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2011年12月 3日 (土)

「カーネーション」 第9週 ええ時に調子に乗り、つらい時にくじける、ということ

 はじめに
 こねくり回しているあいだに、少々分かりにくい文章になってしまいました。 読者の皆様にはあらかじめ、お詫び申し上げます。






 昭和12年(1937年)。

 長女の優子を背負った糸子(尾野真千子サン)は、沈鬱な顔をした勘助(尾上寛之サン)に出会います。

 聞けば、赤紙が来た、とのこと。

 つまり支那事変で揺れる大陸に兵隊として行かなければならなくなったらしい。

 昭和12年、という時代背景を考えると、これはかなり早い徴集のように思えます。
 勘助の友人である平吉(久野雅弘サン)がまだでしたので、正直なところ当時の感覚から言えば比較的名誉なことのように思えるのですが、昔からヘタレ(意気地なし)でノ~ンビリとした性格だった彼は、これをよしとしません。

 糸子との会話の中で、糸子の父善作(小林薫サン)も先の戦争(日露、とか言うてましたなあ)に徴兵されたが無事に帰ってきたこと、しかしそのいっぽう勘助の父親は戦地で赤痢で亡くなった、ということが判明します。 勘助が兵役を忌避する遠因は、ここにあるのかもしれない。
 蛇足ですが、勘助の兄、泰蔵(須賀貴匡サン)が父親代わりで安岡家を牽引してきた事情も、父親の戦病死にあったんですな。

 この兄弟の母、安岡玉枝(濱田マリサン)は、兄の泰蔵がしっかりしているがゆえに、勘助のそののんびりとした性格を直そうとせず、結構猫かわいがりで育ててきたんじゃないのかなー。
 そんな玉枝もまた、沈鬱な勘助と同様、この名誉を喜んでいない様子であります。

 浮かない顔の勘助に、善作は 「弾なんか当たらん当たらんそんなもん」 と一笑に付し、履物屋の木岡(上杉祥三サン)は 「そんなたいそうなところで戦ってんのは一握りの兵隊や」 とばかり、勘助を励まします。

 戦局がいよいよ、という場面ではない昭和12年当時の庶民の意識など、この程度なのです。 どうせドンパチなんか遠い場所での話。

 出征していく勘助を見送る人々も、玉枝と平吉を除いてみなのんびりとしたもの。
 勘助は、善作のズッコケ気味の万歳につられて自分も万歳をしてしまい、「君はやらんでええんや!」 と軍服姿の男にたしなめられ、大笑いされるのです。

 しかしその場にいた平吉はいたたまれず、糸子に 「哀れで見てられんわ」 と言い残して、帰ろうとします。

 「なんでそんなことゆうんよ?! せっかくの、めでたい出征の日ぃやゆうのに」
 とキツイ調子で平吉に言う糸子。

 しかし、勘助ののんびりとしたヘタレの性格を知り尽くしている平吉だけが、勘助の心の奥を理解している。
 糸子は 「男が生死も分からぬ命がけの場所に行くのにきちんと見送ってやらんでどうする」 という立場である。
 ただこの時点で糸子は、まわりが言うようにこのことをめでたい、という意識くらいでしかとらえていない。

 これがもっと戦局が逼迫した太平洋戦争突入後だったら、平吉の態度はとてもじゃないけど許されたものではなかったでしょう。






 「(いっぽうそんななか、うちは…

 ごっつい調子に乗ってました)」。

 勘助が戦場に送られ、時代が暗くなっていくのと対照的に、糸子の営むオハラ洋装店は、この糸子のナレーション通り、活況を呈していきます。

 そのなかで、たとえ利益率は低いけれどもそこそこ儲かっている(と思われる)糸子が取る態度というものが、個人的には今週、どうにも引っかかって仕方なかった。

 これは、作り手がわざとそうしているのか、それともなんの意図もないのか。

 そこを見る側がどうとらえるかで、このドラマの評価もガラッと変わってしまう。

 もし作り手がわざとそうしている、というのであれば、このドラマは主人公が反感を買うことをあえて恐れない、「あること」 を訴えようとしているように、私には思えてならないのです。

 その 「あること」 とは何か。






 勘助からのキッタナイ字の手紙が戦地から届いたのは、それから2月後。
 糸子は検閲のために墨で黒く塗られた個所に、過敏に反応します。

 「ほんまあの墨許せん…」

 人の気持ちを塗り潰す、胸くそ悪い墨が、自分たちの生活も、そのうちに黒く塗りつぶし始める。

 糸子のこのナレーションは、時代の閉塞感を言い表わしていて妙、でした。

 糸子がこの支那事変に対して抱く気持ちは、「政府がのぼせ上っている」、「お国の勝利のために贅沢すな、節約せい、余ったもんは軍に回す」 というとらえ方で一貫している。
 話はさらに飛び、昭和14年(1939年)、綿製品に対する規制やさらなる節制がかかってくると、自分の商売にも関わってくるため、糸子の舌鋒はさらに厳しくなっていきます。

 特に食べ物の規制には腹を立て、「国民から栗饅頭まで取り上げるようなみみっちいことで、日本はほんまに戦争なんか勝てるんか? 栗饅頭くらい好きなだけ食わせろっちゅうんや。 その程度の度量ものうてなにが大東亜共栄圏の盟主じゃ。 アホらしい。 国民絞りあげることばっっかり考えよってからに。 ええ加減にせいっちゅうんじゃ!」。

 ここは 「食べ物の恨みは恐ろしい」 と、軽く笑い流して見るのが適当な部分であります。
 しかしそう見ない人も多いんだろうな、という点で、この部分は作り手の度胸のほどをうかがうことのできる場面、でもあるのです。

 「みんなが我慢してるのに、我慢が出来ないなど、何事か」。
 先の糸子の不謹慎な物言いは、一部の人々にはそう受け取られる種類のものでありましょう。
 しかし、我慢しなければ戦えないくらい余裕がない状態で戦おう、ということ自体が、愚かしいことなんじゃないのか。

 この糸子の怒りの底辺には、神戸の貞子おばあちゃん(十朱幸代サン)の考えが深く絡んでいる、と個人的には思います。

 ふたりめの子供を出産する糸子のつわりはことのほかひどく、糸子は結局神戸に身を寄せます。
 その際、息子の正一(田中隆三サン)から、「うちの紡績工場も軍服を作らにゃたちゆかん」 と相談を受けていた貞子が、「仕方ない」 という夫の清三郎(宝田明サン)に反発しているところを、糸子は立ち聞きしてしまうのです。

 「私は嫌や…!

 なんでや?

 なんで松坂紡績が、軍服なんか作らなあかんのや?

 そんなことしたら、おじい様、お父様の申し訳が立てへん。
 『しょうもないことしよって』 ゆうてお墓の中でお泣きになるわっ。

 (「これが時局というものだ」 という清三郎を制して)あなたは養子やから、そんな簡単なこと言えるんですっ!(泣く)

 (泣きじゃくりながら)軍服なんか嫌いや!

 あんなカメムシみたいなブッサイクなもん、うちの会社は死んでも作りませんっ!」

 このセリフで清三郎が、糸子の夫勝(駿河太郎サン)と同じく、婿養子だったことが判明したのですが、それはともかく、貞子が洗練されたおしゃれに対してひとかたならぬポリシーを有していたことが、ここであらためて分かるのです。

 「人が生きていくうえで、おしゃれもしなくなったらおしまいだ」。
 そんなポリシーです。

 貞子が生きてきた時代。

 江戸時代のそれまでの価値観が崩壊し、いいものをどんどん取り込もうとした進取の気風が、貞子の明治女としての(もしかして慶応以前かも?)ポリシーを形成している。
 おそらく貞子の父親も、祖父も、その明治維新の新しい風に吹かれまくって時代を生き抜いたのでしょう。
 そしてその気風は、間違いなく糸子に、引き継がれている。

 だから貞子にとっては上から押し着せられるようなセンスのない軍服に対して、異常なほどの嫌悪感をむき出しにしたくなる。
 それと同じように、糸子にとっても、上から押し付けられる窮屈な思想ほど、ムカつくものはないのです。

 まあ軍服がセンス悪いかどうかは置いときますが、民衆に我慢を強いといて、どうやってのびのびと戦うことが出来るのだ、満足なものも食わせないで、どうやって戦うというのだ、という糸子の理論には、一理あります。

 「そやかて思われへんか?
 うちらは戦争なんて始めてもらわんかてじゅううーぶん機嫌よう暮らしちゃあたんや!」

 しかしいっぽうで。

 そんな、お国に対して文句を言っていた糸子も、縫い子のひとりで経営に口出ししてくる昌子(玄覺悠子サン)の 「こんな薄利多売じゃやっとられません」 という意見に、「今はええんじゃそんで! 今はその…うん…あれじょ…あの…お国の非常時やろ? そんな、店のもうけやら、そんな細かいこというてたらいかんねん!」 とごまかす始末。

