに交わされる、という特殊なシチュエーションが、のちにふたりにとって、父娘だけのかけがえのない今生の思い出に昇華する可能性を秘めている気がしてならないのです。

 ここで威力を発揮するのが、神戸の母方の実家から送られてきた数々の骨董?品。 南国風のお面とか(笑)。 ここでも 「ゲゲゲの女房」 の茂のコレクションを思い出した。 どうもふすまを開けて善作が糸子の仕事ぶりを見守るシーンといい、「ゲゲゲ」 を意識している気がします。 そして作り手は 「ゲゲゲ」 を凌駕する作品を、作りつつある。 理想的な切磋琢磨の世界だ。

 このワケの分からんシロモノはたいがい質流れになるのですが、それを実家からの支援と受け取るべきなのかどうかは、例によって断定的な説明がなされません。
 つくづく、このドラマは不親切をわざとやっている。 視聴者に媚びない。

 糸子はそれによって生地代を捻出するのですが、ここでも質屋に勉強してくれと頼み込み、商売上手な一面をのぞかせます。 商売人はこうでなくては。
 そして 「3番目くらいのいい生地」 を買う(笑)。 リアルだなあ(笑)。

 糸子は丸2日寝ないで、制服のプロトタイプを作成。 それを自分で着てみて、家族に見せます。 沸き立つ妹たち、千代、ハルおばあちゃん。
 それを見た善作、興奮したような顔で、「おまえな、そのまま着ていけ、それ! そのなんや、支配人か? 待ち伏せして頭下げて、風呂敷広げて見てもらうやら、あーそんなかったるいことせんとやな、そのオッサンの目の前に、おまえそれ着てバーン出ていってやな、コレです!言うちゃれ! そのほうが話早い! ほんで、おもろい!」 とアドバイスするのです。 「冴えてるわ、おとうちゃん! あんがい洋服屋のんが向いてるちゃうやろか」 と笑いを取りながら、ここでも善作の商売人としての発想に感心してしまう。
 善作は、経理とか営業とかタイプじゃなくって、プランニング方面での能力に長けてますよね。
 糸子は呉服屋の隣の下駄屋(洋靴も取扱中)(ちゃんとこの話も以前に仕込んでいた…あまりにも用意周到…恐れ入りました)で靴をツケ買い、その制服の格好のまま、根岸先生からの教えを思い出し、堂々と胸を張って岸和田商店街をあとにするのです。

 心斎橋百貨店の入り口をくぐった糸子、さっそくその制服を、いつもの女子店員に見せるのですが、「ええわあ…うちも着たいです」 と評判は上々。 「よっしゃ! ほな、行ってくら!」 と意気揚々と花村を待ち伏せる(笑)。
 けれども待っているあいだじゅう、糸子は弱気の虫にさいなまれます。
 でも糸子は、懸命に自分を奮い立たせる。
 「胸張って!」
 胸を張って、うつむかず、しっかり顔を上げて。
 仕事をいただこうとする者なら、常に心掛けなければならない努力なのです。

 そこに通りかかる花村。

 「あ…こんにちわっ! オハラでございますっ!」

 この言い方(笑)。 表現できなくてもどかしいですが、なんか変に訛ったような、オバチャンのような、すごく滑稽な話しぶりで笑えました。

 「見本…作ってきました…どないでしょうか?」

 いきなりヘンな話しかけられ方をして暴漢にでもあったように慌てた花村(爆)。
 この先どうなる。

 おいおい、ここでやっと火曜日分終了だぞ…。 やばすぎる。 レビューが終わらん…。

 「ちょ…ちょっとそこ立ってみて…」 と糸子を入口に立たせ、何やらメモを取る花村。 「イラッシャイマセ」 と来るお客さんにまたまたヘンな声で挨拶してしまう糸子(爆)。 花村はあっちゃこっちゃに糸子を立たせ、メモを取りまくる。 「ネクタイはどこですか」 とご婦人に話しかけられる糸子。 「(やった! 話しかけられた! 成功やぁぁ~!)」 糸子は自分の制服姿が自然に受け入れられていることに自信を深めていきます。 花村のメモをのぞき込む糸子。 それを隠す花村(笑)。

