« 脚本家の市川森一サン死去 | トップページ | 「松田聖子のオールナイトニッポンGOLD」 聖子サン号泣の原因 »

2011年12月18日 (日)

「カーネーション」 第11週 めぐり来る因果

おことわり 話が長くてくどくて不明瞭で、相変わらず申し訳ございません。




 「商売もうまいこといって、家族もみぃんな元気で、結構なこっちゃな!」

 棘のように私の喉の奥に突き刺さったままの、安岡玉枝が糸子に投げつけた、先週の言葉。
 そこにばかり神経が行ってしまう視聴の仕方もどうかと思うのですが、結局このドラマは今まで私が見たどんなドラマよりも、重たいリアリティを持ってそれを解決してくれました。
 いや、解決というのとは違う。

 人生のなかで、他人との関係でぎくしゃくしてしまってそれきりだ、というのはよくあるパターンです。
 そうした場合、だいたい仲直りする、なんていうのはまれなケースで、たいていはその後、知らん顔してしまう。 もうその人を自分の人生から、締め出してしまうんですよ。

 それは自分が相手に対してひどいことをしたとか、相手からひどいことをされたとかがもともとの原因ですけど、それで感じたイヤな思いを、少なくとも私の場合は悩んだ末に記憶の底に沈めてしまう。
 そしてたまに思い出しては、「ああ、昔あんなイヤなことがあった」 と苦虫を噛み潰したような顔になる。

 それを自分の人生のなかで解決するには、自分が成長して人に対して献身するとか、まわりの人を大事にすることで、過去の過ちを発展的に解消していくのがよろしい。 他人からひどいことをされても、自分はしないと心に決めれば、それでひとつ成長する(分かりにくい論旨でスミマセン)。

 糸子の場合、玉枝との絶縁を表面上は強がって 「もう金輪際つきあわん」 としながらも、やはり心の奥に棘が残っていた。
 でもそれを、顧客への奉仕、家族への献身をすることで、発展的に解消していった。
 そのなかで夫にもそれなりの愛情が芽生え、夫が出征する時に、糸子はそれなりに傷ついた。
 そして今週中盤、糸子は安岡の家に対するわだかまり、後悔を、解消していくことになるのです。
 これは糸子が日々の暮らしのなかで、家族のため、顧客のため、縫い子たちのために目の前の仕事に全力で取り組んできたからこそ解消できた性格のものだった、と私は考えています。 成長しなければ、解決できなかった性格のものだった、と思うのです。

 けれども今週の糸子には、まるで勘助や玉枝や八重子をかつて傷つけた因果応報が巡ってきたかのように、過酷な出来事が襲ってきます。

 そもそも今週の禍いのきっかけには、「好意がアダになる」、という性格が共通して潜んでいる気がする。

 たとえば善作が火に包まれたもともとの原因は、木之元の妻が糸子にお歳暮のお礼として差し出した貧女の一灯、ならぬ携帯用カイロ、だったわけであり、善作の容体が悪化したのも、「善ちゃんを温泉に連れて行ってやろう」 という木岡らの気遣いがそもそもの発端でした。

 そのことで、木之元の妻や木岡たちは、善作に対して非常な罪悪感を負うことになるのではないか。
 ドラマではその部分の描写はなかったのですが、そんな気が私にはします。

 ドラマ的に、そんな人々をバッシングすることはたやすい。

 しかしこのドラマは、誰が悪者だとかなにがいけなかったのか、とかいう詮索など、一切しないのです。

 つまり、「それもこれも、みんな人の人生なんだ」、と。

 いろんな後悔に彩られながら、人というのは生きています。

 「もしあの時私が糸ちゃんにカイロなんか渡してなかったら」、「もしお父ちゃんを温泉なんかにやらなければ」、…人生は、そんなことの連続、なんですよ。
 こと今週のこのドラマにおける主眼は、「誰が悪いのか」「誰が反省しなければならないのか」 ではなく、「人生とはああしておけばよかった、ということの連続だ」、ということだったような気が、私にはいたします。

 ドラマの体裁から考察すると、糸子に降りかかる自分の父親の災難は、「家族もみぃんな元気で結構なこっちゃ」 という玉枝の恨みが結実した形になっている。

 いっぽう玉枝にとっては、糸子にそんな言葉を投げかけた因果応報が、息子(泰蔵)をふたたび兵隊に出さねばならなくなる、という悲劇を呼び込んでいる。
 まああの時代、兵隊にとられるなんて別に因果応報でなくともみんなそうでしたけど。

 そしてさらに広いレンジで考えると(まァた私の考えすぎの悪い癖が出てきた)、この因果応報、戦争の構造をも浮き彫りにしている気がするのです。

 他国に対してひどいことをしている因果応報で、国内の商売は切符制になり勘助は抜け殻のようになり、夫や幼いころのあこがれの人まで兵隊に取られていく。
 来週あたりは空襲とかもあるんでしょうか?
 とにかくこのドラマ、人に対してひどいことをしているがゆえに自分たちもひどい目に巻き込まれていく、という、戦争の一面の真実を因果応報という形でとらえた作りになっているような気が、私にはするのです(あ~また考えすぎだ…)。





 「あああああーーーーーっ!!お父ちゃん!お父ちゃん!」

 千代のこれ以上ないという金切り声。 あまりのことに声も出ずただ狼狽するハルおばあちゃん。

 糸子が見たのは、火だるまになっている父、善作です。

 「どいて! 水!」

 善作に水をかけ、布団をかぶせる糸子。
 冷静な判断ながら、完全に気は動転しています。

 「お父ちゃん!!お父ちゃん!!」

 この大騒ぎに木岡夫婦が駆けつけます。

 「ああ、えらいこっちゃ!」

 糸子は木岡にリヤカーを頼みます。 リヤカーに乗せられ、病院へと運ばれる善作。

 夫が運ばれたあとも、千代の泣き叫ぶ声が、いつまでも途切れません。
 ハルおばあちゃんは、完全に放心状態です。

 病院の待合室。
 木岡の妻が、糸子に着替えを持ってきます。
 糸子は自分が水でびしょびしょなのに気付いていなかったのです。
 着替えながらふと、ある恐ろしい言い伝えに気付く糸子。
 「妊婦が火事を見ると、お腹の子があざを持って生まれてくる」、という迷信です。

 このオカルトチックな話は、今週末の善作の死の際の布石となるような不気味さを伴っていたように感じます。
 医者はそんな迷信をまともに取り合わないのですが、糸子は3人目の赤ん坊が生まれるまでその心配を、結局引きずっていた。

 善作が病院に担ぎ込まれたその直後のこのエピソードは一方で、糸子がそれまで父親の重度のやけどに心を奪われていたのに、いきなりありもしない迷信で自分の子供のほうをより重く心配してしまう、という性格を伴っていた気がします。
 「とにかく安静と養生や」 と医者からこのとき言われていたにもかかわらず、その後善作を温泉に送り出してしまう、という糸子の思いやりからくる判断ミスの、呼び水となっている気がする。

 全身包帯だらけで家に戻ってきた善作。
 千代は泣き女のように泣き続けています。
 お父ちゃんがこんな目に遭って身も世もなく、子供らの前というのも気にせず、ここまで泣き続けられる千代には、とても純粋なものを感じます。
 母親としてしっかりしたらんかい!と思われがちですが、千代がここまで泣きの涙に徹することで、かえって子供たちは自分たちがしっかりしなければ、と思うような気がする。

 実際この修羅場を取り仕切るのは、長女たる糸子。
 オハラ洋装店の実質的な社長なのですから当然と言えば当然ですが、二十歳そこそこの糸子が(ん?もう二十代半ばくらいか?)その後の処理やあれ以来放心状態のままのハルおばあちゃんの世話をするのは、かなりキツイ。

