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2011年12月25日 (日)

「カーネーション」 第12週 善作の見えざる手

お詫び クリスマスの予定もございまして、ちょっとアップが遅れました。 お待たせして大変申し訳ございません。




 「お父ちゃん…待って…。 行かんといて…お父ちゃん…!!」

 小雨の降る夜の路地。 消えていく善作の亡霊。 地べたに座り込んだまま、子供に返ったように泣きじゃくる糸子。

 今週の冒頭は、先週のラストシーンの繰り返しだったのですが、早くもこの時点で当方、泣きまくり(ハハ…)。 一気に 「カーネーション」 の世界に戻ってまいりました。

 その善作、今週は一切動く姿が出てきません。

 それなのに、一週間を通じて(だったよなあ)、クレジットタイトルのオーラスを飾っていた。 「小原善作(写真) 小林薫」 と。

 その善作。
 今週の中盤まで、彼の残留思念(「幻魔大戦」?)が物語を動かしているのではないか?と思えるような、そんな不思議感覚が支配していたような気がいたします。

 告白すると、これって私も、ちょっと実感したことがある感覚です。

 私の場合は自分の飼っていた犬が死んでからしばらく、何かしら守られているなあ、と感じることが頻発しました。 結構自分の人生って、ついてないなあ、間が悪いなあと思うことの連続なのですが、飼い犬の死から半年くらいのあいだ、なんかいいことがよく起こったんですよ。
 それと同じように、善作が死んでから、善作は小原家を、糸子を、空から守っているような感覚が付きまとっていた。

 それが週の中盤を境にして、急速にその影響力が薄れていく。

 守護神のはしくれとなった善作にも守護しきれない戦争の影が、善作の影響力を急激に無力化していくのです。

 今週のサブタイトル、アネモネの花言葉 「薄れゆく希望」(それにしてもコワイ花言葉だなぁ…)の 「希望」 というのは、善作の遺志だったような気さえしてくる。
 そしてその薄れゆく希望のなかに、作者の渡辺あやサンは、かつて糸子にしゃべらせていたような政治的な批判を一切用いずに、戦争の愚かしさを表現しようとしている…、私にはそう思えるのです。





 糸子がいつまでも突っ伏したままだった暗い雨の路地から、青い空に白い雲。 画面は一転します。

 善作は木之元たちによって、お骨になって帰ってくる。 どうやら旅行先の石川の温泉地でそのまま荼毘に付されたらしい。
 例によってこれがどうしてなのかの説明は一切ありません。 ただ戦時中であったため、煩雑な移送やら糸子たちが現地に向かうことやらがためらわれたことが原因なのでしょう。 結局死に顔を遺族たちに見せることなく、善作は死に際まで颯爽としたまま、この世を去ったのです。 これは善作の美学だったのでしょうか?
 待ち受けている小原家の人々。
 木之元は遺骨の収まった箱を差し出し、嗚咽しながら口を開きます。

 「…お父ちゃん、帰ってきたで…」。

 それを糸子が受け取ろうとした瞬間、千代がそれをひったくるようにして抱きかかえます。
 この人は、娘たちのもんやない、今はうちだけのもんや。
 千代は、こんなに小さな箱に入ってしまって…というような悲痛な表情になっていきます。

 「堪忍やで千代さんっ!」 とっさに叫ぶ木岡。 千代の常軌を逸した泣き声がそれを一瞬でかき消します。
 その場にいた全員が、激しく泣き崩れます。
 ひとり立ちつくし、涙を押し殺すかのような糸子。
 二階で伏せっていたハルおばあちゃんは、その泣き声を聞いて自らも悲嘆にくれます。 その部屋の畳は、光を反射して、とてもきれいです。 ハルおばあちゃんの慟哭とかなしいほど対照的に。

 木岡や木之元の話によると、善作を含む3人は酒を飲んでかなり酔っぱらい、そのまま風呂に入ったらしい。 そこで不慮の事態が起こった、ということになるでしょうか。
 木之元は 「自分は止めたんやけど」 とごまかそうとし、木岡はそれは違うと食ってかかり、ケンカになります。
 糸子はそれを制し、「自分が持たせた酒のせいだ」 と自分を責める。
 ここで浮き彫りになるのは、やはり三人に共通な 「自分が人を死なせてしまった引き金を引いたのではないか?」 という自責の念です。
 相変わらず作り手はその是非を問わない。 直接手を下さずとも人を死に至らしめてしまうことも人生にはあり得る、ということだけを訴えているように思える。
 そしてそのときにどういう反応を示すか。
 作り手の興味はそちらにあるようです。

 「…お父ちゃんが、…お世話になりました…(正座して頭を下げる糸子)。

 元はちゅうたら、…うちが持たせた酒や…。
 …うちの失敗や…(頭を下げたままの糸子、涙が滂沱と畳に落ちる)。

 おっちゃんらには、迷惑かけて、申し訳ないことでした…!」

 「糸ちゃん、それはちゃうで!」

 否定をするおっちゃんら。 そこに昌子が入ってきます。 葬式をどないしますかと町内会長さんがゆってきた、というのです。 糸子は母親が自分を見失って泣き続けているのを見て、こう言います。 「…ちゃんと祭壇組んでやんで」。 妹の静子が口をはさみます。 「姉ちゃん、けど、そんなお金…」「お金の心配なんかしてる場合ちゃうやろっ! お父ちゃんの葬式やでっ! …なにがあったかて、きっちり立派なもん出さな、出さんでどないすんや!」。

 ひとり小原家の先頭に立ってするべきことをしようとする糸子の決意。
 自分を一人前にしてくれたたったひとりの父親を、ちゃんと見送らないことなどありえない。 そんな決意。
 もう個人的には、数週間前までの 「糸子が調子に乗ってる」 とかいう気分は完全に吹っ飛んでおります。
 反省などせんでも、人生はどこかでその代償を支払っている。 人生なんて、そんなにドラマみたいに割り切れるものとちゃう。
 なんというリアリティだろう。

 ところがその、糸子のひとり立つ決意のもとで出された、戦時中の自粛ムードなんのそのの立派な葬式。
 食糧や酒があまりにもあることに、手伝いに来た町内の奥さんたちが一斉に色めき立つのです。
 木岡や木之元の女房がそれを制してその場はうやむやなうちに終わるのですが、それは葬式後、大きな火種となっていく。

 そうとも知らぬ糸子は、伏せってしまっている千代に代わって喪主を務めながら、手伝ってくれる人々に感謝しています。
 葬式にはいろんなひとがやってくる。
 例の地主、神宮寺の娘や軍服を作っている工場主など、善作がどれだけ他人の世話をし面倒を見てきたかを、糸子は強く実感することになる。

 「(お父ちゃん。
 みんなほんまにやさしいわ。

 お父ちゃんがそんなけやさしいしちゃあたっちゅうことやな…。

 おおきにな、お父ちゃん…)」

 そして糸子は、祭壇に善作の写真を飾るのです。

 その祭壇の前で寝入ってしまった糸子。 木岡の妻が、静子らに、善作の幽霊としゃべった、という話をしています。

 「小原さんな、『いや~ほんでも、奥さんにはよう世話になってるなあ』 ゆうさかい、まあ珍しいことゆうわ思て。 『これからもよろしい頼むで、うっとこの糸子は、とにかく、馬力だけのアホやさかい』(笑)。 とにかく 『糸子を頼むで』 ばあっかし、何回もゆうてなあ…」

 どうも調子に乗って尾ひれがついてそうな木岡の妻の話でしたが(笑)、善作が糸子のことばかり心配していたことだけは如実に伝わってくるのです。
 そこに入ってきた千代。 ようやく故人の妻としての役目を果たそうとしているようです。
 その千代が疲れきって寝ている糸子をねぎらい、毛布をかけたとき。

 横になって眠っているはずの糸子の目から、涙が流れているのを、千代は見るのです。

 泣けた。

 糸子は木岡の妻の話を、聞いていたのか聞いていなかったのか。
 自明ですね。

 祭壇には、糸子が飾った善作の写真が、千代に手を振って笑っています。
 涙も枯れたはずの千代は、また泣きそうになっている。

 この善作の写真。

 たぶんだんじり祭りの時のものだと思うのですが、小原呉服店のロゴ入りハッピを着てカンカン帽をかぶり、満面の笑みを向けて手を振っている。
 通夜の席で木之元たちが話題にしていましたが、善作はこのだんじり祭りに命をかけていたようなところがあった。
 そして糸子が大好きだった父親は、やはりこのだんじり祭りの時の颯爽とした父親だった。
 そのことを考えると胸が押し潰されそうになるのです。

 …

 ちょっと待て、これ、まだ、月曜放送分だぞ…。
 ペースを上げなければ。



 葬儀が終わったあと、小原家の食糧が底を尽きかけていることに、糸子は愕然とします。
 チョボチョボのお米しかないお粥(かい)さんが小原家の主食になってしまうのですが、息子が死んでから伏せったままのハルおばあちゃんはそれを食べようともしません。

 「お粥さんなんか、食べとうない。 自分の息子より、長生きしたってなんもええことないぃ…」。

 糸子は窓を開けて部屋の空気を入れ替え、 「辛気臭いんは寿命を縮める」 と貞子おばあちゃんの人生訓を言い聞かせるのですが、「風邪ひく。 殺す気か」 と毒づくハルおばあちゃん。 「長生きしたかてええことないちゅうたのおばあちゃんやんか」 と突っ込む糸子(笑)。 でもおばあちゃんは布団をかぶって、泣き出してしまう。 笑いと悲しさが交差した、切ないシーンでした。

 で、その賄い費は香典代で当座をしのごうとしたのですが、「小原のとこにはものは売らん」 と断られてしまう。 「あそこは配給にも来ないのに食料がある。 闇やっとんのとちゃうか」。 葬式の妙な噂が、もう近所中に知れ渡ってしまっていたのです。

 「はぁ? ヤミ? なんでうちが闇?

