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2011年11月27日 (日)

談志が死んだ

 落語家の立川談志サンが亡くなったそうです。
 「談志が死んだ」、なんて、回文みたいですが。
 その戒名に至るまで冗談みたいな人生を貫き通した感があります。
 いわく、「自分の人生なんてロクなもんじゃない」 と強く自嘲する感覚。
 NHKのラジオのニュースで、このじょーだんみたいな(じょーだんですけど本気)戒名をアナウンサーがしゃべったときには、ちょっとひっくり返りました(って、実際ひっくり返ったわけじゃない)。 「ウンコクサイ」 とか、NHKのニュースで言わんでもよかろう(爆)。

 談志サンを取り巻く空気、というものはいつも異様で、インタビュアーとかに取り囲まれている談志サンは常に過激でなにを言い出すか分からない危険性に満ちていた。
 こういう芸能人、というのは昔は多かった気がします。
 多かないか。
 勝新太郎サンくらいしかおらんか(笑)。 横山やすしサンとか。
 今存命中なのは、もはや内田裕也サンくらいか。

 言ってることがメチャクチャなので、これらの人々の言動には、必ず不快感をあらわにする人が出てきます。
 でも人間、常識を持ってることが必ずしも美徳とは限らない。
 この手の人たちは得てして扱いにくく、さらに過激で見ていて飽きないため、遠巻きに見て面白がられる。
 でも非常識的で過激なその人たちの言動には、必ず何か、人生における真理というものが隠されている場合が多い、と私は考えています。
 その人たちは振幅の大きい人生を送りながら、人が常識人ぶって表に出そうとしない本音を、世の中に対して吐き続ける。

 人というのはさまざまであるから、時には自分の理解できないアウトローな人と付き合わねばならない場合もあります。
 そんなときに、どこまでその人を理解して付き合っていけるか。
 それは、人生における醍醐味のひとつだと私は思うなあ。
 理解不能な人と付き合えるキャパシティを自らのなかに持つ、というのは。
 今はやたらと、自分の理解できない人を排除する傾向が強すぎますよ。
 人間、てめえと同じような人間ばかりじゃねえんだ。
 つまらんですよ、自分と同じ意見のヤツばっかりだったら。

 談志サン、そう言えば今年に入ってほとんど目にする機会がなかった。
 声帯を切ってらしたんですね。
 「そう言えばいねえなあ」 という人生って、談志サンが自ら望んでいたことのような気がする。
 「そういやあ昔談志っていうつまらねえ落語家がいたなあ」、という人生。
 落語家には二つのタイプがあるような気がしますね。
 ひとつは自堕落な与太者みたいな破天荒な人生を送りたがるタイプ。
 もうひとつは何事も洒脱を旨として粋に生きたがるタイプ。
 歌丸サンや圓生サンは後者のタイプ。
 志ん生サンや談志サンは前者のタイプ。
 談志サンは、落語に対して大きな不信感を抱きながら、その落語家であろうとしていた気がする。
 つまらないものであろうとしたからこそ、自分の人生に対しても懐疑的で。
 つまり不条理を、自ら買って出てるんですよ。
 だから世間に対して攻撃的でいることが出来る。
 自らが自らの存在意義に対して疑義を呈しているわけだから、世間一般の事象に対しても、「おかしいものをおかしいと言って何が悪い」、と言い切れるんですよ。

 同時に 「過激な毒舌者」 は、心優しい人間だったりする。
 ラジオとかで談志死去のニュースをやるたびにリスナーから届くのは、「談志サンからこういう言葉をかけてもらった」「優しくしてもらった」、という声。 やたらと多いです。
 つまり見ず知らずの人にこの人は、かなり声をかけまくっていたみたいに思えるのです。
 これは世の中を疎んじながら、その世の中の人に対して常に優しくあろうとした、「不条理の一環」 という見方もできる。 要するに外見だけで中身が空っぽな世の中に絶望しながら、きちんと生きている人に対しては限りなく愛情を感じている。

 自らが不条理の中に生きたように思われる談志サン。
 今頃地獄の一丁目あたりで、鬼たちを見物してせせら笑っているのかもしれない。
 それとも 「畜生め、こんなところに来るつもりなんかさらさらなかったんでぇ」 と、極楽の景色に苦虫を噛み潰しているかもしれません。 「小さんだ円楽だって、ここはロクなところじゃねえな」 とか(笑)。

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コメント

談志さんの言動を見ていていつも思ったのは、強気な発言とは裏腹の、この人の繊細さでした。
それを一言でいうと、「天才」となるんでしょうけれど。

あまりにも過剰に、いろいろなことを感じすぎる人だったんじゃないでしょうか。

いまとなっては生の舞台は見るすべもないので、DVDを買ってみようかな。
そういう人、多いのでしょうね。

投稿: マーシー | 2011年12月 4日 (日) 19時23分

マーシー様
コメント下さり、ありがとうございます。

同時代を生きていてよかったな、と思える人が、次々この世を去っている気がします。
あとにつづく世代の、なんと力のないことよ。
私も僭越ながら、もうちょっとそのはしくれになるくらい精進したいのですが。 こんなブログだけでは、まだまだまだまだです。 ホントに僭越だなオマエ(笑)。

私は談志サンの落語は、なんか知性に走りすぎててそんなにいいと思ったことはなかった気がします(意見には個人差があります…笑)。

言わば、彼自身の人生が落語のなかの登場人物と同化していた気がする。
こんなロクでもない与太郎みたいな奴でも、生きていく資格はあるんだ、世の中の真理を突くことはできるんだ。

大きな存在の人が、またこの世からいなくなってしまいました。

投稿: リウ | 2011年12月 5日 (月) 10時35分

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