 糸子に 「なあ…びっくりしたなあ…」 と励まされて、呆然としていたハルおばあちゃんの目からは、一筋の涙が流れます。

 糸子はもう陣痛が10分ごとに来てるのに、ここまで気配りしながら頑張っているのです。
 別にこれが、玉枝への罪滅ぼしのためにやっている、などとは毛頭言うつもりはないのですが、自分がつらい目に遭っているとき、他人に優しくできることで、糸子はまたひとつ、人間として何かを学んでいる気がするのです。
 結局5分ごとに陣痛が来る、ギリギリのところまで糸子は頑張ります。
 産婆さんが来るまでその状態に気付かなかった千代。
 慌てて糸子のお産を手伝おうとしますが、糸子はお父ちゃんの世話をして!と自分の母親の尻を叩くのです。
 糸子は、なんだかんだ言って、頑張っているのです。

 しかも糸子は、自分の周りにいる人たちの有り難さに、お産をしながら気付いていく。

 「(なんでもかんでも自分ひとりの力でやってきたつもりでいちゃあたっけど、どんだけ周りに助けてもうちゃったかちゅうことが、こないなってみて、初めて分かりました…。

 お父ちゃん。 勝さん。 おばあちゃん。

 うちなあ…)

 …心細いわ…」。

 玉枝から吐き捨てられた絶縁の言葉を、この時点で糸子は乗り越えているように思えます。
 人にやさしくすることで、人から頼られる。
 悲しみを経験することで、他人の哀しみを理解できる。
 おばあちゃんを父親と一緒の部屋に寝かしつけた糸子は、3人目の子供を産みます。
 娘がお産で苦しむ声をすぐ隣(?)の部屋で聞き続けていた善作。
 赤子の泣き声を聞いた善作の目からは、心なしか涙が流れていた気がします。
 身動きもとれそうもないのに、手を動かしたもんだから、すっかりのんきに寝入っていた千代(笑)がそれで起きちゃって 「いやあ!産まれたああ!」 と夫の手を払いのけて隣の部屋に駆けつける。
 「いい、いいい、ううう、あああ~」。
 痛がる善作(爆)。

 実はこの時以来今週の善作の描写は、かなりコミカル。
 しばらくうまくしゃべれなかったために糸子がその通訳をしたり、自分でボヤを起こしたのを恥じて人助けをしてやけどしたとか見栄を張ったり。

 けれどもどうにも気になるのが、先週の糸子の予告編での慟哭。
 もうこっちも、金輪際レビューを書くまで 「カーネーション」 に近づかんといて!とばかり情報をシャットアウトしているせいで(笑)どうにもこのコミカルな動向が気になって仕方がない。
 ひょっとして容体が急変するのではないか?という爆弾を抱えながら、ドラマのコメディタッチに笑い続ける羽目になるのです。

 産まれてきた女の子には糸子が心配していたようなあざはなく、可愛いものです。
 そしてそれと対照的な、包帯だらけの善作の顔。
 赤子を見せた糸子が 「また女の子やて思てるやろ?」 と訊くと、情けないような顔でコクリとうなずきます(笑)。 「思てんの?!」。 笑う一同。 隣で寝ていたハルおばあちゃんが気づいて、「見せて見せて」 と元気を取り戻した様子です。

 「はれまあ…よう産まれてきたなあ…」。

 ハルおばあちゃんの喜ぶ声に、千代は泣き出します。
 それまで張りつめていた緊張が途切れて、またまた泣いてしまったのでしょう。
 善作はなにも言いませんが 「よう頑張ったな、糸子…」 という顔をしています(スゴイ、顔だけで分かるんですよ、小林薫サン!)。

 「(こんな夜に産まれてきた、ほんだけで…

 あんた一生分の手柄やで、ちゅう気ぃがしました)」。

 禍福はあざなえる縄が如し。
 最大の衝撃的な悲劇に対抗する、出産の喜び。
 私も冒頭から、かなり泣きました。

 火曜日放送分(まだ火曜…急がねば)。

 「(夕方と朝の区別もつかんようになるくらい、あれからうちの毎日は、ゴチャゴチャのワヤワヤです)」。

 「いや~い、いやい!(いたいいたい)もっほ、へいえいにへえ!(もっと丁寧にせえ)」

 善作のセリフですが(笑)、さらに字幕付きで見てると笑えます。 カッコの部分でちゃんと解説してくれてる(爆)。

 「ひゃんとはまへよ」

 「はぁ?」(爆)。 おかゆをよそっていた千代には、善作がなにを言ってるか分かりません(笑)。
 千代はニブそうだから分からんわなあ(笑)。
 「ひゃんとしゃあせえゆうとんのじゃ」
 「ちゃんと冷ませって」 と糸子の解説が入ります(笑)。
 「あんたよう分かるなあ!」 感心する千代(笑)。 感心するよーなことか?(爆) 「やっぱし娘やなあ、おかあちゃん全然分からへんわ」 不用心におかゆを善作の口に運ぶ千代。 「はっ、はっ、はふいっ!(熱い)」 おかゆをブーッと吹き出す善作(爆)。 「このっ! はまへひゅうてるやろ!」「ちゃんと冷ませゆうてるやろゆうてる」 糸子のスピーディな解説(腹痛ぇ…)。

 しかし赤ん坊(名前はまだ無い)が産まれたことで次女の直子が嫉妬したのかそこらじゅう落書きするし、お母ちゃんはメソメソ、お父ちゃんは癇癪、おばあちゃんは夢にうなされ、赤ん坊の夜泣き。 糸子はほとほと疲れ果ててしまいます。
 さらに弱り目に祟り目なのが、切符制度の点数が上がってから店の売り上げもさっぱり。
 そんなところに現れた例の婦人会のオバチャンたち。
 糸子がふてくされ気味に現状を話すと、悪びれる様子もなく、リーダーの澤田はこう言い放ちます。

 「まあ、そら大変でした。
 けどまあこう言うたら何ですけど、普段の心掛けっちゅうか、何事も因果応報、悪いことが続く時は、たいがい、自分に原因があるもんです! ご自分を省みる、よい機会やないんでしょうか?」

 んまー憎たらしいんですが(爆)、この澤田のオバチャンの言葉は、冒頭に話題にしたように、この週のテーマなような気がする。 スッゴク嫌味な言葉でいかにも真理を突いている、という作り手の手法にはつくづく敬服いたします。

 「チッ…さっすがやな、オバハン…せやけど、二度とうちの敷居またぐなっちゅうたやろッッッ!!」

 糸子はオバチャンたちが出てったあとに怒りに任せてモノを投げつけるのですが、なぜか戻って来た澤田のオバチャンにそれが命中。

 「(因果応報)」。 知ーらないっと。

 「(絵の具を混ぜすぎたら灰色になるように、あんまりいろんなことがあって、このごろうちの目の前も、灰色に見えます)」。

 画面すらもモノクロームに近くなり、かように鬱々とし始めた糸子の前に、清三郎と貞子がやってきます。
 画面は一転してカラフルに。
 ここらへんの画像処理も、もはや芸術的。
 土産のシフォンケーキみたいなケーキを、家の女連中がみんな喜々として食べるのです。

 「いざとなったらうちが全部面倒を見たる」 という清三郎の言葉にひたすら男泣きする善作。 重度のやけどに、さすがに気弱になっているふうです。
 そして善作がこのような状態のため、まだ生まれた赤ん坊に名前をつけてない、ということが判明。 糸子の通訳によって善作は清三郎に名前を決めてほしいと頼むのですが、結局貞子の発案で、3人目の娘の名前は聡子に。