 やってへんわっ!!

 やるかほんなもん! うちに闇なんかでけたら、こんなアホみたいに朝から晩まで働くかいな! 闇やらなあかんくらいやったら、あんたらなんかとっとと里に帰してるわっ! なんであんたら食わすためにうちが罪犯さなあかんねん!」

 しかし店先には 「非国民」 の張り紙がされ、植木鉢が壊され、近所の人々がこちらを見てヒソヒソ話をしている。 ガキ共はあからさまに糸子を撃つマネをして逃げていく。

 金なんかあってもモノがないので売れない八百屋や魚屋。 さらに非国民だからと物を売ってもくれない世相。

 国力が低下して人の心がギスギスしているのにそれでも戦争を続けることの愚が、これらのシーンからはにじみ出ている。 これはけっして、ためにしている作り話では、ないのです。 これとそっくりそのまま同じ話はないのかもしれないが、似たような話をいろんな人から、何度見聞きしたことか。
 どんな反政府的なメッセージよりも、戦争の愚かしさをここから私などは感じる。

 「(世間ちゅうもんを、うちはなめてたかもしれません。

 うちが思てるより、もっともっと怖いもんなんかもしれません…)」。

 怖いっスよ。 炎上(爆)。

 けどそのネットでの炎上って、戦時中のこうした 「非国民」 と、レベル的にはまったく一緒だ、と私は思います。 違う意見を抹殺しようとする。 ひとりひとりの声は小さいけれど、束になればものすごい脅威になるんですよ。

 そんな力を、私などはもっと正しい方向に使われへんのやろか、と思うんですけどね。
 たとえば東電以外に電力会社を国は作れ!とか。
 一社独占だからあんなノンキなんだよ。
 国だって、あんだけ借金があったら給料なんか出ませんよ、フツーの会社なら。
 頭おかしすぎる。
 どうしてそっちに怒りが束になって向かないのかな。

 もとい。

 それでもここで深刻になるのを食い止めるのが、千代なのです。
 すいとんをハルおばあちゃんから教わって、小原家の胃袋はどうにか存続していくことになる。

 「(配給を遠慮していけへんかったんもほんまや。
 けど…やっぱしそんだけとちゃう)」。

 糸子は自分のなかにあった驕りに気付かされます。

 「(意地もあった。 うちのもんをあの列に並ばさんことで、うちは、自分を特別やて思おうとしてた。 自分にはそんだけの甲斐性があるやて思いたかったんや…)」。

 糸子は木之元の妻に誘われた配給に、意地をかなぐり捨てていくことにするのです。

 若い時の鼻っ柱の強さ、というものは、誰でも持っている。
 それは世間にもまれながら、角が取れてまあるくなっていくものです。
 反省反省言うとった私ですが(笑)、糸子はここで、以前の糸子から十分成長していると思う。

 忸怩たる思いを胸に秘めながら、それでも相手には感謝する。

 感謝をし続けることで、浮かぶ瀬もある。

 「おおきに」 という言葉を、このところの糸子は頻繁に口にしています。
 それはなにも、要領のいい処方箋ではない。
 貴重な紙を無駄遣いして、「非国民」 などと張り紙をする。 ご苦労なことです。
 でも、理不尽な相手を憎むよりも、そのことで自分が成長できて有り難いなあ、と感じるほうがずっといい。
 説教臭いですが、私はそう考えるのです。

 糸子は 「もしかしてあらぬ噂を流しているのでは」 と勘繰っていた木之元や木岡の妻らを見ながら考えを改め、共に配給に行く道すがら、考えます。

 「(疑いっちゅうもんは、いっぺんかかったらそない簡単に晴れへんのかもしれん。

 ほんでもやっていける。

 うちを信じているこの人らは、お父ちゃんが残してくれた、宝もんです)」…。



 水曜放送分(はぁぁ。 いつになったら終わるんやろ)。

 大名気取りだった商売の方法を根底から変えた糸子。
 店員にもその意識改革を迫ります。

 「こら! あんたら何ぼさっとしてんや! 今のうちのお客さんや。 あんたらも頭下げんとあかんやろ!」

 けれども再開したモンペ教室に、例の婦人会のオバハンたちが再び登場。 モンペはボロきれで作れ、ミシンは供出させてもらう、と一方的に要請してきます。
 糸子はこの人らぁも世間や、と初めは笑みをたたえて対応するのですが、あまりの理不尽な物言いについに 「ええからはよ帰ってんかっ!」 とブチ切れ。 ただしそのあと、「ご苦労さんでした」 のねぎらいを忘れない(笑)。
 オハラ洋装店のなかでは 「どこの親分や…」「あんたらの姉ちゃんどっかで修行したことあるんちゃうか?シロートちゃうで、あのドス」(爆)。
 けれどもミシンが取られてしまう、ということは、店の存続にとってかなりのダメージであることに間違いはありません。

 「嫌や…。 絶対嫌や…」

 善作が、店の反物をすべて売り払って買ってくれたミシン。 そんなもんまで供出しなければならないのか。 贅沢はしたらアカンとか、国民から仕事を奪っておいてなにが戦争か。 国民の生活を灰色にしておいて、何が戦争か。

 「なあ、お父ちゃん…。 うち、どないしたらええねん。 教えて…」

 死んだ者に悩みを打ち明け、どうしたらいいんだろう、と語りかけること。 うちの父親も同じようなことをしたと以前話してました。
 手を合わせる糸子。 笑いかける善三の遺影。 線香の煙がまるで生きているようです。

 「なあ、教えてや、お父ちゃん…どないしたらええんよ…」。

 柱時計の音が鳴ります。 ふと糸子がとなりを見ると、そこには同じように手を合わせる長女の優子が。 可愛いおさげ髪です。
 「…せや、優子、散髪しよ!」
 「散髪?」
 「うん。 せやせや、忘れてた。 もうおじいちゃんいてへんさかい、あんたの髪切ったかてええんや。 おいで。 はい、こっちこっち」

 善作の遺影がまた写ります。 「おいコラ待て糸子! 散髪したらあかんゆうたやろ! やめんかい! 承知せえへんど!」 とアタフタと怒鳴っているようです(爆)。

 すごいなこのシーン。 ホントに遺影がそう言っているように見えました。
 しかし。

 「変や! イヤや! こんなん変やぁ!」

 おかっぱ頭になってしもた優子は、完全にパニック状態(爆)。
 優子は自分の髪形がヘンだと同意を得たくて、そこら中の人々に訊いてまわります。
 けどみんなかいらしいという感想ばかり。
 優子は木岡の店まで行って訊いてしまうのですが、そこにいたのが、善作の葬式に来ていた、軍服を作っている工場の経営者のおっちゃん。
 そのおっちゃんが、店の経営が苦しかったらなんぼでも仕事があるから、と言っていたことを糸子に思い出させようと、優子にことづてします。

 せや、その手があったがな!

 優子からそのことづてを聞いた糸子は、矢も盾もたまらず、その軍服工場のおっちゃんに、仕事を依頼するのです。
 軍服を作ればミシンはお国のためになっている、という理屈が通る。
 翌日ミシンを取りに来た婦人会の澤田ら。
 すごすごと帰っていきます。

 こういう話は、皆さんお好きですよね(笑)。 私も大好きです(笑)。
 しかし優子チャン、ほんまかいらしかったなあ。 むくれた顔をしてるのに、「かいらしい」 と言われると一瞬うれしそうな顔をするんですよ。 子役の演技に注文を付けたんでしょうなあ。 いやいや、細かすぎますよ、このドラマの演出チーム。
 そして澤田らに説明をするのも糸子が矢面に立たず、昌子にその役目をやらせる。 糸子はその様子を、店の奥にすっ込んで見ているのです。 ワンクッション置いてギスギスさを軽減しようとしている糸子の配慮。 さりげない気配りが光っている。
 どうしてこうも細かすぎるのか。
 完全に感服です。

 こちらが感服しているのもつかの間、糸子は善作の遺影に 「(お父ちゃん、ミシン、どないかなりそうです…お父ちゃんが教えてくれへんさかい、うち、自分でどないかしてんで)」 と報告する。

 と。

 このドラマ、突然一気に早送りで逆回転を始めるのです。

 うおっ!