 ここで自分の 「戦争なんか頼みもしないのにすな」 という自分の主張を曲げてまで、薄利多売を主張する糸子。

 今週私が個人的に引っかかった糸子の行状のまず第一が、これであります。

 糸子はこのスッ飛びまくる話の中で、次女の直子を出産するのですが、それらの過程の中でまず、彼女の頭の中は仕事だらけ。

 しかも、子供のことをほっぽりっぱなしのうえに、洋装店の経営のほうは採算度外視の傾向が強い。

 縫い子たちはオハラ洋装店に泊まり込みの状態で、経営者として糸子は縫い子たちにひもじい思いだけはさせていない、と自負しているのですが、そもそも採算度外視の点で、縫い子たちにじゅうぶんな給金が支払われているか?と考えると、どうにも疑問符が付く。
 「働きに働いてるわりには…」 という意識が縫い子たちにないとは言えない、と思うのです。

 そして縫い子たちのキャパシティもまた度外視され、大口の注文を独断で決めてくる糸子。
 結局自分がその穴埋めをせんと馬車馬のように働き続けるわけですが、ここでますますないがしろになっていくのが、ふたりの幼な児。

 ここで第二の、私が引っかかった糸子の行動。

 長女の優子を善作に預けていたのに続いて、直子も乳飲み子の段階でどこかに預けようと、糸子は四苦八苦する。
 しかし直子のぐずりぶりはハンパではなく、どこも引き取り手がない。
 結局夫の勝の実家に、直子は年末の数日間、預けられることになります。
 ここの描写が特に今週のキモとなった部分でありましょう。

 それまでどんなところに預けていても、夜にはちゃんと返してもらっていた直子がいないことで、糸子も勝も、仕事が手につかなくなります。

 直子が預けられている勝の実家、というのは、勝によれば 「馬場の山奥でそんなに簡単には迎えに行けない場所」。
 別れ際にまた激しく泣きだした直子の声が耳から離れず、ようやく自分がどれだけ子供をないがしろにしているのかを、糸子が悟ったかな、と私は考えていたのですが。

 直子を預けて3日目の夜。

 とうとう勝が痺れを切らし、真夜中に直子の預けられている実家へ向かおうとします。
 糸子は自分もいてもたってもいられず、それに同行する。

 年末の凍える吹雪のなか、ふたりはランタンを手にしたまま、馬場の山奥を歩いていきます。

 やっとのこと辿り着いた勝の実家。

 「直子、直子…」

 糸子はたまらず玄関に駆け寄ります。

 ドンドンドンドン。 「お~い!」。

 勝がかなりうるさく玄関の戸を叩く。

 糸子は玄関先に置いてあった笠がボロボロになっているのを見る。
 「な、これ、直子が…?」

 玄関の灯がつきます。

 出てきた勝の実家のあるじ、弟の亘(わたる)。

 しかし、その顔にはひどく大きな赤いあざが。
 「(もしや直子が…)」 と凍りつく勝と糸子。

 それでも目いっぱい愛想良く、「ちょっとな、直子の顔、見に来たんや…」 と話す勝。

 亘はまるで今入ったらまずい、とでも言うように玄関から外に出てきて、後ろの戸を閉めます。

 「今ちょうど寝付いたとこや…」。 まるで機械のように冷たく話す亘。

 「ほなちょっと顔だけでも…」

 亘は兄の勝を制します。

 「あ、いや…ようやっと直ちゃんも慣れてきたとこや。 万が一にも目ぇさまして、親の顔なんか見てしもうたら、もとの黙阿弥で、また手ぇつけられへんようになら…。

 すまんけど今日は、このまま帰ってくれ」

 ふたりはなにも言えず、そのまま家を後にします。

 この場面。

 なにより確実なのは、極度のきかんぼうである直子が、亘の顔をひっかいたか思い切りたたいたか何かをぶつけたか、したということです。
 そしてもしかすると、弟たちはそんな直子に対して、大人しくさせるために虐待でもしたのか、と勘繰ることもできるようなシーンです。

 しかし物語は、この直後悲痛な展開を見せる。

 吹雪のなか、とぼとぼと帰路につくふたり。

 自分の足が滑って転んだのをかばおうと振り返った勝が、泣いていることに、糸子は気づくのです。

 「(この万年上機嫌の人が、泣いてます…。

 …人の親になるっちゅうんは、

 なんや、

 どっか哀れなことなんやなあ…)」

 この糸子のモノローグ。

 違う、違うぞ、と私は思いました。

 哀れなんじゃない。

 よく考えてみてください。

 自分よりよく出来たと思われる弟に川本のあるじの座を譲って、小原家の婿になった勝。
 長男がここまでするのには、きっと彼なりの深い葛藤があったはずなのです。
 なのに、婿に来た小原家では、時勢ということもあるが、洋装店での紳士服の注文もパッとせず、一方的に忙しい糸子の手伝いも嫌がることなく引き受けてきた。

 つまりダブルで屈辱を受けている、と言ってもいい。

 そんななか、自分の娘である直子をもとの実家に預ける、という決断に至ったのも、勝とっては実に、本意ではなかった、と言っていいのではないでしょうか。

 そんな、あまりにもままならないことの連続に、きかんぼうの娘をどうすることもできない父親としての心の痛み。

 これは少々穿った見方をすれば、このとき流した勝の涙は、仕事一辺倒の糸子に対する、抗議の涙のようにも考えられる。

 でもそもそも、糸子が 「自分は仕事一辺倒だけどそんなんでもええか?」 と訊いてきたことに対して自分が 「ええよ」 と言った手前もあるから、そのことに対して文句が言えない。
 そんな涙なんだ、と思うんですよ、勝の涙は。

 このドラマ、主人公の糸子が、ナレーションを務めています。

 で、ナレーションっていうのは基本的に、「間違いなどない」。

 しかしですよ。

 この場面での糸子の 「人の親になるというのは哀れなことなんやなあ…」 というナレーションは、一面では当たっているかもしれないけれども、勝の哀しみをすっかり解説しているものでは、けっしてないのです。

 これを作り手が、わざとしているとすれば、これは 「ナレーションが間違っている」 という、ドラマの手法としては画期的なことを作り手はやろうとしている、と私は思うのです(どうも分かりにくい論理でスミマセン)。

 翌朝、どことなく不機嫌な顔で朝食を食べる勝。

 涙の痕が、霜焼けになっています。

 それを指摘されると、「なんでやろな?」 とあくまで軟らかく答える勝。
 糸子にはその理由が分かっています。

 「(あんた、ダラダラ涙流しとったからや)」

 至らない認識の上に繰り返される糸子のナレーション。
 糸子は夫の本当の哀しみに、気付いていません(と、私は受けとりました)。

 そして縫い子たちの手を必要以上に借りることなく、糸子は年末までにその仕事を完遂、夫と共に直子を迎えに行きます。

 この親子再会のシーン。

 確か亘の奥さんだったと思うのですが、彼女に抱っこされた直子は、まるで泣き疲れたような顔をして、ぼーっとしています。 心なしか、顔に傷があったような気もするのですが、髪の毛かな。

 「直ちゃん…直子、…直子…!」

 糸子は駆け寄り、直子を抱いていた亘の奥さんごと、抱きしめます。

 画面の手前にはその奥さんの息子と思われる少年がふたり、極めて厳しい顔をしながら川辺の石を移動させたりしている。 この様子からして、このふたりの息子たちは、直子に相当頭に来ているように思われる。

 糸子は亘の奥さんから無言のまま直子を返してもらって、あらためて思い切り抱きしめる。
 そのとき糸子は、「わしにも代わってくれ」 と懇願する勝の言うことを聞きません。
 勝は仕方なく、糸子ごと娘を抱きしめる。

 まずはお礼をゆわなならんのやないやろか、と私は思いました。
 その亘の奥さん(と思われる人)にです。

 確かに糸子は、亘の奥さんにも申し訳なかった、というように、最初直子ごと、抱きしめています。
 けれども、散々手間をかけたと思われる 「怪獣クラス」 の直子を預かってもらったら、まずはお礼でしょう。

 この場面、作り手特有のはしょりの方法のひとつ、つまり省いといて 「あとはそっちで想像して」 という手法なのかもしれません。
 でもまあ、個人的な見解ですけど、私はここの場面、「糸子が何かを忘れている」、という象徴のように取りました。

 その何か、とは。





 勘助が戦場から帰ってくる話に、物語はシフトします。
 戦場から帰ってきた勘助は、完全なるフヌケの状態。
 ヘタレでぼんやりとしたのーんびり人間が戦場に行くとこうなる、という見本のような感じです。
 ちっとも顔を見せない勘助に苛立って、安岡の店までやって来た糸子。
 八重子(田丸麻紀サン)も玉枝も、いたたまれないような顔をしています。

 そのふたりの様子にただならぬものを感じたのか、勘助の部屋に入ろうとする糸子は、ちょっと躊躇します。

 「久しぶりやなあ…」

 力なくあいさつする勘助。
 面喰らいながら、努めて明るく話しかける糸子。

 「…なんや、手ぇも足もちゃんと付いてるやんか。 あんまり顔見せんさかい、どえらいことになってもうてるか思たわ。

 心配するやろ~!
 顔見せにこんかいアンタぁ!
 うちらがどんだけ楽しみに待っちょった思てんよ?