 そのとき貞子のモンペの生地があまりに上等なことに気付いた糸子。 ここから糸子の商才がまたもや頭をもたげるのです。

 水曜放送分(はやーまだまだクライマックスは先やないかい…)。

 「モンペみたいな辛気臭いもんこそ、上等な生地でこさえなあかんのや。 そやないと、はよ死んでしまう。

 あんたなあ。 辛気臭いゆうんはな、バカにしたらあかんでえ。
 オッソロシイほど寿命を縮めるんや」

 貞子おばあちゃんの言葉は、糸子にまた、生きていくための順風を送り込んだかのようです。
 糸子は家の窓を開け放ち、澱んだ空気を一掃しにかかる。
 糸子は灰色だった目の前が、一気に晴れてきたように感じます。
 また重箱の隅をつつくようなことですが、火曜日放送分で清三郎と貞子が訪ねてきた当初、外は雨模様でした。 それがふたりが帰ろうという時は、一気に晴れていた。
 どうしてこういう細かすぎる演出をすんのかな~。 レビューがますます長くなってしまうではないか。

 糸子は縫い子のりんに子供らの世話を任せることとします。
 ま~た子供をないがしろにして、と言いたいところですが、これは何でもかんでも自分でしょいこもうとしていた糸子の発想転換、なのです。
 実際のところ、家族がまた増えたわけだから、なんとかオハラ洋装店を以前のように繁盛させなければならない。
 糸子は貞子おばあちゃんの言葉をヒントに、着物をモンペに作りかえる教室を開こう、と縫い子頭の昌子と妹の静子に相談します。
 二の足を踏むふたりに、糸子はこう言う。

 「ええか。 お客の流れっちゅうんは、止まってしもうたら仕舞いや。
 絶対止めたらあかんもんなんや」

 そんな糸子の頑張りようを、病床で感慨深げに見守る善作。
 コミカルに展開していく善作の病状だったのですが、今週はことあるごとに善作のそんな感慨深そうな顔が流されていた。
 これは善作が自分の病状を自ら悟っていた証拠なのでしょうか?

 糸子は子供らを寝かしつけたあと、こっそりとっておいたシフォンケーキ?を夜中に食べながら、こんなご時世にこんなものが食べられるのも、おじいちゃんやおばあちゃん、そしてお抱えのコックさんあってのことなんだ、と、その人々に感謝します。 「おおきに…」。
 これって以前の糸子にはあまり見られなかった思考パターンなような気がします。
 糸子は、成長している。
 そんなことを感じさせる、ちょっとしたシーンなのです。

 そうして始まったモンペ教室。
 最初のサエを中心としたメンバー、コミカルなところを見せつつ、教室が終わってワイワイ街へ繰り出そうとします。
 「おおきに!」 店の外にまで出て見送る糸子。 感謝の気持ちが体中からあふれています。
 「たっくましいなあ!」 そのメンバーたちを見て感想を話す糸子。 「なんや、日本は戦争勝てる気ぃしてきました」 と返す昌子。

 女性たちのたくましさがこの国を支えている。
 「ツバキ」 のCMじゃないですけど(笑)、男たちが元気がないのに、なでしこジャパンとかAKBとか、現代日本も女性たちが牽引している気すらする。
 そんな感想を持った、水曜放送分なのです。

 そして木曜放送分。

 木之元と木岡によって病院まで連れてこられた善作。 待合室で傷痍軍人に席を譲られます。 口裏通りに見栄を張ったやけどの原因を得々と話す木之元。
 けれどもそのあと善作は、このことを大いに恥じるのです。 もう口は、ちゃんと聞けるようになってます(笑)。

 「なんぼ肩身が狭いいうたかて、あっこまでゆうたら、カッコつけすぎや…。
 あの若いのに…悪いことしたで。

 (じゃあ次は本当のことをゆいや、という木岡に)いやぁそれはそれで…不細工や。

 お前…周りのみんな若い奴が、お国のために戦うて、大怪我して帰ってきてよ…。
 このわしだけが、ボヤでやけどしたなんてそんなお前、大の男が恥ずかしくてよういわんでえ…」

 この善作の気持ちは、のちに善作の病状を悪化させる原因となっていきます。

 モンペ教室は大繁盛しています。
 泣く泣く帰される人がいるなか、飛び込んできたのが、なんと八重子です。

 「すんません!

 …すんません、モンペ教室に、参加さしてもらえませんやろか…」

 自分は八重子が登場しただけで、「これは作り手に、糸子と安岡の仲直りをさせる意図あり」 と踏んでしまう可愛げのない視聴者ですが、八重子の姿を認めた糸子は一瞬、とても複雑そうな顔をします。

 それは、自分の過去のイヤな思い出を思い出した時の顔。
 もう忘れた、とさえ思っていた過去の傷が、まだ確実に自分のなかにあった、と気付いたような顔。

 でも、いったん帰りかけた八重子を、糸子は引き留めるのです。

 以前の糸子だったら、妙な意地で八重子を拒絶したと思う。
 けれども糸子は、自分にも弱いところがあると、もうすでに自覚している。
 お産の時にまわりの人たちがいることの有り難さに気付き、そして千代もハルおばあちゃんもリタイア状態だったことから、初めて心細さを感じた。
 そんな糸子には、すでに自分の古い傷と向き合う勇気が、備わっているのです。
 ただならぬ八重子の様子に気付く糸子。
 教室がはけたあと、昌子の気配りもあって、糸子と八重子はふたりきりで話し合う場を持つことになります。

 「あの…今日は、おおきに…」

 おずおずと話しかける八重子。
 糸子は居ずまいを正し、八重子のほうに向き直って、「こっちこそ、おおきに…」 とあいさつします。

 「泰蔵さんが…明後日、出征することになりました…」

 どことなく杓子定規な返事しかできないでもどかしげな糸子に、八重子は出征を見送ってほしい、と懇願します。

 「お母さん(玉枝)も、勘助ちゃんも、たぶん、よう見送らんと思うねん。
 泰蔵さん、つらいと思うんやし。
 …今どき、見送りはそない派手にしたらあかんやろけど、せめて、戦地で思い出した時に、ちょっとは明るい気持ちになれるような、ええ思い出、作っちゃりたいなあ思て、…糸ちゃん、…一緒に、見送っちゃってもらわれへんやろか?」

 糸子は、言葉に詰まります。

 「………ええの?」

 「うちが頼んでるんや…!」

 糸子の目から、みるみる涙があふれていきます。

 「勘助に、あんなひどいことしてしもたのに?

 八重子さんに、あんなひどいことゆうてしもたのに?

 うちが泰蔵兄ちゃん見送ってもええの…?」

 八重子もそれを見て、感極まっていきます。

 「糸ちゃん…。

 ごめんなァ…」

 「…なんで八重子さんが謝るん?…

 …『ごめんな』 はうちや…!