 そして要となるシーンが次々と一瞬だけ再生状態になり、またまた早送りの巻き戻し状態に。

 話はどんどん逆回転していって、柱時計の音が再び鳴る時点まで、ドラマは戻ってしまうのです。

 糸子は同じように、手を合わせている。
 目の前には、善作の笑顔の遺影。
 いつの間に現在に戻った糸子は、手を合わせつつ、にんまり微笑むのです。

 「(やっぱし、お父ちゃんか…)」。

 ああもう、なんと形容してよいやら。

 ダメだよこのドラマ。
 すごすぎて話になんない。

 優子の散髪を糸子が決めたとき、「やめ! なにさらしとんねん!」 とてっきり言っていたように思われていた善作の遺影(笑)。
 だからこのピタゴラスイッチは(ブービートラップのほうが分かりいいか…)善作の仕業によるものかどうかは分からないのです。
 でも、残された者は、それもこれも死んだ家族がなんとかしてくれたんだと思いたがる。
 そこまで表現されているから、このドラマはすごすぎる、のです。

 ここまでが水曜放送分です。
 やっと半分…。
 けれどこの 「善作の見えざる手」 は、週の後半に入ると、前述したとおり、急速にその影響力を失くしていく。



 木曜放送分。

 昭和18年9月。

 軍服を作り続けているオハラ洋装店の前を、戦死した兵隊の葬列が通り過ぎていきます。
 これが週後半のひとつの風物詩になっていく。
 おかっぱ頭になった優子は、完全に軍国少女にハマっています。
 糸子はそれを半分冷ややかな目で見ているのですが、きっとこれも 「軍国少女ごっこ」 なのだろう、という視点なのでしょう。
 案の定優子は竹槍訓練などをしながらも、戦死していく軍国少女のマネをして 「花子さん、ミヨさん、うちはもうあきませんっ!」「何をゆうとるの!」「あきらめたらあかんよ!」「うちが死んでも最後のひとりまで戦い抜くて約束して…」「分かった、最後まで戦い抜くよ!」「よかった…それを聞いてうちは…安心して死ねますっ!」「安心して死んで、優子さんっ!」「…おおきに…うっ!」 ガクッ(爆)。

 ハルおばあちゃんはまだ伏せっています。
 「はぁ…はよ天からお迎えがこんかいな…」 と嘆くのですが、「来るかいな。 まだこんなお粥さんかてようさん食べれんのに」 とまた突っ込む糸子。 「役に立たんのに、お粥さんばっかり食べて…。 長生きして…。 フン、迷惑なとっし寄りやで」「お父ちゃんのひがみ根性は、おばあちゃん譲りやってんな」「善作が死んでしもて、世の中戦争ばっかし。 うちら生きちょったかて、なぁんの楽しいことあるやら。 はぁ…。 死んだほうがマッシやで」 嘆きながら糸子がお粥さんを口元に持ってくと、ひょいパク(笑)。 糸子 「食べてんがな」(爆)。

 このシーン、前のお粥さんのシーンと比較すると、幾分おばあちゃんが立ち直りつつあることを示していてまた芸が細かい。

 そんなある日、優子が町の集会場で上映される映画に連れてって、と強行におねだりしてきます。
 結局折れて親子3人で見に行ったその戦争映画。
 戦闘シーンばかりで3人とも、大いにがっかりして途中で出てきてしまいます。
 「優ちゃんもっと、楽しいのんが見たい、楽しいのんとか、きれいな映画が見たい」
 不満を口にする優子。
 そこに左翼主義者が官憲に追われて逃走してきます。 捕縛される左翼主義者。
 「見な!」
 糸子は子供ら二人を抱き寄せその衝撃的な場面を見せまいとする。
 「なんや、アカけ?」
 噂する人々。
 アカゆうのは、まあ説明要りませんけど、共産党とか左翼の蔑称ですな。 ソ連の国旗が赤だから。
 「アカって何?」 母親に訊く直子。 糸子はそれに答えず、優子に尋ねます。 「赤に白混ぜたら何色になる?」

 「…桃色」

 「もっと足したら?」

 「さくら色」

 「ほな…ちょっと青を足したら?」

 「う~んと…」

 そんな優子に、後日糸子は色鉛筆(12本セットと思われます)を買い与えます。
 なんぼかかったかでまた文句を言いたそうな昌子を尻目に、糸子はだんじりの季節がまためぐってきたことで、特別な感慨にふけります。

 「(若い男はみんな戦地に行ってしもうて、曳き手は年寄りばっかりになってまいました)

 …ほんでも、だんじりは、なにがあっても曳かんならんもんや…

 (…そういうもんや…)」。



 金曜放送分。

 昭和19年4月。

 婦人会の澤田のオバハンの息子も戦死し、葬列が通っていきます。
 悲痛な表情の澤田のオバハン。
 息子が死んで悲しまない親などない。
 そのことを一瞬で見る側にいやおうなく理解させるシーンです。

 オハラ洋装店には八重子が働きに来ています。 安岡髪結ひ店がとうとう立ちいかなくなり、糸子はそれを引き受けたのです。
 食事の席で八重子の夫、泰蔵の話になり、泰蔵に恋していた吉田奈津のことを思い出す糸子。
 と思ったらその奈津から電話がかかってくる(笑)。
 待ち合わせ場所に選んだ、平吉のかつて勤めていた喫茶店も閉鎖しており、閉塞的な社会状況がさりげなく説明されます。
 そしてやってきたのは、糸子がかつて祝言を挙げた吉田屋の座敷。
 柄になくあらたまった奈津から、糸子はこの吉田屋を1万円で買わへんかと持ちかけられます。
 聞けば借金がそれだけあるとのこと。 「うちのせいやない」 と強弁する奈津に、糸子はすっかり呆れ果ててしまいます。

 「ア…アホか!
 そこをどないか知恵絞ってやりくりすんのが女将の仕事やろ?!
 なにがうちのせい違うや!
 あんた…あんた何やってんねん!
 なんでこんなんなる前に手ぇ打たへんかってん?
 1万円…1万円て…。
 もう、そんなんいまさらゆうたかて遅いわ!」

 結局意地っ張りの奈津も逆切れして、この話は破談。
 けれども奈津の事情も八重子から諭されて、糸子は神戸に話を持ちかけたり、自分にできる限りのことはしようとします。
 結局糸子は奈津を八重子のようにオハラ洋装店で働かそうとするのですが、その話を持ちかけようとして向かった吉田屋で、糸子は奈津と母親が夜逃げしてしまったことを、借金取りの男から聞くことになるのです。
 どうも吉田屋はその男の話によると、軍需工場に二束三文で買い叩かれた模様。
 そこに別の借金取りがやってきて、地団駄を踏みます。

 「こんボケがあっ!」

 糸子は人手にわたってしまった吉田屋の玄関戸を激しく叩きます。

 「アホかああっ! ドアホがああっ!」

 借金取り1、2(笑)が慌てて糸子を止めに入ります。
 「もうここ軍のもんなんやで、壊したらえらいこっちゃで!」
 「気持ちは分かるけどや、やめとけて!」

 「ボケぇぇっ! 逃げてどないすんやっっ!…どないすんや…」

 泣き崩れる糸子。



 土曜放送分。

 金曜放送分から5カ月後の昭和19年9月。

 木曜放送分で意気揚々とだんじり祭りの寄合に向かっていた木之元、木岡らが、善作の遺影に 「だんじり祭りが今年はのうなった」、という報告を、断腸の思いでしています。
 ここ。
 あの世の善作も悔しがっていることでしょう。
 けれどもその善作の思いも通じないほどに悪化している戦局。
 私が冒頭の感想を抱いたのはここでした。
 薄れていく善作の影響力。
 遠ざかっていく善作の記憶。

