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2011年12月10日 (土)

「カーネーション」 第10週 人の哀しみに寄り添う、ということ

 先週の当ブログのレビューに於いて、私は糸子の態度に 「ええ時に調子に乗っている姿」、という考察を加えました。

 今週の話を見る限り、少なくとも序盤では糸子は確かに調子に乗っていた。 順風満帆なことで人の気持ちを酌量する気持ちに欠けていた。
 どうしてそう言えるのか。
 幼いころから自分を可愛がっていたある人物から、糸子が手痛い反撃を食らうからです。

 しかし。

 このドラマは、そんな 「調子に乗る糸子」 がいいとか悪いとかの視点に立ってない。

 このドラマが一筋縄ではいかないのは、糸子がそんな自分を、「調子に乗っている」 と自覚している部分であり、さらに「それでもうちはこのまま進むしかない」 という悲痛な決意でもって糸子自身が自己肯定しようとしている点であります。

 あらためて書きますが、このドラマはすごすぎる。

 自分の中にある矛盾した感情や、自分でもそれが悪いと思っている感情を、抱えながら人というものは生きている。
 
 それを表現し尽くしている、という点が、すごいのです。

 だからこのドラマは、ありきたりなドラマみたいに、糸子に簡単に反省させる術を持っていない。

 私はてっきり、ハルおばあちゃんに、「糸子あんた調子に乗ってんで」 とか、勝が出征する、という予告編を見て、糸子が勝の気持ちに気付くとか、そんな反省の仕方をさせるんだ、とばかり思っていたんですよ。

 しかしこのドラマは、そんな生半可な 「スッキリ解決」 という手段を選ばなかった。
 にわかに判断しづらい人生の岐路を描いていくことで、人生の複雑さを表現しようとしているのです。
 調子に乗った、だから反省した、などという、単純な構図を拒絶している。

 今週のこのドラマの成り行きを見ていて私が感じたのは、「人の哀しみに寄り添うには、自分がいったんその淵まで悲しまなければ同苦できないのではないか」、ということでした。

 そして今週の、衝撃的なラスト。

 そのラストが、もし他人の哀しみを知るために糸子に用意された悲劇なのだとすれば、作り手は糸子に生半可な反省のきっかけを与えていないことになる。
 それは糸子にとって、あまりにも過酷な出来事だった、と思われるのです。




 昭和16年(1941年)12月8日。

 大東亜戦争開戦を告げる臨時ニュースが、ラジオから流れます。

 「終わるどころか、また始まりよった」。

 それを聞いた糸子のつぶやきです。

 つまり中国での戦争が泥沼化しているというのに、今度は米英を相手に戦おう、というのですから、どこまで調子に乗ってんねん、ということです。
 糸子は幼い頃を思い出し(二宮星チャン、再登場!…笑)、男どもがいったん始めた勝負を 「次勝ったら次勝ったら」 と延ばし延ばしにする根性と重ね合わせ、「戦争なんて何がオモロイねん!(こっちははよまともな商売しとうてうずうずしてんや!勝つなり負けるなりどっちゃでもええさかいさっさと終わらんかい!)」 と考えています。

 そこに現れた、大日本國防婦人會のオバチャンたち。

 「(い…今、口に出してゆうたっけ? 頭の中で思ただけやっけ?)」
 とっさに口にフタをする糸子(爆)。 大丈夫、「戦争なんて何がオモロイねん!」 までです(や、それだけでもちょっとまずいか…笑)。

 さっそく時局にそぐわぬ和装をしている糸子はやり玉にあげられ、モンペをはくよう強要されます。

 「クソ!あのオバハン…」

 洋装店の意地というものを振りかざし、なんでこんなブッサイクなもんはかなあかんねん、そもそもモンペっちゅう名前が気に食わん…などとクソミソだった糸子でしたが、いざはいてみるとその機能性やら隠れたおしゃれが可能なとこやら、すっかり方針転換(爆)。

 で、モンペもちゃっかり商売に取り入れて、ますます糸子の商売は時流に乗ることになります。

 そして代金代わりの野菜やらを持って糸子が訪れるのは、安岡髪結ひ店。
 「洋髪なんか今いちばん日本で無駄だと思われてる」 と八重子が言うように、店にはお客もいず、玉枝も勘助のこともあるせいかめっきり元気がなくなっています。
 パーマネントの機械もまったく使われることなく、残ったのは高い月賦のみ。 重苦しさが安岡の店を覆っています。

 それでも、勘助が泰蔵の勧めでようやく和菓子屋に再び勤めるようになった、という明るいニュースもある。
 糸子は心の底から喜び、勘助を喜ばせようと、平吉の喫茶店(その平吉もすでに出征しています)に、かつて勘助がお熱を上げていたサエを連れて来て、励まそうとするのです。

 「(ちょっと、先を急ぎすぎたんやと思います――)」。

 糸子がとりあえずナレーションで後悔の念をにじませていたのですが、まだ精神的な傷が癒えてない勘助に、サエを引き合わせたのはまずかった。

 散々周囲に面倒をかけてまで好きだった女に、今の自分のていたらくを見せることが、どれだけ勘助の心の傷を刺激しまくる行為だったか。

 勘助の息は荒くなり、もどしそうになって椅子から転げ落ちます。 驚くサエ。 糸子は動転して、助けを呼ぶため店を飛び出します。
 おそらく安岡の者を呼びに行ったと思われる糸子。 こちらも喫茶店から逃げ出したと思われる勘助が、土手の草むらに身を投げて悶絶し、号泣しているところを見つけてしまいます。

 そのあまりにも凄惨な姿を見て、相当のショックを受ける糸子。

 その夜、食事のさい、直子に食べさそうとするうどんもみんな落としてしまうほどに呆然としていた糸子ですが、そこに無造作にオハラ洋装店の戸を叩く者があります。

 玉枝です。

 雷雨のなか、傘もささずに、ずぶ濡れになった玉枝。
 挨拶もせず、出て来た糸子に強い調子でいきなり質問をぶつけます。

 「勘助になにした?」

 「…え…?」

 「糸ちゃん。

 …あんた勘助になにしてくれたんや…?!」

 すぐに答えられない糸子。

 「勘助が…どないかしたんか…?」

 やっとのことで話す糸子に、玉枝は恨みを込めたひきつった目つきで、糸子に答えます。

 「さっき…2階から飛び降りようとしよったわ」

 2階て、いかにもヘタレな勘助らしくて笑えそうな部分ですが、そんなことを一切許そうとしない怒気が、玉枝からは充満している。
 思わず勘助のところに行こうとする糸子。
 玉枝が糸子の腕を、思い切りつかみ引っ張ります。
 そして怒りを込めて、こう言うのです。