 ごめんな八重子さん、ごめんな!…」

 糸子は八重子にすがりつくように泣き崩れてしまいます。

 「わかったァ糸ちゃんっ! わかった! おおきに!……おおきにな……」

 八重子も居ずまいを正します。

 「糸ちゃん。 あさって、来てな。 …きっと来てな!
 よろしくお願いします!」

 許してもらえた。
 こんな自分でも、許してもらえた。
 それは糸子が、きちんと過去の触れたくないものと向き合ったからこそ解決できたことなのです。
 もう、泣きまくりました。

 金曜放送分。

 果たしてその、泰蔵の出征の日に、玉枝も勘助も現れなかったのですが、糸子がきちんと一生懸命生きていれば、自分の人生に対して誠意を持って接していれば、いずれは解決することだろう、と私は思うのです。

 そしてその泰蔵の出征を聞いた善作は、よう動けんのにその見送りに行く、と言い出します。
 木岡が用意したリヤカーも拒絶しての見送りです。
 糸子はそんな父親の強気ぶりがうれしい。 これでこそお父ちゃんや!という気持ちでいる。
 ところが千代のほうは、あくまで心配顔。
 今にして思えば、糸子の楽観より千代の悲観のほうを重視すればよかった、と思えるのですが、

 それもこれも、みな人の人生なのです。

 糸子は出征風景の様変わりから、戦争が徐々に悲惨さを増していることを実感している。 だからこそ杖をついてでも自分の足で行くという父親の気持ちを尊重しようとしている。
 糸子の判断が間違っているかどうかは、誰も決めることが出来ないと思うのです。

 泰蔵は善作の様子を見て驚きます。
 わけを訊く泰蔵に、善作は見栄ではなく、ほんまのことを言います。

 「ボヤや…。 わしが、自分で出したんや…」

 命を捨てる覚悟で戦地に向かう男に、いまさら自分がカッコつけてどないするんや。 そんな不細工なことはでけん。 恥さらしは、恥をさらせばええんや。
 そんな善作の気持ち。
 泰蔵を励ますための、自分の卑下であることは確かだと思うのです。

 「行ってらっしゃい! 気ぃつけて! 家のことは、任しといてください!」

 精一杯明るい表情で言い切る八重子。 それが逆に、悲痛を誘います。
 いつの間に大きくなった息子たちに、泰蔵は万感の思いをこめて、「お母ちゃんを、よう助けるんやで…」 と言い残し、その場を去っていきます。

 「安岡泰蔵君、バンザーイ!!」

 もうこの時期、万歳やらご法度だった気もするのですが、善作はそれでも、その口火を切らざるを得なかった。

 「バンザーイ!バンザーイ!バンザーイ!」

 渾身の力を込めた万歳をし終えると突如、善作はその場に倒れ込みます。
 満身創痍の日本軍に、満身創痍の善作。
 何か悲壮感が増幅されて迫ってくるようであります。 「善ちゃん!大丈夫か!息しとるか!」。
 その騒ぎのなかで、吉田奈津が遠巻きにしのび泣きをしているのを、糸子は見つけてしまいます。
 糸子はそのとき、奈津と八重子の哀しみに思いをいたす。 他人の哀しみを考えることが出来るようになった糸子を、またここでさりげなく見ることが出来ます。

 「せやからゆうたのにっ!!」

 千代がものすごい剣幕で怒鳴りつけます。
 善作は家に戻ってきて、力なく寝床に倒れ込んでいく。
 千代はまた、身も世もなく泣き続けます。
 糸子はふと、やけどをした時より今日のほうがよくなかったのではないか?と考えてしまいます。

 「お母ちゃん、なんで泣くん? 泣かんといてよっ! …縁起でもない…!」

 「辛気臭いのは寿命を縮める」…、貞子おばあちゃんの言葉が、ここでまた生きている気がします。
 善作はその夜、うんうん唸り続けます。 糸子はまた夜中に起こされ、善作の看病をすることになる。

 翌日医者に見せると、疥癬(かいせん)だから皮膚科で診てもらえ、と言われます。

 「体が弱ってもうたらかかるんや。 虫でも病気でも、悪いもんちゅうんは、必ず弱いところに寄って来よるんやな」

 医者のこの言葉、まるで日本の行く末を暗示したようなセリフになっていることにも注目です。
 重苦しい音楽が流れ、木岡の引くリヤカーに乗っている善作は、魔に取りつかれたような 「辛気臭い」 顔をしています。
 遠くでトンビが啼いているのが聞こえる。
 善作はそれを、力なく見上げます。

 「なに見てんの?」 父親に糸子が尋ねます。

 「…トンビ…」 善作は娘に、かつての威勢の良さをまったく喪失した覇気のない声で答えます。

 「ほんまや…飛んでるな…追っかけっこしてる…あらぁ、親子やな」

 善作は見上げる気力も失せ、しかめっ面をしてうつむいてしまいます。
 この場面、なぜだか泣けて仕方なかった。

 「(大丈夫やで。 うちが絶対治したる。 なにがなんでも、またあの元気でやかましいお父ちゃんに、戻しちゃるよってな)」

 糸子は心に誓うのです。

 そんな糸子は、妹たちの中途半端さにいたく不満です。

 光子と清子はこの週、何かというと糸子に怒られている。 家の大人たちが軒並みダウンしているような状況で、もっと自覚を持って家のなかでの役割をこなしていかねばならない、それは自分が一生懸命だからこそ、妹たちに言えるセリフなのです。

 「ようせんちゃうやろ?! あんたら今までおばあちゃんの横でなに見てたんや!
 いつまでも誰から頼れる思たら大間違いやで!
 あれせえこれせえ言われんの待ってんと、自分からでけることどんどんせんかいな!」

 この金曜分の話のラストは、さまざまな問題に頭を悩ましている糸子のもとに、八重子が息子の太郎を連れてやってきたエピソードでした。
 ふたりの関係がすっかり昔通りになったことを示すこのエピソードの裏で、糸子の長女優子と太郎が初めて会うシーンが挿入されていたのですが、これってもしかして馴れ初め?(笑)
 とにかく重苦しい場面が続いたあとの、ほっとする一幕で金曜日は終わりです。

 そして土曜日放送分。

 昭和18年(1943年)4月。

 優子が小学校に入学します。
 金曜放送分で悲痛なまでに元気のなかった善作は、どうやら小康状態を保っている模様です。
 優子の着ていく服に難癖をつけたり、すっかり口うるささも回復している模様。 元気になったことで糸子はそれを再びうざったがっている。

 そんなとき、木岡から温泉行きの話が持ち上がる。
 「疥癬に効くんやったら一石二鳥や」 と、善作はその話に大乗り気りです。
 「あかんあかん」 とその話を止めようとした糸子でしたが、地図やら観光案内やら、すっかり行く気になっている父親の姿を見て、糸子は思い直します。

 しかし木岡の妻も温泉行きには反対。
 糸子は行かせるべきか止めるべきか、かなりシビアな選択を迫られているように思うのですが、そのとき糸子が強烈に感じていたのは、善作のガミガミが戻ってきたことで、ある程度体力も回復している、ということ。
 切符張りの仕事にも復帰する善作に、「すっかりその気になってるもんを、無理やりやめさしてもええことないかなあ」 という心理も働く。 「いったん言い出したらきかない」 という父親の性格を身に染みて知っていることも、判断材料としては大きかった気がします。

 「…しゃあない…」

 せめてものお守り代わりにと、糸子は父親に、新しい国民服を仕立てます。
 それがいたく気に入った善作。
 旅立つ前に、糸子のところにやってきます。

 「おい…」

 「なんや、お父ちゃんか。 何?」

 「ううん…」

 「うん? 何や?」

 「なんや…」

 もじもじしている善作。

 「えっ?」

 袖を通したばかりの国民服を触る善作。

 「ご…ごっつええなあ…。 …ぬくいし…」

 「ああ、…そうか…。 …そんだけ?」

 お父ちゃんと話してるヒマないわ、というような糸子。

 「あ…いや…あの…。 まだお前にな。 ちゃんと、ゆうてなかったさかい…」

 「何を?」

 「せやから、礼や…服の…」

 なんだそんなこと?というような顔の糸子。 「ああ…、なんや、ええよ!」 と照れ笑いします。 「お父ちゃんに礼なんかゆわれたら、こそばゆいわ!」

 糸子は思い出したように、水筒を父親に差し出します。 「あ、せや、これ!」

 「なんや、お茶か?」

 「お茶ちゃう。 お水や。 お父ちゃんの大好きな、お米ででけたお水」

 「お、おまえ、まだこんなもん、もっとったんけ?」 善作は、驚きます。

 「フフン…取っといたんや」

 「おおっ! おおきに! おおきにやで、糸子!」

 大喜びで仲間にそれを吹聴する父親に、糸子は国民服より酒のほうが感謝されたことにちょっぴりむくれます。

 いかん。

 フラグが立ちまくっとる。

 今週何度か繰り返された、「おおきに」 という感謝の言葉。
 そんな素直な感謝の言葉が善作から聞かれたことに、見る側は限りなく嫌な予感が駆け抜けていくのです。

 「ほな、行ってくら!」

 笑って見送る人々。 千代だけが、深刻な表情を崩しません。

 善作一行が行ったあと。

 出納帳?の末尾に、筆で 「オハラ洋装店 店主 小原糸子」 と書いてあるのを、糸子は見つけます。

 ハルおばあちゃんから、「これは善作の字や」 と聞いて、「いつの間にこんなん書いたんや?」 といぶかしがる糸子。
 それは、善作が糸子を半人前から、完全な一人前として認めてくれた証し。