 「(ゆうたら、燃料が切れてもうたんです。

 あの大きいて、重い重いだんじりが走るには、ようさんの男の手ぇと足、それもしっかりごはん食べて、骨と肉のみっちりとしたんが揃てんとあかんのに…)」。

 優子は相変わらず、竹槍訓練にご執心です。
 なんとも貧相で割に合わん訓練ですが、これを戦時中は、みんなマジメにやっとったんですよ。 お上はなに考えとる。 アホか。 しょーもな。 向こうは鉄砲持ってんで。 竹槍かて、役に立つかいな。
 それを見ていた八重子の長男、太郎。
 「もともと大東亜戦争っちゅうんは、アメリカとイギリスからアジアの圧迫民族を解放するために始まった戦争なんやで。 僕のお父ちゃんも、自分らのお父ちゃんも、よその国の人らを助けるために戦こうてるんや」。
 これもよう言われることですが、要するにすり替えの論理ですな。 分からん人は、勉強してください。 くれぐれも読む本を間違えずに。 太郎の論理は一部では当たってるけど、全体的なことを考えれば決して妥当じゃないことが分かるはずです。

 いずれにしたって戦争やってれば、いいも悪いもありません。
 どっちも人殺すんですから。
 殺されたほうは、そら恨みもしますよ。
 大事なんは、このことから目をそむけんことです。
 イヤなことを回避したくなるのは当然ですが、このことは何人も避けて通ってはならない。

 その太郎、お国のためにと殊勝な少国民なのですが、何かというと八重子と行動を共にしたがる、母親べったりな一面があります。
 それを見ているととても悲しくなる。
 本当は母親に甘えたいのに。
 それが出来ずに、母親への思いを、お国を守るということで実現しようとしている。

 次女の直子は、だんじりを曳く男がいないんなら、女が曳いたらええやんか、と母親にしゃべります。
 どうもこの次女の直子、糸子の幼少時代を演じた二宮星チャンにバトンタッチされる模様ですな。 その前フリか、このエピソード?

 「直ちゃんが神さんやったら、だぁれもだんじり曳いてくれへんほうが、いやや。 来年は直ちゃんが曳くでぇぇ~。 男がいてへんでも直ちゃんが曳いちゃる。 絶対絶対曳いちゃる」。

 かいらしいなあ、直ちゃん。

 数日後。

 働きに来ている八重子が、ぼんやりと固まったまま、動きません。
 いつもの調子でそれを心配する千代に、糸子は 「こんなご時世なんやから、みんな何かしら問題があんねん」 とまともに取り合おうとしません。

 そんな威勢のいい糸子が、てきぱきと仕事をしている様子を、うれしそうに遠巻きに見ている者があります。

 勘助です。

 糸子の末の妹、光子がそこに出くわします。

 「光っちゃん。 ひさしぶりやな」

 「勘助ちゃん…」

 「糸やんも、元気そうやな…」

 勘助は光子のほうに向きなおります。

 「光っちゃん。 糸やんを…よう助けちゃってな…」

 何事かを悟ったような光子。
 「…糸子姉ちゃんに、会わんと行くん?」

 勘助は、黙ってうなづきます。

 「会いたいけどな…。

 …オレにはな…資格がないんや、もう…。

 でも…。

 やっと仕舞いや…」

 さびしそうに、無理に思い切りの笑顔を作る勘助。

 光子が暗い顔をして帰ってきます。
 そして、いきなり泣き出すのです。

 「光っちゃん、勘助ちゃんと、会うたんけ?」
 八重子が、実は今日、勘助の再出征の日だった、と打ち明けます。
 勘助ちゃん、遺言みたいなことばっかしゆうちゃった、と大泣きしてしまう光子。
 ただ事ではない戦場に向かわされると察したのか、糸子は店を飛び出します。

 「勘助…勘助!」

 最初の出征の時と違い、ひとりぼっちで誰にも知られることなく出征していく勘助。
 おそらく精神状態があれですから、丙種合格あたりなのだと思うんですよ。
 そして捨て玉のように、無造作に戦死させられていくのだろう、と思うんですよ。

 「勘助~! 勘助~!」

 しかしもう勘助は、列車に乗ってしまっています。

 勘助にはいくら謝っても謝りきれない酷いことをしてしまっている、と後悔している糸子。
 しかし最後になんの弁解も謝罪もできないまま、勘助はあっという間に戦死して、帰ってくるのです。 ひと月しかたっていなかったらしい。
 やはり使い物にならなさそうな勘助は、まるで人員確保だけが目的のような戦場に向かわされたのでしょう。
 またもや通り過ぎていく、葬列。
 勘助の遺影を抱いた玉枝。 長年の疲労が蓄積したようなこわばり果てた顔をしています。 憔悴して位牌を持つ八重子。 遺骨の入った箱を抱える太郎。

 糸子は手を合わせることも忘れ、呆然とその葬列を見送ります。

 「(勘助…。

 勘助…。

 勘助…!)」

 糸子の胸のなかにある後悔が、その胸のただなかに、刻印されてしまった瞬間。
 そんなふうに私は受けとりました。

 食べ物がなくなっていき、仕事は奪われ、時代がモノクロームに染まっていく。
 後から考えれば、この期間は日中戦争が勃発してから換算しても、10年にも満たない短い期間です。
 そんななかで勘助は精神を病み、奈津は夜逃げをし、自分たちの人生は大きく戦争によって狂わされていく。
 それは不謹慎な言い方をすれば、今年の大震災よりも規模の大きいものだった。
 しかし、大震災も、戦争も、あっという間だったけれど、それが人々に、その後何十年にもわたる不幸をしょわせていく。
 大災難が人々にもたらす負のパワーの巨大さに、私は呆然とするしかありません。
 しかし、もし人生に意味があるとすれば、それは大きな悲しみから、自らが立ちあがることだと信じたい。
 人生の醍醐味は、まさに不幸から立ち上がることにのみにあると、私は言いたいのです。

 次回の放送分は3回のみなので、レビューもちょっとは楽かと存じます。
 しかしその3回。
 ついに空襲か…。

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コメント

リウ様、こんにちは。
Xmasで、御楽しみの最中に感想UP。お疲れ様でした。

善作の死から、戦時中の重苦しさに覆われた今週のエピソード。糸子と周囲を取り巻く人達には、雌伏を強いられる展開でしたね。
ハルばあちゃんがショボクレて行く中、目立たなかった妹や縫い子達にも、見せ場が増えて行く。
小原家の世代交代が、静かに展開していますね。で、糸子は鼻息荒く皆を叱咤する。胸突き八丁、あと少しと、状況を見守っている一視聴者であります。

繁栄と没落。あれ程栄えていた料亭・吉田屋も、遂に身売りの憂き目に遭い、多額の借金を抱えて失踪する奈津。戦時中の一万円、現代の金額に換算したら、億単位でしょうか。
事業主でもあるリウ様にとっても、身近に置き換えられる出来事は、多々お有りの事かと思います。

男性目線なら「さも有りなん」の奈津没落劇。現実の展開では逆転困難の状況ですが、女性目線では「片一方だけ置き去り」の展開を許さないと思うので、渡辺脚本の筆運びに期待します。

国防婦人会・澤田役の三島ゆり子さん。貫禄たっぷりに、憎たらしい役柄を好演して頂きました。次男の遺影を抱いて、葬式行列する姿は、哀愁に満ち溢れていましたね。
彼女の役柄で印象深いのは、故藤田まこと氏主演の必殺シリーズ『暗闇仕留人』で「なりませぬー」の決め台詞で身悶えつつ、色欲に耽る尼さん役でした。

奇天烈な必殺技で、悪党を退治するシーンに拍手喝采していた必殺シリーズでしたが、大人になって見返すと、儚い色模様や切ない人生模様が鏤められた「大人のドラマ」である事を、改めて再確認しました。

残る三話で終戦。年が改まった糸子の飛躍は如何に?