 「やめてくれ!」

 「え?」

 「糸ちゃん。

 あんた金輪際、勘助に会わんといてんか?!」

 「…なんで…?」

 消え入りそうな声の糸子。
 玉枝は諭すように言いはじめます。

 「あんなあ糸ちゃん。

 世の中っちゅうのはな、…みぃんなが、あんたみたいに強いわけちゃうんや。
 あんたみたいに勝ってばっかしおるわけちゃうんや。

 …みんなもっと弱いんや。
 …もっと負けてんや。

 …うまいこといかんと悲しいて、…自分がみじめなのも分かってる。

 そやけど、…生きていかないかんさかい、どないかこないかやっとんねん。

 …あんたにそんな気持ち分かるか?

 …

 商売もうまいこと行って、…家族もみぃんな元気で、…結構なこっちゃな!

 …

 あんたにはな…。

 なあんも分かれへんわ…!」

 それまで怒りを含んでいた玉枝の表情が崩れ、悲しみをたたえていきます。
 雨でぐしょぐしょに濡れていた顔に、涙が混じっていくのが分かります。

 「どないか働きに出れるようになったのに…。

 …

 ここまでうちらがどんだけ神経すり減らしてきたか…。
 あんたには想像もつけへんやろ?!

 …

 今の勘助に、
 …あんたのずぶとさは毒や…!

 …

 頼むさかい…。

 もううちには近づかんといて…」

 雷雨のなか、玉枝はとぼとぼと帰っていきます。
 どう反応したらいいのかまったく分かっていないふうな、糸子の表情。

 自分が調子に乗っているか乗っていないかは別として、自分がよかれと思ってやっていたことがかえって他人を傷つけていた、というのは私にも経験があります。
 そしてそれを当人から、怒りをもって抗議を受けたこともある。

 言われて初めて、自分がどれだけ人を傷つけていたのかが分かる。

 「世の中ってのはな」 と、その当人から言われると、自分がいかに世の中のことを知らなかったかが分かるものなのです。

 しかも糸子の場合、安岡玉枝とは、そりゃ昔から家族ぐるみで仲のいい付き合いをしてきた。
 そんな人から手のひらを返されたようにこのような物言いをされるのは、精神的にかなりキツイです。

 ただそれを、糸子は 「うっとこが儲かってるからひがまれてる」 というとらえ方をしようとする。
 それはけっして、糸子の本心ではないと思われます。
 でもそう思うことで、糸子は自分の身に降りかかったショックを、なんとか消し去りにかかる。 自己正当化しようとする。 リアルです。

 翌日八重子が、義母の振る舞いを弁明しようとやってきます。

 「お義母さんのこと、堪忍しちゃってなぁ…」。

 八重子は戦争が始まって店が苦しい、勘助のこともあって玉枝も精神的に参ってる、けど今を辛抱したらまた元に戻る、と説明するのですが、糸子は素直な反応をしようとしません。

 「そやけど…。

 うちはお宅らの身内とちゃうさかい…。

 辛抱する筋合いないわ」

 糸子の意外な心ない返事に驚く八重子。

 「おばちゃんな。

 たぶんうちが、店繁盛させてんのが、目障りなんや。
 うちが勘助の世話やくんも、うっとうしいてしゃあないんや。

 『あんたは毒や。頼むから近付かんといて』 て、おばちゃんがうちにそないゆうたんや。

 うちが堪忍するかどうかの話ちゃう。

 『近づくな』 って言われたんやさかい、…うちは金輪際近づかへん」

 このセリフ、額面通りに取るのは間違っていると思います。
 どこかしら、八重子に甘えてモノを言っている。
 その証拠に、逃げるように八重子との会話を打ち切りその場から離れた糸子は、「うちはなんて冷たいことゆうてしもたんやろ…」 という顔をして立ち止まるのです。

 「(アホか…八重子さんに当たってどないすんねん…)」

 糸子は直子をギュッと抱きしめ、ぐずられて自嘲します。 「あんたまでお母ちゃん嫌いか…堪忍な…なにやってもうっとおしいお母ちゃんで…」。

 ここで糸子は、自分が直子にちゃんとした愛情を注いでいないこともきちんと自覚しているように思えます。

 糸子はそのまま、フテ寝してしまう。 やはりこれも、一種の甘えのように感じます。
 うちは一生懸命働いて、安岡の家にも差し入れして、これでいいと思いながら生きている。
 そんなのにあんな、人格否定されるようなこと言われたら、やる気なくなるわ。
 そんな構造でしょうか。
 縫い子頭の昌子がそんな糸子を叱咤します。 糸子は縫い子たちや家族たちを養っている、という自覚に立ち返り、こう決心する。

 「(昌ちゃんのゆう通りです。
 うちには家族がおる。
 7人の縫い子を抱えてる。
 ようさんのお客さんを待たせてる。

 どんだけ憎まれようが、負けるわけにはいけへんねん)」

 くじけそうになるとき、「負けたらあかん」 と自分にムチを入れることは、大切なことだと思います。
 ただ、ここで糸子は傷ついた自分にばかり神経が行ってしまって、玉枝の哀しみに、寄り添っていない。
 玉枝から一方的にまくし立てられた感情的な言葉に過剰に反応することで、自己防衛しようとしている、と私は考えるのです。
 それがいいか悪いか、ということを私は問題にしたいとは思いません。
 人間というのは、いつも最良の判断が出来るわけではない。
 そのことをドラマが描き出そうとしていることに、ただただ感服するのです。

 糸子は安岡の店先に、食糧の入ったかごを黙って置きます。

 「(さいなら。

 もう二度とけえへんよって)」

 直子をおぶったままの糸子は、その帰り道で、冷たい決心をします。

 「…悪いけどな。

 うちは負けへん。

 戦争にも、
 貧乏にも、
 勝って勝って勝ちまくるんや…。

 嫌いたかったら嫌うたらええ…!