 いかんいかん。

 フラグが立ちまくっとるではないか。

 なんかもう、泣く準備ができてきとる、つーか(笑)。
 もうこの段階で、早くもウルウルしている自分に気付くのです。

 その夜。

 外は、細かい雨が降っています。

 ひとり、父親の書いた文字を手でなぞりながらちょっとした悦に入っている糸子。
 糸子が灯りを消した瞬間。
 ダンダンダンダン。
 ぶしつけなまでにうるさい、戸を叩く音です。

 「小原さん、電報ですー」

 何か不安げな顔で立ちあがる糸子。

 「ゼンサクキトクスグ コイ」ヤマギ ワオンセン」

 立っていられなくなる糸子。

 「(落ち着け…まず、どうする?

 『スグコイ』 っちゅうんやから、朝一番の電車で…)

 せや…旅館の住所きいとこ…」

 よろよろと立ちあがり、木岡か木之元かの家に行こうとする糸子。
 玄関を飛び出した糸子がばったり出くわしたのは、まるで亡霊のようにふらふらと歩いている木岡の妻。 小雨が降っているなか、どうしたのか。

 「おばちゃん…?」

 木岡の妻は我に返ったように糸子を認めます。 「ああ…。 そや。 あれ…?」

 「なんや?」 思わず訊き返す糸子。

 「そや、小原さん今、温泉行ってんのに、なんでや?…うち今、しゃべっちゃあたわ…」

 「なんて…?」 糸子は 「そんなバカな」 とかいう反応をしようとしません。 もうすでに、この時点でミステリーゾーンに突入している。

 「は?」

 「お父ちゃんなんてゆうたん?」 糸子は詰問口調になります。

 次の瞬間、木岡の妻はまるで善作が乗り移ったかのような、不気味な声でしゃべるのです。

 「…『糸子を、……よろしゅう頼む』 て…」

 木岡の妻から善作の霊が後方に下がるのをまるで追いかけるかのように、糸子はよろよろと歩き出します。

 「…待って…。

 お父ちゃん…。

 待って!…

 行かんといて、お父ちゃん!!」

 糸子は突然止まります。

 小雨の降る先に、善作の亡霊が、笑って佇んでいる。
 その顔は優しく、やけどのあとも一切ない。
 そしてその影は、だんだん消えていくのです。

 「待って…。

 待って…。

 行かんといて…。

 待って!!……」

 糸子はとうとう、声の限りに叫びます。

 「行かんといて! お父ちゃん!!」

 善作の影は、完全に消えてしまいます。
 糸子は泣きじゃくりながら、その場にへたりこんでしまいます。

 「待ってお父ちゃん……。

 お父ちゃん……!! 待って……!!」

 完全に子供に戻ってしまったかのような糸子。
 泣きじゃくる声が、路地を通り抜けていきます。

 「(昭和18年4月27日。 享年、59でした――)」。

 あ~もうダメだ。
 完全に涙腺がぶっ壊れました。
 「Mother」 以来だ、こんなに泣いたの。
 あんときは敵側だったのにな、尾野真千子サン(ハハ…)。

 冷静な話をここであえていたしますが、「死んだ人が夢枕に立つ」 とかいう現象は、必ずしもその人の死んだ霊がそこを訪れているわけではない、という話を、テレビかなんかで見たことがあります。 江原サンがしゃべってたのかな?(笑) 宜保サンかな?(笑)

 しかし近しい関係の人が死んだ時に私も感じたことがあるのですが、まるでなんか、その人が別の世界に行ってしまった、というヘンな 「怖い」 感覚、というものがあるんですよ。

 これって小さい頃に読んだ日本神話とかの、黄泉の国、という感覚が、そうさせるんでしょうかね。
 いずれにしてもその 一種 「怖い」 感覚、というものを、このシーンではかなりのリアリティを持って表現していた気がするんですよ。 まったくオカルトチックな、非現実的な話なんですけどね。

 家族、という関係は、すごく近すぎていつもお互いに甘ったれたような関係になってしまう。
 糸子と善作の最後のやり取りのように、ちゃんと礼を言おうとすると気恥ずかしさが先に立ってしまうものです。
 でも、糸子にとって善作は、理不尽な超えるべき壁であると同時に、いつも見守ってくれる存在だった。
 気恥ずかしさが取り払われてその有り難さに真から気付く時、人は泣きじゃくりながら、その親の子供に、戻っていくのです。

|

« 脚本家の市川森一サン死去 | トップページ | 「松田聖子のオールナイトニッポンGOLD」 聖子サン号泣の原因 »

NHK朝ドラ 「カーネーション」」カテゴリの記事

テレビ」カテゴリの記事

コメント

リウ様、おはようございます。
感想UP、読ませて頂きました。

泰三出征と善作の最期。
カーネーションワールドを象徴する、日本男子の霊肉不二の存在の退場劇を描写した事で、スタッフは「男の時代・戦前」の終焉を。
八重子と糸子の和解劇を描写した事で「女の時代・戦後」の萌芽を、それぞれ導き出していましたね。
霊……泰三  肉……善作  の構図で。

父・泰三を見送る、三人の息子達。
平成の子供達から喪失された、ある種の凛々しさと気品を? 体現しているような描写のされ方でした。
人として依って立つ、自由と自律の匙加減を、体得させられたか否かを、まるで無言で語っているかのように。

これから、自らの人生を追体験する「戦後の物語」が語られるのですね。楽しみです。

先回のコメントで、過分なお褒めの言葉を頂き恐縮しております。

投稿: M NOM | 2011年12月18日 (日) 06時26分

M NOM様
コメント下さり、ありがとうございます。

今回もレビューに時間がかかり過ぎ、しかも論旨が分かりにくい…、なんか最近ほとほと重労働になってまいりました。 とても共感されそうもない個人的なことを書いているような気もするし…。

でもここまで深いことを考えさせてくれる 「フツーのドラマ」、なんですよね。 そこがすごい。 タイムスリップしなくても、被害者家族にならなくても、ここまで深いことを考えさせてくれるのが(けっして該当のドラマを揶揄しているわけではありません)。

昔の人たちが今の人たちに対して規律や秩序を重んじていたというのは、確かにその通りですね。
でもそれって、世の中全体が 「人間社会というものは仁や義、礼などを重んじなければならない、という風潮にあったからだ、と感じます。

戦後急速に広まった 「自由」「平等」 という概念は、やはり片手落ちの印象がありすぎます。 なんでも有りで我慢が出来ない。 それはちょっと誤解を恐れず言えば、女性の本性とも呼べる部分なのではないでしょうか。 だからこそ女性が社会を精神的にリードしていく時代になった。 それは精神的なものから、実質的なものに成熟しようとしています。 サッカーもバレーボールも、女子ばかりが強い(偏見ですな…)。 男は夢もチボーも年金も失って(笑)、しょぼくれるかガキみたいにふてくされるだけ。