 …聞いてんか?!」

 糸子の元気さが懐かしかったのか、勘助の目には見る間に涙がたまっていきます。

 「手ぇも足も残ってるけどなあ…。

 …もっと…。

 …なくなったわ…」

 「…なにがや?」

 「………心………」

 だらしなく流れている涙と鼻水。
 勘助は呆けたように、糸子の顔を見るのです。

 降りて来た糸子。
 玉枝と八重子に、力なくあいさつします。

 「…また来るよって…。
 お邪魔しました」

 「うん…」 と玉枝。

 「またなあ…」 と八重子。

 立ち止まる糸子。
 後ろ向きのままです。
 ちょっと、うつむいて、何かをこらえているような様子。
 そしてまた、歩き出します。

 その後糸子は、八重子から、勘助は戦場でよほどのことがあって、心がなくなってしもうたんや、と説明を受けます。

 しかし糸子は、その八重子の言葉に、強く反発するのです。

 「は…?

 なんやそれ。 …なんやソレっ!

 もう戻ってけえへんの? その心っちゅうもんは?」

 苦悩に顔をゆがませる八重子。

 「…戻ってくる…って、信じたいと思てるよ…!

 うちも、お母さんも、泰蔵さんも…!

 …やっと、自分のうちでゆっくり眠れて、…お母さんの作ったご飯食べてるうちに、…また、もとの勘助ちゃんに…」

 泣いてしまう八重子に、糸子はまるで自分に言い聞かせるように、怒ったように叫ぶのです。

 「戻るわ!…ぜったい戻るわ ! !

 こんなん……大げさに考えたらあかん!

 あのヘタレが、戦争なんかに行かされてしもうたさかい、…ちょっと、ぼーとなってしもたんや!

 すぐ戻る…。

 すぐ戻るわ八重子さんっ!」

 実はこの八重子も、安岡髪結ひ店でパーマネントを施していることが時局にそぐわず、やめようかと玉枝に相談するなど、ひとり悩んでいる状態です。 自分の子どもも学校でいじめを受ける。 心ないガキどもが店先をはやして通る。

 しかし玉枝は弱音を吐く八重子に対して、きっぱりとこう言っていた。

 「アホか!

 あんた、まだそんな、甘っちょろいことゆうてんけ?!
 パーマネントやめて、どないしてこの店続けていくんよ?
 また髪結いだけに戻れると思てんのけ?

 …

 …店一軒守るゆうんは、大変なことや。

 大変で当たり前なんや。

 ええ時もあれば、つらい時もある。

 ええ時に調子に乗んのもあかんけど、つらい時にくじけんのもあかんねん!

 …ようおぼえとき」

 …

 実はこの玉枝のセリフが、今週の 「カーネーション」 を見る時の、フィルターとなるのではないか、と私は考えています。

 つまり、今週の糸子は、「ええ時に調子に乗っている」 存在である、と。

 そして勘助や八重子は、「つらい時にくじけている」 存在である、と。

 どっちもアカンのです。 両方とも心を失くしている。 それを作り手は言いたいのではないか。

 糸子が今週ラストで、先ほど書いたように八重子に向かって思い切り反駁したのも、実は自分が仕事ばかりにかまけて道を踏み外しているからなのではないか、心を失くしているのではないか、とどこかで自覚し危惧している証拠なのではないか。

 そう私には思えるのです。

 まあこれって、私だけの思い込みかもしれないんですけどね。

 都合よく、糸子の 「お世話になった奥さんにお礼も言わない」「直子をないがしろにしている」 理由を私なりにこじつけただけの話かもしれません。

 「(うちは、ごっつい調子に乗ってました)」。

 このレビュー冒頭で書いた、糸子の文句です。
 これは今週放送分の序盤で、糸子が実際にモノローグしたセリフです。

 つまり糸子は、自分が調子に乗っていることを、自覚している。
 そして玉枝は、「ええ時に調子に乗るのもあかん」 と、八重子をたしなめている。

 私の買いかぶりがなければ、このふたつのセリフは、連動している。

 そこに今週の、糸子が取った行動の心なさに、ひとつの方程式が、浮かび上がるのではないでしょうか。

 話はすでに、昭和16年(1941年)に突入しています。

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コメント

リウさん。
凄い。凄いです。

ええ時に調子に乗ったらアカン

推測ですが、リウさんも会社を経営してられるのでは?で、多分今週はワタシとは違う感覚でご覧になってるのでは、と思っていました。
でも、糸子が人としてアカンことをも看破されてるとは…

ワタシは母親目線で見ていました。
今までは、糸子の破天荒な性格がスカッとして快哉をあげているばかりでした。善作とのバトルも糸子よりの感情で、このわからずや親父!と憤って。とは言うけれど、善作の裏の顔が(本来は愛情深い)垣間見え表面に表れないものを感じてはいたので、基本善作は愛すべき男になってましたが。
それが糸子が子供を産み母親になった。
すると、糸子の肩をもちたい贔屓したいと思っても、どうも座りが悪くて仕方なかったのです。
でもでもファッションの黎明期の牽引役者はまぁ母親よりも仕事を第一にするのも…うん…ありかな…などと

そんな仕事第一の糸子に猛獣なみのきかんぼうの直子が授かります。
ワタシの長女も直子ほどではないですが、とにかく寝ない子供で起きてる時はまぁ手がかかりました。いちにもににもとにかく寝かしてくれぇと育児ノイローゼ寸前。ご飯を食べさすのがそら大変で、我も強いので言うこときかん。人様に預ければ一時間でも二時間でもなき通し。ほとほと困ったことを思い出しました。
だから仕事の邪魔になる直子に手を焼く姿、ここまでは共感できたのです。
ところが、勝に対してのモノローグを聞いた時に初めて『おいおい。調子乗ってんじゃない?」と思いました。
山道の道行きは映画の一場面のように叙情的で綺麗な画だったから余計に…

仕事人間としてもまだまだ未熟者。でもしっかり者の昌子番頭がサポートしてるので、すっかり好好爺になった善作の変わりに(パワーダウンは否めませんが)喝をいれてくれてるので、そんなに危うさは感じないのですが、こと私生活となると…この調子に乗った糸子がとんでもない失態を犯すのではないか…その先触れとして今週のエピソードがあったように思いました。
いえ、どうもモヤモヤしていた感情をリウさんのレビューで『ハッと』させていただきました。これだったのか!と…

来週の予告を観るかぎり手痛いしっぺ返しがくる予感がいたします。

小篠綾子さんのインタビューを見て率直な感想は『苦手なタイプ』
味方になってくれたら最高、でも一度敵に回したら怖い人
苦手だけど決して嫌いにはならないだろう人

そんな小篠さんがモデルの小原糸子
素材は毒を含む(まるで河豚みたい)
一流の料理人であろう渡辺あやさんがどう料理するか。
河豚が嫌いな人もいるだろう。でもクセになってやめられないほど好物の人もいるだろう。

ワタシはどちらだろうか…
そんなことを思った『いつも思う』でした。

投稿: みち | 2011年12月 3日 (土) 23時37分

リウ様、おはようございます。
感想、拝読させて頂きました。

勘助の出征〜帰還を頭末に、糸子の商売模様と子育て迷走記が描写された今週エピ。
糸子、職人技はトップクラスで商機を読む嗅覚も持ち合わせているものの、如何せん丼勘定の上、行き当りばったりで周囲を振り回している。
縫子頭で番頭格の昌江さんとしては、オハラ洋装の経営にハラハラし通しでしたよね。
事業主であるリウ様としては、思う処多々あった事でしょう。

勝氏の涙、川本家の家長を亘氏に譲り、小原家に婿入りした処から察するに、彼は家長を務めるには柔弱過ぎる面があったのでは?
一旦は、実家に預けたものの、弟に任せ切る覚悟が足りなかった為に、弟に論駁されても言い返せない己が器量不足の無念さ(直子恋しさ)に、涙したと解釈しました。

次週予告で、出征する勝氏の後姿が描かれていましたが、40年前に「カーネーション」が制作されていたら「日本の男はメソメソしないものだ」と、戦中派の視聴者からクレームの嵐だったでしょう。