 なんぼでも嫌うてくれっ…!」

 精一杯の強がりの言葉。
 しかし糸子は、その言葉を言いながら、泣いています。

 糸子はここで、自分が決めた道を、どんなに嫌われようとも貫き通そう、という決心をしている。
 言いたいやつには言わせておけ。
 自分のやっていることで、大勢の人間が幸せになっとるんや。
 しかし糸子がそう開き直るために、長年仲良く付き合ってきた安岡家と、糸子は感情的な決別をしなければならないのです。
 それは自分の身を切るよりも悲しい決意であることは疑いがない。
 いわば糸子にとって、それは子供時代のよかったころの思い出との決別でもあるからです。

 これがいいか悪いかの判断を、作り手もしようとしていない。
 ただし、それが悲痛であることだけは、描写しようとしている。

 私がうなるのはこの点です。
 作り手が糸子に、安っぽい反省をさせないことが、ドラマの緊張感をいやがうえにも高めている。
 いずれにせよ糸子はこのスタンスのまま、しばらく生きていくことになるのです。

 昭和17年(1942年)12月。

 糸子の夫、勝に召集令状が届きます。

 糸子のお腹には3人目の子供。
 歌舞伎に連れてってもらったり、ショールを買ってくれたりする夫に、糸子はそれなりに感情移入しながら暮らしてきたために、その召集令状にはショックを受けるのです。

 「(戦争中でも月は出る。
 虫かて鳴く。

 優子…直子…お腹の子。

 それから…勝さん。

 うちは、まだまだこんなにたくさん宝を持ってるんやな。

 立ち止まって、ふと気づいてしもたら、そのことが、有り難いやら怖いやら。

 無くしたない。

 おらんようにならんといてほしい…)」。

 そんなふうに感じていた糸子です。
 その感情を、玉枝も持っていることに糸子は気づいてほしい、と私は考えながら見ていたのですが、そんな糸子にも、家族がおらんようになる悲しみが、襲ってきたのです。

 「(ああ…来てしもた)」。

 粛々と署名捺印をする勝。 ハルおばあちゃんはそれを見て、腰が抜けたようにへたり込んでしまいます。 蒼ざめた表情のままの糸子。

 千代はそれを聞いて泣いてしまう。 糸子は優子の前やから泣かんといて、と気丈に振る舞うのですが、やはりショックは隠しきれない。

 バリカンで勝を坊主頭にする糸子。
 午後の陽ざしの中で、糸子の哀しみだけが、募っていきます。

 ささやかな出征祝いの夜。

 善作は、きまりの悪そうな顔をして、酒を抱え、だいぶん遅れてやってきます。

 玄関先でそれを出迎える格好になった勝。 笑顔を見せるのですが。

 「お父さん…。

 すんません」

 勝は、善作に頭を下げるのです。

 「赤紙…来てしまいました。

 スンマセン…!」

 泣いてしまう勝。

 「すんません…すんません…お父さん、すんません…」

 頭を下げたまま慟哭する勝。
 善作は、勝の肩に手を回します。

 糸子はいたたまれなくなって、井戸の場所までやってきて、しのび泣きます。

 この場面。

 勝は、どうして善作に謝ったのでしょう?

 勘助の送別会では、「弾なんか当たらん当たらんそんなもん」 と一笑に付して、兵役なんかどうってことはない、としていた善作が、今回はまったく喜んでめでたいことだと感じていない様子。 夫として妻を守ることが出来なくなったことへの自責の念が、勝を謝らせ、泣かせたのだと思うのです。 ありきたりな感想ですけどね。

 実はこのあと勝の浮気が発覚するのですが(笑)、奈津が推測するように、相手の女はかなりの別嬪で勝と釣り合いようがない。 勝は弄ばれていたにすぎない、と感じるのです。
 そのことを考えると、勝が善作に対して申し訳ない、とした気持ちは、あながち表面上のことだけではない、と感じる。
 いずれにしてもここから窺えるのは、勝や善作が、兵役をけっして名誉なことだと考えていなかった、ということです。
 ただ純粋に、死地に赴く悲壮な決意が、当事者たちを深刻にしている。

 翌日、勝は極めて質素に、商店街の人々から送り出される。
 勘助の時のようなノーテンキぶりはまったく影をひそめ、そのコントラストはとても強烈です。
 ただ当事者の家族だけが悲痛な表情だった、というのだけは一緒でした。
 善作も、千代も、糸子も。

 ところが前述のとおり、その直後に勝の浮気が発覚し、糸子の心は右に左に大きく揺れまくるのです。

 そのきっかけは、勝から送り返されてきた背広の中に隠されていた、浮気相手との仲むつまじい写真。
 「浮気のひとつやふたつ、男の甲斐性や」 みたいなとらえ方をする善作や、商店街の木之元などに糸子は激高し、腹いせに土手で大きな石をドボンドボン川に投げ込みます(笑)。

 糸子の疑心暗鬼は徐々にエスカレートしていき、ついにはサイレント映画のようなモノクロのロマンス映画仕立ての夢まで見てしまう(順番メチャクチャに書いてますけど…笑)。
 これって糸子が嫉妬してるのかな?とも思われる描写なのですが、作り手はあくまで 「男って…(怒)」 という姿勢で描いているので、糸子の嫉妬心がなかなか見えてこない。 

 糸子の妄想は勝が糸子と結婚しようとした意図にまで広がってしまう(これも順番メチャクチャです…爆)。

 「(要するにや。

 うちは女として好かれちゃったわけちゃうんや。
 ただの稼ぎ手として、見込まれちゃっただけや。

 ほっといても嫁はせっせと稼ぎよる。
 そやさかい、自分はなんぼでも外で別嬪と遊べる。

 ほんで、うちを大事にしてくれちゃった。 そんだけや!)」

 で、先ほどチラッと話しましたが、糸子は奈津にその恨み節を展開する。 その際に奈津のダンナもどこぞへ出奔して(笑)しまったのがバレてもうたのですが、いったん奈津も糸子を突き離しておいて、「(出征してしもたんなら)なおさらどうでもいい話やわ! しゃきっとしいや!」 と糸子の尻をひっぱたく(実際ひっぱたいてませんけど)。