まあ、この場では、肩の力を抜いて気楽に語りあってまいりましょうhappy01

投稿: リウ | 2011年12月18日 (日) 08時58分

師走の慌ただしい時節、15枚にもわたるレビュー、併せて複数の記事のアップ、重労働とおっしゃってましたがお体心配です。
とはいえ読者であるワタシはリウさんの記事を、ぬくぬくした炬燵に足を突っ込んで拝読できる幸せ。申し訳なくもありがたくただただ感謝しております。


とうとう善作が千秋楽を迎えてしまいました。カーネーションを牽引してきた最重要人物の退場は、糸子じゃないけど『いかんといて〜』とテレビを見ながらワタシも叫んでいました。
横暴で繊細、見栄っ張りの小心者、商売下手で不器用で、頼もしくて情けなくて、愛嬌者で可愛くて、こんな複雑なキャラを小林薫さんだったからかように魅力溢れる善作として表現できた。役者とは凄いものですね。
今週は月曜日の衝撃的な火だるまから、善作の表情を丁寧にうつしだしていたようです。セリフひとつないのに、病床での善作の心情をおうことで、来るべき別れが不安がこちらにもうつってきて幾度となく涙しました。

トンビを見上げる土手の道のり。ワタシも泣けて泣けて仕方なかった。
トンビが鷹を産んだ、そんなふうにももしかしたら一人前になった糸子を眩しく感じていたのかなぁ

『辛気くさいんは寿命を縮める』


かつて妹が鬱になり、全てまわりのせいにして両親を苦しめていた時期、口を開けば死にたい死にたい…
医師ともうまくいかず看護師に心ない言葉をかけられ、八方塞がりでどうしようもない。薬は山のようになり…
本人が一番苦しかったのに、まだ病気のことを怠け病などと切り捨て、追い詰めて…励ますんが一番よくないのに…
ある時から3年近く完全に引きこもりになり全く会話がない時期がありました。
それから本を読んだり講演を聞きに行ったりしながら手紙を出し続けました。
謝ること。
簡単ではなかった。
受け入れてもらえない。家族だから甘えもあります。お互いに。それでもいい医師にめぐりあい、いつしか薄紙を剥ぐように春に向かい、話ができるようになりました。
今では離れて暮らすワタシにかわって両親の側に居てくれ、身体は完全じゃないけどパートで介護の仕事もできるようになりました。
妹もカーネーション見ててたまに電話で感想言い合ってます。
辛気くさいんは寿命を縮めるって、名言だねぇって。ほんとにそうだよねぇって。すっかり私事になってしまい申し訳ありません。


ところで、公式HPの小林薫、尾野真千子対談。まだご覧になっていませんか?
小林氏脚本が素晴らしいと(面白いと言ってました)絶賛されてました。後プロデューサーが『渡辺あやさんは「反省しないドラマ」を意識して描いてる』と…
なるほど!と腑に落ちました。


投稿: みち | 2011年12月18日 (日) 16時51分

みち様
コタツ経由の温かいコメント、ありがとうございます(ハハ…)。 褒められて調子に乗るタイプなので、とても励みになりますです。

まあ、とは言うものの、重労働、というのはことこの 「カーネーション」 だけでして。

心の底から名作だ、と思うから、どんなにしんどくても自分の納得できるものを書こうとすると、こういうことになってしまいます。

ほかのラジオ関係の記事はほんの10分とか30分くらいで書いたものだし、「カレ、夫、男友達」 の記事は、実を言えばもう2日前にほぼ出来上がっていたものでして。

ただ論旨があまりに過激になってしまったので、ちょっと冷静になって読みなおしてからにしよう、と思っていたのですが、やはりこの状態で出そう、と思いまして。

それはそうと、妹さんのことまで告白してくださり、またまた恐縮の至りであります。
実は 「カレ、夫…」 のレビューも、自殺しようとする人たちに向けて叱咤する感覚に途中からなってしまって。
ドラマのなかで、木村多江サンとユースケ・サンタマリアサンが、心中をしちゃうんですよ。 それで。

ただ、やはり精神的な病、というレベルになってしまったり、不治の病に苦しんでいる人たちには、私の叱咤は劇薬だと感じます。
でも、基本に立ち返るのは大事だ、と思うんですよ。

人間、うまいものを食べれば幸せになる。 食べるために生きている。
寒い時に布団にくるまればぬくぬくできる。 そんなことを幸せだ、と思う。
そして人を傷つけ、人から傷つけられるのが、人生なんだと思う。

「カーネーション」 では、そんな人としての基本だけを重視して、「周辺のある程度のことは仕方がないんだ」 という強硬な語り口を貫いている、と感じます。

他人が見て眉をひそめるようなこと。

他人が見て、それはイカンよと常識人ぶった指摘をされること。

エラソーなことをぬかして批判しようとしてるけど、人間ってそんなにみんな、聖人君子なの?

アンタはどうよ?

ワタクシは生涯、一切過ちを犯したことがありませんって、宣言できるの?

このドラマのスタンスは、そこから出発している、と思うのです。

私はそこに、いちばん共感する。

たとえば善作が亡くなって、糸子のところに亡霊としてやってきた、とする今回のシーン。

あり得ないとかリアリティを大事にしろとか、そんな陰口など、作り手は一切関知していない。

作り手が本当に見てほしいのは、あんなにひどい父親だって、親子のあいだにはちゃんと愛情が存在しており、親が死ぬということは、自分の一部が亡くなることと同義なのだ、ということだ、と思うんですよ。
根本を見誤って、表面的なスピリチュアルとかいうくくりで見てるから、そんな批判をしたくなる。
物事の表面ばかりをあげつらう人には、この演出は受け付けないんだと感じる。

まあ実際、自分のもその、「スピリチュアル」 とかいう体験があるからこそ、共感して見てしまうきらいはあるんですけどね。

番組HP、ここ最近はレビューに集中するためにまったく見ていません。 それどころかヤフーの感想も。 書いてから見てます(笑)。 これからひと眠りしたら、ちょっと覗こうかな、と思います(「あらすじ」 はひたすら回避…笑)。

投稿: リウ | 2011年12月19日 (月) 08時13分

リウさま

毎週、毎週お疲れさまです(こんな言葉だけでは、到底足りないのですが・・・)。coldsweats01

今日、月曜の放送も涙涙でしたcrying

「彼、夫、男友達」。私も視聴してます。面白いかと言われると、う〜んgawkなのですが、なぜか見てますね〜。最終回はどういう終わり方をするんだろうって思ってます。

ところで「坂の上の雲」のレビューはされないのでしょうか?
「カーネーション」でこれだけ渾身のレビューをされていると、かなり難しい状況ではあると思うのですが、リウさまのレポートを首を長くしてお待ちしております。

最近、戦時中あるいは戦争後の作品が多いなあと感じています。
今の日本に欠けているもの、日本再生のために必要なものは何かという問題提起?なのでしょうか。

戦後の個人主義の台頭で、「わがまま」と「自由」を間違った形で日本社会の中に取り入れてしまった弊害が顕著な現代社会。
戦前の日本を全肯定するわけではないですが、日本の良さをもう一度見つめ直し、大人も子供も襟をただして暮らしていく必要があるのではないかと感じています。

ただ、「カーネーション」や「坂の上の雲」というような素晴らしい番組も、今の若者たちはあまり視聴していないのではと危惧しています。
我が家の息子は2人ともほとんどTVは見ず、「ニコ動」視聴ばかりです。このままだと、だんだんTVという媒体は廃れていくのかもしれないと思ったりもします・・

