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2011年12月30日 (金)

「カレ、夫、男友達」 第8回(最終回) 「愛」 という言葉の魔法

 毎回毎回見ていて退屈で、イライラしっぱなしだったこのドラマ。
 けれども見続けてしまったのは、話の盛り上げ方がうまかったせいだと感じます。
 緩急つきすぎてましたけどね。
 ホントに盛り上がる部分以外は退屈だったんですよ。
 どうして見ちゃったのかな。
 前回のレビューでは、登場人物があまりにもイライラさせてくれるせいだ、とワケのわからん解読をしたのですが(笑)。

 で、そのイライラドラマも最終回。

 前回無理心中を遂げたユースケ・サンタマリアサンと木村多江サンご夫婦。

 結局ふたりとも助かったのですが。

 その事後処理の仕方は実に後腐れのない方法でして。

 どうやら妻の木村多江サンが自発的に行なった行為ではない、ということで相手方の家族にも刑法的にも木村サンにはおとがめなしの状況に落ち着きまして。

 そして当のユースケ・サンタマリアサンは、このことで記憶を喪失。
 木村サンのことも忘れて家族に引き取られる、という実に平和な(言い方に問題がありますが)プラマイゼロの決着を見たわけであります。

 ただまあ、木村サンのほうにとっては拭い難い傷となったのですが。
 それは後述するとして。

 …どお~も醒めたような書きかたで恐縮でございます(爆)。

 それでは気を取り直して、行ってみよう!(いかりやダァ~)(無理に盛り上げよーとしとる…)。

 「疲れちゃって、どうでもよくなっちゃったの…」

 意識が戻った姉の木村多江サンに、妹の真木よう子サンは涙で訴えます。

 「そんなこと言わないでよ…!

 自分の命なんだよ!

 どうでもよくなんかないよ全然…!

 あさちゃんの命は、ママやパパや、いくちゃんや、あたしにとっても大切な命なんだよ…!

 …どうでもよくなんかないよ全然…」

 自分ひとりで生きてるなんて考えないほうがいいですよ。 前回のレビューでもひとしきり怒りましたけどね。 死にたくなったら、他人のことを考えるべきです。 自分のことだけ考えるから死にたくなる。 周囲の悲しみ、周囲への迷惑。 考えなきゃいかんですよ。
 まあ考えないから電車に飛び込んだりして何万人の人々に対して迷惑をかけたりするんでしょうけど。 そうまでして自分の存在を誇示したいのか。 アホか。 どこまでバカなんだ。 迷惑かけんな。 自分が電車の運転手だったらどんなにショックだか考えろってんだよ。

 あ~しかし、止まらなくなりますな、毎度毎度。

 このドラマにしたって、家族のひとりが自殺しようとした、ということについて、ちょっと予定調和しすぎだと思いますよ。 家族全員がそのことで、どれだけ心に重たいものを背負ってしまうか。

 しかし作り手の興味は自殺をめぐる問題ではなく、それでも記憶を失くした元DV夫を愛し続ける木村多江サンの心理にあるようです。
 意識を取り戻したユースケサンを家族にも黙って介護し続けていた木村多江サン。

 あ~どうしてこう未練がましいのか。 イライラ。

 けれども本人にとってみると、まるで子供に返ってしまった夫の世話をするのは、自分の意に沿っている。
 「これは愛ではない。 飢餓だ」 などと自己分析をかつてしていた木村サンですが、飢餓というよりこれは、自分の欠落した部分をそれで埋めている作業のような気がするんですよ。

 平たく言えば相互依存の状態、ということなのでしょうが、結局その根底には、「この人が好き」 という意識が存在している。
 もともとDVなんて結婚前はしなかったんでしょうから、木村サンはユースケサンに恋していたはずです。
 そしてその感情は、夫から暴力を受けることによって、それが愛されていることだ、というすり替えを心のなかでしてしまう。 フツーこんなことされたら相手に対して怒るもんですが。 彼女の場合、相手への怒りよりも、自分のなかにある納得できない感情を、自分の都合のいいように解釈することで無理に納得させちゃっている。

 そして結局向こうの家族に引き取られていくユースケサンを見送りながら、彼女は号泣するわけです。 その場には木村サンの家族が勢ぞろいしているにもかかわらず、ですよ。 普通家族のいる前でこれほど身も世もなく泣けないでしょう。 つまり彼女は、入り込んじゃってるんですよ、自分と夫との異常な疑似恋愛のなかに。 入り込んじゃってるからあたり憚らず号泣できたりする。