 ここらへんの見せかた、実にうまい。
 見ている側のこっちの気持ちも自然と高揚していることに気付きます。

 支配人室に通された糸子、花村からあっさり、「採用です」 と通達されます。 ヤッター!…と思う間もなく、花村は、新年の初売りからこれで行きたいから、あと1週間で20着を作れるか?と打診してくる。
 糸子はすぐさまそれを請け負うのです。 「そら賭けやな…」 とあの日の夜明けに考えていた糸子、その時点からもう助走はついていた。 賭けないでどうする。 ここにはお父ちゃんの思いも流入している気がする。

 「しつこいようやけど、1週間で20着やで? できるか? ホンマに?」

 花村にとってみれば、新年からのイメチェン戦略、という側面はあるにしろ、ここで小原糸子に一任するのは、大きな賭けのように思われます。
 けれども1932年と言えば時代は世界恐慌が未だ尾を引いている。 経費の節約、という点から言っても、無名の人間に任せるのはいい判断だと思える。
 「制服一新」 を世間に公表したかどうかが判断の分かれ道ですが、もし公表していないのであれば、この依頼が達成されるかどうかは、さして問題ではない、のではないでしょうか。

 さて、大きな顔して請け負ったはいいものの、「(はぁぁ~…!エッライ仕事引き受けてしまいました)」 と大慌てになる糸子(爆)。 反物丸一反、かなりの重量のものを担いで帰り、一家総動員で制服の製作に取り掛かります。

 糸子はミシンを探しに桝谷パッチ店を頼るのですが、こちらも年末でミシンが開いていない状態。 仕方なく糸子は神戸の母方の実家を頼ることにします。

 このドラマを見ていてときどき不思議に思うのですが、困ったときに糸子は、なかなか神戸を頼ろうとしない。
 これには父親善作の意向がかなり作用しているように思われる。 神戸が岸和田から遠い、というのもネックのひとつかも。
 とにかくそれを裏付けるように、神戸行きを聞いた途端、今まで協力していた善作は色を失って大反対。 反駁する糸子を平手打ちして、「神戸なんか行ったら二度とうち入れへんど!」 と怒って出ていく。
 「そんな…どないしよ…」 と途方に暮れる糸子。
 ここでハルおばあちゃん(正司照枝サン)がきっぱりと言うのです。

 「行って来い」

 今までテンパっていた気持ちがすべて許されるような、ハルおばあちゃんの毅然としたその言葉。
 なんか、じわっと来てしまいました。

 「あとはうちらがなんとかする。
 いつものひがみ根性や。
 気にすることあらへん。

 今日はあんたが正しい。
 神戸へ、はよ行っちょいで」

 どうしてこうも、有り難いんでしょうか。 おばあちゃんて。
 このハルおばあちゃん、けっして糸子にデレデレと優しいわけではない。 でも、糸子が窮地に陥ったとき、きまって下から支えてくれるのです。

 「行っちょいで姉ちゃん」
 妹たちもそれに同調する。
 「お母ちゃん…大丈夫か…? お父ちゃんお母ちゃんにいちばん当たるで」
 恐る恐る訊く糸子。 コクリ、と力なくうなづき、「心配しな。 へえへえすんませんちゅうて聞いとったらええだけや」 と答える千代。
 あまりにも糸子にとってありがたい援護射撃。 糸子は、神戸へと向かいます。 ぐずぐずしてはいられません。

 ヒェ~、まだこれで水曜日分、まだ半分だぞ…。

 そして神戸(笑)。 ん泣いてどうなるのか(爆)。
 一緒にココアを飲みたがるのんきな母方の祖母貞子(十朱幸代サン)をさて置いて、制服制作に没頭する糸子。 部屋に飾られたクリスマスツリーとは裏腹の、厳しい修羅場です。
 そのツリーの影から糸子を見守る祖父の清三郎(宝田明サン)。 糸子の頑張りに、思わずこみ上げてしまうものがあるようです。 ここでもホロっと来てしまう。

 さっきのハルおばあちゃんといい、このおじいちゃんといい、どうしてこう、ホロっと来てしまうのか。
 個人的に考えているのは、これは糸子があまりにも一生懸命だからなのではないか、ということです。
 人間、誰もが懸命に生きてます。
 でもそれを、認めてもらうことって、あまりない。
 糸子の場合、おばあちゃんもおじいちゃんも、その頑張りを認め、陰から日向から、支えてあげようとしている。 そんな存在があるということ自体がとてつもなく有り難いのだ、と感じられる年代になったんでしょうね、私も。