番組関係者の方々には、こういったすばらしい作品群をTVという媒体だけでなく、若者たちの目に留まるメディアにのせる努力をしていただきたいなあと思っています。

寒波がやってきて富山にも上越にも雪が降りました。でも、降ったうちには入らない程度です。今週末のクリスマス寒波が不安ですね。

寒くなってきましたし、年末で仕事も忙しくなる時期ですので、リウ様もお体気をつけてお過ごしくださいね。


投稿: rabi | 2011年12月19日 (月) 10時10分

rabi様
コメント下さり、ありがとうございます。
目が覚めたら金正日総書記が死去、というニュースが駆け巡っていてビックリしながらのなかの返信になってしまいますが。
私の体調をお気遣い下さり、痛み入ります。 風邪気味です(正直に言うなあsmile)。

「カレ、夫、男友達」。
rabi様がおっしゃる通り、面白いか?と問われると、けっして面白い話じゃない気が私もしますcoldsweats01いろんな意味で。
夏帆チャンを見てるとイライラして、途中で 「コーヒーでも飲むか」 みたいになっちゃうんですよ(笑)。
どうして見ちゃうんですかね。
「見ていてイライラするからだ」 というムリヤリな理由をくっつけましたけど(笑)。

「坂の上の雲」。
ブログの横っちょに案内コーナーまで作って置きながらレビューを書かないのは心苦しいですが、やはり去年の大チョンボで自分を粛正しております。
書かない、と決めると不思議なもので、第3部は全く録画したものを見ておりません。
どうも第2部の時もそうだったのですが、話の細部を忘れてしまっている。 そのつど前のやつが再放送されますが、いちいちまた見るのも面倒くさいし。

こういう間延びした放送の仕方には、ちょっと不満であります。
そりゃ一気に制作できないほどの製作費もかかっているんでしょうけどね。
「放送が終わるまで生きてられるかよ」 みたいに、始まった当初茶化してレビューに書いた覚えがあるのですが、今年の大震災でそのような人々がこれほど大量に出てくるとは、私自身も考えていなかったし。

まあ、「ゴッドファーザー」 だって 「ロード・オブ・ザ・リング」 だって同様だろう、と言われればそうなのですが。

仁義礼智、という徳に守られていた昔も、自由と平等という解放に恵まれている現代も、押し着せられている点に於いてまったく同じだ、と私は極論する傾向にあります。

問題なのは、どのような思想が世のベースになっているにせよ、そこに安住しようとする気持ちがあることだ、と私は考えます。

道徳に縛られて我慢や全体主義に流され国家が戦争に突き進むことも防げなかった。
自由を履き違えてひとの迷惑も顧みなくなった(「やってきました電線軍団」 か?…笑)。

押し着せられたものの本質的な善を、咀嚼する能力に決定的に欠けとるんだと思うんですよ、人間って。 悪いところばかり咀嚼して。

明治維新で壮大で志の高い国家建設が目指された一方で、やはり権力に与すると腐敗していくものがある。
どんな立派な大義も腐っていく。
「坂の上の雲」 の勇壮さを見ていると、そんな虚しさを同時に感じてしまうのです。

テレビのコンテンツをお手軽に見ちゃう、というのは、正直なところ権利関係の崩壊が最も問題なんだと思います。
私にしたって、このようなブログで、渡辺あやサンの渾身の作品を間借りしているのですから。 これって私も、お手軽にそのドラマを解説しちゃう、ということに加担している気がします。

ただこのような質の高い作品を、きちんと我々が見ていく限り、テレビという媒体はすたれないんだと私は思うんですよ。 その形態は今後もっと変質していくにしても。

だから受信料はきちんと払って、スポンサーの商品もどんどん買っていかなきゃ、という気はしますsmile

投稿: リウ | 2011年12月19日 (月) 14時44分

途中まで書いて、自分で間違って消してしまいました・涙

今週もお疲れ様です、リウさま。
私が一番心に残ったのは、八重子さんでした。

人が生きていく以上、意図しなくても人を傷つけたり、衝突したりする。悪気なくても、歩いた後の道は、でこぼこだらけ・苦笑

八重子さんみたいに、その不条理がわかったうえで、すべて飲み込んで、柔らかく人と人との間にクッションになる・・・、そんな女性がいましたよね。

いまは頭下げたら損、自己主張したものがち、みたいになってしまいました。
そんな八重子さんの柔らかな暖かさに、糸子のはりつめた気持ちもほどけたんじゃないでしょうか。

安岡のおばちゃんも、嫁に甘えていますよね、きっと。

お父ちゃん、まさかと思っていたけど、やっぱり逝ってしまいました。
初孫はかわいいそうだけど、優子ちゃんを溺愛しているさまが、父と重なりました。

>スピリチュアル
娘は、母(祖母ですね、彼女にしてみたら)がなくなった後、しばらく母の姿を、よく見たと言っていました。不思議なことに、娘のお友達も、「見た」そうなんです。
実際にあるんですよ、そういうこと。

糸子のもとに現れず、ご近所に「娘をよろしく」と言って現れたところが、義理堅い善作っぽいですね。

>「坂の上の雲」
は、私も録画していますが、気合入れてみる気がしなんですね。
ここから日本がどういう道を歩いたかと思うと。
新年にBSで、満蒙開拓団のドラマを放映しますね。
こちらのほうが楽しみです。

投稿: マーシー | 2011年12月19日 (月) 18時00分

マーシー様
コメント立ち消えbearingbearingbearingにもかかわらずあらためて書き寄こしてくださり、感謝に堪えませんm(_ _)m。
私も何時間もかけたレビューが不具合ですべて消えてしまったことが数度あります。 立ち直れませんcrying。 しばらくはもう、失望と怒りと…。
ただ本当に書きたい時って、時間がたつとケロッと忘れて、また書きたくなってくる。 不思議なものです。

確かに八重子さんの存在は貴重ですね。 この人がヒロインだったら、まったく何のバッシングも起こらないでしょう。 良識人のプロトタイプとして、作り手が編み出している人物、のような気がいたします。

このドラマ、みんなクセのある人物ばかりだから、八重子さんのさりげない良識が光ってくる。
でもその良識は、ことこのドラマのなかでは、けっして主役に立てない良識なんですよ。

髪結ひ店は相変わらず壊滅的な経済状況なのだと思います。
しかも一家の大黒柱である泰蔵が出征。
勘助はたぶん和菓子屋にはかろうじて勤めていると考えられますが、和菓子屋だって時局柄繁盛してないだろうし。

そんななかで、昔のファッション雑誌をまた糸子と再びめくりあって喜々としている八重子は、一面から見るととても健気で、内に秘めた悲しみを思うと、なんかウルウルしてきます。

…ホントにウルウルしてきたな(恥ずかし…)。

「スピリチュアルな出来事」、私は実際にユーレイを見たわけではありませんが、ジョン・レノンの死の際に不思議な体験をしました。 「虫の知らせ」、というやつですね。

そういうことを信用せず、この演出に難癖をつける人は、現実にあることしか見ることのできない悲しい人なんだな、と感じます。

「ゲゲゲの女房」 も、たぶんそんな人たちは見てませんよね。

「見えんけどおる」。

妖怪もユーレイも心も。

投稿: リウ | 2011年12月20日 (火) 07時18分

横の話題になりますが、
先日、夜眠れなくてテレビをつけたら、
「オーケストラ!」をやっていました。
ちょっと見始めたら、面白くて面白くて、一気見してしまったんですけど。

ラストで30年ぶりに演奏したオーケストラが見事な名演を見せるんですね。

ここに突っ込む感想が多くて・・・・苦笑

最後に、元KGBの共産党員が、
「神さま、いるなら奇跡を起こしてくれ」って祈り、
で、
「本当にいたんだ」と、呆然とするんです。

ここんとこ、見逃してはいけない。
共産党員って、宗教を否定している人たちですから。
その共産党員が、神様は本当にいるって口走ることなんて、ありえない。

この痛烈な皮肉が、映画を支えているんですね。

もちろん、ユダヤ人やルーマニア人、ロシア人その人たちも、神様なんて信じることのできないほどのつらい歴史を背負っている。
でも、だからこそ信じなければならないものもあるんですよ。