 それは自分のなかに存在していた、もうひとりの欠落した自分との決別である、そんな意味を持っていると思うのですが、自分に入り込んでしまう、という行動のカギとなっているのが、「この人を愛している」、という概念だ、と思うんですよ。

 それってはたから見ると、けっして愛じゃない。
 木村サンもこれは愛ではない、と認識している。
 けれどもドラマを見ていると、作り手の言いたいことって、「愛の水中花」 じゃないけど 「これも愛、あれも愛、たぶん愛、きっと愛」、なんですな。 これも愛のひとつの形なんだ、と。

 でもこれって、言ってみれば、「愛してる」 という言葉の持つ言霊のような気がする。

 「愛してる」 という言葉は、限りなくロマンチックです。
 人は愛することにあこがれ、愛している状態にいる人を見ると羨ましいと思い、「あの人が好きだ」 という感情を成就させようと苦しむ。
 愛情っていうのは実に意地悪なもので、相手とのその形がぴったり合致することってかなり稀なような気がします。 その、もともと合致しそうもないものを合致させようとして、自分をごまかしたり相手を服従させようとしたりへつらったり、まあいろいろと意に沿わぬこともする破目になるんですが。 その自分の行動を、あんまり否定しようとはしませんよね。 自分がみじめになるから。

 そんな自己欺瞞をさせてしまう魔力が、「愛してる」 という言葉には隠されている、と思うんですよ。

 あ~ややこしい、ワケの分かったような分かんないようなことを書いてるな~(笑)。

 これは彼女たちの母親、高畑淳子サンにも言えることで。
 彼女は夫だった長塚京三サンの裏切りにあって相当カリカリきてるはずなんですが、「映画の二本立てみたいな人生もいいじゃない」 と長塚サンを許している。
 でも結局長塚サンの浮気相手が妊娠すれば嫉妬の炎を隠すことが出来ず、苦しんどるわけですよ。
 これも高畑サンが、「こんな愛の形があってもいい」 などと愛の名を借りて自分を無理に納得するから起こる現象で。

 その嫉妬は、長塚サンの新しい妻の出産でピークに達します。
 そわそわする自分の元夫の手をさすったりして元夫をサポートしていたつもりだった高畑サンは、赤ちゃんが生まれた瞬間、自分のその手をすりぬけて病室へと去っていく夫の姿に、自分の嫉妬の形そのものを見たのでしょう、「見に行こう」 と促す娘の真木サンに、こわばった顔で 「おめでとうと言っといて」 とその場を立ち去ります。

 しかしその出産した新しい奥さんに呼び戻されて赤ん坊を抱いた瞬間、いろんな思いが去来して、高畑サンはぽろぽろ涙を流してしまいます。

 この心理分析(笑)。

 高畑サンは嫉妬している自分のせせこましさに自分で辟易している。
 そして長塚サンの選んだ新しい奥さんが見せる正直さと、それを乗り越えて元の家族とも打ち解けようとする気持ちの強さにもどこかで嫉妬していた自分に気付く。
 それなのに、この産まれたばかりの赤ちゃん。
 純粋無垢で、そんなドロドロとしたものなどまったく無縁でこの世に生まれ落ちてきた。 なんていじらしいんだろう。 羨ましいほどに。
 その赤ちゃんを拒絶するよりも、新しい家族が増えた、という心境になることを、ここにいる誰もが扉を開いて待っていてくれている。 その有り難さ。
 そんなとこでしょうか。

 そこから見えるのは、やはり作り手の 「これも愛の形」、という姿勢なのです。
 高畑サンは以前は、もの分かりがいいようなスタンスで、これと同じ考えでいたのですが、実は心の底からそう思えるようになるには、やはり心の壁を、ひとつ乗り越える必要があるのだ、という論理です。

 しかしこの複雑な感情を演じ切れる高畑淳子サン。
 さすがだ。
 かなり信頼が置ける役者サンに成長いたしましたね(上から目線だ…)。 あの嫉妬にこわばった表情とか、赤ちゃんを抱いた時の複雑な涙とか。