 金持ちの母方の家の晩餐で繰り広げられる団欒に、糸子は自分の家のことが気になってしまう。
 あのままで済むはずはない。
 案の定、「家が大変や」 と妹の静子(柳生みゆチャン)から電話がかかってくる。
 激怒した善作が店の売りもんを全部持って、いなくなってしまった、というのです。

 けれども善作は上機嫌で、木之元電キ店からミシンを買って帰ってくる。
 「家財一式売り払ってでも」、と先週根岸先生に話していた善作の決意、というものが、紛い物ではなかったことを証明した瞬間でした。
 「分かった、明日の朝すぐ帰る」 と静子に話す糸子。 清三郎も貞子も、泣きの涙です。 「泣かんでええ。 だが…これが泣かずにおられるか…」 と声を絞り出す清三郎。 このふたり、なにをそんなに嘆き悲しんでるのか?ん泣いてどうなるのか?と思ったのですが、伯父の正一(田中隆三サン)の説明によると、それだけ糸子が可愛いんだ、ということ。
 それだけかよ?という感じなのですが、相変わらずこのドラマ、余計なそれ以上の説明を一切しない。
 考えたのですが、これってただ単にそれくらいでオイオイ泣いてしまう金持ちの打たれ弱さ(表現がちょっとおかしいですが)を表わしているのと同時に、特に清三郎の場合、そこまでして娘にミシンを買い与えた善作の気持ちに感じ入っているのではなかろうか、と。
 相変わらず作り手は 「そんなのはそちらの想像にお任せします」 というスタンスであります。

 小原呉服店の商品棚が空っぽなのを見て 「商売大丈夫か」 とあらためて不安になる糸子。
 そこに善作が降りてきます。

 「おとうちゃん、ミシンほんまおおきに…」

 まんざらでもない顔を一瞬する善作ですが、「なにをボサっとしてんねや! はようせな仕事間に合わへんど!」 と厳しい物言い。
 ミシンは店先に堂々と鎮座ましましています。
 これを店先でやることで、洋裁も始めました、という客へのアピールにつなげる善作。 やっぱりプランニング担当だ…。

 昭和8年(1933年)正月。
 糸子のミシンは、フル稼働中です。 まわる、まわる、まわる。
 小原家はおせち作りもそっちのけで制服制作に打ち込んでいます。 勘助がおせちを持ってきたり、糸屑を拾ったりして何かとサポートしている。
 そして家族全員がまるでダイ・インのように(笑)寝そべっている間も、糸子の手は休まりません。
 そしてそれは、ついに完成。
 勘助を伴って、糸子は心斎橋百貨店へと納品に向かいます。
 どうも危なっかしい勘助(笑)。
 さっきも書きましたが、危なっかしい千代も含めて、どうもこのふたりが何かしでかすんじゃないか、と思いながら見るのは、ドラマ好きのクセでありまして(笑)。

 勘助、百貨店に来るのはどうも初めてらしい。
 週の初めで糸子もこの調子で、「どこから入るんやろ?」 みたいなことをやっていた。
 なかなか庶民レベルでは来ることのないところだったんでしょうかね。

 そして納品。 勘助はビビって中に入りません(笑)。
 支配人室に向かう途中、糸子の胸に不安が巻き起こります。
 さてどうなる。

 ここまでが木曜日分。

 どうなる、と思わせといて無事に納品は済み、糸子はもう、帰りの電車から家に帰ってから、次の朝まで爆睡しまくります。
 おそらく納品が朝の10時とか言ってましたから、そこから換算して少なくとも18時間くらいは寝まくったのではなかろうか、と(笑)。

 そしてその翌日、初売りの日。
 晴れやかな洋装の制服を着た店員たちを見に、糸子は妹たちを連れだって百貨店へやって来ます。 客からの評判も上々。 花村はこっそり、OKサインを糸子に送ります。
 ここらへんの達成感。
 まるで見ている側も一緒に達成したかのような気持ちにさせてくれる。
 どうしてこうも、見ている側を気持ちよくしてくれるのでしょうか、このドラマは。