それを感じ取れない人たちって、
>現実にあることしか見れない哀しい人
なのかもしれないなあって・・・、
ちょうと、リウさまのレスを読んだ直後だったので、特にそう思ってしまいました。

ドラマや映画のリアリテイって、現実にあるものも描くけど、それだけじゃない。
そこを大切に味わってほしいです。

投稿: マーシー | 2011年12月21日 (水) 16時28分

マーシー様
再コメント下さり、ありがとうございます。 私が昨日別件でせっせせっせとコメント返信している時によこしてくださっていたんですね! 送信ボタンをポンと押してさあ仕事だ!とばかりパソコンから離れてしまったので気付きませんでした。 返信が遅れてゴメンナサイ。

「オーケストラ!」、調べてみたら去年の作品なんですね。 深夜にはこういう埋もれた傑作がさりげな~く放送されていることが多くて侮れません。 しかし最近映画情報にはまるきり疎くて、録画予約の番組表を見てもピンとこないことが多く…。

共産主義が、神を信じていないというのは本当のところ、私にもよーく分かりませんcoldsweats01。 レーニンあたりはホントに信じてないよーな気はするのですが。 しかし共産主義って、今ホントに発動してるのってキューバくらいなのかなぁ。 壮大な実験だったなあ、20世紀は、共産主義の。

ただまあ、共産主義でも資本主義でも、人知を超えた法則、というものが存在しているからこそ、我々も存在しているのであって。

それを忘れたら人間サマがいちばんエライ!というようになってしまって、まるで自分のために世界が存在しているような感覚になってしまう。
唯物論者たちはその程度の差こそあれ、傲慢さを隠しきれないように感じます。
死んだら無に帰るのもいいでしょうけど、死んでみて、死後の世界があった!って分かったら大問題で(爆)。

だから何事にも畏敬の念、というものは必要なんじゃないのかなって。

物事割り切れすぎたら却って面白くないですから。

どうもマーシー様の 「オーケストラ!」 の感想に対する気の利いた反応かどうか分からないですけどcoldsweats01

同じカミサマを信じるのでも、敵対するものを皆殺しにすればほめてくれる神様には、帰依したくないですけどね。

投稿: リウ | 2011年12月22日 (木) 07時45分

11週再見レビューいきます。

>痣の迷信
鬼首村だけの伝承じゃなかったのですか。
(1977年版「悪魔の手毬唄」は邦画史上に残る傑作)

善作が大火傷を負った場面は悲惨ですが、身篭っている身で父を助ける糸子や飛んでくる木の下、木岡両名を見ると、第23週の暴走族が窓を割っていく場面や第24週の糸子の骨折と比較する事で家族や地域の絆の有難さが浮き彫りになりますね。同時に、この時期の糸子自身の体験や死後に判明する善作の人脈の広さといったものが、時代に抗う晩年糸子の行動に繋がると…。(「辛気臭いのは寿命を縮める」という発言も深い)

>病床で感慨深げに見守る善作
これは、ずっと引っかかっていました。善作が糸子を一人前、一家の大黒柱と認めると同時に自分(=親)の助けはいらないという老兵の心境。今は幼い娘達に対して糸子も同じ心境に至る日がくるのではないか?その思いあったので終盤第149回で危篤状態を脱した糸子が、あっさり仕事の世界に戻っていく娘達を頼もしげに見ているカットで「ああ、ここなんだな」という感慨が湧きました。このエピのキーパーソンが善作なのは糸子が危篤に陥る直前の会話で浩ちゃんが娘の父である事が判明するのと最後に彼とミシンをダブらせたカットで示されています。
第63回は善作が、第149回は糸子が親を卒業したエピ(殆ど死亡フラグですが)。世間的には、もっと早い段階で子が親の業績を超えていますが、手を引いてやった、背中を押してあげた頃の印象がなかなか抜けないのが良くも悪くも親心なのでしょうね。

投稿: 巨炎 | 2012年7月18日 (水) 10時37分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

巨炎様の再見レビューには、本文を読み返したりして結構記憶を呼び覚ます必要があるので、少々返信にお時間を取らせていただくことになってしまいます。
予定では明日の朝に返信いたそうかな、と考えておりますので、よろしくお願いいたしますconfident

投稿: リウ | 2012年7月18日 (水) 15時36分

巨炎様
あらためて返信いたします。 「明日の朝」 などと言っておきながら、遅れてしまいました。 お詫び申し上げます。

「悪魔の手毬唄」、私も遠~い昔に見た記憶はあるのですが、ほかの市川-石坂金田一物と比較してどれが傑作だったとか、あまり意識して見てなかったような気がいたします。
それを比較できてしまう巨炎様、やはり凄いな~。
私は渥美清サンが金田一をやったり、別の監督が金田一をやったりしただけで、「もうそれは金田一物ではない」 、というこだわりぐらいしかなかったです。

「お前…周りのみんな若い奴が、お国のために戦うて、大怪我して帰ってきてよ…。
 このわしだけが、ボヤでやけどしたなんてそんなお前、大の男が恥ずかしくてよういわんでえ…」

今回自分のレビューを読んでいて、この善作のセリフに引っかかりました。
「サマーレスキュー」 つながりなんですが(巨炎様はご覧ではないかなぁ?)、向井理クンが理由も言わずに下山してしまった動機と、どこか似通ってるな、と。

「周りの人間がみんな一生懸命自分のやるべきことをやっているのに、このわしだけが 『オカーチャンが病気だからボク帰る』 なんて、そんなお前、大の男が恥ずかしくてよういわんでぇ…」

って(岸和田弁かよcoldsweats01)。

それにしても、やはり善作が存命中の 「カーネーション」 というのは、中身が濃い。 濃すぎる。

このドラマ、戦争というものを取り扱いながら、ダイレクトな残酷なシーンを一切使わずに、その悲惨さを表現し尽くしていた気がするのですが、今回この週のレビューを再読してみて、もしかするとその、ダイレクトな悲惨さって、戦争が本格化する前に、善作が一手に引き受けていたのではないか、という気がいたしました。

つまり、自らの体を火祭りにしてしまうことによって、です。

全身に重度のやけどを負った善作の姿は、これから展開するであろう、黒こげになった人たちの、いわば前哨であり、象徴だったのではないか、と。

そしてやけどを負ってからの善作の姿は、いわば空襲で焼け焦げた人たちの、「死者の声」 を代弁するものではなかったか、と。

さらに、幼い優子が安岡家の長男である太郎に思いを寄せるシーン。

御承知の通り、優子はその後、太郎とは結婚しません。

普通初恋の人と一緒になることって、すごくまれですよね。

初恋の記憶って、誰にとってもすごく大事なものなのだ、と思うんですけど、自分が大人になると、そんな過去の記憶とは、決別しなければならなくなる。 現実を直視せねば、ならなくなる。 残されるのは、断絶された過去の甘い記憶です。

「カーネーション」 という物語は、「過去との断絶」 を夏木糸子編で、容赦なくあぶり出していたような気がする。

歳をとっていく姿は、それまでの積み重ねであると同時に、心のなかに、断絶された過去だけが残っている。
そんな存在なのではないか。

私のなかにも、もうすでに、戻れない過去がたくさんあります。

人生のなんたるかを噛みしめざるを得ない、至玉のドラマでしたね。

投稿: リウ | 2012年7月19日 (木) 13時19分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/521783/53504315

この記事へのトラックバック一覧です: 「カーネーション」 第11週 めぐり来る因果:

« 脚本家の市川森一サン死去 | トップページ | 「松田聖子のオールナイトニッポンGOLD」 聖子サン号泣の原因 »