 「(これや。 これでええ。 うちと奈津。 女どうしはこれでええんや)」

 とひとりごちする糸子ですが、その帰り道、糸子は泰蔵と出会います。
 気まずそうに挨拶するふたり。

 糸子はそのままそこに立ち止まり、息苦しそうにうつむきます。
 そして目を開けると、雪がちらついている。

 それまで自分の思う通りに突っ走って来た糸子が、安岡のことをはからずも思い出す一瞬。

 向こうが近づくなっちゅうんなら、金輪際近づかへん。
 そう心に決めてからも、糸子の心の中には、釈然としない重たいものが、ずっとずっと居残り続けていたのです。

 そして土曜日放送分。

 糸子はその年のお歳暮に、お世話になった人々に野菜を送り届けさせます。
 それは安岡の家にも。
 これは、調子に乗った糸子がどう反省するか、などという私の了見の狭い見立てよりも自然と、糸子の心の成長を思い知らされるエピソードであります。
 縫い子のひとりから、その野菜が無事に八重子の手に渡ったことを伝え聞く糸子。
 その縫い子の話からは、玉枝も勘助も、確とした消息が分からないのですが、とりあえず糸子は安岡の家に不義理はしなかった。

 そしてお歳暮を届けた木之元の女房から、いつも悪いというように、カイロのお返しをもらう糸子(これもちょっと順番逆に書いてますけど)。
 いつも恐妻ぶりを発揮していた木之元の女房ですが、糸子からよくしてもらっていることに後ろめたさを感じていたんだな、と思わせると同時に、その心情には玉枝が感じていた引け目と同様のものを感じる。
 いずれにしてもその木之元の女房のささやかな心配りが、のちに大きな悲劇を引き起こすことになるのです。

 昭和18年(1943年)1月。

 電気ガス代など節約のためにオハラ洋装店で一緒に再び糸子たちと一緒に住むようになっていた善作たち。
 糸子は、木之元から、勝が大陸へ渡ったことを聞き及びます。
 ついに本格的な戦闘地域へ…。
 糸子の心の中は、「どうせ浮気者や」 という悪魔の気持ちと、「うちがいくら家族をほったらかして仕事しても文句のひとつも言わんかった優しい人や」 という天使の気持ちが激しくせめぎ合います。

 ここで糸子が 「自分が家族をほったらかして仕事ばかりしていた」 とはっきり自覚していることは、糸子の成長をこれまた思い知らされるセリフであります。

 別に目くじらたてんでも、人間というのは自然と成長していくもんなんやなあ。

 反省するならサルでもできる(なんやソレ?…笑)。
 形ばかりの反省なら、そこらのドラマじゃいとも簡単に毎日しとる、ちゅうことです。

 おそらく糸子と玉枝も、仲直りできる日がやってくる。
 そう思わせる糸子の成長ぶりなのです。

 「(出征してしもて、悲しさやら心配やら、ないことはないけど、ほかでグルグルしすぎて、そこまで気ぃがいけへんちゅうんは、ええんか悪いんか…)」。

 やはり夫の出征は、糸子の視野をひと回り大きくしているようなのです。

 そこにやってきた、大日本國防婦人會の、例のオバチャンたち。

 夫がいなくなったんならミシンを供出せよ、と強気の要請です。

 糸子はそれを拒みます。 「戦争から帰って来た時にあれがなかったら、主人は仕事がでけんようになります」。
 それに対し婦人会のオバハンたちは、居丈高に言い放ちます。

 「はぁ? 『帰って来た時』 ぃ?

 小原さん。
 お宅まだそんな低い意識でこの聖戦に臨んでいるんですか?!」

 「は?」
 なに言うちゃってんねや、というような顔になる糸子。

 「いやしくも日本の妻、夫を戦地に送り出したら、潔く、遺骨になって帰ってくるのを願うべきやないんですか?!

 死んでお国の役に立ってこそ、旦那さんの値打ちっちゅうもんです!」

 「なに…?」
 極道の妻みたいな顔になる糸子(笑)。

 「なにこのおおっ…!!」
 つかみかかろうとする糸子。
 その場にいた善作と昌子が、糸子の口を塞ぎ羽交い締めにします。 「まあまあまあまあ!あとでよう言うて聞かせますよって、きょ、今日のところは…!」「ご苦労さんでしたぁっ!」。

 退散する婦人会のオバチャンたち。
 糸子はようやく解放され、せき込みながらその場に座り込み、腹の底から憎しみを吐き出すように、「クソオッ!」 と叫びます。

 「…くそ…!」
 畳を叩いて悔しがる糸子。

 「なにが死んでこその値打ちじゃあああっ……!!」

 怒りで顔面を大きく崩しながらの絶叫です。

 この場面、ドラマ的な誇張が行なわれている可能性は捨てきれません。
 けれども。

 死ぬことこそが誉れ、という価値観は、実はこの時代に始まったことじゃない。
 日本の歴史をひも解くと、このような価値観が厳然と存在していた事実は隠しきれない。

 これは個人的な見解ですが、糸子は現代的な観点から、「死んでお役にたつなんて、どういう了見や!」 というニュアンスで叫んでいるようには、私には見えないのです。

 つまり、誤解を恐れず言えば、糸子にとって夫の勝という存在は、実に与しやすい都合のいい存在だった。
 その人畜無害ぶりに気安さを感じていた。
 それはどこかで、この夫を軽く見ていた自分がいた、ということなのではないか。
 それを婦人会のオバチャンたちから見透かされたように 「死んでこそ価値がある」 なんて言われたもんだから、頭に血がのぼってしまった。

 いずれにしてもこんな糸子のようなことは、当時の日本ではご法度中のご法度であることは疑いがない。
 何かって言やぁ 「非国民」、なのですから。
 善作が色をなして糸子を止めに入ったのもそのせいです。
 善作にしたって、婿が死地に赴いている、なんて気が気じゃない。
 勝が徴兵されてからも、善作は何度か(?)勝に面会しようとしている。
 正月の餅を食いながらも、「婿殿は餅を食えているだろうか」 と心配している。
 そんな善作が、糸子を止めに入っているのです。
 モノ言えば唇寒し、という当時の世情がいかなるものであるか、見る側はそのことに思いを致さなければならない、私はそう思うのです。

 ここで私は、他人の哀しみに寄り添うことのできなかった以前の糸子と、大事な家族を兵隊に取られている家族たちの哀しみを抹殺しようとする、戦争、というものの存在に、奇妙な符号を感じました。