糸子が川本家に感謝の言葉が無いとの御指摘、ヤフー感想欄でも取り上げられており、賛否両論が展開されていました。
次回予告、怒濤の展開に衝撃でした。

投稿: M NOM | 2011年12月 4日 (日) 05時34分

今週も楽しみにしておりましたよ、リウさまのレポ。
男性ならではの視点が、私には新鮮でした。
勝さんの気持ちにまで思いが至らず・・・、
私も糸子的な性格に近いので、完全に糸子に感情移入してしまっていて、勝のことをすっかり落っことしていました・苦笑

>お礼
糸子みたいに猪突猛進タイプって、いろんなことを落っことしているんですよ。
それをうまいことフォローしてくれる人が出てくるんですね。
勝さんみたいな夫とか、昌江さんとか。
ジブリの宮崎さんと鈴木さんのコンビなんて、典型だと思います。

私はむしろこの部分、あのおんぶしていたのが弟のお嫁さんとは思わず見ていました。
あれだけの門構えの農家だったら、出入りの小作人や使っている人もたくさんいるでしょうから、お正月前に奥さんがのんびり子守なんてしていられるはずはないんです。
だから割と違和感なかったんですが。

私の子供時代くらいまでは、何かあると母の実家に預けられていました。
父が選挙違反の疑いで検挙された時には、刑事さんが家にまで来て捜索されたので、母の実家の兄嫁が、「そんなところに子供を置いといちゃいけない」と、岩手の盛岡からわざわざ迎えに来てくれて、私たち兄弟を一か月も預かってくれたんですよね。
いまだったら、食事代やらおやつ代やら、どこから出てくるんだって話ですが、商売やっていたこともあって、いい意味でどんぶり勘定だったんでしょうね。

若夫婦が働き、年寄が子供の世話をする。
それで成り立っていた時代ですから。

核家族になり、どんどんせせこましくなってきたなあと・・・、


来週はいよいよ、糸子の周囲にも戦争が具体的に迫ってきますね。読売新聞では、一週間のあらすじが出ます。
「おひさま」のときには、ここを読むだけで十分だったんだけど、今回は「待ちきれずに読む」、読んでも放送が楽しみ!なんですよね。


蛇足
別スレの話題ですが、
英国俳優って、アメリカでは「品がある」という評価があるんだそうです。言われて見れば、そうかも・・・。
フィリップ院長の美声にはビックリでした。
「大聖堂」、字幕で見てみたいですね。
デイケンズの「リトル・ドリット」というドラマで誠実な男性を演じていたので、その印象が強いです。
「シラノ・ド・ベルジュラック」を、彼で見てみたいですね。

「リアル・ステイール」は、「鉄腕アトム」の中にそっくりな話があるんです。ロボット同士のプロレスっていうか、ローマの剣闘士的な。
使い捨てにされるロボットたちの扱いに、アトムが義憤を感じるんですね。
それをアメリカ的に料理しましたねって、思いました。
手塚プロの了解は取っていますよね、きっと。

投稿: マーシー | 2011年12月 4日 (日) 09時40分

また書き忘れ^^;


実写版では、「ドラゴンボール」もありましたね。
日本では話題にもならなかったけど、
日本のアニメって、向こうの人たちの思い入れが強いんですね、きっと。

投稿: マーシー | 2011年12月 4日 (日) 09時41分

みち様
コメント下さり、ありがとうございます。

今週の話を見ていて、ハルおばあちゃんと善作がコーラスして笑かしてくれたり、糸子の自語相違が可笑しかったり、相変わらずしっかり細部にわたるまで心配りがされていて。 さらに糸子がどれだけ直子に対して愛情を持っているか、という描写もきちんとされていたのですが、なんか見ていて引っかかる。 そんな嚥下不良感に悩まされました。

それは一面で、戦局の悪化とともにままならなくなっていく世相をこのドラマなりに表現しているのかな、とも思ったのですが、なんか違う。

その原因はなんだろう、と考えたとき、「仕事一辺倒で子供のことなんかあまり重要視していない糸子」「採算度外視して必要以上に自分で仕事を忙しくしている糸子」、という2点にある、と思いました。

ただ、20代前半から中盤、と思われる若い糸子の経営方法として、未熟さ加減が散見されるのは、仕方のないことだ、と思ったことも確か。

私もそうだったのですが、自分で 「ここまで社員にしてあげれば会社としてじゅうぶんだ」 と考えていても、不十分な場合がある。
いつも、いつまでも、勉強なわけですよ。
玉枝の言う通り、「店一軒守るいうんは、大変なこと」 なのです。

このドラマは、つくづくすごいです(ほかに褒め言葉の表現が見つからないのがもどかしい)。

あの山道行き、昨今のドラマではすぐに目的地についてしまうお手軽な移動方法が目につきますが、実に大変そうなことをしっかり描写している。

まるでヘンゼルとグレーテル?(笑)楢山節考?(笑)

いずれにせよあの山道は、異界への道のり。 亘の家は、要するに糸子にとって、子棄てに匹敵するくらいの別世界なのです。

この表現方法は、テレビドラマの枠を、はるかに超えてます。

そしてそこから糸子が 「子育てというのは、哀れなもんやなあ」 という感想を抱いてしまうのも、無理からぬ話かもしれない。 なんでこんな山奥くんだりまで、わが子を迎えに(いや、見に)いかにゃならんのか、と。

「あの万年上機嫌の人が、泣いてはるわ」 という糸子の感想も、実は勝の上機嫌さに、かなり甘えていることからくる感想なのだ、と私は考えています。

しかし、ここまで主人公をきれいごとだけで書こうとしない、このドラマの作り手は、つくづくすごい(あ~ほかに言葉がないものか…)。

人は、いつも最善の状態で生きているわけではない。

でも自分はいつも、最善のことをしていると自負している。

そんな食い違いを朝ドラの世界で見ることになるとは、思いませんでした。

投稿: リウ | 2011年12月 4日 (日) 09時45分

「カーネーション」、ますます面白くなってきたと思うんですよ。
私も働く「母」です。子どもを、0才前から保育園に預けていましたので、糸子の気持ちはよく分かるつもりです。
でもそんな私でも、子供が生まれてからの糸子のことは「ハラハラドキドキ」で見ています。
しっぺ返し、あるでしょうね。
でもね、それに気がつくのはもうちょっと経ってからだと思います。

現実の小篠綾子さんは、3人の娘さんがみごとに世界に通用する人間に育っていますが、その裏にはかなり壮絶な親子の現実があった、と思うんです。3人とも、「ミシンを踏んでいいる母親の後ろ姿の印象が強い」というくらいなので。
徹底的な放置、心は痛みながらもそれをする以外になかった小篠さんの「現実」があったんだと思います。
これは、賛否両論、元からある話だと思いますし、同じような生き方が出来る人間はこの世に二人とおりますまい。

そんな、人の話を、取り上げると聞いていたので、最初はすごく危惧していたんです。
作り手側が、過度な「共感」を主人公に寄せるようになると、それ故の批判が渦巻くのじゃないか。
逆に、作り手の側がそんな主人公を「落として」見せたらそれはそれでそれに反発する人たちが出るのじゃないか。

ところが蓋を開けてみたら、予想の斜め上を行く展開。
作り手の側は、糸子に同調するように話を進めておきながら、実は糸子を突き放してみています。
現状、あくまで、あくまで、あくまで糸子の心象の部分からしか物語は展開してません。いや、今後もそうだと思います。だから、いいも、悪いも、世間の目はそこに存在していなかった。(糸子はそんなこと意識していませんから。)
でも、戦争です。
いやでも、現実に自分の尺を合わせなくてはならない、時代がそこまで来ている。
たぶんそれによって、たくさんの、今まで隠されていた爆弾が糸子の周りで炸裂するような気がする。
でもきっと、それをもくぐり抜けて、「うちはうちらしく生きていくしか(他に術が)ないんや」と彼女が腹をくくる、流れになっていくのではないかと。

私は、作り手の側が、それをも意識して作っているように思えてならないんです。
自分の心の目から見えるものと、人の目に見える自分と。
そのギャップ。
今までに、ありそうで、無かった視点。
(「それでも、いきていく」に見られたような、予想の斜め上を行く視点です(笑))

予告を見る限り、安岡のおばちゃんのあの「涙」と、どうもマサルさんの浮気・・・も発覚するらしいので、これらが糸子にとって自分以外の人にとっての、糸子という「現実」に気がつくエピソードになるではないかと、期待しています。そういう意味で言うと、来週を戦争の週として、世間では見たくないだの早く過ぎてくれと言っていますが、私は来週はとても楽しみなんです。