 しかし、この時点でまだ今週分は結構残っている。
 この仕事がうまくいったと同時に、小原家はミシンを買うために売っぱらった在庫のこともあり、困窮してきます。 善作は百貨店の仕事を当て込んでいたらしいのですが、これが見事に当てが外れて。
 それなのにあまり事態を深刻に考えなかった妹の静子が、就職を控えているにもかかわらず姉の仕事の手伝いがしたいと言い出し、糸子はその浅はかさを叱り飛ばします。

 蛇足ですがこの静子役の柳生みゆチャン。 個人的には 「俺たちの旅」 時代の岡田奈々サンを彷彿とさせる。 なんか懐かしいなーと思いながら見てました。

 で、仕事を取ってくるのは大変なんじゃという糸子に 「仕事、取ってきます…」 と言って飛び出す静子。 いや、だから、そーじゃないってば…(笑)。
 しかし静子は、直後に大きな仕事を取りつけてくる(爆)。
 パッチを100枚、明日までに仕上げる、という切羽詰まった仕事です。
 糸子は正直ビビりながらも、パッチ屋勤めの経験が自分にはあるし、この前みたいにみんなに手伝ってもらえればなんとかなる、と考え、それを引き受ける。

 コレ、正直言って制服の仕事と似通ったような話ですよね?
 どうしてわざわざこういうことを同じ週にするのか。
 ちょっと不思議に思いました。
 けれどもそれには、ちゃんと意味があったのです。

 この話、善作は大反対。 何でもかんでも仕事を取ってくりゃいいってもんじゃない、仕事は人助けちゃう、という話です。 ごもっともですが。
 糸子は一家7人食べていくためにどうしても引き受けなければならない仕事だと、これを突っぱねる。

 「勝手にせい! 分かった。 オマエの理屈はよーお分かった! フフーン! 結構なことですネェ! ほな、しまいまでお前ひとりでやれ」(コレ笑えた…)

 静子は追っ払われ、糸子が敷いた反物の上をこれ見よがしにのっしのっしと歩いていく善作(爆)。
 つまり糸子は自分ひとりでこれをやらなければならなくなる。 百貨店の制服作りの話と同じような話ながら、この状況の違いは重要に思えるのです。
 つまり家族の手を借りない、という部分で糸子はさらに自立を強要されている。 まあ結局は、ですけどね(笑)。
 で、ここから糸子と善作の意地の張り合いが始まるのですが、これをめぐる話がチョー面白い。

 ここまでが金曜放送分。 あああともう少しだ…。

 糸子のミシンはまたもフル回転。 「あっ!」 という糸子の小さな叫び声に、食事中の家族は全員心配そうに見つめます。 善作も(笑)。 善作はきまり悪そうにラジオをつけ、食事中というのに浪曲に合わせて歌い出す(爆)。 善作はまるで監視するかの如く、いや監視してるんですが(爆)糸子の仕事が見える位置から離れようとしない。 おかげで手伝ってあげたい千代やハルおばあちゃんはやきもきするのですが、善作に見つからないように握り飯を持っていく千代の大股開きには大爆笑しました。 出来た分はたたんどこか、と持っていこうとする千代に 「くぉら!! よけーなことすな」 と脅かす善作(笑)。

 意地の張り合いは持久戦に突入(笑)。
 うとうとして眠ってしまった糸子を起こそうと、キセルの灰を落とすふりして、ぱちりと灰受けを叩く善作。 まだ灰になってないのでキセルの火が足についちゃって悶絶するのです(爆)。

 パッチはなんとかかんとか完成したのですが、足が細くて入らない!(爆)。

 結局家族総出で縫い直し(笑)。

 そして代金をもらってみると、これがなんと倍額。
 それはなぜかお父ちゃんの懐に入り(はぁ?…笑)、糸子はほんのちょっこし、お駄賃をもらいます。
 この不当な賃金支払いの方法は(爆)、後々大問題と発展する火種を抱えている気がする(爆×2)。

 そしてそのお駄賃で、糸子は妹たちを連れて勘助の和菓子屋で買い物をするのですが、そこに来ていた悪ガキどもが、勘助が悪ガキ時代にやっていたのと同じおダンゴ余計お持ち帰りドロボーを敢行、…