 そして父親の長塚京三サン。

 オトコの私から見てこの人の生きかたにはとても異議があるのですが(爆)、娘の夏帆チャンを孕ませたのがインテリホームレスの森本レオサンだと勘違いして殴りかかったり、父親として不器用なところも見せるけれども、結局三浦友和サンの息子とできちゃった婚をしてしまった花嫁の夏帆チャンに 「今までお父さんにつらく当たってゴメン。 甘えてたんだね」 などと言われて抱きつかれ、こちらは家族が見ている前だから泣くに泣けない、という父親を演じていました(長い文章だ)。
 この時のなんとも複雑な表情。
 実にこれを演じ切れるのも長塚サンならでは、であります。

 で、夏帆チャンはかようにいちばん屈折した役どころながらいちばんすっきりとしたエンディングを迎えることと相成りまして。

 肝心の主人公、真木よう子サンですが。

 くまちゃんと別れたあとの空虚感は、個人的に実に共感できることの繰り返しで(笑)。

 恋人と一緒に行った場所がすべて、切ない思い出となって自分を更に痛めつけてくるんですよ。 この感触。 や~なもの思い出しちゃったよ(爆)。 死にたくなりますな。 …まったくさっきまで人のメーワク考えろとか言っといて何だ(ハハ…)。 ビートルズの 「ヤー・ブルース」(ジョン・レノン作)は失恋時期には絶対聞いてはならない曲でして(カンケーない話に行きつつあるぞ…)。 「さびしい、死にたい、なぜなのか分かるだろう」、ですからね(笑)。 死にたい、という気持ちは、さっきまで健全な精神状態だったのにいきなり場面を暗転させる言霊の威力にあふれておるのです。 だからこそその呪文の言葉に気をつけなければならん、と思うのです。

 その真木サンですが、戦場カメラマンの、わーたーべ、よーおいち…じゃなかった(そういやあの人の噂を最近聞かない…)くまちゃんが戦場から寄こした未練たっぷりのメールに、号泣しながら 「もう付きまとわないで。 未練がましい男はダイッキライ」 などという事実に反する内容の返信を送りつけます。

 あ~もう、素直じゃないんだから。 イライラ。

 けれども夏帆チャンの結婚式のあと。
 長塚サンからその知らせをもらっていたくまちゃんは、一足遅れでその帰り道の真木サンと、ばったり会うのです。

 そして30メートルくらい離れた場所から、「あんなメールは信じない、ハルコ(真木サン)に直接会って口で言ってくれなきゃ」 みたいなことを言って、真木サンの心を揺さぶるのです。

 真木サンは 「もう付きまとわないで…未練がましい男は…ダイッキライ…」 と嗚咽しながら弱々しく答えるのですが。

 「ダイッキライ! もう二度と、顔なんか見たくなかった…! 死んじゃえばいい…!」

 「大好き! 会いたくてしょうがなかったの! 戦場なんかで絶対に死んでほしくなかった!」、という言葉の、完全なる裏返しですよね。

 しかしくまちゃんは、「ハルコがどんなにオレのことが嫌いでも、オレは一生ハルコのことがキライにならない!」 とクサイことを世界の中心で叫ぶ(笑)。

 「バカ…くまちゃんのバカ…」

 くまちゃんに駆け寄り、抱きつく真木サン。

 このシーン、とてもクサくて(笑)こんな、だーれもいないようなとこだからいいけど、屋外でこーゆー恥ずかしいことをすんなっと言いたくなるシチュエーションでしたが(爆)、

 …
 ドラマだからこーゆーのが許されるんですよネ(笑)。

 いいなあ。 だからドラマって好きなんだよ。

 クソッ、あんなにイライラさせといて、最後はスンゲーすっきりしたぞ(爆)。

 いずれにしても 「恋愛って…」 という作り手のスタンスが終始付きまとっていたようなこのドラマ。

 結局してやられた!という感想に落ち着いてしまいました。
 まあ、木村多江サンのその後は、ちょっとあんまり解決してないような感じでしたが。

 まいっか。 ゴスペル調の主題歌もよかったです。 ユースケサンはこういうシリアスなのもできるんだという認識を新たにしました。 ユースケサンなので受け狙いなのかな、と初めは思ってたんですけどね。 快感マヨビームとか(一平ちゃん夜店の焼そばか)。

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BOOKS

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

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  • ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白

    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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