悪い。悪いと思ってる。
こんな方法、上手くないと知ってる。思い知られてる。
でも、そうやって生きていくしかない。
自分が自分であり、生きていくしかないなら、そうするより他にない。
私にも・・・覚えがあるので・・・
非難されることはわかっていても、迷惑かけていることがわかっていても、そうやっていきるしかないなら、そう生きるしかない。
小篠綾子さんの生き方は、共感は得られないかもしれないけれど、生きるには覚悟がいるんや!ということに帰結していくような気がしてなりません。
そんな母親を目の当たりに見ながら、生き方に苦心していく子どもたちの姿も、今後書かれるのだと思います。
私はこの脚本家さんの、深い共感能力に敬意をもっています。「火の魚」にも舌を巻きましたが。何処かの脚本家に爪の垢を煎じて飲ませてあげたい。

私は、だから物凄く期待してしまっています。
・・・期待はずれになったら、たぶん、2週間くらい立ち直れないだろうと思いますが(^^;)

投稿: samantha | 2011年12月 4日 (日) 10時03分

M NOM様
コメント下さり、ありがとうございます。

ヤフーのテレビ感想欄は、私も時々、自分の感想と世間とどれだけ合ってるのかずれてるのか確認するために拝見します。 玉石混交、世論操作、果ては引っ掻き回すだけの低い志のものまである信用のならないサイトですが(爆)。

で、今週の 「カーネーション」 はこりゃ物議を醸してるだろうな、と思っていたら案の定で(笑)。

まあ私のレビューは、自分の思うがままに書くのが定石ですが、今回のレビューはこのヤフーの議論に対する感想も少々入ってるかもしれません。

勝にはやっぱり、柔弱すぎる面があったかもしれませんね。 いつもニコニコ上機嫌、というのは。
でも今週、その勝は戦争景気で成功している人の尻馬に乗って、吉田屋でどんちゃん騒ぎもしてましたよね。
つまり結構鬱憤もたまっていたのではないか、と(笑)。

そんな勝の存在感を比較的軽視しているように思える糸子が、次週勝の出征を機になにを考えるのか。

また堪能したいと思います。

投稿: リウ | 2011年12月 4日 (日) 10時09分

マーシー様
コメント下さり、ありがとうございます。

直子ちゃんをおんぶしていたのが亘の奥さんではなかったのでは、というのは、その可能性もありますねー(もう消しちゃったので確認の術がない…)。

レビュー本文にも書いたのですが、このドラマ、結構意図的にバッサリ切っている部分が多いので、川本家に対してお礼を言ったかどうかも 「そっちで考えて!」 ということなのかな、とも思いましたです。

ただここは、個人的には、結構意図的だったのではないか?と…。

マーシー様の個人的なことまで披瀝してくださって誠に恐縮です。

顔にあざをこさえた弟の亘の様子を見て、私は 「虐待の可能性あり」 と踏んでしまったのですが、自分の性格の悪さが出ちゃったようです(ハハ…)。
「入られたらまずい」、というように玄関から出てきて戸を閉めた、というのが、ネ…(笑)。
まあどうとでも受け取れるシーンです。
そこがまた、テレビ桟敷の人々に与えられた作り手なりのサービス、なのかもしれませんね。
今週直子を預かる人たちはみ~んな、疲れ切って髪を振り乱して(笑)、「もう勘弁してくださいい~」、だったのですから、なにも言わずに最後まで引き受けてくれた川本家の人たちは、見方によってはかなり出来た人々なのかもしれません。

イギリス人俳優が品がある、というのは、私も昔から思っていました。 英語も分かりやすいし(当たり前か…)(いや、でもビートルズのしゃべる英語って、かなりリバプール訛りがあるんですが)。

おそらくイギリス映画007で見たイギリス人俳優たちの印象と、ビートルズ映画で見たイギリス人俳優の印象、そしてとどめは、ジェレミー・ブレット、でしょうねー。

手塚治虫氏の作品はかなり読んでいる私ですが、「鉄腕アトム」 とか 「ジャングル大帝」 とか、初期の代表的作品だけごっそり抜けている(笑)。 そんな話があったんですねー。 手塚氏の画風はもともとアメリカ仕込みですが、ストーリーのアイディアが無尽蔵だ、というのはもっと評価されなければならない部分だと感じています。 「ブラック・ジャック」 なんて、1話1話が完全にひとつの作品。 話を膨らませればそれだけでひとつの映画が出来てしまうほど。 「リアル・スティール」 もその手の作品なんでしょうか。

「ドラゴンボール」 の実写版には、予告だけで笑ってしまいましたが、本編を見るほどみんなヒマじゃなかった(爆)。 どうしてもアメリカ人が作ると、大味になっちゃう、という印象は強いですね。

投稿: リウ | 2011年12月 4日 (日) 10時45分

samantha様
コメント下さり、ありがとうございます。

「糸子に同調するように話を進めておきながら、実は糸子を突き放して」 いる、というsamatha様のとらえ方、私もそのように感じています。

なにしろ、ぐずりまくる直子に対して糸子は少なくとも、家にいる夜のあいだだけは、愛情を注ぐこともできたと思うし、いざ完全にいなくなってしまったときの、直子に対する思いは、やはりじゅうぶん描かれていた。

まだ会わぬうちから、「直子、直子」 と玄関まで突進する糸子。 やはりここからは、母親としての胸の痛みがじゅうぶん伝わってくるのです。

でも、何かが足りない。

それは確かに 「放っておいても子供は親の背中を見て育つ」、という楽観的な子育て論があることは確かなのですが。

ハルおばあちゃんは、縫い子さんたちの賄いとかで忙しくて、直子をおぶってあげるとか、出来なかったのかな。

優子に手がかからないのだから、善作や千代が、なんとかできなかったのかな。 まあ優子が病気がち、という理由もつけてましたけどね。

でも、どことなくぐずり怪獣の直子を、みんな敬遠している向きがあるんじゃないか。

優子が善作と歌舞伎を見たと得々としゃべっていたのを、糸子が快く思わなかったシーンがありましたけど、あれって春太郎が原因だけの話じゃないような気がするんですよ。

みんな手のかからない優子ばっかりで、その場にいない直子をなんとも思っていない、話題にも出ない。

そこに糸子は、自分も感じている直子への疎ましさも手伝って、イライラしていたんじゃないだろうか。

なんかそんなことまで考えが及んでしまうのです。

なーんか、深い話のような気がするんですよね…。

「火の魚」、なんか録画したものが取ってあったので、久々に見たんですよ。
原田芳雄サンがもうこの世にいない、ということがとても信じられないのですが、ここでの尾野真千子サンは、いかにも物静かな、文芸作品に出てくるような、あぶな絵のなかの少女のような佇まい。

あらためて糸子とのキャラのあまりの違いにがくぜんとするのですが、渡辺あやサンの作品は、表面だけ見ていては気づかない部分が大きい。 秘められた部分とは何なのか、という点に着目しながら、今後も見ていきたい気がしています。

投稿: リウ | 2011年12月 4日 (日) 11時04分

横レス失礼します。

Samantha様
どうお伝えしたらいいのか…自分の文才のなさに泣けてきますが

悪いとわかっている

それでもそう生きるしかない

言い訳にしか聞こえないと言われても、非難されることは百も承知で、選択するしかなかったこと。ワタシにもあります。
その分、責任は全て自分が負うしかなくシンドイですが…


楽しみとおっしゃっていた月曜日
どうお感じになったか是非ともお聞きしたいところです。

リウさんの場はなかなか現実では出会えない方々の深慮をお聞きできる、場
『それでも、生きてゆく』からのご縁ですが、心から感謝しております。

ありがとうございます。

投稿: みち | 2011年12月 5日 (月) 16時19分

リウ様

渾身のレポート、今週は一段とレベルUPされていたような気がします。
マーシー様と同じくリウ様の男性目線。なるほどね〜eyeと納得。

私的には、直子の預け先に窮した時、勝が弟の家に頼むと言い出したのは、家長の座を譲ったのだから、それぐらい頼んでもいいだろう的な思いがあったのではないかとも思いました。

でも、一旦、預けた直子の顔見たさに実家に行ったものの泣いて帰った勝。それに対する糸子の独白。冷たかったですよね。

今週は、やはり糸子のおごりというか、人の気持ちを斟酌できない?しない?彼女への欠点を描き出した週だったのかなと思いました。
(呉服屋さんが反物を納品しにきたときの対応にも表されていたように思います)

直子を年末に引き取りに行った時も、確かにお礼の一言もなくて、どうしてなんだろうと思いましたが、これも今週のテーマの中のひとつのタネだったのでしょうね。

この直子の引き取りのシーンで、おぶわれていた直子の着物の袖が泥だらけの状態で、怪獣直子を表す上で、とてもリアルな演出?でした。こんな些細なシーンにまで、細やかに配慮されているスタッフの方達の意気込みは凄い!の一言につきますね。