投稿: M NOM | 2011年12月25日 (日) 13時29分

「四十九日のレシピ」の感想を拝見したことがきっかけで、ちょくちょくこちらに寄らせて頂いております。リウさんの腑に落ちるコメントは読んでいて気持ちいいです。

八重子さんの様子がおかしいから話を聞いてやれ、という千代さんへ「うちかて誰かて相手の荷物をもつ余裕なんかどこにも残ってへんねん!自分の荷物は自分でどないかして貰うしかないんや」と言い切った糸子。もしここで八重子さんから勘助の話を聞いていたら、もし勘助と最後に話が出来たら。糸子の言い分は正論とも言えますが、わずかな気遣いをしないことで、自分の背負う荷物を更に増やしてしまった。相手に良かれと思ってやったことが裏目に出たり、自分が正しいと思ったことが取り返しのつかないことに繋がったり。でもこうした痛みで人は成長する。人生をリアルに表しているドラマだと思います。

ソ連時代、芸術は真実を反映すると言われ、あまりにファンタジーなものは失笑を買ったそうです。このリアルさ、カーネーションは紛れもなく芸術と感じます。
今後もレビューを楽しみにしております。どうぞよいお年をお迎えください。

ロシア在住 トモコ

投稿: トモコ | 2011年12月25日 (日) 18時28分

クリスマスから年の瀬と、気ぜわしい日々が続く中、いつもとかわらずリウ様のコメントを読むことで、なんとか大掃除のモチベーションを維持していますcoldsweats01

昨日から降り続く雪で明日の朝は雪かきしなくちゃいけない感じです。大掃除の上に雪かきとはwobbly

ロシア在住のトモコさんからもコメントが寄せられ、リウさまのサイトもグローバルになって参りましたねhappy01

トモコさまのおっしゃるように、カーネーションは日常を切り取った形で表現しているので、とても親近感を感じる作品だと思います。

ちょっとしたことを言ってしまったり、言わないでいたりすることで、後々、後悔する羽目に陥ったりすることは間々ありますね。(私の場合は間々じゃなくて多々ですけどcoldsweats02

今週で驚いたのは、リウ様も指摘されてた巻き戻し手法。
おお〜っ、こういうところでぇっ〜!!
って感じでしたねflair

それから、優子ちゃんに「赤に白」で「桃色」「さくら色」と答えさせてたところでしょうか。色の表現を見せることでデザイナーへの道へと展開されていくのでしょうね。

とにもかくにも、今週は糸やんに会いたくても会えなかった勘助に泣かされました。cryingcryingcrying

いつも長いコメントをupしていただきながら短いコメントで申し訳ないです。

来週もよろしくお願いしま〜す。confident

投稿: rabi | 2011年12月26日 (月) 00時50分

戦争もいよいよ厳しさをまし、
糸子の周囲の男性もみんな、徴兵で戦地に行かされてしまいましたね。

戦争中に限らず、いまでもちょっと目立てば陰口をたたかれる、何かあれば正義感ぶった人たちからバッシングを受ける、
ちっとも変っていません。

葬式後、まったく食べ物がなくなったのは、町会のおばちゃんたちが持って行ってしまんじゃないかと思います。
いくらなんでも、その後2,3日の食糧くらいは残すでしょう。
それができないのは、やっぱり妬みなんでしょうね。
ここんとこも、リウさまおっしゃるところの
>すり替え
の「正義感」「押しつけの平等、公平」なんですね。
女性って、こういうところがあります。

>人生のだいご味は、まさに不幸から立ち上がる
うんうん、
修羅場を潜り抜けてきた人にしか言えないセリフですね。

いよいよ今年も残すところわずか。
悪質な風邪が流行していますが、リウさま、みなさま、
お体にお気を付けくださいね。

投稿: マーシー | 2011年12月26日 (月) 08時58分

M NOM様
コメント下さり、ありがとうございます。 記事を立ち上げてすぐにコメント下さったのに、返信が遅れてしまいました。 申し訳ありません。

澤田のオバハン(笑)、そういう役をされていたんですね。 もっと若いピチピチのころにお会いしたかったような気がいたします(ハハ…)。 「必殺」 シリーズは一時期よく見ていたのですが、どうも記憶にないなあ…。 「暗闇…」 の時は見てなかったかも。 私はただ藤田まことサンの夜の顔と昼行燈との落差に惹かれて見ていただけのような気がいたします。

そう言えば、これまでの展開からすれば、勘助と最後に会うのは次女の静子あたりが妥当だった気がしますが、今回は光子。 直子もあれほどセリフが与えられるとは思いもしませんでした。 優子の 「お母ちゃんっ! 行ってまいりますっ!」 は、もうかいらしくてかいらしくて、善ちゃんみたいに(笑)ギュッギュしたくなっちゃいました。
みんな成長していくんですね。

当時の1万円、現在に換算するといくらなのかはちょっと分かりませんが、億はいってたのかなぁ? あの規模の料亭だとすると、数千万、というところかな~と思います。 借金が億になってしまう前に倒産しちゃうような?
なにしろこの吉田屋、スタッフ層がとても薄いような気がする。 ほぼ間違いなく奈津のワンマン経営だったのではないでしょうか。 番頭がいても奈津のことですからおそらく強権発動的で、番頭の役目をなしていなかった可能性が高い気がします。
借金が1万円、という時点で、その金額を吉田屋売却によって賄おう、という発想からして、すでに奈津以外のめぼしい人材が根こそぎ吉田屋から去っている、と考えられますよね。 スタッフがいれば、なにも1万円丸々用意しなくても、いくらかの返済で当座をごまかして営業を続けることは可能なんですから。
と、まあちょっと経営者みたいなことを書いてしまいました(ハハ…)。

いずれにしても旦那に逃げられ母親も病弱で、奈津の孤軍奮闘ぶりは容易に想像できます。 ドラマ的に沈んだままというのはいかにもカワイソウすぎるので、今後の奈津の復活ぶりにも注目したいところです。

投稿: リウ | 2011年12月26日 (月) 09時17分

トモコ様
はじめまして。 遠い土地よりコメント下さり、ありがとうございます。

うわっ、ロシアに在住されているのですか!

ロシアロシアといっても広うございますので、モスクワ寄りなのかウラジオストク寄りなのかは存じませんが、地中海寄りでなければ日本よりは確実に寒い土地でいらっしゃると推察いたします。

海外に住んでいらっしゃるかたがたのあいだでも日本のテレビ番組はかなり便利に視聴できる、とは話に聞いていたのですが、ここまでこのドラマのキモの部分を把握しながらご覧だとは、もう世界は狭すぎます!

トモコ様のおっしゃるように、八重子の心配をする千代に強い口調で無関心を決め込んだことは、糸子にとって新たな後悔の種になってしまいましたよね。 レビューのなかで突っ込みが足りなかった部分を指摘してくださり、感謝に堪えません。

芸術的、と言えば、このドラマは関西的なお笑いをふんだんに盛り込んだドストエフスキーやトルストイ、といった風情でありますね。 なんかもう、立地点がほかのドラマとは明らかに違う高い次元なんですよ。 視聴する場所はお互い遠いですが、ご一緒に楽しんでまいりましょう。

お風邪などお召しになりませんよう。 よい年をお迎えください。 スパシーバ(これくらいしかロシア語分かりません…coldsweats01)。

投稿: リウ | 2011年12月26日 (月) 09時34分

rabi様
コメント下さり、ありがとうございます。 お寒うございます。

主婦の皆様にとってはただでさえ忙しい年末なのに、rabi様の住んでいらっしゃる地域では大雪みたいですね。 お見舞い申し上げます。 と思ったらrabi様の住んでいらっしゃる地方よりはるか北のかたからもコメントが…。 かと思えば昔書いたアマチュアバンドの記事に、当事者のバンドのかたからコメントをいただいたり、このところ驚くことが多いです。

私なんかも、糸子以上に 「あんな態度取らなきゃよかった」 の連続で毎日を生きております(ハハ…)。
私の人生をもしドラマにしたら、もうつまんない、という以前に(爆)、「どうして精神年齢が10歳のままなんだ、どうしてこれだけのことをしといて反省のひとつもしないんだ」 という非難が殺到するはずでありますshock

この週の水曜放送分は、この巻き戻しをはじめとしてもう感服のしまくりで。

巻き戻し、という手法自体はさほど目新しいものではないのですが、その巻き戻し方法がかなりスタイリッシュなんですよ。
ただ単に巻き戻されている、というわけではなく、音声だけがフラッシュバックされて画像は巻き戻されている状態であるとかスローモーションであるとか。 で、バックにはゆったりとした音楽が流れ続けている。

これが、たゆたう大河のようなどっしりとしたつくりのドラマで行なわれる、ということ自体が、驚異的だって思うんですよ。
このドラマ、実験的な人を食った部分も忘れてへんで、という姿勢が見えるところに驚かされるのです。

「赤に白」 と訊かれて 「ピンク!」 などと私は思ってしまったのですが(爆)、さすがに敵性語は使わんなあ、なんて、妙なところで感心したりして(笑)。

勘助の、いったん未知の世界をのぞきこんでしまった人のような常軌を逸しかけた目が、とても悲しかった。 そしてあんなに懐が大きかった玉枝の、こわばったまま固まってしまったような顔。 泰蔵が大工方をやっていたころの玉枝にもう一度会いたいです…。

投稿: リウ | 2011年12月26日 (月) 09時56分

マーシー様
コメント下さり、ありがとうございます。

めぼしい男性がみんな戦地に行ってしまったあとの日本は、ある意味で女性社会になってしまった、というマーシー様の着眼点はうーん、うなります。

オバチャンたちもたくましいから、「小原の家には腐るほど食料がある、ぜぇ~んぶ使っちゃえ」 みたいなところがあったのかも(笑)。

妬みのはけ口と同時に、もう毎日が我慢の連続ですから、もうあの当時の戦局から行くと。

衝動買いと同じような心理状態で、パァ~っと使っちゃいたくなる時ってあるんだと思いますよ、女性の方々には。 で、お米も野菜も、パァ~っと使っちゃった(笑)。

昌子も糸子も、見ているととてもパワフル。 千代なんかはどんな時代であろうともしなやかに生きている感じだし。 「粉あるかいな~」 なんて、善作の死にあれほど号泣していたのに、糸子たちの険悪なムードを解消させるためにわざとノンキを演じている気もするし。