 他人の哀しみに寄り添うことのできない(いや、できなかった)糸子に、戦争の悲惨さをリンクさせようとしている。

 これは渡辺あやサンなりの、反戦のメッセージなのではないか。

 …またまた考えすぎのクセが勃発であります(笑)。

 夜。

 月がまた出ています。

 何週か前のこのドラマに、ことあるごとにネコが出てきていた週がありましたが、この週は月、だったような気がします。

 どんなに戦争でも、月は変わらず出ている。

 昼間の出来事が悔しくて寝つけずにいる糸子。
 月明かりの照らす寝床で、勝の幻影に、手を伸ばすのです。

 「(大きい、ぬくい背中。

 笑ろたり、しゃべったりする顔。

 …心…。

 それが全部、骨になってこその値打ちやちゅうんか。

 こんだけのもんを、石炭みたいにボンボン燃やして、日本はいったい何が欲しいっちゅうねん…)」

 夫の幻影が消え、糸子の手は畳に落ちていきます。

 「…戦争てなんやねん…?」

 糸子は夫をいとおしく思う気持ちを、浮気していたことを思い出してかき消そうとします。

 おなじころ。

 寝つけなかったのは、善作も同じようです。

 寒さに善作が、木之元からのいただきものであるカイロに火を入れようと、燃料のベンジンの瓶に手を触れた瞬間。

 瓶は滑って、火鉢の中に吸い込まれていく。

 爆発音。

 「なに…?」

 糸子はただならぬ音にはね起きます。

 千代の叫び声。

 「どないしたんや?!」

 「きゃああああーーっ、お父ちゃん!!」

 千代が叫んでいます。
 「善作、大丈夫か!」
 近づけないハルおばあちゃん。

 糸子が見たものは、火に包まれている父親の姿。

 「お父ちゃん!!お父ちゃん!!」

 つづく。





 冒頭に書いたように、これらの出来事が、糸子の思い上がりを天が罰しようとした悲劇なのであれば、それはあまりにも過酷な出来事であります。

 ともあれ、この衝撃的な今週のラストを見たあとに私が思い至ったのは、やはり冒頭に書いたように、「玉枝や勘助、八重子の哀しみに糸子が本当の意味で寄り添うためには、夫である勝の出征や、父親の善作が火だるまになることによって、糸子が悲しみの淵に佇まなければならないのか」、という感想であるのです。

 同じ悲しみを持った者でなければ、その人の哀しみを知ることはできない。

 お門違いなようなのですが、私の正直な感想であります。

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コメント

リウ様、おはようございます。
感想UP、読ませて頂きました。

玉枝に扮する濱田マリさんの鬼気迫る演技、恥ずかしながら余りの恐ろしさに、月曜分は再放送すら見れませんでした。

カーネーション助演女優陣、下駄屋の内儀や縫子頭等々、元々の素顔は美人揃いなのに、いざ役に入ると其れすら崩して、キャラに成り切る。
改めて、その役者根性に感服している次第です。

老境を演じても綺麗綺麗を捨てられない主役女優や、何をやっても「俺様」キャラの国民的アイドルメンバーよりも、数段凄いです。
未だ、夭折した伝説的俳優である父の陰を追って、悪戦苦闘している兄弟俳優の方がマシと言った処でしょうか。

無論、主演・尾野サンの演技の秀逸ぶりは、言うまでも有りませんが。
カーネーションスタッフ、彼女を朝ドラ史上最高の「嫌われ」キャラにしようと目指しているのでは? そのリアルな芝居の数々から察するに。

書きたい内容は沸いて来るのに、整理出来ずに情けない思いです。又、纏まったら突発的にお邪魔します。

次回予告。岸和田男の鑑、泰三が遂に出征。其々の場所で嘆く八重子と奈津。その漢(おとこ)っぷりの良さから、御町内の男や女、果てはゲイにまで愛されていそうです。

御町内の平和は、ウルトラマンと電人ザボーガーが護る? 仮面ライダーになってでも帰って来るか!?

そして糸子の絶叫、善作退場回が来てしまいました。

投稿: M NOM | 2011年12月11日 (日) 04時45分

M NOM様
コメント下さり、ありがとうございます。

今週のレビューを書いていて、すごくパーソナルなメッセージを発信しているな、と自分でも思ったのですが、とりあえず1週間分を通して見て、正直に思ったことだけを書こう、と考えました。

実に書きづらかったです。

なぜなら、話がけっして糸子を持ち上げていないから。
見方によっては、こんなことでいいんか?とも思われる糸子の人生の進め方のように見えたからです。

私が見ていて気になるのは、オハラ洋装店の中で糸子が 「先生」 と呼ばれている部分です。 「社長」 でも 「若女将」(はちょっと変か…)でもなく、「先生」。

これが糸子の尊大さを 「ことさら」 アピールするための、ドラマ上のひとつの要因になっているのではないか。

玉枝が糸子に向かって投げかけた言葉に対して糸子がどういう反応を採って生きていくのか。

それは、私が今週ドラマを見ていくうえでのひとつの視点でした。
その視点から書きあげたのが、今週のレビューであります。

M NOM様の文章は洒脱で抑制が効いていて、とても上品な表現の仕方なので、読んでいてうらやましいです。 私はがんらい品がないので、(笑)とか(爆)とか平気でつけちゃうし、ドラマに流れる反戦メッセージも斜め読みしてしまう。

いずれにせよ、「これじゃ読者の方々の共感は得られないだろうな」、と思いながら書きあげた今回の文章、結果的に今週の糸子の生き方と類似している気がいたします(また考えすぎの虫が…)。

投稿: リウ | 2011年12月11日 (日) 09時31分

今週の本編もすごかったですが、
リウ様のレポにも、なるほど、と改めてうなずくことしきり。

特に糸子の勝への気持ちの複雑なこと、
例えばある種軽く見ていた部分があった故に逆上、とか、
だからこそ、浮気にもあんな対応だったのだ納得できました。

人間って複雑な生き物で、単純に善悪に割り切ることはできないんですよね。

>うちは負けん
と糸子が決意する場面、「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラ(きゃあ==、意図せずにギャクを!!! オハラって、アメリカでも日本でも同じキャラってすごすぎ・爆)を思い出しました。