 …因果はめぐる…(爆)。

 やっと一週間分が、終わりました…。

 まずい、まずいぞ…。

 こんなこと毎週、やっとられん(爆)。

 もう来週からはこういう、詳細を書きつづるのはやめよう…。

 それにしても今週の話。

 自分を売り込もう、とする人たちにとって、クライアントに対し自分をコマーシャルに見せることには、ある一定の苦痛が伴います。 本来なれば、自分の作ったモノそのものを見て、じっくりとその本質的な良さを評価してもらいたい。
 糸子の場合、自分が作ったものを実際に自分が着て、その良さを視覚的にアピールした、という点で、このふたつの思惑が合致した稀な例と言えます。
 ただやはりそのためには、自分が生きたマネキンになる必要があった。
 その恥ずかしさをくぐり抜けて初めて、自分というものを評価してもらえる。

 こんなふうに、ただ書いてりゃ検索機能でたどり着いていただいて、自然と読者が出来る、というブログの世界は、だから 「自分を売り込む」 という気恥かしさがない世界と言えます。 それに自分の書いたモノそのものを読んでもらって、評価していただける。

 けれども結局、ビジネスには結びつかない。
 世の中に打って出る、ということは、なんて難しいんでしょうか。

 この週のサブタイトル、「私を見て」 と願う、世のなかにはホントにものすごい数の人々がいます。 それを評価する側の人間には、いったいどれほどの鑑識眼がある、というのでしょうか?

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2011年11月 3日 (木)

「家政婦のミタ」 第3-4回 それはあなたが考えることです…

 遊川和彦サンがぶち壊し屋だ、というのは当ブログでは以前からたびたび言及してまいったのですが、今回のドラマもその傾向に流れつつ、「じゃあ一体ぶち壊して何が言いたいのか?」 というものが、従来になく見えにくい。
 先週録画しておいたもの(第3回)を多忙のためそのままにしておいたので、今回分(第4回)とまとめて見たのですが、そのせいか余計に個人的に混乱しています。 話は混沌を極めている感じがする。

 ちょっと状況説明をいたしますと。

 父親が、自分の不倫が原因で母親が自殺したのを子供たちに内緒にしようとしていたことが、長女だけにばれる。
 長女は怒って、頼めば何でもやってしまう家政婦にこの事実を父親の会社に行ってばらしまくってくれと頼み、果たして家政婦はその通りにする。
 父親は重要なプロジェクトから外され事実上左遷。
 これがきっかけで母親の死の真相は子供たち全員に知れ渡ることとなり、すったもんだのあげく、子供たちは全員、家出する。
 ところがそれを嫌う末っ子の女の子が家政婦に頼み、自分をわざと誘拐させ、家族がもう一度一緒に暮らすことを願うが、結局末っ子の望みは叶わず、父親が今度は家を出ることになり、その世話は家政婦にゆだねられる。

 従来の 「遊川式」 だと、一見平穏に見える状況をぶち壊すことで、登場人物たちの本音を導き出し、そして誰もが傷つきながらも、それまでの建前で生きてきた人生と決別して、つらいこともあるが本音で生きていく道を選ぶ、というひとつのパターンというものがあった。
 楽ちんなぬるま湯でごまかしている虚構の人生よりも、茨の道でも自分らしい生き方。
 それが遊川脚本を貫いている根本的な思想である、と個人的には考えていました。

 けれども今回の場合、 「心のない人間」 である家政婦の三田灯(松嶋菜々子サン)を配することで、阿須田家に潜む根本的な問題を白日のもとにさらけ出し、登場人物たちの本音を引き出すのか、と思うと実はそうではない。

 阿須田家の中心である父親の長谷川博己サンは、「長女(忽那汐里チャン)が出来ちゃって仕方なく結婚した、だから子供たちに愛情を感じたことがない」 と 「本音」 をさらけ出す。

 忽那汐里チャンといえば父親の長谷川博己サンに対して、「自分がお母さんを自殺に追いやったことを隠そうとして逃げ続けて、この人はもう父親なんかじゃない」 と 「本音」 をぶつけ、その考えを頑強に変えることがない。 ふたりの弟もそれに同調傾向。