それに比べて男たちはしょぼくれっぱなし。 つくづく女性たちのしたたかさ、たくましさを私などは感じてしまうのです。

って、マーシー様、今年のコメントは、もう打ち止めですか?
とりあえずまだ、ベストドラマ選出の記事が控えておりますので、今年中によろしければまたお立ち寄りくださいまし。 「クリスマスの約束」 の記事も書きたい気がするし(まだ未見)、大みそかは紅白を見ながら随時更新の記事を毎年書いておりますのでよろしくどうぞ。

投稿: リウ | 2011年12月26日 (月) 10時52分

リウさんのおっしゃる通り実験的なシーンっていくつかありましたよね。へんてこなだんじりのCGとか(笑)
糸子の脳内巻き戻し後、優子のおかっぱ頭にでっかいリボンが載っていたのもなんだか良かったです。

渡辺あやさんはジョゼ虎を観てからのファンで私はカーネーションのおかげで日常が3割増しくらい楽しく過ごせます(笑)

年末のどさくさにまぎれて初コメントさせていただきました。
『曲げられない女』以来こちらにお邪魔させていただいています。今年もリウさんのベストドラマ楽しみです^^

投稿: はたはた | 2011年12月26日 (月) 17時57分

澤田さん・・・(^^;)
私は別の意味で彼女の葬列姿を見てましたけれど・・・

かつて糸子に、国の為に骨身を供出してこそ意味がある、ようなことを言ってのけた彼女のあの姿を見て、糸子は頭を下げつつも複雑な心境があったと思うのです。
「あんたの息子は、これで価値があったと、いうことかいな・・・」
もし、賢しげなドラマだったら、たぶんこの部分をちくちくと持ち上げると思いますが、カーネーションはそうしない。
だって、現実的じゃないから。
身内が死んで哀しくない人はいない。
父を亡くして、糸子の心境にも変化があったと思うのです。

さりげなくスルーしてしまう、話の流れに私は唸ってしまいました。

優子が色鉛筆を塗り重ねて、「紫っ」と叫ぶシーンも(^^*)
実は以前、尾野さんがインタビューでおっしゃっていたのですが、コシノ三姉妹に、お母さん(小篠綾子さん)は色にたとえたら何色ですかと聞いたことがあるそうです。それで返ってきた返事が「紫」だったそうで。
私はそれを思いだして「あ、紫や(笑)」と思わずにんまりしてしまったんです。
意識されて書かれたのかなぁ。たぶん、意識されて書かれたんじゃないかな。
このインタビューを聞いてなかったら、たぶん何も気づくことなくスルーしちゃうようなシーンなんですが。
すごいな、と思います。

あと、この週すごく気になったのは、カメラの位置です。
ミシンが取られそうになって。
まさちゃんが、チラシを投げ上げるシーン。
糸子がミシンの前でへたれこんでいるシーン。
ビミョウに見下ろし視点になっているのが、「あ、まさか・・・お父ちゃん視点・・・?」とうちでは話題になっていました。
勘助の葬式も・・・
見下ろし目線で視界に入ってくる葬列・・・
勘助の目線なのかと、涙が止まりませんでした。

一つ一つの動きに意味があるように思われる(あるんだと思いたい)場面展開も、このドラマならではの所以に思われてしまいます。

八重子さんが、「実は勘助ちゃん・・・」と告白するシーン、
後ろで棒立ちになっている静子や千代さんの表情がすごくよかったです。それだけで、見ている私もおたおたしてしまって。
まだ幼さののこる少女が、「糸ちゃんを助けてやってな」というセリフだけで、(出征して)行ってしまうことを了解してしまうようなそんな時代・・・(だからこそ、ここは静ちゃんではなくてみっちゃんである必要があったように、私には思われたのです)それを、このシーンだけで演出してしまう。
そんな細かいところも印象的に見える、考え抜いてのことと見える、そんな脚本が凄まじいと思わせた先週でした。

今週ももう月曜日だけで、私はやられていますが(笑)

また、レビューを楽しみにしていますね(^^)

投稿: samantha | 2011年12月27日 (火) 07時24分

はたはた様
はじめまして! どさくさでも、コメント下さって有り難いです。

実は物語の当初に糸子がミシンのだんじりに乗っかっているシーン、ちょっとばかり危ういものを感じたのですが(爆)、思い返せばあれが物語の思い切りの良さを象徴しているシーンでもありました。

「ジョゼ」 のシュールさというのはかなり軽減されているような気はしますが、ところどころで渡辺あやサンの心意気、というものは見え隠れする気はいたしますね。 説明不足もなんのその。 「全部説明せなあかんのか? ちっとは自分で考えや」 と言われているようで、こちらも借りてきた猫みたいになってしまいます(笑)。

そう言えば優子チャン、でっかいリボンをつけてましたね! あれもあのご時世ではいろいろ言われそうですけど、糸子の心意気を感じるし、優子のおしゃれ心の開花を促した、ということも感じますよね。
ひとつひとつについて考え出すとキリがなく深い。

おそらく年末までにあと2、3最終回まで見てから、ベストドラマは決めたいと思います。 たまってる録画が多過ぎて…。

投稿: リウ | 2011年12月27日 (火) 12時35分

samantha様
コメント下さり、ありがとうございます。

実はこの前のコメント返信、仕事から帰ってきて途中まで書きながらあまりの眠さにリタイアして爆睡後、あらためて書いたのでsamantha様のコメントは読んでませんでした。
そしたら 「ひとつについて考え出すとキリがない」 という説明不足をすべて補っていただいたようなコメント…。 しかも画面に映る登場人物すべての一挙一動にまで目が行き届いているご感想…。 感服です。

コシノ三姉妹と尾野サンとの対談、確か番組HPか何かで私も読んだ覚えがあるのですが、いや記憶力がお確かでいらっしゃいますねcoldsweats02。 尾野サンがそのような質問をされていたのは私も覚えていたのですが、答えまでは覚えてなかったcoldsweats01

優子チャンの大きなリボンといい、買い与えた色鉛筆といい、色を失っていく世情に抗うような糸子の子育て。 「忙しゅうてかなんわ」 と言いながらもきちんと子供らに目が行き届いている、そんな気がいたします。

そう言えば上から見下ろしたシーンも多かった…。 どこまで細かく見てるんですか(感嘆…)。 私は土曜日の勘助が絡んだ一連のシーン、あまりの簡略化にうなっていました。

なにも言わないでも分かってしまう心の探り合いを余儀なくされている戦局の悪化。 静子ではなく光子にすることでそれを表現しているというsamantha様のご指摘、海よりも深い…。

勘助の精神状態がああだったから、八重子さんも大っぴらに口にできないし、それゆえにその悲報の説明も簡単の極致。 なにがどうして勘助がそうなっちゃったのかの説明が、一切ない、のではなく、説明させてもらえない世の中だった、というのがすごくよく出ていた。

私は安岡玉枝が葬列のシーンで久々に登場した時の表情にくぎ付けになりました。
糸子にあんな言葉を投げかけてから、玉枝がどのようにその後生きていたんだろう。
あの表情はそれを物語って余りある。
玉枝が元気になることを願ってやみません。

投稿: リウ | 2011年12月27日 (火) 13時02分

こんにちは。2度目のコメントになります。
以前私の書いた冗長なコメントにも誠実なレスを下さり、誠にありがとうございました。

先週土曜日は、勘助のあまりにあっさりした死の描写に、しばらく落ち込んでいました。クリスマスイブになんちゅうもんを見せてくれんねん!と思わず大阪弁でぼやきたくなるほどでした・・・。勘助という結構重要な役回りの人物をあれほど簡単に退場させる、このドラマの凄みも感じました。

勘助が「俺にはもう資格がないんや」「それもやっと終いや」というセリフで、勘助も自分のせいで糸子と玉枝の仲がこじれてしまったことにずっと苦しんできたんだと思って、胸が苦しくなりました。玉枝さんの虚空をにらみつけているような表情にも痛々しさがにじみ出ていました。もし玉枝さんが以前の玉枝さんのままならば、奈津もこれほど事態が悪化する前に相談することができたかもしれない。
いくつもの取り返しのつかない事柄にやりきれない思いが募りました。