勝の激励会にお父ちゃんが遅れてきたこと、
またまた私の妄想ですが、お父ちゃん、愛人の芸者にあって、話を付けてきたのかと思いました。

案外、あの芸者さん、勝の本当にいい部分を見抜いていて、本気だったかも・・・・。
まあ、真偽のほどはわかりません、あくまでも妄想ということで。

今週も、みなさま、いろいろな思いが胸を渦巻いて、簡単に感想をかける状況にないのかなと思います。
私もそうです。
またお邪魔すると思います。

投稿: マーシー | 2011年12月11日 (日) 09時38分

マーシー様
コメント下さり、ありがとうございます。

マーシー様のHNの通り、ご慈悲あふれるコメントをお寄せ下さりかたじけなく存じます(違う意味かな?…笑)。

「オハラつながりで強気のキャラ」…、いやはやビックリhappy02。 もしかしてかなり意図的な渡辺あやサンのネーミングかもしれません!

スカーレットのほうも、自分が強気なことで散々傷つきながら、「明日は明日の風が吹く」、と宣言して物語を終えるんですからね! これはマーシー様の大発見、という気がいたします。

さらに付け加えればこのドラマ、話がブツ切りで次々飛んで行くのも、「風と共に去りぬ」 の手法そのままではないですか!

うーん、感服いたしました…。

あの若竹の女将さん?、奈津の推測では 「そんなアホな」 でしたけど、案外マーシー様の見立て通りかもしれませんね。 いや、糸子の妄想で見ている側に修正が加わってるかも?(笑)。

しかし本当に、複雑な感想を抱かせてくれるドラマであります。
楽して見させてくれぇ~、という気もいたしますが、その手の向きには気楽に笑って見させてくれる側面もちゃんとあるし。

つくづく恐ろしいドラマになってきた気がいたします。

投稿: リウ | 2011年12月11日 (日) 10時07分

リウさん。

以前からご指摘どおり、一週間通してのテーマを掬い上げてわかりやすく纏めてくださり、ほんとにありがとうございます。

マーシーさまがおっしゃるように、いろんな思いが渦巻いてなかなか言葉として纏まらない。リウさんのレビューを読みたくて餓えた気持ちで貪るように読んで、でもそれでも…

月曜日の玉枝の毒や!発言からウワンウワン引っ掻き回されて、忘れていた、いや思い出したくない親友と思っていた人からの侮蔑の言葉を思いだし、その時の対処法がまさに糸子のように強がることでしか遣り過ごせなかったこと。シンドイ週になるかもなぁ〜

見るの勇気いるなぁ〜

このドラマの凄いとこは観る人さえもその世界に引きずり込み、まるで蟻地獄に落ちたかの如く、一度ハマったら逃れられない力があることです。
確かに『仁』『それでも、生きてゆく』を凌ぐドラマですね。

実はリウさんのレビューではあまり深く取り上げていなかった水曜日の、糸子と勝さんの初デートが、ワタシにとって非常に印象に残った回でした。これは女特有かもしれませんが、恋をする前と恋に落ちた後、まるで人が変わってしまうのです。歌舞伎に誘われて、最初はメンドクサイ!といやいやだったのに、ここでハルおばあちゃんのナイスアシストで赤い紅をさします。ぎこちない塗り方で今まで紅を塗るなんてなかったこと。つまり女は好きな人がいないと格好に構わない。いえ、女というよりワタシは、ですね。流石に仕事してる間はお客様に失礼のないように…と最低限の化粧はしますよ。でも…違うんですよねぇ
糸子もそうだったと思うのです。
けど…時間をおくごとに勝さんの意外な一面を次々手品のように見せられて…これって今まで単なる友達だった相手がある日突然気になり出す恋の初めのトキメキではないですか!
その落方がほんとオノマチさんが実際恋した?と思うほどでした。可愛くていじらしくて…

口紅の赤、ショールの赤、ショールの刺繍も赤いカーネーション。この赤が恋した糸子の心情を雄弁に物語っていたようです。

帰りがけにはさりげなく腕を組んで、嬉しそうな糸子によかったなぁと嬉し涙でした。都合がいいだけの旦那からいとおしい人にかわってしまったら、とられるのが辛くなる、喪うのが怖くなる。月夜の朧な光の中そっと背中に寄り添う糸子の図は『図太さは毒や』と罵倒された糸子ではありませんでした。
紅と真っ赤なショール…勝さんを送り出すときは慌てて肩にはおり、出征の通知がきた後は膝の上に、常に糸子の手の届く所に、勝さんの分身のようにありました。

さて、男の浮気 ですが。
ワタシは気にしません。奈津が言うとおりです。シャキッとしいや!
ちょっと淡白すぎるきらいがあるので糸子のぶちギレ方は『あらあら』と意外な一面!と思いました。

手酷く裏切られたことないからかもしれません。リウさんおっしゃるように経験しないと結局わからないってことです。


リウさんの身を削るようなレビュー
改めてありがとうございます。
また、来週は覚悟が要りますね。
お互い、身体に気をつけて

投稿: みち | 2011年12月11日 (日) 18時47分

みち様
コメント下さり、ありがとうございます。

いつもはレビューを待ちかねたようにすぐコメントを下さるのに、今回はずいぶんお悩みになったご様子ですね。
まあお互い、あまり重たくならずにドラマを見てまいりましょうsmile。 たかがドラマ、ですから。

…たかがドラマぁ~~?(爆)。

たかがドラマ、なんて言わせない風格が、このドラマにはありすぎます。

それは、このドラマのワンカットワンカットが、すでに芸術的な領域に足を踏み入れまくっているからだと感じます。
構図、パンの仕方、光の使い方。
そしてそれを凌駕する、複雑な人間心理の織りなしよう。 つまりストーリーです。

ドラマとしての体裁を考えた場合、玉枝の怒りの絶縁を、少なくとも今週、このドラマは解決しようとしていません。
作り手がこの問題を解決しようとしているのかどうかも分からない。