いろいろな場面で、いろんな想像力をかきたてられる素晴らしいドラマですね。

今週も、いろんな展開があって楽しみですnotes

投稿: rabi | 2011年12月 5日 (月) 16時45分

リウ様

週間レビューありがとうございます。
毎日の15分を楽しんでいましたので、
一話毎のテーマをあまり意識しないままでいました。
また、聞き取れないセリフもそのままにしていましたが、このレビューに行きあたり、ドラマをより深く理解することができ感謝しております。

今週のレビューではすこし気になる表現があります。
このドラマのナレーションは糸子のモノローグになっており、ヒロインが感じ、考えたままを語っております。
第三者のナレーションであれば「間違い」を冒すことありませんが、ヒロインのモノローグに正誤はないのではないでしょうか。

渡辺あやさんは意図的に第三者のナレーションによる物語の展開を避けているのだと思います。
ヒロインのセリフや振る舞い、さらにモノローグを加えて、糸子という人間を表現しているのではないでしょうか。

次週のレビューを楽しみにしております。

投稿: poru | 2011年12月 5日 (月) 18時09分

みち様
横レスの横レスですがconfident

このブログがそのような場になることは私も存外の喜びですhappy02happy02happy02

投稿: リウ | 2011年12月 6日 (火) 07時20分

rabi様
コメント下さり、ありがとうございます。

rabi様にはいつもこちらの状況を見透かされているようで、コメントの閑散期を見計らってのコメント、恐れ入ります。

やはりこの週は、オハラ洋装店が順風満帆なことで、糸子が大切な何かを見落としかけている、ということを作り手が表現したがっているように、私にも思えました。

ただそれを作り手は見る側にはっきりと提示しない。

糸子の態度が変容しつつあることに賛否両論があるのは、ドラマを見ている限りでは糸子の態度がいいのか悪いのか、判然としないことが大きい。

昨今の分かりやすすぎるドラマの風潮のあえて虚を突いている、というのは、恐るべき手腕だと思います。

直子の綿入れに泥がついていたこと、あちゃ~描写し忘れbearing
どのような状況でついた泥かは判然といたしませんが、この泥も、視聴者側にさまざまなことを思わせるファクターのひとつだと思います。

どうしたのかな。 ぐずって暴れて付いた泥なのかな。 それともひっぱたかれるか何かして付いた泥なのかな。

つまりドラマは、そこまで見る側に感じてほしくて、こういう細かい直子の様子を見せてくるのだ、と思うんですよ。 あの赤ん坊の直子が憔悴し切った表情だったのも、作り手がすごく意図的に、そう見せようとしている。

もうただただ、すごい、としか形容が出来ない…。

投稿: リウ | 2011年12月 6日 (火) 07時30分

poru様
はじめまして。 コメント下さり、ありがとうございます。

poru様のご指摘、おっしゃる通りです。
そもそも糸子がナレーションなんだから、糸子が間違っている場合は、ナレーションも間違ってしまうのは当たり前、でありますcoldsweats01

ただ、ナレーションが事実を正確に描写していない、という部分が、私にとってはとても斬新に見えたもので、このような表現になってしまいました。 他意はまったくありません。

これまで自らの置かれた状況を、ほぼ正確に描写してきた糸子自身によるナレーションに、ちょっとした破綻が見られた。

そのことに私は驚くのです。

主人公が間違っていることを、こうやって表現できるのか。

いや、間違っているかどうかはいまのところ私には分かりません。

人から後ろ指を指されても貫き通さなければならない人生というものもある、と思うからです。

だから糸子が調子に乗っている、というのも、私の個人的な感想であるのです。 糸子は終生、それでいいと突っ走っていくのかもしれない。

今回のレビューはこれまでと違って、個人的な感想によって進められたものであること、ご了承願いたいと思います。

投稿: リウ | 2011年12月 6日 (火) 07時49分

主人公の行動が正しいかどうかということは、本来ドラマの主眼ではないと思います。
間違っていても、それが多くの人の共感を得られるような普遍性を持つ場合もある。
むしろ、そのほうが面白いんじゃないでしょうか。

日本のドラマって、特に刑事ものは説教臭くて、私はあれが嫌いなので見ないんですが、
このドラマには、そういうところがない。
その点で、作り手が主人公を突き放しているという見方もあると思います。

モデルのあるドラマの場合は、本当にあったこと、起きたことと、脚色が微妙に入り混じっているはずです。事実そのままを書いても、面白くはなりませんから。
小篠さんという強烈なキャラクターをかみ砕いて、一般的に受けいられるようにしつつも、少し違う部分も残しておく。
その塩梅が絶妙ですね。

お礼の件に戻りますけど、この当時の家族の枠組みって、今とは全然違うんですよ。
井上靖の「白ばんば」とか、下村湖人の「次郎物語」なんて、里子の話でしょう。
「白ばんば」は祖父の愛人に預けられて、しかも蔵の中で暮らしているし、「次郎物語」は小学校の用務員さんに預けられている。

勝の実家では、次男が跡を取っていますが、跡を取る、つまり財産を全部譲られるのは、他の兄弟の面倒を見る義務と責任があることを意味している。
だから勝が礼を尽くして(山のようにお土産を持って、とありました)頭を下げてお願いしたら、引き受けなければならない。

この後当然糸子は、自分のおごりのしっぺ返しを受ける展開になるのでしょうけれど、それも渡辺さんは、単純な善悪というものさしでは料理しないような気がします。

リウさまのおっしゃるとおり、糸子は生涯、このまんまかもしれない。
でもそれでも、視聴者が納得してしまうような描き方をするんじゃないでしょうか。
という期待をもたせてくれますね、このドラマは。

リウ様の今後のレポにも期待しておりますが、さまざまな立場、考えの方々がここに集まり、ご自分の感想を言える、貴重な場に育ちつつありますね。
そのことも楽しみです。


「シャーロック2」情報です。
イギリスのテレビガイドには、12月31日放映と掲載されたそうですが、まだBBCからの正式発表はありません。
気を持たせますね、BBC!

投稿: マーシー | 2011年12月 6日 (火) 10時31分

こんにちは。
初めてコメントさせていただきます。

いつもリウ様のレビューの的確で深い考察に感嘆し、ドラマ本編と共に楽しみに読ませていただいております。
本文そしてコメント欄で皆様のいろいろな捉え方を知ることができて、思ってもみなかった解釈に出会うこともあり、とても勉強になります。

私にも今イヤイヤ期真っ盛りの小怪獣がおりまして、この週のカーネーションはなかなか胸が痛むものでありました。その中で私が驚いたのが、糸子が善作と電話しているときに言った「うちはなんで子供なんて産んでしもたんやろ」というセリフです。
一部の視聴者から顰蹙を買う可能性があるけれど、それを恐れない勇気あるドラマだと改めて思いました。

子供は本当に可愛い。でも小さい子をかかえて、自分のペースで事が運ばないこと、自分のやりたいことを諦めなくてはならないこと、がこんなにしんどいものかと痛感している身にとって、こういうことが頭の隅にちらっとでも浮かんだことがないかといえば、ウソになる。ところがいざ本当によそに預けてしまうと、心配で気になって気になって何も手に付かない、ということが私にもありました。(でも迎えに行くと意外と子供はケロッとしたもので拍子抜けしたりしますが・・・)
なので、この週の糸子の気持ちは痛いほどわかりました。

勝の弟の家に迎えに行ったシーンの描写も、直子へのまっすぐな想いを強調するためにあえて他の情報(挨拶をする・お礼を言う)を省いたのだろうと解釈していたので、私は特に違和感もなかったし、あれで糸子の傲慢さを表しているとは感じませんでした。
あのまま「ほな、さいなら」って帰って来てたらそりゃ問題ですけどね(笑)

ただ、糸子に「周りに迷惑をかけている意識が薄い」というのは確かだと思います。祝言の時もあれだけ遅刻してハルおばあちゃんにギャンギャン怒られていても「なんや、皆怖いなあ・・・」なんて他人事だし、直子出産の時も結局道端で産気づく始末だし。結構こちらも見ていてイラッとさせられることが多いです。それは今週の『秘密』でさらに顕著に表れてくるような。
糸子は「堪忍なぁ」とは言うけど、本当の意味で「ごめんなさい」と人様に頭下げて謝ったことが今まで無かった気がします。善作ゆずりの気性だとは思いますが、だんだん世の中が殺伐としてきて、周りがそれを許さなくなってくる中、糸子が今後どう変わるのか(それとも変わらないのか)楽しみです。