そんな中で子供たちの可愛さにはほっとさせられましたね。優ちゃんも直ちゃんも本当にも~~~かわいい!!
太郎も凛々しくていい少年だし。
太郎が八重子さんを迎えに来るのは、甘えもあるでしょうが、家で毎日いたたまれない思いをしているお母ちゃんを励ましたい、支えたいという思いの表れではないかと私には思えました。
もうすぐ終戦なので、太郎は兵隊にならずに済むのかな・・・。そこには希望を持ちたいです。

投稿: | 2011年12月27日 (火) 20時27分

上のコメント、名前を記入し忘れました。ひゃくでした。スミマセンdown

投稿: ひゃく | 2011年12月27日 (火) 20時32分

ひゃく様
コメント下さり、ありがとうございます。

勘助の気持ちに没入したようなご感想を下さり、またまたこの物語の奥の深さを思い知らされております。 糸子と自分の母親が袂を分かってしまったのも自分の責任…、勘助には確かにそういう負い目があった気がします。

奈津が夜逃げをしなければならない事態になる前に玉枝が以前のような玉枝だったら…、というのも、いや~そうだよなあ、という感じで…。 なにしろ奈津が心を許していたのは、玉枝だけでしたからねぇ。

このドラマ、一週間分をぶっ続けでレビューすると、だいたい土曜日放送分あたりに来た時点で、毎回もうヘロヘロで(笑)。

だからほとんど情景描写だけで深い感想が導き出せなくて。 最近このレビュー方法に、いい加減限界を感じております。

ただやはり、一週間をまとめてみるととてもテーマがはっきりするので、この方法はあと3カ月、続きそうです…。

太郎クンはホント、あと少しで終戦だからセーフですよね。
母親のことを気遣って母親べったり、というひゃく様のご指摘にもうんうんとうなづくことしきり。 それに、玉枝も暗~くて母親なしに家にいることはつらい、という側面もあったことでしょう。

話を深読み出来過ぎて、なんだか底なし沼ですね、このドラマ。

投稿: リウ | 2011年12月28日 (水) 08時00分

書いては消し、書いては消してそれでもなかなか当て嵌める言葉が書けず…
でもリウさんにお礼を言わなきゃ、と思っていました。
皆勤賞で応えたいなどと自分勝手に思っていました。

まずは深い見識と洞察に感謝しております。ありがとうございます。


勘助の退場は予想外で、茫然自失に陥りました。
思えば、第一回目からの登場で自分の手柄のように糸子に向かって『うちのにぃちゃん』の自慢をしていた、チビ勘助。
ヘタレのくせに、そのヘタレさが可愛かった。
学校では先生に詰問される糸子を機転をきかせて助けました。
川で溺れ、善作に激怒されてた糸子。勘助のほうが泣いて詫びてました。
不良に絡まれた糸子を助けました。せっせと糸屑を拾い、百貨店にはよう入らんで、ご主人様を待つ犬のように不安げにしてた顔。工場勤めが嫌で二階でいじけてた顔。さえにフラれてこの世の終わりみたいな顔。
平吉とつるんで『恋せよ〜乙女〜』とからかってた顔。
平和だった頃の勘助の顔が次々に浮かび、自分の身内を亡くしたようで、最初は涙も出ずただ画面を凝視するばかりでした。

なんちゅう本、書いてくれるねん!クリスマスイブやったんよ!
その不条理にその厳しさにその容赦ない描写に怒りさえ感じました。


けど…


安岡家はあやさん創作のキャラクターとのこと。
でもあの当時、勘助はいたと思うのです。
勘助を投影して、戦争の無惨さをいやというほどわからせてもらった気がするのです。
今までの戦争を描いた映画やドラマは男が主で、戦場での悲惨さをおもに描いていたと思うのです。目を背けるような描写で『戦争は嫌だ』という嫌悪感が先にたっていました。
けど、カーネーションは地べたに立ち、徹底的に女の戦時を描ききり、心底無惨で愚かな戦争というものを、平和な時代の私達に知らしめてくれたと思うのです。そのために勘助は存在していたかと思うほどでした。


でもそんな中、やっぱり灯を灯し続けてくれたのは子供の存在でした。前髪パッツンのおかっぱに大きな赤いリボンつけた優子。ワタシも耳の横まで刈り上げにされ床屋さんでリボンつけてもらったこと思い出しました。戦争ごっこする優子、直子にじっと見られて怒ってましたね(笑)『ごっこ遊び』は女の子大好き。
映画をおねだりする優子の横で精米する直子の自然な動き。糸子と三人で手を繋いで歌う『鐘がなる』。映画が退屈で集会所から出て大きく伸びをする糸子と直子は、本物の親子に見えて微笑ましかった。

所々に効果的に映える赤。今日の回の赤の演出は
ちょっと言葉にできません。


またまた纏まらない文章ですいません。
ここに集う皆様の洗練された文章に感心しつつ、また深い見方にはっとさせられ、ひとつ得をした気分です。ありがとうございます。

寒さ、厳しいですが皆様お風邪を召しませぬよう

投稿: みち | 2011年12月29日 (木) 00時20分

みち様
コメント下さり、ありがとうございます。 今年最後の業務が終わって爆睡してしまいまして、返信するのが遅れてしまいました。 申し訳ございません。

みち様、コメントを書くのに苦慮していらっしゃるご様子とお察し申し上げます。 気ら~くに、気ら~くにお考えくださいませ。 参加していただければそれだけでうれしいのですから。

私も皆様からのコメントに対して思うことをなに~も考えずにただ書き連ねているだけでございますcoldsweats01。 だからときにはまったく関係ない方向に話が行ってしまう失礼もたびたび…。 「レベルの高いことを書かなければ…」 ということを考えてしまうと、かえってプレッシャーになっちゃいます。 あくまで気楽にまいりましょうhappy01

イヤそれにしても、安岡家が脚本家サンの創作だとは、少々驚きました。

ということは、渡辺あやサンは小篠綾子サンの人となりを、じっくり観察していらっしゃった、ということなんでしょうね。

あのような性格では、周囲に敵を作りやすい。

そう考えたからこそ、糸子のだんじりのような強引さによって傷つく人々を象徴的に安岡家に担わせたんだろうなー、と感じました。

そしてみち様の勘助アンソロジーcatface

まるで勘助が死の間際に見る走馬灯のように私にも記憶がよみがえってまいりました。

つくづくヘタレの愛すべき人生ですよね。 これが創作とは…。 ヘタレが生きていくには、あの時代はハードすぎました。 今の引きこもりしているみなさんがあの時代に生きていたら、とてもじゃないけど精神が持たなかったでしょうね。 や、パソコンがない時点でもう立ちゆかないか…。

戦争というものはすべての人間が不幸になるから、しちゃいかんと私は思うのです。 ウハウハなのは武器商人くらいですよ。 死の商人の称号にふさわしい。

軍事政権が国を掌握していると、ロクなことがございませんな。
キムジョンイルだって私は、軍事政権の傀儡だった、と考えております。 でなきゃあんな指導力なさそうなのが将軍様でいられるわけがない。 もしキムジョンイルもキムジョンウンも、自分の思うがままに政治をしようとしたら、きっと軍部に潰されているだろうと感じます。

や、またまた話があられもない方向に…coldsweats01

みち様もお体にお気をつけて、年末の慌ただしい時期ですので。

私も仕事が終わったからと気が抜けて風邪をひいてしまわぬよう気をつけてまいります。 まだベストドラマの作業も残っておりますし…。

投稿: リウ | 2011年12月29日 (木) 16時17分

再見レビューも第12週。

>木岡の妻の話
最終回で優子の背後霊になってた糸子に被る。
第22週の善作は久しぶりの千代さんの前でエエカッコしてた?