 対して末っ子の希衣(きい、本田望結チャン)は父親のしでかしたこと(不倫)を理解できず、「希衣はお父さんのことが大好き、家族みんなで暮らそう」 と泣きながらバラバラになった家族をつなぎ止めようと 「本音」 を叫ぶ。

 けれども見ていて、「果たしてそれって、本音、なのかな?」 ということはとても感じるんですよ。

 父親の長谷川サンは、自分に自信がないから 「子供に愛情がない」 などと理由をつけて子供と向き合おうとしないだけなように見える。

 長女の忽那汐里チャンは恋人にちょっと告白していたように、「本当は自分にも責任の一端があるのに、全部父親に母親の自殺の原因を押しつけて自分を正当化しようとしている」 ようにも見える。
 この長女の頑迷さは、次男の 「自分たちは養ってもらってるんだし」 というクールな考えも一蹴して、父親なしでも自分たちだけで生活していこう、というレベルにまで怒りが達していますよね。

 で、末っ子の希衣チャンに至っては、やはり母親にひどいことを言ったから母親が死んじゃった、という罪の意識から抜け出せないから、これ以上の家族の崩壊は自分の罪の意識をさらに確定させるように思いこんでいる(こんな難しい言葉で考えちゃいないでしょうけど)。

 ここで気になるのは、「長女を妊娠したときに一緒にならなければ死ぬと脅されて仕方なく結婚した」、という長谷川サンの打ち明け話と、「母親からいつも父親が偽善者だと愚痴ばかり聞かされていた」 という長女の告白、さらに末っ子の 「お母さんがあまりうるさいのでお母さんなんか死んじゃえ、と言ったら本当に死んじゃった」 という話。

 ここから見えてくるのは、自殺した母親がけっしてよく出来た人間ではなかった、ということです。

 この母親の父親なのが平泉成サンなのですが、この人、すごく厳格でその度が過ぎている。 そりゃ娘を孕ませて奪っていった長谷川サンが憎いのは心情的に分かるのですが、それでも取りつく島がなさすぎる。

 この平泉サンの娘、つまり自殺した母親の妹なのが、相武紗季チャン。
 この子はまわりの状況が読めないKYの権化みたいな人物。
 これも父親の度を超えた厳格さが彼女の成長の過程で何らかの作用を及ぼしているように見える。

 で、ちょっとまた気になるのは、今回(第4回)長谷川サンから、紗季チャンは自分の姉が自殺だった、ということを初めて告白されるのですが、その反応がおかしいんですよ。
 ショックを受けるでもなく、「よく分かんない」 みたいなことを言ってごまかそうとしている。
 この子が阿須田家に姉の死後もKYしまくりで介入したがるのには、何か理由があるんじゃないか、という気がしてきました。
 長谷川サンがホントは好きなのか、みたいに思わせといて、KYをウザイ、と思わせといて、相武紗季チャンの存在意義を、遊川サンは視聴者に考えさせない手段に出ているんじゃないのかな~。

 いっぽうでこのドラマは登場人物たちの本音以外に、遊川サンの強いメッセージが隠されていると私は考えています。

 「自分にとって切実な問題は、自分で結論を出さねばならない」、ということです。

 これは、三田の数少ないボキャブラリーのなかのひとつ、「それはあなたが考えることです」、ということに集約されています。

 阿須田家の家族は誰もが、表面上ほぼなんでも言うことを聞いて(聞かないケースもある)しかもそれを完璧に遂行するスーパー家政婦の三田に、何でもかんでも答えを安易に求めたがる。

 つまり、三田が完璧であるがゆえに、便利に使いたがるんですよ。 三田が持っているドラえもんの四次元ポケットのようなカバンのように、三田をドラえもんみたいに考えているフシがある。

 それは基本的に自分の手を汚さないことであり、自分の心の暗闇を三田に押し付ける行為でもある。

 三田が命令を完璧に施行することによって、阿須田家の人々は、その自分のなかの闇が増幅されて自分に返ってくることを自覚する。 そして肝心なことは、やはり自分で決めなければならない、と阿須田家の人々は自覚していくんですよ。