これは私たちの人生に照らし合わせると、とても似通っていると思われるのです。

私たちの人生にも、おそらく喧嘩や諍いがあって袂を分かった人が、少なからずいるのではないかと思います。

それはこちらが悪い場合もあれば、向こうが悪い場合もある。

でもそのケンカ別れ状態って、必ずしも解決して仲直りするわけじゃないですよね。

自分の中に後悔やどうしようもできない棘となって、この先の人生を生きて行かなければならないこともある。

糸子が絶縁状態の安岡の店に歳暮の使いをやらせたのも、泰蔵と偶然遭って、それまで乗り越え忘れたように思えていた過去の痛みをまた思い出すのも、個人的にはとても自分の人生と重なる部分がある。

思い出せば、苦虫を噛み潰したくなるような出来事って、人生の中にはどうしようもなく、あるんですよ。

それを表現しているように見えるから、私はこのドラマがすごい、とただただ思われてならないのです。

歌舞伎を見に行ってショールを買ってもらったことで、糸子の中に曲がりなりにも勝に対する行為が芽生えていった、というくだり、確かに大幅にこのレビューでは割愛いたしました。
みち様の追加的なフォローによって、それが完璧に補完出来ました。
感謝申し上げます。

またまた個人的に、ですけどcoldsweats01、結構ここらへんの、糸子が勝にシンパシーを感じていく描写って、自分的には 「これってイージーに疑似恋愛を錯覚しているみたいだな」 と感じたんですよ(ああカワイクナイ感想だ…笑)。

いちいち勝を見送るのに赤いショールを羽織ったり、口紅をつけたり(笑)。

でも結婚なんて、みんながみんな本当に好きな相手と出来るわけじゃないし、糸子の場合もなんかなし崩し的だったから、こんな疑似恋愛的なものから本当の愛情が芽生えるのも、かなりリアルではある、とは思うんですけどね。

やはり1週間分を通して見てるから、私は糸子が幸せになっても、いつまでも玉枝の罵詈雑言が、心の中に棘として突き刺さったままなんですよ。
だからこんなカワイクナイ見方をしてしまったのだと思うのです。

そして泰蔵と出会って息苦しそうにする糸子と、見上げた空から雪が降ってくる様子に、限りなくホッとしたのです。

別に糸子にあからさまに反省させなくとも、こういう解決の方法が、ドラマとしてあるんだ。

そんなことを考えたんですよ。

そして善作の、あのショッキングなシーン。

おそらく月曜放送分で、その後どうなったかはすでにみち様にはご存知でいらっしゃると思われるのですが、私はこの場面を見たとき、もしかすると玉枝が 「家族もみぃんな元気で結構なこっちゃな!」 と罵倒した真意を糸子が理解できるきっかけとなるのかな?、と感じたのです。

それで、あのようなお門違いみたいな感想が出てきたのです(この第10週分のレビューの題名もそう)。

このうえはもう、ヤフーのレビューも番組HPも一切見ないで、今週末のイッキ見に賭けたいと思います。

投稿: リウ | 2011年12月12日 (月) 10時07分

再見レビュー、第10週です。
もっとも勘助メインで晩年への布石という形ですが(笑。

第23週のテンポの悪さを糸子の老いという側面から捉える意見は多いですが里香のペースに併せるという側面もあります。2週間で彼女が最初の一歩を踏み出すまでを描いた、これは「カーネーション」のペースに慣れると非常にまだるっこしい。ただ肝心なのは親に対する反発が糸子の時代とは完全に逆ベクトルになっていて、糸子がそんな孫に理解を示している事です。
直子に里香が甘えている事を指摘(経験者は語る?)させてはいますが、自分の殻に閉じこもっている人の内面にずかずか入り込む真似が許されるのか?その回答は既にここで示されていました。糸子は里香を東京中、引っ張り回しましたが優子が会いにくるのは絶対に許さなかった。荒療治が一定ラインを超えて薬から毒に変質するのを経験で知っていたわけですね。

同時に勘助の存在が糸子の後半生に与えた影響も理解できます。玉枝さんが「忘れて前に進もう」と言ったように三姉妹編の頃は、まるで勘助という人間が最初から存在しなかったように、皆ふるまっています。リウ様が玉枝に相談に行く事で地雷を踏む可能性を懸念されていましたが思えば暗黙の内にタブーとなっている事を示していたのではないでしょうか。人が戦争のトラウマと向き合うには20年、30年という期間を要する。渡辺サンは恐らく、そこまで考えている。
糸子にも勘助を傷つけ最後まで話せなかった、八重子さんの相談相手になって聞き出せていたらという悔恨の念はずっと燻っていたはず。己の死期を悟った玉枝さんの言葉でそれが再燃した。娘達の成長も一区切り、仕事のペースの落とす中で向き合ってきた事が伺えます。
泰蔵の自慢話が戦争に及ぶと「横のヘタレも磨いちゃれ」と言い放った糸子。その後に女学校時代の自分のように怪我をした里香が運ばれてくる。チェッカーズ君ではタイプが全く違いますが、それでも勘助に会えた様で嬉しかったのでしょう。

勘助が何らかのキーマンになっているのは本放送時から漠然と感じていたのですが、この流れは今回の再見で初めて理解できました。夏木糸子に代わって「糸子が分別臭いお婆さんになってしまった」的意見もあったと思います。確かに歳をとって丸くなった部分もあったでしょうが、糸子にとっては勘助が与えてくれた分別なわけです。
奈津の父の病死前後の態度など勘助は傷ついた人への配慮や距離のとり方など(玉枝さん程の成熟したものではありませんが)母譲りの美点の持ち主なんですよね。

投稿: 巨炎 | 2012年7月 8日 (日) 11時32分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

この週の自分のレビューは、実に近視眼的だと、いまあらためて読み返して気付きましたcoldsweats01

勘助の悲しみに寄り添いすぎて、なぜ彼がサエと会ってあそこまで取り乱したのか、いぶかしく思わなかった。

これがのちに、玉枝の独白(勘助が兵隊として、敵国の女性を凌辱したのではないか、と匂わせるシーン)の真意に気付けなかった伏線となってしまいました(笑)。

それにしてもこの、安岡の家族たちがまったくの創作、というのは、いまさらながら重要なことのように思えてなりません。

つまり、実際の小篠綾子サンのイケイケドンドンぶりに対してあったであろう世間の反発を、脚本家の渡辺あやサンが安岡玉枝に託して象徴化させた、と感じるんですよ。

そして玉枝を、糸子が幼いころからよくしてくれた近所のオバサン、と設定することで、糸子が感じるであろうショックを、最大限のものに引き出している。

晩年の糸子は、自分がそういった世間との軋轢を幾度も味わってきた経験の上に、成立している存在なんですよね。

いろんなことがあったけれども、すべては生きているあいだの、夢のようなものであり、そしてそれが、自分という存在がこの世に生まれて、ひとつ学んだことだった。

だから糸子は里香に対しても優子に対しても、「いろいろあって人間は学ぶもんなんや」 というスタンスでいたような気がします。

自分が他人に対して優しく出来るのは、自分がそれだけの悲しみを、他人から受け取ったからだ。

糸子のイケイケドンドンぶりは終生変わることがなかったのかもしれないけれど、そこには必ず、「今はダメダメかもしれないけれど、人というのはみぃんな成長していくもんなんや」 という 「達観」 があったような気がするのです。