>「善作の見えざる手」は影響力を失くしていく。
ミシン供出を免れた代償で優子がおかっぱモンペの軍国少女化と…。第11週最後の善作膝枕と第18週前半の北村に相談に訪れる場面をだぶらせて優子から戦争の影響が抜け切った事を示していたかもしれません。三姉妹の中で優子が特に北村を慕っていたのは善作の面影(優子の抱く善作像は糸子のそれとかなり違うぞ!)を見ていたのでしょうね。

>「暗闇仕留人」
時代劇専門チャンネルにて土曜深夜に再放送中。

>ひきこもり
これが終盤に活用されるとは。

で、後は「ハゲタカ」対「外事警察」(笑。善作や玉枝の口ぶりから糸子もその内、仕事で大コケするかと思えば彼女の剛腕は先人達の予想を超え(でも、この時期の糸子は心身共に充実期で一番怖い。後の直子どころではない)ていて奈津でしたね。彼女の経営手腕や内情は皆様が色々、推測されていますが不明のまま。後半、バーのママさんにでもなって糸子と張り合い続けるかと思いきや、そのポジションにはサエが来ました。
奈津は「おしん」の加代お嬢様がモデルかも?主人公と対の存在として平行して描かれていましたが途中で亡くなってしまいました。対して奈津は同じ頃に退場するも最後は糸子より長生きしましたし。
三姉妹編の頃は喧嘩友達=北村、岸和田流お嬢様=優子にシフトしているので一時退場自体は納得できます。北村退場~奈津復活にタイムラグが生じますが渡辺サン曰く「ほっしゃんの後継者不在」が事実だったとしても北村存命は晩年編の前半が限界(モデルとなった人物もこの時期には他界していたらしいですし)な気がします。北村不在ゆえに第24週での糸子の孤独感は際立ちましたし写真に毒づく言動が第25週の奈津にそのまま繋がりますね。「糸子と昔馴染み」等、口に出すのは奈津の性格からして余程の事。

投稿: 巨炎 | 2012年7月22日 (日) 17時30分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

またまたじっくり内容を吟味してからあらためて返信したいと存じます。
毎度お待たせして、申し訳ないです…bearing

投稿: リウ | 2012年7月23日 (月) 08時20分

巨炎様
大変返信が遅れてしまいました。 お詫び申し上げます。

それにしても巨炎様、コメント欄までじっくりお読みになっているご様子、頭が下がります。

私も 「カーネーション」 の見えざる手から徐々に解き放たれて、自分の文章に 「主語を省略すな、ワケ分からんわ」「糸子は誰にしゃべってんねん?」 と突っ込んでいる状況です(笑)。

このドラマの大きな特徴のひとつに、「死んだ者と一緒にいる」「ご先祖様が見ている」 という感覚が、絶えず付きまとっていたことが挙げられる、と感じます。

善作や糸子のように可視化して出てこないまでも、必ず遺影は、この世にとどまっている者たちを、優しく(時には怒ったようにも見えてましたね)見つめている。

そしててっきり、糸子以外は全滅したかと思われていた(笑)夏木編で再登場した、奈津。

私は奈津の生涯を今にしてトータルで振り返ってみて、まあこの人は架空の人物だったですけど、なんだか渡辺あやサンが 「もうひとりの糸子」 として設定していたような気がしてなりません。

あくまで奈津は、糸子のネガティヴ人生編。

まるで双子の姉妹が、ひとりはさえない呉服屋に生まれてミシンと出会い自分の道を見つけていき、ひとりは裕福な料亭に生まれて蝶よ花よと育てられ、いったん幸せになったかと思われたけれども、最後は要介護となって、もうひとりの自分の人生が朝ドラになっているのを見る。

そしてそのとき、おそらくもうひとりの自分(糸子)も、晩年はあれほど周囲がにぎやかだったにもかかわらず、その心のなかに自分と同じような孤独を抱えていたことを、知るのです。

いずれにしても、死ぬときはみんな一緒。

先に逝ってしまった人たちのなかに、還っていくのです。

今、「サマーレスキュー」 でのオノマチサンの演技を見ながら、「カーネーション」 でのアクの強すぎる演技が、抜けきらないのかな、などと感じています。 

「カーネーション」 ではコテコテの関西の話だったからすっかり溶け込んでましたけど、これが現代になってしまうと、少々くどく思えてしまうのかな。 「外事」 でも 「Mother」 でもそんなことはなかったから、おそらく 「小原糸子」 が抜け切れていないのだ、と思うのです。

投稿: リウ | 2012年7月25日 (水) 09時17分

>「もうひとりの糸子」
これ晩年編を観直してみると納得です。
二人の老いを対比させているのが解ります。

奈津が一目で奈津と解ったのは江波サンが彼女の気位の高さを表現してくれていた以外に白粉がありました。これは父の薫陶(第2週でスキンケアの指示を受けていた事を語っている)の深さを意味していてますが、それはあくまで外面に留まり彼女は若い頃の延長として老いに至っている。

対して糸子。晩年編開始直後に優子と電話している場面で黒地の服を着た糸子と形見のミシンを並べて映している!父と何度もぶつかった糸子はその影響が内面にまで及んでおり、歳月を経て成熟した形になってきている。
これで骨折直前に暴走族に怯えるシーンを入れたのも納得。B29に吼えていた頃の生来のパワーはそこまで衰えていた。その糸子が自分の限界に直面しながら即座に立ち上がれたのは、やはり善作が内面から支えてくれたから(里香との関りは副次的要素)。

オノマチ糸子の延長を見たがる視聴者の幻想を最初から叩き壊す気、満々だったわけですねー。並の朝ドラなら糸子が鏡を見ながら「ウチは年をとって益々、お父ちゃんに似てきたような気がします」と呟くシーンを入れるでしょうに(笑。

しかし夏木サンの関西弁って実際にどうなんでしょう?内面の機微を理解しない人が曲解しているのか本当に下手なのか私はそちら方面に疎いので判断がつきません。ここは一つ、彼女に別のキャラである関西のお婆ちゃんを演じてもらわないと…。

投稿: 巨炎 | 2013年12月23日 (月) 12時48分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

探しゃ探しただけ出てくる 「カーネーション」 の重厚な演出(笑)。 ああこの記事、ちょうど2年前やん…。 いま頭の部分だけ読み返して、泣けましたよ、何なんだよコレ(笑)。

最近のドラマじゃこんなに簡単に泣けないっての(「八重」 は泣けたけど…巨炎様には申し訳ないですが…笑)。

話が重層的すぎるんですよ、コレ。

東京より大阪にぐっと近い徳島県の巨炎様でも、夏木サンの大阪弁がいいかどうか分かりませんか?(笑) そらそうか(笑)。 東京住まいの私には余計に分かりません(笑)。

ただ、夏木サンはセリフを覚える際に、音楽を覚えるみたいにして覚えた、とどこかで語っていらした覚えがあります。 ところどころ私にも違和感のある岸和田弁はあったような気もいたしますが、でもこれも、岸和田から出たことがなかった糸子が晩年には各地(?)を飛び回っていたのでしょうから、ちょっと生粋から離れてもいいような気は、するんですよね。

投稿: リウ | 2013年12月24日 (火) 12時12分

>糸子が晩年には各地を飛び回っていたから、
>ちょっと生粋から離れてもいいような気はする
そういえば昔気質のお婆ちゃんとかドラマや映画では
一概に規定してしまいがちですが実際には違いますね。
だからこそ余計に糸子は岸和田に拘ったかも。

第1回のだんじりに小原家内部の小物が揺れるカットがありますが、この演出が再度、用いられたのは三姉妹編の最初と晩年編の最後のだんじりのみ。三姉妹編の時には戦後10年で戦前のパワーが取り戻せた事、日本人の美徳である「勤勉」「根性」の賜物的でしたが、欧米合理精神を取り入れ物質的豊かさを追い求める内に、その精神が失われてしまった。晩年編はだんじりが終った岸和田をだんじりを忘れた里香が歩く所から。

糸子自身も時代の渦中にある時には気付かなかった。引退を考えた時の「引き手は替わっても、だんじりは続いていく」は一見、名言ですが一番大切なのはだんじりに込められた精神という事を失念している。
しかし自分の思惑を超えて全国進出に動き出した優子に東京行きを誘われた時に(北村に一応、返答していますが)何かが引っかかった。それは優子の父性軽視の象徴になった里香や戦争を知らない浮ついたアホボン達との関りを経て次第に形になっていく。

糸子は父の愛した戦前の精神を守りたかった。
ただ若い世代に受け入れてもらうためには彼らの感性も理解して、それに見合うように形を変える必要がある。それがサロンであり着物リフォーム会だった訳ですね。

投稿: 巨炎 | 2013年12月24日 (火) 16時16分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。 年末の多忙で、返信が遅れました…って、この項、2年前のほかのかたへの返信にも書いとりました(笑)。 ちょうど暮れの記事でしたから。 毎年同じなんですなァ(去年は入院してましたけどね…笑)。

結局このドラマの底流には、「受け継がれていく心」 というものがあったような気はするんですよ。

糸子がいなくなっただんじり祭りで、また例年のように集まる糸子の次の世代たちの中を、糸子の亡霊が楽しそうに徘徊するというシーンが、やはり忘れられません。

人が死んでも、心は残る。

けれども、心のありようは、時代の流れに押されるようにして、変わっていく。

おそらく糸子の幽霊も、そのうちに 「ここはうちのいる場所やない」 ということに気付いて、霊界へと戻っていく時が来るでしょう(オカルトチックな話ですね…笑)。

でもこのドラマには、この世とあの世との関係まで見据えたスタンスまで感じる。 また現世においても、その時代だけではない、未来までを見通そうとするスタンスを感じる。

ここが並のドラマではない所以です。

ただ、録画が残ってないので、巨炎様のように細か~い考察が出来ないのが残念です(笑)。

投稿: リウ | 2013年12月29日 (日) 04時45分

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