 つまり、「ドラえもんに頼らず自分で解決する」、という、確か 「ドラえもん」 の最終回だか(記憶が定かではない…)でののび太の決意が、そのままこのドラマのテーマになっているような感覚。
 本音をさらけ出して自分本来の生き方をしていく、というこれまでの遊川脚本の思想以上に、大震災を経た今だからこそ、人は自分が主体者となって、日本のためになにが出来るのかを考えなければならない、政府を当てにして頼ってばかりではならない、というメッセージが見える気がするのです。

 このドラマ、ロボット家政婦三田の素姓を明かすことはないだろう、と思いながら見ていたんですが、どお~もある程度は明かしそうな雰囲気ですよね。
 そこに見える三田の心象風景は、まるで津波にさらわれた後の景色のように、荒涼たる死の風景。
 悲しみばかりが人生だから、悲しむことすらもやめた、という三田の人生観。
 悲しむ回路がなくなれば、なんとか自分は生きていける。
 三田のそんな素姓が、見えてくるような気が、してくるのです。

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2011年11月 2日 (水)

ドラマ10 「カレ、夫、男友達」 第1回 ケ、けしからんっ

 なんなんだ、このドラマ(爆)。

 「龍馬伝」 でのツンデレ演技もまだまだ記憶に新しい真木よう子サンが次女、「日本一不幸な女」 を演じさせたら天下一品の木村多江サンが長女、そして夏帆サンが三女。
 「江」 の浅井三姉妹、「カーネーション」 でたぶん出てくると思われるコシノ三姉妹と、NHKは三姉妹ブームという感じなのですが、このドラマの三姉妹はいちばん現代女性的な繊細さを持っていると言っていい気がします。

 話はもっさりとこの三姉妹が直面している恋愛観との葛藤を描いていきます。
 だから男の私としてはとても退屈。
 「なんかつまらんなあ」 と思いながら見ていたのですが。

 ただなんとなくこの同じドラマ10枠で以前やっていた、「セカンドバージン」 に感じが似ていることで興味をつなぎ止めている状態。
 つまりですよ、なんとなく性的な情緒に訴えかける雰囲気が、漂っているわけですよ。

 真木よう子サンは個人的に、性的フェロモンをとても感じる女優さんなんですが、彼女がのっけからチュートリアルの徳井クンに 「くまちゃん(役の名前が熊木)ダイスキ」 と甘ったるい声で抱きつき、「女に性欲がないなんてウソ」 とばかり平岳大サンといきなり性交渉。

 そして長女役の木村多江サンは、夫とのミョーに緊張したやり取りを続けている。
 この夫役がユースケ・サンタマリアサンなんですが、

 これが…。

 ああ話したい。

 見てもらうしかないですね、やっぱり(だああ~~っ、やっぱりダメだ…爆)。

 コイツ、いったい何なんだ(爆)。

 コイツのおかげで、つまんないドラマが一気にブッ飛びました(爆)。

 ここから先は、ドラマをご覧になったかただけ読んでいただくと、個人的にはとても。

 この夫が、コイツがですよ(ハハ…)、妻の木村多江サンに、頭からマヨネーズをぶっかけるんですよ!

 こんなことがあっていいのか、NHK!(爆) けけけけしからんっ!(爆)

 感想は、それだけです(ちょっと…)。

 まあ、要するに、DV夫だった、ということですが。

 なんかでも、ホントにそれ以外残らない、というのも困ったドラマですが(爆)。

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「江~姫たちの戦国~」 第42回 構造的に江が主役、は無理

 今回を入れて、あと5回。
 ここ数回の豊臣滅亡へのカウントダウンの描写は、実に大河らしい仕上がりとなっている気がいたします。
 ところが前回以上に、今回の江(上野樹里チャン)は、完全なる蚊帳の外。

 当ブログ内でコメントも含め何度か指摘していることですが、この物語の主役は江です。 実際の話、江は祈ることくらいしかできなかったかもしれませんが、紛れもない当事者のひとりとして、いかようにも話は創作できるはずです。 脚本家はどうしてこれほどまでに江を疎外させたがるのでしょう。

 ここ数回の話の盛り上がりと逆に疎外される江を見ていて強く感じるのは、そもそもドラマの全体的な構想の段階、つまりごく初期の段階で、脚本家は物語の最大のクライマックスを 「豊臣滅亡」 に据えてしまっているように思えることです。