初コメで長々と失礼いたしました。
今後もレビューを楽しみにしております。

投稿: ひゃく | 2011年12月 6日 (火) 11時54分

マーシー様
再コメント下さり、ありがとうございます。

私も、糸子の生き方が正しいか間違っているかどうかは、あまりコアな問題ではないと思います。

ようは、どんなにまわりの見方に違いがあっても関係ない、その時代をただひたすらに生き抜けた人の話、なのですから。

もし糸子がこの先反省する、というのであれば、ストーリー的には勝が出征して、その存在感に気付かされ、勝の気持ちを軽く思っていた自分を悔やむ、とか(あ~これってもしかして今週やってるかもしれない話ではないか…見てないのにまた書くとエライ見当違いばかりなんだよなぁ…笑)、ハルおばあちゃんに 「あんたええ加減にしいや」 と言われるとか(だから想像でものを書くなっての!…爆)、そんな展開のための布石として、糸子のいたらなさが描写されているのではないか、と(先週放送分を見て)感じたのです。

「次郎物語」、私も遠ぉ~い記憶が蘇りました。 第一部しか読んでませんけどね(全部読んでる人って稀な気がするcoldsweats01)。

このドラマは、そんな昔の事情というものが絶妙に織り込まれていて、しかもいちいち説明なんかしないですよね。

「このドラマは不親切だ」 とか自分で書いといて、亘や勝の事情を考えてなかったな…。

まあ、亘を見た糸子の、これまたナレーションで 「どうして弟のほうが家を引き継いだのか分かった」 とかいう失礼な(笑)感想があったことも、「糸子、調子こいてんなぁ」 と私が考えた一因ではあったのですが。

いずれにしても糸子のありように嚥下不良感が付きまとう、とは書きましたが、このドラマはそこを正面切って描いていることに、個人的にはますます信頼度を高めている状態なのです。

「シャーロック」、うーん再放送はまだか…。

投稿: リウ | 2011年12月 6日 (火) 13時07分

ひゃく様
こちらこそはじめまして。 コメント下さり、ありがとうございます。

「なんで子供なんて作っちまったのかな~」 なんて、親ならば正直なところ考えないことではけっしてないですよね。 世帯数が増えれば経済的にも負担だし、いつも思い通りになるわけじゃないし、思春期になればもっともっと手がつけられなくなることもある。 つまらない正論を吐きますからね、連中(爆)。

でも、「子供なんかなんで産んじゃったのか」 なんて、不謹慎だと思われようが、そのことをちゃんと糸子につぶやかせているこのドラマは、だからこそ信頼が出来る、と思うのです。

今の世の中、きれいごとを言いすぎますよ、みんな。

私みたいに 「世話になったんだからお礼くらい言え」 とか(笑)、「子供をよそに預けるなんてどういう了見だ」 とか。

オマエもそのなかのひとりかい!と突っ込まれそうですが、これってガキどもの 「つまらない正論」 に似ている(爆)。

親のクセに愛情がどうのとか、親だって威張ってるけど自分は威張れるような人生歩んでるのかとか(あ~なんだなんだ…爆)、「その通りだよ!けどな、人生ってのは自分の思い通りにゃいかね~んだ」 と開き直りたくなる正論なんですな(ど~もスミマセン…笑)。

こういうつまらない正論がまかり通る現在(特にネットの世界では顕著な気がします)は、殺伐としていった当時の銃後の営みとダブるものがあります。

初めての語らいでかなり砕けた話題になってしまって申し訳ないですcoldsweats01
今後とも温かい目でこのブログを見守っていただけたら幸いです。

投稿: リウ | 2011年12月 6日 (火) 13時30分

リウ様

いつも、コメントへの返信ありがとうございます。
私のどうでもよいようなコメントや皆様へのコメント、そして半ば荒しのような過激なコメントにまで、返信くださっていて、リウ様の誠実な人柄があふれてます。
だから、皆様のコメントが増えていくのではないかと思ってま〜す(波はあるにしても・・・)。

今週もいろいろな展開盛り沢山の週ですが、今回、気になったのは勝と買い物に行ったとき、駅からおりて街を歩くシーン。
街をいろどる植物(今でいうガーデニング?)が、当時はこんな種類の草花の寄せ植えがあったのだろか?という違和感。
自分の母親が子供の頃の年代ですが、多分、こんな感じではなかったのではないか?ということ。
さすがにNHKのスタッフの方もここまで気が回らなかったのかなという気がしました。

こんな些細な粗探しをしなくてもweepと思いつつ、なぜか「カーネーション」にはパーフェクトを求めてしまっています。happy02

秋のクールには、めぼしいドラマがなく、遊川さんの「家政婦のミタ」一人勝ちになってしまいましたね。

私は途中からですが、木曜の夜9時から「doctors 最強の名医」を見てます。「冬のサクラ」でも存在感を発揮していた高嶋政伸さんの演技が凄いです。キャラクターに磨きをかけてて笑えますよ〜coldsweats01。こういう役しか回ってこなくなっちゃうのじゃ?と心配するほどです。

>マーシー様
「シャーロック」情報ありがとうございました。日本での放映は春くらいかもですね〜。
また最新情報がございましたらお教えくださいませ。楽しみにしています。note

マーシー様の読書量にはリウ様共々、私も敬服しております。

投稿: rabi | 2011年12月 9日 (金) 12時00分

rabi様
再コメント下さり、ありがとうございます。

いえいえ、どうでもいいコメントなんてとんでもない。 rabi様にはこのブログを陰から日向から見守ってくださって、とてもありがたいと感じております。 rabi様の場合、特に私がしんどそうだな、と思われた場合にはコメントを差し控えてくださるなど、とても心配りを感じてるんですよ~!

それにしても特にここ数カ月、記事を書く量がめっきり減ってしまって、「ひょっとしてドラマを見る情熱そのものが失せてしまったのか?」 と自分でも思うことがしばしばです。 忙しいっていうのは確かにありますけど、以前は忙しくてもこんなに週イチペースみたいな閑散としたようなことはしなかった。

「家政婦のミタ」 も、なんか世間的にすごい話題になってるのに、4話以降全く録画したものを見てないし(たまりにたまりすぎるとますます見るのがおっくうになる…爆)。

その代わりみたいな感じで、「カーネーション」 の記事には命をかけてますけど(笑)。

今回のコメントでも、ストーリーに関係ないところでご感想を下さり、助かります。

やはり本編を見るまで、極力情報を自らシャット・アウトしている部分もありますので。
まあそれでも我慢できず番組HPをのぞいたりなんだりもしちゃってますけど。 い~かげんなんです、基本自分(rabi様にはお見通しか…)。

投稿: リウ | 2011年12月 9日 (金) 13時20分

リウさま

このドラマ、糸子の人生の展開に戦争という状況も相まって、かなり奥深さが増してますね。視聴する方も、心の奥底が揺さぶられるような毎日です。
ところで、毎日録画しておいて観て、土曜日の午前の連続放送も観ている私からのおせっかいな提案なのですが、まず最初は、一話ごとに見終わったら一旦少し間をあけて次に行かれてはどうでしょうか?
ドラマとしても、15分という尺を活かした作りになっており、その余韻たるや、ものすごいものがあります!
もちろん面倒な見方ではあるのですが、ぜひリウさまにも、あの15分の終了とともにあのドラマの作り手みんなから受け取る上物の喜怒哀楽を味わってみていただきたいと思うのです。そうするとまた、ドラマの味わいも一層増して格別ですよ。
騙されたと思って一度ぜひ

投稿: クッカ | 2011年12月10日 (土) 13時27分

「シャーロック」最新情報です。
とうとうBBCから公式発表があり、2012年1月1日の放映決定です。
で、シーズン2のDVDは1月23日発売。
3話目が放映された3日後だそうで・苦笑、
人気の凄さを物語っていますね。

すでに1話目のプレビュー上映があり、大変な人気だったとか。

原語で視聴できるファンたちが、こちらでもDVD発売後、あちこちのブログで話題にすることでしょう。

日本放送は、いつになるんでしょうね。
楽しみに待ちましょう☆

投稿: マーシー | 2011年12月10日 (土) 20時59分

クッカ様
コメント下さり、ありがとうございます。

土曜日の一挙放送分をリアルタイムで見ているときはまさにイッキ見なのですが、録画したやつをあとで見る場合、結構その方式を採用したりしています。
一粒で二度おいしい。
グリコみたいなドラマでありますネ(爆)。

そしてイッキ見の場合、その週のメインテーマが、くっきりと浮かび上がってくるのがまたすごい。

正直なところ、今年見たドラマのすべてがブッ飛んでしまっている感覚であります。 「JIN」 も、「それでも、生きてゆく」、も。
これらのドラマもすごかったけど、このドラマはさらにその上を行っている。

なんというバケモノなのでしょうか。

投稿: リウ | 2011年12月10日 (土) 21時24分

マーシー様
「シャーロック」 情報、ありがとうございます。

とは言うものの、ああファースト・シーズンの再放送はいつ?いつ?いつ?(爆)。 すっかりおあずけを食らっている犬の心境であります(爆×2)。

ただこのところ、「カーネーション」 にばかりレビュー意欲を吸い取られて、実際に再放送されてもきちんとレビューできるかどうか、とても心配です…。

投稿: リウ | 2011年12月10日 (土) 21時29分

>リウさま
大丈夫です、早くとも再放送は、来年の春以降でしょうから。
「カーネーション」は終了していますね。
リウさまのエネルギー充填完了したころです・笑

ああ、こんないいドラマが終わるなんて、残念でたまりませんが!!!