投稿: リウ | 2012年7月 9日 (月) 13時27分

ヤフー掲示板は今週のイベントでまた盛り上がってます。

そういえば百貨店制服の時も糸くず取をしてくれた
勘助に糸子は全く礼を言ってなかった(笑。

ただ改めて上手いと思ったのは糸子にとって
安岡家は「家族」と「世間」の中間的存在なんですね。
人間、良かれ悪しかれ身内には遠慮が無くなってしまう。
だからこそ家長となってから世間と一通りの軋轢を
経験して柔軟性を身に着けてきた糸子が
三姉妹編の時期は一面的に戦前に退行しているという
際どい精神状態が成立するわけで。

実際、勘助の事が経験として生きているのなら
優子に対して美大受験で覚悟を促すのも
店の引継ぎに関しても、もっとやりようがある。
(これの具体例が聡子への引継ぎ描写)

一方、優子は働き始めたら人前では自発的に
糸子を「先生」と呼んでいたし、
直子をぶっ叩く時も店主である妹のメンツに配慮して
周囲に人がいない事を確認しているし
これが糸子との差なんだなー。

投稿: 巨炎 | 2014年6月15日 (日) 20時46分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

このところちっとも新しいレビューをアップしないので、「カーネ」 の古い記事のほうが読まれているというていたらくのハシモトであります(笑)。

「カーネ」 の再放送はここまで進んでいますか。 回数がたまったら自動的にダビングして、そのまま保存しているのでちーとも見てない。

まったく、優子に対しては結構気を使った描写をしているのに、糸子に対しては容赦がございませんでしたよね(笑)。 やり手の経営者として糸子を描くと同時に、他人の心をあまり顧みない性格を、朝ドラにあるまじきレベルで描写してました。

それでも糸子は糸子なりに、自分の中での慈悲の心がある。 それが、他人に受け止められる段階になると結構食い違いが生じ、そこに苦悩する。

見ている側は、糸子の人間的な思いやりというのがどの程度なのか、解剖学的に分かるわけですよ、残酷なことに。

自分は昔と同じように接していて、それなりに気を使って付き合いをしている。 なのに、事業がうまくいって金銭的にも余裕が出来たことで、どこかに金持ちとしてのイヤな余裕が住みついてしまう。 いつの間にか見えなくなってしまうものがある。

朝ドラとしては、かなりマジメに見てないと、そこが分からないレベル。 このドラマは朝ドラの枠を突き破って、このあと後世に渡って視聴せらるるべきドラマに成長していってもらいたいものです。

投稿: リウ | 2014年6月17日 (火) 12時04分

>どこかに金持ちとしてのイヤな余裕が住みついてしまう。 
>いつの間にか見えなくなってしまうものがある。
こういう事を何十年も試行錯誤していましたね。
勘助の事を気に病んでいたからこそ八重子さんや奈津のために奔走したかと思えば、今度は金で物事を解決しようとする高慢さが芽生え…。それでも安岡家や周防家は経済面で糸子に依存した部分があり、玉枝さん一個人の糾弾や不倫騒動のつるし上げはまだ解り易い。

三姉妹編の脚本家による糸子否定は壮絶(最終回の走馬灯的カットの中にこの時期は無い)。糸子視点で見てれば看過、擁護できてしまう高慢、無神経な言動の数々が伏線として大コケに収束している。優子は糸子を非難する気持ちが毛頭、無いだけに余計に己の狭量さや限界を突き付けられる。まあ、「ヒール」とか「泣かされた苛めっ子」とか朝ドラ主人公の新境地を切り開いてましたが(笑。

この時期の糸子の高慢さは晩年編前半の優子で見た方が
解り易いです。「あの子は昔っからああやんか」が
「糸子はそんな健気な子やおまへん」と対になっていて、
優子は学習能力が高く柔軟性に富む一方で染まりやすい。
糸子ほど芯が強くないので成長&増長ともに振り幅が大きい。
だからこそ引退勧告に関して一度、追い返しておいた優子を
もう一度、来させて、これまでの態度を改める様まで描いたわけで。

投稿: 巨炎 | 2014年6月18日 (水) 16時28分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。 返信が遅れまして申しわけありません。

否定的な描かれ方をし続けたように見える糸子ですが、それが許されるのは、やはり何より、本人が一生懸命だったから、なのではないでしょうか。

そしてもうひとつ。 人と人とのつながりを大事にしたからこそ、多少の強引さ、鼻につくようなところがあっても、人々に慕われた。

ただ人間つーもの、カネの匂いに引きずられてアリん子みたいに寄ってくるのは、これは人の世の常なのではございますが。

結局どんなに問題があったところで、一生懸命生きたかどうか、それこそ晩年に至るまで現役を貫けるかどうか。

そのことに対する価値を見つめ続けたのが、このドラマではなかっただろうか、という気はするのです。

晩年の糸子は、「うちの話は朝ドラにならへんやろか」 とボヤキ続けます(笑)。

それは自分の人生、こないに面白いんやで、と人に言えるような人生やったから、と思うのです。

「銀二貫」 やないけれど、「人生しんどいからこそ、オモロイ」。

そしていちばん思うのは、「おかあちゃん」 が亡くなってからも、娘三人には、いまだにその喪失感を持たれ続けている人物だった、ということです。

どうも総論ぽくなってしまいました。

それにしても、オノマチサンはどぉ~も、NHKのドラマでないといい味が出ないよーな気がいたしますね。

投稿: リウ | 2014年6月21日 (土) 14時59分

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