 次回(43回)で淀と秀頼が自刃し豊臣が滅亡する、となると、その後の話はもうすでに3回しか残っていません。
 つまり脚本家は、豊臣滅亡後の春日局の話など、どうでもいいと考えている。 3回もあればじゅうぶん、と考えている。
 「江が主人公」、というドラマは、もうこの初期の時点で破綻した、と言えます。 構造的に必然、なんですよ。

 最初っから豊臣滅亡をメインに考えている以上、7歳の段階で大人の上野樹里チャンを無理やり登場させたって、脚本家はいっこうに構わない。
 さらに茶々(のちの淀)と秀吉との恋愛を長々とやらなければ、今回の淀の心理状態もあそこまで感動的に打ち出せないからくりになっている。

 「クライマックスは豊臣滅亡」、と作り手が設定してしまったら、主役はどうしたって豊臣、徳川と淀になる。 そしてそのクライマックスで、江は仲間はずれの虚しさだけを噛みしめて事態を傍観するしかなくなる。 「江が主役のドラマ」 として、この成り行きは誤りである、と断定せざるを得ません。

 物語の初期の段階では、江の守護神として信長を配置することで、江の存在感にある一定の役割を与えようとした痕跡も見えるのですが、脚本家はいつの間にか、「信長の姪」 としての存在感を希薄化してしまった。
 そのため江は秀吉の死後、一気に主役としての華を失っていくのです。

 いっぽうで脚本家はここ数回、豊臣秀頼を強力な駒として配している。 秀頼がこれまでの歴史ドラマになく生き生きと描写され、そのために家康の焦りに強い説得力が生まれている。

 そのうえ脚本家はここに、自らのお気に入りの向井理(敬称略)を絡ませようと画策し、今回あり得ない秀頼と秀忠の会見を作った。

 この 「あり得ない」 会見は予想以上の効果を生み、ドラマを見ている側としては、あり得ないなりに話の説得力が増して引き込まれました、確かに。

 この会見を 「あり得ない」 と切り捨てるのがこのドラマに批判的な視聴者であることは論を待ちません。

 だいたい草刈サンがとっかかりはいましたが、この秀頼秀忠会見、ほぼ両者とも無防備状態。
 隙あらばどっちかがどっちかに斬りつけたり捕縛したりできる。

 けれどもこの秀忠の大坂城潜入、というエピソードをつけることによって、ドラマは淀と秀頼の 「引きこもり」 ぶりが事態を誤らせた原因であることを活写し、それに同調しようとする秀忠のモラトリアムを浮き彫りにさせた。
 同類なんですよ、要するに 「世間知らず」、という点に於いて、秀頼と秀忠、淀は。

 大坂城を出たことがないがゆえに、秀頼は自分の居城(つまり現代風に言い換えれば自分の部屋、自分のパソコン内、といってもいい)が破壊されたことに必要以上にセンチメンタルになり、自分の居場所への確執が制御できなくなっていく。
 淀にしても大坂城は秀吉との愛の舞台であったがゆえに、その秀吉の威光を守ることに囚われ権力のパワーバランスの齟齬に目を向けることが出来なくなった。
 秀忠はとても的確な分析者であるけれども、それがゆえに権力の二重構造、という理想の非現実さに打ち勝てない。

 ここらへんの構造を描き切ったことには賞賛をいたしたいのですが、我に返れば、「江はじゃ、主役でなくたっていいよね」、ということなのです。

 今回見ていて気になったもうひとつの点は、初が家康の側室とネゴシエイトに臨むその描写。
 ここ、初の存在感を増すすごいチャンスなのではないか、と思ったのですが、会見の内容はあっさりとカット、次の瞬間には会見後クタクタになってひざから崩れ落ちる初の姿。

 つまり、脚本家は江と同様、初についても全く関心がない。

 脚本家が関心があるのは、淀だけだ、ということになる。

 だったら 「淀~姫たちの戦国~」 というタイトルにしたほうが、ずっとしっくりいくのです。

 今まであまりスポットの当たらなかった江についてやるドラマ、ということで、こちらは期待して見ている。
 脚本家はそれをハナから、 「無理」 と投げ出している。

 このドラマが江以外の物語をいくら完璧に作っても、そこに意味は存在しない。
 厳しい言い方ですが、今回江以外の話にとても引き込まれたからこそ、私はそう考えてしまうのです。

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