投稿: マーシー | 2011年12月11日 (日) 09時42分

マーシー様
レス下さり、ありがとうございます。

ええ~来年の春ですか(正月の 「カーネーション」 ない時期にやってほしい…笑)。

当ブログ毎年恒例の 「今年のベストドラマ」 を決める時期になってきたのですが、「カーネーション」 をまだ終わらぬうちからトップに据えたい気持ちがこのところ激増しております。

とりあえずここでご報告してワンクッション置いときますcoldsweats01

投稿: リウ | 2011年12月11日 (日) 10時14分

リウさま

間があいてしまってすみません。
そうでしたか、大変失礼致しました!
おっしゃる通りですね。

まずは初見での「こう来たか!」と涙涙涙あるいは笑い、ジヮ~っとくる感動。もしくはしばらく動けなくなるほどの衝撃。
そして、もう一度観ることで、さらに細やかな部分にも気付き、味わいを深める。

土曜日の放送をひと続きに観ると、リウさまの言われる通り90分の作品として化けてくる。毎日の15分であれだけ惹き付けられるのに、つながった時にも美しい展開、

投稿: | 2011年12月12日 (月) 09時56分

??様
レス下さり、ありがとうございます。 文面から察するに、クッカ様だとこちらで勝手に判断して話をさせていただきます。

なんかコメントが尻切れトンボっぽいんですが、失礼ながらちょっと突っ込ませていただきます。

どんだけあわててんねん!(爆)。

もしかしてほかの記事にもコメントいただいたでしょうか? このところ私も、なんか設定がリセットしてしまって、名無しのゴンベエで返信してしまったりすることが多いのですが、私の場合は書き直しが出来るのでいいですけど、困ったもんです。 「この情報を登録する」 にチェックを入れて、記憶させてるんですけどねぇ…。

このドラマは、もうどこを切っても名作の香りがぷんぷんいたします。
このような朝ドラは、あと数年は現れないでしょう…。

投稿: リウ | 2011年12月12日 (月) 10時23分

リウさま

間があいてしまってすみません。
しばらく出先からでして、
スマートフォンから打っていると、書いてる途中思いがけないクリックをしてしまっては全部消し、の、繰り返しで、やっと送信までたどり着けそうです。

そうでしたか、大変失礼致しました!
おっしゃる通りですね。

まずは初見での「こう来たか!」と涙涙涙あるいは笑い、ジヮ~っとくる感動。もしくはしばらく動けなくなるほどの衝撃。
そして、もう一度観ることで、さらに細やかな部分にも気付き、味わいを深める。

土曜日の放送をひと続きに観ると、リウさまの言われる通り90分の作品として化けてくる。毎日の15分であれだけ惹き付けられるのに、つながりにも何かこう、美しさを感じ。
週休1日でこのような日々を送っていたら、しかもそうせずにはおられない、という状況であれば、そりゃ他のドラマまでパワーはありません。

『火の魚』に話は移りますが、作品と制作中の様子について、原田芳雄さんが放送前のトーク番組かなにかで語っておられ、ドラマ制作陣の熱意にじんわり感動したのを覚えています。それがあのドラマを観るきっかけでした。

作品の持つ力って、熱意をもった人々が産み出す作品の力って、すごいですね

投稿: クッカ | 2011年12月12日 (月) 10時49分

クッカ様
再コメント、ありがとうございます。 スマホで出先からまでコメントを打っていただき、恐縮です。 そんなことも知らずに突っ込みを入れてしまって、スミマセン。 ホント、このドラマの糸子みたいですね、他人の事情が分からないなんて。

ほかのドラマに気が回らない、というのは確かにこのドラマがすごすぎるせいもありますが、どうも毎回書く題材がないんですよね、ほかのドラマ。 それと致命的なのは、どうも続きを見たい、という気になってこない。 これは私の個人的な気力の問題かもしれないです。

そして逆にこのドラマにのめり込んでしまう大きな原因は、どういう見方も可能だ、という部分です。

「火の魚」 の前宣的番組、確か 「土曜スタジオパーク」 だったと思います。 でも私が見たのは、このドラマが賞をもらって再放送した時のものでしたので、もしかすると違ってるかも。
原田芳雄サンがホントにお元気だったころで(というより原田サンは亡くなるほんのわずかの間にまったく別人のようになってしまわれていた印象が強いですが)、尾野真千子サンもメッセージをしてましたね。 「彼女はとてもがんばり屋だ」、みたいなことを言って、原田サンがほめていたことを思い出します。

投稿: リウ | 2011年12月12日 (月) 16時55分

お久しぶりです。第9週、やっとこ再見につきレビューです。

本放送時は糸子が無茶な仕事をこなすのは毎度の事と思ってましたが絶対的(晩年は相対的)無理はこれが最後でしたね。増長は感じていましたが仕事で大コケするかと思っていたので、意外な方向に…。勝さんが浮気に走る伏線も(奈津の旦那と意気投合したり)、ご指摘通りですね。
ここから周防編(=DVD-BOX2巻)までに人間関係の軋轢が集中、この10年ほどの期間を経て20年後には「我ながらアホやった」程度に落ち着くと。一方で晩年編開始直後に今週の一件が蒸し返されたのはアホボン達に説教をする糸子自身も年を理由に小さく纏まっていた事を示していたような気がします。

リウ様が述べていたように前半が青春サクセスストーリーなら後半は人生の物語。不倫問題、挑まれる形の母娘バトルロイヤル、自ら老いと根性任せに突貫すれば良いものではないし基本は負けを受け入れていく展開の連続(笑。ただ、この時期は戦争という解り易い逆境が続き、直後の玉枝さんとの軋轢も綺麗に纏まるのでまだ変換期でしょうか。

>戦争
善作は日露との事ですが「坂の上の雲」や「二百三高地」(←7月6日にBSプレミアムにて放映)を観ると生きて帰ってこれたのが奇跡に思えます。配置の問題?勘助のお父さんが亡くなったのは第一次世界大戦で日本軍の死者は約300人だったそうです。勘助自身に関しては「開拓者たち」で断片的に描かれた内容が該当でしょうか。主人公の弟が周防に見えて仕方が無い(笑。

投稿: 巨炎 | 2012年7月 4日 (水) 12時53分

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

サクセスストーリーは、やはり誰でも興味深く、のめり込んで見てしまうものです。

でも、人生って、間違いがつきものなんですよね。

私なんか自分のしたい仕事をしていない、という点で、根本から間違っているような気がしてます(笑)。

みんな、「でもこれ、生きるためだから仕方ない」 って考えがち。
でもですよ。
人生一回きりじゃないですか。
もしかして前世も来世もあるのかもしれないけれど、今生の人生というのは、ただ一回きりなんですよ。

ならば自分の生きたいように生きる。

糸子の場合、人にいちばん合う服を作り、それを着せてあげる喜びというものを人生の第一義に考えていた、と思うんですよね。

つまりここでは、自分の生きたいように生きる、という、見ようによっては自分勝手とも言える生き方が、「人のため」 という一点によって完全に解決されている。

人のために仕事をしてきたからこそ、糸子はその後の人生で、巨大で広大な人と人とのつながりを得ることができたのではないでしょうか。

それはアホボンたちとの交流とかに描写が限定されていたがゆえに、スケールが小さい印象も確かにあるのですが、単なるビジネス上の付き合いだけだと、こうはいかない。

この週の山道行きのシーンをはじめとする 「直子参り」 の描写は、見る側に必要以上の説明を絶対してくれません。
なのに、見る側の想像をたくましくしてくれる 「説明不足」 のシーンの連続です。

直子は虐待されていたのではないか。
糸子は感謝が足りないのではないか。

人生、自分が道を誤るときは、最初だれしもが気付かないものです。
この週の描写は、そんな 「この先の道は、いくつも分かれてるけれど、どれが本当の道なの?」 と問いたくなるような曖昧さに満ちている。

人生を糸子がどう生きていくのか、それは次週で決定的な出来事に遭遇するわけですが(玉枝からの心ない言葉)。

投稿: リウ | 2012年7月 5日 (木) 08時11分

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